諸行無常のビジネス日誌

2017年06月27日

起業家が育たない日本 2

話はそれるが、昨日の記事の最後に書いた日本の起業家精神の崩壊を感じたのは実は19896月の中国の第二次天安門事件をクイーンズタウンの新聞で読んだ時と全く同じ印象だった。

 

天安門に座り込み自由を求めた学生たちが楽しそうに男女でダンスをしている写真を観た瞬間ぞっとした。こいつら殺されるぞ。

 

何故なら当時の小平は何とか国家を再建しようとしており共産党創立以来の現場戦闘に慣れており中国人の事をよく理解しており、この若者の自由化デモを認めたら当時の脆弱な中国共産党による一党支配が崩壊することを最も恐れた、何故なら国家が崩壊するからである。

 

だからこそ小平は田舎の若者で構成された軍隊を天安門に送り込み平和的な民主化行動を行う若者たちを徹底的に潰した。そうでなければ中国そのものが崩壊するからだ。何故なら中国に自由民主主義を導入すると12億の自由と思想が出て来て国家が分裂崩壊することを知っていたからだ。

 

中国には民主主義は合わない、それを誰よりも知っていのたが経済自由主義を特区として広めた小平であるのは何とも皮肉な話である。

 

話を戻すと、今は起業家と言っても社会そのものをひっくり返すような中国のテンセント、アリババ、米国のグーグル、フェイスブックのような起業家は日本では絶対に育たない時代になっている。

 

何故なら米国や中国のトップエリートは自分たちが優秀であることを理解しているがその能力は民間から生まれてきそうな起業家を発掘するためでもあるとわきまえており、自分たち行政官の仕事はそういう現場で何かを作り出す現場労働者である執行官が働きやすい環境造りをすることだと理解しているからだ。

 

ところが日本はどこまで行っても所詮はお上と愚民でしかなくお上が行政官も執行官もやろうとするから失敗する。何故ならお上は執行官に本来要求される自己責任、つまり失敗したら腹をくくると言う発想がないからだ。

 

失敗の危機感覚なくして起業など出来ないが財務省も経産省もとにかく「俺のしまだー!」と机にかぶりついて何でも自分でやろうとして失敗する、何故なら自分で腹を切ると言う責任感覚がないからだ。

 

だから第二次世界大戦のようなやらんでもいい戦争をやり満州で止めれば良い大陸戦略を中国全体に拡大して泥沼化させて挙句に米国の挑発に乗り勝ち目のない戦を始めた。何故なら日本が負けてもお上自身の腹は痛まないからだ。よしゲームをしよう、勝ったら俺の実績で、負けたらお前ら愚民が死ぬ、さあゲーム開始!である。

 

これが現実の日本なのだ。

 

。それが嫌なら宋さんが中国を出て日本で起業したように、日本人は日本を出て海外で一匹狼として自分の実力だけで生きていくしかない。日本国内では自分が何をやっているかよりも自分が何かに楯突いているってだけでお上の攻撃対象になって潰されるのだから。

 

お上にとっては自分たちのみが選良でありそれ以外の日本社会の90%以上は愚民なのであり、それは江戸時代から何も変わっていないのだ。

 

宋さんだってそんな日本で起業したのだから分かっているはずなのに今更「起業家が育たない日本」をここ10年の問題に限定しているけど、そりゃ違うだろと言いたい。

 

「国の本当の体力は新しい産業を生み出す力です。その力の源泉は起業家精神です」は、まさにその通り。しかしそれをバカ選良自身が否定して「お前らバカ愚民がするな、俺達選良がやる」と言って起業家を潰しているのだから国家が成長するわけもない。

 

自分たち選良がやった原子力政策も失敗しダム等箱物事業も失敗し経産省による電気会社の合併も失敗しシャープは台湾の子会社になり東芝の半導体部門も経産省主導で変なグループに話を持ち込んでるが、こんなの買収された瞬間に組織分割されて他国に利益を持っていかれるだけで全く日本の国益にはならない。

 

要するに起業家であるべき経産省自体に起業家精神がないしリスクを取らずに先輩のやった事のモノマネをしているだけなのだから成功するわけがないのだ。

 

日本は大体50年で勃興して大失敗して没落して没落の辛さを知った人々がリスクを理解して再興するけど彼らが引退した後に育った選良バカボンが親の世代の没落の痛みを知らないままに大風呂敷を広げて大失敗する。

 

日本はずっとこの繰り返しである。何もこの10年に限った事ではない。江戸時代のみが鎖国でまだしも良かったが明治以降は50年循環で日本は何度も変化しているのである。「出る釘は打たれる」と言う日本のことわざは愚民が愚民として生き残る為に考えた知恵である。

 

日本で起業家が育たないのはそれが日本と言う統治の仕組みの地盤の上にあるからだ。



tom_eastwind at 17:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月26日

起業家が育たない日本 1

宋文州氏は中国人で若い頃に文化大革命の被害を受けて下放されその後日本の大学へ留学して白手起家、起業家として日本で上場企業を創り出した偉大なる人物である。

 

文化大革命では死ぬような思いをして日本では石にかじりつくような努力をしたのであるしどっかの大企業のボンボンとか閨閥とかのような助けも何もないまま徒手空拳で戦い、生き残り成功した。

 

そのような彼だからこそ尖閣諸島問題の時は「尖閣諸島をミサイルで吹っ飛ばせ。そしたら問題自体がなくなる」と非常に現実的な発言も出来た。

 

ところが彼は最近のメルマガで「この10年日本では起業家が育たない」と批評している。

 

おいおい、君は江戸時代から続くお上の存在を知っているよね?「民は寄らしむべし知るべし無からず」と愚民政策を取りすべての政は選民である優秀な武士、明治においては官僚試験に合格したものだけが選民として国民に選ばれないまま国家を操ってきた。

 

自分たちは日本で最も賢いと思ってる連中が何度も戦争したり失敗を繰り返してそのたびにバカで愚民である筈の一般国民の努力で日本は戦争に勝っても負けても何度も成長して来た。

 

日本の歴史はいつも選良が失敗して愚民が綻びを繕う事の繰り返しであった。

 

選良がいなければ日本はもっと強い国になることが出来た。もし愚民が決定権を持っていれば冷静に判断して何せ負けて一番困るのは一般国民なので第二次世界大戦に突入することはなかったし日露戦争でも黒溝台の戦いで日本軍が陣地を保持出来たのは東北出身の愚民兵隊が愚直に自分の持ち場を守ったからである。

 

宋氏はそのような日本の歴史を知っているはずである。

 

そして起業家と言う民間から優秀な人を重用する(使う)という発想が日本政府及び官僚にないのは、彼らが自分たちを東大法学部卒の優秀な選良と信じており、だからこそ俺ら意外に優秀な人間など存在しない、だから民間で成功する起業家など存在するわけがないと考えているからだ。

 

愚民は俺達が作った日本社会の中で黙って奴隷、愚民として働け、俺達の飯の種を作れ、考え事は俺達がするから愚民は黙っておけ、なのである。

 

そんなことを学校教育の基礎として子供の頃から教え込んでいるのだから子供が自由な発想など持てるはずもない。

 

だから多くの子供は将来の仕事を「公務員、大企業」と言い親も同意見であるのが今の日本だ。

 

そして公務員や大企業に入るためのシグナリングとしての学歴が必要で、何故自分がこの大学に行きこの学部を選ぶかなんて考えてない。

 

とにかく偏差値でたどり着ける一番良い大学を選ぶだけだから本来の高等教育など大学に入った後に聴くわけもない、だって大事なのはその学部に入る事であり学ぶことではないのだから。だからNZの大学と違って学生の間はアルバイトしたりクラブ活動したりして過ごすのだ。

 

日本の起業家意欲は総合人材サービスのランスタッドの調査によると調査22カ国の中で28.3%、これに対して世界平均は63.8%。また創業初期の企業で働きたいと答えた若年層の日本人は30%、世界平均は60%。

 

宋氏はこの数字を元に日本の若者はこの10年でやる気を失くしたと言ってるが実際問題としては300年以上前の江戸時代から何も変わらない自己否定とやる気のなさを国家が個人に押し付けているだけなのだ。

 

この10年の話ではないのは日本の歴史を振り返れば分かる事である。僕自身もバブル崩壊から1997年の銀行や証券倒産、その後大蔵省の崩壊を観ながらお上が崩れたので起業家が増えるぞと思いつつ同時にそれも10年で潰されるな、政府が力を取り戻したらと思いつつホリエモンのライブドアを観てたら案の定叩かれて潰されて実刑判決。あれで本気の起業家精神は完全に崩された。

 

話が長くなったので明日に続く。



tom_eastwind at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月25日

漱石

土曜日はいつものようにプールで泳ぐ。昨日は元気のいいキーウィが泳いでて、それにつられてこっちもペースを上げて泳いでたらやはり今日は軽い筋肉痛だ。

 

それでも人間の体は運動+食事+睡眠が基本であるから適度な運動は必要である。それと同時に心身一如、心の訓練も必要である。

 

日本ではほんとによく作られた広告やテレビ番組が健康食品とか美容とかのネタで売られていて、またそれをそのまま信じ込んで買い込んでみたりする人もいるけど、そんなものを買っても得られるのは偽薬効果だけである。

 

偽薬効果は身体ではなく心に効果が出てくるのでその意味では一時的な薬とも呼べるけど本来的に体を整えるのは心と身体の共同作業である。

 

心だけ一時的に気持ちよくなってもそれは実際的な効果がないから引き続き信じ続けて服用しないといずれ現実問題として効果がない事が分かりかえって悪影響を及ぼす。

 

大事なのは人は死ぬと言う大前提を基本にして生きている間身体を健康に過ごし心を落ち着ける事である。

 

心を落ち着ける方法は感情を激動させない事である。怒らない、悲しまない、心配し過ぎない、恐れ過ぎない、笑いすぎない、興奮し過ぎない、そうやって感情の高ぶりを制御すれば心は自然と落ち着きそれが身体にも好影響を与えて健康を維持してくれる。

 

薬が人間を治すと言う西洋医学が日本の多くの患者さんの医学常識になっているけど、西洋の薬は身体に物理的な効果を与えることが出来ても治療するのは人間の持つ自然治癒力が基本である。つまり薬を飲んだから治ると言う他人任せではなくまず自分で自分を治すと言う強い気持ちが大事なのだ。

 

治癒力が高ければ最初から病気にならない。中国医療では腕の悪い医者は病気を治すが腕の良い医者は未病を治療すると言う。

 

常に病気にならない体つくりの基本の一つは常に心を落ち着けることである。そして適度な運動と食事と睡眠。これがしっかり出来ていれば誰でも死ぬまで健康に生きていくことが出来る。健康の語源は健体康心である。

 

そして死んだ後もその次の生を理解することが出来れば死ぬこともまた楽しいと言うことを理解出来るようになる。そうなると死ぬことも怖くなくなる。

 

こうやって自分の心と身体に話しかけながら毎日を生きると自分が宙に浮いたような感覚も掴めてきて自分の人生を俯瞰出来て毎日が楽しくなるのも事実である。

 

それが出来ずに周囲に振り回されて周囲の自分に対する評価のみを気にして自分に自信を持てない裏返しで他人に偉そうなことを言ったりして承認欲求を求めると、それは外見がどんなに良かろうが毎日地べたを這うようなものである。

 

自分に自信があれば他人の事など本当にどうでも良くなる。自分の人生に他人は関係ない、それが分かれば他人との付き合いも紳士淑女淡交でいられる。そうすると人生はますます楽しくなる。

 

一番駄目なのは自分が何もせずに他人に認めてもらいたいとか自分の問題を他人の責任にするという連中である。

 

