日本

2011年06月05日

若年性くれない病

「くれない病」というのをお客様から教えてもらった。もともとは曽野綾子が作った言葉だが、何かにつれて「あれ、やっといてくれない?」とか「誰それさんがしてくれない」とかとか。


老人が年を取るにつれて使い始める言葉、何かと他人を頼り自分で何もせず、他人が何もしてくれなければ文句を言う。見ていて決して気持ちの良いものではない。


今日見かけた記事でこんなのがあった。


★記事抜粋開始

「子供たちの生活は学校だけではない。1ミリシーベルトを目標としたからには、具体的に何をしてくれるのかを明確にしてほしい」。3日、年間20ミリシーベルトの上限値撤回を求める保護者らが東京・霞が関の文科省で担当職員と向き合った。1歳の長男を連れて参加した福島県須賀川市の主婦(31)は、1ミリシーベルトの目標設定を歓迎しながらも、学校外での低減策も訴えた。

★記事抜粋終了


政府を非難しながら政府に何かを求める。言葉を変えて言えばぐうたら亭主がまたもや競馬やパチンコで金使ってしまい奥さんは文句を言いながら「どうしてくれるのよ?」と言ってもどうしようもないだろう、そういうぐうたらを選んだ自己責任だ。


最近の女性は50年前と比較すればまさに雲泥の差、能力とやる気さえあれば子供を抱えてでも生きていける、だからまともな女性ならギャンブル狂いの旦那を見て「あ、こいつはあかん、病気や。やめとこ。ここで捨てましょ」となるはずだ。


「子供たちの生活が〜」と言う前に、自分たちが住んでいる街に原発があることを知っていたのだろうか?放射能が人間に与える影響と言うのを少しでも原発事故以前に勉強したのだろうか?


年間20ミリシーベルトがどれほど「危険」なのか、交通事故やいじめによる自殺や不登校、大人になっても引きこもり、などの健康被害と比較してどちらが重大なのか、考えてみた事があるだろうか。


放射能であろうがいじめによる自殺であろうが死ぬことに変わりはない。親は目先のお受験やお付き合いで子供たちの心をすりつぶしていると考えてみたことはないだろうか?


くれない病患者の特徴はとにかく自分では何もせずに他人に頼って文句を言ってそれで終わり、次にまた同じようなことが起きたら同じように自分ではなにもせずに他人に頼って文句を言って、はいそれで終わり。時に週刊誌に「赤ワインはぽりふぇどうのこうの〜が〜」と書いているとまるで自分が世界で最初に発明したように周囲に言いふらして買い込むがぽりふぇなんちゃらなんて3カ月もすれば忘れてしまう程度の親。


池田氏も指摘するように原発は石炭や石油と比較してずっと安全なエネルギーであり長期にわたり使用可能だという事実。その反対にある、石炭や石油は人間のDNAを変化させないが放射能は確実に人間の体の染色体を破壊してその影響は計り知れないという意見。


本来はこの原発合理主義と安全性をぶつけながら落としどころを考えていくべきなのに自分では考えようともせずにぐーたら政府に泣き言を言う。むだっちゅうの。彼らはあなたたち「使い捨て可能な材料」としてしか見ていない。経産省に行って何を話しても所詮はガス抜きの一発芸だ。


それよりも今大事なのは、この原発事故で東北がすべて変わったのに、これからも今までと同じような生活をしようとするのかって点だ。つまり原発が突きつけたのは「あなたの人生、どうリセットしますか?」ということだ。


復興と復旧は根本的に違う。壊れた建物を作り直すのが復旧だが町全体が崩壊した今必要なのは復興である。関東大震災では復興を旗印にそれまで入り乱れていた街の区分を整理し大都市としてのインフラ整備を行った。


ならば市民も自分の生活をリセットしてもう一度ゼロベースで見直すことが必要ではないか?住居とは?学校とは?勉強とは?家族とは?生活とは?人生とは?そういう事をゆっくりと考える時間が今あなた方の目の前にある、それをどう利用できるか。


★記事抜粋開始

 福島市内でも空間放射線量値が高い渡利地区の学校に3人の子を通わせる女性(38)は「長女が高校受験を控え、簡単には避難できない。1ミリシーベルトが目標になれば、学校や自治体に対策を求めやすくなるだろうが、既に浴びてしまった放射線量をどう考えればいいのか。国に説明してほしい」と不安を口にする。

★記事抜粋終了


これなどぼくからすれば全く意味不明である。危険なら逃げろ、幽霊に受験枠はないんだから生き残ってなんぼでしょ。反対にそれほど危険でないと思ってるなら「国に説明してほしい」などと言わずに黙って勉強していればよい。


だいたい今まで全く原子力や放射能の勉強をしてなかった人がいきなり国から「こうなってますから安全です」と言われてどう検証のしようがあるだろうか?説明を受けてどうしたいの?わたしを安心させて〜と言われても、そりゃ無理だ。安全の証明なら可能だが安心は本人の心の問題だ。


付け焼刃でしかない説明を聞くくらいなら「あのさ、悪いけどあたしと子供3人は大阪に引っ越してあっちで受験勉強するわ、費用は東電に請求しておいてね」とすればよっぽどさっぱりしている。


「この場所から動きたくない、受験はここで勉強したい、けど原発不安、話聞いても分からない、お願い私を安心させて頂戴」って、おいおい、それではくれない族以下ではないか。


人が前向きに生きている限り常に乗り越える壁は出てくる。その壁を超えるたびに人生の真実を一つづつ知って心が強くなっていく。けれどそういう準備をしていない人がある日突然現実を突きつけられると突然おたおたと「くれない病」になる。


この震災は多くの日本人に立ち止って考える時間を与えた。東北の母親は、今日と同じ明日が来ると思い子供に勉強をさせている。けれど本当に今日と同じ明日が来るのだろうか。その答えは2万数千名の尊い命が立証してくれた。だれも明日自分が死ぬとは思っていなかったのだ。

ならば母親も立ち止って自分はだれのために生きているのか、子供にとっての幸せが受験だけでないってのを今こそゆっくり考えてみたらどうだろうか。



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2011年01月12日

こうもり

東京に来て一番目立つのが暴走自転車だ。

★抜粋開始
携帯電話を使いながら片手で運転したり、音楽プレーヤーで両耳をふさいで運転したり。そんな危なっかしい自転車が目立つ。人波を縫うように猛スピードで走り抜ける光景も珍しくはない。
 
手軽さゆえの気の緩みからか自転車事故が増えている。二〇〇九年は歩行者との事故が十年前の約三・七倍、自転車同士の事故が約四・四倍に上った。

 一瞬の油断がもたらす代償は大きい。夜間、携帯電話を見ながら無灯火で走っていた女子高生の自転車が前を歩いていた看護師の女性に追突した。女性は首にけがをして歩行困難の障害が残った。五年前、横浜地裁が支払いを命じた賠償額は約五千万円に上った。

 相手が死傷すれば、自動車事故と同じように刑事と民事の両面で重い責任を問われる。自転車には一生を棒に振りかねない危険が常に潜んでいる。利用者はそれを肝に銘じておきたい。
★抜粋終了

ニュージーランドでは去年自転車の死亡事故が5件続いて、現在の道路交通法を見直しすべきではと言う動きがある。

この国では自転車は車があるのだから車道を走ると言う考えである。だから5年ほど前まではオークランドの大きな交差点でバスが信号待ちしていると、トレーニング用の自転車がその左横にぴたっと付けて自分の右手で体を支える場面などごく普通であった。

ところがあいつぐガソリン値上げで当時は1L1ドルだったのが、今ではもう1Lが2ドルである。これに影響を受けたのだろう、シティで最初に流行になったのがMoped(モペッド)、つまり日本で言う原付である。

そして自転車は以前は郵便局の配達のお兄ちゃんが颯爽としてシティの坂を駆け上ったものだが、最近はどうもガソリン節約の為のバイカーが増えてきて、彼らの腕が落ちているのではないか、クイーンストリートを走るのは良いがそれなら周囲にあわせた速度で走ろうよ、そんなとろとろで一車線取られたらやってっれないぜって雰囲気。

最近は道路整備するときは自転車対策としては車道と歩道の間に自転車道を作る地域も増えている。けれど自転車はやはり自動車に対しては弱者である。だから事故が起これば自転車が確実に負ける。

けど自転車を轢いてしまうと刑務所入りの可能性が高いからドライバーも注意しなくちゃいけなくて、これがまた運転の疲れをましてしまう。

と、ここまでがニュージーランドの現状であるが、日本に行くと自転車が歩道に乗り上げて歩行者を突き飛ばす事件が頻発している。

ぼくも街中を歩いてるとびっくりするが、今の日本ってこんなに他人に対して思いやりなくなったのか?抜粋にもあるように、ほんとにヘッドフォンして勢いつけて歩道を走って、子供が居たらビンビンとベル鳴らして「あっち行け!」である。

こうなると自転車は一体何なのか?自動車のような強い奴に対しては弱者になるが子供や老人の歩行者に対しては威張りクサって”リンリン!”と強者となる、まるでこうもりのようではないか。

今は日本でも自転車道を作ることが検討されているが、自転車は手軽に使えて車のように車庫証明も不要で駅前でだって放置しておけば良いってわがままな人間が増えて役所も困って対策を立てているがどうも根本的な改革になってない。

これなど自転車を運転する人が道徳心を持ってきちんと駐輪したり歩道で歩行者とすれ違う時は一時停止するとかすれば良い事だ。そうすれば何も駐輪場なんて多額のお金をかけて作らなくても済むだろうし歩道の拡幅もしなくて良い。

自転車は車なのか?答は難しいだろうが、お互いが相手の事を少し気を使うだけで解決する問題だ。


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2011年01月05日

医療の夜明け

75dba45e.jpg西暦20xx年

ぼくは今日も新しい死体が入手出来たと連絡がありVTOL(垂直離発着機)で病院に向う。病院で受け取った新鮮な臓器、どれどれ今日は何個だ?でもって配達先病院はどこだ?

数十年前までは死亡した方の遺体は献体と言う形でないと臓器移植が出来なかったそうだが、それってどんな医学知識暗黒時代だったのかな?人間は魂が永遠であり肉体は抜け殻にしか過ぎない。その抜け殻で多くの人々が助かるのだからリサイクリングビジネスでしょ。

十数年前に国会で臓器移植に関する国民的合意を作り上げて、今では予め死亡予定者が肉体所有権移転書類に署名しておけば亡くなった時点で死体は葬儀社に所有権移転されて葬式は葬儀社が全額費用負担をしてくれるようになった。

相場としては臓器一個で普通の葬式、臓器2個なら豪華な葬式、もし内臓全体を含めて四肢全体を提供してくれれば派手な葬式に参会者の夕食の手配からお墓まで。

葬式終了後にその時点での臓器相場で死亡者から遺族への「遺産相続」としてまとまったお金が葬儀社から支払われるようになる。これで誰もがHappy!

