2018年07月26日

読書

ここ数日また寒いので自宅で仕事をしている。昼は14度、夜は13度位なので自宅でやるには丁度良いのだが、とにかくメールの量が半端でなくその幅も広い。

 

それも野球で言えば投手が投げるだけでなく一塁手も三塁手も時には捕手も投げつけてくる感じで、とにかく目の前に大きな宇宙が広がっている。

 

僕の仕事は在庫を持たないがその分思い切りパソコンに集中するので、仕事のやり過ぎで頭を冷やす時は読書をしている。自宅での仕事は移動時間もオフィスでの打ち合わせも不要であるから結構「放熱時間」として利用している。

 

今手元にあるのは北大路魯山人の「魯山人味道」である。これはどこから読んでも何度読み返しても楽しい。この本、実はずっと自宅の本棚に置いて毎回何か腹が立つたびにこの本を読んで心を落ち着けることにしている。

 

昭和の食卓事情がよく描かれており、特に魯山人の優れた感覚は食だけだはなく食を入れる器にもなり書をよくし画を描き、実に多芸多才の芸術家である。

 

「お茶漬けは最高のものが鱧と鯛」と言い切り、それも三州から瀬戸内海で穫られるものが良いと言い切り、そのお茶についても実に細かく文章にしている。

 

他にも本人は京都出身であるが何でも京都礼賛ではなく東京にも美味しいものはあるってことで東京に星岡茶寮(麹町区永田町二丁目後十七番地)を作り自身が監督として調理人を使った。

 

この本では「江戸前の車海老、穴子の食い方」だったり「京都のゴリの茶漬け」だったり、昭和10年代だから冷蔵庫も電子レンジもないなかで旬のものを如何に美食とする技術が遠慮なく披露されている。

 

但し旨くないものに関しては厳しい。

***

カロリーだビタミンだと言ってみても、人間成人して自由を知った者は、必ずしも心の喜びとしては受け取らない。まず自分の好きなもの、好む食物でなくては、如何に名高い食物であっても、十分の栄養にはならないだろう。

 

だから他人がいくら美味いと言っても自分が好まなければ意味はないのである。

***

 

こういうことを堂々と公表していたのだから敵も多かったろう、案の定昭和11年、彼は店を追われた。そして星岡茶寮は今までの上客を失っていった。

 

結局彼は鎌倉で陶芸に集中するのだがそのあまりに美意識の高さの為か、家族も含めて多くの友達を失ったようだ。

 

他にもいろんな章があり、どこから読んでも何回読んでも面白い。何度読み返しても「学べる」のである。

 

北大路魯山人、こういう素晴らしい芸術家を生んだ京都に感謝である。



tom_eastwind at 21:17│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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