健康になりたいなら自分の身体と会話をすべきであり、それはお腹が空けばご飯を食べたくなるし喉が渇けば水を飲むと言う当たり前のことをすれば良いだけだ。

 

それが何故かお昼12時になった「から」ご飯を無理にでも食べるとかどっかの本で水を毎日2リットル飲めとか書かれてた「から」、飲みたくもないのに水飲み過ぎで内蔵に負担をかけてかえって体を壊すとかである。

 

身体は自分のことを一番分かっている。栄養が不足すれば空腹感が出て来るし水が不足すれば喉が乾く。その身体からのサインを無視して現代社会の人間無視のルールを信仰して昼になったからとコンビニ弁当を食べて喉が乾いたからとコーラをがぶ飲みすればそりゃ身体も壊れる。

 

下らん現代社会信仰を捨てて自分の身体に問いかけをしてみるべきだ、自分の健康を維持するために。

 

も一つ悪い習慣が「出されたものは全部食べる」である。戦後の過渡期ではあるまいし成長期の若者がご飯大盛りを食べるのは良いけどそれと同じ量を中年になって食ってたらそりゃ糖尿病になるし糖尿病が原因で他の内臓器官を痛めて複合症の病気になり挙句遺伝子や細胞を傷つけて癌になるわけだから良いことないどころか病気を造り出しているようなものである。

 

気は長く、心は丸く、腹は八分目。

 

常に周囲に気を配る心配は必要だけどあまり先の見えない自分の事を心配しすぎても世の中はなるようにしかならない。

 

恐怖を感じることは生き残るために大事な感覚でありアドレナリンを放出して反発力を造れるけど、恐れすぎると逆に萎縮してしまい身体が動かなくなる。

 

石で口を漱ぐことは出来ないし流れに枕することも出来ない。どれだけ他人に責任を被せようとしても自分に言い訳はきかないし自分が幸せになることはない。

 

世の中、いつか人は死ぬのである。ならばどう長く生きるかではなく、どう良く生きるか?それが人生の質ではないかと思う。



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2017年06月24日

納豆カレー

昨日もカレーの試食会。先週と今週で何回カレーを食べているんだろう。

 

今回は取引先の若い弁護士3人に参加してもらいカレーソース+白ご飯+各種トッピングを試してもらう。

 

この弁護士達は全員が移民であり子供の頃に親に連れられてニュージーランドにやって来て地元の学校に通い大学で弁護士資格を取りシティのど真ん中で活躍している連中である。

 

3人共アジア系で3人共出生地は違うのだが3人共とても賑やかで明るいアジアンキーウィである。なかなかに戦闘的でもあるので気が合いよく一緒に仕事をしている。

 

今日はうちのメンバーも日頃取引している相手なので気軽にいろんなおしゃべりをしながらランチタイムを過ごす。

 

今回のカレートッピングは、チキンカツ、魚カツ、エビカツ、イカリングフライ、ゆで卵、ハンバーグ、茄子、それに何と「納豆」である。

 

実はこの納豆が試食の大きな問題になっていた。おそらく日本人は多くの人がカレー好きであろうがそこに「納豆を入れるなんて絶対にあり得ない!」と言う人が日本人の多数ではないだろうか。

 

僕もカレーは好きだけど納豆はさすがにどうよ?と思ってたら周囲も同意見で「あり得ない!」「ふざけてんのか!」「罰ゲームか!」などと怒ってた。

 

ところが食べブログなどを観ると「意外と旨い!」と高い評価が出ている。でもってココイチカレーのメニューを観たら確かに「なっとう好きにはたまらない、あのネバネバがヤミツキ!」と617円で売ってたではないか。

 

うむむ、いろんなトッピングはあるが流石に納豆が今日出てきたのは俺何か悪いことした?と思ってしまい、向かいに座ってる弁護士たちに「あの、目の前にあるのは日本の納豆だけど、食える?」と聴いたら発酵食品を食べる韓国系弁護士は「全然問題なし、好きだよ」でもって同様に発酵食品を食べる中国系弁護士も「おー、食べるよ」けど発酵食品を食べる文化がないフィリピン系弁護はにこっと笑って「僕は何でも食べるよ」である。

 

目の前の小皿に入ってる納豆は、僕からすればこれをカレーに入れて食べるのは今日じゃないよなって思って、納豆に入ってる小皿にお醤油を垂らしてかき混ぜてそのまま食べた。

 

フィリピン系弁護士は勇敢にも醤油も使わずに「何でも美味しい!」と言って口に入れた瞬間、顔面が一気に漂白してしまいテーブルの紙ナプキンを掴み上げてた。あはは、やはり初心者には無理なのかもしれません。

 

他の二人は食べた経験もあるので何の気なしに醤油を垂らして半分食べて半分はカレー用に残してた。初心者弁護士はそれを観て今度は醤油をドバっと入れて食っていたので「どうよ?」と聴くと、今度はにこっと笑って「美味しい醤油だー!」と喜んでた。あはは、それって納豆じゃないぞ。

 

そうこう楽しく過ごしているうちにメインのカレーが来たので僕は辛さ2のカレーソースを選び弁護士は辛さ3を食べ始めた。

 

最初に揚げ物などを白ご飯の上に載せてその上にカレーをかけるのだが、カレーソースの入ったアラジンの魔法のランプのようなさきっぽの尖ったソース入れをそのままご飯の上にかけると必ずさきっぽからソースが垂れてしまう。

 

なので僕らは深めのスプーンですくってご飯にかけたのだけど弁護士チームはソース入れからそのままご飯にどばーってかけるのでテーブルが汚れる。なるほど、カレーソースのかけ方一つから考えていかんとなー。

 

皆さんの意見を聴くと一番人気なのはチキンカツとハンバーグ。ちなみに一人はハンバーグのことをビーフパテと呼んでた。

 

確かにハンバーグと言うのはドイツのハンブルグで作られていた地元料理でひき肉を焼く庶民料理でこれがドイツ移民が米国で作るようになってハンブルグ式ステーキって事でハンバーグになった。

 

なので日本では普通にハンバーグと呼ぶがその語源を知らない人からすればビーフパテってのもありだろう。

 

それで言えばチキンカツも同様で、チキンは英語、カツは本来カツレツ=フランス語のcoteletteが語源で英語でcutlet(カットレット)、つまり肉の切り身である。明治の日本でカツレツと発音されそれが更に省略可されてカツになって、Chicke-Katsuチキンカツと言う日本語英語になった。

 

そうそう、食事中に中国系弁護士に「中国のどこから来たんだい?」とさり気なく聴いたら意味ありげににやっと笑って「南京だよ」って言われて、こっちもすかさず「あー、住んでる人より多くの人が殺された街だよね」と返そうと思ったが、まあ今日は食事の場なのでやめておこうと普通ににこっと笑って「おう、1300年代には世界の大都市の一つで中国の首都だった事もあるよね」と言ったら喜んでた。

 

彼が僕に「君は中国本土に行った事はあるのかい?」と聴いてきたので「勿論あるよ、香港に住んでた時は中国沿岸部の仕事もやってたから毎月のように広州には出張に行き、上海、大連、北京にも行ったよ」と答えたらまたもにやっと笑って「今の中国は全然違うよ」。

 

そこで僕は「個人的に家族旅行で1992年に北京に旅行に行った時天安門広場に行ったらまだ銃弾の跡が残ってたよ」と言うと今度は苦笑いしてた。

 

これには他の二人の弁護士は全く話が観えないようできょとんとしてた。

 

そんなこんなで楽しい昼食を過ごしたわけであるが7月からは本格的に一般販売を始めるのでもう暫くカレーの試食会が続きそうだ。これが終わったらカレーはもう暫くいいやってスタッフもいたけど、僕としては本格販売が始まったら週に一回は食べに行くようになるだろうな、それくらいカレーを好きである。

 



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2017年06月23日

正義を叫ぶ人々

また一つ永住権が取れた。

 

僕らの仕事は普通の人が考えるような所謂ビザを取る為だけのビザアドバイザーではない。

 

ビザアドバイザーは移住弁護士の役目であり僕らは移住という一つの大きな長期計画を司令塔の立場で企画立案してお客様に提案してご納得頂いたらそこから発生する具体的作業を細分化してそれぞれの免許を保持している専門家に依頼してその各自の回答をまとめながら企画進行することだ。

 

NZの弁護士は日本の経済事情や文化習慣がわからないのでビジネスモデルは作れない。お客様はNZのビジネス事情が不明なので分からない。当社は日本とNZの両方のビジネスや文化習慣を理解して今日現場で何が起きているかを把握しているので当社がビジネスモデルを描き上げることが一番効率的である。

 

だからビザ申請は弁護士事務所に依頼するがその基本となるビジネスモデルは僕らが描き上げて弁護士はそのビジネスモデルに合わせた手続きを行うのだ。

 

そうは言ってもビザのルールは頻繁に変更になるのでその都度ビジネスモデルの調整が必要ででありこれはこれで弁護士も大変な作業である。

 

これは不動産も同様で誰しも移住して来れば住居が必要なのでその住居探しを当社から不動産会社に依頼してご本人及び家族の状況に合わせて手配することが必要である。

 

これも地元の不動産会社は基本的に売り手や貸し手の側に立ち出来る限り高い値段で話を持ってくるので買い手や借り手には不利になるので僕らは買い手借り手の有利になるように交渉をする。

 

銀行口座開設や必要に応じて投資をする場合も同様で、取引銀行、投資会社、会計士事務所はお客様の移住目的に合致した相手を選びそれぞれの業務を細分化して依頼する。

 

この移住という大きな企画の全体図を描くのが実は移住において最も大事な部分でありこの出来具合によって一番効果的で時間も費用も手間も自分でやるより大幅に節約出来て最終的には永住権取得となる。

 

しかしある人は「そんな事自分で出来る」と誰かの書き込みを信じたり思い込んだり自分で絵を描くが移住に関する基礎知識が圧倒的に少なく現地の最新裏事情を殆ど把握していないので行き当たりばったりで絵を描いては間違った人の間違った助言を信じ込み無駄金を遣い無駄な時間を費やし心労して挙句の果てにはビザすら取れずにニュージーランドから撤退となるのが最近は実に多い。

 

そしてそういう人々に限って「自分は悪くない」とか「騙された」等と他人の責任にするが結局これは自分の中に試金石を持たず物事や情報を判断出来ない自己責任である。そしてこういう人たちに限ってすぐ自分だけの「正義」を叫ぶ、自分の失敗を糊塗するために。

 

世の中で何が一番面倒くさいかって言えばこういう「正義を叫ぶ人々」である。

 

彼らは自分が正しいと思いこんでるからどんな事でも平気でやれる、それもまるでISの殉教者のように連れてきた家族を自爆で犠牲にしてまでである。

 

正義を声高に叫ぶ人々の胸中には常に恨み、怒り、思惑がある。彼らは自分が出来なかった事を恨み、他人が出来たことに怒り、自分が正しいのだと主張したい思惑がある。

 

終わった事、自分が悪徳弁護士に騙された事を素直に認めて日本で新しい生活を作れば良いだけなのだが、そこが「正義を叫ぶ人々」には自分の間違いをどうしても受容出来ないのだろう。

 

何時までたっても過去の失敗にしか目が行かず誰かを罵らなければ気が済まない。そうでなければ自分が巻き添えにした家族への「俺は悪くない」の言い訳が出来ないからだ。

 

もちろんニュージーランドのような現実的な国家ではそのような感情論の主張は全く相手にされず「騙されたあなたが悪い」で終わりだが、やってる本人からすれば殉教者なので結果なんてどうでも良い、とにかく自分の面子を守るため他人の責任にする、まさにISのような他人を巻き込んだ自爆テロリストをやっているのである。

 

