諸行無常のビジネス日誌

2017年12月17日

年末年始の始りだ。

今年の移民局のクリスマス休暇は1222日に開始、再開は2018104日である。

 

このクリスマス休暇が長いのは日本ではなかなか理解されづらい。

「移民局が休むって、その間の空港の入国管理局も休むのか?」と聴かれるが、もちろん空港の入国管理局が休むことはない。

 

この国の長い習慣でクリスマス期間は例えば首相が約一ヶ月の休暇を取る。首相が休むと、決定権を持つ首相がおらず閣僚も仕事が出来ないので休む。閣僚が休むとその下部機関である政府や組織も丈夫決定権者がいないので休む。

 

政府や組織が休むとその機関と連携を取る必要のある企業の上層部は相手がいないので自分たちも休む。

 

こうやって上の方からどんどん休んでいくのでクリスマス休暇機関中は実質的な判断が出来る人間がお休みでおらず下の方までお休みが広がっていく。

 

だからこの期間は弁護士も税理士もお休みして海外旅行したり国内の別荘でのんびり魚釣りしたりすることになる。

 

こうやってオークランドのシティのレストランの常連がオークランドからいなくなるのでレストランもクリスマスまで営業したら1月上旬までお休みになる店が多い。

 

それは移民局も同様で上部の人々は上記のようにお休みに入るのでこの時期は大事なビザの可否の判断が出来なくなる。

 

なので弁護士は自分のクリスマス休暇の前に手元に抱えてる案件を何とか処理するために激しい勢いでパソコンの前に座ってひたすら移民局にメールを送り続ける。

 

特に今年のように労働党とNZファーストが連立政権になると、この9年間の国民党に対する恨みはらさでおくべきか的な流れになり、移民局が中國からの申請を「落とすための審査」をやってみたり既にビザを発給した分についても遡って探偵を雇って落とそうとしてみたりするようになる。移民局は正義をさばく場所ではなく上部団体である政府の意向を実行するのみだからだ。

 

だもんで中国人顧客を持つ弁護士事務所は今年の終わりがパニック状態である。こっちが面談の約束してても平気でドタキャン、調査依頼をしてもなかなか進まずだ。今年彼等はクリスマス休暇中も携帯電話とパソコンは手放せないだろうな。仕事仲間であるからご愁傷様である。

 

ついでに言えば彼等弁護士と移民局とのやり取りは基本すべてメールである。直接担当者と会って話をするのは稀である。お互いに忙しいのに一件の案件の為に1時間も時間を取られてはたまらないってんでメール対応。

 

けれど空港で働く人々や公共バスや銀行の窓口など日常業務が必要な場所はカレンダー通りに営業している。

 

この、上から下ってのがどこまで下になるのかが明確でないので、ふだん日本で生活していると分かりにくいと思う。

 

オークランドのシティは1224日のクリスマスイブをシティの教会で迎えたりするので人通りは多いが、1225日になると一気に激減する。これはお正月の霞が関みたいなものでクイーンストリートを歩く人がほんとに減る。

 

今年は地下鉄工事であちこちで道路が穴掘りされているがこの工事は正月は休むのだろうか?

 

ハーバーブリッジはこの時期交通量が大幅に減るのでこの機会に毎年補修をする。1959年に作られた橋でそろそろ耐久限度に近づくので小まめな手入れが必要なのだ。

 

新しい交通手段として橋をもう一本かけるとか地下鉄をノースショアに走らせると言う案も出ているが当面は橋の道路の張替えと補強作業である。なのでクリスマス期間はハーバーブリッジを渡るのにも規制がある。でもまあ走っている車の数が激減するので交通渋滞が起こる事はないだろう。

 

さあ、年末年始の始りである。



tom_eastwind at 06:33|PermalinkComments(0)

2017年12月16日

延命治療

「医療の8割は無駄である」と言う話がある。これは延命治療と喫茶室の話であろう。

 

喫茶室とは老人が昼間になると病院に集まりおしゃべりをして時間を過ごしておしゃべりの合間に不要な診断や治療をすることである。

 

ある笑い話。ある病院の待合室で。

「おい、あの人今日はいないな、どうしたんだろうね?」

「具合がわるいんだってさ」

 

笑い話で済まないのが延命治療である。現在の日本の医療制度では一旦チューブを付けるとその後に外せば殺人罪である。かと言って意識不明になったばかりの親を観ながら「延命不要」と言い出せるか。

 

ニュージーランドでは延命治療という発想はあまりない。10歳の女の子が交通事故で意識不明になって延命装置を付けるが、3日位で親は「もうこの子は十分頑張った。早く天国に行かせてあげたい」と言うことがよくある。

 

これは宗教観とか社会構成の問題なんだろうけど、日本でも昔は姥捨て山があったし三世代同居で介護は自宅で行っていた。

 

社会構成が変化を始めたのは戦後の高度経済成長期である。当時の田舎の若者は東京や大阪に働きに出てそのまま都会人になり結婚して子供を作り家を買い、都会に根を張った。

 

両親は田舎の自宅で過ごすけど近くに家族がいないので体が弱ったら病院通い、それから老人ホーム、こういう流れが当然の時代になってきて、サービス付き高齢者住宅が日本中あちこちに作られている。

 

冒頭にも書いたが医療の8割は無駄であるという意見が出始めているのは厚労省もいよいよ延命治療と言う今の考え方を見直すことで医療費抑制を図りたいのだろう。

 

医療費が国家予算の多くを占めておまけにこれは死にゆく人への費用であり回収出来ない。

 

けれどもし延命治療という考え方を変えて人はピンピンコロリでありいよいよ死期を迎えればホスピスで生活をして余命を楽しみある日命を失えばそのまま葬式を行う。

 

お医者さんの法律も変えて家族の依頼があれば延命治療を何時でも停止出来るようにして自由度を高める。だって実際に昭和の頃の看護婦やお医者さんに聴いてみればよい、「あの、人工呼吸器止めた事がありますか?」って。

 

現在の杓子定規な規制と親戚や周囲の眼を気にしすぎる人々も、そろそろ意識を変えていけば良いと思う。第一呼吸器付けられた親はそれで満足なのだろうか。

 

社会全体の意識を変えていき医療費抑制を行いそのお金を健全な社会投資である幼児向け教育に使うべきだろう。幼児に社会予算を投資すればその効果は治安維持、新しい社会作り、健全な国家作りに繋がる。投資効果は十分にあるのだ。



tom_eastwind at 06:27|PermalinkComments(0)

2017年12月15日

殺気

昨日今日とどこに行っても殺気だらけである。弁護士事務所、税理士事務所、銀行、いよいよどこも仕事を終わらせないといけないのでバタバタしつつも、昼食のレストランに行くと良い店はどこも満席。今年最後のスタッフランチを楽しんでいるのだろう。

 

いつも行く店が大箱なのに満席で行列が出来てたから近くの昔からやってる店に行くと、ここでは何とか最後の一席に座れたがその後に来た人はもう行列。

 

オークランドで行列なんて変な感じであるがクリスマス休暇前は仕方ない、毎年の行事である。

 

けどその行列が毎年どんどん長くなっているのは、やはり人口急増の結果であろう。

 

今のこの街は本当に人が増えて人口ボーナスと言う表現がよく分かる。なにせ毎日のように新しいサービスが生まれているのだ。特にIT関連では日進月歩と言うしかない。

 

今日も朝のうちに電話会社Vodafoneに行き光ファイバーの手続きをするが、その時にも「あなた、海外出張する?」と聴かれて「するよ、シドニー、シンガポール、香港、日本」と言うと「なら海外でもあなたが持ってる電話で15ドルで話し放題があるよ」とか。

 

元々携帯電話レンタルの仕事もして多いときはNZに来るワーホリに1500台くらい貸し出して当時のちっちゃな通話機能しかない電話を観てきたが、今ではスマートフォンである。こんなちっちゃな街でもどんどん発展していくんだな。

 

電話会社の次に地元銀行を訪問する。投資家プラス顧客の投資先の調査であるが、ファイナンシャルアドバイザーが二人出て来てがっつりと国債等について説明を受ける。けどここも忙しそうで1時間で話をまとめて「けど、ここにお願いするかどうかは私の顧客次第ですからね」と言って席を立った。

 

その後オフィスに戻り10分後にオフィスから出ようとするとさっきまでミーティングしてた人がそこにいるではないか。

 

にこにことキーウィらしい笑顔で「ハロー!」と言いつつすれ違ったが彼もランチに行くんだろうな、いそいそと歩いてた。

 

今日は本当に何もかも大詰めである。



tom_eastwind at 06:26|PermalinkComments(0)

2017年12月14日

死にゆく旅行代理店

今日読んだ記事で「死にゆく旅行代理店」と言うのがあった。

http://blogos.com/outline/264939/

 

海外旅行に行く日本人数が減っているからもっと増やそうねってのを国策でやっていると言うが、旅行業は元々運輸省の管轄下であり国策としてインバウンドが増えているけどアウトバウンドが増えないよね、じゃあどうしようか、JTBあたりで頑張ってもらおうかと言う元ネタ。

 

この記事を書いた木曽さんは日本でカジノをやろうぜ!と盛り上がっている人物であり、その意味では旅行業に近い。カジノはすでに単なる博打場ではなく大型エンターテイメント市場になり、MICE(会議、招待旅行、学会、展示会)の開催会場として利用されている。

