2017年02月23日

犯人に告ぐ

東京のあるメガネ店で眼鏡の万引きが発生した。哀川翔のプロデュースしたモデルであり一本約3万円x7本が万引きされ、合計約21万円の被害である。大きな店ではないのでこの被害はそのまま店の毎日の売上減に繋がる。つまり社員や社長の給料を直撃するのだ。

 

そこでこの店の社長は会社のホームページで犯人の顔写真を公開してモザイクをかけて

WANTED〉〈あなたです!! 徹底的に追いかけます!!覚悟してください!!

とやったのだ。指定期日までに購入するか返却しなければモザイクを外します。

 

これに対して下記のような意見が出てきた。

***

テレビや新聞は、〈「人権侵害」指摘も〉と見出しを打った朝日新聞はじめ、多くは「店主の気持ちはわかるが、モザイクを取ることには、問題点もある」式の取り上げ方をした。

 曰く、その「問題点」とは、大別すれば3つ。

「万引きという罪とネット公開という罰のバランスが取れていない」「法的に名誉毀損、プライバシー侵害に当たる」「法治国家で禁じられている私刑に相当する」

 これらを弁護士や“識者”などがコメントするのである。こうした点に留意してか、先のコンビニ2店は早々に掲示を取り下げている。

http://news.livedoor.com/article/detail/12710486/

***

 

「万引きという罪とネット公開という罰のバランスが取れていない」

?馬鹿か?罪のバランスって量刑の問題だよね?けど犯罪には変わりない。米国西部の開拓時代では馬を盗むと死刑だった地域があった。

 

馬の価値の問題ではなく馬を盗られる事によって盗られた方の生活が成り立たなくなるからだ。つまり盗んだものの価値ではなくその被害の大きさが問題なのである。

 

例えば盲人からその杖を奪ってその盲人が交通事故に遭って死んだら杖の価値など問題ではなく杖を失くした事によって発生した死が加害者の量刑になるのだからバランスを取って死刑になってもおかしくないのだ。

 

罪とのバランスなど泥棒に遭った事もない偉そうなバカが自分を人権主義者かなにかと勘違いしてのたくってるだけだ。自分が被害者になってみろ、こういうやつに限って騒ぎまくるのだから。

 

次:「法的に名誉毀損、プライバシー侵害に当たる」

それがどうした?名誉毀損とはやったやらないは別にして「言っちゃいけないよ」と言う話である。例えば浮気が事実だとしてもそれを第三者が公表するのはだめよって話だ。

 

けれど今回は盗まれた被害者が当事者として被害回復を求めて行う行為であり第三者の話ではない。被害を受けた被告が加害者を訴えることのどこが名誉毀損であるか?

 

第一犯罪者のプライバシー?ふざけるのもいい加減にしろ、被害者の被害はどうでも良いのか?これまた左巻きのアフォ人権主義者の戯言である。

 

でもって:「法治国家で禁じられている私刑に相当する」

実はこれが一番問題なのだが、元々人間には自己防衛機能がある。

 

ルソーがその「人間不平等起源論」で説くように古来人間は一人で森の中に住んでいた。だから人間としての進歩はなかったが自分の事はすべて自分で片付けた、例えば敵が攻めてくれば自分で暴力を使って相手を倒すことだ。

 

しかしそれでは人間が個人として生き残るための限界がある。相手が自分より強いライオンである場合に安々と食われてしまうのか?

 

そのような自分の肉体を守るために人間が思いついたのが「集団になること」である。そこで人は森から出て来て城塞を作りその中でお互いを助け合いながら集団以外の敵対的行為を自己集団の暴力で排除することで生き残るようになり、同時にお互いが知識を交換することで都市としての成長を果たした。

 

しかし誰もが利害関係が細部に至るまで一致しているわけではない。そこで個人が自分だけの正義を主張していては都市社会が維持出来ない。

 

だから利害関係調整の為の話し合いが行われ誰もが納得出来る法律が作られ更に個人が持つ「自衛権」としての暴力行為を警察と言う組織に委託して個人では実力行使を出来ないような仕組みにした。これが現代社会である。

 

けどその暴力代行組織である警察が個人を守らなければどうなる?個人は防衛としての暴力権を警察に委託しているがもし警察が代行してくれなかったら?

 

本来都市社会に居住することを選択するのは個人である。暴力装置を放棄して警察に委託するのは西部劇にあるように「この街に入る時は腰の銃を警察官事務所に預けろ」である。

 

けれど銃を預けた挙句に警察が自分やその財産を守らず悪党に奪われてしまいその賠償もないとすれば?

 

この場合都市社会と個人は社会契約を結んでいる。これは双務契約でありどちらか片方のみに義務が発生する片務契約ではない。

 

従って犯罪を処罰すべき警察が処罰をしなければ契約は自動的に破棄されて個人は社会の中にいてもその自衛権を行使することが出来るようになる。

 

僕はこれが社会の限界であると考えている。つまり行政を請け負った側がその義務を果たさない場合は社会が崩壊するという事、または社会に参加する人々が社会を崩壊させるということである。

 

そこで今回の「モザイク晒し」はまさに行政の不作為による参加者の被害でありそうなれば被害者は自衛手段としてネットで晒すという行為を取るのは自然な行為である。

 

勿論行政からすれば自分たちが受託された業務であるから民間人が勝手にやることは許せないだろう、だから民間人による私刑、リンチであると言う。

 

では民間人の被害は行政が保障するのか?しないでしょ?自分がやることやらずに民間人が自衛をすれば犯罪か?

 

政府大好きお上の言うこと御尤も、土曜のサスペンス劇場観るのが唯一の楽しみって人なら気にもならないのだろうが家族を抱えて法律を守って生活をしていた人がある日突然被害に遭って誰も救ってくれないとしたら責任ある立場の人間はどうすればよいのだ?武器を取って立ち上がり戦うしかないだろう。

 

人権主義者の真似事をするアフォーを相手にどうこう議論をしても時間の無駄である。

 

但し。但しここで一つきっちりと言っておきたい事がある。

 

それは今回の事件では犯人が明確であり誰もが共有する価値観の中での事件だから許容範囲内であると考えるが、これが個人の価値観だけで例えばイスラム教徒過激派が自分の主張だけの為に他人の首を切るのは全く別問題という事だ。

 

社会に参加する以上個人の価値観や主張は抑えるべきである。自宅で何をやっても良いが公衆の面前で主張を実行することは健全な社会の維持を妨げるわけで今回の僕の意見を拡大解釈する気持ちはない。

 

僕はあくまで双務契約として暴力を否定しているし暴力を実行する気持ちもない。けれど家族が危機に晒されて行政、合法的暴力装置である警察が動かなかったら?その時は自衛としての暴力を選択するだろう、それがネットで晒すという方法であっても人間の自然権として行使するだろう。そうならない事を行政側に期待するのみであるが。



tom_eastwind at 18:06│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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