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2016年02月20日

灰とダイヤモンド

土曜日はアンジェイ・ワイダの戦争三部作の一つ、1959年公開の「灰とダイヤモンド」を観る。

 

それにしてもポーランド、オーストリアを含む東欧州は偉大な芸術家を輩出しているが暗い作品書かせたら天下一品みたいな感じである。これはユダヤ人気質と常に変わる支配者への鬱憤、怒り、諦めとかがあるのだろうか。

 

アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」では1950年代のポーランドをそのまま見ることが出来る。当時の古いバーやレストラン、ホテルの様子などまるで時空飛行したような感じだ。

 

白黒映画をそれだけで嫌いという人もいるが、白黒時代の映画は色で誤魔化すことが出来ないからより光と影を使い俳優は演技に力がこもっている。

 

この映画でアンジェイ・ワイダが扱っているテーマは戦争によって狂わされた人々、特に若者の人生である。

 

ポーランドは東のロシア(ソビエト)、西のドイツに挟まれいつの時代も戦争の被害者であった。特に1939年から始まる第二次世界大戦ではポーランド分割統治を図るロシアとドイツの両方から攻め込まれてポーランド政府は一気に崩壊、ついに政府と軍隊は最初はフランス、そして英国に亡命した。

 

第二次世界大戦ではドイツ軍によるカティンの森の虐殺(一万数千人)も行われたがこれは長い間公表されることはなかった。ちなみに2007年に同じくアンジェイ・ワイダ監督によって映画化されている。まさに戦争によってもみくちゃにされたのがポーランドである。

 

戦後ドイツが全面降伏して出て行くと代わりにやって来たのが共産主義ソビエトの軍隊である。

 

共産主義者を批判する亡命ポーランド側は英国に本拠を構えておりこの映画の主人公は英国からの指示を受けながらゲリラ活動を行っていた。

 

ある日ホテルのバーに行くとそこで働く可愛い女性がいる。からかったりして最初はツンツンされるがそのうち何となく惹かれるものを感じる。

 

翌日は共産党シンパであるポーランド人指導者の殺害という重い任務を背負って、彼は彼女との一晩を過ごす。

 

重いテーマである。この二人に何の責任があるのか?なのにこの二人の若者には暗さがない。悪い時に悪い場所にいた、ただそれだけである。

 

そして若者は銃を取りテロに向かう。

 

ただこれだけの、たった一日の話であるがアンジェイ・ワイダの視点、戦後のワルシャワの姿、そして主人公が実にジェームス・ディーンに似ているので、それだけでも観る価値がある。



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2015年10月10日

モロッコ 1930

中国崩壊近し、なんだけど、どこが引き金になるのか分からないし、もしかしたら習近平うっちゃりで勝ち抜いたりするかも。何せ習近平はしぶとい。不動産バブルが吹っ飛ぶのか習近平が暗殺されるのか令兄弟を狙ったキツネ狩りが成功するのか?ほんとに読めない。どれが起こってもおかしくない中国である。

 

Aucklandの不動産が中国マネーで過熱しているので狐狩りか中国内の不動産バブル崩壊で中国マネーが一気に引き上げるようになる事態が起こるだろう。ほんとに読めないが、ただジリジリ感で言えば今年年末かな。来年は不動産が安定上昇期に戻るような気がする。

 

土曜日も古典映画を楽しむ。「モロッコ」。ゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒの名作モロッコ。初期のゲーリー・クーパーは大根役者と言われながらも背中で女をうっとりさせる独特の空気を持っている。ジョン・ウェインとか高倉健みたいなものだろう、いるだけで絵になる男たちだ。

 

マレーネ・ディートリッヒはもう言うことない。神が最高の美女に最高の知性と最高の色気を与えてそれを本人が理解して映画俳優として使いこなす、特に酒場で歌い踊りながらりんごを売る場面は素晴らしい。ゆっくりと時間をかけてじっくりと作りこまれた時代の映画は白黒に関わらず素晴らしい。

 

多分うちの子供たちは白黒ってだけで吐き気がしてスピードの遅さに退屈して10分くらいで「お父さん、ぼく部屋に戻っていい?」(苦笑)

 

良い作品は時代を越えて良いのだけど、それを楽しむためには素地が必要である。子供にそこまでの教養を求めるのはまだ早いかもしれない。何せニュージーランド生まれであり一日中スポーツばかりしてたからハリウッド全盛時代の白黒映画と言ってもピンと来ないのは当然だろう。

 

さらに言えば鴨長明とか古今和歌集を理解しろって言ったって無理があるのは当然だ・・・。まあ時間が解決してくれるだろう(苦笑)。

 

けれど英語ベースならもう少ししたら興味を持ってくれるかなと思いつつ自宅の映画棚には白黒クラシックを並べている。いつの日にか子どもたちが自分の手で取って見てもらえるように。

 

映画は旅芸人のマレーネ・ディートリッヒがモロッコの酒場に到着するところから始まる。酒場で歌いながらりんごを売るマレーネ・ディートリッヒが女たらしのゲーリー・クーパーと出会う場面だ。

 

その後二人は恋に落ちるが所詮は外人部隊の兵士である、自分の自由はなく戦地に向かうことになる(途中いろいろあるけどネタバレなので省略)。

 

酒場の雰囲気、外人部隊の様相、砂漠の光景、そしてマレーネ・ディートリッヒのセピアに輝く映像も美しい。

 

1930年製作のアメリカ映画。1931年には東京有楽町の丸の内ピカデリーで上映される。まだ日本と米国が仲が良かった時代だ。その10年後に両国が戦争に陥るなど誰が想像しただろうか。

 

時代は巡る、けれど良い映画は良いままに国境を越えて語り継がれる。あ、そう言えばドイツ人のマレーネ・ディートリッヒがナチスを嫌って米国に移住して戦時中に歌ったリリー・マルレーンは欧州の戦場で敵対するドイツ軍と米国軍両方の兵士に愛された歌だ(但しドイツ軍はドイツ人歌手による同じ歌を聴いていた)。まさに国境を越えた名曲である。



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2015年07月11日

実録・連合赤軍

連合赤軍とかあさま山荘事件ってのは20代の人々には馴染みのない言葉だろう。けれど1970年代には様々な事件を起こしてまさにテレビに人々を釘付けにさせたグループである。

 

とくにその行動が「自分たちだけが正しい!」と正義感を持って最悪の犯行を行ったという意味で、結局他人の価値観を認めることが出来ない、価値観の違う他人と共存出来ない殺人集団となった。

 

今も日本にもニュージーランドにも多く生息する「自分だけの正義」を振り回して暇をもてあまして周りを巻き込もうとする連中も基本は同様である。「砂に頭を突っ込んで現実を拒否する」連中と全く同様である。勿論殆どの常識人には相手にされないが、ひたすら砂に頭を突っ込み「俺だけが正しいんだー!」って砂に向かって怒鳴ってる(苦笑)。

 

浅間山山荘事件を警察側から見たのが佐々淳行である。本になっている。そして連合赤軍の立場から浅間山荘事件を見たのが若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」である。

 

よど号ハイジャック事件ってのは今も犯人の一部が北朝鮮に残っている。あの頃の一部の学生は今も共産主義とか世界同時革命とか信じているのだろうか。少なくともJR東日本や北海道にはセクトを飯の種として生きている爺さんどもがいるのは事実である。

 

当時は一部の学生が東京都内の大学内で暴れまくり内ゲバで多くの若者が敵対するセクトの襲撃を受けて角棒で殴り殺されたものだ。東大キャンパスで昼間っからアジ宣伝をしてた学生グループに反対派が殴りこみをかけて昼間っから普通の学生を巻き込んで殺し合いをしていた。

 

こういう世代が普通の企業に就職出来ずに就いた仕事が弁護士だったりしてそれが野党に流れ込んでいるのが現状である。いつまで経っても他人の文句ばかりで自分が何かをつくり上げるという事がない。こいつら「死ぬまで野党根性」だな。

 

日本という国が自分に合わなければ出て行けば良い。何故なら日本は国籍離脱の自由を認めているのだ。大多数の人々が民主的に選んだ自民党が政権をとって運営している。その内容が不満なら政治活動をして仲間を増やして選挙で勝てば良い。

 

しかしそれがいつまで経っても勝てないってのは、どっか問題があるのでは?というのは個人的な主義主張なので政治するなら平和的に継続して勝手に政治すれば良いわけだが、どれだけやっても自民党に勝たないし自民党のやり方がどうも納得出来ない、それなら普通はよそに行くでしょ。

 

例えばフランスでは有名な俳優があまりの税金の高さにオランダに移住しただとかがある。日本の場合どうしても日本語という人質を取られているから海外移住ってのが難しいのが事実であるが、税金取られて長老政治に振り回されてそれで得られるものが殆ど何もないとすれば、国民であるより前に一人の人間としてもっと住みやすい国を目指すってのは当然の行動であろう。

 

少なくとも日本で居住の利益を得つつ政府が気に入らないって事で警察隊に火炎瓶を投げつけ仲間を次々に殺し最後は猟銃を奪って山荘に立てこもり警察官を射殺する?それがまともな学生、日本人としてすべきことか?

 

嫌なら出てけ、である。そしてほんとに出て行ったのが「よど号ハイジャック事件」である。あれで日本も随分すっきりとして、1970年代後半には赤軍関連の事件も急減した。

 

ただまあ、日本を嫌で出て行った先で今度は暇にあかせて自分だけの正義の名のもとにギャースカ騒いで周りに迷惑をかけるのも困った話である。海外に出てみるとそういう日本人が多い。行った先の国では地元民に相手にされず旅行でやって来た日本人相手にひたすら口から泡を吹きながら自分だけの正義を語る姿はあまりに惨めである。

 

連合赤軍事件は日本を震撼させた事件であるが今では20代の人々では知っている人のほうが少なくなったのかな。単純に相手を人殺しと見るのではなく、相手側に立った思考回路を理解する、そして自分の内部にもそのような狂気が潜んでいることを理解して絶対に自分だけの正義にのめり込まないようにする。それがこの映画から得られる主題だろう。



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2014年06月26日

新警察故事

警察故事2013

 

ジャッキー・チェンの作品の中でも最も好きなグループに入ってるのが「新警察故事=Police story 」で今回の警察故事2013もとても良かった。けどいつものようにどっか他の映画の筋が混ざってる?ダイ・ハード4とかLaw Abiden Citizenとかはご愛嬌(笑)。

 

それにしても今回のこの映画、北京の息がかかってますね、前回の舞台は香港だったのに今回は大陸。香港警察の代わりに公安がまるで良い人のように描かれてるけど、それは嘘。

 

大陸中国としては50年かけて香港を中国化しようとしているんだな、その迫力だけを感じる映画ですが実際に公安警察がやってることは決して良い事ではないので、この映画を観て「何だ、中国公安って悪いやつじゃないよね」なんて思わないでくださいね、あれはジャッキー・チェンを使った洗脳ですから(笑)。

 

オークランドから香港に行くのは11時間くらいかかるので、映画は5本くらい観ることが出来る。ほんとに楽しい時間で、メールも来ないしお酒も飲めてご飯が食べられて映画を観ることが出来て、なんか楽しい。映画「人間の条件」を6本全部、夕方から翌朝までかけて観たような感じ。

 

今回の2013は前回の筋書きの最初の部分を思いっきり広げた感じで、密室物語というか、けどよく作ってるなー。ジャッキー・チェンはもうカンフーアクションはやんないよって宣言したし、実際この映画でもアクションはあるけどすんごい抑えてる。昔ならこうやったのにーってのが、今回はきちんとアクションにしてる。

 

ぼくが何故この映画を好きかって言うと、その底辺に流れている「人間なんて平等で生まれてくることはない、だから戦って強くなるしかない、けど優しくなければ生きていく資格はない」って事を分かりやすく伝えてくれるからだ。

 

新警察故事の最後の場面で、大陸から父子で密航してきてある晩交通事故で父親を失ったちっちゃ子供に「この世は公平じゃないし平等でもない、けど生きていこうよ」そうやって語りかける言葉が良い。

 

日本のような嘘ばかりの「人はみな平等に生まれてくるんですー、だから不平等なんておかしいんですー!」なんて馬鹿騒ぎを「現実的でないあふぉどもめ、下らん!」と思って生きてきたから、ジャッキー・チェンの言葉のほうがよほど現実的で分かりやすい。

 

そう、人は権利を使って生存権を勝ち取っていくしかない。権利は行使しなければ失ってしまうものだ。戦って生き残った人間にのみ初めて与えられるものだ。黙ってても空から降ってくるものではない。権利は誰にも無料で与えられるものではないのだ。

 

この世は平等じゃない。だから戦うんだ、そんな気持ちにさせてくれる映画でした。



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2014年03月05日

ソイレント・グリーン

ソイレント・グリーン 特別版 [DVD]
チャールトン・ヘストン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2009-09-09



1973年製作、チャールトン・ヘストンとエドワード・G・ロビンソンの名作。今回この映画を日本のAmazonで購入した。2022年、薄汚れた近未来でそのストーリーが始まる。


この映画は日本に住んでた時に何度も観たがニュージーランドで観る機会がなくずっとご無沙汰していたので久しぶりに今回の日本出張の際に購入することにしてた。本はAmazonで国際郵送してくれるのだが映画は著作権の問題があるのだろう、海外発送は出来ない。


でもってこの映画、買った時にはあまり意識していなかったがオークランドに戻って自宅で映画を観た時に、これってまさに近未来の環境問題を訴えたSF映画なんだって気づいた。


ぼくはチャールトン・ヘストンが好きで最初にこの映画を観た30年以上前にはあまり意識していなかった。けれどこの40年前の映画に描かれた未来が、まさに今食料、エネルギー、水、天候、人口増加、様々な問題がすべて顕在化された。


近未来、環境汚染の進んだ地球ではすで動物が走り鳥が空を飛ぶ自然の景色を失い、今では映画の中でしか観ることが出来なくなっている。食べ物もない。肉や野菜を見ることはほとんどなく人々が食べるものはソイレント・グリーンと呼ばれるまるでビスケットのような固形食料だけになっている。


どの役者の演技も素晴らしく見応えがあるが、今こうやって見なおしてみるとこの映画のすごい点は1973年の時点で地球環境問題を訴えていたことだろう。


世界の大気の観測地図を見ればすぐに分かることだが、世界で最も汚い空気は中国から日本である。汚染度は最も汚い方が真っ黒でその次は毒々しい赤、最も綺麗なのは真っ青であるが、日本と中国はほとんど黒に近い赤である。


日本の隣に中国がある限りこの環境汚染は続くであろうしその影響は長い時間をかけて子どもたちの健康を蝕む。PM2.5に含まれる有害物質は子供の肺に直接入り込んで気管支炎、喘息などを引き起こす原因となる。


実際に1960年代の四日市ぜんそく訴訟ではコンビナートから出る煤煙が公害を引き起こして裁判沙汰となった。もっともひどい例で言えば水俣病だ。工場の廃液に混ざった水銀を海に流しその海に住む魚に水銀が溜まりその魚を食った地元の人々が全身の骨に激痛が走るイタイイタイ病にかかり多くの人が命を失いお腹の中の赤ちゃんまでが汚染されて生まれて一生の疾患を抱えて生きることになった。


中国の大気汚染の中にどのような害毒が含まれているか完全に解明はされていないが少なくとも石油や工場廃液などを含むことは間違いなく、原発の被害が限定的なのに恐怖に思って沖縄に移住する人がいるのに、何故もっと直接的に健康に影響が出る中国の大気汚染を気にかけないのか、この点は本当に意味不明である。


話は映画に戻ってソイレント・グリーンではひしめき合って寝場所を確保し毎日食べ物を探して歩きまわるボロ布に包まれたような人々がいるかと思えば、ほんの一握りの支配層は美味しい自然な食事を楽しみ酒を飲み豪華なマンションで生活をしている。なにも社会の全員が貧しいわけでないのがよく描かれている。


チャールトン・ヘストン演じるソーン刑事を通じて描かれている近未来の世界は生々しくそして希望もない。映画の最後に支配者たちが行っている人々の支配とソイレント・グリーンの事実が露わになるがそれで希望が出てくるわけでもない。


最後の最後まで暗い、しかし見なければいけない映画の一本である。だってこのような未来がまさに今近づいているのだから。映画を観てぼくらが個人レベルで出来る事を考えてみる必要があるのだから。



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2013年06月22日

藁の楯

前回の出張の際に福岡で何とか時間を作ってホテルの隣の映画館に仕事終わりのスーツ姿のままぎりぎりの時間で飛び込み何とか最初から観ることが出来た。

大沢たかおの演技がすごいとか松嶋菜々子がいいとか退屈とかのマイナス評価もあったりとかで何かと話題が多そうだったので何年ぶりかで映画館に足を踏み入れた。

 

幕が開き映画が始まる。

 

舞台はまるでジャズバンドのウッドベースのように常に底辺を暗いブルースが流れている。そして続いて激しいドラムが叩きつけるように描写していく、画面の中で法を守る為に戦う者達と正義を守る者達、そして目先の金に釣られた人々との間の銃撃戦を。

 

舞台の上でサックスが吹き鳴らす激しい感情の燃え上がりとその後に流れる切ない音が人々の本音の部分を少しづつ切り出していく。

 

この舞台の参加者皆がそれぞれ少しづついろんな本音と建前を並べつつ前半のミステリー部分が進んでいく。中盤あたりから次第に一人ひとりの本音が見えてくるが、まだ誰が本音で語っているのか分からない。

 

この映画は結局「守るとは何なのか?」を徹底的に視聴者に問いかけてくる映画である。君は法を守り家族を殺すのか?君は家族を守り法を破るのか?君は職務に忠実であれば人間としてのルールを破っても良いのか?

 

映画は様々な場面をくぐり抜けながら、一体社会における法って何だ?人間が守るべきルールって何だ?と徹底して聞いてくる。それに答えずにいくら映画を観ていてもそれは観ている事にならない。

 

だから映画の主題をあまり理解出来ない、デートで来ている若い女の子は途中で完全にアタマを倒して寝てた。たぶん彼女にとっては「ばっかじゃーん、みんなでバンバン鉄砲撃ってさー、平和第一じゃーん、ぐーぐー」てなところだろう。

 

この映画を観る時のポイントは次から次へと問いかけてくる「あなたならどうする?」の質問に対して自分なりにきちんと法と秩序と社会の成り立ちを理解した上で問題整理をしながら順々にそれらの映画の問いかけをテーマごとに仕分けして最終的に「おれならこうする」という結論を出すことだろう。

 

答えはいくつあっても構わない、まず自分なりに答を出すことが何よりも大事だ。

 

この映画では最初の主題は「警察が守るべき法とは何か?その法とは人間が根源的に持っているものよりも優先するのか?」である。この答えは実は日本の警察の在り方にも根源的な問題を提起している。

 

それは法と秩序の問題である。警察は法と秩序を守ると言いつつ、では法と秩序が対立した場合どちらが優先されるのか?という点である。

 

ではどのような状況で法と秩序がぶつかるか?例えば違法捜査によって犯罪者を見つけ出して逮捕することで未然に大規模テロ事件を防げるとする場合、違法捜査を認めるのか?これは潜入捜査やおとり捜査があるしもっと言えば司法取引も違法と判断することも出来る。

 

米国などでは大きな悪を捕まえるために小さな犯罪を見逃す司法取引という習慣がある。日本では小さくても悪は悪という考え方がある。国民の財産と生命を守るために違法捜査をすることが正当か?法を破っても秩序安寧を守ることに正当性があるのか?

 

そして予防逮捕という考え方は正しいのか?まだ犯罪を犯していないが危険性がある場合に予防的に逮捕拘置するという考え方だ。

 

日本の警察は戦前は法を守るために予防逮捕という考えがあった。まだ悪いことはしていない、しかしいずれこいつは悪いことをするだろう、だから今のうちに逮捕しろって考え方だ。逮捕後に警察署で拷問にかけて犯罪の意志があった事を認めさせて有罪にして形式的な裁判の後に刑務所に放り込む。

 

この場合の良い点は例えば少女強姦を繰り返すような男が出所後少しでもおかしな動きをしたらすぐに刑務所に放り込める点だ。ストーカー事件でも同様だが、もし潜在的被害者である女性が警察に訴えでたら警察がすぐに動きストーカーを逮捕して刑務所に放り込める。

 

ただこの方法は国民のために法律が回っている間は良いが、一旦これが権力の手中に陥るとある日突然政府に反対意見を述べただけで刑務所に放り込まれるような事態が発生するという事だ。戦前では蟹工船事件などが有名だ。

 

戦後はこの予防逮捕の反省に基づき事後逮捕に切り替えた。実際に犯罪を犯さない限り警察は民事と判断して「民事不介入」のルールの元、警察は事件が実際に起こるまでは手を出さなくなった。つまりストーカーが実際に犯罪を起こさない限り警察が取り締まれないという状況を創りだしてしまった。

 

だからストーカー殺人事件が発生してそれ以降も同じような事件が発生しそうになっても予防することが出来なかったのだ。

 

そこでストーカーに関しては別に法律を作り対応するようになった。これで予防的にストーカーを排除出来るようになった。もちろんこの法律が完璧に運用されているわけではなく常に失敗はあるが、それでも法律がなかった時に比べればずっとましだ。

 

いたいけな女の子を強姦殺人した元殺人犯といえども刑務所で一定期間過ごしたら罪は終了でありそれ以上裁くことは出来ない。しかし強姦殺人犯が出所してまたも同様の事件を犯したら誰が責任を取るのだ?米国では少女強姦犯については出所後もその男の居住地を常に公開して周囲に喚起を呼びかける制度がある。

 

これは個人のプライバシーの侵害であるのか社会全体で社会の宝である子どもを守る正しい措置なのか?自分の子どもや孫を殺された時に親が取るべき正しい態度とは?正義とは何か?