今回の永住権が取得出来たお客様は随分時間がかかったが弁護士と綿密に打ち合わせて移民局から散々送られてくる、まるで中洲の夜中の酔っぱらいかって思うくらい下らん質問を一つ一つ潰して行き相手の質問内容からその意図を読み取り作戦を立てて弁護士経由で回答を送る。

 

例えば「あなたは申請者にご主人を入れているが別居して数年になる。つまり実質的にパートナーとは認められない」なんて、まさに日本人からすれば単身赴任なんてのが離婚ですか?って話である。

 

何年にもわたりビジネスを展開させて決算書もあるしきちんと黒字出して現地で採用もして移民局の望む「納税と雇用」をきっちりと果たしたのに、それでも何だかんだとケチを付けてくる。まさに選挙の年の災厄である。

 

それでも最後まで当社を信じて頂いた方なので当社もスタッフ全員で知恵を絞り案を練り作り上げた移住の絵図で無事に永住権取得した案件であった。



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2017年06月22日

これから旅行業で働く君へ

僕は現場仕事は大好きだ。18歳の頃からいつも旅行現場で仕事をして来たので何時の間にか肌に染み込んでて「この仕事が出来てよかったな」とこの歳になってもいつも思う。

 

日本の大学を卒業する学生の希望する就職先に文系の場合は旅行会社が多いと聴くとまさに隔世の感がある。

 

僕がこの業界に入った1970年代、旅行業とは親や親戚に言えない仕事くらいに思われていた。地方では銀行や製造業大手や地元の老舗商店やデパート等が優秀な人材の送られる場所であり旅行業は格下だったのだ。

 

そんな旅行業であるが以前も書いたが観光労連と旅行会社の集まりがお互いに「旅行会社の社会的地位の向上」を目指して様々な活動を行っていった。

 

そういう努力があって1980年代にはそれなりに若者の人気が集まる業種になっていったがそれでも現場は体育会系営業部隊の集まりであった。

 

修学旅行決定時期ともなると営業マンは担当の先生の自宅で夜討ち朝駆けとかをやってた連中は普通だ。中には夜の小雨を利用してスーツの上からバケツで水をかぶって先生の帰りを待ってた強者もいた。

 

いざ添乗ともなれば団体を連れて行く先々の駅で弁当屋さんとわずかの時間で弁当を受け渡して10リットルくらい入るお茶ヤカンを担いで列車に持ち込みぎりぎりのタイミングで自分の車両に戻りと、今のような上品な時代ではなかった。

 

ところがどんな業界にも目糞鼻糞を笑うってのがあって、1980年代にHISが安売り航空券で実績を伸ばし始めた当時、JTBは「HISなどという安売り航空券会社がありますが、あれは旅行会社ではありません、単なるダフ屋です」と言い切ってた。

 

当時その話を聴きながら僕は「やっぱりJTBって「じっと立ってるバカ」机の上でしか仕事しない連中なんだな」と思ったものだ。現場を知っていれば何故HISが売れるか、そこにビジネス機会があるのに気付いたはずなのに、机上のビジネスマンは機上では役立たないのである。

 

当時は旅行業の流行りは大型ジャンボで香港やバンコク、シンガポールにチャーター機を飛ばすことだった。当時多い時は300人くらいジャンボに乗せて香港345万円〜!とかやってた。

 

当然原価割れで赤字発進であるから現地では強制両替、土産や監禁、観光地写真押し売り、おかげでツアーが終わった人々は「二度と旅行会社なんか使わん!自分で航空券だけ買っていくぞ!」となった。これがHISを押し上げた原動力の一つでもある。

 

僕はそういう大量販売がどうしても好きでなくて、数は少ないけど家族旅行を扱うことを中心としていた。コンピューターのない時代だったけどすべてのお客様の渡航履歴と趣味を頭に入れてお盆や正月になるとそれまでに勉強していた観光地を「今年はこんな場所がありますよ、お薦めです。奥様は海が好きでしたよね」とご案内していた。

 

当時のジャンボが一人5千円の赤字から発進して添乗員も何人も用意して5千円x300人=150万円の赤字が出発地点であり、これを顔も覚えてないようなお客相手に3日で取り返して利益を取りに行っても思うようにいかず赤字のまま帰ってくるフライトも少なくなかった。

 

そんな中でお客様と信頼関係があれば家族向け手法では売上総額は低いけれど利益率は高い。結果的にお客様はリピーターになってくれた。僕の旅行やの立ち位置は松下とか日立とかのような昔の街の家電特約店のようなものである。

 

最初は旅行業が何か分からなかったけどやっているうちにその楽しさが分かってきた。そしてこれは戦車も銃も売らない、戦争があると成り立たない平和産業だということも肌で理解出来た。

 

どうせ一生やる仕事なら好きなことをやりたい、毎日の現場仕事がきついのも事実であるが学びと言う意味では有り難い。

 

この仕事では様々な業界の人々と会うわけで自分の世界の常識は他の世界の非常識と言う事も経験した。

 

香港で松下電器と取引をするとあの超高圧的な物言いにびっくりするし当時のソニーの人々は実に自由闊達でそれがこっちによく伝わる。

 

銀行業界の上意下達の凄さは実感した。重役クラスが香港に来るとなると数ヶ月前から受け入れ部隊喜び組がプランAからプランDまで作り3食のレストランを必ず複数予約しておきホテルには宿泊する部屋以外に必ず麻雀部屋を用意してみたり予め重役の好みを調べてお土産を選んでみたり、ほんとに大変そうだった。

 

ところが当時富士ゼロックスやキャノンなどプラザ合意の円高で苦しみ珠海、深セン、東完あたりに工場進出を決めた企業は上に行けば行くほど実に腰が低く物分りが良く現場を大事にしているのがよく分かった。

 

彼ら幹部は話が早い。事前に香港事務所の所長と話しててもラチがあかないのに東京からやって来た幹部に話すとこちらが話すことに理があればきちんと聴いてくれるすぐその場で答を出すので相手にとっても仕事が効率的になる。

 

ある時中堅部品メーカーの社員が中国南部へ出張中に旅先のホテルで突然の発作で死亡した。その時は本社の社長が社員家族を連れてすぐに香港にやって来てご家族を当時最高級クラスのホテルのスイートルームに泊めて僕らに下った仕事が中国にある遺体を出来るだけ早く香港経由で日本に送り返すことだった。

 

このときの問題は

1・中国の死亡証明を日本の保険会社が正式書類として受領出来る状態にすること。

2・その為に死体は出来る限り手を加えずに香港まで持ち込むこと。

3・その為には棺が通常の木製ではダメで中にアルミなどを貼ったものでないとダメ。

4・香港から日本に送る際に死体は貨物扱いに出来ないので通常の座席を3つ予約

  してアームレストを上げた状態で運ぶこと→航空会社が嫌がる。

5・死体の燻蒸をどうするのか?

などなど、まだたくさんやることがあった。

 

けどそれは僕らの作業であり旅行屋であり運送屋でもあるのでプロとしてやるしかない。その時の僕らのやり方と「出来るか出来ないか」ではなく「どうやったら出来るか」と言う姿勢を観ていたメーカーの社長から後日当社の東京本社経由でお礼が来た。

 

しかし誰よりも嬉しかったのはそのメーカーの社員であり家族だっただろう、だって多忙を極める社長がその予定を全部キャンセルしてご家族と一緒に香港に来て死体搬送までずっと付き合ってくれて、そんな社長の下なら安心して働ける、社員は皆そう思っただろう。

 

他にも旅行業では色んな経験をしたが、どれもすべて自分の勉強になった。

 

これから旅行業で働く君へ。この仕事はきついけど楽しいよ。学ぶものはその気になればたくさんある。お金は盗まれることがあっても学んだ事は盗まれることはない。英語を学び人と接して自分自身を豊かにして欲しい。



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2017年06月21日

会社でビール?

日本の会社で午後3時の休憩時間にノンアルコールビールを飲んだ女子社員が上司に1時間怒られて翌日は出勤停止、反省文を書かされた。それに対して女子社員は掲示板で「私悪くない」と書き込んだところ反対意見続出。「飲みません、非常識」「職場を舐めてるね」とかである。

 

http://blogos.com/article/229648/

 

この記事を読みながら自分の感覚はキーウィになったなーと感じた次第である。

 

元々日本では旅行業界で働いており職場で午後遅くとかにビールを飲むこともあったけど(今はどうなんだろう)普通の日本の会社ではオフィスで就業時間中はあり得んだろうと思っていた。

 

飲むのはあくまでも仕事が終わって近くの焼き鳥屋とか麻雀屋とか屋台など、夕方太陽が沈んで店に入ってからである。

 

彼女の理屈がノンアルコールだと言ってもそれはビールの一種でありアルコールが入ってないって言うだけで見かけも味もビールである。お客様から頂いたウイスキー入りのチョコを一粒食べているのは可愛らしいものだが昼間からビールを飲むのはアルコールが入ってないとは言え見かけが悪いしましてや接客業ではあり得ないと日本的感覚では思う。

 

しかしキーウィビジネスマンは昼間でも飲む。金曜日の午後などもう一週間が終わったかのようにアルコール入りビールを飲んでる。日本人よりも体質的にアルコールに強い彼らはビールをアルコール入りジュースと思っているのかもしれない。

 

金曜日の夜の交通取締りでもよくこんな場面がある。

警官:こんばんは、アルコールテストです。貴方は今日の夕食でアルコールを飲みましたか?

運転手:いいえ飲んでません、ビールだけです。

 

1980年代にニュージーランドにやって来て最初にびっくりしたのが昼間から普通の職場で普通にビールを飲む習慣である。

 

特に最初に移住したクイーンズタウンではブラフが近くと言う事もあり牡蠣の季節になると小型トラックが牡蠣を積んでクイーンズタウンの街中にやって来て「牡蠣食わんかー、ブラフオイスターだぞー!」って宣伝する。

 

するとオフィスの連中がぞろぞろと道路に出て来て三々五々とトラックに積んだブラフオイスターを買ってオフィスに戻り冷蔵庫のビールや白ワインを出してワイワイやるのである、それも明るい太陽の下で。

 

最初の頃は日が沈んでないのにアルコール飲めないなと思ってたが、一年もすると明るい太陽の下でぐいぐいビールを飲む自分がいた。これで標準的キーウィの出来上がりである。

 

その後香港に移住した1990年代は九龍半島の啓徳空港の、湾を挟んだ反対側の山の中腹のバス停の最終発着所に住んでて、職場は香港側のアドミラルティだったので毎日夕方になると九龍半島行きのフェリーのオープンデッキでビール飲みつつフェリーに乗る前にマキシムで買った持ち帰り醤油チキンをつまみに湾を渡る風を楽しんだものである。

 

今はバスが殆ど冷房なので車内でビールは飲めないが当時はフェリーもオープンデッキ、バスは2階建ての冷房なしが普通で2階席の窓際に座って窓をガーッと開けてビールを飲んでた。

 

そしてオークランドに再移住して来た当時はキーウィにとってビールは清涼飲料水でありビジネスマンが普通に昼間からビールやワインを飲んでビジネスランチをやってたり土曜日の午後の仲間の自宅でのバーベキューでは普通にビールを飲んで夕方車を運転して自宅に戻ってたものだ。

 

そういう風景をずっと観てきたものだから冒頭の女性の意見を自分の頭のキーウィ部分では理解出来るし日本人の部分では「日本じゃどうかな?」と思う次第である。



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2017年06月20日

応答義務

数年前にも書いたネタだけど携帯電話について。

 

昨日もお昼ごはん食べてる時に横柄そうな白いYシャツ着たキーウィのお兄ちゃんが携帯電話でガンガン喋っている。

 

ここ定食屋だしテーブル近いし大声で喋るなら外でどうぞって感じだけど向かいに座っているキーウィのおばちゃんも全く気にする様子もなし。

 

かと思えば中国人は道を歩きながら携帯電話のマイク部分に口を当ててワーワー言ってる。よくもまあ喋ることがあるもんだと思いながら周囲を見ると、今度は下を向きながら両耳にイヤフォン差し込んで一生懸命ケータイをかちゃかちゃやってたり。

 

そんなに寂しいのか?人から離れる恐怖があるのか?目の前に池があってそこに頭からドボンと突っ込む中国の動画があるけど、まさにアレである。君らいつか交通事故で死ぬぞ。

 

ただ意識して観ているとこれはどうも人種の問題ではなく業種と個人意識の問題かなと思ったりもする。

 

業種で言えば不動産業界はとにかく一日中電話を使っている。移動も多くオフィスにいる時間も少ないので携帯でやり取りになるのだろう。

 

あ、それから建設現場も電話が多い。彼らも現場で仕事をしておりいちいちパソコンなんて持ち歩かないから電話が一番手っ取り早いとなる。

 

それから学生。彼らは通話料金のこともあるのだろう、一生懸命無料テキストやチャットを吹き込んでいるが、これなどは若者独特の孤独感か?