 

つまり木曽さんはインバウンド旅行業の立場から記事を書いている。

 

彼の視点からすれば日本のアウトバウンド旅行はもう「お前は既に死んでいる」なんだろうな。

 

ただ自分がこの業界でアウトバウンドとインバウンドの両方をやって40年間飯を食ってきて現場を観ていると、彼の意見の半分は納得出来て半分は納得出来ない。

 

1970年代から旅行業で働いていたので業界の変化は毎日のように観てきた。1970年代当時は九州の旅行ツアーが北海道に行くのにホテル予約を往復はがきで手配していたものだ。

 

日程表も手書きだしコピー機は青コピーである。もう今観ることはないだろうが、厳重に包装された青色のコピー専用紙を陽の光でダメになる前にささっとコピー機に入れて青写真を撮る。

 

1980年代に白い紙にコピー出来る機械がやって来て、それは今までと違うと言う意味でコピー機ではなくゼロックスと呼んでいた。

 

そしてFAXの登場。これはまさに時代の革命的変化であった。それまで遠隔地とのやり取りは国内なら往復はがき、海外ならテレックスだったのが、FAXで片付くようになったのだ。

 

そして1980年代にはHISが誕生、個人旅行が激増した。けどJALZEROは失敗した。当時のJTBHISを「旅行会社じゃない!」と言ってた。

 

旅行業の一番の肝は、旅行客と旅行会社の情報格差である。この格差を使って既存の旅行会社は生存していた。ところがインターネットの発達で情報格差がなくなった。

 

更にホテルや飛行機の予約がインターネットで申し込み出来るようになった。こうなれば誰が旅行会社を使って手数料払うか?

 

この意味において著者の意見には同意である。

 

日本の旅行業が狂ったのは総客数勝負に入った1980年代後半である。大型飛行機をチャーターして香港やハワイに飛ばす。激安価格なので赤字発進だから現地でのオプショナルツアーを高く設定したりお土産屋からの手数料で何とか黒字化させる。しかしお客様に寄り添ってない。顧客無視である。

 

そんなツアーに誰が行くものか。最初は安いと思って参加したけど香港のお土産屋に入ったら外から鍵かけられ山の上に登ると写真屋が無理やり写真撮って売りつける。ちなみに彼等はすべて香港マフィアである。何で言い切るか?だって現場で観ていたからだ。

 

当時ある日系旅行会社で日本から赴任して来た部長が自分の正義感でお土産とか写真とかの仕組みを変えようとしたらある夜に彼は腕を切られてオフィスはナタでぶち壊された。気づかないだけで、どこでも暴力とはそれほど身近にあるのだ。

 

そして多くのお客様はボッタクリ団体旅行に嫌気をさして個人旅行に移った。

 

但し旅行にはすり合わせと言う要素がある。パックツアー一つとっても旅行とは顎足枕、つまり食事と移動と宿泊を的確に組み合わせる必要がある。更にその費用を安くするために団体ツアーにする必要がある。

 

単体で飛行機やホテルを予約するのなら旅行会社は不要である。

 

しかし、個人で手配するより安く効率的に回るとなれば、現時点ではやはり旅行会社の団体ツアーの方が有利であるのは事実だ。つまりこれからの旅行会社が生き残るのは如何に良い団体ツアーを作るかである。

 

個人ツアーでは、僕が1980年代に旅行屋だった頃、お客様のご自宅に夜の7時過ぎにお伺いして「去年と今年はあそことここに旅行しましたよね、奥様は長期滞在型がお好きですから次はこちらはどうですか?」などと話をしていたものだ。

 

つまり旅行業とは本来お客様の懐に入ってお客様の家族事情も理解した中で、どうやって楽しい非日常の旅を組み立てるか、またはその集客力を生かして個人で手配するより安くて高品質なツアーを組み立てるかである。そのどちらも選ばずに旧態然とした個人手配や激安団体ツアーをやっていれば、そりゃ未来はない。

 

現時点の旅行業は確かに頭打ちである。伸びてるインバウンドは外国の会社に取られ情報格差がない為に日本の旅行会社が利益の取れるビジネスになってない。

 

ただそれでもひとりひとりのお客様を大事にして彼等の歴史を理解して今何が彼等にとって最も大事なものかを理解すれば、旅行業は伸びる。

 

これは日本で働く歯医者さんも同様だ。歯医者さんの世界も優勝劣敗である。

 

ある歯医者さんは無保険で実費を払う患者さんを相手にきちんとした個室で対応してじっくり時間をかけて話を聴きどのような歯にしたいのかを理解して最新の技術でしっかりと施術する。こうやってお客様は満足して友達を紹介してくれる。

 

「あそこさ、保険効かないけど綺麗にやってくれるよ」

 

そうなれば美を意識する人は旅行や食事の回数を減らしてでも歯の美と健康を意識するだろう。

 

これと同様で、旅行屋も本来の役目を理解して思い出してやり方を変えれば生まれ変わる。実際に顧客視点に立った近畿日本ツーリストのクラブツーリズムは成功している。JTBも出発地視点から到着地点、つまり自分の住む地域の旅の要素を全国に向けて発信するという方向性を模索している。但しそれは低賃金と長時間労働で成立しているという皮肉もあるが。

 

旅行産業の中の旅行業で働く人の数は減っているし既存のままでは生きていけない、けれど旅行屋の本来の役目を思い出せばインバウンドもアウトバウンドも、これからも続く仕事である。

 

本来の役目とは、個人においては寄り添う気持ちでありグループであれば企画力と価格である。そして現場を支える添乗員とは寄り添う人である。



tom_eastwind at 09:19|PermalinkComments(0)

2017年12月13日

コモンローと大陸法

今日は朝一番から弁護士と打ち合わせ。M&A案件等の法的助言で日本の法律とニュージーランドの法律の違いがあるので、その細部のすり合わせ。

 

日本で使われている法律は大陸法と呼ばれて主に欧州大陸で使われている。事細かに書かれてて条文が明確でそれをクリアーすれば問題ない。

 

けれどニュージーランドはコモンローと呼ばれる英米法で先例や慣例を重視する。なので明文化された条項が大陸法に比較して少なく、それが良い面でも悪い面でもある。

 

中国人が初めてニュージーランドに来るとそのルールのゆるさにびっくりすると共に穴ぬけ探しをするのだけど、この国って穴を空けているわけではなく後出しジャンケンで穴抜けした人を叩く仕組みがあるのだ。

 

これは法律を表面的に読んだだけでは理解し難く、どこに穴抜けした人を叩く仕組みがあるか視えない。特に大陸法で育った日本人にとってもそれは同様である。

 

だから日本とNZ両国をまたいだ作業をする時は両国の法律、税法、文化習慣の違いを理解しておかないと木に竹を接ぐ作業になってしまい失敗する。

 

弁護士事務所も年末の忙しさであろう、日頃見慣れたのんびりした弁護士たちが今日は本当にドアから出たり入ったりばたついてるのがよく分かる。

 

弁護士と言うのもピンきりで、キーウィは個人的にはお人好しで懐っこくて良い人々なのだが仕事となるとガラリと変わる面がある。それは「俺かお前か、死ぬのは奴らだ」的な態度である。

 

契約観念は英国の末裔であるからきちっとしている。但し多くの弁護士にとって目の前にいる新しい顧客が一回こっきりなのか継続して利用してくれるのかで全然態度が違う。

 

つまり一回こっきりの顧客は単なる食い物、出来るだけたくさん顧客のために手紙を書くけど最初から「この案件、無理だなー」と腹の中では思っている。

 

僕も仕事柄色んな案件で色んな弁護士から問い合わせが来るけど、中には「こりゃねーな」と言うような文章もある。最初からやる気ねーな、けどこれ一枚書いて送れば400ドル入るからいいや的な文章である。

 

中には最初からNZの法律チェックもせずに書いてくる弁護士もいて「あーあ」である。何せ文中に「あなたが旅行業と言うビジネスを行っているのならTAANZと言う資格を取っている筈なのに取って無いではないか!」と訴えるが、あのですね、それは資格不要なのです。TAANZが必要なのは航空券を発行する会社のみです。そういう基本的な事実を調べもせずに手紙を送りつけるのだから「あ〜あ」である。

 

NZではNZの法律がある。弁護士、会計士、不動産、医者、看護婦、など免許の必要な業種がある。しかし料理、インバウンド旅行、庭掃除、クルマ洗いなど免許の不要な業種もたくさんある。そういう現場の仕事を知らないままにラグビー脳みそで突っかかってくるのだろう。

 

他にも日本とNZの法律の感覚的な違いで言えば、日本の法律とは正義や真実を追求するものだと考えている人が多いが現実は違う。法律はあくまでも法に基づいた判断をするのみであり正義や真実は追求しない。

 

そしてNZになれば更に徹底している。何せ僕がこの国の法律を勉強するために初心者用に買った本の一番最初のページに書かれていたGolden Rule(黄金律)が「法は真実を追求するものではなく、人々を仲裁するものだ」と明確に書かれているのである。

 

つまり何が真実であるかは法律には関係ない。敵対する当事者の間に立ち仲裁するのが法廷の仕事なのだ。そしてその仕事を手伝うのが双方の弁護士。

 

双方の弁護士がお互いに言い分を並べてメールや手紙でやりとりをしてすべての記録を残す。そしてお互いの言い分が出尽くしたところで和解するか、それとも裁判にするかという判断になる。

