僕の青春

2007年02月04日

パナソニックのレッツノート

遂に5年間御世話になったNECのVersaProが壊れた。

金属疲労かな?はは、素人が何を言うかって感じ。

でもま、立ち上がった後に、メールソフトが邪魔をして、余計な事を調べているのだろう、とにかく反応が遅くなり、いっこのキーを叩くと、10分くらいしてから、のろ〜っと動き出す。

たぶん、ソフトが、他に女がいるんじゃないか?遊んでいるんじゃないか?給料をどこに使っているのかって調べてるんだ?

でもまあ、こっちはすでに「切れてる」ので、他のキーを激しく叩いて、「やってね〜よ!」、「ばかやろ、給料は振り込みだろ〜が!」などと喧嘩する。それが症状を悪貨させたようだ。悪貨は良貨を駆逐する。

つまり、グレシャムの法則は、人間世界でも通用するようで、キーを叩いても反応しない奴なんて、とっとと強制終了してしまえと言うこと。

自分がやっておきながらこんな事書くのもなんだが、もちっとパソコンを大事にしてあげれば、長生きしたのかなと思ったりする。

でも、福岡で念願のパナソニックレッツノート(約26万円)に出会ったのは、これは離婚と再婚みたいなものか?

NECはレッツノートの2倍程度の重さがあり、機能も不足している。でも、どこを触ればどう反応するかは、暗闇で立ち上げてもメールできるくらい遣い馴れているので、う〜む、新しいレッツノート君はどうかなと思う。

でも、たぶんあいつ等は「やっべ〜このオヤジ、大してパソコンも使えないのに、一人前に乗り換えてさ、何様のつもりよ」とか思ってるのだろう。

でもまあ、仕方ない。時代と共に前進するしかないのだ。悪いな、NEC。

てゆ〜か、NECが悪いわけではない。今回は機内での仕事と言うポイントから、バッテリーの工藤静香、じゃなくて駆動時間が最低4時間欲しくて、合わせて処理速度がポイントでLetsNoteになったのだ。

だから今日も、実はNECで自宅で機動させるとガンダム、じゃなくて、起動させると、円滑に動く。それでもLetsNoteを選んだ理由は>?

それはマウスだ。実は昔当社で働いていた男性がいて、彼が使っていた機種が、丸いボールが真中に入ってる奴だったのだ。くるくるとよく回るボールを使って、随分と働いてもらった。

今ならもっと彼の働きに報いる事が出来ただろうに。

そんな事もあってのLetsNoteだ。今はもう、くるくるノ機種はないようだが。

この3日、ほぼインターネット環境は全滅していた。福岡、香港、オークランドと一日単位で移動しており、PCは2台抱えているものの、もうこうなったらいいやって開き直っていた。

(皆さん、不在中の書き込みへのコメントできず、失礼しました)

だって、つい10年前まではインターネットなんて使ってなかったのに、今になって使えないから発狂!と言うのも変な話だ。

むしろ割り切って、今日はインターネットの無い日と言う事で、本や映画や酒に浸り、ついでに、携帯電話のスイッチも切ってやれ、と言う事で、週末を満喫した。

お蔭様で迷惑蒙ったのが、中州でお仕事している店のママさんと、ママさんに紹介されていったゲイバーのお兄ちゃんだろう。

酔っ払ってどんちゃん騒ぎする僕を相手に、中洲の夜を付き合ってくれた。

ごめんね、サラダちゃん!今度は君を一人前の男?として扱いますよ。

殆ど朝まで飲んで、そのままタクシーに乗り込んで到着した香港では、親戚と食事に出掛けて、益々の香港の発展振りを楽しむ。

一晩を香港で過ごした後は、オークランドに向かう機内で、ぐ〜ぐ〜寝てる家族をよそに、クリントイーストウッドの「父親達の星条旗」、ケビンコスナーの「ガーディアン」、それに奇術物のスリラーを、合計7時間かけて観る。

満喫〜。

てな感じで、パソコンに縁のない生活を3日送った。人間は、電気を通じて文化生活をしているって感じた。もしかして21世紀は、電気などの情報伝達の基礎となる産業が隆盛を極めるのか?

あ、でもさ、やっぱり、情報伝達の技術が発達しても、乗せるものがなければ駄目だもんね。

明日から仕事だ。馬鹿ばっかりは言ってられない。実は今回の説明会でも、全部で10数件の面談をしたが、急ぎのケースが数件ある。

2月はオークランドで走り回ってやる。

それにしても皆さん、書き込み有難う御座います出来るだけ時宣を得た書き込みしますね。

月曜日は早速山水で夕食の仕事。とりあえず、死ぬまで突っ走ってみようっと。

 

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tom_eastwind at 12:22|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2007年01月28日

根岸線

汽笛一斉新橋を〜という鉄道唱歌がある。

 

九州出身の僕は、どうして日本最初の電車が新橋から横浜なのか、よく分からなかった。

 

というのも、僕の頭の中では横浜=神奈川県、だから横浜ってのは伊豆や箱根のあたりにあるんだろうくらいに思ってて、黒船も随分江戸幕府から離れた港を使ったんだなと疑問だった。

 

ニュージーランドにやって来て、横浜出身の友達が出来ても、「東京に通勤している」という話を聞き、随分遠距離通勤だよねと言うと「う〜ん、そうね〜そうかもね」という返事が殆どだった。お互いに遠距離という意味が違うということに気づいたのは、それからしばらくして、横浜に行くことがあってからだ。

 

