2018年07月22日

ゲームの後

 

 

 

 

日本ではゲーマーとかよく使っているが本来の英語のゲームの意味では「野獣狩り」を含む。野獣と言っても虎や象ばかりではなく鴨や鹿等も含まれる。

 

つまりほぼ絶対的有利に立った者が襲撃対象に対して殺しの攻撃を仕掛けるのだ。

 

これに対して日本ではゲームと言えばゲームである。誰も死なない、誰も殺さない。

 

日本人はどうしてもゲームを楽しみたくてゲームの延長を喜ぶが、別の世界ではゲーム・チェンジャーがいる。

 

誰が死んでもいい、俺だけが生き残ればいい、そうやって彼らはゲームのルールを変更して今までいた連中を皆殺しにする。

 

例えばルールの変更はOS,オペレーションシステムの変更だ。

 

最初の変更はレジスターの発明、タイプライターからコンピューターへのシフトだった。

 

これで一体現場でどれだけの仕事が奪われただろう。

 

お店のお金はレジスターが計算してくれる、訂正やコピーの大変なタイプライターがコンピューターにシフトすることで文章だけでなく表計算も出来るようになった。その影でどれだけの仕事が奪われただろう、シフト出来なかった人々。

 

そしてDTP。デスクトップパブリッシングが出来るようになりそれを印刷機に直接データとして流せば、写植工も活字拾いも不要な時代になった。彼らプロフェッショナルはまさに他のことが出来ず去っていくしかなかった。

 

そして今。世の中は金融とITの時代にシフトした。フィンテックはそれを更に組み合わせたものだ。しかし日本が時代に付いていってるのか?どうも疑問である。

 

まず金融であるが、日本の大手銀行のエライサンはふんぞり返って個室で偉そうに毎朝取り寄せた新聞読んでるが、それって最新情報か?偏向してないか。銀

内での席取りゲームには強くても世界のゲームのルールは既に変わっているのだ。

 

戦いの道具は常に変化している。江戸時代を終えた日本が観たものは新型ライフルだった。そんなもんに刀で切りかかっても勝つわけはない。

 

日清日露戦争では軍艦同士が戦った。一人ひとりの力ではなくチームワークが要求された。

 

その後もゲームの道具は変化して第二次世界大戦では初戦において日本のゼロ戦が活躍して爆撃隊がパールハーバーで米国軍艦を沈め1210日はマレー沖では一式陸攻等を爆撃に回し英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという英国の2大軍艦を沈めた。これには当時の英国首相のチャーチルも驚愕を受けるしかなかった。

 

西洋におけるゲームとはそれだけ命がけである。今自分が使っている銃は古くないのか?腕前は?動物を里に下ろす方法は?

 

今のゲームのルールで戦って勝ち目はあるのか?常に最新の知識で武装していなければ生きていけないのは、実は昔も今も同じなのである。



tom_eastwind at 17:45│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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