最近読んだ本 

2017年02月19日

棘の街

久々の堂場瞬一作品。堂場作品はどれもさらりと読めるのが良い。その分激しい感情描写とかがないので過激本が好きな人は西村寿行を読むべきだろう。

 

さてその棘の街、文庫本で589ページであるが読みやすい為に週末2日で読み終わった。

 

ただ読みながら普段の堂場作品と違って随分ぎしぎししてるなー、何だか話の作りは面白いのに一章ごとにでこぼこしてて、あれ?言ってること違うじゃんって感じがしたり、ちょっと偶然に頼り過ぎな筋書きは他の堂場作品とは異なる印象。

 

何だか同時期に書かれた他の本と切れ味も切り口も違ってて、何か新しい事を試したいけど何とか繋げようとしてるけどムリのある感じ。けど彼の特徴である「さらりと読める」ところは変わっていないから不思議なものである。

 

だから自分としては珍しく「この本は秀逸なのか少しデキが悪いのかそれともその真中あたりを行ったり来たりしているのか?」という印象を持ってしまい、普段なら他人のレビューなど読了後の作品で読むことはないのだけど他の堂場作品ファンはどう感じているのかと考えた次第。

 

でもってレビューを読むとやはり似たような印象を持っている読者は多く「この作品、他と違うね」という意見が多かった。

 

ここ半年くらいまともに堂場作品を読む機会がなく、ましてやこの作品は購入したのが半年前でそのまま積読(つんどく)になっていたのでちょっと作者に申し訳ない気分になった。

 

この作品を初めての堂場として読む方には「これだけが堂場じゃないから他の本を先に読んでみれば?例えば鳴沢了シリーズを読めばこの本の立ち位置が分かるよ」と言いたい。

 

買ってそのまますぐに読んでおくべきだったな、やはり気になって買った本はすぐ読むべきだろう。自己反省。



tom_eastwind at 13:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年05月20日

当確師 真山仁

久しぶりに読む真山作品。今度は選挙だ。主人公が3人いるような小説である。

 

選挙コンサルタントの聖と地元資産家の息子で優秀な大学を卒業してNPO法人「なかまネット」を運営している選。そしてもう一人が黒松幸子、社会活動家でNPOMUTEKI」を運営している。1歳の時に病で聴力を失う。

 

彼らの戦う相手は鏑木次郎現職市長。けど面白いことに本が進むに連れ真山仁が主人公たちに語らせる言葉がいつの間にか理想にしか聞こえなくなる。そして鏑木次郎市長、やることやってるという感じでありそれほど悪人ではなく思える。政治家としてはしっかりやっていると思う。

 

最初はクールに出てきた聖、流され派の選、そして黒松幸子、次第に鏑木市長の行政に対して反発に出て最後は市長選挙になる。そこからの票の読み合い、相手の切り崩しなど読んでて実に面白い。

 

ただ後半少し筆致が変化しているのは本人が書きながら政治とは何かを考えてためらっていたのか?

 

文中で出てくる「共同体主義の限界」という言葉が面白い。

 

米国において資本主義は暴走する。それは個人主義だからだ。だから共同体主義で歯止めをかけねばならない。何もせずに放置すると資本主義は世界中で暴走する。

 

日本があまり暴走しないのは渋沢栄一以来会社の位置付けが米国と違い利益重視よりも利害関係者全体の利益配分にあるからだ。

 

みんな幸せ、思いやり。この二つの言葉がおそらく今の日本でもまだ生きているのだろう。「政治家が最も大切にすべきは良心と共通善だ」そうであって欲しいがそうでないのが現実だ。

 

やはり政治家は強くなくては生きてはいけない、そして優しくなくては生きる資格はない。



tom_eastwind at 13:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年04月10日

ジョン・グリシャム「司法取引」

朝起きて「あれ?いつもよりちょっと遅いな」と思いつつ歯を磨きヒゲを剃りシャツとスーツを着て車を出す。何かいつもと感じが違うなー。

 

主要道路に出ると、あれ?車が少ない。おっかっしいなと思い携帯電話で確認すると、何と今日は日曜日ではないか。

 

仕事着のまま自宅に戻り「あれ?もしかして一日得した?」とか思いながらもう一回部屋着に着替えてジョン・グリシャムの「司法取引」を引っ張りだして日曜に読了。やっぱり得した気分だ。

 

この人の作品はどれもが良質で楽しめる。

 

法律を元にした様々な事件をテーマにしているが今回も様々な法律を援用して弁護士である主人公が無手勝流ですごい事をやっている。

 

司法取引は日本とは全く法律が違う米国で第35条と呼ばれる。刑期中の犯罪者が他の犯罪の解決に寄与した場合に適用されて刑の停止と刑期の減免が行われる。

 

黒人弁護士にはなかなか良い仕事は回って来ない、ただでさえワシントンでは弁護士が溢れており駆け出しの黒人弁護士に机を提供する事務所はない。

 

仕方なく田舎に戻り毎日の細かい仕事をこなしていくがその中に一つ、受けてはならない依頼があった。結果として弁護士は刑務所に放り込まれて10年の刑期をつとめる事になる。

 

これが冤罪であることは明白だったが「悪い時に悪い場所にいた」というだけで告訴されて有罪になる理不尽さ。

 

物語はここからだ。5年後、弁護士は塀の外で起こった判事殺人事件の犯人を当局に告発して35条の適用を受けて釈放になる。

 

判事殺人事件には複雑な要素が絡んでいるようで自宅の金庫から何か盗まれたものがある。それは何か?

 

警察、検察、FBI、刑務所長、それぞれが自分の立場を守りつつ(つまり自分にとばっちりがかからないように)出来るだけたくさんの手柄を取ろうとする心理戦の様子が実に見事に描かれている。

 

刑務所を出た黒人弁護士はそこから彼ら司法機関をそれぞれに鼻面を引き回しつつ騙し合いに次ぐ騙し合い。グリシャムの楽しめる点は筋書きがびっくりするような仕掛だらけでありながら単なるストーリーテラーではなく場面ごとに選ぶ言葉の語彙の多さと使い回しの上手さである。

 

最後の最後まで気が抜けない小説である。ジョン・グリシャム自身も弁護士であり現場の経験をしているから場面のあちこちに細かい仕掛をしている。それを読み取るのもまた楽しい。読み取れず後で引っ掛かったらまた戻って読みなおしである。

 

「司法取引」を読了して楽しい日曜日でした。



tom_eastwind at 11:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年10月22日

「ケモノの城」  誉田哲也

凄惨・・・。新堂冬樹を思わせる残酷な暗さだ。宗教ではない洗脳。人を精神的な檻に閉じ込め恐怖と一筋の灯りのような逃げ道を見せつつ更に暗みに追い込み、何度も繰り返すうちに段々洗脳者の言うことしか聞かなくなる。

 

家族や親戚の説得にも応じず何を話しかけられても「相手の理屈が通ってるか」なんて思う瞬間は必ずぜんぜん違う事を頭に思い浮かべて目の前にいる家族の話でさえ耳をふさいで一切何も聞かない自分を作る。

 

僕はふだん「きく」って漢字は「聴く」を使う。これは耳の徳(マイナス人偏)であり、聴くとは学ぶことである。しかし洗脳や宗教の「きく」は耳を門で閉じる「聞く」である。

 

自分の都合の良い宗教の真実みたいなもんは「聴く」けど都合の悪いもの、宗教を否定するような話は意識的に「聞く」だけで耳に入れない。

 

北九州で起こった監禁殺人事件などまさにそうであり、恐怖という宗教で人を支配して次々と家族や友達を巻き込み監禁して金を奪い金がなくなれば殺してまた次の獲物を探しまくる。探す時は被害者であるべき人々も洗脳しているから協力者となる。

 

この恐ろしさって何だろう?家族でさえ殺すために差し出す。けど誰かが話しかけても無表情に「知りません、分かりません、今は言えません」しか言わない。

 

オーム真理教にハマった人々は随分賢い若者たちだったと言われている。最初はサークルのようなふりをして皆が楽しそうに活発に踊ったり歌ったりして、いつの間にか自分もそのサークルに入って一緒に歌ってる。団結感、仲間意識、生きてるって感じ・・・。何だろう、頭が良くてお人好しだから引っかかったのか?

 

「ケモノの」城、昨日の夕方に何気なしに読み始めて本当なら夜9時過ぎには寝るはずなのにあまりのストーリー展開にびっくりしてしまいベッドの中で夜中過ぎまで読んでしまい今朝は8時起床。

 

やばしやばし、けどこんなに引っ張り込まれる本は久々だ。あ、ただしさすがに誉田哲也である、新堂冬樹の「無限地獄」のようなほんとのどろどろさがないだけに読みやすい。筋書きはどろどろなんだけど「無限地獄」のような読んでて体に粘りつくような恐怖はない。

 

先ほど読了。これも明日から会社文庫入りです。 



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2014年10月19日

「正義を振りかざす君へ」 真保裕一

久しぶりにまともに一冊本を読んだ気がする。2年くらい前はもっと頻繁に本や映画ネタ書いてたけど最近の忙しさはぼくから映画を見る時間と本を読む時間を奪っている。よくないな。

 

この作者も息が長いな、良い作品を次々と出している。「ホワイトアウト「から始まり「アマルフィ」みたいなのもあるし、次々と舞台とテーマを変えてるが筆致が衰えない。

 

「事実を知らされず、ずっと人を恨み続けるのと、真実を知って乗り越えていくのとでは、どちらが尊い生き方かは考えるまでもないと思うんです」主人公の一言。

 

「けど同時にゴミの投げ捨てという小さな正義の問題ですら、大人たちは多くの場で見て見ぬふりを決め込んで仕方ないと自らを慰めている。むなしい現実を嘆いて終わる。」

 

「正義とは、果たされて初めて成立し、人から認められるものだった。掛け声倒れの正義の方が多く、だから大げさに声を上げて語る者を前にすると、警戒心が強くなった。」

 

貴方の正義は貴方の正義、しかし他人にも正義がある。100人いれば100個の正義があるのだ。お互いに正義と信じて他人の正義を否定すれば争いになる。他人の正義はそう簡単に否定できるものではない。

この事実を理解しない限りこの物語の物悲しさはなかなか理解出来ないと思うが、それが現実である。明日から会社の本棚入り。



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2014年08月06日

「迷子の王様」 垣根涼介

自分で選択した道。選んで実行したのは自分なんだから、途中で不安になっても不安を打ち消して自分で選んだ道を歩き続けるのが正解。

 

誰だって不安になる時があるけど、その不安が何かプラス材料になるの?何にもならない不安って虫の為に自分が選択した事を不安にさせられて、何が楽しい?不安ってのは神様があなたの人生試験にひっつけた悪い虫だよ、そんなのにまんまと引っかかって楽しいの?

 

「1年頑張った、それでもまだうまくいってなかったら?」

「それは、その時に改めて考えればいいことよ」

 

不安になるのは分かるがそれが何かのプラスになるのか?一旦決めたら、悩むな!まずは出来るだけの最善を尽くせ!

 

バブル崩壊後も頑張って働き、大学の後輩に「俺の会社に来い!」と言えていたがいつの間にか「今の会社」としか言えなくなってしまった時代になった、そして今、リストラ対象となった40代前半国立大学卒大手メーカーで働く技術者の旦那と奥さんの、ちょっとした会話。

 

夫婦っていいな、一人で生きてるより2倍強くなる。けどそれは自分の喜びは自分のパートナーが幸せになってくれる、喜んでくれることってなった時だけだ。

 

またもややこしい書き方だけど、世の中には二つの夫婦があると思う。

 

一つはお互いが本当に相手を尊敬して、日頃は口喧嘩もするだろうが何よりも同じ価値観を持ち相手の望む事を理解出来て、二人で同じ場面を見て言葉じゃなくて同じ気持になり、何とかお互いが望む事を叶えてやろうと精一杯努力する夫婦。

 

もう一つは相手の価値観に関係なく(てか無視)自分の価値観を変えずに生き、自分が恋に恋していたい、結婚と言うものをしてみたい、子供が欲しい等など破滅要素たっぷりの夫婦だろう。それはそれで本になる。

 

移住を考えるお客様の場合殆ど全部が前者である。人間らしく生きたい、いつも家族で一緒にいたい、せめて夕御飯は家族で食卓を囲んでたい、けどそんな生活は日本の社会構造上無理だ。

 

ならば早いうちに海外に移住しよう、けど今の自分の英語力や社会で生き残る力はまだない、だからまず英語学校に通い実力を付けて専門学校に入り、造園、料理、IT、介護、等などで資格を取り新しい生活を見つけてみよう、そう考える30代の方が急増しているのも事実だ。

 

不安。ほんとにこれは困ったものだ。人間は生きている限り悩むものだがその度に出て来るのが不安である。不安ってのは漢語で読めば「安ではない」ってのかな。

 

この「安」が安全なのか安心なのか、ここ分けて考えてみると面白いと思う。

 

安全ってのは世の中に完璧には存在しないものでありJISとかJASとか言っても完璧ではない。だから絶対の安全を求めることは所詮不可能である。なのに消費者団体とかなんちゃらしょうを作ってすぐに生産者を叩き彼らをいじけさせてやる気を無くさせて挙句に真面目な老人夫婦の首吊りなんて、まさにバカな話を作るのが安全神話である。

 

けど絶対の安心を求めることは出来る。それは自分を信じることだ。自分が今生きている環境で最善の努力をして「よし、これならいける!」と信じてとにかく最善になるように頑張る。

 

もしかして環境が悪くなるかもしれない、けれどそれは自分が乗ってた飛行機が落ちるようなもので、そこまで考えても仕方ない、今やれる最善を尽くせば心は落ち着く。落ちていく飛行機の中でも「よっしゃ」と思えるのが安心だ。

 

突き詰めて言えば安心とは自分の心の問題、持ち方である。安全とは他人に与えられるもので期待する方が馬鹿だ、けど安心とは自分で掴むものだ。

 

この作者、旅行業で働いてた経験があるんですよね。昼間は営業して夜になると本を書きって生活を送りその時の本が賞を取り本格的に作家活動に入ったって事です。

 

旅を仕事にするといろんな世界やいろんな業種の方と知り合えるから楽しい。普通の人は自分の業界しか付き合いがないから良くも悪くもその業界の常識で生きる。けど旅行屋ってのはそういう常識が存在しない。だからもしその気になればいろんな事を学べる機会がある。

 

世の中って安全じゃない。第一安全から何を求めるの?長生き?それより自分が安心でいた方がよっぽど気持ちよくない?

 

垣根涼介、好きな作家の一人です。



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2014年08月04日

トーキョーイーストサイド 垣根涼介

今読んでるのが垣根涼介の「君たちに明日はない」シリーズ第5冊目「迷子の王様」である。

 

感情、知性、教養、読書。本にはそれぞれの重みというのがあるが、例えば司馬遼太郎や周五郎の文庫本の紙質と垣根涼介の紙質の違いはあるのだろうけど、文字そのものの持つ重みが圧倒的に違うのをいつも感じる。

 

例えば山本周五郎の文学が描くどっしりと重い一つの明確な世界観(例えば裏の木戸はあいている)を読むと、彼の作った世界に完璧に入り込んでしまい本を読んでいる自分が今江戸時代に生きて裏の木戸を眺めつつそこに出いりする人の表情まで見えているような気になる。

 

同じく周五郎でも「樅の木は残った」のように重い決断を下さないといけない、そういう立場にいる人をまるで同じ座敷に座って目の前で観ているような重い気持ちになる。だから重い。

 

ところが垣根涼介の言葉は軽い。軽いってのは違うな、分かりやすい、だな。現代の言葉でぼくが普段使う言葉で「ね、そーだろ」って、そのまま語りかけてくる。まるで居酒屋かスナックで同級生と飲みながらのお喋りとか、そんな感じである。

 

まずはトーキョーイーストサイド:

 

今回も大企業のリストラ請負人である真介が主人公で、首切り面接の場面で様々な人生を持った人たちと出会うところから話が始まる。

 

今まで順調だった人生、周囲に褒められて良い学校を卒業して有名な大学の法学部に入学出来て、就職には少し時間がかかったけど結果的に皆に喜ばれて褒められる企業に就職出来て、けどその化粧品会社が有る日突然身売りされて、そして自分はリストラ対象。そこで彼女はふと考えた、一体あたしって、誰の為に生きてきたんだろう。

 

彼女は自分を「まりえ」と呼ぶ。あたしとか私って言わない。だって彼女が生まれた東京の東側の昔からの商店街が並ぶ街ではどこの子供でもそうだったからだ。どこの子供も分け隔てなく大人に可愛がられ、だからこそ時には他人の親に怒られもした。だって同じ価値観だもん、誰に怒られたって同じでしょ。

 

そんな彼女が大学に入って次第に「あれ?まりえって川向うの人と違う?」と気づき始める。同じ東京でも川向うの西側に住んでる人たちは何の自慢気もなくBMWとかミュンヘンとか音楽の話をする。まりえは全くついていけない、まりえが知ってるのは祭りのお囃子や子供の神輿や夏の花火である。知的背景の違いとでも言うのだろうか、何か異質なものを感じて少し引け目を感じて会話に入れないのだ。

 

えー、ぜんぜん違うんだ、川向うとこっち。

 

まりえは自分の首切り担当に偶然なった面接担当者真介に聴く。

「あの、知的背景って分かりますか?」

真介はびっくりしたように考えつつ、答えていく。この場面が丁度良い速度でぼくの頭のなかを流れていく。これもまた、まるで自分がその面接の席に同席している感覚である。

 

彼女にとっては周囲の新しい同級生があまりに知的背景が違いすぎるために自分の生い立ちに疑問を感じたのだが、そんな時に北海道の何もない超ド田舎に生まれ育った真介がすーっと答える。

 

「何故、引け目を感じるのですか?」

 

「世の中、いろんな人間がいるから楽しいんじゃないか、人間が誰も同じような考えや画一的な生き方してたら、そのほうが息苦しいでしょ」

 

まりえは子供の頃からの仲良しのひで坊と地元の居酒屋で久しぶりにいっぱい飲む。そして何となくだけど真介の言葉を思い出しつつ考える。するとひで坊がぐいっと冷えたビールを飲みながら

「もちろんまりえは多くの人に支えてもらって今まで生きてきたよな。皆に感謝しているし、生かされて来たって気持ちだって十分にある。けど、やっぱり最後に、誰が私の生き方の良し悪しとか好き嫌いを決めるかって言ったら、やっぱり自分しかいない、よね。だってまりえの人生なんだから。_」

 

やっぱり、読書って良いですね。多様な考え方を身に付けることが出来ます。

 

人間は多様であるべきだ、そう考える米国ではあえてDiversity(多様性)を作るために国別にグリーンカードの抽選をしている。



tom_eastwind at 17:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年08月01日

「タックスヘイブン」 橘玲

読了。この人、ほんとに現場分かってるなって内容である。シンガポールでの節税って、言葉では分かっても実務が出来る人は殆どいない。

 

いくら法的な面を整理しても実務の部分では「いつ、どこで、何を、誰に」言うかってのが一番大事であり、言ってはいけない事を言ってはいけない人に話をして「こける」人のいかに多いことか。

 

税金の高い国には住まない。または税金の高い国では仕事をしない。それは個人の選択の権利である。日本の場合は移動の自由は保証されているのだから後は国家間を移動できる能力(資金や体力)または権利(ビザ)があるかどうかだけだ。

 

移動できる能力がなければ政府の言われたままに納税するしかない。それを逃れるためには2つの方法がある。

 

一つめは選挙に参加して自分の意見を反映してくれる政治家を選ぶことだ。勝てるかどうかは時の運。2つ目は住民票を抜いて山の中か無人島に住み誰にも会わずに自給自足で生活することだ(笑)。どっちも現実的に難しければ、やはり言われたままに黙って納税するしかない。

 

給与生活者の場合は源泉徴収っていう魔法の納税マシンがあって本人の知らない間に税金取られてるから良いが自営業の場合は腹立たしくて仕方ない「確定申告」が必要となる。

 

銀行は自分の利益のためにしか働かない。美味しい話は必ず裏がある。なのに多くの市民がバブル期に銀行の規模に目がくらまされてアパート建てたりして借金作り、気がついたら財布ごとすってんてんにされている。今のNISAなどその典型的な例である。日本政府が株式市場を活性化させるために個人の金を掃除機で吸い上げてるのがNISAだ。

 

バブル時代、どれだけの一般市民が泣かされたか?地上げ、バブル、賃貸マンション、銀行借入、どれ一つをとっても今でも銀行を恨んでいる人は多いだろう。

 

銀行は政府の現金出し入れ窓口であり「大きすぎて潰せない」代わりに政府が守っている半官半民企業である。今の政府は銀行を使い個人の資金を吸い上げて銀行が国債を購入したり個人に国債を売ったり株式市場ではNISAを推薦して、とにかく個人資産が銀行預金から国債や株式市場に移動するようにあらゆる仕組みを作っている。

 

「マネーロンダリング」では国税局担当者が釜山に調査に行く。税務当局と協力を得ているのだろう。シンガポールでは金融管理局が日本の税務当局に対して徹底的に交戦姿勢。自分の餌を誰がよそに渡すもんか。

 

またも韓国、漁船で現金を持ち出す場面では出入国管理法違反は1年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金。マネーロンダリングは組織犯罪処罰法で5年以下の懲役。

 

そこで出て来る究極の節税は国籍放棄。まず子供に海外の国籍を取得させる。そして海外に5年以上滞在させる。この際も日本の最高裁の「非居住者」の定義をしっかり現実のケースに当てはめて理解しておく必要がある。

 

しかし現実的には日本のほとんどの税理士は非居住者の定義を理解しようとしない、何故ならそれは古巣の税務署に楯突くことになるからだし、在野の税理士が理解してスキームを作れば逮捕される可能性が高いから結局「客を売る」ことになる。

 

しかしこれを海外から見てみればぜんぜん違う景色が見えてくる。

 

日本に住んでる外国人なんていくらでもいる。非課税で資産贈与をした後に日本に戻れば良い。現在の国籍はどこだって元日本人なんだから日本滞在ビザは取れる。そして外国人になりっぱなしが嫌なら日本国籍を再取得すれば良い。

 

小説中に出て来る「金持ちのどら息子をガイジンにするなんてのは現場のノウハウを知っていれば出来る」ってのは、まさにその通りだ。

 

ラッフルズホテル、MTR

「僕は今でも君を信じていいのか?」

「このゲームでは、お前には俺以外に信用出来る人間はいないんだよ」

 

20142月、日米欧など20カ国が課税対象者が海外に保有する銀行口座の情報を自動交換することに合意し、タックスヘイブンは含まれないが、スイスや香港、シンガポールにまで拡張されればオフショアビジネスは大打撃を受けるだろう。

 

「カネは自由に出来るがあんたの名前は絶対に出ない口座だ。口座名は他人だがインターネットバンキングは自由に出来る。本人でなくてもいける」 生々しい話だが困ってる人には有難い話である。

 

2013年から国外財産調書制度が導入されたことにより、預金や株式・債権、不動産など日本国外に時価で5000万円を超える財産がある個人は、所轄の税務署に国外財産調書を提出する必要がある。罰則は一年以下の懲役又は50万円の罰金。

 

「マネーロンダリング」。まさにニュージーランドもマネーロンダリング対策法を去年から導入し(AML)当社も常にこの件では資金の流れを監視しつつ活動しているから、海外の現場にいる人間として非常に読み応えのある一冊だった。

 

ただ最後に一つだけ言っておきたいのは、一知半解でこのようなビジネスには絶対に手を出すなって事だ。オークランドも最近は勘違い連中が増えているが、基礎知識のないままに表面的な事だけ分かったような顔で話をするから分かってない日本人が釣り上がって半年後に夫婦心中ってケースのあまりに多いこと、情けなくなる。

 

それにしても橘玲、香港についでシンガポール、よく現場を観てるなーって一冊でした。



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2014年05月12日

これ、書かなきゃ。 「原発ホワイトアウト」 

最近も本は読んでるけどついつい感想を書き忘れたまま時宣を外すことが多かった。けどこの本は「これ、書かなきゃ」と思い、眠い目をこすりつつ書いている。

日曜日の夜、真夜中過ぎの2時に読了。月曜日の仕事もあるので本当は夜の10時位に寝ようと思ったのだけど途中まで来るともう手を止めるのが嫌になり一気に読み通した。

 

それにしても読み終わって最初に感じたのは「ほっ・・・、ニュージーランド国籍にしておいてよかった」である。

 

日本が法治国家の体を取りつつも何かあれば政府は中国共産党のように警察と検察という暴力装置を使って人が治める人治主義になるのは分かりきっていた事実だが、体制派の中に現在いる人からここまで明確な内部告発をされたのは強烈である。

 

まず日本政府は原発が吹っ飛んだ時点から次の原発再稼働を考えその時期を狙いつつ虎視眈々と水面下で動いていた。爆発ごとき大した事ではないとばかりに一度たりとて政策の見直しはせずにいかに再稼働するかを考えてきた。

 

あれだけの核爆発を起こしながら国民の生命と安全など全く無視して霞ヶ関では「日本というお国」のために東大法学部を卒業した本当のエリートだけで国家運営を考えていた。

 

もちろんそれは僕も以前から理解していた事だけど、今現在進行中の核再稼働がここまで時系列具体的に書きだされているのはすごい。正直、今喧嘩している相手の手の内をそのまま見せられた感じだ。

 

***

「原子力エネルギーから一切背を向けるというのは、火傷や山火事を起こした原始人が火を使わなくなるのに等しい〜中略〜現在の大衆は、原始人よりも粗野で愚かで短絡的だ」

 

「私達と山下次郎(前回参院選で当選した反原発芸人)とでは、学歴もIQもこれまで払ってきた努力もまったく違います。経産省や電力会社がこれまでの日本を引っ張ってきたんですから、それに見合った待遇を受けることは当然ですよね・・・」

 

「東大法学部と経済学部との偏差値の差も、経産省のキャリア官僚と電力会社役員との社会的立場の差も、電力会社のカネの力を笠に着て、自分と同列に自らを論じるコジマに、日村はおぞましいさを感じた」

 

「国家公務員上級職は戦前では官吏と呼ばれ、天皇陛下に任命されたはずの職業なのだ。こういう高貴で完璧なキャリアを有する自分たちが、大衆の嫉妬で公務員バッシングされながらも、それでも大衆の幸せな日々の生活のために仕事をしている。そういう自分だからこそ、それに見合った待遇を受けるべきなのだ」

 

「優れた政治家というのは、頭が切れる必要はない。よく官僚に説明をさせて、それを正しく理解し、しばらくの間記憶が保持できる、それだけでいい。日本国の総理大臣とは、その程度のものなのである」

 

「原発の電気は発電時には安いと称しているが、実は白紙小切手の振り出しのようなもので、後の放射性廃棄物の処分でいくらかかるか分からない、というような不都合な真実を、総理独自の情報源で入手し、官僚の説明と付きあわせて自分の頭で勉強するようなことはしなかった」

 

等など、非常に現実的で分かりやすく政府中枢の言葉で書かれている。東大法学部卒以外はすべて顔のない国民なのである。

 

ぼくらはすべて東大法学部卒に支配された被支配層であり国家が決めた政策の日々の実務作業を実行するために休みも満足に取れない労働者なのである。

 

