日本ニュース

2011年07月01日

アクサ調査

★記事抜粋開始

震災後の日本を任せたい有名人のトップに映画監督、タレントの北野武(ビートたけし)さんが推された。2位は小泉純一郎元首相、3位は石原慎太郎・東京都知事だった。

 

 国籍を問わず、自由回答で答えてもらったアンケートの結果だ。アクサ生命保険が2050代の生活者1万人を対象に、震災後の人生観や価値観の変化を調べた。

 

 東日本大震災を機に、働き方に関する意識も変化したようだ。震災前に比べて、「高収入を得たい」と考える人の割合は10.1ポイント減り、「出世したい・社内で認められたい」という答も5.2ポイント減った。一方、「家族の近くで働きたい」は5.1ポイント増えた。「仕事と家族なら、家族が優先である」も2.8ポイント増えていて、仕事観の変化を映し出している。

 

 この調査は6月1013日にインターネット上で実施した。1都3県(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)の男女1万人(男性5000人、女性5000人)から意見を聞いた。

★記事抜粋終了

 

ネタ元はこちら↓

http://www2.axa.co.jp/info/news/2011/pdf/110627.pdf

 

20歳から59歳の男女の意見でありネット環境にいる事が前提だからその意味では現在社会で毎日活動している中間層と考えてよいだろう。ほんとに今回の大震災が戦後の日本人の常識を少しでも変化させたのかもしれないと感じている。

 

家族の近くで働きたいってのは昭和の日本企業ではあり得ない考えであり国賊と言われてもおかしくなかった。仕事が忙しくて午前中に結婚式して午後から会社に戻るなんてのもありだった。

 

平成に入って日本が右肩下がりになりながらも中間層の人々はそれでも将来があると考えて高収入と出世を考えて60才からの楽な生活を夢見てたが「死んだら終わりジャン」と言う普通のことがやっと「普通の人々」の間でも理解されるようになったのだろう。

 

震災後の日本を任せるのがビートたけしってのはちょいと理解が難しい。日本に住んでいないのでテレビで彼を見る機会もないし週刊誌で彼が持ってるコラムを読んだりしても日本を任せるような人物にはどうしても見えないので、選んだ人々が世間知らずのお人好しなのか選ばないぼくが情報不足のバカなのか不明である。

 

日本人の一番得意な技とでも言うか、日本人は目的と手段をすぐに逆転させる。昭和後期は「家族の為に働いてるんだ!」と言うサラリーマンが残業と接待とで家庭の時間を作れずに結果的に家庭を壊しているのだが周囲もみな同じなので自分の矛盾に気づかずにいられた。特に右肩上がりで毎年給料が上がりボーナスで新しい車やテレビを買えるから家族も旦那の過剰労働を受け入れてきた背景もある。

 

しかしバブルが崩壊して昭和が終わり平成になると状況が変わった。仕事の目的が家庭の幸せであるのに手段を追求して残業しても昔のようには給料が上がらす週末に接待しても会社の評価には結びつかない。バブル期に購入したマンションのローンが家計を直撃する上にボーナスは減らされて新しい車も買えずに「あれ?これっておかしくないか?こんなに働いても家族が幸せにならないじゃんか」と気づくようになった。

 

そんな時に東北で大地震が起こり普通の人々が普通に生活をしていてもある日突然死んでしまう現実を目の当たりにして「これってもしかしておれだったかもしれないんだよね」となり、やっと目的と手段の違いが肌で感じるようになったのだろう。

 

この点、良くも悪くもキーウィは最初から60才での安定した人生はあまり考えていない。今日を楽しむ、今日を大事にする、今目の前にある家族を大事にする、将来的にどうするかも少しは考えているだろうが、基本は今日を楽しむである。

 

楽しみ過ぎて進歩がない国ではあるが(笑)、それでも彼らは1840年の植民地として開闢以来、あまり悩むこともなく楽しんで生きてきた。

 

「人生の成功者」などとものの本に書かれたりする人が果たして人生すべての分野で成功するかと言うとそんなことはないのは誰でも知っていることだ。

 

お金があっても他人を信じられずに精神的に貧しい生活を送っている人もいる。政治家として名を成しても子供が森さんちのバカ息子のようではどうしようもない。

 

けれどお金を作り立派な家族を作ったら作ったで今度はそこに至るまでに人生哲学をかなり学んでいるわけで、そんなもん学んだ日には毎日「人生とは?」なんて悩んでしまうから、結局どのような道を選んでも普通の人々が想像するような「成功者」なんてのは存在しないことに気付く。

 

そう考えたらモノに溢れているけどあまり幸せでない日本よりも、モノは少ないしシティでもよく停電するけど、毎日あんまり難しい事を考えずに楽しく仕事して、明日の事は明日考えようって感じで自宅でビールを飲みながらラグビーに興じるキーウィってのは銀行残高がゼロに近くてもとっても幸せなのだ。

 

けれどそんな事を言っても日本人はキーウィみたいに毎日をお気軽に楽しむ生き方には慣れてないしお気軽に考えることも出来ない。お気軽ではないけれど、でも今までの日本の生き方もどこか納得出来なくなっている、だからとても難しい状況になっているのだろう。

 

今日今すぐ判断する必要はないけれど、今を逃したらまたいつもの「311以前の生活」に戻ってしまい、次に行動を起こすことは出来ないだろう、そう漠然と理解している自分がいる。

 

日本人は外圧を食らうと確実に変化するが今回の地震は外圧でなかった、しかし破壊効果は外圧並みであった、だから皆が「さあ、どうしよう、どうすればいいんだろ??」と悩んでいるのかもしれない。

 

このまま自分だけが「人間らしい生活」や「家族を大事にする生活」に入ることは出来る、けどそれで世の中が変わらなかったら自分が落ちこぼれになるのではないか?そんな不安もある。けれど考えていても時間が過ぎていくだけ。今回だけは「先送り」がまずいんじゃないか、そんな気持ちもある。

 

アクサ生命保険のアンケート結果をみながら、これってほんとに難しい選択だよな、けど選択するしかないんだよな、うわ、大変な時代になってしまったなとつい思ってしまった。

 



tom_eastwind at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月28日

貧しき者どもの平等

★記事開始

宮城県石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問で訪れた人気アイドルグループ「SMAP」の中居正広さんがボランティアで来ていた市内のバレエ教室の子どもにゲーム機12台をプレゼントしたところ、避難所の市臨時職員がそれをいったん回収していたことがわかった。

保護者から抗議を受け、市は「中居さんの好意で配られたのに回収したことは申し訳なかった」としてバレエ教室を通して子どもたちに返却する意向だ。

 

 市によると、中居さんはゲーム機や人形などを避難している子どもと、バレエを披露しに来ていた教室の子どもに配布した。ところが避難所の保護者から「ボランティアの子が受け取るのはおかしい」との抗議を受け、避難所の市臨時職員が回収した。

 

 しかし、今度は教室の子どもの保護者から「一度手にしたものを回収するのか」と市に苦情の電話が3件あり、返却することにした。市の担当者は「バレエ教室の子どもにも被災者はいる。返却したい」と話している。

 

20116280953  読売新聞)

★記事終了

 

避難所の人々は全員に同時かつ公平に行き渡らなければ不平等であるとでも言い出すのだろうか?現実にそんなことは出来はしないしあり得ない。

 

現実問題として人助けには限界がある。人の好意はその人の手を伸ばせる範囲内でしかないのだ、例えばアフリカで死にかけている子供を救う事が出来ないように。避難所でゲームを受け取れる子は運が良かった、避難所に逃げ込めることさえ出来ずに死んだ子供は運がなかった、アフリカで今も死に続けている子供たちはこれからも当分は運がない、そのような運命だった、ただそれだけと割り切るしかない。

 

不平等であると言われれば堂々と「そうだ!人生なんてそんなもんだ!」と言い返せばよい、それが現実なのだから。

 

ゲーム機がそれほど気に食わないなら文句を言った人間の目の前で叩き壊してしまえ。ぼくなら確実にそうする。一人でもいいから先に幸せになり残りはついていきながら幸せになり最終的に皆が幸せになる、それが社会の発展だろう、同時に全員が平等になるなんて事をやってたらいつまで経っても発展なんてあり得ないのだ。

 

そんなにあなたのような平等が好きなら、子供たちがせっかくもらったゲーム機を床に叩きつけてぶっ壊せ、壊れたゲーム機を避難所の入り口にぶら下げて「これがおれたち大人の平等だ!」とでも看板を付けておけばよい。

 

そうして誰かが何かを持ってくるたびに「皆に平等に配れないから」と捨てれば良い。毛布も食糧も暖房具も、そうやって全部捨てて寒くてひもじい思いをすればいい。

 

生まれた時から銀のスプーンくわえて生まれた来た子供もいればそうでない子供もいる。人生はどうやっても全員同時に平等何てあり得ないし、だいいちどこまで同時平等の幅を広げるのだ?

 

東北が苦労したら九州は風呂に入るなと言うのか?東北が大変だったら北海道は暖房使うなと言うのか?だったら避難所で今生き残った子供たちに東北の海で死んだ子供たちと肩を並べて死んでしまえとでも言うのか、バカの能無しもほどほどにしろ!

 

生きているからこそ今こうやってゲームで遊べもするのだ、子供たちがゲーム機を受け取ったらその子のそばにいる子供たちが遊べば良いではないか。そして今日ゲームが出来ない子供がいても親が知恵を出し合って自分たちが電気のなかった時代に遊んでた他のゲームを教えればいいではないか。被災地の子供がゲームで心がなごむなら明日にでも大量のゲーム機を東京から送るようにすればいいではないか。

 

何故人の足を引っ張ることしか出来ないのか、バカどもが!そんな事をしているから日本がどんどん落ちぶれていくのだ。

 

少なくとも君らは日本に生まれて幸せだ。アフリカの子供の命と自分の子供の命を比較する必要もない、それだけで十分に幸せだ、それなのになぜ他人の足を引っ張るような事をしなければいけないのか?

 

この世の中には誰にも生まれ持った機会の平等もなければ結果の平等もあり得ない。それは自分で作り出すしかない。しかしその時には誰かがまず先に一歩踏み出していくしかないでしょ、それを許さずに誰しもが同時平等に何も持ってないという「貧しい機会の平等」と誰もが何も受け取ることが出来ないという、いつまでも誰も浮かび上がれない「貧しい結果の平等」で良いのか?

 

一人でもゲーム機を受け取れば皆が「良かったね」と言ってあげる優しさ、それから大人たちが智慧を使ってどうやればもっとたくさんのゲーム機が手に入るかを考える、それが大人の知恵だろう、それが社会の進歩と言うものだろう。それとも今の日本社会では喜ぶ子供の足を引っ張るような事をするのが大人の知恵とでも言うのか?



tom_eastwind at 18:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月27日

コクサイ先生と利回りに敏感な40代の買い手・・・

国内売れ行き不振、個人向け国債てこ入れ 7月から利率引き上げ

2011.6.27 20:55

 販売低迷に悩む個人向け国債をてこ入れしようと、財務省は変動10年債の利率の算定方式を変更し、7月発行分の金利を引き上げる。イメージキャラクターの「コクサイ先生」も、短文投稿サイトのツイッターでつぶやきPRを開始するなど、投資家への売り込みに懸命だ。低金利でうまみの少ない個人向け国債のイメージを払拭し、東日本大震災の復興財源確保に向けた増発が避けられない国債の安定消化につなげる。

 

 「個人向け国債は元本や利子の支払いを国が責任を持って行う金融商品です。満期償還の来る10年後までにはインフレーションを起こして国家財政を黒字化させる予定ですので国債は元本割れすることは非常に高い確率で発生する、つまりほぼ間違いなく投資家が損をする商品ですが、10年後なんて皆さん思いもつかないし日本大好きでしょ、政府に投資しましょうよ、大丈夫、10年も経てば昔の事も忘れている、だから気にせずにじゃんじゃん個人国債を買いましょ〜う」

 

このような内容をツイッターで毎日律義に宣伝するコクサイ先生とは「政府に洗脳されてインフレが起こったらどうなるかとか自分では健全な疑問を持つ事もない、毎日健康!とか原発反対!とか言いながらタバコ吸ってるメタボ気味の、東京の丸の内に行けばどこでもいるような40代男性」の設定だ。財務省は「コクサイ先生と同世代の連中がツイッターにに引っ掛ってホームページに目を通してもらえるきっかけになればオレオレ詐欺もびっくりだ!」と期待する。

 

元記事に興味のある方はこちらにどうぞ↓

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110627/fnc11062720580006-n1.htm

 

普通に世界中の国債の利率を考えれば日本の国債の利率の低さに「買う価値なし」と判断するのは当然だろう。しかしここにカントリーリスクが加わると、ギリシア国債の利率が高くても買った債権が紙くずになる可能性が非常に高いので誰も買わないだろう。だからそう見ると日本はデフォルトはしないかもしれないので「買い」の要素はある。

 

つまり国債番付の利率の高さで最高の国はカントリーリスクが高く、利率の低い国はカントリーリスクが低いと考えるべきだ。が、今の日本は利率も低くカントリーリスクが高いという異常な状態になっているのを多くの人は考慮の際の要素に入れていない。このカントリーリスクとは政府が実行を検討中のインフレーションである。

 

金利が一年でたった1%でインフレーションが年間5%超せば日本円で生活をしている人からすると価値が下落するわけで、そんなものを一般国民、つまり政府がいつも金融機関に言う「金融商品販売については十分な説明が必要とされるプロでない一般投資家」に対して「政府が保証します」だけでリスクの説明もなく売りつけようとするのはいかがなものか。

 

ところ変わってニュージーランド。先週はオークランドの銀行やファイナンスカンパニーのプライベートバンカー達とのミーティングがあった。今まで日本市場はそれほど重視してなかったでしょおたくって感じの銀行が今回はアジア向けのプライベートバンキングチームを作り日本を視野に入れ始めているのだ。

 

この背景は二つある。一つはもちろんクライストチャーチの大地震で復興資金が必要となった事、もう一つはNZの銀行界も中国人とやり取りしながらあまりの不正の多さにいくら有望市場とは言ってもね〜と言う厭戦気分が出始めており、だったら他にどこの市場があるのよとなった。

 

復興資金については政府が復興国債を発行して投資家に買ってもらうわけだが、金利は4年物で4%だ。通常の国債でも3%の金利である。ところが実質的に国家保護下にある銀行の定期預金は5〜6%なので、どっちも政府保証なら当然銀行に預けるだろう。

 

ファイナンスカンパニーでは更に良い年利7%〜9%なので少しくらいのリスクなら取れるのであれば当然国内資金はファイナンスカンパニーに資金は流れる。

 

そうなると国債を購入する相手として次に狙うべき市場が「ニュージーランドに移住を考えている外国人」である。

 

ニュージーランドのようなちっちゃな国は国策として外国人優遇政策を取り優秀な外国人を受け入れて国力増強をしている。優秀な外国人にはお金を持った投資家も含まれる。150万ドル(約9千万円)あれば永住権を発給しますよ、その代わり投資先はNZ国内でActiveFundにしてね、である。このActiveFundは移民局も具体的な条件を明確にしていないが、国や自治体が発行する債券、民間企業への投資や株式購入、不動産投資が含まれている。

 

ところが今年、いざふたを開けてみると投資家移民の集客が悪い。つまり金の集まりが悪い。政府は下部機関である移民局に対して「お叱り」を出した。「何やっとんのじゃヴォケー、もっとしっかり仕事せんかい!」

 

これに対して移民局は「いやいや、そうは言ってもうちは役所ですし中国マネーは好きでも中国移民は嫌いでしょ、だから彼らが入りにくいような規制をかけてますよね、だから営業するなら他の国でって、金融機関に言ってくださいよ」となった。

 

そこで金融界上がりのプロであり1980年代のジャパンマネーの凄さを知っているジョン・キー首相は「おらー、銀行界はもっと営業せんかい!アジア市場と言っても中国だけではない、日本には個人資産があるのだ、投資移民の取り込みをやれ〜!」とでもはっぱをかけたのだろう。

 

その結果としてぼくは地元銀行からの日本人投資家向けの提案を待っている状態になったのだがちっちゃい国ではありながら国債も含めたポートフォリオでは7%〜9%の商品が並んでおり投資家ルールも緩和されるようなので、投資家ビザ申請については少し期待出来る状態である。

 

ちっちゃな国はそれなりに生き残るために一生懸命である。移民でさえもビジネスとして理解出来る狩猟民族と、自分の生まれた土地を先祖代々守り続けて何度津波が来ても手放さない農耕民族との違いであろう。これは仕方ないにしても国家間の利率の違いは普通に自分の眼で見れば確認出来ると思うのだが。

 

★記事抜粋

 コクサイ先生がアピールするのは、利回りに敏感な40代の買い手が多い10年債の新しい利率。従来の算定方法は、直近の長期金利(7月発行分は1・17%)から0・8を引いた水準だったが、7月からは長期金利に0・66を掛ける方式に改める。

★記事終了

 

利回りに敏感な40代の買い手・・・・どんな人なんだろうね。



tom_eastwind at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月23日

ネットリテラシー

★記事開始 2011年6月23日朝日新聞より

ブログに「保安院長の親族殺せ」 書き込み容疑で男逮捕201162312

. インターネット上で経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長の親族に危害を加えるよう書き込みをしたとして、警視庁は22日、愛知県一宮市宮地2丁目、自称システムエンジニア木野村洋世(ようせい)容疑者(33)を脅迫容疑で逮捕し、発表した。

 

 捜査1課によると、木野村容疑者は4月15日午後10時10分ごろ、自身のブログに、寺坂院長の名前を挙げ「親族一同を探して殺せ」などと170回以上にわたり書き込んだ疑いがある。同月19日には「殺すことがボランティアだと思う」とも記していた。調べに対し「冗談半分で書いた。非常に申し訳ない」と供述しているという。同課が詳しい動機を調べている。

.★記事終了

 

当然だろう、こういうのはしっかり逮捕して世間に公表して、ネットで意見表明をする事にも自己責任があるのだという事を周知徹底すべきだろう。(ぼくは体制側ではないのでこの文章の趣旨を読み違えないで欲しい、体制側がこのような逮捕と公表を行う事で逆説的にネット市民が強くなっていくことを期待しているから賛成しているのだ)

 

今回の事件は自分の意見を社会に向けて発信するということの重みを理解出来ていない幼い脳みそがネットと言う過激な爆弾を使って殺人テロを行ったようなものだ。実弾の入ってる銃を他人に向けて引き金に手をかけておいて33歳の大人が「冗談でした」では済まない。

 

社会の中で活動する以上、人間の行為は言動も含めて常に一定の制約がある。思想信条の自由は、考える事や信じることは自由だよって事であり結社の自由は同じような思想信条を持っている人が集まる事も認めるって事だ。

 

けれどそれはあくまでも釈迦?秩序の中で認められた権利であり「誰もが平等な権利を持てる社会」では自分の意見を発表し行動する自由を保有するという事は必然的に他人の意見を尊重し他人の行動を束縛する権利を持たない事だと分かるはずだ。

 

だからこそ自分の意見表明の場として一般市民にはネットが存在するし自治労や日教組にはリアルの場所としては街頭デモと言う手段があり政治家にはマスコミがある。

 

それぞれが自分の意見表明をする中で多くの意見を得た者が必然的に意見の代表者となりそれが市民の要求する政策として政治に反映されて社会に反映されるようになるのが正しい民主主義である。

 

それなのに自分の意見だけを善しとして他の意見を感情的に攻撃したりましてや他人の生命財産を脅かしてしまえばそれは同時に自分の意見を他人が感情的に攻撃して他人があなたの生命と財産を脅迫する権利を認めたことになる。

 

つまりネットと言えど人を殺すという書き込みはそれほどに他人の生命財産を脅かす行為になったのだ。

 

原発について自分の意見を持つ事は自由である。そして自分の脳内で誰をどう殺そうがそれは個人の自由であり制限することは出来ない。ただそれをネットを通じて社会に公表するという事は実弾の入った拳銃を振り回しているのと同じなのだ。

 

そうなれば当然社会の秩序を守るべき警察はあなたを「逮捕!」となる。そんなもん当然だろう、日曜の昼下がりの秋葉原の歩行者天国でダガーナイフ振り回しながら「ぼくは、じゆうでえ〜す、ぼくはきょうはくなんて、してませ〜ん」なんて言っても通用しない。何故なら他人が脅迫されたと思う事実を持って脅迫の要件の一つは成立するからなのだ。

 

自由と無責任をはき違えたバカネットユーザーが逮捕されたということは、ある意味ネット市民が成長することを意味する。書いて良い事と悪い事の区別がつき、社会と自分の間の違いが理解でき、自分が持っている武器がどれほど強力化を認識する事が出来る。

 

だからこれからはネット市民は無責任にバカなことは書かなくなる。書く前に考えるようになる。これが結果的に思考能力を高めて、思考能力を持たない“あちら側”の人々と確実に世間の認識能力に対して格差が付く。これが大きくボディブローとなって世の中を変える源泉になる。

 

「ペンは剣よりも強し」と言うことわざは古くからある。たった一枚の写真が世の中に大きな衝撃や感動を与えることがある。しかしそれはすべて媒体が存在するから可能でありここに20世紀のメディア=媒体には限界があった。

 

メディアに取材と印刷と配布と言う作業が存在する限りそこにはビジネスがなければ成立せずビジネスである限り上位のメディアやビジネスを凌駕する力を持つ政府に潰されるのは当然のこととなる。だからどこまで反体制が戦っても一定の限度を超えることは出来なかった。

 

ところが21世紀の媒体であるインターネットは現世利益を獲得する必要はなく誰に頭を下げる必要もない。自分らしく自分の意見をほぼゼロコストで堂々と発表出来るのだ。(勿論たとえネットがあっても社会的な立場があって意見を発表出来ない人はいるがそれはネット特性を否定するものではない)

 

実はこれから将来の政治的な意味でのネットの方向性のいくつかの選択肢は見えている。そのどれが現実化するか今は不明である、何故ならそれを決めるのはまさにその社会に生きている人々が決定することだからだ。

 

ただインターネットと言う不可逆的な技術革新を根っこから停止させて人々を18世紀の電気のなかった時代に逆行させるだけの政治的蛮勇もそのような政治の継続性も現実問題としてはあり得ないだろう。

 

そしてネットを使った社会全体の情報共有を前提とする限り、つまり言葉を変えて言えば今日の記事のような「ネットに社会性を持たせた」事件が増えていくたびに社会は進歩していくだろうしより一層本当の意味の民主主義=自己責任と自由の理解に近づくだろう。

 

その意味でこのニュースを「自由な言論の取り締まり」と評価してはならないのだ。ネットが社会的地位を得る為の必要な成長を警察が後押ししてくれたのだ、ありがとう警察よ!これからもよろしく!そういって歓迎しようではないか。

 

そしてネットで情報が共有される時代があと何年先に政治的に受け入れられるか分からないが、「その時」に社会のど真ん中で生きている40歳世代がでっぷり太った腹に煙草の灰をぽろぽろと落としながら「おれ、ネットってよくわかんねー」とか「自分の意見?あんまり考えたこともないなー」とか「え?何コレ?こんな事書いていいの〜?」なとどネットリテラシーのない状態でいれば確実に世間から取り残されて「歴史博物館送り」になることは覚悟しておいた方が良い。時代は手抜きの人生を見逃すほど甘くはないのだから。



tom_eastwind at 13:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月22日

撞突きの玉

★記事開始

普天間移設先送り 日米閣僚会合 辺野古はV字案に絞る

(2011年6月22日朝日新聞より)

日米両政府は21日午前(日本時間同日夜)、米ワシントンの国務省で外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)を開き、共同発表をまとめた。沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題は、同県名護市辺野古に「V字」の滑走路を持つ代替施設をつくることで合意し、自公政権時代の案に戻った。移設目標は日米で合意していた2014年を先送りした。

 松本剛明外相と北沢俊美防衛相、クリントン国務長官とゲーツ国防長官が出席し、日米同盟の深化、拡大を確認した。V字滑走路は自公時代の06年の2プラス2で合意したが、09年に「県外移設」を掲げる鳩山政権が発足し迷走。10年5月に辺野古へ回帰し、8月末の日米合意で「V字」「I字」両案が併記されたが、今回は「V字」に絞り込んだ。

★記事終了

 

2プラス2は学校では4となる。しかし政治の世界では2プラス2=茶番となる。

 

米国は最初からグアムに太平洋の拠点を移動させることを21世紀の世界戦略の基本にしている。これは既定方針であり、米国は永遠です〜とかV字とか県外とかなんとか言ってるのは日本で沖縄を飯のタネにしている日本国防族だけである。

 

国防族の上層部はすでに米軍の意向を理解しておりグアムの移転を前提に日本側が日本の税金で米軍基地をグアムに作るという建設利権もしっかり押さえている。 その上で更に沖縄を出来るだけ長く現状維持させて利権で利益を得る為にVだの県外だの出来もしない事を時の政府や外務省を使ってマスコミに情報提供、国民をかく乱させて結果的に「現状維持」を継続させている。

 

その分かりやすい例が今回の「2014年までに作ると言ったのはなしね、もちっと延びるからね」である。これで普天間は2014年以降更に数年引っ張れるわけで、そんなのはペンタゴンと国防族の間で水面下で決まっていることだがそれを政治家責任にする為に防衛相に米国に飛んで行ってもらったわけで、こういうのを茶番と呼ぶ。

 

ただこれで米国が損をするわけではなく、2日前の記事でも少し触れたが財政危機に陥っている米国連邦議会としては自分のカネで何かをしなくちゃいけないグアム移転よりも当面追加費用の不要な現状維持が良いので現在は日本の国防族の片棒を担いでいる。

 

しかし国家戦略としてはいずれグアムなのでその時の移転費用から基地移設費用まで全額日本が出しますとなればすぐに移転時期は決定するだろう。

 

日本は沖縄の米軍基地がどうなるかと言う事を国民視点から見ている。県外移転とかV字滑走路とか嘉手納との合併などわいわいやっている。けれどなぜ米軍がグアムに行くという話が出て来たのか?そこを突っ込むマスコミはあまりない。

 

日本人の弱い点は物事を考える時に大きな絵から細部に入る事を苦手とするところだろう。日本人は重箱の隅を突っつくのは得意だが、なぜそこに重箱があるのかとかなぜ重箱でないといけないのかとか、そういう大きな絵については考える事を得意としない。国民性なのだろう。

 

たぶんこれが純粋に国内問題ならそれで良いのだろうが、国政に関わる部分で言えば純粋な国内問題などない。

 

日本の国防。これは実は日本の問題と言うよりも米国の世界戦略の中の一つの玉として見られており、地理的には世界の中のアジアの中の日本として認識されており21世紀の米中の国境線をどこに引くか、その国境線のどちら側に日本が位置するのかによって日本の国防は大きく変わるのであり言葉を変えれば独自の国防なんて存在し得ないのだ。

 

ちなみに米国はイラク、アフガニスタン、パキスタンなど中国の西側にある諸国を中露主導の上海協力機構に任せて自分たちは太平洋まで引っ込む計画が現在進行中である。インド洋は中国が中心となり沿岸各国をアジア経済協力圏とする。

 

つまり中国を中心とするアジア圏の西の端はイラク、イランまでであり(トルコがどうなるか、イスラエルをどうするかは未定のようだ)、反対側に目を向けると太平洋の国境は日本列島の東側、小笠原諸島あたりから南に線を引いてインドネシアまで続く国境線になる。

 

米中の考える新しい国境線は現時点では太平洋のグアム島までが米国、そこから西は中国と言う認識、つまり日本は大きな意味で中国をリーダーとするアジア圏に包括される。

 

これは日本が「やだやだ、ぼくちゃんアメリカさんが好きなんだよ〜」なんて言ってもどうしようもない。大東亜戦争で壊滅的に敗北して戦勝国である米国と中国(戦勝国と言えるかどうか疑問ではあるが)に挟まれた日本は自国で独自の国防と外交を展開することは実質的に不可能になっている。

 

それは戦後の日本が米中によって真っ二つに裂かれてしまい、さらに金儲けの為に外国と手を組んで活動する学者や政治家や文化人や評論家やメディアが国論をいつまで経っても一つにまとめさせないようにしているからだ。

 

国家の統治の基本は分散統治である。民を一か所に集めてはいけない。ばらしておいて意見を集約させずに個別に利害関係を作り出して民が互いに喧嘩するような仕組みにすることだ。その国家を米中どちらが取るにせよどちらにとっても不利な事は日本人が一か所に集まり日本人としての独自意見を持つ事だ。

 

そうさせない為に右翼をコントロールして愛国心を駆り立てたり適度に労組に基地反対のデモを起こさせたりしながらテレビでは文化人や評論家が「米国なしの日本なんてあり得ないだろう!東北大震災でも米軍さまの強さがよく分かったろう!」と全然関係ない事を我田引水して、いつまで経っても日本の意見をまとめさせない戦略だ。

 

今の沖縄問題を考える時に「あいや〜、沖縄の人が可哀そうだよ、基地を県外にしようよ〜」なんて言っても意味はない。世界レベルの国境策定の中で日本がどうあるべきかを日本抜きの世界が決めているのだ、そして日本の支配層はそれに対して「いないふり」をしている。日本国内の一部お涙ちょうだい連中が自分だけは傷付かない損しない一時的な感情論で何を言っても沖縄問題が変わることはあり得ない。

 

世界戦略の中で二大強大国に挟まれた日本は撞突きの玉のように振り回されている。それはパキスタンやアフガニスタンも同様である。どこの国も内部でもめている限り独立国としての主権は守れないし、いつまで経っても撞突きのプレイヤーにはなれない。

 

じゃあいつになればプレイヤーに参加出来るのだ?戦前の日本のように白人優勢社会の中で一定の発言力を確保しようとしたプレイヤーのようになれるのだ?

 

答はあるのだがその答を得る為の努力よりも、やっぱり日本人は思考停止だけど毎日食い物を与えてくれる仕事がありコンビニがありエロ朝刊紙がありゲームがある、何も考えなくても良い今の生活が好きなのだろうし、「そう」であって欲しい日本の支配層が「そう」なるようにコントロールしているから、今の状況が続く限り、残念だが何も変わる事はないだろうし「そういう状態」の方が多くの日本人にとっては幸せなのかもしれない。



tom_eastwind at 11:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月21日

正解のない人生、そうだ宗教しよう!


震災後に多くの人々が初めて原発問題を目の前にしてどうしていいか分からずに「正直今まで原発のことなんてあまり考えずに普通に生きていました。けど今放射線が人間に与える影響を見ると、怖くて怖くてどうしていいか分かりません。お願いです、私を安心させてください」と書き込んでいるのを見かける。


安心なんて商品はこの世に宗教以外には存在せず、宗教の基本は信じ切る事だから結局疑問を持ちながらそれを解決して合理的に安心を得る事は出来ない。


こういう書き込みが増えている事で今の日本で生活をする人々がどれほど危機意識を持っていなかったかが分かるし何でいつも時代が末世になると宗教が流行するのかよく分かる、要するに心が弱いのだ。


日頃は何も考えずに蝶よ花よと生きてきて、哀しい少女の話をテレビを見て少し泣いて政府を批判する記事を読んで少し怒って今年は節電だと言われて節電グッズを買いそろえている自分、ところが政府がニュースを通じて沈静化しようとする中で“東京の空にまでHOTSPOTがある!”なんて情報が流れると「そんな事、聞いてない〜!」とヒステリックに叫ぶ。


こうなるとパニックでありどうしようもない。理性よりも感情が先だってしまい、何を見ても聞いても信用出来ず、テレビのニュースを見てもそれが本当かどうか分からない。


今までの人生と生活の指針であった「だってテレビでこういってるんだもん」が通用しなくなった。今まではテレビさえつければ誰か偉い人がいろいろ言ってたじゃん、政府の人が説明してたじゃん、あれって、全部嘘だったの????一度思いついた疑惑は旦那のケータイに見つけた女の名前の番号みたいに膨れ上がり止まるところを知らない。


かと言ってこのHOTSPOTの話も信用できない。人々は原発反対のデモをやっているから参加すれば安心出来るのか?それとも自分の部屋に籠っていれば安心なのか?