 

この映画に対する評価が「期待はずれ・・・もっと激しい銃撃戦を期待してたのに」というのもあれば「考えさせられた、真剣に・・・」という評価もある。ぐーぐーと寝てた子には期待はずれであっただろうが、ぼくは日本が良い映画を作り始めたなとうれしくなった。

 

映画を見終わって下のフロアにあるラーメン階で久しぶりにこってりしたとんこつラーメンを食べる。うむむ、これも相変わらず旨いっす。



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2013年01月30日

映画ネタ続く〜ランボー4

「天国の門」を見終わった後に夕食まで少し時間があったのでもう一本映画を観ようと思った。けど奥さんと子どもたちが帰ってきて夕食の支度が始まったので「何を観るか」という話になる。

 

「天国の門」は何とか全部見終わったのであとは妥協でもいいかと思いながらお気軽に日本の映画「ハイキックガール」をプレイヤーに入れようとすると娘が「あんたさ、見なくていいよ、あたしが蹴ってあげるから」って事で拒否(笑)。

 

だもんで次に「ダンテズ・ピーク」でもと思ったらこれまた自然災害のネタは嫌って断られて結局「ランボー4」に落ち着く。これは人災の話なんだけどと思いながら。

 

そんな時に娘が「そう言えばお父さんね、あなたが運転してる車ってもう15年だよね、そろそろ新しいのに買い換えないの?修理とか塗装とかお金かかるでしょ」と何気なく聞かれた。

 

ぼくは娘に「そう言えばうちの奥さんはもう25年一緒だけど、まだ可愛いし修理も塗装も要らないよ、買い物でお金遣うだけだよね、それも君のために御殿場でね♪」と言うと彼女はカラカラと笑って「お父さん、ゆっくり映画を観てね、あたしが貴方を蹴っ飛ばしたくなる前にね」だって。

 

何故か知らないがぼくは奥さんが大好きだ。生まれ変わっても結婚したいと思ってる(もちろん彼女は拒絶しているが;苦笑)。

 

人間の人生なんてわからないものだ。東北大地震の時でも、誰もまさか今死ぬと思わなかった人々がいる。世界のどこに行っても同じだ。こうやって見ると長く生きるってことにどんな意味があるのかと思う。

 

生きている間は一生懸命生きる、人生を充実させる、けど寿命が来ればそれを素直に受け入れる。体をチューブで繋がれて生きるのではなく、チューブに繋がれるまでの人生をどれだけ充実して生きていくかだと思ってる。

 

ランボー4はわかりやすい映画だ。シルベスター・スタローンがわかりやすいって意味ではなく、ハリウッドは常に時代の最先端を走っている、それは政治世論の誘導という意味で。

 

日本が戦後アメリカという国を理解するために使われた一番の手段が「テレビ」であった。「奥様は魔女」とかサンダース軍曹が活躍するテレビドラマとか、とにかくアメリカ一番な番組だ。他国の人々を洗脳するには様々な方法があるが、メディアはその中で一番効果のある手段だ。平和的に他国の人々の脳みそを洗脳するのだから費用対効果が最高値である。

 

映画一本作るのに数十億円というが実際に他国に戦争を仕掛けたらゼロの桁が違うほどに金がかかるし決して勝てるということは言えない。

 

去年の前半からミャンマーが民主化されて米国の意向を受けた軍事政権がアウン・サン・スーチー女史を軟禁生活から解き放ち中国に対する防壁の一つとしてアセアン及び米国の味方に引き寄せた。

 

ランボー4は米国が中国包囲網を作るための一部であるミャンマー政策のさきがけ(魁)である。中国に片手で銃を突き付けて「やるかい?」と聞き、片手で飴を見せて「おい、手を組まないかい」と選択を求めて「さあどうする?」とやっているのだ。

 

正解な戦い方である。米国は民主主義と言いながら実際は外交戦略においてはパックス・アメリカーナという100年単位で考える組織があり、彼らは民主主義で選ばれた大統領よりも長期的に強固な立場にいる。彼らからすれば映画一本分の費用など安いものだ。

 

実際に去年はミャンマーが軍事政権から民間政権に移行した。これなどミャンマー軍事政権のトップがかなり賢い判断をしたと思う。その結果としてアウン・サン・スーチー女史は広告塔のような存在になっている。それでもミャンマーが民主化、てか中国と一線を画すようになればアジアの真珠のネックレスの完成である。

 

たかが映画一つでどうこう言うなって思うかもしれないが、実際に世の中にはあまり「偶然」という事はない。大体の事件は必ず何かと繋がっている。とくに政治絡みではほぼ間違いなく「偶然」など存在しない。

 

ランボーは最初の作品ではベトナム帰国兵の福音問題を描いた。その後はベトナム、そしてアフガニスタン問題を提起した。とくにアフガンではソビエトの侵攻に戦うアルカイーダを支援する役目としてスティンガーミサイルを提供してソ連のミル24、通称ハインドを撃墜する役目を果たした

 

しかしその後アフガンが解放された後のケアが至らずアルカイーダ戦士がイスラムの教えのもとに反米に向かい大喧嘩になった為にランボーは表に出られなくなった。

 

ミャンマーの民主化の目的は明確であり対中国戦略である。その意味で実際の戦争をせずに誰も殺さないランボー映画でミャンマーが民主化してくれれば安いものだ。

 

そんな事を考えながらオークランドアニバーサリーの自宅でゆっくりと映画を観る。窓を通り過ぎる適度に乾いた風は肌を冷やしてひんやりと気持ちよく、冷房の必要なし。今日の温度は20度くらいかな、Tシャツでソファに転んでちょうど気持ちよく眠れる。

 

昨日は心地良い天気の下移住会員の皆さんのノースショアでの潮干狩りがあったと報告を貰う。11家族40人以上集まって楽しんで頂いたようだ。午後5時になっても会員の皆さんの会話は終わらず、それぞれに友達の輪を広げてもらったようだ。その後は皆さん浜辺で採った貝を自宅に持ち帰りバター醤油で炒めたり酒蒸しにしたりして

 

うちの会社は移住して1年くらいで会員にとっては不要になる。何故なら彼らはその1年で十分な人間関係を地元で作るからあえて高い会員費を払って継続する必要がないからだ。

 

ぼくは自分の5年後のビジネスモデルはすでに頭のなかにある、そしてそこには移住ビジネスはない。すでにニュージーランドに移住した人々と提携して日本の品質を売る仕事をする。日本の最大の強みは納入時の品質の高さとメインテナンスである。

 

この事に最近やっと日本人も気づき始めたようだが、日本人は品質管理が世界最高だ。これはどこの国も追いつけない。安物は中国製を買えば良い、安物買いの銭失いって意味が分かる。すぐ壊れるから。本当に良い物は日本にしかない、そういう実績を日本は持ってる。知らないのは日本人だけだ。

 

ランボー、プロパガンダ宣伝として実に上手くやってる、品質管理もコストカットも本当の意味で理解出来てない米国人にしては大したもんだ、やはり外交政策面では相当に優秀な連中が集まっているのだろう。

 

しかし根っこからにじみ出る普通の日本人の強さは生まれついてのものだ。米国のように学んで身に付けたものではなく、だから負けるわけがない。ここで対米従属反対と唱えても意味はない、米中のはざまで日本がどう生きるか、それだけが今の日本に一番求められているものだ。



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2012年12月01日

スナイパーバレー

土曜日の午後は久しぶりにゆっくりと自宅で映画を観る。平日は家族がいて観ることが出来ないような映画は、りょうまくんを子どもたちの遊び場に送って奥さんと娘が買い物にいってる間に観るしかない。

 

何せテーマは暗くて、1990年代のユーゴ紛争をテーマにしたコソボだとか1970年代のソビエトのアフガン侵攻とか、まだ彼らには理解しづらいつい最近の歴史だから、彼らから見れば単に「気持ち悪い」映画でしかない。

 

こういう分野の映画はニュージーランドで入手することが難しい。政治的テーマが強いので映画館もやらないしビデオショップでも置いていない。仕方ないので日本のamazonで買って東京に出張した時にまとめてホテルに送ってもらいオークランドに手荷物で持って帰って自宅でゆっくり観るしかない。

 

「スナイパーバレー」の舞台は1999年のコソボ。セルビア人兵士によってアルバニア人の父親を処刑され母親は地雷で吹き飛ばされた12歳の子供が銃を持ち、セルビア人女性看護婦ミリアナを狙撃しようとする。

 

銃弾は彼女の肩を撃ち抜き、さらに彼女を助けようとした国連平和維持軍から派遣されたドイツ軍兵士も撃たれる。彼ら二人を救おうとした仲間の兵士は命がけで狙撃者を追跡してその背中に軍用銃を向ける。振り向いた少年はまだたった12歳のあどけない子供だった。

 

次第にコソボ戦争の実態が明らかになっていく。一体誰が誰を殺したのか?それはなぜ?

「もう何を信じたらいいかわからない!」

ミリアナの悲痛な叫び。父親に裏切られて許せない気持ちの彼女は自分を狙撃した子供に会いに行くが、その子の父親が自分の父親の命令で殺されたことを知った彼女は、子供の家から持ちだした子供の人形を置いていくしかなかった。

 

ある晩、留置場の中で12歳の子供は自分が殺そうとした娘に届けられた人形を抱いて泣きじゃくる。セルビア人によって処刑された父親とその墓参りで地雷を踏んで殺された母親の姿を思い出し、そして家族で幸せに過ごしていた子供時代を思い出し、泣きじゃくる。一体誰がこの幸せな生活を永遠に崩壊させたのか?

 

ミリアナと12歳の子供は何度かの訪問のうちにお互いが抱えている問題を理解し始める。無駄な殺し合い、意味のない殺し合い、政治に振り回されてお互いに憎しみを持ちついには殺しあうが、実は一般市民は皆仲間なのだという事に気づく。

 

日本、韓国、中国、これもまた同じだ。民衆はいつも政治に振り回されるが政治を除けば実はお互いに非常に近い民族である。ぼくはニュージーランドに住んで白人と英語で生活をしてその性格や人柄の良さに毎日幸せに過ごせているが、彼らの感性とぼくの持つアジア人の感性は全く違う。

 

全く感性が違うのに仲良く出来るキーウィと日本人。ところが民族的に近いものを持つ東北アジアの中ではぼくらは常に政治に振り回されて尖閣諸島だの竹島など、政治家の煽動に踊らされて最後に武器を持たされるのは一般庶民であり、ぼくら一般庶民が被害者になり政治家はしらんふりである。

 

よく似たもの同士がちょっとした違いを理由に仲違いし、全然違う者同士がちょっとした共通点を理由に仲良くなり、世の中不思議なものだ。

 

舞台となったバルカン半島は第二次世界大戦でもドイツとセルビアが戦った場所であり双方ともに様々な言い分がある。けれど間違いないのは、戦争で死ぬのは一般庶民であり政治家や支配者たちは常に高みの見物をしているって事だ。

 

「ミリアナ、君を守りたいんだ」

ドイツから派遣された国際安全保障部隊の若い兵士、これが実にかっこいい。ドイツのテレビや映画界で活躍する若い俳優がしっかり演技を固めている。

 

任務で派遣されたコソボでセルビア系住民とアルバニア系住民を分離して平和を維持しようとするが、上から降りてくる命令は「観察しろ、しかし何もするな」である。結局殺されそうな民衆さえ救えないのに、なぜ国連軍が派遣されるのか?

 

セルビア軍はどこから武器を手に入れるのか?その金はどこから出てくるのか?一体誰が武器を作っているのか?そして彼らに対抗するのようにアルバニア人も武装するが、その武器はどこから手に入れて誰がカネを払うのか?

 

世界の矛盾が少しづつ暴露されながら筋書きは進んでいく。

 

「くたばれセルビア人!」何の罪もない一般大衆同士が政治に踊らされて殺しあう現実、セルビア半島でつい10年ほど前に起こった戦争を、ぼくらは忘れていいのか?

 

フィクションとは実際には起こらなかった事を筋書きにしているが、じつはフィクションでなければ描けない歴史の事実がある。様々な事実を一つづつ繋ぎあわせて一つの物語を作る。それによって初めて歴史が見えてくる。

 

最後の場面では恩讐の彼方の人々が何とか昔の平和だった時代を取り戻そうとする。こうなって欲しい、こうあるべきだ、そんな筋書きがそこには残されている。

 

ほんの一握りの、どこまで救いがあるかわからないけど、それでもまだ明日に少しだけでも期待出来る未来があるはずだ、ほんの少しだけど希望と未来があるはずだ、そういうエンディングで終わったこの映画だった。

 

ドイツの作品、非常に出来の良い秀作だった。おしむらくはドイツ語で日本語字幕しか無いためにりょうまくんにはまだ理解出来ない。他の何本かもそうなのだが、なぜかこのような秀作で日本語字幕だけってのは何でかなーと思う。

 

このDVDも来週から会社文庫に仲間入りである。移住会員の皆さんもよかったら御覧ください。

 

 



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2012年06月10日

プロメテウス

今日は久しぶりの映画ネタなので興味のない方は無視して下さい。

 

土曜日にりょうまくんを連れてStLukesのゲームショップへ。久しぶりにゆっくりと映画でも見ようと思い2階の映画館フロアへ移動。何があるかなと思って端っこから見てたら「プロメテウス」、リドリー・スコット監督だ〜、よっしゃ見よう。話の筋を全く知らないままに1230分からのショーにコーラとドーナツを持って入る。

 

この映画館では2Dと3D上映がありぼくが見たのは2Dだ。入場料大人一人16.80セント、自由席だが高さがあるので前の人の頭が気にならないしいすはふかふかで肘掛けの先に飲み物ホルダーもあるので不自由しない。

 

このショーでは半分くらい席が埋まってた。一番後ろの座席に座ってコーラを飲んでたら右隣りに中国人らしい若いカップルが来た。彼女は食べなれない手つきでポップコーンを口に放り込んでたのだが、何だか食べてるというより米国人を真似したいって雰囲気ばりばり(笑)。足上げるなよ〜。

 

でもってこの映画。最初の場面で出てくる巨大宇宙船、最後の場面、あれれ〜、これってエイリアンの続編じゃないかと思いながらずっと見てた。途中の場面でも既視感バリバリで、あはは、楽しい。

 

リドリー・スコット監督はdaisukiで色んな作品を見たが今回の作品も飛び込みで観たにしては充分楽しめた。けど何だこのエイリアン色?と思いながら映画終了後に自宅に帰って検索すると〜、何と本当にエイリアンゼロ作品だった事にびっくり!

 

けどあまりエイリアンが頻繁に出るわけではなく、むしろ人類の誕生を宇宙の彼方の星に求める本筋の方が目立つが、ちょっと最後の部分の筋が無理筋かもって思わせたり。

 

けど、どうなんだろう、日本では評判良いのかなと思って検索すると、日本では824日からの放映ということでまだコメントは出ていない。ネタバラシになるので具体的な話もあまり書けないので中途半端な書き込みでスマソです。

 

まあとにかく巨大な娯楽大作と思って観れば十分に楽しめる。日頃はいつも仕事が頭の中にあるけど映画観てる時だけは忘れられる。大スクリーンに大音響を久しぶりに楽しみました。



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2011年06月26日

チャイナシンドローム

チャイナシンドローム


週末に日本から届いた「チャイナシンドローム」を観る。DVDAmazonで購入しても直接海外に送ることは出来ないので国内で一旦受け取り再度パッキングして送ってもらってる。リージョナルとか売る側の都合だけで世界を区分けしているけど、そんな時代なのかな〜、顧客視点が結局いつの時代も正解なのに、わからん業界だなとか思いながら送られてきたDVD、パッケージには1,480円と書かれておりオークランドで映画館に行く(16ドルくらい)のと同じくらいの値段だ。


けど自宅のソファに座ってお茶飲んだり途中で一時停止したりとか、分からん部分は再度見直しが出来るって意味ではかなりお値打ちである。映画館のゴールドシートに座る事を考えれば(30ドルくらい)安いものだ。


1979年3月16日に初放映されたこの映画は、その12日後の3月28日にスリーマイル島原発事故が起こった事もあり「チャイナシンドローム」と言う言葉が原発反対の代名詞のようになって現在に至る。


映画を観て最初に驚いたのは不謹慎ながら「あれ?マイケル・ダグラスじゃんか!」である。そうか、こいつこんな映画にも出演して演技力を磨いて来たんだなとか本筋と関係なくちょっとうれしくなる。考えてみればジェーンフォンダのお父さんはヘンリーフォンダ、マイケルダグラスのお父さんはカークダグラスなわけでお父さんたちの映画も大好きな僕としてはハリウッド2世役者の共演は十分に見ものであった。


ただこの映画の内容は原発に対する強い批判ではなく、現在の原発反対派の主張の土台になったり反対派をサポートするものではない。偶然にSF映画の放映時期と現実の原発事故がくっついて出て来た話なので、この映画を見ただけで「私も原発嫌いになりました!」と言う人は中国人が作った南京事件を読んで「あたしは日本人を嫌いになりました!」みたいな話になるので注意が必要。


当時は他にも自然災害の「大地震」や人災の「タワーリングインフェルノ」などが人気を博してたが、そういう系の延長の一つと思ってもらえばよい。自然災害と人的災害が重なり人智を超えた大惨事が起きる、それがチャイナシンドロームであり、だからいきなり原発反対などとは言ってないのだ。


何を議論するにしてもまずはしっかりと事実を押さえて確認してからでないと、どんな話もとんでもない方向にそれてしまうのは自明の理である。原発映画一つ観るにしても理解するだけの事前学習や日頃の思考訓練が必要だ。


ぼく自身は現在の原発に関しては好意をもっておらず国家のエネルギー政策と言う大きな問題を個人的な賄賂や目先の利益だけで原発に結びつけた中央政府の連中のバカさ加減に呆れるしこいつらが東大出て世間じゃお利口さんと言われているんだからどうしようもないな程度の認識である。つまり彼らを吊し上げてどうにかしてやろうなんて発想はない。それより現実問題としてどうするのかに目がいく。


エネルギー政策の中で原発を選択するか自然エネルギーを選択するかって時点で原発を選んだおえらい連中は、戦前までの帝国大学で教えていた中国の古い哲学や歴史や文学を全く学ばずに、つまり人間として最初に持つべき土台を受験教育の中で失い、表面的な数字の組み合わせだけで社会に出たから自然と人間の基本的な関係が理解出来なくなっていた。


本来日本人が子供の頃から親に学ぶべき持つ道徳心とか人間はなぜこの地球に存在するのかとか、もっと言えば人間の体には魂も存在するのか、など等をしっかり勉強した上で更に科学の進歩で少しづつ自然のことを理解していくべきだ。そして人間と地球が共存するにはどのような方法があるのか、そう考えれば原子力、てか原子の世界に入っていくには人間はまだ十分な準備が出来てないことが分かるはずだ。


しかし問題はこれが東洋的人智として理解しているだけであり西洋人の操る科学的証明が出来ない事だ。つまり西洋科学はこちらに対して「俺たちの土俵で議論して勝ってみろ」と言うがその土俵自体が「人間が地球上で一番偉くて賢い」ってのが前提の傲慢主義なのだから乗りようがないのだ。出来るのは「お前ら西洋人が傲慢さを捨てて東洋科学を素直に学んでみろ、そしたら分かるから」と言うだけだ。


だからまず最初に考えるべきは科学が絶対ではないという事実を認めるかどうか。次に原子力はお金になるから導入したという「ほんとの話」をしっかり理解すること。彼らからすれば金になるのなら原子力でも牛のげっぷでも何でも良かったのだ、ついでに言えば地球温暖化は科学者と一部欧州ビジネスマンたちの最新の金儲けだという事。


原子は現在の科学が解明出来ていない世界の話であり更に言えば科学が自然のすべてを理解出来て地球のことが分かるなどと考えるべきではない。西洋科学一本やりで何でも科学で解決できるなんて思い込まない方が良い。


なので本来なら原子力よりも自然エネルギーを中心にして持続できるエネルギー政策を作るべきだったが、目先のことしか理解出来ない官僚体制を作ったのも政治体制を作ったのも僕ら日本人であるし当時の田舎のおらが村で金儲けをしたのも日本人であるから、今さら過去をすべて無視して「自分だけが知っている、正義の味方だ!」なんて言えるわけもないのも事実。


そのような歴史的事実と自然との共存を考えながら現在の日本が置かれている立場を見ていけば原子力絶対反対!すぐに廃止しろ!と言う感情論は通用しないと分かるはずだ。


原子力推進派の主張する「理屈」に対して反対派は相手の土俵に乗っかって主に「感情論」で反対するから相手にバカにされるのだ。最初にすべき事は相手の土俵で喧嘩するのではなく相手の土俵である「科学は絶対真実」が間違いだということを認めさせて「絶対真実でないなら間違いもあり得る。その間違いのボタンの代償が高すぎるから当分はやめておこう」という事だ。


もちろんこれには代償がある。電気に慣れ親しんだ生活を節約する必要があるし高い電気代を払う必要が出てくるだろう。しかし反対派も自らの主張を貫くには自らも便利さを捨て去る気持ちが必要だ。 



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2010年06月17日

チェイス 国税査察官

2414c4a1.jpg「パパもう一回乗りたい、パパ100円ちょうだい」

江口洋介が主人公で国税査察官の役である。

久しぶりのNHKだけど、おお、NHK,復活したよねって思わせる実にがっちりとしたドラマである。

矛盾。警察と国税のやってるずれ。国と国の駆け引き。どこにも真実は存在しない。あるのはその時の力関係だけである。

そんな事を分かりながらも自分が正しいと思う道を歩く主人公。

ある会社の株を買う。その後株価を下げる。相続をする。そして株価を上げる。これは堤義明の親父がやった手法だ。

50円で買った偽のダイヤモンドを持ち出して外国で100万円で買ったダイヤモンドを持ち帰る。誰がやったか言いたくない。

他にも海外を使った様々な節税方法から脱税方法まで、おいおい、ここまで具体的に書いてよいのですかって思うくらいに結構踏み込んで書いている。

実際に海外で生活をしていろんなことを現場で学んでいる人間からすれば「あ、この脚本を書いた人の情報は2年前のだね」てのが分かるけど、それにしても素人さんがよくここまで書けたなってびっくりすると同時に、よくもまあNHKがこんな番組放映を許したもんだと、その方が歴史的びっくりである。

これはもしかして本当にNHKが国民の番組として変化しようとしているのかな、もしそうだったらすんごく嬉しいし、どっかの度外れプロデューサーの一発勝負だったのかもしれないけど、やっぱりNHKだよね、画質も内容も民放とは全然違う。

こういうのを見ると、ああやっぱりぼくも日本人なんだなって思う。日頃ぼろくそに日本の事書いてるけど、やっぱり日本daisukiなんだよな。その日本を代表するNHKがこれだけしっかりした番組を作ってくれることがとっても嬉しい。

面白かったのは、何故か日本語を分からないりょうまくんまで一緒に見てて、落しどころになると必ず「ねえ、お父さん、今この人なんて言ったの?」と聞きながら一生懸命に画面を見てたことだ。うれしいな、龍馬君、早いとこ日本語勉強しようね。

それにしても江口洋介、いつまで経っても“あんちゃん”のイメージだよな。他の連中がやっても臭いだけの演技が、江口だけは何故か絵になる。

江口だけでなくこの出演者たち、皆さん役者ですな。NHKだからって事もあるのかもしれないけど、演技の気合の違いかな、それとも監督の腕の良さで見事に役者をまとめることが出来たのかな、とにかく誰一人として外さない演技だった。ほんとに久々にはまって見てしまった一日。日本人でよかった満足。


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2010年04月15日

Law abiding Citizen

08ea4da3.jpg強盗に家族を殺された父親は法の不備といき過ぎた公民権に正面から戦いを挑む、犯罪者となって。

この映画を観てどの位の数の日本人が反応するか分からないが、僕は間違いなく彼と同じ行動をとるだろう。

なぜなら契約を破ったのは政府であり体制だから。規則を提示されてこれを守ってくれれば安全ですといいながら、いざ事件が起こるとごめんなさいかいも言わない体制に何を期待しろと言うのだ。法律を作る立場なら責任を取れと言いたい。

あなたが契約を破ったのだからこちら側もこれ以上契約は守りません、これは普通に「あり」でしょ。ある意味、あだ討ちとか復讐が合法であった昔の方が社会に参加している人々の心情からすれば納得しやすいのではないか?と本気で思う。

僕がどうしても分からないのは家族を殺されたら(交通事故はべつにして加害者に殺意がある場合)残った家族は殺人者を殺す権利がありこれを司法が独占する権利はないと思うのに、多くの人々は今だ政府や法律が正しく稼働していると思い込んでいることだ。

これについては様々な意見があるだろうけど、復讐と言う行為が合法化されていた時代があり、それが過去だから古い、間違いなんて考えるよりも自分の心に手を当てて直感で考えて欲しい。むしろその方が正しい答えなのかもしれない。


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2010年01月22日

無防備都市

b36d3174.無防備都市

ロベルト・ロッセリーニ監督で、助監督にフェデリコ・フェリーニ。今から見れば充分に贅沢なメンバーだけど、映画が作られた1945年当時はムッソリーニのファッショから何とか逃れた人々がその後にやってきたドイツ軍に弾圧されてた時代だから、そりゃもうこんな映画を作るだけで一苦労だったろう。

イタリアンリアリズムの最高傑作のひとつと言われており、今回の日本で「買い溜め」したDVDの一つ。

ただ、実際にはドイツからの解放後に作られた映画であり、戦時中に作られた映画でない。

作品としてはどうなのか?周囲の評価が高すぎるせいか、期待して見すぎたせいか、うーん、この程度か?と感じてしまった。

映画を「人に見せるもの」だとすれば、この映画は何を見せたいのだろう?人間ドラマ?それならもっと良い作品がイタリア映画にはたくさんある。「ひまわり」のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニなどはその最高作の一つだろう。

「あの時代」に「あれほどの」作品を作ったと言う評価で言えば「よく頑張ったで賞」をあげるという発想か?「あの時代」を共有できる人々が評価したのか?