元々は臓器売買ビジネスは闇市場で行われていたが、これも酒や麻薬と同じできちんと表の市場に出す事で大きなビジネスになり、結果的に公正な市場を生み出すことになった。今は臓器待機リストが国内で完全に統一されて闇市場での売買は出来ない。

ヤミ煙草や麻薬などのちっちゃなものと違って、ちゃんとした施設を持った病院と医師と葬儀社がいないと手術が出来ないのだから、常に需要と供給のバランスが図られるようになっている。

クローン技術も発達しており簡単な指や腕程度ならクローンでも良いのだが、臓器となるとやはり新鮮な人間のものが一番相性が良い。

医療暗黒時代には「術後生存年数」などと言われてたが今の医療技術では術後はすべての患者か健康体に戻るので寿命をまっとうするのが当然となっている~~~。

なんて、夜明けにこんな夢を見たのでかなり鮮明~。あ~怖かった。かなりクリアーだったし、自分が搭乗する垂直離発着機も、胴体から翼までクリアー。

昨日の夜は香港映画でホラー系だったが「臓器抜き取り」がネタにされてた。普通に健康な若い女性を誘拐して意識不明にさせて右腰の上、へその下のあたりを30cmくらい切り取る。そこから臓器を取り出して後は縫合手術をして放置である。

この映画見た後だったからだろうな、こんな夢見たのは。

日本では臓器移植の議論が進み、脳死でも臓器を取り出すことが可能になった。これだけでも一歩前進であろう。しかし生きている人を相手に「あんたの死体、買いますよ」と言うビジネスが出てきたら、ますます発展途上国の人間の金儲けは手段を選ばなくなるであろう。

誘拐しても身柄は返すのだから身代金を取る為の危険性はゼロだ。中国ではすでに臓器目当ての誘拐など珍しくもない。買い手さえ見つかれば大儲けなのである。

そしてこれは1920年代の米国禁酒法と同じで、放置しておけば次々に闇市場が発生してしまい、かえって社会を混乱に陥れる。

ニュージーランドではキリスト教が中心で魂と肉体を区別する考えがあるから、事故で脳死になった子供の生命維持装置は3~4日で外してから献体するケースがよくある。

日本では子供が親にそんな事言えるわけがない、文化が違うのだ。だから死体はどんどん出来るけど使い道がないままに火葬場行きとなる。

中国でも子供は親を大事にするから他人の家の誰かを誘拐して臓器を抜く。ふ~む、現実的ですな(笑)。

日本の臓器移植の問題は現在健康でいずれ死を迎える人々の意識を変化させて「死体は抜け殻、あなたは三途の川を渡って次は鳥になるんですよ」と教育すれば良い。

けどこれだけでは何の利益にもならない。「献血してもヤクルトやトマトジュースではね~、ましてやおれの死体でしょ、もっと色付けてよ」ってなる。そこで葬儀屋と病院のコラボで遺産相続という発想を導入するのだ。

もちろんすぐにどうにかなるわけではない。利権があれば必ず次の問題は出てくる。そしてこれはクローン問題に行き着く。様々な問題が派生してくるし宗教的な判断も必要となる。

けど臓器が必要な人がいて移植技術があるのに、どうにか出来ないのかとなる。だから中国で臓器抜きとって闇で売るビジネスよりは、表に出して皆で議論した方が良いに決まってる。

その結果として「やっぱり日本ではビジネスに出来ません、中国から買います」と国民が合意すればそれもあり、クローンは作れません、それもあり、ただその代償として臓器移植が出来ずに死んでいく人々の事を忘れることは出来ない。

てか臓器問題は数十年前から手塚治虫が火の鳥の中でも問題提起していたのだ。それから何十年、一体どんな議論を医学界はしてきたのか?てか、してきたのか(笑)?


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2010年02月05日

ブンヤ

小沢問題にほぼ決着が付き、これからは今まで小沢叩きをやっていた新聞マスコミは自己保身を図る為に「どれだけ小沢が悪いか」とか「検察は何を弱腰になっているのだ」とか、暫く、たぶん2週間くらい言い続けるんだろうな。

でもってその頃には違う新聞ねたが出るだろうから、いつの間にか自分たちのリーク依存報道や一般大衆が既存マスコミから離れつつある問題を無視出来るだけの、一時の心の余裕が出てくるんだろう。

しかし数年の期間で見れば既存マスコミは「検証可能かつ不可逆的な」撤退に追い込まれていくしかないのも事実である。

江戸時代もマスコミは存在した。瓦版と言う形で。一般大衆に情報を提供する手段として、その時代における技術を利用して「媒体」が発生したが、それは時代の技術とともに変化していった。

媒体=メディアである。テレビはここ30年程度の、しかし強力な媒体である。新聞は100年の歴史がある媒体である。

しかし結局媒体に過ぎない。時代が変われば媒体は変化するしかない。大事なのは正確で最新の情報を提供することであり、それが出来なくなれば撤退するしかないのは当然のことである。

経営者とはそういう時代の波を読んで、自分たちが[記事=コンテンツ]を集めることが出来る間にその[記事=情報]をどういう形で読者に届けて、どういう形で課金するかを考えるのが仕事だ。

けど、既存の印刷会社や配達システム等、要するに既得権益の中にどっぷり浸かった上に、自分もリーマン社長だから自分の時代だけは何とか無事に過ごしてほしいと言う気持ちで一生懸命既存の仕組みを守る。

それが地獄への一歩と分かっているのに、自分だけは地獄の手前で定年を迎えて退職、後は悠々年金生活と逃げ切りを狙っているのだろう。

日頃あまりマスコミのことも書かないのに、何で今回は小沢とマスコミをセットにしてるかって言うと、これは僕の個人的な思いいれもあるからだ。

僕の父親は数十年前にある地方のちっちゃな新聞社で記者をしていた。

まともに着替えさえ買えない家計で「今日の夕ご飯は、卵うどんかね〜」と言う母親の言葉を聞きながら、父親はそれでもいつも夜中に帰ってきては仲間の記者と人のうち(あばら家)に上がりこんで、金もないのに酒を食らいながら政治について語り社会について語り、そのまま朝になるとまたも取材に出て、殆ど家に帰ってこない」生活を送ってた。

たまに夜遅く酔っ払ってで、たぶん取材の後にタクシーで帰る途中にどこかの国道の道端で買ったのだろう、ソーセージ入りのパンをお土産にしてくれたものだ。

ぼくの嫌いな炒めキャベツを抜いてもらうだけは、酔っ払った親父の頭の隅っこにかろうじて残っていたようだ。

ぼくが人生でたった一人、本気で議論して勝たないのはその男だけだ。

そういう男が若い頃第二次世界大戦に従軍し、まさに奇跡としか言いようのない生存帰国率5%と言う激戦地から内地に戻り、その人生の一部を「政治との対決」に賭けていた。

そういう人間を生まれた時から見てきたわけであり、それが新聞記者であると思って育ってきたのだ。

だからこそ今のへなちょろで弱虫で日和見な根性無しを見ると、どうしても怒りがこみ上げてくるのだろう。

もともとニュージーランドをネタとしたブログなだけに、あまり政治ばかり書いても仕方ないのでこのあたりで元に戻るが、そういう無骨な父親の背中を見て育った人間として現在のマスコミに言いたい。

恥を知れ。


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2009年10月29日

化粧 傷はぜったい消毒するな その2

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中島みゆきの古い歌に「化粧」ってのがある。

 

携帯電話もEメールもポケベルもなかった時代、恋人たちは郵便局経由の手紙と自宅近くの大きな箱のような公衆電話で語り合ってた。

 

あの頃はたしか10円で話し放題じゃなかったかな、そんなだから夜の7時頃母親に「お風呂行ってくるね」と言い訳して公衆電話で長話してた人もいた。

 

“化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど 今夜死んでもいいからきれいになりたい”

 

死んでもいいからきれいになりたいんだったら、顔の素肌がぼろぼろになっても化粧をしたいんだろうな。

 

そうなると昨日に引き続き「ぜったい消毒するな」の出番です。

 

実はこの本、最後のほうは皮膚全般に関することも触れていて、その中で言い切ってるのが、40台なら女性より男性の方が肌が健康できれいだって事。

 

つまり通常皆さんが購入する化粧品には殆どの場合界面活性剤が使われており、これで一日十何時間も顔を覆うその間皮膚に大切な皮脂は活性剤によって分解され続け、肌本来の潤いを奪ってぼろぼろにするよってこと。

 

世の中には「肌を引き締める」とか「毛穴を引き締める」とか「肌のくすみをとる」とか、さらには「廊下を防ぎ若返らせる」と言う商品があるが、おそらく殆どインチキ商品であろうとも言い切ってる。だってクリームや乳液のほとんどには乳化剤(界面活性剤)が含まれているからだって。

 

シャンプーもそうだけど、あれで地肌を洗うってことは肌本来が持つうるおいを強制的に奪い取る事で、そうなると潤いを作るために必要以上の物質が毛穴を通じて頭を覆って、これがてかりやべたべたの原因になる。

 

例えば歯ブラシで歯を綺麗にしようとして強くこするとかえって歯や歯茎を傷めてしまうってのも同じ。

 

こうやって見ると、医療や化粧、健康食品とか、売るほうが一方的にイメージ宣伝をすることで消費者が騙されているばっかりじゃんと思えてしまう。

 

とくに化粧品なんて、最近人気のある資生堂の「クレ・ド・ポー ・ボーテ」なんて言う英語だかフランス語だか日本語だかよく分からん高級品は、ちょっとした壜一本で何千円ですぜ!(俺の酒の方が安い!)女性の化粧品セットは合計すればいくらになるのか?数万円?

