2017年11月28日

M&Aと海外相続

今日の午前中はM&A案件で外部取引先各社合計6名で当社オフィスでシンジケート会議である。午後は顧客との海外相続個人面談が入っているがその間にも社内でやるべき事があり今日は昼飯抜き。

 

今回のシンジケート会議は第一回目でお互いの立ち位置を確認してそれぞれが自分の方向性の理解を説明してそれを聴いて全員が方向性の調整をする。

 

初めての会議の時に利害関係の調整が大事である。誰がどの仕事を担当して責任を取るのか?その責任に対する報酬は誰がいくら取るのか?これを最初にしっかり決めておかないと後になって「この仕事はお前だろ」とか「これは俺の取り分だ」と言う話になる。

 

何せ参加メンバーの半分以上はキーウィ又は西洋思考だから彼等の論理思考で仕事の進め方を組み立てていく。こういう初回の会議では発言を少し控えて彼等の論理を聴き発想の仕方を理解しておくことにする。次の会議の為の学びの時間である。

 

ただ今回参加のメンバーは非常にレベルが高く現在の案件に対する理解度も深く議論も円滑に進み1時間程度でぎゅっと凝縮した会議は終わり次の段階に移ることで全員了承。

 

その後オフィスに戻り頭を整理して誰がどんな発言をしたからこうだなって相関図を書きつつ議事録の作成にかかる。

 

その後別の緊急な用件で近くの銀行に行き手続きをする。ところが手続きに30分以上かかりその次の銀行で次の手続きをしていたらもう次の面談の時間になり、オフィスに戻ってメールチェックしてすぐに次の面談に入る。全く次々次々と忙しい。

 

海外相続にはいくつもの方法があるが、肝要なのはどのような手法を取ろうと5年単位で仕組みを組み替える必要があるということだ。

 

例えばマンション相続が日本で流行っているがこれも税務当局がすでに規制にかかっている。民間が思いついた仕組みでもいずれ政府は対応する。この期間が大体5年だ。なので下に対策あれば上に政策ありで5年で仕組みの効果がなくなる。

 

当局の考えは日本国民の所得は平等であるべきだ、だから高額所得者は所得税を高くして税金を取り政府がそのカネを再配分する仕組みだと言う考え方だ。もちろん再配分はお上のお手盛りである事実は決して表沙汰にはならない。

 

そして相続税とは、一人の日本国民が生涯にわたって得た収益に納税漏れがないか、申告漏れがないか、等を調査して死んだ国民の財産を出来るだけたくさん国庫に入れることである。なので税務調査が入れば4人に1人は追徴課税される。

 

もちろんここでも再配分がどこまで国民全体に平等かつ公平に行われているかは国民には知らされない。官僚が離れのすき焼き体質であるのは何時の時代も変わらない。

 

じゃあどうすりゃいいんだ?

 

一つの究極の答は「生きてる内に全部使い切ってしまえ」である。

もう一つの究極の答が「日本国籍を離脱せよ」である。

 

どちらも極端なのだけど相続とは当局とのいたちごっこである。当局とどんなに強い絆を持って政治家に個人事務所を提供したりしてても、捕まる時は捕まる。印鑑の名義貸しはいくら税務署長に教えてもらったからと言って何時迄も通用するものではない。

 

だから全額使い切るか国籍離脱が究極の答になるのだ。

 

しかしニュージーランドに移住しても今度はNZの法律がある。NZに贈与税も相続税もないのは事実だが、NZでは結婚した夫婦または事実婚パートナーが別れたらその時点で二人の財産は合算されて半分こされてしまうという事だ。

 

つまり旦那が100万ドルあり奥さんが10万ドルあり二人の共同口座で住宅を100万ドルで買ってその後離婚した場合、住宅を売って得た現金と10万ドルの現金を合わせた110万ドルを二人で55万ドルづつ分けるようになる。

 

つまり旦那が独身時代に一生懸命働いて作ったお金や旦那が両親から受け取った資産(自宅や現金)を、離婚と言うだけで“がさ!”っと持っていかれるのだ。

 

これは痛い。なのでNZでは家族信託制度と言う仕組みがありたとえ子供が結婚しても資産は家族信託の中に入れておいて、離婚によって直系親族の資産が奪われないようにする仕組みを作っておく。

 

もちろんこれは法的仕組みを理解した上で誰が設立者となり誰が資産管理をする受託人となり誰を受益者にするかを明確にする必要がある。受益者は何時でも変更可能である。日本の遺言状のようなものだ。

 

下手な結婚をすれば折角真っ赤に焼けてフライパンから飛び出したのにぐつぐつ煮立つ深鍋に飛び込んだ大豆のようなものである。

 

どこの国にも法律はある。NZに来ただけで幸せになるってわけではない。それは相続だけではなく日常生活で英語を使う、移民として働く、そんな環境で毎日を楽しく生きようと思えばやはり自立した発想で自分の人生を自分だけの力で切り開いていく必要がある。

 

新天地は無限の可能性もあるけど無限の危険もあるのだ。かと言って何が危険で何が可能性なのか、自分に試金石がない状態で渡航するのは北朝鮮から小舟で日本海に繰り出しイカ釣りをするようなものだ。



tom_eastwind at 22:24│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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