更に可処分所得がなくなる低給与層のサラリーマンは「働いても働いても何も残らない」奴隷層に陥ってしまうのである。

 

しかしそれは最初から支配層の「想定内」である。江戸時代から何も変わらない、「百姓は生かさず殺さず」政策なのである。

 

これは原発推進派でも反対派でも良い、もし日本の原子力問題やエネルギー問題に少しでも興味があれば是非とも購入して欲しい一冊である。

 

ちょうど時期良く週末に「美味しんぼ」で士郎が鼻血出す描写で日本中あちこちで原発反対派、東電、経産省、福島市民がバトルロワイヤル状態である。

 

ここに入り込んで周囲をぼこぼこにして回る懐古左翼も多い。団塊世代で退職して十分な退職金と年金を死ぬまで受け取れる世代の人々は毎日ヒマしているからこーいう炎上が大好きでだ。

 

70年代安保で共産党に洗脳されて帝国主義反対と言って活動したけど経営能力なくて(元菅首相みたいなものだ、理屈は言うが実務が出来ない)潰された元若者がとにかく何でも反対したいのだ。

 

だから今回もまず福島の鼻血と出れば「福島の風評被害であるー!」と叫び次に「原発ハンターイ!」と叫び、自分の声に酔いしれる。

 

バトルロワイアルに参加している人々は、議論の中に傾聴すべき理論があっても感情で反論して数の理論で潰してしまい、次の段階では人格攻撃に移りもし相手がちょっとでも自分に反論したら自分の全人格をかけて相手を否定して必要ならネットからリアルに引っ張りだして晒してしまう。

 

こうなるともう魔女裁判でありまともな議論が成立しようがない。日本人の一番苦手な「理論的に考える、自分の頭で考える」事が出来ないからこういう議論にもならない言い合いになる。隣国のフェリー沈没事故で韓国は自国を「三流国家・・・」と反省した。こと原発に関しては日本人も全く同様である。

 

そう言えば日本の国会でも昔は国会内での強行採決など殴り合い引っ張りあいだった。今は少しまともになったと言え英連邦の議会運営と比較すると情けないばかりである。これが民度というものだろう。



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2013年06月23日

「朝鮮民族を読み解く」 古田博司

この記事は*こう読む

 

【北京時事】中朝戦略対話出席のため訪中した北朝鮮の金桂冠第1外務次官は21日、北京で王毅外相、楊潔※(※=タケカンムリに褫のつくり)国務委員と相次いで会談した。

*習近平に呼び出された北朝鮮の外務次官は中国外相に続いて国務委員にも小突きまわされた*

 

中国外務省によると、王外相と金次官は現在の朝鮮半島情勢や、核問題に関する6カ国協議再開について、突っ込んだ意見交換を行い「対話が有益かつ建設的」との認識で一致した。

*中国外務省によると、王外相は金ちゃんに「北朝鮮はもっと経済安定せんかい!いつまでも独裁ばかりだと経済支援せんぞ!」とか「核開発続けるならオレを敵に回すぞ!早いとこ六カ国協議に戻ってまともな話をせんかい!」と突っ込んで怒鳴りつけた。

 

 また、楊国務委員は、中朝戦略対話が「積極的な成果を得た」とした上で「現在の朝鮮半島情勢に、緊張緩和に向けた勢いが出てきた」と評価。ただ「依然として複雑な情勢だ」とも指摘し「情勢が好転し続けるよう押し進め、早期の6カ国協議再開を勝ち取ることを望む」と訴えた。

*国務委員は「北朝鮮がやっと言うことを聞くようになった」と積極的な成果を得た上で「核開発をやらせないって話を聞く耳を持つようになった」と評価。ただ「依然として金正恩の複雑な気持ちが理解出来ない情勢だ」とも指摘し「金正恩にうまくメッセージが伝わるように推し進め、早いとこ核開発をやめさせる事を望む」とテレビを通じて金正恩にメッセージを送った。

 

 これに対し、金次官は「朝鮮半島情勢(の緊張)を緩和し、対話を通じた問題解決を堅持するよう望んでおり、6カ国協議を含め各種形式の対話に参加したい」と前向きな姿勢を示した。

*これに対し金ちゃんは「はいはいわかりました、けどオレだけじゃ決められないよ、外国との交渉をしたいけど金正恩が何て言うかまだわからんよー」と自分に権限がないことを表明した。

 

 王外相は中朝戦略対話終了直後の19日夜、ケリー米国務長官と電話会談し、双方は「朝鮮半島情勢での前向きな変化」(中国外務省)について協議した。王外相は21日の会談で金次官に対し、ケリー長官との電話会談の内容を伝えたとみられる。(2013/06/21-23:46

*王外相はふるぼっこの後すぐにケリー米国務長官に電話して「うちの習近平がオタクのオバマに会った時に言われた事はちゃんと実行しましたぜ、北朝鮮は今度こそ話を聞きそうですぜ、どうですか、このあたりで北朝鮮と交渉始めてくれませんか?」と伝えた。

 

オバマと習近平がノーネクタイで膝詰めで行った話し合いは相当に深いものだと思う。世界三極体制を中国が望むなら手を取って一緒にやっていこう、そうすれば来る中国のバブル崩壊でも援助するがもし中国が軍部中心で北朝鮮とバカやる積りなら米国も黙っちゃいないぞ、そのようなメッセージを明確に習近平に伝えたのだろう。その結果として中国は北朝鮮の幹部を北京に呼びつけて「ばっきゃろー!」とやったのだと推測される。

 

さて本文。

 

歴史的に北朝鮮は800年近く中国の庇護を受けている。高麗朝鮮時代以降李氏朝鮮まで続く時代、朝鮮は完全に中国をコピーした小中華であり明朝文化を儒教文化として位置づけ朱子学を国家の中心に置いて仏教を完全否定して僧侶を下位のナラと位置づけて徹底的に排除した。

 

話は逸れるがある意味その当時の仏教と韓国の寺を守ったのは日本と言える。仏教を否定した韓国の仏像を日本が守ってたら突然韓国の泥棒が日本にやって来て「おい、この仏像はおれのもんだ、返せ、返さないと仏像!」なんてのは笑い話だ。勝手に持って帰れ、お前らナラがなにしようが知ったこっちゃないって話だが、その代わりに李承晩が掻っ払った竹島は返せよなって話である。

 

韓国における朱子学を基礎とした儒教文化は中国から持ち込まれたものであるがそれを中国追従と認めたくない現代韓国(朝鮮)としては何かにつけて中国反発して「漢字は朝鮮で発明された」とか「孔子は朝鮮人である」とか言って毎回中国にバカにされている。

 

1995年に発刊されて2012年には第四刷された「朝鮮民族を読み解く*キタとミナミに共通するもの」は若い頃に韓国留学の経験をして東アジア政治思想専攻を主とする古田博司教授による著書である。

 

自分の若いころの留学経験を基礎として「なぜ彼ら朝鮮民族はこのように考えるのか?」を自分なりに主体的に研究しつつ客観的視座を外さずに、朝鮮の良い点も悪い点も捉えて彼なりの考えを述べている。

 

嫌韓という軽々しい言葉があるがぼくには決して納得出来ない一部日本人の主張である。要するに一時的な感情で他人を自分の倭小な思考枠の中で相手を型をはめて後付の理屈でどうこう言うバカの集まりだ。

 

この本を読んでいると朝鮮(韓国および北朝鮮を合わせた地域)に住む人々もそのような「一時的感情」でのみ行動し理屈を後付する人がいるようで、要するに嫌韓というのは自分の出自の血液をそのまま残している人々の行動なのだなとよく分かる。要するにバカの子孫がバカをやっている、てな事だろう。


どこの国にもバカがいるわけで、馬鹿同士の喧嘩であれば勝手にやっておけって話だが、それが一般民に影響するのであれば問題である。
 

北朝鮮と米国の話し合いというのは話し合いとして成立するのだろうか?間に中国が入り北朝鮮の頭をぽかっと殴って初めて会話が成立するのだろうな、そう思った中朝会議であった。

 

少なくとも一般常識を備えた日本人と思うなら近くて遠い国「朝鮮」という隣国の人々の思考回路を「読み解く」だけの常識を持っていた方が良いと思う。

 

何故ならどれだけ感情的に嫌韓になっても憎しみ以外に何も得られることはないし朝鮮半島がアフリカのソマリアあたりに移動することもないわけで、ある意味兄弟げんかでしかないのだ。

 

日本の先祖は間違いなく朝鮮半島から来ており天皇陛下の出自においても朝鮮半島から渡ってきたわけであり九州で発生したわけでないのは古事記など歴史書を読めば歴然としている。

 

ぼくらが今考えることは祖先を同じくする隣国のウリの思考回路を理解して良い時も悪い時も兄弟げんかをせずに手を組んで東洋文明と本質的に違う存在である西洋文明と対峙することだと思う。



tom_eastwind at 16:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年05月16日

「民王」  池井戸潤

価格転嫁の話を書いたら日本の価格競争の厳しさと付加価値があるところだけが値上げ出来るってコメントを頂いた。そうだなー、自分の土俵で戦えてるか?と思った。

 

さて、橋本氏のツイッターを読みつつ、それに対して自分の意見を述べる日本維新の会所属衆院議員がいた。彼女は杉田水脈と書いて「すぎたみお」と読む女性がいる。水脈を「みお」と読ませるあたり面白いが、彼女がもし「じげ(地下)」さんと結婚したら地下水脈になる。

 

それでいけば武藤代議士が自分の男の子の名前を現代風に目標を持つって意味で「ひょう(標)」としたら、さすが政治家、無投票となる。

 

日本のように姓と名を組み合わせて本来とは違う意味の一つの熟語や単語になるってのは面白いものだ。

 

こんな事をふと思いついたのは、池井戸潤の「民王」を読んだ時だ。武藤首相の息子が翔(しょう)だった事から「一文字違えば超ウケルな・・・」と思ったからだ。

 

民王は総理大臣とその息子を中心に官房長官や優秀な秘書、ライバル政治家、公安警察が織りなす人間ドラマである。

 

政治に理想を持ち政治家の道を選んだものの、いつの間にか現実の政治に流されて来た首相武藤泰山と、そんなオヤジの背中を見て政治家にだけはなりたくねーなと考える息子の翔。

 

物語はミステリーをベースにして各所に笑える場面を配置して最後は政治や社会のあるべき姿、つまり理想を持とうよって結びになっている。

 

笑える場面では首相答弁の場でこんなのがある。

首相「我が国はいま、アメリカ発の金融、えーと、金融キキンによる」

息子「お、おい今なんて言った。金融キキン?造語か?」

秘書「なわけないじゃないですか、金融危機です、危機!」

首相「ミゾユーの危機にジカメンしており、景気は著しくその、テイマイしておるところでございます」

息子「ミ、ミゾユー?どんな原稿書いてるんだ、貝原(秘書)?」

秘書「未曾有ですよ、未曾有!ジカメンじゃなく直面だし、テイマイじゃなくて低迷・・・」

首相「〜一部の業界においては大型倒産がハンパツし、受注減によるハヤリ労働者切りの問題が〜」

息子「ハンパツ?ハヤリ労働者?」

秘書「頻発、派遣労働者です」

 

最後には

首相「ワカオキしておりまして、こうした事態をカイサケするため」

秘書「惹起に、回避です」」

息子「た、助けてくれ、オレはもう死にそうだ」と断末魔の叫びをあげそうであった。

 

しかしある就職試験の場面では面接を受けた息子が就職希望先のアグリカルチャー(農業流通)社員に対して

「売れないから、安いからと言って、金儲けのために(農薬だらけの)外国産に走れば、日本の食文化は将来的にとんでもないことになる。本物の味を日本人に伝えることなんじゃないですか?」

 

その通り。原理原則である。企業とは本来社会に役立つ事をするべきでその結果として利益が出るようなビジネスモデルでなければいけない。

 

この話など昭和後期の日本農協が自分の利益だけを考えて農家に農薬を買わせて農薬漬けの野菜を作らせてそれを日本人の食卓に出したものだから形が良くても味の不味い、苦い野菜が出回ったのだ。自分たちだけ金儲けをやった結果として農協は現在崩壊の際にある。

 

おかげで僕も当時は完全に野菜嫌いになった、ニュージーランドに来てやっと少しづつ野菜が食えるようになったものだ(苦笑・・野菜嫌いの言い訳か?)

 

最後は総理大臣が自分の理想を政治で実現しようとして政局を迎えて与党長老に諌められる。

「お前は総理である前に、民政党の総裁なんだぞ、泰山」

「それは違います。民政党の総裁である前に、私は日本の首相です。己の利益の前に、国民の利益を論ずるべきだと考えます」

「随分堅い事を言うじゃないか、それで政局を運営出来るか?」

「正しいことをして運営出来ない政局など、そもそも間違っています」

 

今の時代、もちろん理想だけで話が進むわけではない。けれど、理想なしに現実論ばかり語って自分の利益だけ考えて運営すれば結局理想のない金だけの為に生きる社会になり、それは最終的に社会そのものを滅ぼす。

 

だからぼくらはどれだけ苦しくても理想を忘れてはいけない。金だけに走っては、絶対にダメなのである。大義と理想の為に活動しながらも行動の中に利益の出るシステムを組み込む、それが本当の経営である。

 

天国のスプーンという話がある。これは元ネタが仏教なのか他の宗教なのか出所が不明であるが、ぼくが知っているのはキリスト教の話。

 

地獄では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理と取ろうとしている。ところがスプーンが自分の手より長すぎて、料理をとっても自分の口に入れることが出来ず誰もが料理を目の前にして空腹を抱えている。

 

その頃天国では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理をスプーンで取り、それを向かいの人の口に差し出して食べてもらってる。もちろんその人も他の人が口の前に差し出してくれた料理を食べている。そうして誰もが満腹で満足している。

 

自分だけが生き残ろうとする社会では結局社会が崩壊してしまう。この事は本当に誰もが理解する必要がある。今の日本のビジネスを見ていると、本当に自分だけが生き残れば良いと思ってる風潮がある。

 

ある時、あるビジネスマンが「私は他利を考えていましてー」と話した。ぼくはその時本当にびっくりした。そんなの当然じゃん、社会なんてのは人が一緒になって生活をしており、他人が死ねばこっちも生き残る危険が高まるわけで、最終的に自分以外のすべての人間が死に絶えたら社会は崩壊して人は原資生活に戻るしかなくなり、そうすると虎や狼などの野獣と戦っても勝てない。

 

そう考えれば他利なんてごく当然の話なのに、それがわかってないから平気で「私は多利をー」とまるで特別なことのように言う。それだけ日本社会がおかしくなっている証拠だ。

 

民王。政治家と官僚と民間人と、三者三様の人間ドラマとヒューマンユーモア溢れる作品でした。

 

 



tom_eastwind at 14:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年05月09日

「さっきのメールは着いたかと、確認メール送るバカ」 ”殺気!”雫井脩介

昨日観た夢は寝てるのか起きてるのかわからない状態で薄っすらと3本立てで観たのだが、そのうちの一本は筋書きのない単発の一発芸みたいな夢だった。

週刊プレイボーイという良い子が見ない雑誌があって、そこのPlayBoyという文字が急に縦に並んでその横にいきなりこんな感じで英単語が並んだ。

Precious

Lovely

Able

Young

BOY

これでプレイボーイ。日本語も自動翻訳で出てきて「貴重で可愛くって出来る若いやつ」ってなった。なんじゃこの夢とか思いつつも結構鮮明だったので、朝の3時過ぎなんだけどすかさずメモってまた寝た。

 

こういうのって何なんだろう?本当によく分からん。いわゆるレム睡眠とノンレム睡眠とは違って寝てるのと起きてるのの合間にしょっちゅう起こるので面白くもあるが、とっても不思議だ。他の2本の夢もかなり現実的な形で筋書きがあって、起きた後もずっと思い出す。

 

丁度読了した雫井脩介の「殺気!」もそんな、変な感覚が主役に来ている。20歳の大学生ましろは、ある時自分に特殊な能力があるのに気づく。それは周囲に誰か殺気を発していると少しくらい遠くても感じ取ることが出来る能力だ。

 

「犯人に告ぐ」で一躍大人気作家になった雫井脩介だが、この作品はミステリーでありながらむしろ東京郊外の多摩が丘という田舎で育った小学校からの同級生達の物語でもある。

 

20歳の学生、高卒で地元の建設会社で働く同級生、アルバイト仲間、近くのモールで開かれるファッションショー、自然公園での探検ごっこ、おとなになって母親の経営するスナックではたらく娘、様々な20歳の人生が繰り広げられて、ミステリーというよりも青春小説とでも呼んだほうが良いような作品である。

 

スマッシュヒット、かな。大当たりではないけど確実に読者をほっとさせてくれるし最後の最後まで読みやすい軽妙な語り口と大人たちの現実と、社会の入口に立ってさあこれからどうしようかと悩んでいる20歳の子どもたちの物語だ。

 

20歳の成人式で再会する同級生、近くの居酒屋で開いた同窓会、18歳で社会に出て仕事をしてる仲間は「やっぱ俺たち負け組かなー、高校の頃は粋がってたけどさ、その点お前はいいよ、国立大学に受かってさ」とつぶやく。その仲間に「いや、オレだって勝ち組に入らないよ、行ってる大学だって本当に目指してたとこじゃないしさ・・・けっこう忸怩たるものがあるよ」と答える生徒会長をしていた仲間・・・。2次会は町田に出ようとかいいじゃんこのあたりでカラオケ行こうよとか。

 

ある時ましろは知り合いの先輩からファッションショーの素人モデルにならないかと声をかけられた。地元に新しくオープンするモールでのショーだ。優勝すれば賞金とハワイ旅行が貰える。父親を去年病気で失くして普通の学生なら冬休みは旅行に行ったりするのだがましろは近くのちっちゃなお店でアルバイト生活。

 

そんな時に賞金付きのモデルだったら出てみたい。友達の女の子に電話すると彼女は

「ぷはは!ましろがファッションモデル?!どうしたの、インフルエンザで熱出してんの!?」

「平熱だよ!」

こんな楽しい日常会話。しかしだんだん迫り来る過去の事実が一気にミステリーに引きこむ。

 

まるで甘いアイスクリームと香りの強いシングルモルトウイスキー、それもアイラ産の強い奴を繰り返し食べたり飲んだりするような「行ったり来たりする」ちょっと不思議な感覚。

 

「さっきのメールは着いたかと、確認メール送るバカ」そんな感じの軽いノリでありながら次の瞬間には「不意に背中を圧迫する殺気が鋭角に変化し、運動エネルギーとして自分に向かってくるのが分かった。背中の肩甲骨付近が焼けるように熱くなった。その瞬間ましろの身体が動いた。」とスピード感のあるアクション。

 

難しい本はどうも、けど何か読みたいなって時には丁度お勧めの内容だ。

今日の写真はぼくの座っている席から西に見えるスカイタワーと抜けるような透明さの青空です。
シティでもこれだけの青空です。
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tom_eastwind at 14:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年04月28日

池井戸潤、買い。

池井戸潤の面白さ

 

「俺達バブル入社組」と「鉄の骨」を続けて読む。ぼくは速読派ではないが、その気になると500ページ程度の文庫本は一晩で読める。途中で仕事もしながらなので2冊を3晩で読了。こりゃいいぞ,初期の、まだあまり売れてない頃の堂場瞬一の鳴沢了シリーズに巡りあったような感覚だ。

 

池井戸潤という作家が出ていたのは知っていたが企業小説なのかミステリーなのかな、などと思いつつまあそのうちと思ってた。

 

今回たまたまタイトルに興味がありちらっとレビューを見てみるとわりかし良い。

 

バブル時代を学生として過ごし「アッシー君」や「貢ぐ君」と呼ばれて、一生懸命アルバイトしながらBMW3シリーズを買って彼女の大学まで迎えに行き、クリスマスイブは高級フレンチレストランの食事の最中に高級ホテルの鍵をテーブルの上に置いて彼女に差し出すとか、そんな時代を生きてきた若者たち。

 

彼らが社会に出て「よっしゃ!これで一生安泰!」と思ってたら、あっという間に日経は4万円を目の前に撃ち落とされバブルは崩壊してそこから先は作者の描くとおりまるでセーフティバーのないジェットコースターのような運命に翻弄されつつ、ジェットコースターが一回スピンする度に何人もの同期が振り落とされてしまい、仲間を救うことも出来ずに何とか自分だけは振り落とされないようにしがみつくだけが精一杯の人生。

 

「生まれた時が悪いのか、それともオレが悪いのか?」これは決してバブル後の歌ではなく、実は昭和初期の歌である。1930年代当時も「大学は出たけれど」という映画が出来るくらい不況が酷くて、大学さえ出れば確実に仕事を見つけることが出来た時代はあっという間に過ぎてしまい、先輩の背中を見ながら大学を卒業したけれど仕事はなくて毎日職探しに走る学生の姿が時代を象徴していた。

 

昭和後半の不況時代に歌われた泉谷しげるの「春のからっ風」という歌がある。“春だというのに北風に煽られ、街の声にせきたてられ”から始まり“なんでもやります、贅沢は言いません、頭を下げ詫びを入れ、すがる気持ちで仕事をもらい、今度こそまじめにやるんだ”という悲しい歌詞が続く。

 

それでも泉谷の時代はまだ良かった、世の中は確実に成長していった。

 

ところが池井戸潤の時代はバブルの中で大学を過ごし社会に出てみれば急速に世の中が縮小していく中で終身雇用制は崩壊し今日より明日のほうが仕事が厳しくなり今年より来年の方が賃金が下がりボーナス6ヶ月と言われてそれを前提に住宅ローンを組んでマンションを購入した世代はとんでもない借金を一生背負う事になり、会社に残るためには“頭を下げ詫びを入れ、すがる気持ちで仕事をもらう”しかなくなったのだ。

 

そんな状況なのに、そんな時代なのになぜ池井戸潤が売れるのか?それは彼が「どんな苦しい時でも仲間はいるものだ、一緒に戦おうよ」と主張しているからだ。どんなにひどい環境でも信じられる仲間がいれば一緒に戦える、こんな時代だからこそ同期を出しぬいて自分だけ出世しようとするんじゃなくて同期が皆で手を組んで苦しい人生に立ち向かおうよ、そう訴えているような気がする。

 

「俺達バブル入社組」はポストバブル世代にとって元気の出る本である。勿論個人個人に戦闘能力を要求されるが、それでも個人的戦闘能力さえあればまだ戦える。

 

団塊世代であるバブル世代は個人個人に能力がなくても時代という波に乗ったまま世の中を絨毯爆撃して自分たちだけはしっかりボーナス年間6ヶ月もらい定年で退職金をがっぽりもらい企業年金をもらいその後はゆうゆうって事で、その後片付けをしているのがポストバブル組であるという池井戸潤の怒りも分かる。

 

実際に企業の現場で働いているバブル後世代の、今の40代なかばのビジネスマンも、言葉は悪いが貧乏くじを引いたと言えるだろう。けど更にその後の世代、今の30代なんてのはもっと大変だ。バブルさえ知らずに育って、夜中まで勉強してやっと社会に出れば常に右肩下がりの時代である。お先真っ暗の世代でもある。

 

けどさ、それを言い出したらきりがないぜ、第二次世界大戦に巻き込まれた日本の若者に比べれば命があるだけ幸せではないか、少なくともその気になって個人的戦闘能力さえ身につければ今の時代だって何とか生き残れる。やる気さえあれば運命の神様も微笑んでくれるさ、なんてか、そんな言葉が聞こえてくるようだ。

 

その次に読んだ「鉄の骨」はまさにバブルを知らない世代の若者が都内の中堅建設会社で社会の現実と立ち向かいつつ成長する物語である。「やばいぜ会社、やばいぜ彼女」そんな軽いノリの始まりから物語は一気にシリアスな社会の現実という、まるでジェットコースターのように激しく先の読めないコースに突っ込んで、最後の停止まで一気に進んでいく。

 

池井戸潤、気に入った。まとめ買いだ。



tom_eastwind at 12:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年04月14日

「日教組」森口朗 〜書評〜

最近まとめて買った本の中にここ数年で発行された「日教組」「創価学会」「日本共産党」などがある。それぞれ歴史的背景や社会的背景を丁寧に書き込み客観的な事実とデータを基にしているので大変勉強になった。

 

森口朗氏のこの本は日本教職員組合に関する歴史的、文化的な背景説明とその後の社会党系と共産党系の確執、1970年代の労働組合運動における日教組の位置づけ、その後の日教組の活動の変化や地域ごとの労働運動のバラツキ、現在における日教組の存在価値、今後の動きなどを、非常にわかりやすくまとめて説明している現在本。

 

決して日教組憎しで書いているわけではないので先入観念なしに読めば勉強になります。自分で日教組について考えることも出来るお勧めの一冊です。

 

現在本って意味は今の時期に通じる旬の本って意味だ。この本は民主党政権時代に書かれておりその後の自民党の新しい日教組対策が出てくると内容に齟齬が出てくる可能性がある。つまり本書内で取り上げた内容が自民党時代の日教組対策ではあまり意味がなくなったりするからだ。なので興味がある人は旬のうち、今年のうちに読むべきだろう。

 

日教組は一般社会から批判の強い組織であり嫌われ度は一般社会人がその組織とどれだけ直接の繋がりがあるかによる。

 

例えば子どもを持つ親からすれば日教組が直接嫌いになるだろうが、それも各県ごとに日教組の組織度は随分差があるのですべての市町村で総スカンというわけではない。

 

文中では日教組と言えどもピンきりで本当に共産主義を信じて(というか学生の頃からそればかり信じて主張してきてジジイになった今更自己否定をするほど勇気もないから言い続けてたら定年になってこれでますます言いたい放題になった)隠れ共産党として行動する狂信的コア連中とそれに振り回されて今更やめられない弱虫がいると説明している。

 

どっちも酷いが例えば闇専従で革新的に共産党やってる連中に払ってる税金は公金横領で金銭犯罪だが弱虫として寄生して時々集会や組合活動をして子どもにまともな事を教えないのも教師としては最低であり、彼らに払っている給料の方が合計金額としてケタ違いに大きい。

 

なにせ日教組は親の見てない授業時間に共産党の歌「インターナショナル」を歌わせたり彼らの主張する「正しい歴史認識(中国とソビエトが自分たちのやった事を棚に上げて日本がすべて悪かったとするいいがかり)」を子どもたちに教えていたりする。

 

共産党にとっては世界は一つでありその中心にいるのはソビエトでありそれ以外の国は存在そのものが間違っている、だから日本の「国歌」なんて存在自体が悪であるものの歌を歌うなんて、シラフで両親の前でエッチな替え歌を歌うようなもので、有り得ないのだ。

 

それは国旗も同様であり国旗とは世界に一つだけしかなくソビエトの国旗以外はすべて間違い、だから日本の国旗なんて振り落として当然、なのである。

 

皆さん、入学式や卒業式で国歌を歌ったり国旗掲揚をしてました?これは年代や県別で随分と違ってます。先生がストライキに行き授業放棄された経験はありますか?これも年代と県別で全然違います。

 

日教組が出来た当時は校長先生も教頭先生も日教組に加入していたとか歴史的事実も沢山出てくる。日教組が今までやってきた事、今やっている事、これからやりそうな事を客観的に描いているのだが、今まで日教組を嫌いだけどその存在がどうやって創りだされたか、から始まって何故学校の先生が生徒を放り出してストライキをしてきたのかがどうしても理解出来ない人、是非お読み下さい。



tom_eastwind at 12:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年04月01日

衆と解

「衆」と「解」

 

