2017年06月25日

漱石

土曜日はいつものようにプールで泳ぐ。昨日は元気のいいキーウィが泳いでて、それにつられてこっちもペースを上げて泳いでたらやはり今日は軽い筋肉痛だ。

 

それでも人間の体は運動+食事+睡眠が基本であるから適度な運動は必要である。それと同時に心身一如、心の訓練も必要である。

 

日本ではほんとによく作られた広告やテレビ番組が健康食品とか美容とかのネタで売られていて、またそれをそのまま信じ込んで買い込んでみたりする人もいるけど、そんなものを買っても得られるのは偽薬効果だけである。

 

偽薬効果は身体ではなく心に効果が出てくるのでその意味では一時的な薬とも呼べるけど本来的に体を整えるのは心と身体の共同作業である。

 

心だけ一時的に気持ちよくなってもそれは実際的な効果がないから引き続き信じ続けて服用しないといずれ現実問題として効果がない事が分かりかえって悪影響を及ぼす。

 

大事なのは人は死ぬと言う大前提を基本にして生きている間身体を健康に過ごし心を落ち着ける事である。

 

心を落ち着ける方法は感情を激動させない事である。怒らない、悲しまない、心配し過ぎない、恐れ過ぎない、笑いすぎない、興奮し過ぎない、そうやって感情の高ぶりを制御すれば心は自然と落ち着きそれが身体にも好影響を与えて健康を維持してくれる。

 

薬が人間を治すと言う西洋医学が日本の多くの患者さんの医学常識になっているけど、西洋の薬は身体に物理的な効果を与えることが出来ても治療するのは人間の持つ自然治癒力が基本である。つまり薬を飲んだから治ると言う他人任せではなくまず自分で自分を治すと言う強い気持ちが大事なのだ。

 

治癒力が高ければ最初から病気にならない。中国医療では腕の悪い医者は病気を治すが腕の良い医者は未病を治療すると言う。

 

常に病気にならない体つくりの基本の一つは常に心を落ち着けることである。そして適度な運動と食事と睡眠。これがしっかり出来ていれば誰でも死ぬまで健康に生きていくことが出来る。健康の語源は健体康心である。

 

そして死んだ後もその次の生を理解することが出来れば死ぬこともまた楽しいと言うことを理解出来るようになる。そうなると死ぬことも怖くなくなる。

 

こうやって自分の心と身体に話しかけながら毎日を生きると自分が宙に浮いたような感覚も掴めてきて自分の人生を俯瞰出来て毎日が楽しくなるのも事実である。

 

それが出来ずに周囲に振り回されて周囲の自分に対する評価のみを気にして自分に自信を持てない裏返しで他人に偉そうなことを言ったりして承認欲求を求めると、それは外見がどんなに良かろうが毎日地べたを這うようなものである。

 

自分に自信があれば他人の事など本当にどうでも良くなる。自分の人生に他人は関係ない、それが分かれば他人との付き合いも紳士淑女淡交でいられる。そうすると人生はますます楽しくなる。

 

一番駄目なのは自分が何もせずに他人に認めてもらいたいとか自分の問題を他人の責任にするという連中である。

 

健康になりたいなら自分の身体と会話をすべきであり、それはお腹が空けばご飯を食べたくなるし喉が渇けば水を飲むと言う当たり前のことをすれば良いだけだ。

 

それが何故かお昼12時になった「から」ご飯を無理にでも食べるとかどっかの本で水を毎日2リットル飲めとか書かれてた「から」、飲みたくもないのに水飲み過ぎで内蔵に負担をかけてかえって体を壊すとかである。

 

身体は自分のことを一番分かっている。栄養が不足すれば空腹感が出て来るし水が不足すれば喉が乾く。その身体からのサインを無視して現代社会の人間無視のルールを信仰して昼になったからとコンビニ弁当を食べて喉が乾いたからとコーラをがぶ飲みすればそりゃ身体も壊れる。

 

下らん現代社会信仰を捨てて自分の身体に問いかけをしてみるべきだ、自分の健康を維持するために。

 

も一つ悪い習慣が「出されたものは全部食べる」である。戦後の過渡期ではあるまいし成長期の若者がご飯大盛りを食べるのは良いけどそれと同じ量を中年になって食ってたらそりゃ糖尿病になるし糖尿病が原因で他の内臓器官を痛めて複合症の病気になり挙句遺伝子や細胞を傷つけて癌になるわけだから良いことないどころか病気を造り出しているようなものである。

 

気は長く、心は丸く、腹は八分目。

 

常に周囲に気を配る心配は必要だけどあまり先の見えない自分の事を心配しすぎても世の中はなるようにしかならない。

 

恐怖を感じることは生き残るために大事な感覚でありアドレナリンを放出して反発力を造れるけど、恐れすぎると逆に萎縮してしまい身体が動かなくなる。

 

石で口を漱ぐことは出来ないし流れに枕することも出来ない。どれだけ他人に責任を被せようとしても自分に言い訳はきかないし自分が幸せになることはない。

 

世の中、いつか人は死ぬのである。ならばどう長く生きるかではなく、どう良く生きるか?それが人生の質ではないかと思う。



tom_eastwind at 16:43│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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