2017年07月28日

公益資本主義

昨日は何かあったのか?東京で余程嫌な目に遭ったのか?いや、そういう事はない。ただ日本が世知辛い世の中になったものだと思うだけだ。

 

今日もオークランドで古いお客様といろいろと話をしていたが昭和の日本を知る者として今の日本の世知辛さは時代を経るに連れ益々きつくなっていく感じがする。

 

特に日本でバブル崩壊以降資本主義が「会社は株主の所有物であり企業の存在意義は株主に配当すること」と言う方向に向き始めたあたりから日本はおかしくなった。

 

ほんの一握りの支配層の為にそれ以外の人々が働かされる。企業が社会の公器として社会を成長させるという本来目的が無くなりいつの間にか一握りの支配層のために目先の利益だけ追いかけるようになった。

 

大体四半期決算って何だ?企業は3ヶ月単位でビジネスをしているわけではない。一つの仕事を創り上げるのに何年もかけて成長させる訳で3ヶ月で結論が出るわけがない。なのに目先で実績を出せってか?

 

本来なら利益が出ても、それは本来社員の給料昇給や税金に充当するわけで社員が給料を受取ればそれで消費者としてお金を遣い日本国内経済に貢献するわけで、それで経済成長するわけだし国民の税金で道路等の公共整備が行われて生活が豊かになる。

 

戦後すぐの日本の道路はぬかるみや穴ぼこだらけだったのを東名高速を作り名神高速を作り最終的には日本全国に高速道路を作ることで物流の発展を促した。新幹線が出来て遠距離移動が可能になった。そして今では日本各地の名産品が翌日には自宅に届く流通網が出来上がった。日本の発展はインフラ整備が大きな影響を与えその財源は国民が払う税金だったのである。

 

会社自体には殆どお金は残らなくても会社の存在が社会を成長させる。株主とは本来その会社の社会貢献目的に賛同してビジネスとして成立すると理解して投資をするわけだ。

 

それが単年度毎に利益の出る度に配当配当と払っていれば企業は成長のための先行投資も出来ないし商品の補修や安全保持の為のお金も使えない。

 

その結果として目先の利益だけの為に安全は後回しにされて利用者は事故に巻き込まれ企業の信頼性は失われることになる。

 

江戸から明治にかけて渋沢栄一と言う起業家がいた。多くの企業を起ち上げ明治日本の礎を作った。

 

その彼は日本における資本主義、企業の存在位置を「社会の公器」と位置づけた。彼は企業から出る利益は工場の機械の油かすと言う認識であり企業の存在理由は社会と人々の生活の向上であると言う認識だった。

 

株式会社は元々西洋で発生した。

 

欧州からインドなどアジアに交易のために船を仕立てるが一回二年あたりの航海での取引量が個人では負担出来ない為に個人投資家がロンドンのちっちゃなカフェや市場で集まり資金を出し合い投資組合を作り、一回の船の交易で約2年間の往復で投資を行い、船が2年後に無事に戻ると投資組合を解散してそれぞれの分配金を受け取った。

 

つまり西洋においてはまだ今のような海上損害保険会社がなかった時代に損保会社の代わりとして会社=投資組合が成立した。

 

だから西洋では元々企業は公器ではなく私企業であり投資組合として存在して一定の期間を過ぎて満期になれば解散することが前提。

 

この点が日本社会とは全く違うのである。日本では村社会がありムラを何代にもわたって維持保全することが基本である。だから企業はムラの維持保全と成長の為に持続する事が肝要である。

 

その為渋沢栄一が作った日本企業の仕組みは西洋とは全く違う「持続する企業」が基本であった。

 

もちろん昭和後期にその仕組が古くなったのも事実ではあるが日本と西洋の企業の成り立ちは根本から違う。

 

そこに戦後の米国の仕組みを導入したものだから明治以来の渋沢式企業は「株の持ち合い」と言う方法で日本式経営を確保した。

 

ところがバブルが崩壊して西洋式が導入されたものだから伝統的日本式経営とぶつかり合って齟齬が出てきたのだ。

 

もちろん全て西洋式にするならそれも良い。国民の意識が変革出来るなら。しかし国民意識が変革出来ないままに天秤の片方だけ西洋式を導入しても上手くいくわけがない。

 

今の日本の企業を観ていると明治以来の渋沢栄一が作った企業が持続するための公益資本主義と西洋の一発勝負主義の間で混線しているような感じがする。

 

なんだかほんとの地獄を知らずに中途半端な西洋資本主義の表面の真似事をしているビジネスパーソンを観ていると「お前は何も産まないよな」と腹が立つ限りである。



tom_eastwind at 12:54│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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