ただ、同じ時代を大陸の反対側の日本という島国で過ごし、その後「人間の条件」と言う小説と映画を作り上げてきた日本から見ると、もっと掘り起こしようがなかったのかと感じる。

もちろんローマには素晴らしい歴史と人々がいるわけであり、これは日本人がどれだけ時間をかけても彼らのようなおしゃれで楽しい人間にはなれっこない。けど、映画を作るとか何かを「作りこむ」となった場合の日本人のレベルの高さ、だろうな。

ほんっと、他国の映画を観て批評するのに「自国が一番」なんてやってしまうとバカの見本みたいだけど、やっぱり日本のレベルの高さを思わず思い返してしまった。

次はフェデリコ・フェリーニの「道」だ。これも期待して観たい一本だ。



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出演:アルド・ファブリーツィ
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2009年06月08日

誰も守ってくれない

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ニュージーランド航空でオークランドからシドニーに行く。飛行機は最新型でエコノミー席でも出発前からVOD(ビデオ・オン・デマンド=好きなときに頭出し出来るやつ)で映画を観られる。

 

何だかたくさんあってわくわくしながらクリックしてたら、てかタッチスクリーンだ、これ。

 

するとアジア人の女の子が制服着てる画面が出てきた。ふ〜ん、何だろう(アダルトじゃないよ)と思ってクリックしたら、これまたなんと「誰も守ってくれない」ではないか。

 

人気の高い映画だけど日本に居るときに見る機会がなくて、ついついそのままになってた。

 

けど何故君がオークランドからシドニー行きの3時間のフライトの中にいるんだ?西洋人しか乗ってないフライトですぜ。

 

よく見たらなるほど、この映画は去年モントリオール映画祭で脚本賞を獲得しているんだ。

 

つまり日本人乗客がいるから日本映画でも置いておこうってんじゃなくて、良い映画だから素直に置いてくれてるだなと思った。(それとも映画配給会社からパックで買わされたか?)まあええこっちゃ、素直に喜ぼう。こうやって日本映画が認められていくのは素直に嬉しいですね。

 

でもって映画の出来は、確かに上出来。今の日本の持つ問題をきっちりと描いている。

 

以前の日本では司法が左翼的傾向があったため、犯罪者=国による冤罪と言う印象があり、人権弁護士と呼ばれる人々が加害者の権利を守り、国としても何もしないから結局被害者の権利が無視されるというケースが非常に多かった。

 

それが最近は少しづつだけど被害者の人権を守る仕組みに変わってきた。1990年代頃からかな、犯罪被害者の会が出来てお互いに情報交換をするようになってからは公共の場で意見を述べ、その結果ついには被害者の関係者が裁判に出席することも可能になった。

 

けどそれでもまだ「犯罪者の家族の人権」と言う発想はなかなか出てこない。

 

子供の犯した罪の為に親が自殺したり家族離散したりする現実があったけど、そこに光を当てる社会的意見は出てこなかった。

 

鶏インフルエンザの時にマスコミの餌食にされて自殺した老夫婦は、誰に追い込まれたのか?死ぬほど酷いことをしたのか?

 

ネットの書き込みで犯罪者の家族のプライバシーまで晒されるが、これも今のところ止める手だてもない。

 

けどそんな現実に対してマスコミも書き込みをする者も、全く加害者意識が存在しないという現実。

 

後で公式サイトを見てみると、非常に真面目な「映画の感想」が書かれている。けど全般的には「重いテーマですね」と言う感じ。

 

重い、、、か。裁判員制度が始まった。これは映画じゃないからもっと重いですよ。

 

日本でこんな質の高いテーマに取り組む映画が出来るってのは、やっぱり素直に嬉しいですね。

 

それと松田龍平。この演技、好きです。もし「BlackRain」が好きな人なら、息子の演技も是非とも観て欲しいですね。あれ?考えて見れば主人公の佐藤浩市も二代目俳優ですな。こんな二代目ならどんどん出てきて欲しいですね。



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2009年06月06日

UNIT

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今日現在でシーズン2に突入。

DVDで毎晩2〜3回分見ている。
それにしても米国の最近のテレビ番組のドラマは質が上がったな。

ディズニー映画を代表にしてテレビでも
「奥様は魔女」とか「逃亡者」とか、
とにかく良いものが作られていた米国。

60~70年代の米国は映画に限らず
様々なモノ造りが盛んだった。

何せ著作権とかうざいことは言わずに
バンバンと戦争に負けた日本に技術を供与して
それで逆に日本から輸出されたテレビやラジオや
車が米国の産業を潰していったのは皮肉な話。

それがベトナム戦争を境に自信を失い、米国は
「失われた10年」に突入する。

彼らが復活したのは金融社会へと変貌したからだ。
自分が手に汗をかかなくても冷房の効いた部屋で
カッコいいスーツを着て他人を訴える事でカネを儲けるのが
効率的だとハーバードで学んだ連中が著作権とか
言い出してから米国はおかしくなった。

モノ造りの大事さを忘れて、カネになるなら
何でもやってやれとばかりに法律と金融に走ったのだ。

その結果としてテレビ番組までバカになってしまった。
その後を追いかけたのが日本のテレビでもある。

けど「24」あたりから良い番組が出始めたのは、
テレビが今のビジネスモデルではやっていけない、
やっぱりコンテンツが大事だと気づき始めた証拠では
ないか。

ちなみに子供向けの番組でも結構面白いのがある。
竜馬君と一緒に見ながら、ほう、よく作りこんでるなと
思わせることがよくある。

そうなると情けないのが日本のテレビ。DVDになっても
買いたいと思わせる番組がどれだけあるか?

日本のテレビと新聞のビジネスモデルが崩壊している。
けど当事者はまだ危機意識がない。まだいけるさ、
本気でそう思ってる。

けど、どんな業界にも永遠はない。いつかビジネスモデルが
崩壊するときが来る。それを予測して準備して
次のモデルを作った人間だけが生き残れる。

しっかしまあ、米国の映画産業、てか映像産業は
ほんとに層が厚いな。次々と出てくる無名の俳優が
どんどんとお茶の間に広がっていく。

UNIT。まだまだ続きます。

 



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2009年05月03日

おくりびと

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やっと自宅で週末に観ることが出来た「おくりびと」。

 

なるほどな〜、こういう映画を作るのは日本人の得意技だけど、ここ何年も、こういうきっちりと造りこんだ映画はなかったよな。

 

洋画に押されて邦画が総崩れになり、それまで培ってきた映画技術が無用の長物になり、アニメーションとホラーが何とか邦画を支えてきたけど、やっと本格的に「語り」のある映画が作られるようになったなんだな。

 

映画の内容自体はそれほど興味はなかった。ああこれですね、この路線ですね、そんな感じ。

 

けど、本木と広末の会話や色んな場面で、そこがまるで切り取られた一つの絵のように、すべての、例えば灰皿やそこに置かれた本やちょっとした小道具に語らせているのだ。

 

これって小津ですか。それを思いっきり今の時代に置き換えて創ってみたんですか、そんな質問をしたくなるほど、きっちりと地に足が付いた描写と、何より本木と広末のまるで素のままのような演技もいい。

 

山崎努もいつまで経っても良い役者ですね。何をやらせても実にうまくこなすし、そして主役を食うようなことはしない存在感。

 

僕の中では決して高い評価とは言えない。世界中を見ればもっと素晴らしい映画があるし、何より僕が映画に求めるところの感動がない。

 

要するに、この程度の生活実感ならもう分かってますよと思うのだ。

 

けど、この程度の生活実感さえ感じられない(実際に去年から今年の、特に今年の日本出張で思った、日本は本当にやばいほどに生活が無くなりはじめている)今の日本を切り取った作品として、本当は人間ってこうあるべきじゃないの?夫婦ってこうあるべきじゃないの?家族ってこうあるべきじゃ、社会ってこうあるべきじゃ、死ってこうあるべきじゃ、そんな問いかけが繰り返し語られてくるのだ。

 

良い時に良い場所で発表された作品だ。これで新たな日本映画の流れが出来ると良いのだけど。



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2009年04月02日

ワルキューレ 真夜中の会議

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僕が英語を学び始めて真っ先に感じたのは、英語では欧州の地元の発音や言葉でも一切お構いなく綴りに合わせて英語で発音するって事だ。

 

最初に感じたのはMunich。英語ではミューニック。僕らは学校ではミュンヘンと習った。これはやっぱり開国した日本が最初に欧州に使節団を送り込み、その国の言葉で発音を覚えたからだろう。

 

ワルキューレは第二次世界大戦当時のヒトラー暗殺に関する実話をベースとした物語でトムクルーズ主演の映画であるが、社会派映画ではない。

 

・ヒトラーがどうやって台頭したかとか

・ヒトラーがどうやってドイツ国民を困らせたかとか、

・ヒトラーがどれだけ多くのユダヤ人を虐殺したかとか

・実はヒトラーはローマカソリック教会の後押しを受けてたとか

・大恐慌で大変だった米国資本家連中から資金供与を受けて戦争に進んだとか、

そんな歴史の表や裏の話をしているのではない。

 

単純にトムクルーズが英雄の役目を見事にこなして、それに最新の実写映像技術を取り入れて大金を投じて製作された対策映画である、じゃなかった、大作映画である。

 

今の米国の悪者探しの目をそらすために、「ほーら、ドイツのヒトラーはこんなに酷かったんだよ、ね、これに比べれば今のアメリカなんて大したことないじゃん」対策ではないと思う。

 

けど米国で映画を作るときは大体において、特にこういう系の戦争とかテーマ性のある奴に関しては、映画業界だけで作るわけではなく、必ず政府や軍との話し合いがある。

 

このあたり、ロードオブザリングスだったら人々を幸福にするんだから問題なし。

 

だけど、内容がアメリカの恥を晒すような映画、例えば「DeerHunter」なんてのは、米国がベトナム戦争を最終的に総括して「よし、謝ろう。そしてこれで終わりにしよう、これからは関係修復に動こう」と判断したから出来た映画だ。

 

今回のワルキューレは、言語ではWalkure(ワルキューレ)で、英語ではValkylie(ヴァルキール、みたいな発音)となる。

 

渋谷の映画館に入ったのが夜の18:00丁度。窓口でチケットを買い、すぐに近くの立ち食いうどんに飛び込んで簡単な夕飯を済ませて座席に坐ったのが18:20。ふ〜、ぎりぎりセーフと思いきや、なんとそれから20分ばかり色んな映画の宣伝をやるのだ。おお、これって変わってないな。

 

人気のある映画だし18時過ぎなのだから人が多いかと思ったら、これがスカンスカン。嫌いと言う意味ではない、ガラガラと言う意味。

 

この日僕は午後は投資家のお客様(最近増えてます)と会議を行い、次が夜の22:00から仕事の打ち合わせが入っており、それまで酒を飲むわけにはいかない。

 

ならば強制的に自分を酒から隔離しようと思って映画館に篭ったのが事実。それにしても日本人、よく働きますね。夜の10時から会議なんて、何年ぶりだ?

 

映画館に入るのは、これこそまたも二十年ぶりくらいではないだろうか。あ、けど香港では映画館に行ってたから、日本の映画館に入るのが二十年ぶりって感じだ。

 

ここは昨日のマンションと正反対で、正直言って「なんにも変わってな〜い!」だった。半円型のアクリル窓と売り子の口元のマイク、たくさん乗れるだけが取り柄の古いエレベーター、そしてエレベーターを降りると待ち受けてる「もぎり」のお兄ちゃん。

 

映画館はだあだっぴろく、最近よくあるようなプレミアシートなんて存在しない。ひたすら10数名が横一列、殆どブロイラー状態で並んで雁首並べて映画を見る奴だ。

 

変わったのは働いている人だけで、箱は何も変わってないし仕組みも全く変化してないんだな〜。これにもある意味感動。

 

この日に入った映画館は渋谷109前の「渋東シネタワー」4階。あれだけのサイズになると、あれだけお客が入らないと、いつも取り壊しの危機に晒されているのではないだろうか。何せ渋谷109の真正面で、思い切り広い敷地である。今時アレだけの一等地ではあんな出物は滅多にないのでは?

 

けど映画館の名誉の為に言っておくと、サービスは問題ないし椅子もふかふかで広いし、良い映画館でしたよ。僕が30年前に見てた映画館に比べれば、ずっと改装が進んでいる。椅子にはドリンクカップも付いてるし傘立てもあるしね。

 

いつも思うことだけど、毎日同じ場所で一生懸命働いていると、なかなか大きな変化に気がつかない。むしろ外から時々来るほうがその変化がわかるのだ。

 

さて長くなったがワルキューレ。よく引き締まった作品だ。無駄がない。無駄がなさ過ぎるくらいだけど、それはトムクルーズの演技ですべてが引き締まっている。この人、どんな場面でも全員を食ってしまい、彼の作りたい空気にしてしまいますね。

 

彼が笑えば太陽が光るし、彼が唇を引き締めれば周囲はきりっと引き締まる。そして彼が怒れば、周囲は「こいつ、本気で怒ってるんじゃないの?」と思わせるくらいの怒りを体中から発している。

 

映画の内容は、思い切りはしょっていると言えば言いすぎだけど、戦争を知らない人が見たら少し意味不明かもしれない。

 

何より笑ったのが、映画を見終わってトイレに行った時に隣にいた二人組みの若い男の子が「残念だな〜、トムクルーズ失敗したんだね〜」と言ったこと。

 

これはネタばれになるかもしれないけど、けど歴史的事実の基本だけは押さえておきましょうね。でないと映画全編に流れるあのど〜んとした暗さやトムクルーズの怒りは理解できませんぜ。

 

それにしても演技は良かった。やっぱりトムクルーズは英雄役をやらせたらすばらしいですね。

 

周囲の脇役も優秀なのが勢ぞろいで、実に重厚で雰囲気のある仕上げになっている。

 

テレンス・スタンプは「シシリアン」や「ウォール街」でも素晴らしい演技を見せた名優(どっちも名作、はい勿論僕もOntimeで観ました)、フルモンティでペーソスな演技を見せたトム・ウイルキンソン、王立演劇学校を主席で卒業し「ヘンリー五世」では多くの賞を総なめし、米国でも監督や俳優を兼務するなど素晴らしい実績を残すケネス・ブラナーなどなど、すべてが大舞台で俳優をやったり映画に出たりして大きな賞を取っている連中ばかりだ。

 

彼ら脇役グループとトムクルーズの演技の息のぴったりさには、これだけでもう充分観る価値あり。だからあんまり筋書きに拘らず、演技と演出を楽しむだけで充分に満足できる作品だ。

 

これは120分モノに仕上げてるけど、180分でも良かったのではないかと思う。

 

ワグナーの名曲ワルキューレに合わせてストーリーは進行していく。答えは分かっていても、すべての場面で「あ、あの事件の背景はこうだったのか!」とか「そうか、あそこでこうしておけば!」とか、軍事作戦としてこの事件を捉えるか政治的クーデターとして捉えるかで答えは変わるが、とにかく見ごたえのある一作だった。



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2009年02月01日

デビルマン

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「オレは食っただけだ」

 

映画の最初の部分で人間より強い生き物として位置づけられてるデーモンが氷河期の永い眠りから地上に現れて人間を食い始めたときのセリフだ。

 

「活き造り」とはさらに一味違ったテーマ、あはは。

 

 

現代の人間の理屈で言えば、人間が人間を殺して食ったら殺人と死体損壊(?)で罰せられるだけでなく倫理的な問題を問われる。

 

少なくとも殺人者の身内や親戚は一家離散、名字変更で一生心の傷だ。

 

けど、人間が魚を殺して食ってもこれは殺魚であって、食べる目的なら罰せられることはないどころか、「どっちの料理ショウ」では「なんと優秀!」となる。

 

「人間は動物を殺して食ってるではないか。どうしてオレが人間を食ったらいけないのだ!」優秀な人食いであるデーモンが「どっちの料理ショー」に出れば大人気だったかも。

 

ついでに言えば彼らデーモンは地球の先住民族であり本来は自分たちの土地だったので、あとから来た人間は土地を勝手に盗んだことになるので、マオリがニュージーランドで多くの権利を持つようにデーモンが持ってても当然ではないか。

 

今の人間と魚の関係は完璧に力関係で成立している。魚と折り合いをつけながら生きる必要なない。

 

だって人間がどう転んでも魚に食われて滅びることはないからだ。

 

もし対等な関係でやるんならお互いに相手を認め合って魚と人間の間で「権利の章典」とか「刑法や民法」を定めて共同生活をするようにしないとね。

 

例えば魚と人間の間に結ぶ漁業権は魚が海で営業する権利であり、人間に昆布を売るとかスキューバダイビングショップを経営する権利とかになる。

 

魚が昆布やダイビングの対価として人間から受け取るのは水中銃で、こいつで哺乳類である鯨や甲殻類のイカをやっつけて海が魚の支配する世界にするのだ!

 

権利書作るときは人間側は署名、魚側は手がないから魚拓だな。

 

(実際にワイタンギ条約を白人とマオリが結んだとき、白人の署名に対してマオリはマルやバツを書いたのだ。そしてマオリは白人から受け取った銃でお互いの部族同士の戦いに使った)

 

わはは、ついに食物連鎖の一番上のくじらを取り除いたから俺たちが一番だ!そしてぬるぬるする変態みたいなイカも、あいつらでかいけど甲殻類なので魚じゃないから、同じ海の水を飲んでても敵だから殺しまくれ!

 

魚の世界でも当然に上下がある。おれさまはカジキマグロ。お前らひらめは黙って下向いてろ。

 

さよりとか可愛い名前しやがって、さあ食うぞ。はまちのやろう、出世してブリブリに大きくなったら政敵になりそうだから、今のうちに食っておけ、ばく。

 

だから1700年代にオーストラリアや米国に入植した白人は、そこに住む先住民族を最初から対等な立場と認めずに魚と同じように扱った。魚拓にしたのではなく撃ち殺したのだ。

 

え?何を意味不明なこと?けど、オーストラリアにおけるアボリジニは1800年代には動物の一種であり、入植者が彼らを殺しても裁かれなかったし、1950年代までは人口台帳にも掲載されず、生まれてきた子供はオーストラリア政府が無理やり親から引き離してその後に大きな問題を残した。それはすべて白人の持つ銃と人口数と工業化の違いである。

 

だからもし一つの種族よりも圧倒的に強い種族が出てきた場合、弱い種族は強い種族に対して戦う力もないし理論的に対抗する権利もないだろうし、その時は食われても仕方ないと言う理屈になる。

 

これが昔の奴隷制度だったのだろう。戦争で相手をやっつけたら、それを食うよりも働かせるほうがよりたくさんの生産性があるのだから、殺してしまうよりも奴隷に子供を産ませて数を増やしたほうが良い。

 

奴隷時代の白人の理論でいけば、デーモンが人間を食うのは当然の行為であろう。当然だ、腹が減ったのだから。

 

さて、デビルマンは永井豪が描いた傑作SF漫画だ。

 

1972年、今からもう36年前に作られた作品は少年ジャンプが少年たちの聖書だった時代の強力なライバル「少年マガジン」に掲載された作品。

 

デビルマンは何度もテレビ化や映画化されて、2004年には漫画版の実写版が出来ている。

 

地球上を征服していたデーモンが氷河期に冬眠、目覚めて見るとそこは人間の世界だ。デーモンは人間と合体することで人間を征服しようとする。

 

今日はりょうまくんとこのデビルマンを見ているのだけど、あの頃の漫画やアニメには本当に主張があったなって感じる。

 

だからついつい冒頭のようにお魚さんの話になってしまうのだけど、当時はSFと言いながら思想性があったから、時代を越えた今でも新鮮さと創造力を感じるのだ。

 

勿論その時代背景には60年代から70年安保で日本が引っくり返るような騒ぎになり、これがその後の安保闘争から成田闘争、そして過激派による身内同士の「浅間山総括」殺人となり、過激派の生き残りはパレスチナ過激派に合流、その後の赤軍派となった時代だった。

 

だから映画を見ながらその雑さに唖然として俳優の学芸会活動にびっくりしてオリジナルの筋子じゃなかった筋書きがいくらみたいにばらばらにほぐされてあちこちに飛ばされててしまい、原作を読んでない人には全く意味不明の展開だったろう。

 

けど原作を同時進行で読むことが出来た僕には懐かしさがあるし、筋子がいくらになってても、元々の筋子状態を頭の中に入れてたので、場面ごとに「ほう、こうやっていくらを切りとったか?」と分かる。

 

ある映画評論家は「ポスターのみが綺麗で、100点満点の2点」を与えたり、2004年で最も下らん映画と賞をもらったり散々な結果となった。

 

他には見所ないんかい?と言われても、まさに何もない。映像CGのみ。とにかく見れば分かる。

 

大体真面目なテーマで作るなら、人間がデーモンに変身するときにデーモン小暮の顔作るなっちゅうに。

 

映画の前半では人類を守るデビルマン対人類の敵デーモンだったが、そのうちデーモンの中でも人間の理性が打ち勝つを持って後半では人間同士が不信に陥り殺し合いになり、遂には魔女狩りが始まる。

 

わたしたちじゃない、悪魔はお前ら人間だ!人の心を持つ悪魔となったMIKOは、魔女狩り集団に向かって突撃していく。

 

等と、テーマ性を全面に出すと見かけ格好良いのだが、最後の場面でのボブサップも、あれは笑っていいのか怒ればいいのか、本当にやじろべえーのど真ん中に立たされた気分でいらつく。

 

前宣伝の音楽も酷い。ラップだぜ、デビルマンを。

 

〜だれだ、だれだ、だれだ〜!〜と始まる「あの音楽」を、どんなセンスでラップにしたんだろう。漫画原作を一度でも読むなり当時の人々に永井豪やデビルマンの事を聞いてれば、絶対にあり得ん選曲。

 

真面目なのかふざけているのか、それとも頭の悪い真面目な連中が永井豪のブラックジョークの意味も分からないまま見掛けだけ真似をした教条主義者か?たぶん教条くんだろうな。

 

この映画は先週アルバニーで18.98ドルで買ったのだけどR13指定となっている。妥当かな、けどかなり「ぐろい」ので、子供と見るときには要注意。

 

 



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2009年01月27日

輪廻・・・怖いぞ・・・僕には・・・じゅうぶん・・

輪廻 プレミアム・エディション [DVD]輪廻 プレミアム・エディション [DVD]
出演:優香
販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2006-07-14
おすすめ度:3.5
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昨日の午後から耳の穴がむずむずする。日本のホラー映画「輪廻」を家族のいない昼間に見終わったすぐ後からだ。どうも虫が入り込んだような感覚。夜になっても時々耳の奥がかゆくなる。

 

呪いか?

 

もし虫だったら、寝てる時に潰してしまえと思い、右側を下にして横になって寝る。

 

けど、普段は奥さんとりょうまくんが三人で肩を並べてるベッドなのに、今晩はお二人は居間で寝たいとのことで今晩は自分ひとり。

 

あいつら、仕組んだか?

 

実は僕はけっこう怖がりだ。闇夜の提灯が火の玉に見えるタイプ。だから風で揺れる草木の影や空気清浄機の突然動き出す音とか、けっこう怖い。

 

一人で寝てると、もっと怖い・・・・・

 

どういうこっちゃー!