 

しかしそれでもNZの裁判所が行うのは過去の慣例に従った仲裁であり正義の追求はしない。

 

もちろん日本にもNZにも名誉毀損、業務妨害等の法律がある。名誉毀損とは事実かどうかは関係なく他人の情報を第三者に公然と事実を提供した事をもって名誉毀損罪が成立する。業務妨害も同様に犯罪である。

 

インターネットが流行る時代であるからいろんな書き込みがあるが、観てると何時訴えられても仕方がないような書き込みで「おいおい、大丈夫か?」と観ているこっちが心配するような容もある。

 

日本人は事実であれば公表すれば良いと思ってる人が多いけど実際は事実であっても公表すれば罪に問われるのだ。

 

名誉毀損、業務妨害、どちらも3年以下の懲役である。

 

NZでビジネスをするのはアジアの国に比べてやりやすい。法制度が出来上がっておりその仕組みさえ理解していれば背中を撃たれる事はない。

 

アジア、例えばカンボジアとかベトナムだと賄賂が前提。笑い話だがフィリピンの話でこんなのがある。

交通違反で逮捕された運転手が刑務所に入れられた。同じ房の奴に聴かれた。

「おい、何でお前刑務所に入ったんだ?」

「カネがなかったからさ」

 

こう考えるとニュージーランドは良い国、平和な国といえる。しかし法律の適用は日本とはやり方が異なる。この国で住む限り文化習慣に加えて法律の違いはしっかり理解しておいた方がよい。



tom_eastwind at 20:57|PermalinkComments(0)

2017年12月12日

原水協と原水禁

今年ICANと言う団体がノーベル平和賞を受賞した。日本は世界で唯一の被爆国である。ICANと原爆が結びついて原子爆弾問題に取り組んでいる。

 

同時に、元々は戦後の日本で総評、社会党系列のグループと共産党系列が原水協と言う組織を作り核の廃絶を世界に唱えていたが、共産党側がロシア(当時のソ連)の原爆実験は平和のためだから問題ないと主張した。

 

総評社会党は当然であるがすべての原爆実験を反対しており、ソ連であろうと原爆実験は認めない。そこで共産党と袂を分かって作られた組織が原水禁である。

 

以来原水協と原水禁は対立状態にあり今に続く。社会党は何でも反対だし当時の共産党はソ連や中國と仲良くしていた時代もあった。ところが社会党でも1970年代には東京のソ連大使館に出入りして現金もらってスパイしてた事もある。

 

戦後の日本にスパイ法案がなく東西冷戦時は各国のスパイが出入りし放題だった。テレビに出る文化人がソ連からカネをもらい、民間企業の社長がCIAのスパイだったり、もう何でもありだった。

 

その時代から続く原水協と原水禁の戦いは、見掛けだけは「平和!」とか「ピース!」とかであるが裏では勢力の奪い合いを行い平和の祭典を別々に開きそれぞれ動員数を競い今に至る。

 

日本では今回ノーベル平和賞を取ったと各地で喜んでいて、それはそれで平和で良いのだけど、内部では政治闘争が行われており原爆をネタにした両者の駆け引きが続いているのだ。

 

表面的な部分を観て単純に喜ぶだけではなく、ソ連共産党が原爆実験をすれば平和利用なのでOK、でも米国が原爆実験をしたら駄目と言う理屈の通る団体をどう考えるのか?

 

また現実的に原爆がなくなると「核の傘」がなくなり、更に言えば北朝鮮が核開発を行っている現状で、それでも核を否定するのか?

 

更に言えば今回のICANがどちらの組織と繋がっているのか。

 

そういう、世界の全体図を観て、その上でどうやって核を廃棄するかを考えないと、「ノーベル賞取った!やった!じゃあ明日も会社で働こう!」ってだけでは意味がない。



tom_eastwind at 18:53|PermalinkComments(0)

2017年12月11日

髪染めと教育

大阪の高校の女子生徒が生まれつき髪が茶色くて学校から強要されて髪染めして頭皮が傷んだからと損害賠償請求。

 

がっこの教師は「多少理不尽な事があっても規則に従うことを教えるのが教育機関の大事な役割なのだから、学生は従うべきだ」との考え。

 

はい、その通り。日本の学校教育とは子供をところてん機械にはめ込んでにゅるにゅると同じような子供を作る組織なのだから黒髪の日本人社会に茶髪がいては間違いである、だから間違いを訂正するために生まれつき茶髪の子供にも黒髪にするように命令する。

 

そう、子供は社会の歯車であるべきで、歯車の形が一個一個違っていては社会は運営出来ないのだから子供の個性などあってはいけない、すべてはがっこの教師が決めた通りに「型にはまらないといけない」のだ。

 

立派な社会主義である。中國以上によく出来た共産主義である。そして子供は途方に暮れる。

 

これならそのうち「子供は社会に合うように教育する必要がある。生まれたばかりの赤ちゃんを子育ての経験がない素人母親が育児するなど間違いである。今後は教育省が生まれた子供すべてを引き取り正しい教育を身につけさせる、親などに任せてはおられん!」とでもなるだろう。

 

ヒトラーの時代にも人種差別があったが今の日本でも普通にこうやって外見のみで人種差別をする。

 

やってるバカ連中は自分たちが正しいと思いこんでいる。日本の学校は黒髪。どこで折っても金太郎飴のような若者を作るのが正しい教育。

 

そして一人ひとりが自由な発想を持つ米国で生まれたマイクロソフト、グーグル、アマゾン等に全ての商売の主導権を奪われ、更に中國で生まれたアリババの派生であるアリペイ、ウィポーが決済や連絡手段になり日本は世界の自由な発想で作られた仕組みの奴隷になる。

 

教師と言うバカが子供を馬鹿に仕立て上げて子供が世界中から食い物にされて、生まれてから死ぬまで奴隷状態になる。

 

日本の将来に対する脅威は長期的に観れば北朝鮮ではなく日本人教師だ。



tom_eastwind at 10:44|PermalinkComments(0)

2017年12月10日

誰がために電気はある?

日経ビジネスに「気鋭の経済論点」と言うコラムがある。日頃は楽しく読んでいるのだけど今回の電力買い取りの論点は、如何にも重箱の隅をほじくる日本人だなと苦笑した。

 

著者は再生可能エネルギーとして太陽光発電の買い取りは結果的に国民に44兆円の負担を求めるものだとの主張。

 

これが消費税の何%だとか税収の何%だとか数字は並ぶのだが、限られた資源そのものを浪費しない為に再生エネルギーを利用する、その為の費用が高くても世界が持続する方が良いと言う発想がない。

 

つまり目先の費用が安ければ良い、今日生き残れば良い、目先の資源を食いつぶす事で自分のお金が減らなければ良いという発想である。

 

けど、子供の世代はどうするのだ?

 

僕は原子力発電を完全に否定するものではない。昭和の時代にはリスクをとってもエネルギーが必要であり世間には必要悪があった。しかし今の時代に原発が吹っ飛ぶ危険度を取ってまで原発が必要か?福島原発が吹っ飛んで福島の人々がどれだけ苦労したか。それをどうやってお金に計算出来るのか?

 

お金の、それも重箱の隅を突くような考えってのは、今の安定した日本では普通の方法であると思う。けど、もっと大きな一段上の事実を理解できないのがカネだけに振り回される日本人の限界なのかもしれない。

 

元々人間は火と水だけで生きてきた。難しいことは分からず文明も進化せず何千年も生きてきた。それでも人々は幸せだった。

 

ところが20世紀に入り文明が急成長すると人々は冷房を求め立派なビルを作りその中に閉じこもってカネの計算ばかりするようになった。家族のためと言いながら夜遅くまで働き家族と一緒に食事も出来ずカネに振り回されるようになった。大学を卒業して気鋭の経済論点を書くようになり随分出世したものだとなるけど、その容となると結局カネの話である。

 

持続する社会を作る、その為にカネを使うなら分かる。つまり太陽から届くエネルギーを電気にするのなら分かる。けれど自分の目先のカネの為だけに原発の方が安いと主張するならば、福島の現実をどうするのか?

