2017年03月17日
視点の違う二極化
「ケータイがあってSNSがあって甘えるな!」
夜、TVONEを観ながら奥さんと食事をしていると最近の若者の就職状況の様子が流れてた。
やはりニュージーランドでも世界と同様にオークランドの一極集中と更にその中でも二極化が始まっている。
その中でもアジア人の二世たちは大学を出た賢い子どもたちでも地元に根付いたコネがないから仕事探しには苦労する。
そんなテレビを観ながら奥さんに「最近は大変だよね、おれたちは30年前だったからまだ仕事もあったしローンで家が買えたけど、今のアジア人の若者は大変だね」と言うと冒頭のように激しく反論。
「だって考えてみてよ、あの子達は皆携帯電話持っているのよ、それもiPhoneは一台500ドルもするし通話料金だっていくらだか。それにネットが発達していつでも世界中の反対側にいる友だちとテキストでお喋りが出来てるんだよ」
「第一大学に行くお金だって親が出しているんだし大学に行ってる間は友達と遊べるんだしさ、やっぱり今の子供は贅沢」
彼女たち香港人からすれば1997年の中国返還という歴史的な香港大崩壊を目の前にして世界各地に飛び散り移住した時の気持ちは、まさに「私どうなるの?」であった。
1980年代と言えば航空券代も高く携帯電話もなく勿論インターネットもなく国際FAXも殆ど利用されていなかった時代である。
一度海外に出てしまえば次いつ故郷に帰れるのか分からないし移住先の生活ではとにかく一生懸命最低賃金で働くしか無くお昼休憩などあってないようなもので、週末だって仕事をして故郷の友達と連絡するにしても手紙で片道一週間かかってた。
そんな時代を過ごして現地で永住権を取って少しでもまともな仕事を見つけて少しづつ現地社会に馴染んでいった。
そういう苦労をして来た人々からすれば、やはり今時の若者が「仕事がない」なんてふざけるな、レストランの皿洗いでも公共工事の現場での土方でもゴミ清掃でも、仕事はいくらでもあるだろう!って気持ちである。
このあたり奥さんが本気で怒ると僕らのような甘えた日本人はなかなか太刀打ち出来ない。うちだけなのかもしれないが。
奥さんにとっては「二極化は間違いなく起こっている。しかしいつの時代だって若者が楽して好きな事して生きていける時代なんてなかった」のである。
特に香港のように何の資源もない土地で英国人に支配されている場所では常に頭を研ぎ澄まして生きていかないと、あっという間に周囲に食い殺されていた。
このあたりの感覚は日本と言う平和で安全な国で1980年代を過ごした僕にはなかなか理解出来ないのだろう、かわいい奥さんであるがこのあたりはどうしようもない生活実力の差である。
「九蓮宝燈!」その後奥さんがにこにことして僕のところにやって来て手元のパソコンを見せてくれた。麻雀ゲームで役萬作って大喜びである。うーむ、人生はやはり楽しい。