 

結局、眠ると怖いし眠らないと疲れるの繰り返しで、一晩中ベッドの中でごろごろする。

 

これがよくなかったのか、翌朝は右肩が痛いぞ、、てて。

 

てか、一番問題だったのはやっぱり「輪廻」を観る場合は事前に「奥さん、今日は一緒に寝ますか?」って確認を取らなかったことだろう。

 

それにしても、輪廻、夢に出ないようにした・・・ああ、怖かった・・・。ほんとはそんなに美ビル作品ではなく、結構論理的で楽しいんだけど、観終わって一人でベッドに入ると、もうだめぼ・・・じゅうぶん、だめぼ。



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2009年01月25日

Desperate Housewives

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この三連休はスキーに行ったり映画を観たり、けど基本はゆっくりのんびりのびのびしている。

 

休みだからってぎっちりの日程で旅行に行って、帰ってきたらその疲れでまたストレスってんじゃ洒落にならんのに、やはり日本人は旅行日程もぎゅうぎゅうに詰め込みたがる。

 

せっかちな人種なのか遊び下手なのか。

 

けど実際に日本人が旅先で「何もせずに過ごす」ことなんかやったら、その方が苦痛が大きいんだから、たとえ後で旅疲れになると分かってても、やっぱり旅の途中はいろんなものを見て回るのが真情である。遊びについては西洋人の方が上手なのかもしれない。

 

昔はビーチでのんびり過ごす白人の感覚がなかなか分からなかったけど、最近少しづつキーウィ化したのか、「のんびり」を楽しめるようになった。これも忙しさを経験したから言えることで、生まれた時からこんなにのんびりしてちゃ国が滅びるぞとは思うけど。

 

でもって休日二日目は最近家族がはまって観ているテレビドラマ「Desperate Housewives」鑑賞だ。アルバニーショッピングセンターのJB-HIFIで買い込んで、家族で朝から観てる。

 

米国のABCで作られているホームドラマだけど、これがまた楽しい。映画のような作りではないけど映画並みに楽しい。てか、下手なメッセージ性のある映画よりも、よほどリラックスして楽しめる。

 

こういうのは、「24」から始まった流れではないか?そして「プリズンブレーク」も、そのスピード感やストーリー展開がまさに「息をつかせぬ」面白さ。

 

この「Desperate Housewives」、家庭の専業主婦の話も、違う意味でとても面白い。ソファに寛いでのんびりと息をつきながら、隣に坐ってる奥さんと「ほら!やっぱり女は〜!」とやると、その次の場面では奥さんから「ほら!やっぱり男は〜!」とやられる。

 

要するに家族で楽しめるのだ。家族に会話を生んでくれる筋書きなのだ。時には銃が出てきたりお皿が割れたりするけど、基本的に「ふつーの夫婦や家族」と、彼らが所属する地域の日常を描く物語である。

 

「そんなん退屈じゃん」って思う人、良く分かるその意見。僕も観るまではそうだった。けど、これは今の時代には多分殆ど存在しない「楽しくて面白くてちょっと窮屈だけどでも皆でそれなりに助け合ってきた時代の社会」みたいな雰囲気があるのだ。

 

テレビ番組に限らず映画でもそうだけど、あーいうのって、半歩先を描くとうけるらしい。あまり行き過ぎると視聴者はついて来れません。

 

良く出来た筋書きと役者の演技を観ながら、「そうだ!」とふと思った。

 

うちの奥さんはこのドラマを広告付きテレビでは観ずに、JB−HIFI(電気や)で普通にお金を払って「買った」のだ!

 

39.98ドルが「Desperate Housewives」のFirstSeason6枚分の価格である。

 

これじゃんか!

 

以前からテレビのビジネスモデル(=スポンサー広告で無料視聴)が崩壊したって事を何度か書いたけど、あたり前の話だけど、そうだ、テレビ番組が良質であれば視聴者は有料でも買うのだ。

 

今の日本のテレビ業界の問題は、お金を貰っても見たくないような程度の低い番組ばかりだから必然的に視聴者が離れて行ってるのだ。

 

ならば質の良い番組を作ればいい。それだけのこと。そのためにはスポンサーを探すよりも優秀な監督とプロデューサーを見つけて良質の番組を作らせれば良いのだ。そしてそれを有料で放映する。

 

放映終了後はDVDにして販売をする。

 

だから今のようにテレビ局がすべて仕切るのではなく、製作会社が作った優秀な番組をテレビ局が審査して、いけると思った番組を放映する。そのテレビ局は有料テレビなので、番組のレベルが低ければ視聴者から「延長しません」とお断りになる。

 

こうなれば誰もが意味のない視聴率ではなく視聴者がお金を払ってくれる良い番組を作るために一生懸命になるだろう。スポンサーに気兼ねせずに本来のメディアとしての健全な批判も出来るようになるのではないか?米国ではすでにこのような淘汰が始まっているのかな?そんな事を思いながらDesperate Housewivesを観る。

 

池田ブログの池田信夫氏がテレビ番組の中でとても面白い表現をしていた。

 

「沈む船の椅子取りゲーム」

 

まさにその通り。今のテレビは視聴率と言う椅子を取るのに一生懸命だけど、テレビ自体が沈没を始めているのだから、そんなのに一喜一憂してる場合じゃないでしょ。

 

おまけに「地デジ」と言うお馬鹿の爆弾を抱えているのは米国も日本も同じだけど、オバマは地デジの開始時期を延長した。日本はどうするんだ?最後はまたも国民の税金でテレビチューナーを配るのか?

 

 



tom_eastwind at 18:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年12月27日

人間の条件2

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人間の条件、映画版6本。単行本6冊。

 

僕にとっての試金石がこの本であることは以前書いた気がする。とにかくこの本は常に空中のある一箇所に停止していて、僕が下がれば本が上にあるように感じるし、僕が上がれば本の中身の論理に「あれ?そうだったのか」と思ったりする。

 

だからこの本に触れるたびに、今の自分の置かれた場所が見えてくるから不思議なものだ。

 

とにかく戦後の日本でこれだけ売れた本はないのではないか?1千3百万部を超えて売れたベストセラー。1956年発売。

 

当時は戦争に負けた日本が中国やロシアに抑留され、そこで共産思想に感化され、戦争に負けたこともあいまって日本が急激に左翼かした時代だ。

 

そういう背景もありベストセラーになったとも言えるが、しかしそれはあくまでも副要因であると思う。

 

やはり何よりも大きいのは、その小説としての面白さであり心理描写であり、常に読者に向かって「お前ならどうする?」と問い詰めてくるその文章だろう。

 

かっこいいことばかり言って現実から目をそらすんじゃない。蝶よ花よで世界が片付いてる時代ならそれでも良いだろうが、極限状況で人は生きていくためには時には人を殺すしかない。

 

そんなとき、お前ならどうする?そうやって問いかけてくる。

 

平和が一番大事、武器は持たない、人は殺さない、方が良いのは事実。けど、だったら目の前で殺人者がナイフを構えているときにきゃーきゃー騒ぐなって言いたい。

 

自分で武力を棄てたんだから文句は言うなよって言いたい。

 

そうすると、それは極端だと言われる。そう。けど極端なまでに考えておかないと、何かあった時に行動に移せないのだ。

 

多くの人に対して僕が一番「ずるいな・・・」って感じるのは、考えきることをしない「中途半端な思考停止」な考え方である。

 

本来は政治であれ経済であれ文化であれ歴史であれ、自分で徹底的に納得するまで突き詰めるべきところを、考えることに慣れていない人々はすぐ適当なところで思考停止して、その辺のコンビニで売ってる雑誌に書いてることをさも自分の意見のように語る。

 

ところが僕がその議論を突き詰めて「その根本的な問題は究極的にこうなりますよね、それでいいんですね」と言うと、大体の人が「tomさんは極端過ぎる」と怒り出す。けど真実は一つしかない。怒る事は思考停止をしている自分への誤魔化しに目をつぶる唯一の方法なのだ。

 

原子力の問題を突き詰めて考えて見れば良い。それでも受け入れるかどうかの問題は個人的判断だけど、浜岡原発で地震が起きれば、風の具合によっては東京が壊滅するのだ。

 

そんな事言い出したら交通事故が〜と思う人は問題ない、そのまま日本に住んでれば良い。その判断をどうこう言わない。嫌なのは、日頃は問題から目をそらしておきながら、いざ原子力発電所で事故があると「安全が大事!」と声を大にする連中である。

 

今の原子力が安全でないのは分かりきったことで、それでも浜岡が爆発したって霞ヶ関とお堀の内側の人間を逃がすだけのヘリや船は準備されているから問題ない。

 

だから原発を作って活用するほうには何も問題はなく、あるのは原発の危険性を知らされずに原発の危機に晒されながら目をつぶっている人々だ。

 

この本が常に語りかけてくるのは、「何もしないことが大きな罪だって事を知ってるのか?何もせずに失敗しないからって他人を裁いたり許したりする権利があるのか?」と言う点だ。これが何度も繰り返し出てくる。

 

「オレだったら戦争地帯から負け戦で脱出している状況で自分の仲間のために目の前で歩哨をしている若いソビエト兵を殺すか?」

 

「オレだったら軍隊の中でたった一人でも抵抗して軍刑務所に入るか?」

 

全六巻の中で実に様々な極限の状況下で主人公の梶はその時その時の判断をしていく。それが成功するときもあれば失敗するときもある。その度に後悔しながら、それでも生き抜こうとする彼の姿に、多くの戦争帰りの兵隊が共感した、その結果として1300万部と言う驚異的なベストセラーとなったのだろう。

 

とにかく「目の前の状況を自分の頭で理解しながら強く生きていくしかない」と再度思い出させてくれた「人間の条件」であった。

 

 

ちなみに最近は単行本で10万部出ればベストセラーと言われる。

人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)
人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)
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tom_eastwind at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年12月26日

人間の条件1

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クリスマスは映画三昧。

昼過ぎから「人間の条件」を全編通して観る。

全部で6本のDVDであり、合計すると10時間近くだ。

こんな日にしか観ることが出来ないので、神様のクリスマスプレゼントと思う。何も考えずにゆっくりと映画を楽しむ。

この感想はゆっくり後で書くとしてこの小説版をもう何十回読んだか考えてみる。

高校生の頃に最初に読んで、今が28歳だから何十回読んだかな。追記:精神年齢と肉体年齢が28です。政府認定のパスポート年齢はもうちょっと上です。

いずれにしても若いです。サミュエル・ウルマンの詩にこんなのがあります。

「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。」

感想は明日書くとして、今日はやっぱり書いておきたいことがある。だって明日じゃあ遅い。

ウェリントンに行ってきた。すんごい楽しかった。ちっちゃな京都みたい。そして思った。

オークランドでだらだらと生活をしている何もしないどこかの会社の社長って、なにもしないから罪がないと思っているのか?何もしない事が罪だってことを気づかないのか?

結局変化しない人間は社会を停滞させる。おれはそんなの嫌いだ。

詳細は明日。けど、どうしても今日書きたかったこと。楽しくない、意味のない人生を君は誰のためにこれから何十年も繰り返すのか?生きるって何なんだ?

人間の条件、それは何なんだろう?

 



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2008年12月07日

Sunny

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韓国の田舎に育った純朴な少女が地元のナイーブな青年と結婚するが、彼には既に以前からの彼女がいた。

 

1971年当時の家では、跡継ぎと言う考え方は子供を産むと言うことであり、それが本妻の子でも彼女の子供でも良い、当然本人同士の気持ちが無視されたところで行われた。

 

自分を正面から見てくれない夫はベトナム戦争に送られ、一人残された彼女はことごとく辛くあたる姑や周囲の人々からもだんだん白い目で見られるようになる。

 

ベトナムに送られた夫を追いかけるために彼女が武器にしたものは?そして得られたものは?

 

anita mui主人公の彼女は日本の女優である「ゆうか」と香港の往年の大女優アニタムイを足して2で割ったような顔をしている。

 

 普段は田舎の素朴な娘で化粧もせず、特別に綺麗ではないけど笑顔が最高に素敵。

 

けどその彼女が夫のために彼のいるベトナムの土地に一歩でも近づこうとする時の顔は、何者も私を止める事は出来ないわよって鬼気に迫ってくる。

 

英語が全く出来ない彼女は旅先で知り合ったバンド仲間に「スージーQ」を教えてもらう。その踊りも最初は全く振り付けも分からないままでぎこちないけど、そのぎこちなさの中に元々持ってる踊りのセンスをちらっと見せるという演技。

 

けどこれ、「黒い雨」の高倉健さんだ、そう思わせた場面です。マイケルダグラスと健さんの掛け合わせ、大坂のクラブだった。そういえばあの頃は大坂も賑やかだったんだなとか思いながら懐かしく観てしまった。

 

彼女と知り合いになったバンド仲間のキャラも良い。「おれたちゃ天使じゃない」って古い映画があるけど、最初は金儲けのためにだけ集まったバンドメンバーだが、苦労を共にすることで少しづつ連帯感を身に付けていく筋書きは、無理なく良く出来てる。

 

映画を見たのは空の上、キャセイ航空。つまり韓国でも人気があって外に出せるだけのレベルの高い映画という事だろう。勿論これをハリウッドの一流映画と比較するのはまだきつい。けど、荒削りだけど十分によく作りこんでると思えた。

 

ほんと韓国の最近の映画の質の向上は金大中元大統領が国家として映画産業に力を入れて映画人を育てたおかげだと思うけど、これからもまだまだ良い映画が出てきそうだ。ベトナム戦争の場面もよく作っている。今から40年近く前の戦争なのに、一部の韓国人の記憶には今も残っているのだろう。

 

ただ一つ難を言えば、韓国の映画にはどうしても歴史がない。日本のようなクロサワアキラとかオズがいない。この点、手本となるべき試金石的映画をどこに置くのか?これから韓国がどこに進むにせよ、その石からの距離感や違いが方向性となる。

 

けどこのストーリー、ネタばれになるからあまり書けないけど、もしこの二人がうまくベトナムから戻れたとしても、離婚するだろうな。あの奥さん夫を探してベトナムまで行ったけど、その夫は結婚する前から他に女がいるわけだし、姑は酷いし周囲も理解がない。

 

相手を理解しようとせずに自分の価値観ばかりを押し付ける世間に対して彼女は出来る限りのことをした。そして英語も出来ないのにベトナムに飛び込んでいった。

 

でもそれはこの映画を見てれば自然と感じるように、彼女が持つ「あたしが納得するためにやるんだ」と言う強烈な意思だ。決して誰かの為ではない。

 

sunny movieそれは彼女がすさまじいまでの勢いで「スージーQ」を歌う後半の舞台でスクリーン一杯に広がる。

 

このあたり、アニタムイ的な演技の迫力が出ているなって思った。(ちなみにアニタムイ、香港を代表する大女優でまだ若いのについ最近癌で死んだ)

 

その間夫は、妻のそんな苦労を知りもせず家にいる母親を思い置いてきた彼女を振り返り、だ。ちょっと子供っぽくないか?

 

 

「一度違う世界を知ってしまった人間」が「違いを知らない人間」と同じ価値観を持つことは、よほどのことがない限り出来ない。どこかでムリが来る。そしてそれが苦痛になってくる。

 

内容がせっかくこれなら、次回は少し状況設定を変えて「強く独立していく韓国女性」をテーマにしても良いのではと思った。

 

ただ一つ難点を言えば、せっかく60年代後半のベトナムロックなんだからスージーQだけじゃなくてCCRとかジミヘンとかあったろうにと思う。音楽担当の人が実際は当時のロックを聞きこんでなかったのではないか?と思ったり、スポンサーの関係なんかなと思ったり、実は担当者が好きなのはビートルズだったんだけど、ビートルズとベトナムロックの区別がつかない映画会社のプロデューサーがその人を選んだのかなとか。

 

 

ベトナム沢田いずれにしても、ベトナム戦争にビートルズは合わない。

 

ベトナム戦争で一躍有名になりその後殺された三沢教一の有名な写真が左です。

 

 

 



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2008年10月28日

10歳の子供が見た大恐慌

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Kit Kittredge; An American Girl

 

オハイオ州シンシナチに住むキットは新聞記者になることを夢見る10歳の少女。1930年代の世界大恐慌に巻き込まれてそれまでは比較的裕福だった家族は、父親の失業と共に現実に引き戻され、家族や友達と共に生き残る為の戦いを始める。

 

普通ならまず観る事もなかっただろう映画だけど、数日前に偶然他のブログで紹介されていたので、チャンネルを切り替えてみる。

 

そこでは大恐慌で仕事を失った家族の家が競売にかけられていく場面がある。

 

近隣に住む家族同士の昼食会を催している最中、小学校の同級生だった近くの子供の家のうちが競売にかけられる。

 

家の前に杭が打たれ、家財道具はトラックに積まれて、母親は泣きながら助手席に乗り込み、子供たちはなす術もなく立ち尽くす。

 

仕事がなく家族は離散して、一部の人々は橋の下でテント生活を始める。

 

「以前、私は株のトレーダーでした」。橋の下でなければ立派な紳士で通るような人々が、橋の下を流れる川の水と薪で料理を作っている場面。

 

これって、今の米国と全く生き写しではないか?

 

住宅は次々と競売にかけられて、証券会社は倒産して、人々は住むところもなくテント生活を余儀なくされてる。

 

カリフォルニアではすでに大テント集団生活が始まり、州政府が補助をしている。解雇された人々は次の職のあてもなく町をさまよう。

 

失業してシカゴに仕事を探しに行った父親は何ヶ月経っても帰ってこない。そのうち手紙も来なくなる。そんな中でもキットは明るさを失わない。

 

自分の家をボーディングハウスにして下宿屋を始めて、彼女は母親を手伝って洗濯や掃除をしながらも、自分の視線で見たこの不況を記事にまとめていく。

 

ある時彼女は母親が鶏の卵を売ろうとしているのを見て、「それだけは止めて!」と訴える。今の感覚では分からないが、当時は卵を売るというのは流民生活に入る一歩手前を意味しており、学校でも恥ずかしい思いをする。彼女はそんな屈辱には耐えられないと訴えたのだ。

 

でも母親の悲しそうな顔を見て、今自分がすべきことは何かと考えて、最後には彼女はにこっと笑って鶏の卵を売るために街に出る。大きな声で「卵はいりませんか、新鮮で安いですよ!」

 

世の中の大人でも少し気の弱い人間なら耐えられないような生活を、彼女は持ち前の明るさと行動力で突き進んでいく。友達と助け合いながら毎日起こるいろんなことを10歳の子供の視点から記事にしていく。

 

そしてある時・・・・。

 

そうは言っても全体的にディズニー映画のように明るさと希望と夢が常に前面に出ているから、観ていても苦しい映画ではない。ハッピーエンドではない分、現実にこの後どうなるんだろうと思ってしまう。

 

てか、個人の手で世界大恐慌なんて止める事は出来ない。やってくる大恐慌の大嵐の中では、家族と一つになって大嵐が通り過ぎるのを待つしかない。それでもやがて夜明けがやってくる。

 

昨日までの資産家が今日は破産してしまうような、そんな激しい時代だからこそ生き残る能力が要求される。

 

物語の設定が1930年代初頭であり、大恐慌から米国を救う為に米国政府が取るべき手段は工業製品の増産であり、収縮してしまった工業生産を思いっきり増産体制に切り替えるためには、欧州におけるヒトラーの台頭は、まさに渡りに船だったろう。

 

そして太平洋では日本を追い込み戦争に突入させて、米国では爆撃機などの航空産業、銃や大砲を作る重工業メーカーはそれから1945年まで未曾有の大増産体制に入って、ついに米国経済は復活した。

 

そして米国はその後1970年代まで経済を謳歌する。

 

そんな歴史の大きな波を感じながらも、映画は子供たちの日常の視点から仕事を失って悩む父親、テント生活を余儀なくされる子供たち、カリフォルニアに移住する家族たちを描いていく。

 

それにしても、何故今このテーマ?この映画?って思う。

 

あまりに今の米国の状況=証券会社の倒産、失業、住宅の競売、テント生活、と似過ぎている。タイミングとして最高だ。

 



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2008年08月01日

バリシニコフなレイニーブルー

 

レイニーブルースタッフの冷笑「あのおっさん、馬鹿じゃないの〜」を浴びながら、島谷ひとみの「男歌」を聴いている。

 

このCDを買うきっかけになったのは、たしかTV宣伝だったと思う。

 

 

ほんのちょろっと彼女の歌うレイニーブルーが流れたのだが、その時にびび!って電気が走り、思わずそのままamazonに飛びついたのだ。

 

いいじゃんか、これ。

 

好きではない唄も入ってるけど、基本、丁寧な歌いこみで、彼女の服装が何であろうと、要するに唄がうまいのだから、何も言うことはない。

 

基本、僕は歌手のDVDは観ない。勿論彼女のもCDのみである。音が良いから聴きたい、ただそれだけだ。

 

最近の音楽は映像付きが多く、特に洋楽に至っては、どうしても受け入れがたい画面ばかりである。これで音楽に独創性があれば良いのだが、これまたゼロ。

 

要するに目立ちたがりの白痴が金儲けしたい漢字書けない馬鹿連中と組んで作ってるのがこういうDVDなのだろう。音楽がいつのまに盆踊りになったんかい?と言いたい。

 

音楽は、その音だけで勝負でっせ。米国のレコード会社が、自分のボーナスを増やす為に、歌う奴が画面に向かって薄汚い舌をむき出しにして中指を立てて、それがロックだ!みたいなDVDを作り、それに乗せられたばか者が、それを音楽と思い込む、そんな風潮を日本が拝金主義でそのまま受けているんだな。

 

食料品の偽装とまさに同じ構図で、自分で味について理解も解釈も出来ない状態の「消費者」が、それこそ無駄な事にお金を消費しているんだから、話にならん。

 

特に最近では、セロハンテープだか食料品を包むビニールだかよく分からんようなのラップってのが、「自称音楽」である。あれなら、トイレに水を流している音の方が、よほどすっきりしている。

 

そういうのを聴きながら、帽子を斜めにかぶって頭からフードを付けて破れたジーンズを穿いてケツを出してる勘違い連中が、「これが俺が求めてた音楽だ〜!」なんてさ。兄ちゃん、脳みそチェックしたほうが良いぜ。

 

他人が何を聴こうが僕には関係ないし、それで売れてるんだから文句を言う必要もないけど、それは麻薬が売れてるから、そりゃビジネスとして立派!って言うのかどうかの問題。

 

ちょっと違わないか?