 

日本は昔から変わらない。お上が無責任に馬鹿な事をやって責任取らずに退職金だけ取って天下りしてバカなことの結果は国民が黙々と自然災害の後始末のように片付けるだけだ。

 

誰のための電気だ?何のための電気だ?



tom_eastwind at 04:04|PermalinkComments(0)

2017年12月09日

生地獄

***

質の悪い人間と共に生地獄に落ちた人間は疑心暗鬼などの鬼の世界に支配され、自分たちの不幸を全て他人のせいにして自分たちの行いと向き合おうとせず、抜け出せない生地獄のループに陥るのです。

***

 

富岡八幡宮の宮司が殺された。それも弟によって。

 

1600年代に作られた八幡宮が神事を行う歴史的建造物であるだけでなく人々のお祭りの場所としても江戸から東京へと変遷しながらそこに住む人々の生活に潤いを与えてきた。

 

その場所で宮司が日本刀によって殺された、それも弟によって。

 

何と言ってよいか、冒頭の文章は殺された宮司が826日に書いたブログ文章の一部だ。

 

この「疑心暗鬼などの鬼の世界に支配され」と言うのは、まさにこのオークランド日本人社会でも起こっている問題である。

 

自分たちが鬼に支配されていることに気づかず鬼の手下となって自分だけが正しいと思い込み他人を攻撃する。それもついさっきまで仲良くしていた仲間を敵にして攻撃する。

 

本当に人の心は弱い。その人にも家族があるだろうに誰もその人を止めることが出来ない。

 

そして周りを次々に不幸にして自分も自滅して、結局何も産まないままに消えていく。

 

何故自分の不幸を他人のせいにするのだろう?自分の問題は自分で終わりである。他人に責任転嫁などすることは出来ない。ましてや他人に騙されてしまって関係のない第三者を攻撃するなど、まさに鬼に支配された生地獄である。

 

富岡八幡宮で起こった悲劇は何時でもどこでも起こりうる事件である、人が鬼に支配され続ける限り。

 

ここから先は現実的な問題であるが、日本では銃刀法があり銃や刀の所持には規制があるがニュージーランドでは日本ほど規制は厳しくない。狩猟の盛んな国であるから銃は山の中でよく使われる。

 

ただ今回の事件のように恨みつらみで人を殺すと言うのはこの国ではあまり一般的ではない。

 

もちろんだからと言って全然事件がないわけではなく、アルバニーの付近でインド人が元妻をナイフで襲ったりとか中国人が自分の妻を殺して国外逃亡とかもある。

 

しかし何ていうか、国がのんびりしているしいくらでも選択肢が得られる中でその最悪の「殺す」と言う選択肢は、なかなか出てくる答ではない。

 

幸福ってのはお金だけじゃねーな、日本の真ん中東京でこんな事件が起こるってのは。



tom_eastwind at 03:46|PermalinkComments(0)

2017年12月08日

NHK受信料裁判の最終目標

受信料裁判で最高裁の判決が出た。テレビがあればカネ払えである。

 

何故か?法律で決まっているからだ。

何故そんな法律があるのか?NHKを存続させるためだ。

何故NHKを存続させる必要があるのか?公共放送だからだ。

何故公共放送が必要なのか?公共の福祉のためだ。

何故NHKでなくてはいけないのか?NHKが優秀だからだ。

何故民法に公共の福祉の役目を持たせないのか?民放は馬鹿だから。

 

NHKに関しては様々な視点から語られるが今回の判決は細かい事はどうでもいいから法律で決まっているのでカネ払えと言う分かりやすい理屈である。

 

なるほどこれ自体は法律で決められてるから払うのが法の遵守であり払わなければ法律違反であることは明白だ。なのでこの判決に違法性はない。

 

そして僕は個人的に法律を遵守しないと言う人々の姿勢にはどうかと感じる。法律は社会の規範である。個人が「この法律は守るけどあの法律は守らない」なんてやりだしたら人々の価値観は皆違うのだから人殺しさえも価値観の違いって事で認めることになる。

 

例えばゴミ捨てにギャーギャー言う人が赤信号を平気で渡るようなものだ。

 

だから今回は裁判にすることで物事は明確化した。

 

法律とは別にNHKを観ないとかNHKが国民から徴収したお金で大名旅行したり担当者がポケットに入れたりすることが許せんからと罰則的に考えて払わない人がいる。

 

しかしこれも僕は個人的に好きではない。何故なら集金に来た人や契約に来た人の方が立場が弱いからと高飛車に偉そうな事を言っているだけで、じゃあ相手がヤクザだったらどうするのか?相手によって態度を変えるのか?

 

NHKの受信料は本来なら社会全体の意識調査を行い、公共放送が不必要であれば法改正を行って是正すべき問題だ。

 

また公共番組が必要であっても今の誰も観ない番組の視聴率では公共の意味がないなら、これはNHK内部で番組編成会議を開いて優秀な人材を外部から集めてでも対応すべきだしそれが出来なければ、つまり視聴率が取れなければそのプロデューサーは首にするとかである。

 

受信料問題は、法的な側面と感情的な側面と実態に即した改革とは切り離して考える必要がある。裁判では法的な側面しか観ないのだから今回の判決に文句を言うのはおかしい。文句をいうなら駅前で署名を集めて地元選出の国会議員に渡して国民の声を国会に届けてもらうのが本筋である。

 

但しNHKにとってこれは本丸ではない。ここで勝つのは当然であり、本当の大きな戦いは携帯電話である。

 

現在の携帯電話はテレビ、つまり受像機であるか。受像機であればカネ払えと言ってくる。

 

すでにこれはNHK内部でも議論されており、その為にNHKのテレビ番組がネットでも同時受信出来るようにした上で「えー、携帯お持ちですか?あ、お持ちですかー、それではNHKと契約をお願いします」と持っていく。

 

すでに20代の独身はテレビを持たない方向に向いている。将来的にテレビを持たなければNHKの受信契約をする必要はない。何せNHKの契約の主張は「受像機を持っているか?」である。

 

けどそうなると国民から徴収してたお金が減る。なので携帯電話に目をつけたのだ。

 

今まではテレビを持ってませんと言えばお金を払わなくて良かったがこれからはそうはいかない。今回の最高裁判決はNHKにとっての一里塚である。

 

では携帯電話を持っている皆さんはこれからどうしますか?やっぱり選挙に行ったり署名活動やらなきゃ、国民はどんどんお金を取られていくばかりになる。



tom_eastwind at 14:55|PermalinkComments(0)

2017年12月07日

家電を盗む

北朝鮮から漂流した小型漁船が漂着すれば助けるのは当然である。しかしその小型漁船が北海道の無人島の小島にある家電を盗めば、これは単なる泥棒である。

 

無人島にある避難用の小屋に置いてある家電は海が荒れた時に使う道具である。食料を食べるなら分かる。それこそ避難小屋の存在意義である。けど洗濯機やテレビを持ち帰るってどういうことだ?

 

その後日本の巡視船に発見されると略奪物を海に捨てたのも、何じゃそりゃである。

 

元々日本の海岸から日本国民を拉致した国家である。何故日本政府がこの拉致問題に強く抗議、てか戦争仕掛けないのか本当に意味不明だ。

 

だって自国民を自国から誘拐されて、それで何も言わない国家って、国民の生命も財産も守ってないではないか。つまり国家の体を成していない。

 

一体日本政府って誰のために存在するのか?隣国の利益の為だけに存在するのか?それなら今からでも良い、隣国向けのチャーター船を再開して鉱山や農場で働かせれば良い。寝る場所は収容所がある。

 

今回の事件は当初は北朝鮮漁船の漂流でありそれは人道的に助けるものであるが他国に流されて泥棒をしてその挙句助けてくれは通らない。こういう時こそ一罰百戒、正式に裁判にかけて適正な判断を下して判決を実行すべきである。



tom_eastwind at 11:42|PermalinkComments(0)

2017年12月06日

税務の本分

国の基礎は税である。税により国は一体化されて運営される。

 

太古、森の中から現れた人々は自分の生命と財産を守るために都市国家に加入した。そして都市国家を守るために政府と軍隊を作りその費用は各自が払った。奉加帳のようなものである。払える能力に応じて払い、それで集団生活が運営されるようにした。

 

そして人々が集団で住む都市国家を維持するために国民の中から選ばれた人々が国民の公僕(こうぼく)として税の徴収と再配分を担当するようになった。公僕の僕とはそもそも下僕(しもべ)である。

 

これは本来の民主主義であるが日本では家長主義が発達していた為に本来のしもべが何時の間にか権利あり責任ない領主になった。つまり日本は表面的には民主主義と言ってるが実態は家長主義なのだ。

 

日本ではこの組織は昭和前期は大蔵省と呼ばれ後期は財務省になったが、やってる作業は前も後ろも同じで国民の財産を守るのではなく国家の運営をつつがなく継続することである。

 

つまり国民とは国家の為に働く歯車であり労働に適するために子供の頃から教育を与え社会人になれば社会の歯車として活躍してもらう、けれど受け取るのは自分の生活費のみ、お金は決して自分の口座に貯めてはならず常に消費に回す事で日本経済に貢献する事となった。

 

なので本来ならば国破れて山河あり民は生き残るとなるが、この国では民破れて国家ありとなる。

 

もし人々が日本を自立した国民の集団国家にしようと考えるなら、ここで大原則を作る必要がある。租税とはどうあるべきか?

