移住相談

2013年02月24日

クイーンズタウンから戻る。

そういえば木曜日から金曜日と一泊二日でクイーンズタウン出張に出てた事を土曜日にすっかり忘れており全然関係ないブログを書いていた。1月末に起業家ビザが取得出来たお客様(長かったー、一年近くかかったかな)の現地でのビジネスモデルの最終確認とその他今後クイーンズタウンでビザ申請をする可能性や環境を市場調査。

 

短時間であったが街を回ると益々景気が良くなっている。この街は観光で成り立っておりホテル、レストラン、オプショナルツアーなどがどんどん発展している。この街の人口は約15千人、そのうち5千人程度は一年以内にこの街を離れていく世界から来るワーキングホリデーである。

 

最近はクイーンズタウンにQRCというホスピタリティ学校が出来てここで1年程度寮に住んでホテルやレストランやマネージメントを学び次の一年はあちこちのホテルやレストランで研修を受けて卒業、即効戦力として観光業を盛んにさせる効果がある。学費も高いのだがこのコースを終了すればほぼ確実に就職が出来るとあってアジア人の若者が多い。

 

移住というとどうしてもオークランドのイメージが強いが業種によってはクイーンズタウンも「有り」だ。このコースはマネージメントも現場も両方を教えてくれるので将来的にも自分の従うチームのボスが例えばバリ島で採用されることになれば部下を引っ張っていくのはよくあることだ。

 

外資系のホテルの場合はマネージャーが中心となり気心の知れたメンバーが傭兵団のように世界中を動きまわる。日本では「その」ホテルに就職するのであり一生同じホテルってイメージが強いが彼ら傭兵団はその実力で世界を回る。

 

今のクイーンズタウンは勿論観光シーズンのど真ん中であり中国の春節も重なっているので街は中国人が多い。ぼくが超個人的に二十数年の付き合いがある広東省出身の友人が経営する高級中国レストランはクイーンズタウンでは人気だが、この店の水槽に入れてある生きたクレイフィッシュ(一匹150ドル)や生きたアワビ(一個150ドル)が毎晩飛ぶように売れているとの事だった。

 

にやっとしてた(笑)、普段他人の前では見せないような笑顔だ。中国人は中国人を好きではないのが一般的だが中国という大地は大好きである。その土地が次第に世界から認知されるようになっている。

 

文化大革命の頃に子供時代を迎え持ち前の頭脳一つで大学を出て海外に飛び出してここまでやってきたが、自分の生まれ故郷には今でも思い入れがあるようだ。

 

共産党支配下の広州に生まれ大学を出てから若くしてクイーンズタウンに移住して英語を学びながら、それから5年程度で日本に移住して日本語を学び、それから7年くらいかな、またクイーンズタウンに戻ってきてその頃は四カ国を自由に使いこなし今はレストランを経営するそいつ。世の中にはすごい奴がいるものだ。

 

確かに大きな水槽を見ると生きの良いたぶん今日入荷したようなクレイフィッシュやアワビが見える。売れているんだろうね。

 

中国からの観光客が大幅に増えどこのホテルも中国人スタッフを採用して中国人向けの部屋を用意している。中国人のツアー団体は価格が安いのだが確実に部屋を埋めてくれる。日本の場合は年間を通して部屋を押さえて値段も叩くが結局催行率は30%程度と客は来ない。

 

それに比べて中国の場合は客が集まってからホテルと交渉するので100%確実に来る。来るか来ないか分からない日本人ツアーに部屋を用意してキャンセル出されるよりは中国人の方がマシだという理屈になる。

 

そして中国人ツアーの場合は着ている服は最悪のセンスだが財布の中身は分厚い。最近は聯銀カードがあるので買い物も不自由しない。彼らはツアーから離れるとツアーガイドからぼったくられる危険性がなくなり突然金回りが良くなり伊勢海老やアワビをバンバン食うのだ。

 

中国人の場合は初日の晩に食った中華は団体メニューなので安いが、これが美味しければ翌日は団体の多くが友達同士で食べに来る。これがお金をどんどん落としていくのだからお土産屋もレストランも中国シフトしていくのは当然だろう。

 

日本人は対前年で20%くらい伸びたとのことでこれはうれしいが相対的に言えば中国人の落とすお金の方が圧倒的に多いのは人々の顔を見ていてわかる。

 

しかしこの街の中心となる客層はお金持ちの米国人と欧州人である。彼らの落とす金は半端ではない。

 

欧州人はソフィテルなどの一泊4万円のホテルに大家族で泊まり毎日のんびりと日光浴を楽しみカフェで過ごし夜は少しお洒落(日本では一般的に正装という)して地元の小洒落たレストランで一人2万円くらいの食事を楽しむ。

 

米国人の場合はオークランドに来る時は豪華客船であるがクイーンズタウンに来る場合は自家用ジェットを使うこともある。気心の知れた仲間とまっすぐクイーンズタウン空港に飛んで来て「これさ、格納庫に入れておいてね、何?このジェットが入る格納庫がない?だったらオレが米国に戻るまでに一個作っておいてね」って勢いだ(苦笑)。

 

いずれにしてもこの街、伸びてます。

 

僕が今ニュージーランで描いているイメージは、クイーンズタウンにおいては日本の様々なホスピタリティ業種のプロ職人を送り込み異色の技能者集団として一つのステイタスを作り、その流れの中でQRCのような西洋的なプロとは一味違った現場でお客様を楽しませる事が出来ないかって事だ。

 

日本人が持つホスピタリティ能力の高さを一番知らないのが日本人である。ぼくはクイーンズタウンに最初に降り立ったのは1970年代の終わりである。移住したの画1980年代終わり、その頃は何も望むべくことはなかったが人々の優しさだけは北半球では有り得ないものだった。

 

大事なのはこの優しさをプロのホスピタリティに高めることだと思ったものだ。ただその当時ぼくはそういう立場にいなかった。けれど今は移住という切り口から日本の優秀な人材を送り込むという発想が出来る。

 

そうだ!今思いついた、優秀でありながら移住資金のない日本の若者に学費貸付をして2年後に卒業してから給料から貸付を返済してもらうエンジェル投資家スキームとか出来ないだろうか?日曜の昼過ぎの、セミがみんみんなくオークランドの自宅で雲ひとつない真っ青な空とランギトト島を遠くに見ながら思いついた。これ、投資家ビザと絡めて企画になるのではないか???

 

さてっと、明日から月曜日だ。この一週間が終われば次の週はまた日本。今回は大阪から入り東京に出てかなり凝縮した10日間になる予定。

 

最近よく「うちの地方では移住投資起業説明会しないのか?」と問い合わせを頂くが、8年ほど前は開催していた。ただその当時は東京以外は殆ど集まらず費用対効果が合わず結局東京説明会だけに限定していた。

 

最近では各地に会員様が広がっており個人面談の形で南は沖縄から北は東京まで受け付けている。毎月の出張で東京説明会の予定を立てて(土曜日の午後)、その前後に予定を入れている。もし皆様がひとつの組織で、その集まりで話を聞きたいというご意向であれば(説明会は2時間、費用はお一人12千円)ご進講に上がることも可能なのでいつでも声をかけてください。



tom_eastwind at 15:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年04月21日

タクシー

鈴木雅之と聖美のタクシーって、いつ聴いてもいい歌だよね。「タクシーに手を上げて ジョニーの店までと 」最近のカバーCDブームで古い名曲が聴けるようになってありがたい。それがまた、カバーが上手い。さすが日本。ばかアメリカのように目先の売上だけで何もかんもラップするような低レベルではなく、しっかり歌い手と原曲のバランスを考えている。

 

鈴木雅之のカバーも聴き応えがある。しかしまあ流通方法は本当に変化したよね。昔はお店でLP買って聴いてたのがカセットテープ主流になり次にはCD,そして現在はインターネットのダウンロード。音楽業界もふんぞり返って著作権だけで飯を食ってるようじゃ時代遅れだ。

 

ほんとはダウンロードで買いたいのだがItuneでは基本的に英語の歌しか買えない。日本語の歌は殆ど売っていない。でもって日本版サイトに行くと今度は海外発行のクレジットカードが使えない。まさに「つっかえねーな」である。

 

なので仕方ないから今はとりあえず東京のAmazonで購入して東京のホテルに送ってもらい出張の度に受け取るようにしている。国境がないはずのAmazonでさえ本は輸出出来てもCDDVDは海外に送れないのだ。音楽業界も早いとこ国境取り除いて日本の歌を英語版にして世界に売り出すくらいの覇気を見せてもらいたいものだ。

 

でもって今日の本題。

 

説明会でよく使うネタの一つに「タクシー」がある。ニュージーランドでは一般的に乗客はタクシーの助手席に座る。日本で横に座ったら変態と思われる。中国で横に座ったら強盗だと思われて運転手が逃げる。けれどニュージーランドでは乗客は助手席に座る。

 

ニュージーランドで生活をする時にいくつか理解しておくべき点があるが、タクシーの助手席乗りもそのひとつだ。10年以上もニュージーランドに住んでる日本人に「なぜキーウィは助手席に乗るのか?」と聞いてもほとんどの人は明快な答えが出てこない。何故なら自分の周囲で起こっている事に関心がないからだ。

 

本題のタクシーの助手席乗りだが、これをキーウィに質問しても彼らも答えられない。日本人が自宅で靴を脱いだり畳で正座したり、頂きますとご馳走様をうまく英語で説明出来ないようなものだ。

 

けれどその動作の語源?にはきちんと意味がある。場所を置き換えてみよう。あなたが友達の車に乗るときに後部座席に座るか?座らないよね?普通は横に座っておしゃべりするよね。

 

キーウィの助手席座りも実はこれと同じで、タクシーの運転手も乗客も社会を構成する一員でありその意味で仲間であり見知らぬ友達だ、だから当然のように横に座るのである。金を払うから神様とか金をもらうから奴隷とかそんな発想は全くない。

 

互いに人間なのだ、お互いに社会にとって必要なことをしているのだ、例えば彼はタクシーの運転手をすることで僕を空港まで送ってくれるし僕は飛行機に乗って中東にガソリン(LPG?)の買い付けに行く、それでお互いの商売が成立しているって考え方だ。

 

非常に簡単な話で職業に貴賎なし人間に上下なし、あるのは仕事処理能力の上下だけなのだ。テレコムの社長がタクシーに乗っても助手席に座って普通に運転手とおしゃべりをする「おい、テレコムの使い勝手どうだい?」とか。

 

給料が高ければ偉いのか?金を払えば偉いのか?そんな事ないでしょ、誰もが社会の中で必要な位置で必要な仕事をしている。むしろ高い給料を得てリーマン・ショックを引き起こした挙句に退職金をがっぽり貰った連中のほうがよほど社会の害悪である。

 

これは僕の持論だが、人間はその気になればなんでも出来るけどやっちゃいけない事がある。それは反社会的行為だ。社会に参加する以上その社会に害悪を与えるような仕事はやるべきではない。

 

その代わり社会を成長させる仕事であれば現場が無理と言おうが世間の実態がどうだろうが他人がどうだろうがガンガンやればいいと思う。ちなみに僕の反社会的行為には今世間で言われている「反社」は含まれていない。権力を持った暴力が正当で権力を持たない暴力が不当だなんて、臍が茶を沸かすぞ。反社と呼ばれる人たちを使って一番金儲けしているのは世間の特権階級なくせにさ。

 

まあいい、それは置いておいて、ニュージーランドは原始的社会主義が今でも残っている。皆は社会に参加して社会のために働きそれで正当な報酬を得て生活をする。仕事が出来ない状況だったり病気だったりする人は報酬が得られないので社会全体で守る、それがセーフティネットだ。

 

例えば江戸時代のクジラ漁をしている漁村を考えてみよう。鯨を見張るのは遠くまで見える子供たちの仕事だ。鯨が来れば元気の良い若者が船に乗って鯨を獲る。鯨を浜まで運んでくれば次は老人たちの仕事だ。鯨を解体して全員に配りおばあちゃんたちは様々に料理をする。

 

それでも全員の取り分は平等でありお互いに与えられた仕事をしている。子供はいつか若者になり若者はいつか老人になる。中には近視の子供もいるだろう。前回の漁で怪我をして今回ので漁に出られない若者もいるだろう。足腰が動かなくなった老人もいるだろう。そのような人たちは村で助けて守り彼らの出来ることを与える。そして寿命の来るまで面倒を見る。

 

寿命が姥捨て山なのか畳の上なのかはそのムラの習慣であろうが、いずれにしても村という共同体はお互いを助けあいながら出来るだけ落ちこぼれがないようにして社会を守る。でなければ弱いものから順々に死んでいって最後は若者が老人になって漁に出られなくなり村は滅びる。

 

ニュージーランドの失業保険は半年とか1年とかの区切りがなく、誰でも65歳まで支給される。65歳からは老齢年金が支給される、生まれて一度も年金を払わなくても失業保険を払わなくても、である。

 

考えてみれば当然である。もし人間に上下があって金がある奴だけが偉くてそうでない人々は能力がないのだからセーフティネットなんて必要ない、死ねと言うのならいつか人類は全部滅びるぞ。

 

人類は一人では弱い。生まれたばかりの子供は歩くまでに半年以上かかるが羊の子供は生まれて数時間で歩くようになる。人間を山の中に一人で放り出せば餌も見つけられずに飢え死にするか肉食動物に食われて終わりだ。

 

人間が何故これほど地球上で繁栄出来たか?その理由の一つ都市化して生きることが出来たからだ。固まってもその中には落ちこぼれもいるだろう。しかしそのような人間でも守っていく、その保証が社会に参加する人々に安心感を与え女性は子供を生むことが出来るのだ。

 

そのような発想からいけばタクシーの運転手もジョン・キー首相も同じ社会の構成人であり仲間なのだ、仲間だから隣に座って話をする、当然の事なのだ。

 

無論そのようなことを今更日本でやれと言うわけではないし僕も習慣としてタクシーは後ろに乗る。今更高邁な理屈を鼻の先に付けて助手席に乗るのは社民党みたいで自分に嘘を付いているだけなのでやらないが、少なくとも何故キーウィが助手席に座るのか、その理由が分かればそれだけこの国に対する理解力が高まりニュージーランド生活の許容力が身に付くと思う。

 



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2011年06月17日

人種のるつぼになりかけのオークランドについて

(現地生活記録なのでショートランドストリートなどに興味がない方は飛ばしてください。)

 

そろそろ季節の変わり目だ。毎年5月になると天気予報は「今朝は空が真っ黒になるほどの大雨、その後太陽が出てから強烈な晴天、その後強い風が吹いてから強烈なスコールが降りそのすぐ後には晴天となるでしょう。夕方から夜にかけて強い風が吹いて雨が降ります。気温は17度前後でしょう」

 

そして6月になると本格的な冬の気候になり安定した冷たい空気が南から入ってきて気温が15度前後になる。とは言っても朝方は霧が発生することも多く10度前後、太陽が昇ってから17度くらい、夜になると9度くらいに下がる感覚だから肌が刺激されて気持ち良い。

 

オークランドの季節は二季と言われる。夏と冬の繰り返しって意味だ。その代わり一日で寒暖の差が激しく今日も一日で四季があるオークランド、傘なんて要らない、てかこんな天気で傘さしても吹っ飛ばされるだけだし雨が降れば雨宿りすればいいだけだ。仕事はこの雨降り、少々遅刻してても誰も気にしない。

 

冗談抜きにビジネスの面談予定でも、雨が夕方に降ると「あ、ごめん、今日は雨きついしこのまま帰るわ、じゃあまた明日にでも!」なんてのが平気で言えることもあるくらいだ。

 

5月から6月にオークランドのダムはたっぷりと雨を溜めて上水道に提供したり水力発電に回されることになるので「今年も安い電気代で生活出来るし水なんてただみたいなものだからほんと、いい街で生活出来てるね、らっきー!となる。

 

ところが同じことを違う書き方をすると「今朝はどしゃぶりの大雨でうざし、ちらっと見えた太陽もすぐ雨雲にかき消されてさ、とんでもない大風が吹いてまたも土砂降りで気分は暗くて、日が沈むころからまた土砂降り、料理作っててもいつ停電するか分からない、まったくうんざりするような季節だな、これが9月後半まで続くとなるのだから全くもうやってられないよ、文句たらたら」となる。

 

どっちも同じ自然現象を見ているのだが、見る角度が違う。人生をどの角度から見るか。自分を幸せにしたいのか?だったら自分を幸せにするように考えてみればよい。何かあればすぐに暗い面だけに目を向けて悲観的になり明日はもっと暗くなるだろうと落ち込み、けれどそれに対する準備をしようとは考えもしない。

 

毎日だらだらと生きながら文句ばかり言って自分では何も変えようとしないのなら、そんな人が幸せになれるわけがない。

 

「ショートランドストリート」と言う超退屈で超長長寿番組がある。最初から最後まで何を言ってるのか何を言いたいのか全く意味不明で、あんなのをまともに見てたら退屈病で死んでしまうのではないかと思うのだが、どうやらイギリス気質のキーウィにはこれが大人気のようである。

 

底抜けに明るいキーウィでもこんな番組を見るのかと思えば、やっぱりファンの多くはキーウィを含む英国白人移民であり彼ら英国からの移民は元々が英国の一年中憂鬱な曇り空と雨雲とうす寒い天気と北海の黒い海を見て育って、おまけに食い物と言えば芋とくそまずいふにゃくれたローストビーフ(それでもあればまし、通常は豚肉のみ)と言う生活を何百年も送ってきたから、こんな薄暗い退屈な番組でも楽しめるのだろう、てかこの番組には彼らの薄暗い心情を駆り立てる何かがあるのだろう、まさに国民性と言うべきか。

 

薄暗い天気に嫌気がさしてニュージーランドに移住する英国人は毎年約2万5千人。彼らは心の中では「おれっち宗主国出身だもんね」というのがあるが地元キーウィの前では絶対に言わない。けどぼくら移民同士でおしゃべりをする時は結構気楽に「バカキーウィがさー、約束も時間も守らない、それでいてけろっとしてる、全くだっさいんだよね〜」と平気で言ってる。

 

そんな連中でも夜になるとソファに横になりながら枕を抱えてダークビールを飲みながら「ショートランドストリート」を見て「おお、すばらっしい」とか涙流したりはらはらしながらなんだから、何てか笑える。

 

ある意味英国人は先の先まで見通す訓練を1700年代のパックスブリタニカ時代から続けて来たから人の人生は浮き沈みを知っており、現実の重みを背負って生きているからキーウィの底抜けのバカ陽気さにはさすがについていけず夜は「ショートランドストリート」を見ながら故郷を思い出しているのかもしれない。やっぱり根暗か(笑)と思ったりする。

 

ニュージーランドの人口における白人率は75%。これが十数年のうちに65%にまで落ちてアジア人が増えるだろうというのがニュージーランド政府の見通しである。そしてこれをどう捉えるか、つまりガイジンに対する恐怖とみるか、人口が増えてビジネスチャンスが増えるとみるのかで全く答えは変わる。

 

国民戦線と言うバカ右翼がアジア人台頭にびびっているが政府は慎重に受け入れ増加をしようとしている(もちろん、できれば中国人少な目・笑)。国家の将来を理性で考えれば世界の国際化は避けられず、世界と強調しながら平和と繁栄を呼び込むには今の時代はアジア人と組むのが正解、そう理解しているのが現在の政府である。

 

移民法が今年の7月でまたも大きく変更される。細かい変更を入れれば3か月に1度は変更されている移民法だが今回は投資家枠の部分に大きく変更が加えられている。ただ当然の事ながら6月末までに申請すれば6月までの法律、7月に申請すれば新しい法律の適用となるので日本のように遡って法律無視!なんてのはないのでそれは大丈夫だ。

 

理性と知識でアジア人と手を組んで21世紀を生き残っていこうとするキーウィ、けどその中にある心情ではやっぱりダークビールを飲みながら「ショートランドストリート」を見てどきどきして、最近は番組内にアジア人俳優とかも出てきて、おおお、どうしよ〜なんて悩み考えしているんだろうな。

 

彼らの心情に対してぼくらアジア人が取るべき態度は礼節と笑顔であろう。この二つがあれば彼らとも楽しくやっていける。最近やってくる大陸中国人を見ていると礼節の言葉が生まれた国から来たのか?と思わせるほど態度が悪い。インド人は自分のことを1.5級市民とでも思っているのかアジア人に対して横柄な口のきき方をする。これじゃ仏教がインド人に呆れてお釈迦様と一緒にアジアに移住したのがよく分かる。

 

そう考えると、日本人は自分自身気づいていないだろうが実は世界で一番まともで礼節を心得た人種である。仏教精神が一番根付いている先進国は実は日本ではないかと本気で思う。

 

朝8時30分、みゆきを学校に送ってちょっと時間があるので会社の一階のスターバックスの大通りに面したソファに座ってイングリッシュブレックファーストティー(Venti)を飲みながら、カフェの入り口で寒そうに厚着をして新聞を売るインド人、土砂降りの雨の中を傘もささずにうひゃひゃと笑って信号を渡るスーツ姿の中年キーウィ、フーディをかぶってラップ踊りながら歩いてるマオリの若者、襟を立てて傘をさす中国人を見ていると思わずこの人種多様性に「昼は勤王飲めば佐幕」と言われた山口容堂を思い出す。

 

アジア移民を受け入れるキーウィも英国人系も、毎日の現実生活と言う理性とマオリから奪った土地と言う認識を持たないまま自分たちがこの国の主人公なんだぞって感情のはざまでいろんな事考えながら、昼間はビジネスとしてアジア人をにこやかに受け入れ、夜になると「何だ周りを見たら黒い頭のアジア人ばかりじゃねえか、昔が懐かしいな!」とか思い出しているんだろうな。



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2011年06月15日

英国人の土地で

今日も山水レストランの店内はそれなりに高級そうなビジネスマンばかりがいかにもランチミーティングと言った感じで寿司刺身定食を注文して白ワインをボトルで注文して深刻そうな顔で話し込んでたり大笑いしてたりにぎやかだ。


今日はニュージーランドに移住してすでに5年ほど経っている日本人ビジネスマンと昼食を山水で食べることになった。


オークランドのビジネスでは夜の接待が存在しないので、純粋に簡単な一方通行の情報提供的な話をする時はパワーブレックファースト、両方通行のビジネスの話の時はランチミーティングとなる。


この店はテーブルすべてに背の高い衝立があるので周りに気にせず食事が出来るのが売りの一つである。本日出て来た日替わり定食は「さんまの甘露煮」で13ドル。和風野菜に刺身に小鉢があり日本円で780円だからワンコインからは随分高いがオークランドのビジネスランチとしてはかなり安い方だ。ただしキーウィにはまだなじみがなく、彼らの注文は多くが25ドル以上の寿司刺身定食である。健康志向で魚を食べましょって事だ。


最近のランチはどこも食事だけで20ドルが一つのラインでありこれ以下だと仲間との昼飯、この価格以上だとビジネスランチ、飲み物を入れると30ドルを超すのもしょっちゅう。ちなみにビジネスマンが昼食の約束がない時はオフィスビルの一階に入ってる持ち帰り専用の寿司で10ドル以下で済ませてる。飲み物がコークと言うのが最後のダイエットへの抵抗か(笑)。


この街の物価は毎年上昇しており給料も上昇している。レストランも客の好みに合わせてそれなりにメニューを変化させて価格や店内サービスなどを上昇させている。


これは最近流行のレストラン番組が影響を与えているようで「ヘルズキッチン」の亜流番組がニュージーランドでも制作されて地元レストランも参加、料理業界に大きな変化と賑やかさを与えているのも事実だ。


今の日本からすれば「あり得ない」ような毎年給料5〜10%値上げが続き物価が5%程度上昇し、頑張って働く人には楽しい街だが失業手当だけで一生食ってやろうと思う人には苦しいだろう。ただし景気は良い。街は確実に景気の波に乗り、お隣の豪州ほどではないがビジネスマンの顔が明るい。


数日前に日本から戻ってきたばかりの彼は東京の東側から千葉のあたりを仕事の関係で見て回ったそうだが、仙台を襲った津波とその後の自衛隊の活動、千葉の液状化で泥が地面から水の様に噴き出す様子を語ってくれた。


彼は家族と生活の場をオークランドに置きビジネスは日本で展開しているスペースシャトル族(家族はオークランドで生活、お父さんは月に一回シャトルに乗って北半球と言う宇宙(笑)滞在、宇宙で金を稼いで帰ってくるとオークランドで暫くのんびりする)である。オークランドにいる時は特になにもせずに子供と毎日遊んでご飯を一緒に食べて生活を楽しんでいる。


そんな彼がこんな事を言った。


Tomさんさ、結局この街も英国人支配だよね、英国人の土地に地代を払ってお店を作って稼ぐのが中国人で、そこで一生懸命働いてこき使われるのが日本人なんだよね」


実際にそうであるからうなずくしかない。1840年、英国から派遣されてきたホブソン総督は誰のものでもなかったニュージーランドの土地を、無理やり法律を作り合法としておいてマオリが空を向いてキリスト教を拝んでいるときに足元の土地をかっぱらっていった。


そしてこの土地に魅力を感じてやってくる英国一般移民や欧州移民に土地を与えて働いてもらい納税してもらい、これで立派な領土ビジネス、黙って座ってるだけで金が入ってくる英国植民地の出来上がりである。


香港時代も土地登記書類を見ると面白い言葉があって「持ち主はCROWN」とか要するに女王陛下の大英帝国の持ち物だってなっている。ニュージーランドも同じで、普通に無期限の土地所有者になれる場合もあるがモノによっては100年くらいの定期借地権になっててほんとのオーナーはCROWNだとか何チャラ団体だとかになってる。


日本人がニュージーランドにやってくることだけを目的とすると結局現地で雇われになる。誰もリスクを取ってビジネスを興そうとしてないから英国人の土地に家賃を払う中国人の経営する日本食店でこき使われてしまう。


次の百年をまたも小作人として搾取される事を甘んじるのかそれとも小さくても社会に発言権を持った立場となるのかは自分を「使われる側」と思い込んでかどうかだ


英国人の土地で中国人が日本食レストランを経営して日本人が下働きと言う現実はカナダのバンクーバーで見て来たのでよく分かる。


バンクーバーに一時期仕事で行ってたが、あの町の日本食レストランと呼ばれるお店の8割くらいは中国人経営、後の2割は地元日本人ワーホリ向けのちっちゃな居酒屋とかラーメン屋、結局日本発祥のビジネスなのに一番美味しいところを食われていた。


少なくともこのオークランドでは、家賃は仕方がないものの、日本人が経営する日本食レストランに地元キーウィが食事に来てもらえるようにしたいものだしこれからも次々とアジア人がこの土地を目指してやってくるが、一人でも多くの日本人起業家が日本発祥のビジネスをネタにして出てくることを期待したいものだ。



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2011年06月08日

その日そこにいること

8年ほど前になるだろうか、当社でワークビザで働いてた女性がいた。短大卒でワーホリ3か国制覇(豪州・カナダ・NZ)で日本の職歴もなく、海外に長いこといながら英語力もなく特技はおしゃべり(笑)、ポイント制度からすれば箸にも棒にもかからないケースである。
 

しかし人間力としては普通の人間十人を束にしても敵わないほどであり、ありゃもう天賦の才としか言いようがない、何せ東京の優秀な大学を卒業した連中を理論でねじふせて「おら、あれせーこれせー」とこき使ってたくらいだし相手が誰でも物おじせずに下手な英語で突撃するのは傍で見ていて気持ち良いくらいだった。あれはもう一種何というか英語力以前のコミュニケーション能力が異常に発達しているから相手が英語で話しかけてきても日本語で返答してお互いに会話が成立するって、独特の世界である。


永住権は世界中から来る人間を一定の枠にはめ込む必要があるわけで、そういう視点(ポイント)からすれば型にも枠にもはまらない人は永住権申請資格がないとなるのだから仕方ない、「こりゃあたしにゃ永住権は無理でんな、あははは」とか笑ってたが、ある日そんな彼女の元に手紙が舞い込んだ。移民局からである。


「ねえねえ、何て書いとります〜?なんかやばいんちゃう〜?」とか笑いながら開いてみたら、その手紙は何と永住権への招待状!