 

勿論これが音楽と演技が最初からセットになった芸術であれば話は違う。演劇においては、音楽と演技は切り離せない。

 

バリシニコフ最近僕の中でよくネタになるのが、バリシニコフの「白夜」だ。ダンスとかバレーなんて軟弱、そう思ってた今から20年以上前の僕の頭を、思い切り棍棒でぶん殴ってくれて、ダンスやバレーの力強さと素晴らしさを教えてくれた作品である。

 

今でもバレーを見ることはないし、ダンスもあまり観る事はない。ただ、バリシニコフを観る事で、その奥の深さは十分に感じた(と思う)。

 

やっぱり本当に質の高い芸術は、門外漢が見ても感激するものだと思った。そのうち機会を見つけてブロードウェイでミュージカルを見なければ。

 

今は真夜中、もう2時過ぎだ。本当なら寝なくちゃいけないんだけど、結構調子が良くて仕事を進めている。

 

今の時代は便利なもので、パソコン一台で仕事をして、音楽を聴きながら、調べ物が出来る。つーことは画面は例えばワードだけど、静かな真夜中にパソコンから流れる音楽は島谷ってことになる。

 

バリシニコフ舞台裏これはバリシニコフの舞台裏の笑顔。愛嬌あるよね。

 

これって、一昔前には存在しなかった環境だよね。贅沢。

 

 

 

一昔前は自宅で仕事なんて、思い切り資料を持ち帰らないと出来なかった。

 

今はインターネットで必要な資料はすべて入手できるし、ほんっと、ユビキタスだ。そこに音楽が乗っかっているんだから、こりゃもう、楽しむしかないでしょう。

 

家族みんながベッドに入り込んだ真夜中に、島谷ひとみが歌う「レイニーブルー」を聴きながら仕事をする。これって、時代が提供してくれた贅沢ですな。

 

男歌~cover song collection~

 

 

 



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2008年06月25日

オークランド帰着

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月曜日の昼に東京を出て、成田、香港と乗り継いでオークランドに着いたのが翌日の12:00だから24時間マイナス3時間で19時間の移動となる。

 

直行便じゃなくて大変でしょうと言われるが、逆にこの時間を、携帯もならないしメールも読めないしインターネットも出来ない時間と割り切って読書と映画に充てると、これがなかなか楽しい。

 

帰路では結局文庫本を2冊と映画を3本観た。

 

メルギブソンの「マーベリック」は、落ち着いて観る機会がなかったので丁度良かった。何より良かったのはジョディ・フォスターの演技だ。

 

この人、可愛い女を演じればメグライアンよりよっぽど可愛いし、きりっとして自立した女性をやらせればジュリア・ロバーツよりずっと気品がある。

 

そして最近は「フライトプラン」で強い母親、「ブレイブワン」で強い女を演じて、その狂気なまでの強さはニコールキッドマンもびっくりものだ。

 

ところが同時にやってた日本の映画・・・。最初の10分で自分の人生でこれほど無駄な時間を使うことに耐えられなくなり、すぐにチャンネルを変えた。最近は邦画で優れたものが多いだけに、なんて無駄な時間とカネを使ってるのだろうって感じる。

 

それから「ペリカン文書」。僕の大好きな俳優デンゼル・ワシントンが若いんだけど、あの頃から演技力が安定してたんだね〜。

 

等等、考えて見れば自宅でもずっと本を読んでる時があるわけで、その時はお酒作るのも自分でやんなくちゃいかん、料理も作らないといけないで、そう考えて見たら飛行機の中も、なかなかお洒落なものなのだ。

 

移動映画館、移動バー、移動レストラン、移動図書館?考え次第で、世の中の事は大体楽しくなりますね。



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2008年04月08日

This is the Future !

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チャールトンヘストンが死んだ。

 

ああ、何か時代が変わった気がする。大きな一つの時代が終わり、これからは細かい時代になるんかな〜、でも仕方ないかもな〜、そんな感じ。

 

 

僕は元々SF少年で、映画大好きで、その中でもチャールトンヘストンの演技が大好きだった。力強くて逞しくて、それでいて誰をも受け入れる笑顔と優しさ、とにかく小学校時代から彼のファンだった。

 

猿の惑星なんて当然だけど、ソイレントグリーン、地球最後の男あたりのチャールトンヘストンは、本当にすんごい演技だった。

 

勿論普通にベンハーも大好きで十戒も大好きで、何十回も観た映画だし、今も時に観てるほど。

 

でもやっぱりSF少年だったから、どうしても彼の死亡記事で「ソイレントグリーン」に触れた記事が少ないのが、どうもねーと思ったりする。

 

ミクロの決死圏そんなこんなとか思いながら昨日家族で観た映画が「ミクロの決死圏」。古典的なSF映画。

 

1966年にアカデミーを受賞した作品だが、そこに出てくる様々な小道具は、当時の人々の希望を描いている。

 

あの頃のSFは、世の中がこうあればいいな、ああなればいいな、そういう人々の夢が、映画の中ではそのままに表現されている。IDカードを差し込むと、読取装置の下に本人の写真が映し出される。

 

自分の体をちいちゃくして他人の体に入り込んで外科手術をする。他にもSFの世界では、次々と新しいアイデアが出てきてた。

 

結局、人類の進歩を知りたければ、SFを読むのが一番ではないか。何故なら、人は望むものになれる可能性を持っているのだからと本気で思う。

 

ただもし、SFで「渚にて」が流行ったら?その時こそ、人類の終りかも。

 

面白いのは、映画の中で皆タバコを吸っていることだ。この当時は、タバコに対する危険性は認識されてなかったのが、良く分かる。

 

それと、すべての計器がアナログ表示。デジタルじゃない。当時はデジタル制御って発想はなかったのか、それとも本格技術者ではないSF作家には、少し理解不能だったのか。

 

数値制御って、その効果は専門家にしか理解出来ないし、おそらく専門家はSFをバカにしてたから作家にも言わず、だから本に出なかったのだろう。イメージで言えば、ケータイを大ブームにしたドコモでさえ、まさかストラップ文化は読取れなかったという感じか。

 

当時、早川書房のSFマガジンを毎月読んでたので思い出すが、この頃のSFにはユビキタスという概念がなかった気がするな。何か妙に、科学を前提にしたSFでないと駄目よみたいな雰囲気があった気がする。

 

だから小松左京の作品が無茶苦茶面白いのに、何故か光瀬龍の方が通には受ける、みたいな。SFは自由な発想のはずなのに、どこか「科学に基づく」みたいな束縛があって、ユビキタスではないな。

 

その意味で、この映画も、かなり真面目。アシモフが後で小説化したのも、よく分かる。彼の「Foundation Series」を詠めば、彼独特の、自閉症的な「端っこをきちっと詰める」キモチを、紙面を通じて感じる。

 

それに対して、誰が一番ユビキタス、つまり自由発想だったかな?サルの惑星?筒井康隆?

 

う〜ん、それでいけばハインラインかな。夏への扉。あれこそ、すべてのものから自由な発想。「月を売った男」なんてのも最高な作品。

 

映画を観ながら竜馬君が、しきりに大声で「This is the feature !」 と喜んでたのが印象的だった。

 



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2008年03月24日

私をスキーに連れてって

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結局3回観た。いや〜、面白かったし、本当に見事なまでによく出来てるな。

 

何よりすごいと思ったのはこのホイチョイ・プロダクションと馬場康夫さんの、時代を見抜く目がすごいということ。というのも、彼はこの後にバブル三部作を作っている。

 

1999年には飯島直子と草薙剛主演「メッセンジャー」の監督もやっている。

 

そして最近では、2007年に阿部寛と広末涼子主演の「バブルへGO!」も手掛けている。

 

つまり彼らは、いつもその時代の「平均的な日本」を切り取っているのだから、すごい。感心させられる。

 

それも、当時の日本を暗く描くことも英雄的に描くことも出来る中で、あえて「東京を中心とした平均的な日本」に焦点を絞ることで、明日はもっと良いことあるよ、明るい日本が来るよ、そんな日本を常に描いてるから、昭和の加山雄三を団体でやらせてるようなものだ。

 

原田知世2舞台は志賀高原(ここはどうでも良いが、僕が生まれて初めて滑った、最初の日本のスキー場)。

 

この映画は、折角今観るのだから、原田知世が可愛いというのはそっちに置いておき、20年前の日本がどうだったかという視点で見ても実に面白い。

 

まずいきなりびっくり!だけ、主人公の働く会社が安宅物産って、バブルの皮肉か?

 

安宅ってのは明治時代からの名門商社だが、主にオイルショックが原因で1977年に伊藤忠商事に合併された社名だ。まるでバブルの行方を暗示するような名前付けだなと思う。

 

当時は誰もそんなこと、思わなかっただろう。

 

そしてタバコ!もう、今の時代からは「あり得ん!」くらいに、誰もがタバコを吸っている。

 

社内でも車内でも貴社の中でも汽車の中でも帰社する時も、誰もが片手にタバコを持っている。ところが女性は、殆どタバコを吸ってない。これって、当時の時代背景だったのだよね。

 

タバコを吸うことが当たり前で、僕のように生まれつき全くタバコを吸わない人間は、それだけで変人と思われていた。

 

最近中国から来る留学生や団体は、町で歩きながらとかビルの入り口とかで、ちょうどあの頃の日本人のように、誰でもタバコを吸って、道端にポイ捨てして、お互いに勧めあってる。

 

今の中国人をどうこう思うなら、この映画を観て、自分たちがやってた20年前を思い出してみたらどうだろう。少なくとも、今の中国人の礼儀知らずや健康に対する意識の低さを笑ったりする事は出来ないだろう。

 

「おい、俺らも昔はそうやって吸ってたよ。でもさ、結局俺の体はヤニだらけでぼろぼろになり、見た目はみっともないし、多くの日本人男性が肺がんになってるし、食い物の味は分からないし、何も良いことはない。な、だからやめとけ」と忠告すればどうだろうか?

 

残業が当たり前で、個人の生活なんて二の次だった時代。誰もが毎晩遅くまで仕事をしていた。その後ワークライフバランス(WLB)と言う考え方が導入されて日本は残業が減るかと思ったけど、これは今も変わってないな。

 

そして何よりも、今も当時も変化しないのが、「意味のない残業」だ。これは疲れる。だって楽しくないし、何も産まないんだもん。残ってることに意義があるような残業が当然だった時代は、今、益々酷くなっているような気がする。

 

原田知世笑顔スキーウェア、今ではだぼだぼが中心だけど、当時のウエアの方が好きだな。きりっとしている。

 

スキー場には若者が集まり、堤さんが宿泊設備の整備をして、毎晩どこかでパーティがあり、寝るだけの部屋でも良かった時代。

 

今、スキー場はシニアが中心になっており、前回行ったニセコでもそうだったが、スキーだけではなく、スキーを中心としてリゾート生活を楽しもうとする営業戦略を取ったホテルが生き残っている。

 

原田知世が泊まってたプリンス系の部屋設備では、もう時代の変化にはついていけないな。

 

それと、スキーのスピード!あの頃は、スキーと言ってもスピードを出すスポーツではなく、楽しく、くるくるって回る時代だった。

 

だから三上寛扮するスキーヤーも、その滑りは実にすんごいのだけど、滑り方自体が、例えばコブを滑るときなども、今のスキーからすると、かなりゆっくり大きく回ってる。スキー指導は日本が誇る海和俊宏(Kaiwa)だから、当時の最高技術でやったのだろうが、基礎を観ているようで、これはこれなりに勉強になる。後はこの基礎にスピードを乗せれば今のスキーになる。

 

三上がリフトで一緒になった初心者の原田に教える場面も面白い。

 

「あのさ、内スキーを持ち上げて揃えてるからさ、それだと動作が遅くなって後傾になるんだよ。もっとスムーズにこう、(外スキーと同時に)内スキーのトップを上げずに回してみなよ」

 

これ、スキーをする人なら分かるけど、うまい説明をするな〜って思った。さすがに指導者。

 

4人スキー

 

学校時代の仲間5人の存在感もすんごく良い。あの頃は誰もが「今日より明日のほうが楽しい」と無条件に信じていた。そんな無邪気な笑顔で、毎日を面白おかしく過ごす姿が、実にほほえましい。

 

 

とにかく会社に入って、上司に言われた事を一生懸命やりさえすれば、それでよかった時代だったよな〜と、思い出す。もう帰ってこないな、あの時代は。

 

その中でも、今も昔も変わらない場面。

 

スキーを教えてもらって早速あぶなっかしく頑張る原田知世。スキーを教えた三上は、はらはらしながら言う。

 

「無茶すんなよ!」

「無茶しないで、何が面白いのよ?」

 

 

はは、これはいつの時代も同じですな。勝ち目はないのだ、黙っておけ。

 

圧巻は横手から万座へのスキーシーン。すんごいシーンが次々と続いて、滑りに十分スピードが乗ってて、観てるこちらも手に汗握る。

 

 

原田知世ばきゅん「やった。ばきゅん!」

 

 

映画は1987年8月公開。



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2007年12月19日

Pursuit Happyness

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「あんたの言い訳は聞き飽きたわ。“大丈夫だよ”って、子供が生まれた時も、そう言ったわよね」

 

そう言って、いたいけな5歳の男の子を残してニューヨークに去っていった女。

 

残された男と子供の生活が始まる。 

 

 

Pursuit Happyness」 はWill Smithの新作である。本当は最新作と書こうと思ったのだが、既に次作が出てるので、新作。

 

つづりが違うってつっこまないでね、原作がこうだから。意味あるし。

 

幸せを追いかける権利は誰にでもある。でも、何もせずに幸せを受け取る権利はない。追いかけてジェファーソン、頑張った人間だけが受け取れることが出来る。それが資本主義だ。

 

物語のそこここにアメリカ建国の父の一人、ジェファーソンの言葉がちりばめられている。

 

資本主義が正しいかどうかは別にして、その場所で生きている限り、その場所のルールで戦うしかない。そんなルールはおかしい!って言うなら、他所に行けよ。

 

幸運ってのは、本当にあるんだよね。でもそれは、道端に転がってるんじゃなくんて、一生懸命努力している時に、突然転がり込むんだ。

 

そいつを掴む勇気のある奴だけが、生き残れる。右手で綱を保持したまま左手で次の綱を掴むことは出来ない。右手の綱を手放して飛んだ奴だけが、初めて左手で次の綱をつかめるんだ。

 

俺に出来るかどうかなんて考える余裕はない。父と子供、生き残るにはその道しかないのだ。

 

貧困で不安定なセールスマン生活の中、パートナーに見捨てられ、住んでいた家の家賃も払えず夜逃げし、モーテルに逃げ込む。

 

これでは駄目だ、子供と二人、ずっと将来がない。そう思った彼は、家族の再生を賭けて起死回生の勝負をする。現在の医療機器セールスをしながら、大手金融ブローカーの門を叩くのだった。

 

一日が24時間しかない中、医療品セールスのかたわら、金融ブローカーのインターンシップ(6ヶ月間無給だ)を受け、同時に5歳の子供の託児所の送り迎え、そして料理をして洗濯をして掃除をして営業をして仕事を覚えて、それでもその仕事が6ヵ月後に正式採用になる確率は20分の1以下。

 

これがどれだけ大きな賭けか、分かるだろうか?

 

第一、インターンシップに参加することさえ狭き門なのだ。そんな中、彼は何とか智恵を絞って狭き門を潜り抜ける。

 

ところがそれだけ頑張っている時に運悪く、政府の税金が払えずに銀行口座を差し押さえられる。時の政権は俳優上がりのレーガン政権、福祉に大きなしわ寄せが出た時代だった。

 

ついにはモーテルも追い出され、ホームレスになる。

 

自分の5歳の子供を守る為だけに、インターンシップの仕事が終わって真っ先にシェルターに駆け込む。ある晩、たった4つしか残ってないシェルターに何とか間に合うが、そこで割り込みする男と喧嘩になる。

 

「ここは俺の番だ!俺は順番に来た、仕事を終わらせて駆けつけたんだ!お前が割り込んだんじゃないか!」

 

そうやって何とか一晩のベッドを確保する、すべては子供の為に。4人用の部屋で、他の人に気を遣いながら、ちっちゃな洗面台の水で子供の体を洗ってあげるうちに電気が消える。

 

消灯だ。子供をベッドに入れた主人公は、「お父さんは外で待ってるからね。ドアをちょっとだけ開けておくから、ゆっくり寝なさい」と言う。ちっちゃなシングルベッドを子供の為に確保してゆっくり寝かせた後、主人公は将来の為の勉強に、部屋の外に出る。

 

たまにはシェルターを確保出来ないこともある。そんな時は電車や駅のホームで朝を待つ。

 

 Pursuit Happyness necktie

女性と子供だけを預かる施設で、「あなたは駄目よ」と言われた父親はどうするだろう?僕なら、子供だけ泊めて、自分は野宿で十分だ。それなのに、主人公は、「駄目だ、俺と子供はいつも一緒なんだ!」と言い切る。愛、かな。

 

 

 

子供へ向けた愛がずれてないから良い。自分の考えの押し付けではなく、子供を守ってきちんと育てたい、そのキモチが物凄く伝わってくる。

 

いたいけな子供が、そんな父親を愛おしそうにじっと見守る。この映画の一つの売りは、実の子供が映画に出てるってとこだ。Will Smithの実の子供が共演しているのだ。

 Pursuit happness bus 1

 

子供に対する愛と、親の気持ちを押し付けて自分のコピーを作ろうとする自分勝手の違いを、子供は見事に見抜いている。だから、この子はお父さんをdaisukiだ。

 

 

 

冷たい大都会の下で、父子二人が肩を寄せ合って生きる姿は、映画の中で女性シンガーが歌う「明日に架ける橋」とかぶさって、実に印象的だ。

 

現代社会の極限の状況に追い詰められて、それでも自分をきちんと守りながら戦っている人って、どれだけいるんだろう?

 

今の日本は血を流さない戦争と同じ状態だ。

 

1960年代にベトナムのジャングル戦で神経をすり減らして戦った米兵が、時たまの休暇にタイや沖縄で女を買い、ピストルを腰に下げたまま飲み歩いてた。そんな連中と今の日本のサラリーマンは同じだ。

 

神経をすり減らし、ぼろぼろになるまで働き、それでもちょっとした失敗で人生を失い、家族を守ることも出来ない精神的負担に疲れて、夜の街に走る。

 

そして家庭は崩壊して、一体何の為にここまで生きてきたのか分からなくなる。

 

そんな状態で立ち直ろうとする精神力は、おそらく日本人100人のうち、99人は持ち合わせてないだろうな。

 

主人公は、そんな状態から戦いを始めた。子供を守る為に。

 

実話に基づいた映画らしい。どこまで実話か分からない。しかし、今も奥さんに逃げられそうな旦那は、是非見ておいたほうがいい。自分が主人公の立場になった時、どこまで戦える?

 

終りがうざくない。さっくりと、これからの将来を見せるだけで終わってる。余計なことをだらだらと書かない。気持ちよい終わり方だ。

 

映画を見終わった後、テレビを見ながら今日買ったおもちゃを組み立ててた竜馬に、思わず”Hey boy, it’s time to go to bed, you must wake up early’n tomorrow morning” と、つい英語で話しかけてた自分に気づいた時、かなりこの映画にのめりこんで観てた自分に気づいた。

 

 やばいし。それでも、人に勧めたい、特に結婚しているカップルに勧めたい、素晴らしい一本でした。一発の銃弾も飛ばない映画を褒めることは滅多にない僕の推薦です。

 

ちなみにうちの奥さん、「まあまあね」とほざいてた。ちぇ。もっと頑張るよ。

 

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2007年11月26日

パッチギ! Love & Peace

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「僕はオークランド生まれのキーウィだい!」

 

そういうりょうまくんの顔が可愛い。空手と水泳でがっちりと太って、かなりな健康体なかれは、精神的には完璧にキーウィである。

 

「お姉ちゃんはクイーンズタウン生まれのキーウィだし、僕はオークランド生まれなんだ!」って、実に元気良く言うのだが、これこれ少年、人間の差別は肌の色から始まるのだよ。どこで生まれたかは関係ない。

 

勿論りょうまもみゆきもNative英語だし、この国の文化を身に付けているから、学校をでて仕事をするって意味での経済的な問題はないだろう。

 

しかし問題は帰属感。君は何人なんだ?そうなったときに、どう答えるか?

 

「何でうちら朝鮮人なん!朝鮮人なんかに生まれたくなかった!」

 

心の肺腑を抉るように、キョンジャが叫ぶ。

 

誰しもが思う疑問だろう。怒りだろう。この国に生まれ、この国に育ち、この国の言葉しか知らないのに、たまたま親が生まれた場所で差別をされる。これほど理不尽なことがあるだろうか。

 

アリランという韓国の名曲を背景に、在日韓国人の色んなストーリーが折り重なっていく。

 

「僕、死ぬの?」病気になったいたいけな子供が、弱弱しく親に聞く。

 

「どんな事があっても生きるんや!」

 

在日朝鮮人問題は、今も日本に残っている。舞台となった1974年に比べればそれほど酷くはないだろうが、それでもそのような差別、存在自体が悪だという事は、すべての日本人に理解して欲しい。

 

当時は、大手企業に朝鮮人、部落民の住んでいる住所年鑑みたいなのがあり、企業の総務課は、そんなんを見ながら採用を決めてた。

 

在日朝鮮人がパチンコ屋をやるってのは、答は簡単で、普通の企業に就職出来ないからだ。カネは払わせておいて、権利は要求させない。

 

それに比べれば、ニュージーランドのほうが余程人権を認めてくれるよ。NZdaisukiでキーウィの文句を言ったりする人間には、全く、日本国内で今も続く差別問題をしっかり理解して欲しいものだ。

 

日本人が、自分たちが世界で誇れる人種だと思うなら、自分たちが国内で無意識にでもやってきた様々な差別を理解して、こんな映画を観てほしいと思う。あまり期待はしないが。

 

それでもこの井筒監督って、テレビでも面白い発言をするけど、こんな映画を作るんだ、感心した。出来るじゃんかって感じ。

 

僕らのように日本から先進国?に移住した人間からすれば、差別について色々と思うことはある。

 

この映画を韓国人が作れば、おそらくイメージが違うだろう。一方的な日本人糾弾映画になるだろう。でも、この映画を日本人自身が作れて、身長に合わせた映画になったてのが、うれしい。日本にも、良い意味での文化人がいるんだな。

 

朝鮮出身の親を持つキョンジャは、一大決心をして映画の道を歩き、成功の道にあと一歩と来た時に、当時の禁断である「自分の過去」を映画作成発表会で晒す。力道山も西城秀樹も在日である事を隠した時代に、自分が正体を晒す事がどれだけ危険か。

 

緞帳の閉まった舞台で、自分が朝鮮人である事をはっきりと言ったキョンジャが、寂しそうに立ち尽くす。

 

それにしても、キョンジャ役の中村ゆりには、惚れた。フラガールでは蒼井優に惚れて、今回は中村ゆり。これってやばいか?まあ、男に惚れないだけましだろう。

 

人種差別が悪いとか、きれいごとを言っても始まらない。今目の前に存在する悪を、「そんなもん存在しません」なんて否定する必要などない。ただ、生きていくうえで、そんなものを叩き潰してでも生き残る、そんなキモチがなければ、世界では通用しないな、そう思ったパッチギだった。

 

 

 

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2007年10月30日

28days later & 28 weeks later

先週観たのが28weeksLater

今日観たのが28daysLater

先週VideoEasyで見かけて、「走るゾンビー」と言う新しい概念に興味を持ってみた。

ところが、これが結構出来が良い。

ちょっと調べてみると、前作があり、それは28daysLaterとの事。

ロンドンを舞台にしたゾンビーものだが、政府っちゅうか市役所の協力で、随分よくロケできてる。

早速先週amazonに注文すると、なんと、今日到着。はっや〜。注文してから一週間かかってない。

感想は、ゆっくり考えてから。どうも、28daysLaterについての一般的な評価と僕が感じる評価に「ずれ」があるようだ。

元々はロメロ作品なので、う〜ん、第一作である28daysLaterの評価者はSFファンでないのでは?と思ったりする。マジメッツか、左翼?