なんじゃこりゃ!新橋から横浜まで、東海道線でたった25分程度、こりゃ近い。時間だけで考えれば、新橋から新宿を山手線で回るより近いじゃんか。山手線より離れていると意味で言ってた友達の言葉と、単純に東京通勤圏より遠いと思ってたぼくの、大きな勘違い。

 

九州からすれば、関東と東京の区別がつかないし、距離感の違いをひしと感じた。

 

そんな横浜、今回はインターコンティネンタルホテルに行く事になった。相模原のお客様からすれば、横浜に出るだけでも1時間近くかかるようで、東京にいる僕と待ち合わせをどこにしようかとなった時、お互いの共通になる目印が、ここしかなかった。正確には、僕が横浜ではここしか知らなかったということ。

 

もっと突っ込んで言えば、実はインターコンチに行くのは初めてだが、たまたまそのホテルがみなとみらいという場所にあり、横浜駅からタクシーに乗ればそこにいけると言う事だけを知ってたのだ。

 

それにしても美しい景色だな、ホテルの正面にタクシーを止めてもらいロビーに入ると、一階のバフェットレストランから見える港が、燦燦(さんさん)と輝いている。

 

そんなことを思いながらお客様をホテルのロビーで待つ。仕事は約1時間で終了し、再度オークランドでお会いする約束をして面談終了。

 

帰路、横浜駅で東海道線のホームに立ち、ふと階段の方を振り返ると、そこに「根岸線」という文字が見えた。

 

1月、肌寒いオークランドの自宅ででずっと聴いていた小田和正の歌を想い出す。

 

My home town」という歌に、「出来たばかりの根岸線で」という歌詞がある。

 

根岸線が初めて命名されたのは1964年だから、小田和正の高校生の頃だったのだろう。

 

小田和正は1947年生まれなので、もう60歳だ!それでもまだ、現役で歌っている。去年はタクロー、ようすい、かぐやひめも頑張った。

 

おいおい、30代のみんな、夢はあるのか?目先のちっちゃいところで、こちょこちょと保身に走ってないか?

 

初めて新橋から横浜を走った汽車には、みんな明治の夢を背負っていたと思う。坂の上の雲を見ながら、日本人としてみんな西洋に追いつこうとがんばっていたと思う。そのとき、西洋はせせら笑っていたと思う。ふん、東洋のサルに追いつけるかよ。

 

横浜で海を眺めた。この海に黒船が浮かんでたのかと感じる。サルがどれだけ強いか、見せてやろうと思う。社会の底辺から昇っていく戦いは、僕の一番得意とするところだ。

 

何か、横浜でパワーを受け取ってきた、そんな金曜日の午後だった。やっぱり小田和正は、僕の元気の源泉のひとつだな。

 

旅先なので、ブログランキングのリンク、出来ないな〜。

 

それにしても今日の説明会と、その後の7件の個人面談、すんごい時代の変化を感じる。ついに、普通の人が移住に興味を持ち始めた。

 

写真のUPもできないな。せっかくの横浜や東京タワーなんだけど、パソコンが直ったらUPしよう。

 

東京タワーがきれいに見える静かな部屋で酒のみながら、東京最後の夜を、音楽や景色で楽しんでます。明日は名古屋だ。

 

tom 



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2007年01月21日

新年会

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新年会

 

金曜日は久し振りに仲間内の飲み会。新年会とも言うが、要するに飲む理由付けだ。会社とは全く関係なく、お互いわいわいがやがやと言いたい事言って騒ぎまくる飲み会だ。

 

ちょうどこの日は、朝から6件ほど打ち合わせが入っており、結構ばたばたな一日だったが、きっちりと時間内で片付けて、他の人よりも早く「出勤」。

 

それにしても、仕事があるから呑める。やる事があるから楽しい。

 

このメンバーの飲み会は、大体が最近の個人的状況説明から入る。つまり、最近付き合ってる彼氏がどうしたとか、彼女がどうしたとか、誰と誰が仲良しとか、そういう、実にしょ〜もないネタを、松本じゃないけど、すべらないように話す。

 

何せ突っ込みのきついメンバーなので、半端なネタではすぐに「いじられる。」のだ。

 

そのうちに周囲の人まで巻き込みながら、わいわいがやがやとやっていく。一定の線を越えずに素人さんを「いじる」時は、結構気も使うが、それなりに反応を見ていると楽しい。お酒が入って来ると、時々「すべる」。

 

そんな時の全員からの口撃は、凄まじいものがある。まさにお互いのプライドを賭けた戦いだ。

 

行きつけのバーに皆で顔を出すが、正月明けなのか、イマイチ客足がぱっとしない。この国ではクリスマスまでは賑やかだが、年明けになると急に客足が引ける。1月はスクールホリデイと言う事もあり、道路を走る車も少ないし、レストランもヒマだ。

 

まあ、ニュージーランドに来る日本人は、基本的に家族第一だし、ストレスもたまらないので、あまり呑みに出る理由もないのだろうが、韓国人や中国人のお客がバーの客の3分の2くらいだ。

 

彼ら「アジア人」からすれば、勿論彼らの言葉で飲める店もあるのだが、やはり日本のバーに行くという事が一つのステータスになるのか、それとも彼らの同国人のお店が、あまりにストレートなサービス過ぎて、それを好まないのか、もしくはちっちゃなコミュニティなので、知合いに会いたくないということか。

 

お店の賑わいは、本当に水商売ってなもので、流れがある。オークランドでは山水も含めて4軒ほど呑める場所があるが、大体半年単位で客の流れが変化する。旬と言うのか、とにかくこの流れってのは、人=スタッフの動向に影響されてる気がする。

 

お店は所詮人であり、どれだけハコが良くても客は入らない。壁に掛けてる絵が綺麗だからと呑みに来る人はいないし、ソファがゆっくり座れるからなんてのも理由にならない。やっぱり働いているスタッフ次第だ。

 

でも、日本と比較すると、まだまだ様々な点で「進化の速度」が遅いなって感じがする。経営者の判断なのだろうが、バーで今時演歌がかかっているのは、かなりのリスクではないか?

