2017年04月25日

アンザック・デー

今日はニュージーランドと豪州の祝日であるアンザックデーだ。朝から気持ち良い空が広がっており出かけたくなる陽気ってことで今日もプールに行く。

 

アンザックとは第一次世界大戦のトルコのガリポリと言う断崖絶壁でドイツ・トルコ連合軍と戦ったNZ豪州連合軍の名称である。

 

Australia New Zealand Allied Company,各文字の頭文字を取ってANZACと名付けられた軍隊は当時の欧州に派遣されて英国カナダを中心とする連合軍の一員として欧州戦線で激しい戦闘に参加した。

 

その端緒となったのがガリポリの戦いでありANZAC軍は連合軍の中で最も多くの死傷者を出しながらも撤退の最後の時まで最前線で戦い続けた勇者である。

 

ガリポリの負け戦の後も西部戦線に駆り出されてここでも多くの死傷者を出したのがANZAC軍である。

 

しかしながら戦後はその努力を認められて英国から自治権の拡大を得ることが出来たのは一つの救いでもある。

 

オージーやキーウィの特徴である「先を考えない」戦い方。頭の良い英国兵は真っ先に逃げたがキーウィとオージーだけはひるまずに敵陣に突っ込んでいった。現在でもよく彼らの誇りとして映画化されるテーマである。

 

ただこの記念日、豪州では日本人に対する嫌悪感で問題になることがある。アンザックデーは本来第一次世界大戦の記念日であるのに豪州では何故か第二次世界大戦とごっちゃになっているのだ。

 

第二次世界大戦で日本軍はニューギニアで豪州軍と直接戦闘を行い豪州本土まで海軍による攻撃を行いマレーシア半島あたりでは豪州捕虜に対して「死の行進」を強いたから日本嫌だって空気があるのだ。

 

当時の捕虜のイメージは映画「戦場に架ける橋」が分かりやすい。当時の捕虜が日本軍に拷問されたというが何をされたのかと調べるとどうやら口の中に無理やり木の根っこを突っ込まれたと言うのだ。

 

それは日本ではゴボウと言う食い物で捕虜の栄養のために提供したのだが捕虜には理解出来ない。

 

死の行進では長距離を日本軍によって歩かされたが同じ距離同じ場所を日本軍が歩いているのは語られていない。

 

戦争は所詮勝ったものが言いたい放題であるが豪州における歴史的認識は学校で歴史を勉強してないからどうもずれているようである。

 

NZにおいて日本人は豪州ほど認識は酷くない。何故ならキーウィで歴史を少しでも知っていれば第一次世界大戦でキーウィの兵隊を欧州戦線まで送るのに護衛したのはすべて日本海軍の駆逐艦であったからだ。

 

当時の写真もオークランド博物館に行けば観ることが出来る。つまり第一次世界大戦において日本とNZは友軍であり同盟国であったのだ。

 

そして第二次世界大戦においてはキーウィ兵士は主に欧州戦線で戦ったので日本軍と組織的な直接戦闘をすることがなかったから日本が敵と言う直感的印象は薄い。

 

元々1840年にNZが英国の植民地となった後に日本は明治維新を迎えた。ところがそれから50年後には日本が工業化して自前の海軍を持ち脱亜欧州で近代化を果たしていた。これでキーウィからすれば賞賛するびっくりものである。後から独立した同じ島国なのにってことだ。

 

実は第2次大戦でも日本が米国と勝ち目ないけど約4年戦ったのは米国嫌いのキーウィからすれば同じ島国なのに頑張ってるなーって印象があった。

 

更に戦後の日本は奇跡の復興を遂げて工業化して1980年代には日本からハネムーナーがジャンボ機に乗って次々とやって来て今の中国人の爆買いブームみたいなのが起こりシープスキンが瞬く間に売れてキーウィはまたもびっくり、一体日本人って何なんだ?と賞賛の目を持って受け入れてくれた。

 

勿論NZでも日本人が個人的にアンザックデーで嫌な思いをした人がいるかもしれない。しかしそれは低能で学びのないバカキーウィのやることであり常識や学歴のあるキーウィではあり得ない。

 

アンザックデーの意味を本当に理解して当時は日本とNZが同盟関係にあったと言う事実、アンザックデーとは第一次世界大戦の記念日であり第二次世界大戦ではないという事実、これくらいは在外日本人として知識として覚えていたほうが良いと思う、日本人として誇りを持って生きるためにも。



tom_eastwind at 08:42│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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