SFの真髄を知ってれば、色んな評価の出来る、つか、するべき作品なのに、たった一つの視線からしか見てない気がするな〜。

監督が目指した方向性は、そういう評価者と一致しているかもしれんが、出来上がった作品は決してそうではない。

う〜ん、どう言えばよいのか。。。

このあたり、専門のカタでないと意味不明と思うが、8歳の頃からキムボールキニソンシリーズを文庫本で読んでた人種で、世間的にオタク以上のキチガイと呼ばれてた時代からのSFファンには、どうも少しずれを感じるのだ。

いやいや、作品としては評価を受けるのは分かる。ただ、ナンなのか、これは一晩考えないと、なんとも答が出せない。

今晩はおそらく、仕事並みに考え込んでしまうな。

明日、起きれるかな〜。こうなると、りょうま君以上の偏執凶なので、自分で自分が怖い。

とりあえず仕事優先って事寝床にもぐりこみはするが、おそらく今晩は、このネタで寝れないだろうな。予想睡眠時間⇒3

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28日後... (特別編) ボーナス・エディション

28weeksLaterは、まだamazonで出てないようだ。検索しても引っ掛からなかった。

 



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2007年10月28日

Platoon

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Platoon

 

日曜の夜、家族で観る。この映画については、インターネットで検索すれば山ほど出てくるので、どうこういう事はない。子供たちに、昔ベトナムで何があったか、それを知ってもらえばと思うのみ。

 

 

 

トム・ベレンジャー:一応主人公の一人なのだが、デフォーの演技がうますぎて、すっかり食われてしまった。でも、「スナイパー」など、実力は非常に高い。

 

ウィリアム・デフォー:たぶん、ロバート・デ・ニーロまではいかないけど、その次にはこれるクラスの俳優。最近はあんまり見ないな。

 

チャーリー・シーン:人によってはお笑いのイメージがあるけど、この映画では真面目な役をこなしてた。

 

僕の好きな監督としては、

 

オリバーストーン「いっぱいある」、リドリースコット「エイリアン」、マイケルチミノ「天国の門」

 

である。

 

考えてみると、1980年代に映画に触れることが出来た僕は、とても幸せではないかと思う。あの頃、次々と出てくる名作、大作を、出来たその場で味わっていたのだから。

 

プラトーン。1968年のベトナム。米国が初めて負けた戦争。1945年の第二次大戦では大勝利、1951年の朝鮮戦争では引き分けで、1973年のベトナムで大負けした。5万人の死者を出した、何の大義もない戦争。

 

40年経ち、今のベトナムではコーラも飲めるしナイキの靴が作られている。戦争って、一体何だろう?一体、誰が何の為に死んだのだろう?

 

最後の場面を観てて気づいたけど、この映画、若き日のジョニーデップが出てたんだ、今日まで知らなかった。それにしても、顔が、違うな。男って、年取らないと使いもんにならんのか。

 

写真は沢田教一の「泥まみれの死」。たぶん日本よりも外国で有名な、てか、有名だった、てか、やっぱり、今も有名だと思う世界的なカメラマン。

 

1970年、カンボジアの田舎道で、34歳で銃撃を受けて死亡。

 

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プラトーン 新生アルティメット・エディション

 

 



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2007年10月27日

Letters from Iwojima

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Letters from Iwojima

 

土曜日は「硫黄島からの手紙」を家族で観る。

 

やっぱ、中村獅童はいいわ。かっこいい。戦艦大和からこの映画まで、彼はいいわ。

 

具体的にどうこうと言うのは専門家に任せて、渡辺ケンと中村のペア、映画をぎゅっと引き締めている。

 

クリントイーストウッドが監督をすると駄作になるってのが僕のイメージだったが、これは良く出来てる。

 

第一作「父親たちの星条旗」も、ほ〜、君はチャールトンヘストンを嫌いなのかと思わせる内容だったが、う〜ん、まだ読めん。

 

ただ、家族にとってはこの作品、日本軍の一面を見せてくれてよかった。僕の父親が戦争に参加して、その戦争ってのがこんなもんだよって説明するのに、百の言葉よりも一枚のスティール画像の方が、よほど説明力がある。

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硫黄島からの手紙 (特製BOX付 初回限定版)

 

 



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2007年10月08日

私は貝になりたい

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今日は会社にあるスタッフ用ビデオ(日本のビデオ配給会社から毎月定期購入している)で、今年8月の日本テレビ製作の『真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」』を観る。

 

本来の作品である「私は貝になりたい」ではなく、作者の実体験を描く。戦中の日本が「天皇陛下万歳!」「兵隊さん頑張れ!」って国家挙げて騒いでたのに、戦争で負けた途端、兵隊さんがA級戦犯だのBC級戦犯だのって言われて、敵国によって裁かれる。

 

戦争や歴史の無情、と言うよりも、その大きな歴史の流れの中に巻き込まれてしまった個人の悲劇を描く。

 

中村獅童が良い。眼力、演技力、ともに子供の頃から演劇の世界で育ったせいだろう、迫力がある。自分の役に徹している。今後は役者力によっては遊びの1回は許す!くらいの余裕が社会に生まれればと思う。フランスでは政治家が普通に愛人を作っているのだから。

 

妹役の優香は、前半は戦前の言葉をうまく使えずに浮いてたが、後半は自分の言葉で話して、実に良い。ゆうかって、顔が可愛いすぎるから、役によっては浮くんだろうけど、基本的に演技力があると思う。

 

中村まさとしが出てて、賑やかになる。え?これって青春映画だっけと思う。あ、でも舞台は昭和23年だから、そんな事もないよねとか、少し時代錯誤に陥る。

 

飯島直子の存在が今いち意味不明。何であなたのような幸せな顔の代表みたいな人がこんな役を?などと考えながら、日曜の午後を過ごす。

 

他には「あれ?ぱっくんじゃん」とか、カンニングの竹山も出てた。

 

製作は日本テレビ。ってことは読売グループだから、右翼向けだよね。番組は戦犯をテーマにして進むが、当時のBC級戦犯の裁判に対して、極めて強い疑問を向けている。

 

約5700人のBC級戦犯が殆どまともな裁判も受けられずに裁かれ、937人が絞首刑となった。ちょっとしたミスで殺されたってのが、正しいか。

 

ましてやA級戦犯が行われた東京裁判に、一体どれだけ公平性があったのか?そんな声が画面の向うから聴こえて来る。

 

主人公の加藤哲太郎は実際に新潟の捕虜収容所の所長で、訴追された事件の関係者だった。戦後は部下の罪を被って逃走し、3年後に逮捕される。

 

その間知り合った女性と逃走を重ねて逮捕され、昭和23年には軍事裁判にかかり絞首刑の罪になる。妹の必死な懇願、遂にはマッカーサーに直訴する。さあ、彼の絞首刑判決はどうなるのか?

 

よかったよかった、面白い構成だ。この番組が、少しでも世の中の人々の知識の役に立てばと思う。

 

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2007年09月27日

大脱走

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大脱走

 

スティーブ・マックウイーンは、マッキーンと書く人もいるが、僕は初期の表示に慣れているのでマックゥーンで通してる。

 

NZでの発音もマックウイーンと全部発音している感じがある。まあ、ドナルド・レーガンかドナルド・リーガンか程度の違いだ。

 

ジェームスコバーンも随分格好良い。荒野の七人でも渋い役だったが、この人、本当に片隅のいぶし銀って、日本人好みの役がぴったり。

 

一昨日、何故かみゆきが「大脱走を見たい!」って事でビデオを借りてきた。他にキアヌリーブスの「Speed」とか「AI」などもあったが、日曜の夜に早い時間に夕食を食べながら見るのだから、やはりじっくりと観たい、172分と一番放映時間の長い「大脱走」が最適。

 

つ〜か、みゆきはどこから「大脱走」を知ったのだろう。

 

この映画が出来たのは1963年、欧州戦線で捕虜になった連合軍(英米加)の中でも、特に脱走を得意とする連中を集めて作った特別収容所が舞台である。そこで敢えて脱走計画を作る不敵な捕虜と、ドイツ国防軍のせめぎあい。

 

多くの困難を乗り越えながら、遂に脱走計画は実施される。特にこの映画、ってか、この時代の映画を表現する時に非常に良く使われる、スティーブマックイーンの、バイクによる国境越えである。アルプスを背景に広がった草原を、スティーブマックイーンのまたがったバイクが空中に飛び上がり、ドイツスイス国境の鉄条柵をひらりと飛び越える。

 

当時その映画を見た人は、誰もが色んな思いを感じながら、それでもスティーブマックイーンの格好良さに惹かれたのは間違いないと思う。僕はあのジャンプを見て、自由に向けて羽ばたく人間を想像したものだ。

 

その後も何十回も、機会がある度に繰り返し見た映画だが、日本にいた当時は英語も分からず、当然日本語字幕で見ていたので、今回のように字幕なしでスティーブマックイーンの生の声を意識して聞くことは初めてだった。

 

ほ〜、彼ってわりかしキーが高いんだな、とか、あれ、良く見ると周囲の俳優の方が背が高い、もしかして彼って、昔で言えばアランラッド、最近で言えばトムクルーズみたいに、平均身長が低いのか?俳優って、背が低いほうが演技力あるのか?うどの大木って言うし、小柄な方に何かあるのかな?などと、しょうもない事を考えながら、次々と場面が進行していく。

 

戦争当時の様子をあちこちに挿話しながら、ストーリーは進んでいく。

 

途中でみゆきが次々と質問してくる。ニュージーランドではまともな歴史は教えないから意味不明な点もたくさんあるだろうし、それ以上に、ある程度戦争の知識もないと分かりづらい。

 

連合軍というほどなので、米軍と英国軍が連合して戦っているのだが、米国の独立記念日に米国軍人がパレードをやって密造酒を作り皆に振舞っている。

 

と、そこにやってきた英国軍人が、酒のカップを受け取り、にこっと笑って「For the colonies!」と乾杯する。それに対して米国軍人もにやりと不敵に笑って「For the independent!」と答える。

 

「ねえねえお父さん、米国と英国って連合国なんでしょ、今の言い方って何?」

 

独立戦争を習い忘れたか、学校できちんと教えてないのか?植民地からの利益収奪構造が結果的に米国の反発と戦争に繋がった背景を説明する。

 

このあたり、日本人の僕らからはちょっと想像もつかないが、平成時代の福島人が鹿児島県人に感じる何かとは、ちょいと種類が違うのだろうか?

 

そして敵国であるドイツも、それなりの事情がある。日本で言えば軍隊版成金であるゲシュタポやヒトラー親衛隊は、何かに付けて光輝あるドイツ国防軍に対して敵対心を見せる。

 

「ねえねえお父さん、この人たち同じ仲間なのに、何で仲が悪いの?」

 

第一次世界大戦では伍長であった異端児が、連綿たる歴史を持つドイツ国防軍を無視していくのは、当時のヒトラー台頭と国民の圧倒的な人気、それに対して前回の戦争に負けた遠慮がある国防軍が押さえ込めないまま第二次世界大戦に突入。実際にはどれくらいのドイツ人が戦争に反対していたのだろうか?

 

マックイーンがオートバイで国境のドイツ側の柵を飛び越えようとする場面。

 

「ねえお父さん、何でスイスに行けば彼は助かるの?」

 

スイスは元々傭兵の国であり、同じ国民が敵と味方に別れて戦争をした事もある。欧州の戦争に巻き込まれる事を避ける為に「永世中立国」を宣言したので、そこに逃げ込めば敵がそれ以上追いかけて来れないんだ。

 

その他、ドイツ軍が使っている車はベンツ、ダイムラー、フォルクスワーゲンなど、現在のドイツ車の原型である。「ほら、あれがベンツだよ」とか、街中を走っている大衆車を「あれがフォルクスワーゲン」と言うと、かなりびっくりしてた。

 

レジスタンスがドイツ軍にテロを仕掛ける場面では、今のイラクを例に取って説明する。敵国軍が侵入して政府が取られて傀儡政権が出来ても、侵入者は侵入者だ。そこに住む人々にとっては敵であり、敵がやってくれば家族を守る為に戦うのが、今も当時も普通の行為だという事を説明する。

 

今年に入ってから日本で洋画の旧作や名作を自宅で観るようになった。最初は「え〜!白黒、いやだ!」なんて言ってた家族も、最近では少しづつ抵抗も減ったようだ。

 

大脱走などの戦争モノ、ローマの休日などの恋愛モノ、大地震、ポセイドンアドベンチャーなどの70年代大型映画、それぞれに映っている時代背景や歴史背景を観たり聴いたりするだけで、ずいぶんと歴史の勉強になる。

 

**上記の文章は出張前にある程度書いていたが、まとまらないまま出張に突入したので、今回整理した。

 

今回の出張では「明日に向かって撃て」を買ってきた。早速家族で観る。映画が始まって15分ほどすると、ポール・ニューマンが自転車にキャサリンヘップバーンを乗せて牧場を走り回る場面がある。

 

そこでかかってきた主題歌を聴いた途端、りょうまくんが「お父さん、これ知ってる!」と言って、一緒に口ずさみだした。

 

出張はかなりハードで疲れるが、オークランドに戻れば残業もなく、こうやって家族と一緒に映画を観れるのは幸せだ。家族一緒に映画を観る時間、皆さんありますか?

 

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2007年08月12日

武器なき斗い

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喉風邪を引いたようだ。声がうまく出ない。

 

金曜日の夜、自宅で軽く飲みながら午前3時までネットで様々なテーマの議論を読んだりして夜更かし。その後一緒に寝てた竜馬君に布団を取られ、朝方に寒い思いをしたのがコタエタらしい。

 

土曜日は一歩も外に出ず、酒も飲まずに、溜まっていた映画を観たり本を読んだりした。

 

1951年製作、ゲーリークーパー主演の「遠い太鼓」。フロリダのセミノールインディアンと騎兵隊の戦いを描く、まだ白人至上主義で「僕が騎兵隊だ、君はインディアン役だ」と、子供たちが木切れを持って遊んでた時代の映画だ。

遠い太鼓

 

西部劇で初めて白人が反省を示した「ソルジャーブルー」が1970年に出来るまでの、白人の常識だった筋書き。セミノールインディアンの「反乱蜂起」は、インディアン先住民族から見れば「土地を守る戦い」だったのだ。

 

 

1953年製作、リチャードバートン主演の「聖衣」。ローマ時代のエルサレムでキリストの処刑と、それに続くキリスト教のローマへの浸透。正義と、清らかさと、誠実さと、清らかさと、えっと、それから何だっけ、とにかく世の中の良いこと全部をひっくるめた、今で言えばキリスト教原理主義者が見れば「そうなのよ!」と言いたくなるようなテーマ。

聖衣

 

唯一の救いは、この映画に最初からヴィクター・マチュアが出てたこと、くらいか。いずれにしても1950年代の米国ってのは、戦争に勝ち経済に勝ち、まだ共産党の侵略を恐れずにいれた頃の、本当に幸せな時代だったんだなと感じさせる。

 

そして本日最後の一本がこれ、「武器なき斗い(たたかい)」

 

 

「斗」という漢字が変換出来ずに、少し迷った。たたかい、略字だから出ないか、、、いっと、一斗樽でも出ない、、、ちがうな、、、次にじょうごで出したら、やっと漏斗が出てきた。

 

武器なき斗い

 

1960年、独立プロの山本薩夫監督による名作。

 

1919年、天皇支配下の日本帝国政府の治安維持法改定(改悪?)にただ一人抵抗し、右翼の凶刃に倒れた労農党代議士、山本宣治(ヤマセン)の生涯を描く、かなり左翼主義的な映画。

 

1960年と言えば安保闘争真っ盛りであり、社会党委員長浅沼稲次郎が党首立会演説中に右翼の山口二矢に刺殺された年でもある。その年に、労働者から寄付金を集めて作った映画だけに、当時の左翼のプロパガンダが随所に出ている。

 

ただ、今の視点で見ると、山本薩夫の描くこの映画は、左翼というよりも、圧政下での民主化運動という切り口で描かれており、単なる左翼翼賛映画になってないから、良い。

 

京都宇治の料亭「花やしき浮き舟」の二代目として恵まれた地位にいながら、カナダに留学して早くから民主主義や平等を学び、生物学者として京都帝国大学、同志社大学で教授を務めた経歴を持つ、当時としては資産家階級に所属して、尚且つ日本でトップクラスの頭脳を持つ学者である。

 

何しろ、末は博士か大臣かって言われてた時代の、帝国大学のセンセーである。両親からしても自慢の種だったのだろう。

 

ただ、今も彼の生家である「花やしき浮き舟」のウェブサイトに山本宣治が出ているのは、そんな権力や知識よりも、一般大衆のために自分の知識と知恵を惜しみなく与え、最後には自分の矜持を守る為に命を投げ出したという事にあるのだろう。

 

ヤマセンを演じる下元勉の演技が、実に光っている。

 

金持ちの二代目としてのおっとりした面と、学者として論理的に物事を説明する態度と、農民に向かって力強く戦いを訴える態度と、その使い分けが見事だ。

 

60年代の俳優は、白黒映画という事もあったのだろう、その演技力は今の俳優?ってか高校生の演芸程度のテレビドラマをやってるタレントに、「もし金儲けではなく俳優として成長したいなら、見てみれば?」と言いたくなるほどだ。

 

技術が発展して便利になればなるほど、人間力も演技力も低下するものだと痛感した。

 

彼は、農民の小作制度に反対した。土地を農民に渡せと訴えた。

 

小作制度の下では、土地は永遠に地主の所有物であり、土地から離れられない奴隷は何代続いても奴隷でしかない。本来人は生まれながらに平等であり、そうでなければ不平等はいつか社会自身を崩壊させてしまう。

 

政府は産めよ増やせよと訴えるが、誰が子供を産むのだ?当時日本の労働人口の殆どを占める農民が産むのだ。でも、誰がその為の費用を負担するのだ?

 

出産、子育て、教育、医療、そんな生産コストを全て農民に負担させて、大きくなったら徴兵で戦地に送り込む。赤紙一枚一銭五厘の世界である。

 

負担は個人にさせて、果実は政府が持っていく?兵士の死体というコストの上に奪った外国の土地は、またも一部資本家が独占する。そんな不平等はあり得ない。

 

そこで彼は、一人ひとりの子供を幸せに充実して成長させるために、まずは産児制限を導入すべきだと学生に、そして広く国民訴えた。多すぎる子供は育てる事が出来ず、間引き、身売り、病気になっても医者にかかれない等、農民の生活を直撃する。

 

それよりも子供を1〜2名にして、その子にしっかりした教育を与えるべきだ、その為には正しい性教育を学ばねばならないと、大学の生物学の授業で性教育を教えたヤマセンは、その言動があまりに「反社会主義的」であったために、大学を追われる。

 

大学を追われた彼は、生物学者として農民を啓発する各地で勉強会などの活動を起こす。この時に映像は、当時の京都、大阪の光景がよく分かる、貴重なドキュメンタリー資料でもある。

 

しかしその過程で、彼は多くの壁に突き当たる。当時導入された治安維持法を適用した、政府による規制、弾圧である。

 

人を幸せにするための生物学を進めるためには、まずは産児制限、その為には地主農業問題の解決、その為には農政の改革、その為には政治に進むしかないと理解した彼は、農民と一緒に地元宇治で選挙に立ち、対立候補を破り、帝国議会の中で数少ない労農党代議士して国政に参加する。

 

「本当は生物学者が好きなんだけどな」とか「最初は労農党で選挙になんか出るつもりはなかったんだ」、親しい仲間にそう話す彼は、それでもやはり誰かがやるしかないと思った。大学の教室の中では、労働者を本当に救うことは出来ない。

 

宇野重吉、キャストに名前は出てはいないが田中邦衛など、脇を固める俳優もすごいが、下元勉の演技を観るだけでも十分に楽しい。

 

この映画は90年前の日本を描いている。当時は、国民としての権利を主張するだけで警察に引っ張られて殺されていた。

 

今はなんと言う素晴らしい時代だろう、自分の権利を主張しても、誰にも逮捕されないし、時には、自分の責任を全く放置して権利ばかり要求しても、選挙民という肩書きで、何でも言える。

 

自分の村に道路を作れ、病院を建てろ、グリーンピアを作れ、新幹線を引っ張って来い、そうやってばら撒き政治の結果、21世紀を迎えた日本がどうなったか?

 

彼は一時期クリスチャンだったそうだ。山本宣治がもし今の時代に天国から舞い降りてきて、この日本の現状を見たら、一体何と嘆くだろう。

 

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2007年07月04日

ランボー2

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本当に偶然は重なるものだ。

 

僕の場合、仕事で使っている車は、一週間に1回、週末に自宅の近くで給油している。

 

1リットル1.65ドル(ハイオク)で、実に高くなったものだ。

 

石油がUSドル建てでやっているなら、もうちょっと安くても良いのではと思うが、NZの場合はBPが仕入れとかやってればポンド又はユーロ決済だろうから、そしたら安くはならないな。

 

その後、グレンフィールドショッピングモールに食料の買出しに出る。雨降りの日曜の午後なので、大きな駐車場も、いつもほぼ満車だ。

 

ぐるぐる回ってやっと見つけた場所に車を停めて、食料購入の前に、何気なしに近くのDVDショップに入った。そしたら何と、安売りのかごの中に「ランボー2」が10ドルで売られていたのだ。

 

ランボー/怒りの脱出

 

ずいぶん汚れてるカバー、これ一枚しかない状態なので、お店が卸から、内容も見ずにどかっとまとめ買いしたんだろうな。でもって、ランボーはNZであまり人気ないから、売れ残ったんだろな、そんな、手垢と汚れのついたカバーを見ながら思った。

 

それにしても、ちょうどランボー3を観た後だったので、速攻で購入した。ついでに、ブルースウィリスの「16ブロックス」も15ドルで購入。まだ新作なのに、売れてないのかな。結構面白いのにな。

 

16ブロック (Blu-ray Disc)

 

「24」とか「プリズンブレーク」を見慣れたキーウィには、少しスピードが遅いのかな。

 

さてランボー2.ベトナム戦争で捕虜になった米国軍人を探すためにベトナムに単身乗り込むという筋書き。

 

KIA、MIA、POWという言葉がぽんぽん出てくるので、子供たちがついてこれない。その度にビデオ(DVD?)を停めて、略語の説明をする。戦争用語なので、一般の人には理解不能だろう。

 

1960年代、ケネディ政権時代に始まったベトナムへの侵攻は、結局米国の甘い見通しによって長期化され、1973年の撤退までに5万8千人の米国軍人が死亡、これは参加総数の10%にも上る。

 

戦闘の最中に死亡した兵士がKilled In Action、戦闘の最中に行方不明になった兵士がMissing In Action、戦闘後に捕虜となった兵士がPrisoner Of Warである。

 

2002年にはメルギブソンによる「 We were warriors (邦題ワンスアンドフォーエバー) 」が映画化され、日本でもまたベトナム戦争が人の口に載るようになった。

 

ワンス アンド フォーエバー WE WERE SOLDIERS

 

ベトナム戦争はジャングル戦だった為に小部隊同士の戦いが多く、米国兵士が捕まると北側の捕虜収容所に送られた。その収容所のあまりの凄まじさに、ハノイヒルトンという別名が付いてたのは有名な話だ。

 

今は本物のヒルトンホテルがハノイに建っているのは皮肉か。

 

1980年代に入って、ベトナムには多くのPOWが生存しており、今だ収容所生活をしているという情報が米国中に流れた。国民は、もしかして自分の家族が生きているかもという一縷の望みを託して政府に請願行動を行った。

 

そんな時代背景をもとに作られたこの映画は、戦争の悲惨さよりも、自国民をアジアの片隅に放置したまま逃げ出した米国政府の対応に焦点が当てられている。

 

メルギブソン演じるムーア大佐率いる第一空挺師団では、大佐自身が「俺が最初に戦場に足をつけ、俺が最後に戦場から離れる。一人も残していくことはない!」と、部下全員に向かって伝えた。

 

英雄を好む性質の米国人としては、これは当然であろう。

 

一人も残さない、そういう海兵隊の伝統を、米国政府は正面から踏みにじっている、仲間を見捨てていくな!そういう切り口で作られた映画は、ランボーの人気も合わせて、当時大反響だったのを覚えている。

 

ちなみに今は、米軍は侵攻にあたって、最後の一兵まで連れて帰る、たとえ死体になっても回収するという方針を明確にしている。70年代の失敗から得た、唯一の教訓かもしれない。

 

ベトナムと言いアフガニスタンと言い、そして今のイラクといい、米国は「懲りない連中」だな、でも軍事産業を食わせる為には、数年に1回は戦争をしないといけないという構造が、相次ぐ米国主導の戦争の後押しをしているのも事実だ。

 

片方では軍需産業で生計を立てながら、片方では戦争反対というのも、どうなのか?平和が続けば軍事産業は衰退する。米国では産軍共同体というシステムがあり、これが国家経済活動の中心となっているのは事実である。

 

ランボー2は1985年、ランボー3は1988年製作の映画だ。まだ飛行機の手荷物検査も厳しくなく、テロなんて考えもつかず、世の中は冷戦で東西に分割されていた時代。

 

21世紀、果たして人間は成長したのかな?