 

日本の「バー」や「スナック」と言うのは、世界でも珍しい存在で、酒屋で買えば5ドルのビールが、何でお店に座って呑めば10ドルするのか、多くのキーウィは理解出来ない。例え横にお酒を注いでくれる女性がいても、それはそれ、ビールの値段に変化があることとは関連付け出来ない。

 

だからどのお店も、キーウィが飛び込みでやってくると、まず料金説明をする。そこでほぼ99%の客がそのまま出て行く。最後の1%は、「そんな料金設定はおかしい!」と怒る。おいおい、呑みもしないのに、文句だけ言うなよって感じだ。

 

そんなこんなで、楽しい金曜日の夜を過ごす。さて、来週から日本だ。一ヶ月の独身生活も、これにて終了。

 

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2007年01月11日

雨降りクイーンストリート

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70年代に人気を博した「ふきのとう」が歌う「雨降り道玄坂」

 

雨降りの道玄坂 

バスを待つあなたの

淋しさに声かけたのは

気まぐれじゃなかったわ

 

 

当時福岡に住んでいた僕は、この歌を聴きながら、東京に行ったら是非ともこの歌の舞台になった道玄坂ってところに入ってみたいと思ったものだ。

 

その後ニュージーランドに来て暫く思い出す事もなかったが、数年前、久し振りに僕が高校時代にコピーして使っていたギター用の「歌本」を引っ張り出して、道玄坂の事を友達に感慨深げに話すと、東京で10年以上住んでいた友達は一言。

 

「あ〜、ラブホ街のことね。ほら、東京電力で働いて夜買春してた女の人が殺された処よ」だってさ。

 

その上「その歌詞ってさ、要するに売春婦が男に声かけた場面でしょ」だってさ、がく。

 

ガラス窓から後姿が

雨に煙りかすんで消える

ただあなたに嫌われないように

長い髪も切ったのに

 

かくして、あっという間に僕の甘くて素敵な夢想は壊されてしまったのを覚えている。

 

去年偶然、道玄坂を歩く機会があったが、この渋谷って、名前の通り、谷じゃんか。道玄坂を下り切った所にある渋谷駅は、周囲から見れば丁度谷底みたいなのだ。

 

で、写真の場面はクイーンストリート。これが実は、あまり云われてないが、谷底なのだ。

 

女王の道なんて立派な名前は付いているけど、実はKロードから真っ直ぐ急坂を下りる直線は、海に向かって左側は、10メートル程小高くなったアルバートストリート、右側は、やはり10メートル程高くなったアルバート公園とハイストリート。

 

つまり、Kロード、アルバートストリート、ハイストリートと三方を囲まれた谷底を海に向かって走っているのがクイーンストリートだ。

 

だから、写真にあるように、大雨が降ると、僕の会社の前のクイーン&ビクトリア交差点は、あっと言う間に水溜りが出来る。

 

傘をささないキーウィだが、さすがにこれだけ土砂降りになると、傘もちらほら見られる。それに交差点は、ほぼ全面が水没したようになってるから、どうよけようとも、靴など一発でぐしょぬれになる。

 

クイーンストリートは歩道部分がビルの張り出しの下になっているので、基本的に傘は必要なく移動出来るのだが、交差点だけはそうはいかない。

 

多分観光客に知られたくないんだろうけど、元々クイーンストリートはその地形から、メインストリートとは言い難かった。戦前はKロード沿いにたくさんの軽工場が建ち並んでおり、クイーンストリートがメインになるのは戦後である。

 

オークランドで最初のデパートは、今のヘリテージホテルの海側にある駐車場に作られたファーマーズだった。今は往時の建物は取り壊されたが、昔はネルソンストリートの方が利用されていた。

 雨降り道玄坂

 

 

電話ボックスで夜が明けるまで

一人で寒さしのいだ冬の日

ただあなたの笑顔が見たくて一人

ばかげた事もしてきた

 

あの日雨降りの道玄坂 

目を閉じて貴方の

寂しさに抱かれたのは 

気まぐれじゃなかったわ

 

雨降りのクイーンストリートを見ながら、ふっと渋谷の道玄坂を思い出した。

 

電話ボックスがクリーム色で、分厚いドアを開けて中にすっぽり入ると、結構暖かいものでした。電話ボックスと言う言葉が死語になるまで、後どれくらいかな。

 

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2007年01月03日

亀山社中

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日本で初めての株式会社と言われている、坂本竜馬が作った亀山社中を訪ねる。

今は内部に入る事は出来ないが、この場所から竜馬が長崎、そしてその先の日本海、更には中国から西洋を眺めていたのだろう。

 

坂本竜馬は日本を越えて世界を眺め、明治維新を終わらせた後は海外に羽ばたこうとしていた。彼にとっては国境など、何の意味もない、所詮は過去の人間が作っただけの線にしか過ぎない。

