2017年05月16日

正確確実に失敗する人々

昨日は調べ物で第二次世界大戦中の欧州戦線と太平洋戦線の戦い方を観ていた。


戦前から戦中の大日本帝国陸軍大学校は東大よりも優秀な学生が集ったと言われている。

 

幼年学校から始まり陸大をトップクラスで卒業すると天皇陛下から恩賜の刀をもらうくらいで今の日本で言えば東大や京大をトップクラスで卒業して霞が関に就職、事務次官まで行ける能力を持った人々にあたる。

 

エリートは試験に強いわけで答のある質問に対しては無茶苦茶強いが答のない状況ではまともな判断が出来なくなるのも一つの特徴である。

 

しかし戦争に常に正しい答があるわけはなく、生き残るための知恵が要求される。だから机上のエリートは戦争をやらせたら弱い。答があるはずだと思い込み現場を見ずに判断するからだ。

 

陸大卒業で生きる知恵があったのは石原莞爾である。彼がある演習時に自分の部隊を率いて模擬戦闘をやることになったが、そこが田んぼであり農家の米作りの苦労を知っている石原は上官に「ここでは戦えません」と上申した。

 

すると上官は「ふざけるな!戦え!」と言った。そこで石原はその場でいきなり道路にばったりと倒れて「石原被弾!戦死!」と叫んだのである。

 

今自分がどのような状況に置かれているか、今自分が出来る選択肢がいくつあるのか、常に選択肢をたくさん持つために今どう行動するのが最適なのか、こういう事は学校では学べない。ある意味「感覚」である。

 

感覚と言うのは学校では学べない。現場で実行してて何かのはずみにふと理解するのだがこういうのに限って学校で真面目に試験に取り組んでいる学生にはなかなか理解出来ず身に付かないものである。

 

この感覚は現場で生きている人間は比較的よく持っている。中卒のヤンキーでも暴走族の上にいけるのはこの感覚を持っている。

 

生き残る、とでも言うか、現実を観つつその場の最適の解を考えることが出来るのである。

 

族の頭は1+1を11に出来るが陸大卒は1+1が2にしかならないから選択肢が限定されるので現場で戦争するには弱い。

 

第二次世界大戦では陸大卒が参謀本部に入り現場を無視した机上の空論命令を発しガダルカナル島では全く意味のない銃剣突撃で多くの兵隊を殺した。

 

ガダルカナル島が餓島と呼ばれ日本兵が次々と餓死病死をしていた時に参謀本部では毎晩のように料亭で芸者を揚げて宴会をして仲間内の人事や出世や生き残りや、要するに頭が良いから自分が生き残ることを最優先にして戦争していたのだ。

 

こんな現場無視で戦争に勝つわけがない、当然その結果としてニューギニアの敗北、インパールでの部隊長による抗命事件、その頃牟田口は昭南島の料亭で芸者を揚げて遊び回っていた、戦意高揚と言う美名のもとに自分の生き残りのみを考えて。

 

頭が良いと言うのをどう定義すべきか?知能指数か?偏差値か?それとも喧嘩の現場で多くの敵を前に自分一人でどうやって生き残るか?

 

大日本帝国においてはどうやら頭が良いというのは「仲間内をうまく取りまとめて自分が一番になる」事であり本来目的である戦争に勝つと言う要素は含まれなかったのである。

 

戦争に勝てる軍人は組織の中ではみ出し者である。何故なら組織の調和も“なあなあ”も理解せず、又は理解しても絶対に従わないから数の論理で組織中枢からはじき出されるからである。

 

英国軍のモントゴメリー将軍のように自分の軍隊が確実に相手より多いときのみ戦闘するという明確な定義を持っている将軍は戦争には強かったが戦後は現役幹部から疎んじられた。米軍のパットンは天才的な感覚(第六感)で戦車部隊を率いて勝利を重ねたが戦後は左遷、同じく米軍のマッカーサーも同様で最後は「老兵は死なず、ただ去るのみ」となった。

 

軍隊にかぎらず大きな組織はその組織構造ゆえに一旦形が出来上がれば後は自己崩壊していく要素をその内面に持っているのであろう。

 

これは日本も同様で戦時中は常に精神論で最後には竹槍でB29を撃墜するなどバカな事を思いつき、それが町内の爺さんが真に受けて子供や奥さんに竹槍を持たせてB29に向けて竹槍を振り上げる。

 

子供が「これ、届かないよ」と言うとじいさんは「それはお前の気合が足りんからだ!いいか、俺達が若い頃はなー!」と訳の分からん精神論が出て来てそれで話は終わり、あとは「エイヤー!」である。

 

このような日本で最も賢い人々が正確確実に失敗するのは、その内面に持つ本来的な要因が優秀な連中の集まる組織の中で萌芽するわけで、これは現在の霞が関にも直結している。

 

優秀な連中は人生において失敗した事がない。先輩も皆同様である。ならば先輩が決めた事は間違いないわけで目の前の現実など一時的な現象に目がくらんではいけない、現実が間違いなのだとなる。

 

日本が何故失った20年なのか?何故バブル崩壊を止められなかったのか?今はオリンピック前の景気であるが2020年以降の右肩下がりの社会では今まで成功者と思われた人々まで地獄に引きずり込むだろう、丁度日本が現場を見ずに敗戦で地獄に落ちたように。

 

正確確実に失敗する、そういう人々を僕はたくさん観てきた。そして今それは東芝でも起こっている。優秀な大学を出たエリートが不沈戦艦の東芝を沈めている。

 

東芝トップの発想は分かる。日本政府と組んで原発でGO!、けどそれは仲間内の理論だけ優先して原発の現場現実を無視した結果ではないか?

 

頭が良い人に限ってこのような失敗をする。失敗の原因は自分の頭で考えない事であるのと同時に自分の事だけ考えて天下国家の視点からものを観ることが出来ないからである。

 

天下国家で考えて日本の原発はどうあるべきか?僕は放射脳もエネルギー庁も同じレベルで正確確実に失敗する人々だと思っている。

 

喧嘩はどんな事言っても勝たねば意味はない。負ける喧嘩を建前や理屈や美名で美化しようと意味はない。負ければそのような美化は負けた現実ですべて引き剥がされるからだ。

 

だから僕ら下々はエリートバカに付き合わず自分たちの生き残りを彼らエリートに頼らずに考えていく必要があるのだ、僕ら自身が正確確実に失敗しない為に。



tom_eastwind at 16:07│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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