 

フェイスブックには義理イイネを推してツイッターにもいちいち反応するが、それで何を得られるのだろうか?一時的な心の救いか?孤独を楽しんだ方がいいと思うけどな。

 

僕は仕事柄記録が残らない業務はしたくないので基本的にメールである。電話を使うのは一ヶ月に数回、今自分の携帯電話を見たら最後の通話記録は2017607日である。それほどに電話を使わない。

 

電話のもう一つの不便な点はこちらにかかってきた時に記録に残せないのと自分がやってる仕事が完全に中断されることである。

 

職種によって違いはあるだろうが僕の場合デスクワークがほとんどで朝からオフィスで集中してメールを書くので長い文章を書いている時に電話が入ると完全に頭が停止してしまうしその一人にすべての時間を取られてしまう。

 

これがメールやテキストであれば一度に5人位は普通に交信出来るので効率が高い。なので基本的にこちらから電話発信をすることもないし着信の場合も相手が非通知であれば取らない。

時々銀行から電話が本人確認の為に入るのだけどこれはだいたい非通知なので取らない。すると銀行は「何で電話取らないんだ!」と言ってくる。そういう時に必ず言い返すのが「何で電話取らなくちゃいけないんだ?」である。

 

電話取って欲しけりゃ非通知にすんなって話である。なのにNZに住む日本人は多くの場合白人に弱いから彼らに何か言われたらすぐにへーへーぺこぺこである。

 

第一本人確認と言っても 君が話している相手が僕本人であるとどうやって確認出来る?電話がいつも本人だけが持っていると言う楽観的な認識か?
それとも上司に言われたマニュアルどうりにやっているから本人かどうかなんてどうでもいいってか?

 

要するにムダで無意味な銀行の作業に何でこちらが付き合わされる必要があるのかって話である。

 

世の中にはいろんな業種があって通話が基本って人もいるだろうし仲間はずれにされたくない人もいるだろう。

 

しかし同時に世の中にはいろんな業種があって通話は基本しないって人がいて仲間はずれ最高!てか見せかけだけのイイネや傷の舐め合いよりも一人で孤独が気持ち良い思っている人種がいることを理解してほしいものである。



tom_eastwind at 20:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月19日

日本式カレー

先週から今週にかけてカレーの試食会が続いている。実は4月からシティ図書館前にテイクアウェイ専門のフジキンカレーショップを出しておりプレインカレー5ドルでトッピング3ドルだ。

 

野菜カレーなど今はどのようなジャパニーズカレーの味が地元の人の好みなのか、色々と試行錯誤しているところだ。

 

今日は不動産関連の外部の取引先4人に来て頂き彼らから観た「日式加厘」を試してもらう。カレーはフジキン店舗で出すものと屋台で出すものに分かれるがまずはトッピング。

 

カレーソースは普通の辛さにしてトッピングにチキンカツ、白身魚フライ、イカフライ、半熟卵、ほうれん草、ハンバーグ等などを並べて食べてもらう。

 

先週から今週にかけて一番人気はハンバーグである。その次が白身魚フライ。やはりこちらの人はカレーのトッピングに揚げ物があると喜ぶ傾向にあるが実はハンバーグの方が美味しいことに気づく。

 

それから半熟玉子が面白い。最初の読みでは「英国人の血を引くキーウィ白人が半熟玉子なんて食うわけがない」とか「中国人は玉子を生で食べる習慣事態がない」とかで忌諱されるかと思ったら、何のことはない皆さん普通にするっと美味しそうに食べてくれる。

 

英国人の場合は玉子は硬いゆで卵しかないわけだし中国人は火を通さない料理や冷たい料理は文化として食べない。

 

ところが面白いのは彼ら外国人が日本で新幹線に乗って一番喜ぶのが冷たい駅弁である。「何だこの味は?!」「冷たいのに美味しいぞ!」。

 

そう、日本の駅弁文化は実はすごいのだ。冷たい米を絶対に食べない中国人が日本の冷たい米を旨いと言って食うわけで、日本人はもっと駅弁文化に誇りを持ってよいと思う。

 

でもってカレーに話を戻すと、やはりいちばん口うるさいのは日本人、それも当社社員だ。言いたい放題である。

 

最初はほうれん草をトッピングにするために別皿に盛り付けて出したら「カレーソースが冷たくなるからカレーに入れろ」

次の日にカレーにほうれん草を入れて出したら「煮込め。ほうれん草カレーにしろ」

煮込んでしまえばトッピングじゃないよね?

 

玉子に至っては半熟卵ではなくポーチドエッグにしろとか、でも結局半熟卵のほうが美味しいと分かる。

 

日本人の場合多くは子供の頃から日本式カレーを食べている。おまけにバブル以降20年来のデフレでカレーの値段も上がってない。そしていつも消費者として文句と贅沢を並べる。挙句の果てに自分の担当でない部門の話だから文句が言いやすい。

 

全く困ったものであるが幸運なのはこのカレーのターゲットはオークランドに数少ない日本人ではなくオークランドに数多い中国、韓国、キーウィであるのでメインターゲットの試食評価に耳を傾ける事にする。

 

中国人の場合、カレーソースをたっぷりとかける習慣がないようで皆ソースを半分くらい残していた。けどおかずは全部美味しいようで見事に完食である。あれ、結構量があるんだけど、すごいな。

 

これが日本人だと、ある人は「何よ、ソースが少ないわねー」と文句を言ってソースを無料で追加する。でもってソースが増えると今度は「ご飯が少ない、ご飯無料で頂戴」となる。でもって結局普通サイズの値段で何時の間にか大盛りになる・・・。

 

キーウィは実はカレー好きなのか、今までもフジキンランチでよく出るメニューがカレーである。あんな、お米にどろどろのソースをかけたものを英国紳士が食うのかと思ったけど、考えてみれば日本式カレーの起源は英国式カレーである。

 

インドを植民地とした英国人がインド人が食べてるものを観て「これは何か?」と聴いた。するとインド人は「CURRY」と言ったがその意味は「スパイスで煮込んだ具材だよ」でありカレーと言う料理は存在しない。

 

けどこれが語源となって英国にカレーのレシピが持ち帰られてCB(クロス&ブラックウェル)カレーが出来てカレー粉を販売するようになった。

 

このカレー粉が明治維新で日本に入ってきて国産でカレー粉に挑戦したのがエスビー食品である。つまりC&BS&Bになったのだ。

 

けど現在では日本最大手のココイチカレーはハウス食品の連結子会社である。エスビー食品は老舗でありながらハウスの後塵を拝している。

 

今週から来週にかけても試食会を続けて7月には最終的にメニュー構成を決める予定。日本式カレーはオークランドで必ず売れる。但しそれは正しい方向性を向いた時である。市場調査、今が真っ最中。

 

ところでカレーはRの入る発音であり特にルーという発音は微妙である。なので僕は常にカレーソースと言うようにしている。間違えるとえらい騒ぎになるからだ。なので英語が苦手と思う人はカレールーとは言わないほうが良い。日本人であればカレーソースと発音した方が危険が少ない。



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2017年06月18日

ワイナリー

今取り組んでる案件でNZワイナリーのM&Aがある。ニュージーランドはこの10年でワイン業界の成長が凄まじく、欧州の学校でワインを勉強したプロがNZに進出して自分の作りたいワインを作る。これが少量多品種なので行先は主に欧州であり日本にはまだあまり出回っていない。

 

ワイナリーと言えば米国のナパバレーやフランスのシャトーが本場だけど何せ買収価格が数十億円と高い。そりゃフランスなどは農園の中にお城があったりするから高くなるのも分かるけど。

 

でもってそれに比べれば南半球の田舎だけどNZのワインの品質を考えれば5億円程度で買えるワイナリーはお手頃価格である。

 

畑の広さや日照時間、土壌、気温など様々な要素に影響を受けるワインだけどNZの場合元々ワインに向いている環境だった。ただ今までは北半球の人にはあまり知られない田舎であり投資家もいなかったのでワイヘキ島とかで少しづつ作っていた。

 

ところが15年ほど前から南島のセントラル・オタゴがワイン作りに合っていると言う事でクイーンズタウン周辺が次々とワイナリーとして開発されて、最初は白ワインが中心だったのが現在ではVALIの赤ワインなど世界的に有名なブランドが次々と生まれてきている。

 

またニュージーランドにワーホリで来てた人々がワインの素晴らしさに感動して日本に戻って通販でNZワインを販売したりして最近では日本でもNZワインが出回るようになった。

 

こうなると個人資産家がワイナリーの買収に目を向けてくる。ご自分でNZに旅行に来て美味しいワインにびっくりして趣味と実益を兼ねてワイナリーの買収を考えるようになるのだ。

 

仲間内のパーティで自分のワインを飲んでもらえば楽しめるし地元のレストランに売ってもよし、自分で経営するレストランで出しても良し、欧米では成功した人々がワイナリーを購入するのはよくある話で「お金は貯めるものではない、使うものである」って日本でも段々そんな流れになってきている。

 

しかしここでいつもの問題が出て来る。中国人によるNZワイナリーや牧場買収である。すでにワイナリーとして売りに出ているところに問い合わせたら送られてきた資料が英語と中国語表記。

 

おいおい日本人に中国語表記かよって感じだがそれだけ中国人の買い手も増えているって事だろう。競り負けないようにしないとな。

 

それにしてもほんと、今のオークランド、特にシティは盆と正月が一緒に来たような忙しさである。

 



tom_eastwind at 14:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月17日

蘇州で眼のマッサージ

土曜日はいつものようにプールで泳ぐ。この半年、ほんとに中国人若い世代のスイマーが増えたな。それもちゃんと水泳教室で勉強したようなきちんとした泳ぎ方をしている。これは良い。

 

1年前まではこのプールって中国人や韓国人のおじさんおばさんのデイケアセンターでお風呂やサウナばかりだったのがこうやって本来のスイミングプールの役目を果たしてて、その意味で良い方向へすっかり様変わりである。

 

僕は中学と高校の6年間ずっと水泳部だったし実家が海辺の漁師だったのでちっちゃい頃から泳いでた。

 

リアス式海岸なので岸から急激に海が深くなる。なので岸から重い石を持ってドボーンと飛び込むとそのまま5m位の海の底に沈む。海底に着いて石を置いてから水面に向かって上昇するのだけど距離感間違えると海水飲んで死ぬ。

 

岸から1キロくらい離れた小島に行くときは太い竹の棒を持って泳ぐので溺れることはないが、豊後水道を流れる海流を今考えると結構危険なことしてたなって感じがする。

 

週末の水泳だけではないが運動とストレッチングで身体は常に健康を維持しており、頭は禿げたが今でも30年前に買ったスリーピーススーツを着ている。

 