今から100年以上前の若者が、すでに過去の人間が作った線を無視して、自分の生きたいように生きた。

竜馬をして、若くして殺された不幸な人と思う人は、誰もいないだろう。彼はこの世に立派に名を残した。

虎は死して皮を残す。人は死して名を残す。いずれ滅びる肉体を、だらだらと長く生かす為のしょうもないあがきよりも、いつまでも滅びない精神と言うか魂を磨いた方が楽しいのではないか。

勿論名を残したから偉いと言うわけではない。大事なのは、自分が思うように生きたかどうかだ。

誰かに知られる必要はない。自分が生きたいように生きる。ただそこだけが大事なのではないかと思う、竜馬の跡を訪ねた今回の旅であった。

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2006年12月30日

小さな恋の物語

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この、可愛い可愛い小さな恋の物語は、クリスマスイブの夜、東京ウエスティンホテル1階の、天井が高く欧州風のイメージでまとめたお洒落な落ち着きのある静かなバーで始まりました。

 

物語の主人公は、40歳半ばで紺のスーツを着込んでいる中肉中背オーラ無しの、普通のオヤジ(人のことを言っておられんちゅうに)。

 

ウヰスキーをロックで飲む中肉中背で、カラスのようにべた〜っとした黒髪の、昼間に会ったら3分で忘れるタイプ。お相手は20代半ばの、白い服が良く似合う細身の女性。さすが東京人、随分可愛いね。おまけに声が鈴のようにころころと笑って、実に可愛い。

 

実はこれ、そんな素敵なバーで、あいも変わらず一人で飲んでた僕の横で始まった、小さな恋の物語。今晩は、それを話しておきましょう。

 

これはちょっと説明がいる。と言うのも、このようなバーでは、毎晩色んな恋が語られているけど、ここまで詳しく話が聞けるのも珍しいからだ。

 

大体の場合は、立派なスーツを身にまとった酔払い男が、ヴィトンあたりのセカンドバッグを振り回しながらだみ声で威張り腐って、漆喰のような厚化粧をしたギンギラ女がその横で男を騙しにかかってというのが一般的だし、話の内容も具体的でない。

 

でもこのケースだけは、僕の右に座っている男が、多分とても真面目な人なのだろう、その場で結構本ッ気で喋っているから、ほぼすべて聞き取れたのだ。

 

男「最初に言わなくてごめんね」なるほど、さっき、別のお店で告ったんだ〜、奥さん子供系ですね!

女「いいのよ・・・・でも・・・」言葉に少し詰まりながら、とまどう女性。ある程度は読んでても、ちょっと引いてる。空気が段々硬くなる。何だか素人女性さん?

 

男「でもさ、俺、信じるに値する男だよ」何言ってんだか?それって、言った時点で嘘でしょ〜。

女「そうよね・・・」おいおい、語尾が点点じゃんか。まだ引っ張られてるの〜?やめとけよ〜、本気になりそうなら、今やめとけって〜。

 

何となく空気が、お互いに「よっしゃ、今日かたを付けよう!」って雰囲気、みえみえちゃんだ。どっちに片付けるんだ?それにしてもクリスマス!

 

男「来年はうちの会社も上場するからさ」・・・お、君は社長か?それにしては格好ださいぞ、おっさん。オーラ、出てないし。でもまあ、立派な殺し文句だね、さすがに金満大国ニッポン!

 

女「あ、そうなの・・・、え?!それってすごい?!だよね〜、最近テレビなんかでやってるあれ〜?素敵!やっぱりあなた、凄い人よね!」

急にはしゃぎ出した彼女の声。“あれ”が彼女の場合何を示しているか分らんが、金が入ると言う事だけは知ってるようだ。

 

それにしても金があれば愛の差なんて関係無いもんね。上場してしまえば、どっか〜んと金が入る。そうやって見事に一秒復活して、鈴の声で笑う可愛い子。この鈴は間違いなく18金ですな。

 

男は大きな壁を乗越えた喜びで、静かなバーの中で急にステップダンスを踊りだすかと言うような声で「本当は銀座で飲もうと思ってたんだ〜!でもさ〜、今日は気味と二人でゆっくり話したくってさ!」

 

あれ、声が弾んでますね〜、釣れたと思ってるんだこいつ!くわいい!釣られたのは君ですよ、しゃっちょさん。

 

そいでもって、このあたりから段々、男の呂律が回らなくなり始めている。今まで告白の緊張で気を張ってたのが、こうなると緊張が解けて血管が膨れ上がり、アルコールの回りが良くなったんだな。

 

男「今日は部屋取ってるからね、へへへ、紺屋は飲もうぜ!NGなんてナシだよ〜」

だんだん調子に乗って酔う男。ちなみにNGとは、話の流れからするとNO GOODです。どこの業界だろうな?

 

女「何言ってるんだか〜、だってあなたって、嘘つきジャンか〜」楽しそうに、金の鈴を鳴らす女。素人みたいだけど、やっぱ本職さんでしょうな。

 

男の右側に座る女は、バーカウンターの背の高いスツールで高級そうな白いスーツの短いスカートの膝を組替えて、右手のシャンパングラスを軽く振る。その仕草、色っぽいですね〜、おいオヤジ、席替われよって、思わず言い出しそうになった。

 

男「今もさ、あれなんだけどさ、2〜3千万円くらいのマンションなら買ってあげるよ、いくらのが良い?」酔った男は、段々話が大きくなる。

 

女「ほんとに〜?奥さんにばれらた、やばいんじゃないの?書類残るでしょ、ローンなんてするとさ」おお、女は本気モードで、現金で買わせるつもりか?

