2017年05月20日

鹿児島

僕が福岡に住んでいた頃、鹿児島は遠い場所だった。福岡から在来線しかないし飛行機だと鹿児島空港から鹿児島市内に出るのに1時間かかる。さらに鹿児島南部の観光名所の指宿となると更に遠い。

 

それでも1980年代は仕事でよく訪問していた。鹿児島ではよく泊まっていたのが城山観光ホテルである。城山は西南戦争の最後の舞台になった場所でもある。

 

今回も鹿児島訪問となった際にどこに泊まるかを考えたが城山観光ホテルがまだ経営しているのを聴いてとにかく行ってみようと思い鹿児島中央駅に到着してタクシーに乗ると約15分で山の上に到着した。

 

そしてホテルは何と現代式に改築されており広いロビーや整備された客室、そしてスタッフの昔からのホスピタリティと、正直びっくりした。実は「時代に付いて来れてるのか?」と少し疑問があったからだ。

 

バブル崩壊以降東京近辺、特に熱海などは老舗旅館が次々と倒産していった。時代の変化を理解出来なかった二代目社長が潰していったのだ。

 

別府のホテル群も同様で特に杉乃井ホテルは多大な投資に失敗して倒産した。城山観光ホテルも昭和の名門でありどうなるのかと考えていたが、このホテルは努力を重ねて無事に時代を乗り切ったようだ。

 

ところがこのホテルでも何と外国人団体がどんどん入ってくる。そっかー、鹿児島の人気が出ているんだ、この街が外国人を受け入れようと頑張っているんだ、そう思うと鹿児島人の意気込みに嬉しくなった。

 

夜は鹿児島の屋台村にご案内頂く。ここはびっくりした。街中にあるのだが古い屋台を20軒くらい繋げて昭和の狭い商店街を模して一つの屋台は8名くらいしか座れないんだけどそれぞれの屋台が繋がることで大きな集客効果を出して、ここにも外国人観光客が続々とやって来てた。

 

屋台の一つに座り焼酎と焼鳥を注文するが、これがまた旨い。外見だけでなくきちんと味を守っている。料理を作ってる焼台のお兄ちゃんはまだ18歳に観えて年を聴くと苦笑いしながら「今もそこに座ってるお客様から聴かれたんですけど、もう22ですよー」

 

それでも22歳と言う若さでこうやってお店の焼台に立ち、料理を配ったり店の外で呼び込みをやっている女の子もどう観ても20代前半である。このような若者が地元で働き外国人を呼び込み自分たちの生活を支える。

 

こりゃいいなー、そう思いつつ焼酎と焼鳥を楽しむ。

 

その後天文館に行くがここも実に客が多い。よく入っている。話を聴くとビジネスモデル自体を昭和のモデルから大きく変化させて対応しているのがよく分かる、これはまさに自己努力である。

 

時代の変化に合わせて自分を変化させる。それがしっかり実行されている。これはむしろ今のオークランドの日本人に理解して実行してもらいたい事である。

 

外国に住みながら変化をせず過去の栄光にしがみつき時代の変化を観ようとせず尚且つ変化せずいつも愚痴るのは「世間が悪い」である。それじゃ駄目でしょ。

 

鹿児島、薩摩は江戸時代を生き抜き時代の変化に合わせて尚古集成館を作り英国海軍と戦争をしてむしろ英国と友好関係を作り明治維新を実現させた。

 

その後西郷隆盛と大久保利通が国造りをして東京の警視庁も薩摩が作った。その後西南戦争が起こり大久保が暗殺されたがそれでも薩摩の血は明治政府に注ぎ込まれて今の日本の礎を作った。

 

彼ら明治の元勲が作った官僚制度もよく出来た制度であった。だた問題はその後時代が変わったのに官僚制度を変化させることに失敗した事であった、そしてそれは今も片付いていない。



tom_eastwind at 01:08│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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