不安にかられてネットで調べると、どうも福島に置いてあった燃料棒の一部は中性子を発生させるようでこれは分厚い壁も透過して人間の内部を溶かしてしまううううううう、なんて情報を見て、壁に付いてた片手を振り放したりするけどもう遅いいいいいいいい。


と、そんなこんなに嘘情報や関係ない情報までいきなり何のフィルターも付けずに吸収してしまいどこまでヒステリックになるかってのは今までどこまで自分できちんと勉強してきたかによる。


このような人々の気持ちは理解出来るが同感は出来ない。これは言葉を変えて言えば今までアリとキリギリスではないが夏の間歌ばかり歌って何もしなかった人に神様が与えた試練であり、それは誰か他の人が肩代わり出来るわけではない。


では迷える子羊はどうすればいいのか???答えは簡単、宗教にはまればよい。どうせ今まで勉強しなかったんだから今さら少しくらい勉強したからと言って心が強くなるわけもない、地域ごとひっくるめて新しい宗教を作るのだ。


例えば品川地区は品川教を創る。彼らは品川だけが良ければ良いのであって政府の予算がどうのこうのなんて関係ない、今から政府に言って自分たちの土地をすべて掘り返させて南太平洋あたりのきれいな土と入れ替えなさいとでも言えばよい。


え?そんな事で問題解決するのか?そんな事したら東京中全部の土地を入れ替える必要があるぞ。それにかかる費用も大問題だが実際にそこまで放射能の影響があるのか?人間がこの世で生きる限り常にリスクはあるわけで、原発問題だけをわーわー言っても仕方ないでしょ、なんて理屈は宗教には関係ない。


同じ宗教仲間で人々の中に混ざって彼らと同じ呪文を唱えていれば心が「落ち着く」わけで、それが「安心」に繋がるのだから理屈とか正しいとかどうでも良い、集団心理なんだからきもち良ければよいのである。


結果的に品川教は港教との間で土地入れ替え騒動で負けてしまい合併されるかもしれないが、それでも一信者としては品川教よりも大きな人数に合併されるのだから更に気持ち良い。


そうだ、こうやって宗教にすがろう。そうやって各地の宗教が戦いながら一つにまとまっていき、最終的にそのもっとも大きな組織が日本教になるという皮肉と言うか矛盾なんてのはずっと後になって分かるわけであるし、その時になれば教団の教育宣伝部長がうまい事理屈を思いついて「だ〜から日本教がいいのだよ、えっへん」である。


今回の原発も方向性としては、

1・今年の夏は暑くなり末世

2・ほーら、関西も節電でっせ。

3・暑いでしょ、大変でしょ、やっぱり電気欲しいでしょ。

4・工場でアイスクリームも作れない、冷蔵庫も使えない、ほーら冷たい水が欲しいでしょ。


だったらやっぱり原発動かすしかないでしょ、ほらほら311から3か月も経ったんだからそろそろ大人になって、黙って原発受け入れましょう、政府だって安全だって言ってるんだから。こうやって迷える羊たちは、またも官僚主導のいつか来た道を歩く。


けど考えてみれば結局それが彼らにとって一番幸せなのかもしれない。


だって何もない時は難しいことは考えずに明日着る服とか友達とのささやかな飲み会とか何にも勉強をせずに毎日を過ごして、何かあったら一過性で宗教がかりになって振り回されて、数か月もすれば元の生活(みたいなもの)に戻れるのだ。考えるとか勉強するとか、そんなこと面倒だし頭痛いじゃん。


どっちが正解なのか?覚醒して少数派として生きるのか、多数派の一員として心の安心を得て自分の住んでる土地の土を入れ替え運動をしながら生きるのか?幸せが自己満足と定義すれば、覚醒しない方が幸せである。何故なら覚醒してしまえば他の社会問題が次々と見えてきてしまうからだ。


 



tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月14日

チェルノブイリネックレス

三国同盟再びか?福島原発事故を受けてドイツが脱原発に方向を切り替えたことは周知の事実。そしてイタリアでも国民投票で原発反対となった。そして今の日本の方向性も反原発派が日本中を席巻しているので、こりゃまたも三国同盟かな、イタリアなんて入れてると勝ち目ないぞと思わず笑った。

 

★記事開始

自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、イタリアの国民投票で原発反対派が多数だったことについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」と語った。福島第一原発事故を念頭に置いた発言で、表現が不適切との批判が出そうだ。

 石原氏は「反原発と言うのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ったとき、国民投票で9割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」とも述べた。

★記事終了.

 

親父の背中を見ながらなんとか前進しているけど基本的な情熱や能力が不足しているから国政レベルでは誤魔化しようのない政治家としての勘の悪さ+状況判断ミスが目立つお兄ちゃんが、今回は「集団ヒステリー」で親父の真似をしている、言わんでもいいことを(笑)。

 

記者受けする大向こうを狙ったにしては落としどころが悪いし狙わずに言ったのなら安保単。全体の趣旨はまともなんだから大向こうを狙わずに言葉を選んで一つ一つ石を拾っていけば親の名前があるんだから自民党総裁程度なら勝ち目があるものを、やっぱりこれも「親父症候群」か。

 

何とか「石原の息子」ではなく「おれ、石原」と言いたいのだろうがな〜甘ちゃん(笑)、トヨタの家系見てみろよ、個人ではなく家名を守っているのだぜよ、こういうのも「能力ないけど名前ありにはOKかも」だくらいに考えてみればどうだ、どうせ本人だけでは先がないのだから。

 

今回もどうせ指摘するなら「イタリアは原発を停止してもお隣の陸続きのフランスの原発から電気を買える。ドイツもフランスから電気を買える。つまり自国で原発を停止するってだけで実態はフランス原発で今まで通りにドイツの工場でベンツが作られてイタリアのレストランで美味しいパスタが食えるのだ」

 

そして「フランス原発が吹っ飛べば狭い欧州どこにも死の灰は降る、結果は同じなのだ、こういう状態の欧州と他国から電気を引っ張ってくることのできない日本を同列に語ることは出来ない。三国同盟では前回も負けたし今回も勝ち目はないのだ、今回は独自のエネルギー政策を考えないといけないのだ」くらいに言えばかっこ良いものを、学生の頃にきちんと歴史や政治を勉強して基礎知識を積んでいないから記者の前でこういう言葉がさらりと出てこない。さらりと出てくるのは自分の脳みそで思いつく女性をイメージした差別用語的な「集団ヒステリー」であるから語彙の少なさがばれる。

 

それから「集団ヒステリー状態」と呼ぶのは結構だが、それを政治家に言われちゃ終わりよって笑ってしまうのもこの記事の面白いところだ。

 

政治家は本来地方や東京から志を持って優秀な大学を卒業して社会の木鐸として一生懸命市民のために働くはずであり、まさに公僕、公(おおやけ)の僕(しもべ)のはずの政治家が国民そっちのけで「管おろせ〜!」「次はおれだ〜!」「ざけんな自民党に政権戻せ!」と、まるで満月の夜に盛りの付いた雌犬の様に吠えまくり、その合間を縫って女衒の官僚はちょろちょとと法案を通して自分たちの権益確保、まったく311地震以降の政治家の皆さんのヒステリーには負けますぜって感じがするのは僕だけではないだろう。

 

要するに「ヒステリー」と騒いでる政治家がやってるのが「オステリー」であり猿山の合戦なのだから本来は記事にするほどの事もない話である。なのに各社が記事にしてくれた、石原息子よ、親父に感謝しろよ。

 

まあヒステリーと言われたのでついでに書いておくと、だったら政治家さん、誰もがヒステリーを起こさなくても済むような正しい情報を提供してくださいよ。

 

あんたらがきちんと情報発信しないから個人が仕方なく情報収集して、その情報が時には過激すぎて政治家からすれば「ヒステリー!」と言うかもしれないがその責任は正確な情報のとれない個人か正確な情報を出さない政治家か?考えたら分かるよね。

 

ぼくが今回東京で多くの人間と話したら誰もが「え?東京では皆普通に生活してますよ〜」だ。実際にそのようだ。

 

ところが説明会にご参加いただいたお客様の危機意識は非常に高い。この違いは何か?それは知識格差である。もちろん放射能が将来的にどこまで子供に影響を与えるか分からない、何もないかもしれない。

 

だから何もしなくても良いかもしれないし何をしても意味ないかもしれない。ある意味交通事故にどれだけ注意しても、遭う時は遭うっての同じだ。もっとレベルを落として書けば自宅の掃除と同じで、どうせ汚れるんだ気にするなってレベルだ=人はどうせ死ぬんだ気にするな、ぶくぶく太り肝硬変になり体ぼろぼろになっても好きなことしている方がましって、または今日の飯があればいいってレベル。

 

けれどチェルノブイリ付近の子供たちが甲状腺ガン手術の痕として首の周りに肉が抉られた、一生消えないチェルノブイリネックレスと言う傷を持っているのも事実なのが忘れられない親がいるのも事実なのだ。

 

飛行機でニューヨークに行くのと同じなんて議論がしょっちゅう出てくるが、では子供を持つ親として今までニューヨーク行きの飛行機に乗ってた乗客のがん発生率が異常に高いという数字を見たことはないし逆にそんなにニューヨークに出張があるような仕事に子供が付ければ(職種がどうこうではなく)それなりに子供を育てた達成感もあるだろ。

 

けど今「この程度は安全」と言われながらもそれ以下の数値でさえチェルノブイリ付近の子供が発病したことを考えれば、そのような放射能が子供の頭に降りかかっているとすれば誰でも普通に「ヒステリック」になるのではないか?

 

つまりもう少し突っ込んで考えれば、子供をどんなに危険から守っててもふとした瞬間に子供が交通事故や火災に巻き込まれて死ぬかもしれない、それに比べて数千分の一でしかない危険をそこまで問題にするかどうか、である。

 

じゃじゃーん、ではここで質問。今東京で生活して「大丈夫じゃん〜」と言う、例えば石原息子世代の人々、あなたたちは毎日週刊誌やエロ新聞をにやにや読みながら「おお、赤ワインは体に良いのだ」とか「まかが効くんだって」とか「サバに含まれるなんちゃらは〜」とか言ってませんか?

 

それも原発も、体の健康を維持するって意味では全く同じであり、あなたが毎朝駅のキオスクでエロ新聞に払ってる100円?だっけ(東スポっていくらだ?)で得られる男性の腰回り情報より、もう少し上の方、つまり脳みそで得られる放射能に関する情報を基礎にして行動しているだけなのだ。

 

ところが腰回り情報だと同調する親父は多いのに放射能だと同調してくれる人が少ない、だから腰回りよりも当然に大きな行動を起こすことになり、それが結果的に世間から見れば「やり過ぎ、ヒステリー」となるのだろう。

 

これは教育ママ対それ以外の喧嘩でも同じである。共産党対創価学会でも同じである。要するに片方から反対側を見たらどう見えるかだけの問題なのだ。

 

原発事故はこれから長年付き合っていく問題でありそれをどう認識するかは人によって違うだろう。ただ思うのは自分の意見と違うからと言うだけで相手の考えを検証しようともせずに過激な言葉使いをする人もある意味思考停止状態のヒステリーであり、これじゃお互いに成長ないぜ、そんなんじゃ日本全体がますます沈むだけだぜって言いたい。

 

10年後に自分の子供から「ねえお母さん、なんでぼくの首にチェルノブイリネックレスがあるの?」って聞かれた時にきちんと答えられるだけの母親でいられるかどうかだと思う。

 



tom_eastwind at 19:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月11日

勇気も気概もない左翼ポチのあふぉさ加減について

まだやってんのかこれ。国民の税金遣って働いている教師が一体何十年これやったら気が済むんだ、給料返せと、あふぉばか勘違いやろう、教師やめろと言いたい。

 

★記事開始

君が代起立、条例違反直ちに懲戒せず…大阪

知事と意見交換 府教委が方針決定

 大阪府内の公立学校の教職員に対し、国歌の起立斉唱を義務付けた「君が代起立条例」の運用方針を巡り、橋下知事と府教育委員や府教委幹部との意見交換が8日行われた。

 教育委員からは、条例の運用や処分について慎重な意見が相次いだ。この後開かれた教育委員会会議で、府教委は職務命令に基づく指導・処分を継続するとし、「条例違反者を直ちに懲戒処分としない」との方針を決めた。

 意見交換は、3日に条例が府議会で成立したことを受けて開催。中西正人教育長ら府教委幹部と府教育委員計6人が橋下知事と意見を交わした。

 条例には罰則規定がないことから、橋下知事は、不起立を繰り返す教職員らに対して免職を含む処分基準を定めた条例案を9月定例府議会に提出する方針を改めて説明。

 委員からは「国旗国歌を尊ぶ趣旨に異論はないが、処分条例案については検討に時間をかけるべきだ」「厳しい処分は学校現場で無用の反発を招くのではないか」と慎重な意見が相次いだ。

 終了後、橋下知事は報道陣に対し、「公務員組織の中で命令に従わない職員をどうするかの問題であり、時間をかけて議論する話ではない」と突き放した。

 府教委は、これまで不起立の教職員に対し、個別に起立斉唱を求める職務命令を出してきたが、来春の卒業式からは、教育長名で府立学校の全教職員に一律に出す方針。職務命令に違反した者を処分対象とする従来の姿勢を確認した。

201169  読売新聞)

 

自分たちの思想良心に従って国旗と君が代に反対しているって、お前ら戦争に行った事あるのか?歴史教育まともに受けているのか?バカが頭に赤チン塗られたのがまだ取れないのか?いい加減に進歩しろよ。

 

この記事はこう読む

橋下知事と府教育委員や府教委幹部との意見交換が8日行われた。

「君が代起立、条例違反直ちに懲戒せず…大阪」と言う見出しはいつものごとき嘘記事で実際は橋下知事が「違反したら懲罰やで、考える事なんかあらへん」と言いきっただけ。

それに対して烏合の衆は「お殿様、し、暫くお待ちを、このような一大事をそのように軽々しく決められては〜」と訴えた。

さらに烏合の衆はお殿様のいない場所で密談を行い「教育委員会と府教委は罰しません、わたしたちはやりません」と反旗を翻した。

殿様が乱心した場合は「押し込み」と言うクーデターがあるそうで、役人がすべて協力してお殿様をひっくくって座敷牢に放り込み、自分たちの言うことを聞くお殿様の血縁を立てる。なんかそんなクーデターが起こりそうな雰囲気の大阪である。


 

たださ、今日本が世界の中でどんどん地位低下して国際競争力を失いつつあり国家の未来が子供たちの手にかかっているってのに、子供たちを一日何時間も拘束してベンキョーを教え込む立場の教師が「キミガヨハンターイ!」とか「コッキ、ムシー!」とかやってるこんなバカレベルでは、大阪の将来ないぞ。

 

一応裁判所の見解を添付しておくと、

東京高裁は「法規によりあることを教えることとされている場合に、公教育に携わる公務員がその個人的な思想や良心に反するからといってそのことを教えないというわけにはいかないのである。このような意味での思想・良心の自由の制約は、公共の福祉にかなうものとしてやむを得ないものであって、公教育に携わる公務員として受忍せざるを得ず、このような受忍を強いられたからといって憲法19条に違反するとはいえない。」

 

ぼくと君が代国旗問題はどれくらい続いているのか、ふと考えてみた。1980年代からの付き合いだな。長いもんだ、こっちはこれだけ成長したのに君が代連中、何の進歩もしてねえ、てかあいつらはいつの間にか主義主張ではなく金儲けの道に走った社会主義者だ。

 

金儲け目的の社会主義者や社会主義を理解しようともせずに金儲けだけする連中を以前は「スフ入りの赤」って言ってたが今は何て呼ぶんだろうか。

 

労働運動や社会主義運動は戦前から非常に複雑な流れを辿ってきており、ほんっと一括りに語ることは出来ない。戦前からの労農運動、宮本率いる共産党、戦後の社会党誕生、共産党排除、原水禁と原水協の分裂、総評と同盟の駆け引き、そして労働争議としては戦後有名な九州の三井三池炭鉱ストがある。

 

三井三池炭鉱ストの時は経営者側に雇われたやくざが日本刀を持ち出してピケを張る組合員に切りかかり、組合員も腹に分厚い電話帳を巻いて棍棒で抵抗したものだ。

 

ところが人々が豊かになるにつれ労働運動も変化していった。つまり労働組合の要求する社会的地位の向上が次々と実現し始めたのだ。

 

時短と週休二日制の導入、毎年給料が昇給するベア制度、安定した仕事と明日に期待できる生活、日本が豊かになる中でいつの間にか労働組合も会社側も「一枚のパイ(ほんとは“ピザ”の方が分かりやすいのだが当時は庶民生活にピザは浸透しておらず英語の直訳したので“パイ”となった、今の時代にこの言葉が出てくるとすればピザの方が分かりやすいだろう)を食い合う立場」にいる事を認識して、労働争議ではなく話し合いでパイを拡大することでお互いの取り分が増えるではないか、だったら労働者代表と会社代表が話し合ってお互いに良い会社=良い労働条件になるように考えていこうとなった。

 

その結果として一部企業では労働者の代表=組合役員は、その統率力や経営側と早い時期から経営について学ぶ機会を得られて結果的に会社役員に引き立てら得るようになった、変な話であるが事実である。

 

民間企業ではすでに総評のような闘争部隊を必要とせず1980年代に総評は解散、それ以降労働組合活動は完全に会社と二人三脚の様子を見せるようになった。当時の総評幹部が事務所の鉢植えのアロエをナイフで削ってかじりふふと笑いながら「老兵は死なず、ただ去るのみですよ」と言ってたのを今でも思い出す。

 

ところが国家公務員とか教師とかで作られている組合は自分たちが首にならないことを知っているから社会が変化したのにいつまで経ってもトーソー闘争と吠えている。これは彼らの中に1970年代の「すでに終わった」革命闘士が入り込んで、労働組織を中国共産党に同化させようとか本気で考えているからだ。

 

つまり組織のトップは日本大嫌い、だって1970年代の闘争で負けたんだもん、一生ウランでやる〜ってなねじれた感じで日本政府を安定させて普通の大国にさせたくない中国と組んでいるのだが下っ端はそんなこと知りもしない能天気連中で、旗を振ってコッキを無視してキミガヨを歌わなければカネがもらえると聞いて喜んでる単細胞である。

 

ぼくは個人的に「君が代」と言う歌はダサいと思ってる。あれが国歌かよ、やる気なくすな〜もっと景気好い歌持ってこい、そんなんじゃ戦闘の真っ最中に歌えねえぞ“きーみーがーよーはー”とか歌ってる間に脳天に鉄砲玉撃ち込まれるぞって感じのトロイ音楽ではあるし国旗に至っては「梅干し弁当ですか??」と思ってはいる。

 

しかしそれでも国には一つの象徴として国旗が必要であり国歌が必要であり、今の旗や歌を新しくしましょうって議論ならいくらでも乗るが、少なくともこれしかない状態で国旗と国歌を無視する国家公務員は「おまえ、クビ!」って言われて当然だろうと個人的には思っている。

 

上2つの文節はぼくの個人的な意見でありどっかの安保単とまともに国旗君が代論争なんてやるつもりはないのであしからず、、人生は短い恋せよ乙女、無駄な事に時間は使いたくないのだ。

 

ただここからは個人的な意見でありながらいつでもどこでも喧嘩買いましょうって思ってるが、組織上部の連中が中国寄りに自分の身を売って売春やってるのだけは気に食わない。

 

日本国家が気に食わないなら国内で議論しろ、1980年代のように腹に電話帳巻いて喧嘩してみろ、戦い方はいくらでもあるだろうが、少なくとも他国にバカにされてつけ込まれるような国旗無視とか国歌無視とか、そんなことはやめろ。

 

第一お前らエラそうに「日本軍が侵略したどうのこうの」って言ってその代表が国旗や国歌みたいな事言ってるが、お前らの何人が戦争知っているのだ?歴史から何を学んだのだ?歴史は勝者が作るのは仕方がないとしても本当に何が起こったのかは自分なりにしっかり学んで理解すべきだろう。

 

当時の日本帝国陸軍軍人の生き残りは、戦後自分たちの信じていたものを失ってしまいしばらくの間沈黙状態だった。その隙をついて薄汚い連中が歴史をねつ造したのだ。

 

僕自身が戦時に南方の戦地に赴いて軽爆撃機の機関銃手として搭乗中に撃墜されて逃げ回ってた軍人を父親として持っているから、そしてその父親が戦争の話を数少なく語り共産党に入党し戦後に拳銃を持って共産党幹部のボディガードをしてその後は労務屋に乗り換えて組合つぶしをやっていた過去を見ているから、要するにいつの時代も自分個人の命を賭けて来たあふぉおを見ているから、今の時代に表面的にエラそうな事や生意気なガキ理論を並べる頭でっかちの労組連中だけは役人以上に頭に来るのだ。

 

お前ら、腹に電話帳巻いて戦争する気があるのか?国旗が気に食わないなら国会議事堂に突っ込むだけの迫力はあるのか??自分の信じることに命を賭ける気概も何もないくせに組織に守ってもらってる時だけぴーひゃらとエラそうに理屈並べやがって卑怯者め!


今すでに日本は戦争に負けた米国に寄りかかっているアメリカンスクールと、中国に思想洗脳されたチャイナスクールが日本を真の意味で独立させないように足の引っ張り合いをしている。それをだけで大変な騒ぎなのに、更にそれを日本人が推し進めて日本を弱体化させることに何の意味があるのか?労働運動とか組合活動とかエラそうなことばかり言って目先のカネだけの為に自分の国家を売るような真似はするな、ばかったれ組合めと言いたい。



tom_eastwind at 18:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月10日

21世紀型爆弾

県民はバカである。だからいつもうろたえたり間違った情報で振り回されたりする。その結果治安が乱れてしまうので情報は出来るだけ統制して県庁だけが知っていれば良いのだ。

 

★記事開始

放射性物質検出、静岡県が公表を制止 食品通販業者に

静岡県が、自主検査で国の基準を超える放射性物質が検出されたとホームページ(HP)で公表しようとした東京都内の食品通販業者に、公表を控えるよう求めていたことが分かった。

 有機野菜などの会員制宅配サービスを行う「らでぃっしゅぼーや」(東京都港区)。同社は自主検査で基準を超えたと6日に県に報告。この際、HPでの公表を県が控えるよう求めたという。同社は商品を購入した会員に、経緯と商品回収の意向を伝える手紙を郵送したという。

 県経済産業部は「消費者への連絡など最低限のことはやっている。HPで出すとかえって不安を広げかねない」と説明している。

★記事終了

 

こういう記事を読むたびに腹が立つ。一体政府は国民をどこまでバカにしているのか?民主主義国家において情報公開は基本である。何故なら「権力は腐敗する、長く権力の座にあれば確実に腐敗する」と言う英国の政治学者の言うとおり、権力は人間を迷わせて少しでも長くその力を保持しようと情報操作をするからだ。

 

だから政府は内部情報を出来るだけ公開して国民にも一緒に考えて貰って合意の上で物事を進めていく方が結果的に国民は政府を信頼するしそれが国民の為になるのだが、いつの時代もお上は「下々はバカじゃ、教えても分からん、民は依らしむべし教えるべからず」と信じ込んでて、てか情報公開をすることで自分の既得権益が崩壊するのを常に恐れいるから絶対に情報を公開しない。要するに目先の利益だけに走る怖がりチキンなのだ。

 

ふざけんな、国民がバカと言うならそのバカを作ったのはお前らの教育システムだろうが!と言いたい。バカを作っておいて「教えても分からん」と言うその自己矛盾に気づかないのか?政府による懐柔と恫喝の「飴鞭政策」でいつまでも国民がついてくると思ってるのか?

 

江戸時代から続く「民は依らしむべし、知らしむべからず」が今も続いている日本の政治と言うのは、まさに民主主義の正反対を走っている。情報操作をして国民を騙しながらミンシュギ!と繰り返して言う事で多くの日本人はこれが民主主義と思い込んでいる。選挙にいかない民主主義を作りお上からしても下々が政治に関心を持ってもらうと困る、ぼろが出るから「選挙に行こう!」なんて表面的に言っても実際には投票しずらい仕組みにしたり投票しても何も変わらないという空気を変えようとせずに「現状維持」に走る。

 

そして選挙で一応形だけ選ばれた政治家を表に立たせて選挙で選ばれたわけでもない官僚と言う「権利はあれど責任なし、国民に信任されずに国家を動かす」人々が政策を作り政治システムを何百年も運営してきたのだ。

 

しかしその情報操作は21世紀の革命と言えるインターネットですべての壁を破壊して国民に生の情報が直接届くようになった。

 

こうなれば政治家は今までの様に知らぬ存ぜぬでは通用しないし官僚は自分たちの作ってきた情報の壁が破壊されて今までの非行歴が表に出る。

 

つい最近もウィキリークスで沖縄基地問題が取り上げられて米国が日本政府の無為無策無政府状態に対して「あきれてものも言えない」とバカにした秘密公電が暴露されたばかりである。

 

お上の考えていることは立派とかすごいとか言える部分はある。彼らは決まった事を実行する時には素晴らしい能力を発揮する。しかし決まってない事を決める際や誰かがいずれ責任を取らないといけないような状況になった場合完ぺきに思考停止する。これは今までの歴史が物語っている。その結果として常に先送り最悪の選択が行われてしまい国民はその被害を数十年にわたって蒙り続けるのだ。

 

情報公開はどうしてもできないような項目があるのもよく分かる。ここから先はさすがに一般国民には言えないね、そういう判断もあるだろう。50年後にしか公表出来ない話もあるだろう。

 

しかし彼らあふぉどもが扱っている情報の殆どはその場で公表して国民と情報共有をする方がよっぽど正解が出る可能性が高くまた国民と共有することで役人も責任逃れが出来るという事を役人は理解しようとしない。てか、ほんとに怖がっているのだ、国民が情報を共有することの結果として自分たちの既得権益が失われることを。

 

しっかしまあ、そんなちっぽけな権益なんてどうーでもいいでしょ役人さん、あんたらだって家に帰れば家族があるんでしょ、子供と一緒にお風呂に入って「今日はこんなことがあったんだよ」って言う子供の頭をなでてるんでしょ、同じ人間じゃんか。

 

自分が運よく得られた役人と言う仕事にしがみついて人間らしさを捨てたり子供に言えない事をしたり、そんなのって誰に指摘されなくても一生心に残るよ。今回の「おい黙ってろ」だって役人の誰かが民間企業に脅しをかけたわけだ。

 

たぶんもうすぐすれば日本版ウィキリークスがだれかによって立ち上がるだろう。そこでは今まで政治家の陰に隠れていた官僚や役人の名前を実名で出して「こいつが厚生省で血友病の責任者だった、こいつの家族はここに住んでるぞ」とか「静岡県の名前で脅しをかけた奴はxx課のxx係長だ、自宅はここだ!」とか。

 

そうなってから役人が自分たちの判断を後悔しても間に合わない。自分がやった事、やらなかった事の責任はすべて自分にあるのだ、21世紀の革命、受けてみろ。



tom_eastwind at 11:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月09日

グリコもびっくり一粒で何度も美味しい増税案

★記事開始

菅首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」(議長・五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長)が6月末にまとめる第1次提言のうち、復興財源に関する骨格案が8日、明らかになった。

 
  10兆円を超えると見込まれる被災地の復興費用を賄うため、期間限定の国債「復興債」を発行したうえで、臨時増税によって償還財源を確保するよう政府に求めている。


 骨格案では、臨時増税の具体的な税目については政治判断に委ねるとして明示せず、消費税や法人税、所得税などの基幹税に加え、相続税や固定資産税など、課税対象として「幅広く、あらゆる税目を排除しない」との方針を示す。ただ、増税の時期や引き上げ幅にも踏み込まない方向だ。


 菅首相は被災地の復興に当たり、原状回復にとらわれない「創造的復興」を掲げており、復興費用の総額が正確に見込めないことから、増税により確保する歳入の総額の明記も見送る予定だ。

2011690303  読売新聞)

★記事終了

 

この記事はこう読む。

財務省は復興を理由に様々な増税がフリーハンドで出来るような仕組みを作った。国債=将来へのつけ回しから臨時増税まで「10兆円を超えると見込まれる」費用は「復興費用の総額が正確に見込めない」から、いつでもどこからでもいくらでも取れるように相続税や固定資産税まで何でも臨時増税出来る仕組みを先に作っておいて国民の個人資産に手を付けることにした。ちなみにこの臨時とは役人の都合によって何十年も延長することが出来るので実際には恒久税となる。

 

骨格案ではすでに納税済みの資産に対して更に課税を行いグリコもびっくり一粒で何度も美味しい思いをするのが狙いだ。現在住んでいる住宅があれば「震災です復興です」と言う理屈で追加徴税をする。誰かが死んだら「震災です復興です」と言って死んだ人のお金を巻き上げる。しかし政治家や既得権益を持っている人が増税になって困らないように税目については政治家と役人に任せる。

 

被災地復興に当たり原状回復だけだと取れる税金も限定されるので「復興」を建前旗頭にして税金を集められるようにしておいて、金が欲しければ「東北復興」の名目で「創造的」に穴の開いてないトンネル作ったり「独創的」に鹿しか走らない道路を作ったり、理由は何でもよい、要するに国民の個人資産に手を付けるための仕組みを作ることを「東日本大震災復興構想会議」なんて長ったらしい名前で誤魔化していく予定だ。なお増税の時期や上げ幅については役人が勝手に決められるように会議では決めないでおく(と財務省に言われました)。


 

助け合いは社会の基本であり富める者から貧しい者への所得の再配分を行うのが政府の仕事ではあるが、それはあくまでも国民の合意の上でなければならない。

 

ところが今回も姿の見えない役人がルールを作り「復興会議の合意で〜す」とほっかむりをして私有財産への課税強化に走っている。それにしても焼け太りとはまさにこの事で役人の頭のよさってか小利口ってか、その脳みそ、他に使う事はないのかと聞きたいくらいだ。

 

だいたい復興政策が決まってないのにカネの取り方だけ先に決めておくってのはどういう事なんだろう?それも役人が自分たちの利権と給料を守った上で国民から巻き上げるってんだから大した腹だわ。

 

だったら当面の被災者への生活援助は別枠にして即時支給、東北復興プランはこれから3か月くらいかけて民間からプレゼンテーション募集してそれを国民全体にインターネットとyoutubeで見せて、どれが良いかはネットで国民投票させればどうだろうか。

 

東北復興に財源が必要なのは当然だ。自然災害はいつどこで起こるか分からない。したがって国民全体で助け合う保険のような考え方が必要だ。だから国民としても東北復興のための資金なら嫌とは言うまい。ただし取り方がずるい。私有財産って言ってもそれはすでに課税された後のお金である。一回の収入に対して何回税金を取ろうって考えているのだろうか?