「こちらは移民局ですが、あなたは現在NZで労働ビザを持って働いており、もし今永住権を申請すれば永住権を発給しますよ」だった。


あれ?英語テストは?学歴は?職歴は?身長は?体重は?(後ろの二つは冗談です・・)てなくらいびっくりしたのだが、何度読み返しても”現在の能力と資格”で「永住権あげるよ」って書いている。


むむむ、冗談じゃなさそうだし、いちよ弁護士に聞いてみよって事になって問い合わせてみると、何と今年は永住権申請者の絶対数が不足してしまい目標の約5万人に全然満たない2万5千人程度(ちょい不正確だけどそんなもんだったと思う)で政府から移民局にお叱りがいった「働かんかい、ヴォケー!」。


この国に限らず国家の基本は国民であり数が多い方が世界的に発言権が強くなるのは現在の世界を見ていればよく分かる。ニュージーランドは平和な国ではあるが人口400万人はあまりに小さい、為替は北半球のファンドにしょっちゅう振り回されるし消費経済は豪州の9番目の州となっている。


なのである程度の国際的発言力や経済力をつける為には人口の適正な増加は必要であり、それが移民を受け入れる一つの理由となっている。


ところがその年は移住希望者の募集箱を開いてみるとすーかすか、移民ルールのポイント制度の変更が影響を与えたようで申し込み後半になっても数は増えず。そこで移民局としてはとにかく今申し込みしている人はどんどんOK出すしかない、誰もかれもが入れ食い、箱に申請書放り込んだら永住権もらえますってことになる。


それでも不足しているものだから「その日そこにいる人」にも永住権をばら撒くことになった。これがワークビザ保持者がポイント不足にもかかわらずいきなり永住権を取得出来た理由である。


「ほえ〜、ほんとに永住権、取れましたわな〜」そうやって喜ぶ彼女ではあるが、こういう人って世の中に常に存在する。「良い時に良い場所にいる」ただこれだけなのだが、ほんとにそういう運命の人ってのは、昨日まで生活してた街が今日は爆弾騒ぎだとか去年まで住んでた景気の良い街が今年は大不況で失業者激増とか、そういう「悪い場所に悪い時」からはするりとすり抜けていつも「良い時に良い場所」にいるのである。


これがなぜかなんて考えても仕方ない、そういう人はそういう運命にいるのだ。彼女の永住権取得の前年は弁護士に数千ドル払っても永住権取れずに日本に帰った人もいるし彼女の翌年からはまた永住権が厳しくなって弁護士に金払って苦労して取得出来れば幸運、そうでなければ帰国となった。


日本人が外国で生活する限りビザは一生付きまとうものであり、避けて通る事は出来ない。ところがこのビザと言うやつはとっても水物で、政府が一般公表する時はとっても難しい単語を並べてあーでもないこーでもないというけれど、突き詰めて言えば「はないちもんめ」である。


「あーの娘欲しいや花一もんめ」そうやってNZ政府と移民局は世界中の「あの娘」に向けて声をかけるのだが、その基準は自国を成長させてくれるかどうかだ。しかしそこは現実問題があり、どうしても「あの娘」が来なければ仕方ない「この娘」で手を打っておくか今年は、となる。


来年はもっと良い条件付けてシンガポールやオーストラリアに負けないように優秀な人材募集するぞ、そう考えて移民局は新しいルール作りに邁進する。とは言っても「優秀」と言う基準は非常に難しい、そこであんまりとんでもない人々や勘違いの人々を合法的に排除する為に世界的には高水準な人材と見做される「4年制大学卒」「就労経験8年以上」「英語力あり」「犯罪歴なし」「病歴なし」「30歳ちょい杉」と言う目に見える壁を作るのだ。


こうすることでNZからすれば望まない移住希望者に「あなたはポイントが不足しています。文句あるなら3週間以内にアピールしてね」と手紙を送って合法的に決着をつけることが出来る。


「え?だって四大卒で就職8年で犯罪歴なし、そんなの普通じゃん」と思うかもしれないが世界標準で言えばこれはとっても優秀な人々と見做されるのだ。そうでないと思うなら問題は日本の教育制度にある(笑)。


しかしこの目的はあくまでも足切を合法的に行うことであり、実際には優秀であれば採用、じゃなかった永住権は発給したい。そう考えるとすでにニュージーランドでワークビザで4年も働いているってのは優秀である。


何故なら彼らはこの4年間毎月きちんと納税して消費税も払い、犯罪も犯さず病気にもならずにこの国に貢献してきたのだ。英語出来ないかもしれないが少なくとも4年間生きてきたのだ、たくましさはあるだろう、英語力免除!となる。


日本人はほんとにくそまじめに移住のための点数、ポイントを一生懸命計算して移民局の細かいルールを見つけては自分に適用されないかどうかを一生懸命考えるのだが、けどなかなか一歩踏み出して渡航しようとしない。


そりゃそうだ、ビザが取れるかどうか分からないのに行けるわけないじゃん!そう思うし言いたい人の気持ちはよく分かる。しかし現実はそうやってルールが緩んで誰でもビザが取れる時に「そこにいなかった」だけで翌年の申請になり結果的にビザが取れないとなる。


ポイント制でいけばずっと優秀でも永住権が取れず、ポイントは永住権申請に全然不足してても永住権が取れる、そういう現実の世界があるのも事実である。


要するに「その日そこにいるか」である。優秀でも一歩踏み出せなければ次はないしポイントが不足してても一歩踏み出した人には神様が微笑んでくれる。



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2011年06月07日

NOTHING TOO LATE


りょうまくんと話してて楽しいのは、彼が意識せずに仕込まれているニュージーランドの学校教育がかいま見えるからだ。

 

以前りょうまくんが言ったのは”Nothing Safety” だが、今日話してて新しく出て来た言葉が”Nothing too late ”だ。英語が26文字しかないからワンフレーズにしやすいのかどうか分からないが「何をするにも遅すぎることはない」という言葉にも実にうなずける。

 

てか学校でそうやって先生が子供に教えて子供がそれを信じて実行しているところが良い。子供を本当の意味でのびのびと育てようとしているのがよく分かる。

 

この子たちは建前と本音がない。言われたことを素直に受け取り素直に信じて行動する。日本でそんな事やったらバカって言われそうだが、子供を素直に成長させる教育において裏表を教え込むようなことに比べればどっちがバカだかと思う。

 

日本では「こういう事はxx歳から教えなくちゃいけない」とか「xx才になってこんなのやってるなんておかしい」とか「xx才から始めるなんてみっともない」とか、とにかく年齢で相手の行動を縛る。周囲と同じ行動をとらせようとする。

 

けどニュージーランドではそんな事、誰も考えない。いくつになっても何でも出来る、人々は心の底からそう信じているし実行している。

 

ニュージーランドは様々なモノがない。あっても日本と比べると3倍くらい高い。持って帰って使うとすぐ壊れる。壊れたものを店に持っていくと「あ、そ、じゃそこにあるから他の持ってっていいわよ」で終わり。

 

今の日本で生活をしている人からすれば信じられない事ばかりであるが現実である。家具とかだと買っても商品届くまで2カ月待ちとか普通だし届いたら色が指定したのと違う。また送りなおして数か月と言うのがざらである。

 

それでも人々は何の問題もなく生活をしているし、幸せとか満足度で言えば間違いなくニュージーランドの方が日本より豊かである。

 

「なんでよ!なんでコンビニない生活が豊かなのよ!」と怒る人には耐えきれない生活かもしれないが、実はコンビニって生活の根本的なところには何の影響も与えない些末事なんだよね。

 

朝から晩まで働いて家族のためとか会社のためとかお為ごかし、結局誰もかれもが物質は豊かになったけど心は貧しく人々がいがみ合い礼儀知らずになり(これは今回の東京でしみじみ感じました、人の心がどんどん狭くなってます)、結局いつのまにか幸せになるための手段が目標になってしまった。

 

モノが揃ってしまった今、ふと気づくと「最近家族全員で一緒に食卓囲んだのはいつかしら?」とか「あ、明日もまたあの会議とあそこで打ち合わせ、それにあれとこれとだから自宅に帰れるのは何時かな、子供の料理だけ作っておいてチン出来るようにしなくちゃ」となり、結局子供の寝顔を見ながら「何だか最近、あんまり幸せじゃないよね」って思ったりする。

 

結局これも日本の政策として常に前進前進、対前年何割増収、とにかく成長しないといけないという神話に取りつかれてしまい、今自分に必要なものは何かってのを失ってしまった結果だと思う。

 

国家が方向性を作り民間企業はその方向に従い人々は上司の命令に従い行動する。そして彼らにサービスを提供する人々も同じような方向性で「成長ありき!」「増収ありき!」「負けられません、勝つまでは!」と言う社会の方向性に抵抗出来ず、成長と言う錦の御旗を掲げられると誰もが「はは〜、失礼いたしました〜!」となる。

 

そりゃそうだ、そうしないと今の日本では「あの人、ちょっとおかしい?」と言われるのだ。

 

その意味でニュージーランドは「足るを知る」がまさに現実として毎日の生活の中に普通に存在する。だから誰もがモノがなくても気にしない。うちの自宅も年に3回くらい停電するが誰も気にしない。そんな夜は蝋燭をつけて「今日はキャンドルナイトだ!」と笑って楽しめる心の余裕がある。そして同時に、いくつになっても挑戦する気持ちを持っている。

 

けれど多くの日本人は「え〜?そんな国があるの〜?ふーん、けど私には無理だな、xxだから、xxだから」となる。

 

ところがキーウィにはxxがない。行きたいと思ったら行く。足るを知る国民性ではあるがやりたいと思ったらすぐ実行に移すのもこちらの人々の特徴だ。

 

アノソニー・ホプキンスが老主人公を演じる「世界最速のインディアン」と言う映画がある。

 

1960年代、ニュージーランドの南端に位置する田舎町インバーカーギル。独り小屋に住む67歳の男バート・マンローは、オートバイ1920年型インディアン・スカウトの改造に日々勤しんでいた。彼の夢は、ユタ州ボンネビル・ソルトフラッツへ渡米し、その愛車で世界最速記録に挑むことになる。

 

この映画を観た普通の日本人は「ほー、すげえなあ、こんなじいさんでもまだ試合に出るのか?」と思うが、やってる本人は年齢なんて関係ないのだ。気にしているのは周囲だけで本人は無関係。

 

何をするにしても遅すぎるという事はない。それはやらない事の言い訳でしかない。

 



tom_eastwind at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月06日

移民法改正

今日はニュージーランドのビザについてです、興味がない方は無視してください。

週末にオークランドの専門学校業界で移民法改正予定の骨子が発表された。今まで認められていた専門学校卒業後のオープンワークパーミット取得が出来なくなったり家族ビザの扱いが大幅に変わる予定との移民局からの通達があったからだ。
 

実施は7月末からだがこれから細部について移民局と弁護士と政府とで詰めていくことになるのだろう。


ただこのニュース、移民局のルール変更なんてのは別に珍しいことではない。移民局のルール変更なんて梅雨時の雨、降られて文句を言ってたらきりがないくらいに変更される。


ただまあ遡って適用と言う事はないので現在コースに参加している人は良いのだがこれから参加する人には大変な問題である。


実は以前もっと大きな変更がありその時はも〜っともっと大変な騒ぎだったがその時のコースは中国人が中心で日本人社会では殆ど話題にならなかっただけなので(内容は長くなるので割愛するが)ぼくにとっては今回のも、ああそう来ましたかと言う感じ。


移民局の移民受け入れ政策と言うのは水道の蛇口と同じで、水槽にたくさん水が溜まれば蛇口は閉めるし水が不足すれば蛇口を開く。


水はあるのだがそこに栄養分がなければ起業家ビザ部門を緩和して現地でビジネスを起こす人を優先させて雇用を発生させる。移民局からすれば起業家ビザ部門で受け入れをすればそれだけ地元の雇用に貢献したことになるのでこのビザは比較的取りやすい。


水はあるのだがそこに浄化装置付けたりとかインフラが必要になれば投資家ビザ部門を緩和して海外から資金を呼び込み、その金で橋を作ったり道路を作ったりする。


そういう意味で一番蛇口がきついのが技能移民である。技能移民は地元民の就職機会を奪うわけであり人口増加と言う錦の御旗と先住民優先と言う選挙対策のはざまで常にHOTCOLDがくるくると回るわけだ。(HOTCOLDって蛇口は今の日本では見ることないですよね)


今回の蛇口の背景は増えすぎたサービス産業労働者、とでも言えばよいだろうか。もともとは専門学校を卒業すれば労働ビザが一定期間発給されるなんて仕組みはなく、移住したければ大学に行け、くらいだった。


ところが2000年頃から留学ビジネスがニュージーランドの産業別売り上げでも上位に出てきてそれを支えるように英語学校が作られたが、英語を学ぶだけだと他国(豪州、カナダ、英国)などに比べて魅力がない。いくら物価が安いからって言っても中国人のお金持ちからすればそんなのどーでも良い、他人に威張れる学校となれば英国となってしまう。


そこで移民政策と教育ビジネスの成長を掛け合わせて、同時に今ニュージーランドで不足している業種を考えていくとその最大公約数として出て来たのが「専門学校で技術を学びワークビザ取得、永住権につなげる」と言うコースだった。


クライストチャーチで亡くなった英語学校の校長のことも書いたが彼がやってたのもまさにこれで、彼は看護婦養成学校に力を入れ多くのフィリピン移民を移住させることに成功した。


他の学校もそれを見て「おれたちも続け!」とばかりに様々なコースが発表されたがその中に例えばバリスター、パティセリーなどがある。


何でこんなコースが?と日本人からすれば不思議だろうが、実はニュージーランドは英国圏内で言えば一番賃金が安い国である。そしてNZ国籍があれば豪州で仕事が出来る。その為大学を卒業して数年現場で働いて実務能力を身に付けた人々(医者、看護婦、金融etc)は次々と賃金5割増しの豪州に移住してしまうのだ。(ついでに言えばNZの賃金が1だとするとシドニーの賃金は1.5、アジアで働けば2、米国は3、英国は4くらいだ)


30代の優秀な現場技術者不足はレストランやカフェにも影響を与え、少し腕の良いシェフやバリスターは皆シドニーに行くからその不足分を埋めるために外国から移住を希望する人々に「こんなコースはどうでっか?」とコースを作ったのだ。


しかしこのコースは最初にも書いたように景気や失業率に影響されやすい職種で真っ先に蛇口の影響が出る。コースを開始して2年程度経過して移民局が見直しを行い、

「どうよ、アジア人のバリスター増えて美味しいコーヒー飲めるようになったね」

「そうね、彼らアジア人の若者は英語力もあって会話も楽しめるしいいわよね」

「おいおい、そういうけどオークランドのカフェスタッフが黒頭ばかりってのは抵抗ないか?」

「そうねー、かなり数も増えたし今時カフェで黒頭見ないことはないしね」

「そっか、じゃあそろそろ数の調整をして様子を見てみるかな」

「そうね、2年もやったしそろそろかな、それにしてもだらしないのは地元キーウィよね、アジア人が納税したお金で失業保険貰ってアジア人に作ってもらったフラットホワイトで満足してるんだから」

「まあそれはいずれ、次の機会にやろうじゃないか、けどあいつら先住民は慎重にやらないとな〜・・・じゃカフェに行こうか、最近出来た良いカフェがあるんだ、アジア人のバリスタが作るフラットホワイトが美味いんだ!」


こういう感じの会話がオークランドの坂の上のつたに絡まる建物の中でキーウィが作った美味しいフラットホワイトを飲みながら語られたのだろう。それがそのまま法律に反映されて今回の改正につながった。


急な法改正と言う意味では数年前にある日本人アナウンサーが子供の国籍欲しさにNZで出産しようとした。ところが病院で死産となり彼女はその医者=政府を訴えた。訴えられた政府はびっくりした、おいおいそんなずるをしている連中がこの国で出産していたのかよ?


何せこの国では出産費用は無料だった。そして出生地主義なので子供が生まれれば国籍が取れた。つまりこの女性は出産費用は自分とは何の関係もない納税した事もないニュージーランド政府に払わせおいて生まれた子供に二重国籍を与えておいて将来は自分がファミリーカテゴリーでついてこようとでも思っていたのだろう。


そういう法律の穴はニュージーランドにはたくさんある、何故ならNZの法律は「人は嘘をつかない」が原則だからだ。NZで生活された方ならこの国の本人認証の甘さにびっくりするだろうが、人が嘘をつかないことが原則なのだから認証すること自体が「変化に対応している」証拠である。


この女性の裁判では裁判所がすぐに女性の訴えを却下してその翌週には国会で新しい法律が発布された。「NZで生まれた子供でも親のどちらかに永住権または市民権がなければ国籍は与えません」。


日本だと国籍法を変更するわけだから何年も議論を〜なんてなりそうだがNZでは速攻である。当然だろう人の善意を逆手に取って騙すような日本人がおまけに裁判にまで訴えたのだ、ふざけるのもいい加減にしろってなる。


この事件の時はぼくら随分と恥ずかしい思いをした。

「おい、日本人ってこんな事する奴もいるのか?」

「ああ、あれね、日本には日本人と違う人種がいて彼らが恥知らずなことするんだよ、彼らはメディア人ってんだ」

「ああ、あれね、あれならNZだって同じだよ、ははは」

ふー、笑ってくれてるうちは良いが、一つ間違ったらほんとやばいぞって事件だった。


事これほどに移民法はしょっちゅう変わるしその背景も明快である。移民法あれば対策あり、対策あれば政策訂正ありの繰り返しだ。


こういうのは真面目な日本人には理解しづらいと思うが、とにっかくこの国の法律はしょっちゅう変わる。だから今ルールがあるってんで準備を始めて半年後、なんて言ったらルールが変わってたなんてのはしょっちゅう。


なのでぼくが常にお客様に説明しているのは「ビザは取れる時に取りましょう、シール一枚重いものじゃないし、次はないかもしれませにょ」だ。


けれど同時に理解して欲しい。1年で変わる法律は来年また変わる。2年で変わる法律は再来年変わる。その変化がプラスかマイナスかはその人次第だが、とにかく変わる。だから大事なのは常に身軽にいつでも動けるように準備しておくことだ。



tom_eastwind at 17:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月01日

安全野菜?


福島原子力発電所の爆発が起こる可能性はほぼなくなり、これで政府も安全宣言、野菜も美味いし肉も美味いぞ〜とマスコミを使って宣伝している。「風評被害」で発生した海外での買い控えを政府が率先して営業していきます、行きます日中韓会議!


けれど中国の餃子事件の時にどれだけの日本人が中国商品を買い控えただろうか?餃子事件などはたった一つの餃子から出た毒物で単発の問題なのに中国からの輸入が数か月も停止をした。


その時日本政府は何と言っただろうか?「コックミンノヲ〜、アンゼンハ〜!ナニヨリモダイジデ〜ス!」と理屈抜きに中国産のすべての輸入製品の安全確認が出来るまで輸入停止を行ったのはどこの国の政府だ?あの時中国の抗議に対しても「アンゼンヲ〜」とやって一切無視した。


それがいざ自分の番になると「福島の野菜は安全です!買い控えは風評被害です!」としきりに世界に向けて訴える。


しかし、普通に考えれば分かる事だが中国の餃子は偶発的であり継続性のない事件であり工場出荷手続きを厳しくすることで安全確認が明確に出来る。


それに対して放射能はどうであろうか?今も放射能は空から毎日降っているのだ。「xxシーベルトなら体に影響はない」とか、「すぐに被害は出ない」などの言葉を繰り返して時間稼ぎをしている政府は、その言葉をそのまま海外に向けて福島の野菜と一緒に出荷してみてはどうだろうか?
そしてこんなシールを貼ってみる。

「福島の野菜は安全です!どれだけ食べても今すぐに被害は出ません!」

「福島の野菜は安全です!xxシーベルト以下しか放射能は測定されてません!」

「ほーら見てください、出荷寸前まで放射能を浴びていた野菜、つやつやしてますね〜」」


あのさ、今までMADE IN JAPANの野菜や果物を買っていたのは世界のお金持ち、特に中国人だ。彼らは自国の野菜の汚さをよく知っているから地元の野菜より10倍高くても安全で美味しい日本産を買ってたのだ。


ところがいまその安全神話がぶっ壊れた。世界中で安全や野菜が買えるのに何で日本から今買わなくちゃいけないの?日本の農産物の神話は「安全で美味しい」である。ところがその安全神話がぶっ壊れたのだ。どうせ危険な野菜なら10分の1の価格で買える中国野菜で十分、市場で買って自宅で洗えば美味しく食べられるしね。


なのに日本政府はこの状況を「風評被害〜」と呼んでいるが風評とはありもない噂の話の事でしょ、けど実際には放射能は噂ではない政府認定の事実でありそこで発生した汚染であるから風評と呼ぶのはおかしい、普通に「事実汚染」となる。


こんな事書くと政府は「いやいや、ちゃんとガイガーカウンターを使って放射線を測定して安全なものだけを〜」って、じゃあ他の国でガイガーカウンター測定して野菜を出荷している国があるのか?(笑)


こういう事を書くとまた「お前は福島の方の気持ちが分かるのか!」と言われるのだろうが、分かるけど現実は現実でしょ、眼をそらして政府にしがみついて売れない野菜を政府に売ってもらっているのはアンタでしょ、今はそういう対応をすべきじゃないでしょ!自分をしっかり持ちましょうよ!」と言いたい。いい加減政府の言いなりになるのはやめてほしい。


だからもしぼくが福島の農家なら今すぐ同志を集めて大型トラックを手配してこうするだろう。


まず同志が作った野菜を大型トラックに乗せて朝8時30分ごろに東電本社前に運ぶ。そしてマイクで「東電の皆さん、出勤お疲れ様です〜!朝採れの福島産政府認定の安全野菜を農協を通さずに直接会社までお届けに上がりました!直販なのでなんと3割引きでお得!さあ買った買った!」


こうなれば東電本社では総務課が出て来てその場で全量買い取りするしかなくなる、各農家は作った分だけの請求書をその場で総務係長に手渡しニヤリ、「毎度ありい!明日も来ますね」


東電だって困ることはない、何せ安全なのだ(笑)、それを一生懸命働く社員に減給対策として無料配布すればよい、社員と家族が自宅で食べてもらえばよいだけだ。とくに部長以上はメタボ対策で野菜多めですね(笑)。

残った野菜やお肉は霞が関職員向けに東電が無料配布をすればよい。配布先を農水省にするか経産省にするかは彼らの持ち回り会議で決めてもらえばよい(笑)。


こうやることを本当の直訴、アピール、訴えるという。それくらいのことを自力でしないでどうするか、生きるのは甘くはないのだ、お上や他人に食わせてもらってる限り自立はあり得ない、今回の震災は目覚めの薬だ、いい加減に日本人も自我に目覚めるべきなのだ。


付け加えておくと政府の今回の海外向け安全宣伝であるが、ぼくは日本人として恥ずかしい。何が恥ずかしいかって言うとニュージーランドで普通の良識のある人間に「ねえ、なんで日本はあんなものを売ろうとするの?」と聞かれて「選挙対策・・・」としか答えるしかないからだ。

だがここまでならまだいい、「だったら政府が買いとればいいだけじゃん」と聞かれたら「いや、実は政府が無能でまともに機能してないものだから・・・」と身内の恥をさらすことになるからだ。海外で生活してみれば分かるが、いくらバカな政府とは言え同じ日本人、外人にバカと思われるほど悔しいことはないのだ。



tom_eastwind at 22:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月30日

AKB48 年齢信仰について

 

このグループの名前を「えーけーびーフォーティエイト」と呼ぶのは今回東京に来るまで知らなかった。Youtubeで検索しておけば呼び名も分かったのだろうがぼくの頭の中では彼らの名前は文字で入力されてるし活動の場所が秋葉原なのでてっきり「あきばよんはち」だと思っていた。その方が短くていいじゃんか(笑)。

 

篠山キシンと言う写真家がいる。もうすでに70歳過ぎているが今でも現役で写真を楽しそうに撮っているしとくに女性のヌードを撮らせたら日本一と言われている。

 

そんな彼がNHKの番組に出演して今までの作品集の話をする時の一つに、AKB48の子供たちと楽しそうに写真を撮っているのがあった。インタビューでアナウンサーから「彼女ら年齢差を感じませんか?」と聞かれた彼は、「仕事やってるのに年齢格差なんてないない、大体それ、あなたの勝手な思い込みでは?」みたいな発言があった。

 

かたや天下の篠山キシン大先生でありましてや70過ぎであるのに、16歳の女の子と同じ感性であるというのは日本型ではない、年よりはもっとエライのであり篠山キシン先生は社会的地位が高いのである、だからあなたから見ればずっと格下の16歳と一緒に仕事をしてるのはどうなんでしょうと言うのが「年齢差を感じませんか?」と言う言い方になるのだ。

 

ぼくはこういう日本人の考え方を「年齢信仰」と呼んでいる。

 

日本や中国など東南アジアの一部では相手の個人能力を評価せず年齢と社会的地位だけで相手の相対的位置を決めてそれで話が始まる。相手が子供だけど実はとても賢いとかすんごい年上だけどよく見りゃ「生まれっぱなしのバカ」ってのもいるがそれでも年齢が↑なら「はは〜!年上様〜」となるのだ。その代わり自分の番になれが後輩に自分に対して「ははー!」ってやるんだから悪くない。バカでも年を取れば威張れる世襲バカ構造である。

 

社会を秩序立てていくために分かりやすい手段ではあるが、そんなのは社会が秩序立っている時にしか通用しない話である。今の時代は大手企業であっても平気で年齢を飛び越した昇進があるし降格もある。要するに年齢で相手の位置づけをしても「だからなに?なにが決まるの?」でしかない無意味な判断だ。

 

ニュージーランドでは10歳の子供が50歳の大人と堂々と話をする。相手に対して年齢に応じた尊敬の念ははらうものの基本的に年齢はお互いの人間関係の中で何の意味も成さない。

 

だいたい会話の中で相手の年齢を聞く状況など普通にない。フラットメイトは数名いてもお互いの年を知らないのは普通だし隣の家のご夫婦がおいくつかなんて聞いても単なるのぞき趣味と思われるのがおちだ。皆さんが実際にニュージーランドに住んでみれば、彼らがどれだけ年を聞かないかがよく分かる。大事なのは年齢ではない何を語っているかなのだ、誰もが自分を幸せで永遠に若いと思ってしゃべっている時にわざわざこの世に登録された年月日を聞かれてうれしいだろうか?しらけるだけですぜ。

 

ニュージーランドは大学の入学枠を巡って同級生と競争するという仕組みが存在しないから受験勉強はあるけど日本のような他人を蹴落とす勉強ではなくあくまでも自分が行きたい大学の学科に必要な単位を取るための、つまり自分のための勉強をして18歳で大学に入る。

 

けれど同時にニュージーランドは誰でも大学に行ける仕組みがあるので、あえてそんな勉強して入学する必要もない。まずは15歳で義務教育は終了するので一旦社会に出て、例えばお父さんの牧場でお父さんと一緒に牛や羊を育てる仕事を10年くらいする。

 

22歳になってそろそろ次の仕事を覚えようとなりオークランド大学の情報処理コースを選択する。大学の授業に追いつくために彼は、その時点から入学準備コースに入って勉強をする。そして半年くらいで授業に追いつくようになれば学部に編入である。つまりこの場合は受験勉強さえ不要なのだ。そして大学で3〜4年勉強すれば学位が取れて新しい社会に旅立つことになる。

 

人間は22歳だから若いのではない、挑戦してみよう成長して見ようと言う若い気持ちを持つから若いのだ。挑戦も成長も無くした若い気持ちのない22歳なんてじじいですぜ。

 

実際にうちのおくさんは40歳過ぎてオークランド工科大学に入学してSociologyと言う学問を学んだ。社内でも現役社員でありながら大学に通っているスタッフもいる。当社で3年ほど働いた27歳の若者がもっと自分を磨きたいからと大学に入りなおして専門技術を学ぼうとしている。

 

3人ともアジアからの移民であり大学受験のため15歳の子供が勉強しているような勉強はやっていないが大学の門戸は開かれている。

 

説明会ではニュージーランドの教育の仕組みを説明して「だから22歳過ぎると誰でも大学に入れるんですよ」と言うと、「え?新卒になるんですか?」とか「18歳で入学した人と扱いは違うんですよね?」などと聞かれる。

 

あのですね、大学は資格を学ぶ場所であり学ぶ人の年齢が何歳かなんて何の関係があるのでしょうか?誰でも好きな時に大学で新しい専門知識を身に付けて次の世界に旅立つのです。

 

受け入れる企業の方でも年齢なんて関係ない、会社が存在して必要なポストに空席が出たら随時募集する。その時に大事なのは候補者の資格や能力であり、22歳で新卒よりもむしろ30歳くらいのいろんな社会経験を積んでいる候補者の方が使いやすいケースもある。

 

日本の大学は入学することが企業に対する「ぼく、利口です、僕を採用してください」と言うシグナリングであるから現在の日本の教育システムを常識として考えてる多くの人々はそれが実は社会歯車ロボット製造装置の一環であると気づいていない。

 

日本は戦後重工業生産を開始した。大きな工場を作りそれがいくつもつながり、そこに中東から石油を購入してコンビナートで商品化して太平洋を渡って米国に売るビジネスモデルが出来上がった。これはすべてが毎日きちんと動く必要がある、労働者も含めてだ。

 

労働者が毎月ぱらぱらと入ってくると新入社員教育が大変だし大きな工場を動かすのにそんな少人数の動員ではどうしようもない。そこで出て来たのが全(中高大)学生とも毎年3月31日学校卒業4月1日企業入社と言う仕組みである。つまり学生のジャストインタイムなのである。

 

こうしておけば工場にすれば中東の石油がいつ何トン入荷するのかと同じレベルで、ヒトはいつどれだけ入荷するのか、そのヒトはどんな商品を作らせるのかが作業表に書き込める、あはは。ほーら、人は歯車人はモノ、戦後の日本は人間までも商品を作るための部品としてしか扱わないようになったのだ。

 

そして次に大事なのが社会的地位である。4月1日の入社時点で優秀な大学を卒業したモノから日本株式会社の優秀なポジションに配置される。

 

一番優秀なのは大蔵省などのキャリア官僚に入り二番目はノンキャリア官僚、その次には大手民間企業の東京本社採用。都内の私立三流大卒だと地方のどさ廻り、高卒は地元の営業所で一生現場職員として東京の指示に従う。最近はあまり見ないが中卒は以前は金の卵と言われたがその配置先はすべて工場である。こうやって日本株式会社の中の階級が決まっていく。

 

逆に言えば三流大学や高卒だといつまで経ってもうだつが上がらないわけで現場で同期にこき使われることになるから母親としては子供に「あんた、いい大学に行きなさい!」となるのだ。大学で何を学ぶかではなく大学に入れたかどうかがシグナリングだと、高卒の自分の旦那を見てる賢い母親は良く分かっているのだ。

 

母親はもちろん子供を歯車にして社会に放り込むことに何の疑問も持たない。チャップリンの映画を観て人間が歯車に挟まれるのを観て「まあこんな世の中嫌よね、チャップリンは名優よね、さて、勉強の続きしなさい」となる。なぜなら今の日本にはそれ以外の選択肢がないからだ。「起業?そんな空恐ろしいお上にたてつくような事、させられません!警察に捕まりますわよ!」


 

年齢信仰の日本、いつの時代も「それって少しおかしくない?」と言う若者が出て来たがいつの時代も政府及び同級生によって排除された。何故なら誰もが秩序だった日本株式会社の中でぬるま湯で生きてこれたから、そこに波風を立てるような「人間」は支配する側からも支配されてる側からも同じように理屈抜きに「あいつおかしいよね」と排除されるのだ。

結局アジア人が持つ年齢信仰をうまいこと支配層に利用されて社会の歯車に放り込まれただけではないか。そして異端者を排斥して何とか生き残ったような顔をするが、そんな年齢信仰と歯車生活が幸せだろうか?ほんとに人間らしく生きているのはどちらだろう?