健康と言えば男性の場合は古くから歯、眼が順番に衰えてくると言われている。その点今も歯は自前であり眼は裸眼で機内でもお風呂でも自前の眼で文庫本を読んでいるし、ぎっくり腰の経験もないので頑丈な身体に産んでくれた親に感謝である。

 

特に眼については一番良かったのは20代の頃に中国の蘇州に行った時の経験である。

 

当時の蘇州は両面刺繍が有名であり工場で若い女の子たちが一生懸命細かい網の目を編んでてるのだけどメガネを掛けている女の子はいない。

 

その代わり全員が45分編み物すると必ず15分程度休憩して眼のマッサージをしているのだ。

 

マッサージと言っても難しいものではない。まず両手の手の甲を両目に当てて眼球の周りをひんやりさせたり暖かくさせたりする。

 

次に人差し指と中指を使って眼球を中心にしてその窪んだ眼球の周りをぐるぐるとゆっくり押し回す。

 

それから鼻の一番上の部分を人差し指で押し上げるように揉む。次に両目の端っこをそれぞれこめかみに向けて後ろに引張り最後にこめかみをぐるぐると回す。

 

こうやって疲れた眼を揉み解すことで目の疲れが取れてまた次の45分間集中して刺繍をするのである。

 

中学高校と学んだ水泳後のストレッチングは今も続けており毎朝ベッドの上でニュースを読みながら軽くストレッチング、仕事が終わって自宅で夕食後も酒を飲みつつ少し強めのストレッチング、飲んでるので痛みが少なくて良い、ははは。

 

でもって眼のマッサージは何時でも出来る。ベッドでもソファでも5分あれば出来る。そして僕が今も裸眼でいけるのはやはりこのマッサージのせいだろうと思っている。

 

学問は孫氏の兵法から始まり中国の古典に学び医療は漢方に学び眼のマッサージまで学ばせてもらい僕にとって中国とはまさに「先達のあらまほしきことなり」である。

 

一般的な日本人の悪い癖は目先のバカ雑誌の記事やエンタメ系番組の「これが効くんですよー!」に引っかかり赤ワイン買ったりこんにゃく買ったりすることだけど、そんなことしなくても4千年の歴史を持つ中国から学ぶものは多い。

 

バカテレビやバカ雑誌の言うことではなく自分の身体の言うことに耳を傾けると良い、そうすると中国の歴史の良い部分が学べる。



tom_eastwind at 16:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月16日

America

「皆が批評家であり皆が無責任である現実」

 

サイモン&ガーファンクルの“America”と言う歌は当時の米国の人々の心の奥底を捉えておりその内容の暗さに関わらず歌として実によく出来てて、日本で言えば中島みゆきのバラードっぽいところがあり大好きだ。

 

あるブログを偶然見つけて読んでみると実に面白い。こりゃすごいなと思って読んでたら日本語で書いているのにご本人は英国人とのこと。ここまで完璧で洒脱な日本語を流暢に使いこなせるならテレビ番組に出てコメンテーターやれば相当稼げるぞと思いつつも読み進む内にご本人はそういう事に全く興味がない様子。

 

むしろ何もないアメリカの荒野をレンタカーで走りながら白人なりのアメリカを肌で感じようとしているだけで、学究的な興味はあってもそれをお金に換えようという雰囲気ではない様子。

 

僕はこの人が英国人であるのか知らないしどうやって所得を得ているのかも知らないが文章を書く人間として感じるのは母国語が何語であっても彼の書いてる日本語の文章の洒脱さに脱帽である。これは彼の先天的な能力なのだろう、羨ましい限りである。

 

そのブロガーがサイモン&ガーファンクルのAmericaを米国を旅しながら聴いてる場面は、このブロガーは文才において三島由紀夫には及ばなくても志賀直哉より上だって感じる。

 

皆が批評家であり皆が無責任、これを感じるのがまさに志賀直哉だ。彼が志賀直哉を知っているかどうかは不明であるが他にも大正時代から昭和初期には随分無責任な作家が出回ったものだ。偉そうなことを書いて賞を一杯取って何も創り出してない事を恥ずかしいとも思わない。まさに無責任である。

 

他にも人の女を寝取った挙句に心中したり鶏肉を食うくせに鶏を殺すことを忌諱したりと自己矛盾する作家が多かった時代でもある。そのくせ書いてる文章だけは立派そうだからあふぉーは信じる。トンネルを越えたあっち側で雪が降っている別の国だからって芸者転がし、していいのか?

 

全くあの時代の作家の発想とそれを認めて評価した連中の無責任さは当時の様相をよく表している。

 

三島由紀夫はその文章力においては昭和の歴代でも5位に入る実に玄妙な文体である。あれは、天才にしか書けない。天才だからこそ市ヶ谷で腹を切った。

 

その正反対といえば夏目漱石か。明治時代に口語で文章を書くという、今で言えばラップで純文学を書くようなことを平気でやってた。

 

例えば“おれの、名前は、ねこ!、なまえはまだ、ないけど、おっれは、ねこ!”みたいな感じではなかったかと今の時代から想像する。

 

徒然草の兼好ではないが「まだ見ぬ世の人を友として」古典を読み語り今の時代の風潮に流されず時代を超えて普遍的な「良いもの」を学びたいものだと思いながらyoutubeAmericaを聴き、少なくとも無責任な批評家ではなく現場のプレイヤーとして自己責任で戦わなきゃ、そう思った。



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2017年06月15日

頭痛が痛い

昨日は頭が痛いなと思って寝て、昨日送信したメールの数を今朝数えたら39件発信していた。それもテーマが全然異なる話ばかりだ。

 

NZのワイナリー買収、7月の日本出張、ハウジングNZ企画、海外生命保険、香港案件、中国案件、カレーショップ展開等など。

 

僕の労働時間が朝930分から15時までで途中1時間ランチミーティングするから4時間30分なので約10分毎に1通のメールを送っていた計算になる。

 

つまり10分毎に頭の中身を変えて全く違う議題で検討して4時間30分にわたって続けてメールを送るわけだから、こりゃ俺仕事の要領悪いぞって思ってしまう。

 

ほんとはもっと簡単にできる方法があるはずなのだけど思いつかないままにバタバタしているからよくない。俺はバカか?

 

等と思いつつ日本のニュースを読んでたら、森友学園の問題が何時の間にか加計問題になっている。

 

安倍首相のお友達が経営する学校が獣医学部を新設するって話が国会で揉めている。おまけに面従腹背がちゃちゃ入れしている。

 

面従腹背の言い分を聴いててもどうもピンと来ない。獣医学部を設置させない文科省の方針に逆らって安倍政権が戦略特区として新しい学校作るってのは何が問題なんだろう。

 

面従腹背曰く文科省の設置基準に合わないって、合わない基準を作ったのは文科省でありその目的が既得権益の保持なんだから基準そのものが正しくないわけだ。

 

だからその基準を変えるのに異常なまでの政治力を使うよりも特区としてしまった方が簡単である。それを文科省が逆らうから「官邸トップの意向である」となるのは当然であろう。

 

一体何時の時代から国民に選ばれた政治家が代表となって運営する内閣よりも民選されない頭がでかいだけの官僚が偉くなったのか?全く変な話である。

 

首相のお友達、それのどこが問題なのか?安倍首相がこの件でで直接学園側から賄賂を受け取ってやったならダメだろうが、そこは存在していない。ならば内閣としては官僚の鉄板規制をぶち破るために盟友と一緒に行動した、それのどこが問題なのか??

 

これは安倍首相がいい人かどうかの議論ではない。民選された内閣と民選されてない官僚のどっちが立場が上かというだけの話である。

 

確かに多くの政治家は政治の素人であり官僚からすればアフォーの集団かもしれない。けれど彼らは国民に選ばれているのだ。民選された政治家に要求される能力とは政治の技術的能力ではない。

 

技術的能力は官僚が保持すれば良い。

 

政治家は国民の委託を受けて国民が望む国家を作り維持することだ。だから本来は官僚が政治家の依頼を受けてプロとして技術的にどのような政策が可能かをプランAから始まってプランDくらいまで作り上げて政治家に提案することである。

 

その提案を受けて政治家が国民の代表として判断する、それが三権分立の民主主義である。

 

全く日本の政治って頭痛が痛い話である。もっと簡単にできる方法があるのにそれを思いもつかず複雑怪奇なことを国民の税金使ってやってる。馬鹿の集まりか?  あ、それって俺か。



tom_eastwind at 09:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月14日

共通報告基準

税務の世界基準では現在「共通報告基準」と言うのがある。これは世界中の国家税務局が提携してお互いの国にある非居住者の銀行口座の自動情報交換をしようぜって協定である。つい最近出来た。

 

つまり日本居住者がHSBC香港に口座を持っていればHSBC香港は口座の登録住所が日本である場合口座資料をすべて香港税務局に提出して香港税務局はこれを日本の国税局に通報する仕組みだ。

 

これは随分以前から出てた話なので今更感があるが日頃経験のない人からすれば「えー!」って話だろう。

 

だって、口座作った時はそんな事一言も聞いてないよー、30万円も金払って海外口座作ったのに意味ないどころかバレバレじゃんかー、である。

 

そう、その通りバレバレである。

 

こんなもの最初から分かってた事なのに何で引っかかるかなー。どうせ営業マンの顔の良さに騙されたか?

 

実際に香港やあちこちの国で口座開設なんちゃらツアーとか言って先の見えているデッドトラップに人の良さそうな顔で引っ掛ける連中が数年前に点在した。

 

こういう連中は数年前にすでに日本の財務局に個別に叩かれ悪質業者は名前を財務局サイトで公表されごめんチャイをした連中は自分の顧客リストを財務局に提出して逃亡した。なので特定の名前は財務局はすでに把握して管轄税務署にデータは送られている。

 

こういう一発屋は今では商売替えしてなんちゃら新しい仕事をどうこう言っているけどやってる内容は以前と同様の客だけ沈める目先だけビジネスである。

 

彼らの顧客リストはすでに財務局の手元にある。財務省は必要に応じてこのリストを取り出してデスノートのように使う。人は見た目が9割と言うが、信用した方の負けである。

 

そして今、世界の財務省トップの会議では海外口座の把握のために情報交換を盛んに行う仕組みを作っている。米国はすでにFATCAが導入されて世界中の銀行に強制導入されている、銀行の経費で。

 

日本ではマイナンバーが導入されて今後は海外で口座を開くにもマイナンバーが必要となるし海外の既存口座でも資金移動の際に「マイナンバー出して下さい、でないと凍結です」と言うことが間もなく普通になる。

 

要するに銀行は許認可事業で政府の手下であり顧客は政府の手下に金を預けているのだから銀行口座を開設するのは自分からお上に個人情報を提供するようなもので逃げようがない。

 

銀行が安全安心と思ってた時代はもう終わっている。一番良いのはタンス預金である、金利は付かないが。金利が欲しければ純金を現物で保有する方法もあるが、これは購入する際の注意が必要である。

 

僕が香港に住んでた1990年代なら様々な蓄財方法もあったし橘玲の本に書いている事も現実に起こってた。僕も仕事柄香港ではいろんな業務をしてきたので橘玲の本の内容を読んで「よく現場を知ってるなー」と思ったものである。

 

しかしこれからの時代、銀行崇拝では生きていけない時代が来る。リスクを背負って一生懸命働き子供のためにお金を作ったが、日本に置いておけば所得税と相続税で手元に残るのは25%前後、75%は何のリスクも取らないお上が有難うとも言わずに持っていく。そしてこの残った25%だって日本の低金利では増えずに結局住民税や固定資産税等で持って行かれる。

 

僕は年に数回日本のバブル時代のサルベージ仕事をしている。これなどは本当に慎重にNZの裁判所で日本の法律を理解しつつ手続きをしないと一発でOUT!になる。まるで時限爆弾を扱うようなものだ。

 

それでも最後に無事に海底からすくい上げて当事者にお渡し出来た時はほっとするしうれしい。よし、これでまた一つバブルの残像が消せたぞって感じだ。

 

ただこれから来る時代は変わるぞって感じである。これからは間違いなく銀行が民衆にとって信用出来ない「公衆の敵」になるだろう。彼ら銀行が国民資産を管理してお上に報告する機関となるだろう。

 

インターネットやパソコンが急成長して世界が狭くなった分だけお上同士の力が強くなり民間への締め付けが厳しくなった。

 

オフコースの歌に「地球は狭くなりました」と言うのがあって、これはインターネットが出る時代の前に作られて、ある意味SF的な歌だけどそれが現実になっている。それは良い意味では個人がどこの国でも自由に生きられるって意味でもだし、悪い意味では個人がどこまでも監視されるって意味でもある。

いつも言うことだが、時代の一歩先を行かないと生きていくのがきつい時代になっている。 



tom_eastwind at 18:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月13日

反面教師

***

学校で学んだ事でそれが真実と思い込んでて社会に出たり時代が変わったら真実じゃなかったって事はありますよね?