 

いずれにしても国民のお金を集めるのであればお金を出す人々の意見を聞いてもらう事も当然であろう。金だけ取っておいて使うのは俺たちの勝手と言うのではずいぶんおかしな話だ。



tom_eastwind at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月03日

離れですき焼き

★記事開始

政府は3日午前、東日本大震災の復興財源捻出に向けた国家公務員給与削減法案と、国家公務員に労働協約締結権を与えることを柱とした国家公務員制度改革関連法案を閣議決定した。

 

 政府・与党は今通常国会での両法案の成立を目指すが、野党の協力を得られるかどうかは不透明だ。

 

 今回の給与削減は、人事院の給与勧告に基づかない初めての措置となる。一般職の国家公務員を役職で3段階に分け、2013年度末までの俸給月額について、課・室長相当職員以上は10%減、本省課長補佐・係長相当職員は8%減、係員は5%減とする。また、ボーナスは、一律に10%減らす。政府は当初、一律10%減を目指したが、若年層に配慮した。これにより、人件費は全体で7・8%減となり、毎年2900億円を復興財源に充てることができる。

 

2011631210  読売新聞)

★記事終了

 

この記事はこう読む。

★日本最大の労働組合である官公労は管+仙谷が政権にいる間に長年の悲願である「労働協約締結権」を勝ち取るために2年間の給与引き下げと言う交換を提案した。2年間5%削減と言いながら物価下落に伴う国家公務員の実質賃金はここ数年「上昇」しており5%の2年等たいしたことはない、3年後に自発的に賃上げすれば良いのだ。それより「一生もの」の労働協約締結権の方が数百倍の価値があるのでこの取引による官公労の利益は計り知れない★

 

この記事には伏線があり、「ついでに人事院を廃止すれば?」と提案したらこれまたOKが出たようだ。戦後60年以上にわたって政府と人事院のくびきに縛られていた最大かつ強力な労働組合がこれで完全に解放されていく。

 

じゃあ組合が時限賃金引き下げをしてでも欲しかった労働協約締結権とは何か?これは昔から言われている言葉で簡単に言えば「スト権付与」である。つまり役所も民間労働組合と同じようにストライキ打ったり団体交渉する権利が出来るということだ。

 

ではこれで具体的に何が起こるか?非常にかいつまんで言えば

1・今まで違法に闇専従として市役所職員や学校教員でありながら仕事をせずに組合活動ばかりをしていた人々の活動が合法にできる。

2・入学式や卒業式での君が代日の丸集団ボイコットが可能になる。

3・36協定により残業拒否が出来て仕事を遅らせるサボタージュが可能になる(結果市民サービスが大幅に低下する、今もどうだかだが今以下になるって事)。

4・官僚決定事項に対して労組が発言権を持つ事が出来る(民間組合が経営者と話し合いをするようなもの)

5・組合員(組織率)の増加

そして彼らがストを打てば

1・戸籍謄本も転入届も失業保険申請も受け取りもこの期間はすべて不可能になる。

2・市役所がごみ回収をしている街ではストライキの期間中ごみが表に出っぱなしになって街がくさくなる(イタリアで昔よくあった)

 

他にもたくさんあるが、やはりとくに大きいのがやはり「4」である。日本政府と言えど実動部隊は自治労である。霞が関が何を決めても「いや、出来ません」と言われれば経営者である政府は困ったちゃんになるので仕方なしに国家レベルの決定事項に労働組合の意向を汲むようになる。

 

さて、ではその労働組合、特に仙谷さんの出身である自治労21世紀宣言を読むと

 

自治労21世紀宣言

1. わたしたちは、「自由・公正・連帯」の社会の創造にむけ、国内外の民主的な諸団体と連携して労働運動の前進を期す。

1. わたしたちは公共サービスを担うすべての労働者・労働組合を結集し、対等な労使関係を確立して組合員の生活と権利の向上をはかる。

1. わたしたちは市民と労使の協働で、有効で信頼される政府を確立し、市民の生活の質を保障する公共サービスを擁護・充実する。

1. わたしたちは、自治・分権改革の進展にたゆまず努め、参加と自己決定による自立した市民社会、生活と労働の調和する男女平等参画社会を実現する。

 

自治労の2番目の方針を見ると明確だが、対等な労使関係とは使用者である政府と対等の立場を確立する、つまり影の政府にでもなれると言ってるのだ。同時に「組合員」の生活と権利の向上をはかるのだが、これ簡単に言えばもっと休みを増やして給料を増やすことである、それも「組合員だけ」である。

 

これを見ても分かるように自治労の視野にはその間接的雇用者である市民が全くない。

 

株式会社に例えて言えば市民は最初にリスクを取って投資をしている資本家である。そうだろう、何せこの政府が役に立つか、役人が金を払った分だけ働くかも分からないうちから先行投資をしているのだ。

 

そのお金を預かって運用しているのが社長や役員にあたる日本政府である。そして自治労は会社に雇われた社員だ。

 

ところが今話されていることは雇われ社員が社長と同じ権限を持って株主配当前に利益を山分けしようぜってことである。自治労の綱領に株主である一般市民は存在しないのである。

 

今回閣議決定された「交渉権」はどこの新聞も小さくしか報道しておらず中には全く触れてない新聞もある。その新聞しかとってない人は今回の事件が起こったことさえ知らないだろう。どこの新聞もまるでたいした事がないように書いているが、この権利を勝ち取るためだけに昭和後期には「スト権スト」を打つほどの一大事であった。

 

社長と従業員は誰しもが知っているが株主には教えないままに、こそーっと自分たちの取り分を増やそうとしている。またも、国民が母屋でひもじい思いをしているときに組合と政治家が離れですき焼きである。



tom_eastwind at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月02日

名刺を持って自己紹介されるのを待つ

【茨城】 休日に業務外で救命行為をした消防指令を処分、退職 201162

茨城県石岡市消防本部は5月31日、休日に自分の業務ではない救急救命行為をしたとして、救急救命士で石岡消防署の男性消防司令(54)を停職6カ月の懲戒処分にした。消防司令は即日、辞表を提出し受理された。このほか、監督責任を問い、消防長ら上司5人を訓告処分にした。


同消防本部によると、消防司令は4月14日午後0時半ごろ、静岡県内の東名高速道路で自家用車を運転中、追突事故に遭遇。医師の指示を受けないまま、不当に所持していた同消防本部の医薬品を使い、けがをした運転手に静脈路を確保するための救命処置を行ったという。


本人からの申し出や、静岡の消防本部からの報告で発覚した。消防司令は「法律(救急救命士法)に触れることはわかっていたが、助けたい一心でやってしまった。(石岡市消防本部の医薬品は)東日本大震災の後、もしもの時のために持っていた」と話したという。

★記事終了


あれ?今日は4月1日だっけ?それにしても質の悪い嘘だなとか思いながら読み終わって今日が6月2日であることを思い出してエイプリルフールでもないのにこの冗談は何だろうと思った。


人間が目の前でけがをした人間を救う。当然の行為だろう。その時偶然助けた人が救命知識があれば使っただろうし止血帯としてネクタイを使い鉛筆で縛るくらいの事は、最近の医療ドラマを見ていれば出来る事である。医療品って、まさか包帯の事じゃないだろうな。


もちろんこの記事をそのまま真に受けるつもりはない。メディアが書いているのだ、実はもっと裏があると思っている。例えば今回の消防司令は実は大震災の時に上司を無視して現場で人助けをして、それが表面化すると消防全体の問題になる、まずい、その前に別件で懲戒、本人に退職届を出させて自主退職とすれば年金その他は貰える、けど新聞発表では別件で、ということだったり。


この記事が100%真実だとしても実は裏があるとしても両方に共通のメッセージがある。それは、「普通の人間が普通の感覚で人助けをするにもお上の決めたルールに従え」ってことだ。このメッセージは政府とメディアが提携して様々な場面で流して国民の頭に刷り込む。


「君が勤務中に救命行為をするのは当然、それは上司、ひいては国家の指示を受けているから何をやってもよい、個人の住宅をぶっ壊しても個人責任は問われない。なにせ国家の指示なのだ」


「しかし君が個人の資格で判断して行動を起こすことは一切認めないし許さないしましてやお上の作った(無意味な)法律に逆らうなんてあり得ない」


交通事故でどの程度の怪我をしたのかどのような救急具を使ったのかは分からないがそんなのはどうでも良い、要するに自分で判断することがダメなのだ。


これがメディアトリックであり、間違ったことでも何百回も記事で書かれているうちにだんだん「あ、そうか、目の前で人が死にかけても上司の命令がないと放置が正解なんだな」と読者の脳に刷り込みを行うのだ。


こういう記事を読んだ日本の青少年は普通に「あ、そうか、上司の指示がないと勝手にやっちゃいけないんだ、目の前で苦しんでいる人がいても放置するのが正しいのだ、だって法律にそう書いているんだもん」と言うメッセージを理解する。


その代わり一旦上司が命令すればその時は法律を無視してでも組織を守り他者を攻撃しそれが普通と思ってしまうようになる。まさに「ぽちの告白」だ。


「最近の若い奴はいつも指示待ちばかりでさ〜」なんてくそったれ中年上司がいくら何を言おうとも、そういう若者しか生き残れないように組織の中で作られてるのだから「指示待ち立派!」と褒めてあげなければ。


「よしよし、君は目の前で交通事故が起こり人が死にかけても何もせずに指示があるまで動かなかった、立派だわんわん」


まさに動物牧場の世界であるがこれは今の日本の現実である。日本の内部にいる限り見えてこないが、香港、韓国、中国、英国、米国、カナダ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどの国で仕事をしてきて彼らの人間性に触れてきたぼくは、日本がどれほど異質な国なのかよく分かる。


一体どこの国の人間であっても、目の前で苦しんでいる人を救おうとする気持ちを持たない人がいるか??たとえ中国でも現場では助け合いがあるのだ。いや、ルールのない中国だからこそ人の優しさと言う人類古代から続く助け合いの行為が行われるのだ。


こうなるともう、普通の人々から見たら「一体どんな人が自分の子供をこの国で育てて指示待ち若者にしてお上の奴隷にしたいのか意味不明」となる。しかし政府側から見たら意味明瞭、政府のいう事だけ聞く国民、政府のいう事だけ盲信する国民、こんな操りやすい国民はないよとなる。


ルール大好き指示待ち人間にこういうジョークがある。


ある時旦那が自宅に帰ったら奥さんが裸で他の男とベッドにいた。


米国人:怒り狂ってその場で銃で撃ち殺す

ドイツ人:冷静に「君らに法的措置を取らせてもらう」と言う。

フランス人:自分も服を脱いでベッドに飛び込む。

日本人:名刺を持って二人の行為が終わるのを待ち相手に自己紹介されるのを待つ。



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2011年05月09日

衣の盾はほころびにけり

★記事開始

大阪・西成区のあいりん地区で、東日本大震災後に宮城県で運転手として働く求人に応募した男性が、実際には福島第一原発でがれきの撤去作業をしていたことがわかりました。


 大阪労働局によりますと、3月17日ごろ、西成区の労働福祉センターが、業者から依頼を受け「宮城県でトラックの運転手募集」の求人情報を掲示し、採用された男性は東北地方に向かいました。


 しかし、雇用期間中にこの男性から「福島第一原発で防護服を身に着け、がれきの撤去作業をしている」と、労働福祉センターに連絡が入ったということです。


 男性はすでに雇用期間が終わり、大阪に戻ってきましたが、大阪労働局などは事実関係を確認して業者側から話を聞くことにしています。(0909:52

★記事終了


あいりん地区は昔から日雇い労働者の街で様々な人たちが吹き溜まりのような場所に集まり独特の派遣ビジネスを行っていた。そしてこの街で原発作業員が募集されているのも昔から有名な話である。


原発ジプシーと言う本を読んだことがある人はどれだけいるのだろうか?1970年代にはすでに孫請け労働者が原発の定期点検など被曝作業を携わっていたのは有名な話である。


今回もニュースで時々「協力会社の作業員が被曝」とか変なこと書きやがってと思ってた。そんなもん要するに東電社員が被曝したくないから手配師に金払って自分たちは知らんふりをして安い金で現場の作業をやらせてただけでしょ。


東電が下請け会社に手配するってったって、まともな社会人であれば原発作業はさすがに怖くて出来るものではない。しかしあいりん地区の人々は明日をも知れぬ生活をしており、「げんぱつか〜、しかたないかな〜」と作業に参加するのだ。


あいりん地区に集まった人々は日本社会の中で受け入れてくれる場所もなく家族もなく吹き溜まりに集まるようにやってきた。身元不明の人もたくさんいる。病気で死んでも情報が漏れることはない。


東電はそんなことは全部知っていた。けれどお公家の顔をする東電は「そのような事、知らぬぞえ、下々に任せるわ」と作業は全部下請け会社に回した。原発の定期点検は下請け会社にとってもうま味のある仕事である。さらに下請け会社でも原発の被曝可能性の一番高い「窯の中」には一切立ち入らず、そこだけは自分たちの手を汚さない為に手配師を使いあいりん地区やあちこちで日雇い労働者を集めた。


大阪労働局は「事実関係を業者側から確認する」と言ってるがこれは役人用労働用語であり普通の日本人の言語に直せばこうなる。


「一体どいつがちくったのか今回の犯人をすぐに見つけ出せ」

「次にそいつの口を金で塞いでそんな事言ってませんと言わせろ、でなきゃ一生消えてもらえ」

「それから手配師呼べ」

「お前今回の仕事どじったな、お前の兄貴分に言っておいた、次の失敗はないぞ、その時はお前が原発作業に出てもらう」

「さて今回の件は誰に責任取らせるかな、まずは東電にはあいりん地区の連中を数人正規採用してもらうかな。まあこれは皆が忘れたころに首にすればよいわ、ははは」
「それともしこれが広がるようなら、下請け会社の強制調査と総務部長クラスの逮捕と、手配師との窓口だった課長は自殺してもらうかな」

「これで東電にまでは被害は行かんだろうが、それにしても東電も下手を打ちやがってばかやろーが。今回はうちで丸く収めてやるから、次から厚労省の受け入れ枠を3人くらい増やせよ、ばかやろーが」


官庁はあいりん地区の原発派遣作業を分かっていても知らんふり。東電は自分たちの手が汚れなければよし。下請け会社は一番汚い部分は手配師に回して自分たちは逃げ切り。


けどこれは別に今回が初めてではないしこれからも続くだろう。こういう派遣労働に対する厚労省の立場は明確で、自分たちは法律をこねくり回して少しでも多くの利権を押さえる事であり東電も下請け業者もその為に存在するに過ぎない。


九州の筑豊では明治の昔から炭鉱ビジネスが盛んで、石炭の切り出し、川を利用して小倉の港に運び、更に石炭を積んだ小舟から大きな船に移す仕事があった。大変危険でありしょっちゅう死人も出てたが、これらの仕事は川筋男と呼ばれる乱暴者や過去のない連中、とにかくてっとり早く金儲けをしたい連中で賄われていた。


そしてこのような川筋男たちを束ねるのが手配師、つまり地元のやくざである。乱暴者を整列させておいっちにと働かせるのだ、炭鉱会社の青っ白い新入社員には到底勤まるわけはない。


この石炭会社で当時一番勢力があり今でも福岡をすべて支配しているのが麻生一族である。つまり日本の元首相の出身企業はやくざの大元締めでもあったのだ。


このような手配作業は戦後も山口組などが主な収入源としていたが、うまみのあるビジネスに目を付けた官僚やくざが派遣下請けビジネスの利権を取り上げて自分たちの天下り先にしたり資金源にしたりした。


まさに官僚やくざは一番強い。民間やくざを追い払うのにまず最初に法律を作って彼らを違法化させておいて「はいはい、あとは当社で発行した免許のない会社じゃないと派遣出来ませんよ、この意味、分かりますよね〜」とやる。


その官僚やくざは普段はきれいな顔をしているが今回はそのような「衣の盾がほころび」かかって原発現場の実態がちらっとのぞいてしまったのだ。


メディアも危なくて踏み込めない話であるが、今まで東電の原発の釜掃除が正社員によって行われていたなんて平和に思っていた「蝶よ花よ人」には現実を知るためのちょうど良い気つけ薬ではないだろうか。



tom_eastwind at 14:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月09日

日本人の諦観

 

良い意味でも悪い意味でも日本人は忘れやすい人種である。それは日本という土地や空気や水に関連するのだろうが、今回の地震も常に自然と共存する地元の多くの人にとっては「起こったことは仕方ないこと、前に進もう」と言う意識が出始めているのではないか。

 

このような前向きの姿勢が良い意味での忘れやすさであるとすれば、悪い意味での忘れやすさは原発であろう。毎日のマスコミ報道にも次第に慣れていき、「お、今日は放射線がこっちに降ってくるぞ、子供には傘を持たせなきゃ」と言うことになる。

 

ただ、同じ災害でも一発で終わってしまう自然災害である地震と、これから何年もつきあっていく必要のある放射線、その放射線が生み出す被曝した子供たちの将来における障害についてはどう考えているのだろうか?

 

Wrong time, Wrong place, 悪いときに悪い場所にいたもんだって英語があるが、人が自分の5分後の出来事を予測できないのだから、そこにその時間にいたって事がその人の責任であるってのは言えない。

 

ただ、そこにいればどうなるかってわかっていても「今、目の前に起こってないから」って理由だけで何の対応もしないってのはどういう事だろう。

 

そう考えていたらある人から「日本人の諦観」ってのを教えられた。

 

どうやらほとんどの日本人は一定の状況下になると蕭然とその状況を受け入れる要素があるって事だ。

 

そこでぼくは気づいた、あ、おれ、やっぱりかなり変わった日本人だわなって事を。子供のころからそうだったな、いつも人と違う事をしてそれを先生に指摘されても何が悪いか分からなかった。

 

おれの人生をどう生きるかはおれの決める事、先生はおれの人生の責任を取ってくれないわけだし他人についていってもレミングの集団自殺になるってわかっている時は絶対についていかない。

 

そういえば子供の頃からいつも危険と隣り合わせに生きて来たけど、いつも危険はぼくの両耳の横を物凄い勢いで通り過ぎて他の人を襲ってた。

 

1988年、バブルがはじける前に日本を飛び出した。あのまま日本にいたらどうなってただろう。

 

偶然ながら最初の滞在先で選んだクイーンズタウンでは、その頃は日本のハネムーンブームで大忙し、観光ビザで入国して2か月後には何の審査もなく永住権を取得した。今ならあり得ない話である。

 

1991年に奥さんの強い希望で香港に移住することになった時も、香港には誰も知り合いがいない状態でのまさに落下傘降下であったが当時の香港は返還前景気でハンセン指数はうなぎのぼり、街は盛り上がっており面白いほどに仕事が取れた。

 

香港に移住して1年後くらいかな、クイーンズタウンの知り合いに電話すると「日本からのハネムーナーが激減しだした」というのだ。バブルの崩壊である。

 

1996年にこれもまた奥さんの強い希望で香港を出る時も周りの連中からは「なんでこんな好景気の香港から離れるんですか?」「だって奥さんがそう言うんだもん」

 

オークランドも1996年当時はさびれた街で、土日となるとKロードからQuayストリートまでの約20ブロックをスケボーでノンストップで駆け下りられるくらい一台の車も走ってなかった。(あくまで比喩、“くらい”です、 実際には5分に1台くらいはクイーンストリートを横切ってました“笑”)

 

ところがその後ニュージーランド政府およびオークランドシティカウンシルの大幅な政策変更で街中にアパート建設が始まり、東南アジアから語学留学生を呼び寄せて一気に景気が上昇、不動産価格は急上昇して給料は毎年10%賃上げである。その後もオークランドは上がり下がりがあるものの、基本的に右肩上がりの上昇だ。

 

そんな中で会社を作って何とか運営して、ふと時間が出来た1998年に香港の昔の職場に電話すると、ぼくがいた時代のスタッフは半減されて仕事量は激減、利益は日本から出向した社長の生活費を賄うにも青息吐息であった。

 

毎回こうなんだよな、いつも滑り込みでセーフしているんだよね、振り返ってみてそう思う。虫の知らせと言う訳ではないだろうが、背後霊のおかげ(笑)でもないのだろうが、その場その場では苦労しているのだが、振り返ってみると常に正しい場所に正しい時にいることが出来た。

 

そんな人生なものだから、政府広報よりも自分の肌感覚を常に大事にして、「気の流れ」に常に注意を払っている。そして今の日本で感じるのが、まさにこの「気の流れ」である。

 

地震だけではない、戦後の日本が抱えてきたものが今まとめて噴き出し始めている。肌感覚で感じてたけど言葉にできなかった部分だが、偶然お客様から頂いた曽野綾子の本を読んで「あ、これか!」と気づいた。

 

それは「くれない病」である。日本人は常に「あの人はこうして“くれない”」とか「この人に言ったのにやって“くれない”」とか、さらに「次にその店に行くんだったら私を連れてって“くれない?”」から「あ、あの人に会うんだったらxxと言っといて“くれない?”」である。

 

同時に日本の戦後教育が作り上げた間違った平等だ。あの人がこうなのに何で私はダメなの?例えば被災地に100個のパンを届けると「うちは101人いるので不平等になります、受け取れません」となるのだ。

 

そんなもん、100個のパンを少しづつ分け合えばいいだけだろ、そんな機転も利かない戦後日本の間違った平等教育が今日本を支配している。

 

他人に無責任に甘えて間違った平等に乗っかって、その結果として出来上がるのは硬直化した、つまり1950年代のロシアや中国のような、皆が右を向いた時に一人だけ左を向いたらその場で殺される、そういう時代だ。

 

地震は一過性であるが教育と社会は毎日付き合っていく必要がある。戦後、中国とロシアが仕掛けた共産教育=日本を骨抜きにして自分たちの農場としようとした、その戦略が今成功している。

 

日本人の主体性を失わせる、その一点において日教組は成功して、その結果として日本人は恐ろしいほどバカになった。バカが子供を産むのだから家庭教育なんて出来るわけがない。結果的に子供は更に洗脳されたスーパーバカになる。

 

この地震復興を機会にいろんな連中が自分の仕掛けを用意している。その中には右翼も左翼も官僚も政治家もいる。この仕掛けに引っ掛るのは何も知らない国民である。

 

それでもたぶん、多くの日本人は諦観を持って「まあ、そんなもんかな」と諦めながら、明日も畑に出て、外国人に飯を食わせる仕事をするのだろう。

 

何だか知らないが、今香港にいるがここもどうも「むずむず」する。たぶんこれは昨日と今日の昼間シティを歩いてあまりの多くの大陸中国人を見たからだろう。出張の予定を切り上げて早くオークランドに戻ろうと思う。

 

 



tom_eastwind at 23:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月08日

香港の和食屋にて

【香港=槙野健、シンガポール=岡崎哲】福島第一原発事故で日本在住外国人の国外退避が相次ぐ中、香港が「有能な人材を呼び込もう」とビザ審査手続きを大幅緩和した。

 

 これに対し、シンガポールなど周辺国は「流出は一時的現象」と冷静。香港は国際金融センターを支える人材の流出に悩んでおり、震災がその危機感をあぶり出した形だ。

 

 香港政府による特別措置は3月17日から開始。通常4〜6週間かかるビザ審査期間を2日間に短縮し、3月末までに日本滞在者270人にビザを発給した。うち158人が就労ビザで、その約8割が月収10万香港ドル(約110万円)以上の投資会社幹部や証券アナリストなどの専門職という。

 

 入管当局幹部は2日の記者会見で「ビザ発給を迅速に行わなければ、他国に人材が流出する」と発言。国際金融センターとして競合関係にあるシンガポールへのライバル意識をむき出しにした。

 

 一方、シンガポール政府は、東京からの人材流出は一時的なものとみており、香港の対応は「過剰」と映っている。

 

2011472159  読売新聞)

 

今日の香港は晴れで25度くらいか。せっかく香港にいるのでチムシャツイの吉野家で牛丼を食べる。ぼくが香港で初めて吉野家の牛丼を食べたのは90年代半ばのアドミラルティ(金鐘)だった。

 

当時のオフィスからも歩いて10分程度なので頻繁に利用していたが、当時は香港人に対してどのように料理を提供すれば良いか分からず手さぐりしながらのオペレーションだった。

 

朝ごはんとして吉野家に来てもらう為に牛丼のごはんの代わりに即席めんを使ったりした。地元の日本人からすれば「吉野家ともあるものが何をするか!」だった。最初は生卵を出す時期(冬場)もあったがそのうち通年で生卵はやめになった。

 

地元の生卵の鮮度管理を考えればそうなるのだろう、「ぼくは死んでもいいから生卵を売ってくれ」と言っても「NO」と言われたのを覚えている。サルモネラたっぷりの生卵でも消化する自信はあったのだけどな(笑)。

 

そうして今、吉野家は香港のあちこちで「大家楽」や「家郷鶏」と同じ地元民の定食になっている。

 

狂牛病騒ぎで日本で吉野家で牛丼を食べられなかった時期、香港の吉野家で牛丼を食べるのがとっても楽しかったのを覚えている。

 

投宿先のシェラトンホテルにある日本食料理店「雲海」にお客と同行した。ここは寿司カウンター、鉄板焼き、テーブル席と3つの島に分かれている。鉄板焼きカウンターは地元香港人家族で大賑わい、テーブル席もカップルなどでほぼ満席であった。

 

ところが寿司カウンターの客はたった一人だけ。職人二人がヒマそうにしている。テーブル席について「ひらめの焼き物」を注文すると、最初は「はい!」って返事だったのが3分もせずに戻ってきて「すみません、ひらめは売り切れです」

 

ふ〜ん、じゃあタイは?イカは?何の焼き物ならあるの?答えは「タイの兜焼しかない」。

 

事ここに至って気づく。この店でも先週のシンガポールの日本食店と同じで、魚は築地から仕入れているのだ。そしてうちの店でも使っているからわかるが「タイの兜焼き」は冷凍ものが手に入るから、これが本日唯一提供出来る魚料理となる。

 

じゃあ寿司ネタは?と言うと、じつはかなりのものが中国産のカトキチ冷凍物が手に入るので何とかカウンターに並べる事が出来る。しかし普通に使う魚は築地ルートに固定されており、急に仕入れ先を変更するのが難しいのだろう。

 

そう思ってふと鉄板焼きカウンターを見ると、そこで焼かれているのは豪州産和牛、豪州産ロブスター、なるほどな〜。

 

これだけ日本贔屓の香港でもやはり日本の魚は避けられている。今日のニュースでは千葉産の魚が仲買業者に敬遠されて漁協が「うちの魚は安全だ!しっかりと説明してほしい!」と言ってた。

 

けれど安全と安心は違うのだ。あなた方が昔吉野家に対して異常なまでの反応を起こして吉野家を拒否した事実は変わらない。あなた方自身が「他人事」である吉野家のビジネスに対しては「会社が潰れても自己責任でしょ」と突き放した態度を取った。

 

それが今、北日本の漁協に対して世界が反応しているのだ。シンガポールのレストランも香港のレストランも、なんであえてやばい橋を渡って北日本産の魚を買うか?

 

日本人は「他人事」の時は実にエラそうに理屈ばかり並べてどうのこうのと言う。ところがそれがいざ「自分の事」になると過剰反応を起こして安全でもない魚でも「食ってくれ」と言うのだ。

 

安全でないという書き方が風評と批判されるかもしれないが、ぼくからしたら安全と説明する科学的根拠である数字をしょっちゅういじって嘘ばかりつく政府のいう事など一切信用出来ない。それは水俣病の時でも十分に示された。

 

魚が安全か?ふつうに健全な疑問と高校生程度の知識があれば安全と言えないことなど誰でも分かる。

 

政府としては「風評被害を取り締まる」とか言ってるが、風評ではない場合はどうするのだ。

 

この際ぼくは政府の人々に提案したい。それは東京の官公庁で働くすべての人々が政府の予算で魚を全量買い上げして、官公庁の職員及びその家族、生まれたばかりの子供を含めて毎日三食北日本産の魚を食べて10年にわたって安全性を証明してもらいたいって事だ。



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2011年04月07日

香港出張

急な出張で昨日のキャセイ航空108便で香港入りする。シンガポールに比べて少しおとなしい感じだが景気の戻りを感じる。

 

香港ではまだまだ日本の存在感があり、ホテルではNHKが見られて部屋に届けられる新聞は日経だ。

 

日経のトップニュースは世界的な金利上昇だ。リーマンショックで世界各国がお金を刷りまくってそのお金がいよいよ経済にバブル的過熱を与えている。

 

そんなニュースの中でも日本だけは地震と原発で経済の不透明さが表れており、その上各国が金利を上げているものの日本では金利上昇が出来ずに世界各国との金利差が発生、これが円売りにつながっている。

 

長期的に見ると外資が日本から流出する方向性だ。その理由は二つあり、一つ目は原発事故における日本政府のあまりに不透明な対応で、「日本人は、まったく意味が分からん」と言うことと、二つ目は今後予想される東京直下型地震である。

 

外資からすればオフィスをどこに置くかは政治の安定性、経済の透明性、法治国家である事、そしてオフィスのある地域の物理的安定性である。

 

政治が不安定であり経済は官僚に統制されて見えない障壁がたくさんあり法治国家と言いながら後出しじゃんけんのように法律の解釈を変更する。

 

そのうえ今回の原発対応で日本政府の外国政府に対する情報提供の不透明さ、自国民にひたすら事実を隔して情報統制を行い、今までは原発は安全だと言ってていざ事故が起きると今度は「安全だ、気にするな、大したことはない」と言いだした。

 

これで原発が爆発しても「大丈夫だ、大したことはない、気にせずに仕事を続けてくれ」とでも言うのだろうか。これではどうやって自社の社員を守って行けるのかとなる。

 

「やってられんな全く、日本は経済がでかいから支店置いたけど、これで次に地震が来るとなったらわざわざ東京に置く必要もないだろう」と言う話になる。

 

これだけインターネットが普及して航空機の長距離化高速化が進めば、あえて東京にオフィスが必要なのかと言う事になる。

 

こんな事を書くと必ず出てくるのが「そんなガイジン、出てけ!」であるが、今の日本の経済は世界とリンクしていなければやっていけない。感情論で突っ走っても意味はないのだ。

 

地震は少なくともどこでも起きる可能性がある。これは当然だ。しかし問題はその対応なのである。地震が起こった時に社員を守るためにどうすれば良いか?今回明確になったのは、日本政府は国民を守るよりも国家を守ることを優先する姿勢を明確にした事だ。

 

NHKのニュースを見てたらどこかの大学の教授が「世の中にはいろんな危険があるものですよ、少しくらい我慢することも必要ですよ」と言ってた。そうかそうか、我慢しろってか。けど我慢する必要のない人間にとっては出ていくという選択肢もあるのだ。 



tom_eastwind at 02:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月05日

Liar's Poker  (嘘つきポーカー)

米国からもすでに何度も指摘されているのが「日本は危機感あるのか?」だが、ありますよ、ちゃんとある、どのように国家の仕組みを守ろうかと毎日危機感を持って対応している。

ただ対応策を考える時に常に「民間人の存在は無視している」ってだけで、それが米国からしたら「危機感あるのか?」って話になるだけだ。

 

何故なら米国からすれば民間人の命を守ることが何より優先するのに日本では民間人の命よりも政府の維持を最優先するから、彼ら単純な米国人からすれば「おいおい、国家は国民を守るために存在するんだろ!その国民の危機なのに何だこの対応は!」ってことになる。

 

確かに英国系の人々には非常に理解出来ない考えである。彼らは1600年代の権利の請願から始まり常に権力と戦いながら自分たちの権利を守ってきた。国民の権利や自由と財産は国民に相続されていると学んでいるからこそこの権利を守るために常に注意深く政府の行動を監視する。

 

国家は国民の集合体であり国民の間の調整機関であると考えている。権利は自分たちで勝ち取る事を理解しているし、それは国民の個人力を強くしている。常に堂々として周りがどんな格好をしてても気にしない、自由闊達な雰囲気を作る。

 

このあたりが日本人のいつも誰かに頼っているようなきょどきょどと踊った目つきや外出時に着るものさえも周りの視線を気にして彼らと同じような服を選ぶ文化と異なったものとなる。

 

日本では豊臣秀吉の時代あたりから牙を抜かれた百姓が領土の領民となり徳川に引き継がれて3百年の平和を貪った。その結果「こんな官僚独裁も悪くないじゃん、何かあれば大岡越前や水戸黄門に泣き付けばいいんでしょ」と言う文化になった。

 

自分で何も考えなくて良い、選挙に行かなくて良い、難しいことはお上がちゃんとやってくださる、時々お上が怒ることがあるが、そんな時は逆らわずにじっと下を向いてれば明日はまた晴れだ。

 

統治と言う意味では統治する側に置いては実に便利である。釣り師に釣られて死ぬるまで漁場に戻る習性を付けられた魚のようなものだ。

 

だから災害が起こっても一致団結、ではなく元々が自己判断をせずに常に集団で行動をすることを習性とする為に「いつも一緒=烏合の衆」になってしまうのだ。

 

日本政府が一番恐れるのはこの習慣が裏目に出てしまい、政府に向かって一致団結して攻撃を始めた場合である。こうなるともともと理屈なんてないから徹底的に政府を攻撃にかかる、自分の命を捨ててでも今自分が所属する組織の為に「カミカゼ」となって自殺攻撃をすることさえ厭わなくなるのだ。

 

だから日本政府が一番恐れるのは民衆のパニックによる無政府状態であり数千院が将来ガンで死亡する率が高まろうがどうでもよい、大事なのは、今全体のバランスを取って国民を政府に刃向わせない事なのだ。

 

放射能に関する記事は日本の記事を読んでいるだけで山ほどのミスリードやポイントを外した説明を見ることが出来る。ちょっと自分の頭で検証すれば分かるのだが、それをしようとしない。

 

何故ならお上が「大丈夫、直ちに健康被害は出ないから」と言ってるし周りが誰も動いてないからだ。

 

これが日本の国民性でありどれだけ経っても英国系の人々に理解出来ない理由である。片方は個を守るために武器を取って国王と戦って権利を勝ち取った。片方は政府を守るために普段はこえ担ぎと年貢納めをして武器の代わりにクワと鋤で田を耕してきた。

 

あるお客様から送られてきたメールによると大前研一の原発批評が政府にとって大きな問題になっており、何とかそれが一般国民に気付かれる前に消してしまおうと躍起である。

 

インターネット以前であれば情報統制は可能であったがネット社会ではすでに不可能な話である。問題は、日本人の多くは今だネットは騙しと思ってる人が多い事だろう。

 

どっちが騙されているかに気付いた方が勝ち、まるでLiar’sPoker(嘘つきポーカー)の様相になってきた。

嘘つきポーカーにおいては騙された方がかもられるがカモられてる最中はそれに気づかない。ゲームの最後にせーのどん!で全員が手札を見せて初めて「おれ、かもられてたんだ・・・」と分る仕組みだ。



tom_eastwind at 15:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月03日

魚が出て来た日

1968年のSF映画の題名だ。原爆と放射線物質を積んだ爆撃機が地中海の小島で墜落、二人のパイロットは墜落寸前に2発の原爆と放射線物質を落下傘で落とすが原爆は海中へ、放射線物質は小島に落ちる。物語はそこから始まる。

 

地中海の小島に落ちた原爆と放射線物質を秘密裏に探す政府部隊と彼らがばら撒く「島ごと売ってくれ、観光地にするから」と言う言葉に踊らされる島の人々。最後まで事実は知らされずに衝撃的な結末で終わり、当時の人々の原子力開発に対する理解や姿勢が良く分かる。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=8525
 

「鹿島灘の魚は安全です!」茨城県の漁協が4月2日に安全宣言を出した。茨城の野菜は、安全なものもありますからぜひとも買ってくださいと農協が訴えている。

 

放射線には人間が勝手に決めた県境も漁協の権利も関係ない事だ。つまり3月11日から「非常に強い放射線」が原発から茨城の土地や海中に流れ出しており、放射線の放出を完全に止めることが出来るのは数か月後と言う細野首相補佐官の発表があったので、それまで放射線は福島の海を中心に周囲にずっと流れ出していくという事になる。

 

「ただちに健康に被害が出る量ではない」なら、一か月の間ずっと身体に放射線を浴びても放射線を浴びた野菜を食べて放射線をのみ込んだ魚を食べても安全なのか?

