2018年05月21日
誰でもいい
名古屋のインターネットカフェで殺人事件。若者が見知らぬ若者を果物ナイフで刺殺した。
誰でもよかった。
時代の流れからしてこの手合の事件は増えるだろう、それもここ3年で急激に。何故ならマスコミが事件を報道で広げるからだ。それほど今の日本は不安定なのだが多くの人々はその事実に気づいてない。
事実を隠す必要もないが、この手合の犯罪は「じゃ、俺も」と来やすい。世界の要人が暗殺の危機に遭うことは多いが大体においてマスコミ沙汰にならない。
何故なら「要人でも襲えるのか!」と思った切羽詰まった人間や極端思考の人間は「俺でも出来る!」と思って素人暗殺に走るからだ。
これがレーガン大統領の暗殺未遂のようにテレビの前でやられたら流石に隠すわけにはいかない。
けれど暗殺事件は一人の大統領や首相に対して任期中に10回程度は計画されている。未遂事件は絶対表に出さない、だから一般の人が知ることはなく世の中は平々凡々と進んでいるように観える。
けれど現実は違う。毎日要人に対する暗殺計画は世界中で作られているのだ。それが本当に弾けたのはオウムサリン事件だが、あれは集団で行った事件である。
しかしこれから起こるのは個人が起こすテロである。
今の日本は急激に過激化している。時代の閉塞感である。
大学を出た22歳の俺がこれから先どんな未来、何があるんだろう?
まともな仕事もなく親は年を取り、自分は毎日アルバイトや残業でこき使われ、安月給からはしっかり税金や年金が引かれ手元に残るのはいくらだ?
おまけに年金払ってもどうやら自分が年金世代になる頃には何も頂けそうにないぜ、おいおい、こんな人生馬鹿らしくてやってられねーぜ!
だったらそのへんのヤツぶっ殺して刑務所でタダ飯食ってる方がましだ。
死刑?それもいいんじゃねーの、それはそれで。だってこの世でずっと人生の最下層で何十年も苦しく生きるよりゃ、誰かに殺してもらった方が簡単だ。
これがこれから確実に、そして急速に増えてくる層である。
これは1970年代の安保闘争とはまったく別である。あの頃は集団がゲバ棒持って殴り合ってた。
現在は個人のテロリストが横の繋がりを持たずネットで情報を交換しながら標的を定め、自分だけがナイフを持って動くのだ。
ある時偶然見かけた子供を何日も行動確認する。そして子供が一番無防備な場所を選んで殺す。
車に乗りどこでもよいから人混みに突っ込む。
日本が諸外国に比較して安全なのは銃と爆弾を使ったテロ行為がないという点だ。つまり使える武器が限られている。これから起こる無差別殺人はある程度避けようがある。
だから、
1・通学路や通勤路は毎日変える。
2・常に人通りのある場所を歩く。
3・万が一襲われたら、とにかく笛を吹きながら逃げる。
4・歩く時は視線を上や下ではなく常に水平に周囲に向ける。
5・定期的に後ろを振り返るが、その時は遠くを観るふりをする。
6・絶対に戦おうとするな、逃げろ。とにかく人のいるところまで。
そして、本当にどうしようもなく追いつめられた時に、首からぶら下げた
すぐ抜ける小型ナイフで相手のどこでもいいから刺す。出来れば足。そうすれば相手は追跡に不自由になる。
こんなことを今の日本で実行出来るかどうか分からないが、本当に生き残りたいなら、注意すること、逃げること、そして最後の手段として反撃手段を持つことだ。