 

男「大丈夫、現金で用意させるからさ、付き合いのあるところに頼めば、それくらいどうにでもなるさ」強気なつよしくんですな。それにしてもさすが東京、話がでかいね。って、ニュージーランドのビジネスのスケールがちっちゃいのか。

 

女「やった〜!」亀田もびっくりの可愛らしいガッツポーズで、体半分を彼に預けて喜ぶ彼女。「やられた!」僕なら大声でそう叫ぶ場面ですが、男はにやにやと嬉しそうな顔で、「よかったね」だってさ。

 

男は酔った体を振り動かしながらバーテンダーに向かって「すみません、お勘定」と、両方の人差し指を胸の前で交差させた。いつの時代の仕草だよ、全く。

 

そして二人は、仲良く手を握ってバーを出てった。

 

こういう場面に慣れているのだろう、バーテンダーは一人で飲んでる僕の方を見て、軽い笑顔でお洒落な会釈をしてくれた。

 

時計を見ると、もうすぐ馬車がかぼちゃに変わる時間だ。それにしてもさすがに東京、楽しい話が満載ですね。じゃあ無名のカップルさん、楽しいクリスマスプレゼント、ありがとさんでした。

 

写真は日本のケータイで撮った、お客のひけた後のバーカウンターの写真。ドアの向こうには高さ3メートルくらいのクリスマスツリーがちらっと見えてます。

 

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tom_eastwind at 11:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月28日

京都、そして竜馬へ

寺田や考えて見れば、京都に前回きたのは10月なのに、京都をまともに観光したのは、多分20年ぶりだろう。

 

京都訪問は、幸雪(みゆき)に古寺を見せて、竜馬君に寺田屋とか坂本竜馬関連の場所を見せる為だ。何でお父さんが君に竜馬という名前を付けたか、分ってもらうとうれしいのだが、君は寺田屋で「お父さん!鉄砲があるよ!使っていい?」とか、すっかり馬鹿をかましている。

 

やっぱ、まだまだ特殊学級が必要な奴だな。大体さ、「お父さん、何でこの人、僕と同じ名前なの?」って、君の方が後なんだけどね。

 

京都は2日過ごしたが、書く事満載の、実に楽しい街だった。ホテル、観光地、タクシー、コンビニ、レストラン、とにかくどこも、突込みどころ満載であり、でもそれ全体を京都が包んでいて、結局それが、何とも言えない思い出を作ってしまった。

 

清水坂のアイスクリームや八橋、書く事満載。明日以降に、まとめて書こうっと。

 

え〜い、旅先で一番不自由するのが、ブログの更新だな。

 

写真は、竜馬の定宿だった寺田屋。現在も刀傷や弾傷が残っている。

 

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2006年12月22日

最近、春ですね〜。

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最近、春ですね〜

 

僕の周りは最近春みたい。皆さん、恋に愛に目覚めているようです、はは。何だか自分の周りが賑やかなので、こちらも楽しくなって良いのですが、しかし面白いな、こういう状況って。あっちこっちで楽しい事件が、数えてみると、5連発!

 

2006年という年がもうすぐ終わる訳で、国際結婚の離婚率が80%と言われてる中で、誰にも死と言う肉体的な限界から逃れられず、それでも「時」という相手に果敢に戦いを挑む皆さん、「永遠に愛してる」なんて言ってますが、まあ時に限界がある以上、永遠ってのは、どういう意味なのか、まあいいや、頑張って下さいねとしか言えない。

 

それからその言葉、何人もの人に、同時に使わないでね。馬鹿にされますよ。ちゃんと優先順位を明確にしてね。

 

からかってるわけでもないし、見ていて楽しいのだが、う〜ん、どうなんだろな、早く止めた方がいいよ〜ってケースも散見する。

 

恋愛だけなら良いのだが、結婚となると、「彼は今無職だけど、夢があるのよ〜。私が叶えさせてあげる」なんて思ってても、その人の夢が口先だけなのか、前回も同じパターンで他の女性に話をしていないのか?もちょっとれーせいになればと思ったりする。

 

お互いに傷の舐めあいのような擬似恋愛やってても、そこから学ぶものはない。だってお互いに成長しないから、毎日同じ事を繰り返して問題を避けてるだけで、それを恋愛と勘違いしている。他人に嫌な事を言われるのを避けてるだけでしょ。

 

どうせならさ、お互いに成長するような事しませんか?1+1=3になるような、そういう楽しい恋愛なら、恋の要素と愛の要素の両方があるから、これは結果的にどういう関係になろうと、別れた後もお互いに人間として尊敬出来るから、楽しいと思うんだけどね。

 

良く見るのが、付き合い始めると突然、男性が女性を縛り付けるケース。いや、本当に縛り付けたら変態ですし、それじゃあ犯罪だけど、「女友達とでも飲みに行くな」とか、女性の行動に束縛をつける男性。みっともないからやめなって。

 

だって、そのオンナが外に行くのは、彼女の自由意志だ。君に魅力がないから彼女は外に出るのに、「何でおれのいう事聞かないんだ!」って怒ったって、迫力ないって。本気で好きなら、まずは自分が毎日成長する事でしょ。

 

そいでもって、女性が「あなたと一緒じゃなきゃ、どこにも行かない!」って言わせるほどの男になればよいだけの事。

 

自分の責任を女性に転嫁させちゃ卑怯でっせ、おやじさん。

 

まあこんな事書くと「お前こそなんじゃ!」と言われそうだが、僕のポリシーとして、自己責任を他人に転嫁する事だけはやってない。いつも家の奥さんに言ってる言葉が「生まれ変わっても結婚したいよ」です、はは。