 

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tom_eastwind at 00:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2007年07月03日

ランボー3

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「ランボー3」を前回の日本出張で発見して、先週自宅で、家族と一緒に観た。

 

ランボー3/怒りのアフガン

 

「ランボー1」は、探せばそれなりに見つかるが、3は、書店ではなかなか見つからない。旧作だし、1ほどの人気がなかったので、あまり観る人もいないのかな。

 

物語は、ランボーの元上司がアフガニスタンでゲリラの指導にあたっていたらソ連軍に捕まってしまい、元上司を救うためにランボーがアフガニスタンに乗り込むって筋書きだ。

 

ランボー2の延長線上の、そういう意味では1のベトナム反戦からは少し話題がそれて、っつ〜か、悪しきソ連邦に民主主義とアメリカ国民ヒーローの代表であるランボーが懲らしめに行くって、好戦的な単純アクション映画。

 

でも、今の時代から観るとこの映画、1988年当時の時代背景をよく表している。

 

みゆきがこの映画を観ながら「あれ?お父さん、アメリカってアフガニスタンを占領しているんだよね?何でアフガンゲリラをアメリカ軍が指導しているの?おまけにゲリラが使っているロケットランチャーって、アメリカ製じゃんか?!」

 

そうそう、普通にこの話を観ていると、疑問だらけになる事、確実な作品だ。

 

何でソ連(ロシア)がアフガニスタンを支配しているの?

何でアメリカ軍がムジャヒディン(つまり今のタリバン)を軍事指導してアメリカ製の武器を供与しているの?

 

実は1979年にアフガニスタンでクーデターが起こり、社会主義政権が主導権を握った。その地位を守る為に、翌年政府はソ連に軍事援助を依頼した。

 

請われてアフガニスタンに侵攻したソ連は、当初はさっと来てゲリラをぱっと蹴散らして、政府に武器の使い方を教えてからさっと帰る予定だったのが、タリバンが強くなりすぎて、政府を残して帰るわけにはいかなくなった。今の米軍がイラクで嵌っているようなのと同じ状況。

 

そこで冷戦中の米国はソ連の軍事的野望?を挫くために、アメリカの軍事指導団を送り込んだ。要するに、池に落ちた犬を叩く行動。これがランボーの登場に繋がる、元上司のアフガン行きと米軍による軍事支援である。

 

結局1989年にソ連軍は撤退するが、その後タリバングループと政府軍が内戦状態になる。でも米国からしたら、ソ連がアフガンから撤退したら犬たたきは終わり、後は中東の連中が勝手にやっとけ、知らんっつう事で、内戦を放置した。

 

てゆ〜か、下手に手を出すと、第二のベトナムになる可能性がある国に軍隊を送り込むなんて出来ない。

 

結局タリバンが内戦に勝利して、これが2001年の911テロに繋がってくんだから、全く皮肉なものだ。

 

所詮自分の利益ばかり考えて相手の事を考えない米国の政略に、いいように振り回されたのはアフガニスタンである。

 

ただ、その隙を作ってしまったのは、やはり国家が二つに割れたという問題だ。日本だって、明治維新の頃は、危うく国家が二分して、フランスとイギリスの代理戦争になるところだった。

 

そのような諸外国の目的を見抜いた、一部の優秀な武士によって引き起こされたのが明治維新だ。攻める西郷も、内戦をやって国を二分すれば、必ず外国に支配されると分かっていた。守る勝海舟もあっぱれ、日本国全体を見て、国家としてどうあるべきかを考えて、さっさと大政奉還させたから、内戦にならずに済んだのだ。

 

だが、アメリカも歴史から学ばない人種らしく、自分が教えた軍事集団によって逆に911テロ攻撃を受けてその仕返しにアフガニスタンに突っ込んだのは良いものの、結局ソ連と同じように泥沼にはまってしまった。今は欧州に手助けをしてもらいながら、それでも痛い目にあってる。

 

面白いのが、イラクとの関係だ。元々イラクのサダムフセインはイラクの大統領になると1984年に米国と国交回復し、米国から大量の武器を供与してもらい、イスラム国家となったイランとの戦争を拡大させた。

 

当時の米国にとっては石油利権が大事であり、それまではイラン王朝と仲良くやってたのが、ホメイニ率いるイスラム原理主義グループが政権を崩壊させてイスラム国家を創り上げて、それまでの石油利権をすべて没収された米国は、自分の代理としてイラクに戦争を仕掛けさせたわけだ。

 

サダムフセインがクルド人に対して毒ガスを使った事も、当時のパパブッシュ米政権は十分承知していた。にも関わらず問題としなかったのは、フセインが米国のために働いていたからだ。

 

この点、人道主義とか言う米国の嘘がよく分かる。人道を楯にして自分の利権のみを追及する方法は、結局自分だけが良けりゃ、他人なんてどうでもいいって姿勢が見え見え。まさに「衣のたてはほころびにけり」である。

 

イラクイラン戦争の停戦後、結局フセインは、誰かにはめられたのだろうが、元々イラクの領土であったクエート奪還に向けて軍隊を侵攻させた。

 

そこでフセインの運命は決まった。米国と英国の主導により、多国籍軍が結成されて、あっという間に蹴散らされてイラクへ逃げ帰ったのだ。

 

この時日本は、戦費のうち90億ドルを負担したが(芸国の負担は70億ドル)、金だけ払って兵隊を送らない日本という事で、米国から袋叩きにあったことも記憶に残ってる。他人の戦争に金を払って、それで怒られてりゃ世話ないわな。もともと米国の戦争なのに。

 

これによって米国軍が中東を監視する為の拠点がサウジアラビアに置かれたが、ここからまたタリバン政権の擁するビンラディングループが1990年代後半に、米国駐留軍や大使館に対して大規模な攻撃を仕掛けるわけである。そして仕上げが911テロ。

 

全く、中東の歴史は、古くは英国によってかき回され、第二次大戦後には米国による石油戦略に巻き込まれて、この100年というものは、落ち着くヒマさえない状態だったのがよく分かる。

 

それにしても米国の乱暴さと、自分のためなら嘘でもつくし暴力は振るうし、筋なんて全然通さないし、好き勝手にやっといて、取るものだけ取った後に反省する振りをしたりして、そんな国を頭から信用して付き合ってる国民って、よっぽど幸せ者?

 

米国がこんな状態で「日本は米国の核の傘に入ってるから安全だよ〜」と言われても、はいそうですかと信用は出来ない。いつ、中国や北朝鮮の噛ませ犬に追い込まれるか、それこそ米国の意思次第だ。

 

米国を信用出来ない愛国者からすれば、自分の身を自分で守る為に、早いとこ核を持って武装しようぜという事になるだろうな。中川さん、親父さんの事を考えれば、気持ちはよく分かる。

 

そんな事を、ランボー3を見ながら思い起こす。もしランボー4を作るとしたら、行く先は日本、北朝鮮から送り込まれた特殊部隊と、石川県あたりでジャングル戦でもやるんじゃないかな。

 

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2007年04月22日

松川事件

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山本薩夫監督の作品「松川事件」を観る。

 

「昭和24年に起こった戦後最大のでっち上げ事件と言われている〜」というせりふは、カバーの解説の出だしをそのままコピーしたものだが、戦後のこの時期は、下山総裁殺害事件、三鷹事件、そしてこの松川事件と、当時先鋭化した労働組合と共産主義を弾圧する為に、米国及び日本側の協力者によって行われたでっち上げ事件と言われている。

 

今の日本の学校で歴史の時間に教えられているかどうかは知らないが、この事件のことは小学生時代から見聞きしていた記憶がある。

 

しかしまあこの映画、山本監督がどこまで意識していたかは分からないが、平成の今から見直してみると、実に興味がある。

 

東北本線松川駅で起こった列車脱線事故と、その後の裁判の様子を描いたこの映画は、その背景に、当時の世相がよく描かれているからだ。

 

松川駅は福島県福島市にある、東北本線の駅だ。明治20年に開業、2005年当時の一日あたりの利用客は1201人との事。

 

映画の中で、自宅で裁縫をするために最新型のミシンを近くのお店で買う場面があるのだが、運ぶのはリヤカーで、おまけにジューキの足踏み式のミシン!

 

ミシン台の足元に30cmくらいの鉄製の踏み台があり、リズムを取って前後に動かして、台の横につけたベルトを回してミシンの針を上下させると言う、電気不要のミシンなのだ。

 

もう今では博物館にしかないような足踏み式ミシンを見て、とっても懐かしさを覚えるのは、僕の年代が最後なのかもしれない。

 

古い民家の畳の居間で蚊帳を張って寝る家族、寝巻きや浴衣も当時そのもの。クーラーもない時代だから、夜でも普通に汗をかく。夏祭り、盆踊り、道を行きかう人々、ほんと、あの頃と今では隔世の感があるな〜。

 

 

最近の映画は120分が平均だが、この作品は162分の長編。

 

1961年の製作だが、40年以上も経ってDVDになってニュージーランドで日本人がパソコンで観るなんて、誰も思いもつかなかっただろうな。

 

amazonでまとめ買いした独立プロ名が特選も、あと2本を残すのみになった。

 

今晩は家族で「七人の侍」を観る予定。これはみゆきからのリクエストだ。彼女も最近、日本の歴史に興味を持つようになった。うれしいことだ。

 

写真は最近の松川駅。東京紅団のサイトからリンクしてます。

 

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独立プロ名画特選 DVD-BOX 2 闘争編

 

 

 

 



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2007年04月17日

暴力の街


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まるで柳葉敏郎みたいな顔つきのイケメン原保美(はらやすみ、男性俳優)が、埼玉の新聞記者を演じる、1950年の映画作品。監督は山本薩夫。この映画って、日本映画演劇労働組合が東宝映画に出させた金で作った映画だから、思いっきり左こてこて。

 

映画の舞台は、上州の空っ風に吹かれる埼玉県で、そいでもって白黒の画面に広がる1950年の日本で、パソコンはもちろん、テレビもクーラーも携帯電話も自由も民主主義も覚醒した個人もやくざと一線を引いた警察も市民を考える政治家も、何もない状態の地方の小都市=人口2万5千人くらいの町を描く。

 

褌(ふんどし)の現物を見たことがある日本人って、たぶん5千万人以下じゃないかな。少なくともうちの会社で聞く限り、現物を知っている人は殆どいない。

 

ハンフリーボガードみたいなスリーピースに身を包む記者たちが腰に巻くのは褌だ。そんな彼らが、埼玉の田舎の街を私物化している有力者(やくざ、警察、市議会を押さえている)がやりたい放題の事をしている事実を掴みながら、結局は記事に出来ずに悶々(もんもん)とする日々が続く。

 

そんな中、イケメン記者(原田保美)が配属されて、たまたま有力者とぶつかり、びんたを張られる。(*この言い方分かるかな?ほっぺたを思いっきり平手で殴られる状態を指します)

 

そこから暴力追放運動が始まり、どこの町でもお馴染みの、政治、警察、議会が三つ巴になって戦いが始まる。

 

1950年の作品なので、当然左翼色が強い。てゆ〜か、どう見てもこれは社会党や共産党の宣伝映画でしょって感じだが、山本薩夫監督の腕と、テーマの切り口が素晴らしいために、黙ってみてると本当に自分まで左翼になってしまいそうな名作。

 

1950年の日本と言えば、日本を再軍備させるか平和憲法でいくか、米国の中でも意見が分かれていた時代。朝鮮戦争が始まった年でもある。山本監督、まさかこんな戦争が起こるなんて、思ってもいなかったろうな。結局朝鮮戦争のために、日本を自己軍備させる目的で警察予備隊が創られ、それが現在の自衛隊=日本国軍に繋がっている。

 

映画は、いかにも街のごろつきや暴力団上がりの有力者、権力に弱い警察などを順々に描きながら、だから社会主義が素晴らしいのだ、人民の覚醒がすごいのだ!なんてやってる。

 

テーマとしては、今の時代の高校生に見せれば染まるかもしれんが、大人には無理かな。これは、映画としての完成の高さを問うべきであり、テーマを問うと、ちょいとまずいかもって感じ。

 

だから、作品はとても面白いので、戦後の埼玉県で人々がどんな格好をしていたかとか、歴史考証と言う意味で、とても面白い作品だ。

 

それにしてもこの時代、労働組合が強かったんだな〜。

 

第二次世界大戦でイギリスを率いた名相チャーチルが語ったと言われる言葉、はっきりと覚えていないが、

 

「若い時に社会主義に燃えなければ情熱がない証拠だし、年を取って社会主義に燃えていたら、成長していない証拠だ」みたいなせりふがあったと覚えている。言葉は正確ではないので、僕個人の思い込みと思ってもらいたい。

 

ただ、内容は良く理解できたのを覚えている。なぜなら、僕も若い頃の一時期は組合活動や社会主義に共感して、今は社会主義だけでは世の中が続かないという事を知ってしまったからだ。

 

(ただ、この点あまり突っ込まないで欲しい。議論を始めたら、ブログなどのスペースで解決するような問題ではないからだ)

 

写真は沖縄の万座毛。綺麗ですね。

 

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amazonから直接リンク出来る仕組みがあるみたいで、挑戦中。

これで金稼ぎなんて考えてませんが、より多くの方に日本の名作や

古典に触れて欲しいと思います。

 

 

独立プロ名画特選 DVD-BOX 2 闘争編

 

 



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2007年04月07日

荷車の歌

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「荷車の歌」

 

明治から大正、昭和にかけて、広島県三次市の、更にその奥の山村で生まれ育ったある女性の生涯を描く映画。1959年、同名の原作を元に独立プロの山本薩夫監督が作ったこの映画は、その製作費用を農協婦人団体から一人10円の寄付で作られた、日本でも珍しい庶民投資型の作品である。

 

丁稚奉公、庄屋、荷車、馬車、田んぼ、農家、とにかく今の時代ではおそらく死語であろう状況が、白黒映画の中で次々と広がっていく。

 

当時の山村の様子がよく描かれているが、特に興味深いのが、三次のような山奥でも海運が発達しており、農村で作られた各種産物が、近くの大きな川で待つ帆掛け舟に乗せられて廣島に運ばれると言う、1800年代の物流の様子が分かることである。

 

峠の山道を夫婦で二人、荷車を二台引っ張りながら、身代を作ろうとする若い夫婦。しかし田舎にありがちな、古い習慣に縛られた姑に、嫁は虐められながら子育てをしていく。勿論当時だし、旦那は弱気でいつも姑の味方をするから、誰も嫁を助けてくれない。

 

3つになってもまともに成長しない長女を連れて巡礼に出る母親。その後何とか奇跡的に長女はすくすく成長する。親思いの子だが、姑に反抗して遂に里子に出すしかなくなる。

 

その後男の子を生み、次第に姑とお互いの気持ちを通わせることが出来るようになる。幸せが来たかのように見えたある日、今度は身代が出来たおかげで亭主の浮気が始まる。遂には浮気相手を自宅に連れ込むようになり、毎日苦しむ妻と、それを慰め、何とか解決しようとする子供たち。

 

そんな彼らの背後には、時代と共に大東亜戦争が影を落とす。そして廣島の原爆、その後の農地解放、新しい時代が始まる。

 

荷車が馬車に抜かれ、馬車が石炭自動車に抜かれ、そして鉄道が走り、そういう時代の大きな変化の中で生き抜いた農家の妻のたくましさが、望月優子が演じるセキが見事に演じぬく。

 

ちなみに、浮気ですけべ親父を演じるのは、山本薩夫作品でいつも「そんな役回り」の三国連太郎。当時から、若い役、老け役、ボケ役、すけべ役、何でもこなしてたんだな。若い自分に年寄りの役をする為に前歯全部抜いたのは有名な話。

 

今は釣り馬鹿日誌のすーさん役で有名。三国連太郎と言うよりも、佐藤浩市の実父と言った方が分かりやすいか。

 

それにしてもこの時代の映画のレベルの高さ、本当に唖然とする。

 

映画を観終わって奥さんに筋書きの説明をすると、彼女は一言、「映画なんか見なくても、私の義姉さんの話をちょっとでも聞けば、もっと面白かったのにね」だって。

 

どうも姑問題は、日本固有ではなさそうです。

 

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2007年04月06日

橋のない川

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今日からイースター連休に入る。

 

実質的には木曜の夜から翌週の月曜の夜まで、しっかりと映画&読書の、文芸復興時間だ。日本から買ってきた独立プロの映画をまとめて観て、昔読んだ本で、もいちどゆっくり読み返したいものを会社から持ち出して読む。

 

木曜日の夜は、「橋のない川」2部作。住井すえ原作、てゆ〜か、住井すえの作品の出来映えの高さに、共産党出身の今井正監督がどう取り組むのかに興味があった作品だ。

 

日本には部落問題という、日本人が作り出した差別問題がある。明治から大正にかけて差別是正活動が広まり、水平社が創設されて、現在も続く問題である。

 

ただ最近は同和団体、社会党、共産党が入り乱れて、市役所あたりの利権問題の格好付けに同和を持ち出して、本来の人間平等という精神をすっかり忘れてしまった金の亡者がむらがっているが、そんな現状だけを見て同和問題=部落問題=悪い奴の集まりという趣旨で語るのは、自民党が悪いから民主主義が悪いと言うような、全く意味のない理屈である。

 

日本における部落問題は、元々1600年代頃から始まる人為的政策的な差別であり、明治天皇の時代に公式には解決されたように見えたが、島崎藤村の「破戒」にも語られるように、自分と他人の比較でしか物事を評価できない人々にとっては、苦しい自分の立場を一瞬でも忘れて無意味な優越感に浸るだけの、じつに貧しい精神的貧民の餌でしかなかった。

 

部落の本質的問題を気づかずにいた、無垢で無知で無勉強で無反省で、生まれただけでそれ以上の事を何もしようとしない平民人種によって行われた差別は、差別する方には何の痛みも罪の意識もなく、差別される側に死ぬほどの侮辱を与えた。

 

でも、そんな時代背景を淡々と描きながら、住井すえは明治、大正、昭和と時代を冷静に、暖かく切り取っていく。

 

今回の今井作品でも、暖かさが伝わってきたな。評価は、さまざまなウェブサイトがあるので、是非ともご覧頂きたい。でも、その前に、まず観てもらいたい。戦後日本が世界に誇れる一作である。

 

差別されてる人に言いたい。ニュージーランドに来てみな、部落どころか、キーウィからすれば日本人と韓国人、中国人の区別さえない。みんな一人の人間として扱われる。

 

誰しもが一人一人の個性で評価されて、違いがあるのが当然と言う目で見られるから、人と違っていることが何の問題にもならない。

 

日本の一番の悲劇って、島国なもんだし、そこそこ統治が良かったから、逃げるほどではない、だからいつの間にか煮え湯になった時に逃げ切れなかったってとこなんじゃないかな。

 

今も日本では、マスコミの弾圧法案が内閣決定された。医者もぼろぼろになるまで働かされている。この道って、いつか来た道じゃんか。その事は後日再度まとめて書きたい。

 

橋のない川はDVDも本もtom文庫にもある。最初にこの本に触れたのは、もう20年以上前だ。五味川純平の人間の条件、司馬遼太郎、山本周五郎と並んで、僕の中の古典の一冊だ。

 

それにしても、ニュージーランドで過ごす夜に、今井正監督の日本の名作「橋のない川」を観れる幸せ。時代の進歩に、感謝。

 

あ、この映画一部では、長山藍子が嫁役で出ています。今ではすっかり良いお母さん役ですが、当時も、お母さんっぽかったです。

 

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2007年01月23日

オデッサファイル

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またも、日本でまとめ買いしてきたビデオを楽しむ。

 

昨晩は、僕の大好きなジョンボイト主演の1974年の作品「オデッサファイル」。

 

原作はイギリスの正統ミステリー&スパイ小説の大家、フレデリックフォーサイスだ。

 

フォーサイスの作品は、他にもフランスのドゴール暗殺未遂事件をテーマにした「ジャッカルの日」やクリストファーウォーケン主演の「戦争の犬たち」は、どちらも映画化されている。

 

ジョンボイトは「真夜中のカウボーイ」で映画界で一定の地位を獲得して、ダスティンホフマンと共に有名になった。この映画、大都会ニューヨークに出て来た、夢見る田舎者をカウボーイ姿で演じて、結局夢破れて都会の現実を知るという、当時としては実にセンセーショナルな映画だった。

 

二人の演技はその後も語り継がれ、それぞれに演技派俳優として今に至っている。

 

僕は「真夜中のカウボーイ」以来のファンで、彼の朴訥とした顔と演技がなんとも言えない。あ、そうそう、アンジェリーナジョリーのオヤジでもある。

 

でもってオデッサファイル。この映画を観てナチによるユダヤ殺害に憤る人は多いだろう。最近では「シンドラーのリスト」の上映もあり、ナチスによるユダヤ人虐殺は欧州における大きな妖怪のようにのしかかっている。

 

ただ、僕がどうしても分らないのは、あれだけ頭の良いユダヤ人が、何故自分達が死地に追いやられようとしているのに逃げなかったのかという事だ。

 

ナチス以前にも欧州ではユダヤ人に対する迫害は頻発した。露西亜、ポーランド、本場米国でも差別はあった。まともな商売につけないからユダヤ人が金融事業を始めたというのも、皮肉な話だが、中世からユダヤ人が差別されていたのは間違いない。

 

しかしユダヤ人は常にその迫害を切り抜けて生き残ってきた。何故ドイツでだけ、600万人もの死者が出てしまったのか?

 

これが数の問題であるとは思わない。要するに600万人であろうが60万人であろうが、そこで一定の数の虐殺があった事は事実である。そしてその予兆はあったににも関わらず、何故ユダヤ人は国境を越えて逃げなかったか?

 

殺されるよりも、新天地に逃げ込む方が良いではないか。元々流浪の民だ。逃げる事には抵抗がなかったろうに。

 

勿論、ビザが発給されないとか技術的な問題もあったろう。しかしヒトラーの台頭から危険を感じ取った一部のユダヤ人は、いち早く米国等に移住していた。だからヒトラーが危険であると言う情報は、ユダヤ人社会全体に広がっていたと思うのだ。

 

なのに、こんなにたくさんのユダヤ人は、最後の瞬間、逃げ切れなくなるその最後の一線を越えるまで、何故ドイツに残ったのだろう?

 

ポーランドや東欧から集められたユダヤ人もいるから、本当に逃げ切れない人もいたのだろうが、少しでも歴史の本を読む時間のある人なら、当時のヒトラーの主張とユダヤ人差別を見て、こいつはやばい、命会っての物ダネだと、逃げられたのではないだろうか?

 

そこに感じるのは、「まだ大丈夫、もうちょっといけるさ」とか「まさか俺のところまでは来ないよ」とか、危機感の無さではなかったのか?