 

水銀に汚染された水俣でイタイイタイ病に罹って多くの方が亡くなった時も政府は経済開発を優先させて水銀汚染の事実を一年間公表せず更に多くの人災被害者を出した。

 

ぼくは北日本の地理に詳しくないので福島のすぐ南にあるのが茨城県だとはあまり認識しておらず、今回の事故で初めて「こんなに近いんだ」と思った。これだけ近ければ被害が出ないってのは言えないだろう。すでに茨城の魚や野菜の購入を制限する動きが出ている。

 

政府は危機対応については全くのバカだが正確な放射線の流出量を把握して今後数か月にわたって海中に流れ出した場合の被害想定と言う高度だけど単純な作業はお得意である。すでに政府は実際の放射線流出量を把握しているだろうしそれがどの程度の被害になるかも理解している。

 

しかしもし政府が民間に対して正確な情報提供をしていないとしたら?情報統制されているとしたら?「情報操作などは絶対にありません」と水俣イタイイタイ病事件の時も農林水産省、経産省の役人は口を揃えて「水俣の病気とチッソ工場が海に流す水銀には何の関係もありません」と言い続けたのだ、経済優先と言うお国の御旗のために。

 

そのような体質を持つ国家が敗戦前夜の満州で一般人を見殺しにして水俣で人々を病死させた国家が、「今回は本当です、正確な情報を提供しています」と言ってどれだけ信じられるか?

 

今回の政府の錦の御旗は「パニックを起こされて経済活動が低下しない為に」である。東京の経済活動が崩壊した場合の被害想定は出来ている、パニックさえ起こらなければどうやら東京なら大丈夫だ、いや、この大丈夫って意味は、これからの放射線被曝による死者が長い時間をかけて出てくるだろうが、それが数千人であろうが東京全体の経済からすれば大したことはないって意味だ、本気でそう考えるのが政府である。

 

数年前に狂牛病が日本を襲った。それは多くの人が今でも覚えているだろう。あの時吉野家の安部修二社長は「安全と安心の違い」について出来るだけ多くの人に分かってもらおうと自分の意見を展開した。

 

その頃の日経ビジネスでも特集を組んで、安全は基準で図る事が出来てそれをクリアーすることは出来る、しかし安心は基準がなく一度パニックになると合理的な理由もないのに不買運動が起こる、これにはとにかく情報公開と同時に啓発が必要であると。

 

他社はすぐに豪州産の牛肉などに切り替えたが味にこだわった吉野家は米国産の牛肉がなければ牛丼は出さずと言う徹底した姿勢だった。それでも人々は吉野家の牛丼を食べずに吉野家は大きく業績を落としてしまった。

 

その時どれだけ多くの人々が米国産の牛肉を批判しただろう。プリオン体とプリン体の違いも分からないレベルの人間が「まあ、米国産の牛肉って怖いわ、今日はお魚にしましょ」となった。

 

その時米国政府は「牛肉は安全だから食ってくれ!」と州知事がビーフステーキを食べるパフォーマンスをしたにもかかわらず「安全だけど安心ではない」からと全然米国産の牛肉を買わなくなった。

 

今回の事態はまさにその正反対である。政府は何の根拠も示さずに安心しろと言ってるのだ。悪いが僕は今までの日本政府のやってきた事を自分で見聞きしているので今回の安心話も与太話としか取れない。

 

シンガポールの老舗寿司屋に行った時のこと、店主は「良い魚入ってるんですよ、食ってくださいよ」と勧められる。地震以降地元客が刺身を食べなくなっている。東北産かどうかに関係なく、築地から来る魚と言うだけで拒否反応を起こしているそうだ。

 

築地から送られてきた魚が東北産でないのは、東北で漁業が再開されていないってのだけで分かる事だが、これはもう安全と言う感覚でなく、なんで今あえて日本産の魚を食べないといかんのかと言う地元の人々の正直な感覚であろう。

 

その発想でいけば日本産の食物は当分食べないってことになるのは自然の理屈だろう。外国人卸売業者からすれば嫌がってる人の口に「茨城の野菜は安全だ!」と言っても誰も食べない事を知っているから仕入れをすることは当分あり得ない。

 

結局人は安全と安心の関連性を冷静に判断することはない。日頃からそういう事を考える訓練をしていないから、いざとなった時に思考停止してしまい、政府のいう事をそのまま信じて安全だけど安心できない吉野家の牛丼は食べずに、安心だけど安全ではない茨城の食物を買う事になるのだろう。



tom_eastwind at 18:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月01日

逃げろ!

月曜日の真夜中過ぎのフライトでシンガポールへ。火曜日の早朝シンガポールチャンギ空港到着後にランチミーティングを行う。仕事は超忙しいのだが、ちょっとでも時間が空くとぼけーっとしている。どうも自分の体が東北の震災時のどこかの場所と同期しているようだ。

 

早く逃げろ!そう言ってるのだが次の瞬間には自分が波に飲み込まれている感じ。寝ててもふっと見える夢があまり夢ではなく既視現象のような、今まで一度も行ったことがない場所に自分の体があって、古い木製の細い階段を上がったり下がったりしながら次々と違う場面にぶつかる。

 

シンガポールは32度、人々は優しくてちょっとしつこいくらい話しかけてくるが、総じて賑やかだ。景気の良さを感じる。こんなちっちゃな島を一つの独立国家として創り上げて今の繁栄をもたらしたのは一重にリークワンユーの努力が原因である。

 

貧しい人を国家組織として守る一方、成長しようとする国民には手を差し伸べて誰でもどんどん上に行ける仕組み。その結果として埃の舞う建設中の道路の端っこで汗をかきながら働く外国人労働者とその横を走る高級車に乗る地元シンガポーリアンがいる。

 

ドバイと似たような構図だな、そんな事を思いながらシンガポール金融庁ビルに入居している弁護士事務所を訪問する。

 

今回のシンガポール出張の目的は日本とニュージーランドを繋げる中継地点としての基地設立である。

 

こちらの考えているビジネスモデルを説明すると、「へー、これって日本では一般的なのか?」と聞かれた。東京でもニュージーランドでも同じ質問をされたが、誰もまだやった事のない全く新しいアイデアである事を説明する。

 

「へー、こんな事、出来るんだ〜、全部を見てしまうと“え!”と思うけど、一個一個をばらしてみるとごく普通の事なんだよな」最後にはそう納得してくれるのだが、洋の東西を問わず弁護士は頭が固い。

 

飛行機では飯も食わずにひたすら寝て、アポを全部終わらせた後はシンガポールの燦々と降り注ぐ太陽とショッピングモールを全く無視してカーテンを全部閉め切って寝た。

 

髪を振り乱した生首が正面から飛んでくる。自分の頭の左側にぶつかって、思わずベッドの中でのけぞる。右手の上の方には欄干にぶら下がった和服の女性の死体が見える。

 

昔からこんな場面に遭遇しているからもう慣れた。無理に体を動かさずにその場の流れに乗せていくとそのうちに古い田舎の家の薄暗い廊下にたどり着く。廊下の突き当たりの左側に障子のようなところがあり、そこを潜り抜けると次にまた長い廊下があり、階段を上がったり下がったりする。

 

そんな事をしているうちにどーん!ってすごい音がして体が舞い上がるのを感じる。本当にベッドから持ち上がって宙に舞っている感じ。

 

そこで目が覚めて体中が汗びっしょりで重くなっているのに気が付く。シャワーを浴びてもまだ生汗が出る。時計を見ると午後5時。前日の夕食から計算すると約24時間何も食べてない事に気づき、ホテルのバーでサンドイッチとジントニックの夕食を取る。

 

月曜日以降、原発はまるで何もなかったかのように静まり返って、しんしんと放射能を東北日本に降らせている。

 

サルコジが日本を訪問してネタ探ししている。プーチンは日本人に「サハリンで仕事提供しますよ」だって。お人よしの米国は自国の軍艦出して原子炉に真水注ごうとしてくれてる。こういう時は歴史的に性質の悪い欧州よりも単純なお人よしの米国人に親近感を覚える。

 

行きつけのバーで震災の話になる。そこで働いている彼女は埼玉出身のワーホリだが親戚の多くは東北にいるので毎晩電話で喧嘩になるという。

 

「あんたは外国に行った人だからエラそうなこと言うけど、こっちではみんな一致団結してるんよ、外国に行くなんて考えもしないわよ」そういう母親の上にも放射線は降り続けている。

 

日本人は土地と共に死ぬことを潔良いと思うのか?少なくともぼくは逃げる。空から降ってくる放射線は竹槍や団結では止めようがないのだ。おれって日本人の皮をかぶった外国人か?自分でだんだん疑問が湧いてくる。

 

けど、ぼくが何人と呼ばれようが、自分が変わることはない。生きて生きて生き抜く、どんな状況でも最後まで戦う。いつの時代もそうやって生きてきた。それをもって潔くないと言われるなら、日本人らしくないと言われるなら日本人の名前を返上しても結構。

 

ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道は出来る。人は一生懸命に生きてこそ人であり、どうしようもない時におたおたすることはないけど、そこに可能性がある限り精一杯努力をして生きたいと思う。

 

シンガポールでの仕事も金曜日に終了、これからSQ285便、20時45分発のフライトでオークランドに戻る。

 

シンガポール滞在中に突然の案件が飛び込んできた。この件、実現するようであれば4月上旬には北京に出張になりそうだ。世界は動いている。焼け跡からでも立ち上がって、戦って前に進んでいくしかない。ぼくの前には焼け野原しかなくても、そこを歩けばいつか道が出来る、そしてそこを人が歩くようになる。

 

僕の前に道はない、僕の後に道は出来る。たとえそれが逃げることでも。



tom_eastwind at 21:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月28日

渚にて

AKB48が沖縄映画祭でライブを開催して寄付金を集めている。浜ちゃんも飛び込み出演で寄付金が増えたそうだ。

 

沖縄ばっかりじゃなくて少しづつ北上して鹿児島、宮崎、福岡あたりでもガンガンやってもらいたいものだ。

 

そして同時に「不謹慎派」がこのようなチャリティをどう思うか、是非とも聞いてみたいものだ。

 

「渚にて」はネヴィルシュートによって書かれた、おそらく世界で初めて世界レベルの原発被害について書かれたSF小説だ。

 

http://homepage1.nifty.com/Woodnote/books/science%20fiction/on_the_beach.htm

 

普通はamazonの紹介を入れるのだけど、「渚にて」を検索して偶然このサイトを見つけてその出来のよさに、ああこれならamazonよりもっと良い書評だなと思ったので乗せる。紹介については作者の許可は取っていないので何かあれば僕の責任である。

 

1960年代、北半球の冷戦で原発攻撃が始まった。そして北半球のすべての大都市は崩壊した。その放射能は北半球を覆い大気を駆け巡り北半球のすべての人類は死滅した。

 

この小説はそこから始まる。奇跡的に生き残った米軍原子力潜水艦がオーストラリアのメルボルンに行き普通に生活しているオージーたちと会う、そこからオーストラリア北部など各地を回るのだが、今年は気流が北半球だけでも来年になれば南半球に流れてくる。

 

そうすれば今ここで植えている作物を収穫する間もなくオーストラリアの人々も死んでしまう。自分で何かをしたわけではないのに、他国のやった事なのに自分の国が脅かされて最後にはオーストラリア国民全部が死滅してしまう。

 

ぼくがこの本を読んだのは15歳のころだったと覚えている。最初は物凄くショックだった。一生懸命毎日を生きようとしている人に上にも降り注ぐ放射能。地球上どこにも逃げようがないという現実。

 

そのような状況の中でもオーストラリアの人々はおとなしく運命を受け入れて「明日はこの花、咲くよね」と種を植えて、その花が咲く前に体中から血を流して死んだ。生まれたばかりの子供もちっちゃなベッドの中で真っ青な顔で息絶えている。

 

通常兵器の殺し合いでも家族が虐殺されることはある。交通事故で人が死ぬこともある。日本政府の使えない人減らし策略で山手線に自分から身を投じる人がいる。

 

けれど、原発だけはそのような限定的武器と決定的に違うのだ。自分が制御出来る武器で戦うのは分かる。しかし原発は制御不能だ。地球を破壊するのだ。

 

「戦争の目的は政治的目的を達成するための一つの手段である」とはクラウゼウィッツの言葉であるが、相手の土地を破壊して更に自分の領土を破壊して政治的目的を達成することが出来ない原爆や水爆は、すでに戦争の手段としては使えないのだ。

 

だから小型核兵器と言うものを米軍が開発して限定的な被害に留まるようにしている。

 

しかし民生用の原子力発電については限定的な効果と言う発想がないからどこまでも電気利用と言う発想で広がっていく。そこでプルサーマル、核再利用、廃棄物処理って事で六ヶ所村になるのだ。

 

再度書いておくが六ヶ所村しか世界の電力を守る方法がないしそれで日本国民が納得しているのならぼくは何も言う事はない。制御よろしくっていうしかない。

 

原始時代の人間は火を制御する時に何度も痛い目に遭ったと思う。密林の中で火を残したまま寝込んでしまい山火事になり死んだ人々もいるだろう。

 

けど、それでも山火事であり限定的である。地球全体を吹っ飛ばすという事ではなかった。

 

しかし今の原発、とくに六ヶ所村は確実に地球全体を吹っ飛ばす可能性がある。「何を言うか、今回はこれだけ漏れただけだし誰も死んではいないではないか」

 

そりゃその通り、今はね。問題は、では原発が本当に爆発した場合に地球に及ぼす最悪のケースはどうなのだという事だ。

 

今回は30km以内の人は「ただちに健康被害はない」と言いながら自主退避を求める。次は80kmだろう。「大丈夫だけど食糧とかの配達が大変なので避難して欲しい」

 

そうこう言ってる間に霞が関の連中は次々と政治機能を名古屋、大阪、福岡方面に移す。最上層部の人間だけは「日本全体の為に自分が生き残らねばいけない」と言う理屈で東京から今も避難しているのだ。

 

これは第二次世界大戦末期の関東軍の活動と全く同じである。

 

1945年8月に攻め込んできたロシア軍に対して、無敵関東軍は一般市民に最初は「心配するな大丈夫だ、何もないから」と言いその場から疎開させなかった。その間にせっせと自分の家族や財産は朝鮮向けの列車に乗せて安全地帯に運んで行った。

 

ロシア軍の大砲の音が近づくと「まだ大丈夫だ、あいつらは脅かしているけど、おれら無敵関東軍がすぐに追い払ってやるよ、ははは!」と豪語して民衆に留まるように指示した。そして自分たちが軍隊の糧秣庫からくすねた食糧を列車に乗せて朝鮮に送った。

 

ただそれでも兵隊の数が不足するので、補充兵として民間人を集めて一度も銃を持ったこともないような15歳の子供まで兵士の頭数に揃えようとした、その時も「大丈夫大丈夫、俺たちが守るから」と言った。彼らに渡したのは古い銃と10数発の弾丸、そして2発の手りゅう弾。

 

運命の日、ロシア軍が怒涛のように北満国境になだれ込んできた。その時関東軍は最後の食糧と武器と自分たちを列車に乗せて真っ先に朝鮮に向けて逃げたのだ。

 

残された民間人は何の情報もないまま右往左往して、ここで戦後知られるようになった残留孤児問題が発生した。これはすべてにおいて政府及び軍部の責任である。これ以上はあまりに酷い歴史的事実でありぼくが語るよりも戦後引揚者の人々の話を聞いてもらえばと思う。

 

今回の原発問題も範囲は東北及び関東に広がっているが、すでに京都や名古屋に「一時避難」した政府関係者がいるだろう。

 

ぼくは世界が一定の進歩をする為に原子力技術を生かすってのもありだと思ってる。その意味で感情的な反対派ではない。制御された空間で限定的に運用して、何かがあっても許容範囲内の被害であれば許せると思う。

 

ただ、今すべきことは政府関係者全員を福島原発の前に1時間づつ並ばせた上で今後の原子力政策を語ってもらう事だと思ってる。



tom_eastwind at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月27日

原子力の技術は全然確立していなかった

経済合理性があるかないかってのは足し算引き算であるが、決定する際には最終的にはその地域の価値観の問題である。もしかしてある国では太陽は神様と扱われており、太陽エネルギーが採取出来ることが分かっていても神のものを奪うことなど出来ない、なんて議論が成立して原子力を採用するかもしれないからだ。

 

原子力の受け入れをするかってのはいずれにしてもその地域漁民が魚が食えなくなっても補償金で食えるから良いとか農民が野菜売れなくても補償金で食えるから良いとか、そうやって自分たちで決定することである。ただ原発が事故を起こした場合、その恩恵を蒙らない地域にまで放射線が飛び散るってことは今回明確になった。

 

つまり今までは東電と地元漁民と役所が利害関係者だったのがここに来て東電から電気をもらってないし補償費をもらってない地域の人々が補償費を貰っている地域の人々と同じ危険に曝されている事が発覚したのだ。

 

なので知っている人も多いだろうが現在東電及び政府発表の殆どの「安全性」が嘘であるという、危険性の部分だけを取り出してみる。

 

これは放射能が東日本を飛散しているが目に見えないし今すぐ何かが起こるわけではないので「そんな事ないじゃん」とか「煽るなよ」と言う人向けに知っておいてほしい情報だ。

 

三号炉で使っている燃料がMOXと言うプルトニウムを含んだ物質であり、これはウランよりも強力であり、もっと分かりやすく言えば原爆の原料であるのはよく知られた事実である。

 

プルトニウムの場合は金属もコンクリートも貫通して、屋内に退避している人も屋外に退避している人も同様に被曝する。だから屋内退避に意味はない。その意味で30km圏内の自主退避を求めるって話になったのは当然だろう。

 

ここから先は原発反対派の講演会で発表された、元GE技術者菊地洋一さんの2003年の公演である。合理性とは別に原発現場の危険性と言う視点から考えてみてほしい。本文が非常に長いのでかなり編集、抜粋する。ご興味のある方は下記が全文掲載。

 

http://www.stop-hamaoka.com/kikuchi/kikuchi2.html

 

原子力の技術は全然確立していなかった

 

私が原子力の世界に足を踏み入れたのは平和利用という言葉にだまされて、ちょうど第1次オイルショックの頃ですね。どういう縁か広島出身の先輩で僕に仕事をたたき込んでくれた6歳ほど先輩がいるのですけれども、その人が10年ぶりに尋ねてきて、 原子力の平和利用にどうしても力を貸してくれということで、無理やりGEに引っ張って入社させられたんですね。

 

ですから、エネルギーもない国なんだから、とにかく中東のその湾岸諸国の横暴に日本が振り回されてはいかんということで、原子力でやっていかなければいかんということで、あまり原子力のことを深く考えないで、その先輩の言葉を信じて入社したわけです。

 

 実際に働いてみますと、原子力の技術というのは全然確立していなかった。とにかくハチャメチャなんですね、原発を造っていく工事の段階で。工事のミスが出るということは人間のやっていることですから、よく起こることですけれども、問題なのは設計そのものも十分検討されていない、いいかげんな感じで工事が進められていました。

 

ですから建設中にしょっちゅう変更がある、そのことにもびっくりしましたけれども、送られてくる図面があちこちぶつかっていたり、そういうことにもびっくりしました。自分でチェックしてみて余りにもぶつかっているので、びっくりしましたけれども、とにかく確立された技術じゃないということです。

 

それは何故かというと溶接技術だとか、金属のことを扱う学問として冶金工学といういい方をしていますけれども、そういう冶金工学上の現代技術の限界というものもあるんですね。そういうものを隠したまま、もう技術は大丈夫だというような事をいいながら原発を造っております。

 

 それはいくら安全だといっても、運転してみればわかることで、絶対こんなことがあっちゃいかんというような、炉の中の大事な部分を支えている大きな部品が 360°、1周にわたってヒビ割れだらけになって、それを何とか補修したら、今度は下の方にまた 360°ヒビ割れして、それをまた補修して。そんなことではどうしようもないということで、その部品を大がかりに交換したりもしております。

 

東京電力に交渉したりいろいろしましたけれども、とにかく起きないといいはるわけです。でも実際、電力会社は自分の原発のことを知りません。僕がいろいろ説明をしますと、「へえっ! そんなことあったんですか」 といってびっくりするわけですけれど、調べてみると僕が言った通りになっている。とにかく電力会社は現実を知りません。

 

それはそうですよ。原発の工事現場では、電力会社が一番上にいて管理しているわけですけれども、実際に工事するのは東芝や日立や日立プラントや、IHI(石川島播磨重工業)や三菱や三菱重工、そういった原発メーカーの人達が管理してやっておりますし、いろんな不具合が出てきたときには、自分たちに不利な 事は当然お客さんの電力会社には隠しておくようにします。

 

今回(柏崎)現場に行って(原子炉の)屋根を見ますと、そういう大きな山形じゃなくて、何かお風呂のすのこ板みたいな形をした鉄板が、鉄板といってもブリキみたいなものですけれど、それが張ってあるんですね。その上にやっぱり薄いコンクリートが打ってあって、強度はまったく無いです。おもちゃのロケット弾みたいなものぶちこんでも穴は開けられます。

 

でも、穴が開いただけじゃ原発の大事故にはならんだろうと、こうみな思うかもしれないんですけれど、上から何かものを落として燃料プールというのの中で爆発されたら、もう大変なんです。燃料プールというやつは、蓋がしてないんですね。最上階の床に大きなプールがありまして、そこに使用済燃料というものがぎっしりつまっていて。それはプルトニウムという毒物をいっぱい含んでおりますので、そこが 爆発して大気中にそういうものが飛び散ったら、どれだけ大きな災害になるかと、予想もつかないくらい大きい災害になるのですね。そういうことが簡単に起こるのです。

 

ですから原発は事故もそうですし、テロに対してもそうですし、危険性という点からいけば、まったく割に合わない発電方法です。先程もちょっといいましたけれど、お湯を沸かすだけなのですよ。原子力発電所といったらですね、原子力で特殊な方法で電気を作っていると思ったら大間違いなんです。お湯を沸かして、その蒸気でタービンを回している点では火力発電と何にも変わらない。ですから「原子力やかん」といった方がいいのです。

 

出来た後になったら、これずーっと事故の心配せないかんですよ。いつ事故が起きるかわからんですから。

 

発電が終わった後、どうするかという問題も残ります。まず、撤去することは不可能です。国は更地にして次の原発をまた造るような計画で、30 年前ぐらいは一生懸命いっていましたけれど、一つ壊してみればわかります。商業用の大きなプラントを壊すということは、経済的に不可能です。物凄くお金が掛かりますから。今新しいもの造るより、古いもの壊す方が高い時代です。まして放射性廃棄物ですから、安全にそれを処分しようと思ったら、とんでもないお金が掛かります。その間にも公害がでます。

 

原発を肯定する人は被曝労働の実態を知りません。電力会社が見せる管理手帳だとか、放管といいますが放射線管理がいかに徹底していて安全かということしかいいません。だけど僕の知り合いでも、身内が被曝して死んだということを告白した推進派の建設会社の社長もいます。

 

 推進する側の人は本当の原発の実態を知らなさすぎます。僕は原子炉の中の、配管と原子炉のつけ根、ノズル部分が折れそうになるようなヒビ割れが 360°入って、その補修工事をしました。まず炉内の洗浄をするわけなんですが、もちろん、そこに人間がいたら大変な被曝をするから、ちょっと離れたところから、長いノズルという棒の先から水がものすごい勢いで吹き出すようにしてやる。でも人間が放射能まみれの炉の中に入っていくことは確かです。

 

ですから燃料交換する炉の中に、鉄のゴンドラに人間を乗せて、それをクレーンで天井から吊って炉の中に下ろしてやります。そうして炉を洗いますが、水の反動でゴンドラが揺れるわけです。そうすると原子炉は直径6mもありませんから、半径3mもないわけです。非常に怖いんですね。だからどうやるかというと、上の方で人間が4人で四方からゴンドラを引っ張ってやるのです、フラフラしないように。そうやって原子炉についている放射能だらけの水垢を削り落とすような勢いで洗って下りていくのですけでど、そんな仕事やってみた人いますか、怖いですよ。

 

とにかく原発があったら被曝作業は避けられないのです。電力会社なんかは常に安全だと、管理しているから安全だということをいいまくります。だけどそれは僕のように原発の中で働いてきた人間、まして原子炉の中でも働いたことのある人間として、そんなきれいごとでは絶対に済まないということがはっきりいえます。

 

 僕も白血球が急に倍くらいに増えて、子供がいるから非常に不安だったことがあります。まあ幸い10 日くらいで白血球が元に戻ってくれたので、また現場に入って仕事を続けましたけれども。それは僕は統括安全管理者として作業員の被曝線量を管理したり、安全性をちゃんと保つための責任者でしたから、入らないわけにはいかないから続けたんですけど、本当に苦しいもんですよ。家族がいたりして、そういう仕事せにゃいかんというのは。それやらなかったら他の人達が被曝がどんどん増えるわけですから。マイナス面さえ隠しておいたら、原発って非常にいいように思えるんですよ。

 

●電力会社にも国にも隠される極秘情報

 本当に原発ぐらいウソだらけのことはないのです。GEの僕はトップシークレット(極秘) を見れる立場でやっていましたから、赤いトップシークレットの判を押したそういうテレックスをよく見ましたけれど、電力会社にも国にも隠しているトップシークレットってあるんです。そういうものはみんな隠されたまま安全だと宣伝されているんです。

 

  だからアメリカのGEの、一番原子炉に詳しい開発者達が、僕が辞める1年くらい前に3人揃って辞めました。定年退職前の高級技術者たちです。もう博士号持って、日本のGEの原子力の開発をずっと担ってきた有力なメンバーです。そういう3人がですね、必ず事故ると、

 

  話はそれましたけど、原発のそういう所で仕事やる時はですね、3点セットというのがあって、フィルムバッチとアラームメーターとポケット線量計。この3つを付けるという話がある。その3点セットをはずして記録が残らないように、それ付けているともう仕事にならないですよ。そういう話は現場でよーく聞きました。何度も。ですから浜岡で嶋橋青年が死んで、中部電力がこんな低い被曝線量で死ぬわけがないと。でもその急性白血病とかは原発特有のものですから労災では認めるわけですよ。だけど電力会社は記録みたらそんなに被曝していないと、ちゃんと管理していてこうだという。だけどそういう3点セットを全部はずして仕事しているということはしょっちゅう耳にしていますから。そういうことで死んでいく人もいると思います。

 

今の話に関して特別僕が言いたいことはですね。僕等は事故といいますけども、推進側は決して使いません。よっぽどのことがなければ、死人でも出たら別でしょう。何人か。なかったら事故といいません。みんな事象という言葉を使います。それは事故ではありません、事象ですと。そういう事象が起きただけですと。だけど福島2−3のポンプ事故の前、試運転でも起きていたのです。試運転で機能試験やったらポンプの羽根がぶっとんで、モーターも燃えて、これが世界で一番巨大な原発。



tom_eastwind at 19:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月26日

原子力の経済性

 

★抜粋開始

東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、インターネット放送などで自己批判と原発政策の告発を続けている。

 

 「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。

 

 「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。

 