 

(おれに)クレ・ど(んとよこせ)・(男が)ポー(っとしている間がチャンスだ!)・ボーテ、(ぼって、ぼったくれ)。なんか歌になりそうな商品名ですね。

 

だから皮膚を研究する先生からすれば女性が化粧をしたりするのは、きれいになりたいと思って汚くなるわけで、考えてる事とやってる事が違うじゃんって言いたいのだろう。

 

けどまあ、これが学者の限界かなと思う。だって彼は「肌」のことを考えているけど、女性にとって「肌」は手段であり目的はきれいになること。そもそもの視点が違う。だから男がいくら男の視線や学者の視線で考えても分からないことが世の中にたくさんあるのだろう。

 

けどま、たぶん答えは簡単なんだろね。

 

「死んでもいいから女はきれいになりたいの」

 

まあ、男は女の為に働けってことですね。はい、今日も頑張ります。



tom_eastwind at 18:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年10月22日

公平と国民政治の下で

最近はアゴラと言うインターネット論壇も出来て、ここもよく読ませてもらっている。

 

いずれこういう質の高いサイトは有料化されるだろうし、その方が良いと思う。

 

 

今はそれぞれの業界のプロが本業の傍ら記事を投稿している人も、それできちんと収入を得るとなれば本業となり、そうなれば専門知識のない生半可な大手新聞記者が書く意味不明な記事よりもよほどきちんとした事実に関する評価や分析が行われるようになるだろう。

 

優秀な媒体が何をもって優秀とするかによるが、少なくとも経済や政治に関してはアゴラの方が一般紙よりも数段上であるのは間違いない。

 

最近の記事の中で池尾氏の投稿があった。

 

http://agora-web.jp/archives/765910.html

 

記事は今後日本がインフレを起こすかどうか、発生したらどうなるかと言う内容。

 

記事自体はごく普通なのだが、これを読んだときに何となく僕の頭の中(上ではないぞ、しつこいぞ)でピカってしたものがある。

 

それが日本の「財政再建」である。

 

詳細はアゴラの方を読んでもらえば分かるが、今までも政府が抱える借金を帳消しにする方法はスーパーインフレだと言われていた。

 

政府がお金をばら撒けば原資が必要でありそのため円がたくさん発行されるわけで、円の供給が増加すればそれだけ円の価値が下がる。そうなると外国から仕入れている商品はすべて値上がりする。これが進めばインフレになり、更に進めばハイパーインフレーションとなる。

 

そうすると物価が急上昇し1個10円だったパンが1個100円になる。つまり円の価値が10分の1になるって事だ。

 

ところが国債などは通貨=円で設定されているから円の絶対額は増えない。その結果として国債の価値が暴落するのだ。

 

日本政府が抱えている800兆円の負債とこれから発行する国債にしても、政府が個人向け国債を販売しているから(以前は個人向け国債はなかった)1400兆円の個人資産が吸収することが出来る。

 

ところが10年後に国債償還となった際に物価が10倍になってれば、政府からすれば800兆円の借金が80兆円になるので簡単に返済出来る。ばかを見るのは国債を買った国民である。

 

「小説日本銀行」の中で有名な場面がある。敗戦後すぐの時、優秀な大学を卒業して日銀に入社した若い社員に親戚(だっけか?)連絡が入る。いわく自分たち老人の資産は安定運用したいから国債を買おうと思うけど、あんたはどう思う?との質問だ。

 

ハイパーインフレが起こり国債は紙くずになる事を知っていた行員は、それでも国家のために「国債を買いなさい」と勧めたのだ。そしてその後ハイパーインフレが日本を襲うことになる。

 

実際にハイパーインフレーションは戦後日本も経験しておりドイツでは第一次大戦後の凄まじいまでのハイパーインフレが起こって、これが第二次世界大戦の遠因になったとも言われている。

 

このようなハイパーインフレーションによる財政赤字解消策は以前から「非現実的な一つの案」として語られていた。「そりゃ出来るけどさ、そんな事やったら国家は生き残るけど多くの国民が悲惨な事になるよ、冬空に丸裸で自宅から追い出されるようなもんだ」と言うことで殆どの人は否定した。

 

そんなハイパーインフレーション、最近はあまり記事にならないなと思ってたら、もしかして民主党、本気でインフレを仕掛けて国家財政を黒字化する準備に入ったからあえてマスコミに書かせないようになったのかもしれないと本気で思わせる。

 

と言うのが現在民主党が進んでいる方向は簡単に言えば「ばら撒き行政」であり、国債発行も50兆円を越すようになる。

 

国債が紙切れになる理論は↓を読んでもらえばよく分かると思う。

 

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51596567.html

 

日本は国として倒産する事はないけど国債発行しまくって個人に買わせれば被害を蒙るのは金持ちだけだから、これで富裕層と貧乏人のバランスがとれるという話。

 

ただ今のまま政府が国民向けのリップサービス的な政策を進めてその結果財政バランスが崩れれば、間違いなく増税となる。

 

まあ公共事業を削減して地方空港を整理すると見かけは非常に良い。だから選挙では浮動票が獲れる。透明で公平な予算配分の結果お金が足りないとなれば国民は文句も言わない。

 

その上で次の参院選で勝利すれば、大増税とハイパーインフレーションを起こして国家財政を一気に片付けるという荒業も可能になる。戦後のハイパーインフレでも日本人は暴動も起こさずに大人しく従ったのだ、今回も同じだろう、そう小沢さんが読むのも当然だろう。

 

実際にやるかどうかは分からないが、今回は確実に「やれるだけの準備は出来た」となり、具体的な選択の一つになるだろう。

 



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2009年08月16日

お台場 船の科学館

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笹川良一って男がいる。戦前から政治活動を行い、特高に逮捕されたりした右翼であるが、戦後も気合かけて生きてきて、巣鴨の戦争犯罪者が収容されている刑務所にわざわざ犯罪を起こして入り込み、A級戦犯に説教を垂れたという大物だ。

 

その後は競艇の利権を全部押さえて日本最大の右翼の一人となったのだけど、彼は戦後の日本を見事に生き抜いて逃げ切った大物と言える。

 

そんなおじさんが祭られているのがお台場にある「船の科学館」。でもってガンダムのついでにここも見学してきた。

 

「人類は皆兄弟!」、テレビで宣伝するほどのおやじであるが、それなりに根性はあるし言ってる事も間違ってない。きちっと筋の通ったおやじである。

 

最近特に思うのだけど、命を捨ててかかってる連中ってこの世の中にどれくらいいるのだろうか。

 

何かと言えば長生きとか健康とか理屈とかどうのこうのであるが、そいでもって立派なスーツとネクタイは身に付けているけど、命を賭けて仕事をするって感じがしない。

 

ビジネスは騙した方が勝ち、くらいに思ってるのに、騙された方は仕返ししますよって言うと「え?それ、おかしくない?あれってビジネスでしょ、やめてよそんなこと」となる。

 

ざけんなっちゅうの。人はいつも自分の言葉と行動に責任を取る必要があるのです。

 

「あんた、自分の言ったことに責任取りますか?」となると、結局もごもごする人間ばかりの中では、笹川良一なんて立派なもんだなと思う。

 

ただ一個残念だったのが、館内で日本が戦後作り上げた優秀な技術を見ながら、まるで古代の、滅びてしまった民族の歴史を見ているような気持ちになったこと。

 

今では神戸も横浜も世界の港のベスト10にははいっておらず、造船は韓国に抜かれ、過去の栄光にしがみ付いているけど結局は「終わってしまった国」になっている日本。

 

スペインとかポルトガルとか16世紀にぶいぶい言わせた国が今では老人が日なたのソファで両足を広げて赤ワインを飲みながら移り行く世間を見ているような感じ。

 

今の日本は、本当にスペインのようになるかもしれない。正直、笹川良一のような、方向性は別にしても根性のある気合の入った命賭けたような人に出てきて欲しい、そうでないと日本、明日がないぞと思った。



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2009年05月28日

大分、そしてインスタントラーメン

インスタントラーメン

 

夕暮れの街に飯を食いに出る。今日の目的地はジャングル公園横の屋台街だ。ここは昨日飲みに行った先で教えてもらった店があり、そこに行こうと計画。

 

けどその店は閉まっており、仕方ないので向かいの店に入る。けど、どこもまるでコピーのように同じなのは気のせいか?

 

店に入ると、お、いきなりマルタイ棒ラーメンがある。黄色いパッケージのオリジナル味の奴だ。それが屋台の惣菜料理の並んでる台の上に乗っかってる。

 

最近東京の秋葉原でインスタントラーメンを作る店が出来たと聞いたが、まさかこんな昭和の時代からやってる屋台街のお店のどう見ても60歳を思いっきり飛び越しているおばあちゃんがそんな斬新なことしているわけないよな。

 

思わず「これ、料理するんですか?」と聞いたら、からっとした顔で「するよ。食べるんかえ?」と聞かれた。なるほど。こっちがインスタントラーメンをメニューとして出すお店の元祖でしたか。失礼しました。

 

けどま、いやいや、今日はまずおでんとか巻貝とかで結構ですわ、ラーメンはシメなので。

 

それにしても時間の止まったような空間である。大分都町のジャングル公園の横の屋台街。全部で10軒くらい並んでいるのだけど、まさに穴場と言うかなんと言うか。

 

日本語が出来なくても飯食えるんじゃないかってくらい優しいおばあちゃんと一時の時間を二人っきりで共有しながら、大なべに入ったおでんと巻貝を食べる。

 

この貝はちっちゃいので穿り出す必要があるんだけど、このお店ではぐわっと素手で掴んだ貝をそのままお皿に入れて安全ピンを一本くれる。これでほじくりだせって事だ。安全ピンとは言っても端っこは尖ってますよね?

