2017年03月25日

リーガルハイ 法と民意

昨日のレンタルビデオの続きと言う訳ではないが土曜日に堺雅人と新垣結衣のテレビドラマ「リーガルハイ」を観る。とても興味深く最後まで観た。

 

特に堺雅人の「役柄を見事に演じる能力」に改めて嬉しさを感じたり新垣結衣のあの独特の演技力もびっくりした。あそこまで迫真とお笑いをうまく素直に表現出来るってすごいなーって。この二人が次に出るドラマは是非とも観てみたいと思う。

 

ところで番組内でサラ金の広告がバンバン出てるのは何か意味があるのか?あの時間帯はサラ金に金を借りたい人たちが視聴している時間帯なんだろうか?

 

モビット、アイフル、随分爽やかな宣伝である。昔とは宣伝の基準が全く変わっている。てか昔はサラ金はテレビ広告出来なかったけど大手銀行がサラ金やる時は良いって風に基準が変わったのだろうか、中身は何も変わらなくても。

 

銀行主導のサラ金と同時に、増えすぎた弁護士が過払い訴訟で電車吊り広告やテレビ宣伝もやってるがああ言う訴訟は今は古いサラ金に向かっているけどいずれ医療訴訟に向かうようになるだろう。

 

今までは医療知識のない死亡患者の家族が黙って受け入れていた家族の死であるが自分の頭のなかに試金石のないバカは病院の廊下に博多の飲み屋街「中洲」のポン引きのようにうろちょろとたむろする弁護士に名刺を渡されて「ご家族の死は医療過誤です、医師を訴えましょうよ!泣き寝入りするのですか?正義はあなたにあるのですよ!」とか扇情的に訴えられてすぐに乗ってしまい自分を悲劇のヒロインに仕立てて舞い上がって弁護士の仕立てたテレビ会見で泣きながら「私のあの人はもう帰ってこないんです!こんな悲劇を繰り返さないために医者を訴えます!お金は勿論下さいよ!」となるだろう。弁護士の成功報酬は30%かもっとだろう。

 

医者と弁護士、どちらも頭は良いがまともに議論すれば医者に勝ち目はない。何故なら弁護士は口を鍛え医者は腕を鍛える、鍛える場所が違うからだ。以前であれば医者同士で守り合うこともあったが最近は医者の数も増えてセカンドオピニオンが普通に出される時代になれば医療に熱心に取り組む医者であればあるほど訴訟リスクが高まることになる。

 

そして結果的に医師は萎縮して今度は治る筈の患者でさえ危険度の高い手術だからと拒否されて死に至る。バカの家族が目先のカネと偽りの正義にのぼせ上がり弁護士に騙されてバカ家族が日本人全体の医療効果を引き下げるという最低の悪循環に至る。

 

これは弁護士が口を出さなくても既に産婦人科や小児科等で現れている現象である。馬鹿が自分の中に試金石も持たないまま自分のやっている行為が将来的に何を生み出すかも考えずに目先の感情だけで暴れて結果的に地域医療に大きな悪影響を与えている。

 

それが今度は増えすぎた弁護士と引っ付いて新たなる社会問題を起こすのである。

 

リーガルハイの最高裁の場面で弁護士の堺雅人が本来の法律の存在意義を実に明確に語っていた。

 

民衆はバカである。民意が判決を出すなら法律など不要である。その時の気分でバカが空気に飲まれて自分が真実で正義で正しいと思い法を無視した判断をして自分が魔女裁判を起こして無実の人々も火あぶりにするのだ。

 

「一緒に世界を変えましょう。自分だけが正義、世の中は時代が変わっても決して変わらないものがあるのよー」それが無知蒙昧による正義信仰である。

 

嘘に砂糖をかけて甘くすれば脳内糖分不足バカがすぐに引っかかり世間の80%はバカだからすぐに空気に流され他のバカたちと一緒に魔女の十字架を担いで正義の味方の顔で地面に突き立てられた十字架に火をつける、栄光に満ちた笑顔で!

 

そのような中世の間違いを正すために近代西洋の法律が出来た。法律は時には苦しい真実を垣間見せるがそれでも社会を安定させるためには必要である。

 

疑わしきは罰せず。何故英国の裁判所で裁判像が目隠しをしているのか?それは人によって法の適用が変わってはならない事を意味している。決して真実から目をそらすと言う意味ではない。

 

ところが民意はまずマスコミに煽られた大衆の欺瞞的結論ありきである。小雪が悪女であるならば悪魔であるならば死刑である、そして小雪は人を殺してきたと推測される、だって新聞やテレビがそう言ってるんだもん、だから疑わしきは小雪であり小雪は悪女であり悪女は殺すのだ!

 

ふざけるな!そのようなバカどもの集団が米国南部では「ミシシッピバーニング」のような白人による黒人の集団リンチを招いたのだ。

 

そのような暗黒時代を経て法律は次第に整備されて現代に至る。勿論現代の法律が完璧であるわけはない。特に時代が変わり民意が変われば法律も時代に合わせて変化することは当然である。そう、民意はそれなりに時代を反映した意見であるのも事実である。

 

しかしだからと言って法治国家において民意と言う「ぬえ」のような得体の知れない存在が法律の上位に来てしまえば、それはもう国家ではなく個人的殺人さえ正義感と言えば許容される無法社会になる。

 

無法社会を防ぐためにロクでもない法律社会があるのだ、ここを勘違いするな。どんなろくでも無い法律社会でも無法社会に比べれば遥かに“まし”なのである。

 

何が最高の社会形態か?人によって答えは違う。

 

けれど少なくとも人間がバラバラになって森林に戻って個人生活するよりはお互いを信じて守り合い分業することで社会はより暮らしやすくなる、だからどんなに不完全でも法律を作り共有できる価値観を持つのだ。そうしなければ共同生活など成立もしない。

 

リーガルハイを観ながらサラ金や電車の中吊りの弁護士の広告を観て思うのは、これって日本の末期症状か?である。

 

これ以上バカが増えると本当に日本が昔から持っていた良さが消えてしまうぞ、そんな怖さを感じながら週末のリーガルハイとその広告を観た。



tom_eastwind at 07:04│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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