2017年04月10日

大阪で生まれた女

日曜の夜、久しぶりにBOROの「大阪で生まれた女」を聴く。

 

BOROの一番長い3425秒版である。NHKではよく大阪を舞台にした番組があるが現在では東京が日本の中心であるのは否定出来ない。

 

しかし昭和前期までは間違いなく大阪が日本の中心地であった。江戸時代でさえ落語から食べ物まで大阪上方の文化を江戸に移植したものだった。

 

大阪と東京、うどんと蕎麦文化の違いはあるものの間違いなく大阪が日本で最も活気のある時代があった。

 

時代の変化の端境を1つを上げるとすれば新幹線だろうか。1970年代当時は名古屋はまだ田舎大名であり都会と言えば東京と大阪だった。その東京と大阪を結ぶ新幹線がストロー効果で大阪の優秀な人間を東京に移住させる事になった。

 

東北の人々は東京に集団就職して西日本では九州や沖縄から大阪に集団就職していた。

 

大阪の十三(じゅうそう)と言えば当時の繁華街であり今も往時の雰囲気を残す。東洋のマンチェスターと呼ばれたのは大阪の製造業である。

 

しかし国内移動が新幹線の発達により自由になり東京が政府でありすべての許認可権限を東京に集中したために東京が発展して1970年代には多くの大阪人が東京に移住した。

 

先を見る目がある人々は日本の権力が新幹線と共に東京に移りそれを感じて大阪から東京に移住したのだ。

 

当時の感覚で言えば大阪から東京も移住であっただろう。それは当時のNHKの新日本紀行で語られる「東北の冬の時期に東京で出稼ぎに行く父ちゃん」とは少し違うと思うが常に自分の身を発展する街に置くのは基本である。

 

東北の人々は帰る家があり父を待つ人々がいた。しかし大阪の人々は現実をしっかり見据えて東京に移住してからは東京を自分の場所として生活を始めた。

 

結果的に東京移住した人々は正解であった。その後のバブル時代から東京一極集中、そして大阪のバブル崩壊。東京もバブルが崩壊したがその後更に一極集中が続き今では完璧に日本のトップ都市となった。大阪の人々も生活拠点を移した人は生き残ることが出来た。

 

生き残る、か。嫌な言い方だな。けど生きるって戦う、そういうことだと思う。

 

「大阪で生まれた女」は彼氏と共に東京に移住した。生活に苦労しつつ学生運動を醒めた目で観ながら生き残ろうとする。

 

3425秒、これはもう歌と言うより長い物語りである。



tom_eastwind at 09:43│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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