2017年03月23日
自衛隊出動
海上自衛隊がいよいよ第四隻目の「護衛艦という名前の空母」を就航させた。全通甲板を持った「ひゅうが(日向)」、「いずも(出雲)」に続き「かが(加賀)」の出番である。
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海上自衛隊最大のヘリコプター搭載型護衛艦「かが」が22日、就役した。第4護衛隊群(広島県呉市)に配備予定で、海自の哨戒ヘリや陸上自衛隊が導入する新型輸送機オスプレイの搭載が可能。甲板が平らな「ヘリ空母」タイプは計4隻態勢となり、海自は空母の建造を進める中国を念頭に、日本周辺の警戒監視任務などに投入する。
かがは、既に配備されている「いずも」型の2番艦。船体の両側の開口部に遮蔽板を設置し、いずもよりレーダーに探知されにくい構造になっている。ほかに甲板が約50メートル短い「ひゅうが」型2隻も運用している。
海自は警戒監視以外の任務として「大規模災害派遣や、人道支援などの国際平和協力活動を担うことが期待される」としている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H5U_S7A320C1000000/
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海上自衛隊側では護衛艦と言う名称で呼んでいるが実態は空母でありヘリコプターが同時に飛ばせるよ、でもってオスプレイも離着陸可能ってのは、いずれ垂直離着陸が可能なハリアー戦闘機も使えるわけで最近の軍事用語で言う強襲揚陸艦が出来ましたって事だ。
日本では空母は第二次世界大戦では主に太平洋に展開して戦艦や巡洋艦、駆逐艦などと空母打撃群を作り太平洋戦争を戦った。
しかし米軍側では艦載機を積み敵国の近くまで侵入して艦載機で敵地を攻撃して制空権を奪い同伴している上陸用艦艇に積載した上陸用舟艇で敵国の海岸線に突入するための母艦としての運用も行われていた。
この運用は現在も同様であり東南アジアで何かあればすぐに横須賀や佐世保に停泊している空母群が出動して中国沿岸部の監視警戒任務についている。
戦後は大型空母よりも強襲揚陸艦と言う名称で小型だが小回りの効く艦載機積載の艦艇を打撃群の中心として運用されている。
日本は敗戦後空母を持つことは米国によって禁止されてきた。これは戦闘機も同様でありゼロ戦を作った中島製作所がその技術で国産戦闘機を作ることの危険性をよく理解していた米国によってこれも禁止されてきた。
その戦後の軽装備体制が現在は米国の許可が出たのだろう、空母=強襲揚陸艦や戦闘機の国産化に向けて進んでいる。空母を作っているのは石川島播磨重工である。
「大規模災害派遣にも使える」と言うのは英語でリップサービス、日本語ではおためごかしとでも言うか、要するに尖った話を和らげるための手法にすぎない。いずれにしても空母の目的は敵地に侵入して相手の土地を攻撃することであるのに全く変わりはない。
戦後の自衛隊としては1970年代から空母建設計画は出ていた。しかし全通甲板となると明らかに空母であり当初はヘリコプターを飛ばせる護衛艦として建設されていた。
しかし2009年に就航したひゅうが型護衛艦は全通甲板として世界、特に中国に大きな衝撃を与えた。日本にとっての仮想敵国はすでにロシアではなく中国になっており、中国の沿海部に直接接近して攻撃ヘリや戦闘機を投入して沿岸地域を短時間で叩くことが出来る兵器が登場したのだ。
そして続けて三隻が就航すれば何が起こるか?空母は常に修理や訓練が必要であるが三隻あれば常に最低一隻は中国沿岸部に張り付いて警戒監視任務が可能になる。これが大きい。
つまり日本は国会では自衛隊の書類がどうのこうの紛失したとか破棄したとか言ってるけど現場ではすでに対中国に向けた専守防衛及び先制攻撃の準備が出来上がったと言うことだ。
「ひゅうが」は1918年日本帝国海軍戦艦として就役、太平洋戦争中盤で航空戦艦に改造されその後も大きな戦果を上げて1945年7月に呉軍港で大破着底するも生き残り戦後の1947年7月に解体され29年の軍歴を閉じた。
「いずも」は英国で建造され1900年に日本帝国海軍装甲巡洋艦として就役、日露戦争で活躍した後第一次世界大戦では米国西海岸防衛に派遣され、その後は太平洋戦争でも活動し1945年7月に米軍により呉軍港で大破着底、戦後の1945年11月に海軍から除籍され45年間の活動を終える。
「かが」は本来は戦艦として建造される予定だったが軍縮協定により何度か建造計画が変更になり1928年に空母として就航、支那事変や太平洋戦争を戦ったがミッドウェー海戦で米軍艦爆部隊の攻撃により1942年6月5日撃沈、沈没された。
なおミッドウェー海戦で撃沈された日本帝国海軍空母は四隻、飛竜、蒼龍、加賀、赤城である。