2017年03月01日

信自己2

今年の年始に書いた言葉だ。もう3月になるけどこの言葉は今もいつも頭の真ん中にある。

 

世の中普通の人は誰でも失敗を恐れるし無理だと思うことはやらない風習がある。

 

けれど自分を信じるとはその正反対の行動である。

 

誰でも失敗はする、けどその失敗は次の成功への踏み台である。もちろん致命的な失敗は別だけど致命的と思わない限り世の中にそんなたくさんの取り返しのつかない失敗などない。

 

つまり心の持ち方一つで失敗は成功の母になるし苦しい状態でも何も機会がないよりどれだけ良いかを実感するようになる。

 

辛苦は無に勝る(まさる)と言う言葉がある。どんなに苦しくても苦しんでる限りは機会があるのだ。本当に苦しいのは何も出来なくなった時だけだ。

 

それなのに失敗を恐れて何もしないというのは世間に染まった証拠かなまけ者の言い訳にしか過ぎない。

 

ゲーテの言葉にも「人間は努力する限り悩むに決まったものだ」というのがある。

 

悩みこそ前向きに生きている証拠であり辛くて苦しいからこそ成長している証拠なのである。

 

これは「無理だと思うことはやらない」も同様である。多くの会社員がいつも言うことは「やった事ないから出来ませーん」である。

 

これこそ自己否定の究極であり責任回避の常套句である。

 

では生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんのおっぱいを観て「吸った事ないからわかりませーん、わたしミルク飲めませーん」って言うか?

 

では初めて戦場に出た若者が敵を目の前にして「人を殺したことないから撃てませーん」なんて言って自分が殺されてそれで兵士の役割務まるか?

 

誰にも初めてはある。てか生まれて来た時からすべての事は初めて尽くしである。だからこそ初めてやることを積み重ねることで年輪が広がり豊かな人生を送る事が出来るのだ。

 

なのに自分を利口と思っている人間、責任を取りたくない人間に限って「出来ませーん」という自分を利口と言うがそんなもん単なる人間の退化である。どうせ退化するなら人間やめて山に入って猿でもしてろ。

 

大事なことは自分を疑わない事である。自分は出来る、例え初めての事でも努力して学ぶことでやれる、そう思い込む、つまり自分を信じることが何よりも自分を成長させる幹となるのだ。

 

その結果として失敗することがあってもそれは糧になるし諦めずに次に挑戦すれば必ず成功するしその成功体験が更に人生を豊かにしてくれる。

 

他人が「そんな事出来るわけないじゃんかー」と言ってもそれは他人の話であり自分の話ではない、そう解釈出来る人間の方が自由度が圧倒的に高い。何でも出来る、こんな楽しい話はない。

 

でもって世の中の殆どの事ってのは、何かを失敗しただけで命まで取られる事はない。ならば再挑戦の機会は常にあるわけだ。

 

ところが挑戦しないまま年を取って後になって「んー、自分の人生って何だったんだろ?ただ飯食って寝るだけの、何の意味もない人生だったなー」と思うくらい虚しいものはないのではないか?

 

人間、長生きするためだけに生きているのではない。長生きでギネスブックに載ってもそんなの次に記録を抜くやつはどんどん出てくる。

 

それよりも他人と比較するだけでごみ満足を得るよりも自分だけしか出来ない事をして人生を満喫するほうがよっぽど楽しいものだ。

 

信自己。他人から見ればはらはらするかもしれないが、やってる本人は勝算100%である。自分を信じる限り人生は楽しい事ばかりになり積極人生を生きることが出来る。



tom_eastwind at 14:05│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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