2018年01月28日

ソシオパス・サイコパス

今読んでる小説でCIAに独立資産として所属する登場人物の一人が昔の仲間に聴かれる。

「お前、ソシオパスと診断されたんだろ」

「いや、違う」

「判った、お前はサイコパスなんだ」

 

平気で嘘を言える。良心がない。人を操縦することだけを考える。衝動的に行動するから後先を考えない。だから見た目は良い人に見えるが実はすべて計算されている。

 

それがソシオパス:後天性、またはサイコパス:先天性と言われている。

 

アンソニー・ホプキンスが演じるハンニバル・レクターがサイコパスとかソシオパスとかに位置づけされているが、僕はソシオパスとサイコパスの区別はよく分からない。

 

ただ、たまたま最近東京でNHKの国会審議を観ててそういう人間を観る機会があり、へー、世の中には本当に映画に出るような人が現実に存在するんだとびっくりした記憶がある。息を吸うように嘘をつく政治家連中である。

 

特に野党はひどい。自分の為ならどのような矛盾した論理でも平気であり、例えば憲法改正などは反対と言っておきながらその憲法に矛盾する自衛隊の即時廃棄は要求しない。いざとなったら自分たちを守ってもらいたいからだろう。

 

憲法改正反対であれば自衛隊の即時廃棄を要求すべきだ。それとも何か?憲法改正反対とは言ったが憲法を守れとは言ってないとでも言うつもりか?

 

国会のサイコパスは別として、社会ってのは同じ価値観を持つ人間同士がお互いに背中を見せても刺されないという事を前提にしている。

 

ところがそんな日本でも異常な犯罪が多発している。「刺すのは誰でも良かった」とか、日本国内で他人に背中を向けられなくなっている。

 

東京でお客様と面談をしていてもここ10年日本で起こる異常な犯罪の話になると、結局どれだけ自分が真面目に生きていてもある日突然道端で刺殺されるかもしれない。

 

見知らぬ誰かに監禁されるかもしれない、だから人とは距離を置こう、知らない人とは話をしない、社会がそんな風潮になるのは当然である。

 

その意味では今の日本は中國に似通い始めているのかもしれない。中國では道路で車に跳ねられた人を助ければ助けた本人が犯罪者扱いされるので誰も見て見ぬふりをする。日本もこれからは助け合いが減っていくのかもしれない。

 

 

それから政府による盗聴や監視カメラ、英米連邦によるエシュロン諜報等は理性的でありやることを予測出来るからこちらも対応も出来る。

 

盗聴やエシュロンへの対応は第二次世界大戦前後の情報交換であるデッド・ドロップや便箋に何か書く時は必ず下敷きを敷くとか、大事な話は会ってしか行わないとかである。

 

しかしサイコパス、無差別殺人となるとそうはいかない。こちらが身構えようがない。何時、どういった形で相手が攻撃を仕掛けてくるか読みようがないからだ。

 

だからやれることは常に「即座に逃げられる状態」に自分を置くことである。例えば毎日の歩く道を変える。街を歩く時は常に周囲に視線を張る。出口のある場所に身をおくようにする。

 

他にも様々な基礎的技術があるが、このような技術は自分の危機をゼロにする技術ではなく危機を最小化するための技術であり、要するに絶対的な安全など存在しないけど比較的に安全を確保する方法はあるって話である。

 

だから生きていきたければ常に注意をすることである。しかし注意は適度にすること。何故ならあまり注意ばかりすると自分が精神的に疲れて潰れてしまい逆に不注意になる。

 

また過度の注意はそれが攻撃者から観れば攻撃のサインになる。こいつは今ビビってる、よし仕掛けてやれとなりやすい。

 

だから一番良いのは適度の注意を常に周囲に払っておいて、潜在的な攻撃者からも「こいつは止めておこう」と思わせる事である。

 

生きるとはびびったまま死ぬのではなく、もっと堂々としたものでありたい。

 

それにしても国会サイコパス、ありゃほんとにやばいぞ。



tom_eastwind at 15:47│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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