2017年03月16日

ふるさとは遠きにありて思ふもの

あなたが好きなのは日本なのか日本政府なのか?

 

今の御時世で日本を離れて海外に移住すると言うと「お前、逃げんのかよ!」と言われることがあるようだ。

 

この場合何から逃げるかによるが相手が日本を支配する層であり相手の土俵でどう戦ってもかなわないならば相手の土俵を離れるのも戦術の一つである。

 

そんな時に「お前は日本を捨てるのか!」とも言われるが、いやいやそりゃ違う。誰もが日本を故郷として愛しているから日本を捨てるのではない、日本政府と対等の立場になるために日本の法律が適用出来ない場所に移動するのだ。

 

兎追いしかの山小鮒釣りしかの川である。日本人は殆ど誰もが自分の生まれ育った故郷が好きである。けど好きだっていうのは自分の故郷に対してであり、その故郷を支配する政府と呼ばれる組織のやってることが好きになれないから一時的に海外に身柄を移すだけである。

 

こういうのは例えば清朝の中国で圧政に耐えかねた一般市民が自由と正当な労働の対価を求めてゴールドラッシュに湧く米国やそしてこのニュージーランドのダニーデンに自己責任でやってきてその街に根付いたのと同様である。

 

共産党支配を嫌って上海から香港に移ってきた中国人、客家や潮州の人々は更に南のアジア諸国に華僑として渡りその土地で財産を築き上げたがそれでも故郷の山や川や人々を自分の心の拠り所としており故郷の村に学校や病院を建てるのが当然のようになっている。

 

中国人の考えには世界が自分の庭という感覚があるから世界中どこに行っても最後に帰るのは自分の生まれ育った故郷なのである。

 

世界には自分の生まれ育った場所を追われて海外に逃亡する人もたくさんいる。ロンドンではアフリカやロシア東欧あたりから追われた人々が逃亡生活をしているしイラン革命を起こしたホメイニ師はイラン当局によって追放されてパリで反政府運動を繰り広げて最後にはイラン革命で母国へ凱旋した。

 

だから世界的に観れば生まれ故郷を離れて生活をするってのはそれほど特別な事ではない。

 

それは日本でも実は同様である。日本は江戸時代は各藩ごとに国が分かれており隣の藩は隣国であった。昭和前期の時代の東京では知らない者同士が話す時に「おたくのお国はどちらですか?」などという言い方が残っていた。

 

つまり日本では鉄道も道路も発達していなかった頃には自分の生まれ育ったムラから出て行くなんてのはあり得なかった。そんな時代に領主に逆らったり飢饉から逃れるために逃散したりして故郷を捨てることもあった。けれど誰もが自分のお国を持っていたのである。

 

昭和の戦後になり新幹線が発達して海運が盛んになり田舎の若者が東京や大阪に集団就職するようになった。若者は都会で働き彼女を見つけて結婚して子供を作り何時の間にか都会人になっていった。

 

それでも自分の故郷があるわけで盆や正月になると帰省して久しぶりの故郷を懐かしむのである。

 

徳洲会病院の故郷は徳之島である。徳之島で育った若者が都会に出て医者になり「命だけは平等だ」と訴え大阪で病院を作り西日本を中心に病院を建設し各地医師会の反発に遭いながらも離島医療にも取り組み、自分の貧しかった故郷にも病院を作り地域に貢献した。

 

これなどは故郷の徳之島を出て日本全体で成功して故郷に錦を飾った華僑の日本版であるが結果的に国家によって徳田虎雄は殺処分となった。国家権力の中で支配層と戦っても勝てない、これが今の日本の現実なのである。

 

他にも日本国内で日本を良くしようとして戦い潰された人々は枚挙に暇がない。ましてやそれが一市民であった場合どうなるのか?

 

納得できない状況で頭を下げたまま自分の気持を殺して一生生きろと言うのか?

 

それができる人は良いだろう。納得できない状況を納得して自分を抑えて生きていき自分の子供や周囲に「お上にさからうじゃねーだ、長いものには巻かれろだ」と言えるならこの世はそれで良いのかもしれない。

 

けれどそうでない人々、どうしても自分の中の炎を消せない人々、子供に間違った事を教えたくない人々、そういう人々に残された道は日本の憲法に保障された「移動の自由」を実行することなのだ。

 

しかし世界中どこに行っても生まれ故郷を嫌う人は少ないと思う。例え故郷を出て都会で過ごしていても、

「故郷の訛なつかし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」気持ちは故郷への情念と共に常にあるし、

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」である。



tom_eastwind at 11:27│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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