 

誰も分らないが、ただ、逃げ切ったユダヤ人もたくさんいて、彼らがイスラエルを作り、そしてナチスを、それこそ地の果てまで追い詰めて、南米で、他国で犯罪を犯してまで元ナチスを誘拐した。このあたりが映画の骨子となる。

 

でも、これを他人事と考えずに、今の日本で当てはめて欲しい。今、生活を、真綿で首を締められるように、じわじわと締め付けられていないか?そして気付いて見れば、もう抜け出せない。ぬるま湯に浸かった蛙が、そのうち熱湯で煮え殺されてしまうようなものだ。

 

まさに今の日本に、それを感じる。てゆ〜か、勿論体制側についている人々からすればこの世の春だ。これから50年、また楽しく、昔のように生きていけるのだから言う事はない。問題は、これから先50年、政府に搾り取られて働かされる人々のほうだ。

 

あっちこっちで県知事が逮捕され、そのまんま東が宮崎県知事になっても、肝心の選挙の仕組は変わっていない。選挙の仕組を議論すべきなのに、表面だけ手直ししようとしている。選挙に金がかかるから、どうしても資金を持っている団体と組まざるを得ない。

 

そして当選すれば、彼らの為に働かざるを得ない。そう言う構造の上で選挙をやる限り、不正はなくならない。選挙資金の配分など、構造的に見直す必要があるのは自明の理なのに、何故そうしないか?

 

中央政府からすれば、その方がいつでも地方を叩けるから、仕組の改正なんてやりたくないのだろうと、穿った考えを思ったりする。

 

最初に法律違反をやらせておいて、政府の言う事を聞いている間は頭を撫でて、ちょいとでも逆らおうものなら、国賊扱いで国策逮捕だ。見事なまでに「長いものに巻かれる国造り」が出来た。凄いね、美しい国。

 

日本政府が国家よりも国民を優先して守るなんて、思わないほうが良い。日本政府は、天皇を中心とした国家を守るのだ。国民は、国家がうまく運営されている間だけ、その余禄で守ってあげるのだ。

 

政府にとって国民とは,あくまでも余剰物資がある時に施しをする対象であって、主権在民としての国の支配者に尽くすと言う発想は、全くない。主権在民にならないように、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」を、しっかりと教育や社会で教え込む。そして主権在府をこれからも守り続ける。

 

オデッサファイルを観ながら、政府に飼い殺しにされた挙句に強制収容所に放り込まれてガス室送りにないように、もっと賢くならなくちゃと思った。

 

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2007年01月13日

ボージェスト

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1939年ハリウッド製作で、ゲーリークーパー若き日の作品。

 

いや〜、よかった。

 

何が良いって、本当に映像や演技の素晴らしさ、手作りの良さが伝わってくる。

 

 

これも著作権が50年で解禁の恩恵。著作権とか知的財産ってのは、やっぱり限定的でないとね。

 

ベートーベンの曲を一回聴く度に金取られてたんじゃ、聴く方だって面倒だし、第一芸術自体、広がりを見せる事が出来ない。著作権自体は、その意味で常に限定的であるべきだ。

 

その意味で最近次々と発売されている廉価クラシック映画は、良い。何せ、それまで名画に触れる機会がなかった人にまで、ワンコインで買えるのだから、ちょっと買ってみようかという気にさせる。

 

でもってこのボージェスト。外人部隊映画として知られる名作だが、大体、外人部隊が何かを知らない人も多いだろう。

 

元々はフランス政府がお金を払って外国人を雇い、当時支配していたアフリカや東南アジアの諸国に送り込んで警備や戦争をさせた部隊の事だ。

 

特にアルジェリアやインドシナ(ベトナム)での戦争で勇敢に戦った連中だが、その出身や本名を明示しなくて良いので、犯罪を犯した連中が駆け込む軍隊としても知られていた。

 

外人部隊という名前は付いてるけど、正式なフランス軍の一部隊であり、現在も活動している。徴兵制度で集めた兵隊よりよほど良く働くので、自国民を戦争に送らずに済むと言う現実的利点もある。また、5年働ければフランス国籍を取得出来るという点も、兵士からすれば大きなメリット。

 

それにしても昔の映画はコンピュータもないし、豪勢、じゃなかった、合成画像も存在しないから、一発撮りの迫力が伝わってくる。いや〜、良い映画でした。

 

さて今晩も、ゲーリークーパー主演の外人部隊映画「モロッコ」を観よう。これは1930年の製作。いや〜、映画って、良いですね。

 

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2007年01月06日

世情

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CDが見つかったら買おうと思っていた、中島みゆきの「世情」。偶然入った福岡天神のじゅんく堂の地下にある、レンタルビデオやPS3、wii等を売ってる店の片隅に「ニューミュージックコーナー」というしけた棚があり、そこに置かれていたのだ。

 

1978年に発表された「愛していると云ってくれ」というLPに入ってたこの「世情」は、当時の時代背景をよく現してるが、何よりも、今の時代にそのまま通じている。

 

中島みゆきは、高校生の頃に大分のデパートでライブをやっていた時に初めて見た。「時代」で売り出して地方巡業、当時はデパートでパイプ椅子に座って無料のライブだった。今では考えられない事だ。

 

白い割烹着を着た近くのおばさんが子供を連れてパイプ椅子に座って、訳の分からない当時で言う「ニューミュージック」を、不思議そうな顔で聴いていた。

 

何せギターを弾いてますと言うだけで不良と思われていた時代なので、おばさんからすれば不良の全国大会で優勝した生意気な女、という印象しかなかったのだろう。(1975年の全国ポプコンで優勝)

 

丁度社会に出たその年に発売されたこのLP。ベトナム戦争が米国の敗戦に終わり、日本が国際的発言力をつけ始め、日本社会全体が大手企業を中心に盛り上がっていた頃だ。

 

企業戦士と言う言葉に励まされたサラリーマンが、自分の結婚式の当日の朝まで徹夜で仕事してたとか、子供が生まれても病院に行かないのが当然、ましてや奥さんが職場に電話でもしてこようものなら「何と言う女々しい奴だ!」と、周囲からお叱りの声を受ける時代だから、蝶よ花よなんて唄ったり、ましてや「君が好きだよ〜」等唄おうものなら、「軟弱者!」と云われた。

 

世の中はいつも 変わっているから

頑固者だけが 悲しい思いをする

 

変わらないものを 何かにたとえて

その度崩れちゃ そいつのせいにする

 

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく

変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を

見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから 

他愛のない嘘を いつもついている

 

包帯のような嘘を 無破る事で

学者は世間を 見たような気になる

 

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく

変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を

見たがる者たちと 戦うため

 

「シュプレヒコール」なんて、今はすっかり死語だろうが、当時は70年安保体制や浅間山荘事件、総括と言う名目で学生同士が殺しあってた運動の名残があって、国会前で学生がデモをやったりしてた頃によく使われていたドイツ語だ。

 

Sprechchor デモや集会で、参加者がメッセージスローガンを一斉に唱えること」

 

この歌は「3年B組金八先生」の「腐ったみかん理論」の回でも使われていたそうだ。僕自身はこのテレビを観てないが、あの頃の金八先生は、一大流行になった事だけは憶えている。

 

「包帯のような嘘を見破る」とか、中島みゆきならではの歌詞使いは、背筋がぞくぞくしてくる感じだ。他にもこのCDは、最初の一曲、と言うか、「元気ですか」と言う、朗読?詩?が入ってるが、これがまた信じられないほどの詞。

 

たった3分程度で、一つの世界を切り取って、僕らの目の前にぽんと放り投げる彼女の語学の才能は、まさに当時の最高峰だった、と勝手に思っている。

 

そう言えば同じ売り場にルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」があったので、他のクラシック映画と合わせて数本購入したが、著作権が50年で切れたので、たった500円で購入する事が出来て、何だかとてもお得な買物をした気分だ。

 巴里の屋根の下

昨日は早速、一人で真夜中に鑑賞。

 

CG技術が発達した今では、到底出来ないような俳優の演技や、忘れられた技術があちこちで見られて、それだけで十分楽しい。

 

映画を「絵や画」にして余計な言葉や効果音を省き、そこに素敵な音楽を乗せると、これで芸術が出来上がると言う事をルネ・クレールが教えてくれた1930年の撮影だが、これなど「良い作品は時代を超えて生き返る」んだな〜と思った。

 

LPがCDに替わり、遂にはインターネット配信という時代になったが、その時一番大事なのは、どう配信するかではなく、何を配信するか、だろう。そうなると、コンテンツが勝負になる。

 

今の技術革新が、古くても良いものを再発掘して、それをどんどん世間に再配信する事で、本物の良さが次の世代に伝わってくれるといいな。

 

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tom_eastwind at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月02日

バブルを知らない子供たち

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東京に着くと、もうすぐ冬の筈なのに結構暖かい。昼間は15度くらいなので、シャツにパーカー姿で街を歩ける。今年は暖冬なのか、関東のスキー場では雪が降らずに人工降雪機で雪つくりをしているくらいだ。

 

Always・3丁目の夕陽」が金曜ロードショーでやってる。金曜ロードショーは洋画専門かと思っていたら、最近は邦画もやってるんだ。

 

で、Always。電気冷蔵庫、白黒テレビ。パソコンもインターネットも携帯電話もない昭和の時代だが、若者は、貧しくても生き生きとしていたな。戦争を知っている世代だから、話の端々で第二次世界大戦の話題が出てくる。暗くて苦しい時代を乗越えてきた人々だ。

 

今日の読売新聞では、平成の若者たちが作ったライブドアという会社の記事が出てる。去年まで買収を重ねて子会社を増やしたが、政府による取り締まり以降、次々と子会社を売却、平松社長を残して他の役員全員が交代して、もはや普通のおじさんの会社になった。

 

時代は変わった。もう若者が社会に対して戦う事は許されなくなってしまった。老人達は、今まで思いっきり悪い事をしてきて、それでも政府に守ってもらってるのに、同じ事を背伸びした若者がやろうとすると犯罪になる。

 

貧しくても明るかった昭和と、食べていくには何の苦労もない、でも生きる力を持たせてくれない平成の違いか。思わず「戦争を知らない子供たち」という歌を思い出した。

 

 

バブルが終わって 僕等は生まれた
  バブルを知らずに 僕等は育った
  大学出たら 就職氷河期
  年金、医療費 僕らはもらえない
  僕等の名前を 覚えてほしい
  バブルを知らない 子供たちさ

  背伸びをするのが 許されないなら
  ITバブルが 許されないなら
  不況の時代に 残っているのは
  涙をこらえて サービス残業
  セクハラパワハラ 毎晩終電
  夢を知らない 子供たちさ

 

バブルの時代に バブルで稼いで
  退職金満額 もらった世代は
  僕ら子供に  借金押し付け
  君らだけが 逃げ切ってしまった
  君らの子供の 時代は悲惨さ
  借金だらけの 日本経済
  お先が真っ暗 日本社会

 

 

今日の東京は、晴れているけど星が見えない。どこまで行けば星が見えるのだろうか。

 

写真は、自宅の庭の花の間に飾った風車。

 

今日は何故か青い文字。変換の方法がよく分らない。

 

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2006年11月05日

「アパッチ砦」と「壮烈第七騎兵隊」

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まだ藤田社長の事件は大手マスメディアに掲載されていないな。

 

朝日新聞で少し取り扱っているようだが、本丸には踏み込んでない。耐震偽装問題の時にマスメディアは発狂したように取り上げていたが、旬を過ぎれば無視なのか、それとも政府の押さえつけか。

 

 

 

金曜の夜は1948年製作のジョンウェイン主演「アパッチ砦」、土曜の夜は1941年製作のエロールフリン主演「壮烈第七騎兵隊」を観る。どっちも白黒だが白眉の作品。

 

ジョンウェインと言えば、今の時代の若者でも知っているのではないか。彼の知名度は、米国内においてはJFケネディ並で、英国ではビートルズ並で、フランスやイタリアでもジョンウェインと言えば「おい、こいつの西部劇の吹き替えで、Helloというのはボンジュールにするのか?」と、揉めにもめたほどの有名人。日本なら高倉健さん並の、渋くて、いかにも米国の良心の象徴みたいに言われた役者。

 

その後、「ソルジャーブルー」って映画が70年代に作られ、騎兵隊は先住民族を皆殺しにした悪人という事で白人の悪行が白人によって暴かれたが、でもそれは高倉健が「野生の証明」で自衛隊の元隊員という役をやっても、高倉健個人に罪がないように、ジョンウェインにも罪はないって言う印象があり。

 

ちなみに彼は他にも、米国兵隊の士気を鼓舞する為に、ベトナム戦争をテーマにした映画にも出ている(グリーンベレー)が、これでジョンウェイン自身が「戦争賛美で“駄目だし”」を喰らったことはない。

 

ただ存在感はあるのだがセリフの出し方が下手な感じの役者なので、西部劇以外にはあまり佳作はない。特にグリーンベレーの時は、ぱっとしなかったな。何で伯父さん、ここにいるの?って感じ。

 

この点、現在もハリウッドに隠然たる力を持つチャールトンヘストンには敵わないです。

 

個人的にチャールトンヘストンの方が好きなので、ここは少し肩入れしておく。彼が元全米ライフル協会の会長だったのは嫌だけど、映画は個人のやってる事とは別に、その演技力で勝負するべきだし、その意味で彼は凄いと思う。

 

猿の惑星、地球最後の男、ソイレントグリーンなどSF系でも大活躍したが、元々は十戒、ベンハーなど超大作で主演を張るほどの超役者です。良ければ是非一度、観て下さい。彼が神様に向かって見せる喜びの顔は、役者です。

 

さてエロールフリン。リトルビッグホーンで全滅した第七騎兵隊のカスター大佐を演じる「エロールフリン」と言う役者名は、最近の日本人からすれば変てこな名前かも知れないが、戦前から戦後の米国映画界では、今のトムクルーズやトムハンクスを合わせて10倍くらいしたよりも人気のある役者だった。

 

愛嬌があって、何をやっても憎まれないけど、いつもいたずら小僧って感じの、背の高い色男。ハリウッドが全盛を極めて、米国が戦争に勝ち、テレビがなかった時代、勿論インターネットも携帯電話もファックスもない、そんな「何もない」時代の最高の娯楽が映画で、その映画界でトップスタートして君臨したエロールフリンは、まさしく時代の寵児だった。実際にかなりのやんちゃで、個人的には何度も警察のお世話になったってのをウィキペディアでも書かれています。

 

さて、壮烈第七騎兵隊では、「ガリオーエン」というアイルランドの戦争の歌が挿入されている。髭面で汗臭い騎兵隊連中がオルガンの回りで「恐れずに進もう皆で」と歌っている。

 

米国に移住した英国人には多くのアイルランド人が含まれている。てゆ〜か、アイルランド人からすれば、「俺、英国人じゃねーよ」と明言しているので、アイルランド系アメリカ人というべきだろう。

 

ガリオーエンはアイルランドの土地の名前。丁度先週、仲の良い友達がアイルランドのダブリンに赴任する事になった。頑張れ。そう言えばネルソンデミルの「ニューヨーク大聖堂」もアイルランドのIRA問題がテーマ。

 

英国圏から逃げるように米国に移住して来たアイルランド人たちからすれば、アイルランドは自分達の故郷であり、1980年代のアイルランド闘争では、IRA(アイルランド共和国軍)の闘争資金は、米国のアイリッシュバーで集められていたというのは有名な話だ。もしかしたら、ニュージーランドのアイリッシュバーでも募金活動あったかもね。

 

今の米英関係では理解しずらいかもしれないが、英国の王室の親戚が乗っていた船を、王室の親戚共々吹っ飛ばしたIRAの闘争資金が米国から出ていた時代もあったのだ。

 

IRAは置いといて、問題は「壮烈第七騎兵隊」という映画が出来たのが1941年と言うのが、天気の良いオークランドの週末なのに、今の僕の気持を哀しくさせるって事だ。

 

だってさ、日本では太平洋戦争に突入して、女性はもんぺを穿き、男性は国民服、国民が戦争のど真ん中で物資に困窮し、映画と言えば国策ものしかなかった時に、ハリウッドでは当時の政府を批判するような娯楽映画が作られていたのだ。(筋書きは映画を観て下さいな、ビックカメラで一本500円で売ってます)

 

そんな国と日本が戦ったんだな。うちのオヤジがニューギニアの山の中で逃げ回っている時に、こんな映画が米国で作られて、米国民の娯楽に供されていたんだな。そりゃ〜、この物資の違い、戦争しても負けるわな。

 

ジョンウェインの映画も、戦後たった3年で作られた映画だ。国力の違いだな。

 

うちのオヤジは戦後新聞記者になり、洋画の無料招待券を配給元から貰ってた。そのおかげかどうか知らないが、子供の頃から映画と読書が趣味の、変な子供になってしまったが、ジョンウェインを初めて観たのは、おそらく小学校1年頃だと思う。

 

アランラッドの「シェーン」もその当時の映画だ。おやじは、「青い〜たそがれ〜」って、シェーンのテーマ曲の日本語版を、カラオケのない時代に、あばら家(自宅)でよく歌ってた。

 

どれも歴史的名画だが、今は著作権が切れたので、ビックカメラで一本500円で買う事が出来る。そう言えば著作権も、米国がディズニーを守る為に、更に20年延ばして70年にして、それを各国に押し付けているそうだ。

 

しかし日本の著作権は50年で失効するし、それは外国映画でも同じという事で、50年経った名画が、去年から今年にかけて次々と販売されている。

 

僕は著作権は、出来る限り限定的に扱い、誰でも文明の生み出したものを自由に使えるほうが良いと思う人間なので、50年失効に賛成。創った人個人の権利は認めるべきだけど、それが子孫代代までってのは、どうなんだろう、それってまるで逆差別や既得権益に乗っかってる団体を思い浮かばせる。文明全体を考えて見ればって思う。

 

少なくとも僕は、50年前のジョンンウェインを500円で観れて幸せだし、それを他人に紹介する事で、個人の利益ではなく文明全体の利益に繋がると思うんだけどな。

 

何だかテーマが分散してしまった、どれも突っ込み所は満載だが、週末なので今から料理にかかります。今晩は豚汁鶏もも肉の照り焼きと、昨日の残りのオックステールシチューです。

 

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2006年01月27日

男たちの大和

実は僕は大の映画好きで、高校生の頃から休みの日は4本くらい「はしご観」していた。監督、俳優、撮影、舞台装置など別に5点評価を作成していた。

 

最近はすっかり忙しくて、映画を観るのは飛行機の中限定だったが、今日はたまたま東京で時間が空いたので、観たかった日本映画を2本「はしご観」した。

 

最初の一本は「男たちの大和」。以前から観たいと思ってた映画だ。

 

渋谷東映7階で10:00から観る。平日だし、朝早いのでがら空きからと思ったら、これが思ったより入ってて、通路側の席はほぼ全部埋まっていた。

 

さて映画。久々の日本映画だが、スケールの大きさだけでなく、今の日本人に対するメッセージ性の強い作品だった。結果的には「超二重丸」、日本人なら是非とも今観てもらいたい出来上がりになっていた。

 

渡哲也、林隆三、仲代達也等の実力俳優も映画を引き締めているが、それよりもこの映画は中村獅童の眼力が、この作品に更に凄みを与えているのだ。

 

映画の出来上がりの8割は監督の腕だという。監督の佐藤純爾は今までも名作を作って来た日本の誇りとする監督の一人だが、今回は何よりもタイミングが良い。

 

日本と言う国が「第二の終戦=バブルの崩壊」で米国に負けたが、「失われた10年」を過ぎて、やっと自信を持ち直し始め、これからは、日本人は日本人らしく生きていこう、間違った精神論じゃなく、技術と団結力で日本を良くしていこう、そう言うメッセージが伝わってきた。

 

人は誰の為に死ねるか?戦争で特攻をした人々の死は、無意味ではなかった。これから来る素晴らしい未来の為に自分の命を捧げ、この戦争にけりをつけて、早く次の時代にバトンを渡そうとしたのだ。

 

そして第二次世界大戦に対して全面的に無思考的に「日本が悪かった」と思っている政治的幼稚園児にも、それなりのメッセージを送っている。

 

何故日本は戦ったのか?何故日本は負けたのか?これから日本はどうするべきか?戦後60周年を記念して作られた、現在の日本人に対するメッセージ。「起きろ、目を覚ませ、日本人を思い出せ」と言ってる映画と言っても過言ではないだろう。

 

それにしても中村獅童の眼力は凄い。かなり惚れた。

 

 

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2005年12月07日

女は泡よ。

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昨日観た映画は、久し振りに「カジノ」。ロバート・デ・ニーロ主演、シャロン・ストーンとジョー・ペッシが脇を固め、途中からは何とジェームスウッドも参加するという豪華作品だ。監督はマーティンスコセッシ。3時間の大作だが、何回見ても面白い。

 

 

銃と言う暴力装置とカジノという大衆向けの魅力を併せ持ったロバートは、イタリアンマフィアの中で次第に力をつけていく。しかしユダヤ人である為イタリア人マフィアの中枢には行けず、常にマフィアの幹部であるジョー・ペッシが後ろを固めていなければ戦っていけない。

 

カジノ運営に心力を尽くしながら、仕事の合間に見かけた奔放な悪女シャロンストーンに「はまって」いくロバートデニーロの演技が良い。

 

時代背景も良く出来てて、ラスベガスのカジノが砂漠のど真ん中のフラミンゴから始まり、1970年代まではマフィアの資金源であった様子が良く描かれている。

 

愛してる女に裏切られながらも、何とか一生懸命、女を取り戻そう、きちんとした表の生活を送ろうとするロバートと、どこまでも過去の男を追いかけて金を貢ぐシャロン。そして、女を振り向かせては、また逃げていく男。おいかけごっこだ。

 

「男なんてシャボン玉、きつく抱いたら、こわれて消えた」

 

山下久美子の名曲「バスルームから愛をこめて」の1フレーズだ。まだテープレコーダーが全盛だった時代、僕と同じ大分出身の彼女の歌を聴いていた。

 

映画は次々と展開を見せながら、ラスベガス自体がイタリアンマフィアの資金源から、最後には健全な大手企業の支配による現在のような「ディズニーランド化」していくまでを描いている。

 

シャロンが死ぬまで愛しつづけた男。おんなが泡なのか、男が泡なのか。

 

「だけど ほんとに好きだったの バスルームから愛をこめて」

 

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tom_eastwind at 07:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月21日

Wall Street (邦題ウオール街)

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Wall Street

1987年の映画だから、日本がバブってた時代のNYが舞台。株を扱い、そして儲ける事が出来るのは、ギャンブラーか詐欺師しかいないって、オリバーストーンの主張がきつく出ている。

チャーリーシーンとマーティシーンが親子役で(実際にその通り!)、マーティン演じる父親が、ジャンパー姿でNYの歩道を歩いたり、空港の格納庫で仲間と飛行機を修理している場面は「これがアメリカでしょ」と、強く訴えてる。

オリバーストーンは、ノーマンジェイソンと同じくらい好きな監督だ。

ノーマンジェイソンと言えば「夜の大捜査線」でシドニーポワチエに演技させ、「ハリケーン」ではデンゼルワシントンと見事なコンビぶりを見せてくれた。

実は10年ほど前にも観たのだが、その時はマイケルダグラス扮するゲッコー役が、実はジャンク債の帝王マイケルミルトンとは知らず、今年になってその事を知ってから「もっぺん観たい!」と思ってた映画の一番。

案の定よく作りこまれた映画で、金をかけなくても良質の映画が出来るという事を、うれしい気持ちで再認識させてくれる。

土曜の夜に偶然立ち寄ったVideoEasyで見つけた秀作。5本で10ドルってセット料金だったので土曜の夜10時から、チャーリーシーンのWallStreet、ダニーグローバーのBopha、誰が主人公か分らないアラモと、朝の4時まで観てしまった。

久々に映画に浸れた週末でした。映画は、いいな〜。これで時間が止まってくれたら、最高だな〜って思った週末でした。



tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)