2017年05月14日
日本のいちばん長い日
週末は土日ともプールに行く。ほんと最近きちんと泳ぐ中国人の若者が増えたな。以前のこのプールはJJIBBAが弁当持ち込む団欒の温泉施設だったのに様変わりである。けどこういうイナゴなら歓迎である。
あ、昨日のタイトルの175とはいなご=「いち・なな・ご」の数字変換です。でもって日本でもマイナーな、けど良い歌作る175ライダーズが何故か語呂が合ってたのでタイトル決定です。
泳ぎ終わって自宅に戻り龍馬くんと奥さんと昼ごはん食べながらネットフリックスでSFドラマを観てたらアムステルダムが舞台になってた。
奥さんが「アムステルダムってオランダだよね?」と言うと龍馬くんは無言。僕が「龍馬、キミはアムステルダムがどこか高校で勉強したよね?」と聴くと彼は自信いっぱいの顔で「お父さん、僕らは高校では数学と英語ともう一個学ぶけど、そこに世界地図も世界の歴史も入ってないよ。大学の歴史や地理の勉強が何故あるのか知ってる?あれは高等教育なんだよ」と言う。
そう、ニュージーランドでは高校までの授業で歴史と地理を学ばないので僕が彼らと話をしていてもズレを感じるし、何で西洋人が平気で慰安婦問題や南京大虐殺なんてあふぉーな話を真に受けるのかが理解出来る。
要するに英語圏に移住した中韓英語ネイティブが自分たちの利権を広げるために英語圏人に分かりやすく信じやすいように捏造した歴史を英語圏人に押し付けるとこれまた歴史と地理にアフォーな平均的英語圏人(合理的思考が出来ず基礎となる知識も身に付けてなく自己無知に疑問を感じる事がない低能人)が真に受けるのだ。
それに対して英語が話せる日本人でも心情が日本人なので「そこまで言わなくても分かるだろう」とか「いちいち嘘に反論するのもみっともない」と言うことで英語での理論展開をやらなかったから現状がある。
又は英語ネイティブの日本人だけど日本の歴史も地理も学ばずに育った「生まれっぱなしのバナナ(外は黄色で中は白)」はあふぉーの状態なので中韓理論に一発で洗脳染められて日本批判をするのは、これはもう親の責任であろう。
閑話休題:
正しい歴史を子供に教えるとか、又は歴史的に正しいって言われてる話は勝者によって作られるから古事記であろうが常に疑問を持って読めとか、現在の天皇を尊敬するのは彼の行いを観て個人的に当然としても歴史の中の天皇制度には疑問を持て、元々半島から日本にやって来た侵略者の子孫ではないかとか、子供が自分で新しい物事を判断する時の試金石を持たせるのが親の役目である。
しかし親自身が学校教育の中で「何が正しくて何が疑問を持つべきで事実は観る角度に依って違うけど真実と事実は違う」ってことを学んでなければ子供に教えようもないわけで、これは貧困家庭の子供が貧困世帯として大人になり貧困の連鎖が起こるのと同様に、バカ親の子供はバカと言う、まるで今の中国の富裕層のようなバカ話が出来上がるから今の中国人を批判する多くのバカ日本人は天に向かってつばを吐いているようなものだと思った方が良い。
本題に戻る:
全くバカな話であるが日本人はどうしても自分たちが小学校の頃から歴史や地理を学んでいるから世界中の人々もそうだろうという前提でものを考える、だからいつも捏造派に議論負けするのである。
まあいいや、機会や場所があれば僕自身でつたない英語ではあるが日本の立場を説明していこう、そんな事を思いながらネットフリックスを観ている。
そう言えば昨日の夜は土曜日なので遅くまで映画を観る夜なので日本で買ってきた「日本で一番長い日」をゆっくりと観る。2016年発表・原田眞人監督版である。
真夜中なのに久々に積極的に腹が立つ映画であった。
それだけ映画の出来が良いとも言えるだろうが出演する誰もがまさに人間として無責任である雰囲気を見事に演じている。役所広司も山崎努も東条英機もまさに秀才でありながら彼ら「偉そうな理屈を知ってるけど現場現実を考えない自己責任否定論者」が日本を滅ぼしていった物語である。