 

キーウィの離婚率は50%との事。これは一般的に「女性が自立している」という事だけでなく、愛のない生活に意味はないという価値観だろう。外面がどうのとか、体面がどうとか、キーウィはそう言うことは気にしない。それよりも、一緒にいて楽しくないのに、何故体裁だけ考えて我慢する必要があるか?だろう。

 

まあ、春ってのは、それはそれで悪くないので、皆さん、頑張ってくださいな。壊れる事を恐れていては成長出来ませんよ〜。

 

さて皆さん、今年のイブは、誰と過ごすのかな。僕はイブの夜は家族で東京の中華料理食ってます。ルームサービスではありません。

 

写真は山水のデザート。元パティシエで今は和食やってるシェフなので、デザートがお洒落です。

 

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2006年12月17日

幸せになりたい人へ

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幸せになりたい人へ

 

幸せになりたいと思う人がいる。でも、毎日忙しくて、でも退屈で、なかなか思った事が実現出来ない。

 

そんな貴方に朗報!(キャッチじゃないよ)

 

実は簡単に幸せになれる方法があります!(麻薬じゃないよ)

 

本当なんです!(宗教でもないっちゅうに)

 

それはそれはとても簡単で、今身の回りにあるすべてのものに感謝する事。これだけで、人生が逆転して見えます。

 

例えばお金がないって悩む人。あなた、今日飢え死にしますか?しませんよね。それでお金がないって悩んでたら、本当にお金がなくて食べるものも買えずに飢え死にした人や、戦場で食べるものがなくて飢え死にした人から笑われますよ。

 

戦時中、福岡県からビルマに送られた兵隊は、インド東部のインパール目指して、食料もないまま滝のような大雨の中で行軍を行い、途中でイギリス軍と戦いながら、最後は食料も武器もなくなって退却、アラカン山脈の中で飢え死にした。

 

死んだ仲間の肉を食って生き残った者もいるようだが、それほどの苦労を、あなた、してませんよね。高木俊朗の本に描かれているインパール作戦を読んでみるとよく分る。

 

例えば恋愛がうまくいかない貴方。相手に彼氏がいて、自分の存在が2番目だって事の不安。そりゃ分るけど、でも、貴方も「数に入ってる」んでしょ、それで文句ないじゃん。

 

世の中には、一度も恋愛出来ずに、病気になって死んだ子供がどれだけいるか、そう考えれば、好きな人に巡り会えて、それだけで十分に幸せじゃんか。

 

今、健康である事。今、笑える事。今、ご飯が食べられる事。今、雨に濡れずに生活出来ること。今、他人に殺されずに生きている事。

 

どれもすべて、幸せポイント、高くない?その上、もしかして家族でもいて、彼らが皆元気なら、それ以上、何を望む事がある?

 

だから大事なのは、今すでに幸せって事に気付く事。そこから始めれば、どんなことでも楽しく思える。間違いなし。

 

くよくよさん、あなたの気持はよく分るけど、でもね、今自分が持ってるものがどれだけ素晴らしいか、その事をまず理解して欲しい。

 

人間は病気になれば体が弱くなる。それは仕方ない、病気だもん。でもさ、そのために心まで暗くなる必要はないでしょ。病気は、体の問題。心は、自分の問題。だから、体が病気になっても心まで病気にしちゃいけないよ。

 

お金とか恋愛とかって、生きているから悩んだり出来たりする事。生きている事を、まず感謝してみれば、世の中、どんな事でも幸せに見えるって。

 

あなたが羨ましく思っている隣の金持ち夫婦でも、実は破産状態で夫婦が不仲で、しょっちゅう喧嘩しているかもしれない。あなたが愛している格好良い彼氏も、実は仕事を失う不安を抱えているかもしれない。

 

だからさ、幸せになるってのは、心の中で、今あるものにまず感謝する事。

 

勿論、それだけでは駄目で、そこから先、どう頑張ってもっと幸せになるかって考える必要はある。もっと幸せになる為にお金が欲しい。だからもう一回大学に行って勉強して、更に高い給料を目指す事も良いだろう。

 

自分が好きな趣味、例えば歌を歌ってお金を貰うために、もっと自分に合ったギターを買うのも良いだろう。

 

世の中、何が楽かって、在庫のない商売くらい楽なものはない。例えば、歌って金になれば、こりゃ最高だ。「でもそんな生活は不安定・・・」

 

そう悩む気持は分るけど、実は普通にサラリーマンだって、すんごい不安定な中で生活をしているのだ。大企業に入っても使い物にならず窓際に追いやられて、そいつらはギターさえ弾けないから、一度首になったら、それこそ生きていけない。ただ、殆どのサラリーマンは、その事に気付いてないだけ。

 

だから大事なのは、今の自分を好きになって、今あるものに感謝して、ありがとう!って思える気持を持つ事。他人と比較しない事。

 

実はこれって大変な事で、なかなか出来ないって事も分っている。でもさ、やんなきゃ。まず始めなきゃ。どんなに遠い道かもしれないけど、まず一歩を踏み出すしかないじゃんか。

 

自分が人間として生きていく為には、時には辛い事があるかもしれないけど、それを踏み台にして、次の段にあがっていく事。それ以外、幸せになる方法なんてないよ。

 

幸せは金では買えない。でも、幸せになる為にお金があれば、もっと良い。勿論、お金がなくても幸せになれる道はいくらでもある。大事な事は、他人と比較をして自分の持っている物が多いとか少ないとか考えて、それを幸せの基準にするんじゃなくて、今の自分を単純に幸せって思う事。そしたら、いつでも幸せになれるさ。

 

これって、かなり個人的メッセージ。私かな?そう思った人、そう、あなた向けのメッセージです。頑張ろうぜ!

