2017年05月17日
出張開始
今日からまた日本出張だ。朝自宅を出て一旦会社に出て朝会議だけ参加してオークランド空港に向かう。
こんな生活をもう20年近くやっているわけで時系列で観れば1996年に僕がシティ内のホテルからオークランド国際空港までの送迎運転手をやってた時は、朝一つ目の予約が大体朝4時ホテル出迎えである。
ホテルに10分前に到着して予めベルデスクに降ろされていたお客様の荷物の数と形を確認して車に積み込む。お客様は時間通りに降りてくるがさすがにまだ眠そうだ。
荷物とパスポートと航空券を確認して忘れ物チェックをして車に乗り込み空港に向かう。車内では旅の様子をお伺いしつつ出国手続きの説明を行う。
実はこの「旅の様子伺い」が結構大事で、ここで旅行中の新婚カップルの不満がなかったか、ホテル、食事、ガイド、観光地に問題なかったかをそれとなく聴き込んでおいてもし何かヤバそうな兆候があればすぐに日本の旅行会社に報告書を提出して帰国後のトラブルを出来る限り最小化することになるのだ。
ここの聴き込みが甘くて報告なしに日本に帰国したお客様が旅行会社に行って「話が違うんじゃない!?」となるとこちらに旅行会社から雷が落ちる事になる。これは強烈であり晴天のゴルフ場でいきなり落雷を喰らうようなものであるから気を使う。
空港に到着すると出発ターミナルに横付けして荷物を台車に載せて出発カウンターにお客様を誘導して旅券と航空券を提出して荷物を預けてタッグの目的地を確認して出発ゲートに送り込むと仕事は終了。
すぐに車に戻り一直線にシティに向かい次の仕事に行くが、これが大体朝5時のホテル出迎えだから4時50分にはシティのホテルに到着する必要がある。
つまり当時はシティから空港の往復+搭乗手続き10分であり空港とシティの間を20分で走ってた計算になる。
朝早いからと言う理由もあったが、今時シティから空港だとどんなに飛ばしても(てか交通渋滞で飛ばせない)30分以上かかる。ましてやチェックインは行列で20分は手続きに時間がかかる。
つまりそれだけ当時は飛行機に乗る人も少なく車の交通量も少なく1時間単位で空港を往復することが出来たのだ。
時代が変わるのは当然でありこの20年でオークランドはすさまじいまでの変貌を遂げた。20世紀の終わりオークランドの人口は100万人と言われていた。
2015年現在すでに約150万人+。2025年には200万人に増加すると予想されている。
毎年約4〜5万人がオークランドに流入しており例えば2年毎に大阪府池田市または神奈川県伊勢原市または福岡県筑紫野市が一つ誕生している計算になり、10年毎に千葉県松戸市、兵庫県西宮市、大阪府東大阪市が誕生している事になる。
これってやはり街が発展している証拠だ。けど元々ロサンジェルス並に広い土地で元ネタ人口が思い切り小ちゃかったから東京や大阪のような急激な変化ではなかったが、それでも少しづつ確実に発展して来たのだ。
ところがそれがここ5年の変化はまさに毎日新しい街が出来上がり新しい道路が作られ1年前に印刷発行された住宅地図に載ってないなんてのがざらである。
現在当社で開発しているフェンチャーチ地区も道路を作るところからやってる訳でこの場所は1年前は政府の古い住宅とちっちゃな丘があるだけだったが、そこいら一体を全部整地して今までの道路を潰して他の場所に新しい道路を作るわけで、そりゃー街の景色も変わるだろうって話である。
日本でも東京と大阪では1970年代後半から1990年代にかけて街の様相が見事に変わった。
繁華街には丸源ビルが建ち大阪では末野興産が無理矢理に地上げして街の景色を完全に一転させた。今までの古い東京や大阪を知っている人たちからすればもう全く別の街が誕生したのだ。
毎日景色が変わる、これと同様の現象が起こっているのが現在のオークランドなのである。
シティの道路は地下鉄建設で次々と封鎖されスカイシティを中心とした地区はアパートやレストランが並び朝と夕方の渋滞は高速道路がまるで駐車場状態になっている。
もう20年前のようにシティと空港を1時間で送迎出来る仕事なんて不可能になったな。
そんな事を考えながら今日もキャセイ航空で香港に飛ぶ。