人は誰のために生きているのか?少なくとも犯罪人であっても自分の為に生きているはずだ。ところがこの時代の偉そうな連中は大義名分を並べて如何にも他人がどうこう、最後は天皇がどうこう、けど結局思考停止のバカばっかりなのである。
半藤原作作品としてこうやって天皇を描くのか、その周囲をこうやって描くのかと思うと、うーん、作品としては良く出来てるが映画を観てる方からすれば松坂桃李と天皇を演じる本木雅弘がよく出来ている意味ではこの映画は素晴らしいし救いようがあるけど、だけどだけど日本自体の存在価値がどうなのかと本気で考えてしまう。
一体当時の日本って鈴木貫太郎と天皇が救うだけの価値があったのか?誰もが無責任。国家で最も優秀であるべき人々が実際に優秀なのに目先の人間関係にくらんで正しい判断が出来ない。超優秀なバカの集まりである。
1+1は超優秀なバカ連中の戦争の世界では2でしかないのだ。それが負けを意味するとなったら突然理屈をふっ飛ばして精神論を持ち出して話をそらすのだけは得意だ。ここが無駄な学問を身に着けたバカの特徴である。
1+1が11になるのは脳みそ自由活動の時だけだ。1+1を11に出来る戦争指導者は平時においては存在価値のない異常性格者として扱われ政策決定者になれない。
モントゴメリーもパットンも戦いには強いがそれは現場を見ていたからであり逆に言えば政治には無頓着、その結果として優秀な戦争指導者は政治家になれないのである。政治が要求する能力と戦争が要求する能力は全く正反対なのだ。
日本はむしろ第二次世界大戦で一旦滅びた方が良かったのではないか?本気でそう思いながらこの完成度の高い映画を観終わった、怒りと共に。
僕は自分の父親が兵隊としてニューギニアに送り込まれ殆どすべての兵士が死んだ中で生存率5%、つまり100人の兵隊が送り込まれて何とか生き残って日本の土地に戻れたのが5人と言う戦場で生き残ってきた人間なのである意味戦争を間接的にでも理解出来る最後の世代かもしれない。
そして今、海外に出て生きていく自分の生活も1+1が11になる事がよくあった。その意味で戦争学は勉強になった。
ただ自分がどう転んでもこのような太平洋戦争には、もし自分が指導者であれば突入しなかった、それだけは明確である。
喧嘩は勝つ時しかしちゃいけない。
偉そうにバカどもが「何もしなくても負けるなら喧嘩して負ける方が良い」とでも思ったのかもしれないが、それこそ天皇の意思を聴いたのか?
ここにいつも日本の限界を感じる。日本では高級なバカが重宝されて高級公務員としてバカの渦に巻かれて目先の自分の利益だけの為に生きていく。
けど彼らはいつも大義名分を持ってバカがえらそーに立派なことを言って原発を田舎に作り電気だけ自分とこに引き込みその費用はなんちゃら方式で全国民が負担する仕組みを作り、まさに天才的な連中である。
日本の軍隊は下に行けば行くほど強くなる、上に行けば行くほどバカになると言う理論は、日本の軍隊は戦争をしない平時においてのみ通用する仕組みしか存在せず戦時では全く通用しないと言うことを証明する言葉であろう。
何故なら戦争の現場を知る兵隊は生き残りのために泥の中で草をかじりながら全精力を傾けるが兵隊を戦地の最前線に送り込んだ幹部将校たちは自分の立場の生き残りのために南方軍の本部の昭南島で日本から進出した料亭で毎晩芸者を揚げてどんちゃん騒ぎして上司におべっかを使い無意味な精神論を語り芸者と夜を過ごすからだ。
そう言う幹部将校の更に上にいて東京で偉そうな理屈を並べる天才的なバカどもの集まりが参謀本部であり彼らが日本を滅ぼした。
今の日本の問題は、日本を滅ぼした連中の作った仕組みが現在も残っており官僚と呼ばれる人々が日本の将来を考えていながら正確確実に失敗への道を歩いているという事である。