2017年04月03日

都市間格差 南島

古くからの話をすれば1840年にNZが英国の植民地として建国されて英国を中心とした集団移民が始まったが南島のカンタベリー平野を利用した羊の飼育が盛んになり、南島の南北を結ぶ鉄道が発達した事で農場から鉄道駅、駅からクライストチャーチの港までの輸送ラインが整って短時間大量輸送が可能になった。

 

そして1800年代終わりになると冷凍輸送船が発明されて、それまでは羊毛を英国に送っていて羊肉は犬の餌にしかならなかったのが、羊肉を冷凍にして約80日かけて英国に送ることが出来、同様に牛肉の輸出も始めて南島は英国の食料基地として発展した。

 

当時のNZは英国の植民地でありながら労働者への不当な扱い等を厳しく取り締まる労働者天国の社会主義を標榜しており歴代総理大臣は北半球で叶えられなかった夢をNZで実現させた。

 

不在地主による小作人からの利益搾取に100%の課税を行い土地を耕す者に正当な権利を保障した。

 

また60歳になれば誰でも受け取ることの出来る年金制度を導入したのはセドン首相の時代である。

 

教育と医療の無料化は政治の中心にあり、どのような家庭に生まれようが人の出発地点を平等にするという考え方が徹底していた。

 

当時は行き過ぎた資本主義の弊害を訴えて民衆に平等を!と主張するのが世界の流れでありNZはその流れを受けて社会主義が発展して農業も政府が管理する農業公社によって各農家と独占契約を結んで輸出ビジネスを成長させた。

 

公社制度が最大の力を発揮したのは世界大恐慌の時である。北半球の冬に南半球で作られた食料を輸出するビジネスはもし農家がすべて民営だった場合に北半球の食料会社に各個撃破されて値段が叩かれて大恐慌に巻き込まれただろう。

 

ところがNZでは農業公社がすべての輸出食料を一括管理するために買い付ける側の方が弱い。指値で買うしかない。これが功を奏してNZは大恐慌を無事にくぐり抜ける事が出来た。

 

その後も1960年代までは農業の成長で国家が豊かになり国別幸福度調査で常に3位以内に入り、戦後の疲弊した英国から仕事を求めてやって来る英国移民が増えた時期でもある。

 

NZの政治家でTPPを担当した大臣であるティム・グローサーも父親が楽器弾きで家族とともに英国から移民した二世である。

 

しかし1970年代に入り英国のEC加盟でNZは農作物の輸出先を失い同時期に南アメリカ産の羊毛が破格の値段で北半球の市場に参入して来てNZの農業は壊滅的な打撃を受けた。

 

その為輸出先を太平洋、米国やアジアにシフトして同時に通貨もそれまでのポンドから現在のドルへ切り替えて太平洋諸国で計算しやすいようにした。

 

しかし社会主義の弊害が出始めた。それは誰も熱心に働かず知恵を使わず黙ってても農家の食料は政府が全量買ってくれるから品質改善にも熱心でなかったと言う社会主義の必然的弊害がNZ全体を襲ったのである。

 

ロシアの社会主義を笑った冗談がある。ある工場経営者が労働者にこう言った。「君は働いたふりをしてくれ、僕は給料を払ったふりをするから」

 

つまり社会主義の下で人はやる気をなくし自由市場の社会では競争力がなくなるがそれでも労働者は政府にどうにかしろと言うだけで自分で努力することを拒否したのだ。

 

その後1980年代に労働党が政権を取りデビッド・ロンギ首相の下で自由市場の導入、国営企業の民営化を行いこれが成功して1993年からNZはプライマリーバランスが黒字化されて現在まで続く(但し2008年から2015年まではリーマン・ショックと大地震による赤字国債発行で赤字になった)。

 

ところがその時南島の農民や労働組合はデビッド・ロンギに対して「首切り悪魔!」とか「売国奴!」と罵った。何故なら今までぬくぬくと過ごしてきた公営企業が民営化されてムダな職員が解雇されたし、公営企業が民営化されて外国の企業に株を買われて国営財産を売ったから売国奴と呼ばれたのだ。

 