 

そんな話の一つがこれです。

・大人は皆賢く、すべて分かっている。

・すべての授業でAを取ったら成功するって事。

http://labaq.com/archives/51883700.html

***

 

僕が今こうやって生きている原因の一つに日本の学校教育がある。僕は小学校の頃から殆どの先生の言うことを信じられず全く授業に興味がなく反論をする時はかなり生意気な子供であった。

 

小学校4年制の頃に学校の教室の掃除に問題があった。当時は子供が授業終了後皆で掃除をするのだが掃除箱は教室の一番うしろである。冬の寒い時は後ろの子供がほうきを取るので一番前に座ってる子供は雑巾しか残ってないのでいつも冷たい水で絞って拭き掃除をする事になる。

 

僕はこれに対して真ん中へんに座っててほうきを取れる位置にもいたが先生に対してこの不公平を解決するために掃除道具のローテーションを提案した。すると先生は真っ赤な顔で怒り出した。

 

「何てワガママなやつだ。掃除の道具にいちいちケチを付けるとは何事だ!黙ってやるのが当然だろう!」

 

それに対して僕は「いえ先生、僕らは学校に勉強に来ているのです、掃除に来ているわけではありません。自分たちが使った場所を綺麗にするのは分かりますが現在の机の配置では前に座った学生がいつも冷たい雑巾を使うことになります。皆の負担は平等にすべきではないですか?」

すると先生ますます怒り出したが日教組の大好きな平等を持ち出されると返す言葉がない。

 

そこで先生が取った方法が「おい、他のみんな、お前らどう思うんだ?先生が正しいのかこいつが正しいのか答えろ!」といい出した。何と数の理論でこちらを潰しにかかったのである。

 

他の子供はごく普通で先生が間違っているなんて言えるわけがなく当然僕の意見が間違いと言うことになった。その時点で「こいつら、先生も含めて終わってるな」と思ったものだ。

 

中学や高校に行くときもとにかく受験勉強せずに行ける学校を選んだ結果商業高校に入学したが、そこで学んだ簿記とそろばんとコンピューターと英語が今の生活で一番役立っている。

 

なので学校に行ってる時から大人が賢いと思った事は一度もなかった。だって子供に学問を教えるべき先生がバカなんだから他の社会人も推して知るべきである。

 

特に日頃は教師は聖職なんて偉そうな顔しているのに何かあれば「俺たちは労働者!権利を主張してデモに行く!だからお前の授業は自主勉強、自習だ!」だなんてふざけるな。一体いつから公務員に争議権が与えられたのだ?

 

大体君らは聖職なのか労働者なのかはっきりしろ。

 

もし聖職と言うならデモに行くな、もし労働者なら日本国民が払った税金で生活をしているのだからお客様である生徒に対してもっと公僕としてプロとしてきちんと授業を教えろ。

 

ましてやすべての授業でAを取ったら成功するなんて戦後東大の闇金融で光クラブってのがあったけど最後は自殺した山崎さんがいたわけで優秀な学力ってのもあんまりあてにならない話であるのも学校時代に本で学んで知った話である。

 

微分積分が社会で役立った事はなくましてや国語の読み方を間違って教えてるバカな先生の言うことを聞かなかったおかげで何とか日本語を無事に使えるようになった現在がある。

 

国語のテストで「この文章を読んで次の質問に答えろ」と言うのがある。質問は「この文章のこの部分をどう感じたか?」である。そこで「退屈」と答えると間違いになる。正解は「感動した」である。退屈してはいけなのだ。

 

おいおい、お前ら文部省ってどこまでバカなのか、それとも分かってやってる洗脳教育かよって本気で軽蔑感が盛り上がったものだ。

 

だから学校で学んだものと言えば図書館の本と高校時代の実務、そして日教組の馬鹿さ加減と大人の馬鹿さ加減、くらいであろうか。

 

ただこの事を言うと多くの場所ではお叱りを受けるのも事実である。なので注意はしているが自分の子供には僕の考え方を伝えている、奥さんのいない時にこっそりと。でないとお叱りを受けるからだ。

 

学校の勉強に対する考え方は色々とあるだろうから他人様のご意見に逆らう積もりは毛頭ないが、僕は結果として今の生活で納得しているので「学校の基礎教育で一番良く学んだのは悪いとは何かを身をもって教えてくれる“反面教師”の存在であった」これで良しである。



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2017年06月12日

相続案件

今年に入って相続案件の問い合わせが増えている。

 

僕がやっているのは海外相続であり日本とニュージーランドの租税協定を基礎にしながら、何時どこで誰が誰からいくらどのような目的で受領した(する)かを明確にしつつ相続当時の税法、相続を行った財産の場所、被相続人と相続人の関係、名義口座の存在などすべての証明出来る事実を確認しながら相関図を作成する。

 

次に相関図の矢印に日付を入れて下の注記の部分に当時の税法の条文をそのまま貼り付けていく。

 

こうやることで全体像が観えてくる。そこからが法の解釈の一人ブレーンストーミングである。自分でワイガヤ机のあっちに座って何か言ってみてこっちに座ってる自分が反論してみての繰り返しだ、何せ相談するにも相手がいないのだから仕方ない。

 

何故ならこんな事をやっているのは世間にあまり多くないわけでましてやこれはルービックキューブであるから、誰もが自分から観える一面は観えても反対側や側面を合わせた全体像が観えているのは僕だけなので相談のしようもないのである。

 

ある一面、つまり日本の税制をクリアーしても他の面、例えばNZの税制上クリアーしなかったり、他の面つまり渡したい人に渡せないとか渡したくない人に渡さねばならないとになるとこれもダメである。だから昼間の忙しい時に考えても案はまとまらない。

 

なのでこういう時は夜布団の中でまず考え始めて脳の中にデータを残したまま寝る。そして翌朝目が覚めると布団の中で動かず脳みそに残ってる昨晩のデータを脳内で引っ張り出す。

 

すると左側にワードが立上って右側にエクセルが立ち上がる。そこでまずワードに必要な文章を箇条書きに記入していきその際に必要な計算を左のエクセルで行って数字はエクセル上に保存しておく。

 

これをやると大体10分位で相関図と全体図が出来上がるので次の10分で両方の図に問題がないか突合してルービックキューブの全面の色合わせをする。

 

脳内で地図が完成すれば大体もう一眠りしてから目を覚ます。この方が余分なものが振るい落ちるので良い。

 

朝起きてベッドの横に置いてあるパソコンを立ち上げて今度は具体的にプランを文章化、つまり書き起こしする。

 

扱う案件は3カ国を跨ぐ海外相続も結構多い。日本とNZだけなら大体法律は頭に入ってるが第三国が入る場合その国の両国との関係を理解した上で全体図を作る必要がある。ドイツ、スイス、香港、中国、豪州等様々な国が入ってくるので六面体が更に八面体になったりする。

 

こんな時は人間の脳みそって本当に面白いなと思う。まだまだ未使用の分野がたくさんあるわけで、頭を柔らかくさせればまだまだ人生の選択肢は広がるぞと思ったりする。

 

ところで僕の基本的な相続プランは一定額を納税してすべての国で合法的に手続きを行い早期に相続を終了させる事である。そして子供に移した収益物件を子供の収入として各国政府に納税をした上で5年から10年程度で資産を増やして結果的に納税した分を取り返す方法である。

 

例えば今10億円の財産があり毎年5千万円の利益が出ているとする。これは子供に相続すれば5億円程度の相続税が発生する。これをまず財産の形容を変更させて税率を減率させる。日本国内でも現金を不動産にすることで税額を減額出来る。

 

また今年までであれば海外不動産の木造住宅の減価償却が利用出来る。これで1億円の不動産を4年後に5千万円にして子供に売却すれば良い。これは今なら出来る方法である。

 

また相続税の時効は基本5年で更に2年延長出来るがそれでも7年経過すれば相続税の時効が成立する。つまりその後になって何かあっても時効が成立しているので支払い義務はないという主張が可能である。但しこの技は非常に危険であり良い子は自分で表面だけ観て真似することのないように。

 

もちろん各国の法律が複雑に絡んでいるのでそれもクリアーする必要があるけど、すべての国の法律には大原則があって、それは法律で決まった事は国家と国民の約束であり法律は国家を規制するものであり国家が法律以上に国民に命令を出したり強制することは出来ないと言う事だ。

 

だからその点を理解した上で現行法をクリアーする、そして払うものは払ってすぐにそれを運用で取り返すのだ。

 

今後日本では確実に相続税は増税される。相続を受ける方も年を取ってくれば運用で取り返すにも時間が限られてくる。

 

なので収益物件は出来るだけ早く子供に渡す、納税する、運用で元の額に戻すと言う流れを作ることが大事なのだ。

 

1つだけ言えることは、これから3年で税制が大きく変わる。2020年以降に考えたら完全に包囲されているので何をやってももう遅い。これだけは事実だ。



tom_eastwind at 20:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月11日

NZFX

今日日経ビジネスを読んでたらニュージーランドの富士ゼロックス(NZFX)の会計処理問題が特集されてた。

 

去年の後半にNZで問題になった事件であるが日本ではニュースにならないなと思っていたら親会社である富士フィルムの今年の決算の時点で引っかかって公表された。この事件は富士フィルムが第三者委員会を設置して調査するって事だ。

 

NZFXはニュージーランドでは勢いのある会社でうちもコピーマシンは富士ゼロックスである。確かに紙やトナーや修理など手間はかかるけど、A3コピーもスキャンもカラー印刷も出来るので重宝しているが、よく電話がかかってきて「今月何枚印刷したのー?メーター読んでー」とスタッフが電話を受けてた。

 

事件自体は日本だと確信犯的な押し付け販売であるが合法である、そしてそれは契約社会のNZでも合法だ。

 

NZFXはコピーマシンをNZフジゼロックスファイナンスに売り、ファイナンスはNZFXが営業で獲得した顧客にコピーマシンを帳簿上リース販売した事にして購入した企業はリース機械として保有して印刷した枚数分だけファイナンスにカネを払う仕組みだ。

 

これなら顧客は高い機械の買い取りは不要だしカラー印刷もスキャンも出来るので僕らのような顧客にとっては有り難い仕組みである。もともとうちはちっちゃなスキャナーを買ってその横にコピーマシンを置いてと随分性能の低いオフィスマシンを場所を取って設置してたわけであるから場所もスッキリ性能向上で僕ら利用者からすれば助かる話だ。

 