「はかない青春」

ヘルマン・ヘッセ





疲れた夏が頭をたれて、
湖に映った自分の色あせた姿を見る。
私は疲れ、ほこりにまみれて並木路の影の中を歩く。



ポプラの間をおどおどした風が吹く。
私の後ろの空は赤い。
私の前には、夕べの不安と、
―――たそがれと
――― 死とが。






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2011年05月29日

砲艦サンパブロ


今日で説明会も無事終了。それにしても二日間ぶっ続けはかなり体力の消耗なので夜はどこにも行かずルームサービスのサンドイッチとコンビニで買ったカップヌードルで済ませてamazonで買った「砲艦サンパブロ」のDVDをゆっくり観ることにする。

 

1966年に作られたこの作品は当時の米国の時代をよく表している。第二次世界大戦の勝利から続く好景気と英国から移ってきた世界支配権を併せ持ち誰もが米国は世界一と信じていた。コーラとキャデラックと屋外映画、ロックンロールで楽しむ週末。とにかく時代と大人と政治に文句を言って抵抗して後ろにいる友達に「ほら!おれっていけてる!」というだけでよかった時代。

 

ところがケネディ暗殺、ベトナム戦争の暗雲と続く未来が本当に資本主義をよくするのか、もしかしたら共産主義の方が良いのではないか、国民の中にも疑問を持つ人が多く表れてきた、そんな時代が1960年代後半だ。

 

日本では安保闘争が行われて親のカネで大学に通う学生が親の働く職場や社会に対してゲバ棒を振って反発して日本は大騒動になった。ところが最後には社会が「お前らいい加減にしろ、ほらここにお前の就職する会社の名前が書いているからそこに行って黙って働け、文句があるならそれからにしろ」と言われ、放り込まれた子供は今度は今までと正反対のイデオロギーで企業戦士となった。

 

ほとんど血も流れずほとんど人も死なず若者はいつの間にか社会人になり今彼らは年金生活を送っている「おれも若い頃はさ〜」なんて昔の事を楽しく思い出しながら。

 

そして21世紀の今、昔のようなところてん式「学生の間は社会に背を向けて卒業したら誰でも就職出来て一生同じ会社で働けて病気の心配も要らず毎年給料が上がって停年で年金もらえてそれを支えるのは次に続く若者」と言う構図はすでに崩壊して、今社会にゲバ棒をふっても誰も相手にしてくれないし就職もない。

 

ところてんがなくなった時代、米国でも日本でも「永遠の繁栄」がなくなった時代にはいつも時代の一番最後にいる人々にすべてのしわ寄せが集まる。米国においてはそれがベトナム戦争であり5万人の無垢な若者が戦死して多くの帰還兵が故郷に馴染めずにランボーのようなベトナム症候群に陥った。日本では明日の仕事が保証されないフリーターと毎年自殺する3万人の社会不適応者たちを生み出した。

 

文句ばかり言えば解決してた時代、そんな時代も間違いなくあった。ただ、今はその時代でないことも明確だ。自分で答えを探していくしかない。今回のセミナーがそのような人々の答え探しの第一歩になればと思う。

 

皆さんご参加有難うございました。



tom_eastwind at 03:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月28日

移住とは長い旅

日本人サラリーマンは各個人は働き者だというのは正解であるが仕事の内容が効率的であると言うのは大間違いで、賽の河原で石を積み上げては落とすような事をして長い時間会社に縛り付けられている。

 

日本人の仕事の多くは予定を作って計画を作り、予定が変更になってまた計画を作り直し、直前になってまたも予定が変更になったものだから作り直す時間がなくて最後は行き当たりばったりで現場の努力でどうにかこなしてしまうというものだ。

 

香港日通旅行で働いてた1990年代の事だが銀行の本店会長が香港視察に来ると現地の支店は数か月前から予定作りにてんてこ舞いになる。これによって自分の評価が決まるのだ、最高のアテンドをしなければと毎日毎日「会長は天ぷらがお好きだと聞いたぞ」とか「中華は外せないぞ」とかで同じ日のディナーを3か所くらいトリプルブッキングしておく。

 

食後も麻雀台を会長の部屋に置き支店の接待麻雀得意の行員を数名用意させておく。同時にカラオケバーも2軒ほど予約を入れておく。

 

送迎の車も車種から色からサイズから、立派なものから会長車、社長車、専務車と並べていくのだが困ったことに支店の判断でベントレーとロールスロイスのどっちが格上なのか勝手に決めて責任を取らされるのは嫌なので僕らに「どっちが上でしょうかね?」と聞いてくる。

 

そして飛行機到着当日。会長はいきなり「何だ!おれは香港に遊びに来たんじゃないんだ、現場のシンセンの工場視察にすぐ連れていけ〜!」

 

そーら大変だ!ダブルナンバーのベンツを数台手配して同行する人のビザを即時取得させて、シンセンシャングリラホテルの部屋を手配して、最初のスケジュールはもうむちゃくちゃである。

 

支店の人々もこういう突発事故になると右往左往して誰もが思考停止状態になる。要する即時の判断を求められるので失敗すれば判断責任が発生する。支店駐在だからある程度現地事情が分かってても本当の現場の細かい点は分からない。だからこういう時はぼくら外部の旅行会社に丸投げして少しでも責任被害を減らすとなるのだ。

 

この時は「まず会長を休憩と称して当初のホテルの部屋で休ませてください。でもって同行する人のパスポートをすぐ私に下さい。2〜3時間で車とホテルと視察手配かけてきます」から手配を始めたがすべてがその場の判断で決めていくので「社内政治的圧力」など関係ない。

 

後で聞いたら会長は日本出発前にご挨拶にお伺いした当局の若いキャリア課長に「ところで会長、まさか大名旅行ではないでしょうね、円高の今中国シフトは日本メーカーにとって生死を賭けた問題ですから、すぐに現地を見に行かれますよね」と言われたそうだ。

 

当時のシンセン視察ではこのような突発事故はしょっちゅうであった。ある大手生命保険会社重役の御座すダブルナンバーのストレッチベンツが国境を渡りシンセンの工場地帯に向かっているとき、田舎道を正面から飛ばしてきたぼろトラックが車線を無視してこちらに突っ込んできた!とっさの判断で運転手はハンドルを右に切ったのだがここは中国、そのまま車は田圃に落ちて皆さんどろだらけになってしまった。

 

当時は携帯電話の普及期で田圃から「どうしょましょ〜?!」と連絡が来たのだが、この時も「今どこですか?だったらすぐ車の周りの荷物を集めて会長を次の車に乗せてxxホテルまで直行してください、工場の手前です。そこに部屋を取っておきますからその部屋でシャワーを浴びて頂いて昼食休憩しておいてください。そして会長の部屋から替えのスーツ一式と靴と靴下をすぐ用意してください、わたしが今から取りにいきます。今からなら落馬州(車用の国境)までタクシーで行き国境を越えてそのホテルまで大体1時間30分で行けますから」

 

電話を切るとすぐに必要な手配に入る。タクシー(ぼろでも早けりゃいい)、中国側ホテルの一番良い部屋の予約(景色も確認の事、窓を開けたら豚小屋はダメだ)、中国側の車(ベンツだ!なければホテルのリムジンをチャーターしろ)などの手配をスタッフに依頼して返事を僕の携帯電話に入れるように指示すると、国境でいざとなった時に必要な賄賂を経理から出金してホテルに向かう。


 

移住と言う仕事をしていて感じるのは「準備」と「実行」の踏み切り時期である。どれだけ準備しても万全はあり得ないし、こっちが準備出来たと思った頃は相手、つまりニュージーランド政府が移民のルールを変更したりする。

 

元々旅行と言う言葉はトラベルだがその語源はトラブルだとも言われている。そしてほとんどすべての日本人移住者は実は旅行者である。いつか年を取れば日本に帰り実家の墓に入るのだから移住とは実は長い旅行なのだ。

 

その旅行にトラブルはつきものであり完ぺきにしようなんて考えること自体が無理がある。相手のある話であり時とともに変化する状況で大事なのは結局トラブルになっても即応出来る能力と心のゆとりだ。

 

日本人の予定大好きはよく分かるが移住は長い旅だと考えてほしい。そして旅のトラブルは後になると思い出になる。あなたが旅行から無事に帰ってきて旅先の写真を整理していると「あれ?これって何日目だっけ?」なんて考えることがよくあるだろう。

 

ところが旅先であなたの乗っていた車が湖に落ちかかった!そんなのは一生忘れられない記憶になり「あの時さ、こんなことがあってさ」と、きれいに撮れた写真よりも思い出の一枚になっている。

 

それと同じで、完ぺきも絶対もない世界でジェットコースターに乗る勇気がある人は移住を楽しめるだろうしそうでない人はたとえ移住できたとしても数年で文句を言いながら日本に帰るだろう、こんなはずじゃなかったって。

 

今日で5月説明会第一部が終了。明日が第二部となる。



tom_eastwind at 01:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月25日

ワークビザや永住権の不思議

ニュージーランド地元のニュースではクライストチャーチで介護士として働いていたフィリピン女性3名の労働ビザ延長が却下されたとの事。


ところがオークランドでは専門学校を卒業してオープンワークパーミットを取得して働くアジア系若者はますます増加している。


永住権にしても、事前審査(EOI)にも通り本申請で条件は十分に整っているのになぜか半年経っても移民局から連絡もないという人もいれば、申請したら「あら、わたし3か月で取れちゃった」と言う人もいる。


この違いは何か?いつも日本のお客様から「不思議です、どうしてですか?」と聞かれる。聞かれても移民局の担当官ではないので「あなたのケースがなぜそうなったのか」を具体的個別的に説明することは出来ない。


ただ全体的に状況判断をすることは出来る。


まずクライストチャーチ(CHC)でフィリピン人介護士のビザが却下された件についてだが、これは

1・CHCの無色(無職)人種が有色人種が働くことに対して厳しい目を向けているということ。自分が失業保険で食ってるし仕事したくないのは棚に上げている。

2・CHCでは今回の地震で倒壊したビルに入ってた英語学校がフィリピン人向け介護士プログラムを作っており、これがここ数年バカ売れで街中にフィリピン人があふれるようになった。(ちなみに校長は今回の地震時にオフィスにいて亡くなった)

3・今回の地震で失業率が高まってしまい、これでビザ延長はまずいかなって判断が移民局にあった。

4・だったらついでにフィリピン人に対する警告として数名のビザを却下してみよっか。(あいつがいなくなったからやっちまえ?)

5・よっしゃ、今申請しているフィリピン人介護士の申請書を持ってこい。(xxxxしてxxxxたらxxxで)3枚(笑)は却下だ。

6・フィリピン人介護士が本気なら再審査を請求するだろうし再審査が通ればそれはおれらの上級部門の判断なのでおれらとは関係ないので後は知らん。


1から6のうち、5は今回この手法を使ったかどうかは不明であるが手法としては現在も生きている。うっそ!と思うかもしれないが、NZの移民局などそんなものである。伏字にしたのは移民局の名誉を考えての事だ。きれいな言葉で言えば「無作為に抽出した3枚の書類」となるが「あなたならどう抽出するか」はご自分で考えてもらえばよい。


移民局は感覚で言えば地方役場の戸籍係みたいなもので、毎日毎日同じことの繰り返しである。申請書の写真を見ても顔の区別もつかないような連中や名前の発音も出来ないような連中の作ったガイジンの書類を見ながら、書類に添付されている資料が本当かどうかをチェックするよりも、どのようにチェックしたかを上司に見せて点数稼ぎたい移民担当官が退屈そうに作業をしているだけだ。


高邁な精神で「ニュージーランド国家の為に優秀な人材を外国から受け入れて〜!」なんて考えているのは国会内の政治家だけであり現場では与えられた退屈な仕事をどうやって手抜きしながら上司には一生懸命働いているようにみせる為に、永住権申請者に対しては答えられないような質問を平気でぶつけてくる。


「ぼくはxx大学を卒業しました、卒業証書はこれです」と大学が署名捺印して発行した原本を見せると「これが原本であるという証明をしろ」と言ってくる。原本だぜ、これ以上どうやれっちゅうねん?おまえあふぉか?であるが彼らは自分たちが調べるのでなく申請者に面倒な事を全部やらせて上司には「自分が一生懸命調べました!」とやるのだ。


こういう場合は地元の弁護士にお願いして「この書類は真正であり内容に間違いない」と一筆入れてもらう。もちろん弁護士はそんな大学など聞いたことも見たこともなければ証書がホンマモンかどうかなんて知りもしないし知りたくもない。一仕事して手数料が入ればOKなのだ。


でもってなんでこれが上司に「よく働いた」となるのか?それはこれで地元弁護士の仕事が増える事で弁護士も移民局に「サンクス!」となるし次の機会に弁護士が何かあれば上司とにビールをご馳走して、更に弁護士内で「あの移民マネージャー、おれたちの仕事をCreateしてくれるからいい奴だね」となり上司の評価が上がるのだ。


つまり何のことはない真面目に書類を作った申請者は食い物にされているだけなのだ。移民局だって公務員、仕事を作り出すのが彼らの仕事であり、官民交流が盛んなNZではいつ自分が民間に戻るか分からない、ならば今のうちに他人のカネで自分を売っておこうとなる。


そして大きな問題は担当官である。あなたの担当官が白人キーウィであればかなり好意的に扱ってくれて提出する書類も大体信用してくれるから当選確率高しである。キーウィは日本人には好意的なのだ。


ところがこれがパキスタンあたりから政治亡命してきた連中や難民ビザで入国して何とかこの仕事を手に入れた連中からすれば「け!なんだよ日本人!お前ら自分の国でぜいたくできてるのに、さらに“じゃあこの国の永住権もお一つ頂こうかしら”なんて考えているんだろバカヤロ、」となり職歴と学歴の違いなんかを突いてくる。


「あなたは大学で経営学を学んだが就職した会社では現場で営業をやっている。これは関連性がないのでポイントとして認めることは出来ない」と言い出す。


「日本では大学の学部は企業に入社するためのシグナリングであり経営学など実はまともに学んでいない、それよりも就活と合コンにいそしんでいるのだ、そして就職後は丁稚奉公から始まるのだ」なんて説明しても、パキスタンの難民からすれば行ったこともない国の聞いたこともない不合理な制度である。


ダイガクで専門知識を身に付けない?若いのは給料の安いでっち奉公?意味不明!だいいち大学まで行きやがってこのやろう、おれが銃弾の下をかいくぐって戦場で必死に生き残ろうとしていた時に「ダイガクでシューカツ?だと?ごーこんだと?どんな飲み会楽しんでたんだよばあか!」となるから更に突っ込んでくることになるのだ。


このような裏ネタは普通にNZ社会で生活をしていてはまず見ることはない。キーウィでも知らない人がほとんどだ。時々ニュースで移民局の上司と担当官が調子ぶっこいて申請者から裏金もらってそれがばれて初めて表面的な部分だけが新聞発表されるが、それでも裏ネタは出てこない。


こういうネタは表だって聞いても「いえ、そのような事はございません、皆さん平等公平に書類を審査しておりますよ、おほほ」となるが、仕事のでたらめさについては移民局がしょっちゅう「あなたの申請書類に添付された旅券が紛失しましたので再発行して持ってきてください」というレターが発行されることで証明されている。


ぼくの直接の知り合いでも移民局に旅券紛失された連中が何人もいる。けれど移民局は過ちを認めようとせず、おれとは違う部門から書類が来た時点ですでに旅券がなかったとかおれの部門を通過した時点では間違いなく旅券はあったなどと言って絶対に間違いを認めようとしない。これまた結局は申請者が泣くしかない。


だからニュージーランドの表面的な自然の美しさや人々の優しさに目を奪われてビザ手続きも同様に「みなさん優しくしてくれるのだろう」なんて思ったら大間違い。


キーウィは個人的に付き合うには実に良い人種であるが仕事をするとなるとミスは多いし自分の利益を最優先させるし相手に仕事を押し付けるのが得意である。そして移民局は役所でありどこの国でも役人が考えることはあまり変わらないし更に移民局で働く移民と言う構造であるからますます複雑混迷となる。


だから移民局とやり取りをする時に日本的な常識は通用しない。NZの人の良さも通用しない。ならばこちらも彼らのルールで戦わねばならないのだ。


良いとか悪いとか価値観の問題を言い出しても問題は解決しない、ビザをあきらめるか彼らの価値観を受け入れて出来るだけ円滑にビザが取れるようにするか。結局真面目でお人好しで他人と組んで仕事をすることが得意の日本人には最も苦手な、おれかお前か駆け引きの世界なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2011年05月21日

舌禍

昨日の内閣参与の話が舌禍とすればニュージーランドにも舌禍はある。この国に住む限りやっぱり発言には注意が必要だ。

 

ユダヤ人ジョークと言うのがあって、ひねりが利いて実に面白いのだが、一つ間違えるとどえりゃー問題を起こす可能性がある。なぜって、相手がどう理解するかは相手の知性の問題であり、以前も記事にしたがTVONEのアナウンサがーインド人総督の問題をジョークの対象にしたらインド人から大反発を食らって番組を降ろされた(最近はまた他の番組で復帰しているが口はあいも変わらずだ)。

 

特定の場所で特定の人に発言した積りでも言葉が独り歩きすることはよくある。とくにぼくのような日本人が地元で生活をするには、ジョーク一つ使うにしても時と場所と相手を選ぶ必要がある。

 

ユダヤ人や中国人とのパーティで使うジョークならこんなのもある。

キリストと油絵の違いは?

油絵は一本の釘でぶら下げられる。

 

けどこれ、真面目で低能なキリスト教徒が聞いたら最初は何がおかしいか分からずに、笑いのポイントが分かってもなぜそれがおかしいか分からず、最後には腹を立てて本気で怒ったりする。まともなキリスト教徒なら異教徒の冗談と無視または付き合いで苦笑してくれる程度であるが、やはり喧嘩になる危険性は高い。

 

マオリと飯を食う時ならこんなきついジョークもある。

「おいお前らお人好しだな。白人が来て空を見上げさせて天に神様がいるって話している間にお前らの足元の土地を白人がかっぱらっていったんだよな〜」

なんてのも結構受けてくれる。「そうなんだよな、あんときゃしまったよな、パケハ野郎め〜しっかり仕返ししなきゃな」となる。

 

シドニーからビジネスマンがやってきた。

“Hi How is Sydney!”  (シドニーはどうだい?)

“still there”      (まだあるよ)

こんなのは誰相手でも使えるのでとげはない。

 

舌禍で地元ネタになっているのがカフェ、つまり公衆で母乳授乳をしていた女性に店のオーナーが隠すための布を用意したら「ふざけんな!この国では公衆で母乳授乳をする権利があるのだ!」と大喧嘩になり、それがネットで広まり大騒ぎ。

 

実際にニュージーランドでは法律で認められており、法律の文意でいくと母乳を与える母親の行為を止めさせようとすることは違法ですと明確に書かれている。しかしそれにしても喧嘩するような話じゃないでしょ、てか普通のキーウィは普通に布を使ったりスカーフとか使ったりしているよ。

 

けれどこういう左翼崩れの権利大好き仕事大嫌いな連中は何につけても文句を言いたがる。今のニュージーランドの方向性としては1984年を境に自由経済主義に移行しているが、いまだ社会主義政権の頃の夢が忘れられない連中が何かにつけてケチをつけたがる。

 

以前も書いたがカフェで昼間にお茶をしてた中国人女性が広東語で話してたら通りかかったおばあさんが「ここはニュージーランドよ、英語でしゃべりなさい」なんて平気で言う国だ。

 

これからニュージーランドで生活をする人は地元とのお付き合いでパーティに呼ばれたりするだろう。ジョークはお互いの距離を近くしてくれるし親密感は増す。ただそれも時と場所と相手によりけり、まさにTPO(time,place,occasion)をどこまでわきまえているかが計られる瞬間でもある。

 



tom_eastwind at 10:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月17日

ネットリテラシー

最近は電話で移住の問い合わせを受けるケースが増えてきた。日本からは直接電話で問い合わせしてくるのだが、やはり海外の会社にメールを送る不安があるのだろう、だから電話をするのは正解だと思う。当社スタッフはほぼ全員日本人であり電話をとるときも最初から日本語対応にしている。

 

ネットにいくらかでも不安を感じるのであれば原始的ではあるが電話が一番確実だ。相手の声も聞こえるし雰囲気も分かる。第一こちらの情報提供を出来るだけ少なくすることが可能だ。

 

実際にメールアドレスを持っていても使いこなせていない人もまだ多い。メールを送ってきてこちらから回答するのだが何回送っても「なんで返事がないんだ!」とメールが来るが受け取り側が受信拒否操作をしてたら、そりゃ受信出来ません。「そちらから変なメールが送られてくるがどういう事だ!」いやいや、それはSPAMメールと言ってこちらのアドレスを真似しているだけです。

 

でもって「アフリカの金と政府ネタメール」とか「宝くじ当たったよメール」を受け取って、自分の幸運にどきどきしながら「まわり、誰も見てないよねどきどき」みたいな感じで夜中にもう一回パソコン開いて「おー!おー!」と喜ぶ人たちもいる。

 

メディアリテラシーとネットリテラシーは文字情報を読み解くという意味では同じだが、駅のキオスクで買った朝日新聞が勝手にこっちの情報を取りに来ることはないこちらからの「一方通行」なのに対してネットの場合こちらからアクセスしていく双方向なので自分がアクセスした先がどうなっているかが分からないわけで、その意味ではネットの方が危険性が高い。

 

しかし情報量はネットの方が圧倒的に多いのであなたの脳をこれからも活発に利用するつもりならネットリテラシーを身に付けて「なんじゃこりゃ?あやしいぞ〜」と見抜けるようになるとかなりたくましい味方になってくれるのは事実だ。

 

そういえばもう一つ面白い事があるのだが、東北地震の際に当社のお客様に「大丈夫ですか」メールを送ろうと思って調べてみたら、当社のお客様は東北にたったおひとりだけ、それもその方は以前ニュージーランドに在住されていた方だった。

 

東北の人にとって海外ってのは遠い世界の事だろうし移住ってのは東京に行くことなんだろうな、思わずそう実感した。

 

けれどこれからの将来を考えていけば東北と言えど日本国内であり厳しい現実が待っていると言わざるを得ない。何せどれだけ働いても日本政府と言う相手の平の上で踊っているのだから、これから導入される国民総背番号制で収入は完全に捕捉され年金は削減され税金は増えるわけだから海外と言う選択肢も視野に入れていくことも必要ではないかと思う。

 

海外と国内と税法や収入や生活などいろんな面を比較して選択肢を持った上で、それでも日本国内が有利であれば日本を選べば良いと思う。とくに言語の問題は日本人には辛いものがある。

 

しかし選択肢を考えもせずに持ちもせずに毎日真面目に仕事をして「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」状態になってしまってから後悔しても始まらない。少なくとも本人は「働けど」で納得するにしたって子供には広い世界を見せてほしいと思う。

 

その為の第一歩がネットリテラシーを高めて海外の情報収集をすることである。インターネットには危険な情報も出回っているが同時に国内メディアでは取得出来ない情報がたくさんある。個人的には危険度対有益度でいけば2:8くらいだと感じている。ネットは強力な拳銃のようなもので使い方を間違ったら自分が死んでしまうがうまく使えば敵をやっつける道具になる。

 

石川啄木の時代はネットもなくさすがに海外と言う発想はなかっただろうがそれでも彼は函館まで行ってる。当時の函館は東京よりも国際的だったという話もあるから随分と自由だったのだろう。ネットリテラシーを身に付け選択肢を増やすこと。これを出来るかどうかがこれからの日本を生き抜くための一番大事なポイントになってくると思う。



tom_eastwind at 19:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月11日

5月28日と29日に説明会を開催します。(ご案内)

日本社会の現況

 

説明会をするとお客様からいろんな質問が出てくるが、要約すると大体下記の様になる。

 

問題点として

1・少子高齢化による社会保障の不安(財源ないじゃん)

2・子供の教育環境や生活環境の不安(原発、非国際化、主体性志向のなさ)

3・相続税増税などの富裕層狙い撃ち増税(金持ち追出し政策)

 

対策として下記を説明する。

1・社会福祉と政治の安定した海外の国に移住する。

2・原発のない国に移住する。

3・子供の教育環境と生活環境の良い海外に移住する

4・親子で移住して資産の海外相続をする

 

そうなるとそれをどう周囲に説明するかとなる。

1・子供には沈むタイタニックの中の席取り競争ではなく青い海で生活をさせたい。実際に日本で東大を卒業してもまず米国IBM本社の社長にはなれない。けれどニュージーランドで勉強して西洋社会の思考が出来れば可能性はある。

 

2・移住とは日本を捨てることではない。沖縄や隠岐島に移住するのと同じ引越しであり、ただ居住地を海外へ移すだけの海外引っ越しだ、ビジネスも心もすべては日本にあるが、日本政府の為に働くつもりはない

 

3・日本政府へ納税をすることの無意味さ、結局一部の特権階級のみに税金を取られて社会全体に公平に行き渡らない問題。

 

4・日本と日本政府は違う。政府はいつも「日本を好きですか?だったら税金払ってください」とうそをついて誤魔化すが、本音は「日本政府を好きですか?だったら税金払ってください」なのだ。寄付を認めない社会構造、すべてがお上ありきである。そんな政府とは付き合いたくない。

 

原発問題でしばらく中断していた移住説明会を再開することにした。5月28日と29日。この説明会が5万人移住計画の一助になればと思っている。



tom_eastwind at 14:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年02月19日

武富士の判決

武富士生前贈与:1330億円課税取り消し 国側逆転敗訴

2011218 1650分 更新:218 1926


 消費者金融大手「武富士」(会社更生手続き中)の故・武井保雄元会長夫妻から海外法人の株を生前贈与された長男の武井俊樹元専務(45)が、贈与税など約1330億円の課税処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は18日、課税を適法とした2審判決を破棄し、処分を取り消した。

 

判決は「元専務は当時、海外を生活拠点としていたため課税できない」と判断した。個人に対する追徴課税取り消しでは過去最高とみられる。

 

 判決で国側の逆転敗訴が確定。国は約400億円の「還付加算金」などを含め、計約2000億円を元専務側に返還する見通しだ。

 

 訴訟では元専務の生活拠点の認定が争点となった。贈与時(99年)の相続税法は、海外居住者が国外財産の贈与を受けた場合は非課税と規定。元専務は97〜00年の3分の2を香港で過ごしたが、国側は、課税逃れの海外滞在で実質的な生活拠点は国内と主張した。

 

 これに対し、小法廷は「滞在日数という客観的な要素で決めるべきだ」と判断。「税回避目的で海外滞在日数を増やしていたとしても、当時の法律では課税は違法」と述べた。

 

 1審の東京地裁(07年)は「国内に生活拠点があったと認定するのは困難」と処分を取り消したが、2審の東京高裁(08年)は「税回避目的で海外に出国して滞在日数を調整しており、課税は適法」と判断していた。【伊藤一郎】

★ここまでで記事終了

 

出たな。それにしても日本の司法がこうもまともに結論を出すとは思わなかったな。

 

基本的に日本の司法は人間の生活のすべてを違法になるように法律を作っておいて、自分たちの気に入らない人間は逮捕して告訴して有罪判決となり、自分たちの身内のことであれば明確な違法行為でも問題としない。

 

こりゃ、選ばれた裁判官の資質が良かったのか、それとも何か裏があるのか、喜びたいけど・・・、あ、そうか、分かった!この時期に同じように海外生活をしていた金持ち役人の子供がたくさんいるんだ(笑)!

 

けどまあ何にしても滞在日数の穴もそろそろ埋められていく。相続を本気で考えるなら海外滞在ではなく海外起業の方が効果的である。



tom_eastwind at 12:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年02月14日

ニューヨーク 人種のるつぼにて

今日のお昼はお弁当売りさんから6ドルのエビフライ弁当を買って休憩室で食べてスタッフとおしゃべりしながら“そういえば”と思いだした。

 

現在ニュージーランドに移住する人は現地学校に通う費用とか会社を設立するだとか基本的には“ある程度”の資金がある。なければ移住出来ないのだから当然だろう。

 

けれど戦前の移民は片道切符、長男が親から畑を貰ったら次男は仕事がなくなるわけで、お金がなくて貧しい農村の次男坊は明るい未来を夢見て海外に移民した。

 

そこで話が米国に移民した人たちのことになった。とくに移民した日本人が第二次世界大戦で収容所に強制収容されて味わった苦労と“おれたちの祖国と母国”に挟まれて悩みながらそれでも米国旗の為に命を投げ出して日本人の名誉を守ろうとした若者がいた。

 

そこで「あ、思い出した、2003年に当社が発行していた月刊情報誌でちょうどその記事を書いてたな」と思い出した。

 

ちょっと古いけど引っ張り出したので、移住をお考えの方、海外で生きるという事を少し違った視点から見てみればいかがでしょうか。

 

★ここから記事開始

 

日系二世のみで編成された442部隊。第二次世界大戦で米国兵としてヨーロッパ戦線で戦った日系二世兵士は約16,000人いる。個人勲章1万8千143個、戦死傷率314%。

 

一人最低一回は勲章を貰い、最初に配置された兵は勿論、交替の兵も合わせて、ほぼ全員が何度も傷を負い、そして多くの兵が戦死したが、脱走兵が唯一人としていなかった事でもよく知られている。

 

戦死傷率、個人勲章授与数は米国史上最も多く、時の大統領が「彼らこそ本当のアメリカ人だ、肌の色の問題は関係ない」と感激した事でも知られている。勿論これは米国内の事であり、殆どの日本人が知らない事実である。

 

少し長くなるが、逸話がある。戦争中、フランス戦線で敵の包囲に遭ったテキサス部隊211名を救助する為、442部隊は休暇を取る間もなくドイツ軍によって包囲された大隊の救出を命じられた。テキサスからやってきたこの大隊は敵陣地に深入りしすぎたのだ。二世部隊は多大なる犠牲を払い作戦に成功する。

 

それで師団長はじきじきにねぎらいとお褒めの言葉をかけようと、連隊長に命令した。一件も外出許可を出すな。全員足止めさせておけ。激戦の後でうっぷんを晴らしたいのはやまやまだろうが、と。

 

当日、各中隊の点呼結果が報告された。E中隊がその日連隊最大の中隊だった。整列した隊員42名。中隊の定員は197名だった。I中隊はわずか十数名しか残っておらず、たった一人の二等軍曹が指揮を執っていた。

 

将軍は連隊長を叱り、こうたしなめた。「連隊全員を集めろと言ったはずだぞ。外出許可を出したようだな」

 

連隊長は答えた。「連隊全員であります。残りは負傷、もしくは戦死しました」。

 

戦闘参加者800名。戦死187名、プレイベートライアンを思わず思い浮かべるが、第二次世界大戦中に日本人が命を賭けて、命を捨ててまでアメリカ人を救ったのだ。

 

ニューヨークに行くと、第二次世界大戦中に収容所に入れられた日系移民の話をよく聞く。アメリカに渡りアメリカ人として生活をし、差別にもめげずにアメリカを祖国として愛した移民。

 

にも関わらず、祖国が起こした戦争の為に、たった一晩で敵性国民になったのだ。「移民許可証を持ってても、あいつはジャップだ。見ろ、あいつの肌の色を!」

 

そして彼らは武器を取った。母国と、収容所で飢えている、愛する家族の為に。

 

二世部隊は、命を賭けて家族を守り、家族は命を賭けてアメリカ人になった。その中の一人に、部隊に参加し負傷し、パープルハートを授与された米国上院議員ダニエル井上氏(ハワイ選出)もいる。彼は移民社会の中で国家的地位を勝ち取った。

 

彼らにとっての日本は勿論祖国だ。しかし、その祖国日本が母国アメリカに戦争を仕掛けたら、あなたはどちらの立場を取るだろう?二つの国を持つ人の、生まれ持った葛藤がそこにある。

 

また、あなたの子供はどちらの立場を取るだろう?もし子供に、「何で日本人なんかに生んだんだよ!」と言われれば、どう答えるだろう。

 

歴史に「もし」はなく、そのような決定的な瞬間に出会わないまま移民として生きていく事の方が多いだろう。起こりもしない事に悩む必要はないだろう。でも、もし「決定的な歴史の転回点」に立たされたら?そして実際に、多くの日系移民が選択を迫られた。

 

12月、人種の坩堝のマンハッタンは厳冬である。マイナス11度、道路に粉吹雪が舞う中、ゆきは風邪気味の体をコートとマフラーで包みながら、毎朝早くからダンス教室に通う。「早い時間の方がね、昨日ブロードウェイに出てた人とかが来てるんで、すごく勉強になるんです。」

 

26歳、ニューヨーク在住3年目を迎える。元々日本ではプロダンサーで、生活も安定していた。でも、ブロードウェイの踊りを見る度に、子供の頃からモダンバレーを学んだ体が自然に踊りだすのを感じた。「今しかない」そう思った彼女は、親の支援もないままに、手元のお金をかき集めてニューヨークに渡った。

 

レストランのウェイトレスや皿洗い等、様々なアルバイトをしながらも明るく答える彼女。「ニューヨークのレストランで、あたし達みたいな学生がいなくなったら、半分がとこ潰れるんじゃあないですか、やる事多すぎだけど、今は最高に幸せですよ!」。

 

多くの若者が夢を求めてやってくる街。中途半端に妥協せず、最高のものをここで手に入れる。「出来ない」とは絶対思わない。絶対出来る!そんな気持ちがなければ最初から来ていない、毎日が充実している。

 

「私の夢はブロードウェイに立つ事。オーディションも何度も受けたけど、まだまだうまい人が多過ぎて、私まで順番が来ませんよ、でもね、ここで踊りを見てるだけで目が肥えます。日本の歌番組ビデオでバックで踊る知り合いとかを見てると、おっくれてるな!と感じますね。まだまだ人生は長い、もっと勉強しますよ!」

 

二世部隊には母国と家族を守るという目標があり、泥だらけの戦場で命がけで追いかけた。ゆきにはダンスという目標があり、粉雪の降る中で夢を追いかけている。一方は究極の選択であり、片方は飽食の時代の選択だが、お互いに目標は明確だ。

 

その国の国民になる事が目的の人もいれば、その国で学ぶ事が目的の人もいる。

 

どちらも、目標があり、自分で選択した。ある意味、誰よりも幸せではないだろうか。なぜなら、目標に向って努力しているから。

 

ニューヨークは人種の坩堝だ。アメリカ人が日本人にビルを売り、日本人はメキシコ人にテレビを売る。中国人は道端で新聞やピーナッツを観光客に売り、韓国人はデリ(コンビニの一種)で黒人にコーラを売っている。

 

この街で生き抜こうとする人に肌の色の違いは関係ない。あるのは、目標を持って強く行きぬく人種と、競争に敗れて道端に座り込んでいる人種だけだ。勝者と敗者の差は大きい。目標を持たない事の怖さを感じさせる街だった。

 

次回は日本から。



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2011年01月02日

地方市民国家

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「関西は独立せよ」と言う池田ブログが人気?と言うかいつものように周囲に議論を巻き起こしている。

彼は極端なまでに頭が良くて合理的に考えてそのまま発言するからなのだろう、日本大好きの感情論者からすれば「何て奴だ!そいつは気に食わん」と相手の議論の趣旨も理解出来ずにぎゃーぎゃー書き込んでみたり、役人からすれば隠しておきたい本音をどんどんばらされるからやってられない。

大学の学者が最近続けて何人も「国策捜査」で痴漢にされたり風呂屋泥棒にされたりしているが、次は池田じゃないかなんて見方もあったりする。

今回は関西独立に関する観念論的な主張であるが、問題点の把握と解決策の提示としては非常に面白いと思う。

例えばニュージーランドは人口が400万人、最も大きなオークランドでも人口は140万人と、日本で言えば福岡県サイズである。

福岡県サイズが独立国として主権を持って外交政策を持ち国内で徴税する仕組みを持ち、ちっちゃな国ながらも国連に大使も送ってアフガニスタンや東ティモールに国連部隊としてキーウィ兵士を送り込んでいる。