堂本光一、じゃなかった堂場瞬一の最近の作品。イースターのお休みを利用して一気読みするために前回の日本出張の際にamazonから東京のホテルに送ってもらいそのまま自宅に「積ん読」しておいた2冊だ。

 

お正月とかクリスマスとかは体が慣れているがイースターホリデイは今も慣れない。クリスチャンではないってだけでなく何だか忙しい仕事の合間に突然急ブレーキをかけられて谷間に落ち込んだようなお休みなので休みって感じがしない。

 

なのでどっかに旅行に行こうかなんて気持ちも全然ないし、第一結婚するまでは個人で旅行するなんて殆どなかったし、旅行に行くときは金をもらう時、つまり旅行屋として本来の仕事をしている時ってイメージだから休みの時くらい自宅でゆっくりしていたいと思ってた。

 

旅が好きで旅行屋になった人間は大体役に立たないと昔から言われている。添乗員として顧客と一緒にグランドキャニオンを観て顧客と一緒に「おお、素晴らしい!」なんて言ってたら商売にならない。

 

バスから降りたらすかさずお客の写真を何枚か撮ってすぐにトイレの場所や帰路の時間確認、ホテルでの夕食の内容確認など「お客を喜ばすため」に旅をしているわけでありそれで金をもらっているのに客と一緒に喜んでいては話にならない。

 

昔の添乗員と言えばニューヨークに行くのに変圧器付き炊飯器を持って行き、お客の為にホテルの朝食会場で米の飯と味噌汁を準備した強者もいる。そういった連中は日本に戻ったら自宅でのびっとするか近くの海にいってごろっとなる程度が一番楽しいのだ。

 

結婚してからは子どもも生まれたし旅行屋ではない奥さんをもらったのでお正月とクリスマスは自分のお金で家族旅行をするようになったが未だ持って職業として色んな観光地を見てしまう。

 

元々土日などの休みにもあまり興味がなく終末の土日のお休みってのは出張中の飛行機の中みたいなもので周囲に気を使わずにリラックス出来る場所と時間だと考えており、会社に行かずに機内または自宅で本を読んだり映画を観たりして色んな知識を身に付ける時間と認識している。

 

そのため、イースターホリデイはひたすら読書と映画に朝から晩まで浸る。映画は「七人の侍」や「プロメテウス」、カーク・ダグラスの古い映画を含め8本くらい。本は堂場の2冊を含めて5冊くらい読んだ。中には宗教学者による創価学会の歴史的生い立ち(批判書ではない)とか世界の宗教訪問とかの入門書や日教組の生い立ちを書いた本とかドキュメンタリーノンフィクションとでも言うか、興味深い内容で自分の既存の知識の更新や追加に役立った。

 

ベッドルームで時々本を読み疲れたら居間に上がって子どもたちの顔を見ながらテレビ観たりしてて昨日の夕食は海南鶏飯だった。結局昨日日曜日は一歩も外に出なかったな。食い物は金曜日(グッドフライデー・Good Friday)にニューマーケットの日本食料品屋に買い出しに行ったので食い物に不自由はしない。

 

そういえば家族の4日分の食料品買い出しに行った時合計で150ドルくらい買い物したんだけど、するとレジのお姉さんがぼくの好きな銘柄クレアおばさんのクリームシチューの素を「賞味期限が切れてるんですけど、よかったらどうぞ」と無料で頂いた。全く日本の賞味期限の短さには呆れる、お店がかわいそうなくらいだ。

 

食料品は重さがあるので船でコンテナに積んで送るのだが食料品の賞味期限が3ヶ月とかだとコンテナが到着して棚に並べる頃にはすでに出荷してから半分以上の期間を無駄に過ごしている。インスタントラーメンの出前一丁など全く同じ品質なのに日本製は賞味期限6ヶ月、香港製は1年である。

 

だから賞味期限前に売り切るしかないし期限が切れたら廃棄処分するしかないから廃棄コストを含んで高めの値段設定になる。中国の食料品店で99セントで売られている出前一丁が日本のお店では4ドル以上なんだから必然的に消費者は誰も中国のお店で買う。自分で作ったルールに過剰に縛られて世界の市場で負けている商品が日本発の即席麺だろう。

 

クリームシチューにしたって、普通に考えればあと3ヶ月くらいはぜんぜん問題なく売れるのに日本で刻印された賞味期限に縛られて、遠い日本からわざわざ船積みしてやってきて僕のショッピング袋にタダで入れてくれるわけだから壮大な無駄である。

 

賞味期限は本当に矛盾している。例えばコンビニの弁当。賞味期限を1時間でもオーバーしたら「何て無責任な店だ!客に賞味期限切れの食い物売りやがって!」と正義の怒りの対象となる。

 

ところが自宅で3日前くらいに作った料理が残ってたら防腐剤を使っているわけでもないのに「きちんと全部食べなさい」と正義の食材道徳が出てくる。

 

一体どっちが正解なのだ?自分の利益に関係ない時は他人には厳格な対応を要求し自分の利益にもろ影響が出る自宅の冷蔵庫の食料は「残さず食べなさい」と違う対応をする、本音とタテマエの話なのかな。

 

その中間、もう少し賞味期限を見なおしてこまめに対応すれば廃棄処分も随分減って社会のためになるのではないか。またコンビニ弁当はまとめて回収してホームレスに無料で配達するとかさ。オークランドでは教会のボランティアがホームレスに炊き出しを行なっている。そんな時の食材はスーパーの出口にある寄付用のかごから来る。

 

またスーパーでも廃棄食材はサルベーションアーミーや教会経由で貧しい人にまわるようにしている。

 

けどこれやりだすと政府の管理業務が増える。おまけに賞味期限を考えることで国民は自分で考えてきちんと管理しようって自己責任という気持ちが生まれてくるから、そんなもんが生まれて国民が自立されたら困る政府としてはますます賞味期限を強化する、その結果として海外の日本食材は高価になり一般調味料などは中国や韓国製に負けてしまい、いつまで経っても日本食材は海外で普及しないって事になる。

 

ちなみに僕は醤油、マヨネーズ、塩など毎日使う調味料は日本製を買うようにしている。それは少々高くてもスーパーで有機放し飼い卵を買うのと同じだ。卵の場合は普通のブロイラーが一個50セントくらいなのに有機だと一個1ドル以上するから二倍違う。それでもオークランドのニューワールドやカウントダウンなどのスーパーでは有機商品の棚が次々と増えている。

 

本の話からすっかりそれたが「衆」は今現在60歳代の全共闘時代を生きてきた人々には少し関心があるかもしれない。あの時代の若者のずるさを描いているような感じだ。

 

大学闘争なんてしょせんは無責任にゲバ棒振り回せたからやっただけでいざ卒業となると長い髪を切って自分たちがあれほど唾棄した帝国主義の象徴である大企業や日本政府官僚という体制側の支持者となった。

 

解は現在45歳から50くらいの、バブル世代の一番最後から日本の変化を見続けて来た人には関心があるかもしれない。バブル、そして崩壊、夢を追い求めながら激しく変わる現実に、何とか波に乗って成功する若者もいれば何時まで経ってもなかなか次に行けない元若者もいる。

 

これらの時代の世代ではない人や彼らの時代に興味のない人には読んでて楽しくない本だろう。ぼくは解の時代をずっと海外で過ごしてたので頭のなかであの頃の日本の歴史を整理するって意味で読んだ。解の主人公の一人は作者自身の事だろうと思う。正直、単行本で買うには高すぎた、かな。

 

あ、それから吉田繁治氏の本、ぼくも最初に書評を読む前にタイトルだけ見たら引いたのだが、ある書評で評価されていたので買ってみたら確かに有益で実務的な本だった。自分に合った本は自分の趣味や考え方に近い人の書評を読むのが一番だ。

 

その昔街の本屋と言えば忙しいぼくらの代わりに良書を取り入れてくれたものだ。それが一時期は大量に本を置くだけで「売りたい本」ばかり平積みされて「読みたい本」がなくなった。日頃忙しい僕らにとって本屋とは僕らの代わりに本を選んでくれる場所だった。

 

その後は読者大賞とか店員のお勧めとかが出てきて良くなったが最近はまた店員のお勧めが「売るため」の押し付けになっているように感じるのも、ぼくが益々本屋から足を遠ざける理由の一つだ。本屋はどこも街から消え去り既存の媒体を通じて本を読み買う人々が減ったのは統計的事実である。

 

さあイースター最終日、エネルギーも知識も補充した。明日からの仕事に向けて準備開始だ。



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2012年11月24日

「悪の教典」貴志祐介

水曜日の夜、帰りの飛行機の機内で上巻を読み終わり、木曜日の昼過ぎに奥さんと空港で会って奥さんの車を運転して自宅に戻る。オークランドに戻ってきて最初の儀式が車を運転すること。これで気分はかなりオークランドに帰ってきたようになる。

 

べつに自分で運転しなくても良いのだが、出張先で車を運転することはなくすべてが電車とかタクシーとか新幹線とか飛行機とか、他人に乗せられての移動なので、気分的に自分が自分の人生のハンドルを握っているって気持ちになるのだろう。

 

そんな自分分析をしても仕方ないのだが、自宅に帰るなり10日分の荷物を所定位置に戻して夏だというのにお風呂に入り半身浴で悪の教典下巻を読み始める。

 

止まらない。全然止まらない。ふだんなら夜の9時にはベッドに入ってるはずなのだが、この本、ぜんぜん寝かせてくれない。結局12時頃になって奥さんに「明日は仕事でしょ、早く寝なさい」とせかされてベッドに入る。

 

翌朝の金曜日、出社する時のビジネスバッグにパソコンなどを詰め込みながら思わず悪の教典の下巻をバッグの端っこに押しこむ。どうせ読む時間なんてあるはず無いのに、もしかして読む機会があればとバッグに押しこむその気持は、朝のバス停でもしかして隣の高校に通うあの娘に会えるかなと薄淡い期待(笑)。

 

それほどにこの本は、即死状態に追い込む可能性ありの作品だ。結局金曜日は薄淡い期待は成就せずに土曜日の昼に再会できたのだが、今度は下巻の残りページが少なくなるのに辛くなり、大好きな彼女と神社の裏の石段に座り込んでおしゃべりをするデートの終わりの時間を少しでも先延ばしにしようと思わず今回日本で買ってきたブルーレイ「戦国自衛隊」を観ようかな、時間稼ぎ。

 

けど結局「戦国自衛隊」は「悪の教典」の代役ではなく本を読み進む手は止まらず最後まで一気に読了する。

 

読後感が自分でも恐い。読み終わってもう逢えないって感じがしない。また読みたい。次の作品を読みたい。この男、次になにをやるのか、それが知りたい。

 

この小説を買う機会になったのは、三池祟司が監督となって映画化された広告を何気なしに見たからだ。最初はフーンと思った。けど三池監督であれば相当良い仕上がりになっているだろう、だったら原作は先に読んでおこう、でもって映画と原作を比べてみようと思っただけだった。

 

一般論として原作を乗り越える映画を作るのは難しい。だからまずは原作を読んでおくと映画の出来がより良く分かる。そう思ってamazonで買って東京のホテルに送ってもらったのだが、その前に読む本が数冊溜まってたのでそれらを読了して帰路の飛行機でやっと読み始めたのだが、うーん、これほどエンターテイメント性が高く内容の濃い作品を上品な筆でここまで書ける日本人が出てきたってことが本当にうれしい。

 

次は映画だな。年末に日本に行く時に見られることが出来なければamazonDVDを買うことは決定。久しぶりに素晴らしい読後感を与えてくれた本だ。

 

ただしここまで褒めておいて悪いが、普通の常識を持ってたり殺人事件が嫌いな女性は読まないほうが良い。苦しい人生に立ち向かうためには下らん日本の常識はかえって足かせになるということを理解出来ない人、平和を守るために武器を持つって意味が理解出来ない社民党大好きさんには向かない本だ。



tom_eastwind at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月31日

「こころの免疫学」 藤田紘一郎

不健康という言葉がある。ぼくが子供の頃に日本では「ほうれんそうは鉄分がたっぷり入ってるから食べなさい」とか、おとなになってすぐの頃はコレステロールのとりすぎは死にやすくなるから卵は良くないとか結構本気で言ってた健康オタクがいた。

 

何時の時代も同じであるが、彼らは正式には健康オタクではなく洗脳免疫低下症候群、つまり本に書いてる事は常に正しく12時になるからお昼ごはんを食べる、米国の言ってることは何でも正しい、とにかく自分の頭脳で思考することが出来ず本や権威にしがみつき彼らに同調することで自分の存在価値を見出すという自己価値評価の出来ない洗脳に弱い人間の集団であった。

 

ところが後になって調べてみるとほうれん草の鉄分なんて戦後すぐから比較すると数十分の一に低下しておりその代わり人間の体にとってどうしても良くないだろうって農薬まみれになっていた事実。

 

卵を食べずにコレステロールを減らした〜と喜んでたらコレステロール低下で免疫低下してガンの発症率が劇的に増加したとか笑い話にもならない事実。

 

ぼくは小学校の頃から野菜が大嫌いであった。それは単純に“不味い”からだ。人間の舌は本来よく出来た食料感知器であり、腐ったモノを口に入れると不味いと感じて吐き出す能力があった。鼻も同じで匂いで有益か無益かを判断できた。

 

昭和30年代の日本は経済成長に忙しくお昼ごはんを作る時間もない、そんな時に出てきた加工食品がチキンラーメンだった。あれは美味かったな〜、農薬まみれになった栄養価のない野菜を食べるくらいなら白ご飯とラーメンで十分だった。

 

この本で最初に取り上げるテーマが人間の腸である。腸内細菌は実は人間の第二の脳である。脳が司令塔のように考えられているが動物の進化の過程を見れば原始生物は脳や脊髄がなくても腸だけは存在したわけで、身体が発達するに連れ脳が第一の司令塔になったが、脳を動かしているのはあいも変わらず第二の司令塔である腸だ。

 

そして腸の中にある細菌は例えばビフィズス菌のような善玉があり、体外から摂取された栄養素を分解しながらそれぞれの用途に使う。その一つがドーパミン造成作用である。笑ったり人を幸せにする気分を作るドーパミンは脳そのものからは作り出せない。脳にドーパミンの元となる物質を送り込んで初めて人は笑ったり喜んだり出来る。

 

そしてそのような物質は体外から食事という形で取り入れるしかなく、食事が正しい形で取り込まれなければ人は正しい感情を維持することは出来ず、これが人間に免疫低下を招き各種精神疾患になる。

 

1960年代になって日本人にうつ病と花粉症などのアレルギーが発症するようになった。これはまさに日本人の食生活の変化と同時期に起こった。食事の西洋化と伝統的和食の減少が人間の免疫を低下させた。

 

作者は学者としての実体験やデータから様々な接近方法を用いて食事療法の効用を説明している。もちろん世の中食事だけがすべてではない。人は他にも様々な要素で病気になる。しかし人生70年を生きていこうと思って認知症になることを気にするなら、少なくとも食事療法で防げるものがあるならそれはそれで実行する価値がある。

 

ここからはぼくの個人的な感想だが、医療は基本的に統計の世界であり統計では説明出来ない例外が常に存在することは事実である。ぼくのように子供の頃からほとんど野菜を口にせずほぼ毎日インスタントラーメンを食べて若い頃は朝ごはんはコーヒーのみって生活を送っても生きてるような例外がいるのも事実である。

 

なのですべての人間を例外なく枠に押し込めるような食料原理主義者には賛成出来ない。それでもこの本は押し付けるわけでなく「こんな考え方もあるよ、こんな事実もあるよ」とわかり易く説明してくれるのが好感度たかしである。

 

日本では未だ持って牛肉の霜降り信仰があるがあの霜降りは飽和脂肪酸であり常温では溶けない。つまり熱して体内に摂取された状態では溶けているがすぐに体内温度=常温に戻って塊になりこれが血管にそのまま付着して脳梗塞の原因となる。

 

マグロの大トロの霜降りは不飽和脂肪酸で海中のような冷たい場所でも固まらないから人間が食べても体温で固まることはなく血中でサラサラと流れてくれる。西洋では青魚などに含まれる脂肪酸をオメガ3とかオメガ6で区別したりしているが、この脂肪酸の供給(血液による供給)が安定していないと脳の作用に影響をおよぼす。

 

つまり何のことはない、西洋式の肉の脂身をがっつく生活では血液どろどろになり血管に詰まりが出ていずれ脳梗塞になるよと言っており実際にNZでも死亡率のトップに脳梗塞がある。

 

食用油の話がある。油は元々生鮮食品、魚と同じ生物なのだがそれが何故家庭の厨房で長期保管出来るかといえばそれは酸化を防ぐために熱処理をされてその結果として不飽和脂肪酸がなくなりトランス脂肪酸に変化して体内の免疫障害を起こしている。この油を大量に使って提供されるのがファストフードである。ジュースなどの飲み物にも25%くらいの砂糖が混ざっているが、普通の水に25%の砂糖を入れると甘すぎて飲めないという子供でもそこに添加物を加えると甘みがなくなり美味しいと感じて「また食べたい」というようになる。その結果は糖尿病と子供の頃からの異様な肥満に繋がる。

 

コーラとフレンチフライを手にした子供を見て泣きながらひっぱたく親もヒステリックであるが飲ませすぎる親も基地外である。

 

それにしても日本の食料品業界、タバコ訴訟と同じでいつの日か事実が表面化されたら消費者による集団訴訟、絶対ありでしょうね。

 

いずれにしても宗教としての食い物や肉体ではなく科学として肉体を分析して冷静に怖がりながら文明をバランスよく享受する姿勢が必要な人には必読の一冊です。

こころの免疫学 (新潮選書)
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tom_eastwind at 14:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月29日

「楽園の夢破れて」 関貴星

初版は1962年発行。在日朝鮮人団体である朝鮮総連の幹部であった作者が平壌に視察団の一員として渡り北朝鮮帰国事業の実態を見る。

 

今まで自分が取り組んできた帰国事業が実は金日成による日本からの労働力の大量移住であり着るものも食べるものさえもない山奥の鉱山や農場で強制労働させられ、逆らうものや知識層はスパイ容疑で銃殺されている現実を目の当たりにして悩んだ末に一般に公表する事を決めた。

 

その日から総連と作者の間で様々な葛藤があり遂には作者は自分の子供とも縁を切って北朝鮮の真実を人々に伝えようとこの本の発行に至る。

 

今の時代からは信じられないだろうが1950年代に北朝鮮は「地上の楽園」と呼ばれていた。食べるものに不自由はなく生活と仕事は政府が保障して社会主義が大成功した国家であると喧伝され、多くの日本人左翼が北朝鮮を礼賛していた。

 

日本で差別されて仕事もない人々は朝鮮総連の宣伝を信じて「地上の楽園=北朝鮮」へと渡っていった。大きな荷物は持っていく必要はない、身の回り品だけ持っていけばあとは現地で北朝鮮政府が用意してくれる、そう聞いた人々は荷物を日本に残したまま新潟から帰国船に乗って渡った。

 

残された荷物は朝鮮総連が没収してしまい船が港に着いた時に現実に気づいても時すでに遅し、屠殺場に引っ張っていかれる羊のように引き立てられてそれぞれの居住地へ追い込まれた。

 

北朝鮮は当時は金日成に支配された独裁国家でありその支配下で多くの帰国者が死亡した。その息子の代の1990年代にも多くの餓死者を出した。結局朝鮮戦争が終了して以来北朝鮮の一般市民生活が向上することは一度もなかった。

 

本書は旅行記の形を取って読みやすく描かれているが作者の知性と見識があちらこちらにそれとなく書き込まれており告発本としても読み応えがある。当時の朝鮮総連の様子や帰国者が日本の親類に向けた送った手紙の記録も興味深い。

 

作者が朝鮮総連の幹部に「何故帰国事業の事実を伝えないのだ?!伝えた上でいちから国家建設に参加しようと言えばいいではないか」と訴えると幹部は「そんな事言ったら誰も帰国しなくなるではないか」と答えた。

 

総連幹部でさえも北朝鮮の実態は知っていたが金日成から指示のあった「在日朝鮮人を労働者として北朝鮮に送り返す事業」の成功にのみ注力し自分の総連内での出世のみを考えていた事がよく分かる。

 

そして当時作者と一緒に北朝鮮に渡った視察団参加者も実態を見て帰国事業がどのようなものか分かった上でそれでも北朝鮮を「楽園」と称していた。文中にある視察団参加者の名簿を見てもらえば分かるが、社会党、左翼評論家、労働組合である。

 

結局はこれが現在まで続く「サヨク」の実態である。北朝鮮や中国から金をもらい日本人の魂を奪いとり日本人を奴隷化させて子供たちに偏向教育を押し付けて自分だけは労働貴族として特権階級にしがみつく。

 

北朝鮮には今でも日本から渡った日本人妻が残っている。日本国籍でありながら日本に帰国することが許されていない人々がいる。さらに拉致被害者も残っている。このような実態を見れば、政府は北朝鮮であれ韓国であれ日本であれ、権力者の言うことを真に受けてはいけない、政府は国民を守ってくれない、自分の身は自分で守るしか無いという事がよく分かる。

 



tom_eastwind at 20:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月23日

「富裕層の新納税術 海外タックスプランニング」 古橋隆之

日本で生活する人の中には旅券さえ持ったことがないという人もいるわけで、今までは相続対策は日本国内で相続に詳しい税理士にお願いするのが一般的だった。

 

しかし相続税の増税から始まった財務省の税務大改革に対応するには日本国内で行える節税に限度がある。そこで最近出てきたのが海外を利用した相続対策である。

 

もちろん「節税なんてダメだ!税務署に言われる通りに全額納税するのだ!」と思ってる「愛政府」の方はどんどん納税すれば良いと思う。ただ、今の日本の税法が国際税法の大原則である「一つの収入に対して一回しか課税しない」というルールを破っているのは事実だ。

 

例えば中小企業の社長が自社株を持っていたとする。会社が利益を出せば法人税を支払う。法人税は実効税率で約40%としよう。会社が納税した後に個人が受取る配当に対して課税される。これが約50%(所得税40%住民税10%)。

 

つまり企業が100万円の利益を出した場合40万円を法人税として支払い個人が60万円を受け取りそこから30万円を納税すると、手元に残るのは30万円である。このお金に対して相続税が現行最高税率50%だから最終的に残るのは15万円。一つの収入に対して3回課税しているのだから大した確信犯である。

 

一生懸命働いて赤字の時は自分が補填して運営した会社も、利益が出ればその殆どを税金として持っていかれる。じゃあ金を払った相手、つまり政府はそのカネを何に使っているかというと自分たちの給料や天下り先に配分して、要するに役人になれば一生保証されて退職後も天下りという全くリスクのない奴らのためにこっちがリスクを取って稼いだ金を渡しているわけだ。

 

もっと大変なのは東京でサラリーマンをやってて土地を購入して自宅を建ててあまり現金を持っていない家庭である。例えば頑張って働いて昭和の中期に東京の土地が安い時に購入してローンの支払も終わり現在の価値が数億円になってる場合。

 

こうなると納税の為に自宅を売却しなくちゃいけなくなる。様々な免除手段があるにせよ現金が手元にない場合はどうしようもない、物納となる。しかしそれでは残されたお母さんはどこに住むのか?同居していた子供たちは?そんな「個人的な問題」は政府は考えてくれない。

 

そこで日本国内では相続専門の税理士がそれぞれのケースを考えて対策を作ってくれるのだがそれでも最初に書いたように国内での節税には限度がある。

 

かと言って海外相続って、親子が5年海外に住むって話でしょ、それは現実的に無理ですよってなるが、実は海外相続は海外に居住地を移さなくても可能である。

 

要するに日本での「課税の根拠」をなくしてしまえば良いのだ。その為に海外を利用するだけで、実際に海外で生活をする必要はない。「相続が発生するから税金が発生する」。相続が発生しない限り相続税は発生しない。本書ではその方法も含めて様々なケースを検証している。

 

例えば簡単な例で言えばリバースモゲージという東京スター銀行とかが出している商品がある。これは自宅を担保に銀行から現金を借りて本人が死亡した時点で銀行が資産売却をして清算、終了となる。この時点で本人の財産はなくなっているので相続すべき資産はなくなっている。

 

借りたお金の使用使途は一応決められているが一旦資金を入手してきちんとローン利息返済さえしていればあとは銀行担当者との話し合い次第だ。この本では「財産の所在地を変える」と表現しているが、要するに住宅という財産を自分が居住したまま現金化してその現金で海外で不動産を購入する。

 

この際にポイントなのは海外の法律でその国に相続税や不動産売買にかかる税金がどうなっているかだ。本書でも各国ごとに相続税があるかないかも含めて説明している。

 

例えばニュージーランドは相続税がない。そして不動産売買に税金がかからない。1億円で不動産を買って10年後に1億5千万円になっていれば5千万円は非課税の利益となる。

 

海外で不動産を購入したとしてもそれは相続の際には海外資産として財産目録に繰り入れられるではないかと思うだろう。ここで出てくるのがニュージーランドの家族信託会社である。

 

現在の日本の税法では日本国籍を持たない人に海外資産を贈与した場合は無税である。なので購入した不動産をニュージーランドの弁護士に贈与する。その後弁護士に家族信託を設立してもらいその後は家族信託を弁護士に管理してもらう。

 

これで東京の自分の持ち家に住みながら海外に資産を移し本人が亡くなった時でも資産がないから財産目録への繰入が不要となり財産がないので相続税が発生しないという事になる。

 

自宅に住みながら住居を現金化して財産の所在地を変えることはリバースモゲージ以外にもリースバックという方法がある。ほかにも様々な方法がある。この本には一般的な海外を利用したプランニングという事で米国やオランダ、シンガポールの利用方法を書いている。

 

但しこれは日本の国内法と海外の税法、両国が締結している租税協定の内容、条文と実際に運用されてる状況などを把握した上で個別具体的なスキームを作る必要がある。これは相当に難しい。普通に日本で税理士をやってる人に聞いても分からない。

 

何故なら日本の税法が全く予測もしなかった方法でスキームを作るわけで、誰に聞いても「間違いないない解決策」という答はない。

 

けれどこの点では裁判所は税法に関してはきちんと対応してくれており、本書内でも武富士、ユニマット、一条工務店のケースを個別具体的にスキームと裁判の流れ、そしていかに税務署が「課税出来ないか」の説明をしている。

 

相続税は今までは富裕層のみの話であり日本全体でも相続税を支払っているのは全体の4%程度だった。けど東京都内で言えば6%以上、更に五区であれば10%近くに増える。相続の控除額も減額されており、普通のサラリーマンでも都内に自宅を持っている場合は今から対策をうっておく必要がある。

 

縁起でもないっていうのは分かるが、何もしなくて結果的に困るのは残された奥さんや子供たちであり、相続が「争族」となるケースは後を絶たない。人生の対処方法として、出来るうちにやれることをやる、これもひとつのリスクマネージメントだ。



tom_eastwind at 15:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月19日

「日本古代史と朝鮮」 金達寿

この本は元々1970年代に発行された作者の本を再編集して1985年に発刊されたものである。作者は1919年朝鮮系周南道で生まれ1930年に渡日。東京都品川区源氏前小学校に編入学し日本大学芸術家を卒業した作家である。

 

彼の名前は元日本共産党赤旗記者であり北朝鮮の実態を描いた萩原遼の作品から知ることになった。まさに恐るべきAmazonだが、こんなマイナーな本でも数日で入手することが出来た。それも日本で発行された日本語の本でありながらオークランドの我が家まで、注文してから配送まで一週間かからず。便利な世の中になりました。

 

しかし世の中が便利になったからと言って歴史が変わることはない。史実に対する解釈は変化することはあれ、史実そのものは変わらない。

 

作者の追求する点は帰化人という言葉である。日本がまだ国家として中央集権体制が出来上がってなかった時代に自発的に朝鮮半島や中国からやってきた人々が帰化人であるのか?という点を問題にしている。

 

日本という国が出来上がった後に来れば帰化人も分かるが、日本の国造りをした人々を帰化人と呼ぶのなら現在の関西地区のほとんどの人は帰化人となるだろう。

 

つまり戦前から戦後にかけて日本に渡ってきた半島人を差別したのは実は過去に同じ半島からやってきた人々という理屈になる。仲間同士の食い合いではないか。ではいつまでに来れば「立派な日本人」でありいつ以降なら差別されるべき「朝鮮人」となるのか?早い者勝ちか?

