諸行無常のビジネス日誌

2017年11月21日

おときた議員について

東京都議であり一時期は小池さんとこで働いてた若いお兄ちゃんであるが、僕は個人的に嫌いではない。

 

何故なら数年前から時々ブログを読む中でほっこりする記事があり「こいつ人間として悪くないよな」と思ったからだ。

 

自分ひとりで選挙していつ落ちるか分からないギリギリの集票で何とか議席保ちつつ頑張りながら、テレビ効果に気づいて顔出しするって戦略は上手くやっている。それは正解なのだけど、何せ政治戦略とかの知識が薄い。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/13911571/

 

大学出て立派な企業で働いたからって、やってることや話すことが上っ面だけなのだ。テレビ受け狙っているのか知らんけど、ほんとに政治家したいのか?それにしては動機が分からない。

 

これが中曽根元首相の孫であればおじいちゃんから学んだ政治哲学で政治家を目指したいと言うのは分かる。群馬のきつい選挙区でもきちんとした政治哲学を語り地元後援会も支持しやすいだろう。

 

けれどおときた議員については政治哲学がなく政策に対する一貫性がなく都政を語ってもその日の自分のブログのヒット数で意見が変わるようなものである。

 

適当に東京の大企業の中でうろちょろしてれば年収1200万円はいけそうな人物なのに何で中央政治に口出しするのかが疑問。

 

彼には日本をどうするかという哲学がない。国造りの思想がないのだ。ないのに無理して政治家やらなくても他に仕事はいくらでもある。

 

東京では豊洲、地方ではもっと色んな問題がある。彼が区議会議員で一生やりたいならそれこそ紋付袴の落語連中やドブ板の饅頭やさんと仲良くしてその地域に住む人の「毎日の生活を過ごしやすく」だけを集中していけば区議会議員で食っていけるだろう。

 

けど国家となればそうではいられない。利益相反する人たちの意見をまとめて国を引っ張っていく、それはおときた議員には不可能である。何故なら主張に根本がないからだ。

 

この理由は簡単で彼は政治をビジネスの延長として考えておりブランデーを高級品として人々に誤解させて高くても当然と思わせ高級品として買わせ、その意味だけは正解なんだけど政治の世界では殆どが貧乏人である国民をどう救済するかが出来てない。何故田中角栄が評価されたか。もう少し考えて政策を作った方が良い。

 

そうは言っても政治家は国民が作る。もしかして地頭は悪くなさそうだからそのうち政治家として成長するのかもしれない。けれど現時点では彼を政治家として語るには無理がある。



tom_eastwind at 09:26|PermalinkComments(0)

2017年11月20日

拉致

今日までの数日は本当に日本の旅日記であったが、日本にいる間に見かけたニュースで引っかかるものがあり、これから数日はそちらを書きたい。

 

最近北朝鮮との交渉でトランプ大統領が拉致問題を取り上げた事でニュースに出て来た。特に横田めぐみさんの父親が体力も弱る中、何とか子供を取り返したいと言う記事。

 

僕はこの問題は何度か書いたけど、これこそ戦後日本の矛盾した仕組みの最たるものの一つだと思っている。

 

普通自国民が海外の政府組織に誘拐されたら自国政府は取り返すために動く。当然だ、それが憲法の中に明記されているからだ。

 

国民の生命と財産を保護するのは国家の義務でありそれが出来なければ何のための政府であるのか?国民が誘拐されても何の行動もしなければ政府の憲法違反である。それなのに誰も何も言わない。

 

国家が国民の生命と財産を守らなければ何のための政府だ?国民は自分と家族の生命と財産を守るために自己防衛権を政府に委譲して防衛費用負担として納税しているのに、その政府が自分の義務を守らなければ何のために政府は存在しているのか?

 

政府が約束を破るならばこちらも政府との約束を破棄する。つまり自己防衛権を取り戻し自分で自分や家族の身を守るのみである。

 

1970年代から80年代にかけて世界ではいろんな事件が起こった。例えばドイツがハイジャックに遭った自国民を救出するために外国の空港に自国救出部隊を送り込み、見事自国民を救った事件があった。

 

当然である、これでドイツ政府はドイツ人を世界の何処にいても守ると宣言したのだ。

 

イスラエルではオリンピックに参加したイスラエル人選手がテロリストに殺されてそのテロリストに報復するために世界中に特殊部隊員を送り込みテロリストを殺した、二度とイスラエル人に手を出さないようにするために。

 

ところがそのような時代背景の中で北朝鮮が日本人を次々と誘拐していった。その事件は当時も関係者は知っていた。

 

それなのに当時の政治的背景、左翼が人権を主張し北朝鮮が「楽園」と主張した状況下では「北朝鮮様がそのような事をするはずはありません!」となり北朝鮮による拉致誘拐は日本政府黙認の下で行われた。

 

本来ならば自国民が一人でも他国に誘拐されればそれは国家間の戦闘行為に繋がる。何故なら国家主権を侵害されたからだ。

 

なのにそれが日本では社会党あたりが「そんなことはありません!」と騒ぎ、自民党も「へ、まあいいや、この国は人が多いしな」って放ったらかしたのが実態である。

 

つまり日本政府は国民に武器放棄を要求し納税を要求したけれど国民の生命と財産を守ると言う約束を拒否したのだ。

 

では日本政府は本来はどうあるべきだったか。

 

答えは非常に簡単である。北朝鮮を敵国と指定してまずは誘拐の疑いのある人々の帰還を要求する。彼等が否定すれば調査の上軍事行動に出る。この場合いくつかの方法がある。

 

まずソフトなのは北朝鮮から諸外国に派遣されている外交団の誘拐である。スイスにも米国にも北朝鮮代表団はいるのだから拉致されたと思しき数だけ誘拐して日本に連行して軍事捕虜として交換交渉をする。

 

もちろん諸外国は自国で行われた犯罪に対して抗議をするだろう。けどそりゃ抗議上等、こっちは自国民を守るために背に腹は代えられない、事件が終わったらなんぼでも訴えてくれである。それくらい開き直らなくてどうやって国際犯罪に対応出来るか?

 

北朝鮮が拉致被害者交渉に乗らないなら、次は軍事行動である。軍事行動で一番注意すべきは「兵力の逐次導入」である。やるなら一気にやる。つまり平壌に攻め込み相手の政府機能を破壊する。

 

その結果として国連やあちこちで問題が出てくるだろう。けれどその問題は枝葉末節であり国家としてすべき根幹は国民の生命と財産の保護であり、それが出来なければ何のための国家か?国家なんてやめてしまえって話である。

 

日本政府が拉致された人々の生命を守れないなら日本全体が中央集権国家であることを止めて各地域毎に同じ価値観や考えを持つ人々が集まり自治体を作り、その大きなくくりとして米国やドイツのように連邦政府を作る。

 

そして各自治体は独自の兵隊を持ち拉致や誘拐があれば連邦政府の指示に従わず独自に動く。それが外国であっても軍事行動を起こす。

 

それくらいの気持ちがなくてどうやって国民を守れるのだろうか?今の日本政府は安倍首相を除くと拉致問題にはどうしても「俺のことじゃないもんね」と逃げている感じがする。

 

政権の安倍首相の周りにいる政治家の皆さん、あなたの子供がある夜突然浜辺ですのこに巻かれて拉致されて、それでも「平和的話し合いを〜」とか言いますか?

 

少なくとも僕の文脈ではあり得ない。僕は国家の代表ではないから軍隊を動かせない。けれど自分の家族が誘拐されれば間違いなく武力行使してその相手を探し出して家族を救い出し犯罪者には責任を取らせる。

 

国家が自分の役割を取れないなら自己防衛権利は個人に戻る。国家が国民の生命と財産を守る代わりに国民に対して武装解除と私的制裁を禁止しているのに、国民に発生した生命と財産の被害に対して国家が「えっと、それはですねー」なんて言ってれば国家の存在は無意味である。

 

何故そんな国に納税するか? 何故そんな国の法律に従うか?君は奴隷か?



tom_eastwind at 19:22|PermalinkComments(0)

2017年11月19日

コールドケース・機内にて

機内で日本のテレビ番組「コールドケース」を観る。全部で5本のエピソードがあった。吉田羊の演技を観るのは初めてだけど、良いではないか。

 

吉田羊が刑事役で迷宮入りの事件を解決していく話であるが主人公だけでなく毎回出演する役者の演技が怖いほどによく出来てて、観てるこっちが時々ぞっとなる。

 

そして監督が上手いのか絵が良く出来てる。怖い場面では怖く、明るい場面では明るく、きちんとその場に合った作り込みが出来ている。

 

そのおかげで11時間の飛行時間の半分近くをこの番組を観て過ごしたけど日頃ゆっくり見る機会がないのでまとめ観出来て良かった。

 

香港からオークランドは現在A350が就航しておりこのフライトではインターネット接続が出来るので1時間ほどネットにも繋げて必要なメールを送る。

 

この費用はUSD9.95であるから街中のネットカフェに比べれば高いけど機内で誰にも邪魔されずに仕事をして一気にメールを送れば月曜日の作業が少しでも早くなるので安い投資で高い時間を買うようなものだ。

 

それにしても飛行機の発展は目覚ましい。空港で働く前世紀のやり方を踏襲する役人どもを放置したまま次々と新しいサービスを開発してくれる。

 