そう考えれば池田ブログの「関西の二府四県の人口は約2千万人、GDPは世界13位、韓国より大きな独立国になり得ます」と言う言葉もそれなりに現実的である。

北欧タイプと比較する場合も、彼らは人口数百万人の国であり地方主権が明確である事を考えれば、日本は中央集権とするにはあまりにも大きすぎて価値観が違いすぎる人々が一緒にいるから、いつまで経っても船頭多くして船山に登ることになる。

自民党が右に引っ張ったら民主党が左に引っ張り、結果的に国家としては全然前進していない。つまり一つの国家でありながらあまりに各地の利害関係や価値観が違いすぎているのではないか、それが結果的に今の日本の停滞を生む一つの要素であると思う。

国の境と言うのは一つは個人の価値観だろうと思う。同じ価値観を持つものが同じ地域に集まって彼らが自分たちが望む市民国家を作れば良いのだ。

この際に大事なのは市民国家がすべての徴税権を持ち、市民国家の連合体である中央政府には外交と防衛のみを任せて、各市民国家が中央政府役人を「雇う」ことにすれば良い。

この仕組みの良い点は同じ価値観を持つ人々が集まるから市民国家としての意思決定が早く、更に自分の払った税金が自分の住む街にそのまま反映されるわけで、そうなれば関西3空港なんてバカな役人太り仕事なんて絶対に認めないだろう。

「関西には3つの空港が必要だ、どこの空港も儲かりまっせ。だから税金を払って下さい」と言われて「はいはい」と払う関西人がどれだけいるだろうか。よそからカネを持ってきて作ったから3つも空港が出来たわけであり、自分の金でなら「こんな狭い地域に空港3つも作って採算合うわけないでしょ!」となる、あり得ない話だ。

要するに地域のお金を地域で運用して、その使い道を判断する場合の価値観が同じ人々が集まっていれば文句が出ることも少ない。

昔ある集まりで日本全国から代表が集まる事があった。その時北海道出身の議員は「雪害対策にカネがかかる、石炭代も必要だ、中央で負担してくれ」と言った。

すると沖縄の代表が「雪の降らない沖縄の人間が何で北海道の雪害対策を負担しなくちゃいけないのか、君らはそこに好きで住んでいるんだろうが」と言う議論になった。

そして東京に住んでいる議員は「東京は家賃が高いから住居手当をくれ」と言ったところ、地方議員からは「お前らは文化の中心地にいて、いつでも演劇や買い物を楽しむ事が出来るではないか、ぜいたくを言うな」となった。

住む場所の自由は憲法で保証されており一般的な民主国家であれば憲法で保証してもらわなくても自分がどこに住むかは自分の自由だなんて当然のことだ。

子供の保育所が充実している地域や住民税が安い街に移るのも本人の自由だ。だから今のように日本中に万遍なく散らばっている「価値観の違いすぎる人々」をそれぞれ価値観の合う地域に集めてしまえば良いという案もありである。

まあ実際には日本の場合憲法改正などが必要で実現は不可能かもしれないが、政治談議を床屋で他人事みたいにやるよりは、自分たちの街をどうするかって話だから当事者意識は非常に強くなると思う。


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2010年12月06日

3年目の移住

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3年後に移住を希望しますという問い合わせに対しては、では2年後にお話しましょうとお伝えする事にしている。

この意味は、移住に関する法律はしょっちゅう変化しており、今現在の法律がこうだからと言って3年後が同じとはならないからだ。3年後の移住を考えるのであれば最低限の英語(IELTS6.5)と手に職(シェフや大工とか)を持つことではお勧めではある。

ところが最近の移民法改正で、ビザは今取っておいて実際の渡航は3年後と言う方法も見えてきた。それが投資移民のカテゴリー2である。

これは150万ドルの投資を4年間すれば永住権が取得出来る枠なのだが、「いや、資金は何とか用意出来ても今は仕事しているから身柄を移せるのは3年後なんですよ」と言うケースに対応出来る。

移住やビザと言えば、申請すればすぐに渡航というイメージがあるが、実際にはどのビザでも発給後から渡航までに1年程度の余裕を持たせている。

これをカテゴリー2に適用してみよう。

勿論150万ドル(約1億円)を用意出来ることが前提であるが(なくても諦めずに最後まで読んでみましょう)、投資と言っても内容はトリプルA企業や市役所の市債や国債など銀行レース並みの投資先で利回り6%程度のポートフォリオで構成されており、日本の30年もの国債よりはかなり安定していると言える。

投資期間は4年だから既発債を4年だけ持っておいて永住権が取れれば市場で売却すれば良い。簡単に言えば日本円だけで作るポートフォリオは安定性がないので外貨を加える、それをNZドルにしてリスク分散を狙うという事だ。

こういう投資を行った上で永住権を取得出来るとなれば、

1・高い利回り(約6%)+
2・為替リスク(米ドルと円は分散とは言えない)+
3・カントリーリスク(つまり日本国家にいる事の危険性)の分散

と言う意味で非常に効率的な投資であると言える。

永住権は、結果的に不要であれば取り消しをすれば良いだけで、取らなくても何の罰則もない。もちろん投資は4年以上続けても構わない。満期まで保持しても良いし組み替えても良い。

では日数計算をしてみる。

例えば2011年1月に申請をしようと決めたとする。最初の仕事はまず弁護士との面談である。ここで自分の経歴と今後の方針を説明すれば、彼らがそれに合わせて必要書類を作成にかかる。

一般的に初回面談で弁護士から「これとこれを日本で用意してください」と言われる書類を揃えるのに3ヶ月程度かかる。無犯罪証明、健康診断、資金の出所、などなどである。

でもって全部揃って弁護士が書類を作成し終わったら再度弁護士と面談をして弁護士が揃えた書類に問題はないか、方向性と内容の再確認である。これで問題なければ移民局にLodge(提出)する。これが4月上旬である。

次に移民局の審査であるが、これは大体3ヶ月程度かかるので、移民局と弁護士がやり取りをしながら最終的に申請が受理されるのが8月頃である。

8月に「あなたの書類は全部OKなので、これから12ヶ月以内に投資を開始してください」となれば、ANZなどの銀行経由で投資を行う事になる。

つまり2011年8月から1年後の2012年8月に投資を開始すれば良いのだから、それまでの間永住権を取得する権利は留保されている。

そして2012年8月に投資を開始しても実際に渡航するのはまだ先だ。最初の一年目は渡航する必要がないので、実際に渡航をするのは2013年8月である。

でもって2年目に必要な滞在日数は146日だがこれは約5ヶ月なので最初の半年は渡航する必要がない。つまり実際に渡航して生活を開始するのは2014年2月で良いのだ。

これで3年分の日数が稼げた。

実際には投資に必要な150万ドルを最初にNZに移しておいて移民局に申請する際には「すでに私は資金移動もしているし確実に投資が出来る人物である」と証明することも移民局の心証を良くするのでお勧めしている。

更にこれは裏技だが、投資開始時期については最初の1年で資金は準備出来たけど気に入った投資先がないと言えば更に1年延長してくれるので、実質的には4年後の渡航でもOKなのだ。

最近ひしひしと感じるのは、世界中のあちこちの国が自国に優秀な人材や資産家を取り込もうという姿勢の強さである。

シンガポールや英国等はすでに国境や人種の意識がかなり薄れており、自分の地域経済を活性化させて優秀な人物により国を構築しよう、その為には永住権は優秀な人材を呼び込むための「寄せ餌」であり、原価ゼロの商品を高く売りつけようという姿勢だ。

ビザと言うと日本では今だもって「お上が発給して下さる有難いもの」と言う感覚が強いが、ニュージーランドではすでに「売り物」となっている。これはビジネスとしては利回り良いよね、原価ゼロの永住権を150万ドルで売っておまけに人材まで引っ張り込んで今後の人生で納税をNZで行わせるのだから。

ビザについては思いっきり割り切って考えて良い。自分が優秀であれば、資産があるのならそれを利用して永住権を買ってしまえ、そして生活はのんびり出来るニュージーランドで、仕事はカネになる日本で。

これも裏技であるが、最初の投資金額である150万ドルなんてないよ~、そう思う人もいるだろうが、これも考え方次第である。もしあなたが自分の暮らす街や家族親戚に信用があるのなら、「年利回り3%でNZドル建て商品に4年間投資をしませんか、期間中の管理は私がきちんとやります!」と言って良い。何人かから投資を受ければ良いのだ。

これは起業家ビザの際も利用出来るのだが、移民局からすれば資金の出所がきちんとしていて説明が出来るのならば問題ない。

もちろんここにも実際は細かい規則があるのでその当たりはケースバイケースで対応する必要があるし、筋書きはきちんと整理しておかねばならない。ただ、こういう方法もあるのだ。

何だかそれで良いの?と思うかもしれないが、それは日本の常識が頭の中に入ってるからだけだ。世界の常識は「優秀な人材は国境を越えて移動出来る」なのだから、移住を考えるのであれば日本の常識は捨てて様々な方法を検討してみることだ。

写真はお隣のビルの10階で窓拭きをしているクライマーの皆さん。よーく見てください、サングラスして壁を磨いてる楽しそうな連中が見えますよ。まったくこの街は、趣味と実益が一致しているなって思わせる瞬間でした。


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2010年12月04日

ウエストフィールド指数

b81a65be.jpgハリーポッターの最新作が来るというのでAlbany(アルバニー)のWestfieldShoppingCentre(ウエストフィールドショッピングセンター)に向う。

こういう複合エンターテイメント施設は英国人の得意とするところなのだろう、オークランドでは各地域に一箇所づつある。

英国人がこういうのが得意と言う意味は、彼らは自分の土地を使って横にどんどん広げて合法的に大きな施設を作りそこで人々を遊ばせるという意味だが、要するに英国人としては一度開発したら後はカフェでお茶を飲んでるだけでお金がちゃりんちゃりんと落ちてくる仕組みがdaisukiなのだ。

彼らの手の上で踊る、つまりテナントとして入居して入店客相手にビジネス展開をするのがdaisukiなのが商売熱心な中国人や中東や南欧州の賑やかな連中であり、その店で一生懸命従業員として真面目に働くのが日本人と言う構図が出来上がっている。

りょうまくんを映画館に放り込んで近くのカフェでキーウィブレックファースト(KiwiBreakfast、パンとソーセージと卵とその他なんちゃら乗ってる典型的な英国式朝ごはん、けど終日朝食やってるのでいつでも注文できる)を頼む。

追加でオレンジジュースとブレックファーストティーを注文すると、ほっそり可愛らしいアジア系の女の子が少したどたどしい英語で「卵はどうされますか?」と聞いてきた。「SunnySideEggでお願いします」と言うと、小首をかしげて”何じゃそりゃ?”、そこで名札を見ると日本人の名前なので小声で「目玉焼きですよ」、するとそれまでちょっと緊張してた態度がほぐれたようで、うれしそうに「え、日本人の方ですか~」「けどここ、日本語使っちゃいけないって言われてるんですよ~」だって。

だったらオーナーさんも気を利かせて名札を「Y子」じゃなくてYevvonneとかSunnyにすればいいのに。折角日本語が出来るのに使わせないのは、スタッフが日本語で来店客とだべるのを防ぐのか、またはお店の労働条件の悪さを日本人社会に広めさせたくないからか。

それにしてもウエストフィールドの面白い点は、ほんとにその地域ごとに見事に客層が違うという事だ。

経済指標の中にはMAC指数ってのがあって、世界各地の値段を比較してその地域の経済力を図ってみたりするものだが、オークランドにおいてはウエストフィールド指数が適用出来ると思う。

ウエストフィールド指数には二つあり、一つは消費動向、もうひとつは人口構成である。


消費動向で言えば、北高南低である。つまり空港近くの地域では一人当たりの消費単価が15ドル程度なのに対してアルバニーあたりでは30ドル程度になる。つまりお金がある人は北に住み彼らの経済圏を作っている。これに東西を入れるともっとオークランドが分かりやすくなるが、東高西低である。

そして人口構成であるが、北に行けば行くほど白くなる。こんな事書くと人種差別!みたいな事を言われるかもしれないが、事実は事実である。

空港近くにはまず最初にインド人住居地があり、次の地域ではアイランダーと一部農村系中国人が住み着いている。どちらの地区も車から降りて楽しくお散歩はしたくない地域だ。

そこから更に北に行くと最近出来たシルヴィアパーク(SylviaPark)ショッピングセンターがある。ここは広大であるが粗雑でもあり、深南部(DeepSouth)から少し生活水準の上がったインド人と中国人が集まっている。アイランダーは目立つが深南部のような恐怖心を感じるほどではない、彼らと一緒に公衆トイレに入りさえしなければ。

ハーバーブリッジを超してタカプナ(Takapuna)あたりに来ると人々の雰囲気が随分変わる。上品な髪型が良く似合う白人のおばあちゃんたちが楽しそうに午後のお茶とおしゃべりを楽しんでいる。南のような不健全なぎらぎらさが全然ない。

しかしそれでもTapapunaは東だから良い。同じ緯度でも西のノースコート(Northcote)に行くと、アイランダーのガキと2ドルショップで働く若い中国人店員のおっかけっこがしょっちゅうである。万引き。遊び感覚でやってるし逮捕されてもすぐ釈放される。店としては死活問題だから相手を捕まえたら一発くらいぶん殴りたい気分だが、それをやれば店主が逮捕される国である。

この国では軽犯罪においては泥棒の人権が経営者の生活よりも優先されるのだ。最近はさすがにこりゃ駄目でしょって事で方向性が変わってきてはいるものに、それでもまだまだガキと泥棒に甘い国である。

この点においては何で英国型統治を導入しないのかなって思う。割れ窓理論を適用してガキのうちにしっかり社会的責任を教え込むというわけにはいかないのだろうか。

しかしそれも北西のグレンフィールド(Glenfield)ショッピングセンターがちょうど分かれ目になっているのかな、グレンフィールドに来るとガキの数は減る。ガキどもも、ここじゃやばいと思っているのだろう。

でもって北の一番賑やかなアルバニー(Albany)に来ると、今までの橋向こうの恐怖はナンだったのって思うくらい町が明るく上品になる。もちろんここでも週末は駐車場の取り合いで大変ではあるが、少なくとも南部のように「駐車場で車に乗ったら、まず最初にドアロックしろ」と教えているのとは随分な違いである。

昔のニューヨークにはJJタウンと言うのがあったそうだ。JapaneseとJewishは安全を大事にするので彼らは安全な街に住む。するとそこが安全だという評判が立ち、更に多くのJJが引っ越してくる。結果的にその街はJJタウンとなり治安の良い地域となる。

その正反対にあるのがハーレムだろう。昔から住んでいた住人が治安の悪さに出て行って、そこにガラの悪い奴らが移り住んできて更に治安が悪くなる。

日本はまだまだ単一民族である。在日、部落、アイヌ、沖縄など一応人種問題は抱えているものの、それは世界が抱えているものから比較すれば、まだまだ緩い。在日が差別されたからと言う理由だけで暴動が起こる事もない。

なのでどうしてもどこの街も均質化されているのだが、そこに住んでる人々からすればほんのちょっとした理由で耳くそみたいな差別を見つけて「ほら、おれたちの街だって差別があるんだ、まるでニューヨークみたいだ」と言うが、困るのはそれを本気で信じてしまい、日本の地方にある差別とオークランドにある地域別格差を同じと思ってしまい、「人が人を差別するって~、人道的に~、おかしいと思いま~す」なんて、全然当事者意識のない状態で発言する。

しかし実際は違う。人道的におかしいと思いま~すって言う連中、じゃあHunterCityあたりで生活をしてみろ、安全を感じるか?ってことだ。人権とか人道なんてのは自分の命を守ってからゆっくり考えれば良い事だ。

どこに住むか、これは本当に大きなポイントである。例えばマヌカウ(深南部)で30万ドルの住宅があるとする。同じものをNorthshoreで買えば50万ドルはするだろう。確かに20万ドル高い。しかし、子供が怪我をしたり住宅に強盗が入ってくることで発生する損失を考えれば?

どこに住んでも事故が起こるときは起こる。まさにその通りで、Northshoreに住んだからと言って事故に遭わないわけではない。ただ確率が低いだけだ。

オークランドに移住をお考えの方には、もし時間があればウエストフィールド巡りをお勧めしたい。一日で3箇所くらい見ることが出来るので、二日もあれば僕が上記で書いたことの意味も分かるだろう。


tom_eastwind at 13:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月30日

善意の皮を被った無責任な人々

31008a9f.jpgぼくが仕事をやってて一番困るのは、善意の皮を被った無責任な人々(本人がそう思ってない事が一番困り事)がニュージーランドのイメージを結果的にマイナスにする事だ。

例えば不動産であればお客はニュージーランド不動産投資とかに興味を持つのだが、何故か日本での不動産成功体験があるから「おれ慣れてるから大丈夫」と安心している。

なのだが、結果的に自分で視察に来て現地の居酒屋あたりで知り合った日本人に「ほう、だったら地元のちゃんとした不動産会社を紹介しますよ~、日本人不動産業者なんて妙なのが多いですからね~」となる。

そしてその地元不動産屋にこてんぱんにやられてから駆け込みしてくる案件。不動産に関する法律の基本概念が日本とは根本的に違うし、地元の不動産屋は売ったら終わりで信用なんて関係ない。

何故なら彼ら不動産やは、当面やる仕事がないから不動産やってますってのが非常に多いし彼らは1年程度働いたらすぐ他の業界に行くのだから信用なんて必要ない。目先の手数料が入りさえすれば良いのだ。

ところがそのような基本的知識を教えもしないまま「え~、何でも自分で出来るよ~」なんてやってしまい不動産物件の鑑定も周辺価格調査もやらずに、買った後でトラブルになる。

紹介した日本人もよく言えば先が読めないだけだし悪く言えば無責任な間抜けなのだが、がちがちに作られた契約で買ってしまった後にはどうしようもない。そしてこの日本人も「おれ、紹介しただけで、よく知らないんだよね、あの会社のこと」なんて平気で言いのける。

悪気はないんだろうけど、人が良いだけなのだろうけど、同胞をお手伝いしようと考えているのだろうけど、結果的に善意の皮を被って無責任な発言をして他人をトラブルに追い込んでる。

ビザも同じだ。当社は日本の一般住宅の郵便受けに一枚一枚「移住しませんか」なんてビラを撒いてるわけではないし、どちらかと言えばお断りするケースの方が多い。

だから僕らとしても誰かれなく「移住しませんか~」なんて営業が出来るわけがない。当社に営業チームがいないのもそれが一番の理由だ。

移住できそうな可能性がある方にはきちんと方向性とか考え方とか将来性とかを説明するが、そうでない人には「日本にいた方がいいですよ」と伝える。

もちろん誰でも移住できる可能性はある。だから「私は出来るんですか出来ないんですか!」と聞かれれば、可能性として出来ると答える事は出来る。

ただこれはすべてにおいて比較論の問題であり、移住することにかかる手間と費用と時間と移住した後に構築できる生活を考えれば、このまま日本にいた方が幸せと言う人はたくさんいる。

日本にいれば少なくとも家族や親戚や同級生や、誰かが何かの時に守ってくれる。しかしニュージーランドに来たらそんなのないわけで、誰を頼りに出来るわけでもない。

だから、出来る出来ないではなく、移住の将来像を考えた時に果たして移住が正解なのかを考えてもらいたいということだ。

ところが当事者意識のない無責任な連中は平気で「移住?いいんじゃないの~、誰でも夢あるもんね、やってみれば~」なんて気軽に言う。もちろん責任を取るつもりはないのでイウダケ星人なのだが、言われた方は背中押された気持ちで移住計画を作る。

ところが善意の皮を被った無責任な人々は何も考えずに「え~、自分が正しいと思うこと、すれば~、人生は一回だけなんだし~」などと平気で無責任にけしかける。口当たりの良い言葉と耳に心地よく響く言葉、すべてが飾り物だと気付くのは移住した一年後である。

結局そうやって移住してきた人は現実の壁にぶち当たり「こんなはずじゃなかった・・・」と言うのだが、時すでに遅し。時計の針は反対側には回らないのです。

美辞麗句で立派なことを言って自分にうっとりしている人に対して言っておきたい。当事者能力も当事者意識もないままに無責任な発言をする事で人が不幸になっていく現実を知っているのか。

移住を希望する方に予め言っておきたいのは、移住はあくまでも比較の問題であるってことだ。移住は出来るかもしれないが、それよりも今の日本にいた方が幸せな人はたくさんいる。

よく考えて欲しい。移住とは幸せになるためのステップであり、移住を実現する為に苦労する事と移住した後に実現するであろう生活を考えてみて、それと今の日本の生活を比較してみて、ほんとうに移住した方が良いのかどうか。

地獄への道は善意で敷き詰められていると言う諺がある。今の日本のように、皆が目先のことだけ見て善意でどうのこうのやってるうちに国家自体が沈み始めている。

個人でも同じである。一番怖いのは自分が正しい事をしていると思い込んで他人を不幸に巻き込むことだ。



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2010年11月28日

学歴、職歴、ジョブオファー、関連性について

871a3833.jpg永住権を申請する際のポイントに関連性がある。よく聞かれるのが、学歴と職歴とジョブオファーの関連性である。移民局のサイトを読んでもよく分からないとかメールで問い合わせても担当者によっていう事が違うとかだ。

これね~、どう説明していいやら、非常に難しい。日本の法律や決まりだけが正しいと思ってる人にどれだけ外国の法律や決まりを説明しても理解しようとしないからだ。

関連性について一言で言えば、そんなもんの明確な定義は存在しないと言うことだ。移民局担当者が関連があると思えばあるし、ないと思えばないのである。

例えば中国の山奥で生まれ育って共産党のコネでやっとNZに来られて移民局で働くようになった人間には理解出来ない世界があり、学歴と職歴とジョブオファーの関連性について日本と言う社会では全く違った考え方をするという事を肝心の中国出身移民局職員が理解出来ないのだからどうしようもない。

だから彼らは日本人が関連性について(職員にとって)わけのわからん説明をしてくれば、何故そうなるのかとそれをきちんと調べる事よりもとっととNOの返事を書いて早く家に帰って家族とご飯を食べたほうが良いのだ。

こんな事書くと、「え~、だってNZの国策で移民を必要としているなら、優秀な移民は移民局にとって大事なお客でしょ」なんて言うのは、あなたはとっても幸せな世界で生きてきた証拠です。

彼らはやっと移民局の仕事にあり付き彼らの上司が彼らにとって最も大事な給料を保証してくれる「顧客」であり、移民局に申請してくる日本人は顧客ではない。

自分がどれだけNZの為に役立つかより、自分の上司がどれだけ自分を評価して高い給料をくれるかがすべてである。自分の為にしか働いていないのだ。

その意味で日本で日教組に所属して出来るだけ子供に教える時間を短くして夏休みを思い切りたくさん取って民間よりも恵まれた労働条件で退職後も安定した所得が得られる連中が子供に何かを教える事よりも組合にこびって赤旗振って自分の脳みそで考えたこともない社会主義がどーのこーのと”のたくってる”ようなものだ。

もちろんあなたが移民局に聞けば移民局の公式見解は「いやいや、当局の職員は皆真面目で一生懸命で云々~」と言うだろうが、現実は違うのである。

だからこれを簡単に証明する方法がある。4年制大学を出て民間企業に就職した学歴と職歴を持つ申請者の履歴書を用意しよう。そしてこれを10人の移民局担当官に同時にテスト形式で出してみよう。彼らの答は十人十色になる。

うっそ!なんて思わないで欲しいが、それほどに判断基準は担当官の裁量によるのだ。そしてこの裁量は山だしの中国人であろうが難民ビザでやってきたパキスタン人であろうが働くという観念がほとんどないようなパシフィックアイランダーであろうが一つだけ共通している事がある。

それは、仕事を出来るだけ省いて楽にしようという事であり、日本のような複雑かつ精密な国家における労働形態がいかなるものであるかを理解しようなんてせずに、最初からNOなのだ。

今までもこの説明をすると本気で怒り出す日本人がいた。「どうしてそうなるんですか!おかしいじゃないですか!何で人によって判断が違うんですか!」だって。

そういう人は今までよほど悩まずにすむ世界で生きてきたのがよく分かるが、あのね、お父さんね、あなたもある意味彼ら移民局担当官と同じですよ、他人の世界を理解しようとしないって意味で。

僕らの仕事は何が真実かを突き止めることではないしそれを顧客と議論することでもない。あくまでもニュージーランドにある考え方を説明する事である。

だから関連性については「あるのかないのか」ではなく、申請者がどうやって「あるように見せるか」がポイントとなる。

けどなー、これ、日本的優秀脳みその男性には、ほんとに説明しづらいんだよね。何でかって言うと、相手が本気になってカッカと怒って「どうしてなんですか!」となる。

大の大人を人前で侮辱するのは趣味ではないしやりたくもないが、聞かれれば正確なことを答えるしかないし、その結果として相手の無知蒙昧=他人の常識を理解しようとしない、自分だけが正しいと思ってる、を曝すことになるから、あまり言いたくないのだ。

自分に自信を持つのは良いけど、それはどうぞ自分がお住まいの地域社会で家族相手に威張ったり飲み屋で女の子相手に威張ったりする時だけにしてくださいって感じ。

「日本国内で昭和中期に作られた仕組みだけが正しくてそれ以外はすべておかしくてニュージーランドの仕組みなんて更におかしくて、おれだけが正しくて、おれはそうやって日本社会で優秀と言われてきたんだ~!」

その気持ち、よく分かりますよ。けど、だからと言ってニュージーランドのルールが変わるわけではないでしょ。だいいち日本の仕組みが正しいのであればなんで今の日本はこんなに大不況になって中国に追い抜かれて韓国に笑われて諸外国からは日本Nothingと無視されているの?

関連性は、明確な規定はない。何が正しいかではなく、どう正しく説明するかがポイントだ。自分で関連性を証明する為に自分の今までの人生で何をやってきたか、きちんとそれを形にして目の前にいない移民局担当官に納得させるしかない。


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2010年11月27日

職歴

da00cde3.jpg日本と言う国では大手企業の場合は会社勤めの初日から社長を目指すような業務体系を取る。

例えば最初は現場で修行を積んで、それから少し営業をして、ちょっと経理の部署にも行って、地方だけど総務課長とかやって人事を勉強して、本社に戻ってから違う分野の仕事をしてとか。

要するに会社全体を理解させて社長と言う一個しかない椅子目指して昇進するような仕組みである。もちろん中小企業とかだとそんな事はなく、いわゆる職人肌と言うやつで一つの仕事をずっと続ける事になるが、世間では大企業で昇進をする人の方が偉く思われている。

「あたしはそんなことありませんよ、どんな人でも立派な仕事を~」なんてのたくってる人もいるが、殆どの場合それは飾り付けであり、本心からそう言える人は少ない。

けれどニュージーランドではこれが結構本心である。農場でバイクで羊を追っかけてる若者もオークランドのシティのど真ん中で金融やってる若者も、社会的地位にはあまり違いがない。

もちろん金融やってる若者の方が年収7万ドルくらいで素敵なスーツを着ているのに対して農家の若者は年収4万ドルくらいでいつも藁だらけのセーターとジーンズに泥に汚れたブーツ姿であるが、それでも日本で感じるような「格差」はない。

社長の椅子は一個しかないんだしそんなもん目指して家庭を不幸にするくらいなら会社勤めは仕事と割り切ってれば良いのだが、そんな姿を社内で見せると昇進出来ないので、やっぱりそこそこに頑張るしかない。

でもって周囲の無責任暇人どもは「ま~、xxさんちのご主人は、ほんとに素晴らしいですわね~、xx会社にお勤めで~」となる。そういうばかどもの無責任発言が結果的に競争社会を作ってしまうのだが、やってる本人は無意識に何も考えずに発言しているだけだからより性質が悪い。

ここで書く職歴には二つの意味がある。それは永住権取得の際の「職歴」と現地就職の際の「職歴」だ。

就職の場合にニュージーランドで職歴と言うとかなり具体的である。金融であればどこのファイナンス会社かどこの銀行か、部署はどこで何を担当していたのかとなる。

いわゆる専門性と即戦力となる能力を図る意味で職歴を問われる事になるのだが、日本社会で言われる「優秀な人々」の職歴はキーウィにとっては「無茶苦茶」である。何が専門なのかが理解出来ないからだ。

「で、あなたは結局何が出来るのですか?」
日本の大手企業で働いた人の殆どがこの質問にどう答えて良いか分からないだろう。何故なら彼らは会社の昇進の為に様々な部署を渡り歩いて勉強しているが、逆に言うと専門性がないし即戦力にならないからだ。

大手企業の社内向け稟議書では立派な事を書けるだろうが、じゃあそれはその企業を離れた場合に役立つのか_?、、ならない。トイレットペーパーにさえ、ならない。

ところが日本社会では企業の名前だけで世間の皆様が「ははー!」と頭を下げてくれるから、それが職歴と思ってしまう。

説明会で職歴についていつも強調するのはこの点である。日本でずっと生活をするのであれば「ははー!」な職歴で良いのだが、ニュージーランドでは誰も「ははー!」をしてくれない。どんな立派な企業名を出しても「で、それであなたは何が出来るの?」と聞かれるだけである。

移住するつもりで移民局に書類出して、自分はxx会社のxx課長補佐で、とか言われても、「で?」で終わり。もちろん職歴としてはちゃんと点数計算をされる。ただそれは10年くらい毎年きちんと給料を貰ってたと言う意味の職歴であり、パン焼き職人でもxx銀行の課長補佐でも同じ10年なのである。

でもって実際に役立つ技術と言えば、パン焼き職人の方がずっと優秀である。大手銀行で社内向けの稟議書書いたり中小企業に威張り散らすようなのは、ニュージーランドでは技術とは言わないしましてや専門性はゼロである。威張るだけならサルでも出来る。

金融と言うならばネイティブ並みの英語を基本にして国際協調融資などのプロジェクトファイナンスをやってたとか債権とか為替のトレーダーをやってたとか、そういうのを専門性という。

だもんで説明会で職歴を話すときには、「一応永住権申請の際には職歴はポイントになりますが、実際の現場では専門性を重視されます。なのでもし稟議書書くのが本職の方でしたら、今からでも遅くないので東京寿司アカデミーで短期集中型の寿司職人コースを学んでください」と言ってる。

こんな事言うもんだから東京丸の内あたりで金融関連の仕事をしてて綺麗なネクタイしている課長補佐あたりからは嫌われるのだが、ぼくの仕事は事実を伝える事であり「ははー!」はぼくの仕事ではないのだ。

皆さんに1万円払って参加していただく説明会は、最新で正確な情報を提供する事であり、「ははー!」して欲しければ六本木あたりのお店に早い時間に行って60分坐ってればよいのだ。

話はそれたが、永住権を取得する為の職歴は、実はあまり難しく考える必要がない。

永住権を取得する為に必要なのは学歴、職歴、ジョブオファー、そしてそれらとの関連性であるが、これはまた次に書くとして職歴の部分と言うのはどこの企業で働いたかではなく、何年きちんと誰かから給料を貰って仕事をしたかという意味である。

10年も仕事をしていれば、そりゃあきちんと社会に根付いてる善き市民と判断される基準の一つになる。失業10年!なんてのはやっぱり駄目だよな、その反対の意味での職歴であり、内容にはあまり大きな意味はないと思ったほうが良い。

ここまで書くと書きすぎかなとも思うし職歴の定義を誤解される可能性もある。しかし一般的な書き方をしたら更に誤解、それも自分に良いように解釈して、後になって「あいつの言ってること、違うじゃん」とならないようにちょっときつめに書いているのでそのあたりはご理解を。

ぼくらは永住権申請の際の無料診断というのをやっている。ご本人の経歴をニュージーランド移民局の点数計算にあわせて場合に何点になるかという奴だ。

通常は140点以上あれば永住権申請が可能であるが、100点以上でも申請は受け付けてくれる(プールと呼ぶ)。なんじゃこの書き方?と言う感じであるが、分かりやすく言えば140点以上あれば合格、100点以下なら補欠で、合格者が予定数に達しなかった時に不足分だけ補欠から選抜されるという意味である。

でもって、4年生大学を卒業して8年くらい給料を貰ってて(派遣とか正社員とかの違いはない。あんな差別をしているのは日本の習慣でしかない)、健康であり犯罪歴がなければ大体の場合100点くらいまではいける。

学歴については移民局がどう判断するかはケースバイケースだが、職歴の場合はきちんと給料さえ貰ってれば問題なく点数に加算される。

つい数ヶ月前までは失業率の高まりを受けて技能移民枠の永住権申請は取りにくかったが、なんだかここ2ヶ月くらいは”緩んできたかな?”と言う感じがする。これは景気が戻ってきて失業率も下がり、経済に勢いをつけようとする政府の施策なのかなと思ったりもする。移民局の連中は口が固いから余計な事は一切言わないけど、技能移民の道も最近再開されたか、なんて感じを受ける。

まあいずれにしても職歴は普通に日本人やってて普通に給料を貰ってれば「永住権申請の場合は」問題ないが、実際の就職では全く違った見方をされるという事をよく理解しておいて欲しい。


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2010年11月26日

学歴

309f6bfc.jpg大卒と言う学歴は、大学に「入学」した事で取れる資格試験である。これは子供の頃から競争社会に順応してますよ、だから御社でも役に立ちますよって意味の「証明」でもある。

いきなりこう書くとびっくりするかもしれないが、もし卒業時点の資格、修士とか博士の肩書きで就職活動を行うのであれば、何故卒業前に内定と言う制度があるのか?何故入学して勉強中の学生の青田刈りをするのか?

