2017年12月06日

税務の本分

国の基礎は税である。税により国は一体化されて運営される。

 

太古、森の中から現れた人々は自分の生命と財産を守るために都市国家に加入した。そして都市国家を守るために政府と軍隊を作りその費用は各自が払った。奉加帳のようなものである。払える能力に応じて払い、それで集団生活が運営されるようにした。

 

そして人々が集団で住む都市国家を維持するために国民の中から選ばれた人々が国民の公僕(こうぼく)として税の徴収と再配分を担当するようになった。公僕の僕とはそもそも下僕(しもべ)である。

 

これは本来の民主主義であるが日本では家長主義が発達していた為に本来のしもべが何時の間にか権利あり責任ない領主になった。つまり日本は表面的には民主主義と言ってるが実態は家長主義なのだ。

 

日本ではこの組織は昭和前期は大蔵省と呼ばれ後期は財務省になったが、やってる作業は前も後ろも同じで国民の財産を守るのではなく国家の運営をつつがなく継続することである。

 

つまり国民とは国家の為に働く歯車であり労働に適するために子供の頃から教育を与え社会人になれば社会の歯車として活躍してもらう、けれど受け取るのは自分の生活費のみ、お金は決して自分の口座に貯めてはならず常に消費に回す事で日本経済に貢献する事となった。

 

なので本来ならば国破れて山河あり民は生き残るとなるが、この国では民破れて国家ありとなる。

 

もし人々が日本を自立した国民の集団国家にしようと考えるなら、ここで大原則を作る必要がある。租税とはどうあるべきか?

 

これは各国の国民性によって異なる。何が良いかはその国の国民性で決まる。

 

日本では平等とか公平が要求される。しかしリスクを取って起業した人と大企業のサラリーマンは元々公平か?どう考えても起業家は不利である。

 

NZでは起業は国家の活力を生み出す良いことであると考えるので、失敗しても何度でも挑戦できる環境があるので起業には有利である。

 

だからその場所に住む集団の多数決で国家の形を作れば良いと思う。

 

そして日本に住む日本人が今のままで良い、自分の頭で考えずに毎日仕事して後はお上がやってくれるさ、自分は自分の事だけに没頭する、その結果として先進国標準で観れば民主国家と評価されなくても、貯金出来なくても、ストレス溜まって病気になっても、それでも満足だと考えるのならそれはそれで良いと思う。

 

ただ選挙や職業選択自由のある国では税務とは本来国民の財産と生命を保護するための装置である。それが国民を苦しめて無駄金を使い役人のポケットに入るのであれば全くにおいて本末転倒である。

 

これは国の形とは別の話であり、税金とは皆が使うものをそれぞれが出せる範囲に合わせて払うものであり相互扶助をするものである。

 

例えば米国やNZでも個人が寄付をすれば自分の所得から寄付分を控除される。それは個人が所得の再配分を行うからだ。

 

ところが日本では寄付の控除が殆どない。これは政府が全ての再配分を行う、バカな国民に再配分の能力はないからお上が取り仕切るのじゃって発想である。

 

しかし現実的には天下り先へ税金を配り退職者の個人収入にしたり自分たちのメンツを守るためだけに不要なダムを作り、税金と言う名目を付けずに社会保険だとかにして実質税金として強制徴収しておいて、それでホテル作って大赤字にして挙句は民間に捨て値で売却して、全く経営感覚ゼロである。

 

何せやっているのが子供の頃から勉強ばかりして世間知らず、大学卒業してすぐに役人の世界に入るから一度も民間の修羅場経験がない。なのでどんな仕事をやらせても机上の空論で失敗する。

 

しかし国家を運営するビジネスには正しい答など無いのだ。自分でリスクを取ってやってみて初めて分かるものだ。

 

なのに民間経験ゼロで正解のある試験で如何に正解に近づくかしか知らず、更に失敗しても自分で責任を取らずリスクゼロだからとんでもない事をやってしまうのが政府である。

 

税務の本分とは国家がどのような形を目指すか、そして税金とはどうあるべきかを考えていけば自ずと答は出る。そしてその答を出すのは国民自身である。



tom_eastwind at 07:29│Comments(0)諸行無常のビジネス日誌 

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