 「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

★北海道新聞より抜粋終了

 

池田ブログでは池田氏が過激な発言でコメントが盛り上がっている。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

 

原子力の経済性について「“絶対に安全”ではない」と言う現実を口に出せない推進派と感情的に原爆は怖いからという反対派の妥協策が「原発は安全である」だった。

 

「命は何よりも尊いという反対派の論理に対して、推進派は「少しくらい死ぬリスクはしようがないとは口が裂けても言えないので議論がかみ合わない」池田ブログより。

 

どんな技術にも危険はつきまとう。ナイフを作れば手を切るだろう。ライフルを作れば鳥だけではなく人間を撃つかもしれない。

 

だからと言って何もしなければ文明は進歩しない。火を発明した人間はその時点から火傷するリスクと同居してきたのだ。その意味で池田氏は「原発の被害がこの程度であればトレードオフ」つまり経済性があると書いたのだ。

 

ぼくは彼の合理的な考え方が十分に理解出来る。ただ被害評価は彼と全く違う視点で計算する為に結果的に彼と違う答えが出てくる、つまり原子力はどう見ても不合理になるのだ。

 

彼の場合は日本の本流のど真ん中で、東大を卒業してNHKでプロデューサー、その後は大学教授を勤めながら経済的視点から見た時事ブログを書いている。

 

だから彼からすれば電力は必要だ、たくさん必要だ、経済は発展せねばならない事を前提に、経済視点から原子力を評価している。

 

工場が安定して第二次産業製品がどんどん海外に送り出されるから日本は豊かになった、その根本であるエネルギー政策の中心に原子力を据えているのだから、原子力を無くすという議論よりも原子力をどう安全に制御していくかを考えるべきだとなる。

 

そして、こう言っては失礼だが彼のような日本の本流を歩いてきた人々は、自分が放射能に遭う危険性を現実のものとは思えないだろうし実際に皇居の周辺で生活をしている限り、何かが起これば日本のどこよりも最初に政府が守ってくれる地域である。

 

そのような立場にいる人は、放射能の危険性よりも安定した電気の利便性の方に手が挙がるのだろう。

 

ぼくが住んでいるニュージーランドでは商都であるオークランドでも暴風雨の後の停電など普通であり、ぼくの住んでる地域では一年に3〜4回は停電する。だからどこの家でもキャンプをするような道具を一通り揃えており、電気が切れれば蝋燭とランタンを持ち出して家庭内キャンプである。

 

シティでも停電が起こる。1998年の停電の際には街全体の電機がすべて止まってしまい、完全復旧するまでに5週間かかった。

 

それでも人々は暴風雨の後の停電は「自然災害」だしシティの大停電だって「まあ仕方ないな、ありゃ1950年代に作った古い電線を使ってたもんな」くらいである。

 

街中の大停電で交通信号もすべて消えたが、交通整理の警察もいないのに交通渋滞も起こらずに互いに道を譲りあってた。

 

そういう環境で長いこと生活をしていると電気が時々止まる事を前提に生活を考えるから停電してもあまり気にならない。

 

つまり電気が安定しない事で不便さはあるものの、それでも生活が困るわけではない、安定した電気を得る為だけに核爆弾を抱えるって発想はどうしても出てこない。

 

ニュージーランドは非核三原則を貫いてる国であり原則を順守する為に米国の核爆弾搭載艦のオークランド寄港禁止を命令して米国と5年くらい実質的に国交断絶していたこともある。それほどに核に対する反発は強い。

 

生活を豊かにすることは大事だが、生活を豊かにする為に受け入れた核が結果的に生活を滅ぼしてしまうようでは主客転倒である。

 

これが津波や地震なら諦めもつく。自然災害は仕方ない。しかし核は危険だしその被害は甚大なものになると最初から分かっているのに、目先の電機の安定供給だけの為に受け入れる事は、ニュージーランドではあり得ない。

 

電力が安定しない事で発生する少々の不自由も、放射能が飛び散って人が住めなくなるよりはよほどましであると考える。

 

前置きがちょっと長くなったが、原発を選ぶかどうかは国民の判断である。選んだ結果として何が起こるかも事前に知らされている、てか知ることは出来る。

 

その結果としてニュージーランドは退屈な国ではあるが原発を選ばなかった。そして今、停電は時々起るけど原発の不安を考えずに自然を楽しみ生活を楽しむことが出来る。

 

ニュージーランドでキャンプをすれば携帯用コンロを間違って使って火傷するかもしれない。キャンプの料理で使うナイフで手を切るかもしれない。これはキーウィにとっては許容範囲内のリスクである。許容範囲外のリスクなのは原発である。

 

日本では工場の安定操業や24時間開店しているカラオケ、賑やかな電飾のパチンコ、いつでも買い物が出来るコンビニ、ほんの10秒でも停電すると「誰が責任取るんだ!」と発狂したように怒る市民がいる。

 

そのような社会で生活をするには安定した電気が必要であり1億2千万人が安心して乱用出来る電気を提供するには原子力と言う選択肢になってしまう。

そして1億2千万人いても自分がまさか原発の放射能被害になるとは確率的に考えられない人々が霞が関にたくさんいる。霞が関やその周辺で生きる人々からすれば原発は効率的であり「原子力の経済性」が存在するのである。

 

 

 



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2011年03月24日

病院に行かないキャンペーン

「難航必至の復興財源確保=所得増税案も浮上−政府・与党」

 

政府がまたこんなわけの分からん理由で増税しようとしているが、そんなもん増税する必要なんかない。既存の年間予算80兆円の中で賄える。

 

震災復興として10兆円程度と言う数字が出てきている。80兆円あるのだ、そこから絞って10兆円出せばよい。

 

けど、どうやって?ここで発想の転換をすればよいだけだ。

今国民は東北の人々の為に何かしたいとか国民が一致団結して頑張ろうというこぶしを振り上げているが、多くの人はその足で「あ、今日は病院の予約が入ってるから行かなきゃ、薬もたくさんもらわなきゃ」と、いそいそと病院に行く。

 

例えば薬代と診察代が合わせて自己負担が1500円としよう。けどこの時国や健康保険組合はいくら負担しているのだ?いろんなケースがあるので一概に言えないだろうが、自己負担3割とすれば3500円は国や健康保険組合から払われている。

 

これは当社でも看護婦さんが働いているのでよく聞くが、病院に来る人の3割は不要不急、もっと言えば来なくても何も問題ないケースである。それなのに保険があるからと「安心を買いに来る」のだ。

 

「すみません、ちょっと風邪気味なので医者に行って薬貰ってきます」、これを止めれば良いのだ。風邪をひいたら自宅で暖かいレモン茶でも飲んで寝てろ。それで5000円が払われずに済む。

 

自分の不安を解消したい、安心になりたいだけに医者と薬と自分の時間と政府の金を使う無駄を止めれば良い。

 

医療費ってのは困ったことに、どこでいくら払われているか正確な数字が公表されていない。しかし見る限り医者と薬で10兆円くらいではないかと推測出来る。

 

10兆円のうち3兆3千億円が無駄に支払われている。ちょっとした怪我や病気は自分で治す。東北で人が死んでる時に風邪や切り傷でどうこう言う必要はない。そして自分で払うつもりだった3割、4千億円は寄付に回す。これで3兆7千億円が捻出出来た。

 

そして次にやるのは民主党の公約である公務員の給与の即時一律2割削減だ。国家の非常時なのだ、日頃国民に食わせてもらっているのだ、一年くらい我慢して当然だろうが。

 

公務員の総数は約400万人。一人当たり年間給与がボーナス込みで600万円として24兆円だ。これを2割削減すれば4兆8千億円。

 

この二つだけで8兆5千億円の節約ができる。残りの1兆5千億円だってこんな感じでゼロベースから見直して政府と国民全体が東北復興の為に協力すればよいのだ。実は具体的に削減できる部分があるのだけど、あんまり過激だから書かない(笑)。

 

ただ、これを機会に国民には、増税の時はワーワー文句言うけど自分が税金遣う側になったら無駄使いってのをやめるべきだ。

自分たちが病院で使っているお金は、実は自分たちの税金なのだという事を意識しよう。

 

大震災以来国民は一致団結とか寄付とかどうこう言ってるが、もう一歩踏み込んでみんなの税金を無駄に使わずに東北復興に回そうよと考えてみればどうだろう。



tom_eastwind at 17:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月23日

大丈夫、ただちに健康に影響は出ないから

昨日のニュージーランドの夕方6時のTVONEで陸前高田の様子が映し出された。地震と津波が起こった時に、地元の小学生の子供たちは高台の学校にいて難を逃れたとの事。

 

しかしその直後に彼らが見たのは、今朝学校に来るまで自分たちの住んでいた街が泥に埋まりすべてのものが流された痕だけだった。

 

隣の家の何かと面倒見の良かったおじいちゃんも流された。「おお、お前のお母さん今出かけてるぞ、うちで焼きそばも食っておけや、おいばあさん、やきそば一人前!」

 

近所の、よく勉強を教えてくれたおにいちゃんも「ほら、ここはこうやれば簡単に解ける数式なんだよね」そのお兄さんの消息も分からない。

 

そして親も兄弟も親戚も・・・・ついさっきまでそこにいた人たちがすべてまぼろしのように消えてしまい、どこに行ったか分からないのだ。すべてが津波に巻き込まれた。すべてを亡くしたのだ・・・。

 

10歳くらいの女の子が救助隊に守られながら自宅の跡から何とか泥をかぶった自分のカバンと、カメラを見つめて真面目に映ってる家族の写真を見つけて避難所に持って帰ることが出来た。

 

その子供の友達は一緒に泣きながらも「写真、あってよかったね」と喜ぶ・・・・どうすりゃいいんだ・・・。

 

彼らはこれからバスで避難所から次の避難所に向かう事になるが、突然の事態をどこまで理解して対応出来るのだろうか。まさにこの天災の中でそれでも人々は助け合おうとする。

 

こんなニュースを毎日のようにニュージーランドのTVONEでやられるものだから日頃仕事帰りに寄るノースコートの韓国の食材店では日本語で「日本頑張れ!」と張り紙されてるし、お店の人に「君の家族は大丈夫だったかい?」と心配してくれる。アジアから遠く離れたオークランドでアジア人同士が思いやれるのはうれしいことだ。

 

ここまではすでに起こった天災の話だ。あとは人々がどうやって経済を復活させていくかの問題だ。ぼくらがやるべきことは出来るだけ早く経済復興するために一生懸命働くだけだ。下らん「不謹慎派」や「私ってなんて優しいんだろう症」の、何もせずに他人の足を引っ張るだけの連中は無視して前に進むのみだ。

 

しかし怒りはこれからだ。

 

新聞はいたずらに不安を煽らないようにという書き方で「放水再開」とか「電源再開」とか書くけど、今までに大気に放出した放射線はすでに東日本の空に立ち込めているのだ。それがまずは問題なのだ。

 

第四プールなんて底に亀裂が入って水漏れしているのは明らかである。全然データがないから正確な計算のしようもないが、少なくとも1時間数トンあたりの水を注入しているのだ、だったら例えば最初の1トンが水蒸気となったとすれば、それは放射能を含んだ水蒸気でありそれが大気中に放出されたって事だ。

 

更に次の数トンが100度以下になったプールに溜まったのならそのうち連続放水で水は溢れるはずだ。溢れた水も、もちろん放射能を含んでいる。

 

その水をいくら注入しても溢れないってのは、底が割れているからでしかない。割れた場所から大地に流れ込む放射能を含んだ水は大地に大きな影響を与える。割れた場所を特定して塞ぐしかないが、それまでは放射能が漏れ続ける。

 

そして今は東京の空に降る放射能が基準の10倍と言う。それを「東京からニューヨークに飛行機で飛ぶくらいの放射線より少ない」から「ただちに健康に影響が出る量ではない」と東電の学者に数字でいかにも何でもないような書き方をする。

 

じゃあ基準値って何だ?要するにその場その場で都合の良い基準と数字を並べておいて安全だ安全だといっても信じられないのが問題なのだ。なぜなら今まで政府は今までも危機の時に本当のことを言わなかったからだ。

 

はっきり言うが日本のエネルギー政策は当時の金儲けしたい連中と自分の技術を自慢したい科学者と役人の天下り先が欲しい談合の結果である。彼らの視点には日本国民や地域住民の健康は全くと言っていいほどない。

 

原子力が他の自然エネルギーよりも利用価値が高かったのではない、関係者一同にとって利用価値が高かっただけだ。彼らにとっては将来起こるかもしれない原発事故よりもとりあえずの出世が大事だったのだ。

 

所詮中央官庁にとって大事なのは自分たちエリートが作る国家であり、皇居のお濠から50km圏内が無事であれば、あとは放射能のために死ぬ田舎の連中などは捨石なのだ。

 

だから1990年代に風力や太陽電池などの自然利用エネルギーが出てきても経産省は何のサポートもなく一切無視、原子力だけを推進してきた経緯がある。

 

役人が地域住民の健康や生活など全く無視しているって歴史的事実がある。

 

多くの日本人は忘れているだろうが、九州熊本の水俣イタイタイ事件と言う公害が発生したのは40年近く前だ。チッソと言う会社の水俣工場が垂れ流した水銀を魚が食べて、その魚を食べた村人が水銀中毒に罹ったのだ。

 

体はやせ細り手足はまるで骨折したように歪み、歩くことも出来ずにうーうーとうなるだけで、最後は苦しみながら水銀の為に脳に異常を起こして死に至る病気である。

 

そしてそれまでは魚の宝庫として有名だった水俣は、水銀事件を契機に魚は売れない食えない野菜は食えない牛乳は飲めない、つまり死の街になったのだ。

 

水俣被害はチッソが水銀を垂れ流した時点でわかっており、それでも経産省(当時は名称は違う)幹部は「今はこの問題を表に出すな、日本全体が成長しているときに足踏みをするわけにはいかない」って事で事件は一年以上放置され人々は知らずに汚染された魚を食べて被害は拡大した。官僚の出世の為に多くの人々が悲惨な死に遭遇したのだ。

 

今回の原発も同じである。すでに放射線は空気に乗って周辺地域に広がり海は汚染された、だれがこれから野菜や肉を東北地方から買うだろうか?

 

ここではっきりさせておきたいのは、ぼくは単純な感情論としての原発反対主義者ではないって事だ。

 

他にエネルギーがなければ原発もありだ、きちんと制御出来れば原発もありだと思ってる。だから他の自然エネルギーと比較してもよい。発電コスト比較があっても良い。

 

けれど大草原の風力発電の塔が一本倒れても、だれも死なないよ。要するに原発推進派の言う発電コストは、100年に1回のメルトダウンが発生した場合に周辺住民が死亡するという人間のコストを計算していないのだ。

 

これからも東北や関東に放射線が降り続ける。いつ終わるか誰にも分からない。「ただちに健康に影響が出ることはない」ってのは、ただちでなければいつか健康に影響が出る、つまり原爆症に罹るってことだよね。

 

実際に広島や長崎で被曝した人が全員その場で発病したわけではない。原爆の放射線を浴びて数年後に発病した人もいるし子供が原爆症になったケースもある。

 

このように「ただちに健康に影響はない」と言うのが官僚、霞が関文学と言うやつだ。言葉のごまかしに引っかかった人々は何も知らずに「おいおい、不安を煽るなよ」とか「政府がそんな事をするわけがないだろう!」と言う。

 

けど、後日健康に影響が出てもその時は「この方は元々体の弱い方で今回の原発事故とは関係なく白血病でガンになり死にました」となるのだ。

 

「へ、大丈夫さ、あいつら下々の連中は事故から一年も経てば原発のことなんてすぐ忘れてしまうさ、無視無視」って笑ってる声が聞こえそうだ。

繰り返すがこれは人災であり、経産省と電力会社とそこで働く霞が関エリートが作り上げた、自分では絶対に放射能を浴びる事のない場所で作り上げた虚構である。こいつらだけは絶対に許せない、こいつらと家族を今放射線を振りまいている原発の前に連れ出して1時間くらい立たせたいと本気で思う。

 

そして言ってやる。「大丈夫、ただちに健康に影響は出ないから」



tom_eastwind at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月22日

戦の仕方

★記事開始

首相官邸に怒鳴り込んだ。21日午後、石原都知事は菅首相に会談を求めた。理由は福島第1原発3号機で、英雄的な放水活動を展開した東京消防庁の隊員に「速やかにやらないと処分する」と脅した閣僚がいたからだ。

 

 「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ、やらなければ処分すると…。みんな命がけで行い、許容以上の放射能を浴びた。担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。そんなバカなことを言うのがいたら戦(いくさ)にならない。そんなことを絶対に言わさないでくれと言ったんだ」

 

 会談後、石原氏は首相に厳重抗議したことを明らかにした。これに首相は「大変申し訳ない」と謝罪、「恫喝まがい」の発言があったことを認めた。21日夜、会見した枝野幸男官房長官(46)も「事実関係を調査し、善処する必要があれば対応する」と述べた。

 

 また、都関係者は21日夜、問題の発言を行ったのは海江田経済産業相だったと述べた。「処分する」といった人間が「処分される」可能性が出て来た。

 

 石原氏は記者団に「処分するという言葉が出て、隊員はみんなガク然とした。指揮官は、それが一番不本意だったと言っていた」と不快感を示した。石原氏は「処分」と発言した閣僚が誰かは触れなかった。言った人間よりも、その上にいる“言わせた人間”に怒っているのだろう。

 

 また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。

 

 一方、東京消防庁ハイパーレスキュー隊など帰京した隊員の活動報告会が21日午前、東京都内の消防学校で行われ、ここにも石原氏は出席。参加した115人の「勇士」を前に号泣、言葉を詰まらせながら感謝を述べた。

 

 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…もう、言葉にできません。本当にありがとうございました。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」 石原氏は、この報告会で「恫喝まがい」の発言を知り、すぐさま首相官邸に突撃したとみられる。活動報告会に参加した隊員の1人は、「あの強気の知事が涙をながして礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm

★記事終了

 

まさしく第二次世界大戦末期、南太平洋の多くの島で起こった事と同じだ。

 

戦争末期、南太平洋に取り残された兵隊は食べるものは木の根もなく飲む水もなくそれでも自分の陣地を守り最後は日本万歳と死地に向かって突撃を行って散っていった。

 

彼らは自分たちが特攻しても勝てるとは思ってなかった、ただまさに少しでも自分たちが食い止める事で家族や友達のいる日本本土を一日でも長く守れると思って特攻したのだ。

 

逃げることも出来た。捕虜になることも出来た。負傷兵のふりをして戦いを拒否することも出来た。それでも多くの兵士は自分から志願して戦いに出たのだ。

 

そういう若い兵隊たちに向かって当時の東京の大本営やシンガポールの南方軍司令部は馴染みの料亭に通い酒を飲み女をはべらして大言壮語!「なんだあ、南方はなっちょらんのあ〜!わしが行けば鬼畜米英など一発じゃ〜!」「兵隊はびびっちょるんじゃないか、突撃せん時は軍法裁判だぞと言っておけ!かかか!」などと豪言をまき散らしていた。

 

★当時の戦争中のシンガポールに料亭があったの?と単純な疑問を持つ人に説明すれば、日本の司令部が海外に出ていくときは必ず司令官馴染みの東京の料亭に「おい、わしが今度シンガポールに行くので料亭を用意しちょけ、あ、もちろん女もな」と言うのが常識であった。つまり戦地に行っても自分たち高級将校だけは常に酒池肉林だったのだ。もちろんこのような施設?は一般の兵隊は利用できない★

 

多くの若者が南太平洋に散り、当時の大本営や南方軍司令部で大言壮語を吐いていた連中は戦後もぬくぬくと日本で生活をして老後を過ごして「おれは正しかったのだ!」とほざく。太平洋戦中インパールなどあちこちの方面で若い兵隊を殺した高級将校、代表が牟田口だろう。

 

今回の消防隊の任務はまさに命がけであるが隊員たちは「自分に行かせて下さい!」と手を挙げた。放射線と爆発と言う二重の敵を相手に命を捨てて戦いに行った。

 

そんな若い隊員を守る総司令官にあたるレスキュー隊の隊長も自ら最前線に出て指揮を取り、ホースを準備してさあ戦いに行こうとするまさにその時「早く行かんと処罰するぞ〜!」だと!!

 

ふざけるのもいい加減にしろ!お前らのような後方の安全なところでぬくぬくしている連中が現場も知らずにエラそうな物言いをしやがって、そういう発言が戦いの現場でどれだけ指揮に影響が出るか分かっているのか?

 

分かっていない官僚だから、現場の放射線にまみれてない連中だから、どうせ最後は自分たちは官僚同士で固まって逃げ切ったりするような連中だから、第二次世界大戦では多くの若者が捨てなくても良い命を捨ててしまい、挙句の果てに戦争に負けた。それもすべて現場を知らないばかな東京の連中のせいだが彼らは何の責任も取ろうとしなかった。

 

結局この日本では自分たちで現場を踏もうとしない官僚だけが出世して、そういう連中が戦時の指揮を取るからこんなバカなことが起こる。

 

石原氏は毀誉褒貶の多い人物であるしぼく自身彼の評価は定まっていない。ただ、戦時の大将としてはとても優秀であることを認める。今回のレスキュー隊員送り込みでも、それが何を意味しているか一番よくわかっているからこそ報告会で号泣したのだ。

 

福島原発で命がけの戦いをしてきた兵隊たちが戦地から戻ってきたその時、兵隊たちに命令を出した内閣はどこにいたのだ?兵隊たちをねぎらうべき総理大臣や内閣の大臣は、どこにいたのだ?

 

天気が悪いと言って視察を取り消したような総理大臣、そして「はやくやらんと処罰するぞ!」とほざいた海江田大臣、現場のやることにそこまで文句があるのなら今すぐぬくぬくとした安全な場所から出てきて、自分たちで福島原発3号炉の正面に来てホースを構えてみろ!



tom_eastwind at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月21日

笑い

 

デイブスペクターのついったーで笑えたのがこれ。

 

「震災後に略奪が起こらないことが海外で称賛されています。日本で略奪があるのは愛だけですからね、山路さん。」

 

はは、さっきまでハイパーレスキューの活動や米軍ヘリの(どうやら上官の許可なし)食糧援助ニュースとかで重くなってた心が、ふっとこういう軽い冗談で救われた。

 

被災者に必要なのは「つながってる」って気持ちだってのを聞いたことがある。それと同時に、笑いが人間を元気付けてくれるのも分かる。

 

この際よしもとは「不謹慎」なんて無責任な批判を無視して被災者の集まる場所で東北巡業をすればどうだろうか?日頃は大嫌いなよしもとだが、それで皆が笑えるならよいと思う。

 

しかしデーブスペクターのついったーひとつにしても「不謹慎」発言が出ている。日本人はどこまで行っても非合理を愛して無理を押し通して結果的に不幸になる道を選びたがるのだろうか?

 

笑いは必要でしょ。許せる範囲内であればむしろ積極的に受け入れていくべきだと思うのだけどな、これだけは日本人、変わりようがないのかな。

 

週末は当社のスタッフと日本の家族が電話で話したようで月曜日の朝出社するとみな口々に「え?やっぱりあんたんとこも同じかい」となってた。

 

彼らは週末に日本の実家に電話して

「そこって一応危険な地域だから、しばらくの間でもこっちに来れば?」

「大丈夫よ、そんな事ないし、第一そんなことがあったら東京に行くわよ」

みたいな会話がだんだんエスカレートしてきて

「てゆ〜か、危ないんだしこっちきなよ、一時的なんだからさ!」

「何言ってんのよ、みんなが大変な時に外国に行くなんて出来るわけないでしょ!」

となる。

 

あるスタッフが父親に電話すると「お前は何もわかっとらん!」と怒られたそうだ。「今は日本全体が大変なことになっていることをわかっているのか!」

 

うんうん、そこはよく分かる。けどだからと言って一時避難するってのは別の次元の話ですよね、そういうと、「お前は外国かぶれだ!」となってしまう。

 

この非合理さは結局個人で徹底的に理論追求をするという学習をせずに、とにかく周囲と同じ事さえしていればそれで間違いないのだって生き方をしてきた日本人の持つ特色でもある。

 

日頃は「海外で生活しているんですか、おー、」みたいなことを言われるけど、腹の中では「この外国かぶれ」になってしまうんだろうな。

 

これは言葉を変えていえば、例えば在日韓国人が努力してビジネスを成長させて、日頃は皆が「社長、すごいっすね!」とか言いながら、裏に回って「あの在日野郎〜」ってのと同じだ。

 

日本人の美徳と言う考え方が語られるとき、それは何も考えずに滅私奉公みたいなところがあるが、それはとにかく右に倣えのステレオタイプの美徳であり、他人に気を遣ったら更に相手に気を遣われて、お互いに結局本音は何も言い出せなくなってきれいごとばかり言って最後はどぼんの美徳だ。

 

日本人が個人で、例えば倭寇で中国に攻め入った事や山田長政がシャムに日本人町を作る事は、表面はどのような事を言っても所詮は「外国かぶれ」にしか過ぎないのだろう。

 

個人がその力量だけで強く生きていこうとしても、それは日本人らしくないのだ。おらが村が一致団結した時だけ中国に攻め入って全員で口を揃えて「ちゃんころ」などと現地人をバカにして、それで自分たちの団結心を確認しあう。

 

そこには個人の思想も理屈もない、おいっちに、右へ倣え!であり、それもその場の空気で何となく醸成された結論でありそれが周囲と整合性があるかどうかなんて考えようともしない。

 

原発事故はまだ終わっていない。予断を許さない状況であるが、燃料棒が全部溶けてしまえばそれ以上の問題はない、それが30kmか80kmなのかは不明だが。

 

しかし今回の問題で浮き上がったように、問題は日本人の多くが何かあった時に「右へ倣え」をすることで、その方向性が正しければとてつもない力を生み出すが、その方向性が間違っていた場合、集団で崖に向かって前も見ずに突っ走っていくという事だ。

 

常に集団の中にいてその温かみを楽しんで、死ぬときは一緒よって人ならそのような村は住み心地が良いのだろうな。ただどうしてもぼくはそういう場所で何も考えずに生きていくなんて事が出来ない。

 

被災者を笑わす事で一息つかせてあげることを不謹慎と言い、自分の頭で考えることを外国かぶれと言い、外国人が日本で努力しても所詮は二級市民扱いでありながら、けれど自分の頭では何も考えようとしないし努力もしない人々には、ただ単純に息苦しさを感じるだけである。



tom_eastwind at 18:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月19日

広瀬隆氏のダイヤモンドオンライン記事が秀逸

広瀬隆氏のダイヤモンドオンライン記事からメルトダウン=チャイナ・シンドロームについて、以下の記述を示している。

 

 ★抜粋開始

「電気出力100kW原子炉では、熱出力がその3倍の330kWある。この原子炉では、原子炉自動停止しても、その後に核分裂生成物が出し続ける崩壊熱は、1日後にも、15560kWもある。またその発熱量がどれほど小さくなっても、永遠に熱を出し続けるので、燃料棒が原子炉にある限り、それを除去し続けなければならない。なぜなら、原子炉という閉じ込められた容器内では、熱がどんどんたまってゆくからである。

 

 それを除去できなければ、水は100℃で沸騰するから、水がなくなり、燃料棒がむき出しになる。そうなれば、超危険な放射性物質が溶け出し、燃料棒の集合体が溶け落ちる。

 

それが炉心熔融であり、メルトダウンと呼ばれる。燃料棒の集合体が次々に溶け落ちると、炉の底にたまって、ますます高温になり、灼熱状態になる。やがて原子炉圧力容器の鋼鉄を溶かし、お釜の底が抜けると、すべての放射性物質が、外に出て行く。これが「チャイナ・シンドローム」と呼ばれる現象である。」

 

一方、燃料棒被覆管のジルコニウムが水と反応して酸化されるので、水素ガスを発生する。水素ガスの爆発限界は、最小値が4.2%であるから、この濃度になれば爆発する。


http://diamond.jp/articles/-/11514

 

★抜粋終了

 

今日は民主党と自民党の大連立の話や節電で東京のネオンを消そうという話が出ているが、メルトダウンは終わったのか?いまだ持って燃料棒は燃え続けており、死の灰は降り続けているのだ。

 

福島第1原発の事故がレベル5と暫定評価されたことについて東京電力の清水正孝社長は19日未明、「極めて重く受け止める。広く社会の皆様に大変なご迷惑をおかけし、心よりおわび申し上げる。自然の脅威によるものとはいえ、痛恨の極み」との談話を発表したとの事。

 

このうそつき野郎め。原子力発電所の事故による放射能汚染は、自然の脅威ではなくあくまでも人災である。

 

地震と津波は天災であるが、放射能汚染については原子力をエネルギーとするという国策を決定した1970年代の時点でわかっていた。人間の責任を自然に転嫁するなんて、どういうバカだ。

 

原子力推進派は「原子力は危険であると言い出したらなんだって危険じゃないか」と言う。いや、まさにその通りその通り。違いは、原子力は桁違いに危険だってだけだ。

 

それは水力発電所のダムが決壊したら下流の人々は巻き込まれて死ぬかもしれないが、翌日には生き残った人々が土地を耕すことは出来るけど、死の灰が降ったらずっと土地が使えなくなるだけではなく人々も子供の代までずっと原爆症の恐怖に怯えながら生きるしかなくなり、汚染された土地では一切の食糧を作る事が出来なくなるってしまうって、ただそれだけだ。

 

問題は、それほど桁違いに危険なものでありながら原子力推進派が金儲けの為に「安全だ〜」と言い張って、反対派も補償金もらえるならいいやって事で「そうか、お前が安全って言うんだな、、だったらまあいいや」という馴れ合いであった。


「おらさ田舎に原発くりゃ、あんた、なーもせんでお金が入るだがよ、こで先祖代々の田んぼも、なーもせんでも守れるぜよ」

しかし原発はおらが村の田んぼだけでなく、おらが村そのものを吹っ飛ばしてしまうものだった。いつもと同じだ、目先の利益に目がくらみ、先祖の土地をきちっと耕すって努力を怠った結果がこれだ。
 

2007年にNHKの討論番組「原発」についてぼくが書いたブログの中にこんなセリフがあった。

 

★(推進派の発言で)「電気代は毎月払うものですよ、それは出来るだけ安いほうがいいでしょ?」そりゃそうだ、その部分だけを見ればそういう事。でもさ、その代わりに受け取るものが核爆弾じゃ、あんた、情報の片手落ちでしょ。★

 

http://tom.livedoor.biz/archives/50783260.html

 

多くの人々が原子力の危険性を訴え続けてきた。しかし同じ人々が「こんな最悪の予想は外れてくれ」とも本気で思っていた。

 

本気で国民の事を考えなかったのはいつもと同じ、役人と大企業である。

広瀬氏も書くように、これから何か月も死の灰は降り続ける。風に乗って東北地方に流される。子供たちは汚染された空気を吸って生活をする。その責任は地震でも津波でもない。



tom_eastwind at 11:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月17日

4号機に水はあるか?