 

これは各国の国民性によって異なる。何が良いかはその国の国民性で決まる。

 

日本では平等とか公平が要求される。しかしリスクを取って起業した人と大企業のサラリーマンは元々公平か?どう考えても起業家は不利である。

 

NZでは起業は国家の活力を生み出す良いことであると考えるので、失敗しても何度でも挑戦できる環境があるので起業には有利である。

 

だからその場所に住む集団の多数決で国家の形を作れば良いと思う。

 

そして日本に住む日本人が今のままで良い、自分の頭で考えずに毎日仕事して後はお上がやってくれるさ、自分は自分の事だけに没頭する、その結果として先進国標準で観れば民主国家と評価されなくても、貯金出来なくても、ストレス溜まって病気になっても、それでも満足だと考えるのならそれはそれで良いと思う。

 

ただ選挙や職業選択自由のある国では税務とは本来国民の財産と生命を保護するための装置である。それが国民を苦しめて無駄金を使い役人のポケットに入るのであれば全くにおいて本末転倒である。

 

これは国の形とは別の話であり、税金とは皆が使うものをそれぞれが出せる範囲に合わせて払うものであり相互扶助をするものである。

 

例えば米国やNZでも個人が寄付をすれば自分の所得から寄付分を控除される。それは個人が所得の再配分を行うからだ。

 

ところが日本では寄付の控除が殆どない。これは政府が全ての再配分を行う、バカな国民に再配分の能力はないからお上が取り仕切るのじゃって発想である。

 

しかし現実的には天下り先へ税金を配り退職者の個人収入にしたり自分たちのメンツを守るためだけに不要なダムを作り、税金と言う名目を付けずに社会保険だとかにして実質税金として強制徴収しておいて、それでホテル作って大赤字にして挙句は民間に捨て値で売却して、全く経営感覚ゼロである。

 

何せやっているのが子供の頃から勉強ばかりして世間知らず、大学卒業してすぐに役人の世界に入るから一度も民間の修羅場経験がない。なのでどんな仕事をやらせても机上の空論で失敗する。

 

しかし国家を運営するビジネスには正しい答など無いのだ。自分でリスクを取ってやってみて初めて分かるものだ。

 

なのに民間経験ゼロで正解のある試験で如何に正解に近づくかしか知らず、更に失敗しても自分で責任を取らずリスクゼロだからとんでもない事をやってしまうのが政府である。

 

税務の本分とは国家がどのような形を目指すか、そして税金とはどうあるべきかを考えていけば自ずと答は出る。そしてその答を出すのは国民自身である。



tom_eastwind at 07:29|PermalinkComments(0)

2017年12月05日

学生の本分

安倍首相の下、学校の無償化支援が提案されている。

 

学びたくても学べない高校生を大学に無償化で入学させると言う制度は良いと思うが現実的には多くの大学生は入学以降はアルバイトやサークル活動に精を出しており、現実の授業に出席する時間が削られている。欧米の大学と違い日本の場合は入学さえすれば後はどうでも単位さえ取れば良いという仕組みの問題である。

 

そのような学生の学費を無料にすることが果たして社会資産=税金の有効活用と言えるのか?

 

今の大学は大学名と学部名で良い会社に就職するためのシグナリングとして活用されるが現実的にその4年間にどれだけ学び専門知識を身に付けどれだけ社会貢献の価値があるのかは判断基準にされていないようである。

 

もしそんな肩書に社会貢献的価値がなければ税金を注ぎ込む意味はない。個人的価値があるなら個人でお金を払ってくれと言う話である。

 

ニュージーランドでは去年大学の学費の国庫負担を大幅に減らした。大学院は国庫負担を基本的に停止した。何故なら高等専門教育の費用を国が負担してもそれに見合う効果は国家経済になく個人の利益にしかならなかったからだ。

 

教育で面白い点は幼児教育である。18歳になったバカ金太郎飴子供を補助するよりも3歳の子供に幼児教育を提供することで子供は賢くなる事が多くの国で証明されている。

 

忍耐力、思考力、決断力、こういったものを頭の柔らかい子供のうちに教えることで子供はまともな大人に成長する。

社会資産を投資するならば間違いなく幼児教育である。この時に学んだ子供は自活出来る。それは社会を活性化させる。現在のニュージーランドは幼児教育に予算を使っており世界的に観ても子供一人に対する幼児教育予算は世界でデンマークに次ぐ2位である。

 

大学に行けない子供たちを大学に行けるようにする、その案の骨子は良い。しかし大学を就職のシグナリングとしてしか考えてない学生にまで無償教育が必要か?

 

大学に行くだけが人生か?それであれば、大学出てコンビニや非正規で働くくらいなら幼児教育を受けて高卒で社会に飛び出した方がよほどましである。

 

せっかく国家予算を使うのだ、その税金は幼児教育に向けて欲しいものだ。



tom_eastwind at 09:34|PermalinkComments(0)

2017年12月04日

ビジネスマンの本分

今日は朝6時からメールを発信開始、現時点で40件以上の長くて重いメールや短いメールを書いているけど、もう夜の10時過ぎであるがまだ送り終わってない。もしかして今年の一日当たり送信最高数ではないか。

 

師走の忙しさは日本も同様であるが、オークランドシティの企業の場合12月後半からどこも約3週間の休暇に入るので今のうちに片付けるものはすべて片付ける必要がある。一年のうち一番忙しい時期になる。

 

上は政治家から始まって決定権者が全員休むので下っ端が仕事をやっても問い合わせする先がなく、結局こっちも休んで年休消化した方がいいやって話になるわけだ。

 

当社も1220日で今年の営業は終了。来年は111日再開なのでこれから約2週間はすっ飛ばしていく必要がある。

 

それにしても案件増えた。労働党になって永住権取得しにくくなったと言うけどそれは僕らが扱っている投資家ビザに影響はない。

 

むしろこのカテゴリーではNZ移民局がNZ経済発展省の下にあると言う意味で、移民局はきちんとした投資家なら受け入れたいのだから状況に変化なく、むしろ今年も移民局は東京でセミナーをやっているくらいだし来年も継続する。

 

ただなー、一般技能移民に関しては厳しくなるのは間違いない。3年くらい前から同業者の仲間には「技能移民じゃなくて投資家取らないと先がないぞ」と言ってたのだけど彼等は結局変化出来ず現状にどう対応するかと考えている。

 

これって8年くらい前も同じ状況だった。学校紹介している仲間に「おい、これからは学校紹介じゃなくて移住だぞ」って言ったのに意味が分からず留学ばかりやってて、NZにおける日本市場が変化したのについていけず乗り遅れた。

 

留学から技能移民へのシフトはわりかしハードルが低い。なので気づいた人々は変化した。しかし技能から投資家のハードルは高い。十分な知識と現場経験、そした社外のチームとシンジケートを作れるかどうかが鍵である。

 

シンジケートとはこの場合、弁護士、会計士、投資会社、M&A会社、日本NZ税務アドバイザー等の個々を横断的に纏めて一つのチームにまとめることである。

 

まとめるだけでも随分の作業になるがその後のお互いの利害調整をするのが大変。けど皆が納得する結果を作れば次も同じチームでシンジケートを組めて仕事がやりやすくなりそれがお客様への貢献とNZの発展に繋がる。

 

師走の時期にM&A案件でシンジケート組み立てて同時に投資家ビザ取得希望の個人投資家向けの企画提案をしてポートフォリオを作り、更に社内ではクリスマスパーティの準備も必要で、家に帰れば家族が年末をどう過ごすか計画を作り、週末は旅行屋である僕が日程表を作ってみたり毎日ほんとに朝から晩まで忙しい。

 

これで12月21日になると一気に何もなくなり休暇に入り家族は旅を楽しみスタッフも旅を楽しみ取引先も旅を楽しみ、ニュージーランド全体が一気に幸せな雰囲気になり観光地も保養地も賑やかになりオークランドシティは霞が関のお正月のように誰もいなくなった状態になる。

 

正月のシティのクリスマスの雰囲気ってのは「地球最後の男」のチャールトン・ヘストンとまではいかないけど、「地球最後の男たち」くらい、心理的にはかなり近いものがある。12月31日の夜にスカイシティで上がるちっちゃい花火を観て綺麗と思うよりも寂しいなって思う日本人の方が多いのではないかな。

 

けどまあいいや、人の為、世の中の為にこれから後16日間、飛ばしていこう。それで来年は良いことあるさ。



tom_eastwind at 23:28|PermalinkComments(0)

2017年12月03日

コンビニのカバーその2

昨日書いたのは結局コンビニネタになってないのでもうちょっと書く。

 

僕がよく行く恵比寿のローソンは本に「剥がれるテープ」が貼ってある。去年まではテープがなくて立ち読みがいたけど今は全然いない。

 

ところが福岡とかに行くとテープを貼って無くまだ立ち読みが多い。

 

僕はどうもこの立ち読み精神が理解出来ない。それって無銭飲食とかと同じでしょ。

 

本とは一つの商品であり有料で読まれることを前提に店内に掲示してある。それは食料品も同様で有料で食われることを前提に置いてある。

 

それなのに店内で立ち読みしてお金を払わずに出ていけば、法的に窃盗罪が成立するのではないか?

 

もちろん買う気があってどんなものかパラパラとめくる程度なら分かる。それはマッサージチェアを買う時に試し揉みするのと同じだ。

 

けれど日本で見かける立ち読みはどうも確信犯である。ただで本を読んでやろう、そういう食い逃げ気質がミエミエである。

 

日本全体どこでもコンビニはそんなに大儲けしているわけではない。本部は大儲けして現場のお店は大変なのだ。それなのに食い逃げされては商売にならない。

 

立ち読みする人は自分が他人の財物を盗んでいることを気づかないのだろうか?立ち読みする人が働いている職場で他人がやって来て工具や商品を無料で持ち去ったら怒らないだろうか?

 

社会ってのは人間の信頼で成り立っている。それなのに「立ち読み」と言う行為で一般市民が平気で罪の意識なく他人の財物を盗む、それは正しいのか?

