2017年08月13日

自分の城を持つ人

自分に自信がある人は決して自分と他人を比較しない。あくまで昨日の自分と今日の自分を比較して成長したかどうかを測るのみである。

 

他人より自分の城が大きかろうが小さかろうが関係ない、自分が生きていくだけの必要な場所があればよいのだから。

 

しょせん人間は座って半畳寝て一畳である。どんなに広い布団でも自分の体を大きくすることは出来ないわけで、家族を食わせて自分が食えれば、そしてそれで幸せであれば他人の庭など関係ない。他人の庭が青かろうが広かろうが自分の人生に自信があるのだ、何故他人と比較する必要があるか。

 

それよりもこの世に生まれて今自分がこの社会のために何が出来るか、そう考えて実行する方がよほど人生は充実する。

 

大体において自分の利益を考え始めた瞬間から物事は上手く回らないように神様が作っている。だから自分がどうのではなく周りを良くすることから考えたほうが結果的に自分の生活も安定する。

 

自分が出来ることをその日一日やる。夜は何やったか忘れてご飯食べて寝れば良い。他人が何したとか自分には全く関係ないことだから。

 

サラリーマンへ、個人として社会に向きあえ、何が出来るのか。

サラリーマンへ、自分の社会的価値はいくらか、換金してみろ。

サラリーマンへ、年を取って何するのか、先は長いぞ。

 

他人が家を買ったから自分も買うって言う同質化の価値観はすでに昭和の時代で終わっている。人間の寿命はこれからますます伸びていく。65歳で定年になってもその頃の平均寿命が100歳になってれば、定年後から35年間、ほぼサラリーマン時代と同じ長さの人生を生きるわけだ、会社という指針も拠り所もないままに。

 

そんな時代を生きていくのに何時まで経っても他人と同質化なんて言ってても人生楽しくもない。自分の為に生きる。その為に信念を持つ。自分を定年だと甘やかさず追い込む。信念を守る。とにかく継続する。

 

そうやって生きていけば、少しづつでも人生が楽しくなる。それが70歳過ぎた頃から楽しくなる。段々他人の事がどうでも良くなってくる。自分が好きな事をやっていられる。

 

とにかく大事なことは他人と自分を比較して上だ下だと騒がない事である。世の中を見回すと、とにかく他人からの承認欲求が欲しくていつも他人がどうのとやってるが、あれ、観えるんだよね。

 

それは自分と同じ程度の寄り合いで集まって威張り合うのなら良いだろうけど、そうなってる時点で長い残りの人生を成長するって意味ではもう成長放棄、終わりだってのは判った方が良いと思う、。

 

自分の城を持つとは自分の独立した心を持つことである。他人と比較する、他人に評価してもらいたい、そんな事やってるうちは、年がいくつであろうが成長していない証拠である。

 

人は、座って半畳寝て一畳、この物理的な事実には何の変化もないのだから。お盆初日に考えたこと。



tom_eastwind at 19:13│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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