2018年05月23日

先生と呼ばれるほどにバカでなし




先生と呼ばれる人々は多いがそのうちどれだけの人が「先生」と呼ばれて嫌な気持ちになっているのだろうか。

 

センセイとは本来、先に生まれたから先生なのであって後から生まれた人より能力があるってわけではない。

 

そしていろんな業界で先生と呼ばれる人がいるが、それが人格的に優れているわけでもない。単なる一種の職人、専門家。

 

これが大工なら棟梁とか、大学のセンセイなら教授とか呼ばれるが、代議士、士業、例えば弁護士や税理士は彼ら固有の肩書がないからxxさんと呼ぶのも失礼と思うバカが「センセイ」と呼び始めてバカの間で定着した。

 

「ラ」抜き言葉と同じで一度定着してしまうともう抜けない。無思考でいられるからセンセイを乱発して、呼ばれる方も何時の間にか受け入れてしまっている。

 

代議士はxx代議士で良いだろう、もし敬称を付けたければ「お代議士様」とでも呼べばいい、確実に相手にされなくなるから。

 

士業の人々にどうしても敬語を付けたければ「士」が人を示すわけだから「お弁護様」とか「お税理様」とかにすれば良い。絶対に仕事の依頼を受けてくれないから。

 

このようにどこにどう敬語を付けるかは難しいし日本語の場合は特に状況によって使い分ける必要がある。社外の人に社内の人を紹介する時はどうこうと、とにかく面倒くさい。

 

なので僕は社外の人々に対して自社の社員を紹介する時にいちいち使い分けず社内用と同じにしている。そんなのどうなんか?と思う人もいるだろうが、ニュージーランドで会社同士が取引する時は非常にざっくばらんである。

 

初対面で名刺交換しないとか、最初から相手をファーストネームで呼ぶわけで、それくらいの方が気軽で良い。

 

だからNZで弁護士や会計士、議員相手にいちいち何か肩書を付けることはまずない。勿論相手が教授とかSIRの称号を持っていればそれはまず肩書を呼ぶが、普通の状況でNZの弁護士にTeacherと呼ぶことはない。バカと思われるから。

 

そしてもう一つあるのが、僕は個人的に社長と呼ばれるのが大嫌いだ。確かに立場的には会社を代表しており何かあればすべての責任を取る立場であるしすべての社員の生活に責任を持つ立場である。

 

しかしそれをやっているのは僕という個人の理性と責任感であり社長と言う立場だからやっているわけではない。社長と言うのは決算書に署名したり銀行口座の開設に必要な時だけであり、普段仕事をしている時のぼくはあくまでtomでしかない。

 

ついでに言えばうちの社内では誰も肩書で呼ばずファーストネームだけである。だから外部から来た人が、うちのスタッフが「tomさ〜ん、お客様ですよ〜」と呼ぶのを聴いて結構びっくりしたりする。

 

また社内でもいろんな話し合いをする時ぼくは彼らの中の一人であり僕の言うことよりも彼らの言うことに整合性があれば従う。だから肩書が不要なのだ。大事なのは自分の業務遂行能力のみであり本人に力があれば年齢に関係なく仕事を仕切る。

 

実力本位、社内調和、それさえ出来れば無駄な肩書など不要である。

 

先生とか社長とか呼ばれて喜んでいるのは、その時点で危険な兆候だと思った方がよい。



tom_eastwind at 14:28│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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