2017年11月12日
時の流れ
毎年、一年が終わるのがどんどん早くなっているような気がする。勿論これは気持ちの問題であり物理的に時間が短縮するわけではないと思うがもしかして本当に時間が短くなるってあるのかもしれない。
アインシュタインがなんちゃら理論で、実証されてはいないけど、どうやら時間って過去から未来に向かって一方通行で同じ速度で流れているものとは違うのかもしれないって話だ。
過去も未来も現在も実は一つの大きな団子になっててその中を人が行ったり来たりしているのかもしれない。
まさにタイムマシンの世界であるが現実的にスウェデンボルグのような科学者があの世とこの世を往復してみたり未来の人間が今の世に出てきたり過去に飛び立って行方不明だった飛行機が現代の空に飛び出したりして、世の中は分からない事だらけである。
人間が知っている事より知らないし見えないし証明出来ないけどそこにあるってのを感じることがあるのに西洋式教育を受けて「見えないものは存在しない、証明できないものは存在し得ない」等と考えていくと、キリスト教と西洋式教育はその正反対にいるんじゃないかと思ったりするが、あれでキリスト教社会がよく維持出来るものだと思ったりする。
僕自身はキリスト教ではないし「見えないし証明出来ないけどそこに存在するもの」を感じることが出来るので西洋的な矛盾に突き当たることなく自由に思考することが出来る。
その意味で理論よりも感覚が優先しているので理論はもっぱら感覚を証明するために組み立てることにしている。まず感覚と言う一つの現象が起きて、それが何故起きてどのような仕組みになっているのかを仮定論で組み立てて再現実証が可能かどうかを検証して理論にしていく事にしている。
その意味で僕はアインシュタインの時間に関する「団子」って理論が理解出来そうな気がする。もちろん最終学歴高卒なので大学で学ぶような専門知識はないが、今までいろんな体験をしてくる中で感じた「団子」はそれほど意味不明ではない理屈になっている。
時間の長さとは変化するものである。人によって長さが違う。それは意識の問題であるが西洋式の時計で測る時間とは違う時間の流れがこの世には存在する。
意識は無限の中に存在してそこに時間は存在せず空中に茫漠として存在するものであり意識の使い方一つで時間は変化する。
そう考えていくとこの自分の頭の中で起こっていることが理解しやすくなる。頭の回転が早くなる時って実は時間も異常に早く回っているのではないか。何も考えずに副交感神経が優先している時って意識の中で時間がゆっくり流れているのではないか。
ニュージーランドを旅する人がよく言う「この国は時間がゆっくりしている」というのが一つの体験証拠であろう。
もしNZに来たことがなくて、けど時間がのんびり流れているってのに興味があれば、NZの田舎を旅すると良いかもしれない。アインシュタインじゃなくても時間の流れは変化するってのを実感することが出来るだろう。
けど、てな事を書いたからって現実に自分の物理的時間が増えるわけではないので、やはり毎日緊張して1分単位を大事に使うことを考える。
横断歩道で赤信号を走って渡りきって反対側でフーフー言いながらテレテレと歩くような馬鹿な無駄な時間は使わず、信号待ちの50秒の間に一つのことを考える。焦って走ってけど目的もなくフーフー言うよりはゆっくりと交差点で考え事をする方が自分にとっての時間の使い方は正解な気がする。
残りの約2ヶ月、自分のやるべきことに意識を集中しよう。