これは要するに大学に入学できた事ですでに「当社に入社出来る資格がある」と看做された証拠なのだ。だから大学でどれだけの事を学んでどれだけ素晴らしい論文を書いたかなんて殆ど意味もない。ありゃ卒業する為の最後の「社会への忠誠心の表明」である。

ところがNZでは高等教育(大学)は本当の意味で学歴である。どこの大学かも大事だが学部がもっと大事でありBAとかBBLとか、どのような専門高等教育を受けて資格を取ったのかを聞いてくる。この「専門領域」と雇用者が希望する「職務内容」が一致した場合に採用となる。

彼らと話をするとびっくりされるのが、日本では東大法学部を卒業して外務省で働いたりするというと、それは国際法をクリアーする為の専門職かと聞かれる。

「違う。彼らはキャリアと呼ばれる総合職であり将来的に外務省の高い地位の管理職になる予定で採用されている」

そう言うとみな一様に「きょとん??」とした顔をする。なんじゃそりゃ?東大は置いておくとしても、法学部は法律に興味があって弁護士や裁判官や検察を希望しているからでしょ、少なくとも企業弁護士として働くのが当然ではないの?

いや違う。日本の大学は資格試験であり、どこの大学のどこの学部に入ったかが大事であり、入学後に専門領域を勉強したかどうかは重視されない。そりゃそうだ、だって卒業、入社してからやる仕事は大学の専門領域とは全く関係のない部署だからね。

だったら何で大学で4年間も過ごすのか?資格試験なら18歳で資格を取ってから会社の入社試験を受ければ良いではないか??

真面目な答=それが日本の決まりだ。決まってるんです。

ふざけた答=いやいや、青春は二度と帰ってこないし、一旦日本の会社に入れば休暇も休日もなく残業だらけだ、それを知ってる若者は入社する前の4年間の長期休暇を先取しているんだ。

いつの間にか本来の意味の学歴と日本における学歴の定義がずれているので、これが諸外国の皆さんに理解出来ない。当然であろう、諸外国には60歳定年まで永久就職とか年功序列なんて制度がないので、一人の人間が一生同じ会社で働くという意味が分からない。

さらに、大学は入学する事が大事であり、卒業は簡単なのだから、入学して次にやるべきことは大企業の内定を早く貰う事だ、内定さえ取れれば後は勉強しなくても良いのだなんていうと、ますます???????である。

さて、ここからが仕事の話になる・

ぼくらはお客様が移住可能かどうかの無料診断をする際に必ず学校名だけでなく具体的に何の勉強をしたのか、すべて列記してもらう。そしてどの学歴のどの部分が現在の職歴と関連があるかを見つけるのだ。

お客様からすれば都内の一流大学の工学部のIT関連の学科を卒業した後に金融機関に就職、配置されたのは地方のxx支店の営業なんてのは普通の話。ところがこれを移民局に持っていくと「お前はふざけているのか、それとも彼は何か問題があるのか?いずれにしても職歴と学歴が関連してないので技能移民の学歴ポイントにはならない」となる。

ここで永住権の技能移民のポイント制度を書くと長くなるので当社のサイトを見てもらえば良いが、要するにニュージーランドの常識では工学部のIT関連の学科であれば彼が就職する先はどこの企業でも良いがIT関連の職場であるはずだとなる。

僕らはその度に日本のような終身雇用制度を弁護士を通じて説明する(何故ならぼくらは移住コンサルタントではないので直接説明する事も手続きをする事も出来ない)のだが、これがほんっと大変。

まずは難関である肝心の弁護士に日本の雇用制度や社会構造を、A3くらいの大きな紙に図を描きながら説明していくのだが、彼らは日本の社会が何故そうなるのか理解出来ない。

けれど現実にそうなのだからどうしようもない。ひたすらに説明をして理解させる。どうしても分からない時には「よし。現実にそんな世界があると思うな。空想しろ、そういう世界があるとひたすらに空想しろ。まるでSF小説の1984年のように」と言う。そうやって彼ら弁護士が移民局に文章で説明出来るように「振り付け」を仕込むのだ。

いずれにしても日本では会社に入社するという仕組みではなく、日本株式会社の本社=役所か、どこの部門=大手企業に配置されるかと言うことなので、そして一旦入社すれば60歳まで仕事が保証されているので自然と誰もが技術を必要とする専門職ではなくマネージメントの出来る一般職として仕事をするようになるわけだが、この事実がまずニュージーランドの移民局のスタッフには理解出来ない。

だからその部分は出来るだけ触れないようにする。説明し始めると、西洋社会の南洋の小島で農業を営んでいる人々には理解出来ない世界を、丸々一個、その生い立ちから始まって説明する必要があるし、そうなればそれだけで歴史の授業になってしまう。

ぼくの目的はキーウィ向けの日本史の教育ではないので、あくまでもお客様の学歴と職歴をいかに関連付けることが出来るかを考える。

皆さんも自分の学歴を振り返ってみてください。自分の学歴と職歴がどれだけ関連性があるのか?移民局が判断する際に大事なのは、ウェブサイト上では学歴と簡単に書いていますが、実は何を学んだかが一番重視されます。逆に言えば、一般職として働いていれば、その中のどこかには多分学生時代に専攻した内容とかぶるものがあるはず。ここを強調する事が大事です。


tom_eastwind at 13:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月24日

愛は美しき誤解である

「愛は美しき誤解である。結婚は悲惨な理解である」
現実生活をよく言い表した表現だと思う。

NZdaisukiにはほぼ定期的に誰かが離婚問題を書き込んでいる。
http://www.nzdaisuki.com/bbs/

このような書き込みの場合、殆どはキーウィ男性と日本人女性だ。そして殆どの場合は
1・旦那が仕事をしない。
2・旦那の生活態度がデタラメ。
3・旦那が子供の面倒を見ない。
などなど。

小説で言えば「起承転結」の起の部分では、旦那に対する様々な愚痴が書き込まれて、承の部分では“だから旦那と別れようと思う”とか“別居して日本に帰りたい”が来る。

転の部分では“けれど実際に別れるとなったら親権の問題はどうなるのか?”とか“実際に離婚をするにはどのような手続きが必要か”などの質問編が来る。

そして最後には結の部分で“皆さんアドバイス有難う御座います、ゆっくり考えてみます”となる。

元々国際結婚は離婚率が高い。ぼくの記憶では10年以内に離婚するのが80%くらいだったと覚えている。どこの資料だかは忘れたが、このような書き込みや周囲の人の話を聞くと、確かに統計的にも合ってるなという感じだ。

国際結婚の離婚率が高い理由はいくつかある。
1・お互いに相手の言葉が話せない。
(それでケッコンするんか!と言う突っ込みは無しね)
2・お互いに相手の文化を理解しようとしない。
(どちらの国に住むにせよ、だ)
3・お互いに自分の問題の原因が相手だと思ってる。

まあこの程度は国内ケッコン?でも同じだ。同じ日本人同士なのに価値観が全然違ってて会話不能な夫婦はよく見かけるし、都会の奥さんと田舎の旦那の文化の違い、なんてのもある。生活費が不足しているのは相手が悪いのだとお互いを日本語で罵る家庭もある。

国内結婚の場合はお互いの家族や親類の面子とかがあるから、本人同士が冷え切ってても周囲が離婚を許さないなんて部族問題がある。

特に田舎では、都会に出た娘が離婚したなんて言ったら、恥ずかしくて実家の敷居をまたがせない、なんてのもある。

それに日本で生活していれば不満を爆発させる場所はいくらでもある。男であれば仕事仲間に「何でおれはこんなに家庭の為に夜遅くまで頑張ってるのに妻は分かってくれないんだ」と、一般的日本人男性であれば100人のうち90人以上が一度は使うセリフをこぼしたり、飲みに行って寂しそうにしてれば話しかけてくれる女の子はいくらでもいる。

女であれば実家の母親に電話したり学生時代の友達と食事に行ったり、それなりに対応も可能だ。子供がいれば子供の友達の親と「うちの“やどろく”(やどかりみたいなろくでなし」がさ〜」とか一般的日本人女性なら99%腹の中では考えている事を89%くらいの人が実際に口に出しながらママ友同士で息抜きしている。

要するに日本であれば逃げる場所がいくらでもあるからどうにかなる。けれど海外では逃げる場所もない。とくにニュージーランドのような田舎であれば、自分の住む町に日本人は私一人だけみたいな環境もある。だから思いっきりストレスがたまるのだ。

大草原の小さな家が素敵なのはテレビの画面の中だけだ。実際に朝起きて家の回りは牛や羊のくそに囲まれてみろって感じだろう。

ご主人の友達のBBQに呼ばれても英会話が出来ないしNZの知識もないからついていけないし日本の文化を知らないから自分から話す内容さえない。ないない尽くしのBBQパーティが面白いわけもなく、ますます面白くない。

けどそんな奥さんの気持ちを旦那は分かろうとしないどころか、「この街はぼくの故郷だ、何故君はこの街に馴染めないんだ、ぼくを嫌いなのか?ぼくとこの故郷を何故分かろうとしないんだ!」と怒り出す。

そんな環境で日本の親に電話すれば「帰ってきなさい」である。親からすれば元々国際結婚なんて出来る柄じゃないのに一時の勘違いに走ってしまった娘だから当然「いいさ、もう一度日本でやり直そうよ、お父さんもお母さんも一緒だからね」と優しくされる。

つまり日本人女性とキーウィ男性の国際結婚は社会や両親からすれば「あまり望まれない結婚」であり別れやすい、離婚を疎外する要素がないって言う状況なのだ。

だから国内ケッコンよりも自然と離婚率が高くなるわけで、ところが結婚しようとする本人は自分だけは統計の罠から逃れる事が出来る、上位20%に入れると思っている。

そりゃ確かに上位20%に入れる人はいる。

例えば旦那が日本で頑張って仕事をしててある程度は日本語が話せて日本の習慣を理解しており日本で知り合い、妻となる人も英語がある程度話せて、てかガイジンとの意思疎通能力があり旦那の生まれ育った町に感謝出来て、お互いに働く事が苦にならずに二人で目標を持って前進していこう、恋人同士や夫婦というよりはまるで戦友みたいな感覚で一緒に生活出来る、そういう感じの夫婦である。

実際に僕の知り合いでも国際結婚で今も幸せに過ごしている夫婦はたくさんいる。何よりも良いのは、そのようなご夫婦は周囲の日本人とキーウィの橋渡しになっているって事だ。

中には離婚はしてないものの奥さんが性格化け物、つまりキーウィのルーズさと日本人の悪いところ、つまり無責任さだけを身に付けて、何かあればアジア人を見下してみたいになり周囲の人間から全く相手にされなくなっている夫婦もある。ありゃひどい。

いずれにしても国際結婚、決して簡単ではない。恋人でいる間は楽しいのだから、そのまま素晴らしい思い出にして日本に帰るって選択肢もあるだろう。

キーウィは一般的に我慢強くはない。結婚に不満があればすぐに離婚する。法律だって日本のような有責主義ではなく破綻主義だから簡単に別れられる。

だから彼をNZに残して帰国し、その後に相手が日本まで追いかけてきて、よし、君のために日本で生活をしてやろうじゃないか、君の生まれた街で君の話す言葉を勉強するよ、仕事も一生懸命働くよ、そんな持続する精神的強さを持ったキーウィであるば、その時にゆっくりと結婚を考えても良いのではないだろうか。


tom_eastwind at 09:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月20日

詐欺師からでもカネを取る方法

詐欺師からでもカネを取る方法とは、元々は英国で消費税を導入する時に使われた表現と聞いているが語源は正確ではない。しかしその意味は非常に明確だ。

消費税だけはどんなに逃れようと思っても逃れようがない税金である。どっかの詐欺師が政府相手に大儲けして税金払わずに銀座に飲みに出る。けどその店で100万円遣ってくれれば5万円が税金だ。

ニュージーランドは今年中に消費税が12.5%から15%に上がる。同時に所得税の減税を行うのだが、その目的は出来るだけ働いた方がお金になりますよ、失業保険は本当に困った人の為の仕組みですよっていう、国からのメッセージだ。

そして今朝のニュースでは、社会福祉の一つである家族手当について、6歳の子供が学校に行くようになったらシングルマザーでもパートタイムの仕事を探すように促す法律が出来た。

これはつまり、今までは子供がいてシングルマザーなら全然働かなくても生きていけるだけの手当てを貰ってたしこれからも仕事がないお母さんに手当てを出すけど、社会に参加しているんだから出来るだけの事はしようねって意味だ。

ニュージーランドのセーフティネットが整備されているのは何度も書いたが、逆にあまりに整備され過ぎて、わざと働かないで政府からカネ盗ってベンツに乗ってるようなある特定の人々が増えてきたのも事実である。そしてそのような状況は一般的な勤労キーウィからすれば、どうなのかと言う疑問も増えていた。

なので今回の世界不況を利用して政府が今までの性善説に基づいた制度に付けこむ連中を合法的に排除する方向で少し見直していこうと言う、機会を捉えて選んだ政策である。

これが3年前ならグリーンパーティ(麻薬の合法化したり人間を草葉の陰で生活させたい人たちの集まり)あたりから反対も出ただろうが、現在の失業率の状況なら押し切れる、政府もそう判断したのだろう。Nice Judge,である。

ニュージーランドは来れば誰もが幸せになれるシャングリラではない。真面目に働く人がきちんと対価を受け取る事が出来るだけの国だ。その点だけは理解してもらいたい、そう、そこを歩くxx人、君の事ですよ。


tom_eastwind at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月18日

インサイダー

松本徹三という人がいる。ソフトバンクモバイルの副社長であり通信業界で長く働いている人だ。今はシムロック問題で矢面に立たされているが、彼なりに自分のブログできちんと説明を行っている。

シムロックについてはソフトバンクの立場は明快で、これは元々Iphoneを独占販売する事を前提に安い料金体系を作っており、今になってIphoneでシムロックは外せというのは、ルールに従って商売をやってたら後追いでゲームのルールを変えられたようなものだとの主張である。

ならばシムロックを解除する時点でNTTやソフトバンクが料金体系を変更して競争すれば良いという条件交渉になるのだろうが、まあこれは本題ではないのでご興味のある方は彼のコメントを読んで欲しい。

そして最近は「光の道」論争が続いているが、彼なりに目に見えない一般大衆を相手に毎日自分の意見と会社の意見を書き込んでいる。「ビジネスの当事者は国家レベルの議論をしてはいけないのか?」と言う、当然なのだが普通の日本人には分かりにくい意見を展開してて、これも参考になる。

http://agora-web.jp/archives/1075601.html

ぼくが面白く読んだのは、その中でも直接議論には関係のない下記の下りである。

★抜粋開始
もう一つ、私がいつも気になっていることがあります。世の中の批評家やジャーナリストの方々は、実業に携わっている我々と異なり、書くことが仕事であり、マスコミや出版社に取り上げてもらわなければなりませんから、どうしても一般の読者が面白がるような筋書きに持っていこうとする傾向があるようです。「日本はかくあるべき」等といった大上段に振りかぶった議論をするには、相当の力と時間を要しますが、世の中の物事を動かしている「裏の事情」や「陰謀説」に類する話なら、或る程度の取材だけでも書けるし、読者の安直な興味を引くので、出版社にも取り上げて貰いやすいからでしょう。

しかし、私のような「本当のインサーダー」から見ると、こういう記事の浅薄さには「やれやれ、またか」という思いが募るばかりです。また、この方々が考える企業のリーダーというものも、どちらかと言えばステレオタイプになりがちです。

企業家は、勿論、企業の存続と発展の為に毎日仕事をしているのですが、その前に、やはり一人の人間なのです。「功利主義」は事業の存続の為には必要となりますが、事業を推進しようとする情熱の原動力にはなり得ません。サラリーマン経営者の場合は話が別ですが、創業者型の経営者の場合は、その事業に対する情熱は、しばしば「主義主張」、「人生観」や「国家(社会)観」、或いは、もっと単純な「正義感」や「自己顕示欲」等から生まれていることが多いのです。
★抜粋終了

これは孫正義社長についてのくだりであるが、まさにこれは僕もいつも感じることである。

ニュージーランドは情報が不足しているのでインターネットや雑誌で調べるのが普通であるが、そこに散らばっている情報を見ると、まさに話を面白おかしくする為に目先の情報源不明なネタを使って嘘を書いたりしているって事がよくある。

旅行会社が発行しているガイドブックにはずいぶん調子の良い事を書いているが、おいおい君、これは今月号と書いているけど、取材は3年前の記事をそのまま使っているよね?と、もろばれなケースがよくある。

とくにレストラン紹介などは、すでにオーナーが変わって経営方針もメニューも変わっているのに、あいも変わらず昔のデータをそのまま掲載したりとかだ。

これがレストラン情報程度であればまだ良いのだが、情報誌によっては移住に関する情報で平気で嘘を掲載する。てか取材発行された3年前は正しくても現在はすでにルールが変わっているので結果的に虚偽掲載となっている。

ところが読者はそんな事知らないから、今月発行された雑誌であれば最新情報であろうと思い込んで自分なりの移住計画を立てようとする。

おいいおおい、そっちは崖ですよ、まさしく大声で言いたくなるのだが、どこで読者が読んでいるのか分からないのでどうしようもない、間違った情報のままニュージーランドにやって来て「あれ?」となっても、もう遅いのだ。

不動産情報にしても、「ええ?あの人がこんな事、今でも言ってるの?それ、やばいっしょ」的な情報を見かける。まさに、“オマエが言うか!”だ。

ニュージーランドの不動産業者は基本的に「売ってなんぼ」である。だからどんな問題物件でも平気で売る。てか問題物件かどうかさえ考えてもいない。

壁の水漏れ、ひび割れ、屋根からの水漏れ、シャワーの水圧、部屋の中の傷や壊れたままのドア、そんなもん知った事か、サインさせればこっちの勝ちとばかりに言いたい放題アリもしない事をいう。

何でこんな事がまかり通るのかと言うと、不動産業者というのは例えば移住したばかりで“他に仕事がない人々”やオークランドに出てきたキーウィが自分の納得いく仕事が見つかるまでの腰掛で、業界外から歩合給目当てに集まってきてある程度稼いだらすぐに辞めて全然違う業界にいく、つまり同じ街で何十年もやっている地域の名士という立場がない、単なる渡り鳥的な業界だからだ。

実際に当社へは駆け込み寺的にやってくる人が多い。「あの、不動産を地元業者に買わされたんですけど、買ってすぐにアパート全体が水漏れで全面造り替えが必要、その費用はオーナーが全額負担って言われてるんですけど、どうすればいいでしょう?」

どうしようもない、相手を信用して買ってしまったら、サインをしてしまえばもう終わりだ。払った金を諦めてアパートを放棄するか、建て直しのお金全額を負担するかである。

売ってしまった当の不動産屋は見事なまでに「知らぬ存ぜぬ、おれの責任ではないよ、サインしたのはアンタでしょ」である。

こんな、移住情報や不動産情報を掲載する人は自分の商売さえ成立すれば良いのだろうが、ぼくらのように現地でこれから何十年もお付き合いをしていく立場からしたら、そんな「やりっぱなし」など出来るわけがない。

実際に駆け込み寺として来られてからお付き合いしているお客様でも10年近くになるのだ。何せしょっちゅう顔を見かけて話をしたりメールしたりするのだ。ビザ情報が古かったです、不動産情報が間違ってました、で済むわけがない。

ぼくはブログの松本さんの書く、まさに「インサイダー」である。それもニュージーランドに関する情報がどっぷりと集まるど真ん中にいる立場にいる。

だから内容の薄い書き込みを見てもすぐに「あ、これはあそこのネタだな」とか「ここの事を書いてるな」って見当がつく。

なので数年前までは誰かの書き込みで間違いがあれば指摘したりとかしてたのだが、そうすると今度は「オマエはインサイダーだ業者だ、自分の都合のいいことだけ書くようなオマエに書き込みをする権利はない」みたいな話になって、全く無責任な立場で思いつきだけで書いてる立場の人に掲示板が立って話が勝手に進んでいく。

全くもう、ああ、もういいや、そう思うようになって今では直接僕に影響がない限り、間違った情報や面白おかしく書かれている記事やコンテンツを見ても何も言わないようにしている。

ぼくはニュージーランドに5万人の日本人社会を作ってヴァーチャルな形で共同体が出来上がれば良いと本気で思っている。現在日本でいろんな問題を抱えている人も、人はどこでも自由に住むことが出来ると言う事実に気付いてくれればそれで良いと思っている。

「オマエはインサイダーであり顧客誘導しているだけだろうが」と本気で思っている人がいるとすれば、じゃあ逆に聞きたい。「ぼくはそのような人とオークランドと言う狭い街でこれからも何十年も一緒に生活をするんですよ、そんな事出来ると思いますか?」

ぼくが皆さんにご案内するのは、正確で最新の情報を提供する事である。いずれにしてもインサイダー、まさに今の自分だなってつくづく思った。



tom_eastwind at 14:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月17日

雪山にて

7cbdde0f.jpg日本人が集まる掲示板にNZdaisukiがあるのはご存知だろう。以前そこで書かれていたことが、「スーパーの中で親が万引きして子供に牛乳を飲ませている!あり得ない」みたいな内容だった。

何のことはない、こちらではスーパーで買い物をしたら子供などがそれをすぐ欲しがった場合そのままあげる、そして空になったカンやパックでレジを通してお金を払うのだ。

そのような行動をする人は実は一種の性善主義者にNZと言う地域性が乗っかっていると思えば良い。

彼らの頭の中に人のものを泥棒するなんて発想は全くない。実際この国では以前は、誰かが駐車している車に自分の車をぶつけると、相手の車にメモか名刺を挟んで「ごめんね、連絡下さい」とやっていたのだ。

当然である、他人の車をぶつけたのだから責任を取るべきだ、当て逃げなんてあり得ない、そういう時代がニュージーランドにあった。

スーパーでもそうであり、誰かのものを勝手に盗むなんてあり得ない、だからこそ逆に、普通に棚のものを手にとって食べながらレジに行ってお金を払うと言う発想になるのだ。

日本ではスーパーのレジを通す前に食べてしまったら食い逃げの可能性があるから食わせない。つまり人間性悪説である。

要するに自分を正しいと思ってる日本人のうち多くは、実は人間性悪説に立って正しいだけで、違う価値観の下では“人を疑いの眼でしか見ない”人物と言うことになるのだ。いや〜、そうじゃないと日本では生きていけないでしょって言うなら正しいという言葉には色んな価値観があると知ってもらいたい。

もちろんなかには本当に泥棒をする人もいるだろう。けど一般的にスーパーの中で堂々と食べている人はそのような人ではない。

このあたり、この国の構造は本当に日本と根本的に違う。それは歴史と宗教とこの国を創った人々の思想の組み合わせで出来上がったものであるが、
1・この国が建国された1840年代(当時のロンドンの社会状況や戦火に明け暮れる東欧そして食料飢饉に何度も襲われたアイルランド)という歴史的位置付け。
2・人は嘘をつかないと言う宗教の真面目さ。他人に見られなくても常に神が見ているから心に手を当てて悪いと思うことはするなって発想。
3・当時の政治家及び国民全体の合意である、労働者の天国を作る。つまりすべての人が機会においても結果においても平等であるべきだしお金持ちが特権階級を作るのを認めない。


このような色んな要素が混ざっているのだが、話はスーパーからスキー場に飛ぶ。

写真の家族の手元をよく見ていただくと分かるが、彼らは週末のスキー場のレストランの日当たりの良いゲレンデ真下の最高の席で、テーブルの上に自宅で作ったスコーン、パイなどの食べ物をピクニックのように広げて、子供は親から受け取ったソースを盛大に自分の料理に振っている。

そう、この国ではまだレストランで自分の作ったものを食べる習慣があるのだ。てか、“君のものは僕のもの僕のものは君のもの”的な共産主義思想みたいなものが残ってて、だからレストランと言うのは個人が商売をしているところでありそこに料理を持ち込んで食うのは良くないって言われても、あまりぴんと来ないのだ。

レストラン慣れしていないってか、君んちのダイニングテーブルに、料理を持ってきた僕が食べている、みたいな感覚と言うかな。

最近ではレストランも入り口に「持ち込み禁止」など表示する店が増えたが、逆に言えば持ち込みする人が多いと言うことだ。

コロネットピークはその中でも持込が多い。と言うのも観光客は短期滞在なのでわざわざお弁当を作ることはないので持込をするのは地元民のみ。そして地元民は山から降りれば地元のレストランやホテルで働いており、いわゆる山と街の持ちつ持たれつの関係である。だから自然とこのような関係が出来上がったのだと思う。

元々入り口と言うのがない作りのカフェテリアだからスキー板を置いてどこからでも入り込めるし、誰も何も言わない。実際にぼくも仕事以外で山に行くときでもけっこうお弁当をもっていって、一般客に混ざってカフェテリアでお弁当を食べていたものだ。

何だか、社会がまだまだ分化していない、てか今でも社会は常にお互いに助け合うってのが残っているのだろう。

コロネットピークでもぼくがスキー場で働いていた頃、こんな事件があった。ある米国人インストラクターが昼食を終えて自分の板のところに戻ると、何故かポール(日本式で言うストック)だけがない。

おっかしいな、どこに置いたかな、そう考えながら近くを見回していると、ゲレンデから降りてきたキーウィのスキーヤーが明るい声で「ハイ!、これ、」と手渡してくれたのは米国人インストラクターのポールである。

このキーウィの頭の中では、世界は一つ、家族は一家、君は今ポールを使っていない、ぼくは今ポールがない、だからそこにあって誰も使ってないポールを使った、使い終わったからそこに置いておく、次は君が使うんだね、そんな感覚なのだ。

もちろん資本主義で私有財産命の米国人からしたらあり得ないくらい怒ったのだが、キーウィからすれば何が問題かよく分からない。だってそこにあるのだ、誰も使ってないのだ、何が悪いのだ?

さすがに都会に行けばそういう事もなくきちんと個人私有と社会共有の財産は区別されて・・・いるよな、、、時々されてない気もするが、、、、(笑)。

だからスーパーで買い食いをする人やレストランに自分のランチを持ち込む人や仲間のポールを使っている人は何も悪気がないのであり、裁判所で毎週月曜日の朝に警察官に囲まれて行列を作っている、麻薬で歯が抜けて目がらりってていつも汚い言葉を使っている人々とは違うのだって事がこの国で生活をする際に最初に理解すべき点であろう。

他にもこんな事件があった。オークランドのメインストリートで友達のやっている日本食レストランがあった。昼時なのでお店の前に出来たての持ち帰り用お弁当を並べていたら、近くを歩いてた浮浪者がいきなりそれを一個掴んで歩き出したのだ。

オーナーは勿論店から飛び出して「何してんだ、カネはらえ!」となったが、その時に間に入ったのがごく普通の中年キーウィ。

彼はオーナーに向って落ち着いた声で「ごめん、こいつはオレの友達なんだ、金はオレが払うから、弁当渡してくれよ」何がなにか分からないまま、けどオーナーからすれば弁当代金を貰えば問題はない。

その後弁当を持った浮浪者は意味が分からないような顔をしながら立ち去って行き、キーウィも何もなかったように自分の道を歩き続けた。

もちろん僕の視点だけがすべてではなく、もっと外国人から見たニュージーランドの違った面があるのだから、この国で生活をしようと思う人は、いろんな方面から情報を仕入れるべきであろう。

ただ一つだけ言えるのは、人間性悪説が頭にある限りこの国の法的仕組みとか日常の流れとかが理解しづらくなるのは事実であり、どうせ住むなら生活を楽しむ為にも、何故キーウィがこのような性格なのか、その一部に人間性善説があるってのは理解してもらいたい。


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2010年08月05日

デモシカ

香港時代の幼稚園では、竜馬君に接してくれる誰もが本当に“教師”だった。僕はもちろん教育のプロではないが、彼ら彼女らの子供に対する接し方を見ればすぐ分かる。目線が全然違うのだ。

子供には柔らかな言葉で話しかけながら、同時に子供の様子をじっと見つめている。

日本と違って香港では英国式教育なので「Ms Wong」みたいに相手の苗字に敬語を付けて呼ぶ。ニュージーランドでも同じで、単純に先生と呼ぶことは絶対にない。だって先生と言う言葉が存在しないからだ。

Teacher?それは教師だ。Teach、教師ってのは教える師であり、日本にあるセンセイって言葉は、教える子供よりも先に生まれたってだけであり、教師ではないのだ。

子供に教える仕事の大変さを理解し、そしてなおかつプロとして仕事をする。

日本ではデモシカ先生というのがごろごろして彼らが将来ある子供の芽を次々と摘み取っていったものだ。進路指導という名目の元、子供の将来をセンセイが決めていた。センセイの中で一人でも子供に「おい、オマエくらいに夢があるなら独立して起業しろ」なんて言うのはいなかっただろう。

そりゃそうだ、だって自分が出来なかったことを今目の前にいる子供が出来るなんてあるはずもないし、あったら自分のせっかくしがみついてきた人生が否定されたようで悔しいじゃないか。

ちなみにデモシカってのは、先生に“デモ”なろうか、先生“シカ”出来ないなって意味である。

けど、子供の未来をそんな人生のど素人が決めて良いのか?彼らは児童心理学をきちんと学んでいるのか?てか、幸せっての意味とか個性ってとかの意味を分かっているのか?