それは機内のエンターテイメント設備の発展だ。昔は機内にあるものは新聞と雑誌だったのに、それが何時の間にかちっちゃい画面だけど映画が観られるようになり、それが今度はビデオオンデマンドの時代になり好きな時間に好きな映画を観られるようになった。かと思うと座席のリモコンでテレビゲームも出来て子供には楽しい時間である。

 

機体そのものも高速化して長距離を飛べるようになった。日本からニュージーランドなど1970年代は直行便がなくて豪州経由とかだったがジャンボの就航で成田−オークランドの直行便が飛ぶようになった。

 

30年前の飛行機は降機開始から1時間かけて着陸していたが現在は到着15分前から降機開始なので機内での有効時間活用が出来る。

 

これはやはり真面目な航空会社の人々が常に顧客サービス視点から「何が出来るか?」を考えて来た結果である。

 

だからだが世界の航空会社評価を観ても常に上位に来るのはアジア系で日本航空、全日空、キャセイ航空、シンガポール航空等である。今年の調査では中東の航空会社の評価が急激に高まっているが、これは国策会社として生き残りをかけた施策であろう、良いことだ。

 

それに対して万年下位なのは米国系航空会社である。彼等のサービスの悪さは定評がある。何せ乗客を自分とこの都合で引きずり出すくらいだからだ。そりゃ自家用ジェットが流行るのもよく分かる。

 

飛行機の旅がきついと感じ出すのは身体を動かさなくなった時である。機内でもストレッチングをして血の流れを良くする。身体を毛布でくるんで暖かくする。常温の水か温かいお茶を飲み適度な睡眠をとる。これだけで旅は随分楽しいものになる。

 

航空会社も常に進化をしている。旅人も進化すると更に旅を楽しめる。



tom_eastwind at 21:47|PermalinkComments(0)

2017年11月18日

観光

福岡で最後の仕事を終えて今日のフライトでオークランドに戻る。今回は弾丸特急のような出張で毎朝起きると「ここはどこだろう?」状態になる。ベッドの位置や枕が変わるので「えっと、どっちから降りるんだっけ?」である。

 

おまけに今は東京も福岡も学会等で宿泊場所の確保が大変だ。ビジネスホテルのAPAホテルでさえ1泊2万円以上と普段の三倍近い価格になる。

 

それでも寝ないわけにはいかないので駅前のホテルを予約するけど当日チェックインをすると周りは外国人だらけ。特に福岡は博多駅前のホテルがどこも外国人観光客で混み合っており、なるほどこれがYOKOSOJAPAN効果なのかと実感する。

 

福岡空港でも昼頃になると韓国行きや台湾、香港行きの飛行機に乗り込む外国人がひっきりなしに行列を作っている。

 

空港のレストランで昼ごはんを食べていると横に座った香港人家族と友人だろう、総勢8名くらいでやって来てカウンターでぎこちなく注文をして1000円札を「いち、にい」と数えて支払っている。

 

座って食事をしながら話をする彼等の雰囲気を見ると日本の旅行を楽しんだようで「あそこは良かったねー」等と思い出し喜んでいる。

 

日本には中國からの客船もよく来るし日本人にとっては普通の景色でも観光客からすれば「道にゴミが落ちてない!」とか「みんな優しく声をかけてくれる!」とか「道を譲り合ってる!」とかびっくり最大である。

 

そうだよな、彼等の国ではまず観ることのあり得ない話だもんな。

 

それにしても最近は団体観光客が次第に個人旅行客や家族旅行になってリピーターが増加、今までの東京、富士、京都、大阪と言った定番ツアーから、飛騨高山とか合掌作りの家とか「君の名は」の舞台めぐりとか実に多様化している。

 

またそのような旅行情報をネットで共有して旅先の写真を載せる事でますます情報拡散、日本の地方に観光客の目が届くようになっている。

 

良いことである。11月は旅行シーズンとしては天気もよく程々に涼しく外国から来た観光客に楽しんでもらえばにほんも外貨収入を得られる。

 

ニュージーランドは外貨収入の3割が旅行産業からの収入であり観光は重要な外貨資源である。

 

日本もこれから少子高齢化するけど世界から観光客に来てもらい外貨を得て新しい産業として成長させる手法を考えるべきだろう。

 

その為にまずやることは今の日本の自然環境を確保することである。つまり自然破壊に繋がるような開発はもう止めてその代わりに外国人が来た時に分かりやすいように英語、中国語、韓国語の表示を増やしてハラル等各国の文化習慣を理解して違う文化の人でも安心して旅行に来られるような国にする。

 

次に人々が今の日本人としての良さを失わず、人に優しく礼儀正しく、他所の国から来た人に丁寧に接する事である。

 

そして最後に日本政府。特に国土交通省は民間への余計な行政介入をせずに民間に自由にやらせる事だ。とかく役所が民間の仕事に入ると邪魔をして不要な規則を作りせっかくの自由な発想を潰してしまう。

 

観光の本来の意味は「国の威光を観る」である。旅行業で働く連中には自由な発想がある。それを邪魔さえしなければ日本のインバウンド業界は更に伸びるのだから、国家の為に官僚は口出しするなと言いたい。

 



tom_eastwind at 21:18|PermalinkComments(0)

2017年11月16日

九州王国

今回は東京から大阪を飛び越して九州に移動する。毎回の移動はオークランドから計算すると大体17,000km。地球一周が約40,000kmだから毎年地球を5周してる計算になる。それでも体力的には疲れると言う事がないので有り難い。

 

考えてみれば九州は東京よりも歴史的に古い。東京がまだ葦のそよぐ沼地だった時代に既に中國やロシアと取引をしていた。

 

江戸時代以前の歴史を観ても日本の貿易の中心は日本海であった。北はロシアから南は沖縄から朝鮮半島、広州まで貿易を行っており日本の南の窓口が博多であった。

 

多くの豪商を輩出しており古くからの寺や神社があり太宰府等中國の窓口があるかと思えば唐津、長崎等も取引の港であり、九州は鎌倉時代以前から栄えて「海の道」を作り古代日本の貿易を支えてきた。

 

海の道を一番有効活用したのは平安時代の平清盛だ。中國と貿易を行い九州各地から集めた物資を瀬戸内海経由で大阪に運びそこから京都へ。この貿易で莫大な利益を得た平清盛は博多を中心として海運を発展させ瀬戸内の中心となる厳島神社に奉納もした。

 

その後も商人文化は続き博多は商人たちが集団統治をする自由都市となった。

 

その後1590年頃には豊臣秀吉の朝鮮侵略の基地とされて江戸時代になると黒田氏による藩体制が確立されたが、それでも博多は天神を中心とする武士の街と祇園あたりを中心とする商人の街に綺麗に分かれて共存して来た。

 

今日から3日は九州だ。美味しいものを食べながら仕事をしよう。



tom_eastwind at 21:15|PermalinkComments(0)

2017年11月15日

表参道

今日は表参道ヒルズで打ち合わせ。シドニー本店のイタリアンレストランが日本進出してお洒落なお店に仕上がっているけど、賃料高いんだろうなと思わず考えてしまった。

 

けどシドニーの家賃に比べればまだまだ安いのだろう。とにかく土地とか家賃はオークランドも高いけどシドニーはもっと高い。とにかく家主は神様みたいなものである。

 

人口が増えるってこういう事なんだろうな、日本も1980年代までは世界一人件費が高くて家賃も高い国だったのだから今更オークランドやシドニーが高いと言っても「オタクも人口増えてた時は高かったでしょ」と言い返されればどうしようもない。

 

表参道のあたりは外国人も多いけど道端でウンコ座りしてタバコ吸ってる日本人の雰囲気も、ちょいとおかしな感じを受ける。世も末な連中を見かけるようになった。

 

もちろん高級品店も並んでいるし裏道にもお洒落な店が軒を連ねてて街の雰囲気は随分とお洒落なのだが。

 

レストランはナチュラルを主体としたお店でワインもオーガニックでありバーとダイニングルームが別になっていて、今日はバーでゆっくりと仕事の打ち合わせを行うが昼時になると急にお客が増えて何時の間にかバールームもお洒落なお客様でほぼ満席。

 

考えてみればここは東京でも高級な地域であり周囲を走る車は大型でヒルズの中のレストランを利用する人たちも高級な雰囲気で道端に座ってたのとは随分違う。

 

何時もホテルの中で打ち合わせをしているので久しぶりに街での打ち合わせでレストランを利用してお昼時にたっくさんの日本人を観るとなんか「おお!」って感じである。やはり東京都心はまだまだ勢いがあるな。

 

この雰囲気だけを観ていると「日本はまだいける」って感じがするけどちょっと郊外に出ればコンビニの前でたむろって先のなさそうな、または先の見えた人々がタバコ吸ったりビールを呑んでたりするんだからその落差が大きい。

 

今回は時間がなく昨日の夕方に羽田到着、そして今日の表参道での打ち合わせが終わったらそのまま羽田空港に向かう。

 



tom_eastwind at 15:06|PermalinkComments(0)

2017年11月14日

東京到着

羽田空港はいつものように混み合うが、以前よりも外国人の入国手続にかかる時間は短くなったので良いことである。今日も大体30分で入国出来たのでYOKOSOJAPANである。

