2018年01月05日

慈雨 その2 下向きの平等

一般的に東大では日本で最も賢い若者を生み出す為に高等教育を提供していると考えられている。しかし学部によっては戦前から戦後に渡ってマルクス教育が行われていた。これはマルクスが正しいかどうかの議論でありその中で日本古来の文化とマルクス思想が噛み合った時に教材として使われることもあったようだ。

 

例えば日本における「村制度」。地域ごとにちっちゃな村がありそこには村長がいて村民の日常の問題を片付けるのが仕事だ。

 

その基本は「平等、公平」である。つまり誰かが困れば周囲が助けるが次に他の人が困った時は同じように村全体で助ける。要するに相互保険である。

 

当時は「もやい(もあい)」とか「頼母子講」と呼ばれていたが、村人はお互いを助け合い肩を並べて生活した。そしてその為に大事な事が「平等、公平」であった。

 

例えばある家の子供は農作業の手が遅い。けれど人が良くて近所の子供と遊んだり老人の面倒見も良かった。

 

ある時村人の一人が「お前は手が遅い、だからお手当下げるぞ」と言うと村長は「彼は手が遅いかもしれんが村のために尽くしている。また彼の将来生まれる子供は手が早いかもしれない、その時にお前の子供の手が遅くてお手当さげていいのか?」と言った。

 

つまり自分の世代だけでなく将来世代に渡って安定と成長を目指すならば目先が不公平に観えても長い目で観れば社会全体が潤う制度が「平等、公平」なのである。

 

ところが問題は、平等とか公平を主張する時にその目的を忘れて言葉だけ独り歩きして社会を成長させようとする起業家を潰すのが日本である。曰く「ほら、他の人がやってないのに君だけやっちゃダメでしょ」とか、「皆に渡らないなら誰も受け取らない」とかである。

 

これのどこが悪いか。この仕組みの悪いところは「皆せーの!どん!」で同時に成長しないとダメっている護送船団方式、つまり最も足の遅い人間に全体が速度を合わせる「下向きの平等」になる。

 

実は「下向きの平等」を否定したのが中國の小平である。足の引っ張り合いの共産主義から経済成長出来る共産主義に切り替えて「どこでも良い、成長できる地域から成長していけ、他の地域はその後に追いつけ」とやったのだ。

 

つまり共産主義本場の中國では上向きの平等を目指し経済成長して表向き資本主義の日本では皆が足を引っ張り合う下向きの平等を目指し20年を失い現在に至ると言うことだ。


 



tom_eastwind at 14:03│Comments(0)諸行無常のビジネス日誌 

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