 

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tom_eastwind at 15:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2006年12月13日

M

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「男の人って、この歌好きなんだよね」呆れたようにそう言いながら、リクエストした僕の為に彼女が歌ってくれた、80年代の名曲プリンセスプリンセスの「M」

 

いつも一緒にいたかった 

となりで笑ってたかった

季節はまた変わるのに

心だけ立ち止まったまま

 

 

中洲の夜はもうすぐ明日になり、すっかり時の感覚を忘れた僕は、座っているスナックの椅子から、そのまま17年前の中洲に記憶がタイムスリップして、あの頃に戻った。

 

「そう、好きなんです、この歌の切なさがね。何だか殆どの女性は、男性は「がさつ」であると思っている。確かにそれは認める。合計得点で観れば男性は「がさつ」であろう」

 

「女性の中に、部屋を片付けず仕事もまともに出来ず、料理も下手で掃除も丸くしか出来ない人がいるのも事実だが、でも男女別の総得点で比較すれば、男性の方が「負け」だろうな。それは認める」

 

「でも、だからと言って僕が、「M」を好きになってはいけない理由はないと思うし、ましてや中洲で歌っていけない事はないだろ」

 

あなたのいない右側に

少しは慣れたつもりでいたのに

どうしてこんなに涙が出るの

もう叶わない思いなら

あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ

 

という事で、日本出張の最後の目的地、福岡の中州で、久し振りに会った古い友達と飲む。この街は今から20年前頃、バブルの真っ盛りに青春を過ごした街だ。当時は、ボトルを13本くらい常時色んな店に入れてたな。「哀しい色やね」とか「大阪で生まれた女」とか、あの頃は大阪、まだ景気良かったな。

 

とにかくよく働き、陽が沈むと行きつけの屋台に顔を出して、保健所に「お客様への提供は衛生上問題」として禁止されている生料理「馬刺」を生姜醤油で食いながら、夏は焼酎のロック、冬はお湯割を楽しんでた。

 

〆にラーメンを食う奴も多かった。前の人が食べた丼を、床に置いてる洗剤入りのバケツでちょいちょいと洗い、隣の濯ぎようのバケツにひょいっと流し込んで、それで次のお客が食べるわけだから、普通に口紅がべた〜っとついている。

 

当時は焼酎なんて安酒は九州でしか飲まれていない「田舎の飲物」で、豚骨ラーメン等は、東京人を連れて行っても店に入る事さえ、そのにおいの為に拒否された時代だ。あの頃を知っている人間から見れば、今の全国的焼酎ブームや豚骨ラーメンブームには、少し隔世の感がある。

 

夏のプロ野球ナイターが始まる時間は、泥川だった中洲を挟む川辺に、残光が光っていた。当時はどこの屋台もテレビかラジオを置いてて、野球一色の時代だったな。

 

川の残光が段々ネオンサインに変わっていくと、夜の怪しい輝きが増していく。そんな街で、屋台で軽く食事をしてからバーに行き、大体午前2時頃まで飲み、それからは朝までやっているバーへ、飲み友達と繰り出す。ネオンの光をバーの窓から眺めながら、チャゲ&アスカの「男と女」を歌い、日が昇るまで飲んでたものだ。

 

You are only in my Fantasy

今でも憶えているあなたの言葉

肩の向こうに見えた景色さえも

So once again

Leaving for the place without love

 

当時仲良くしていた連中で、東京に出て交通事故で死んだKくん。彼女だったMちゃんはあの時、どんな気持だったんだろうな。そんな懐かしい思い出が、次々と出てくる。一緒に飲んでた連中も、家庭を持ち子供を作り、今では親父連中ばかりだ。

 

当時、誰が今の生活を予想しただろう。

 

バブルがはじける前、

高いローンでも家を買いさえすれば生活が豊かになると信じ、

給料は毎年上がると信じ、

ボーナスは年6ヶ月出ると予定してローンを組み、

60歳まで本社で働けると信じ、

年金がもらえると信じ、

病気になったら国が面倒見てくれると信じ、

それを基盤として生活を構築していった連中。

 

You are only in my Fantasy

星が森へ帰るように

自然に消えて小さな仕草も

はしゃいだあの時のわたしも

 

1980年。これからの時代は英語が出来なきゃ、そう思って一人で英語の個人教室に通った。友達は、「馬鹿じゃないか、営業なんて根性とやる気だよ」と本気で言ってた。当時、社会人になって英語を学ぶのは、10人に1人もいなかった。

 

パソコンが出始めた時代。見積書をパソコンで作るのが流行ったが、当時の入力は漢字一文字づつ入力するタイプで、A4一枚作るのに1時間以上かかる。「そんなもん使っても、仕事は取れん!」そう言う先輩をよそに、高校時代に学んだ英語タイプが偶然役に立ち、何とかキーボードを使って仕事が出来た。

 

今では当たり前の技術も、当時は「そんなもん、無用」という意見が殆どだった事を、当時生きていた人間として証言出来る。

 

出会った秋の写真には

はにかんだ笑顔ただうれしくて

こんな日が来るとは思わなかった

瞬きもしないで

あなたを胸に焼き付けてた

恋しくて

 