いつも思うことだが、日本では教師は聖職なのか労働者なのかと考えられる。

その意味でニュージーランドでは一つの答が出ていると思う。それはプロフェッショナルと言うことだ。労働者でもあり聖職者でもあるプロ。だから昇給を求めてストライキもするし同時に子どもたちに何故私たちがストライキをするかを教える。

もちろんニュージーランドの全ての教師が素晴らしいわけではなく、うちの家庭の夕食の時にも娘が学校の教師の批判をしたりするし、お母さんも竜馬君の学校の教師の批判をしたりする。

けど僕からすればそれは基本的に「程度の問題」であり「絶対的な問題」ではないって部分でニュージーランドの教育方法を評価したいと思っている。

僕自身が小学校の頃から何度センセーに潰されたことか、いまだもって怒りをもって思い出すくらいだ。

これは別に、個人的に誰が悪いとかではなく、日本式教育ってのは一部のエリートを除き90%以上の人間を型に嵌める教育であり、落ちこぼれは“だめだめ”であり、ましてや自閉症の子供なんてあり得ん、そんな感じだった。

何故か?答は簡単で、そうしないと日本と言う国家組織が運営出来ないからだ。

僕はその当時の政府の選択を間違いとは思っていない。実際にそうやって日本と言う国を世界のトップクラスに押し上げたのだからたいしたものだとおもっている。

ただ、そのシステムは“普通ではない人々”にとってはとってもきついシステムであった。普通になれってのは、僕にとっては、既成の靴に合わせて足を大きくしろとか言う話であり、それは僕の中であり得ない解決策だった。

竜馬君を見るたびに自分の子供時代を思い出す。やっぱりこの子がこの国で生まれ育って良かったな、日本だったらこの子は完璧に潰されて、自殺していたかもしれないって現実。

一体どれくらいの日本人が自分の立っている場所を安定しているって思っているかもしれないが、安定ってのは本人の心構え次第であり、それなしに社会にすがって生きているのは安定ではなく甘えでしかない。

誰かに何かをしてもらおう、その気持ちは分かるけど、親である自分がしっかりとした価値観を持っているのか、他人の価値観を自分の子供に押し付けてないか、子供は意外と強いのだ、あるがままに認めてあげればよいのだ。

自閉症?何が問題だ?ぼくはこうやって生きている。あるがままに生きている。

続く



tom_eastwind at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月04日

シェーカー

バッシャーン!盛大な音を立ててシェーカーがぶつかり中のアイスカフォレがキッチン一体に飛び散る。

「大丈夫、ぼくは何でも出来るんだ!」といつもの口癖で竜馬君は生まれて初めてのシェーカー振りに挑戦するも、振る前にきちっとトップのふたをするって基本をやらずにいきなり馬鹿力で振り回したもんだから、中身は飛び散るわ、慌てて取り落としたシェーカーから残りのカフェオレが飛び散るわで、台所は大変なことになっていた。

最初にお母さんが「このふたをね、ちゃんとこうやって」と説明している最中に「大丈夫、分かってるから、お母さんはあっち行ってて!」と言い、お母さんが“あっち”に行った瞬間にバッシャーンだから、可笑しくて可愛くてしょうがない。

普通の日本人なら汚れたキッチンを見て怒るだろうが、ぼくやお母さんの場合はどっちかと言うと起こらなかったこと、つまりこれで竜馬君が怪我をせずにまた一つ人生で生きていく方法を実戦と言う形で覚えてくれたほうがうれしい。

ニュージーランドの教育方針は日本とは全く違う。そして社会構造も全く違う。だから子供に対する親の接し方も全く異なる。

ぼくは教育の専門家でもなければ医者でもないから、ニュージーランドの教育のどこが日本と比較してどう良いのかとか、何でぼくの香港政府及びニュージーランド政府お墨付きの生まれつき自閉症の子供が小学校5年くらいで普通クラスに編入出来て、今では親に向って「分かってるから、あっち行ってよ!」って言えるかを理論的に説明は出来ない。

ぼくのブログはコメント欄は作ってないけど、書き込みをしてもらうと読むことは出来る。いろんな書き込みが来る。

どう見てもこの人、お酒飲んで書いてるでしょって感じのワンフレーズ「フィービジネスやってる奴がなに偉そうなこと言ってんだ」とか、君さ、専門用語使って書き込むしおまけに自分の名前をTakuなんて書いてしまうと、おれんちはtakuよりは一年長生き出来たんだぞってのが見え見えでしょ、隠したいならもっと上手にやればと思わず微笑んでしまう。

返信出来ないシステムのコメントなのでROM(読むだけ)になるんだけど、興味のあるコメントについては数日中のどこかのブログの中でその人に分かるように情報提供をしている。

昨日受け取ったコメントが自閉症とNZで検索してたらぼくのブログにたどり着いたと言う方からだった。

ん〜、竜馬君ネタだけど、問題はぼくは自閉症の専門家ではないので偉そうなことは何も書けない、ただ、竜馬君と一緒にずっと今まで一緒に生きてきたってだけだ。

だから上に書いたように専門家でも医者でも教育者でもないのであくまでも素人としての、ただ現場を経験してきた人間の立場からしか言えないけど、ニュージーランドは人を人として、個性を個性として認めてくれる国だってのだけは言える。

生まれて最初の5年くらい、竜馬君は一言も話が出来なかった。全く言葉が出てこないのだ。うーうーと唸るわけでもない、にこにこしているしとても元気なのだが、まったく話をしないし記憶力が殆どなく会話も不能だし少しでも嫌いなことには異常なほどに反応してしまう。

初めて香港の幼稚園に連れて行った時に教師から「この子は普通の子とちょっと違うからお医者さんに一度見てもらって下さい」と言われて病院に行くと「お母さん、残念ながらこの子は自閉症です、普通の学校に行く事は出来ません」と宣告された。

ところがお母さんはその話を聞いた瞬間、お医者さんの前でびっくりするほどにこにこしており、「あ、そうなんですね先生、有難う御座います」びっくりしたのは医者の方で
「あの、お母さん、大丈夫ですか?」
「いえ、あのですね、変な意味じゃなくて、この子のお父さんってこの子以上に変なんです。けどまともに社会で生活して一応家の大黒柱として働いてもらってるので、だったらこの子も問題ないなって思ったんですよ」

嘘みたいな、けど本当の話だ。その晩奥さんから聞いた時、ぼくも「ああ、そりゃそうだな」って思わず頷いた。ぼくら二人にとっては竜馬君は個性を持つ可愛い子であり、それ以上でもそれ以下でもない、とにかくこの社会で楽しく生活出来ればそれで十分と思っていた。

自閉症を気にするのは親だが、子供は自分を自閉症と思っていない。ぼくが生まれてから30半ばまで自分をおかしいと思わなかったのと同じだ。

周りが気にするから本人も気になり、そのうちどんどん悪くなっていく、そういう事ってないだろうか。例えば小学校でトイレに行った子供を周りの子供が笑いのネタにして、それが段々周囲の虐めに繋がっていくとか。

子供も同じように、いつの間にか周囲の遠慮するような雰囲気とかを感じ取って「あれ?ぼくっておかしいのかな?」って思うようになる、そんな事ってないのだろうか。

オークランドに移住してきた時も、お姉ちゃんは優秀で周囲の空気も読めて本心はどうか分からないけどそれなりに学校にも通った。けど竜馬君はここでもまた「ニュージーランド政府のお墨付き」をもらって特殊学級へ。

ある時おくさんから「あ、そう言えば何だか政府から毎月200ドルくらいお金が振り込まれてるわよ」と言われた。聞くと、竜馬君の自閉症で大変だろうからって政府から支給されるお手当らしい。

結果的に幼稚園の学費も全額香港政府持ち、ニュージーランドでは勿論学費は無料だけど、更にお手当貰って学校に通う状態である。

月曜日から木曜日までは特殊学級、金曜日は普通学級で勉強をする生活を小学校一年から大体4年くらいかな、繰り返した。

当時は英語どころかお母さんの母国語である広東語でさえ殆ど話せなかった竜馬君で、学校の教師からしても大変だったろうけど皆本当によく子供に普通に接してくれて、竜馬君も学校でいつもにこにこしてて、笑顔だけはとても可愛くて、本当に楽しかったのを覚えている。

続く

ネスカフェ

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2010年06月06日

大工がシェフに

d13d323d.jpgニュージーランドに限らずだけど、海外に来ている日本人で勘違いが目立つのは、自分が能力あると思い込んで、それを主張する事がカッコいいと思ってて、それがガイコクでは当然!みたいに信じている人。

特に給料を貰う立場の人で何かの資格を持っている人は、すぐに「私はxxの資格がありますから」と言うけど、おいおい、大工の資格を持っててもうちはレストランだよ、料理作る資格じゃないと意味ないんだぜって説明するのに時間がかかる。

そういう人は普通に平気に「何故ですか、わたしは大工の資格があるのに、何故駄目なんですか?」と本気で聞いてくる。

恐らく今の日本の学校教育か両親の教育か本人の無能かのどれかが影響しているのだろうけど、「資格と給与は連動する」と言う部分だけが頭の中で反芻されており、「その資格とこの仕事は関係ない」と言っても分かろうとしない、てか本当に分からないようだ。

東京で説明会をしてても気になるのがここであり、日本で一流大学を卒業して一流銀行あたりで仕事を10年くらいして年収が1千万円くらいある人は殆どの場合この事実を認識出来ない。知ろうとしないってんじゃなくて、子供の頃から親に擦り付けられた考えがどうしても抜けない、つまり洗脳が解けてないのだ。

仕方ないのでそういう人には現実を見せる事にする。

「よっしゃ、あんたは立派!じゃあ今から一流のレストランのオーナーの電話番号を教えるから、あんたがいくらの給料なら採用されるのか、是非とも聞いてくれ。もちろんオレからの紹介だと言って貰って結構!」

電話の結果は常に同じであり、レストランのオーナーから「うちは大工はいらねえよ、で何?料理出来るの?出来ない、あ、役立たずだね、手に職をつけてからもいちどおいで」で終わり。

同じ日本人であるぼくに言われても絶対に信用しようとしなかった彼は、キーウィのオーナーに真実を伝えられてやっと現実に目が覚める。

たまたま大工を例に取ったが、どんな職業でも同じである。現場が求めているのは即戦力となる人であり、他のどんな無意味な学歴をいくつ持ってても意味はないのだ。

移住は決して簡単なことではない。なのにそれを簡単にしようとか、今の地位と年収をそのまま守った上で移住しようとか、そんな裏道はないって。現実は厳しいのです。

今読んでる小説も邦銀から外資に移籍して高給を貰いながらも毎日が修羅場という人生を歩いている人の話だ。

この主人公の場合、まだ運が良かった。日本の普通の銀行員は、世界標準で言えば「ガキ」にしか過ぎず全く使い物にならない。一生自転車で中小企業を回ってお金を集めるだけの集金マシンにしか過ぎない。

そういう現実を知った上で自分の労働者としての価値をしっかり理解すること、これが海外に出るための第一歩だ。




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2010年06月05日

子供の教育

787dc292.jpg東京での話。

説明会は大体2ヶ月に1回程度の回数で開催しており、その前後に個人面談というのを行っている。これは説明会に参加された方が具体的個別的に「私は移住の可能性がありますか?」と質問を受けて、その人の家庭環境や家族構成などをお伺いして具体的個別的な方法を提案するのが主な目的だ。

その中でぼくはお客様に聞くようにしているのは「何故ニュージーランドなんですか?」である。すると家族を持つお客様の殆どは「子供の教育や日本の将来を考えると今のうちに移住しておいた方が良いと考えてます」となる。

30歳代前半なので人生はまだ折り返し地点でさえない。社内でも身動きが取れない位置でもない。子供は就学前とまだ小さい。今なら新天地に飛び込んでもまたゼロからやれるかも、そう考えているようだ。

面白いのは、彼らは全く良くの繋がりがないのに全く同じ考え方をしていると言うことだ。つまり誰かが情報を発信してそれに感化されて、“よっしゃオレも”と言うわけではないのだ。

全く関連性のない二つの人間がある状況で全く同じ考え方をする。それは世の中全体の流れが変わってきているということだ。

その大きなものは、やっぱり子供の教育だろう。実際にぼくがニュージーランドに移住のお手伝いをしたお客様で渡航した際にちっちゃなお子様がいらっしゃった方は「移住して子供がバイリンガルになって活発になって元気に毎日楽しそうに学校に行くのを見ると、苦労はしたけど正解だったなと思います」と言う話だ。

日本だとある小学校は学校に持っていくノートや鉛筆まで基準があるようだ。すべてに決まりがあってそれを守れない子供は「異常」であり規則に従えない子供は「おかしい」のであり、そんな子供は先生がきちんと「教育」するのだそうだ。

なるほど、弱虫で使い物にならない連中のたどり着いた先がセンセーであり、そのバカが偉そうに子供にモノを教えるわけだから、どんなまともな子供でも最後は擂り潰されてしまう、もういいや、所詮世の中ってこんなもんだ、そう開き直って生きるしかなくなる。

子供の頃からこうである。かわいそうなものだ。それに比べてみればニュージーランドの教育は実にのびのびとしている。人を人としてきちんと扱ってくれる。

もちろん素晴らしい先生ばかりではない。中には“あれ?”って思わせる人もいるが、全体としては実によくプロフェッショナルとして子供に教育をしていると思う。

日本人の両親に生まれた子供でニュージーランドで教育を受けた子供は、顔つきは完璧に日本人だけど、雰囲気が全く違う。

なのでその子を日本人の同い年の子供たちの中に放り込んでも10分もせずに違いが分かる。とにかく活発で元気があって言いたいことを言ってるのだ。ものおじせずに堂々と大人相手でもきちんと自分の言いたいことを言う。

その仕草を見た時の親の誇らしげな顔は、まさに「やったね!」である。

移住するにはかなりの決断と根性と柔軟さが必要になる。大体、英語からして難問である。それでもちっちゃな子供が成長する姿を見たらそんな親の苦労は一発で吹き飛ぶ。

悲しいことだけど、教育という面では日本は江戸時代から“ところてん的”に同じ形のモノを社会に押し出すシステムでしかない。子供を心の底から笑顔にさせて人間らしい生活をさせるためには、やっぱり生活を根本から変えるしかない。

親が子供の為に出来ることはたくさんのお金を残す事でも日本の生活に馴染ませる事でもない。人間らしく生きるための手段を教える事だ。




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2010年05月10日

隣の庭

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昨日はシドニーの事をいくつか書いたけど、書きながらふと思い出したことがある。

それは日本からニュージーランドに移住した日本人移住者が数年経つと「ニュージーランドは田舎でチャンスもないからシドニーみたいな大都市に行かなくちゃ」みたいな発言をする事だ。

これは何も日本人に限った事ではなく韓国人や中国人でも全く同じだ。とくに中国人の場合は豪州で直接永住権申請が出来ないので一旦ニュージーランドに来て永住権取得、5年後にまともな英語も出来ないくせにNZ市民権を申請して豪州に渡ると言うケースだ。

たしかにNZは豪州への裏の木戸であるから別に問題はないのだが、法律の趣旨からは外れているよね。

日本では法律の趣旨から外れていても法律の条文から外れてなければOKだと思ってるしそれは中国人も同じ。

キーウィからすればそんな積りで豪州と経済緊密化協定を締結したわけではないのだが、今のところうまい事外国人に利用されている。

けどま、そんな事するから穴をふさがれていたちごっこになり、そのうちあまりにたくさんの法律だらけで一体何が合法で何が違法か分からなくなったり、法律自体が矛盾してくるのはよくあることだ。

これが条例主義ってか、大陸法の問題点である。NZのように「常識で考えれば分かるでしょ法」だとあんまりたくさんの規定を作らなくても「まともにやってね」で済むのだから。

しかし今日の話は日本人でも綺麗そうな顔して中国人と同じようにずるして、それでいて澄ました顔で「あらま、何かわるうござんすか」と言うどっかのアナウンサーの話ではない。(数年前に日本人女性アナウンサーが法律の抜け目を利用してNZで出産しようとして大問題になりその後すぐに法律改正された事件)

つまり表のドアを叩いても開けてくれなかった豪州に裏口から入れたとしても、あなたに豪州で生活出来るだけの能力があるのかってのは別問題だという事。

確かに豪州は仕事が多いし色んな機会も多い。けどそれと同じかそれ以上にあなたの競争相手も多いのだ。

「豪州の方が活気があって給料が高くて〜」と言うあなた、そりゃ事実ですよ。確かに一般論としてはその通り。

けどNZのような田舎でさえまともに稼げる能力がないのに、それよりハードルの高い豪州で生活が出来ると思っているのでしょうか?大体それだけの能力があるなら直接豪州で永住権を申請すれば良いだけのこと。

それが出来なくて裏口から来ておいて豪州に渡っても、あっちにいるのは厳しい永住権審査をクリアーした優秀な日本人や中国人ですよ。

ほんと、「豪州の方が余程良いからやっぱり豪州に行く〜」なんていう人の楽観的発想は一体どこから出てくるのか?自分の身の丈を考えて話しているのか、不思議でたまらん。

中には言い訳のように「NZで10頑張っても10しか稼げない。けど豪州なら10頑張って20稼げる!」と言う人もいる。それも事実だろう、あなたにそれだけの能力があれば、ね。

第一それならNZなんかに移住せずに最初から日本で頑張れば良いだけの事。人口が400万人のNZより人口が2千2百万人の豪州の方が機会多いって理屈なら、人口が1億2千万人いて日本語の通じる国の方がもっと良いでしょう。

結局日本でも使い物にならず、かと言って豪州では永住権が取れず(もちろんそれ以外の英国圏は最初から無理)NZに来たような移住者がいつまでも身の丈を考えもせずに見果てぬ勘違いの夢を見ているのが現状ではないか。

そういうのってどこにでもいるよね。現状に不満を言いつつも結局はなにもせずに毎日時間ばかり経って、それでも自分のプライドだけは高いからどんどん一般社会から隔離されていく人々。

実は今、オークランドでも日本人移民老齢化が始まっており、20世紀にスピンアウトしてこの国に来た移住者(一般世間では日本から弾かれた、落されたという)の一部、いいですか一部ですよ(笑い)、そういう連中が20世紀の思い出に浸りながらぐっちゃぐちゃとじじばば同士で過去を語って慰めあってる姿が目立つのだ。情けない。

そんな事よりも今からでも、このニュージーランドのような、まるで病の床から起き上がったばかりの素人でも何とか頑張ればどうにかなる国でビジネスの練習して一つくらい何か成功させて、それからどうにか考えるべきでしょ。

21世紀にこの国に来る人は「一旗挙げてやろう派」よりも家族の幸せとかゆっくりした生活を望んでいる人々が殆どだと思う。

そういう人たちに言いたいことは、古い奴ら(一部ですよ、いちぶww)とあまり口を聞くな、過去を語る奴と同じ場所にいるな、である。

それよりもこの国を選んだ本来の理由を忘れずに家族でこの田舎生活を楽しんでいただき、持続出来る心豊かな生活を送ってもらいたいものだ。


tom_eastwind at 19:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年05月05日

英国移民

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「オレの親父は1950年代にニュージーランドに来たんだよ。大道芸とかよく言えば音楽家、いろんな楽器でパブやレストランを回ってたそうだ。あの頃はニュージーランドの景気が良くてな」

たまたま仕事の夕食の際にある一人のキーウィのおじさんがぼそっと言ってた。

そう、1950年代のニュージーランドは農業の近代化に成功し英国の食料庫として繁栄を謳歌し、同時に国家の計画経済と社会主義を柱にして医療や教育の無料化など徹底した国民向け社会保障を提供して、世界でもご本の指に入るほど「幸福な国」と言われて、戦争で疲弊した宗主国である英国からも多くの移民がやってきた。

英国人の父親を持つ彼は今すでに60歳近いが、社会主義時代の景気の良かったニュージーランド、1970年代の大不況と国家財政破綻、そして1980年代から市場主義を導入して新しいニュージーランドに生まれ変わり1993年以降の財政黒字に見られる経済の完全復活、そして現在のマインドリッチな国となった流れをすべて見てきていた。

まるでジェットコースターのような激しい流れであり国がちっちゃいだけにその変化の速度は大国よりも一層激しいが、最近のニュージーランドはまた違った意味で宗主国から見直されているようだ。

最近のロンドンの記事を知り合いが送ってきてくれた。内容はイギリス人の自営業者の4人に1人がオーストラリアやニュージーランドの移住を考えていると言う記事だ。

現在ロンドンとか英国の大都市で仕事をしている人々からすれば、まさに生き馬の眼を射抜くような忙しい生活と、ちょっとでも気を抜いたら他人に蹴落とされるか追い落とされるかして生活の糧を失い、高い生活費や子供の教育費を考えたらそれ以上ロンドンで住んでいくことなど出来ない現状だ。

ならばある程度うまく生活出来てる今のうちにワークライフバランスの整った国、つまり、
1・楽に働けて〜(失敗しても許される職場環境、つまり甘いって事)
2・そこそこ稼げて〜(生活費はロンドンの半額だからそれで充分)
3・将来の不安もなくて〜(徹底した社会保障)
4・子供の教育も問題なく〜(完全無料教育と大学までいける仕組み)
ついでに本音を言えば、「私はイギリスから来たんだぞ」と言う、東京生活者が地方に行って感じる優越感があるので威張ってられると言ういわれのない気持ちを保てるって事だろう。

これってさ、知り合い同士で「君、どこから来たの?」って話になった時に「おれ、イギリスから」って言われると周囲の空気が一瞬低い場所で固まってしまう、“あれ”です。

恥じる必要もないキーウィだけど、やっぱりあの、毎日使う20ドル札でにやっと笑ってる女王陛下のお住まいの国から来たとなると、それだけで無条件反射で固まってしまう“あれ”は、ぼくのような全く関係のない余所者から見ると興味深いです(笑)。

けどこれで本格的に英国移民がニュージーランドに来るようになると、ニュージーランドとしてはわざわざ文化不明言語不明瞭なアジア人に永住権を発給する必要もなくなるわけで、対岸の火事と笑ってるわけにもいかない。

そうなると多文化主義を主張してアジア人枠を作ってもらわないといけないな。それと米国が採用しているDiversity、国家ごとの受け入れ枠を設定してくれれば日本人枠も確保出来る。けどどっちにしても移民の年間枠は約5万人。やっぱり早い者勝ちですね。

写真は2月のピカデリーサーカス。やっぱ、暗いっすね。

4 May 2010 12:21am
Almost one in four people in self employment are considering moving abroad

ad to work in the next five years, according to a new study.
A survey of 2,000 bosses of small to medium-sized firms by currency broker Foreign Currency Direct showed that the main reason for wanting to quit the UK was achieving a better work/life balance.

Two out of five of those considering moving abroad said it was because of the prospect of further tax rises, while a third believed that overseas countries offered greater chances of building a more profitable empire.

Australia and New Zealand were the most popular destinations, while the prospect of working overseas was most popular among smaller businesses in the banking and finance, hospitality and leisure, and professional services sectors.
Stephen Hughes, director of Foreign Currency Direct, said: "Given the state of the UK economy it's hardly surprising that so many self-employed people are considering moving their business interests abroad.

"We've seen a significant jump in self-employed people transferring money abroad to set up their businesses as well as paying for big ticket items such as rental deposits and cars."


tom_eastwind at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月31日

マセラッティ

19ea595c.jpgマセラッティはニュージーランドで新車で買うと大体30万ドル+くらい。中古車でも20万ドルだ。

日本の新車価格からすれば安いとか東京のお金持ちからすれば安いとかあるかもしれないけれど、ニュージーランド国内で考えてみれば田舎の郊外の一軒家かオークランドのシティ内のアパート一軒分の価値があるんだから、こんなのに乗ってればスーパーリッチである。

今朝は出勤途中のハーバーブリッジの上で偶然にも立て続けに3台の高級車を見かけて、おうおう、どこの国が不況じゃいってな感じ。

たかが3台くらいで威張るな!と言われそうだけど、基本的にお金を遣わなくて渋ちんでどんな古いものでも修理して長い間使う気質のキーウィが、新築アパートを買えるようなお金があれば確実にアパートを買って投資にまわすだろうキーウィがこうやって高級車に乗ってるって事は、彼はすでに投資用アパートもありノースショア郊外に(多分かなり立派な)自宅もあり生活が安定しているからだと推測出来る。

キーウィのお金の使い方は、ある程度お金がたまるとまずは自宅購入から始まる。でもって次はフォードかトヨタのクルマ、これで調子こいて海辺の高級レストランで家族のディナーとなる。

でもって更に余裕が出てくると海外旅行や国内でちっちゃい別荘を買ったりするんだけど、これくらいに生活に余裕が出てきて初めて高級車が視野に入ってくる。

けどクルマくらい直接投資効率の悪いものはない。なにせ買ってから次に売ろうと思えば大体30%くらい価格が下がるし第一スーパーカーなんて燃費も悪いわけで、プリウスの4倍くらいガソリンが必要だ。

それに乗っててぶつければ一回2千ドルくらいの修理費がかかるし部品だって毎回欧州からお取り寄せになるので最低でも1週間くらいは使えない。

それでも乗りたいってのは、勿論クルマdaisukiって事もあるんだろうけど、何よりそれだけ生活に余裕がある証拠だ。

最初に見かけたのは黄色のランボルギーニで、そのすぐ後ろを走ってたのがかろうじて姿を捉えたマセラッティ。でもって左側の車線を見るとピカピカ新型のポルシェがぶんぶん唸ってた。

そうやってふと周囲を見ると、確かにノースショアからシティに向っている車は欧州クルマが多い。

ベンツならSLKだしBMWなら7シリーズなどはごく普通で、最近は車種よりも年式を見て「お、新車じゃん、この国でいつから皆さんは新車に乗るようになったのでしょう??」とびっくりする。

実際にこの国での人口は約400万人、クルマの普及率は二人に一台、つまり200万台のクルマがあるわけで、通常の四人家族ならクルマが二台あるわけで、ところが新車販売台数ってのは総販売台数の10%以下なんだから殆どのクルマが中古車として売買されているのが分かる。

それでもノースショアからシティに行くクルマの流れを見ると、高級車が目立つのは事実である。アジア人でもどこかの奥様だろう、立派なレクサスとか普通に乗ってるしベンツは香港人や大陸中国人奥様がdaisukiである。

ところがこれが国道16号線、つまりオークランドの西を走る高速道路に乗ると、大体のクルマは10年前のシビックだとか20年前のカローラだとか、おお、懐かしい日産サニー2ドアが普通に走ってる。

これはまさに地域格差であり、ノースショア市に住んでいる人々の方がオークランド西部、行政で言えばワイタケレ市あたりに住んでいる人よりもお金持ちであるってことが推測出来る。

これはあくまで推測であり地域別収入比較なんて見たことないから個人的主観でしかないけど、ほんっと、肌感覚では確実にノースショアがリッチであると感じる。

北高南低、東高西低ってのがオークランドの一般的な不動産市場であるが、オークランドを東西南北に分ければ北と東に高級住宅が集中しているし、それには理由がある。

お金持ちはお金が増えるってのは一つに親と子供両方の教育程度の問題があり二つにこの国では資産継承が無税であるって事がいえる。

学校教育を重視する家庭は子供を優秀な学校に入れたいと思う。親からの寄付金と優秀な子供を欲しい学校は授業に力を入れて学校設備を常に整備する。

するとこれがうまく回り始めて、良い学校には自然と寄付金を払える家庭が集まり、その学校は設備が整っているから自然と子供の勉強もはかどり大学に進む子供が増える。

すると自分の子供を大学に通わせたい親はそういう学校のある地域に住むようになる。ある程度の資産がある家庭は自然と優秀な学校に引越しするし、周囲に資産のある家庭の多い学校はさらに設備が整い生徒が優秀になると言う良い循環が生まれる。

でもってその地域が高級住宅街になると自然と治安も良くなるから、安全な地域に住みたいし引越し出来るだけの資産的余裕がある人は自然とその地域に集まってくる。

するっとそういう地域の家庭を狙った高級スーパーマーケットや専門店が集まってモールが出来て中には映画館からレストランまで揃ってて便利になり、今度はその便利さが買われてますます「良い家庭」が集まってくると言うことになる。

それが今のノースショアの流れである。(ちなみに東部は昔からの白人中心で旧家が多い)

この反対に位置づけるのが南部と西部である。

ニュージーランドは学校教育は無料であるが、それでも最低の教育もまともに受けずに卒業してしまう子供たちの親は大体共通点がある。

それは親が教育に無関心てことだ。大学なんて自分が行ったこともないのだけど勝手に「そんなの時間とお金のムダだよ!」と決め付けて15歳になった時点で学校をやめて働きに出される。

または(てか本当の狙い?)子供が失業している間に政府から受け取る補助金を家計に入れさせてそれで終わり。

実際にこの地域では何世代も政府の失業保険で生活している家庭が多い。親が貰ってる失業保険なんだからぼくも貰わなくっちゃってことになる。

けどこの15歳の子供は何の教育もない状態で毎日ぼけ〜っと玄関のポーチに腰掛けて走りすぎるクルマを見てるか、ショッピンセンターで昼間からごろごろして万引きしてみたり(捕まっても殆どの場合は無罪である)、仲間と酒やタバコやマリファナにふけって夜になると空き巣に入ったり(殆どの場合警察は動かないし捕まってもほぼ無罪である)、そうやって社会の底辺を死ぬまで行き続けるしかない。

けどそれでも何とか食っていけるのだからそんな家庭で育った子供は、やっぱり親父のように社会保障で生きていこうとなる。けどそのお金は働いて稼ぐお金に比べたら少ないので、いつまで経っても良い家には住めないし良いクルマにも乗れないし将来の見通しもない。これはまさに負の連鎖である。

大学の卒業式パレードはぼくのオフィスの真下を通るのでいつも見かけるのだけど、やっぱり卒業生の顔は知的だしその子供を誇らしげに見ている両親もしっかりした顔つきをして高級なビデオでパレードを撮ってる。

つまり頑張って大学を卒業することに価値があることを知っている若者が大学に行き、何とか頑張って卒業して高い収入を得るようになり地元でビジネスをやって成功し、結婚して生まれた子供は必然的に親を見ているから自分も頑張って親のように成功したいと思って大学に行き高い収入が取れるという「正の連鎖=良いサイクル」が出来上がる。

これに更に環をかけて良いのが相続制度である。この国ではある程度資産が出来ると家族信託を設立して、家族の財産をすべてそこに移す。こうしておけば資産を一番たくさん入れたお父さんが亡くなったあとも残ったかぞくがその資産を運用して利益を取れる。

つまり相続税が実質ゼロなので、お金があるところには世代をまたげばまたぐだけ資産が増えて行くと言う現象が発生する。

日本では土地もちのお金持ちでも三代続くと財産がなくなる仕組みだけど、ニュージーランドでは三代続くとローン無しの自宅が3軒なんてのも普通にある。

制度そのものが日本と違って、家庭をいかに豊かにさせるか、社会をどうやって安定させるかと言う視点を持っているからこのような現象が現れるのだが、多くの人は現在のオークランドの「現象」がそれなりに安定していると考えている。

頑張ればどんどん上に行ける、何もしなければいつまでも下のまま、けど誰にも平等にこの社会に挑戦する機会は与えられてるし、誰もがこの社会で挑戦して失敗したとしても充分な生活が出来るだけのセーフティネットが構築されている。

その社会構築にかかる費用は人々が働いて得た収入の19.5%のPAYEと12.5%のGST(一般消費税)が中心となっている(この二つで政府税収の約60%を占める)。

消費税は最初から内税なので殆ど認識されることはないしPAYEも19.5%で自分の子供が学校に行けて医療が無料で治安が(他国よりはかなり)守られているのなら安いものだ、多くのまじめな労働者はそう考える。

一生一度も働かなくても無料学校で英語を教えてくれて医療は無料でそれに失業保険で65歳までメシが食えて65歳からは老齢年金がもらえて、まるでオレの生まれ故郷のパシフィックアイランドみたいに毎日ぶらぶらのんびり出来て、これならわざわざ銀行強盗することもないよな、あ、マリファナもOKだもんねと多くの低層者は考える。

そうやって二つの層がなんとか折り合いをつけながら運営されているのがニュージーランド、特にオークランドと言う街だ。

来年からオークランドは市政変更で東西南北の「シティカウンシル」が合併するようになる。これが今後どのようにグレートオークランド全体の変化をもたらすかは今だ誰も不明である。

いずれにしても方向性としては、マセラッティまでは要らないけど30年前の床に穴の空いたシビックプロトタイプには乗りたくないなってのが一般的な人の気持ちなので、あまり格差が広がって治安が悪くならないように、けど働いている人がバカらしく感じて働かなくならないように調整をするのが市役所であり政府である。

その政府の来年の税制改革ではPAYE、つまり働いた人が払う税金を安くする代わりにGST、つまり誰でも生活している限り払わないといけない税金を上げていこうと計画されている。つまり、皆もっと働けって方向ですね。ちなみに今のニュージーランドは国民党政権2年目です。

写真はかろうじてマセラッティの後姿。それにしてもIphone、使い勝手が良いです。最近はデジカメ持ち歩く事もなくなりました。


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2010年03月29日

企業内特殊技能

池田信夫の新作「使える経済書100冊」の序文より抜粋。

「日本航空でさえ破綻する時代に、あなたの勤務している会社が定年まで存在する保証はどこにもない。いくら会社に忠誠を尽くしても、「企業特殊的技能」は会社がなくなったら何の価値もない。最後に頼れるのは、自分の専門知識だけである。」

まさにそのとおりなのだけど、そのとおりと思ってない、つまり企業内特殊技能が世界の何処でも通用すると思っている人の多い事にはびっくりする。とくにそれを実感するのは東京で行う説明会や個人面談の時である。

とくにこういう思い込みの強い人々をぼくの経験であげてみると、まずは超大手企業で働く超一流大学卒業の人々である。

社員数万人の会社ってのは使用する稟議書から契約書から社内ネット環境、ビジネススタイルまですべて自前で作るから「その企業だけのやり方」ってのがあって、学生からいきなりそういう企業に入ってしまうと純粋培養で成長してしまうから、世の中にはもっと違う現実も存在すると言うことが理解出来なくなる。

彼らは子供の頃から優秀な親に毎日のように「隣のxxちゃんに負けちゃだめよ、いいわね、人生で失敗したら渋谷駅でござの上に寝てるおじさんみたいになるのよ」と教え込まれ、とにかく試験に通る為だけの勉強をしてきてる。

親に言われる事をそのまま真実と思い込んでそれ以外に一切の疑問を持たないまま大人になるから、何かを疑うと言うことがない。

自分が歩いてきた道が、実は世界標準からすれば異常であり日本国内の、それも今と言う時代でしか通用しない特殊技能だということを理解出来ないままに社会に参加して社内結婚しているもんだからますます世間の常識から外れていく。

まあ常識はずれと言うよりもある意味むちゃくちゃ純粋で自分の生きてる世界だけが世の中のすべてと思っているから、当社の説明会に来た人で「何でそんなに言われなくちゃいけないんだ、プライド捨てるとか収入激減とか、おれがそうなるわけないだろう!」と内心怒って帰る人もいるのも事実。

何故なら説明会では参加者が聞きたくない「移住失敗話」もするんだけど、その時には当然「何で失敗するの?」と言う質問が出てくる。

大体において移住してもうまくいかない原因は、日本企業にいた時のような「卒業した大学や以前の企業の看板、肩書きが通用して誰も尊敬してくれるし褒めてもくれる」ことを期待して地元の人々と接しても誰もそんなのを聞きもしないし、知ったところで「あ、そ、ところでちゃんとごみ出ししてる?」である。ここでプライドが傷付けられてしまい、今までの人生でそんなことなんて一度もなかったから挫折してしまうのだ。

また日本向けには「ぼくの会社なんて日本の誰も知らないし、収入が激減して日本の友達や家族に恥ずかしくて言えない」のもある。

日本の会社の元同僚からは「大企業に残れば地位と収入が保証されていたのにそんな聞いた事もないちっちゃな会社で働いてるって言うし、聞いたら給料も半分以下じゃないか、あいつ、やっぱりルーザーだよ」と思われることを知っているからだ。

ここで本人の忍耐力が大事となるのだけど、説明会でこの点を細かく説明して「それでもあなたは移住しますか?我慢出来ますか?」と聞くのだ。果たしてあなたは今までの社会的地位と収入を捨ててでもニュージーランドの生活が出来ますか?

