2018年02月07日

ワイタンギ・デー

昨日はワイタンギ・デーと呼ばれる国家の祝日。正確には英国がアオテアロアと呼ばれていたニュージーランドを植民地にした日であるから当時のNZからすれば独立記念日でもなければ建国記念日でもない、乗っ取られ日である。

 

そう言えば425日の国家の祝日であるANZACDAY(アンザック・デー)も実は第一次世界大戦の派手な負け戦の記念日だから、この国は余程自虐心が強いのかと思ってしまうが、ユーモアのセンスが違うのだろう。

 

ワイタンギ・デーは元々あるビジネスマンが英国で仕掛けた原野商法みたいなのを英国政府が逆利用して当時不満の溜まっていた英国中間層をガス抜きのためにニュージーランドに送り込んだ仕組みの総称である。

 

1800年代の英国は産業革命が進んだが労働者の生命財産は虫けら並であり15歳の子供が一日12時間働かされて寝るところは不潔、トイレも整備されず病気になれば首になり病院に行くカネもなかった。

 

このような無法者による資本主義の労働者への強奪が英国を二極化させた、そういう社会の現実を経てその後共産主義が生まれる原因の一つにもなった

 

また1800年代当時のロンドンでは例えば1854年衛生設備の不備でソーホーからコレラが大流行したりテームズ川があまりに臭くて国会を開催出来ない程になったりと、衛生環境も酷かった。

 

そんな国に住む普通の中産階級、医者や教師や自作農家等の人々は「こんな国には住めない!」と憤っており、そんな時に現れたのがウェイクフィールドと言う男だった。

 

彼は「こんな英国を出て南太平洋の太陽が燦々と輝く島に行こう!そこで自分の土地を所有して農業をやろう!」と新聞で記事広告を載せたのだ。それが当時のニュージーランドの事である。

 

NZの存在は英国の間でも少しは知られていた。豪州に送り込まれた囚人たちの末裔がNZのマオリと交易をしたりする中で「南太平洋に一年中青い空の島がある」と知られるようになり、1837年頃に刑務所を出たウェイクフィールドはこの小島の土地を売りに出したのだ。

 

勿論当時のNZの土地は誰のものでもない。マオリは中央集権国家を持たず土地の個人所有と言う概念もなく何時も隣の部族と戦争をして農業や漁業や狩りで生活をたてていた。

 

そんな土地に1800年代になって白人がやって来るようになり、マオリとの交易で銃と弾丸を渡したものだからマオリ同士の戦争は更に激しさを増すことになるが土地の個人所有はない。

 

そんな場所に目をつけたウェイクフィールドは「誰のものでもないなら俺のもの」とばかりに売り始め、英国の暗い天気と生活環境の悪さと政府の無能さに憤っていた中間階級の人々は次々とこの土地購入に手を出して土地は次々と売れた。

 

そこでウェイクフィールドは土地を仕入れようと自分の弟をNZに送り込んだがマオリに相手にされずに結果的に仕入れができない状態に陥った。

 

それを観ていた英国政府は最初は詐欺事件として見立てていたが、ちょっと待てよ、これで政府に楯突く中間層をNZに送り込めばガス抜き出来るしNZは実質的に英国の植民地に出来るし英国政府が動けばマオリだって考えるだろうと思い、ホブソンと言う役人を英国政府代表としてNZに送り込んだ。

 

ホブソンは移民団の最初の船が出る1840年までには土地買収をまとめねばならず各地のマオリ部族を忙しく駆け回った。

 

通訳を入れながらマオリに要求したのは、土地の個人所有と言う概念を導入して欲しい、そしてその土地を英国政府に売って欲しい、代価はきちんと払うからと言う条件であった。(実際はもっと細かい交渉だけど大雑把な部分だけ書いてます)

 

そこで各地のマオリは「うむ、悪い話ではないな、白人の持っている銃や毛布が手に入るなら」と言う事で英国と契約を結んだ。最終的に部族の代表が集まったのがワイタンギと言う場所で、そこで各部族の酋長が出された書類に署名をした。

 

そうは言っても当時のマオリは書き言葉を持たず署名と言っても丸を書いたりするくらいだった。また部族代表と言っても全ての部族が集まったわけではなく、中には契約を拒否する部族もあった。これが1860年代のマオリ戦争につながる要因の一つになる。

 

だけど大雑把なところでホブソンが契約をまとめたのが26日、その年の終わりに英国から集団移民が約80日の船旅で当時のウェリントン近くに集団移民として入ることになった。

 

彼らは豪州移民のような囚人を個人単位で流したのとは違い、村や地区や教区単位で移住して来たので当時の真面目なキリスト教の習慣をそのまま持ち込んだ。

 

つまり労働は神様との契約、食事は禁欲主義なので最低の料理、酒を呑むことは良くないので禁酒に関する様々な規則の導入等など随分真面目な国家を作り上げた。

 

そしてその国家に持ち込んだのが社会主義思想であった。当時の英国の労働環境の酷さ、特に手に汗をかかない資本階級が多くの労働者から労働の果実を取り上げるその仕組みに怒っており、NZでは手に汗をかかない者は認めないと言う考え方を導入した。

 

これはその後法制化されて「不在地主法」では例え土地を購入しても小作人を働かせた場合は100%の税金を取ると言う法律である。

 

その他にも世界に先駆けて女性の参政権導入、労働組合の合法化、国家による理想的な計画経済の導入などが行われた。

 

そしてこれは当時の北半球では信じられないほど進んだ国家作りになった為北半球から多くの視察団がやって来て「一体どうやればこうなるんだ?」と言う事が研究されて、当時のNZは「実験国家」とも呼ばれるほどになった。

 

けどこの1840年に締結されたワイタンギ条約は1970年代になって時限爆弾がドカーン!といくのだがそれは後日の話。



tom_eastwind at 14:10│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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