 

恵比寿のローソンで本にテープが貼られるようになって立ち読みがいなくなった。

 

貧すれば鈍すと言う言葉があるが、人の懐に手を入れてモノを盗るような立ち読みは、自分に誇りがある限り止めた方が良い。誰が観て無くても自分の品位が下がるからだ。



tom_eastwind at 17:54|PermalinkComments(0)

2017年12月02日

コンビニのカバー

日本にいるとコンビニでもキオスクでも様々な「文字を書いた紙」を買うことが出来る。これは世間的には「本」と呼ばれる。

 

良い本を読むためにはある程度本を読み込まないと何が良いか分からないと言うが、それは半分正解、かなと思う。

 

もちろん基礎体力として日本語であれば漢字や文法を理解することが必要でその為の読み込みは必要だが、日本語の基礎が出来れば次にすべきことは自分の頭で考えることだろう。

 

例えば日本の学校では給食があり毎日決まった時間に給食を食べるけど、その時間にお腹が空いてない子供だっている。なのに学校では「出されたものは全部食べろ!」と言う。

 

おいおい、ひとによって消化時間も食事量も違うのに食べきれないほどに出てきた料理も食わなくちゃいけないのか?食べて太って糖尿病になったら誰が責任取るんだ?

 

これは社会人でも同様であり「出されたものは食べる」と言う昭和の発想が今も残っているのが日本である。

 

それは日本人を同質化して戦争や製造工場業務の際に上司の命令に従わない「ポンコツ」をつくらないための教育方式である。

 

けれど小学生くらいの子供は「何かおかしいな」と思っても、どうおかしいか分からない。つまりその時点で自分の考えがあるのだけど表現方法が分からない。

 

そんな時に読書をして「あ、これって同質化している兵隊を作るための仕組みなんだ」ってのを中世の修道院の歴史から学べば自分の感覚が間違ってなかった事に気づく。

 

ところが多くの人はそこが理解出来ず紙を束ねた「本」と呼ばれるエロ本的夕刊紙や右翼雑誌に書かれたことからそのまま知識を吸収して本に書いて有ることをまるで自分の意見として飲み会で偉そうに語る。

 

けれどそういうのは事柄の原因を理解していないからちょっと質問されるともう答えられない。門前の小僧がお経を読むようなものだ。

 

だから大事なのは日本語の基礎を学べばそこから先は自分の頭で考える事なのだけど現実には教科書みたいに本を読みそこに書いている事だけが正解と思う脳みそを作る。まさに試験の為だけの能力で現実の世界では使い物にならないのだ。

 

大事なのは自分が体験した事を通じて論理を組み立てその意見を読書によって補強または訂正することである。それが本の役目だ。

 

そこを勘違いして本を読みさえすれば答えがあると思う人がいるが、本は羅針盤でしかない。

 

大事なのは自分がどっちの方向に進みたいかでありその為の羅針盤として本を買うのが本来の姿なのだ。

 

今回の日本出張でコンビニに行くと、東京では本に「剥がせるビニール」を貼って立ち読み禁止にしてた。けど九州に行くと未だ立ち読みOKで何人かが常に無料の立ち読みしてた。

 

読書は刀のようなもので使える人には思い切り有効で「ペンは剣より強し」となるが、バカが使えば単なる会話ネタかエロ話にしかならない。

 

読書とは自分の作った仮想論を再現または検証するための道具である。そう理解して読書に立ち向かわないと本に潰されるぞ。そしてそういう人間は宗教にも染まって潰される。



tom_eastwind at 13:36|PermalinkComments(0)

2017年12月01日

夏が来た

今週に入って急に暖かくなってきた。昨日も昼間は20度で太陽が落ちても19度と暖かい。これからはニュージーランドの抜けるような青さの青空が広がっていく。

 

そしていちごが美味しい季節になった。

 

自宅への帰路で路上でいちご売りのおじさんの屋台が出て来て大粒のいちご入り3パックで10ドル。これが甘い。見事に甘い。ニュージーランドのいちごは夏場に美味しくなるが12月に入ると本当に甘くてすがやかで、食べてて幸せになる。

 

ニュージーランドの国家収入の三分の一を占めるのが農業であるが、食料自給率は作物に因って異なるが大体300%である。つまりキーウィフルーツを10個作れば3個は国内消費、7個は海外に輸出して外貨を稼ぐ。

 

稼いだ外貨で日本等海外から自動車を輸入しているのがNZ経済である。自動車も自国で作れば豪州のように格好良いだろうが人口450万人の国で国産車を作ってもコストが合わない。現に豪州では自動車産業が儲からず自国製品を守るために自動車輸入には高額の関税をかけている。

 

そんな事するよりもNZとしては得意な農業で安全で美味しい食料を作り世界に輸出して外貨を稼いだほうが良い、そういう現実的な判断がある。

 

NZも1970年代にはThink Big Project(大きなことを考えようぜ計画)で戦後日本のような加工貿易を目指した時期がある。豪州から鉄を買ってNZで加工して世界に売り出そうとかである。

 

ところがそのような計画は殆ど失敗した。その理由は工場設置による公害、労働者の労働力の不一致(日本人のようにどこから折っても金太郎飴にならない労働品質)、人件費の高さにあった。

 

そして当時のNZは社会主義であったために農業がすべて国営で品質管理や品質上昇と言う発想がなく、折角良い大地があるのに良いものを作る考えがなかった。

 

そこで経済破綻した後の1984年にデイビッド・ロンギ首相率いる労働党が経済改革に乗り出した。それまでの社会主義計画経済を撤廃して完全な市場原理主義に移行したのだ。

 

社会主義経済下では国家運営であったニュージーランド航空、石油公社、農業公社、森林公社、NZテレコム等をすべてを民営化した、つまり海外企業に売却したのだ。

 

当時はロンギ首相に恨みを持つ公務員が「売国奴!」とか「首切り役人!」とか騒いだが、それまでが恵まれすぎていたと言う事を全く理解しない連中は次々と首を切られて合理化された。

 

それでも社会保障が徹底していたから首を切られた連中でも生活は出来た。彼等が中國や香港で生まれてたらどうなっていたことか。

 

この民営化が功を奏して結果が出たのは1993年以降の国家財政黒字化である。この間労働党から国民党に政権が移ったが市場化政策は変わらず更に良かったのは労働党では遠慮していた労働組合への干渉を国民党政権下で行いそれまで起業家や大企業の足を引っ張っていた労働組合を職場から排除することに成功した事である。

 

今の日本で時々テレビ宣伝で見かけるキーウィフルーツの「ZESPRI」も、元々はNZの国営公社である。他にも麻布で赤肉ステーキハウスを運営するAnzsco、フォンテラが民営化された元の農業公社である。

 

そして経済収入の舵を農業、観光、教育と切り替えてNZは経済成長を始めた。

 

観光ではワーキングホリデイ制度を導入して世界の若者を呼び寄せNZの自然の豊かさを理解してもらい今ではトレッキングの聖地として知られるようになった。

 

教育では世界から英語を学ぶ人々を呼び寄せて英語学校を作り治安の良い場所で安心して英語を学べる環境作りを行い現在の教育産業が成立した。

 

そして農業では原発のないNZで安心して食べられる農産物、子供に飲ませても安全な牛乳など畜産物を海外、特に中國等に輸出して外貨を稼ぐようになった。

 

更にここ10年では農業部門の中でワインが急成長している。NZの土地と気候がワイン作りに適している事を知った北半球のワイン醸造家がNZにやってきて畑を耕しワインを作り北半球に輸出して外貨を稼いでいるのだ。

 

最近はそれまでフランスでしか作れなかった赤ワインのピノ・ノワールも作るようになり、本家フランス、米国のナパバレーに続いてピノの生産地として世界に名を売るようになった。

 

農業で言えばちっちゃな国なので量的にはチリ等に敵わない。なので最初から少量だけど高級路線を貫いて値引きせずに良いものだけを北半球の健康を気にする人に買ってもらいたいとの方針が正解で、現在もNZの食料品は人気がある。

 

ワイン、南太平洋の魚、赤身牛肉、ラム肉、チーズ、バター、牛乳など自然の恵みで作られた食べ物は世界で売れてそれで外貨を稼ぎクルマを輸入する。

 

クルマも最近はテスラが走るようになりEV化が進むだろう。ガソリンスタンド(NZではペトロールステーションと言う)がこれから減少していき自宅でEV車に電気を供給して、停電の時にはEV車が電気を自宅に供給することになるだろう。

 

何にしてもNZの一番の利点は、北半球で失敗した事象を理解してNZでは取り入れないって部分である。

 

だからこそ田舎なのだし北半球のようなダイナミックさはない。何時も青空が広がってのんびりして時間の流れが緩やかで人々が笑顔で過ごしている。

 

どこで住むか?何が良いかは本人の選択次第だろう。

 

夏が来た。楽しい夏が来た。



tom_eastwind at 13:33|PermalinkComments(0)

2017年11月30日

倭寇

前回の日本出張で機内映画で中国映画を観た。日本の倭寇と中国南部の兵隊との戦いである。

 

God of War” 中国名は「蕩寇風雲」

 

20176月に公開されたのだが、今までの中国映画とは随分違うな。

 

松浦から送り込まれた武士と浪人の部隊が中國中部の浙江州、台州等を攻め込んでいた時代、日本の集団は倭寇と呼ばれた。

 

倭はチビを意味して寇は外敵と読まれたりする。いずれにしても倭寇と言う言葉は日本人を蔑む言葉であることに変わりはない。

 

この頃すでに中國と日本には銃が伝わっており通常の小銃、散弾銃、大筒等があったとあるので1500年代の倭寇の話だろうが、当時は純粋の日本人は倭寇部隊の3割程度、7割は日本に渡ってきた中國人や朝鮮人であったと伝えられているので、映画に出る倭寇が全員日本人ってのもちょっと時代考証がどうかとは思うが、まああくまでも映画である。面白ければ良いのだって雰囲気がよく伝わってくる。