ニュージーランドにおいては誰も会社の肩書きで付き合いはしないし、転職が当然の社会では肩書きよりも本人の専門能力が評価される。会社にいるだけでは誰も評価してくれないのだ。

その専門能力というのもほんとの意味で専門であり例えば金融と言えば稟議書を書くことではなくいかにして資金を有効活用するか、その為に自分が学校で学んだファンドの作り方やファイナンス理論に合わせた投資や様々なパーティに顔を出して人脈を作ることなど、様々な能力が要求される。

つまり本人は稟議書の書き方を知っているから金融ビジネスをしているつもりでも、それは専門知識とは言われない。会社が換われば全く無意味になる知識は金融知識とは呼ばない。

優秀な小学校を卒業して立派な中学校に入って素晴らしい高校を卒業して最高の大学に入学してまるで人生がばら色みたいな、親からすれば自分の期待をすべて背負ってくれたような子供はとかく人のいう事を良く聞く。

何も疑問を持たずに会社に入社すると、その会社の形式で作られた稟議書とか企画書とか説明書だとか、とにかくその会社でしか通用しない書類を山ほど見せられて、「これが金融だ!これが社会だ!」と教え込まれる。

とにかくその形式ですべてをやらんといかんから、他に方法があるんじゃないかなんて考える事もせずに、ひたすら「その会社でしか通用しない書類とルール」で行動する。

そして10年もすれば立派なビルの中の立派なオフィスの中の立派な机に坐って素晴らしい肩書きの名刺を持ち周囲は「いよ!課長補佐!」と褒めてくれて、サラ金に行けば無条件で100万円くらい借りられて合コンに行けば無条件で女が顔色を変えて迫ってくれる。

しかしそんなばら色の人生はニュージーランドでは通用しないと言う現実があることが説明会で語られる。

「あなたが知っている技能は海外では全く役に立ちません」

「銀行で何年働いたとしても、しょせんは自転車で中小企業の親父さんの自宅で今日の売上を回収したり、上司に言われた意味不明の商品を意味不明な中小企業の親父さんに売り込むか、精々は大企業のオフィスで経理担当者とお互いに相手を褒めあって上司に言われた事を伝えて書類を企画どおりに揃えてお互いの上司に出して頭をなでられて“良い子良い子”してもらってるわけでしょ」

「けどそれは海外の金融機関ではあり得ない話であり、取引関係者と実務的に英語が出来て相手と同等の金融知識を持ち相手に利益が出るような提案が出来てそれでいて最後には“にこっ”って笑顔でいられる能力が要求されるんですよ」と言われる。

そんな金融知識なんてもん、見たことも聞いたこともない金融関係者は、自分が入社したばかりの頃に自転車でお得意様を回って集金したお金をカバンに入れて無事に銀行に持って帰るのが仕事だったし、ちょいと偉くなってからは大企業の経理部門に行って同じ年くらいの担当者とお互いに“いかにもおれたちエリートだよね、クーラーの効いた立派なオフィスの中でこうやって大きなお金の話をしているんだもんね”とタバコをぷかぷかしながらやってた自分の生活を否定されたわけだから、こりゃもうびっくりである。

そこで当然金融関係者はぼくに対して「君は一体ぼくの何を知っているというのだ、なぜ僕が考える事が成功しないなんていえるんだ、だいたい君は何様だ!」となる。

しかし現実は現実なのだ。移住一世の一番大事な問題点は理不尽な人種差別ではなく自分の心に棲んでいる「エリート感覚」なのだ。

こういう場合いろんな説明方法がある。けれど彼に対して懇切丁寧に「世界のあり方から始まって日本社会の(世界と比較した場合の)不合理さ、そしてそれがある時点では日本の強みになってたけれど時代が変ったら弱さになってしまい、合理的に行うべきビジネスが不合理と言うOSの上に乗っかっているからあちこちでバグを起こしているんだけど誰もそれを止める事が出来ないまま21世紀に突入している」ことを教えるのは移住説明会の趣旨ではない。それは池田信夫の本を買って読んでもらうしかない。

ぼくはあくまでも有料で開催された説明会の趣旨として、参加者の皆さんに良い面も悪い面も合わせて事実を説明するのが仕事だと思っている。

その悪い面を伝えると言うのがさきほども書いたけど「耐えられないほどの社会的地位の低下」と「恥ずかしいほどの収入の激減」である。これに耐えられますか?

だから僕は個人的に思うのは、企業内特殊技能を持ち、それに何の疑問も抱かずに生きていける能力を持っている人はそのまま日本で生活をすべきだし、間違って海外に行く場合でもそれは駐在員と言う「東京を向いた風見鶏」になれる自信がある場合に限るということだ。


tom_eastwind at 13:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月13日

ワーホリノ3ヶ月ルール廃止

日本から来るワーキングホリデイの皆さんには、実に生真面目な人もいれば超不真面目な人もいる。

人それぞれだから他人に迷惑を及ぼさないうちはよいのだが、たまに仲間内の飲み会で議論になることがあるのがこの3ヶ月ルール。

ワーキングホリデイビザでは同一雇用主の下で3ヶ月を超えて働く事が出来ないという決まりがある。

この理由はワーキングホリデイと言う趣旨が、若者が旅をしながら外国を学ぶと言うものであり、一箇所にとどまって1年も仕事を続けるようでは本来のビザの趣旨ではないから駄目よと言うことだ。

これはこれでスジが通った話なのだが、ニュージーランドに来る日本人ワーホリはどちらかと言うとワーホリ⇒ワークビザ⇒永住権という流れがあり、その為一箇所で長く働くと言う傾向があった。

そして移民局としても真面目に働く優秀な若者である日本人がきちんと一年間同一雇用主の下で働いて納税した後にワークビザを申請するのは国益である。

だもんで同一雇用主の下で一年働きワークビザを申請する際に雇用主が「この子は当社で一年よく頑張って働いたのでワークビザを申請する」と言うと、そりゃよくがんばった、はいワークビザって感じでほんとに普通にワークビザが取得出来てた。(もちろん職場によりますよ、きちんとした会社である事は前提)

「おいおい移民局さん、この申請者って3ヶ月ルールを見事に破ってるんですけど」なんてやぼな突っ込みはなしだ。日本人だぜ、悪い事をするわけないじゃんか。

これは実は今も変わらない。キーウィにとってニホンジンと言うのはちょいと特別枠であり、他にもいくつか優遇されている面がある。

ただこれが、生真面目ワーホリからすれば「ルールなんだから3ヶ月以上働くなんてあり得ない!そんな人がいるから日本人が悪く言われるのよ!」と本気で怒るネタになる。

一応現場と法律を見てる立場から言わせて貰えば、ルールなんてのは人間が決めてるわけでありお互いに良いと思えばルールを適用しない事があるこの国では、あまりルールに拘るのは意味がない。

法の精神が国益を守る事であり、ニュージーランドにとって優秀で病気にも罹らない若い労働者が増える事が国益なんだから、優先度がず〜っと下の方にある「ワーホリノ3ヶ月ルール」なんてのは無視。つまり適用しないのが当然である。

また日本人が悪く言われる事も統計的には少ない。非常に少ない。お人よしだしやってる事が意味不明ってのはよく言われるが。

思い込みの激しい人がニュージーランドでも最下層の人々が夜な夜な集まる地下の薄暗いバーで網を張ってるガイジンが日本人の気を引く為にありとあらゆるデタラメをばら撒いて、どうこうと英語で話しかけられてくる言葉を、ほとんどその意味も分からずに真に受けている人間に限って日本人悲観論に陥ったりして「3ヶ月以上同じ場所で働くワーホリがいるから日本人が悪く言われるんだ」とか、「鯨を食べちゃいけない」とか言い出す。

しかし、だからと言ってこの「日本人には3ヶ月ルールが実質的には適用されていない」事実を逆手にとって、ワーホリを一年まるまる、ぎりぎりまでこき使う為に「大丈夫、一年働いてくれたらワークビザを申請してあげるから」と安い給料で雇う経営者がいるのも悲しいが事実である。そして勿論ワークビザの申請なんてしてくれない。結局最後になって「やっぱりお前、働きよくないから不要」となる。

説明会で時々こういう法律に関して質問を受ける事がある。

「9ヶ月滞在したら次の9ヶ月は再入国出来ないって大使館に聞いたんですけど本当ですか?」
「大使館の言ってることは一般的な話であり日本人には現在適用されていません。つまり中国人や中東の人々にとっては違法でも日本人には違法じゃないんです。けどそれを文章にすると人種差別になるので書いてないだけです」

ちょっと意地悪な書き方だけど、ではもう一つの例。

ニュージーランドは日本のような自動車教習所がない。なので運転免許を欲しい人は教官を個人的に雇って教えてもらったりする。同乗者がいて「運転勉強中」のサインを出していれば公道を運転出来る。

そして免許の実技試験の日。試験官は彼または彼女に「はい、この試験場まで自分の車で来てください」と言う。

「おいおい、ぼくはまだ何の免許も持ってない状態だぜ、隣に誰も坐ってない状態で、つまり今運転したら無免許じゃんか」
普通の日本人の発想なら当然こうなる。

けどこの国では「え?あんた運転出来る自信があるから試験受けるんでしょ、自信ないの?」となる。

このあたり、「違法」と言う考え方が日本とニュージーランドではすでに違うのだ。

この説明は実に難しい。法は現実に則していなければ適用しなければ良いという考え方は日本でも昔から存在するし、実際にそういうケースはたくさんある。

ところが真面目な日本人は法律を、その字面で書いてあることをそのまま鵜呑みにして自分なりに解釈して、自分で裁判官までやってしまい、違法か合法かを決めてしまうと言う、なんともエライものだ。

実態としては日本人の場合、3ヶ月ルールをそれ単独で適用されたことはない。

中には「3ヶ月ルールを適用されて職場を追い出された」と言う人もいるのだが、ありゃそうじゃなくて、本当は他に理由があるのだけどめんどいから分かり易い3ヶ月ルールで追い出したと言うケースなのだ。

このあたりも殆どの日本人は伝聞証拠で「私の知り合いが聞いた話だと〜」とか「だってこんな話がインターネット掲示板で書かれてたもん」と言って、根拠無根の話を舞台として無意味な会話が始まるから、いつまで経っても生産性のある議論にならない。

まあとにかく日本人に対しては3ヶ月ルールは廃止された。これは間違いない。同じ雇用者の下で長く働いて永住権に繋げる機会でもある。


tom_eastwind at 00:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年02月09日

起業家ビザルール変更

5f80b7a6.JPG年末にまた少し変更があったのがニュージーランドの移民法。

今までは起業家ビザと言えばIETLS(英語テスト)が5.0だったのが、現在は4.0で申請可能になった。
4.0なら英検2級以下。かなりの人が半年程度勉強すれば取れるし、日常で英語を使っている人ならまず確実である。

そしてNZ50万ドルを自分が始めるビジネスに初期投資して3名以上の社員を雇用すれば、今までは2年経過して永住権が取得出来ていたのが、今回のルール変更では申請後すぐに永住権が取れるようになった。

その代わり、技能移民はあいも変わらずこの失業率なのでまだまだ厳しい。そりゃまあそうだ、自国の失業者がいるのに他国から競争相手となる労働力を移入するなんて反国民的行動ですからね。

それにしても分かり易い移民法である。失業率が増えた⇒雇用を増やせ⇒外国人が起業してキーウィを採用しろ⇒その代わりビザもあげるよ。

ある意味、ビザを売っているのだ。

なんだか理屈や建前のdaisukiな日本人は多い。ビザの話になると「弁護士に頼んでお金を払ってビザを取るなんて卑怯だ」とか「そんな、ビザがカネで買えるなんておかしい!」とか「自分で申請すべきだ、その実力で申請すべきだ〜!」とか、とにかく理屈である。

それも日本人の歴史観の中で日本人の就業感覚とかで、要するにガラパゴスの原理をガイコクに押し付けて「こうあるべきだ」とやるんだから、たまったものではない。

この国ニュージーランドは雇用者が必要なのだ。国が成長する為に売れるものがあれば売る。その一つが永住ビザである。

移民政策は国家にとって大きな判断が必要である。19世紀半ばのダニーデンで起こったゴールドラッシュでは多くの中国人が単身でダニーデン、クイーンズタウン、アロータウンと移住して金掘りをした。

ところが19世紀後半のニュージーランドでは東欧からの移民は引き続き受け入れたが当時のリチャードセドン首相は中国人嫌いだった為に、中国人の受け入れはここで一旦途絶えた。

それ以降の移民政策としては、第二次世界大戦後の羊毛輸出景気があって南太平洋のアイランダーを労働力として受け入れをした。

ところが彼らが働かない。全く働く意志がない。元々彼らの生まれ育った島では「働く」と言う概念が非常に乏しいのだ。手を伸ばせば木の実があり海に足を漬ければ魚も貝もある。

畑を耕せば芋も食えるわけで、そんな環境では労働⇒貯蓄⇒拡大⇒資産保全、などと言う発想がない。

なのでこの移民政策はある意味大失敗で、それが現在まで60年続くニュージーランドの負の遺産となっているのは事実だ。

しかし、だからと言って移民流入を止めてしまえば国の発展も止まる。

だから南太平洋に懲りた移民局は、1990年代になって教育留学生の受け入れを開始、同時に中国や東南アジアからの優秀な移民を受け入れるようになった。

現在のところ先住民との軋轢や一部白人からの中国人に対する反感はあるものの、それ以外のアジア人に対する印象はそれほど悪くない。

とくに日本人に対しては「特別待遇」的な印象がある。

ある夜のシティの街角。道を歩いてた数名の中国人カップルが地元の不良に囲まれた。

カップルはとっさに「僕たちは日本人だ!」と言うとその不良、あきれた顔で「ナンだ、だったら早く言えよ、お前ら危なかったぞ」なんて笑えない笑い話もあるくらいだ。

今は日本人に対して印象も良く、起業家ビザであれば取得しやすい。

しかしこれは何も申請者の都合を考えてビザ枠の設定をしているわけではない。

ニュージーランド政府だって心情的には宗主国である英国や欧州から10万人単位で移住してきてもらいたい、けど実際問題として人種バランスを考えればアジア人も必要である。

Diversityというんだけど、いろんな人種が混ざったほうが社会的には成長しやすい、お互いに違うものを持ち合ってその中で競い合って良いものが出てくるという考えだ。

だから今ならアジア人にも一定枠でビザが発給されるし、お金を持ち込んでくれる起業家はなお優遇である。

ほら、この時点ですでに国家がビザを売って優秀な労働力や経営者を招きいれようとしているのが分かるでしょ。

言葉を変えて言えば、一旦ニュージーランドが「これで充分、もう移民は不要」となれば、門戸はガチンと閉ざされる。移住したい人の事情が何であれ「もういらない」なのだ。

「いつまでもあると思うな永住権」である。

写真はアンガスステーキハウスの2枚目です。シェフはブラジル人か?大量の肉をシュラスコみたいな雰囲気で捌いてました。


tom_eastwind at 15:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年02月08日

インターナショナルリビング

インターナショナルリビング

米国の移住専門誌が今年度の移住最適国の5番目にニュージーランドを選んだそうだ。

まさに行く人来る人である。

米国に移住したい人はたくさんいるが、同時に米国での生活に区切りをつけて次の新天地を探す人もいる。

ぼくがいつも思うのは適時適地。自分に合った土地に自分のライフステージに合わせて住む場所を地球サイズで変えていく。一所懸命と言う発想は、ない。

廃国置球、国家がなくなる時代においては、どこで生まれたか、どこで働いたか、どこで生活を楽しむか、どこで老後を過ごすかはすべて本人の実力次第で決まる。

もちろん生まれ育った場所がdaisukiならそこで一生過ごしても良い。要するに好きな場所に好きなときに住むのである。

その実力にはいろんな要素があるが、まずは健康、そしてお金に換算出来る仕事をする能力(これは一般的な日本人の作業の意味ではない・社内遊泳や社内稟議書類の作り方の上手い下手は、この場合は能力ではない)、今使えるお金(多ければ多いほど良いが本人がお金を作る能力が非常に高ければ今すぐ持ってなくてもよい)。

次に趣味があるか、他人との生活を楽しめるか、など、その本人が持っている素材としての能力である。海外に行っても引き篭もりをするのであれば住む場所を動かす意味はない。

ゴルフやヨットやスキーなど、アウトドアスポーツが好きでお金があって英語さえ出来れば、ニュージーランドは素晴らしい老後を過ごせる一つの国であろう。

つまり米国で「頑張って」資産を作った人がニュージーランドに移住すれば、米国に比べて安い生活費、素晴らしい自然環境、優しい人柄の人たちとの生活を楽しむ事が出来るのだ。

その意味で大事なのが教育だなって思ってしまう。「頑張って」と言っても、そういう競争の入り口に立つ為には、まずは教育がないとほぼ不可能なのが現実である。

入り口にさえ立てない人間は一生空を見ながら地面にへばりついているしかない。これこそ究極の差別である。人は生まれ育ちで差別されるべきではないが、現実は生まれ育ちで差別されるのだ。

例えば米国ではMBAを取った優秀な学生は一流企業に入って出世するだろうし、法律を学んで優秀な成績で卒業した学生は大手法律事務所から次々とオファーが来るだろう。

けど、その大学に入るためにかかるお金が半端でないのは誰でも知っている事で、毎日の生活をするだけで精一杯な家庭で子供を大学にやる事も出来ない。

世界的に見ても、子供が成長して成功する機会を得るためには、何よりも教育が大切だ。ここで出てくるのが子供の成長の機会均等を国家が保障しているかってところだろう。

ニュージーランドはその点、機会の平等は徹底していて、子供がその気になれば大学まで一切親の世話にならずに入れるし、その間の生活費や医療なども政府が保障してくれるので恵まれている。

結果的にそのシステムを使って勉強して成長するかどうかは本人の判断だが、教育のないバカばかりの国家よりもきちんと学ぶ機会を持った人々の多い国家の方が成長するのは間違いない。

そりゃもちろん、世の中には成功物語として小学校卒業資格しかない田舎の土建屋の親父が総理大臣になったりするだろうが、それはあくまでも例外である。

システムとして子供の機会均等を保護しているか。

ここは本当に大事だなって思うのは、オークランドでもちょっと裏通りを歩くと、何を勘違いしたかフーディを頭から被ってズボンをずり下げて肩を揺らしながらついでに道を歩く姿も千鳥足で、片手にタバコ、片手はラップダンスしているようなバカを山ほど見かけるからだ。

システムとして機会均等を保護していてもその子の親がバカで教育の大事さを理解していないと子供は何も学ばずに、水は低きに流れるようにバカな親の子供はそのまま教育を知らずに社会に出される。

しかし勿論そんな子供が社会で役立つわけはなく、ましてや高い給料を取れるわけではない。そこで自然とだらしなくなり、結局は政府の補助金で朝からマリファナ吸って、一週間も風呂に入ってないような薄汚い格好で道行く普通の人々に汚い言葉を吐きかけるようになる。

そんな親の姿を見て「かっこいい!」と思った子供は、やはり親の真似をして子供の頃からマリファナを吸って・・・etcetcと、結局は同じ事の繰り返し、貧困の環から抜け出せなくなるのだ。

システムがあってもこれですぜ。なかったらこの国、どうなってたのかな、と思ったりする。

ましてやそのような機会均等システムも存在しない国ではどうであろうか?

自分が住みたい国に住む権利は自分で勝ち取るしかない。けどその競争地点にさえ立てない子供はどうすればよいのか?

どうすれば良いかを理解出来ないまま大きくなってしまった(機会がない)多くの子供たちは残りの人生を「自分で人生をコントロールする」と言うことを一生理解出来ないままに劣等感とそれを隠すための無知な暴力を周囲に振りまいていくのだろう。

だからと言って日本の教育熱心を手放しで褒めているわけではない。あれはまた違った意味でバカを粗製乱造しているのだから、まあないよりはましだけどって程度か。

バカな親が自分の果たせなかった夢を子供に託す、つまり子供が自分の所有物と思い込んでおもちゃか奴隷のようにこき使うわけだから、それも「お前の為に!」と悲壮な顔で言うんだから、これまたバカにつける薬はないわけだが、それでも教育がないよりは、あった方がましであるのは事実。

運よく米国で成功してニュージーランドに移住して人生を楽しむ。だったらモノポリーみたいに世界すごろくでも作ってみるか。

中国の山の中で生まれて子供の頃に中国政府に見いだされて国費で勉強をする。優秀な成績で北京大学を出ると米国のスタンフォードあたりに国費留学。

5年ほどして中国に戻り、米国の友達と起業。

米国と中国で大成功して会社を売却して資産家になりプライベートジェットを買う。

その勢いでニュージーランドの永住権を取得してクイーンズタウンあたりの牧場を買って、余生を楽しむ。

こんなモノポリーもありかも。

tom_eastwind at 14:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月23日

やっぱ、年じゃないよね。

数日前から足を挫いてしまい、在宅勤務を続けている。脳みそはまともなのだが、左足のくるぶしから下が何もない感覚で、もうがくがく。

まっすぐ歩くどころか、立つのも大変なので自宅内ではもっぱら匍匐前進である。

そんな状態も3日過ぎるとかなり回復して、どうやら金曜日の夜は復活。ぴょこぴょこしながらも歩ける状態となった。

この日はOver30の集まりで食事会。選んだ店もオークランド和食の老舗だ。つまり参加者も店も古い?ってこと、ではない。良い意味で「しっかりしている」のである。

僕は最近「わかい(若い)」ってのは殆ど「ばかい(バカい)」と同義語ではないかと本気で思っている。それほどに周囲にいる20代の人々に覇気がない。

昔であれば、分別のつくオトナなら最初からやらないような事でも、若者は前後を無視して飛び込んでいくって意味で「若さ」が語られたが、最近はここ20年にわたる不況のせいだろう、若者の方が小利口、小真面目、夢なしになってる感じがする。

そういう意味で30歳ってのは、社会も理解しているし自分の実力もある程度わきまえた状態でいながら、よっしゃやってやろうかって気合があるから楽しい。

まあ昨日のメンバーが偶然そういう集まりだったし、そのお店で出されるメニューが「お、いいじゃん」とか「気合、入ってるね」とか、お客の8割はキーウィなんだけど、彼らに対してきちんとした日本食を斬新なアイデアで提供していたからだとも思う。

ところがこの店を仕切っているのは若干20歳、ついこの前成人式を迎えましたってばかりの2代目なんだから、こりゃたいしたものだ。

こうなると、若いのも気合が入ってるなってなる。

そうなると最初に書いたような「年齢別区別」があまり意味を成さなくなる。

なんだ、やっぱり個人の実力の違いじゃないか。

そんなこんなを考えながら、久しぶりに外で飲むお酒をたのしむ。

tom_eastwind at 12:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年09月28日

第41回説明会終了

5a6f6130.JPG

おお、ついに40回の大台に乗りましたな。

 

思えばこの説明会、最初の頃に取組み始めたときはスタッフにも外部の人にも随分と変な目で見られたものだ。

 

移住?それのどこが商品なのだ?

 

最初の頃はこっちも今一感覚が掴めずに、どこまで踏み込んでよいやらどこが商品で売れるのやら何も分からないままで手当たり次第に動いてきたが、やっと去年には一つの流れが出来上がり、これでどうやら僕も次の新しい仕事にいける環境になった。

 

けどやっぱり説明会の話だけは自分がやらないと、これだけはまだ他の人には任せられない。

 

説明会で出てくる質問は実に多岐にわたる。政治、外交、経済、政府の形態、選挙制度、社会保障、歴史、日常生活、とにかくすべてにわたって体系立てて説明をする必要がある。

 

社会保障つまりセーフティネットが思いっきり充実とか言いながら政府の方針は自己責任ではないか、こりゃどういう事だと突っ込まれれば、その両方の整合性のある答を用意する必要がある。

 

実はニュージーランドに長く住んでても単純に「住みっぱなし」の人はそのような事を考えようともしないから、突っ込まれて聞かれても答がでずにぱうぱうしてしまう。

 

それでは参加したお客様に満足いく説明会とは言えないから、どうしてもここはまだ僕自身が手掛けるしかない。

 

しかしそれ以外の業務はかなり現場で回るようになったのも事実。

 

今回の日本出張も急遽福岡を追加で訪問したりと随分飛び回った。計算してみれば今回の日程では地球をほぼ一周したことになる。

 

けど仕事の中身を分析してみると、そのうちの三分の二は移住説明会とは関係ない業務である。それだけ仕事が進化したって言うか、ますます内容が複雑化しているのは事実。

 

だから楽しい。同じ事を2年もするとすぐに飽きてしまう僕としては、やってる仕事の内容が年ごとにこれだけ変化するのはもう楽しいとしか言いようがない。

 

だけど、これはとても贅沢な話なんだけど、やっぱりそれだけ肉体と脳みそを酷使しているのも事実。しかしまあ人間なんて脳の半分も使ってないなんて話もあるし、まだまだいけるなとは感じている。

 

これから数年は企業向けのコンサルティングを仕掛けていくが、やっぱり最終目標は国会議員かな〜。これ、以前からかなり本気で考えていること。

 

よっしゃ。とりあえず今日も無事に終了。

 

しわだらけのくたくたになった脳みそをほぐす為に熱い風呂に飛び込み、ほてった体のままホテルのバーに飛び込んでパソコンを開く。おお、この時間が一番快感です。

 

41回を迎えた説明会だけど、すでに数百人の方は渡航をしており、更に予備軍も日本で出発準備をしている。

 

50回くらいまではいけるんじゃないか。それ以降は海外移住の流れも薄くなるのではないかと考えている。

 

何故なら人は環境が変化すると激しく抵抗するが、それが数年続くと慣れてしまい、「まあいいや」となるからだ。

 

移住の取り組みを始めたのは日本が構造変化を起こし始めて既成のシステムがすべて崩壊し始めて、その痛みを人々が感じ始めたからだ。

 

しかしそれも慣れてしまえばもう痛みは痛みと感じなくなる。

 

悪い方向への変化であっても痛みを感じなくなるのだ、まるで第二次世界大戦前夜の日本のように。

 

崩壊へ向ってまっしぐらに走っていてもついつい「慣れてしまってる」から「皆がそこにいるから」東京大空襲で爆弾落とされるその瞬間まで「まあいいや」になってしまうのだ。

 

人生をどのように過ごすかは本人次第。

 

ぼくらの仕事は「移住+ニュージーランド」で検索をかけるだけの前向きな人に対してのみ情報を提供して、その情報提供料として対価を頂く。

 

何もこちらが誰かの家に押しかけて「移住しろ」なんて言ってるわけではない。移住情報をご希望なら提供しますが有料ですよ、移住は自分でも出来ますよと常に説明している。

 

その人の人生はその人が選べば良いのだ。選んだ人に対して情報を提供するのが当社の仕事。

 

だからこそ50回目が来るかどうか、このあたりに不明を感じるのである。

 

いずれにしてもすでに僕自身の脳みその半分以上は新しい方向性に転進しているので、第50回移住説明会が来なくても良い。それこそ日本人次第だ。

 

そんな事を考えながらバーでいつもと同じクラブハウスサンドイッチを食べる。

 

一平ついでに部屋に戻って一平ちゃんカップ焼きソバ旨醤油味で〆る。

 

夜9時以降に何かを食べるのは体に対する拷問だなとか思いながらついつい手が出る。久しぶりな気がするけど、何かこのB級グルメ、こんな夜にはほっとする旨さです。

 



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2009年09月27日

新移民法改定

ニュージーランドは移民法がしょっちゅう変更になると説明会では話している。実際によく変わる。

 

だから資料を作っててもあっと言う間にデータが古くなってしまうので、毎回担当者が内容チェックをするので大変。

 

今回の説明会でも、作った資料の投資家ビザの内容が古いことを発見。こりゃまた明日きっちりと「お手元の資料は古いですから」とやらないとね。

 

でもって何が変わったか?