 

いいっすね〜、衛生基準とか安全とかを昭和中期で設定しているんだな〜、楽しい。

 

軽く飯食って体調を整えて都町に出て行く。今日は飛び込みだ。ぼくの飛び込みってのは、ビルの4階に入ってるお店のドアをいきなりがらっと開ける系なので、普通の人からすればあり得ないし、ある種の人々からすれば「何と無礼!」と言うことになる。

 

このあたりの間合いが難しいのだけど、そこを何とかうまく説明しながら「俺も人間、仲良くしようよ」とやると、10分もするとすぐに仲良くしてくれる。これが田舎の良いところかな。東京だとどこまでいってもこうはいかないもんな。田舎万歳である。

 

今晩の飛び込みは路面店であり、バーとスナックが混在するようなお店であったが、そこでもやっぱり普通にびっくりされた。

 

「あんた、何しよんのかえ_?」と言われても、え〜っと、酒のみに来ただけですとしかいいようがない。

 

結局10分ほど説明して分かってくれた後は歓待してくれるのだけど、何となく「Dance with the Wolves」状態である。

 

この感覚、分かるかな〜。

 

地域に区切って言えばデラシネ、けど地球レベルで見れば地球人なのである。

 

ふ〜。火星から地球を見ている気分だ。

 

こんな事書くと「どうして田舎をバカにするんです〜か__!!」みたいな書き込みを頂くかもしれない。

 

けど、あのね、田舎を馬鹿にもしてないし、ムシロとても良いところだとおもってる。ただっ自分が住めないと思ってるだけだ。

 

田舎出身の僕がこんな事を言うのも変な話だけど、田舎出身だからこそ言えることではないかと思う。

 

あのさ、皆さん、変化しようよ。



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2009年05月27日

大分 そして全日空ホテル

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大分全日空ホテルに投宿。

 

 

それにしてもバーの服装って、これって何か決まりでもあるのかな。

 

大分県大分市全日空ホテルオアシスタワーと言う随分長い名前のホテルに投宿したのだけど、このホテルのバーが21階にあり、この景色が実に美しい。

 

そこで働く皆さんなんだけど、やっぱりきちっとした黒服に白いYシャツで、髪にはきちんと整髪料を付けてシェーカーを振っている。

 

なんか東京のホテルに来たのか?と錯覚させるほど雰囲気が良く似てる。酒は美味いし雰囲気は良いし。一つ違うのは景色だな。やっぱりこれってバーで働く人々の全国的な制服なのか?

 

見事なまでの別府湾の眺めと、その周囲に連なる山々。

 

目の前のジントニックを飲むのもさておいてしばらく唖然として景色を見てたら「最近は日暮れが7時過ぎなので夜景と言うわけにはいかないですね」と丁寧に話しかけてきた。

 

こっちは一人客で夕方の5時過ぎであり、なおかつパソコンをバーに持ち込んでいるのだから当然宿泊客と判別出来る。

 

「夜景と言っても東京のようなビルのライトじゃなくて住宅街ですけどね」そう言った彼の言葉の中に含まれるもの。

 

東京は大都会。大分は田舎。東京は明るい。大分は暗い。

 

けど最後に残るのは、「やっぱり大分の方がいい」と言う感じ、かな。

 

「あんた、都会の人やろう?」昨日飲みに行ったバーで聞かれた言葉だけど、これがまさに大分を表しているんだろうと思った。

 

田舎だし退屈だし毎日同じ生活が続く。けどやっぱり人が温かくて周りが助け合って生きてて、温かくて温かくて、ついつい今日と同じ生活を明日も続けて見ようと思わせる空気。

 

同じ価値観が延々と続き、人々はそれを疑いもしない。

 

こんなの東京には存在しないよね。

 

都会の何が良いのか?芸能人に会える機会が多いってか?コンビニが多いってか?実は何も良い事はない。ただ心が擦り切れるだけの毎日だ。夢が叶えば泥沼に巻き込まれ、夢が叶わなければ最低の生活に落とされ、どっちにしても良い事はない。

 

それよりは生まれ育った街でおばあちゃんや子供が居る中で、毎日平凡だけど美味しいものを食べて素晴らしい景色を見て生きていく、そのほうがずっと良いんじゃないか。

 

このあたり、まさに価値観の問題だろう。都会と田舎、どっちが良いのかって聴かれれば人によって答えは変わるだろう。

 

ただ、大分は良いところだし、そこに生まれ育った人々は、実は生まれたときから神様の恩恵を受けているんだなと真剣に思った。

 

場所が場所なだけに書けないことも多い(笑)のだが、今年は大分に来る機会が増えそうだ。

 

 



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2009年05月26日

都会の人やろ〜 高崎山の猿

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「都会の人やろ〜」

 

そういわれても困る。生まれは同じ場所なんだから。

 

今回の仕事の始まりは大分県だ。香港から福岡に入りその晩は福岡に宿泊して翌日の朝の電車で大分県に向かった。

 

電車と言っても特急電車ソニック15号なので作りは良い。ゆったりとした座席と小奇麗な社内は実に気持ちよく過ごせる。礼儀正しい車内販売も、まるでこっちの背中を見ているようなタイミングでサービスをしてくれる。

 

子供時代は「国鉄」に乗っていたし、国労や動労のストライキを毎年春に経験して、駅の改札でたらったたと歯ごたえの良い音で切符にはさみを入れる駅員を見てたから、その時から見れば「国鉄」から「JR」への変化の凄さを実感する。

 

国鉄は明治時代に開始された公共サービスであり、エキナカで物販などは考えられない時代があった。精々が駅弁と立ち食いうどんくらいであり、サービスとは一番縁が遠い業種だった。

 

それが今では見事なまでに民間経営を導入して次々と新しいサービスを導入しており、おお、こりゃすごいなと思ってしまう。

 

今週の週刊ダイアモンドではデパート戦争を特集してたが、今強いのは鉄道系だよね。立地と信頼にあぐらをかいてたデパートは、まさに冬の時代に突入している。

 

ソニックで約2時間の旅で大分に着く。

 

やっぱりここに流れるのは大分の空気なんだろうな。

 

ホテルにチェックインしてお客様と待ち合わせ、そのまま中央卸売市場に行く。

 

色んな問題点がありながらも何とか解決しようとする人々。今のままでいいじゃないかと言う人々。

 

農業は大きな転換期に来ているな。食べ物が消費者の為ではなく流通業者や農薬開発会社の為に存在するようになって数十年。その間、食の安全は無視されてきた。

 

今回立ち上げたJBCでは農業や漁業を扱っていく。その中でもキーポイントは「食の安全と安心」である。決して大量に生産は出来ないし安定供給も難しいかもしれないけど、安全と安心にきちんとした費用を払う気持ちがある人を対象にビジネスを展開していく予定。

 

その為の大分訪問であり、現在ある技術をどう広めていくか、これが今の段階である。

 

お客様と会議を行い話を詰めて最後には食事にもご招待頂いて、非常に強い手ごたえを感じる。

 

僕らの得意とする分野は、今ある技術をシステムに導入して、システムのどこに何を当てはめていくかを考えて人間のベルトコンベアを作り上げて生産者から消費者への直結線を組み立てることだ。

 

考えて見ればこれはシステムエンジニアですな。ITで使っている意味も、元々はシステムを組み合わせるのが仕事だった。

 

色んな技術や知識を組み合わせて新しいものを作り上げる。ここに付加価値が生まれる。

 

さて、これから面白くなるぞ。

 

食事が終わり、その日は都町(みやこまち)に飲みに出る。大分随一の繁華街である。けどどうしても田舎なのでシャッターの閉まった店が多い。

 

けどまあそんな事は関係ない。楽しく飲めれば一軒あれば良いのだから。

 

4年ほど前に飛び込みで入ったスナックに、再度飛び込む。古いメンバーは殆ど残ってないから誰もこっちの顔を知らない。

 

ソファに坐って一杯目のウィスキーを飲み始めると、お酒を作ってくれた女の子がいきなり話しかけてきたのがこの一言。

 

「お客さん、都会の人やろ?」

 

ふ〜ん、大分ではそうやって地元とそれ以外を区別するのか。これが宮崎から来たお客だとどうなるんだろうな?

 

けど、別に東京から来たわけでもないし名古屋でも大阪でもなく、思いっきり田舎のニュージーランドからなんだけど、こんな場合に何て言えば良いのか?

 

ニュージーランドから来たというのが正解であっても、それがうざい。だって結局その話題にしかならないから、話の先が見えてしまう。面白くも何ともない。こっちは自分の身元照会の為に飲みに来たのではない。

 

何でこうなるんかな〜。他人のことをネタにしないと話の展開はないのか?一度くらいは「ニュージーランド、あ、そ。ところでこれが〜」で話をそらしてくれないかなと思ったりする。

 

こっちは毎日一生懸命働いて生きてるだけであり、そんな高崎山の猿より珍しいみたいな顔をされても、う〜ん、それどうなんか?

 

 



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2009年04月26日

日本出張最終日

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最終日は9時からの朝食ミーティングから始まる。

 

朝ごはん食べながらのミーティングってのは、なかなか新鮮。

 

やったことないもんな。

 

ナンだかまるで日本にいるみたいに忙しい、てか間違いなく日本にいるし、有効な時間の使い方をやってるな。でもこの朝の時点では、今日がまさかこんなに忙しくなるとは思わなかったぞ。

 

ミーティング後は部屋に戻りメールを処理して、何とかある程度片付けてみるものの、なかなか全部は片付かない。結局いくつかは放置して品川駅に向かう。

 

品川に着いたら一番早い新幹線に飛び乗り新横浜へ。時間が中途半端なのでやば、またも昼飯食い逃すかもとか思いながらそのままミーティング会場に移動。

 

今週は一体何人の投資顧問業の人と会ったことか、まだきちんと数えてないけど10人は下らないぞ。

 

14:00からのミーティングでプレゼンをしながら、今回提案する投資物件は彼らはプロとして冷徹な計算でYesNoを出していくのだけど、主な話題が終わってその後にJBCの農業+漁業ビジネスをちらっと話すと、皆さんきまって乗り出して話を聞いてくれるのが興味深かった。

 

「そうですよね、今の日本が取り組むべきテーマですよね、こういうのにファンドを付けていけば、単純にいくら儲かったかとかではなく、社会貢献にも繋がっていくので人にも堂々と言えますよね」と喜んでくれる。

 

農業ファンドの仕組みはこうだ。

 

例えば今手掛けようとしている「天然の鯛」を、今までのニュージーランドに存在しない流通システムを導入することで、日本食レストランのシェフの目の前まで生きた鯛を届けることが出来る。

 

この技術導入と加工場を借りる費用、そして加工処理する人件費などを合計して運営に必要な費用を算出するのだが、最初は大体3千万円くらいで計算を仮に開始する。

 

この費用を30分割して一口100万円で募集をかける。これには鯛専用のSPC(特別目的会社)を設立して、他の商品と利益や費用が混在しないようにする。

 

次に鯛の月間処理量を算出してそれを売上に換算して利益率をかけていく。ここがポイント。

 

最終的に一つのファンドで投資家の利益を10〜15%程度に設定して売値を計算して、これが市場価格として受け入れられるかどうかを市場調査する。

 

市場調査に問題なく、レストラン側が受け入れ可能な価格であれば、これでファンドの募集を開始する。

 

もちろん投資なのでリスクマネーである。もしシステムを作り上げた後に突然鯛がニュージーランドの海からいなくなれば、その時は他の魚を探さねばならない。すべての魚がニュージーランドからいなくなれば、鯨でも獲るか(笑)?