 

彼は戦前の国定教科書を学んだために三韓征伐や天照大御神を授業で受けたのだが、理屈的にどうも納得出来ない。それは自分が韓国の出自だからではなく時間軸や常識から言っても「有り得ない」からだ。

 

そこで彼なりに日本中の古文書を調査しながら帰化人を調査してみた。するとどうも日本の古代史を読み解く限り中央集権国家の出来上がる以前から日本にやってきた人々が自国のやり方を持ち込んで日本という国造りをしたのではないかと思える。

 

具体的には78世紀当時の北九州豊前国の戸籍台帳に「住民の85%は渡来人である」とか吉備郡誌には「大和の如きは事実上漢人の国」などの表記があり、つまり大和朝廷は事実上は大陸や半島からやってきた人々が作った国であると言うことだ。

 

では豊前国の住民の残り15%は?これはおそらく土着の縄文人であろう。稲と一緒にやってきた大陸人や半島人が土着民である縄文人を破りながらが自分たちの領域を広げていったと考えていけば辻褄があう。

 

北米大陸に置き換えて見れば分かりやすいかもしれない。部族同士が独立して生活をしていたインディアン(縄文人)の土地に、ある日大陸から馬に乗ってやってきた(イギリス移民)弥生人が戦争を仕掛けてきた。その結果北米大陸はイギリス移民の領土となりイギリス移民は自分たちをアメリカ人と呼ぶようになった。

 

日本と中国を表現する時に「一衣帯水の国」という言い方がある。日本人が持つ道徳や倫理観も中国から学んだものも多い。今の日本人が見ている「尖閣諸島問題で暴れるヤンキー」中国人と2千年前の中国人を同等に語るから話がずれるわけである。

 

例えば唐や隋の時代に科挙試験に取り組み四書五経を通読した学生と、三国志も水滸伝も読んだことがない、文化大革命時に子供時代を過ごしてるからまともに漢字も書けない、その後も反日教育しか受けてない洗脳中国人を同等に扱うことに無理がある。

 

それはぼくらも同様であり、同じ日本で生まれたのに何故ここまで教育程度も理解力も低いかと嘆きを通り越して呆れるようなネット・ウヨクもいるわけだ。

 

どうせなら日本のネット・ウヨクと中国の洗脳中国人を尖閣諸島に上陸させて死ぬまで一本勝負でもやらせながら、まともに会話の出来る日本人と中国人が東京や北京でお茶を飲みつつお互いの将来を考えながら「これ、どうするべ?」と冷静に議論をしてみればどうだろうか。

 

つまり尖閣諸島問題を議論する時には日本対中国と国籍と左右で区別して考えるのではなく知識や見識という上下で区別するって事だ。中国にも問題を理解出来る人はたくさんいるし日本も同様だ。国籍なんて中国4千年の歴史から見たらつい最近の話であり大した意味はない。

 

小平は香港返還問題を一国二制度という考え方で「50年間そのままに」しておくことで当面の解決を図った。日本という国が韓国や中国の流れを汲んで出来上がった国であることを考えればお互いに同じ価値観を持っているわけで(ネトウヨや洗脳人は別にして)あり、知識と愛国精神と、出来れば愛国から更に昇華して愛亜細亜を考えることが出来る人々がこの問題解決にあたってくれればと思う。

 

帰化人にせよ渡来人にせよ縄文人にせよ、ぼくら北東アジアは長い歴史の中で交差しながら生きてきた。僕らが争って喜ぶのは欧米でしかない。僕らがやるべきは無意味なアジテーションではなく冷静な会話である。

 

話はそれるが、その意味で今回の韓国大統領の失敗は大きい。日本の天皇に謝罪って、あんたそれ、一国のリーダーが言っていいわけないよね。それだけは絶対にやっちゃいけない話だよ。他の事なら普通に議論が出来ても天皇だけはダメだ。

 

昨日も書いたが、戦争は外交の延長であり損得の計算が出来る。しかし日本人にとって天皇だけは損得を通り越した立場にいるわけで、そこを侮辱するような真似は冗談や外交では済まないのだ。

 

ぼくは右翼ほどには天皇制を支持していないが昭和天皇から続く天皇家の個人的な努力や活動は一国の象徴として実によく頑張ってると思う。彼らのような立派な人間を「謝れ!」では、ぼくも個人的に「喧嘩上等!」と言いたくなる。

 

いま韓国の大統領が日本人に襲われたとしてもぼくは不思議ではないしそれが原因で局地戦争が起こっても当然だろうと思う。

 

だからそういう事のないように外交で十分な議論を冷静に行なって領土問題を片付けていくべきであり、一国のリーダーが自分から火薬に火を付けるような事をすればどうしようもない。

 

韓国の大統領は竹島送りで日本から送り込まれたネトウヨと互いに包丁持って膝つき合わせてゆっくりと議論でもしてもらおう。

 



tom_eastwind at 17:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月18日

「日米開戦の真実」 佐藤優

元外務省でロシア情報分析を担当していた著者は国策捜査を受けて一時期鈴木宗男と共に収監されていた。彼が大川周明の「米英東亜侵略史」を基に欧米外交とその延長である戦争について分析をしている。

 

クラウゼヴィッツの戦争論を読めば戦争は自国の利益を外交によって守る、又は勝ち取る為の手段であり外交の延長線に戦争があると理解出来る。

 

だから国益の最大利益幅が戦争における自国の想定最大被害を下回るようでは戦争はしないにこした事はない。核武装がこれにあたり、こちらが核爆弾を撃ち込むぞと相手を脅しても相手が核爆弾を持ってたら撃った瞬間にお互いが滅びるわけで、だから核を持つ国家同士では正面切っての戦争は起こらない。

 

やっても損やらなくても損であれば被害の少ない方を選択するのが外交である。「損」には直接的な経済的損失と長期的に見て国家が「なめられてしまう」間接的な損失、そして国民の国家に対する自信喪失と言ったことも含まれる。

 

日米開戦については、どちらかと言うと軍部には「やってもやらなくても米国に負ける」から「やってみようじゃないか、神風が吹くかもしれないし、やらなければ国威失墜である」くらいの感覚があったのだろうと思ってる。

 

日本は良い意味でお人よしだし悪い意味で諜報を利用して相手を騙すという事が苦手である。これは当時の日本人が道徳として学んだ中国の四書五経によるものだと考えて良い。

 

しかし本気で諜報を重要視していれば米国の戦争遂行力を比較して日本が戦えば焦土となるのは分かりきった事でそれが米国のオレンジ計画(対日本戦争遂行策:1920年代に立案)にも「全面降伏するまで本土に爆弾を落とし続ける」と書いているわけで、「恐れ多くも天皇が〜」と言っても竹槍でB29が墜ちないのも分かりきった事で、だから戦争は何としてでも避けるべきであった。

 

ところが当時の軍部もまともな思考回路を持っている人間は次々と媚を売って出世するれんちゅうから足を引っ張られて結果的にたけやり精神の人間ばかりが残り、外交の原則を無視して戦争に突入した。

 

佐藤優氏は戦争に突入した方が正解だったかもしれないと書いているが、どうかな、その場にいなくて後知恵で言いたくはないが、ぼくはどれだけ相手に突っ込まれても戦争には突入せずに引いただろう。

 

玉砕は格好良いと思えるほど脳みそが単細胞に出来てないし、ここで我慢すれば必ず次の機会があるって考える方なので、もしぼくが東條の立場であれば中国戦線(もともと泥沼になっていて勝ち目のない戦だった)から撤退して満州の権益を米国と分け合う政策を取ったのではないかと思う。

 

戦争は一時の問題であるが日本という国家は永遠に続く。国家を永続させるためには名誉なき撤退でも仕方ない、文句を言うならなぜもっと早い時期に東南アジア共栄圏を構築しなかったのか、そこが反省点である。

 

それにしても地政学という考え方は大事だ。何故日本が開国後に続けて国際戦争に巻き込まれたか。それは西に中国という大国、北にロシア、海を渡った東に米国と囲まれて日本の地理的位置が守るための盾、攻めるための矛となるからだ。

 

かと言って今更日本という土地をニュージーランドのような敵国のない位置に動かすことも出来合い限り、周辺国家とできる限りうまくやっていくしかない。でなければ外交を間違えてまたも日本は焦土化する。

 

自分の子供に「ねえお父さん、昔、アメリカと日本は戦争したの?どうして?」って聞かれて、子供でも分かる歴史を教えるためには日頃から自分が意識して歴史を考える必要がある。戦前から戦後の日本の思考回路がどうであったか、客観的に分析する為の一冊である。

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
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tom_eastwind at 15:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月06日

君たちに明日はない4・勝ち逃げの女王

おなじみ垣根涼介の「君たちに明日はない」シリーズの第4巻。真介が随分大人っぽく脳みそを使って考え始めているのが興味ある。原発事故以降の作品であるが原発の事は書いてない。なのに何となく「会社にしがみつくだけでいいのか?」とか「自分にとってやりたい事は何か?」「人生って一度っきりでしょ」とか。

 

本来はリストラ、つまり依頼先企業の社員の首切り面接担当官として仕事をしているわけだが、今回はどれも何だか「吹っ切れた感じ」の面接が続く。首切り面接担当官と話をすることで自分がやりたかった事を再度発見する話とか後味がすごくすっきりしてて良い。

 

音楽会社の首切りを担当した時の話だ。

★抜粋開始

迷うのはいい。自信がないのも仕方がないのも許せる。だがコイツ・・・まだわかっていない。そしてこの言い方では何の答えにはなっていない。バンド活動をやめたにもかかわらず音楽活動に携わるこの会社に勤めている。

 

だからこそこの局面で揺れている。ブレている。自分を捨てきれていない。いや、捨てなくてもいい。だが、捨てないなら捨てないで、ある部分をわりきる勇気というものを持ってもいない。つまるところ、自分にとって本当に大切なことは、他人からは与えられない。自分自身が気づくしかないのだ。

 

実力と才能は違う。音楽はテクニックじゃない。次々と見せつけられる実力の差やセンスの差に、それでも挫けずにその行為をやり続ける情熱こそが、絶え間なく技術を支え、センスを磨き、実力を蓄えてくれる。それらの裏付けがあるからこそ、さらに情熱を持ってやり続けられる、それが、才能なんだ。

★抜粋終了

 

このあたり、今の移住希望者にも通じるものがある。迷うのは良い、自信がないのも当然、けれどいつまでも答えを出せずに前進出来ないのはどうなのか?かと言って踏み出す気持ちがなければ、それは捨てる勇気がないのだから割り切ってそのまま日本で生活をすべきだろう。

 

一番ダメなのは「見かけだけ、口だけ、新橋のガード下だけ」で、本当はやろうと思っていないことをいかにもやろうと見せかける人々であろう。

 

夢はあったのにいつの間にか日常生活に慣らされてその生活に浸っているうちに抜けられなくなって、けどそんな自分を認めたくないから飲みに行った居酒屋では後輩相手に「おれさー、昔はこんな夢があってこんな事やっててさー」と毎回同じ事を繰り返す。後輩も予定調和で「そうですよね〜」と相槌を打つ。決して「じゃあ何で今からでもやらいんすか、夢に向けて」とは聞かない。居酒屋の愚痴は結局お互いに傷を舐めあう場所であり夢を語る場所ではないのだから、そこでガチで質問したら「KY」になってしまう。

 

話は変わるが米国籍をあえて離脱する記事があった。

 

★抜粋開始

米財務省はこのほど、米国籍放棄者の最新四半期リストを公表、投資ファンドのカーライル・グループの買収専門家やイスラエルの最高裁判事など合計189人が名を連ねた。

189人は最近では非常に少ない人数で、専門家によれば米国の所得税率が低い間に(現行の低税率は2012末に失効する)国籍を放棄しようと思っていた人はすでに実行しているからではないかと分析している。

一方で、国籍離脱からリスト公表までにはおよそ6カ月間かかるので、今年終盤に離脱者リストは増加するとの見方もある。今年の最初のリストでは、交流サイト(SNS)最大手フェイスブックの共同創業者であるエドアルド・サベリン氏が国籍を放棄したことが明らかになっている

 今回リストに載ったのは、カーライル・グループの取締役で香港在住の買収専門家のグレゴリー・ゼラック氏や、金融大手JPモルガン・チェース(香港)のプライベートエクイティー・ファンドの責任者のマイロン・ズー氏など。

 80人超が中国系とみられ、所得税のため国籍を一つにしたのではないかとみられている。香港の最高所得税率は15%で、キャピタルゲインや配当、相続は課税されない。さらに米国と違い、外国での所得は本国に持ち込まない限り課税対象にならない。

 米国では、他の多くの国と違い、国外での所得も合算して課税される。一方で、中国はインドやロシアと同様に二重国籍は認めていない。イスラエルのダフィニー・バラウ・エフド氏は、同国の最高裁判事に任命されたため米国籍を離脱した。同氏は、イスラエル人の両親の下で米国に生まれ、米国籍を付与されたが、イスラエルでは判事になった場合二重国籍は認められないためやむなく米国籍を放棄した。

★抜粋終了

 

米国籍からの離脱、その理由は人それぞれのようだが共通する点は「自分のライフスタイルに合わせた国を選ぶ」というところだ。

 

中国系であれば高税率の米国籍を持つよりも香港籍のみにしてしまった方が税金がずっと安い。仕事といっても彼らのレベルになれば世界中どこでも作業が出来るし米国籍でなくても米国への短期の出入りに問題はない。

 

イスラエルのように二重国籍が認められない場合は自分の好きな国の国籍を取得する。日本人は何かと米国が素晴らしい国家だと思っているが、実際に米国で成功してみると生活しにくいと感じる人もいる。

 

ニュージーランドにも米国からの移民が毎年500人くらいやってくる。あんな豊かな国から何故?と思うだろうが、ロサンゼルスから自家用ジェット機でやってきて永住権申請をする彼らはニュージーランドにあって米国にないものを求めている。

 

それは「治安・安全」である。どれだけ仕事で成功してお金持ちになってもある日ニューヨーク5番街でテロに巻き込まれたら終わりである。また自分が直接巻き込まれなくても、テロが起きてからさあ逃げようとしてもその時にはニュージーランドの永住権のルールは変更されてビザが取得できなくなるかもしれない。だから最近やってくる米国人は予想される危機に対応して事前の措置を行なっているのだ。

 

米系中国人の場合は税金対策で米国籍を捨てるというのも分かりやすい話だ。ユダヤ人は何冊のパスポートといくつの名前を持っているのだろうか、個人的には興味のあるところだ(笑)。

 

彼ら全員に共通しているのは、状況判断の正確さと決定の速さだ。これは人間として生まれてきて誰でも持っている能力である。それを磨いて強化するかどうかは自己責任だ。そして米国籍を捨てるような人々は相当な決断と実行能力を持っている。これがあるかないかで、自分が自分の人生の主人公になれるかどうかが決まる。

 

今朝は朝食を何にするか?何時の電車で会社に行くか?出勤前にコーヒーを買うか?気に入らない上司をぶん殴って会社を辞めてロックンローラーになるか?海外に移住してみるか?国籍離脱してみるか?

 

大きい小さいの問題はあるにせよ、基本は情報収集と決定能力だ。少なくとも新橋のガード下で愚痴るだけで情報収集も決定もせずに毎日流されているだけでは、何かを成功させるなんて至難の業ですぜ。

 

「君たちに明日はない」の場合は首切り面接という一つの機会を通じて自分の人生を考える時間を持つことが出来た人がいた。

 

冒頭にも書いたが今回の小説では原発の話が出てこない。けれど「その衝撃」をすごく強く感じるのは、東日本全体に甚大な影響を与えた原発問題が、日本人一人ひとりにとって人生を根本から考え直す機会ではないかということだ。これでいいのか?このままでいいのか?そんな語りかけを感じた「君たちに明日はない第四巻」でした。



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2012年04月23日

地開く

朝日新聞4月21日記事抜粋

「日本と東南アジアのメコン川流域5カ国による日メコン首脳会議が21日午前、東京都内の迎賓館であり、共同文書「東京戦略2012」を採択した。来年度から3年間で約6千億円の途上国援助(ODA)を日本政府が行うなどの支援策が盛り込まれた。

 日本が支援する対象事業の総額は2兆3千億円。高速道路や橋などの交通インフラ整備によって域内の「連結性」を高めて経済成長を後押しし、日本企業の進出を促すねらいがある。」

★抜粋終了

 

久しぶりにまともな日本の記事を読めてよかった。

 

最近開催された天皇陛下主催のお茶会(正式には別名があるようだ)に台湾の実質的な日本大使館の大使が初めて呼ばれた。このような動きは大東亜共栄圏の再来である。(最初は今回のタイトルを「再来する大東亜共栄圏」にしようかと思ったがそうなると略されて再来軒になりそうなのでやめた)

 

これは主体的な外交であり良い事だと思う。今までチャイナ・スクールは対米従属派に主導権を握られていたが肝心の米国が第二国境まで引くことに決めたので日本は独自外交を行えるようになった。その最初が対アジア外交である。

 

中国が利己的に自国権益を拡大しようとして進出国から嫌われるのに対し日本はその他アジア地域ではお互いに成長しようとする本能的なものがあり、もちろん主導権は日本が取るのだろうが南アジアの人々は日本に好意的である。

 

第二次世界大戦で日本がやった事は細かいことを挙げれば戦時中だからきりがないが全体的には彼らは「アジア解放の仲間」という認識が強く日本人が自虐的日本悪人教育を植え付けたのと実態は違う。

 

台湾はもちろん親日だしマレーシア、インドネシアではすでに日本企業が進出して現地企業と共同でビジネスを展開して信頼関係を築いている。今のところ中国だけが反日教育の為に日本とうまくいってない。

 

台湾が今後独立していくのか中国に併合されるのかは分からないしそれは台湾人自身が決定することだろう。しかし今までは中国に遠慮して台湾大使館さえ作らせずに国家として承認していなかった日本が正式に台湾を認めていくとなれば中国も「おや?」と思うだろう。

 

今までの日本と違うぞ、なんか独自の動きをしているぞって理解した中国は当然対日政策を見直すことになるだろう。米国がグアムまで撤退して中国からすれば「しめしめ、これで日本と台湾は頂きだ!」くらいに考えていたのだろうが、日本が対中包囲網を作り上げれば中国もわがままばかりは言ってられなくなる。それでこそやっと中国と対等の外交ができる。

 

戦前も米国さえいなければ日本はこの地域で一定の地位を保持していた。日本が負けたのは米国にであって中国ではない。

 

「ムルデカ17805」という映画がある。インドネシアで敗戦を迎えた日本兵たちが大東亜共栄圏の理想の下にインドネシア独立戦争に参加してインドネシア兵と共に銃を取りオランダから独立を勝ち取る内容だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB17805

 

1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。

「市来龍夫君と吉住留五郎君へ。独立は一民族のものならず全人類のものなり。」1958815日東京にて。スカルノ

 

こういう事ができるのが日本人の本来の良さである。インドネシア独立戦争当時の日本兵の戦いに日本政府は「白人支配に逆らう跳ね返り者」に対して苦慮したそうだ(笑)。

 

日本人もそろそろ社会党的自虐歴史観から本当にアジアで起こったことをしっかり見なおして、もう一度大東亜共栄圏思想をしっかり勉強してみればどうだろう。福田和也の「地開く 石原莞爾と昭和の夢」などはわかりやすく勉強になると思う。

 

http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F%E2%80%95%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E7%A6%8F%E7%94%B0-%E5%92%8C%E4%B9%9F/dp/4163577807

 

日本は中国を除くアジア全体と連帯して対中包囲網を作りながら同時に中国と対等の付き合いをする、そういう外交は今なら出来る。米国がアジアから手を引き中国がまだそれほど力を蓄えていない今ならアジアの小国全体がひとつになり大東亜共栄圏を再建することが出来ると思う。

 

あ、最後に付け加えておくと、ぼくは日本という故郷が大好きだ。その故郷で頑張っている奴がいれば応援もしたいと思う。それが例え政府内部の人間であっても日本のために頑張ってるならエールを送りたいと思う。日本という国を伸ばしてくれる人なら誰でも友達だ。



tom_eastwind at 09:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月29日

「光る風」 山上たつひこ

1970年に少年マガジンで連載された近未来SF漫画。その当時はあくまで空想だった。けどこれはまさに2010年代、今の日本か?と思うような話が続く。当時米国支配下にありながら次第に自衛隊が軽装備から中装備になり、今の時代になって震災があり国民思想取締りが少しづつ強まり言いたい事も言えない空気が社会全体を覆う中、防衛庁が防衛省に格上げになり国民側も社会の空気を読んで(忖度して)政府と共に「赤狩り」を始める。

 

少しづつ危機意識が高まっていく日本では社会の底辺に置かれた人々が団結して自分たちの為の社会つくりを計画するようになる。今の日本で言えばまさにニートや失業者がいずれこの層になるのではないか。

 

今の日本のように一部の支配者が残りすべての国民を支配する中、すでに平等という意味がずれ始めている。ニートに残された社会はない。テレビで女優が素敵な笑顔で君を見つめてくれるけれどニートや年収200万円、実物の彼らに君は届かない。年収2千万円の金持ちにはすぐに手が届くが貧乏人にとってはいつまでも手がでない。

 

漫画の中では水俣病をイメージしたような公害による奇形を抱えて生まれた若者が言う。

「きみたちのように“正常”な人間として生まれ“正常”な環境でそだった人間とおれたちのように奇形人としてこの世に生まれてきたものとでは平等という言葉の感覚そのものが違うんだよ。」

 

そうなんだよね、同じ言葉を使っているけど、もうその定義、意味が違っているんだよね。いいとこに生まれて美味しいもん食って育った子供が卒業式の晩に考える“平等”と、貧乏人の子供として生まれて自分の責任でもないのに、あの同級生はこの街一番の美味しいステーキハウスで家族と一緒に誕生パーティでステーキ食べてるのに、ぼくは家族がちっちゃな食堂で鶏肉食って、ああ美味しいな久しぶりだなっておもって、けど両方共資本主義の下では“”平等なんだよね。

 

日本という資本主義にみせかけた共産主義のような国に生まれて、子供にどう戦えと言うのか?資本主義における機会の平等も共産主義における結果の平等も担保されなかった僕ら子供は資本主義でもないし産主義でもない社会から飛び出すことで唯一平等と公平が守られる事に気づいた。

 

漫画では関東を襲う大地震が起こりそれを機会に国賊を取り締まる警察及びカンボジアに海外派遣される日本国防軍を賞賛するという筋書きだ。これなどまさに朝鮮人虐殺事件だ。

 

もう随分前になるが自衛隊がイラクに派遣されて海外派遣が実施された。その後もソマリア海賊退治のために少しづつ海外派遣が行われ、それまで防衛庁だった組織が防衛省に格上げされて自衛隊が実質的に世界でも軍隊として認識され始めた。今の日本の自衛隊員が本当によく頑張っているのは十分以上にありがとうと言いたい。しかし個人意識と組織は別である。

 

何十年かぶりに読んだ山上たつひこ、世間では「こまわり君」で知られたお笑い漫画家だが、本当の熱い力は「光る風」にかかっていると思う。

 



tom_eastwind at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月23日

「最後の証人」柚月裕子

ホラー小説「リカ」のブログに対して頂いたコメント「今の日本のホラーな人は香山リカ、、、」そう来ましたか(笑)。特攻の島、そんな漫画が出ているのですね。ぼくは子供の頃「紫電改のタカ」という漫画をいろいろと考えながら読んでました。特攻は家族のためと言いながら実は特攻では家族を救うことはできないのですよね。

 

でもってこの本「最後の証人」。う〜ん、良い出来であり上品だしまとまりもあり最期まで引っ張ってはくれるのだが、なんつ〜か、そう来るんでしょうね、あ、やっぱりそう来ましたねってお利口さん作家の作品だ。

 

悪くはないから惜しい。そう思いつつamazonで書評を見ると結構似たような評価が多い。なんか思いっきりお利口さんなのだ。世の中が彼女の世界だけで完結しており、幸せな世界で生きてきたんだろうなと思わせるのだ。

 

けれど現実の世界はもっとドロドロしておりそんな綺麗な話では完結しないから現実と言うのだ。てか、法廷ものを書きたければまず自分が被告として留置場に放り込まれる経験とか刑務所に放り込まれてマリファナ狂いのマッチョオカマみたいな訳の分からん同房者と数日生活してみれば、もっと現実に即した現実感のある物語を書けると思う。

 

良い書き方をしているだけに、あまりに脳内不幸福で完結していてもったいないと思う。じゃあこれを他人に薦めるか?相手によるな、女子高生や結婚したばかりのオシドリ世間知らずご夫婦にはお勧めだと思う。「まあ、あなた、恐いわ、どうしましょ〜」みたいな高評価が出ると思う。けれど新宿のゲイバーや吉原あたりの労働者にはお勧め出来ない。

 

くれぐれも言いたいが、決して悪くはないし習作として読むにはお勧めだし、こりゃ多分僕自身が汚れすぎているからなんだろうと思うしかない(苦笑)。Tom文庫には来週入庫予定。



tom_eastwind at 19:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月20日

リカ

リカ
リカ
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恐いですね、こういうネタ。タイトルが面白くてホラーと知ってて買ったんだけど、いやさこりゃヤバイわ。つーかバカな男には必ずつきまとうネタですな。

 

都内の出版社で普通に働くおじさんが40歳すぎて子供もいるのにネットで出会い系にハマる。普通の女性には「ばっかじゃないの?」って思う設定だけど、今時こういう馬鹿、現実にいるんだろね。

 

物語は今時のスピード感ある語り口で最後まで引っ張ってくれて読み応え充分。読後感を考えてみたがこれも十分納得出来る。ああ、そうか、こう終わるのか〜。主人公と奥さんが事件現場で毛布にくるまりながら目の前を走る救急車を見つめる場面。これって以前に読んだ「長い腕」と同じような米国のスピード感のある映画を観てる感じ。一気に盛り上げてくれて最後に綺麗にストンと落としてくれてやっと全体がまとまる。