問題はNZFXが押し付け販売した先の一つがNZ政府でありこれが企業と政府の癒着と表現されたことが最初の一つ。

 

しかしNZではこのような備品は随時購入が商習慣の中の一つであり、これが問題ならNZ中すべての取引で相見積もり文化を導入するのかって話だ。サプライヤーの少ないこの国でそれが成立しないのが分かっているから適正価格でやってねとお互いの了解の上で随時購入文化が出来上がったのだ。だからこの国では不当に利益を出すのは良くないと言う文化がある。

 

値段だけでなく納期遵守、納品後の補修、壊れない、等はNZでは大事である。何せ田舎なのだ、アフターサービスがないままに価格だけで買うのは考えれらない。そうなると実質的に信用のある会社へ随時発注となる。

 

考えてみれば良い、マウントクックのホテルに泊まって印刷機械が壊れたのでお客様のチェックアウトの伝票が出せないなんてあり得ない話であり、そうなると印刷機が安い高いではなくどれだけきちんと動くかが大事なのだ、そんな時に相見積もりではなくお互いの人間関係で問題処理をするってのがこの国に根付いた文化である。

 

そしてもう一つの問題だがNZFXが押し付け販売した先が実はあまりコピーを使わない為に導入してもらったは良いが印刷しないので売上がない。だもんでNZFXから買掛で購入したファイナンスに顧客から売上入金がない。

 

そこでコピーマシンの購入代金が払えずファイナンスの本体であるNZFXへの買掛金、つまりNZFXからすれば売掛金が約250億円程度積み上がったと言う話である。

 

しかし、1にしても2にしても法的には問題はないのだ。ところが道徳的な面を気にするキーウィは1を取り上げて政府の重大犯罪捜査室(SFO)を動かしたが勿論犯罪ではないのでSFOはすぐに「問題なし」の報告で終了。

 

2については当時のNZFXの社長であるキーウィはNZの実績を買われて豪州富士ゼロックスの社長に栄転したが今年辞任である。

 

そして日本が問題にしているのはこの2だ。富士ゼロックス本社の監査法人が去年変更になりこの事件を把握して本社に報告、多額な売掛金をどうするんかって話になった。

 

日本はNZFXNZ政府に売り込んだのは問題としていない。そう、日本とNZの問題点は違っているのだ。

 

ここが日本とNZの文化の違いである。ちなみにNZでは功労者の社長がシドニーに栄転した後に社内通報でSFOに連絡がいったようである。それをマスコミが見つけて記事になったがマスコミは現在お休み中。社長は辞任している。

 

問題は日本である。NZFXがファイナンス会社へ売ったコピー機械代金約250億円は回収出来るのか?出来なければ減損処理する必要があり富士ゼロックス本社からすればこれは親会社である富士フィルムに対する面子問題だから嫌だなー、あんな南太平洋の小島で売上の2%以下の国なのに全社売掛金の12%も作り上げてさー、って感じだろう。

 

ただまあ、コピー使用量が少なければ契約更新時点でコピーを使わない会社から機械を回収すればそれで帳簿を調整できるはずだ。なので新しい監査法人は何か新しい技を繰り広げるだろう。

 

後日のブログでも書く予定だったが実は香港時代、僕はこの会社の中国視察のアテンドをやって、当時の経営陣とお話する機会があったのであの会社の社風は好きだったので、あまり他人事って感じがしない。

 

この事件のポイントは、すべての取引は合法に行われたと言う点である。ところがそれでもキーウィは道徳を追求する。そして日本人は売掛金回収を追求する。

 

だから今回の事件はNZと日本の文化の違いを感じつつも東芝のような泥沼にならずにさっさと片付けてくれればと思う次第である。



tom_eastwind at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月10日

名誉毀損

橋下徹氏が新潮社相手に起こした名誉毀損裁判で最高裁が上告棄却して判決が確定した。名誉毀損に当たらないと言う結果である。

http://blogos.com/article/228124/

 

意外に思うかもしれないがある種の日本人はあまり法律を守らない。それ以前に法律を知らない。だから自分は間違っていないと言う前提で法律を遵守していると思っている。

 

上記の名誉毀損という法律も同様である。人はそれが事実であろうが公表されることで名誉毀損は成立する。

 

ある種の日本人はこんな時平気で「だって本当のことなんだもーん!」とバカっぽく喋るがそれは違う。本当のことでも言ってはいけないのが名誉毀損である。

 

勿論上記記事の中にも名誉毀損に当たらない要件も書いているがそういう事を考えずに言葉に出して他人とトラブルを作るのがほとんどだ。

 

僕は海外で長く生活をしているが日本の法律は常に意識している。そうでないと目の前の海外の法律を突きつけられて解釈が必要な時に試金石となるものがないからだ。

 

海外の法律が出てきた時に同様な状況で日本はどのような解釈をして法律を作るのか、法の精神と具体的条項条文を読むことでその法律の目指すところが観えてくるからそれを一つの試金石として法律を比較することで自分なりに理解出来るのだ。

 

ところが一部の日本人は名誉毀損に限らずだが他人が何かする時はすぐ「えー?それって法律大丈夫—?」というくせに自分が何かしたい時は「え〜、いいじゃんこれくらい」とあっけらかんである。

 

こういう事は本当に多い。今ニュージーランドで生活をしていても一部の日本人がNZの法律を自分の都合の良い点は取り入れて都合の悪い点は「法律が悪い、法律が間違っている!」と自分の正当性を主張するが、それは正当性ではなくただ単に自分のやりたい事に理屈を付けているだけだ。

 

法律には良い悪いの以前に一つの法体系と言うものがある。それはその時その場所に住む国民の同意があるのだから他国から来た人がその国のことを理解せずに都合の良いところだけ虫食いみたいな利用をすることは許されない。

 

法律を守るならそれはすべての法律を遵守するって事で、これは嫌だから守らないと言うのは認められない。

 

そういう人間に限って日本の法律も知らないから随分と自分勝手な理屈を並べている。聴いていると「これでよく今まで逮捕されずに生きてこれたね」と思うほどだ。

 

具体例を挙げると枚挙に暇がないが例えばビザ。NZで働くことを考えた人が観光ビザでNZに入国して企業訪問をして履歴書を配るとこれは違法である。観光ビザとは観光が目的であり就労を目的とするならば違うビザを取得する必要がある。

 

なのに「NZに住む知り合いに聴いたらそれくらいいいじゃーん」って言われたからやって来たとか、よく聞く話であるが違法は違法だ。

 

学生ビザを取得してNZに入国後に会社を設立して自分が取締役になるって案件もあったがこれも違法。株主にはなれても取締役にはなれない。

 

逆に違法に観えても違法ではない案件もある。名義貸しはノミニーとも呼ばれたりするがこれは一定条件を備えていれば現在の法律では合法である。

 

等など法律に関してはきちんと理解しておかないと後でとんでもない事になるし、とんでもない事になった時はもう遅いのだ。

 

冒頭の橋下氏の場合はご本人が元政治家であり公益を考慮出来るし親族の話も真実であろうと認定出来るので名誉毀損は成立しなかった。しかし一般的には私人同士の争いでは名誉毀損は容易に成立する。

 

最近はネットの書き込み検閲も以前と違って厳しくなっている。警察もネット犯罪対策に本格的に乗り出しており「学校爆発!」とか書き込むとすぐに逮捕される。

 

ネットの書き込みも名誉毀損であり警察が正式採用しているネット対策班はプロのハッカーを教師として勉強しているので本人を突き止めることは今では容易である。数年前のネット誤認逮捕が相当に問題視されている証拠だ。

 

10年前の2ちゃんねるは書き込み放題だったがこれからはもうそうカンタンにはいかない。「だって〜、誰でもやってるじゃん!」はもう通用しないのだ。

 

誰でもやってるからって人殺しやっていいって理屈にはならない。そんなの極論って言うかもしれないが自転車の万引きも人殺しも違法なのだ。法の精神は「誰かがやったから自分もやっていい」と言う理屈は通用しないのだ。



tom_eastwind at 22:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月09日

きな臭い

韓国がTHAADの追加配備を拒否したという。中国の軍門に下ったわけである。既に配備した2基は撤去しないが残り4基については環境影響評価が決まるまで配備しないなんてどんな理屈だ?

 

環境影響が問題なら現在の2基も撤去すべきであるどころか最初から配備してはいけない。

 

けどこの環境と言う意味が自然環境ではなく中韓関係環境であれば理解出来る。中国様のご意向が大事な小中華である韓国は遠く離れた米国よりも800年前からの隣のご主人である中国の意思を忖度して北朝鮮および中国本土を直接短距離で攻撃出来るミサイル配備を停止したのである。

 

日本の新聞ではTHAADを迎撃ミサイルと公表しているが実態は普通の攻撃用ミサイルである。迎撃のみのミサイルなどあり得ない。狙った目標が飛んでるミサイルであれば動かない目標である北朝鮮各ミサイル基地や中国本土の基地など確実に一発で火の海に出来る。

 

北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込めば10分で到着するが韓国がミサイルを撃ち込めばもっと短時間で撃ち込めて平壌も中国本土も準備も避難する間もなく火の海になる射程距離であるのだからどこが迎撃ミサイルだ。それとも何だ、このミサイルって飛翔物体しか当たらないようにセットしているのか?

 

これは中国からすれば喉元にTHAADナイフを突きつけられた状態であり面白いわけがない。だから何とか撤去させようと韓国に対して経済制裁を仕掛けた。

 

すると韓国はささっとひれ伏して中国に特使を送り習近平にごめんちゃいして昔のような朝貢国に戻ったのだ。

 

これで北朝鮮と韓国を手中に納めた中国としては両国を統合させても良いし煮ても焼いても美味しと言う筋書きである。中国による朝鮮半島統一が実現する。

 

そうなると米国として極東の友達は日本しかいないので日本の米軍基地の重要性が増す。

 

グアムに引き上げようというプランAは日韓が米国の不沈空母であることが前提だったが韓国が先祖返りをして朝貢国になったので、そうなるとプランBである嘉手納基地へのF35B1を配備してベトナム戦争当時のF4ファントム、B52の後継機とするだろう、朝鮮半島爆撃のために。

 

米軍は1965年からのベトナム戦争で約6年、その前の朝鮮戦争は1950年から約3年戦い朝鮮半島では現地人約400万人が死亡した。当時の人口2千万人の20%である。どちらも日本を兵站基地としての戦争である。

 

朝鮮戦争では戦争特需が起こり日本の企業が潤った。ベトナム戦争ではベトナムに兵隊を派遣した韓国に戦争特需が起こりこの時多くの韓国財閥が急成長した。

 

しかし今回の朝鮮半島では何が起こってもおかしくない。今までは他国の戦争で利益を得た日本であるが今回は韓国が朝貢国に戻り北朝鮮と手を組めば日本は目と鼻の先に仮想敵国が現れることになる。

 

そうなれば日本も「戦争できる普通の国家」になり1945年以降70年続いてきた平和な時代が終わりいよいよ本格的に戦争の危機を意識することになる。

 

今回の韓国総選挙の結果とTHAAD配備の中止は日本に大きな影響を与えることになるだろう。後になって振り返ってみればここが時代の曲道だったと認識されるだろう。



tom_eastwind at 14:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月08日

1987

ずっとニュージーランドの話だったので今回出張した日本での話にしよう。

 

2017年の今年、株価は2万円に上昇した。安倍政権発足当時約8千円だった株価が2倍以上になった。

 

円安で輸出産業の利益は増えて株価上昇で企業に含み益も出て来て大手はどこも調子が良い。これから2020年の東京オリンピックまで株価は上昇して、まさにバブルでGO!であろう。

 