 

しかしまあ投資ってのは、実は銀行にお金を預けるのも間違いなく投資であり、リスクとリターンをどれくらいで設定するかの問題だ。

 

だからこの投資のリターンが低ければ当然投資家としては興味を持たない。けどこれがニュージーランドの雇用と流通革命を起こし、結果的に日本人が行った技術革新と投資によってニュージーランドが喜んでもらえれば、これはお金で買えない喜びがある。

 

これがアグリファンド、つまり農業ファンドの面白みである。

 

今回はまず鯛から始めるが、ある程度見込みがつけば他の分野にもどんどん進出して、それぞれの商材に合わせてファンドを組み、例えば牧場ファンドであればオーガニック牛肉の一番美味しい部位を配当として投資家に送ることも可能だ。

 

ニュージーランドから届いた牛肉で「あのさ、うちの牧場で育った牛の美味しいところが送られてきたんだよ、今週土曜にバーベキューするから家に来ない?」と友達を呼ぶことも出来る。

 

なかなか格好いいじゃんか。ニュージーランドの雇用と経済に貢献しながら自分は金利配当と現物(牛肉)配当を受ける事が出来る。友達を呼んでパーティも出来る。

 

投資ってのはやっぱり実業がいいよな。

 

新横浜の仕事が終わってから一旦ホテルに戻りメールの処理をしてから、今度は溜池山王に移動だ。18:00からのミーティング。

 

これが何と首相官邸が目と鼻の先ってとこのオフィスでミーティングなのだが、今度は更に厳しい評価をする投資家を相手のプレゼンテーション。

 

いや〜、これがきついきつい。「中途半端な商品なんか相手にせんぞ、ぼけ〜!」と、関西弁でまくしたてられる。

 

ほんと、投資家によって全然商品の評価が違うよね。

 

ある人はキャッシュフロー、つまり利回りを重視して、ある人は売却時のキャピタルゲインを見ている。すごいのは、皆きちんと自分のポリシーを設定して、自分に課した原則を曲げないと言うことだ。

 

今回の投資家は一般住宅よりも利回りの良い商業ビルに興味があり、「やっぱり20%くらいないと投資なんかせんぜ〜」的。

 

うむうむ、なるほどね〜。よっしゃ、こりゃオークランドに戻って商業物件を探してみましょう。10〜20億円程度の物件探しだ。来週は不動産部門、忙しくなるぞ。宿題だらけだぞ。

 

この会議が終了したら、次は歩いて10分程度の場所にある高級ホテルでの会議だ。途中に博多ラーメンのお店があったので、昼飯抜いてくーくー言ってるお腹に豚骨ラーメンを詰め込む。

 

これは結構旨い。チャーシューも麺も良いし、スープはお店が言うほど薄くない。

 

けどなんかな〜、もうお腹が空き過ぎて気持ち悪くて、せっかくの豚骨ラーメンも8割くらいしか食えません。味は悪くない。

 

申し訳ないな〜とか思いながら「すみません、ちょっとお腹一杯ですけど、美味しかったです」とお断りしてお店を出てからホテルに向かう。

 

このミーティングではファンド商品のお話を聞く。すごいな〜、やっぱり日本の真ん中東京だ、全然商品内容の磨き方が違う。

 

結局日本人って、製造業に限らずこういうファンドビジネスでも、見事に黄金の玉にするんですね。つまり日本人ってのは、日常の生活のレベルからすべてのものを磨く技術を身に付けてるんだな、本当にすごい!と思った夜でした。

 

仕事が終わったのは結局22時過ぎ。それからホテルに戻りシャワーを浴びてこの日最初の一杯のウイスキーを飲んだのは23時30分。

 

ふ〜、アルコールが心地よく体をほぐしてくれる。こんなに神経張り詰めたのは久しぶりだぞ。

 

よっしゃ!今回の出張、オークランドに戻ったら全部形にするぞ!



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2009年04月21日

特別に

キャリーバッグの取っ手がもげてる!

 

成田空港に到着してオークランドで預けた4個の荷物を集めてたら、服を入れたてソフトバッグには何もなかったのだけど、ぼくが5年くらい愛用しているキャリーバッグの取っ手が、かなり強烈な力でもぎ取られてた・・・。

 

こんなん初めてだぞ。一体どんな荷物輸送しているのか分からんが、とにかくオークランドでは荷物の扱いがぞんざいである。雨が降ってても普通に機外に放置するんだもんね。

 

おまけにこのカバン、すでに底の方のジッパーのあたり2箇所をかぎ裂きされたのは数年前のことだ。

 

こりゃもう再起不能かな、このカバン。

 

一応キャセイ航空のカウンターに持って言って、まずは冷静に伝える。

 

「すみません、預けたカバンの取っ手が全部もげてて、取っ手自体が紛失しているんですけど」

 

そう言った僕に対して受付の女性は一応「ああ、そうですか、どのような状況でしょうか、ちょっと拝見させてください」と丁寧な言葉使いながら、その底には「知るかい、預けたお前の問題だろ」ってのがちら見えだった。

 

これは彼らもマニュアルに従って話をしているわけで、カバンの取っ手の一つくらいでいちいち相手にしてられないのも分かる。

 

けどまあこっちからすれば長年の付き合いのカバンである。

 

一年で60回くらい飛行機に乗るわけで、5年も付き合ってくれたカバンなんだから、やっぱり一応航空会社にはクレームをしておきたい。どうなるか分からないけど、長年付き合ってくれたカバンの為にきちんと一言言わないと、やっぱり冷たい男ってなるでしょ。カネがどうこうではない、付き合いの部分でやっぱり一言ってなるのだ。これは仕方ないけど今後どうするのって部分。

 

さてどうなるかと思ってたら、最初は「あ、取っ手は免責ですから、うちは知りません」的な返事。

 

おいおい、ここの部分がいつから免責になったのか知らんが、そんな言い方はないだろうがよ。

 

これをお前が修理しろって言うよりも、今後はこうしますからみたいな前向きな話を期待していたのに、彼女の答えは正反対。

 

おおい、そりゃあ今の時代クレーマーは多いだろうよ。けどこっちはキャセイに何年乗っているか記録を見れば分かるでしょ。今までヘンなクレームした事がないのも分かってるでしょ。ブラックリストに名前がないんだから。

 

だから少なくともこっちの話を聞いて欲しい、その上でニュージーランドから香港区間での荷物の扱いについては注意を促してくなどの建設的なお話をしたいでしょう。

 

そのあたりから僕は少し腹が立ち、受付の彼女に対してこちらの意見を説明した。僕は切れると急に冷静になり、いきなり1秒前には考えもしなかった論点整理が頭の中で出来て、それが機関銃のように口から飛び出していくのだ。

 

これ、特技というのはヘンかもしれんけど、その時はとにかくこちらの言いたいことを説明した。

 

それが2分も続いた頃、彼女は突然「はい、ではちょっと上司に確認を取って〜云々」と言う話になった。

 

そして上司に電話を入れて指示を受けて電話を切り、こちらを振り向いた顔は笑み満々で「はい、では本来はダメなんですけど今回は特別に修理出来るように手配をいたします」だって。

 

これで僕は切れた。

 

そうではないのだ。僕だけ特別扱いをしてくれなんて言ってない。大体ぼくだって旅行屋で30年飯を食っている。カバンが壊れることもあるだろうし、それにいちいち航空会社が付き合っていられないのも分かっている。

 

しかし今回の事件はオークランドから東京の間のどこかで民度の低い人間が行った人的災害であると考えている。

 

そして僕が言いたいことは「お前、修理しろ!」ではない。あくまでもこれを機会に民度の低い連中がどこかにいるわけで、それへの対応をしてくれ、その結果このような事が起こらないようにしてくれと言うのが依頼の趣旨である。

 

ところがそれに対して「じゃあんただけ特別にね」なんて、じゃあナンだ、大きな声を出せば良いのか?じゃあ声を出せない人は泣き寝入りなのか???

 

そうではないだろう、制度としてきちんとやるべきであり、キャセイとしてシステムを考えることで乗客の利便を図るべきだろう。

 

長いものには巻かれろなのか?無理を通せば理屈が引っ込むとでもなるのか?

 

要するに社内ルールとか航空約款ではないのだ。お互いに利用者と企業が意見交換することで成長しようと言ってるのに、こっちを一方的にクレーマーとして声が大きいからこいつの言うことは聞こうというのでは、そりゃ違うでしょと言いたい。

 

僕は、自分の声が大きいからと特別扱いされたくないのだ。

 

僕がお願いしているのは「特別扱い」ではないのだ。僕の言ってることの理を認めて欲しいのだ。それこそ僕が子供の頃から思っていたことなのだ。

 

かなり頭に来たので、彼女に対しては「悪いけどあなたの話は理解出来ないし、あなたが私の話を理解出来てないのもよく分かる。あなたが連絡を取っている上司を呼んでくれ」とお願い?した。

 

びっくり顔の彼女は「はい!」と返事して上司に連絡を取りつつ、何かを期待するような顔で「あのすみません、責任者はあと20分くらいしないと戻って来れないほど遠くにいるのですが」と言う。

 

成田から早いとこ都内に入りたいだろ、このヘンで「すっこみな」、そんな背景がみえちゃんである。

 

こっちはこの後アポはない。1時間でも待てる。「そこの椅子に座って待ってますから、責任者の方が来たら声をかけてください」と言うと、彼女はこれまたびっくり!と言う顔で「はい、少々お待ちください」と電話に戻った。

 

椅子に座って5分もすると、遠くにいた顧客担当課長さんが名刺を持ってやってきた。なるほど、遠くというのは成田ではこういう使い方をするんだな、そう思いながら僕は彼の顔を見た。

 

一目見た瞬間に分かった。こいつ、プロだ。国際線で長いこと世界中の人種相手に渡り歩いてるな、それが分かった。

 

少し緩いお詫び顔と、相手を見極めるような軽い笑顔でこちらに近づいて来た彼、勿論最初はお詫びをするのだが、お詫びをしながら下からこっちをじっと見てる。

 

「こいつ、何か偉そうな事言ってるけど、何を要求してくるんだ」まさにそんな顔。

 

「てか、その辺のタコなら潰すぞ」って感じもあるから、おお、やるじゃんかって感じ。

 

ぼくはまず最初に

「カバンが壊れた件でぼくは一円もあなたに請求するつもりはないし、預けたぼくもバカだったからその事は言わない。けどオークランドから成田の間での荷物に関するトラブルはこれが初めてではない」

 