 

しかし男ってバカだな〜、何の知識もないまま軽い気持ちで手を出したネットで人生を棒に振ることになるとはまさか思わなかっただろう。自分も男なのでなんともいいようながないが、ネットにアクセスするバカの気持ちだけは分かるだけに「おれも馬鹿だな〜」って思う(苦笑)。

 

それにしても時代は完全にネットにシフトした。今更40過ぎだからあまりコンピュータの事分からんでもいいやって甘えが穴居人を作り上げるが50代になった時に逃げ切れなかったらどうするのか?それこそ人生で最も大事で失敗の出来ない時期にパソコンの使い方が分からないからってだけでネット的に丸裸にされて自分のすべての情報が晒されて逃げようのない事態になる。

 

ぼくが20歳代の頃旅行業界では「英語なんて出来なくても関係ない、営業が一番大事なんだよ」とタバコスパスパ吸いながら威張ってた先輩がいたけど彼はその後どうなったのかな?田舎の弁当屋さんで弁当売ってるのかな?30歳代になって香港でも次第にメールアドレスが普及してきた頃「そんなメールなんてどうでもいいんだよ、だいじなのは会社の看板だよ〜」とか言ってた人もいた。旅行業が情報産業であり情報格差がビジネスになるという事を理解出来なかった彼は今何をしているのか?海運や空運や宅配もある会社なので看板を利用して大型トラックの免許を取って自分の適性に合った仕事をしているのだろう。

 

1990年代のバブルが崩壊して長期信用銀行や拓銀が倒産した時、それまでは大学を出て銀行に入社出来た事で一生世の中の勝ち組に回ったと思い込みその後の努力をしなかった人々は今そのツケを払っている事だろう。そしてこれからも同じような事は起こる。今は景気の良い総合商社でも二昔前の商社不要論時代には随分と厳しいリストラをされた。

 

世の中いつ何が起こるか分からない。出来る時に出来るだけの情報武装をしておけば何かあった時の対処法を思いつく。ヒマにあかせて出会い系サイトにアクセスしてドボンしてからでは間に合わない。ふざけた気持ちで自分の人生を棒に振るようなバカはすんなよって意味で40歳過ぎの男性に読んでもらいたい本だ。



tom_eastwind at 19:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月10日

「金正日 隠された戦争」 萩原遼

北朝鮮で1990年代後半に大量の餓死者が出た事が事件になった事がある。当時は本当に北朝鮮が洪水や飢饉で大変なのだろうと思い多くの国際援助団が食料を持って北朝鮮に入った。しかし彼らがどうしても入れない地域があった。そしてその地域で数百万人の人々が餓死した。

 

1996年に香港からオークランドに落下傘降下して会社を立ち上げて、自宅兼オフィスで朝4時から夜中の1時過ぎまで仕事をしていて当時はまともなネットもなかったから情報弱者で、たまに日本から送られてくる新聞などで北朝鮮が飢饉で餓死者が数百万人という記事を読んで「ほー、大変だな」と思ったくらいの記憶しかない。

 

けれど今の時代になって振り返ると、あれって国家における一地方の住民の集団虐殺だったてのが分かる。国家を完全に独裁体制にして食料を完全配給制にして米国などが今にも攻めこむぞと国民を脅して、だから食料なんてなくても我慢しろ、餓死しても米国に乗っ取られるよりはましだろうって教宣して、北朝鮮の一部地方の住民を餓死させた。

 

その間世界から送られてくる食料は軍部や特権階級(成分)にのみ配られたり転売して現金を得て核開発に使われたりもした。つまり北朝鮮の薄汚い詐欺に世界が騙されたのである。

★本文抜粋

会場いっぱいに張りのある凛とした声が響いた。

「人間の尊厳や権利や自由はおろか、いちばん初歩的で基本的な食、衣、住すら保障されない未開な社会です。お腹がすいたとなく子供をうるさいと殴り殺し、その死体が幻覚症状で肉の塊に見えて食べてしまうような例が珍しくない、すさまじい社会です」

北朝鮮から脱出した三十代の女性である。

「たぶんわたしの耳から生涯あの泣き声は消えないでしょう。あまりの飢餓に生まれたての子供をビニールにくるんで縛りました。泣き声が止むまで部屋の隅に置いておきました。雨はしとしと降り続けていました。雨漏りのする部屋で赤ん坊はいつまでも泣いていました。あんなちいさな体でどこにそんな力があるのかと思うほど似時間も泣き続けていました。泣き声がやむまでわたしは石のように呆然と座っていました」

★終了

 

この本では金正日が金日成を暗殺した筋書きから始まり、なぜ大量餓死者が出たのか、そして核開発疑惑における国際的詐欺までを暴き切る。そして同時に米国も中国も国益のために北朝鮮を利用しており、その最大の被害者が北朝鮮人民でありながら誰も彼らを助けることが出来ない政治的現実を表している。

 

日本では最近拉致問題が拡散していないようだ。けど、あんなもんどう考えても北朝鮮相手に戦争仕掛けるだけの理由があるでしょ。日本国民が日本領土内で誘拐されたんですぜ、それなのに国家が国民を守らない?だったらなぜ国民は法を守り納税しているのか?国民が誘拐されたのだ、それを金を払って返してもらうだと?それも一部だけだと?ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。

 

いつも言うことだが僕ら一般人民は日本や米国や中国などの国家において一部支配層に支配されている。一般人民の自由という意味ではニュージーランドは世界の中でかなり進んだ人権国家といえる。国家という縦割りではなく一般人民対支配層と言う横割りで考えてみると、実は今の北朝鮮も世界の支配層が狡猾に利用しているという部分ではガキであるのかもしれない。

 

一般市民であるぼくにできる事は限られているが、もしぼくが日本にいて日本の家族が北朝鮮に誘拐されたと分かったら、僕はその日から一切の日本の法律を無視するだろう。ぼくはこの社会に自分の意志で参加した。それはぼくの個人的な自衛権を放棄してでも社会に参加することで予防的に家族の安全が守られると考えたからだ。

 

それなのにもし家族が誘拐されたなら社会が僕との契約を破った事になる。更に社会が事後的に問題解決に当たらないのであれば僕は社会に参加することで放棄した自衛権や復讐権を僕の腕に取り戻すことになる。裏庭に埋めていた銃と弾薬とナイフを取り出して家族のために戦うのだ。

 

ぼくは日本人として生まれて貧乏人の子供として差別を受けてきたが日本人であるからまだしも喧嘩は出来た。しかし在日として生まれた人々は日本語しか話せないのに日本人から差別され朝鮮から差別され、北朝鮮を天国と思い帰国するとありったけの財産を没収されたあげくに北朝鮮北部に押し込まれてまともな畑も作れない僻地での生活を強いられ最後には計画的な食料不配による餓死に追い込まれた。

 

こんなキチガイの金正日もやっと死んだが中国はすでに北朝鮮を自国と見做して次の支配者を傀儡として利用しようとしている。日頃は中国政策には理解出来る僕だが、北朝鮮政策に関してだけは個人的に納得出来ない。何にせよこの本は一読に値する。tom文庫に来週から配置。



tom_eastwind at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年02月25日

朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀 萩原遼

1950年に始まった朝鮮戦争。侵略した韓国から撤退した北朝鮮部隊が残した160万ページもの米軍文書を作者は3年がかりで読破、ついにその全貌を解明する。

 

1945年、日本の敗戦により北朝鮮は独立しソビエトの指導の下に新たに共産主義国家として立ち上がった。その時にソビエトから連れてこられて人々の前に立ち「こんにちは、ぼく、金日成です」と言った彼、「金日成」は一般的に日本で知られている「白頭山の虎」と呼ばれた抗日パルチザンの金日成ではなかったのはウィキでも書かれている。実際の金日成はロシアによってコントロールされた戦闘実績も満足にない傀儡の若者であり北朝鮮が露によって独立した際には弱小政権であったが、そこから様々な策謀を用いてついには反対派閥をすべて潰して北朝鮮を押さえた。

 

1949年に中国共産党が国民党を台湾に追い出して中国独立を果たすとそれを見てた金日成は「ぼくちゃんもできるもんね」とばかりに韓国侵略作戦を立てて実行する。彼の目の中には韓国の李承晩大統領しか見えておらず、あんなもん3日で叩きだしやる、ソウルさえ押さえればこっちのもんだってな感じで侵略したものの、ソウル政府は南へ南へと逃げ続け遂には釜山に閉じこもり泥亀のような籠城作戦を取る。

 

38度線から南進を続けた北朝鮮部隊は釜山まで戦端を伸ばしきったところでマッカーサーによる米軍の介入、仁川上陸作戦で北朝鮮軍は完璧なまでに兵站を寸断されシャーマン戦車に次々と部隊が攻撃され壊滅的な打撃を受けて最後には夜の暗闇の中を山の尾根を抜けてほうほうのていで北朝鮮に戻るが、兵士約10万人を送り込んだ韓国から戻ってこれたのは一握りであり、米軍の北進で平壤まで侵略され鴨緑江に叩き落とされる寸前、中国共産党正規軍の応援によりなんとか米軍の侵略を食い止め、そこから膠着状態が続く。このあたり最近の韓国や中国の映画で舞台にされている。中国映画だと「Assembly」の出来が良い、日本名はわからない。

 

米軍が日本と戦って降伏させた結果として北朝鮮が独立出来た。その事実を知っている当時の北朝鮮人民(海州公安幹部)が「日本が負けたのは米軍の原爆のためだ」と言うと、進出してきたロシア(ソビエト)は「日本の敗退は偉大なロシア赤軍によってもたらされらものであるにもかかわらずそれをないがしろにしてソ連赤軍の偉大な役割を否定する反動的な言辞である」として逮捕された。

 

「解放されたというが北朝鮮のどこが良いのか?いろいろ言うけれど倭政時代は金さえ出せば寝ながら旅行が出来た」倭政治台とは日本統治時代のことであるがソ連軍による解放後は旅行の自由さえなくなったというのである。この発言を行った黄海北道平山郡に住む趙牧師はほかのいくつかの発言と合わせて1947年3月に反動宣伝罪で懲役5年を科されている。

 

ロシアによる北朝鮮支配はまさに言論統制でありロシア国内で起こったスターリンによる粛清と全く同じ構造であった。恐怖による支配。1946年に北朝鮮で起こった食糧危機の際、北朝鮮で作られた米のほとんどすべてがロシアに送られて多くの餓死者を出した。このような事実も一切表に出ていない。

 

1949年、中国共産とは北京を掌握して中共政府を樹立する。台湾に追いやられた国民党蒋介石を支持していた米国はすっかり意気消沈した。1950年1月5日、トルーマン大統領は「台湾が中共に攻撃されてもアメリカは介入しない」と声明した。1月12日、アチソン国務長官はいわゆるアチソンラインを公表した。すなわちアメリカの防衛線はアリューシャン、日本、沖縄を結ぶ線であるとのべて、韓国と台湾を外した。

 

これを機会と見た金日成は一気に韓国占領を目指すが、実はこれが米軍タカ派マッカーサーの陰謀であるとは思いもよらなかった。米軍内でさえ厭戦気分のあったアジア戦略で北朝鮮をわざと暴発させることで否応なしに米軍を動かし仁川上陸、共産党=アカの粛清に取り掛かるべくマッカーサーは動いた。

 

マッカーサーは早い時期から北朝鮮軍の動きは把握しており彼らの暴発をずっと待っていた。そして一旦暴発するとすぐに軍隊を総動員して北朝鮮を叩き、アカ狩りを行ったのだ。思うに米国指導者はいつもこのような手段を使う。第二次世界大戦ではモンロー主義であった米国はもともと日本と戦争をするつもりはなかった。ところが日本がパールハーバー奇襲を仕掛けた事で「ふざけんな!」ってことで戦争が始まった。しかし事実は米国政府は日本の動きを把握した上でわざとパールハーバーをやらせて国民に「戦う十分な理由」を与えたのだ、自国兵士の死をもって。

 

2001年も同じ事件が起こった。911は米国政府一部の人々によって主導されたがその結果として何が起こったか?石油メジャーで罪、じゃなかった財を成したブッシュ家を「もっと美味しいネタがありまっせ〜」と仕掛けた連中はわざと911を起こしてアフガニスタンやイラクへの侵略戦争を行い石油利権を得るために米国の若者の命を捨てさせた。

 

実際には更に裏があり、米国は利権を得るどころか中東から撤退することになるのだがそれは予め仕組まれていたというものだ。わざとばかブッシュに勝ち目のない戦争をさせて米国を悪者にすることで「もういいや、警察国家は出て行ってくれ、これからおれたち自分でやるよ」と中東を結束させて世界が多極化することを狙った人々もいる。

 

まさに世の中はからくりの連続であり表が裏になり裏が表になり、よほど基礎知識をしっかり身に付けてないと理解不能であるが、そのようなことは朝鮮半島でも起こっていたのである。金日成という傀儡とマッカーサーというタカ派と当時の日本で朝鮮戦争をいかに自分たちのプラスになるかを考えた官僚たちと政治家。この一冊は朝鮮戦争そのものをテーマにしている。次に取り掛かるのは「金正日 隠された戦争」、息子さんのお話ですな。



tom_eastwind at 15:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年12月11日

坂の上の雲

NHKで第三部がやっと始まった。3年もじらすなって感じだ。僕には変な癖があって、映画やテレビで連載物が出た場合は連載が終わるまで見る事をしない。全部出終わってから見る。米国のテレビ連載番組、例えば「プリズンブレーク」は各シーズンが終了してDVDになってから見てた。

 

香港のテレビ番組は連載と言っても25回程度で月曜日から金曜日まで週5でやる。だから2カ月もする頃にはDVDになっているのですぐ見られて楽しかった。ところが日本は一つの番組が週に1回で半年続くから、何ととろくさいはなしだろうと思っていた。

 

ところがさらに大トロなのがNHK、なんと3年だと。だもんでぼくは坂の上の雲の最初の2年分をまだ観てない。会社の貸し出し用DVD棚にはあるのだが、性格的にまだ観る気がしない。随分よく出来た内容なのだろうと推測できるだけに悔しい。じらすな、とっととやれって思うのだが日本のテレビ業界の習慣なのだろうからNHKの受信料を払ってない僕がどうこう言う権利もないのでここで愚痴るだけにしておく。

 

ちなみにうちの会社ではDVD100本以上ある(数えた事はない)、また本も800冊近く本棚に置いてある(本の数は把握している、自分が読んだものを置いてるから)またDVDamazonや放送番組協会認定会社などからお金を払って正式に購入したものでありロケフリとかではないので著作権のご心配は不要です(笑)。

 

あ、ちなみに話は逸れますが、著作権の考え方は文化によって全く異なります。中国は著作権と言う概念がもともと存在しません、その方が良い文化が早く流行するという考えです。そして日本は著作権について何の疑問も持たず盲信的に「法律で決まってるんでしょ、だからどんなに無意味で無駄でバカらしい制度でも守るのが当然でしょ」と言ういつものお決まり、自分の頭で考えようとしない御花畑な人々によって手段が目的化した教条主義に陥ってます。

 

けど著作権とはもともと英国から発生した考え方で、それまでは本を印刷する会社が永遠の権利を独占していたのを、良い文化を早く世界に広めるためにとどんな著作でも50年経ったら独占権は消滅すると規定したのです。つまり片や無限永遠の既得権を有限にして法律で手放させるようにしたのが著作権です。ですのでミッキーマウスの権利が切れる寸前にすぐ著作権を延長するような手口は本来の著作権の精神に反しているわけです。

 

話を戻して、ぼくが司馬遼太郎を最初に読んだのは中学生の頃ではないかと言う記憶がある。同じ時期に山本周五郎も読んでた。てか、小学校5年の頃に太宰治に関する作文も書いてて今も手元にあるが「こいつの書いてる事は軟弱だ」みたいな事をガキが言ってるんだから1970年代と言うのはまったく日本のイケイケ最成長期だったのだろう。

 

坂の上の雲が描く明治の日本は、当時の僕らの心を駆り立ててくれた。世界に羽ばたく日本、そこには明治維新を断行して資源のない国が一生懸命頭を振り絞って成長する姿が描かれていた。

 

坂の上の雲は何度読み返しただろうな、最初はとにかく血沸き肉躍る日本の躍進物語として楽しんでいたのだがある程度社会経験が付いてから読んでみるとまた違う面が読めて、そのあたりからぼくにとっては司馬遼太郎対山本周五郎と言う比較が出来上がった。

 

常に馬上にあって霞が関から天下国家を語る司馬に対して、周五郎は馬から静かに下りて本所深川のどぶ臭い細い路地に分け入り、雨漏りするような安普請の長屋で語られる市井の人々の日々の生活の苦しみや現実を描き、それでもそれでも人間を肯定的に描き人間に期待をして本を書き続けた。好きな作品ばかりだが特に好きな作品は「裏の木戸は開いている」だ。

 

20歳代の頃は司馬遼太郎よりも周五郎に傾倒していた、左翼だったのだろう(笑)。30歳代の頃は、そんな事よりも世界だ、司馬遼太郎だ、日本を語るべきだと感じていた。その頃はすでにニュージーランドや香港で生活をしていたからだ。日本人は海外に出るとその半数は右翼になる(笑)。

 

今再度読み返すと、結局これって車の両輪なんだなって思うようになった。天下国家を語りその進むべき方向が市井に生きる人々の幸せにつながる、市井の人々は国家や人々を信用して社会に貢献する、そういう車の両輪なんだって気がする。

 

ところが現実は天下国家を語る人はおらず政治家や官僚は自己利益に走り市井の人々は他人を信用せず倫理のないビジネスを行い、今の日本は両輪ともぶっ壊れた車輪の下である、人々はヘッセヘッセと毎日苦しんでいる。こうなってしまえば車ごと入れ替えるしかない、がらがらぽん!ってやるしかない時期に来ている。

 

偶然だが周五郎には「長い坂」と言う作品がある。江戸時代ある武家屋敷街の細い道をいつも父親と一緒に歩いて魚釣りに行ってた男の子がいた。ある日その道が塞がれて「通るべからず」と札が書かれていた。父親は「そうだな、、通れないよな・・・」とつぶやいたところから物語が始まる。

 

これは子供が一生懸命学び働き立身出世をしていく物語なのだがその基調精神にあるのは既得権益による不道理を認めない、人々は皆平等であるべきだという考え方だ。人々の平等を確保する為に人々を支配する必要がある、これは世の中の矛盾であるがこれが現実でもある。それが車の両輪である。

 

この考え方、人々の平等を確保する為に人々を絶対的権力で支配する必要があるというのは英国にも存在する。同時に英国では「権力は腐る、絶対的権力は絶対的に腐る」と言う事をよく理解しているから支配する人間はその職務を金儲けの為ではなく「貴族の義務」として一定期間負い期間終了後は常に支配者が交代する事で「転がる石は苔むさず」とする事で政治の透明さと平等を確保した。その伝統は現在のニュージーランドに引き継がれている。

 

長くなったが本にはこのような効能がある。本を読むことで歴史を学び政治を理解しそれで自分の知見を膨らますことが出来る。

 

だからそこの奥さん、テレビばかり見て本の購入禁止なんて言わないで下さいよ(笑)。ところで今は青空文庫と言う無料で読書を楽しめるサイトがある。有志が集まり著作権の終了した小説を中心にうpしている。辻井喬も夏目漱石もある。金がなけりゃウェブがあるさ。幸せな時代に生まれた事を感謝しよう。



tom_eastwind at 13:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年11月10日

「リスクマネーの威力」草野豊己

リスクマネーの威力〜ヘッジファンドの投資行動に学ぶ乱高下市場に打ち克つ勝利の法則〜
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No Pain, No Gain

 

「ホテルカリフォルニアのように一度チェックインしてしまえば二度と出る事の出来ない場所。それが今この世界なのだ」

 

我々はこの世に生まれて否応なく社会に参加した。そして金が社会の血液として回っている以上いくら金が汚いと否定しても意味はない。体の中を回っている血液を汚いと言っても意味はないし学ばなければガンになって死ぬかもしれない。知らぬふりをしても砂の中に頭を突っ込んでいても危機は去ってくれない。てか、尻から食われて終わりだ。

 

ヘッジファンドの方向性を見抜いてその裏を行くくらいの能力がなければ振り回されて終わりだ。「おれはさ、金融なんて難しい事はわかんないんだよ、ただ一生懸命モノ作って働いてりゃいいんだよ」そう言ってモノ作りに励んだ技術力のある町工場や中小企業がリーマンショックで倒産させられた。知らないでは済まない世界である。

 

Riskの原義は「絶壁の間を船で行く」だ。危険であることを知っているからこそ事前に学び備えをする。Riskから逃げてばかりでは何も学べないからDangerな状態に陥る。イタリア語でリスクはRiskale,「勇気をもって試みる」と言う意味になるそうだ(ウィキ)

 

金融の世界で働いてないから関係ないとはもう言えない。ある程度の、出来るだけの備えをする事が唯一リスクヘッジになるのだ。リスクヘッジをするはずのヘッジファンドがいつの間にかリスクを思いっきり背負って世界のマネーを動かす時代になった。

 

そしてそれは実社会にも多大な影響を与えているのは誰もが理解している。我々に今必要なのは砂の中に頭を突っ込んで知らんふりをしたり、あいつが悪いとかこいつが汚いとか言うのではなく、あいつやこいつがどのような手口で仕掛けてくるかを理解する事だ。

 

全部読むのに3時間くらいかかるけど、今の世界の状況を理解するためにも是非とも読んでもらいたい本だ。No Pain, No Gain、苦しくても自分の時間を作って学ばねば。そう思わせる一作だった。



tom_eastwind at 09:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年10月30日

「北朝鮮に消えた友と私の物語」 萩原遼

 

★抜粋開始

1979年から帰国者の家族の「祖国短期訪問」が始まった。帰国以来すでに20年経った時期である。訪ねて行った老父がみたのは自分よりも老けた息子の姿、老母がみたのはしなびて腰のまがった娘の姿である。「乞食同然の姿だった」とショックで寝込んでしまった人もいる。小屋のような住まい。動物のエサのような食事。あまりの貧しさに着替えの下着まで渡してきた人もいる。

 

肉親同士の対話から地獄のもようがもれないように案内人と称する監視人がべったりとはりつく。話をできなくさせるのだ。夜も帰らない。狭い部屋で泊まっていく。最近は北社会のワイロ横行でワイロを渡すと夜12時ごろには引き上げる例もあるときく。一週間の滞在日程の殆どを金日成の銅像や墓をおがませて時間をつぶさせ、親族との接触を極力おさえる。目的した惨状を肉親を人質にして口封じする。

★文春文庫単行本412ページの記述より抜粋

 

思うに日本人はどれほど韓国や北朝鮮のことを知っているのだろうか?嫌韓とか言ってる人も多いけどその韓国がつい最近まで海外旅行さえ自由にできなかった国だとどれだけの人が知っているだろうか?

 

韓国の現在の韓流ブームの基礎を作ったのは金大中大統領。1998年に大統領に就任したが彼は戦前の韓国で日本語を学んで流暢な日本語を話し(1925年生まれ)反体制派政治家として長年活動し、東京に滞在中には韓国情報部(KCIA)に誘拐されて殺害されそうになった時(金大中事件)は日本政府は彼を守ろうとして軍部独裁国家であった韓国側と随分と交渉したものだ。

 

韓国は戦後長い間軍部独裁体制であり自国民が海外に出て「戦争に負けた筈の日本」がどれほど豊かになったか、なぜ韓国が豊かになれないのかを見せたくない為に海外渡航に関しては常に規制を作ってきた。やっと韓国が豊かになってから海外旅行を自由化したら多くの韓国人が日本の旅行を楽しむようになり日本のインバウンド市場(つまり海外から来るお客を受けて手配する旅行会社の集まり)が活気づいた。

 

福岡のキャナルシティではプサンから高速船でやって来てマツキヨで間違いないしっかりした薬を買い(自国の薬を信用していない)牛丼やラーメンを楽しんで自国に帰る。こういった自由を味わえるのも韓国が豊かになり国民を海外に出しても内外格差でクーデターが起こらないと判断した韓国政府の結果だ。

 

じゃあ戦前から日本に在住している朝鮮人って何なの?という事になる。閉鎖された国とはいえ情報は伝わるでしょ、日本に住む朝鮮人が差別に苦しみながらも何とか日本社会で自分たちの生活基盤を作ってきたのは誰でも知ってるし日本に関する情報は韓国にも伝わるでしょって思う。

 

けれど現実は違う。

 

韓国でも情報統制が徹底しておりなかなか外国の情報が入らないし、入ったとしてもそんな情報を誰かに話したらそれだけで国家反逆罪である。何も言えない国家だったのだ。

 

光州事件を知っている日本人はどれだけいるだろうか?1980年5月18日、日本はまさに平和を謳歌していた時代に隣国の韓国では民主化闘争を平和的に行おうとしていた市民に軍部が武力制圧を行った。簡単に言えば兵隊が同じ民族同じ国民である韓国の一般市民を殺したのだ。

 

この事件は韓国内では一切情報を出さずに秘密にされていた。ドイツなどでは詳細な情報が出回っていたが日本ではあまり大きく扱われる事なくいつの間にか消えてしまった。

 

当時ぼくは仕事でプサンに行くことが多かった。そんな時チョースンビーチ沿いにある屋台でするめなどのつまみを食いながら韓国ビールや焼酎を飲んだものだ。そんな屋台をやってる若い人たち、頭良さそうな顔つきで静かにギターを弾いていた人たちに、普段は何しているんですか?と聞くと「ぼくたちは光州から逃げて来たんです」と半ば自己放棄的に苦笑いしながら教えてくれた。

 

しかし、それ以上に酷かったのが北朝鮮である。北朝鮮を共産主義国家だから悪いとか共産主義はどうのこうのと主張する人がいるが、北朝鮮は共産主義でも社会主義でもなく単純に金日成とその子供たちが支配する独裁国家だ。

 

独裁主義とは1700年代の欧州の王様のようなもので、王様が「カラスは白い」と言えばYESと言い、「飛べ」と言われれば「何故ですか?」と言う質問は許されず「どれだけ高くですか?」が正しい答となる。

 

そんな国で民主主義など存在するわけもなく、誰もがおかしいと思いながらも家族を人質に取られた状態で生活をするしかない。キンセイニチマンセーである。まさに基地外国歌としか言いようがない。

 

ぼくはどうしても分からないが、なぜ北朝鮮でクーデターが起こらないのかと言う事だった。日本ではまだ無理なのが分かる。何故なら飢え死にする若者がいないからだ。なんとか食っていける。しかし北朝鮮では1990年代以降に300万人が飢え死にしたと言われている(このデータはぐぐるとすぐ出てくる)

 

するとどうも1960年代の金日成によるクーデターで多くの優秀な人々が殺されてそれ以降体制に逆らう人間が出て来た場合、その家族全てを逮捕して収容所に送り込み一生外に出さない政策があるようだ。

 

朝鮮の人々は家族を大事にして、その家族を人質にされてるから何も言えないのだろうがけれどその家族を大事にする気持ちのチェーンネットワークが結果的に独裁国家の存在を許し今も金政権が続いている理由なのだと思う。

 