 

それに松浦は1300年代の倭寇であり1500年代に倭寇やってたかな、まあいいや、一緒にしちまえって言う、何時もの中國の「没問題!」なのだろう。小説として描くなら前期と後期の倭寇を一緒にした方が話が早い、時代考証より面白さである。

 

また映画では日本刀鍛造の素晴らしさもきちんと表現しており中国側の主人公が「どうやったらここまで切れる刀が出来るのだ?」と賞賛研究される場面もある。日本刀の扱い、これも公平である。

 

ちなみに古美術商が扱う主な刀は古くからの技術で作られる日本刀であり明治以降の軍隊で腰に据えた軍刀ではない。作り方が全く違うので切れ味も全く異なるのだ。

 

この映画で古来の日本刀を使う武士として倉田保昭と小出恵介が出演している。

また日本は中國の漢字文化で成長したので武士など漢字を学ぶ階級の人々においては当時の中国人との会話がそれなりに可能であったから「今日の勇者は明日の勇者ではなく水に形無く変化するものが唯一生き残り戦いに勝つ」 等と中國のことわざを倉田保昭演じる日本の武士が語るのが両国の近さを感じさせる。

 

台州の戦いでは2万人の倭寇に対して3000人の兵で中國を守ろうとする戚継光将軍とその優秀で勇気のある部下たちが活躍する。

 

日本軍の陽動作戦に台州の部隊は逃げようとするが戚夫人は自ら鎧を身に着けて城を守ろうとする、たった数百の兵で。

 

日本の浪人たちが鎧を付けてるけどその下には流しの浴衣のようなものを着ている。

 

平野での戦いでは明軍が両翼展開等孫氏の時代からの戦い方を踏襲している。

盾の使い方がギリシアの亀甲陣とよく似てて、お、コピーしたなって思いつつも、これは中國がギリシアに教えたのかもとかも思ったりして楽しむ。

 

ここ10年の中國の映画は日本を冷酷無残な人殺し集団で中國の英雄が武術で空を飛び宙を舞い日本軍を奇跡的にやっつけるって荒唐無稽な話で、観ている中国人でさえ呆れる程だった。

 

江沢民以来の国策で日本を仮想敵国として来たが、現在の習近平は日本を敵視するのではなく内側に取り込もうとしている。そこでこのような映画が出来て日本と中國の兵隊がお互いに勇敢に平等の立場で戦うと言う場面が次々と出てくる。

 

当時の中國で本当に明朝の兵隊をここまで強く描くのはかなり事実誤認であるとは思うが勿論中国映画なので最後は中国軍が勝ち自分の城を守る。倭寇は日本に追い返される。

 

折角明朝の倭寇をやるのなら次は元寇でもやらないかな。あ、けどあれは完璧に歴史的に中國が負けたのでネタとしては使いづらいかも。

 

倭寇の最後の場面では実に奇抜な武器で戦いを挑むのだがネタバレになるのでこれは割愛。

 

オークランドから香港に行く一本目の映画としては実に楽しめました。中國が変わり始めた一幕ならうれしいな、頑張れ習近平、そうも思った。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)

2017年11月29日

街の噂

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中国で軍の前政治工作トップが自殺=汚職で調査中

 

【北京時事】中国国営新華社通信は28日、軍最高指導機関である共産党中央軍事委員会メンバーだった張陽・前政治工作部主任(66)が23日に自宅で首をつり、自殺したと伝えた。張前主任は8月下旬から、汚職で失脚した郭伯雄、徐才厚の両元中央軍事委副主席の不正問題に関連して調査を受け、収賄などの容疑が掛けられていた。

前天津市長に懲役12年=収賄6億8000万円−中国

 張前主任は最高位の上将で、軍内部で党の活動や政治教育を担当する部門の最高責任者だった。10月に決まった2期目の習近平指導部の人事で党の中央軍事委から外れたが、国家中央軍事委には形式的に残っていた。習指導部が進める反腐敗闘争で、郭、徐両元副主席をはじめとする軍の大物が摘発されてきたが、現職の軍高官が自殺するのは異例の事態だ。
 中国国防省は張前主任の自殺について、「自殺で罪を逃れるのは卑劣」と題する論評をウェブサイトに掲載。「張陽は罪を恐れて自殺した。恥ずべき方法で自らの一生を終えた」と非難した。
 張前主任は、胡錦濤前指導部で実質的に軍を支配していた郭、徐両元副主席と密接な関係だったとされる。両元副主席と近かった房峰輝・前統合参謀部参謀長も張前主任と同様に8月下旬から当局の調査を受けているもようだ。(2017/11/28-15:53

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112800628&g=int

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何でこの記事を掲載したかと言えば、たまたま地元の会計士と話をする機会があり彼がアジア系なもんだからオークランドのアジア人ビジネスに詳しい。

 

去年地元で評判になったのが、中國で40億円ほどの賄賂を集めてNZに移住してNZ市民権を取得している中国人ビジネスマンの話である。

 

このビジネスマンは去年の習近平の狐狩りに狙われてNZの税務当局が彼の財産をすべて把握した上で没収。その後本人は弁護士を連れて北京に出頭。半拘束状態で約3ヶ月の調査を受けて最終的に弁護士を入れて中国政府と落とし所を作った。

 

まずこの中国人ビジネスマンを公開裁判にかけて汚職有罪判決を出す。これで国民は喜ぶ、通常中國で有罪判決が出れば確実に牢獄入りだからだ。

 

ところが有罪判決が出た後、彼は弁護士と共にニュージーランド行きの飛行機に乗りNZに帰国して自由の身となった。

 

その代わり彼の持つ資産40億円のうち半分は中国政府が、半分はNZ税務署が没収したと言う話である。彼の生活資金がどれだけ残されたかは知らないが中國で牢獄に入ることを考えればニュージーランドの空の下で手足を伸ばして生活するほうがましであろう。

 

実はこの会計士、中国人ビジネスマンと何度か話をする機会があったようでその時の様子を語ってくれたのである。見掛けも話もきちんとした人物でありながら、NZでやってるビジネスはでかくその話は常に大きい。

 

NZの各都市を回りつつ「お、ここはゴルフ場がいいな」とか「ここで牧場買って牛乳を中國に売るぞ」とかである。その時の様子も聴かせてもらったが、とても興味深い話であった。

 

多分その雰囲気のまま中國で賄賂集めてたんだろうな、貧乏な田舎農民の土地を巻き上げて工業団地にして外国企業に売ってたんだろうな、なんて想像してしまう。

 

冒頭の共産党中央軍事委員会のメンバーが66歳で首をくくって死ぬような事になったのも賄賂である。

 

現在習近平は二期目に入って意気軒昂である。自分の足場を固めるには12億人の国民を味方に付けておくのが良い。その為には中国国内では「ハエも虎も叩く」し、海外では「狐狩り」で外国に逃げた連中を捕まえる政策で国民を喜ばせている。もちろん有罪判決後に取引して逃したことは発表しない。

 

街の噂、知っておくのも大事な事である。



tom_eastwind at 18:46|PermalinkComments(0)

2017年11月28日

M&Aと海外相続

今日の午前中はM&A案件で外部取引先各社合計6名で当社オフィスでシンジケート会議である。午後は顧客との海外相続個人面談が入っているがその間にも社内でやるべき事があり今日は昼飯抜き。

 

今回のシンジケート会議は第一回目でお互いの立ち位置を確認してそれぞれが自分の方向性の理解を説明してそれを聴いて全員が方向性の調整をする。

 

初めての会議の時に利害関係の調整が大事である。誰がどの仕事を担当して責任を取るのか?その責任に対する報酬は誰がいくら取るのか?これを最初にしっかり決めておかないと後になって「この仕事はお前だろ」とか「これは俺の取り分だ」と言う話になる。

 

何せ参加メンバーの半分以上はキーウィ又は西洋思考だから彼等の論理思考で仕事の進め方を組み立てていく。こういう初回の会議では発言を少し控えて彼等の論理を聴き発想の仕方を理解しておくことにする。次の会議の為の学びの時間である。

 

ただ今回参加のメンバーは非常にレベルが高く現在の案件に対する理解度も深く議論も円滑に進み1時間程度でぎゅっと凝縮した会議は終わり次の段階に移ることで全員了承。

 

その後オフィスに戻り頭を整理して誰がどんな発言をしたからこうだなって相関図を書きつつ議事録の作成にかかる。

 

その後別の緊急な用件で近くの銀行に行き手続きをする。ところが手続きに30分以上かかりその次の銀行で次の手続きをしていたらもう次の面談の時間になり、オフィスに戻ってメールチェックしてすぐに次の面談に入る。全く次々次々と忙しい。

 

海外相続にはいくつもの方法があるが、肝要なのはどのような手法を取ろうと5年単位で仕組みを組み替える必要があるということだ。

 

例えばマンション相続が日本で流行っているがこれも税務当局がすでに規制にかかっている。民間が思いついた仕組みでもいずれ政府は対応する。この期間が大体5年だ。なので下に対策あれば上に政策ありで5年で仕組みの効果がなくなる。

 

当局の考えは日本国民の所得は平等であるべきだ、だから高額所得者は所得税を高くして税金を取り政府がそのカネを再配分する仕組みだと言う考え方だ。もちろん再配分はお上のお手盛りである事実は決して表沙汰にはならない。

 

そして相続税とは、一人の日本国民が生涯にわたって得た収益に納税漏れがないか、申告漏れがないか、等を調査して死んだ国民の財産を出来るだけたくさん国庫に入れることである。なので税務調査が入れば4人に1人は追徴課税される。

 

もちろんここでも再配分がどこまで国民全体に平等かつ公平に行われているかは国民には知らされない。官僚が離れのすき焼き体質であるのは何時の時代も変わらない。

 

じゃあどうすりゃいいんだ?