 

簡単に言うと投資移民の枠が緩んだのだ。

 

そのまま掲載しておきますので、今日の説明会にご参加出来ない方もご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

1)  投資家部門 永住権申請の条件

 

インベスター プラス(投資家カテゴリー1

·              投資額: NZ$1000万ドルを3年間投資

·              最低事業経歴年数: 無し

·              年齢制限: 無し

·              最低英語力証明: 無し

·              最低移住資金: 無し

·              最低NZ滞留期間: 3年間のうち、最後の2年間は、1年につき73日以上

 

インベスター(投資家カテゴリー2

·              投資額: NZ$150万ドルを4年間投資

·              決算資金: 100万ドル (ニュージーランドへの送金の必要なし)

·              最低事業経歴年数: 3年

·              年齢制限: 65歳まで

·              最低英語力証明:英語環境でのバックグラウンドもしくはIELTS3.0以上

·              最低NZ滞留期間:4年間のうち、最後の3年間は、1年につき146日以上

 

2)  永住権取得のポイント

 

この部門での投資は、個人の銀行口座への投資や不動産の購入は投資とは見なされません。 よってニュージーランドでビジネス投資をすることが必須となります。ビジネス投資で今後のニュージーランド経済を支え、発展につなげることが条件です。

また、この部門では永住権受給者数を年間300人(主申請者ベース)に設定しています。



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2009年08月26日

幸福度

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最近は経済学者の中でGDPに変わって新しい社会の指標を作ろうとする機運がある。

 

それが幸福度である。Happiness Rate と英語で言われているようだが、専門的にはGNHとも言うようだ。

 

要するに人の幸せはカネではない、カネがあっても幸せにならないという、何となく誰でも知っている内容の数値的検証である。

 

幸福度とおカネは直接の関係はないというのは経済学者の間でも通説ではあったし市井で生きる庶民からすれば当然のことだったが、今まではそれを数値化してなかったので、幸福の代わりにお金で、つまり誰もが分かり易いGDPでどこの社会が良いかを計っていた。

 

だから米国のGDPが世界一なら米国が一番幸せなはず、じゃあ米国に移住しようと言う話になる。

 

けど米国に移住しても満足な仕事も見つからず夜遅くまで働いてそれでやっと自宅を買っても、払いきれないローンや失業で自宅を手放して家族でホームレスをするようになったら、これって幸せか?

 

何とかうまく金融関係の実入りの良い仕事を見つけても今度は土日もなく働きづめで他人を出し抜いたり騙したりして、家族には嫌われてしまい友達も出来ない。これって幸せか?

 

日本でも戦後は米国に追いつけ追い越せで企業戦士が当然と言う文化があったが、結果的に日本のGDPが何とか世界20位でも幸福を感じる度合いは90位と言う結果が出ているのは事実だ。

 

これに対して人口400万人の小国家であるニュージーランドの場合、経済は非常に小規模ではあるが幸せを感じている人が多いのも事実である。

 

ただこの相関関係が数値化されなかった為に、日本にいる日本人はあまり働かないキーウィに対して「何が幸せだ!努力もせずにカネもない、悔しかったらカネ作ってみろ!」的な風潮だった。

 

別にキーウィからすれば日本と喧嘩する理由もないので相手にする必要もないが、それでも毎年1千人以上の日本人が「お金では買えない幸せ」を求めてニュージーランドに移住していくる。

 

ところが米国発の同時不況の中で「やっぱりGDPだけじゃないよね」ってことになり、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツのような教授が本格的に幸福度を計算するようになったのだ。

 

ブータンにおいては幸福に重要な9要素として

1・心理的幸福感

2・時間の使い方

3・生活水準

4・文化

5・健康

6・教育

7・環境

8・良い統治

9・地域の活力

を挙げている。

 

ミシガン大学のマイルスキンボール教授は

★幸せを高める主な要素として

1・睡眠

2・遺伝子

3・社会的な地位

4・家族と過ごす時間

5・現状への満足度

 

★幸福感を損なう主な要素

1・配偶者の死

2・心臓発作

3・脳卒中

4・癌

5・失業

6・子供の死

 

     こいつ、少しずれてるんじゃないかって思う。ブータンの方がいいじゃん。

 

ただどっちにしても、お金が生活の第一要素でないのだけは間違いない。

 

 

昔の日本の生命保険の宣伝で「愛はお金で買えないけど、お金で表現出来る愛もある」的な内容が多かったのを覚えている。

 

けどまあ長いこと庶民をやってきた僕としては、お金が一番でないのはよく分かる。その上でお金を追求するってのは矛盾でも何でもなく、要するに状況によって常に変化する優先順位に、ある時はお金も来るだろうしある時は子供の命も来るだろうしと思ってる。

 

幸福度調査がどのような数値化になるのかは分からない。

 

ただ僕の経験で言える主観的なことは、物事にはすべて優先順位が相対的に存在して、その時その時で物事の優先順位が変化していく、その変化を見極めて行動した人間は幸せ感が高くなるってことだ。

 

難しいかもしれないけど、人生にマニュアルなんてない。マニュアルに寄りかかってしか生きていけない人には、時に大きなしっぺ返しが来ますぜと言いたい。

 

もちろんうまく逃げ切った世代には「そんなことないよ」となるのでしょうが。

 

写真はグレノーキーのワカティプ湖。彼ら、本当に幸せそうです。

 



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2009年08月04日

街の空気

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クイーンズタウンでスキーをした後にオークランドに戻るってのは、まさに天国から人間世界に戻る感覚。

 

あのままクイーンタウンにいられたら、スキーも出来て友達と飯も食えて、、、なんて考えても仕方ない。人は飯を食って生きていかねばならないのだ。

 

と言うことで山を降りて飛行機に乗ってオークランドへ戻る。

 

けどま、これほど空気、てか気が違うのは面白い。やっぱり街ってのは、特に都会になるとそれぞれの場所ごとに独特の気を放っていると思う。

 

大使館の役人や大企業の人間には理解しづらいかもしれないが、どんな街にも現場があり、そこの空気はその街の風土、まさに風や土が生み出したものだと思う。

 

クイーンズタウンに流れている空気とオークランドとは全く違う。今のところこれを客観的に計る物差し、僕はもっていない。けど確実に違うし、それは感覚としては説明可能だ。

 

ニューヨーク、バンクーバー、香港、北京、上海、シドニー、ゴールドコースト、オークランド、東京、どこも空気が違う。

 

その空気を作る要素としては、当然その街を含む政治形態などの人為的要素があるけど、同時にやっぱり、馬鹿にしちゃいけないのは風水だと思うな。

 

「流れに棹差せば流される」との諺?通りで、その街の流れを理解してその街の流れに合わせて動けばうまくいく。

 

けど、その街の流れや気が自分に合うかどうかは別問題。これが合わなければ、いくら商売がうまくいっても自分自身の中の気が乱れてしまい、生活に変調を来たす。

 

僕にとって一番合っているのはクイーンズタウンかなと思う。自然と、余計な干渉をしない人々。誰もが笑顔で、倒産寸前の人々でも楽しそうに酒を飲んで、倒産した人でも楽しく酒を飲み、サラリーマンと肩を並べておしゃべりを楽しむ。

 

その喜び方は成功しているビジネスマンと何の違いもない。誰もが明日を見ている。それでいながら他人のビジネスに無理して食い込もうとしない。

 

皆が狙っている市場は世界であり、隣にあるレストランの客をこっちが獲ってやろうというより、お互いに外国の客を獲って行こうよって雰囲気があるのが特徴だろう。

 

そしてその上に、国家による社会保障=セーフティネットと、人々が持つ「誰しも失敗する。挑戦して失敗しても恥ずかしくない」と言う文化。だから失敗しても食っていける。

 

これにクイーンズタウンと言う風土+水が混ざってこの街の雰囲気がかもし出されているのだろうな。

 

日本で生活している人は、日本国内では自分の合う街に住むことが出来る。けど多くの人は就職をした街で生活をする事になる。

 

けど、その街って自分の気に合っているのか?これって、生活を楽しむって意味では結構大きいと思う。

 

東京が合っているのか?食えるだろうけど、好きか?

 

「じゃあお前、オークランド好きなの?」いいえ、それほど好きではありません。ここに住んでいるのは偶然の産物。

 

ぼくが今オークランドに住んでいる理由。それは12年前に香港からニュージーランドに戻るとなった時に、奥さんの街選びの条件が「中国食材があって香港に直行便が飛んでる街」だったからだ。

 

そうなるとニュージーランドはオークランドしかない。仕方なく選んだ街である。個人的にはクイーンズタウンに住みたかった。

 

人は妥協しなければ生きていけない。てか、何かを大事にすれば何かを捨てるしかない。全部を得ることなんて出来ないのだ。

 

皆さん、風水よりも街の雰囲気よりも仕事の内容よりも、もっと大事なものがあることがこれでご理解いただけたか?



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2009年07月28日

卵はどこへ?

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日曜日はStLukesの電気店をのぞいて見る。今の洗濯機が古くなって調子悪いので、新しいのが欲しいなと言ってる奥さんの同伴である。

 

この電気店にはパソコンからテレビ、洗濯機、冷蔵庫等が並んでいる。すごいすごい。そういえば日本では両開きの冷蔵庫とかも出来てるんだよね。すいごいすいごい。

 

サムソン、ウエスティングハウス、などなど。

 

けど、、、、卵入れがない!冷蔵庫の上の棚にも下の棚にも、卵を入れる丸い穴の付いた卵入れがない!

 

その隣にある三菱電機の冷蔵庫では12個入りとか16個入りの卵入れがあるのに、外国製の冷蔵庫には卵入れがないのだ。

 

そう、ニュージーランドでは卵を冷蔵庫で保存するって考えがないのだ。常温で放置しておいても2週間程度は保存が効く食べ物と思われているから、あえて冷蔵庫に卵を入れないし、だから卵入れもないのだ。

 

キーウィの生活の中で卵は朝から大活躍するので1ダースなんて家族によっては一日で消費してしまうかもしれない。

 

今日買ってきた卵は有機卵だけど賞味期限は2週間以上ある。けどやっぱり常温保存。

 

だけどこの国では生卵を食べる習慣がないから、レストランでも生卵を提供することは出来ない。

 

何でも卵の殻にばい菌が付いてるからって事らしいけど、それ以前に本音の事を言えば、要するに生卵を食べるなんて気持ち悪いってところだろう。

 

そう言えばシドニーでも数々の賞を取った寿司レストランである「よしい」のオーナーがこの前ぼやいてた。

 

「いや〜、参りましたよ。前回保険署が視察に来た時に、どこの人ですかね、寿司を握るのに衛生面の問題があるから、必ずビニールの手袋をしろなんて言われましたよ。うちゃあ寿司やですよ、衛生基準でも最高のグレード貰ってるのに、何でしょうかねあの無理解さ」

 

そう、ある人種にとっては自分が食べないのにぐちゃぐちゃと横槍を入れて、それで正義面をするのだから困ったものだ。

 

鯨問題もしかり。ぼくは犬は食べないが、犬を食べる中国や韓国の文化を否定するつもりはない。日本人だって戦後すぐは犬も兎も食っていた。ちなみに香港に長く住んでいたけど、結局蛇のスープも飲まなかったな。

 

けど、ふと思った。もし東京で蛇の肉や犬の肉を食わせるレストランがあったら、どうする?衛生署に訴えて店を潰すか?それとも共存共栄するか?このあたり、きれいごとでは片付かない部分ですね。

 

けどっまあ卵。ニュージーランドで冷蔵庫を買う際は、卵をどうやって使うか考えておく必要ありですね。

 

写真は一人で書類を見ながら昼食を食べてるキーウィです。

 

こればっかりは人種を問わず。一人飯って背中が辛くてどうしても書類に眼を通したくなりますね。



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2009年07月24日

デキる弁護士

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★引用開始

デキる弁護士とそうでない弁護士を分ける能力は何でしょうか。それは、「問題点を的確に見抜く能力」です。

依頼者の話を聞き、「どこに問題があるのか、依頼者のニーズは何なのか、強みと弱みは何なのか、相手はどのようにこの件を見ているのか。」などを的確に把握することが重要なのです。

これができる弁護士は、事件を適切に解決し、できない弁護士は、事件を混乱へと導きます。
★ 引用終了

これは谷原誠弁護士がブログで書いてたこと。

こういう、弁護士の能力ってか資格は日本もニュージーランドも同じである

そして残念なことに「問題点を的確に見抜く能力」を持った弁護士は少ないのが事実である。特に多いのが「自分は知らない」ってことが理解出来ない弁護士である。


仕事柄年中弁護士と話しているのだけど、元々「大げさな自己主張」と「自分は悪くない」を繰り返す国民性の上にそれを理論で武装しているので弁護士は実に手ごわい。

てか、彼らを正面切ってバカにして失敗を指摘すると本気で拗ねてしまうので、適当におだてて使うというのが実に難しい。

けどその事と今から書くことは別の話。

最近も僕のところに日本人から「弁護士に騙された!」なんて相談が来た。けどよく話を聞くと騙されたのではなく日本人が正しい質問をしなかったとかきちんと押さえるべきところを押さえなかったというケースである。

つまり一般的日本人の持つ先入観念である「士行(士の資格を持ってる、例えば弁護士とか会計士とかです、武士ではありません)はエライ!」「一流大卒法学部はエライ!」、だから一流大学を出て弁護士をやってる人間を見ると、それだけで「エライ!」と思い込んで何でも言いなりになるからだ。


てか、そう言ってしまうと弁護士の皆さんに申し訳ないのでもうちょっと付け加えて言うと、殆どの弁護士にとって日本人は未知なる生命体なのだ。

だから日本人が何を考えて何故今ここで僕の前に坐っているのか、何を依頼しようとしているのか読み取りようがないのだ。

日本人は彼らからすれば自分の腹の中で何を考えているのか分からない、何を言ってるのが論理不明、勝手に期待されて勝手に失望してしまう、ある意味どうしようもない人種なのだ。

その原因は至って簡単で、文化の違いである。

日本では弁護士は「センセー」であり正義の味方だ。けどこの国では自分の意見を代弁してもらうだけの存在にしか過ぎない。

つまりこの国の弁護士にとっては正義が何かなんて議論はどうでもよい、依頼主の期待に応えるかどうかが問題で、応えた分だけ費用がもらえるかどうかが大事なのだ。

頭の中で蝶が跳んでるような日本人には理解不能かもしれないが、この世の中では真実が何かなんて、あなたの考えてる真実だけが真実でも正義でもないのだ。100人いれば、100の真実や正義があるのだ。

それを理解もせずに認めもせずに無理やり自分のやり方をこの国に持ってくるからトラブルになり、その結果として「あ〜ん、あったし〜、弁護士にだまされちゃった〜!」となる。

騙されても何でもない、お互いに美しき誤解で始まった取引が冷然たる現実にぶつかって理解して、悲しい結末を迎えただけだ。

恋愛も弁護士への依頼も似たようなものだ。お互いに相手が何なのかをよく理解して付き合う必要がある。

けど他人任せが大好きな日本人は、弁護士と聞いただけで「ま、偉い人〜!」となってしまうから、弁護士としても「意味不明???」になるのだ。

だからこちらの事を「理解デキない弁護士」を「理解デキる弁護士」にするには、相手の分かる言葉で説明して相手を誘導してあげることが肝要となる。

けど日本人は、こっちが正しいんだから相手はわかるはずだと思い込む。そして裁判所は正義を裁く所だと思い込んでる。もしかして一番悪いのは戦後の映画で「まだ最高裁判所がある!」なんて言った主人公なのかもしれない。

これからニュージーランドに住むような方には是非ともこの理屈は理解してもらいたい。

いずれにしても裁判所は正義を捌く場所ではないし弁護士は正義の味方ではない。依頼者の権利を代弁して主張するだけの「商売」なのだ。

商売人には上手な人もいれば下手な人もいるように、また得意や不得意があるように、弁護士も同じなのだ。

だから後は、いかに彼らに自分の考えていることを伝えることが出来るか、いかにうまく付き合っていくかが大事なのだ。

恋愛や結婚と同じなのだ。過度の期待をしないで欲しいし、頼り切らないで欲しい。

 

 

 


 



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2009年07月21日

南北戦争

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世の中どこも、北と南では相性が合わないのかな?

クイーンズタウンとオークランドの一番の違いは、その白人の割合の違いである。オークランドではシティで白人率は50%程度だろう。

 

けどクイーンズタウンに来ると白人率が80%以上ではないか。欧州や米国からの旅行客が多いのもその理由の一つだろう。

 

この街ではオークランドと違い、アジア人が観光客である事を認識するしMAORIやアイランダーを殆ど見かけないのが特徴だ。彼らには寒いところは苦手なんだろな。

 

二番目に違うのは同じ白人でもその顔つきである。クイーンズタウンで見かける人々の殆どはきちんとしたラフな?格好をしており、この街ではたった一人も道に座り込んでお金を欲しがる輩もいなければ数日風呂に入ってないような汚い人もいない。

 

この街では誰もがそれなりに裕福なのだ。しっかりした顔つきに自信を漂わせて生きているのだ。それが出来るだけの自然の恵みがあるのがこの街である。

 

これは他の街とクイーンズタウンの大きな違いであると思う。とにかくこの街は豊かであり、世界中の観光客を相手にしており、同じ南島でもラムズデンやセントラルオタゴと違う点である。

 

観光の中心となるのは冬場はコロネットピークスキー場、夏場は涼しい空気と美しいワカティプ湖、ミルフォードサウンドである。それにしてもよくもこれだけ自然の観光要素がこんな狭い街にぎゅっと凝縮したものだ。

 

高級レストランやホテルの数、食材の豊富さ、ビジネスの多さ、交通の便、サービス、物価、朝まで楽しめる街、とにかくほんの30分走れば行けるような隣町とこんなに違うのかって感じ。

 

ただこんな国際的な街でも面白いのが、オプショナルツアーのオペレーターやタクシーの運転手など地元出身の白人の態度。

 

彼らが僕らアジア人を見てBigSmileでうれしそうに「Hi,どこから来たの!」と聞いて、彼らが期待する答えは「香港!」とか「韓国!」とかで、その一番期待する答えは「日本!」なんだけど、こっちが「Auckland〜!」って言うと、まるで風船がしぼむような顔で「あ、そ・・・」になる。

 

同じように白人に対して「HI!どこから来たの!」と声を掛ける運転手が期待している答えは、まずは「オーストラリア!」であり「アメリカ!」であり、一番うれしいのは「イングランド!」だろう。「アイルランド」だと返事もしないし笑いもしないからね。

 

でもって同じ白人でもやっぱり「Auckland!」となると、あ〜あって顔になる。次の言葉が見つからないって感じである。

 

boat今回は家族でボートに乗ったのだが、アジア人1組白人2組で、全員が「Auckland!」と答えたときのボート運転手の顔、「あ〜〜〜、そ!」だった。

 

これほどに南島の人がオークランドに対して感じる印象が良くないのはいろいろ理由があるのだろうけど、どうしてもオークランドの奴は手に汗かいて仕事をしてないって思われてるからだろう。

 

実際君らも週に3日しか働いてないよねなんて言ったとしても、それでも彼らの3日はきちんとした労働である、オークランドの君らはネクタイしてヒーターの効いた部屋の中で書類をいじくり回してるだけじゃないかってイメージなんだろう。

 

三番目に違うのはネクタイをした人の数だろう。クイーンズタウンでビジネスをする人の基本的な格好は襟付きのポロシャツにジーンズかチノパン、それに運動靴である。

 

もしあなたがクイーンズタウンでネクタイをしている人を見れば、それは弁護士か不動産のセールスパーソン、または日本からの団体添乗員と思って、ほぼ間違いない。

 



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2009年07月12日

薄曇の空

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ちょっと薄曇りの東京の空。朝はどんべえきつねうどんと鮭おにぎりだ。

 

ホテルは朝食付きプランなんだからとは思うけど、どうしてもあの「インスタント食品」でないと元気が出ない日もある。

 

ソウルフードがインスタントってのも僕の時代を表しているのかもしれない。

 

ぼくらの子供の頃は鍵っ子世代の一つ手前、昭和30年代後期は誰もが元気良くてお昼ご飯もさっさと食わないと時間が勿体無いって感じであった。

 

健康に気を遣う?冗談じゃない、もう充分に健康である。そんなのより時間の方が大事だ、そんな時代の食い物。

 

今日の説明会は予定を一名オーバーした13名様のご出席。年齢層は20台半ばから40代後半まで幅広い。か?

 

考えて見れば、広くはない。だって10代はいないし60代もいない。

 

つまり移住なんて考えることもない世代と移住なんて必要のない世代にとってこの説明会は存在意味がないのだ。

 

しかし参加する世代の方からすれば、実際に移住するかどうかは別として、わざわざ日曜日を半日使って参加するのだから真剣である。

 

という事で説明会開催。会議室のサイズの関係と参加者の話の通りやすさを考えて12名で設定しているけど、今回は予約+1名になった。結果的には12名で開催。

 

この説明会、これでもう何年やってるのか考えて見た。

 

大体6年くらいかな。

 

一生懸命メモを取ってくれる方や資料を読みながらこっちの話を聞いたりする人や、本当に皆さんの反応は千差万別である。あ、12人だから12差12別か。

 

説明会ってナンだか軽く喋っているようで実は全員の顔を見ながら僕の一言のどこに反応するかを見ながら次の話を作っていくので結構気を遣う。

 

さあ、今回はこの中から何人が視察に来るかな〜。多分3組くらいかな。

 

けど説明会が終了したら僕の頭はとりあえず白紙。てか、思考能力が思い切り減退する。実は本当に、5分前に話したことも完璧に忘れているんです。

 

たぶんこれって自分の脳みそを守る為に自動的に扉が閉まってるんだと思う。

 

たかが説明会と言うなかれ、しゃべる僕は全精力を傾けてやってるんだから。

 

そんなこんなを思いながら疲れた頭を整理する為にホテルのバーに顔を出す。

 

いつもの笑顔がそこにある。ほっとするね。

 

水割りを一杯貰って健康の為のシーザーサラダを注文する。

 

そうこうするうちに都議選の投票結果が少しづつ発表されていく。気分的には高村光太郎。ちえこが死んだ後、周りのことがどうでもよくなる、そんな感じ。

 

今回の日本出張は香港から始まって南から北へと登っていく方向性。

 

あちこちで会議やって議題が出てそれに対する宿題が出て、いつまでに何をするかを決めた。やらなくちゃいけない事は分かってるけど、役者は舞台で踊るだけ。

 

そこから次は頭が働かないぞう。やばし。一人仕事の限界を感じる。オークランドに戻る飛行機の中で調整しないとな。



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2009年07月09日

diversity

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Diversity Programと言うことばが最近移民局で使われている。相違性とか多様性という意味だ。

 

実は先日の「マジョリティとマイノリティ」と言う話でいくつか意見を頂いた。

 

米国では国民に多様性を持たせるために「DV200x」なんてのがあって、グリーンカードだか永住権が抽選で当たったりする。DVとはDiversityの略です。

 

けどその条件は米国における少数民族であること。毎年人種別統計を取ってDVの対象となる国家を発表する。日本は常にDVの対象である。日本人はあまり外に出ませんからね。

 

色んな人々が集まることで新しい智恵や相乗効果が出てきて国家の活性化に繋がるという考え方であるが、ニュージーランドでもこの考え方が出てきてる。

 

え?色んな人種が集まったらかえって面倒じゃん。今なら同じ価値観をもつ人たちが「あうんの呼吸」で生活出来て楽だし、一から十まで説明するのって面倒だよ。

 

日本人は完璧なまでに周囲と同質化することを要求する社会であり、同質化することで共同生活が営まれてそこに伝統や文化が育まれてきたのも事実。

 

けどそれは日本という国が日本で閉鎖されてた時代の話であり、実質的に国境の壁がこれだけ低くなってしまうともうそういう理屈は通らなくなる。

 

合法的に移住した外国人が日本の生活に対して違う意見を持つことがある。そんな時にばっさりと「嫌なら出て行けば?」となるのが同質化社会である。

 

けど、他の価値観を認めた上で「おう、そういう考え方もあるな、学ぶものがあるよな」と自分の人間性を広げてに幅を持たせて自分自身の価値観をさらに磨く機会があっても良いのではないかと思う。

 

こういう考え方は日本人には理解が難しいかもしれない。移民社会で21世紀を生き残っていこうとする戦略は日本の純血主義とは正反対の道だからだ。

 

ぼくは純血主義を否定するものではないし鎖国だって国民全員が腹を括ってその気になってやるのであれば何もいう事はない。

 

ただ、他人の価値観を頭から否定することが純血主義と言うのは違うと思う。これは単純に何かを学ぼうとする姿勢が不足しているだけの、要するに「建前を並べて本音では現実からずる賢く逃げている」だけだと思う。

 

他人の価値観を理解するとか学ぶってのは、時には今まで自分が培ってきた価値観が根底からぶっ壊されることにも繋がる。

 

だから、折角一生懸命子供の頃からテストのたびに隣の席に坐る僕より頭の良い子が風邪をひかないかなと期待したり有名大学の名前だけで合コンに人が集まってくれて大会社の名刺を出すだけで周りがきゃあきゃあと騒いでくれる状態が心地よいのに「そんなのには何の意味もないよ、大事なのはあなたがどれだけ自分を磨いているかだよ」なんて言われると「ふざけんな!」と言いたくもなるだろう。

 

そりゃそうだ、だってこの居心地の良さを得るために小学校のお受験から始まって企業面接訓練までマニュアル使いまくってやってきたんだから、それを一発で否定されたら頭にも来るだろう。

 

けど、そんなこと言っても現実は現実である。殆どの日本人が日本国内で作り上げた自分なりの理屈や考え方や道理は、世界の様々な価値観の中ではOneOfThemである。だから常に新しい人と出会って新しい価値観を理解することで自分の価値観に幅が出てくるのだ。

 

こういうのが一般的には「自分の殻を破る」というのだけど、そういうのって年を取れば取るほど殻を破るのが面倒になるよね。

 

移民を受け入れるってのはそういう苦しみが必ず出てくるし、そりゃ日本人だけで固まる居心地の良さはない。

 

けどさ、そうやって日本人だけが固まって日本特有の言葉しか使わずに人口が減少して技術が他国に追いつかれたとき、日本が世界の中のマイノリティになる。

 

内弁慶で威張っているうちは良いが外を向いた瞬間にマイノリティになるってのは、それだけで社会の競争のスタートラインから大きく後ろになることを意味する。そしてマイノリティを恐れる日本人は日本人であることをやめてマジョリティ民族と融合しようとする。

 

今マジョリティで生きている人々は、たぶん彼らの時代まではOKなんだろうけど、子供の時代になれば日本がなくなる、子供に残すものがなくなってしまう、そんな恐怖は感じないのだろうか。

 

日本を出てから常にマイノリティとして香港とクイーンズタウンとオークランドの生活をしている僕より。

 

★抜粋開始

比較文化学者によると「日本は同質を重んじる文化」であるという。現に日本社会で働く米国人は、日本語の「違う」という言葉は、different(異なる)の意味とwrong(正しくない)の両方の意味があり、すなわち「異なるのは悪いことだ」という価値観が根底にあると主張する。とすれば、種々雑多なものを受け入れるというダイバーシティを、日本人が真に理解、賛同し、推進するのは簡単ではないといえよう。

★抜粋終了

 



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2009年06月18日

ポスターカラー

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一昨日書いたブログだけどパンデミックで後回しになりました。

 

今日は晴れのち雨そして曇り、何でもありの冬場に移りつつあるオークランドの典型的な天気。南島のダニーデンではブラックアイスが発生しているので無用な遠出は控えるようにとのラジオアナウンスが出た。

 

懐かしい言葉「ブラックアイス」ってのは日本ではあまり馴染みがないけど、こちらではよく使われる言葉。黒いカキ氷のことではない。

 

冬場の夜や朝に気温が冷え込むと街から街を繋ぐ高速道路の崖沿いの道路の日陰部分に薄く溜まった水分が凍ってしまい、そのまま昼過ぎまで目に見えない薄い氷が張った状態が続く。

 

高速道路とは言っても日本で言う山道であるし、乗用車からでも湖の景色がよく見えるようにとの配慮なのだろう、まともなガードレールもなければ道も細い。

 

分離帯もない対面走行で互いに時速100km以上のスピードで走るから、対向車の巻き上げた小石でこっちの車のフロントガラスが割れるくらいだ。

 

こんな道が冬場になるとブラックアイスの発生する場所となる。朝方何気なく自宅を出た車が湖沿いの道を走っていったまま帰ってこないってことが起こったりする。湖に落ちているのだ。

 

ブラックアイスは名の如く真っ黒な透明で、場所も丁度日陰で、それも下り坂のコーナーとかに出てくる。朝方に太陽が出ててもブラックアイスは陰に隠れて見えないので知らない運転手はそのまま時速100km以上のスピードで突っ込んでしまい、後はスピン!

 

当然地元の人も冬場は気をつけるのだけど、誰でも最初ってことがある。だから毎年冬になると、必ず事故が起こるのだ。

 

僕も20年前のクイーンズタウン時代に経験したけど、あれはほんとに怖い。

 

当時はファーンヒルに住んでて、ある朝偶然サンシャインベイ側に降りてクイーンズタウンに向かう途中の何のことはない普通の下り坂右カーブ。

 

左側が切り立った山で右側が断崖でその下がいきなり湖と言う状況で、ぼくが当時乗ってた青い日産サニーを道路に合わせて軽く右にハンドルを切った瞬間だ。勿論それなりに注意して時速50kmくらいに落としていたのだが・・・・。

 

ブレーキを踏むヒマも、ずれた!とも感じないままにいきなりそのままの速度で車の後部が大きく左にスリップして、そのままの状態で左側の壁に激突!

 

その反動で今度は後部が思いっきり湖側に飛び出していった。「やっべ!まじやべ!」そう口の中で唱えながら、高校生の頃に小学校の土のグランドで練習して覚えてた逆ハンドルで思いっきりカウンター当てた。

 

けど長いことそんな練習もしてなかったのでつい間違ってブレーキを踏んでしまい、2車線の道路を塞ぐように横滑りを始めてそれからきゅるきゅるとスピンを繰り返す。ギアが前進に入ったまま車は後ろ向きに滑るという格好。

 

その状態でもう一回山側の壁にぶつかり、その時に何とかスピードも死んでたのだろう、ずずずって感じで車が止まり始めて、ギアを外して何とか停止した。ふ〜。

 

車は完全にぼこぼこで廃車状態だったが、不思議に体は怪我一つもなく無事だった。あの時はほんとに幸運!って思ったな〜。あれが左カーブでブラックアイスだったら確実に湖に向かってビッグダイビング、今こうやってブログを書くこともなかっただろう。

 

そんな思い出もあるブラックアイスなので、会社に向かうラジオで聞きながら「ああ、今年もまたブラックアイスの季節なんだな」と思った。

 

でもってそれが理由ではないのだけど、今日のお昼は近くの定食やさんに向かった。午後一番の会議があるので早めに昼飯を終わらせようと思って11:30にお店に入る。

 

メニューを見ながら「チキンカツ丼もいいな〜、けどこれ玉葱抜きって言わなくちゃいけないけど、料理する人が失敗したら取り返しがつかないもんな、どうしよっかな」とか「あ、カレーもいいな〜、チキンカツカレーかな、けどカレーとカツだとちょいと重いよな」とか悩む。

 

そう。僕は実は一人で料理を選ぶときは思いっきり優柔不断なのだ。

 

「こうなるとおれって怖がりで優柔不断、最低じゃん」なんて自分で思いながら、結局柔らかそうな味のフィッシュフライとカレーの組み合わせ、フィッシュカツカレーに決めた。

 

でもってコーラはいつもの如く注文。お昼にコーラ飲むなんて!と健康信者から文句言われそうだが、まあその議論をするのは今日のテーマではない。

 

今日のテーマは食後のカキ氷とポスターカラー。食後にデザートを見ていたら、そこにカキ氷と書いてる。ほんとか?

 

思わずウエイトレスのお姉さんに「すみません、これって日本の“あの”カキ氷ですか?」と聞いた。

 

すると入ったばかりの新人なのかもしれないが、「私もカキ氷知りません・・」って、君は夏の海の家に行ったことはないのか?昭和のレストランに行ったことはないのか・・・・ないだろうな、どう見ても平成レディである。

 

「キッチンに聞いてきまーす」と言われて、はいはい、待ってますよ。

 

すぐに戻ってきて嬉しそうに「はい、“あの”カキ氷です!」う〜ん、通じてるんだよ、、、ね。

 

今日の午後のアポを考える。外部向けはない。だったら舌がピンクでも良いだろうと思ってラズベリーソースを注文した。

 

しばらくすると半オープンのキッチンの向うから氷をがりがりと掻く音が始まった。

 

ほっほ〜、冷凍カキ氷ではないのですな。ほんとに氷を掻いているんだ。

 

この店も開店前の工事中から知ってる、ある意味思い出の店だ。

 

「こんな小さなカキ氷を食べながら、君を思い出しました」

 

古井戸のポスターカラーのコピー。これを書きたかったのです。



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