以前も書いた事があるが、日本人が拉致された事件では社会党が「北朝鮮様がそのような事をするはずはありませ〜ん」なんて御花畑発言をした1980年代、ところが事実がどんどん出てくるにつれ「あらま〜、その方はご本人に意志で渡ったのではないですか〜_」だったらお前を新潟の海辺で頭陀袋に突っ込んで小型船に乗せて旅券なしで北朝鮮に送り込んでやろうか。

 

ほんっと、日本は戦後に米国と中国+朝鮮によっておかしくされているが、そのような事実を書くと「電波少年」呼ばわりをされる。しかし間違いなく隣国がやっている政治活動は日本を弱体化させることでありその事実は数えきれないほどある。

 

いろんな問題があるけど、日本が堂々と世界に向かって発言できるこの拉致問題を放置してどうするのか?国家主権は存在しないのか?もしぼくが総理大臣なら真っ先にこの問題を解決する。

 

つまり自衛隊を北朝鮮に送り込み平壌を押さえてその上で拉致された人々を全員救助、更に1960年代前後に北朝鮮に渡った人々を強制収容所から救い出す。救い出した上で北朝鮮に残るかどうかは自主判断、しかしその際も家族を人質に取られているのなら家族ともども日本に避難させるべきだろう。

 

しかし拉致問題や帰国者問題についても日本政府があまり大きな声で抗議が出来ない歴史的背景があり、それがこの本で見え隠れするのだが、拉致も帰国者問題もその背景には日本政府による承認があったと思わざるを得ない。それがこの本の底に流れる問題であり同じ日本人として腹立たしくなる理由だ。

 

北朝鮮の問題を語るときにこの本は外せない。是非とも日本人はこれを読んで自分はどうすべきか、考えるべきだろう。



tom_eastwind at 12:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年10月25日

日本人はなぜ日本のことを知らないのか 竹田恒泰

 

子供の頃に日本書紀とか古事記とかをきちんと読んだ人は少ないだろう。ましてや中国の古典など、なかなか触れる機会がないままに大人になりバカをやり、振り返ってみると「そっち行ったらこけるよ」って中国の古典に書いてたのに、勉強してなかったな〜って後悔したりすることもあるだろう。

 

その意味でこういう本を一度は読んでおくと日本の古代史、とくに天皇を中心とした文化がどのようなものであったかを理解出来るし、何よりも読みやすい。最近の流行かな、分かりやすい教科書的な本がよく売れる。

 

最初にいきなりガツンと来るのが「日本書紀は嘘を書いているから信用出来ない」と本を否定する人たちに対して「じゃあ聖書のマリアの処女懐胎が科学的に間違っているからと言って聖書を否定するのか?」と言う非常に面白い視点から投げかけてくる。

 

こういう視点で日本書紀を捉えるってのはとても新鮮であり楽しい。そうか、そういう視点があったか。新しい価値観を学べた感じだ。

 

確かに聖書に書かれた内容が現在の科学からすればどう見ても眉唾であるとしても、内容の非科学さゆえに聖書全部を否定する人はいないだろう。聖書は基本的に「信じて読む本」であり疑いながら調べるようなものではない。信じない者は信じなければ良い、信じたとしても自分に役立つ部分だけを取り出して学べばよい、そう考えてみれば随分と幅が広がる。

 

その後は日本を戦争なく成立した奇跡の統一国家、中国から守り抜いた独立と自尊など面白いテーマが並ぶ。

 

ただ惜しむらくは2点ある。

 

第一の点は宗教である聖書と天皇の出自を書いた家系図を同じ場所に置いて語る点である。日本書紀が家系図であり個人が信用するもしないも自由と言うなら戦前の天皇崇拝時代に家系図を批判した人間を近代国家の「法律」で裁いた歴史があるというのはどうであろう。

 

米国では聖書の内容を批判しても法律で裁かれることはない。コーランの内容を批判して裁かれるのは宗教国家であるイラクやイランやアフガニスタンであり姦通罪で衆目の前で石をぶつけて殺される国家である。つまり日本が天皇教であり天皇批判が法律によって裁かれる野蛮国家であれば日本書紀を信じなさい議論をしてはいけないという話も分かるが、少なくとも近代国家においては信教の自由は保障されており日本書紀が宗教であると言うなら反対して批判する自由もあるべきだという事だ。だから現代日本で天皇の家系図を宗教と同一化する事でかえって余計な議論を招くような危険を感じる。

 

ぼくは天皇の存在を認めているし、あの人も大変だろうなと思ってる。しかしだからと言って宗教書である聖書を持ってきて比較する必要はないのではないかな。

 

ぼくなら「日本書紀に記載されている事すべてが正しいかどうかって議論をするのは自由だけど何の意味があるの?議論は建設的であるべきでしょ」で終わりだ。過去をほじくって大書の一部の間違いを指摘して、だから全部を否定するなんて非建設的な議論に何の意味もない。一冊の歴史書として読み、あきらかな間違いは放置しておき学べる点だけ学べば良いと思う。

 

もう一点は歴史教科書の部分で天皇は渡来人なのか縄文人なのかを明確にしていない点だ。神武天皇が宮崎の高天原から近畿地方に東征したのはわかるが、では彼らは縄文人と同じように15000年前から宮崎の高天原に住んでいた縄文人の末裔なのかと言う点だ。

 

この点、天孫降臨を読むと彼ら神様のような人々は最初に出雲地方に攻め入り伊勢神宮に鏡を置き宮崎の日向が住みやすいと移住してきた書き方だが、では最初はどこの地方にいたのか?雲の上か(笑)?

 

天皇が中国や朝鮮半島から来た部族であればそれもよし、縄文人ですと言うならそれもよし、邪馬台国議論をしたくなければそれもよし。しかしせっかく天皇の出自や神武天皇を書くならもう少し踏み込んで、なにせ物語であるのだからもっと自由度を膨らませて天皇は宇宙からやってきたとか実は朝鮮人であるから日本人も朝鮮人も同根だよ、変な差別すんなよって筋書きがあっても良いと思う。けどそうするとテーマが広がり過ぎてぼやけるのかな。

 

途中までは考古学的な古代史を書き途中からは天皇の天孫降臨と言う神話にするものだから話が途切れてしまってる。新天地を求めて宇宙からやってきた宇宙人が最初から地球にいたサルの子孫である縄文人と一緒に生活をするようになった、彼らを圧倒的な科学技術と進化した文化で正しい方向に導いたから日本では大きな戦争が起こらなかった、そんな話でも良いのでは?と結構まじで思う。

 

この本の作者は旧皇族・竹田家の末裔なので当然に天皇家の事はよく知っている。明治天皇の玄孫(やしゃご)に当たる方であり、今まであまりはっきりしていなかった天皇家に関する具体的な知識も学べて面白い。

 

この本を買う時に合わせて「古事記」と「原発〜」と「日本はなぜ〜」も買ったので、天皇家側から見た日本史を勉強できそうだ。ぼくの書き方が悪くてこの本が面白くないという印象を受けた方には予め誤解を解いておきたいが、この本は十分に面白くお金を払って読む価値がある。

 

それは作者が天皇の直系であるだけでなく慶応大学を卒業して憲法学・史学を専攻しているという肩書きではなく、本の内容自体に学びが多いからだ。日本人であり日本古代史の話を知りたいなら一回は読んでおくべき本だ。



tom_eastwind at 11:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年10月16日

知られざる日本の特権階級

知られざる日本の特権階級 (宝島SUGOI文庫)
知られざる日本の特権階級 (宝島SUGOI文庫)
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わはは、笑える笑える、経歴詐称の項目では有栖川結婚詐欺事件が書かれているけど、2003年に事件が起こった時はなんで超一流大学を出たような人々があんなおっさんとおばさんにころりと騙されるんだろうねと不思議だった。

 

けどこの本を読むと「なるほどな、東京に住む特権階級な人々は思考回路が違うんだなってのがよく分かる。「ニッホンのマンナカ、トウキョデス〜」って感じで閨閥学閥派閥と、とにかく群れるのが好きな様子がよく分かる。みんなで手を握って輪になって「カラダのマンナカオヘソデス〜」と言う下の句を付けて歌えば楽しそうだ。

 

岸家佐藤家から鳩山家まで政治家の系列や正田家小和田家などの天皇家系列、財界では岩崎住友家、あげくの果てにはあそこの家みたいな閨閥から麻布>東大>財務相、政界+財界+官僚などなど、とにかく山手線の内側では誰とお付き合いしているかがとても大事なようで、だから特権階級の頂点に位置する天皇一族の結婚式にご招待されたともなれば誰もが有頂天、相手の身元を確認する事もせずに何が何でも祝儀袋持って駆け付けてって、それでころりと詐欺に引っ掛る。

 

彼らの思考回路は、高貴な痴、じゃなかった、血=金持ち=嘘つかないとなるようだし、高校の同級生や家格なんてのがパスワードになってて「開成!」と言えば「開けゴマ!」みたいな事になるし「福岡の麻生です」と言えば筑豊やくざの大親分ではなく「吉田茂の血を引く名門!」総理輩出の名家となる(そう言えば今回の暴対法で麻生さんどうするんだろな?)。

 

まあこれで相手の事前のボディチェックが不要なのでお気軽にお付き合いが出来て「肩書を外した個人」を判断する能力を持たなくて良いという生き方が出来る。「これ!いいじゃん世襲!ぬくぬくの環の中にいれば親の遺伝子をそのまま受け継いでも生きていけるってんだから自民党の三バカ息子を抱える政治家にとっては世襲の大事さがよく分かる。

 

中でも笑ったのが安倍元首相に関する話だ。

「彼は成蹊大学卒業後に南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学していたと言われるが実際は途中で挫折。単なる箔付け留学の典型だった。田中真紀子には“バカだから成蹊大”と屈辱的だがある意味本当の事を言われてしまった安倍氏。学歴が政治力と無関係と言うことを悪い意味で証明してしまった」

 

ぼくのような九州の山猿の高卒からしたら全く手の届かない雲の上の世界の話です(笑)が、こういう世界が好きな人もたくさんいるんだろうな、平目、じゃなかった華麗な履歴書がすべて、一度入ったら出たくなくなる特権階級は要するに阿片窟みたいなものだろう。

 

まあ、あまり書いたらびんぼーにんのヒガミって言われそうなのでやめとくが、ぼくは子供に残すのは教育だと思っている。そしてぼくが教えたい事は答のない世界で一人で生きていく力であり胆力だ。どれほど賢くても胆力がなければいざと言う時に絶対に、絶対にと言ってよいが体も脳みそも動かなくなる。そして海外で生きていくには肩書きなどトイレの硬いボール紙みたいなものでほとんど役に立たない(少しは役に立つ、ひりひりすることを覚悟すれば)。結局すべては個人の能力と胆力である。

 

それにしても政治の閨閥や世襲、データで見せられると改めてニュージーランド政治との違いを感じる。この国では基本的に世襲と言う発想が存在せず政治家はボランティアの延長であり地盤看板カバンの相続などまず考えられない。あ、そう言えば政治家の父親から地盤を譲ってもらったら相続税を払うんでしょうね二世政治家さん(笑)。

 

今の日本がなぜこれほど長い間マヒ状態になり世界から取り残されているのか、この本を読むと悪い意味で良く分かった。受験頭は良いけど胆力のない連中が父親世代が一生懸命作った水洗トイレを1990年代にぴーひゃらやってバルブを吹っ飛ばしてしまい水がちょろちょろと溢れ出した。

どうしていいか分からずにトイレにふたをして先生にばれないように隠してしまい、周りの友達も気づいてても仲間だからと気を遣って注意もせずに放置、結局トイレの汚物が廊下にまで溢れ出してから「せ、せんせい、ぼくじゃないですー、あいつです〜」って言い出したようなものだ。

群れは強いが群れる奴は弱い。そして群れに入らなければ出世出来ない、これが今の日本の悲劇である。




tom_eastwind at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年09月27日

「ハイパーインフレの悪夢」アダム・ファーガソン


「ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する」と言う副題が付いた歴史ノンフィクションだがテーマはインフレーションが社会に引き起こす恐ろしいまでの崩壊である。1975年に出版された当時はそれほど注目されなかったが2008年のリーマンショック時に米国の伝統的投資家ウォーレンバフェット氏が「金融危機を考える上で必読」と述べたと伝えられて評判になった。氏は否定するものの2010年に復刊された本である。


★上記は本書に寄せられた池上彰氏の文章抜粋です★



この本は第一次世界大戦で巨額賠償を背負わされたドイツがいかにインフレーションに陥ったかを歴史と時系列を突き合わせながら様々な角度から立体的に描いていくのだけど、まるで今の日本を見ているようで途中から怖くなった。



日本が長期負債を抱えていながらも他国の金融危機が先に起こりその度に安全資金と見做された日本円へ投機資金が移動して日本円は70円台に張り付いたままであるが、では日本円はいつまで強いのか?



通貨は二人以上の人間が信じ合うから存在価値があるわけでその信頼を失ったら紙切れになるというのは経済の世界では当然の帰結であるが多くの一般市民は通貨に対して紙切れと言う認識を持ってない。



では円は今のレートが適切なのか?これにはたくさんの経済学者が様々な意見を述べている。適正と言う学者もいれば高過ぎと言う学者もいる。しかし両者に共通しているのは、日本は莫大な政府の赤字を抱えているという事だ。



その赤字を800兆円と言う人もいれば1300兆円と言う言う人もいる。どちらにしても年間収入である歳入約40兆円の最低でも20倍、最高で見れば30倍以上である。



日本をバランスシートで見れば負債は多いが対外資産もあるし国内でも国債を使って新幹線や高速道路を作っているから財産が残っていると言える。いろんな見方が出来るのでなかなか正確な日本の画像が見えない。



ただ、一つだけ言えるのは財務省は赤字体質の国家を好きではないし国際会議の度に日本の赤字を指摘されるのは全然うれしくないし早急に国家を筋肉体質にしようとしているのは事実だ。



ぼくは野田政権に移ってから暫く政治ネタは控えていた。松下政経塾出身者がどのような国家運営をするかも個人的に興味があるし現時点で何か批評するのは時期尚早だと思ったからだ。しかしここ数日の増税論議で、おお、やっぱりこの人の方針は増税政権なんだなってのが理解出来た。



増税そのものは国家が必要とする限り行うべきである。しかしそれは常に公正であり透明であるべきだ。一部の連中がぼろ儲けをする中で多くの真面目な人々が到底払えない程の税金を課すのであれば、それは間違いなく国家の崩壊を招く。



今の日本がまさにその状態である。群馬県のダム建設は民主党政権の下で中止することになっていたのがいつの間にか既存既得権益連中の画策で再開されようとしている。不要なダムを作り車が走らない道路を作り国民の税金でぼろ儲けをする連中がいる一方で真面目に働いている人に重税を課せば、それは確実にデモや愛国心と言う名前の下で過激な行動が発生することになる。



そして何よりも怖いのは、普通の日本人が怒りだしたら思考停止状態に陥り、理屈では止まらず徹底的に行き着くところまでやってしまうという国民性だ。



今の日本で増税をするにしても、その前にやることがたくさんあるだろう。まずは無駄な公務員の削減、国会議員の削減、同時に公務員給与体系を民間に準拠させて賃下げをする事である。人事院見直しで0.2%?ふざけんなっちゅうの!日本のデフレは何年続いているのか?その間公務員給与はどれだけ「見直し」で賃下げされたか?全然バランス取れてないでしょ!



そのような目に見える不公平を放置しながら国民に「もっとカネ頂戴〜」だと?通るわけがないでしょうが!



ところが民主党では労組が母体になった議員が多いから公労協の利権には手を出せず、片方では経済界から支援を受けている議員もいるから結果的に撮りやすい処から取る、つまり一般労働者にすべてのしわ寄せが来ることになる、政府からすれば彼らが絶対に反対しない隷属のヒツジと思っているからだ。



しかし僕が一番怖いのはこのような増税と不公平とそれによるデモではない。デモはどれだけやっても所詮は示威行動であり政治的な影響を与える事は出来るが経済的な影響を与えることは少ない。



ところが財務省には経済的な影響、つまり政府が抱える800兆円〜1300兆円の借金を帳消しにする打ち出の小づちがある。それがハイパーインフレーションである。政府はその気になればいつでもハイパーインフレーションを起こすことが出来る。時期だけ決めたら後は役人が個人資産を外貨建てに切り替えてからインフレを起こす。



そしておとなしく国債を個人で買った人や銀行が持つ国債はすべて紙切れとなる。昨日まで1万円で何とか貧しくても夕食が食べられたのに今日は1万円でトイレットペーパー1ダースしか買えなくなる。



国債を購入した時の1万円の価値が、あっと言う間に100円になる。そうすれば国が抱える800兆円の借金は100分の1、つまり8兆円と同じになる。そうなれば国庫収入が40兆円あるから数年で国家の借金は返済できる。



ドイツで起こったハイパーインフレーションはアドルフヒットラーの台頭を招き欧州は戦渦に巻き込まれそれは世界に拡大して第二次世界大戦を招いた。



しかし今の財務省にそこまで先を読んで「だからハイパーインフレーションはダメだ」と考える勢力がどれだけいるのだろうか?または「国民なんてどれだけ絞っても我慢する奴隷羊なんだからやっちまえ!」と言う“イケイケ派閥”もいるのかもしれない。



もし皆さんも時間があればこういう本を読んでみてはいかがだろうか、長年のデフレに慣れてしまって「インフレもいいかも」と思う気持ちを一発で吹っ飛ばすこと間違いない、真夏のお化け屋敷並みの本である。 


 


ハイパーインフレの悪夢
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2011年09月23日

「捕食者なき世界」ウィリアム・ソウルゼンバーグ

食物連鎖と言う冷徹な言葉がある。同時に「まあ、鹿がオオカミに襲われて食われて可哀想〜」ってお涙ちょうだいの感情論もある。

 

この本は動植物、つまり世界の地上で生き続けるいけとし生けるものすべての連鎖をテーマにして、森が滅びるのは人間が目先の感情に流された時だ、とか、海が滅びるのは森に栄養がなくなった時だと訴えている。

 

つまり簡単に言えば人間がその場の思い付きと感情論だけで自然に手を加えた瞬間に自然は思いっきり人間に懲罰を与えるという事だ。

 

物語はアリューシャン列島のラッコの話からイエローストーン国立公園の鹿の話まで、世界中の様々な事象を取り上げながら最高捕食者(Top Predetor)がいなくなることで結果的に食物連鎖が破壊されて自然が崩壊する様子、そして最高捕食者を戻すことで元の自然を取り戻す様子が描かれる。

 

例えばオオカミが最高捕食者として存在していたイエローストーン国立公園で1920年代に最後のオオカミを「自然と動物保護の為」と撃ち殺した結果、鹿が異常繁殖して彼らが木の若芽を食べつくし森は赤土の焦土と化し川辺のハコ柳は絶滅して岸辺が崩壊して川と陸地が泥沼となり、それが岸辺に住む鳥を追い出す事になり、岸辺に本来住んでるはずの自然の生き物が生存出来ない状態になった。

 

この本を読んでて一番感じたのは無知の感情論の怖さである。人間は現時点では世界の動植物の最高峰に位置して彼らの生息権を握っている。しかしそれは冷静さを欠き感情の身に流され自分が正しい事をしていると信じ切っているオカルト集団とまさに同じなのである。

 

人々はオウム真理教を狂信的集団と呼んだ。しかし日頃勉強しない人々は多くの場合騙される。地球温暖化とかCo2問題なんてまさにその骨頂であり、ありもしないとは言わないが科学的に証明されていない事を信じ切って彼ら「地球温暖化軍団」に膝まづき彼らにお金を渡して自分は地球の為に戦っていると本気で信じている。そしてCo2を広告に謳い「当社は地球にやさしい企業でございます」とバカを晒している。

 

この本はそのようなバカに一冊献上して、自分の持っている信心がどれほど馬鹿げているかを考える機会になるのではないか。

 

ちなみにこの本では西大西洋のマグロの問題も取り上げているがクジラはそれほどではない。白人が書いた本としては常識の範囲内で収まっている。てか、作者のように実際に自然の現場を自分の足で回ってきた人からしたら白人寄りでありながらもバランスの取れた結論となっているのが良い。

 

出来れば次回は日本が数百年の昔から自然と共生してきた民族であり食糧となる魚や肉を常にバランスを取りながら、更に食料となった動物や植物に感謝を捧げる習慣を本にしてもらいたいものだ。



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2011年07月11日

年金は、払うな 「日本中枢の崩壊」

日本中枢の崩壊
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「日本中枢の崩壊」読了。「これからは国に頼ってもダメだ、自分で何とかしよう」と言う言葉が現役キャリア官僚から出てくる時代になった。年金は、払うなと役人が言う時代になった。

 

この本では今若者が支払っている年金は今の老人世代の為に消費されている。政府はあなたの預けたお金を貯金などしていない、すべて今消費されているのだと明確に説明している。

 

ところが年金が自分の老後のための貯金だと思って払うから、自分が老人になったら年金がもらえると思い込んでいる。

 

これは二つの意味で間違っている。一つは今あなたが払った年金は現在の年金受給者によって消費されており政府はあなたのお金を運用などしていないという点だ。もう一つは「そんな事言っても今払っているんだから老人になったらもらう権利あるでしょ」と言う甘い空想だ。

 

甘い空想の第一点は老人とは何歳をさすのか?である。昔は60才から年金がもらえたが今は65才だ。例えば35歳のあなたが年金をもらう30年後には老人は90才であり支給年齢は95才になっているかもしれない。

 

甘い空想の第二点は「いくらもらえるのか?」だ。自分が生涯払い続けた年金が1千万円としよう。それに毎年の金利を2%と計算しても、いつからもらえるか分からない年金でその金額が「すみません、あなたを支えるはずの若者は少子化でして、支払いできるのは毎月2万円です」となったらどうする?

 

「そんな事あるわけないじゃん、政府との約束だよ〜」と思うだろうが、政府がどのような約束をあなたと交わしたか?彼らはあなたからもらう金額は決定しているがいくらあなたに払うかは約束などしていない。

 

これが保険や預金なら満期にいくらと分かるが年金には満期配当がいくらと言う決まりがない。その時の年金支払者が何人いるかで決まるのだ。いくら払ったらいくらもらえるのか?あなたは知っていますか?そしてその約束が今までどれだけ政府によって破られてきたか知っていますよね?

 

だったら年金支払いは一度やめてみよう。どうせもらえないのだ、全員で年金支払いを拒否してみよう。そして年金分で中国やインドの国債を買って老後に備えようではないか。

 

上記のようなネタがたくさんあって非常に勉強になる内容だ。驚愕の真実ってのはないけどずべてが政府側の真実なので、自分が騙されない為にぜひとも一度読んでおくことをお勧めする。



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2011年04月19日

ヒトはどうして死ぬのか

 

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)
著者:田沼 靖一
幻冬舎(2010-07)
販売元:Amazon.co.jp
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東北大震災で2万人以上の方が亡くなった。その精神波動は凄まじいもので、今も世界中を駆け巡っている。

 

シャーリー・マクレーンと言う米国の女優兼作家は魂とか輪廻転生をテーマにした本を出しているが、その中で面白いテーマがあった。

 

南米など世界中で起きた大地震や災害で同じ日に同じ場所にいたにも関わらず生き残った人々と亡くなった人々の違いである。

 

そんなもん偶然でしょって片付けてしまえばそれまでだが彼女はそこに何かあるはずだと思って研究した。

 

1983年には300万冊のベストセラーとなる「アウトオン・ア・リム」を世にだし、そして同時に様々な名言を残している。

 

•「地球は人類の集合意識に正比例して呼応している生きた有機体だ。― その逆ではないのだ」

これは天譴説としても使われるが人類が欲望の塊になった時に地球は正比例して反応する、つまり地震や大津波、火山の爆発などによる自然災害が発生するという考え方である。

 

現在の人々の多くはまず天災があり人間が被害を蒙ると考えている。しかし実はその反対であり、人間が悪い気を作り出してしまいそれが天災を起こすという発想だ。

 

天譴説は彼女だけでなく日本でも昔から語られてきた事で関東大震災の時に石原莞爾も「この天災は神による譴責である」と訴えた。もちろんシャーリー・マクレーンが生まれる前の人物であるから彼女のコピーをしたわけではない。

 

・「魂はまわりの自然環境にも影響を与える。魂がすべて なのだ」

これも上と同じで、スウェーデンボルグにしても合理主義者であったシャーリー・マクレーンにしても、自分の頭で合理的に徹底的に分析して研究していくと、そこに目に見えない「あるもの」の存在を理解し始めるという事だ。

 

いつの時代の人間かは関係ない、いつの時代でも人と魂は同居しており、その魂がうす暗かったりねじけていると周囲にその影響を与えてしまい、周りまで悪い気分にさせる。それが最終的には自然にまで影響を与えてしまうのだ。

 

松下幸之助の名言の中でも「運の悪い奴とは積極的に付き合わないようにする」というのがあった。これなど暗い魂を背負っているとその不幸が自分に転移してしまうので避けていきなさいと言うことだ。

 

•「人生において偶然はない。もし人が心を開き、感情を素直に表わし、あまり心配しなかったら、他人に対してとてもよい影響を与えることができるんだよ」

 

ここで初めて「人生において偶然はない」と語りかけてくるシャーリー・マクレーンは合理的な米国人でありながら東洋的な思想の影響を受け、その後同じ俳優仲間のピーター・セラーズの死を予言したり幽体離脱を経験したり、まさにスェーデンボルグと同じような行動をとる。

 

魂の存在をどれほどの人が信じるだろうか?多くの人は「なんとなくありそうだけどよくわかんない、まあいいやゲームしよ」とか「たましい?ごめん、今ね、仕事が押せ押せなんで後でね」となる。

 

結果的に多くの人が真剣に魂の問題に取り組まないまま毎日を過ごし、自分の不幸に対しては世間が悪いと文句を言い、自分に訪れた幸運(と本人は思っている)は自分の力で勝ち取ったものと思い込んでいる。

 

そして「誰か見えないもの」に与えられたせっかくの機会なのに「見えないもの」の存在を理解しようとせずに結局不幸になっていく。

 

今回の震災で亡くなった方の中にはもちろん素晴らしい学者も高貴な精神の持ち主も優れた人間性を持つ人もいただろう。

 

そのような彼らは、この世の役目を終えて次の世界に移動したと考えたらどうだろうか?そして生き残った人々にはまだこの世の中の役目があると考えたらどうだろうか?

 

そんなことを考えながら「ヒトはどうして死ぬのか」を読了。人間から神性を完ぺきに切りはがして単純に肉体のみを遺伝子とタンパク質で語り、なぜ人が死ぬのかを科学的に分析している、実によくまとまった一冊である。

 

この本を買ってからもう2か月以上「積読(つんどく)」状態だった。ほかにも読みたい本があるし出張もあるしで、なかなかたどり着かなかったのだが、この本を今読むことになったというは偶然ではないのだろう。

 

徹底的に精神論を抜きにして完全にヒトを肉体として扱いその仕組みを表そうとするこの本はとっても興味深い。人間は普通に生きてれば100歳くらいまでの寿命はある。そこまで至らなければ人生の途中で遺伝子やたんぱく質が傷ついた事である。

 

おもしろいな、魂を徹底的に突き詰めていこうとする道、肉体を徹底的に突き詰めていこうとする道、どちらも面白いと思う。今回の未曾有の大震災、せっかくの機会である、どちらの道でも良いから自分が納得出来るまで徹底的に突き詰めて考えてみればどうだろうか。



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2011年04月11日

人はなぜ生きるのか? 老いの才覚

人はなぜ生きるか?