 

羽田から都内に向かい明日からの仕事に備える。今回は移動が多いのでとにかく忘れ物をしないように気をつけなきゃ。一度出たら戻れない日程なので要注意である。

 

本職の旅行屋なのに忘れ物はやばいので物忘れの究極の対策としているのが「モノを持たない」事である。実際に僕が出張をする時は荷物は最低限にしている。

 

服は最低必要な枚数にする。上着とジーンズは毎日同じものを着る。会う人は毎日違うので毎日同じ格好をしてても初めて会う人からすれば新しい格好である。

 

今回の日本のように冬に入り始める気候でも上着は夏物、コートなしである。人と会うのはオフィスやホテルの中で移動するのも基本的にタクシーなのでDoor to Doorだから外を歩くと言う事がない。

 

移動用のケースに入れるのは少ない着替えと洗面道具と仕事用の書類だけ。なので時々「お荷物はこれだけですか?」と聴かれる事もあるが、そう、これだけである。

 

出張先で朝起きてカバンに最低限の荷物を詰めたら出発。カバンに入れるものを視覚で捉えているので写真を観るようなもので「あれ?これが不足しているぞ」と気づくようにしている。

 

そして旅先で買い物は基本的にしない。お土産も買わない。買うと忘れる可能性が高まるからだ。

 

だから旅から戻ると上着は必ずクリーニングにだすけど、一年も同じ上着を着ているともうダメ。買い替えが必要になる。ジーンズは洗えば数年は使えるからそれほど問題はないけど、それでも数年に一度は買い替えが必要。

 

僕の場合ジャケットもジーンズも作業服と考えているので汚れるのはかまわないと思っている。適度に清潔でありさえすれば良い。

 

さあ、冬に入り始めた東京で仕事開始。



tom_eastwind at 15:05|PermalinkComments(0)

2017年11月13日

サンタクロースがやって来た。

今年も隣のビルにサンタクロースがやって来た。僕がこのオフィスに移ってきて17年になり毎年この時期になるとオフィスの窓越しに観るこのサンタクロース。隣のビルは以前は本屋さんだったのが数年前にファーマーズと言うデパートが移ってきて上層階はアパートになっている。

 

それでもサンタクロースだけはあい変わらず毎年クリスマスになるとオークランドシティの繁華街の一番人通りの多い交差点に立つ。

 

建物自体が古いのに合わせてこのサンタクロースも古い。この街に何の娯楽もなかった時代に作られて一年に一回の真夏のクリスマスパレードを観るためだけに子供たちが日曜日の朝から道路に座り込み、人がいるだけで楽しいお祭りだった時代の主役だったサンタクロースである。

 

娯楽の増えた現在のオークランドでも毎年一回のクリスマスパレードは賑やかで地元の子供達の楽しみになっている。日本人?一回参加したら「もういいや」って感じの娯楽である。日本は何て恵まれた国なんだ。ゲーム好きのキーウィの子供をお台場に連れて行ったら一日中一歩も外に出ずに発狂したように遊ぶだろうな。

 

日本人は今の日本の娯楽環境を観て何も感じない、当然、くらいに考えているのだろうけど、娯楽の遊び度では日本は間違いなく世界のトップクラスである。

 

ただそれは受け身の遊びであることが大きな特徴だ。自分から外に出ていくアウトゴーイング“Outgoing”な遊び、乗馬や釣りやヘリスキー、エベレスト登山等はニュージーランドの方が発達している。

 

受け身の遊びと言う意味でよく使われる「立てばパチンコ座れば麻雀、歩く姿は千鳥足」と言うのがある。これなどは如何にも伝統的な日本らしい遊びである。

 

ただその遊びも最近は随分と縮小しているようだ。パチンコ人口は減り麻雀を打つ人口も減少してお酒を飲む人も減った。

 

少子化と可処分所得の減少と言うダブルパンチだし国家レベルの減少なのでここの民間企業が対応しようとしてもどう出来るものではない。

 

そこで日本企業が生き残る為に必要なのが海外進出と言う事になる。幸い大手企業は手元資金があるし銀行借り入れも低利でいける。

 

これからますます厳しくなる日本国内ではなく海外に目を向けようって事だ。

 

「僕も行くから君も来い、狭い日本にゃ住み飽きた」である。これは戦前の満州国へ飛び出していく若者たちを誘った言葉であるが、まさに今の日本があの時と同じような空気である。

 

国内は少子高齢化で疲弊し経済は活性化されず、高いお金を払って大学は出たけれどちゃんとした就職先がなく、そんな時代には海外に飛び出して行くと言うのも一つの選択肢であった。 

 

ただ今の流れはどちらかというと個人ではなく企業が「僕も行くから君も来い」になっている。最近はNZでのM&A案件を手がけることが増えてきて今も同時進行で数件抱えているが日本人もそろそろOutgoing,外向きに動き出しているのかもしれない。



tom_eastwind at 10:04|PermalinkComments(0)

2017年11月12日

時の流れ

毎年、一年が終わるのがどんどん早くなっているような気がする。勿論これは気持ちの問題であり物理的に時間が短縮するわけではないと思うがもしかして本当に時間が短くなるってあるのかもしれない。

 

アインシュタインがなんちゃら理論で、実証されてはいないけど、どうやら時間って過去から未来に向かって一方通行で同じ速度で流れているものとは違うのかもしれないって話だ。

 

過去も未来も現在も実は一つの大きな団子になっててその中を人が行ったり来たりしているのかもしれない。

 

まさにタイムマシンの世界であるが現実的にスウェデンボルグのような科学者があの世とこの世を往復してみたり未来の人間が今の世に出てきたり過去に飛び立って行方不明だった飛行機が現代の空に飛び出したりして、世の中は分からない事だらけである。

 

人間が知っている事より知らないし見えないし証明出来ないけどそこにあるってのを感じることがあるのに西洋式教育を受けて「見えないものは存在しない、証明できないものは存在し得ない」等と考えていくと、キリスト教と西洋式教育はその正反対にいるんじゃないかと思ったりするが、あれでキリスト教社会がよく維持出来るものだと思ったりする。

 

僕自身はキリスト教ではないし「見えないし証明出来ないけどそこに存在するもの」を感じることが出来るので西洋的な矛盾に突き当たることなく自由に思考することが出来る。

 

その意味で理論よりも感覚が優先しているので理論はもっぱら感覚を証明するために組み立てることにしている。まず感覚と言う一つの現象が起きて、それが何故起きてどのような仕組みになっているのかを仮定論で組み立てて再現実証が可能かどうかを検証して理論にしていく事にしている。

 

その意味で僕はアインシュタインの時間に関する「団子」って理論が理解出来そうな気がする。もちろん最終学歴高卒なので大学で学ぶような専門知識はないが、今までいろんな体験をしてくる中で感じた「団子」はそれほど意味不明ではない理屈になっている。

 

時間の長さとは変化するものである。人によって長さが違う。それは意識の問題であるが西洋式の時計で測る時間とは違う時間の流れがこの世には存在する。

 

意識は無限の中に存在してそこに時間は存在せず空中に茫漠として存在するものであり意識の使い方一つで時間は変化する。

 

そう考えていくとこの自分の頭の中で起こっていることが理解しやすくなる。頭の回転が早くなる時って実は時間も異常に早く回っているのではないか。何も考えずに副交感神経が優先している時って意識の中で時間がゆっくり流れているのではないか。

 

ニュージーランドを旅する人がよく言う「この国は時間がゆっくりしている」というのが一つの体験証拠であろう。

 

もしNZに来たことがなくて、けど時間がのんびり流れているってのに興味があれば、NZの田舎を旅すると良いかもしれない。アインシュタインじゃなくても時間の流れは変化するってのを実感することが出来るだろう。

 

けど、てな事を書いたからって現実に自分の物理的時間が増えるわけではないので、やはり毎日緊張して1分単位を大事に使うことを考える。

 

横断歩道で赤信号を走って渡りきって反対側でフーフー言いながらテレテレと歩くような馬鹿な無駄な時間は使わず、信号待ちの50秒の間に一つのことを考える。焦って走ってけど目的もなくフーフー言うよりはゆっくりと交差点で考え事をする方が自分にとっての時間の使い方は正解な気がする。

 

残りの約2ヶ月、自分のやるべきことに意識を集中しよう。



tom_eastwind at 10:03|PermalinkComments(0)

2017年11月11日

ASESAN

ASEAN。もう17年以上前の話だけど、小渕さんが首相だった頃にオークランドでASEANが開催されてその時に当社が携帯電話レンタルをやってて、日本航空経由で数十台の携帯電話の申込みがあった。

 

誰が使うのかと聴くと、何でも日本の首相やVIPを守るために送り込まれた自衛隊が持つとの事。それも一人二台ずつ持ち万が一の故障にも備えるとの事。

 

オークランドのASEANは無事に開始されてシティの数少ない高級ホテルが各国首脳の取り合いになって裏方では部屋取りで大変な騒ぎだったが、テロも起こらず無事に終了した。各国からの非公式な銃など武器の持ち込みも裏方で徹底した管理が行われるが実際には皆政府専用機で防御用の武器を持ち込んでいる。

 