「特にオークランドから香港、おそらく僕の勘で言えばオークランドのスタッフがカバンの取り扱いが杜撰すぎると感じている。なので、あなたからその事をしっかり本社に連絡を入れて欲しい。そして今後こんな事がないように充分注意して欲しい」と伝えた。

 

ちょっとちょび髭を生やしたおじさん、お洒落な眼鏡をちょっと持ち上げながら「お、クレームではないのか。なるほど、これなら話し合いの余地があるな」と読んだみたいで話し始めた。

 

「いやいや、このカバン、こちらで修理をしますよ。それにオークランドにも連絡をして、こんなことがあったって伝えます」だって。腹の中で落としどころが見えたのだろう、うれしそうなのが眼に見える。

 

僕はそれに対して、dandan怒っている自分が馬鹿らしくなってきた。というのが、僕の目の前にいる彼はどうやら同業者なのだ。怒りもすっと引いてしまい、思わず苦笑しながら、

「あのですね〜、ほんっと、オークランドは酷いんっすよ。こんな事でもないと彼らに文句を言う機会もないと思うから、このあたりできちっととっちめてやってくださいよ」と、後半は笑顔で話しになった。

 

彼もこっちの意図を理解したのだろう、「はい、オークランドの荷物の取り扱いについては、きちっと次回の会議で話しますよ、そこは安心してください」と真面目な顔で返事をしてくれた。

 

ちょっとした事なんだけど、一体相手が何を望んでいるのか、それを聞くべきかどうかって判断は、最終的にはどれだけ色んな状況を潜り抜けてきたかどうかなんだろうなって思った。

 

先日のコンビニの話もそうだけど、キャセイ航空の受付の子もそれなりに頑張っているんだろうけど、やはり決定的に不足しているのは、修羅場をくぐった経験だろう。

 

マニュアルで処理出来るほど世の中は甘くないし、処世術にマニュアルは存在しない。

 

交渉の時は、相手の顔を見ながら相手の気持ちを読み取り、そして相手の話す内容に理があるかどうかを考えるのが最初だ。

 

マニュアルをいきなり出してしまえば、それで弾切れですぜ。

 

結局僕は取っ手の壊れたカバンを引っ張りながら成田リムジンバスに乗り込んだ。片道3千円、2時間の旅で定宿に到着である。

 

ふー、シャワーを浴びて行き付けのバーに顔を出す。今日はもう食欲なし。



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2009年04月19日

こんにちわ

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「こんにちは」

 

そう普通に挨拶を返すと、ファミマ!のレジの女の子は一瞬凍りついたような、びっくりしたような顔でこっちを見つめ返した。

 

 

 

いやいや、こちらは何も下心があっての事ではない、あなたが普通にレジの向うからこっちの顔も見ずに笑顔を見せて「こんにちは」と言うから、普通に挨拶を返しただけなのだ。

 

オークランドのような寂しい都会でも、眼が合えば「Hi!」って挨拶くらいするし返礼もする。

 

けど東京を回っていると、本当に人と人がぎすぎすしているな〜と感じる。笑顔を見せるのは商売のとき、上司に言われたときだけ。一旦仕事が終わって自宅に帰る自転車に乗れば、子供が歩道を歩いていようが無視して思いっきり自転車を飛ばすし、ぶつかっても謝りもしない。

 

とにかく余裕のない社会になりながら、会社の指示で「客にあいさつしなさい」と言われれば機械的に挨拶をするけど、それに対して挨拶が返ってくるなど予想もしていないのだろうし、実際にあまり挨拶を返されたこともないのだろう。

 

これがおそらくちょいと吉祥寺とか新小岩あたりだったら地元の人同士があいさつ交わすんだろうけど、恵比寿の大きなビルの中ではそういう事も出来ないのだろう。

 

昨日の池田ブログでは「希望を捨てる勇気」が語られていた。これから数年で経済が向上すると思うな、とくに若者の目の前に出てくる現実は、既得権益に乗っかった労組と正社員が最後には大きな退職金をもらって椅子取りゲームの椅子ごと社会から退出していく場面なのだ。

 

だから若者に残されたのは崩壊した年金システムと医療システム、上がらない給料、専門能力が身に付かない人生で、最後にはすべての責任を取らされてしまうのだ。

 

希望を捨てる勇気が戦いに向けた勇気に繋がれば良いのだが、どうも今の東京を見る限り、てか2ちゃんを見る限りそちらの方向にはいかないのではないか。

 

物心付いたときにはすでにバブル崩壊で、親が背中を丸めて子供に何も語れない時代に育った子供たちはそのまま大人になり、とくに新卒で就職氷河期にぶつかった人々は正社員になれず、社会のへの入り口で一旦躓いた彼らはそこから上がってくることは出来ない社会の仕組みに「諦める」しかないのだろう。

 

池田ブログはいつもと全然違ったコメントが、今日の時点でも64付いている。どれもこれも現場からの深刻な声である。

 

人が挨拶をしなくなった世の中、他人に無関心な世の中。

 

大丈夫、僕は君の側にいるよ。そんな事を伝えようとすれば、ますます変てこに思われるしかないから、僕はそのまま立ち去るしかなかった。

 

その後もちょっとショッピングバッグを整理するふりをしながら見てたら、ほんと、お客の側があいさつ返してない。

 

カネを払う立場と貰う立場、世の中がその二つだけしかなくなったら寂しいでしょ。けど現実は、そんな世の中を「厳然たる事実」として受け入れている若者なんだろうな。

 

日本人が自分の力で「こんな世の中おかしい!」と革命を起こすことは、もうないのだろうかな。

 

池田ブログのコメントでは、現実的な問題処理方法として何名かが「やっぱり海外に出るしかないっしょ」と書いてた。

 

そういう時代になっているんだろうな。

 

写真は高輪泉岳寺近くのお蕎麦やさん。



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2009年04月11日

21世紀の夢

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今日はちょっと面白い夢物語を一つ。

 

自動車産業は現在苦境に陥っており、米国のビッグ3は倒産寸前、日本でも減産に継ぐ減産で2時下請けが次々に倒産している状況だ。

 

日本のお家芸である金型や鋳造、鍛造、キメの細かい技術を持つ企業が立ち行かなくなっている。

 

ところがある人に話を聞くと、トヨタは手元資金があるにも関わらずそういった下請けを救おうとしていないらしい。

 

その理由は、いずれビッグ3が吹っ飛んだ時の買収費用と言うことだ。

 

この時は単純に「なるほどね」と思った。資本の理論で言えばそうなるし自分たちが資本主義の世界で生きていると言うことを理解出来ない経営者であれば、それは淘汰されるしかないだろう、そう思った。

 

ところが自宅に帰って日経ビジネスを読んでいると、オバマのニューディール政策特集をやってた。

 

そこには100年に一度の構造改革が描かれていた。

 

米国ではどんな人種であろうが受け入れる移民政策がある。それが米国にとって良ければOKなのだ。例えばインテルの創業者は東欧出身の難民だ。

 

もしトヨタが100年先を見越して世界を考えれば、次はエネルギー革命とそれに応じた移動手段の開発だが、それは当然石油から電気になるだろう。

 

問題はどうやって電気を作って溜めるかだが、創る部分は風力などがあり、溜める部分は三洋電機などがすでにかなり技術開発を行っている。

 

であればビッグ3が吹っ飛んだ後に優秀な車つくり会社であるトヨタがTOYOTAとして米国に入って米国の市民権を勝ち取っていけば、何の問題がある?

 

何で日本にいる必要がある?

 

勿論日本の下請け産業は大打撃を受けるだろう。けどそれって、米国が1970年代に日本の経済侵略に遭って、遂にはテレビさえ作れなくなって製造業から撤退したと言う歴史を振り返れば、日本がどうこう言う権利はないと思う。

 

下請けを潰すのか!とか雇用を奪うのか!などと言っても、現実に日本は米国の製造業を叩き潰したのだ。彼らに教えてもらったラジオ、テレビ、いろんな技術を学んで本家を潰して雇用を失わせたのだ。

 

今になって何を言うか、である。

 

大変言い方は悪いかもしれないが、トヨタと一緒に仕事をすることで生活を支えてきたという事はトヨタに頼って生きてきたわけだ。ならばもしトヨタがいなくなったら?そういう危機意識を持って生きてきたか?

 

生き残りたければ自分を変化させろ。時代に合わせて自分を変えて、名前や業種なんてどうでも良い、とにかく生き残る為に戦っていくのだ。そしてトヨタから「おい、一緒にアメリカに行こうぜ、おまえがいないとおれ、ダメなんだよ」と言わせるくらいの技術を磨いてきたか?

 

豊田がTOYOTAになる日、その時日本人は何を考えるだろうか。

 

だって米国の工場で車を作り米国人を雇うのだ。精密工作機械を利用して金型やなんだの難しい技術をすべて機械化したモジュール生産に切り替えてしまえば、実は職人技術は過去のものとなるのだ。

 

そうなると金型技術の職人芸は江戸時代の消防のハシゴ登りのような、年に一回お正月に見るだけの芸になり、実際の現場で必要となくなる。

 

エネルギー需要は風や太陽が源となり、そうすれば面倒な中東政策なんて考えなくて良い。

 

おい中東、もうお前らを相手にしないよ、シーア派とスンニ派で勝手に殺し合いをしてくれ、アメリカはもう降りたよ、ばいばい、である。

 

思えば20世紀の米国の戦略の基本はエネルギーであり、20世紀後半からはエネルギーの為に過激な中東政策が必要となった。それがことごとく短視眼であった為に失敗したのは、歴史を見ればよく分かることだ。

 

ここでオバマがやろうとしているグリーンニューディールはその意味では100年に一度の大転換である。1800年代の鉄道輸送が、大恐慌のニューディール政策で無料高速道路を作り、その高速道路の発達で自動車が発達して鉄道が次々に姿を消していったようなもんだ。

 

だからTOYOTAがここで日本を見捨てて米国にシフトすれば・・・・。

 

大事なことは、ハワイに移住した日本人の孫が米国上院議員になってもやっぱり日系議員として日本を助けようとするように、TOYOTAが米国に行っても日系企業でありやっぱり日本を助けようとするだろうって事。

 

この、助けようとする相手は政府ではなく個人レベルでの日本人である。カネばかり使って何もしないどころか個人から税金を取り上げて自分たちの利益だけの為に回す政府役人を助けるのではない。

 

考えて見れば、これこそ日本人の国際化ではないか?しょうもない政府など無視して、国民レベルで世界に日本民族を展開して、世界中で日本の素晴らしさを見せてあげようではないか。