そう、誰もこんな日が来るとは思わなかった80年代。今日と同じ明日が来ると思い、中州に繰り出して遊んだ仲間達。そんな彼らの顔は、僕の記憶の中で今もあの当時のままだ。

 

今、隣にいる友達は、普通の子と「ちょっと違う」人生を歩んだ。今、その「違い」が、他の人との「大きな違い」になっている。本人はあまり気付いてないようだが。

 

誰も、人生のどこに曲がり角があるか分らない。行動する事の危険よりも、行動しない事の危険の方が大きい。変化する事を忘れた者に、明日はない。それを肌で経験したのが、もしかしたら僕らの時代なのかもしれない。

 

You are only in my Fantasy

あなたの声聞きたくて

消せないアドレスMのページを

指でたどっているだけ

 

M」の歌詞については、元々富田が交際していたM君との恋愛と思い出、別れの悲しみ、寂しさを詩に表したもの」だそうだ。

 

良い歌は、時代を超えて人の心を打つ。特にその時代に生きた人間にとっては、甘くて痛くて苦しい、そんな、走馬灯のような思い出の引き金になる。

 

So once again

Leaving for the place without love

夢見て目が覚めた

黒いジャケット後姿が

誰かと見えなくなっていく

 

So once again

You are only in my Fantasy

星が森へ帰るように

自然に消えて小さな仕草も

はしゃいだあの時のわたしも

 

よし、これからも変わりつづけよう。戦い続けて生き残る為に。

そう思った中州の夜だった。

 

写真は中洲の夕暮れ。大昔に利用していた川向のホテルなら東向きなので、夜明けが綺麗に見えるんですがね。知ってる人、笑ってやってください。

 

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tom_eastwind at 00:01|PermalinkComments(7)TrackBack(0)

2006年12月01日

リップクリームとリップスティック

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これ、ヒマねたです。真面目ねたを期待している人、すみません。

うちの娘みゆき(16歳)が、寝る前にリップクリーム貸してくれと言ってきた。僕の引き出しにいつも2本程度入ってるのを知ってるから。

最近の夜は空気が乾燥しているようで、どうも唇が乾燥しているようだ。

みゆきがリップクリームを使いながら僕に聞いた。

「お父さん、リップクリームとリップスティックは何が違うの?」

「リップクリームは防御手段、つまり唇を守るもの、リップスティックは攻撃手段、つまり男をたぶらかすもの」

みゆきには少し刺激的だったかもしれないが、けらけらと笑ってた。うちの奥さんは、横で苦笑いしてた。だって、事実だもんね。

人生を楽しく生きようと思えば、やっぱり笑いが大事。何でもかんでも真面目に考えてたら、こりゃ疲れるわ。適度に馬鹿な事を言いながら、人生を前向きに楽しめば、色んな道が見えてくると思う。

奥さんの友達の子供(9歳)を預かって5日。可愛い子だけど、笑いが少ない。折角の人生、一度しかないし、もっと笑おうぜ。

写真は、最近女性問題で野党党首を辞任したドンブラッシュ。彼なりに楽しんで選んだ人生だ。どんな人生が良いのか、パックツアーじゃあるまいし、誰にも適用出来るOKな人生なんてないと思う。だからフリーツアー、自分に合った人生を楽しむ事、かな。

最近読んでる本は、新渡戸稲造の「武士道」、西郷隆盛の「遺訓」、それに中村天風。みんな面白い。人生を堂々と生きる事。物じゃなくて、心で生きる事。気持がどんどん明るくなる。日本人、daisuki。

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tom_eastwind at 00:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年11月29日

自由?

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先週の就職フェアあたりからずっと、パーティや外食が続いている。

土曜日は昼から就職フェア終了後、お客様のご自宅でバーベキュー。夜はシティに戻り、山水で飲みながら仕事の打ち合わせ。とは言いながら、最後は出来上がって終わり。

日曜の夜は家族と一緒の外食。開店パーティに呼ばれた和食レストラン「Eiji」にやっと席が取れて食事。偶然友達にも会い、おいしい食事を楽しむ。これはこれで、後でトラブルの元になるのだが。

月曜は、出発前に会っておきたかった知合いを誘うが、ほかに予定ありという事で、急遽スペアのメンバーとカップビレッジに新しく出来たUMI(海)という日本食屋に行く。

味はOKだが、運営がまだまだ慣れていない。こればかりは、実際にお客が来て、スタッフがこなれてこないと難しいな。

その後も遅くまで飲み、知り合いにも会って、最後は山水でしめてきたが、さすがにかなり酔った。記憶がかなり不鮮明なのは、酒のせいか、それとも体質?もしかして僕は、お酒を飲むと酔っ払うという、特異体質か?

山水では、いつも会う飲み仲間のおやじ連中に「あんたも楽しそうに、よく自由にふらふら出回ってるね〜」とからかわれた。これでも、普段は週5日、家庭で料理を作っているんだけど、飲んでる時に大声で騒ぎすぎるから目立つのか?

何だかこの4〜5日は、全部が繋がっている感じ。途中に家に帰ってはいるのだが、何となくその記憶も薄れてて、結局先週の土曜日から今までが、一つの塊になっている。

かなり色んな人を怒鳴り上げた気もする。気のせいか?う〜ん、今まで一度も話した事がない人からも、もしかしたら恨まれてるかも。てゆ〜か、これから恨まれそう。背中に鉄板入れておいた方がいいかも。

まあ、それにしてもよく飲んだものだ。香港では刺されないためにも、少し大人しくしておこっと。

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tom_eastwind at 00:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0)