今回のベトナムASEANも裏方ではホテル確保が大変だったろうな、それから護衛部隊。米国だと大統領専用車に堂々と護衛車がずらっと並び腰に拳銃と肩に自動小銃を支え、最近の護衛車には後部に機関銃を積んでいる車両もあるようだ。

 

機関銃と自動小銃は基本的に違う。鉄砲玉が出るって意味ではどのような銃も同様だけど機関銃の場合弾倉をベルト式にした場合ほぼ無制限に射撃出来る。それも据え付けが基本なので銃口がぶれず長距離射撃と敵の一斉制覇にすごい威力を発する。銃身が熱くなるので交換が必要だけど、それ以外では陸上戦では最も強力な兵器の一つである。

 

それに対して自動小銃は弾倉に入る銃弾は20発から30発。それに対してオートマチックで発射すれば約30秒で銃弾を撃ちきってしまい交換の間に完全に無防備になる。

 

なので実戦では弾倉を上下逆さまにして頑丈なテープで止めて最初の弾倉を打ち終わったらすぐにひっくり返して次の弾倉を差し込んで無防備の時間を極力短くすることもよくあるくらいだ。

 

但し狭いビルや路地での戦いには効果がある。機関銃では攻撃出来ない場所で機動的に移動して敵を補足して撃ち倒すには良い。

 

米軍正式銃のM-16は銃身が長くて屋内戦では不利だけどそのような時は銃身の短い自動小銃を使う。初期の自動小銃で言えばイスラエル製のウージ等が有名だ。

 

なので機関銃は大統領専用車が周囲をテロリストに完全に包囲された時には相手を一気に殲滅するための武器となり長銃身の自動小銃は市街戦、短銃身の自動小銃は屋内戦と使い分けることになる。

 

大統領などの護衛隊の目的は相手を殲滅することではなく自分の警護対象を安全地帯に逃がすことであるから拳銃は威嚇にはなっても相手を撃退する能力が低いので実務能力は低い。

 

て、それで今日の本題は自動小銃や機関銃の話ではなくベトナムで行われた首脳会談の結果である。

 

日本はここ1年の外交は結構上手くいってる。トランプと組むのはどうかって話もあるが政府からすればトランプと組むのではなく政府主導の外交を行い米国に対してきちんとしたパイプを作ると言う事だろう。

 

戦後の日本は外務省が米国との交渉を一手に引き受けて他の部門には一切触らせず外務省が自分の意見を通すために「これはアメリカ様の意見です!」とやって政府を押し切っていた。

 

そのような状況を変化させるために安倍+菅政権になって高級官僚の人事権を政府が握り次に政府主導の外交に変化させた為、今まで外務省が保持していた利権を政府が取るようになり国家レベルでの外交が出来るようになったのは良いことだ。

 

フィリピン、ベトナムとも交流して中國の海洋進出を防ぐための「東アジアの真珠のネックレス戦略」で抑え込みにもそれなりの効果が出ている。

 

但し外交は政治と同じで一寸先は闇である。今回もくだらん新聞は安倍首相が日本でトランプ大統領とゴルフした時にこけたとか実にくだらんネタを披露して喜んでいるが自分の属する国の最高権力者をそういったくだらんレベルの批判してどうする??

 

今の日本が考えるべきはいずれ去る米国の後にどうやって中國と対面するかである。ある意味北朝鮮は小さな目先の問題だ。百年の計を考えれば今こそ中國との対話と立場の明確化をすべき時期である。

 

今ならまだ米国の傘の下にいるし米国も助けてくれる。けれど2年後に米国が日韓から軍備を撤退したらどうなる?だから今のうちに中國政策を明確にして彼等中國に「日本はこうやるよ、その為にこんな軍備増強をするよ、けどそれはこっちが先制攻撃するものじゃなくて、あくまでも国防のためだよ」と相手が納得できる行動を起こす必要がある。

 

ASEANは世界の中では比較的に安定した平和な組織でありちっちゃな国同士が成長しながら組んでいこうって発想である。そして日本はアジア地域の国家からは「信頼出来る国」として高い評価を得ている。

 

ならば今のうちに中國との百年の計を考えて「アジアの真珠のネックレス」を当事国である中國も含めて「上手く収める」計画を日本が主導して提案すべき時期だと思う。



tom_eastwind at 09:58|PermalinkComments(0)

2017年11月10日

人生を楽しむ角度

今日あるスタッフと話してたら「今年はあんまり楽しくなかったな」って感想。11月に入り残り後2ヶ月足らずとなるとやはり来し方を振り返っていろいろと考えてしまうようだ。

 

けれど僕からすればそのスタッフにとって今年一年と言うのはとても幸せだった年だと感じている。

 

何故ならその人の子供はすくすくと成長しており親とも会話が成立している。世間では子供が親を殺したり親の言うことを聞かない子供がパーティの場でもゲームばかりしてそれを制御できず周囲に苦笑いする親がいるが、そのような家庭に比べればずっと幸せである。

 

何故ならその人は体力的にも健康であり毎日自分の足で歩けるし車の運転もできる。世の中には怪我や病気で動けないとか痛風で足を引きずっている人もいるのに、そう考えたら何と幸せなことか。

 

何故ならその人は両親や兄弟等の家族にも恵まれており毎日楽しく会話も出来る。世の中には家族と生き別れになったり相続を巡って大喧嘩になり一生の縁を切ったなんて話もある中で恵まれた話ではないか。

 

世の中そうやって考えれば、まずこうやって生きていること、健康であること、家族が幸せなこと、それだけで幸せの90%以上は確保したって言えるのではないか。

 

勿論上を観ればきりがないよね。豪華な住宅、華やかな生活、ブランド品を身に着けて極上の食事をして。

 

けどその豪華な住宅に住んでる人は幸せなのか?もしかして家族もおらず一人で寂しく生活しているんじゃないか?

 

華やかな生活をしているけど実は誰も周りの人を信用出来ず、自分がお金がなくなった瞬間に周りの人は一斉にいなくなり誰も私を褒めてくれないし煽ててくれない、金だけがすべてだってのに気づくのにとても恐れている。

 

ブランド品や極上の食事だってこっちがカネ払っているうちに自分でのぼせ上がってるだけで素直な素の自分に戻ると実は人間としての中身空っぽで誰も相手にしてくれない。

 

そんな事を考えてみれば、人間にとって大事なのは何かって自然に観えてくる。

 

自分の立つ位置を総合的に考えて、今持っているものと持っていないもの、今年失ったものと今年得たもの、そういうのを比べてみると実は今年ってすごく幸せな当たり年だってというのが分かるはずだ。

 

よく例えに使われるコップの中の半分の水であるが、幸せって「足るを知る」なのである。

 

足るを知り今の自分が持っているものを考えればどれだけ幸せか。

 

人生を楽しむって、どの角度から観るかで全然答えは変わるけど、自分がその主体であることに変わりはない。

 

ならば自分がより自分の人生を楽しむために楽しい角度から自分の生活を観てみればどうだろうか。状況は何も変わらないのに突然頭の上の黒い雲が消えて青空と涼しい風が吹いて自分が笑顔になるのに気づくから。



tom_eastwind at 09:56|PermalinkComments(0)

2017年11月09日

Nothing too late

日本語で言えば「何事も遅すぎる事はない」となる。人が何かをするのに「年を取った」とか「今更遅いよ」ってのは言うのはやめようよ、人に遅すぎることは何もないんだから。

 

日本人だって60歳過ぎて芸の手習いをする人もいればキーウィも年をとっても毎日楽しく生きている。コーラスで歌ったりボランティアで生活の心を豊かにしたり、とにかく年の事など考えず毎日を学びの場にしたり楽しむ場にしたりしながら何時も言ってる、「遅すぎることはないよ」

 

日本では年相応と言う言葉があるけど年相応という言葉に逃げて何もしないってのは違う。人はいくつになっても成長するし年相応と言うのは毎年脳みそのシワを増やして様々な価値観を学び異国文化を通じて自分の許容範囲を広げることだ。

 

そしてその知識を子供たちに伝えて早い時期から成長することで更に学びを得ることが出来てそれが社会の質を高めていくことになる。

 

なので年を取って何もしなくなるってのは社会に対する義務の不履行だと考えたほうが良い。

 

身体で言えば年を取れば体力が落ちるってのはありだろうが、それでも食事に気をつけて健康を保つことは出来る。

 

カロリーってのは現代の食育ではあまり大事な問題ではないと思う。カロリー計算は食料に含まれるエネルギーを計算するわけだがエネルギー消費は個人差が大きい。

 

例えば1リットルのガソリンで走れる距離は車によって違う。大型の米国者だと1リットルで3km程度だろうが今の時代燃費の良いクルマなら20km以上走る。

 

 

長生きをするためだけに健康に注意して息苦しい人生を死ぬまで送るよりも楽しく生きるために常に適度な運動と心豊かに過ごして年相応の運動をして晴耕雨読で学びの生活をしたほうが人生をより楽しめる。

 

学びに遅すぎると言う事はない。



tom_eastwind at 09:41|PermalinkComments(0)

2017年11月08日

ZERO

来週月曜日から日本出張。今回は一週間というとんぼ返りなので出張で通常行う東京や大阪での個人面談はなし。時間的にかなりきつくほぼ毎日移動なので普段使う足のないスーツケースではなくキャリーバッグにする。

 

