2018年01月09日

ここはニュージーランドだ!英語で話せ!

ノースショアの海辺にはお洒落なカフェが多くて元々は地元キーウィの有閑夫人などで賑わっていた。それが最近はアジア系の中でも人気が出て来てお洒落cafeにも地元アジア人の出入りが増えている。

 

けど中には周囲を気にせずに大声で我が物顔で母国語で喋り写真を撮りまくり、観ているこちらも同じアジア人ながら「どうなん?」と思うほどである。観光客でないのはひと目で分かるからもちっと周囲への配慮が出来ないのか。

 

でもってある日あまり大声で機関銃のようなおしゃべりの止まらないアジア人中年女性グループに隣のテーブルに座っていた白人のおばあさんがこう言った。「ここはニュージーランドですよ、英語で話しなさい」。

 

これを聴いたアジア人はその場では声を潜めたものの当然後日問題にした。

「私達は他の人達と同じようにお金を払ってお茶を飲んでいるんです、何語で話そうが自由でしょ、じゃあフランス語を話したらそれでも文句を言うのか!」である。

 

これ、NZに住む日本人が普通に聴けばアジア人の主張が正しいように思うだろう。どこの国に住んでいようが個人の会話を何語でするかは当人同士の問題であると。

 

そして「自分だけが正しい」と信じてる自己道徳的な日本人はすぐに「これは差別だ!」とか言い出す、他人の庭先に住まわせてもらいながら。それで自分の正義を通したような気分になる。

 

この論理、何語で話そうが自由だろって部分は分かる。他人に迷惑かけないなら何語でも良い。けどその日本人が日本国内で同じような差別をやっていたか知っているだろうか?

 

日本では戦前朝鮮半島から多くの人々が渡ってきて3K仕事をやっていた。これはいつの時代の移民も同様である。

 

例えば戦前の日本では農家の間引きのようにブラジルやペルーやハワイに日本人移住団が送り込まれた。そしてその社会の最底辺で仕事をした。家族の間では日本語で話し子供は親が何とかやりくりして勉学を積ませて学校では米国語で話した。

 

戦後も移民は多くの国でその下働きをして社会を支えてきた。実際にニューヨークの下町で移民を排除したらあっという間に働き手がいなくなりレストランは閉店だ。

 

カリフォルニアでメキシコ移民を排除したらどうなる?だからカリフォルニアジョークとして「おい、ここはカリフォルニアだぞ!ちゃんとスペイン語で話せ!」となる。

 

香港に行けばフィリピンから住み込み女中が集団で働いており彼らは日曜日になるたびに近くの公園に集まり三々五々パーティを楽しんでタガログ語でおしゃべりをしているが、彼らがいなかったら香港の共働きは成立しない程の影響力を持っている。

 

香港では誰が何語で話そうが全く気にしない。ただ広東語で話さないと外国人価格が適用されるだけだ。

 

ところが日本では戦前から戦後まで日本人が日本に住む半島人(韓国および北朝鮮)が朝鮮語で話すのに対して「お前ら何しゃべっとんのじゃー!ここは日本やど、日本語で話さんかい!」と大声で怒鳴っていたものだ。

 

こういうのが日本人が持つ短視眼的な発想である。自分が差別する時は自分が何を言ってるか理解せず何も考えずに言いたい放題、そのくせ自分が差別された時だけ発狂する。島国生まれだから文化がいくつも存在するというのが理解出来ずその場の思いつきで自分だけの正義論をぶって喜んでいる白痴である。

 

冒頭の話に戻るとNZのおばあさんからすればこれが近年急激に増えてきたアジア系に自分たちの場所を奪われた苛立たしさと単なる雑音としての外国語と声の大きさと傍若無人な雰囲気が混ざり合ってつい怒ってしまったのだろう。

 

それにしてもオークランドではそれだけ人々の心に余裕がなくなったのもある。



tom_eastwind at 10:08│Comments(0)諸行無常のビジネス日誌 

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