★記事開始

東京電力によると、自衛隊のヘリが16日に3、4号機の上空から観察したところ、4号機は核燃料棒が見えないほど燃料プールに水が残っていることが確認された。

 

 3号機には水蒸気が立ちこめ、水位低下が進んでいることが予想されたため、緊迫性が高い3号機からの放水となった。

 

 3号機のプールには、514本の燃料棒が保管されているが、放射性物質が漏れ出す危険性が高まっている。東電、経済産業省原子力安全・保安院などによると、プールの水位は不明。

 

 隣接する4号機のプールには783本の燃料棒が保管されているが、この中には定期検査で一時的に原子炉から移した燃料も含まれている。熱が高いため、水がなくなると、3号機より深刻な状態になるとみられる。

★記事終了

 

けれどほぼ同時刻の米国議会からの情報によれば、4号機のプールには全く水がない状態だと証言された。

 

米国の場合は軍事衛星による独自のデータ収集が可能なのでこのように「歯に衣着せぬ発言」になるのだろう。

 

記事にもあるように「4号機に水がなくなると3号機より深刻な状態になる」と判断した米国が「80km避難勧告」を出したのだ。

 

一体どっちの話が本当なのだ?日本政府は早い時期から「がせねたに惑わされるな!」と訴えてきたが、どっちが「ガセネタ」なのだ??ぜひとも知りたい。

 

「美味しんぼ」と言う漫画は大変有名であり、その原作者は1990年代からシドニーで子育てをして現在もシドニー在住である。

 

彼は自分のマンガのテーマでも何度も原発問題を取り上げている。その彼は原発の怖さを非常によく知っており、今回の事件が起こった際に毎日狂ったように原発の問題点を具体的に指摘して「とにかく早く逃げろ!」と訴えてた。

 

そのブログは昨日で一時閉鎖された。「安全なところから高みの見物みたいなエラそうな事言うな、お前なんて非国民だ!逃げやがって!」的な書き込みをされて、彼からすればもうこれ以上続けていられない、もうやめたっとなったのである。

 

彼は彼なりに日本を愛しており、だからこそ普通の日本人が持たない視点から日本を眺めて短所良所を取り上げてマンガの題材にしてきた。

 

彼なりに熱い思いがあり彼なりに日本にいる日本人に対して「逃げろ!」とメッセージを送った。そしてその結果として村八分のような状態になったと感じた彼は撤退したのだ。

 

ぼくは彼とはちょっと視点が違う。人々がどのような生活を送るかはその人が決めればよい事だと思っているし今回のような原発事故が起こった際も誰がどのように行動するかは彼らの判断で決めれば良いと思う。

 

つまり民族であれば民族自決、個人であれば個人自決である。それは他人の口出しすることではないし、ぼくがぼくの生き方を他人に口出しされるのが大嫌いなように。

 

今日18:00のニュースTVONEでは「日本政府は正確な情報を発表していない。水はもうない!日本政府が発表するよりも状況はもっと危険である」と報道していた。米議会の様子をニュースで流しながら、ニュージーランド政府も日本に住むキーウィに対して避難勧告、日本への渡航自粛を呼びかけた。

4号機に水があるかどうか。水があるとして次にどのような行動をとるか?水がなければどのような行動をとるか?自決するしかない。



tom_eastwind at 18:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月15日

人間失格と社会人失格の間で生きるということ

昨日のブログでJapanDay開催の件で「不謹慎だ!精神を疑う!」と書き込んでた人たちは下記のブログを読んでみるとよい。問題点を整理しているし、コメント欄を読めば何が不謹慎で何がやるべきことかも推測できる。

 

http://agora-web.jp/archives/1278351.html#comments

 

ただぼくが世間に流れる不謹慎に対して最も恐れるのは、このような現象は結果的に国民が誰も疑問を持たず異議を差し入れず、不謹慎と言われた瞬間に発言停止してしまいついでに思考停止、その結果として起こった第二次世界大戦を生み出す原因の一つであったという事だ。

 

「天皇陛下!」と言えば誰もが逆らえない状況で軍内部の派閥争いで政敵を潰したいときは天皇陛下と言う王冠をかぶって相手を理論でなく権力で押しつぶし、一切の発言をさせなくなる。

 

例えば2.26事件の時でも天皇陛下が直接何かを言ってるのではないのに、周囲の連中が天皇の気持ちを「忖度(そんたく)」して反乱部隊に「お前ら、恐れ多くも天皇陛下は〜」とやって結果的に反乱部隊を鎮圧した。

 

その後は誰もが理論的な発言を出来ない中で、なんとなくその場の雰囲気で言っちゃいけないって中で、軍部の中でも自分たちの意見を通したい派閥が「忖度」と「不謹慎」と「恐れ多くも天皇陛下」を連発して周囲を黙らせて「それでは、全会一致ですね、戦争します」となった。

 

この「不謹慎」発言に関して何よりも怖いのは、それがいつの間にか世間の主流になってしまい、大本営発表以外の事を言えば「非国民」となり、天皇機関説を主張すれば「不敬罪」となり、言論弾圧の手段として使われてしまったという事だ。

 

自由な発言と自由な議論こそが人々の生活を豊かにするのは自明の理であるが、一部の感情論者にはそれが分からないまま、結果的に自分たちの社会を貧しくしているのだ。

 

だからこそぼくはそのような「不謹慎論者」を敢えて偽善者と呼びたいのだ。もちろん非常に微妙な問題である。理屈では絶対に割り切れない部分が多い。

 

上記ブログのコメントの中にもあるが自衛隊員は被災者の前では食事をしないそうだ。救助活動をするのだから飯を食わねばならないのは誰でも分かる。

 

けれどそれを「おれは理論的に正しい」と言って被災者の前でむしゃむしゃ食うようであればそいつは人間失格である。

 

だからと言って思考停止状態で「何もかも不謹慎」として止めてしまえば、それは社会人失格なのである。

 

人間失格は生きる権利はない。社会人失格は生きる能力がない。



tom_eastwind at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月14日

他人の足を引っ張る偽善者

日曜日の午後のドラゴン航空で香港へ飛び、同日の夜21:05発のキャセイ航空107便に乗り継いで月曜日の13:00にオークランドに戻る。

 

今回は14日間の間に香港、大阪、東京、名古屋、福岡と、5都市を回った。東京は説明会を含めて一週間滞在して、他の街は一日づつ仕事をした計算になる。

 

それにしても去年までは福岡出発のフライトが朝10時30分だったのに今は14:30になったので非常に助かる。香港での乗継も3時間に短縮されるからだ。

 

東北大地震は最初は名古屋から福岡に向かう新幹線の中で少しづつ実態を知るようになり、ホテルに入るころには日本観測史上最大の地震であるとのこと。

 

ニュージーランドから大きなお土産を持ってきてくれてありがとうございますなんてメールもあった。皮肉ではなく偶然の巡り合わせを指摘しているだけなのだが、クライストチャーチの地震で被災して日本に一時帰国していた人も多いだろうが、彼らの戻った街が北日本でない事を祈るばかりである。

 

移動しながらもいろんな情報が入ってくるのだが、今回の地震をクライストチャーチの大地震と結びつける記事もあった。

 

★抜粋開始

先日のNZ地震は日本列島から約1万キロの南半球で起きたので、他人事と受け止めた読者も多いはずだ。しかし広大な太平洋のスケールからみれば、プレートの南端と北端、同じ条件下で起きた地殻変動にすぎない。NZ地震で太平洋プレート南部の圧力が解放された結果、バランスをとるために、今度は北部のプレート境界で地殻が大規模に割れた。それが今回、起きるべくして起きた「東北地方太平洋沖地震」の正体なのだ。そして、何よりも問題なのは「この先に起きること」である。

★抜粋終了

 

地震学の勉強をした事がないので「バランス」がどうなのか分からないが、太平洋プレートはGoogleで検索するとすぐに出てきて、日本からニュージーランドまでプレートが伸びているのが分かる。でもってプレートの南がウェリントンからクライストチャーチだ。

 

オークランドは太平洋プレートの西側に大きく離れているので大きな地震がないって言うと「神戸だって地震がないって言われてたわよ!」と感情的に言い返されるし、今まではなかったと言ってるだけなんだけど、地震なんてどこで起こるか分からないのは事実だろう。てか現在の科学では予測不可能な部分が多すぎるのだろう。

 

ただ、クライストチャーチで被災して住む家はレッドカード、オフィスは閉鎖、お店もレッドカード状態で東京に戻るしかなかった状態の当社のスタッフからすれば、「またかよ・・・」と言う感じである。

 

そんな彼女は自分のブログでクライストチャーチの地震や東京の地震の様子を描いていたのだが、「クライストチャーチから逃げるのか、卑怯者!」みたいな書き込みがあって落胆したようである。

 

クライストチャーチから逃げるのか?って、じゃああなたが住宅と食糧と給料を保障してくれるのですか?大地震と言う非日常の世界で感情的になるのは分かるが、よく考えてほしいものだ。

 

オークランドで開催されたJapanDay(日本を紹介する年に一度の祭り)についても「こんな時に不謹慎な!」と言う書き込みがNZ大好きにたくさん掲載された。(今は削除されているみたい)

 

「なぜこんな時に開催するのか主催者の精神を疑う」みたいな感情的な書き込みが続いた。じゃあなんだ、オークランドに居住する日本人は全員喪章を付けて黒服を着て自宅に籠ってろでも言うのか?

 

主催は領事館で運営は日本人会が行う。この祭り自体に行ったこともないし行く気もないが、だからと言って彼らに「やめろ!」とまで言うつもりもない。それは彼らの判断だ。匿名で書き込みをして相手の人格を傷つけるような真似をする人間にこそ「やめろ!」と言いたい。

 

人は状況に応じて喪に服すこともあるだろうし、逆に鼓舞する為にお祭りを開催することもあるだろう。それは主催者の責任で判断することだ。主催者は今回のお祭りで集まった売り上げを寄付することにしている。

 

お祭りを行う事でお金が集まりそれで寄付出来れば、それもありでしょう。

 

それが結果的に非難を浴びるかもしれないしよくやったと言われるかもしれないが、いずれにしても匿名で書き込む連中には関係のない事であり最終的な責任は主催者にあるのだ。

 

自分が責任を取るわけでもないのにえらそうに書き込みをする人は自分が興奮して理性を失ってわけのわからん事を書いているのに気付かないのだろうか?

 

自分は匿名のくせに正義の主人公みたいに威張りかえって主催者に「精神を疑う」とか、かなりひどい事を書いている。

 

書き込みをしていた人たちも反対派はお祭りの準備については無知識のようだ。ところが「あんたたち主催者はそんなに金儲けしたいのか?金に目がくらんでいるのか?」とまで書き込んでいる。

 

てか、君らニュージーランドで生活をして多様な価値観を身に付けているのではなかったのか?ここに来てまで目先の感情論で他人の足を引っ張るだけで自分は何もしない、そういう腐れた卑怯者根性を恥ずかしいと思わないのか?

 

http://prayforjapan.jp/tweet.html

 

先ほど日本のお客様から送られてきたついったーである。低俗で卑怯な書き込みをする前に、ぜひとも読んでほしい。そして自分のバカげた行動を反省してほしい。



tom_eastwind at 14:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月11日

大地震

3月10日の木曜日に東京を出発して名古屋へ移動、福井からのお客様と名古屋駅のホテルでミーティングを行う。彼の話はまさに今後の日本のエネルギー行政を示すような話である。

 

3月11日の金曜日は長くお付き合い頂いている名古屋のお客様とひつまぶしの昼食を頂きながらよもやま話をする。ただこのよもやま話は「あらま〜、素敵なお洋服、どちらで買われたんですか〜?」ではない。

 

今の日本はどうあるべきか、そのために名古屋市議会選挙をどう位置付けるか、日本を復活させるとしても当面の障害物である官僚機構をどのように解体すれば良いか、いつ頃を目標に日本を成長路線に乗せて、そのために逆算して今何をすべきか、日本の強みは何か、などなど、まるで維新前夜の京都の料亭で話すような内容だ(笑)。

 

それでも誰もが危機意識を持っている。問題はどっちに進めば良いか分からない、って点だが、このお客様はその点も明確であり「当面は海外でしょうな」。

その後名古屋駅まで送っていただき、時刻表を見たら14:53ののぞみがある。

そのまますぐに予約をしてプラットフォームで待ってると、昼食にビールを飲んだのでもないのになぜか足元がぐらぐら。

なんじゃこりゃ?横にふーらふーらと揺れるのですが、だれもあんまり気にしていない。そうこうするうちにアナウンス。

「東北大地震!」

のぼりの新幹線は全部停止、博多行きの新幹線も私が乗ったのぞみが、最後にまともに走った電車で、それ以降は大幅間引き。

今は福岡で地震中継を見てますが、一番気になるのは福島原発で冷却水が注入できないという話。問題の大きさにこれ以上書きようがない。つい昨日原発の話をしたとこでこうなるか。

それにしても当初の予定では今日は東京にいたはずで、途中から急ぎのアポが入り急きょ日程変更したのですが、そうでなければ今日は東京にいたわけで、う〜ん・・・。



tom_eastwind at 01:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月09日

沖縄はゆすりたかりの名人????

 

アメリカ国務省メア日本部長の発言に対して沖縄及び日本政府は発言撤回と謝罪を求めている。それに対してキャンベル国務次官補は「誤解について謝罪したい」と述べた。

 

この「誤解」とは、メア日本部長が本当に言いたかったのは「日本政府は沖縄を使って日本国民の税金をゆすりたかりして米国のせいにしたりする名人だ」だ。

 

ゆすりたかりと言っても誰の金の話をしているのか?それは米国から金をゆすったって話ではないよね。米国が金だすわけないじゃん。

 

沖縄の人がお金を欲しがっているという名目で政府が国民の税金を吸い上げて沖縄対策と言う名目で自分たちの天下り先や時には自分たちのポケットに直接入れてるのが現状でしょ。

 

そんなのは沖縄海洋博の時代から全く変わってない。沖縄のためと言うおためごかしで本土の土建業者が沖縄の自然をぶち壊して金儲けして沖縄の自立にも成長にも役立たず、海洋博が終わった後の沖縄は崩れたホテルやレストランなどの残骸が立ち並ぶ58号線がその悲惨さを表していた。

 

ぼくは1980年代に沖縄には2か月に1回くらい出張していたので、屋根が壊れて傾いた元レストランやまるで幽霊屋敷のような薄汚れたホテルの入口に大きな材木をバッテン式に打ち付けてた現場を見てた。

 

つまり押し付けやゆすりたかりの名人は実は日本政府。危ない基地はほとんど全部沖縄に押し付けて横田基地に置いてる米軍基地は東京でクーデターが起こった時の政府保護のためだけ。

 

沖縄には適当に補助金(国民から取り立てた税金)渡してわざと自立出来ないようにしておいて(補助金を貰う地方やビジネスは自立出来ない)基地を押し付けた。

 

日本国民には政府が使いまくった借金の押し付け。さあ皆さん、年金財源がありませんよ、年金減らすか増税するか、どうしますか?だってさ。

 

地方自治体には政府が作ったルールを押し付けて自治体が自治出来ないようにして長い間痴呆状態にしておいて「自治体は能力ないからね〜やっぱり中央がやらなきゃね」となる。

 

米国からすれば意味不明な日本政府の対応である。沖縄の海兵隊移転についてはすでにグアムと方針が出ており、グアムに移したくない、もう少し普天間で金を儲けたい、つまり国民の税金で私腹を肥やしたい人々が「抵抗」しているだけだ。

 

ところがアメリカでもペンタゴンを中心とする軍産複合体と日本の一部利権者の関係は戦後60年以上続きその関係はずぶずぶであり、昨日今日政権を取った民主党では全然歯が立たない。

 

第二次世界大戦の最後、沖縄は日本最後の砦として戦った。その記録はあまりにも悲惨であり、当時摩文仁の丘のふもとにあった資料館では、何度見ても涙が止まらなかった。

 

つまり日本政府は戦争の捨て駒として沖縄を使い、所詮は大和民族ではない連中だ、牛島司令官率いる沖縄守備隊と共に民間も盾にしてしまえという考えだった。

 

沖縄に関しては個人的な思い入れがあるためこのような事を書いたが、ぼくは沖縄の人々と風土が好きだ。

 

初めて沖縄に行った時、那覇市内の裏道を歩いていると広い中庭のある風通しのよさそうな平屋建ての家があった。

 

腰ほどの高さの低い塀を通ると、そこにはのんびり座って団扇を使っているおばあちゃんがいた。ぼくは最初この場所がなんだかよく分からず、「あの、すみません、ここはなんですか?」とあふぉみたいに聞いてしまった。

 

おばあちゃんはあおぐ団扇を止めて左手で家の中の座敷にあるちゃぶ台を示して、にこっと笑って何か言った。ゆっくり立ち上がるとメニューを見せてくれた。

 

そーきそば.

 

自分の店をそば屋と言うわけでもない、暖簾を出すわけでもない、ただそこにあるだけ。沖縄の熱い夏空の下、風通しの良い座敷に座っておばあちゃんがそーきそばを作ってくれる間、何とも言えない空気に触れた。

 

それから沖縄との付き合いは10年近く続いたが、いつまで経っても彼らの中には入れなかった。しょせんぼくらはやまとんちゅーなのだ。

 

今回のゆすりたかり発言については、メア部長は本当の事を言うべきである。ゆすりたかりの名人は日本政府であるって事を。



tom_eastwind at 00:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月08日

お笑い国会 

法律は誰のもの?

答=役人のもの。

理由=法律は細部に宿るというが、その細部である通達は役人が決めている。つまり政治家が国会で決めてる法律なんてのも裏方である役人が決めて政治家が表に出てぼこぼこにされながら決めさせて、またも裏方の役人がその法律を自分たちの有利になるように判断しているのが現実だ。

 

だからどっかの大臣が知らないままに課長が法律を決めて日本全国に通達するという現実が出てくる。これはいかにも日本的だ。戦前もそうだった、だれもが責任を取らず何も知らないまま物事はいつの間にか進んでいく。

 

午後から部屋で仕事していたらちょうどNHKで国会中継をやるというのでテレビを付けながら仕事を続けた。

 

ところがあんまり面白いものだから5分に1回くらい笑いながらメール書いたり書類作ったりしたので誤字脱字だらけ。

 

それにしても管政権、ここまで来るとあわれですな。野党にぼこぼこにされて笑いものにされて、質問に対してまともに答えも出来ずにいる。

 

その中で一つ興味があったのが介護問題である。共産党の質問時間に「特別養護」問題が提起された。48歳の男性が父親の介護の為に会社を辞めて父親と同居、生活費は父親が受け取る年金10万円だけである、この現実を政府はどう考えるか。

 

介護問題はまさに日本人自身の政治への他人事意識てか当事者意識の薄さ、日常生活では他人に対しては「子供は親の面倒を見るものよ」と格好良い事を言って自分がその立場になった途端に自縄自縛で「あらま、大変だわ」ってことになる。

 

ニュージーランドでは日本のような介護問題はない。何故ならリタイアメントビレッジと言う仕組みと教会を中心としたボランティアが発達しているからだ。そして何よりも大きな違いは国民自身が当事者意識を持って介護を考えている。

 

勤労世代は働いて社会の生産性を上げる。体の弱った老人はリタイアメントビレッジに入居して同じ世代の人たちと助け合いながら共同生活を送る。

 

ビレッジは元々教会が運営していたが政府の方針で民営化されて大小さまざまなビレッジが自由競争の中で高品質のサービスを常識的な費用で提供している。

 

入居は日本のような数千万円なんてのはなく、基本的に年金があれば生活出来るようになっている。

 

大きなビレッジなら中心に病院を配置してビレッジ内はバリアフリー、銀行、郵便局、コンビニ、教会がその周囲に集まっている。

 

日本では親の面倒は子供が見るという古くからの教えを変える事が出来ないまま、他人には「親を見るのは子供の義務でしょう!」と言うが、その前提である三世代同居がすでに崩壊しているのだから、そんなの出来るわけないじゃんか。

 

と言う事で父親が病気になった瞬間から子供の義務が始まるが、その介護はどれほど生産性があるのか?それよりも介護は専門のビレッジに任せて勤労世代は労働した方がプラスでしょう。

 

元々ニュージーランドでは子供は学校を卒業すると親元を離れて一人暮らしをする習慣がある。この点個人主義が徹底している。だから三世代同居と言う発想がない。

 

だからいずれ両親は病気になり体も弱る。その時子供は一緒にいない、だから親も体が弱ればリタイアメントビレッジと言う発想があるのでどちらの負担にもならない。ビレッジ運営で民間ビジネスも成長する。体が弱って死期が近づけばホスピスがある。

 

このリタイアメントビレッジ、訪問すると分かるが日本のような養護施設とか老人ホームのような姥捨て山ではない。むしろ残された人生をもっと積極的に楽しもうとする人々の笑いで溢れている。

 

日本では三世代同居から核家族に変わったのにいつまでも過去の文言だけを取り上げて自分の頭で何も考えずに子供による介護を要求する、そこに今の日本の問題がある。

 

その上に乗っかってるもう一つの問題が政府による「見て見ぬふり」である。介護が問題になるだろうことは1980年代からわかっていた。核家族化が進むことでこの問題が発生するのにその対応を取らなかった。なぜか?金がかかるし国民意識を変化させるのが面倒だったからだ。

 

介護問題は日本社会全体の問題でありこれからさらに大きな問題になっていく。今何よりも大事なのは時代に合わせた発想の転換である。労働者世代を巻き込んで老齢者と共に討死するのが美徳なのか?

 

医療も介護もどれだけ国会で話し合っても結論が出ない。出るわけがない、だって国民自身が「老いと死」と言う事実に対して当事者意識を持って向かい合っていないからだ。



tom_eastwind at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月07日

自縄自縛

「私が外相になってから、あなたは6人目の日本の外相だ」。前原氏は6日の記者会見で、他国の外相からこう揶揄(やゆ)されたことを明らかにした。外相就任直後の昨年9月には、国連総会の場で別の国の関係者から「せっかくミスター岡田(元外相の岡田克也民主党幹事長)と知り合いになったと思ったら、また代わったのか」と残念がられたという。前原氏は「国益を損ねることを自らしてしまった」と肩を落とした。

前原外務大臣の辞職。ガイジンを恐れる純血主義者が自分らで意味のない法律を作っておいてそこにはまってしまった。これでまた政治が遅れる。

 

これで喜ぶのは官僚である。政治家が弱ければ弱いほど本来はサポート機能である官僚が「お殿様、わたくしどもがやっておりますのでご心配なく。国会ではこのようにお答え下さい」となり、母屋の国会では政治家がぼこぼこにされている間、彼らは離れの次官会議で“すき焼き”を楽しんでいけるからだ。

 

外務省内では、「戦略的なバランス感覚に優れ、安心感があった」(幹部)などと評判は上々だった。一方、突然の外相辞任でも幹部同士が「誰が大臣でも、プロとして支えなければならない」と確認し合うなど、動揺は少ない。

 

要するに政治家などお飾り、実務、つまり政治はおれたちがやるって事ですな。たいしたもんだ、選挙によって選ばれたわけでもないのに、何の責任も取らないのに権力だけは全部自分たちが押さえてしまう官僚たち。

 

問題点は明確である。みんなの党の渡辺さんがいつも言ってるように官僚制度の改革でしか今の日本の方向を訂正することは出来ない。

 

たぶん役人でも若い人々はこのままではだめだと感じていると思う。しかしそんな事を上司に言えば出世出来ず、出世出来ねば自分の思いも発揮出来ず、出世する為にいつの間にか上司の真似をして役人天国を作り上げる。

 

こんな問題は誰でもわかっている。問題は、どう解決するかだ。解決方法はある。かなり究極的でありブログで書けるような話ではない事も含めていくつかある。

 

けれど、どのような手段を取るにせよ一番の問題は、それが一時的にせよ国民の個人に大きな負担を強いるという事だ。今はまさに、国民一人一人がその負担を支えるだけの気持ちがあるか、だ。

 

けど、多くの人々は毎日飢え死にもせずに生きていける“茹でカエル状態”が結局気持ち良いのだろうと思う。日本が変化するのは、まだまだ先の事だなって思う。



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2011年03月04日

お受験

大学受験でネットを使って答案書いたって学生がいた。無邪気ってか、すぐばれるでしょって手口であるが、なぜかこれが今の日本でクライストチャーチ地震並みのニュースとして取り上げられている。

 

今回の事件ではマスコミは「公正であるはずの“お受験”でカンニングをするなんてどういう事だ、第一ネットがあるからこんなカンニングが起こるのだ、ネットが悪いんだ」なんて、あふぉ丸出しでネット叩きをしている。

 

バカと言うか未熟と言うか、いや、この受験生の事ではなくマスコミの姿勢である。

 

バカとは受験が公正である事を前提としているくらい社会常識がないって意味だ。マスコミで働くなら受験は「それほど」公正ではないってくらい知ってるでしょ。

 

例えば慶応大学の幼稚園から始まるお受験競争はコネが必要だし金も必要だ。東大や京大の場合は成績だけで決まると言ってもそれは非常に賢くて成績の良い一部の学生だけであり、多くの受験生は親にすがって塾に行き夜遅くまで勉強出来る環境を親が用意してくれるのだから親が貧乏であれば「かなり不利」な競争になるのだ。

 

未熟と言うのはここでネット悪人論を書くけど、そんなもん簡単に看破されるのはわかりきってるでしょ物書きなら。こういけばああなる、そうするとこうやって叩き返されるってのが分からないほど物書きとして未熟なのだ。

 

ネットと包丁を比較してみれば分かる事で、包丁で刺される事件が起こって「包丁が悪い、あんなもんがあるから人が刺されるのだ〜」なんて言ってるようなもんだ。

 

受験生と同い年のうちの娘にこの話をすると、なんだかいかにも「あ〜あ」って感じでこういった。「日本の学生は今頃そんなことやってんの?だいいちケータイを受験会場に持ち込みさせてる先生ってのが時代遅れでしょ」

 

受験が「大学が受験生を試すシステム」であれば、つまり上が作った政策であれば、受験生だって大学相手に対策を持つのが当然だ。上に政策あれば下に対策ありだ。だからこそ受験勉強では本を買って今年の受験の傾向と対策を考えるわけで、その究極的な対策がカンニングである。

 

ぼくは別にカンニングが良いと言ってるわけではない。ただ同じ日の新聞でクライストチャーチの地震被害者の遺族が本人を見つけられずに帰国する記事が一番後ろに載っていたが、要するに今の時期の記事ネタとしては遠いクライストチャーチで亡くなった人々よりも受験会場でネットを使ったカンニング事件の方が大きく取り上げられるという事実が、今の日本、どうなんだ?と言う感じなのだ。

 

はっきり言えばたかが受験ではないか。大学受験のカンニングは悪いなんて言ってるけど、じゃあ中学や高校の中間テストや人生における様々なテストの機会でカンニングをするのは良いのか?水泳の授業の時に痛くもない腹で病欠するのは良いのか?

 

ニュージーランドにも学校ではテストがある。しかし他人を蹴落として大学に受かるという受験競争は存在しない。大学は、行きたければ中学と高校でNCEAと言うシステムの中で必要な単位を取れば誰でも行ける。

 

大学は学びたいことがある人が行くところであるのが本来なのに、日本ではいつの間にか大学が就職予備校になっているし大学に入学した時点で「おれ、苦しい受験勉強に耐えて日本式の金太郎飴にもなれることを証明しましたよ」というシグナリングを企業に発信するだけなのだ。

 

そんな低レベルの話にしか過ぎないのに警察が出てきて「逮捕」だろ、ここまで大きく取り扱う必要があるのか?どうしてもネットを叩きたいのか?全く意味不明の事件である。



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2011年02月27日

だれがこんな社会を作ったのだ? 武富士

2月が終わった。忙しさという面では一日に3〜4件の面談を毎日繰り返したのだから相当きつい日程である。今月の面談で目立ったのは将来を視野に入れた移住、起業や投資である。

 

武富士事件ではぼくからすれば普通に「おお、司法がまともに発動されたね」と思ってたら、日本の一般的な人々の間では正反対の反応が出ている。

 

「サラ金過払い訴訟で問題になっているサラ金の親玉と言えば武富士であり社会問題になった取り立て、過払い訴訟が出るとすぐに会社を倒産させて支払いを逃れる手口」

 

「まさに社会の悪玉であり、なんでそうやって反社会的な手法で儲けた金をその子供が受け取り、さらに政府からの約600億円の追加支払いなんだ!」

 

なるほどね〜、そういう見方もあるんだ。ぼくからすれば法律は出来る限り少ない方が良い、社会は出来る限り決まりが少ない方が自由に生きられると考えている。

 

しかしそれでも多くの人が様々な価値観の中で生きていく以上最低限の法律が必要であるのも理解している。

 

そしてその法律は事前に予測できるものでなくてはならない。法律文がありそれはこう解釈すると最初に決まりがあるからこそ人々はその決まりの中で生活をする。

 

ところがその解釈が国側によって勝手に判断されるようになれば、それはもう司法国家ではない。国民は一切の活動を停止する必要に迫られる。例えば空気を吸って「国家財産である空気を無許可で吸った」と言われて逮捕されたらどうする?

 

空気?バカな話をするなよとお思いかもしれないが、では電波はどうだ?これは電磁波という自然現象でありどこの国にも存在する。つまり水や空気と同じである。なのに今の日本では電波が国によって「管理」されており、勝手に使ってはいけないのだ、罰されるのだ。

 

例えばあなたが日本の海でマグロ(魚は何でも良いのだが)を釣って刺身にして食べたとしよう。2年後にマグロ愛護法案が成立して、過去10年に遡ってマグロを殺した人間は犯罪行為とする、懲役5年です!なんて言われたらどうする?

 

マグロはもちろん極論ではあるが、人々が法律の元で権利を保障される代わりに法律を守るのは当然である。したがってその法律が何を示しているのか、事前予測が出来なければダメなのは当然。

 

さらに法律は不遡及の原則というのがあり、法律がなかった時点で行った行為を後付の法律で裁くことは出来ないという大原則がある。考えてみれば当然のことで、マグロ愛護法がない時にマグロを食って、後付のマグロ法で逮捕されるなんて馬鹿な話にはならない。

 

それと今回の武富士は全く同じ構図であり、武富士側が法律に則って法律の範囲内で節税をしたのだから、国民が文句を言うのなら法律を改正するべき立場の国会や税務署が、やるべき法改正をきちんとやらなかった怠慢を指摘すべきである。

 

判決の一部↓

須藤裁判長は補足意見で「海外経由で両親が子に財産を無税で移転したもので、著しい不公平感を免れない。国内にも住居があったとも見え、一般の法感情からは違和感もある」と、俊樹氏側の行為が税回避目的だったと判断しながらも「厳格な法解釈が求められる以上、課税取り消しはやむを得ない」と述べた。

 

そう、これは普通に法律を理解しておけば何の疑問もない判決であり、本来まともに解釈されるべき法律が二審で捻じ曲げられた、それが政府の恣意によるものであれば政府の方が法の下の平等や公平性を破ったことになるのだ。

 

そういう問題を無視して、「サラ金野郎」が「鬼のような取り立て」で「反社会的に稼いだ金」を「子供に無税で渡した」上に「政府が賠償金を600億円も払うことになった」と言うのは感情論に過ぎない。

 

そしてその感情論を認めるとすれば今後は世論や政府の判断が法律より上位に来てしまい、それが結果的には政府の行動の自由を広げて結果的に国民自らを苦しめるということになる。

 

武富士の金などもともとぼくには何の関係もないし、他人に食わせてもらおうなんてこれっぽっちも思ってない。第一その金が政府のどこの部門に入ろうとどう途中で政府のに浪費されて国民の手元には殆ど回ってこないのだ。

 

それにぼくの納税先はニュージーランドなんだからってのが前提で今回の判決をとらえていたのだけど感情論ではまた違うとらえ方をするものだ。

 

この判決に対して作家である橘玲氏はブログで「法律は日本人が海外に居住することを前提としていない〜人々には移動の自由があるのだからどの国で納税するかは本人の判断だ」と書いたら「いやなら出ていけ、その方が日本が平和になるから」って書き込みがあった。

 

このような感情論が一般的日本社会の反応であり、戦前の日本ではそのような感情論が勝機のない戦争に日本を追い立て「鬼畜米英」を叫び、竹槍でB29高高度爆撃機を突き落す発想につながり結果的に日本を敗戦国にしてしまった。


もちろん国民の感情論だけではない何かがあったのだろう、仲間内で出世するための論理とかどうせ他人の金と命だとか、座して死ぬよりも討死をすべきだという強硬派とか。

いずれにしても
この敗戦国と言うレッテルを貼られて第二次世界大戦後に実質的に米国の属国にさせられて今のような日本を作ったのは、無知と無理解で無思考の感情論があることを忘れてはならない。



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2011年02月20日

労働組合というおらがむらについて

 国内最大の単一労働組合、日本郵政グループ労働組合(約23万8000人)は17日、都内で中央委員会を開き、2011年春闘でベースアップ(ベア)要求を見送る方針を説明した。ベア要求の見送りは3年連続。18日に正式決定する。

 

 竹内法心委員長は、あいさつで「グループ各社の事業規模縮小が顕著で、特に郵便事業会社(日本郵便)の経営再構築は急務だ」と述べた。年間一時金は前年実績(4.3カ月)を上回る4.4カ月を要求する方針。日本郵便の業績悪化を受け、経営側は人件費を削減する考えで、交渉は難航が予想される。(2011/02/17-12:18

 

年間4.3か月のボーナスですか!こりゃ誰でも役人になりたがるわな。ノルマがなくて手抜きが出来て昼飯食いに自宅に帰って昼寝出来るような仕事は滅多にないですぜ。

 

だいいちマスコミまで「ベア要求見送り」なんて調子の良い誤魔化しやってるし。だいいち何人の読者がベアの意味を理解しているのだろうか?