 

まああり得ないだろうけど、トヨタがTOYOTAになるその日、日本が国際化する日ではないかと夢見た。

 

 



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2009年04月07日

国家のイメージは国民によって決まる

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これはある中国ブログの一部の日本語訳の抜粋である。

 

外国人から見た中国人、外国に旅行する中国人がテーマだと思う。

 

 

 

★抜粋開始

我々一人ひとりの言動が中華民族全体の道徳や素養として見られるのだ。その言動の良し悪しにかかわらずである。

  日本人の礼儀正しさは素養の高さは世界中から認められている。彼らは痰を吐いたりゴミをポイ捨てしたりしない。

 

中国人の場合はというと、多くの国において中国人に対して中国語で書かれた「痰を吐くな」「物を盗むな」「店を出る際には荷物を検査します」などといった標識が存在する。

 

多くの国において、日本人を排斥しようとする動きは存在せず、排斥される対象の多くは中国人である。

日本を知れば知るほどため息が出る思いである。国家のイメージはその国家に住む人々の素養や礼儀によって決定されるのだ。

 

中国人は驕らずに謙虚であり続ける必要がある。愛国とは自分自身の行為から始まるものなのである。

     抜粋終了

 

上記はある中国のブログに書かれていた内容の日本語訳である。

 

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0402&f=national_0402_009.shtml

 

誰が何故こんな事を書いたのかは不明だけど、同意出来る点は多い。じゃあちょいと今の日本人の実態に即して書き直してみよう。

 

我々一人ひとりの言動が日本民族全体の道徳や素養として見られるのだ。

 

日本人の言動の無意味さや無内容だけでなくすぐに相手に頭を下げて自分が何が悪かったか、悪くもないのに反省してくれる素養は外国人にとって素晴らしくありがたいのだ。

日本人の礼儀正しさは教養のあるなしに関係なく世界中から認められている。日本人は痰を吐いたりゴミをポイ捨てしたりしない。

 

それは、他人や上司や家族にするなと言われたからであり何故してはいけないかと言う道徳心からではない。他人と横並びをするだけなのだ。

 

その代わり関係者のいない公共の場では何をやっても良いので東京の公園のトイレは汚く、電車では子供が土足で座席に上がって親は文句も言わない。他人に何も言わないのが教養と習ったからである。

 

日本人の場合はというと、多くの国において日本人に対して日本語で書かれた「痰を吐くな」「物を盗むな」「店を出る際には荷物を検査します」などといった標識が存在しない。

 

そりゃそうだ。日本人は痰を吐いて殴られるリスクを極端に嫌うし、旅先で万引きして会社を首になったら一生が終りだからだ。その代わり関係者の目に触れない場所であれば新聞記者でも珊瑚を折るしニューヨークでイエローキャブにもなるし東南アジアで今でも売春ツアーを行うような人種であるし、修学旅行で米国に行って集団万引きはするのだ。

 

多くの国において、日本人を排斥しようとする動きは存在しない、だって日本人は外国に来て白人を見ればにこにこ黙ってお金を払うし文句も言わないし、不動産を買って騙されても泣き寝入りしてくれるお得意様なのだ。排斥される対象の多くは文句を言う中国人である。

日本を知れば知るほどため息が出る思いである。国家のイメージはその国家に住む人々の素養や礼儀によって決定されるのだ。

 

日本人は驕らずに謙虚であり続ける必要がある。

 

謙虚とは他国の人々に魂を売り飛ばす売国行為や、自分自身の無知や白人に無意味に媚を売る行為やプライドのない姿勢から始まるものなのであるから、そうしておけばいつか日本はどこかの国の植民地に、心の底からなることが出来るのだ。

 

何でこんな事を書いたかと言うと、丁度今日は中国系弁護士と打ち合わせの後に世間話をする機会があり、その時に彼が上記と同じような自国民に対する文句を言い、tom、お前はそれに比べていいよな日本人でって言われたからだ。

 

だから僕も同じように上記のような言い方で、「いやいや、日本だって問題てんこ盛りだよ」と話したからだ。

 

日本人が実際にはここまで酷いとは思わないが、東京の街を歩いて他人に関心を持たない人々を見るたびに、本当に道徳心が落ちたなと落胆することが多いのは事実である。

 

個人としては良い奴なんだろうが、東京と言う都会で生きていくには、それでは殻が薄すぎて生きていけないんだろうな。中国人のような強さしたたかさが欲しいなと思ったりもする。

 

僕と彼のおしゃべり。ここから出てくる結論の一つは、やっぱり他人の芝生は綺麗に見えるってことだろう。

 

あ!あの、これ読んで僕が中国万歳主義者だとは思わないでくださいな。僕が一番好きなのは日本で、だからこそ今の日本に怒りを感じる権利があるって思ってるだけですから。

 



tom_eastwind at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月06日

オトナのアイのうた

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アーティスト:オムニバス
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発売日:2009-03-25
おすすめ度:3.5
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今回の出張で一番楽しかった買い物がこれ。

 

「オトナのアイのうた」日本語版とジャズ版。

 

どちらも実によく編集されてて、今まで頭の中でくるくると回っていたオリジナルの音楽とは全然切り口を変えて歌いかけてくる。

 

「M」を山崎まさよしが歌い、「SAYYES」を布施明、「待つわ」をまなかな、等等、よく出来てるな〜。

 

こんな仕事をしてる人たちってあの時代をdaisukiで、いつも忙しさの中で頭の中で音楽をかけて、「お、これをこの人に歌ってもらえばいいじゃん」とか書き溜めてたのかな。

 

「世界中の誰よりきっと」本来はアップテンポの音楽を少しボサノバにして織田哲郎に歌わせてみたり、いいよね、これ。

 

夜。体をゆっくりとソファに寝かせてリラックスした部屋着で片手にグラスを持って、灯りは少し落として音量を少し上げて、出来れば背景は部屋から見える星の見える空だ。ちょうど真冬のクイーンズタウン、ミルブルックのベランダから眺めるリマーカブルの向うに光る星のような。

 

そうすると次第に20年前の事がゆっくりと星空を背景に浮かび出してくる。

 

「そんなつもりじゃなかったのに」あの時わかってくれなかった人は今何をしているんだろう。♪出会った秋の写真には、はにかんだ笑顔 ただうれしくて♪

 

「そうだ、あんな先輩もいたな〜、あの二人、結局うまくいったのかな〜」♪I can’t stop the loneliness, どうしてなの、悲しみが止まらない♪

 

結局人は誰も、音楽の良し悪しよりも、どんな場面でその音楽を聴いたかってのが大きいよね。

 

誰も若いときは思い出を作り、年を取ればその思い出を楽しむのだ。たくさんの思い出を作れた自分は幸せだと思う一時。少なくとも勉強したことだけは、一度もなかったぞとしょうもないことを喜んで見る。

 

 

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アーティスト:オムニバス
販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック
発売日:2009-03-25
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ジャズ版ではヘレンメリル、チェットベーカーから大御所のニッチモなどなど、これはこんな場面か。

 

大都会のホテルの部屋で薄暗い窓に肘をかけて、遥か下の道を走っている黄色いタクシーたちを眺めながら、白いガウンに包まれたその手には三分の一くらい残った白ワインの入った大きなグラス。

 

リビングルームから流れてくるジャズは、足元からゆっくりと渦を巻くように体を包んで耳の横をくすぐりながら通り過ぎる。少しお酒の回った頭を軽くなぜてからそのまま窓ガラスを抜けて都会の夜に流れ出してくる。

 

さあ、あの人の待つ部屋に戻らないとね。

 

 

 

忙しい出張でしたが、この2枚のCDは今回の自分へのお土産として最高でした。

 



tom_eastwind at 19:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月05日

一億総中流は終わってます。

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今回の出張で一番感じたことは、まだ一億総中流の時代は終わったってことを気づかない、てか気づきたくない人々の多さ。特に旅行業関連。

 

1990年代後半、バブルはすでに崩壊したのに証券会社の古株連中は「夢よもう一度」とばかりに毎日何もせずにバブルが戻ってくるのを待っていた。

 

それと同じで、日本の旅行業は完全にビジネスモデルが崩壊しているのに、その事に気づこうともせずに昔の夢の話ばかりしている。一億総中流の時代に作られたパッケージツアーってのは、一億人が皆中流にいた時に売れたビジネスモデルである。

 

だから世の中が二極化すれば今までのパッケージツアーなんて売れるわけがない。現実に顧客層の動きがすでに大きく変化している。

 

なのにまだパッケージツアーにしがみ付いて、少しでも現地価格を引き下げることで安売りをして、それでどうにかなると思っている企画担当者連中には困ったものだ。

 

まさに無努力の極みである。それが更なる旅行業者離れを起こしているのが気づかないのか?

 

値段を下げるって事は取引相手の利益を奪うことであり、そういう事ばかりやってたら誰もニホンジン相手に商品なんか売らなくなるぞ。中国や欧州など言い値で買ってくれる国はいくらでもある。何でわざわざ日本人に売る必要があるか?おまけに送客は毎年右肩下がりで去年は遂に中国に抜かれたではないか。

 

要するに自分で自分の首を絞める最低の行為が値段叩きなのに、その事を全く分かってない。

 

てか、企画担当者、自分が会社にいる限り簡単に解雇されないから安心しているのか?

 

安かろう悪かろうのパッケージツアーなど、誰も買わないのだ。皆、自分でインターネットを使って直接航空会社とホテルに連絡を取って予約をするのだ。

 

今現在大手旅行業者は軒並み大赤字である。旅行業自体がその体質変換をしないといけない時期に、今も偉そうなことばかり言って何の変化もせずに問題を先送りしてしまう経営者連中や現場の支店長クラスは、もうどうしようもない。

 

ああいう連中って、本当に口だけはうまいけど実際の変化を見ようとしないという点では、世間に転がってる「使えね〜中年おやじ」だ。

 

メタボメタボって最新の話題を口に乗せるだけで満足して、自分は言い訳ばかりで体調管理するだけの努力さえしない中年連中。煙草は体に悪いんだよななんて言いながらそれでも止めようとしない。

 

てか、大体自分の商品知識を磨いて新商品を作るって発想さえしない。これからも自分たちのビジネスがが永遠に続くって思ってるのか?