 

一つの究極の答は「生きてる内に全部使い切ってしまえ」である。

もう一つの究極の答が「日本国籍を離脱せよ」である。

 

どちらも極端なのだけど相続とは当局とのいたちごっこである。当局とどんなに強い絆を持って政治家に個人事務所を提供したりしてても、捕まる時は捕まる。印鑑の名義貸しはいくら税務署長に教えてもらったからと言って何時迄も通用するものではない。

 

だから全額使い切るか国籍離脱が究極の答になるのだ。

 

しかしニュージーランドに移住しても今度はNZの法律がある。NZに贈与税も相続税もないのは事実だが、NZでは結婚した夫婦または事実婚パートナーが別れたらその時点で二人の財産は合算されて半分こされてしまうという事だ。

 

つまり旦那が100万ドルあり奥さんが10万ドルあり二人の共同口座で住宅を100万ドルで買ってその後離婚した場合、住宅を売って得た現金と10万ドルの現金を合わせた110万ドルを二人で55万ドルづつ分けるようになる。

 

つまり旦那が独身時代に一生懸命働いて作ったお金や旦那が両親から受け取った資産(自宅や現金)を、離婚と言うだけで“がさ!”っと持っていかれるのだ。

 

これは痛い。なのでNZでは家族信託制度と言う仕組みがありたとえ子供が結婚しても資産は家族信託の中に入れておいて、離婚によって直系親族の資産が奪われないようにする仕組みを作っておく。

 

もちろんこれは法的仕組みを理解した上で誰が設立者となり誰が資産管理をする受託人となり誰を受益者にするかを明確にする必要がある。受益者は何時でも変更可能である。日本の遺言状のようなものだ。

 

下手な結婚をすれば折角真っ赤に焼けてフライパンから飛び出したのにぐつぐつ煮立つ深鍋に飛び込んだ大豆のようなものである。

 

どこの国にも法律はある。NZに来ただけで幸せになるってわけではない。それは相続だけではなく日常生活で英語を使う、移民として働く、そんな環境で毎日を楽しく生きようと思えばやはり自立した発想で自分の人生を自分だけの力で切り開いていく必要がある。

 

新天地は無限の可能性もあるけど無限の危険もあるのだ。かと言って何が危険で何が可能性なのか、自分に試金石がない状態で渡航するのは北朝鮮から小舟で日本海に繰り出しイカ釣りをするようなものだ。



tom_eastwind at 22:24|PermalinkComments(0)

2017年11月27日

黄砂の籠城

シドニー出張の機内用読本として持ち込み週末に読了。1900年に起きた義和団事件を舞台にした小説で上下2巻ある。作者はベストセラー作家の松岡圭佑。

 

中國の北京を舞台として日本など11カ国の公館が集まる東交民巷と言う一つの街区を各国の軍隊約400名で封鎖籠城して約2ヶ月、義和団及び清朝正規軍を相手に籠城戦を戦う物語である。

 

映画では「北京の55日」でチャールトン・ヘストンが主演したが実際は日本の駐在武官である柴五郎が総指揮を取り各国の兵隊をよく取りまとめて戦い抜いた。

 

黄砂の籠城自体は小説であるが史実に基づいている。但し細かい部分はもちろんフィクション、作者によって作られた推測による筋書きだったり歴史の視点から観れば「そこ、違うっしょ」と言うのもあるが、全体的にはよく出来た作品である。

 

英米主導の中國侵略の様子や義和団が結成された背景もそれなりに史実に基いておりお互いの言い分もそれなりに書き込まれている。

 

確かにドイツ公使や日本人が殺されたりしたが中國にだって言い分はある。元々外国、特に英国がアヘン戦争で中國を侵略して土地を割譲させた挙句中国国内にキリスト教を布教する目的で教会を作ったが実態として教会はその地域で権力を握り漢人クリスチャンを優遇してそれ以外の漢人を差別したり、時には土地を奪ったりしていた。

 

義和団は元々梅花拳と言う武術集団が平民の苦しみの声を聴き西洋人に対抗する組織として始まった。

 

この組織を清朝は当初取締の対象としていたが次第に西太后が西洋に対抗する組織として利用するようになり政府黙認の下で義和団が北京に進出して西洋人に対して暴力を振るうようになりそれが急激に組織を拡大して約20万人となった義和団が11カ国が集まり東交民巷を包囲したのである。

 

柴五郎中佐は元々中國通で11カ国公使武官会議の際も的確な意見をフランス語等を使いこなして説明した。

 

言語能力や戦闘能力の高さだけでなくバラバラの各国の利害関係を上手く取りまとめ一つの軍隊にしたのだ。

 

北京に籠城した連合軍は少ない兵で雲霞の如く攻めてくる義和団を跳ね返したが清朝正規軍は銃と馬を持ちこれにはてこづった。

 

柴五郎中佐の適切な助言で各国は兵隊を融通しあい四方の壁を守ったが爆薬などで防壁を破られ次第に籠城場所が小さくなっていく。

 

もう後がない、そういうギリギリの時に天津から救出部隊2万人がやって来て北京の連合軍は籠城から解放される。

 

各国間の駆け引き、スパイの疑い、激しい戦闘場面、その後も楽しい話があったりとか盛りだくさんだけど、何より良いのは立ち止まらずに読めると言う事だ。いちいちページを戻らなくても筋書きがすっと頭に入るので、これは良い。

 

おかげで週末出張はシドニーなのに、何だか北京にいるような気持ちになり義和団事件の読み込みにも役立ち飛行機に乗っているのが楽しかった。

 

日本の学校の教科書では義和団事件はあまり大きな扱いではないが、この戦いで日英同盟が築かれたと言う史実がある限り、一度は読んでおく小説である。



tom_eastwind at 00:09|PermalinkComments(0)

2017年11月26日

希望するから絶望する。

「心が折れる」と言う言葉を聴く。特に21世紀に入ってから精神的に不安定になりやる気が出てこなくなったりとかで心身症の1つとして「心が折れる」と言う表現を使うようになった。

 

戦後の経済成長期には殆ど使われなかった言葉であるから21世紀になって流行り始めた病気なのか認知され始めた病気なのだろう。20世紀後半なら「自己責任でしょ」で終わってたのが、21世紀の現在ではそうはいかない。

 

病気ってのは時代によって変化するわけで昔は病気じゃなかったものが今では病気になったりする。それだけ日本人の体質が食べ物、空気、水で物理的な影響を受けて社会に対する心の持ち方=気が変化していく中でまさに「病は気から」で病気として認知されるようになったのだろう。

 

ただ古来から自殺する人はいるわけだし「どう観てもこいつおかしいな」なんて作家はカフカ、太宰治など歴史上たくさんいる。

 

カフカが観たものは何だったのだろう?永遠の絶望か?しかし同じ時代に幸せに生きた東欧の人たちもいると思えばやはりこれはカフカ個人の問題であろうし、それは太宰治の時代も同様だ。

 

古代の中國でもそれは同様だったようで、だからこそ中國の哲学に「平常心」と言うのがある。大笑いするな、大泣きするな、何があってもいつも心を平常に保ち、感情に流されるな。

 

平常心でいることで心の気持ちは激動することがなくそれが身体への好影響をもたらす。

 

自分が望むことへまっしぐらに突き進むことは大事だけど、だからといってそこにあまりの情熱をかけ過ぎるとそれが砕けた時に心までポキンと折れてしまう。

 

情熱のかけ過ぎとはある意味無思考である。そこには理性が伴ってない。人生にとって何が一番馬鹿らしいか。それは人によって違うだろう。けど普遍的に言えるのは情熱の炎で眼が見えなくなって自分を滅ぼしたり他人を傷つけたりすることが一番馬鹿らしいだろう。

 

希望は心の光である。失うな。けれど、それと「これしかない!」と思い込む黒い情熱を混同するな。あくまでも冷静に希望を持ちその為に一歩一歩前に進む。けどその希望が消えた時でも決して感情的にならず次の希望を考える。

 

世の中最善ばかりじゃないけど必ず次善がある。失望とは希望を失うことである。絶望とは希望が絶たれる事である。だから常に今の希望だけじゃなくて、人生他にも良いことは一杯あるさ、そう心の選択肢を持っておくことだ。

 

そうするとこで心に余裕が出て来て世の中に起こった嫌なことでも「ま、いいか、次、いこ」で心の切り替えが出来る。

 

悩むことは大切だ。けれどその悩みは成長するための手段であって悩みと言う手段の為に自分が潰れては意味がない。

 

丹田に息を込め心を落ち着け平常心で人生を一生懸命生きる。それが人生を満足できる生き方である。



tom_eastwind at 07:46|PermalinkComments(0)

2017年11月25日

シドニー