2017年04月15日

主語なき日本語

今日の個人面談では面白い話を聞かせて頂いた。

 

「英語の文法を理解するのにはキリスト教の理解が必要です」。

どういう事か?

 

日本語で例えば男性が横にいる女性に主語なしに「好きだよ」と言ったら女性がこちらも主語なしに「好き・・・」と答えた。誰が誰を好きなのか主語がないし相手が誰か分からない。

 

「そんなん二人っきりなんだから他の人がいるわけないじゃん!」と思うだろうが、これが英語だと通用しない。

 

英語で“Loving !”とだけ言っても全く意味は通じない。誰が誰を愛しているのか? ”I love you”で「僕は君を好きだよ」になるし、  “I love you too”となって初めて「私もあなたを好きよ」となる。

 

何だかこんな事書くと意味不明かもしれないがここで冒頭の「キリスト教」の考え方が出て来る。

 

キリスト教においては「人は人を騙せても神は騙せない」と言う考え方がある。人間同士だとお互いしかいないけど神様は常に天の上から人々の行動を観ている。

 

そしてその人間が死んだら天国に召されるのだがその時天国の入り口でその人間が生前に行った行動が審査される。つまり天国は常に地上の人々を監視しているのだ。

 

だからこそ人間は普段の生活でも自分の目の前に一人しかいなくてもそこには常に神が一緒に座っている、つまりいつも3人なのだ。だから神様にも分かるように主語や伝える相手を明確にする必要があるのだ。

 

「好きだよ」

「それってあたし?それとも神様?それとも神様が私を好きだよってあなたが代弁してるの?」

 

他にもこの方は英語の専門家で英語について日頃考えもしないことを色々と分かりやすく教えてくれた。この方は元オークランド在住の方で昔話にも花が咲く。

 

10年以上前にオークランドを離れた人々には今のオークランドの発展はまったくもって想像不可能である。

 

アルバニーはその昔細い高速道路から山道に入るとそこは全く光害がなく星がキレイに見えてたとか、今のアルバニーからは想像もつかない話である。僕は星が観えてた時代も記憶にあるし現在の不夜城のようなアルバニーも知っている。

 

僕も主語を省いて日本語を話す人をよく見かけるのだけどご本人それを悪いと思ってない、むしろ「当然だ何を言ってるのだ?!」と怒り出したりする。

 

この人にとっては自分の世界が全てでそれ以外の世界は空想としても理論の勉強としても現実問題としても一切頭に入れようとしない。「わたしが言ってるのだ、何が間違いなのだ!」となる。

 

そんな事を思いだしつつ今日は個人面談とは言いつつも楽しい時間が過ごせた。



tom_eastwind at 19:42│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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