2017年07月27日

生きる

東京で会社働きしている人と話してて時々感じるのが「これって宗教か?」と言う点である。

 

ほんと「日本の会社」と言う宗教に染まっているのかもしれないが一生懸命会社にしがみつきイエスマンで夜遅くまで残業しつつ、けど同僚と居酒屋に行けば自社の文句を言い人事の話ばかりして、けど肝心の仕事でどうやって社会貢献しようかと言う発想がない。

 

自分より上、つまり仕事を貰う会社にはペコペコしてご無理ごもっとも、けど自分が発注する取引先には無理ばかり押し付けて「今回は頼むよ、なになにちゃーん」と赤字発注させる。

 

それが当たり前な社会で仕事をしているからそれが仕事と思いこんでる。けどそれって人が幸せに働ける仕組みか?てゆーか、ビジネスとしてどう成立しているのか?

 

結局皆が夜遅く迄働きストレスを抱えて仲間と飲みに出るのが夜9時過ぎでそれからぐちゃぐちゃと文句を言って、でも誰も社内革命起こせず結局終電で自宅に帰り翌朝また会社に行って上司の言うこと聴く。寝た子供の顔見てるのか?子供と夕ごはん一緒に食べてるのか?

 

僕が仕事を思いつく時にいつも考えるのは皆が儲かる三方一両得である。けれど今の日本では「俺だけ稼ぐ、お前はカスを引け!」である。

 

実際にビジネス現場で話をしているとこちらの提案は一生懸命聴く。また売り込みもする。それが利益になると考えるからだ。ところがこちらから「では御社にはこういう事は可能でしょうか?」と聴くといきなり固まってしまい「その件につきましては本社に問い合わせして担当部署の回答を頂きどうのこうの」と全く意味不明。

 

他社や他人の生活に思いを馳せず、相手から搾り取るだけで自分の金も知恵も一切出さずそうやって生きてることが利口だと思ってるのだろうか。

 

あのさ、世の中って助け合いで出来てるわけで、そこを飛び越して自分だけ生き残ろうとするわけ?そしたらあなたは今は生き残るけどいずれ全員死ぬよ。下の人間を切っていればいずれ自分が一番下になり、切られて人がいなくなり、遂に組織として維持できず最後は誰も生き残れない。そのことを覚悟して先食いしているのか?

 

人を助けない、人に儲けてもらわない仕事に何の意味があるのだろうか?今の東京ではあまりに冷たい人が多すぎる。人に優しくしてこそ初めて仕事が回るし上手くいくのに。

 

レイモンド・チャンドラーの小説の中にこんな一説がある。はっきりと覚えてないが大意こんな文章。

主人公フィリップマーローがあるクラブに行った時のことだ。酔っ払った友を助けようとするマーローにクラブの入り口で警備をしている男が言った。

「そんなのに関わってるから駄目なんだよ、もっと要領よく生きなきゃ」

「そうか、それで君はここまで出世出来たんだな」



tom_eastwind at 11:41│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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