 

ここ一か月の東北大地震、原発事故が続く中でも地震の際はまさに名古屋にいたしその後はシンガポールや香港への急きょ出張が入ったりで忙しかった。

 

名古屋でお客様から「これ読んでみて」と勧められた一冊がある。それが曽野綾子の「老いの才覚」で、シンガポール出張の間は鞄に入ったまま読む機会がなく、香港で時間が取れたので一気に読み上げた。

 

あ、これだ。これでまた一歩上の段階に登れたって思った。

 

子供の頃から長く考えていたテーマの一つに「人はなぜ生きるか?」がある。もともとスウェーデンボルグの本で神との対話や天国と地獄、あっちとこっちの繋がりもある程度理解出来てた積りだし仏教に輪廻転生があるからこそ仏教はキリスト教よりも崇高な位置にいると捉えていた。

 

しかしそこから先、うむむと言うことがよくあった。とくに何かを判断するときの基準として何が普遍的であり何が刹那的なのか?どう使い分けるのか?

 

曽野綾子はそこに明確な指標、てか、明確具体的ではないのだが誰にでも理解出来る指標を持ち込んだのだ。

 

それが「良心」である。人は他人の前で嘘を付けるし泣くふりも笑うふりも出来る。けれど自分と対峙した時、そんな“ふり”は何の意味もなく自分の取った行動に対して心に強い鞭をあててくる。

 

キリスト教信者の純粋な気持ちは認めるが突き詰めていけばキリスト教は随分と傲慢で持続する社会を構築するにもっともふさわしくない宗教である。

 

その点において仏教から入るのは良いと思ったが、曽野綾子のような現場のクリスチャンから学ぶことは実に多い。その意味でキリスト教徒はまさに日本帝国陸軍、下に行けばいくほど優秀で上に行けばいくほどバカである。

 

人はなぜ生きるのか?それは人生そのものが試験会場であり、人が人として生まれて寿命を全うする時まで人でいられるかってことを試されているのだ。実は多くの人が人として生まれていながら老いが近づくに連れて動物に近くなったり人生の真ん中へんにいる政治家でも官僚でも人間性を失ってとんでもない事をやってしまい、自分たちの行った動物以下の行動を反省しなくなる。こうなると彼らを待っているのは次の世界に行った時の地獄の炎である。

 

今生きてる人生はあくまでも試験会場であり、本当の人生は死後にある。そしてその後の輪廻転生にあり、人はそうやって時には鳥になり時には樹木になりながら自分の寿命が尽きたらまたあの世に戻るのである。

 

だからこそ、この世で起こる様々なことはすべて試験であり、試験の度にあなたの点数が採点されていることに気づこう。

 

そして自分が今日何点だったかを知りたかったら、誰もいない場所で今日自分がやった事を振り返り考えてみれば良い。そうすれば良心が出てきて「はい、今日は30点、だめね」とか「今日は80点、よく頑張りました」とか語ってくれる。

 

だから自分の心の中にある良心に耳を傾けよう。この良心は最初に書いたように判断基準が明確でなく、普遍的な原理原則しか語らない。それを自分が今直面している状況でどう刹那的に判断するか、ここが難しい。

 

けれど答えがあるんだな、さすが曽野綾子って感じだ。自分も素人なりに子供の頃から本を読み様々な宗教や考え方にも触れているのだが、それをこれだけ簡単な言葉にまとめて、更に「だからさ、人生は甘くないけどさ、良心に従って生きてれば楽しいわよ」って語りかけてくれる曽野綾子を感じる。

 

原発の話は?って思うだろうけど、まさにこの「良心」こそが今の御用原発学者に一番欠けている要素ではないかと思った。けど同時にそんな彼らでもいつの日か自分がやった過ちに気付いて反省をする。

 

その時が彼らが死ぬ前に来るのを御用原発学者に望んでいる自分がいるのを見てちょっとびっくりして、更に曽野綾子の影響力の強さってか、生きる力の強さを感じさせてくれた。

 

この本はもちろん今回の東北大地震の前に発刊された本であるが、その中で「老人がむやみやたらと病院に行って薬を貰って高い医療費を使うようなことは自発的にやめなさい」とか「あの人がもらってるのに私がもらってない」などと言って不必要なものまでもらおうとする悪い不平等を自発的に「遠慮しましょう」と言ってる。これなどまさにそうだ。

 

この本、年を取る前にじっくりと読み、年を取ってからもう一度読み直す、そういう何度も読むことが出来る本である。



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2011年02月15日

「獅子のごとく」 黒木亮 

獅子のごとく 小説 投資銀行日本人パートナー (100周年書き下ろし)獅子のごとく 小説 投資銀行日本人パートナー (100周年書き下ろし)
著者:黒木 亮
講談社(2010-11-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ブログに頂くコメント、ブログから直接メールを返信することが出来ず、またメールアドレスをコピーして通常のアドレスから返信しても送信不能で返される。なんでかな。

 

新しいレッツノートCF-J9にして使い勝手はよいのだが、ワード2003からいきなり今のバージョンに来たものだから文字サイズ調整も出来ず、おまけにライブドア側の書き込み方法もどんどん進化してて写真の添付方法もよく理解出来ず失敗、進化についていけなくてかなり苦しい思いをしながら先を歩く人々の背中を追いかけている感じだ。

 

だもんでコメントは読むだけでご返事を差し上げることが出来ないのだが、今回はその中にお問い合わせが入っており、うむむ、どうしよと思いながらも、とりあえず書けるだけ書いておこうってことで、医師免許の話。

 

NZで医師免許の取得を目指した方が数年前にいたが、結局彼は日本の元の上司の関連する病院に呼び戻されてしまい、取得には至りませんでした。

 

じゃあ日本人医師がニュージーランドで医師免許を取るとすればどうするか?まずはIELTSアカデミック7.5取得と医師免許の書き換え、それから見習いを2年ほどやってからフルライセンスになる、おおざっぱに言えばそんな流れだと思ってください。

 

実はもっともっといろんな規則があるんだけど書き出したらきりがないので現状報告まで、です。

 

ところで週末に読んだ「獅子のごとく」黒木作品ですが、これはまた素晴らしい出来だ。

 

ゴールドマンサックスの持田社長をモデルにした作品で彼の生い立ちから学生時代、邦銀を経て海外留学を経験してゴールドマンサックスに入社、それからの泥臭い営業と、彼のまわりで働いてそれぞれ新しい世界に旅立っていった人々を描いているんだけど、これ、金融の素人には書けないよねって感じの実感と迫力があちこちに感じられる。

 

海外で一人で戦うってのは母国の助けも家族の助けも何もない状態で生きていくことだけど、日本でだって外資で働くっってのは大変なことである。

 

とくに金融の世界で生き抜くってのは、どこの都市であって金融で戦うのはこんなにも苦しいものかと思わせる。まさに孤軍奮闘で素手で殴り合い叩き合い、少しでも気持ちが弱ればぼこぼこにされる。常に獅子のように戦う強い意志を持たねば生きていけない。

 

一つ一つのやり方を汚いとかずるいとか言うことは出来る。立派な評論を高いところからエラそうに自分は何もせずにどうのこうのって理屈ばかり並べる奴はたくさんいる。

 

けど、生きるってのは戦いであり、そのためには手段を選ばない、ましてや日本人程度の常識や道徳や感情などいちいち考えていたら世界レベルでは即退場である。

 

日本的な感覚や常識や道徳を大事にしたいならそれでどうぞ、けど自分に都合の良い時だけ国際化〜とか言っておいて都合の悪い部分は「あ、けど日本は違うから」ってそんなずるい話は通用しない。まして世界を相手にしたファイナンスビジネスでは絶対に生き残れない。

 

この本の主人公となった持田氏は、作家の黒木氏いわく「じぶんの事書かれてあんまりおもしろくない(笑)」らしい。

 

サラリーマンとして集団の中で生きている人には理解しにくいしおそらく主人公のやってることに「え〜?なんでそこまで?」と思うだろう。

 

その意味でこの本は集団の中で生きていき他人に汚い真似をさせて自分の手を汚さずに午後の日差しの差す裏庭でお茶を楽しむ人々には理解されにくいだろう。

 

けど自分ひとりだけで戦う人にとっては、なぜ戦うのかという意味も含めて随分励まされる一冊である。



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2011年01月04日

人を殺すとはどういうことか 2

読了。やっぱり重いな~、これだけのページ数しかないのにテーマがたくさんあり過ぎて、1ページ毎は読みやすく書かれているのに数ページ読むと「ああ、今度はこのテーマか、それも重いでしょ」となる。

2009年に発行された現役の終身刑受刑囚が塀の中で書いた本である。

人は人を殺していいのか?この問題を徹底的に突き詰めて、それを分かり易い言葉に書き直してるんだけどこれは相当に知識がないと上滑りになるか人権左翼の感情論にしかなり得ない。

ここに出てくるのは死を哲学的概念から見た場合どうなのかと言う視点。
次に実際に自分が殺人を犯した立場として、つまり現場から見た殺人と言う視点。
そして聞き取り調査を行う中で出てくる現実と人権左翼の主張の違い。

彼は最終的には「死刑はありだ」と言ってる。それは自分が人を殺したのだからいつ殺されても文句は言いませんという点で彼なりに導き出した結論であり、同時に彼が子供の頃から親に教えられて来たことと一致する。

「人にされて嫌なことは、人にしちゃいけませんよ」そして彼の規範で言えば彼が殺した二人は「俺に殺されても仕方ないくらい嫌なことをしていた」のだ。

作者は2人を殺害した罪で無期懲役を宣告されて重罪刑務所に入れられる。彼は塀の中で持ち前の探究心と学識を組み合わせて重罪を犯した人々に対して様々な「聞き取り調査」を行う事でいくつかの考えを持つに至る。

聞き取り調査では犯罪者の今の気持ちを平易な言葉で書きながらも彼が分析する際は犯罪心理学と照合しながら行うので、その調査結果は非常に面白い。

彼はまず「殺す」と言う行為をある程度定義付けて、良い(仕方ない)殺しも悪い(絶対に罰するべき)殺しもあると判断している。

次に同じ殺しでも組織犯罪者と堅気の意識の違いを分析していく。その結果として彼が自分なりに判断するのは、組織犯罪者の場合は軍隊同士の戦いでありそこには規律もルールもあるが、堅気の殺し、特に強盗殺人、放火殺人、強姦殺人などの場合は完全に本人の欲望や短絡的な発想、他人を全く思いやる事のない犯罪であり、ほぼ更生の余地はないと言うことだ。

犯罪者の刑務所に閉じ込められる時間が長くなってもいつかは出て行くのであれば、彼らはまた繰り返す。何故なら彼らは刑務所の中で長い時間をかけてお互いの手口を研究して出所する頃には高度化しているからだ。

そして彼ら堅気の犯罪の特徴は、普通の人なら理解出来るであろう「そうやったら次こうなるでしょ、だから結局損でしょ」と言う三段階の論理展開が苦手であり、普通の人なら我慢出来る事が全く出来ない。

また人を殺す時は何も感じないのに自分が死刑になるとか殺されるとなったら突然「や、やめてくれ!」となる。このあたりのバランス感覚が全く無いのである。

生まれた時はあったのかもしれないが親の問題や周囲の問題でいつのまにか失ってしまったのだろうが、どう考えても一生治らないような人間をまたも一般社会に放置して次の犯罪を作るのか?

だから前科何犯、それもすべて幼女虐待とかであればこれはもう死刑にすべきだ、死刑に反対する人に言いたい、いっぺん塀の中に入って彼らの本音を聴いて見ろと主張する。

一生塀の中で罪を償わせるなんて甘い甘い、彼らの殆どはそんな事は考えちゃいない、今日の夕飯と夜のテレビと仲間内の情報交換、あとは「早くシャバにでてえな」だ。

彼が犯罪者仲間に聞いた。「おい、お前そんな犯罪起こしておいて反省しないのか?」

犯罪者がさらっと言った。「ああ、反省しているよ、何故あそこで下手を打ったんだろうてな」

まず大事なのは市民社会では他人も法律を破らない事を前提に生活している。財産権、生命権をお互いに守ろうねと言うことを前提にしているから平気で他人に背中を向けられる。けど他人が平気で自分の背中に包丁を突き立てる奴だったらどうする?

今の日本の司法では犯罪者をミソもくそも一緒に扱っているし、更に更生支援にしても表面的なところで終わっているのが現状である。作者はそういう日本の司法制度の問題にも触れている。

日頃毎日どこかで殺人が起こってる日本の自宅のお茶の間でテレビニュースは見て「ひどいね~」とは言いながら、じゃあ死刑ってどうあるべきかとか再犯の場合誰に責任があるのかとか被害者の人権が無視されている現状を何も考えない。

けど、テレビを見ている貴方の自宅に誰かが忍び込んで来たら、そして包丁で襲いかかられたら、その人が実際に犯罪に巻き込まれた場合どうするのか?傍観者としてではなく、もう少し当事者としてこの問題を皆が考えるべきではないか、その為にもこの一冊はお勧めである。


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2011年01月03日

人を殺すとはどういうことか

★抜粋開始
救命胴衣は飛行機が着水して、外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし、私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が、四、五人いました。男の人ばかりです。
 
こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすればいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですから、そのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。

「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ。全部女の人ばかり」と教えてくさいました。
★抜粋終了

ちょっと用事があって日本航空墜落事故時の資料をネットで読み返してたら上記の記事が出てきた。女性は強いなって思った。

同時にこの事件の背景に、今までは全く考えもしなかったような「仮説」があるのも分かった。911はかなりの確率で「仮説」の方が正しいと思うが御巣鷹山でもそう考えた人がいたって事だけでぞっとする。

フィリピンで車を運転してて逮捕されて刑務所に放り込まれた人に「人身事故でも起こしたのかい」って聞いたら、彼がこう言った。「違うよ、何もしてねえよ、捕まった時に警察に渡す金がなかったからさ」

フィリピンでは賄賂としてのカネがないと警察に逮捕される。逮捕されて役人に渡すカネがないと有罪になって刑務所に放り込まれる。刑務所で看守に渡す金がないと飯も食えずに死んでしまう。

これもぞっとする話であるが、こちらは実話なのでフィリピンに行くときはカネだけはたくさん持っていこうと本気で思ったものだ。

こんな感じで世の中にはぞっとする話がたくさんあるが、今読んでる「人を殺すとはどういうことか」もずいぶんぞっとさせられる内容だ。

今日1ページ目を開いたので明日には読み終わっているだろうが、社会の成り立ちの「おれはお前を殺さない、だからお前もオレを殺さない」と言う原則がある。社会に入りました、殺されましたでは洒落にもなんない。

ではもし相手がその原則を破ったら??司法に出来る事は「起こった犯罪を裁く」だけだ。では犯罪が起こらないと言う予防の部分は誰が携わっているのか?戦前は犯罪予防と言う意味で警察が個人生活に立ち入り、犯罪防止のためと言う名目で特高警察が個人の取締りを行った。

そうなると殺されないだけの予防をするのは自分で自分のみを守るしかない。落ちそうな飛行機には乗らない、フィリピンではカネなしに車の運転をしない、などなど。

でもこういう危機管理は完璧があり得ない。どれだけ気をつけてても事故るときは事故るのだ。だから何かあった時にどれだけ対応能力を持つか、何も起こらないように日頃から危機意識を持って生きるかは大事である。

しかし何よりも大事なのは同じ社会に住んでいる人が同じ原則を理解出来ているかどうかを知る事だ。相手が原則を知っていればそれだけ危機は減少する。

作品とは少し違う内容のブログになった。この本に関する感想は後日まとめて書きます。


人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白
著者:美達 大和
新潮社(2009-01)
販売元:Amazon.co.jp
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2010年11月21日

世紀の空売り The Big Short

サブプライム問題を扱った分かり易い解説本として、そして何より小説として読みやすいのが良い。

五味川純平も戦後すぐに発行された小難しい何とか派の作家に対して「お前らの本は本当に面白いのか?」みたいな質問を婉曲に行っていたが、まさにこれである。

サブプライム問題は金融知識がないと理解不能だし、その金融知識とは地方支店の営業担当者が自転車でお客のお店に行ってお金を回収して、その残高を支店で計算して合った合わないをやっている程度の知識では到底不可能である。

もちろんぼくも入り口程度しかこの問題の理解は出来てないが、ただ確実に言えるのはサブプライム問題は法的に言えば「未必の故意」と言う犯罪である。

つまり投資銀行はこの債権を売れば次に何が起こるかを知った上で金融界に債権を売りまくり(日本では農協やみずほ銀行などが引っ掛かった)その結果として世界中を巻き込む一大金融不況を作り出し、多くの人が住む家を失い職を失った。他人の財産を奪う結果になったという意味では犯罪の要件は充分に満たしているということだ。

しかし実際には書類も全部揃っており契約も成立しており、財産を失った人間の方がバカだったと看做されている。

サブプライム問題は突き詰めて言えば政府を巻き込んで一般国民を不幸に落とし込む詐欺であるが、詐欺に至るすべての段階で契約書とか政府認可とか格付けをもらっているから結果的には「買った奴がばか」ということになる。

政府が一部大手投資銀行だけを守って一般大衆を餌にして食い尽くすのは日本でもおなじみなので珍しくはないが、ここまで大仕掛けでやられるとあきれるしかない。

問題は、サブプライムと言う名前の詐欺は今回はこれで終わりだが、次の詐欺はまた違う名前で表面化してくるという事だ。格付けだけに頼り切って自分の頭で考えようとしなかった連中は、次の詐欺でも確実に引っ掛かるだろう。

日本ではぴんと来ないかもしれないが、実は今はサブプライムローン処理の為に政府で印刷された米ドルが世界中に飛び回っている。これはすぐに次のバブルを産むのは間違いない。

その時に自分が食い物にされないようにある程度の金融知識を身に付けることは、白ご飯をお箸で食べる技術を学ぶようなものだ。好きとか嫌いではない。覚えるしかないのだ。

その意味でこういうハウツウ本は役立つ。技術的な部分は理解出来なくてもノンフィクションとして読むだけで充分勉強になる。かなり分厚いが、最初は本に出てくる人々の名前と筋書きだけを覚えて、二回目に金融の基本をゆっくり勉強すれば良いのではないかと思う。

お勧め。

世紀の空売り世紀の空売り
著者:マイケル・ルイス
文藝春秋(2010-09-14)
販売元:Amazon.co.jp
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2010年10月28日

トリプルA 黒木亮

三連休の間に読んだ本が4冊5巻。このトリプルAだけ上下巻だった。もう一冊は隠蔽捜査3.5なんだけど、4冊全部読み終わっての感想で言えば、今回はこのトリプルAが一番よかっただ。

ぼくがニュージーランドでファイナンスビジネスを扱うようになったのは1999年、日本の外為法改正以降だ。それまでは原則日本人が海外でお金を動かす事は出来なかったのが、この規制緩和でビジネスチャンスが出てきた。

そこでぼくが思いついたのが円(建て)送金である。今でこそどこの会社でも取り扱っているが1999年に当社が初めてこの市場を立ち上げたときは周囲は非難ごうごう。

てかイーストウィンドってのは後発のくせに既存市場をかき回すようなビジネスを作り出してどういうこっちゃと言うことである。

現地日本人向け情報センター設立の際も、当社が参入するまではどこも有料だったのが、当社が無料情報センターを立ち上げた時も大騒ぎ、あんな業界秩序を乱す奴なんてたたき出せ!みたいな勢いだった。

要するにそれまでの業界は椅子に座って黙って飯が食えることだけを努力もせずにやって何の新しい顧客向けビジネス提案もせずに放置してきたのが、それをいちいちぶち壊してきたこちらのやり方に相当頭に来てたわけだ。

そして円送金を始めた際も周囲のカラスはカーカー鳴いて「あそこにお金預けたら盗まれますよ〜」なんて平気で誹謗中傷していたものだ。

だったら自分の頭で学生の送金の受取額がもっと増える手段を考えなよ、そういう事は何もせずに他人の悪口ばかりのどうしようもない状況だった。

そこで僕は方法を変えて、競合他社に円送金の仕組みをあえてすべて説明した。するとそれまでの非難ごーごーはピタっと止まり、翌月からすべての留学会社が「当社の円送金はお得です!」とやり始めたのだ。

まあ市場なんてそんなもんだよな、むしろこの方が、当社一社で疑われながらやるよりもニュージーランド全体としての信用が付くからいいよなって思ってたら、それが次第に豪州やカナダまで広がったのは面白かった。

いずれにしてもファイナンスビジネスはすべて目の付け所であり、何かを仕入れて加工して何かを売るというビジネスモデルとは全く違う。

それからニュージーランドと日本の法律の違いなどを勉強しながら商品を広げていったわけだが、サブプライム商品など南半球から見る北半球のビジネスモデルは分かりにくかった。

何故ならぼくのやっているビジネスと言うのは顧客の利益のためであり、顧客が最終的に利益を失うのであればやっちゃいけない、そんなごく当たり前の常識が頭の中にあったからだ。

ITバブル崩壊はあまり影響がなく、「あ、痛い(イティ)」なんて冗談で済ませていた。

けれどリーマンショックはさすがに南半球の小島まで小波を送ってきた。何故大波津波でどこの家もどぼんと沈むにならなかったのか。それは非常に下らない理由だが、当時のNZ銀行界ではCDSの意味が理解出来る銀行マンはおらず、北半球から売りつけに来た証券会社に対して銀行は「よく分からんからやめときます」とやったのだ。

結果的にこれが成功でニュージーランドはいち早く市場が立ち直り、最近は海外からの投資が膨らんでいる。北半球で痛い目に遭った人が、小銭を南半球の安全な市場で運用しようって感じである。

その為銀行も定期預金レートを上げて外国からの資本を取り込みにかかっている。いずれ北半球が全面復活するまではニュージーランドで小銭市場が動くだろう。

そんなこんなだったリーマンショックだったが、ぼくにとって今一不明だったのは格付け会社の存在だった。ロンブーの格付けならよく分かるが、ムーディーズやS&Pが何をやっているのか、何故そうなるのかなんていくら聞いても分からない。

ましてや彼らが格付けをしたサブプライムやCDS商品なんて、何でそうなるおで意味不明のままだった。

そりゃそうだ、最初から素人には分からないように設計してあったんだからってのがわかったのはこの本を読んでからだ。

どんな難しい手品もからくりを見れば「あ、そうか」である。けれど何より怖いのは、こんな詐欺手品に北半球の証券のプロたちが騙されていたわけではないって事だ。彼らは分かってやってた。いずれこの商品は吹っ飛ぶ。だから早いところ売り抜けて手数料だけ稼いでおけ、残された客?知ったことかってわけである。

ニュージーランドでこれ売ったらおそらくどんな法律を後付けで作ってでも政府は犯人を牢獄にぶち込むだろう。

改めて北半球のファイナンスビジネスの怖さを感じたが、良い勉強になった一冊。



トリプルA 小説 格付会社(上)トリプルA 小説 格付会社(上)
著者:黒木亮
日経BP社(2010-05-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


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2010年10月23日

張り込み姫 君たちに明日はない3

垣根涼介作品。すでにテレビ化されたが、君たちに明日はないシリーズは、どちらかと言うと今の20代から30代の人々に対する、先輩からの明るいメッセージと言う感じかな。

今の社会のシステムに組み込まれて自分個人ではどうしようもなくて、けど何か違う、そう感じてる人々に向けてのメッセージだ。

会社に残るのも一つの生き方、辞めるのも一つの生き方、けれどその結論を出す時に必要な能力は君が高学歴であるかとかじゃなくて、明日があるかどうか分からない人生だけどそれでもきちんと自分の人生を考えて自分が何をしたいのか、何で自分は生きているのか、そういう事を徹底的に考え抜く感情と思考回路である。

この場合の思考回路は他の本では地頭(じあたま)とも書かれているが、正しい答が予め設定されている試験や大学の成績とかじゃなくて基本的に答えのないものを自分で考えてみる能力とか、目の前で起こっている現象を世の中のほかの現象と比較して果たしてこれは正しいのだろうかと疑問を持ち、目の前の現象を考え抜いて必要な情報を多方面から収集して自分なりに答を出す能力だ。

今作は前二作と比べて少し大人っぽくなった感じのろくでなし真介であるが、それでも時折見せるバカ面はあいも変わらずだ。

これもボーダーと同じでメッセージ性の強い作品ではあるが、ワイルドソウルやヒートアイランド系のぐさっ、さあどうする!と来るような強さはなく、学校で教えている事は世の中の事実の半分であり残りの半分は自分の手で掴むしかないよ、今なら間に合うよって、やさしく教えている。

ヘビーな垣根ファンにはちょっと息抜きに良いし、彼を知らなかった人が本を読む入り口として読むには丁度良い軽さの作品。

★この本は三連休の間に読んだ2冊目の本です。


張り込み姫 君たちに明日はない 3張り込み姫 君たちに明日はない 3
著者:垣根 涼介
新潮社(2010-01-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


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2010年10月22日

ボーダー 垣根涼介

垣根涼介のヒートアイランドシリーズ第四弾。

垣根流のいつもの軽い現代的な言い回しで調子よく書かれているが、実はテーマは重い。その重さは、何でこの本が商業的に売れるのか不思議なくらいだ。

それはワイルドソウルでもそうだったし、彼の本全体に通じる事でもあるが、よく読んだら実はとんでもない事かいてて、「さあ、君はどうするんだ?」と読者に呼びかけている。

その呼びかけを理解しないで読むのか、理解した上でそんな呼びかけを無視するのか、それともその呼びかけに応えるのか?

雅の元サブリーダーであるカオルは東大生になった。その大学で同級生となった中西とは、何故か気の合う部分がある。カオルも中西の親も世間で言えば社会的地位の高い有名人である。

カオルはある偶然をきっかけに中西を連れて昔の根城の渋谷に戻る事になり、封印されたはずのファイトパーティの現場に3年ぶりに足を踏み入れ、そして事件は始まる。

中西が自分の身元を語る部分がある。

「世の中にはシステムの人間ってのが、いるんですよ」
「システムの人間?」
「世の中の制度、あるいはレールから外れずに、ずっと生きていく人間と言い換えてもいいです。進学、就職、結婚、出産、マイホーム・・・既存のシステムにのっかって生きていれば、根本的な生き方を自分の中に問いかけるようなキツイ人生を送る必要もない。そしてそれを、無意識のうちに選ぶ人間です。家庭人として、あるいは社会人として優秀とか、優秀でないとかは関係ない。いい人とか、いい人でないとかも関係ない。そういう次元とは違う問題です。無意識のうちにレールに沿った生き方をする人間がいるという事実です。それを傍目から見れば、安定した賢い生き方だという人もいる。実際、賢い生き方でしょう。でも、往々にして本人の肝心な中身は、空っぽであることが多い。ずっと昔から、自分への根本的な問いかけを拒否しているんですからね」

ボーダーと言う作品をどう評価するか?ヒートアイランドも第四弾になってそろそろマンネリ化したと言うかもしれない。確かに今までの垣根作品をまとめるような書き方になっており、ファンにとっては「ほう、このパズルがここにはまるのか」とうれしく納得も出来るが、これが一冊めの読者には評価が分かれるかもしれない。

しかし垣根作品は基本的に読者に評価を求めるというよりも、読者をけしかけている面がある。「おい、どうするんだよ、おれの本を読んだ後でも今のだらだらした生活を続ける積りなのかよ」と。

会社や親などの他人任せの自分のこじんまりした生活を守れるかどうかも分からないような状況なのに自己努力もせずに毎日愚痴ばかりこぼして、明日は今日と同じだろうと何となくぼんやりと予想しているんだろう。

それはまるで、自分は交通事故に遭わないとか自分が買った宝くじは当たるとか、どっちにしても他人任せの人生に乗っかって淡い希望を抱きながらもその為に何か努力をするという事がない生活。

そういう生活が納得出来るならそれで良い、納得出来る人はそれで良いのだ、その生き方を否定してはいない。けれど、あっち側に行ったようなふりをしながら実はこっち側でだらだらしてこっちの世の中を皮肉るのはみっともないぜ。

そして本当にあっち側に行ってしまえばこっち側にはもう戻れない。昨日まで普通に見えてた景色が普通ではなくなる。それでもあっち側に行くだけの気持ちはあるのか?

