2017年12月30日

オリンピックの身代金

今日は年末年始の食料の買い込み。まずは近くのショッピングモールの韓国商店に行き日本製冷凍うどんと納豆とキムチと韓国カップ麺を買い込む。All Aboutの「暑い夏にはピリ辛キムチとネバネバ納豆入りの冷製うどんが旨い!」と書いてたからだ。

 

暫くひとり暮らしなので簡単に作れる料理を探して何故かクックパッドでなくAll Aboutにたどり着いたがこれはAllAboutの方がニッチ市場に特化しているという事だろうと何時ものようにどうでもよいことを考えつつ食料を買い込む。

 

キムチは発酵食品であり健康に良い。納豆も同様。ではチーズは健康によいのか?等と何時ものようにしょうもないことを考えながら商店の中を回ると冷凍ケースの中にはタラやサンマ等もある。S&Bのカレーも売ってるし寿司用のガリも置いてる。

 

何だ、日本で食いたいものが大体ここにあるな、オークランド暮らしも20年前と違って今は欲しいと思ったものがだいたい手に入るようになった。

 

もちろん流行りものとかは別であるがオークランドもそれなりの市場に育ってきたのだろう、北半球から品物が入ってくるようになった。

 

クイーンストリートを歩けばヴィトン、グッチなど高級店が並び地元スーパーではカップヌードルが売ってあり(中国製だけど安くて美味しい)、地元の人が歩く浜辺や公園には北半球のアイスクリームが売られるようになった。

 

日本では戦時中「贅沢は敵だ!」と言う標語が街角に貼られていて、そこにいたずらっ子がいて漢字を一文字書き加える。「贅沢は“素”敵だ!」。

 

良いセンスである。

 

贅沢は素敵だ。そう、豊かになるとは贅を沢山積み上げることなのだ。日本でも昭和の昔に「消費は美徳である!」と言われた。人々は毎日夜遅くまで働き週末に家族で炊飯器を買い冷蔵庫を買いカラーテレビを買い求めたものだ。

 

全く戦前とは180度違った話であるがその時の政府が要求するものなのだから日本国民としては羊のように従順に言われたとおりのことをするだけである。

 

「この国のプロレタリアートは歴史上ずっと支配層に楯突くということをしてこなかった。我慢することに慣れきっているので、人権という観念すら持っていない。無理をしてでも先進国を装いたい国側にとっては、願ってもない羊だろう」

「オリンピックの身代金」奥田英明

 

今読んでる本は昭和39年に東京で開かれたオリンピックを舞台に東大院生が社会の矛盾を追及する容だが、簡略化すれば格差に対する反対である。

 

日本の場合民主主義と言おうが社会主義と言おうが要するに一握りの支配層がそれ以外の人間を下に向けた平等で押さえつけることである。金持ちは潰してそのカネは政府が盗る。誰もが貧しいまま。彼ら支配層は人々を上に向けた平等にしようとしない。

 

そして子供には子供の頃からの基礎教育で国家に従うことを徹底要求して肌に塗りつけ染み込ませお上に逆らうことなどあり得ないと理屈ではなく肌感覚で理解させるから、政府が「カネを遣え」と言えば遣う。どうしてって聴けば「だってお隣さんも持っているんだもん」で終わりだ。

 

個人の個性がない場所に民主主義が存在するわけがない。何故なら民主主義とは個人ごとの意見の違いを調整する仕組みであり個人ごとの意見が違わない国では民主主義は不要である。

 

つまり日本では元々個性を持たない人々が一部の支配層に支配されて彼らの言われるがままに動きその動きを自分の個性と思っているが、そんなもんやくざやテキ屋、サラリーマンから社長まで含めてすべて政府支配層の手のひらの上で動いているだけだ。

 

すべては社会の中の歯車でしか無い。チャップリンが100年前に悲喜劇とした歯車社会を現実化したものがまさに今の日本なのだ。

 

「オリンピックの身代金」を読みつつ当時の東京を考える。

 

日本橋の上を被さるようにして作られた高速道路。天空を飾るレストランを持つニューオータニ。銀座、東京タワー、「なんて言うか、東京は祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますね」

 

秋田から出稼ぎの旦那が東京で死に、その葬式のために来た妻が一生に一度の東京見物をしたいという。東大院生が東京見物を案内する中で妻がぼそっと言った言葉。

 

贅沢は敵だ。けど贅沢さえ出来ない田舎は敵にさえなれない。

 

今のようにどんな地方都市でもコンビニがあり東京で買えるものは通販で買えるようになった。ましてや日本から1万キロ近く離れたオークランドでバーモントカレーが買える時代になった。

 

これは豊かと言えるだろう。ニュージーランドの場合は基本的な部分は社会主義だが上に向けた平等と言う仕組みがある。誰もが頑張れば上に行ける、そういう仕組みがある。

 

人々は良い意味での平等を信じて良い意味での努力をして頑張って上に行こうとする。一つの会社で一生過ごす日本人と違いキーウィは転職を重ねて成長する。

 

ふー、この本まだ上巻の終わりで下巻まだなんだけど、今既に重いな。



tom_eastwind at 09:38│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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