2017年03月31日
ぶれない日本人
今回はずっと東京だったので移動の面倒はなかったが本当は大阪にも行ってみたかった。いくつか個人面談予定を入れてたがなかなか予定が合わず次回にしようとなった。
移住の仕事をしていて本当に面白いのは、とにかく東京から北の街に住む人からは殆ど問い合わせがない事だ。
今まで移住を約300組以上取り扱ってきたがそのうちの70%は関東である。そして名古屋、大阪、福岡が続く。人口比率で言えば西日本の移住者が多い。
なので僕の日本出張は東京をベースにして名古屋から大阪、福岡の間を新幹線や小型機で移動することになる。仕事で東北新幹線や上越新幹線に乗ることはない。別にぼくが選り好みをしているわけでなく本当に問い合わせがないのだからどう行きようもない。
この傾向は何だろうと推測しようにも僕は九州人なので思考回路として関東より北の人々の発想の推測のたてようがないが、おそらく東北の人々からすれば彼らの移住は東京であり故郷は東北、だから地元の駅から東京の上野駅まで出るのが移住、海外なんてあり得ないのかもしれない。
戦後すぐの移住者の県別データを観れば移住者に九州や沖縄からの人々が目立つ。
ハワイや米国本土、ブラジル等南米に移住した人々。しかし彼らの殆どは強かった。
移住した先の場所がどれだけ酷い場所であろうと、政府によって騙されたと分かっても絶対にその場所を逃げずに戦った。そして最悪の労働環境でも朝から夜まで働き爪の垢を貯めるようにこつこつとお金を貯めて子供に教育を与えた。
そして子どもたちは移住先の国で親の努力をその背中を観ながらたくましく成長した。
ペルーでは日系移民の子供であるアルベルト・フジモリが地元民を抜いて大統領になった。その子供であるケイコ・フジモリも移民三世であるが大統領候補として戦った。
面白いのは選挙戦の相手がポーランド系ドイツ移民の二世であるクチンスキ氏やフランス移民のメンドサ候補であった事だ。スペイン系でもメスティーソでもない移民の子供たちが選挙を戦い国を動かしているのだ。
ハワイでは日系二世が第二次世界大戦で米国への忠誠を誓い財産を奪われて収容所に放り込まれた親たちの為に欧州戦線で戦い米国陸軍で最も多くの死傷者と最も多くの勲章を授与した。
結局生きるってのは逃げることではない。どんなに苦しくても前を向いて生きることだ。どこで戦うかを決めるのは本人だ。しかし嫌な事がある度に逃げていてはどこで生きていくことも出来ない。
東北の人々は自分の生まれ育った国で生きる。考えてみれば彼らにとっては東北大震災も長い歴史の中の1つなのかもしれない、何度も自然災害に遭ってもその場所から逃げない、雪が降れば東京に出稼ぎに行くけど自分の故郷は東北。
九州や沖縄の人々は「日本」と言う国が成立する前から大陸や朝鮮半島と貿易の歴史があり海外と言う意識がないのかもしれない、だから「海の向こう」に行くなら東京より距離的に近い朝鮮半島や満州や上海、そして海を渡ったハワイやカナダや米本土に移り住むのも単なる引っ越しの延長だったのかもしれない。
ブレずに海外に移住してその国で根を張ってその国に貢献している日系移民。そして米本土でもカナダでも日系移民の二世、子供たちは努力して政治やビジネスの世界で貢献している。
どこで生きるかを決めるのは本人の自由だろう、けれど自分が選び与えられた環境で努力するかどうかは本人次第である。
逃げずにブレずに自分の人生を生きる世界の先達たち。負けてられんぞ、もっと働こっと。