このキャリーバッグを使うようになってもう15年位になる。おかげで表面はズタズタ、角っこはボコボコであるがキャリーのタイアは堅牢だし引きずるのに問題はないので現在も現役である。

 

1970年代に旅行業に入った時には日本航空JALの海外商品ZEROと言うのが業界で一時期評判になった。

 

大学生の卒業旅行で米国行きの往復の国際線と初日の宿だけ取って後は自由行動と言うツアーだ。

 

画期的だし当時流行っていた旅先の空港のシールがベタベタと引っ付いたキャリー付きスーツケースにバッグパックと言う出で立ちで若者が旅をしていたが、JALZEROは大衆向けの売り込みをしていたのに大衆は振り向かず大失敗した。

 

そのすぐ後からHISが個人旅行を販売して大成功したのはまさに皮肉であるが、当時の日本航空としては実に良い商品であった。

 

小田実などがカバン一つで世界を旅するとかシベリア鉄道でユーラシアを旅するとかが若者の流行になっていた。

 

今の時代からすれば「何それ?」と言う感じだろうが、戦後の日本で一般人が海外旅行出来るようになった時代の始まりはそんなもんである。日本航空を利用するハワイ一週間旅行が30万円だった時代である。

 

今のようにインターネットもなく動画もない時代だから「自分の目で見てやろう」と言う「事実確認」的な旅が主流であった。

 

北欧の社会主義、米国のヒッピー族、シルクロード沿いのアフガニスタンやイラン、トルコなど当時の日本人からすれば珍しいものだらけであった。

 

特に当時のシルクロード沿いの旅は今のようにイスラム原理主義がうずまっておらず人々は極東からやって来た日本人を珍しがり歓待したものだった。

 

時代は移りシルクロードはまさにイスラム原理主義に晒され米国のヒッピー族は姿を消し北欧も失敗した社会主義により経済不況に陥り世界は変化した。

 

2001年の911テロでは米国が自演で仕掛けたテロとは言え世界を変えた。

 

そして今がある。ZEROと言う商品は面白かったな。けれど、良いからと言って売れるわけではない。生き残ることと夢とは全く別問題である。 



tom_eastwind at 15:03|PermalinkComments(0)

2017年11月07日

みんな一緒に

日本で生活していた時に一番不思議だったのが「みんな一緒に」と言う考え方だった。同じものを食べて同じ空気を吸って同じ責任を負って同じ負担を抱える。見掛けは正しいように観えて実は世の中を貧しくする一番の根源である。

 

東北大震災の時に出来るだけのものを持って支援に向かった人々に対し「ここには100人いる。100個の支援でなければ不公平なので受け入れない」と言う話があった。

 

生き残れる人間だけまずは生き残れって話なのに何故ここでへんてこな結果平等論が出てくるのか?じゃあ全員津波で死んだほうが良かったのか?

 

生き残れた人間だけでも生き残り復興に向けて生きていく、それが正解であるならば避難先の体育館でもまず生き残れる人間から生き残り、子供に楽しませる道具があるなら今目の前にいる子供だけでも幸せにする、それが本来の生き残る姿ではないか?

 

震災で生き残った子供たちでも明日は楽しく生きたい。そこでSMAPが持ってきたゲームソフトはうれしい。ところが大人が「数が足りないから不公平」と言って排除した。

 

遊べる時間を限定して皆が使うとかいくらでも案があったのに目先の貧しい発想だけで「拒否」である。

 

ばっかじゃないか。

 

結局、何も産まず人を殺す、目先の結果平等主義である。その場では“大人の”いい気分になっているが現実的には社会を貧困させ人々の生活を困窮させているのだ。

 

これが社会を下向きの平等に向かわせる。

 

生きるってのは半端じゃない力が必要だ。そんな格好つけの白痴は何も産まない。



tom_eastwind at 09:15|PermalinkComments(0)

2017年11月06日

銃と包丁

日本から戻ってきてずっと内務が忙しい。勿論外務も忙しいのだが今の均衡で言えば時間割で言えば内務7割である。今抱えている仕事の優先順位からすれば仕事の重みではなく期限のある仕事を先に処理する必要がある。

 

今年も後2ヶ月だし1221日からクリスマス休暇なのでそれまでに社内システムの構築も必要になるので一つの仕事を10分単位で頭を切り替えつつ仕事をしている。例えて言えば大鍋で麻婆豆腐作って皿に移してすぐに鍋を竹箆で水洗いして魚を炒めて次の皿に移してまた鍋を洗って今度は米飯を入れて炒飯作るようなものだ。

 

そんな事をしつつも日本のニュースを観ていると政治面と社会面が大変だ。政治では漁夫の利を得た安倍政権が衆院で勝利を得てトランプ一家を暖かく迎えて成功を収めそうだ。

 

社会面では猟奇殺人や高速道路事件、それ以外にも米国での乱射事件で二十数名がその場で撃ち殺され住民が銃で反撃したとの事。これでNRAは喜ぶだろうな、まさに「銃による自治」である。

 

でもってトランプ記事もよいけど今日は「銃による自治」を考えてみたい。

 

人々は自分が何かを語る時に意見の根拠が必要である。それは一般的に倫理とか論理と呼ばれる。これは人によって主張は違うがそこに一貫した論理がある限りそれなりに理解される。

 

現在NRA(全米ライフル協会)が主張する「銃は車や包丁と同じだ。それ自体を規制しても人間は他の方法で人を殺す」である。

 

日本では交通戦争と言われた時代があり多くの人が交通事故で命を落とした。では自動車は凶器か?

 

細かい理屈を抜けばどう観ても凶器ではない。社会を発展させるための器具である。但しその使い方を間違えば凶器になるという理屈である。

 

これは包丁も同じで、元々料理をするための器具である。包丁で人を殺すのは使う人の問題であり包丁の問題では無いという。

 

では銃はどうだろう?銃は元々人を殺すため、正確に言えば無力化するために発明された凶器である。

 

銃には二種類あり、1つは散弾銃のように動物でも人間でも相手を殺す為に作られた銃。もう一つは近代戦において敵側の兵士をむやみに殺すのではなく相手が戦闘行為が出来ないように無力化するために肉体を通過する弾丸で攻撃して相手を打ち倒すがその弾丸自体で即死することはないという考え方だ。

しかし銃の目的が何であれその開発は人を殺すための道具として作られたという事実がある。その後狩猟にも使うようになったが、それは包丁が韓国エンターテイメント「ナンタ」で乱打する道具に転用されたのと同様で本来目的ではない。

 

合衆国修正憲法2条と言うのがある。1791年に作られて国民が武装する権利を侵してはならないとあるが、その前提は「民兵の武装」である。規律ある民兵は自由な国家の安全保障に必要“だから”武器を持つ権利を侵してはならないとあるのだ。

 

米国が英国からの独立を勝ち取った1775年から1783年の独立戦争のすぐ後に作られた憲法修正案は、確かにその時代においては正しかった。自国を守るために民兵が武装するのは当然だっただろう。

 

しかし21世紀になり社会とか都市国家と言う時代になれば西部開拓時代ではない。人々が街を作りお互いが信用し合って武器を捨てることで平和が成立する。皆が常に武装していれば何時誰が誰を殺すか分からない。そんな社会で発展が望めるか?

 

だからこそ警察に武力を委譲して民間人は武装せずお互いを信じて都市国家で生活をしているのだ。勿論現在の警察が信用出来るかどうかは別問題として仕組みとしては正解である。

 

考えて欲しい。今となりにいる人が銃を持っていて電車の座席に座った瞬間に撃たれたりすることを考えたらあなたはどうする?

 

都市国家の治安を守ること。その為にまず大事なのはお互いに凶器を捨てることである。刀狩りと言うのはその意味でよく出来た法律である。人々が武器を捨てて治安維持を警察に委任することで社会の発展に意識を注げる。

 

その意味で米国の銃社会は自治や平和というよりも一部の既存権力団体による既得権益維持にしか観えない。

 

銃とデカイ車が売れる米国社会。その中身は男性上位でマッチョで脳みそ不足な国民性を表しているのかもしれない。



tom_eastwind at 09:06|PermalinkComments(0)

2017年11月05日

笑う門には福来る。

今日はちょっと余談。

中島みゆきの古い歌にこんな歌詞がある。

 

「泣いてもどうにもならないけれど、笑ってもあなたは帰らないじゃないの」

 

これはこれで分かるのだけど実際問題として笑った人の方に幸せが来る可能性は高い。いつもぶすっとしてる人に近寄りたい人はいない、顔に小判でも貼り付けてれば別だが。

 

僕が最近の日本でスーパーやオフィス等で女性を観ていると皆さん笑顔が素敵だ。取って付けたような笑顔な口と頬のあたりは皆学校で学んでいるのか?それでも昭和の頃には観られなかった均一の笑顔でも、ないよりマシだ。

 

箸が転げても笑うってのは若い女性に使われる言葉だけど良い響きである。昭和の頃は笑顔教育を受けてなかったのだろう、ぶすっとしている人がいた。笑うと損するぞって思ってたのかもしれないが、笑顔は周りを幸せにする。

 

ただこれは英語表現ではピッタリするものがあまりない。

 

Fortune comes in at the merry gate.

Laugh and grow fat.

Laughter is the gate to happiness.

