2017年02月28日

割り勘文化

東京の人と話をしてていつも疑問に感じていたのが割り勘文化である。あれって知らない者同士が一緒に飲むから割り勘なのか。つまりよく言えば一期一会、悪く言えば一回限りの付き合いなのでお金の事もきっちりしておきたいという事なのだろうか。

 

東京の人はそういう事を深く考えもしないようで普通に飲み会に男女が参加しても男女平等の割り勘で支払う事が普通のようだ。女性の食事代を安くしてしまうと「なめんじゃねーよ、あたしゃ生活保護じゃねーよ!」と女性に怒られる事もあるのかもしれない。

 

僕が日本の田舎の九州で生活をしていた1980年代はどのような集まりでも女性がお金を払うと言う文化はなかったような気がする。

 

それとも僕の周囲だけだったのかもしれないが、田舎に一期一会はない。誰もが同じ街で生まれ同じ街で育ち同じ街で働き中には親同士も昔は学校の同級生だったなんてのも普通にあったから、一生一緒みたいな雰囲気がある。

 

そして九州では表面的に男尊女卑なところがあるから例えば田舎の青年団の飲み会だと宴会の最中でも女性は男性の酒が空になっていればささっと酒を注ぐし豊富な話題で会話を楽しみつつ男が宴会の度に毎回繰り返す同じ自慢話を毎回初めて聴いたように「まあ、すごいですねー!」と男性を立てる。

 

その代わり支払い時になれば参加した男性の頭数で飲み代を割り勘にしたりもし先輩がいれば「よかよ、俺がこれだけ出すけん」と余分にお金を出したりしたが女性がお金を払う事はなかった。(これはあくまでも僕の付き合ってきた範囲内の話であるが)

 

そして飲み会の終わりには数人の男性がチームになって女性を順々に自宅に送り届けて親御さんに引き渡す、一対一で送ることはしなかった。そうやって女性を守りムラの青年団は秩序を保ちながら成長していったものだ。

 

ところが最近ある書き込みで、バーベキューに参加した家族グループが「うちが余分に負担させられた」とか「xxさんは何もせずに持ち込みもしないのにうちが持ち込んだワインはどんどん飲んだ」とかずいぶんせこい内容であった。

 

日本ではまだバーベキュー文化やホームパーティが根付いて無くて、慣れてない人が格好付けてやるもんだから一期一会なのか一生一緒なのか距離感もないままに「あらまー素敵!うちもいよいよ素敵な階層に参加してますよー」と喜んでフェイスブックに書き込みして喜ぶが、カネを払う時に急に素面に戻って細かいところをぐたぐたと言い出す。

 

僕が「沢庵」と勝手に名前をつけている小話がある。それは皆が宴会で集まりご馳走の豪華幕の内弁当が出るのだが、皆社会でそれなりの立場にいて発言も立派で天下国家の話も見事に語る。

 

なのだが、熱く語り手元の箸を持ち上げたその瞬間に手元の弁当と相手の弁当を見比べて「あれ?おれの沢庵が一枚少ないぞ」と言い出す話である。

 

いくら立派なことを言っても目の前の沢庵の枚数を数えているようでは如何なものかと考えてしまうがそれが現実に起こりうるのも東京の話である。

 

ニュージーランドでは週末のバーベキューが生活の中に染み込んでおりいつもどこかで開かれているし知らない人でも気軽に参加出来る。

 

ところがバーベキューで皆が大騒ぎしているように見えて実は新しい参加者の事はしっかり観ている。

 

基本は料理や酒を持ち込むのだが、中にはいつも持ち込みよりも多く消費してケロッとしている人もいる。次回はどうかなと思ってても次回が同様に持ち込みよりも消費が多いとなれば、次第にその人はバーベキューに呼ばれなくなる。

 

香港時代もよく海辺のバーベキューに参加したものだ。僕だけ日本人なんだけど呼んでもらい赤柱(スタンレー)と呼ばれる監獄の横のきれいなビーチ沿いの岩場にはバーベキュー設備が整っており、皆が三々五々肉を買ったり近くの士多(食料店)でビールを買ったりして上下の差別なく楽しんでたものだ。

 

けどこれもやっぱり参加者はしっかり他の人を観ており、きちんとバランスが取れているかを長期的に判断してた。次は誘うかどうかを。僕は日本人と言う事もあり彼らも気を遣ってくれたがそれでもぼくは常に三人分の飲み物は用意していった。

 

実はこの場所、香港のウインドサーフィンのメッカのような場所でもあり僕はそこで毎週末は必ずと言って良いほど朝から香港の仲間とウインドサーフィンやってたのでその付き合いで参加させてもらったのだ。

 

そんな事もあり僕としてはバーベキューってのは長期的な付き合いのバランス感覚が必要なんだなといつも思ってた。

 

けどそういう仲間内の付き合いをきちんとこなしていると何時の間にか皆が助けてくれるようになる。香港人の結婚式に呼ばれた時に参加した老人が「何で日本人がここにいるんだ!」と怒った事があった。老人は日本軍が香港を占領していた時代を覚えていたのだ。

 

そんな時周りの仲間が「いや、こいつは良い日本人なんだよ、ヘタだけと広東語もしゃべるんだ、いいヤツだよ」と助けてくれた。

 

ニュージーランドも香港もパーティ文化は日本よりも発達していた。だからこそ参加する際もきちんと自分の立ち位置やあるべき役回りを考える事で仲間が増えていった。

 

パーティとはそういうものだ、一期一会なのか沢庵なのか分からないが東京の割り勘文化に僕が馴染めないのはそういう経験があるからだ。


一期一会程度なら参加しない。参加するなら長期的視野で付き合う、けど東京のような大都会では距離感が取れないのかもしれない。香港もニュージーランドもちっちゃな地域社会だから学べた話である。 



tom_eastwind at 18:33│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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