 

ベアとは日本語でも英語でもない組合語だが、給料の毎年の定期昇給の話である。以前の日本社会では毎年何もしなくても年を取れば給料が上がっていったのだが、それはまあ我慢しましょう、けどボーナスくらいはたっぷり頂戴ねという主張に見える。

 

けどそれは違う。何故なら毎年デフレによって数%ずつ物価が下がる中では現在の給与が下がらないということは相対的に毎年数%の賃上げ効果があるのだ。

 

つまり基本賃金の賃上げ=ベアはデフレに任せておいて、おれたちはボーナスたっぷり取りに行こうぜ、何せ今の政権は社会党である、組合の力が強いうちは獲れるものはたっぷり獲れってことだ。

 

その陰では今年は郵政は赤字だったから数千人の有期雇用者の解雇を行うという。彼らは組合員ではない。

 

ここで明確なのは、「おいこら、長いものに巻かれていう事聞くのならおれたち組合を選べ、けど組合以外の連中はどこへなりとも散ってしまえ」という姿勢である。

 

組合と役人だけが儲かる仕組みであれば、だれでもそこに入り込みたい。けどそこの仕組みとはまさに階級社会の中に組み込まれて、階級のいちばん上にいる支配者のいう事を聞くしかない。

 

彼らが気まぐれに「おいこら、そこのガキ、ちょっと飛んでみろ」と言われれば「なぜですか?」なんて聞き返してはいけない、「イエスサー、どれほど高く飛びましょうか!」が正しい答なのだ。

 

自分の人生を何とか守るために選んだ大企業や組合に組み入れらることで実はますます蟻地獄にはまりこんでいるのだが、それでも地方の中小企業やいつ潰れるか分からない実家の豆腐屋とかを継ぐよりもよほどよい、そう考えて選ぶのが役人道だ。

 

心をすりつぶして生きていく道を親も勧める、てか時には親が率先して子供の心をすりつぶしているのが現実だ、ただ毎日飯を食うためだけに。これってまさに七人の侍の百姓の話ではないか。だったら職業欄に「百姓サラリーマン」というのを新しく追加してもらいたいものだ。

 

そうかと思えば労働組合、今度は政府や経団連と組んで消費税の8%増税を管政権が作った「集中検討会議」でぶち上げている。

 

本来なら「おい、もっと減らすものを減らしてから消費税の話をしろや、例えば公務員の数と給料だ!」と訴えるべき労働組合による消費税増税合意には裏があり、それが官公労の賃上げやボーナス値上げや今回の日本郵政のような春闘要求を通すことである。

 

労働組合は組合員の生活を守るために活動しており国益は関係ないのだ、国民の税金という宝の山からどれだけ自分の分を分捕れるか、それだけを考えているのが彼らだ。

 

そういう現実を知っている母親は子供に「役人になるか大手企業の正社員になりなさい」と望むのだ。

 

これからの5年は確実に日本が泥沼の中に沈んでいく。自分たちは気づかないままに世界の中の二流国に落ちていく。

 

誰もがおらが村の目先の金だけを追い求める結果何が起こるか?てか、今まで歴史を振り返れば何が起こったか?

 

欧米列強がアジアを植民地化した時になぜ中国やあちこちの国が負けたか?それは列強による国内利益団体の分断であり、彼らに喧嘩をさせることで結果的に外資を受け入れる選択肢を選んだ。

 

つまり外資が乗り込んでくるときに国民が自分の懐だけ見てたら確実に国益が侵されて結果的に日本が乗っ取られるのである。

 

ではなぜ日本が分断されずに一つの国家として生まれ変わることが出来たか?それが維新の志士であり彼らは自分たち個人の利益など一切無視して国家としてどうあるべきかを考えて答を出すことが出来た。

 

ところが戦争に負けて日本から武士道がなくなりおらが村国家になってしまった現在、日本は外国に食われ放題である。

 

京都議定書による温暖化という欧州の詐欺に自ら首を差し出して1兆円以上の金を民間企業が払う事になった。ありもしない温暖化を餌に、空気に金を払ったのだ。

 

これも一部の官僚が「民間が払うカネだからいいや、その代わり外国に俺ら官僚がますます強くなるようなルールを認めてもらおう」となるからだ。

 

TPPでも国益を考える政治家がリーダーシップを取れないから参加各国からバカにされている。「あいつバカだからほっとけ」である。

 

管政権が作った「集中検討会議」に参加しているのがまさに日本という宝の山から自分の分を分捕ろうとしている連中の集まりであるから、外資から見たら実に潰しやすい状況である。

 

利益団体を各個分断してそれぞれに都合の良いことを言って振り回して、最終的に外資が儲かるようにするのだ。

 



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2011年02月12日

北方領土

東京で仕事をするときは、恵比寿から丸の内までタクシーで移動することが多い。これはぼくがむちゃくちゃ方法音痴で山手線を平気で反対周りに乗るとかを何回も繰り返して、駅に降りてからも出口が分からずにうろちょろしたりとかで結局お客様との面談時間に遅刻するってつらい経験をしたからだ。

 

Time is Money、まさにその通りで東京で押せ押せの時間表で仕事しているときは結局ドアからドアまでまっすぐに送ってくれるタクシーの方が効率的なのだ(苦笑)。

 

道順としては恵比寿から六本木通り、霞が関の前を抜けて丸の内となるのだが、このコースを通るたびに役所に掲げてる「北方領土返還!」って極太の文字で書かれた看板を見ることになる。

 

都内でも一等地に置いてる看板だから民間であればずいぶんと高い広告費になるんだろうな、けどこの広告主、いったい何が目的なのかな、いつもそう思ってしまう。

 

前原外相がロシア訪問、北方領土では全く解決の目途が立たずというネット記事が出てたが、そりゃそうでしょ、最初から足元見られてるんだから。

 

内側、つまり日本国内にいると訳の分からん感情論で目がくらんでしまい事実関係が分からなくなるかもしれないけど、外から見るとわかりやすい。

 

今までロシアは日本を頼りにしてカネを引っ張って極東アジアの経済成長を考えてたんだけど、天然ガスや石油のパイプラインは結局中国と手を組むことになり、そして尖閣での日本の領土問題に対する鈍感さが見えてきたものだから、「よっしゃ、こりゃ良い機会だ、今のうちに叩いておけ」となった。

 

感情論でぎゃーすか言ったりしているけど本気でやる気のない外務省と、外交なんて内政が忙しくてまともにやってられない政府が生んだ政治的空白に、KGB上がりの戦略家が攻め込んできたわけだ。

 

イギリスはサッチャー政権時代にアルゼンチンとフォークランド諸島の領有権を巡って戦争をした。

 

フォークランド自体が何かの資源があるわけではなく、南大西洋の小島であり戦略的にどうこういう事もない。

 

つまり戦争をしても何かの資源を取れるとか戦略的に有利になれるとか、そんなもん何もないのに戦争をした。

 

それはただひたすら、国家とは領土があるから存在出来る、その基本を犯そうとした連中がいれば自分の血を流してでも徹底的に自分の領土を主張する、そういうことだ。

 

日本が本気で北方領土を返還というならロシアと戦争すればよい。今までは日露戦争で一勝、ノモンハンで一敗だけど、日本に近い場所でやれば兵站も有利だし、逆に言えばロシアからすれば部隊を動かすのに大変な場所であるから勝ち目はある。

 

自衛隊は外国に戦争には行きませんとは言いながらも国内の領土を守ることであれば憲法違反でもない。堂々と殴り込みに行けばよい。

 

戦後から今まで放置していたからなんとなくロシアのもの、みたいな雰囲気になっているが、これをさらに放置すれば国際的にも日本は領土主権を主張出来なくなる。

 

だから霞が関に看板かけてぎゃーぎゃー言うくらいなら最初から戦争仕掛ければよいのだ。

 

けど実態としては米国追従戦略の中で冷戦中に仮想敵国としておくと同時に世間に対しても「ねえねえ、ソビエトってひどいよね、なんか戦争の終わりにどさくさに北方領土かっぱらっちゃってさ、ねえねえ、ひどいね、じゃあもう一杯いきましょうか〜」と酒の肴に混ぜこんでしまい、結局一度も本気で取り返そうとしなかった。

 

これは北朝鮮に拉致された人々と全く同じ構図である。要するに政府からすれば国民が拉致されようが使い物にならない北方の島がどうあっても関係ない、東京のブラックゾーンである皇居とその周辺の人々が平和に国家運営出来ればよいのだ。

 

だから米国に対して「ぼくちゃん、あなたの犬ですよ、わんわん」と言いつつ、米国の仮想敵国であるソビエトが「おい、隣同士なんだから仲良くして極東の石油や天然ガスを掘ろうぜ、北方領土も半分くらいな返すからさ、後の二つもそのうち話をしようや」という提案に対して、そんなことされて本当にソビエトと仲良くなると米国のご機嫌を損ねるからと米国様の気持ちを“忖度”して、「ダメだよ、四つ一緒じゃないとダメだよ!」

 

要するに金にならない北方領土なんてどうでもよいし、四つと突っ張ることでソビエトが内政的に受け入れられない状況にしておくのが米国わんわん日本にとって最良の選択であったと外務省が判断して現在に至るわけだ。

 

ところが肝心のアメリカ様が最近はすっかり中東に目が行ってしまいロシアとも仲良くするようになり、更に日本を無視して中国とも取引をするようになった。

 

あれ?なんじゃこりゃ?戦後50年続けてきた体制がひっくり返ったじゃないのよ、アメリカ様、あたしを見捨てるの?だったら早いとこロシアとも仲良くしなきゃ、けど鈴木宗雄は国策逮捕で潰したからロシアとの窓口ないよねなんて思ってたところに尖閣問題だ。

 

これを見たロシアは「やったれ!」とばかりに北方領土を駒に使って日本に対して強気に出て「おい、資源不要なのですか?てか領土も不要ですよね、あんたの欲しいのは箱根から前橋まででしょ、だから北方はこっちのもんだと世界に公表しますよ」となった。

 

中国だって領土問題は国家の根幹である大問題だから尖閣だってとれるものなら取ってやるって、やる気満々だ。

 

それに対して日本がやることって言ったら朝のバラエティニュース番組でオールバックの爺さんテレビ芸人に「ほら、この古文書に書いてるでしょ、ここは日本領土って書いてるでしょ!」と内向きに騒ぐだけ。

 

北方領土も全く同じであり、要するに日本は本州を含めた四つあれば良いのだ。てか正確に言えば関東だけで良いのだ、残りの地域については他国が欲しければもってけ、その代わり政治ネタで使わせてもらいますよ、くらいの事だ。

 

それは皇居のまわりや霞が関の自分たちの領土だけは米軍の傘に守ってもらうけど騒音とか兵隊犯罪とか面倒なのは沖縄に米軍基地を押し付けて沖縄さん、あんたらはしょせん外様なんだから我慢しなさいって姿勢にもよく出ている。

 

領土問題は世界中どこでも抱えている恒久的な問題である。日本とロシア、日本と韓国、日本と中国だけが抱えている問題ではない。そして大事なのは、国境線はいつの時代も力関係で変化するということだ。

 

国境を本気で守る気があるなら、何も得るものがなくても戦い、血を流してでも自分の領土を守る、そういう姿勢を近隣諸国に対して見せる必要がある。

 

そういう毅然とした姿勢を見せていくか、それとも黙って領土を差し出すか。政府の判断だ。

 

ただ、表面的には「かえせ〜」とか言いながらも何らの実力行使をしない北朝鮮拉致問題、逮捕しても「あ、それ、おれ、知らんし」とすぐに釈放する尖閣問題、極東資源を得る機会があったのに国内問題で鈴木宗雄を国策逮捕してせっかくの機会を失ってしまった北方領土問題。

 

すべての問題に見えるのは「自分に関係ないことは知らん」という長期戦略のなさであるし、外務省や政府が国民や海の向こうの領土なんて結局どうでも良い、俺ら江戸城の近くに住んでるところだけが良ければいいんだもんね〜という姿勢だ。

 

だったらと本気で思うが、歴代首相の子供を全部誘拐して北朝鮮に拉致してしまえばどうだろう?

もっと言えば有楽町あたりに北朝鮮特殊部隊が上陸して霞が関に銃弾撃ち込んで「ゴルァ、日本は古来から朝鮮の領土だ!」なんて言わせてみれば面白いものだ。

 



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2011年02月08日

官費で海外旅行ですかい!

『若手英語教員 米に半年派遣 −「内向き」打破、教える側から 「生きた言葉」指導力向上、文科省など 』

「英語を教える日本人教員の力量を高めようと、文部科学省と外務省は来年度から、2030代の若手教員100人を米国の大学に半年間派遣する事業を始める。英語の効果的な教え方を学ぶほか、ホームステイを通じてコミュニケーション能力磨く。日本人留学生の減少が問題になる中、教員が率先して海外に飛び出し、若者の「内向き志向」の打破につなげたい考えだ。」

 

ほうほう。政府民主党は自分たちを支える自治労や日教組を喜ばせるために今回は何と全額公費で半年の海外旅行をご招待ですか!

 

この事業にかかる費用は5億円、それによって得られる利益は日教組に参加している組合員の喜び。

 

まったくバカな話である。

 

ぼくは留学の仕事については十数年の経験があるしこれは旅行業の派生ビジネスであるからまさにぼくの業務範囲内の話であるからよくわかるが、よっくもまあ民主党政府、次回で敗退確定しているからってんで、今のうちに出来るだけたくさん余禄を獲得しておくつもりだな。

 

それにしても、20歳過ぎた人間が半年海外で生活して、それで「生きた英語」が出来るわけないだろ〜が!ましてや英語での指導力?笑わせるな、人生で楽をしようと役人を選んだ無気力な連中がどうやって指導をするのか?

 

この事業計画、当初は1000名を1年留学とか言ってたらしいが、さすがにそれやったらお手盛りがバレバレだからと人数や期間を短くしたのだろうが、いったんこういう流れを作れば、今回は政府が全額出してってことだから次は自治体にも出させるようにして役人合法海外旅行を拡大しようと計画しているのだろう。

 

そうやって日教組大海外旅行の出来上がりである。費用?もちろん全額税金ですよ。

 

10年くらい前かな、ぼくは大学卒業の条件に一年の海外生活を組み入れろと言ったことがある。

 

大学が4年制度なんてのは誰かが決めた規則なんだからそれを社会の変動に合わせて5年にすればよいこと。

 

大学在学中に一年間海外で過ごして、その費用の一部を政府が負担する、そして外から見た日本がどうなのか、本来の日本とはどうあるべきか、そういう事を考えながら英語の勉強もしてもらえばよい。

 

けれどそんな事を日本の留学会社に話をするとせせら笑われて「現実的ではないですね〜」だってさ。「だって日本政府はそんなこと考えてませんから」。それが今は全然違った形で税金で役人に海外旅行させようってんだから、まったくふざけんなである。

 

半年の留学の間も役人の給料は保障されているわけであり、こんな美味しい話はないわな。

 

国を変えようと思えば明治時代に国費で留学した若者たちのような人々に国家として投資をしなければいけない。今の時代であれば大学在学中に一年の海外生活をさせることは費用対効果を考えれば十分に効果が大きい。

 

外国で英語が通じないつらい思いをして、日本食レストランでアルバイトをして仕事の苦しさを学び、日本がどれだけ恵まれた国かを理解したうえで、じゃあ日本をどうしようかって考えるのが本筋ではないか。

 

なのにこれはまさに換骨奪胎である。はっきり言えば「生きた英語」なんて大学卒業して役人社会に入って一生首にならない生活を保障された人間が学ぶことなんて不可能。だって苦労を知らないし知りたくないんだから。

 

生きた英語が何を意味するのか?それは生き残るための英語だ。一生を保障されている人間がなぜ努力をするか?やらなくてもよい努力をすると思うか?

 

しないって、絶対。だって、公務員を選んだその時点で彼らは人生に安定を求めているのだから、つまり楽をして飯を食える道を選んでいるのに今さら苦労して「生き残るための英語」なんて学ぶわけがない。

 

もし役人の言う「生きた英語」が、米国人にHow are you ? と話しかけられてI’m fine thank you と返すことを意味するのならそれは日本の学校で十分に学べる。これは技術であるからわざわざ留学しなくても学べる。

 

生きた英語が日常の生活会話ではなくビジネスで使う英語を意味するなら半年の留学でも全く無意味。何故ならビジネス英語はまず日本語でビジネスを理解している必要があるけど学校の先生がどうやってビジネスの基礎知識を持つことが出来るか?

 

彼らは税金を使うことだけ学んでいるのであり金を生み出すことなど全く理解できない。母国語の日本語でさえ理解出来てないことをどうやって英語で理解しようというのだ。

 

生きた英語が生き残る英語を意味するのであれば、留学に参加する教師は一旦退職して給料をなしにして海外で生き残るためにどうするのかを考えさせるべきだ。しかしもちろんそんなことはあり得ない、何故なら彼らは給料を保障されてるから海外旅行に行くのだ。

 

では半年の留学で学べることってなんだ?それは日教組が権力を持つことがどれほど素晴らしいかを学ぶことだけだ。



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2011年02月07日

名古屋のミラクルだぎゃー

名古屋のトリプル選挙は河村市長の全面勝利で終わった。知事は盟友、議会は解散、自分は市長に再選される、まさにぎゃははーと笑いが止まらないでしょ。

 

名古屋にはぼくの最重要顧客がいらっしゃり、名古屋市政についてもいろいろと話を聞かせてもらってる。

 

河村さんというのは明るい方のようで、リコールが決まった時に「名古屋のミラクルだ!」と言ったそうだが、ミラクルだけ英語で言わんでちょーよって感じで笑わせてくれた。

 

自民党の小池百合子総務会長は党推薦知事候補の応援で「伊達直人は子どもにランドセルを贈るが、菅直人は子どもに将来の借金を背負わせる」。

 

これもうまいことを言ったものだ。座布団一枚ですね。

 

議員報酬の減額とか住民税の減額とかどちらも住民にはうれしいばかりの話である。その金額が多い少ないではなく、政治家が市民を見て活動していると肌で感じられるからだ。

 

こういう事を最初にきちんとやっておけば後になって「市民の皆さんにも負担を求める」ような提案をするときでも通りやすい。

 

河村さんは期せずしてこのような提案をしたのか、今日のある事を予想していたのか、おそらく予想はしてなかったと思うが、政治的に勢いがつきましたね。

 

これで市議会議員選挙で河村市長側は40人くらいの市議候補を立てると言ってるから、もしかして半数以上が河村市長派になるかもしれない。

 

リコールされた議員側では自分のブログなどでずっと防戦、ある市議は「どうせおれたち今年の4月で任期終了なのになんで一か月早めるためだけに何億円もの選挙費用をかけるなんて民主主義じゃない!」なんて書いてる。

 

「対立よりも対話を」とか「わたしたちの声が市民に届かない」とか「河村市長は聞く耳を持たない」とか、彼らのブログでずいぶんいろいろと書いている。

 

しかしな〜、少なくとも「議会」なんて立派な名前の付く場所で「議員」なんて役職をもらってんのに、反論の内容がこの程度か〜、それも情けないよな。

 

何億円もの選挙費用を払ってでもお前らをとっとと首にしたい、自分の意見を表明したい、そう思ってる人が40万人以上いたってことでしょ。

 

第一まさに市民の金だ、それをどう使おうと市民の勝手でしょ、あんたら「雇われ」が口出しするんじゃないよ。てか、あんたらがだらしないからこんな結果になるんだぎゃー。

 

「わたしたちの声が市民に届かない」って、あなたはどこに住んでるんですか(笑)。

 

まあいちいち市議会側の反対政策を取り上げて批評はしないが、どれも説得力がないんだよね、こうすればこうなるじゃないかとかあーすればいいじゃないかってんなら、リコールされる前に実行しておけよ。

 

自分たちが議員で安泰安穏としている間はそっくり返って議会内で椅子取りゲームの派閥争いで市民の気持ちを無視しておいて、いざ自分の椅子がひっくり返されそうになると突然「あーでもないこーでもない」って言い訳でしょ。

 

愛知県知事が変わり名古屋市長が再選され市議会はリコールされた。阿久根で市長が負けただけに「阿久根の市民、自己責任」と言いながらも正直がっかりしていたが、今回はうれしいな。

 

ぼくの持論であるしニュージーランドではすでに実現されているが、政治家とは市民や国民代表であり、これは名誉職である。または、誰かがやらなければいけない「高貴なる義務」である。

 

だからニュージーランドでは議員活動に報酬を払うがそれは活動費であり生活費ではない。ましてや議員特権を使って何かやったら速攻で辞任だ。2か月ほど前も国民党の中国系女性議員が「旅費の不適切な支出」で辞任したし、さらにほかの議員は出張先のホテルでエロビデオ見たのを議員のクレジットカードでついつい払ってただけで議会での役職をはく奪されるスキャンダルになるほどの国だ。

 

代々の首相でさえも本職が別にあって一時的に首相をするって感覚がこちらでは普通だ。

 

例えば1984年から1989年まで首相を務めてニュージーランドをそれまでの社会主義から市場主義に大変化させたデイビッドロンギ首相は現職の弁護士であり政治家を引退した後はオークランドで弁護士に戻った。

 

1990年から1997年まで首相を務めたジムボルジャーは元々が農夫であり30代後半になって初めて農民代表として国民党に加入して首相になった。今でも牧場を持っている。現在はキーウィバンクの会長を務めている。

 

1998年から2008年まで首相を務めたヘレンクラークは大学の講師であり首相引退後は国連のNo3として活躍している。

 

現首相であるジョン・キーは若いころから海外に飛び出て国際金融ビジネスで活躍し、最後はメリルリンチ米国本社の副社長にまで上り詰めた人物である。

 

本来の民主主義においては名誉職であり義務で参加する人が、なぜ多額の議員報酬を得て議員年金をもらい経費を役所へのつけ回しみたいな事をしておいて何期も議員を続け、挙句の果てには地盤を子供に譲る。

 

こんなのニュージーランドでは考えられないことだ。

 

てか子供に地盤を譲るんなら相続税払えっちゅうに。こういう都合の悪い部分は「いやいや、地盤は資産価値が計れない」とか言い訳する。ふざけんな、市議選挙で新人が最初の一回目に使った費用を目安とすれば地盤の計算は可能である。

 

これを機会に日本各地で議員報酬の半減や議員数の20%削減とかを住民投票で決議してみたらどうだろうか?

 

そして議員になる人々全員に必ず聞く。「あなたは金の為に議員をするのですか、市民の為に議員をするのですか?」



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2011年02月04日

はっけよーい、のこれるか?

大相撲の問題で大阪の春場所が取り消しになるとのこと。

いつもニュージーランドから見た日本という視点で書いてるので、この問題をニュージーランドのALL BLACKSというラグビーチームに例えてみると、まさに「あり得ない」だ。

りょうまくんの小学校の頃のテストでこんなのがあった。5名くらいの顔写真とその下の枠に職業が乗ってるのだが、だれがだれかを当てましょうって内容だ。

そこに出てたのはニュージーランドの首相とALLBLACKSのキャプテン”ショーン・フィッツパトリック”の写真。

ニュージーランドではそれほどにスポーツマンの地位は高く、なおかつ彼らは全く威張ったり偉そうにしたりしない、本当の意味で「いいやつ」である。

よその国に遠征に行って酒場で喧嘩したり女を連れ込んだりしてしてニュースネタにはなるが、嘘つきとかずるいとか、そういう観念が全くゼロの明るい人種である。

そのALLBLACKSが八百長をしてたら????

あり得ん、絶対にあり得ん、たとえ太陽が西から昇ることがあってもそれだけはあり得んだろうと言い切れる。

なぜなら彼らは自分のプライドが大事だし、だいいちそんなことをやる意味も必要もない、なぜなら彼らは金儲けのためにラグビーをやってないからだ。

だからALLBLACKSの連中がこのニュースを聞いたらびっくりするだろうね「なんでそんなことをしなくちゃいけないの?」

ぼくは相撲の「やらせ」は気にしていない。これは石原都知事も言ってることだし多くの人間がわかっていることだが、相撲はもともとプロレスと同じでショーである。

ショーには筋書きがあり、その筋書き通りに皆が動く。そして巨体のぶつかり合いを見て楽しむタニマチが彼らを場所後に連れまわして楽しむ、ある意味動物園のサルと同じようなものである。

だから相撲はプロレスと同様にショーであり、だれもがそれを理解して楽しんでる。

だからぼくは昔から相撲には全く興味なかったし、ついでに言えばプロ野球にも全く興味はなかった(理由を書くと長くなるので割愛)。

だってサルと猿回しのお遊びでしょ。こっちは生きていくのに一生懸命なのに、そんなのを実質国営放送であるNHKで毎日夕方に放映するってんだから腹が立つ。

しょせんは金持ち同士の遊びじゃないか、なんでそんなのをNHKでやるんだろう、昔から不思議だった。

今回の事件でマスコミはまたも「こんな事件発覚!」なんて初めて知ったように書くが、ふざけるのもいい加減にしろ、相撲がショーであり筋書きがあり見世物であるってのは昭和の時代から知られていたことであり、タニチマだった分ったうえで彼らを連れまわしていたのだ。

そんなことを本当に知らなかったら記者失格だし知っててこんな記事を書くなら人間失格だ。

マスコミはモンゴルの横綱がいなくなってからほかの力士を一生懸命宣伝して「何十連勝!だれそれ以来!」なんて書いてて恥ずかしくなかったのか?

勝つことが既定である時に「また勝った!」って、ほんと、バカか?と思ってた。てか、いくら仕事とは言え、よくもそこまで恥知らずなことが出来るよねって、スモウレスラーではなくて記者連中に対して思ったものだ。

ぼくの個人的な意見は「相撲はショーである」だし、それでよいと思ってる。日本人が仕事の疲れの癒しの一つとして巨体のぶつかり合いを楽しむのも良いと思う。ぼくが個人的に全く興味がないだけだ。

音楽を聴いていちいち「この歌のこの部分は昔のあの歌手のあの部分のどこそこをコピーしているようで著作権がどーのこーの」なんて言わずに、好きなら黙って聴けば?という感じ。

いずれにしても、これをマスコミが取り上げるなら最初にまず議論してほしい。

相撲はショーなのか、それとも厳格なルールに乗っ取った競技なのか?




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2011年02月03日

やりたい放題

国税OB税理士を聴取 愛知・知立の業者も捜索、脱税容疑で名地検

201123 1309

 名古屋国税局OBの税理士(50)が主導したとされる脱税疑惑をめぐり、名古屋地検特捜部は3日午前、愛知県知立市の運送業「刈谷配送」が架空経費で所得約2億円を隠し脱税したとして、法人税法違反(脱税)の疑いで強制捜査に着手した。同社や、名古屋市天白区の税理士宅など関係先を、国税局と合同で家宅捜索。特捜部は税理士らから事情を聴いている。

 会社関係者によると、2007年12月の刈谷配送買収を機に経営に参画した税理士は、自らが関与する2社に「経営指導」名目の架空コンサル料を計上する手口で、数年間にわたって法人所得を圧縮していた。脱税額は6千万円前後とみられる。

 昨年末からの任意での特捜部の事情聴取に対し、税理士は自らの主導について否認しているもようだ。一方、税理士と一緒に刈谷配送の代表取締役に就いた日本介護サービス(同県豊田市)の役員3人は脱税を認めているとされる。

 一方、名古屋国税局は10年5月、刈谷配送と関連会社の売却益2億5千万円を申告していなかった所得税法違反(脱税)の疑いで刈谷配送の創業者(68)を、また同11月には、架空経費で所得を圧縮したとして法人税法違反(脱税)の疑いで日本介護サービスをそれぞれ強制調査(査察)した。いずれも、税理士が脱税指南した疑いがあり、特捜部はこれらの関連捜査も順次進めていくとみられる。

(中日新聞)

 

こういう事件は国税局からすれば「個人の例外的な違法行為」とでも言うのだろうが実際には長年にわたって行われてきた「組織犯罪」である。

 

税理士というのは面白いもので、大学出てから税理士になろうとすると一生懸命勉強して免許を取る必要がある。けれど税務署で一定期間働いた公務員については、退職後に試験を受けることなく免許を取ることができるという特例(抜け穴)がある。

 

だから国税局を退職した後に税理士を開業して国税時代の客?に天下り顧問として入り込んで、その企業には税務調査が入らないようにさせる。

 

現役国税マンからすれば調査先はたくさんあるわけで、自分を鍛えてくれた先輩OBが「おいこら、うちには入るなよ」と言われれば、当然そのような企業には査察をしない、ほかにもたくさん「客」はいるのだから。

 

国税局職員の数は限られているし予算も限られている。その中で効率的に「徴税」しようとすれば、街の噂で儲かっていそうな企業を狙うわけで、つまり法律の根本である「誰にも平等に」という発想はそこにはない。

 

だから税務署が行きたがらない会社は、例えば風俗店舗で後ろに怖い人がついてるとことか要するに自分の身に危険が及ぶかもしれないところと、先輩が天下りで顧問をしている大手パチンコ屋である。

 

逆に、法律にも詳しくなくて真面目に税理士を雇ってるIT企業なんてねらい目で、おとなしくやっている企業はガンガン査察をして会社をつぶすくらいの勢いで徴税する。

 

何せ税金がたくさん取れれば優秀な国税マンですからね。国税マンにとっては日本経済の再建なんて自分の仕事ではない、日本経済がどうなろうと起業家精神が冷え込んでやる気ナッシングになろうと関係ない、とにかく自分の仕事である徴税を行うのだ。

 

そして面白いのが警察がからんでる案件でも国税は手を出さないってことだ。パチンコ屋は税理士OBだけでなく警察OBも雇う。警察と国税は表面的には別組織なんて言ってるが、調査の際にはお互いに協力している。

 

だから警察が目こぼししている風俗営業の店がどれだけ儲けてても、そこには税務調査をしない。そんなことしたらせっかく目こぼししてくれる警察のメンツをつぶすことになるからだ。

 

ことこれほどに税務調査は恣意的であり彼らに頭を下げなければ、下げないというそれだけで重加算税35%が加算される(笑)。

 

サラリーマンはほぼ完ぺきに捕捉されている税金であるが、役人同士では見事に合法的脱税をする仕組みが出来上がっているのだ。

 

今回のたいーほについてはおそらくだがこの国税OB税理士が何らかの理由で元の職場、つまり国税局の言うことを聞かなかったので見せしめにやられたのだろう。

 

こうすることでほかの国税OB税理士に対しても「組織の言うことを聞けば脱税はOKだけど組織に逆らったら速攻逮捕ですよ」とメッセージを送ったのだ。

 

これからも国税OBの税理士開業で客を取る天下りシステムは続くだろう。真面目にやってる人々からはごっそりとふんだくり、仲間内ではしっかり脱税する。これでいいのかな、ほんと。



tom_eastwind at 17:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年02月01日

阿久根

839bf299.jpg昨日コメントを頂き竹原元市長が鹿児島地検で取り調べを受けたことを知った。

 

正義と平等を愛するマスコミはこの記事には一切コメントを付けず。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20110131-OYS1T00208.htm

 

普段なら彼がやったことには必ず「このような暴挙は過去の市政で発生したことは一度もなかった」とか「市議会と問題を起こすことそれ自体が問題であると考える市民が多い」など他人のなりすましでやらせ記事を書いてきたわけだが、今回は自分たちの狙い通りになったので今度は「知らんふり」だ。

 

それにしても公職選挙法違反!なんて書いてるが、ブログの更新を選挙期間中にやっただけで地検に呼び出しされるのか??