 

どれも何だか離れているな。英語感覚ではこのような考え方がないのだろう。

昔のアメリカ映画で老人を笑わせて健康を維持するってのがあった。ロビン・ウイリアムズ主演の「パッチ・アダムス」である。

 

しかし一般的には笑った方が健康になるってのは西洋式の考え方には馴染みがない、実証出来ないものは存在しないって事なんだろうか。だから英語でもピタッと来る言い回しがないのかもしれない。

 

福と言う中国語の漢字の持つ意味は福の左側のネは元々は示である。これは神様に捧げる祭壇。右側の部分は元は徳利のようなお酒を表していた。

 

つまり中国風にいけば祭壇にお酒の捧げ物、それが福である。

 

中國のカレンダー等を観ると福がひっくり返っているのがよくある。これは福が倒れる=到着すると同じ発音「とう」なので「福がやって来る」と言う意味になる。

 

仏教が根本にある中國や日本では絶対神がいないので何と言うか捧げ物と言う贈与を行いその対価として豊作や幸せを受け取る。神様と人間の賄賂のやり取りである。こういう発想はキリスト教では出てこないのかもしれない。

 

笑うってのも米国人からすると日本人がいつも薄笑いをしているのは気持ち悪いかもしれない。けどあれも実は「笑う門には福来たる」の思想が連綿と続いているのかもしれない。

 

笑顔で賄賂を差し出してその対価として見返りを受け取る。にこにこしておけば損はないと思う。どちらも東洋的な考え方だなと、今日ふと思った。



tom_eastwind at 10:18|PermalinkComments(0)

2017年11月04日

ガイアの夜明け2013軽自動車

昨日からMacBookUpdateをしてて途中までは上手くいって今朝再起動したらパスワードを入力しろと。そこでメールアドレスに関連付けたパスワードを入力すると画面がブルブルして「違う」。

 

こりゃダメだ。これ以外のパスワードはIT担当が管理しておりパスワードはもらったけどそれはパソコンの中。

 

まるでホテルに泊まって部屋の中に鍵を置いたまま廊下に出たようなものである。笑うしかない。

 

そこで予備で自宅に置いてる以前使ってたMacBook Airがあるのでこっちを引っ張り出して充電しつつ仕事再開。

 

それにしてもMacBook Airを久しぶりに使うと今のMacBookよりキーが一回り小さく打ち込みも数ミリ深いのが分かる。おお、こんなに違ってたんだ。おまけにMacBook Airの方が画面が少し大きいんだ。

 

でもってパソコン使いつつ最近はまってる「ガイアの夜明け」をテレビで背景に流す。

 

うちは長いことビデオやっててレンタルしてた時期もあるし最近は社員向けに日本のテレビ番組をDVDで仕入れてた。

 

ところが仕入先のシドニーの会社がネット化に耐えられず撤退。古いDVDをどうしようかと話す中でたまたまガイアの夜明けを見つけて自宅に持って帰って観たら、これが面白い。

 

そこでここ数週間2013年頃の番組から観てたら今日は「軽自動車うぉー」と言うのがあり何かなと思ってたら三菱自動車と日産自動車が協力して燃費の高い(1リットル29km)軽自動車を開発する番組。

 

あれれ?これって三菱自動車の燃費不正事件の話ではないか?けど番組はどう見ても三菱自動車が風洞実験とかやってきちんと数字を出したように観える。

 

え?これがあの燃費不正の現場?思わずびっくりしてAirを取り出してネット検索すると、ほんとだ、当時のガイアの夜明けがアクセス出来なくなっている。

 

こちらはDVDで保存していた所謂魚拓だったので観ることが出来たけど、たしかにあの番組を観てると如何に燃費を良くするかって事に担当者全員が頭を抱えていた。

 

なるほど、頭の賢い優秀な社員が全員揃って現場で上司の命令を聞いて不正行為をやってたその現場を「ガイアの夜明け」が取材してたわけだ。

 

これってまるで戦前戦中の日本軍参謀部と全く同じだな。

 

元々合理的に考えて実行出来ない命題が大前提にあり、現場では技術的にムリな1リットル29kmを実現するためにテスト結果を誤魔化した。それが提携先の日産にバレたというお笑い物語である。

 

けどやってる本人からすればお笑いではないのだろう、子供の頃から勉強して優秀な高校に入学して立派な大学に入り大手企業に就職して「よっしゃ!」と思ってたら上司から命令されたのは無理な指示。

 

こうなると子供の頃から鍛えた頭でやれることは如何に無理な指示を実現するか、である。その為に現場の数字をごまかし上司にはバレないように報告してって技術に脳みそを使う。

 

疲れるだろうな、そんな事をしていると。けど本人は一生懸命なんだろうな、それはよく分かる。

 

日本の現場、何故日本が負けるのかよく分かる。思い切り賢い人間が思い切り賢くバカな失敗をする。



tom_eastwind at 18:06|PermalinkComments(0)

2017年11月03日

自分を信じる 信自己

今日は記念日である。こんな日は絶対良いことがあるぞと自分を信じて仕事をする。

 

「愚直、努力、運命」は僕がいつも感じることである。まず自分を信じること。絶対に出来る、そう信じて愚直に働く。そしてそれを継続して努力する。継続は力なりだ。そうすれば運命は必ず微笑んでくれる。

 

僕は何か新しい事業を始める時に、いつも60%の成功率で開始する。じゃあ残りの40%はどうする?

 

まず一生懸命頭と身体を使って努力することで20%取れる。その努力を見た神様が20%を与えてくれる。だから100%である。そう信じていつも色んな事に取り組んでいる。

 

現実的な結果としては千三、せんみつ、つまり千やって三つしか当たらないけど、それでも常に「今日は俺の幸運日!」と信じて行動することで間違いなく、毎回ではないけど神様は振り向いてくれる。

 

千やって三つしか当たらなくても毎日千やってれば毎日三つ成功するわけで、そう考えれば随分と成功率は高い。とにかく頭を使って普通の人が一日百しかやらない時にその十倍働けば良いだけだ。

 

じゃあ神様が振り向いてくれない時は?つまり幸運が来なかった時は?こういう時は「私心にあらざりや?」と反省することにしている。僕は自分の為だけに何かやれば必ず失敗することを自分の経験値で知っているので何かを決めるときにも「至誠に基づきや?」と考えることにしている。

 

他利、人のためを考えて行動したか?そこに一点の曇もなければ努力が足りなかったと思うことにしている。

 

努力とは後悔しないための一番の方法である。やることをすべてやって、それでもダメなら諦めもつく。後になって「あの時こうすれば」と悔やむから後悔と言う。だから後悔しない為にはその時点で思いつく限りの事をやる。

 

後から振り返れば「何でこんな簡単な事を思いつかなかったんだろう?」とは思うが、それでもその時点の能力を全開させていたので後悔はない。

 

「後」と言うのは失敗の後であり失敗から学んだから「何でこんな簡単な事を思いつかなかったんだろう?」と思えるだけで、失敗しなければ学ばなかった事である。

 

自分を信じるという中国語は自己を信じると書いて「信自己」となる。日本語と似てるね、とか言ったら奥さんに怒られる、何故なら漢字は中國から来たんだから。

 

つまり中國4千年の文化の中でも早い時期から人間はまず自分を信じること、愚直に努力すること、それが運を呼び込むことだと理解していたのだ。

 

ならば僕らも同じ漢字文化、彼等から勉強させてもらおう。信自己。最後に書いておくと、僕は毎日が記念日で幸運な日だ。



tom_eastwind at 13:46|PermalinkComments(0)

2017年11月02日

最低時給の上昇が労働者の首を締める。

***

来年41日から最低時給アップ

公開日:20171026

労働党政権となった新政府はまず、来年4月より時給(大人成人)を$16.50ドルに値上げする事を発表した。現在の時給は$15.75ドルなので75セントアップする。政府は2020年までに時給$20ドルにするという。

 

Auckland City Missioner Chris Farrelly氏は、現在の最低時給では生活できず食料配給を求める人々が増えているような状況。今回の時給のアップが貧困人口の減少に繋がると期待をしている。

NZ大好きより

https://nzdaisuki.com/news/life/2635-2017-10-26-1

***

 

1ドルを85円とすれば1,338円が現在のNZの最低時給である。そしてこれを2020年までに20ドルって事は最低時給が1,700円である。今の日本じゃ考えられないな。

 

この最低時給には交通費などは含まれないから一概に比較は出来ないが肌感覚的に言えばサービス残業ゼロの国だから実質労働時間給は日本の最低時給より間違いなく2割以上は高い。

 

来年の時給は現在と比較して大体5%の賃上げである。これは最低時給のみなのでこれ以上の給料を受け取っている人には直接の関係はないが賃金の底上げに繋がるのは間違いない。この政策は国民党時代も同様で両党とも政権担当時に毎年最低時給を上げてきた。

 

ちなみにニュージーランドの最低時給は業種や地域に関係なく全国一律である。

 

毎年の物価上昇率はニュージーランド全体で約3%、オークランドでは約5%、家賃も貸し手市場で値上がりしている。だから5%の賃上げがないと実質給与減額、マイナスになる。

 

特に食料品は数年前までは中間層向けのスーパー“カウントダウン”に勢いがあったが今や低価格で展開する“パック&セーブ”にお客が集まり、その結果として食材の回転がよくなり毎日新鮮な肉や魚が安く手に入ると言う状況になった。

 

同時にFarro等の高級食材スーパーも調子が良い。不動産値上がり等上手く時代の波に乗れた人々は高級食材を買って男性はオートバイを新調してバリバリと走り回り女性は高級レストランで午後のお茶とおしゃべりを楽しむ。

 

つまりオークランドにおいても中間層がいなくなったのだ。8割のパック&セーブと2割のFarroに分かれた。

 

その一方で大学を卒業したばかりの若年層には仕事がない。何故ならパソコンとインターネットの発達で一昔前なら新入社員がやってたような後方業務がなくなって若年層の勉強する場所がなくなったからだ。

 

では今回の最低時給の上昇が貧困人口の減少に繋がるか?

