2017年12月09日
生地獄
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質の悪い人間と共に生地獄に落ちた人間は疑心暗鬼などの鬼の世界に支配され、自分たちの不幸を全て他人のせいにして自分たちの行いと向き合おうとせず、抜け出せない生地獄のループに陥るのです。
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富岡八幡宮の宮司が殺された。それも弟によって。
1600年代に作られた八幡宮が神事を行う歴史的建造物であるだけでなく人々のお祭りの場所としても江戸から東京へと変遷しながらそこに住む人々の生活に潤いを与えてきた。
その場所で宮司が日本刀によって殺された、それも弟によって。
何と言ってよいか、冒頭の文章は殺された宮司が8月26日に書いたブログ文章の一部だ。
この「疑心暗鬼などの鬼の世界に支配され」と言うのは、まさにこのオークランド日本人社会でも起こっている問題である。
自分たちが鬼に支配されていることに気づかず鬼の手下となって自分だけが正しいと思い込み他人を攻撃する。それもついさっきまで仲良くしていた仲間を敵にして攻撃する。
本当に人の心は弱い。その人にも家族があるだろうに誰もその人を止めることが出来ない。
そして周りを次々に不幸にして自分も自滅して、結局何も産まないままに消えていく。
何故自分の不幸を他人のせいにするのだろう?自分の問題は自分で終わりである。他人に責任転嫁などすることは出来ない。ましてや他人に騙されてしまって関係のない第三者を攻撃するなど、まさに鬼に支配された生地獄である。
富岡八幡宮で起こった悲劇は何時でもどこでも起こりうる事件である、人が鬼に支配され続ける限り。
ここから先は現実的な問題であるが、日本では銃刀法があり銃や刀の所持には規制があるがニュージーランドでは日本ほど規制は厳しくない。狩猟の盛んな国であるから銃は山の中でよく使われる。
ただ今回の事件のように恨みつらみで人を殺すと言うのはこの国ではあまり一般的ではない。
もちろんだからと言って全然事件がないわけではなく、アルバニーの付近でインド人が元妻をナイフで襲ったりとか中国人が自分の妻を殺して国外逃亡とかもある。
しかし何ていうか、国がのんびりしているしいくらでも選択肢が得られる中でその最悪の「殺す」と言う選択肢は、なかなか出てくる答ではない。
幸福ってのはお金だけじゃねーな、日本の真ん中東京でこんな事件が起こるってのは。