勿論実際は首切り役人でも売国奴でもないデビッド・ロンギの政策は成功してNZはまた軌道に乗ったのだが目先の自分の利益しか考えない農家や組合に選挙で負けて首相の座を降りた。

 

ところがデビッド・ロンギを批判した当時の国民党の首相が政権を取って掲げた政策はデビッド・ロンギの政策の強化と労働組合への締め付けであった。

 

北島のオークランドやウェリントンでは国民党の流れに乗って企業が成長し始めた。ところが南島ではあいも変わらず組合が強く古い農家と組んで古いままの仕組みを残してしまった。

 

その結果として1850年代はNZで最も人口の多かったダニーデンや南島の中心であったクライストチャーチでは発展の機会を逃し更に組合のうるさい南島から工場が撤退して北島や豪州に移転したために南島では産業が育たなくなった。

 

それでも南島はクイーンズタウンやミルフォードサウンド、マウントクックなどの観光地があり観光業が成長した。

 

それまで南半球の果てであったNZに北半球から直行便が就航して世界から観光客が集まるようになったのだ。

 

同時に教育政策の変更で外国人留学生を受け入れるようになったので教育産業が成長した。この為南島、特にクライストチャーチは観光と教育産業、具体的には英語学校や専門学校が発展したのだ。

 

ところがクライストチャーチの労働組合は従前のまま何も変わらず自分たちだけが利益を得る組合と言う立場を守り続けた。企業や工場は次々と撤退していった。

 

そこに2011年2月22日のクライストチャーチ地震が発生した。ビルの崩壊により日本人学生を含む多くの死傷者を出し、そして大聖堂は崩壊しシティ中心部は立入禁止、観光地としての価値を大きく毀損した。

 

この為に留学先や観光地としてのクライストチャーチの位置は大きく低下して現在に至る。一時的な復興需要と言ってもその資金は国民の税金であり更に何かを新しく生み出すことも出来ていない。

 

復興と言っても地元市民の意見はまとまらずシティ内をどう生まれ変わらせるのかどう成長させるのか具体的な進展がないまま既に6年経過した。

 

勿論よそ者である僕がこんな事を書いてしまうとまたもぼこぼこにされるかもしれないがクライストチャーチに支店を作り営業して地元のキーウィと付き合っていくと、どうしても北島の人々との違いを感じたものだ。

 

クライストチャーチ出張中の繁華街で昼間から酔っ払った若者集団と警察が乱闘を起こしたり留学中の日本人学生が夜地元の若者に捕まって殴られて川に放り込まれて殺された。ワーホリ女性が強姦されたりひったくり等があったし街中でアジア人に対するヘイトデモが発生しても当時の市役所幹部がテレビで「まあ、こういう事はまだずっと続くでしょう」と平気な顔で述べていたのには唖然としたものだ。

 

ちなみに昼間の乱闘は僕の目の前で起こった事件で川に放り込まれた殺された留学生は当社のお客様であった。

 

つまり市場の自由化で優秀な人々はオークランドやシドニーに行き残った人々は仕事のない街で昼間から政府支給されたカネで酒を飲み車に乗ってアジア人歩行者に卵を投げつけたり暴れたりして政府にもっと金よこせとやってたのだ。

 

どんな都市にも必ず隆盛と衰退がある。古くから歴史と栄光のある街は早い時期に衰退する。しかし残った人々は過去の栄光を忘れられず「夢よもう一度」とありもしない未来にすがりつく、自己努力をせずに。

 

ローマも2千年前の一時期は世界の中心地であったしスペインやポルトガルも大航海時代の英雄であった。

 

しかし時代は変わる。ニューヨークでさえその繁栄の歴史は200年程度である。ロンドンや江戸から東京のように400年近く続く都市など世界で数えるしかない。

 

どんな大都市であっても変化出来なければ時代に取り残される。時代の変化に合わせて変化出来た都市のみが時間を刻むことが出来る。そうでなかった都市は過去の歴史の中に消えていく。

 

クライストチャーチが今後どのように変化していくのか、それとも変化しないのか、それを一番よく分かっているのが今回の会議で雑談してた白人キーウィたちだろう。



tom_eastwind at 14:20│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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