 

逆である。貧困層は増える。

 

何故ならNZにおける「会社」は社会福祉団体ではない。企業にとって不要な人材を雇用することはない。それがましてや時給が上昇?

だったらいいや、パソコンの進化したソフトウェアで業務の自動化を進めよう、インターネットを使って業務の国外外注を徹底しようってなるのだから単純な賃上げは逆に若年労働者や未熟練工の仕事を奪うだけだ。

 

それでも昨日も書いたように経済成長している間は人口増加によって新しい産業や小売サービス業の規模が拡大して新たな産業の雇用を生むことが出来る。

 

ところが労働党の政策は基本的に労働者の取り分を増やすだけであり企業の経済成長や起業の促進を阻害する政策である。働けば働いただけ政府と働かない連中のみが肥え太る。誰がリスクを取ってそんなビジネスをしたいだろうか。

 

だから小売サービス業でも高い時給で文句ばかり言うレジ打ちを雇用するよりも文句も言わず24時間働き給料も要求しない自動精算機を導入して「合理化」するのだ。

 

ホテルだって昔はフロント業務は人間がやっていたが最近は自動チェックイン、自動チェックアウト精算機、更にはハウステンボスの「変なホテル」でAIを活かしたロボットスタッフ導入等、人を減らして効率的に業務を遂行する仕組みが出来始めてる。

 

単純な時給上昇、このあたりが労働党の発想の限界であろう。何せ象牙の塔に住んでる連中だ、下々の現実は分からずインターネットも使えず古い脳みそ同士がご立派な邸宅でホームパーティばかりやってるんだから世間の現実など知る由もない。

 

そんなのが身内の左巻き新聞記者の書いた捏造記事を自分に都合よく解釈して「社会派気取り」しているのだからどうしようもない。



tom_eastwind at 06:42|PermalinkComments(0)

2017年11月01日

それでも住宅不足は続く。

***

住宅毎年1万棟建設の約束と労働者不足問題

公開日:20171027

新政府は住宅を年間1万棟建設することを約束したが、建設業界では労働者不足が問題化している。

 

労働党が掲げた$2ビリオンKiwiBuildスキーム計画では、初めてマイホームを購入する人達に向けた住宅をこの先10年で10万棟建設することとしている。しかしながら、既に建築関係の労働者数は非常に少なく、海外の労働者に頼るしかないのが現状だ。

 

新政府も移民人口の減少化は政策にはあるものの、建築業界においては海外労働者を頼らなくてはならない事は認識しており、KiwiBuild ビザという一時的な新しい労働ビザを発行する予定である。

NZ大好きニュースより

https://nzdaisuki.com/news/general/2639-2017-10-27-2

***

 

労働党が政権を取ったが、だからと言って住宅が空から降ってくるわけではない。現実問題として住宅不足は変わらず初めて家を買う人にとって平均価格80万ドルは高嶺の花である。

 

労働党は外国からの投資規制をしているしそれは別に構わないのだけど肝心のキーウィの30代新婚夫婦が買える家がない問題はどう解決する積りだろうか?

 

うちで現在手掛けているタマキ地区の110軒の住宅開発では政府から土地を安く放出してもらって一般的な販売価格が60万ドルからであり、これなら新婚夫婦でも何とか手が届く。これは国民党政策で始まった公共計画である。

 

予め銀行の与信をもらい政府の補助を受けて表面価格よりも更に安く買えるようにしているのでまだ第一期の29軒の建設を開始したばかりだが既に19件は売却済で残りもすでに現地販売事務所で完成予想図を観せながら販売開始しておりこの案件も完工までにすべて売却の予定である。

 

ただ問題はこれから住宅開発をするにしても外資規制をしてしまえば住宅建設資金は現場に落ちてこないって事である。労働者の確保よりも建設資金確保のほうが先なのだけど、何時ものことだが労働党は何かずれてる。

 

これから政府が土地を安く放出しても国内投資家だけでは到底賄えない。その時に海外の投資家をどう対応するのか?

 

方法はある。うちのように地元のデベロッパーと投資会社と弁護士とで投資組合を作り組合が建設する方法である。こうすれば規制から外れる。しかしそんな事を外国から来たばかりの人が出来るわけがない。なので自然と既に建設された一軒家を購入することになる。

 

そこに規制をかけるってのだからこれは寒い中焚き火で温もっている人の焚き火にいきなり水をぶっかけるようなものだ。

 

外国人に依る不動産購入が実際にNZの不動産価格をどこまで上昇させたのか?実は既に外国人規制をやっているお隣の豪州では規制の効果が出ずに不動産はあいも変わらず上昇しているのだ。これは外国人へのやたら規制以外に何か他の理由があるのではないか。

 

今のオークランドは深刻な住宅不足で路上生活者が発生して労働党は彼等の為に政策を作るけどそれは逆にNZに景気減速を招き更に低所得者の働き口を奪うのだ。

 

経済が加速していれば未熟練工でも仕事はあるが工事がなくなれば未熟練工に仕事は回ってこない。その結果として路上生活者の数は増えることになる。

 

何故こんな簡単な事に気づかないか?それはNZの最高層にいる人々、例えば法曹界とか医療界とか教育とか国の制度のインフラを支配している人々は現実現場の仕事をせず1970年代のヒッピーの発想のままで今も生きているからだ。

 

この発想は日本の社会党、民主党、民進党と続く連綿とした集団の中にも息づいている。唯一違うのはNZではヒッピーが社会の支配層にいるけど日本では反対集団としてしか存在していないって事実だ。

 

現実を観ず自分たちは労働貴族で立派な家に住んで労働者の為にっていうのを日本語では「お為ごかし」と言う。

 

労働党が政権をとっても住宅は建ててくれない。その資金は民間から調達するしかないのだ。労働党に現実的になってくれと言っても、それは日本の社民党に日本と言う国を理解してくれと言うようなもので無意味である。

 

なので僕は僕が出来ること、この社会に貢献することを実行していくのみである。



tom_eastwind at 19:07|PermalinkComments(0)

2017年10月31日

親子丼

10月も今日で終わり、青空が広がるオークランドはそろそろ三つ揃いだと昼間は汗ばむ陽気である。

 

今日も朝から外部でM&A会議を行う。今回のM&Aコンサルティング会社は北半球で本格的なM&Aをやってたコンサルタントが集まって作った会社で少数精鋭である。

 

様々な分野に精通しており、てかM&Aの基本と現場を良く理解しているから話の持って生き方が上手だ。僕が今回の全体図と背景を説明するとすぐに状況を把握してくれて話のまとまりが早い。

 

一般的なキーウィのような思い込みや自分の南半球の常識で判断していない。彼等は北半球、それもアジア地域で長く仕事をしており北半球の仕事の進め方を理解して北半球の方法で話を展開させていくから波長が合って仕事しやすい。

 

1時間、お互いに意見交換をしてこのビジネスのプレイヤーの立ち位置を明確にしてお互いに持ち帰る内容と次の会合までに用意する書類を確認して内容は濃かったけどすっきりした気持ちオフィスに戻る。

 

お昼ごはんは脳内で不足した糖分を補給するため親子丼にする。

 

会社近くのお店のメニューにはカツ丼で肉を鶏肉にすると表現されてるけれど、鶏肉を卵で溶かし込んでご飯に乗せれば親子丼である。唯一の違いは鶏肉がチキンカツになっていることで、この点を取ってカツ丼の鶏肉版と表現しているのか。

 

朝からM&Aの話をして色々と思考回路を広げつつお昼ごはんはカツ丼と親子丼の違いを考えつつ、この両方は僕の頭の中で同じ思考規模になっている。

 

これが普通の人からすればおかしく思えるようだが僕にとっては眼前の対象が規模の問題ではなく論理の問題として展開していくから普通の人が「そんな事どうでもいいでしょ」と思うことが思えない。

 

なのでこれはカツ丼の鶏肉版か親子丼かな、けど出汁が効いてて美味しいな、チキンカツの衣に卵が柔らかくかぶさってチキンカツ丼か?

 

親子丼って言ってしまうと外国人に説明するのがきついな、親も子もまとめ食い。よくもまあこんな残酷な名前つけたな、誰だ命名したのは?