1987年、今から丁度30年前に日本の株価は2万円に達した。当時証券会社で働いていた人々には記憶に残る年であろう。翌年の1988年には3万円に達した。その年僕は日本からニュージーランドに観光気分で渡航してその2ヶ月後に永住権を取得してニュージーランドに移住した。

 

1985年のプラザ合意で急激な円高が始まりこれがバブルの発端となり東京や大阪の不動産価格が上昇して企業の株価は上昇してそこで含み益を得た企業や個人がその資金を利用して更にマネーゲームを仕掛けて不動産バブルを起こした。

 

証券会社は未曾有の利益を上げてボーナス年4回とか不動産会社はニューヨークの一等地を買ってみたり株価は4万円に向けて登り始めた。

 

しかしそれも大蔵省の総量規制がきっかけで実態の伴わない価格上昇に水をかけられて急速にバブルは弾けた。

 

1990年はバブル崩壊初年である。この年から株価は下落を始めた。1992年には三大都市圏の不動産価格が約11%下落して株価は16千円になった。

 

奇しくも東京オリンピック開催年の30年前にあたるのが1990年である。

 

歴史は繰り返すと言うが、日本は現在アベノミクスで株価は上昇しているしオリンピックに向けて建設会社は景気が良く原発復興資金も豊富にある。東京には資金が集まり人々の顔は高揚している。

 

今回も東京や大阪のホテルではどこも何とか紳士の姿を見かけた。彼らが数名固まってバーでお茶飲みながら何か景気の良さそうな事を話している。

 

そしてこういう時期に必ず動くのが建設会社と銀行と政治家と地上げ屋など現場仕事をする「懲りない人々」である。バブルよもう一度!とばかりに30年前の夢を思い出しているのだ。

 

今年の株価2万円ってのが一つの引き金でこれから日本の景気はオリンピックまで続くだろう。株価もさらに上昇していくだろうしトヨタも利益を出しているし実態景気も大きなところでは上手く回っている。

 

けど問題は2020年以降である。それまではオリンピック景気で盛り上がっていてもさあオリンピックが終わればその後に何が出てくる?

 

人口少子高齢化、年金と医療の圧縮、相続税や所得税の増税、日本中に人が住まない空き家が増えて土地の価値が失われてそれまでサラリーパーソン家庭がローンで建てた自宅の価値がどんどん減少していく。

 

最近人気のサラリーパーソンの賃貸アパート経営も資産の側で2億円あっても負債の側にも2億円があるわけで一旦金利が上昇して少子化でアパートに住む人がいなくなれば激しい勢いで歯車が逆転して確実に崩壊だ。

 

まさにオリンピックと言う宴の終焉に合わせて日本社会が激変していくだろう。

 

これからの3年は良い、けどそれ以降は日本での普通の人々の働き方が全く変化していくだろう。更にAI、ロボット、ビッグデータが人々の仕事に直接影響を与える。今まで人々が働いていた職場で失われる仕事が出てくる。

 

このような事は実際に今までも起こっていた。例えばコンピューターが発達してデスクトップパブリッシング(DTP)が発達した結果印刷業界では写植工が不要になった。

 

まさに今まで人間がやっていたインクに塗れる植字や写植が何ときれいな机の上ですらっとしたエンジニアがさらっとキーボードを動かして印刷画面を作るようになったのだ。

 

当時はイラストレーター、フォトショップ等がまさにベテランの人間から現場の仕事を奪っていったのだ。

 

今は必要とされている仕事でも果たして5年後にその仕事は人間に残っているのか?

 

1987年までの日本は平和で企業は終身雇用だから毎年慰安旅行でバスを連ねて熱海や箱根の温泉旅館で大宴会を開きお互いに何時までも一緒だよなーって酒を酌み交わしていたた。

 

それがたった10年ですべてが変わった。1997年三洋証券倒産、山一證券廃業、拓殖銀行営業停止、そして日本の雇用は根本から変化した。

 

1987と言う30年前が今の時代の過去コピーであるなら、歴史は繰り返す。2020年は日本が変わる時である。その時の大津波に巻き込まれずに生き残れるかどうか、それはすべて自分次第である。



tom_eastwind at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月07日

英語の発音

先日のブログで英語の必要性を書いたけど米国の記事で丁度こんなのを見つけた。

 

“Anything is possible when you sound Caucasian on the phone”

http://labaq.com/archives/51883968.html

 

「貴方の電話での発音がコーカシアン(白人)に聴こえたら貴方は何でも出来る。」

 

これってほんとだ。これはニュージーランドでも同様だ。ネイティブとしての英語が使えるかどうか、そしてその英語に教養があるかどうか。たとえネイティブでもマオリの話し方は独特の癖があるし働く業種ごとに話し方が違ったりするので聴いてる方からすればその話し方で相手を判断することになる。

 

先週末もいつも行くガソリンスタンドでプロパンガス(こちらではLPGと言う)とガソリンを入れたのだがLPGを入れてくれてレジで支払いをしてくれたキーウィ白人のおじいさん(65歳くらいかな)と普通に話している積もりがほんとに通じない。

 

品の良さそうなおじいさんなんだけど僕の発音は彼の耳には入らない。「キミの話す日本語は英語に聴こえるけど」みたいなものだ。他のインド系スタッフとかは全く問題なく会話出来てもネイティブと言うのは全く違う。悪気があって聞き取らないのではなく本当に聞き取れないのだ。

 

なので僕は今でもNZの銀シダ、シルバーファーンを正確に発音出来ないのでネイティブの前では使わないようにしている。

 

これは何もNZ英語が訛っていると言う意味ではない。米語だって地域ごとに訛がありそれは地域の個性である。

 

例えば米国人が日本で日本語を学びたいと思った時に大阪で生活をすることが正しいのかと考えるようなものだ。僕ら日本人からすればガイジンはどうしてもガイジンの発音になる。

 

日本語の基礎となる標準語は大阪でも福岡でも学べるし標準語を話すガイジンよりも博多弁で話すガイジンの方が個性があって楽しいものである。

 

実はこれ、僕も日本で米国人と英語で話す時に出てくる。バーのカウンターで隣り合わせて偶然おしゃべりしてるとそのうち米国人が僕に「キミの英語はキーウィ英語だね、どこで勉強したんだい?」「勿論ニュージーランドだよ」と言うと、それだけで会話の話題が一つ増える。

 

日本人の英語の発音が悪いって時に僕が日本人に説明する方法として「たまごとたばこの違い」を使うことがある。

 

何じゃそりゃ?という感じかもしれないがたまごとたばこは大人になって日本語を学ぶ外国人にとって区別出来ない事がある。

 

例えばコンビニに行ってレジの上にあるものを指差して「たまごください」と言ってもレジの店員は意味がわからないだろう。

 

ところが発音している方からすれば何故通じないのか分からない。僕ら日本語ネイティブからすればたまごとたばこは全く違うけど大人になって日本語を学んだ人々の中には発音の違いが分からないし発音出来ないのだ。日本人がBVの発音を区別出来ないのとよく似てる。

 

だから僕がガソリンスタンドに行っておじいさんに「LPG下さい」とカンタンな文字のアルファベッドを発音してもおじいさんには聴き取れず両手でプロパンガスタンクの形を描きながら「これかい?」と聞き返してくる。

 

それほどに発音ってのは悩みのタネである、特に僕のように大人になって英語を学んだ人間には。

 

だから僕はいつも発音では勝負せずに語彙と文章で勝負することにしている。これなら相手が論理で考えてくれるから発音が悪くても何とか理解してくれる。

 

だから英語の勉強を考える時に発音をあまり真剣に悩むよりも語彙と文章構成を考えた方が通じることがある。

 

タバコが欲しくて棚の上を指差してたまごと言うよりも「あの、吸うものください、メビウス」とかやった方が良い。

 



tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月06日

乗り遅れた人々

ジョン・キー元首相は首相在任中何度も大きなスキャンダルに巻き込まれつつも其の度に何とか復活して戦い時間を稼いだ。

 

しかし去年のオークランド市長選挙の敗北などもありこの辺が引き際と感じたのだろう、思いもしてない「家族との時間」と言う美辞麗句で政権を去ったのはさすがに人生のプロ、引き際が最高にうまい。

 

今年11月の総選挙ではジョン・キーの後継であるビル・イングリッシュはかなり苦労するだろう。下手すれば政権交代の可能性もあり得る。

 

何故だろう?それはジョン・キー率いる国民党がNZの発展をチャイナマネーで成功させたからだ。

 

国民からすれば国家の発展をさせた面はうれしいが中国人増えすぎた点には怒りを感じている。

 

現時点では国民党の支持率が高いが選挙は水物、3年前の総選挙のようにまたも11月までスキャンダル合戦になる可能性もある。

 

ジョン・キーとオークランド市は15年前まで廃墟だったブリトマートを最高のビジネス街に変化させヴィアダクトに素敵なレストラン街を作り北半球の西洋人の若者に「オークランドで働きたい」と思わせるような気持ちにさせた。

 

其の結果として皮肉なことに北半球の白人がワークビザを取得してNZに来るようになった。現在ワークビザ取得上位で来るのは英国、ドイツ、豪州(ビザ不要)、南アフリカ、米国等の若者である。

 

実際にシティのレストランに行くと普通に上記国家の若者が楽しそうに仕事をしているのが分かる。これがジョン・キーが作った街なのだ、そう実感する。

 

まさに1960年代に北半球の若者がNZにやって来た、その現象が現在のNZに発生しているのである。勿論地域的にはオークランドやウェリントン、クイーンズタウンが中心であるが1960年代のNZが蘇っているのである。

 

そしてその反動現象として起こるのが「じゃあもう英語も出来ないアジア人って不要だねよ、ワークビザ発行しなくてもいいよね」と言う議論である。

 

これは厳しい競争率を生き残ってきた白人外国人労働者からしてもアジア人を蹴落とす機会であるから当然のように「そーだそーだ!」となる。

 

これを原因として新しいワークビザや起業家ビザ、永住権申請に具体的な変化を作り出したのだ。

 

だから歴史を振り返ってみれば何の不思議もない話である。白人社会のNZでは最低でもネイティブの英語、そして白い肌が一つの基準になっているのは、英語力とか肌の色だけではなくその両方を通じてシェークスピアを口ずさめるか、キリスト教価値観を共有出来るか、である。

 

欧州には長い歴史の中で肌の色信仰がある。NZでは移民社会であり先住民族としてのマオリがいるから肌の色信仰は表には出てこない。その代わり英語信仰がある。

 

これなら本人の努力次第で英語を学べるわけで例え移民でも英語を学ぶ努力をすれば英語が話せるはずだ、英語の国に来たなら努力して英語を学ぶべきだ、だから英語が出来ない移民は努力の足りない移民であるという理屈が成りたる。

 

僕がニュージーランドにやって来た時は英語力を全く問われなかった。パスポートに300ドルの小切手を付けて移民局に送れば3週間で永住権のシールを貼ったパスポートが送り返された。

 

しかし今の時代は大きく変わった。英語の出来ない移民はもう不要なのだ。なぜなら1960年代のように英語圏から若者が働きに来るからだ。

 

これからアジア人のビザ取得は厳しい状況が続く。特に今年は3年に1度の総選挙であり総選挙の年は必ず移民問題が議論の的になる。当社も3年前に移民問題に揉める地元弁護士同士の争いに巻き込まれたり移民局スキャンダルで取れるはずのビザが発行されず大変な経験をした。

 

今年11月の総選挙に向けてビザはまたも激動の年になるだろうし同時に長期的に観たアジア人ビザの締め付け強化も出てくる。だから僕が何時も言うことは「ビザは取れる時に取れ」である。

 

同時にビザのルールはしょっちゅう変わる。3年先を目指して移住を考えてますというのは何も考えていないのと同様である。なぜなら3年先の移民ルールがどうなっているか誰もわからないので準備のしようもないからである。