ワイルドスワン以来、垣根作品の根底に常に流れているテーマが本書でも随所に語られており、それだけでも読み応えのある作品だ。

★これは三連休の間に読んだ4冊の単行本のうちの一冊です。


ボーダー―ヒートアイランド〈4〉ボーダー―ヒートアイランド〈4〉
著者:垣根 涼介
文藝春秋(2010-04)
販売元:Amazon.co.jp
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2010年08月31日

霞ヶ関をぶっ壊す

8月30日付けの日経ビジネスの特集が「霞ヶ関をぶっ壊す」だった。しかし読んでみると実際にぶっ壊されたのは民主党の脱官僚宣言と国家戦略室だったというテーマ。ミスマッチなタイトルには、笑うしかない。

ある民主党幹部が言う。「事業仕分けや予算編成のお膳立てをしてくれた財務省、成長戦略作りに欠かせない経済産業省などの協力を得ようと、官僚と手打ちした事が1点目。参院選で手足となって働いてくれた公務員労組への配慮が2点目だ」

政権を取っても運営に必要な官僚からの支援を受けないとやっていけないのは最初から分かっていたことだ。

だから本来やるべきは選挙勝利後すぐに、霞ヶ関の省益のみを考える幹部ではなく一般職員向けに「政府、国民も血を流すから霞ヶ関も血を流してくれ、日本の国益の為に」と宣言して実行する事であった。

日本の社会全体が持つ既得権益を一旦全部解散させて、再度政治としてこれを再配分するべきであった。

例えば労働組合に対しては正規雇用と非正規雇用の壁を撤廃して全員を組合員とするか、または組合そのものの会社側との交渉権を廃止する。(NZでは1990年代にやった。このおかげで劇的に中小企業が発展して土日に買い物が出来るようになった)

例えば官僚に対しては既存の利権システムをゼロから再度見直して、今の時代に合った能力別任用や官民交流の活用、早い時期から高給処遇(民間の2倍くらい)、などなどやれる事はたくさんある。

そして政治家は自らの襟を正す意味で国会及び地方議員報酬の半減と議席数の半減、そして形骸化した二院制度を廃止して一院制度にする、などの徹底した議員改革を行う。

同時に国民に対しては痛みを伴う消費税増税と年金減額を行う。

こうして社会全体を一気にぶっ壊す事で反対する人もたくさん出るのは当然だ。しかし個人の既得権益をいちいち守っていたら全体の再構築なんて出来るわけがないのだ。全員で痛みを分かち合い、社会から落ちこぼれが出ないようにする、その為の不死鳥計画だ。

今のままでは日本は焼土になる。そして次に日本が浮上するのは国民全員が窮乏生活を耐えた10年後くらいだろう。ただその時に世界の国境がどうなっているか。果たして日本にリーダーシップを取れる場所が残っているかだ。

今ならまだ体力もある。しかしこのまま周囲にKYと言われる事を嫌がって何も言わずに既得権だけを認めるようだと、間違いなく日本は焼土になるしそれからの立ち上がりは時間がかかる。

幸運なのは、日本は国土と国民に自浄作用があることだ。この原因が何か分からないが、推測するにはこの土地と空気と水がもたらす相乗効果だろう、とにかく日本は何度も大変な目にあってきたけどその国民性が変化する事はなかった。

しかしそれも、今回の焼土の後にどうなっているかは不明である。何故なら教育システムが破壊されてしまったから、ここも復旧に時間がかかる一つの理由だ。

民主党は選挙後のもたつきで国民全体に「血を流す宣言」を伝える時期を逃してしまい、結局日々の生活に戻ってみると官僚の事務作業の必要性を痛感して、結局元の官僚支配に戻った。

確かに霞ヶ関の利害利権は実に複雑に絡まっているが、よくよくほぐしてみると結局は“総論賛成各論反対”なのだ。

総論を賛成した後に各論になると、「それはxxさんにとって不利である」とか「弱者に対するxxだ」とか、本当は自分の利権確保が目的なんだけど表面的には「他の人の為に」とやってる。

日本人の殆どはいつの時代も同じで、自分がやりたいのに「あの人がやりたいから」とすり替えてしまう。本当に「あの人がやりたいから」なら良いのだが本音は違うから、自分が興味なくなったら何も言わなくなる。

日本中が公害に覆われた時代もそうだったし現代のマスコミ記事も同じで、何も変わっていない。

自分の既得権益に影響の出ない話ならどんどん改革でも進歩でもやりましょう、けれどそれが自分の利益に関わるならば絶対に手を付けさせない、手を出す奴は潰す、そのような官僚が今の日本を運営している。

そのシステムが永続するように働く、つまり自分たちの省=組織の最大限の利益を確保する人材が優秀と言われ、一般社会の常識がないままに霞ヶ関社会が財団やなんちゃらなど天下り団体を作り、それを批判されると名前を付け替えるがやる事は同じ、結局自分の利益だけである。

民間企業であれば一つの業界に様々な企業が競争しながら切磋琢磨するが、官僚業界の場合は省ごとに仕事が縦割りされているから競争原理が働かないし、役所は唯一無二であるから新規参加と言う競争原理も働かず、尚且つ倒産と言うこともないので費用対効果も考えなくて良い。

つまり役所のやり方に疑問を感じた若者が何か進言しても通らないし結果干されたりする。民間ならば他の企業に転職するとか自分で起業することが出来るが、結局それは役所の世界では通用せずに、若者が出て行った後はあいも変わらないシステムが永続するだけである。

そんなシステムが時代の変化についていけないのは当然であるが、ただここでよく考えるべきは、じゃあ官僚は馬鹿なのか?と言う点だ。

官僚は東大時代と同じように、一旦方向性をきちんと決めてこうやれと言われれば、事務処理とか難しい事を処理する能力においては素晴らしい能力を持っているので、うまく使えばはさみ並みに役に立つ。

だから政治家が国民の意見を代表して官僚の提出する様々な政策を取捨選択していけばスピード感のある政治に切り替わる。

日経ビジネスの27ページに掲載された国別官僚制度が面白い。官僚は公募か終身雇用かという縦軸と資格試験任用か政治任用かという横軸で各国の位置を表している。

「日本は終身雇用制度閉鎖型であり資格試験と年功序列で運用されているのがよく分かる。この反対にあるのがニュージーランド、豪州、英国である」

「この3国では多数の与党議員が行政府の役職に就く一方、事務次官以下の公務員はどの政党が政権を握っても中立的に時の政権を補佐し、政策の立案や情報分析の役割を提供する。政治家は公務員の中立性を尊重し、幹部を含め人事への介入を自制する伝統がある。各省の事務次官ら上級公務員には公募も活用」

実際に僕もよく新聞等で見かけるが、上級公務員クラスの官僚や大学の教授を「給料はこれだけ、仕事の内容はこう、期間はいつからいつまで、ボーナスアリ」みたいに募集している。日本のような終身雇用ではない為に開かれた場所になっているのが特徴だ。

次のページでは「官をこう変えよう」と言うイメージ図があるけど、官僚改革後の姿が今のニュージーランドの政治の姿と同じであるという皮肉。

振り返って日本の官僚。中堅キャリア達の覆面座談会で出てきた官僚の本音。

 経産省A氏 「まあ、劇的に人事制度が変わらない限り、50歳ぐらいまでは給料は上がっていきますし、年金、退職金も悪くはない。割り切って、適当に暮らしていこうと思えば、いい商売ですよ。家族もいますし、制度改革も穏当な手直しですんでほしいというのが本音ですね。」

まさにこれが、日本社会が役人を含めて誰もが本音では「変わりたくない」現状であろう。

どれだけ「変わらなければ滅びるぞ!」と言っても、出来れば聞きたくないしぎりぎりまで先送りしたい。むしろ彼らは焦土を望んでいるのかもしれない。だって人々が同時に貧しくなるのだから、自分だけが違っているわけではないから。


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2010年08月16日

警察の紋章 佐々木譲

警官の紋章 佐々木譲

北海道警察シリーズ第三弾。クイーンズタウンの山の中で読了。

いつもはスキーの後はばったんと寝るほうなので本読めるほど起きていられるかなと思ったけど、不思議な事にあまり眠くもならずに毎晩友達のレストランでの夕食後近くのお店で買った氷を持ち帰り、部屋着に着替えて寛いで結局二晩で読み終わった。

この北海道警察シリーズは元々の発端が北海道で発生した裏カネ作り事件と稲葉事件をベースにしている。両方の事件とも警察上層部の関与が囁かれていたが今日現在も事実関係は白日の下には現れておらず。

小説と言う自由なフィクション形態を取ったことでかえって様々な情報が取れたのだろう、文中のあちこちで「推測されていたこと」が「事実」として描かれていく。

北海道警察シリーズでは佐々木譲の文体はいつもそうだけど、始まりはまるで春の陽気のようにぽかぽかとした切り口であり、中盤になると実社会では噂とされていた伏線が次々と表に出てくる。

そして物語は後半になると一気にクライマックスに入り、最後は爽やかですっきりした、まるで日本酒の「上善水の如し」のような口当たりが残る。

もちろんこの進め方を遅いと思う読者もいるだろうが、これはこれで一つのちゃんと出来上がった作品だ。いつもアリステアマクリーンやジョンルカレ読んでてたまにフリーマントル作品を開くと読みやすくてほっとするようなものだ。(日本人作家の名前を出そうと思ったがとっさに出てこなかったので英国作家)

読みやすい作品だし事実がベースなので臨場感もあるし、こういう作品は日頃本を読まない人、特に北海道出身の人には地名も分かるし取り付きやすいのではなかろうか。

ちょっと本筋とそれるけどこの作品はハルキ文庫から出ている。角川春樹がいよいよ本格的に復活している。「野性の証明」では日本中に角川映画の凄さを見せ付けた時代の異端児であるが、角川の復活も合わせて楽しめる北海道警察シリーズだ。





警官の紋章 (ハルキ文庫)警官の紋章 (ハルキ文庫)
著者:佐々木 譲
販売元:角川春樹事務所
発売日:2010-05
おすすめ度:4.0
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tom_eastwind at 15:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月02日

言葉の障害物競走 堂場瞬一

「告白」されたのが土曜日で、あんまり後口が悪かったので日曜日は大切にしまっておいた堂場瞬一を一冊引っ張り出す。海外に住んでいると小説の在庫ってのは大事で、それこそ後3冊!なんてなると精神的に不安定になりとりあえず何でもいいからamazonしようって事になる。

けどその作品が今回のように「外れ」だった場合はかなり辛い。なので堂場作品はまとめ買いして棚に置いてる。安全策だ。

彼の作風はホームランは打たないけど確実にきちんとヒットを積み重ねて、終わってみればいつも僅差で勝っているって感じだ。

堂場ものは元々鳴沢シリーズから入ったのだが、当時流行の警察小説と言うよりも、何かな、一人の真面目な若者が社会の中で段々成長して大人になっていく過程を王道で描いているって感じがする。

それから検察、失踪課シリーズと続き、ぼくにとってはどれも安心して読める内容になっている。突飛でもなく無理もなく、一つ一つの話の進み方に現実感がある。

警察小説も次々と出てくるようになり、そろそろ各作者の力量が見えてき始めた。

佐々木譲(普通に好きだけどちょっと暗くないか)、今野敏(問題なくdaisuki)、横山秀夫(僕は個人的に好きではないが)などの有名どころと並べてみると堂場は一段低い評価をされているのかもしれないが、個人的に好きなので気にしない。

今回は警視庁失踪課・高城賢吾シリーズの「相剋(そうこく)」。

日曜の昼から読み始めて、途中で夕食のちゃんぽんを作ってみんなで食べてお皿洗ったらもう8時。やっばいな、まだ半分残ってるじゃんか。ちゃんぽんじゃない、本だ。

明日は月曜日だから早く寝ないと。うーん、けどこれを残してベッドに入ってしまうと、折角の堂場作品が勿体無い。

と言うことでこの日曜は特別に11時まで起きてて良いって決めて、結果的に10時30分頃に読了。

ある日失踪課にやってきた少年の依頼を受けて高城刑事が非公式な家出人捜査を始めるのだが、やっぱりぼくがこの作品を好きなのはその言葉選びだろう。

「言葉の障害物競走をやらせたら手ごわいですよ」と言う台詞がこの本に出てくるが、まさにこの言葉選びが堂場ものの面白みを一番的確に表現しているのかもしれない。

本庁一課からやって来た横暴な管理官に対して所轄刑事である高城が失踪課室長の真弓を前にしてこんな会話をする。
「話が終わりならお引取りください」私はドアを開けてやった。
「何もわざわざご挨拶に来てもらう必要はなかった」
「最低限の礼儀のつもりだが」
「そういうことなら、あなたのような礼儀知らずを寄越すべきじゃなかったな。一課も人材不足なんですか?まともに喋れる人間もいないとはね」
射殺そうとするような目つきで長岡が私を睨みつける。しかし捨て台詞を忘れはしなかった。真弓の方を向いて
「これ以上うろちょろしていると、正式に問題にします」と最後通告をする。
大股で失踪課を出て行く彼の背中を見送りながら、私は呟いた。
「我ながら我慢強い男だと思います」
「そうね。よくあれで済んだわね」
「他人事みたいに言わないで下さい」

何のことはない言葉の掛け合いだが、こういう言葉の掛け合いはその人の会話力と人間力、てか人間のセンスをそのまま表に出してしまう。

同じセンスと会話力があれば、お互いに相手の会話力を理解しているから、今一番その場に合った言葉が使えてとても楽しいし常に相手から学べる。

これでセンスが違うとそうはいかない。人間力の問題だからどれだけ学校で勉強しても、会話の出来ない人間には出来ない。

バカに限って語彙が少ないのは英語も日本語も同じで、なにかにつけては同じF台詞しか言えない連中ってのがまさにその例である。

特に夫婦の間で言葉のセンスが違った会話は一方通行になり、そのうち会話が楽しくなくなり、いつの間にか会話をしなくなり、最後は濡れ落ち葉である。

言葉のセンスは実生活において明確に出てくる。どの場面でどの単語を選びどのような言い回しをするか、それでその人の実力が判断される。言葉はまさに言霊であり、金でも身長でも学歴でもないその人の中身が飛び出してくるから怖い。

言葉は正しく使わなくてはと思わせる一冊。同時に、本棚に高城シリーズが後何冊残っているかを考える。これからも高城の言葉の障害物競走が楽しみだ。



相剋―警視庁失踪課・高城賢吾 (中公文庫)相剋―警視庁失踪課・高城賢吾 (中公文庫)
著者:堂場 瞬一
販売元:中央公論新社
発売日:2009-04
おすすめ度:4.0
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tom_eastwind at 14:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月01日

告白されてしまった 湊かなえに

「わたし、実は小説じゃないんです」と告白されてしまった感じの湊かなえ作品がこの「告白」だ。

てか彼女の他の本を読んでない状態で本屋大賞を受賞して映画化もされたって事なので、そうなると二つに一つ、余程双葉文庫がプロモーションをかけたいのか本当に今の時代に合った小説なのか、である。

結果としては両方、かもしれない。

小説なんてのは好き嫌いがある訳で僕の大好きなSF作家筒井康隆も作品のレベルの高さの割に世間一般ではあまり高い評価を受けてない。

SFマガジンを子供の頃から読んでいた僕としては彼の世間全般を洞察した知性をベースにしたパロディなど実によく出来てるなと思うが、知性パロディを理解出来ない人種にとっては噴飯ものらしいし「無人警察」に至っては「差別だ!」って本気で怒る人がいるくらいだから、小説に関しては好き嫌いがあるとしか言いようがない。

ただ、自分で自分の事を小説と呼ぶなら最低の基準があると思う。例えばそれが全編文字で書かれている事とかは当然として、それ以外にもいくつかの基準がある。ただこれが人によって少しづつ解釈の仕方が違うので細部に至ってはもう議論のしようがない。

例えば東京に「二郎」と言う有名なラーメン屋がある。本店から暖簾分けしたのか、東京にはたくさんの二郎がある。ラーメン通で反二郎派からすれば「ありゃラーメンじゃない!」と言われたりする、かなり異色のラーメンである。

二郎派にとっても「おれ、今日は二郎食べる」と言うのもそれほど違和感がないほどに通常のラーメンから離れている。けど、例えて言えば地球と火星くらいに離れていると表現したって、それでも地球と土星よりは近いからやっぱりラーメンだとも言える。

僕にとってこの「告白」と言う本はそれほど僕の解釈する小説からは離れている。しかし全編文章で出来上がっているから一応は本屋に並べることになったのだろう。(そう言えば話は横道にそれるが、Ipadを販売する本屋ってないのだろうか)

だもんでゆとり教育のど真ん中で本も殆ど読まずに子供の頃にあまり漢字に接する機会がなくて、けど塾には必ず通ってて受験勉強だけはやってて、子供のことを分かってくれない親に腹立ちを感じながらも尾崎豊の歌のようには家出もできないままに東京の大学に入学して、アルバイト先の本屋でたまたま開いたら自分と同じような年齢で同じような感性の人がとっても分かり易い表現で短い文章をたくさん並べてくれてたから手にとって読んでみて、それで本屋大賞になったという感じだろう。

言葉を変えて言えば評価する側の低下である。本をきちんと読んだことのない、重みのある本を読めない、例えて言えばキリンビールが本格的なビールだとすればアサヒビールってのは子供だましだけど若者からすればあの軽さが体に受け入れやすい、キリンビールでは重すぎるって感じか。本屋大賞、以前はもうちっとましだと思ってたのだが。

けど映画にするのは正解だろう。海外ロケも不要で派手な銃撃場面もアクションもないので非常に低コストで映画を作れる。そこに松たかこ、岡田将生を持ってくればファン層も間違いなく掴めてヒット間違いなし。

観客は映画のないようにはがっくりしてもすでにその時点で売上は計上されているのだから観賞後感がどうでもあろうと構わない。どうせ一ヶ月で忘れてしまうような客層なんだから、また半年くらいしたら同じようなプロモーションをやれば戻ってくる。

そういう意味では今回はプロモーションを仕掛けた連中の勝ちですね。出版不況の原因がどこにあるかを考えるよりもまずは目先の売上、ですな。

出版業界も紙だけでビジネスを考えてしまえば構造的に終わりだしそれは新聞や雑誌が物語っている。

今後は著作権を出来るだけ弾力的に解釈して良質の作品を送り出す、アイドル作家ではなく優秀な作者の卵を見つけては開発してビジネスを広げていく、そういう方向に進んでいけば出版業界も明るい将来があると思う。




告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
著者:湊 かなえ
販売元:双葉社
発売日:2010-04-08
おすすめ度:3.5
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2010年07月25日

アジアの隼 黒木亮

この本は「トップレフト」とは違う意味で更に“はまって”読んでしまった。この本の主な舞台は1990年代の香港とベトナムのハノイ、そしてパキスタン。

そして主な主人公はアジアの隼と呼ばれた「ペレグリン証券」(1998年に倒産)のアンドレ・リー、同じく1998年に倒産した長期信用銀行ハノイ支店のプロジェクトファイナンスマネージャー。

勿論そのストーリーの進み方は実に良く出来ており取材だけでなく実際に自分の足で回った時の記録を付けていたのだろう、時代背景や街の雰囲気、街の裏道のどぶ板、その一つ一つがかなり明確に書き込まれていて、東南アジアの旅行記録としても充分に読み応えがある。

しかし僕が個人的に“はまってしまった”のは、実はこの場所と時代設定。

1991年から1996年まで僕は香港で昼間は日通旅行のセールスマネージャーとして日本人の中でどっぷりと、そして夜は一切日本人を見ることのない香港人の中で生活をしていた。

朝会社に行くときは穴の空いたぼろいジーンズに運動靴、夏はTシャツで冬は迷彩模様のジャンパーと言う、いかにも香港人らしい格好。冷房もないぼろぼろの2階建てバスの中では座席で足を突っ張り出している香港人の足を蹴っ飛ばして広東語でバカヤローと怒鳴る。

会社に着くとロッカーの中にいつも入れてるスーツとネクタイ、それに革靴を引っ張りだして日本人ビジネスマンの出来上がりである。この格好で社用車に乗り取引先に営業に行き、「いや〜、香港の生活は大変ですな〜」などとお客様と話を合わせて、夕方仕事が終わればまたロッカーでジーンズに着替えてスターフェリー桟橋へ。ここで目つきがまた香港人系になる。

フェリー桟橋の船着場の右側にあるテイクアウェイ中心のお店、美心(マキシム)で鶏腿肉を一本とサンミゲルビールを2本買ってフェリーに乗り、地元民に混じってビールと鶏肉をぱくつきながら、夕陽の沈むビクトリア湾の美しさを眺め、その後はまた汚い2階建てバスの2階の一番前に腰掛けてネオンの輝くネイザンロードを楽しんだものだ。

日本語を使うのは取引先にいる時とオフィス内で日本人と打ち合わせをする時のみ、後は香港人として生活をしていたので両方の人々の考えていることがよく分かった。

駐在員は僕の事を日通の社員として見ているから思いっきり彼のオフィスの香港人スタッフの悪口や香港の愚痴を言う、そしてにやっと笑ってお互いに大変ですな〜と仲間意識を確認しようとする。

香港に住む日本人の殆どは駐在員であり常に東京を見ながら将来の出世だけを考えて仕事をしていた。

つまり目先の売上よりも東京で作られたルールを守ることが第一であり現地事情なんて関係ない。折角香港まで来れたのだ(当時の香港は優秀な社員が送り込まれていた)、下手にリスクを取って仕事をして失敗すれば減点主義の人事部でバッテンを出されてそれ以上の出世が出来なくなる。

だから香港人スタッフには日本ルールを押し付けて無意味な書類を作らせて手間ばかりかけて結局そんな書類もムダになるのがしょっちゅう。そんな日系企業に愛想を尽かせた真面目で成長思考の香港人スタッフはすぐ欧米系の企業に転職してそこでばりばりと働く。

または日系企業を「こりゃ美味しい!」と思って上司が英語もろくに出来ず広東語は全く出来ずに現場の仕事を見ていないのを良い事に取引先と組んで思いっきり会社の金を横領しまくる。そうやって倒産した会社の一つがヤオハン香港である。あそこの香港人バイヤーは皆ベンツを運転していた、上司が地下鉄で会社に通っているときに。

そんな日系企業だから実はあまり会社の利益など考えずに保身に走り何かあればすぐに東京にお伺いを立ててたから香港人ビジネスのスピードに勝つわけがなく次々と不良債権を掴まされたり大損させられたりしていた。

大京観光が香港の不動産を高値で掴まされて安値で売却せざるを得なくなり、そこを買い戻した香港の企業はその不動産を更に他の日系に押し付けて何度も美味しい思いをしていたものだ。

本書は日本企業の社員が東京でなくて現地を見つめてベトナムの発電所計画に取り組み、時には本社の指示を無視したり社内規定を違反しながらシンジケートローンを構築していく過程を描いている。

個人的になるが、実は本書の主人公である長期信用銀行の出張の手配は殆ど全て当社で行っており担当者も支店次長もよく知っている。更に副主人公格となる住友商事の入居しているビルなど、日通旅行もまさにその住友商事のオフィスの一角を2年ほど借りて住友商事の手配もやっていたので当時の統一中心の場所を描く場面も懐かしい。

本書のもう一つの舞台であるパキスタンに出張する日銀理事の出張の手配もうちで取り仕切っていたが、当時はインターネットが今ほど発達しておらず、パキスタンのような都市への出張はカラチ空港へ迎えの車を時間通りに到着させるだけで至難の業であった。

1990年代前半の香港と長期信用銀行。ベトナム直行便、パキスタン、どれを取っても当時の景色や街の匂いやあの頃が思い出される。

ぼくが住み始めた当時、香港は返還前景気と呼ばれてハンセン指数は毎日ぐんぐん伸びて従業員の給料は毎年10%以上賃上げで日本の証券会社や銀行も進出して、香港で利益を稼ぎ出そうとしていた。

しかし当時の証券会社でまともに香港で利益を出せたところはなく、それから数年のうちに30数社あった証券会社は数社にまで縮小した。所詮判断の遅い日系企業は地元証券会社の敵ではなかった。

日系銀行は主に外国に進出する日系企業のお手伝いとして活動して中国やベトナム、パキスタンに進出する企業の応援を行い、どこもそこそこに頑張っていたが、銀行も遂にバブル崩壊による不良債権処理という問題を抱えて本社の土台骨が揺るぎ始め、銀行も次々と香港から撤退していった。

僕が香港を離れたのは1996年。香港はまだ元気があって、「来年はもっと稼ぐぜ!」そんな雰囲気が満ちていた。日通旅行アウトバウンド部門の売上もアジア景気に合わせて右肩上がりに急成長しており、仲間からは「何でこんな絶好調の時に辞めるんだ、来年はもっと給料が上がるのに」とも言われた。

その頃は誰もが、明日は今日より儲かる、来年は今年よりも良い年になる、そう信じて疑わなかった。長期信用銀行の人々はまさか2年後に自分の勤める銀行が倒産するなんて思いもよらなかったし、そして日銀の理事は、自分がまさかそれから数年後に逮捕されるなど思いもよらなかったのは当然だ。

そんな時期ではあったが、そうは言ってもうちの奥さんが決めたことだから一切の反論はあり得ないわけで、ぼくは1996年7月にオークランドに渡った。

そして1997年5月14日、タイ最大の金融会社「ファイナンスワン」の倒産によりアジア危機が始まった。バーツの大幅切り下げ、インドネシアリンギの切り下げと通貨危機はアジアを飛び火しながらペレグリン証券を焼き尽くした。

1997年に三洋証券、拓銀、山一證券と次々に倒産して日本の長期にわたるデフレ不況が始まったその翌年、長期信用銀行も国有化された。

あの頃お付き合いのあった人たちは、今頃どこに散らばっているのだろう?世界の外銀で頑張っているのか、それとも日本で「もう金融はいいや」って全然違う業種で働いているのだろうか?




アジアの隼 (講談社文庫)アジアの隼 (講談社文庫)
著者:黒木 亮
販売元:講談社
発売日:2008-12-12
おすすめ度:4.0
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