 

てか正確に考えればこの料理は親子丼ではない。何故ならこの丼にある卵を生んだのがこの丼の鶏肉である可能性は限りなく低いからだ。DNA鑑定してみるか。

 

つまり同じ種類ではありながら血縁関係がないのだから親子と呼ぶのは違うだろう。これは他人丼と呼ぶのが正解ではないか。せいぜい同族丼か。何だかどっちも響きが良くないな。第一血縁関係がなくても養子縁組すれば法的には親子だ。

 

けど養子縁組した鳥の親子ってのも聴いたことないな。等と実にしようもない事を考えつつ鶏肉を箸に掴んでパクパクと食べているとあっという間に午前中の会議の事を忘れてしまう。

 

さあ午後はまた頭を切り替えて親子丼の事は忘れて本業の仕事に集中だ。顧客に提出する企画書もあるし投資ポートフォリオの組み立てもしなくちゃいけない。他にも期限のある仕事が詰まっている。この一ヶ月は徹底的に走るしかない。



tom_eastwind at 21:12|PermalinkComments(0)

2017年10月30日

何事も先達のあらまほしき事なり

あれ?英語の表題が2日続いた。けどFARROは焼き肉レストランの固有名詞だしKADENは元々日本語だもんな、まあ仕方ないな。

 

月曜日の出社は実はやること多くて、先週あちこちにメールを送っててその回答が来てて、それに対しての返答を送る手筈だったけど、全部で10件ほど送る筈が5件しかメール出来ていない。

 

M&A案件、フィンテック、会計事務所、自分年金、NZ国籍取得案件、どれもメールを書き出したら長くなり自分なりに再度整理していたら何時の間にか午後3時、退社時間である。

 

だったら午後3時に退社するの止めろって話だけどパソコン持ち帰れば自宅で仕事出来るのでまあいいやと思って交通渋滞に引っかかる前に会社を出る。

 

ここで交通渋滞を普通に喋っていると“Rush Hour”になってしまう。話し言葉なのでどうしても簡単な言葉を選んでしまう。これが自分に甘くなる理由だ。日本人として生まれたのだから意識して日本語を使わないとすぐ「水は低きに流れる」事になる。

 

つまり英語は使いやすくて便利な言語だけど、だからと言って英語ばかり使っていると肝心の日本語を忘れるし日本語の言い回しを間違ったりする。便利だからと言って英語を使うのは、足を守るために靴を履いて結局足の裏を弱くすることと同意義である。ん?変な言い回し?

それからパソコンを使うのは仕事だけど会社では常にレポート用紙を机に置いて出来るだけ日本語で文字を書くようにしている。ボールペンではなく万年筆を使って少し太文字を書くようにして漢字の記憶も保持するようにしている。

 

そうやって漢字を書いていると自分の精神状態を把握することも出来る。別に呑んだら字がヨタ狂って話ではなく、漢字の平衡状態とか止めとかハネとかが変化する。

 

なので心を落ち着けてゆっくり書いて綺麗ではないけど納得出来る文字になると、ちょっとうれしい。

 

サブの字がおかしいけど面白い。相田みつおの字は下手なのか?そんな事を思いつつ日本語と漢字を書きそれをじっと眺める。

「結束」は日本語では「まとまる」と言う意味になるけど中国語だと「終わり」の意味になったりする。偽中国語ってのがあって、日本語のひらがなやカタカナを除いて漢字だけにして中国人に送ると意外と通じたりする。

 

「我今日飲日本茶」とか「何故?彼氏仕事多忙?」とか。

 

元々漢字は中國発祥だけど清朝の後半では明治維新を経験した日本が西洋に渡り民主主義とか操船技術とかを英語で学んだ。その英語を日本語に訳す際に漢字を使い、その漢字が中國でも使われるようになった。

 

例えば「中華人民共和国」の中で中国人が作った漢字は「中華」だけである。人民とか共和国ってのは日本人が欧州で英語から学んだ言葉である。そして下の二文字熟語も日本発祥である・

 

服務、組織、紀律、政治、革命、政府、方針、政策、申請、解決、理論、哲学、原則、経済、科学、商業、健康、社会、資本、主義、法律、封建、共和、美学、文学、美術、抽象。

 

こう考えてみれば日本人にとって漢字とは確かに中國から来た文化であり尊敬すべきだけど、日本人が独自に作り上げた文化もある。

 

明治初期には多くの中国人留学生が日本にやってきた。そこには魯迅、孫文、周恩来等、中国の歴史に名を刻む人々がいた。明治の右翼指導者頭山満は玄洋社を起ち上げ多くの中国人留学生の面倒をみた。

 

その頭山満の弟子の一人が中村天風である。

 

日本人は中國から多くの文化を学びその伝達方法としての漢字もその漢字の持つ意味も学んだ。明治時代の乃木将軍は漢詩が書けたそうだ。風飄々とかお洒落ではないか。

 

中國では共産党が政権を取り国民の識字率を上げるために簡体字を創り出した。これが一般的となると漢字本来の表意文字の文化が壊れた。文字がただ単純に意思疎通の手段となり漢字に「旨味」がなくなった。

 

香港と台湾では古くからの中国語「繁体字」を使っているが、あれは普通の中国人には読めない。例えばフォークギターしか弾けない人はクラシックギターを出来ないけど、クラシックギターをデキる人はフォークギターを弾ける。ん?変な言い回し?

 

日本語は繁体字と簡体字の中間みたいなものか。「学」は繁体字では「學」となる。業は日本語と繁体字は同じだけど簡体字では草かんむり=上に4つの縦線があり下に横文字一本。ここまでバラされたら原語が不明である。

 

何千年も前の中國には紙がなくて竹に文字を記した。日本はその中國から漢字を受け入れてそのままでは難しいのでひらがなを作った。そして中国語では存在しない漢字と漢字の間にひらがなをいれて文章を作ると言う日本独自の文化を作った。

 

日本に生まれて漢字を学ぶ機会がありそれが中国語読解の役に立つ。英語書くより漢字書いている方が学びになる。徒然草の「何事にも先達のあらまほしきなり」である。



tom_eastwind at 00:21|PermalinkComments(0)

2017年10月29日

KADEN

週刊日経ビジネス2冊を週末にまとめ読みする。先週半ばには届いてたのだけど誉田哲也の「インビジブルレイン」を読んでたのでこれを読了してからってやってたら週末になった。

 

毎週色んなテーマで記事が掲載されるんだけど日本から定期的に送られてきてもちょっと間が空くと旧聞になってたりする。

 

今週読んだのも衆院選前の記事だったので小池さんの記事もあまり突っ込めてない。何せ選挙結果が分からないのだから難しいところだろう。

 

ただそれにしても原発問題など日経ビジネスとして踏み込めないネタも多いようで、時事ネタや「敗軍の将」等面白い記事もあるけど、段々踏み込めない領域が増えてきたような気がする。

 

日本経済新聞と言う以上経済ネタが中心であるが、環境問題や政治問題であまり偏った書き方は出来ないし経産省を完全に敵に回したら自分が干される。なのでそのあたりはなかなか明確な意思表示、てか日経の内部でも意見はまとまってないのかもしれない。

 

その点20171009日号ではKADENを新成長産業と位置づけて日経らしい「書きたいこと」をそのまま書いている特集では筆の乗りが良い。

 

ソニー、パナソニック、東芝、シャープなど家電メーカーはどこもきつい思いをした時代があったけど、子会社化、M&A、合理化等を経て強くなった家電メーカーの特集だから記者も「勝手知ったる他人の家」みたいなものである。

 

中でも面白い家電として自宅のカーペットにこぼしたコーヒーのシミを吸い取る「すいとる」を発明したシリウスは社員わずか8人のちっちゃな世帯であり工場もないながら三洋電機出身のスタッフが開発したヒット商品である。

 

ドン・キホーテが売る「安かろう良かろう」の504Kテレビが何と54800円!

 

他にも異業種から家電に進出して来た企業などの紹介も賑やかで、台湾のホンハイのグループ入りしたシャープがコスト削減で利益を出したり、パナソニックが男性向けのボディトリマーを人気商品にしたりとかが実に楽しく描かれている。

 

その中でも特徴的なのは「日本にいるだけではゆでガエル」と言う言葉をパナソニックの家電事業トップの専務が放つようになった事だ。

 

香港時代に松下電器、今のパナソニックの社員の仕事をする機会がよくあったが、彼等は本当に大阪の王様みたいな、食物連鎖の頂上にいるような態度で人と話してたものだ。

 

社内で何かあるとすぐに社員名簿持ち出して「お、こいつは入社何年度じゃないか、何て生意気な口利きやがって」とその場で電話かけて怒鳴るとか、非常に内向きな人々であった。

 

それが時代が変わって20133月期まで15千億円の赤字を出して津賀社長がBtoBビジネスにシフトしたりしてそこからパナソニックになりPanasonic Beauty等創業者が聴いたらびっくりするだろうビジネスモデル転換を行った。

 

東芝も本体がボコボコになっている状態でも中國美的集団に身売りされた東芝家電部門「東芝ライフスタイル」は掃除機、炊飯器等成熟市場でヒット商品を送り出している。東芝本体にいたときよりも今の方が自由闊達に外向きに出て行けている状況だ、

 

他にも1690年創業の「山本山」がシリコンバレーの起業家と組んで美味しい日本茶を自動的に作ることが出来るサーバーとか「アプリを使って調理する」等、如何にもシリコンバレーらしいアイデアで味を標準化数値化しているのが面白い。

 

KADENと言いつつこれからはIoTの時代で