 

これはもう、正しいと思うことを選挙で公約にしてそれを市長として実行した結果として市議会と市役所職員を敵に回したってことは日本の役人全部を敵に回したってことだ。

 

だから職員を管理する自治労が「竹原のようなやつを許しておいては他の市長もどんどん真似をして市役所職員を首にしたり減給にしたりする。そうなったらおれたちが今まで築き上げてきた裏金とか闇専従とかたくさんの特権がなくなるじゃないか!これじゃあ昼飯食いに自宅に帰って昼寝も出来ないじゃないか!」と訴えたのだろう。

 

中央政府からすれば「何はともあれ役人は日本国家の為に存在するのであり日本国民のためではないのに、こいつ何をエラそうに住民至上主義なんて言ってるんだ。今回の選挙で落ちたのが良い機会だ、検察に逮捕させて他のつけ上がり市長が真似をしないように晒し者にしてやれ」ってことだ。

 

そこで役人仲間である検察庁は彼らの意見を忖度して鹿児島地検に指示をして「叩け!」となったのだ。

 

結局長い間に作られた役人文化が自己保全の為に改革者を潰す仕組みは、阿久根のような田舎では変えようがないのだろうか。

 

 

竹原元市長のブログより抜粋

http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

 

2011/01/20 () 公務員の目が怖ろしい、悔しい

 

さるさる日記-住民至上主義の読者さんからメールが届きました.

========================================================

お名前:阿久根市民

コメント:市民ホールで阿久根市政を
考える会をされているという事で、

自分も行ってみたいと思っています。


しかし、行けません。


理由は役場の目が怖いからです。

わたしの親、親戚はみんな自営業です。

お客さんに役所関係の人がいて、
もし竹原さん側を支持してると知られると

もう店に来てくれないかもしれないから、
公に言うのはやめてほしいと

頼まれています・・・


実際、村八分にされた人もいて、本当に怖いです。

その親戚も本音は竹原さんを支持していますが、
絶対に言えずにいます。


こうやって、わたしたちはずっと役所関係者の目を気にしながら

生活してきました。こんな事じゃいけないと分かっています。

しかし、やはり怖いです。


選挙だけは名前バレしないので、投票できますが、表だって活動する事ができません。


悔しいです。情けないです。


たぶん、わたしのような人が沢山いると思います。

そんな市民の心の声に気づいて
行動されている竹原さんは凄いです。

今の公務員天国の市では、
陰ながら応援する事しか出来ずにいます。すみません。

 

そう、自分の生活を守るためには「長いものに巻かれる」しかないのである。住民が自決して自分たちを助けるべき改革者を抛り出したのだ。まるで「七人の侍」を見ているような気分になった。

 

ここで農民が自分で立ち上がり、武士と一緒に竹槍をもって戦わなければ、もう次はないですよ、阿久根の皆さん。

 



tom_eastwind at 00:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月31日

食糧に関する誤解

日本で食糧自給率の話が出るときに必ずついてくるのが「日本で作らなくても海外から買えばよい」という議論である。

 

この議論で一番怖い点は「自分たちが食糧を外国から買うか買わないか」での議論があっても、相手には「売らない」という選択肢があるのだということが議論されないことだ。

 

125日】 国際的に食料が安価だった時代は終わり、世界の人口増や食事の肉食化の影響で今後、食料価格は高騰し続け、40年後に今より50%以上高くなると予測する報告書を英国政府が出した。このまま世界の食料システムを変えないと、世界で10億人が飢えると。今の世界の食料システムは自由市場体制(米国系食料会社などによる隠然支配)だが、国際的な食料管理体制の強化が必要だと。この報告書が示唆するのは「世界政府」の機能強化である。世界的な金融危機回避や貧困対策、地球温暖化対策、テロ対策などの分野でも、世界システムの強化が提唱されているが、それらと同様の、世界政府に向かう隠然とした誘導だ。この動きは、米英覇権体制の綻びと同期しており、覇権多極化の流れの一つである。

 

http://www.independent.co.uk/life-style/food-and-drink/news/food-inflation-is-only-going-to-get-worse-in-future-warn-scientists-2193301.html

Food inflation is only going to get worse in future, warn scientists 04974114.jpg

日本の食糧問題を語るときに肝心の購入先である外国のことを考えてみよう。どこの国でも食糧が十分にあれば外国に売って外貨を稼ぐことはある。

 

ニュージーランドには豊富な食料があり食糧自給率はおおざっぱに言って300%以上ある。つまり10個のキーウィフルーツを作っても自国の消費は3個で外国に7個輸出して外貨を稼いでいる状況だ。

 

しかし最近はその輸出先が中国や欧州を中心として日本向け輸出については消極的になっている。

 

この理由はまず日本の提示する価格が低すぎることにある。日本は自分の国がデフレで不況で安くないと売れないってことで外国にも「安くしろ!」とむやみやたらに主張するが、例えば日本がサーモン一匹を20ドルにしろ!と言ってるときに中国が30ドルでいいから売ってくれと言われればそりゃだれでも中国に売るわな。

 

そして次の問題が品質要求である。サーモン100匹買うのにすべてのサイズが同じでないとダメだとか見た目が同じでないとダメだとか、本来の意味の品質とは関係ない日本側の嗜好の問題をニュージーランドに押し付けてくる。

 

ニュージーランド側が「いったい何が問題なのだ?魚は缶詰にしたり切り身にしたりするんだからサイズや見た目は関係ないでしょ」というと日本側のバカ担当者は偉そうに「何言ってんだよ、日本じゃそんな魚は売れないんだよ、そんなこともわからずに商売しているのかよ、まったくガイジンはやってられねーな」とそっくり返る。

 

ガイジンからすれば日本は世界にたくさんある消費国の一つにしか過ぎなくて人口だって1億2千万人だけだ。

 

同じものを中国にもっていけばサイズや見た目は気にしない、美味しければ良いし値段だって買い手=消費者に転嫁できるからあまり気にしない。だいいち人口が12億人ですぜ!日本の10倍以上の市場があって言い値で買ってくれて見た目は気にしないってんだから、こりゃ誰でも中国に売るわな。

 

そして今、現実にニュージーランドで一番大きな水産会社のお得意先は日本ではなく中国になっている。つまり価格や品質が合わなければ「売らない」という選択肢があるのだ。

 

それでも日本はいつまで経っても過去の栄光にしがみついて今の日本がどれだけ世界から無視され始めているかを気づこうともせずに「食糧問題」を語っている。

 

世界はすでに、「これなんぼや?もっと安うせーや!」と無闇に値引きを要求する日本のわがままな消費者と、その日本だけでしか通用しないバカごとを世界に向けてそのまま垂れ流ししているバカな水産会社とはつきあっていられない状況なのだ。

 

そしてさらに問題なのは、食糧問題が政治問題になった場合、日本は確実に飢えるということだ。

 

今の日本は金さえあれば何でも買えるって感覚だが、これから世界中で人口が増加する中で誰だって飢え死にしたくないわけだからまずは自国の食糧確保に走るのは当然だ。そうしないと今のチェニジアのように国民が暴動を起こして政府が転覆してしまう。

 

そして日本に対して何らかの外交的要求または経済的要求を持っている国がその政策を実現するために食糧輸出の停止は当然ありうる選択だ。

 

日本が嫌いだから魚を売らないという話ではない。そもそも外交的駆け引きの延長線上にあるのが経済制裁でありその先にあるのが戦争である。

 

今の日本に戦争を仕掛ける国はないだろうが、日本に言うことを聞かせるために経済制裁をすることは十分ありうる。その時食糧は武器となるのだ。

 

売らないという武器がいつ使われるかはわからない。しかし例えば最近中国が発動した政策である「レアメタルを売らない」という武器は日本だけでなく多くの先進国に影響を与えている。

 

これなどは日本の経産省が早いうちから予測していたことだが誰も「まっさか〜?中国みたいな貧乏国が売らないなんてあり得ないよ〜」と楽観視した結果、中国に替わる代替国での開発を怠って、その結果として車メーカーが大打撃を受けそうな状況である。

 

食い物ではないレアメタル一つを取ってもこうである。ましてや食い物の力は恐ろしい。国家を転覆させるのは食い物がない時である。

 

例えばある国が日本に対して外交要求として外国企業の日本での営業を認めさせろ、規制は緩和しろと言いだした場合、日本は当然のように自国産業を守るために拒否するだろう。

 

その時にある国が「じゃあいいや、お前らには小麦粉は売らない、ほかの国も自由経済を堅持するって名目で日本向け輸出を停止させるぞ」となれば日本は外国の言いなりになって外国企業を受け入れるしかなくなる。

 

そしてどこかの発展途上国が「お、今なら日本に高く小麦粉を売れるぞ」と乗り出しても“ある国”はその途上国に対して違う攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

そうなれば日本人が食えるものはいくばくかのコメと一日一切れの魚にたくわん二切れということになる。

 

食糧の安全保障とは何も戦争だけを意味しない。日本の外交的安全保障も含まれているのだ。

 

だから日本がすべきは今中国がアフリカでやっているように「外国の土地」を合法的に買って自国向けの農場にすることだ。今ならまだ外国の土地でも合法的に買える。個人が所有してその食糧を日本向けに送ることは外国も反対出来ない。

 

中国は日本からODAの名目で金を受け取ってその金で自国の食糧安全保障政策として新興国であるアフリカで土地を買って食糧や地下資源を合法的に得ているのだ。

 

世界で食糧問題を深刻に捉えて問題解決に向けて具体的な行動を起こしているのに、日本はその間ぼやーっとしてへらへらと笑いながら「そんなこと、あるわけないじゅあ〜ん」とふんぞり返っている。

 

食糧問題についてはほんとは行き過ぎた行政による衛生管理や国民意識の低下による食糧廃棄問題があるのだが、それを書き出すと長くなるので後日にネタにしたい。

 

ただ、ニュージーランドという農業輸出大国で今行われている日本無視は必ず他国にも波及する。その時になって後手後手で対策を考えても日本に勝ち目はない。



tom_eastwind at 13:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月30日

年金改革は白紙で議論!

政府の言ってる消費税と年金改革の行方が見えてきた。まさに今までの制度を「白紙」、つまりちゃらにしてしまうということだ。

 

「国民の皆さん、みなさんが今まで払った年金は賦課方式、つまり年金世代を現役世代が支える仕組みという名目なので皆さんが払ったお金は先に使ってしまうのです、今まで皆さんが払った年金は全部箱モノにしたり天下り財源にしたりして使ってしまったのです。だからあなたの払ったお金はもうありませんヨ」

 

「もしあなたが年金欲しければ若者から取り立てるようになりますが、そうなると彼らの負担は毎月3万円とか5万円とかすんごく高くなりますよ、若者を苛めてあなただけ楽をしたいのですか(笑)〜??」

 

「日本のみなさん、今後は年金は団塊世代がもらえないようにひとまず70歳から支給にしますが、団塊世代が死なずにたくさん生き残るようなら団塊世代が追いついてこないように次は75歳、その次は80歳、最終的には90歳にしますから〜」

 

「それから病気にもならないようにメタボ対策やってくださいね、医療費も高くつくので今は三割だけどそのうち病気の種類によっては自己負担を基本としますね。どうしてもお金がなければ病院には行かないでください。でもって自宅で孤独死してくださいね。だって自己責任でしょ、病気になるのは」

 

「あ、もちろんぼくら公務員は別ですよ、自前で公務員年金を作ってるし医療保険制度も整備されていますので大丈夫。だいいち、いやだな〜(笑)、ぼくらは60歳までにきちんと天下りしますよ〜」

 

「次官クラスなら上場企業の役員、局長クラスでもなんちゃら財団やなんちゃら公益法人やらたくさんあります、一般職員でも自動車学校とか取引先の中小企業とかね、だって役人に睨まれたら困る人がたくさんいるでしょ」

 

「でもってそこの会社で70歳まで悠々自適で給料とか役員報酬とかをもらって最後にどかーんと退職金をもらって、仕事を辞めた後でも公務員年金は手厚いので生活には困りません、ど〜ぞご心配なくぅ〜」

 

 

年金改革が議題に乗っているが、どうやらこの考えは「年金は払わない」という方向性である。与謝野さんが担当になって財務省と組んで方向性は明確になった。年金を白紙でという意味は、年金制度をやめることを含めて見直しをしようということだ。

 

今まで国民から預かってた金は全部使った。年金制度は止めて自己責任制度にする。今まで真面目に払ってた人ありがと、これからは自分で稼いで自分の老後を守ってね。

 

これも財務省の立場から見ればわかりやすい。1960年代頃から年金は税金として国民から集めようという議論が当時の大蔵省の中にあった。しかし税金が高いと批判されないようにあえて税金と切り離して年金としたのだ。

 

こうすれば払ってる方からすればなんとなく貯金している気分になる。実際は賦課方式であり払った金はその場で全部使われたのだが、1970年代の若者は30年先に年金がどうなるかなんて考えもせずに黙って政府に金を差し出したのだ。。

 

しかし役人の感覚では国民から集めるこのお金は「税金」であり、毎年使い切るのが正しいとなる。

 

今年集めた金年金受給者に配給した後に残る莫大なお金の入った金庫に政治家や役人が手を突っ込んで「おらが村に箱もの作れ!」とか「私たちの天下り先の財団を作りましょ」となる。

 

もともと年金が残高不足になるのは20年前からわかっていた。少子化により現役世代が減っていくのだから当然のことだ。

 

今までにかき集めた金は全部使った。これから集める金は今の制度で払っていくには足りない。ならば選択肢は若者からごっそり取るか年金支払いを停止するかである。

 

ここでわかると思うが、厚労省には最初から年金運用で次世代に資金を残すと言う発想は全くなかった。とにかく入ってきた金は全部使う。足りなくなったら国民に選択を求める。「あなたの年金止めますか、若者から搾取しますか?」だ。

 

しかしそこには自分たちが保身のために使った金のことなど全く考慮されてない。

 

「今まで俺たちが払ってきた金は何だったのだ?」

「ああ、あれね、あれは賦課方式と言って年金世代の人々のために全部使ってしまいましたよ」

「え?じゃあおれたちが25年以上も続けて毎月払ってきた金はどこにあるんだよ?」

「ああ、あれね、ほら、阿蘇山の近くとか年金で作られた宿泊施設とか演芸会館とかあるでしょ、あれに使ったんですよ、だって賦課方式ですから入ってきたお金は年金世代の方に楽しんでもらうために大きな箱を作ったんですよ」

「それって今の計算でどれくらいの資産になるんだ?てか、それ売り飛ばして現金に出来ないのか?」

「ああ、あれね、売り飛ばしてもいいけど二束三文だし誰も買いませんよ、だってそこで働いてるのは国家公務員という大事な人々で、買い取りをしたい人には必ず雇用保障を要求しますからコスト合いませんよね〜(笑)」

「じゃあ、おれたちが今まで払ってきた金はなくなった、じゃあおれが60歳で定年になったらどうするんだよ!」

「ああ、あれね、大丈夫、定年は65歳にしますから。けど年金支給開始は70歳、でもって死人の数が合わなければまた支給年齢を引き上げますから〜、わははは」

 

これこそまさに年金の根本的改革である。政治が止めることは出来ない。選挙で止めることも出来ない。何故なら政治は官僚によって支配されており官僚は選挙で選ばれるのではないからだ。

 

この日本の制度を根本から変更する方法はある。しかし実行するにはあまりに多くの犠牲が必要である。今はまだ無理だ。



tom_eastwind at 11:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月29日

今度は背番号制度の復活ですかい!

86949fdb.jpgここまで来ればもう何でもアリの管政権である。与謝野さんが背番号制度の導入をいきなり発表してしまった。
いずれ短命に終わるから彼ら社会主義者が政権を握っているうちに財務省の目指す個人資産巻き上げ政策を一気に実行しようということだ。

 

民主党は大所帯であり左も右もいる。小沢氏が古い利権政治家の代表みたいに言われてるが、彼の国家運営の基本はイギリスのような小さな政府である。

 

そして管首相の目指す方向性は社会主義であり大きな政府だ。彼ら1960年代に理想の社会つくりを目指して連中の頭は今でも変わらない。

 

彼ら社会主義者は人民の平等が大好きだから金持ちから資産を全部巻き上げて政府に納めさせてすべての労働者に平等に行き渡るようにする。つまり下向きの平等だ。

 

もちろん政治家と官僚が少々余分に分け前を取って自分の懐を潤わせるのは仕方のないことだ、政治家や官僚は国家天下の事をいつも考えており、一般庶民が自分の生活を考えてるのに比べてずっと忙しくて大変なのだから。

 

彼ら社会主義者は労働者が大好きだからすべての労働者を雇用して役立たずでも何でも正規雇用で守りその分の人件費のしわ寄せが企業に行って結局海外企業との競争で負けても構わない。企業よりも労働者が大事なのだ。

 

その代わりに、政府が守るのは政府の言うことをちゃんと聞いて大企業に就職して正社員になった労働者だけね、フリーターとか自分で雇用の自由を選ぶような連中は正しい労働者ではないから彼らの雇用は守りません。だってだらしない生活を送ってきた連中は自己責任じゃんか。

 

彼ら社会主義者は犯罪のない平和な社会を作りまさに1960年代のロシアとか中国とかを目指している。そのためには国民全員を監視して政府批判発言があればすぐに国策捜査で逮捕してその人の人生を潰してしまう。

 

犯罪予防のために何もしていない一般市民であっても“犯罪を犯す可能性がある”ってことで逮捕する。

 

そのために人民の自由が少々犠牲になっても仕方ない、理想の社会主義国家を作るのだ、目的は手段を正当化するのだ。

 

そして彼ら社会主義者と手を組んだ財務省は、本来は簡単に通りそうもない相続税増税をどたばたの中で作り上げ、子ども手当では本来中央が勝手に決めた事なのに税負担は地方に「地方分権」という名目で「お前らも払え」と押し付けた。

 

こうやって国民の関心をかっている間に次の本丸が消費税と年金である。そしてこの両方を確固たるものにする、つまり一切の逃げ道を塞ぐ制度が今回の国民総背番号制度である。

 

国民全員に番号を付ければ管理しやすいのは当然だ。ニュージーランドでもすでに実行されてて僕のような永住者でもIRD番号を持っている。ただニュージーランドの場合は手続きの簡素化のためが主であり国民監視が目的ではない。

 

ところが今回の日本政府が導入する総背番号制度は国民の一挙手一投足を監視する為であり国民の金をすべて捕捉して確実に課税するためであることは明白だ。

 

それにしても日本の財務省がどれほど賢いかは今回の一連の法改正を見ればよくわかる。今回の改正でも表舞台に出るのは政治家だけ。彼らを弾除けに使って自分たちは黒子として政治家人形を踊らせているのだから。

 

しかしまあ、こうなったら何でもやり放題の社会主義者と財務省の強力タッグである。こんなのに対して国民が個人で抵抗しようとしたって勝つわけがない。

 

そして今年の選挙で自民党が勝っても国会のねじれは変わらず選挙制度自体が疲弊しているのをうまく利用して官僚たちが自分たちに都合の良い方向にどんどん引っ張っていく。

 

まったく、日本株式会社の復活である。挙国一致して「辛抱します勝つまでは!」とか「欲しがりません勝つまでは!」とかになって、政府の言うことをおかしいなんて少しでも口に出そうものなら町内会の洗脳おばさんたちに吊し上げられるのだ。

 

これからの10年、日本国民はとんでもない事になるぞ。いつだれが突然犯罪者として逮捕されるかわからない、個人資産はどんどん税金で持っていかれる、仕事は強制労働並みにきつくなる、けれど給料は上がらず生活はますます苦しくなる。

 

誰もが息苦しくなっていくのだが、死ぬほど働けば飢え死にしない程度に食える状態にしておく。だから誰も反乱を起こせない。自分が先頭になって死ぬのは嫌だ、それくらいならこのまま下を向いてパンをかじってるだけでよいとなる。

 

政府はこのあたりのさじ加減は天下一品である。なぜなら江戸時代から400年にわたって官僚連中が学んだのは「百姓は、生かさず殺さず」だからだ。



tom_eastwind at 18:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月28日

国債の60年返済

この「からくり」は知らなかったな。国債は20年物が発行されてもそれは借り換えをされて60年まで引っ張ることが出来る決まりになっているんだ。

http://agora-web.jp/archives/1215648.html


来年度の国債発行額は169兆円である。それは過去に使ったお金をいまだもって返済せずに「60年かけて先送りしている」からである。

詳細はアゴラ編集部のブログをお読みいただければわかると思うが、1970年代や1980年代の景気の良い時にバンバン発行されて誰も走らない道路や出口のないトンネルなどに使われたお金をまだ返済していないのだ。

そしてこれを返済するのはこれからの日本を背負って立つ若者たちなのだ〜!

バブル時代に日本は浮かれて次々とこのような箱モノを作りビジネスマンや銀行員や経営者や政府役人は銀座に繰り出して1千万円を束にした「れんが」と呼ばれる札束をばらまいてどんちゃん騒ぎした。

これは実話であるが、ぼくの住んでいた福岡に中洲という繁華街がある。1980年代後半にはどこのお店も満席で、カウンターだけのちっちゃなスナックでも座って飲んだだけで2万円が普通だった。

景気の良い連中は店が終わったのちに女の子達を連れだしてアフターである。当時流行り始めていたホストクラブで朝までどんちゃん騒ぎ。そして太陽が昇る頃には「お〜い、ちょっと小腹が空いたな、何か食べに行こうぜ」となる。

するとある女の子が「あたしー、今日はとんこつラーメンじゃなくて味噌ラーメンがいいな〜」って言うとそのおっちゃん、「よっしゃ、今なら朝10時発の札幌行飛行機があるな、そいつに乗って味の時計台で札幌ラーメン食おうぜ!」となる。

女の子たち一同、Yeah!である。

20年も前にどんちゃん騒ぎした連中のツケ、そんな時代のツケをこれからの若者に払わせる、それが国債だ。

さらに注意すべき点がある。それは、ギリシアの経済危機が起こった時もその引き金はS&Pなどの格下げからだったという事実だ。

今回は引き金に指をかけましたよっていう米国金融界からの伝言なのかもしれない。本当に引き金を引くかどうかはわからないが、少なくとも引き金に指をかけているのは間違いない。

tom_eastwind at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月25日

密約

98c6d530.jpg「大手新聞が消費税増税に肯定的だがその本当の理由は、新聞が軽減税率を受けるから。財務省は増税ムードを煽りそのうち反対のめぼしいところは軽減税率で篭絡。新聞とはもうできている。読売は財務省らから天下りを既に受け入れたからね」

★高橋洋一のついったーから

 


今回の消費税増税についてはなぜかどこの大手新聞もあまり否定的な記事がない。


今までは消費税の話が政治家から出るたびにマスコミ総戦力で袋叩きにしていたのに、今回民主党が増税を突き上げても去年のような反対が出ない。

 

去年と今年と何が変わったわけではないのに、どこのマスコミも宮崎のインフルエンザや三平のネタである。

 

消費税を増税することは国の流れからすれば仕方ない。それは国民の責任でもある。

 

戦後長い間政治に興味を持たず選挙に行かずおらが村だけ良ければという考え方で村の一部権力者だけが利益を享受できる仕組みを作った。その結果としての財政赤字であるから今の政権に文句を言うのもおかしな話だ。

 

しかし普通、消費税を増税するならその増加分で年金を充実させるとか医療を手厚くするとかになるだろう。それが本来の天秤型再配分である。

 

ところが日本だけは天秤の片方で増税しておいて天秤の反対側で年金は切り捨てて医療は自己責任でと全然バランスが取れてない。

 

じゃあ国民の金はいったいどこに行くのかと言えば過去に政府と役人と一部既得権益者が今まで自分の金とばかりに箱もの行政や道路などに使いまくったツケの支払いであり、つまりこれから日本人は過去の日本人がばら撒き使いまくってきた借金のつけ払いを要求されているのだ。

 

今まで理論の中で語られていた現役世代が過去世代のつけ払いをするということが現実になってしまった。

 

これから皆さんが払う税金は自分たちのためではなく過去のおやじ連中が作った借金返済に消える。そして医療も年金もどんどん切り下げられて、人生90年、だから70歳まで現役で働いて親の借金返せと堂々と言われているのだ。

 

まったくバカな話だ。親の世代の借金なら子供は本来相続放棄するわけであり、現役世代は現役世代同士で支えあっていくべきだ。

 

親が作った借金なら、まずそのバカ親が何に金を使ったか、責任を明確にするのが当然であろう。そういう行政の出口議論は全くされないままに金だけ払えではどう考えても理屈が通らない。

 

それもこれから一年とか二年の時限立法ではない、君たちが死ぬまで払い続けるけどその金は自分たちのためには使われないのだ。

 

それなのに本来社会の木鐸として政府の行動を監視すべき大手新聞が何も書かないってのはどういうことだと思ってたら、なるほど上記の「ワケ」があったのか。

 

政治が官僚主導になりマスコミが官僚に籠絡されてしまえば国民の「知る権利」はインターネットのみとなる。ところがそのインターネットにしても数日前の最高裁判決で情報統制とも言える判決が出た。

 

ますます国民の目は塞がれ耳は塞がれ、毎日をただひたすら働いて納税するのみになる。これでもまだ日本人は毎日満員電車の中で新聞を広げて訳知り顔で政治を語るのだろうか?

 

それにしてもマスコミのていたらくも、ここに極まえりである。



tom_eastwind at 00:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月24日

政治が官僚に負けた日

菅首相は21日、省庁間の政策調整について、閣僚・副大臣ら政務三役だけでなく、次官・局長らによる調整も容認する方針を示し、「政治主導」の名の下に官僚を排除してきた姿勢を大きく転換した。(20111221745  読売新聞)

★抜粋終了

 

民主党が政権を取ったときのマニュフェスト(ぼくは個人的にこの言葉が好きではない。日本人同士が話をするんだから普通に政権公約と言えばよいではないか、なんだかいかにも英語劣等感と白人崇拝の匂いがして臭くて仕方ない)では政治主導でなかったか?

 

この記事は「政治が官僚に負けた日」というタイトルが一番ふさわしい。政治が混乱したのは政治主導に逆らう官僚が混乱させたからだ。自分たちで政治を混乱させておいて政治が悪いとは大したマッチポンプである。自分で火をつけておいて油を注ぐようなものだ。

 

だが官僚の壁が厚いことは民主党だって政権を取る前からわかってたことだ。それを今になって官僚主導に戻すのなら、民主党はいったいどんな脳みそなのかと聞きたい。

 

けれどこれを違う角度から見ると理解できる。

 

もともとが左翼的な集団が集まって国家主導による理想的国家作りを描いてた民主党が今まさに今国家を主導している。

 

彼らの頭の中にあるのは社会主義国家であり、官僚が行っているのがまさに社会主義国家であり、実は民主党の方向性と官僚の方向性は全く一致していたのだ。

 

政治主導や官僚制度の根本的改革などはもう民主党の頭の中にはないのだ。

 

そして官僚組織を守るということは必然的に彼らの下部組織である国家公務員、地方公務員もそのまま温存される、うまくいけば火事場の焼け太りで公務員の数を増やして大きな政府を作るということになる。

 

民間で出来るような業務でも「こんな大事なことは民間に任せられない」と役人が独占してそこに公務員を送り込めば、日本中どこもが公務員天国となる。

 

公務員が増える=公務員で構成される労働組合員が増える。これは自治労にとってまことにありがたいことである。新しく採用された公務員については組合加盟を条件とするショップ制度を導入すれば組織率低下の自治労を一気に昭和のような大勢力にすることが出来る。

 

そのためにはまず官僚と手を組んで次は民主党の支持母体である労組を強力にすることで民主党の基盤を安定させる。

 

こう考えてみれば民主党が官僚主導に舵を切ることで自分たちの社会主義を実現させようとして同時に選挙で勝てるための「官僚主導宣言」も当然の帰結である。

 

何もおかしくはない、何も問題はない、ただ選挙の時に期待していた「政治主導」を信じた選挙民が見事に裏切られた、ただそれだけだ。

 

見ていればわかる、いずれ中央でも地方でも何らかの理由をつけて公務員が増加していくだろう。

 

ただしこれは「方向性」であり実現するかどうかは不明である。官僚にとって最大の敵であった小沢氏追い落としはまだ完ぺきに成功したわけではなく、次の選挙で「みんな」がどう成長するか、地方選挙で何が起こるか。2011年は政局の年になる。

 

ただ、国民からすれば、政治が右に行ったり左に行ったり、そんなことやってる間にも世界は動いておりどんどん取り残されていくのだからやってられない。お家騒動で一番とばっちりを受けるのは領民である。



tom_eastwind at 11:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年01月18日

竹原さんが負けたか・・・

839bf299.jpg鹿児島県阿久根市の西平良将市長は17日、竹原信一前市長の失職後、市長職務代理者に就いていた仙波敏郎氏を副市長職から解任した。

 西平市長は就任後初の記者会見で「副市長は別の方にお願いしたい。これから人選に入る」と述べた。仙波氏は竹原前市長が昨年7月、専決処分で副市長に選任したが、片山善博総務相が「選任は違法」などと指摘していた。

 記者会見で西平市長は、竹原前市長が専決処分で半減とした職員のボーナスについて「さかのぼって支給はしないが、次の支給では考え直す」として増額を検討する考えを示した。一方、1日当たり1万円の日当制となっている議員報酬は「現状維持する。議会側から提案があれば議論したい」とした。
★記事終了

竹原さんが負けたか、感情論で言うと悔しいな。ただしぼくは実際の選挙現場を見ていないし竹原さんの主張しか聞いてない。

だからみんなが彼を選んだ以上西平さんの実力も知らないのでなんとも言えない。この結果が出た以上、西平さんの実力に期待するしかない。

けど、これでもし彼のやる事が住民無視で役人優遇、労働組合だけが儲かるような仕組みを再構築するのであれば、その時は地域住民全体で責任を取ってもらえば良いだろう。ここから先は自己責任である。




tom_eastwind at 22:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)