2018年01月12日

19歳が読む乱調文学大辞典

ティーンエイジと言う英語がある。これは13歳から19歳までの年齢を示す英語の語尾がteenになるからで、心が一番大人に変わっていく年齢層である。

 

でもって英語の発音でよく取り上げられるのが1990とかであるが今日は英語ネタではなくあるサイトで見つけたお笑い。

 

恋に溺れるのが19歳、風呂に溺れるのが90歳。

道路を暴走するのが19歳、道路を逆走するのが90歳。

まだ何も知らない19歳、もう何も覚えていない90歳。

自分で自分を探すのが19歳、皆が自分を探すのが90歳。

 

上記のようなお笑いを笑えるかどうかは聴いてるご本人次第である。

 

世の中には真面目な人が多くて物事の道理を外れると全く脳内に吸収されず完璧に跳ね返してしまう事がよくあるが、笑いというのは様々な種類があるわけで「笑う」と言う行為が肉体に良い影響を与えるのはロビン・ウィリアムズの映画でもあったようにある程度は医学的に証明されているようだ。

 

しかし問題は何を観て笑うかであり何を観ても読んでも笑えなければ意味はない。そこで人類は古くから様々な劇や踊りで人々を泣かせ笑わせ心を弾まさせていたものだ。

 

近代では落語で笑うと言う文化が日本に出来上がった。上方落語や江戸落語がありそれぞれに芸風が違うがそりゃそうだ、住んでる土地の文化が違うから笑いのとり方も違うのは当然である。

 

これがラジオやテレビが発達して全国一斉に放送が中継されるようになると全国均一に受け入れられる笑いが出てくるようになった。

 

そして一般的な笑い、つまり1+1=2的な合理性のある笑いが定着すると今度は逆に1+1=11のような非合理的だけど数学の原点を引っくり返す疑問をぶつけるようなネタが出てくるのだが、ここになるとテストで点が取れる一般的な頭の良い良い子にはもう笑えなくなる。

 

だって1+1は2でしょ、それが何で11なの?となり頭の中で11が受け入れ不能になるのだ。てかそれ受け入れたらそれで今まで自分が営々と築き上げてきた常識が破壊されるからだ。

 

けれど本来112になるのは1+1が2になるのではなく1+1は2と呼ぼうとする社会的合意であり物理的再検証可能な事実とは別物であると考えれば、1+1を11とする考えがまるで既存通貨を無視するビットコインのように流通しても良いのではないか?

 

等などまさに終わらない神学的な議論が交わされるわけだが、ここで出てくるのが筒井康隆の「乱調文学大辞典」である。

 

彼は実に腕の良い作家であり小松左京と同格か、執筆の多様さからすれば小松左京が王貞治なら筒井康隆はイチロー選手か。

 

今から30年昔、僕がクイーンズタウンに住んでいた頃に「乱調文學大辞典」を読んだのだが、とにかく抱腹絶倒、最初から最後まで「ここまでやるか!」と笑いの連発であった。

 

何故ならそこに書かれた世界は徹底的に事実を学んだ上で事実をからかっておちょくってシニカルにネタにしてそれでいて全く嫌味がないのだ。

 

例えばこの辞書では「アウトサイダー=密造の清涼飲料水」となる。他にも抱腹絶倒はあるがさすがにこの場面では女性もお読みなので書けない。

 

ただこの笑いって、世間全般に対する基礎知識がないと笑えない。

 

大阪の漫才だと単純である。元ヤンキーが公衆の面前で他人の頭を殴って公衆を笑わせるから何の知識も不要である。単なる暴力の行使だからだ。

 

ところが同じ大阪出身でも筒井康隆は文学を極め世界の本を読みその上で笑いを作った。だから筒井康隆の笑いに付いていくためにはしっかりと本を読み込んでいないといけない。

 

更に大事なのが本を読み込んだ上でその常識を自分で破壊してそこから笑いを取り出すことなのだ。これが普通に学校で良い点数を取る日本人には難しい。何故なら学ぶことが全てであり疑問を持たないから答を破壊することが出来ないのである。

 

蜻蛉日記(かげろうにっき)=とんぼの生態観察記録。



tom_eastwind at 17:11│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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