 

旅行業は続くよ。けどそれは今までの旅行業ではない。一人一人の旅行の歴史と家族の歴史を頭に入れて、一人一人の夢と喜びを提供するビジネスモデルが生き残るだけである。

 

そんな事を考えながら仕事をしていたら、偶然だけどそういう旅行会社があるのを知った。

 

北陸にある旅行会社で「マゼラン」と言うのだが、週刊ダイヤモンドで旅行業特集の中で紹介されていた。

 

旅行業が今後どうあるべきか。その一つの道筋がこういう旅行形態なのだろうと思う。

 

ホテルについても全く同じである。寝るだけの設備としてのホテルならそれは出張であり旅ではない。旅行会社が手配をする必要はない。

 

旅行会社がやるべきことは夢と喜びを売ることだ。その事を現場の人間がどれだけ分かっているのか?そこが旅行業として生き残れるかどうかの岐路である。

 

座席と部屋と飯を売るのが旅行会社ではない。お客様はブロイラーではないのだ。一回の旅でお腹一杯にさせて移動させて景色を見せれば終わりと言うのは、21世紀の旅行業ではないのだ。

 

てか、正直言えば20世紀でもそんなのは旅行業ではなかった。どれだけお客様の履歴を把握してその人が何を欲しいかを理解して、しっかりと手数料を貰ってプロとして手配するのが本道だった。

 

けど1970年代から飛び始めたジャンボ機が、座席の数をたくさん売った方が偉いと言う風潮を創り出してしまい、その方が楽だからと旅行業者がダイエー並みに野菜のたたき売りをするように旅行商品をたたき売りをするようになった。そうして手数料の値引きを始めた。

 

このあたりから旅行業はおかしくなったのだが、今の時代になってやっと本道に戻り始めている気がする。

 

2001年頃のブログやコラムで、これからの10年は革命的に時代が変わるぞと書いた。やはり世の中はそんな風に変わっていった。

 

旅行業でも、変化出来る人間だけが生き残れる。さ、業界の皆さん、変化出来ますか?

 

写真はマゼラン。



tom_eastwind at 08:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月01日

過剰包装とリサイクル

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昭和の時代のアパートしか知らない僕は、平成の今になって東京に来て「新築マンション」と言う物件を見てびっくり。

 

自分はホテル住まいなので、久しぶりに見る東京の新築アパートは新鮮だった。

 

何?宅配BOX?何?エレベーター用監視テレビ?何?インターフォンテレビ?

 

昭和の時代にはどれ一つとしてなかったぞい。だって宅配なんてなかったし、エレベーターに悪い人が乗ることなかったし、インターフォンなんて不要だし〜。

 

とにかく驚くほど素晴らしい設備なのだが、今の東京の新築アパートではごく普通のようだ。てか、アパートって言っちゃいけないんですよね、マンションとかでしょ。

 

こういうサービス部分はやっぱり日本はすごいよなと感心する。

 

けどそれが逆方向に向いた時のまぬけさも、やっぱりあいも変わらずだ。

 

デパートで買い物をすると、例え食品売り場であっても実に丁寧に包装してくれる。品川のくいーんず伊勢丹で買い物をした時など、こりゃ包装にかかる総原価と食品自体の原価を比べたらどっちが高いのか、首を傾げるほどだ。

 

こうやって自分の手で持って帰った買い物でダンボールがどんどん増えてくると、おいおい、こんな過剰包装が本当に必要なのかと考えてしまう。

 

社会の上のほうでは総論賛成でリサイクル再生紙を活用しよう、環境第一!と言いながら、いざ自分が使う方に回ったら、つまり購入するほうになったら過剰包装を期待するし、そこまで過剰にやって初めて「そうよね、だから三越さんだもんね」となる消費者。

 

勿論工場から販売店までの輸送に手間がかかるのはよく分かるのだけど、販売店から先はそこまで必要なのか?短距離だぜ?

 

使い回しが可能な輸送器具はないものなんか?

 

日本通運では引越しの際に出来るだけゴミが出ないようにしているけど、おそらく現在の物流システムにおいては段ボール箱を使い捨てるのが一番費用が安いのだろう。

 

だから経済感覚で言えばダンボールを使い捨てにするのが有効で、片方ではそれをきちんと揃えて家庭のリサイクルとして再利用しようとする事で再生している。

 

けど、・・・・だったら最初から包装しなければ良いではないか。輸送途中に傷がつくとか、そりゃ分かるけど、それは新品信仰でしょ。買ったものはいつか傷がつく。遅いか早いかである。

 

最低必要な角っことかだけにパッドを入れておけば、それで充分ではないのか?僕は簡単包装の方がずっと好きだし、その方が資源を乱用してゴミを作っておいて、それを処理するのにカネを使うってのは、どうなんか。

 

大体再生紙なんて新しく紙を作るよりも原価が高いのだから、経済効率は悪い。それでも資源を大事にする為に経済効率を追求してはいけないとなるのなら、最初からダンボールなど使わなければ良いのだ。

 

そうすれば引越しの際に出る大きなゴミも出なくなるし、お三越のお商品のお不必要なお包装も不要になる。

 

ここがいつも感じる日本人の持つ自分勝手さと言うか、総論賛成各論反対現象である。

 

表向きは格好良く「リサイクル!」なんて言ってるが、どこかへの贈り物では「うちは三越使ってるんですよ」となるから包装に思い切り手間をかけて「ほら、この手間を感じますか?」となる。

 

「貴方の為に手間をかけたものをご用意しました」と訴求することで相手に対して自分の気持ちを伝える贈り物。

 

それはそれで素晴らしい文化だと思うんだけど、だったらリサイクルなんてどうなの?と思ってしまう・・・。

 

!けど! ここでよく考えてみたら、これってすんごいビジネスではないか!日本人、すんごい雇用創出をやっているんだ!

 

だってまずは個人が個人に自分の気持ちを伝える為に思いっきり包装した贈り物を届けるでしょ。この時点で商品価格+包装費用が発生している。

 

次にこの商品が受け取った側に届くと、収賄側は感謝の気持ちを感じながらたまねぎの皮を剥くように包装をはがしていく。

 

剥がされた包装は収賄側の時間と手間をかけてリサイクル袋に分別されて入る(これ、びっくりした!このリサイクル、日本ではすんごいね!)。

 

そしてリサイクルされたダンボールやペットボトルは、アパートの「ゴミ収納室」に収まり、毎週決まった日に回収に来る人がいる。

 

政府が行う一番効果的な財政対策は、トヨタ自動車から車を買ってそれを大手建設会社に発注して大きな穴を掘ってもらいそこに車を埋めることだと言う。

 

どうやらこの資源サイクルシステムは日本人が自己満足の為に作り上げた究極の穴掘りビジネスなのだろう。

 

 



tom_eastwind at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月28日

塩の道4 なごり雪

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今回の滞在で一番感じたのが、新幹線が運んできたのは地域の繁栄だったのかそれとも現代の都会の混沌だったのかという事だ。

 

繁栄を目指して上昇気流に乗ろうとする人々と過去の思い出の中で生きようとする人々と、それぞれに目的は白馬の幸せと言う終点は同じとしてもその道程が違う。

 

けどこれは白馬に限らず日本全国、おそらく世界中の田舎で起こっている現象だと思う。

 

てか、すべての人間の心の中で起こっているのと同じような現象が社会で発生しているんだと思う。

 

リスクを取ってでも坂の上の雲に向かっていこうと歩き続ける心と、もういいじゃないか、今が一番幸せなんだから、これ以上ムリをしても意味はないだろうって思う気持ちと。

 

そんな事を考えながら東京へ戻るバスに乗りこんだ。

 

汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる

季節はずれの雪が降ってる。

東京で見る雪はこれが最後ねと

寂しそうに君がつぶやく。

 

思えば初めて日本でスキーをしたのは志賀高原。生まれて初めてスキー板を履いたその年の冬であった。

 

あの頃の自分を思い出すとまさに笑うしかないが、実にバカだったな〜。今も同じ、ばっかだな〜と思う。

 

誰でもいつも自分の中で葛藤しているんだろうし、それと同じように世の中では一つの社会の中で皆が葛藤しているんだな〜って思う。

 

その中で白馬を捨てて東京に出るか、それとも東京を捨てて白馬に出るか。色んな選択があると思う。

 

自分に合った社会にするか、それとも自分に合った社会を選ぶか。

 

一つだけ言えば、どっちを選んでも戦うしかないって事だろう。

 

人は一人では生きていけない。けど他人と一緒に生きている以上、相手の気持ちも認めるしかない。自分の人生を納得して生きようと思えば、全ての人に良い顔をすることなんて出来ない。

 

長野駅に着いて、時間を作って立ち食いそばを食いに行った。この時の話は2月19日のブログ。

 

そば、特別美味しいわけではないんだけど、なんかさ、温かい。やっぱり多分次もここでそばを食べるだろうな。



tom_eastwind at 03:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月27日

塩の道 3

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続き

 

白馬47スキー場の出口、爽快に晴れた空の下で、よく日に焼けたおっちゃんはしら〜っとした顔で「あ、そこに坐ってね」。指差した先はバスのステップの上。

 

道交法って聞いたことありますか?

 

まあいいや、とりあえず何かの理由があるんだろうね、そう思った僕はとりあえずバスに乗り込んだ、板とポール(ストック)を持ったままである。

 

「あ、板はその床に置いといてね」おっちゃんはおもむろに運転席に乗り込むとそういい、ついでに「あ、ドア閉めるときだけステップから上に上がっておいてね」と、全く足の踏み場もない状態の床を指差す。

 

これ、車種は15人乗りで満席でそれにすでに4名が床に立ってて、それに僕が、てか他の人も同じように板とポールを持って乗り込んでいるのだ、そんなスペースなんてあるわけない。

 

仕方ないからとりあえず通路の上に自分のスキー板を置いて立つと、おっちゃん早速スタート!

 

道交法は〜?

 

あのさ〜、法律を大嫌いな僕ではあるし、自分の行動にはいつも覚悟つけてるけど、君らは、それでいいのか?

 

けどまあ田舎のルールがあるのか?そう思ってふと前方を見ると、先ほどの二人組みが薄汚い服装と髪の毛と喋り方で、べっちゃくちゃと大声で自分たちの最近の生活を話し始めたのだ。

 

「あんな〜、昨日のあの子な〜、どないなっとるねん?」

「そんなん知らんわ〜」

「な〜おっちゃん、あんたどうおもわはります?」

 

遂にはおっちゃんも巻き込んでのおしゃべりに、周囲の乗客は完全沈黙。

 

あのさ〜、KYってのは中年男性のことかと思ったら、学生向けの言葉でもあるんだね。

 

お前らさ、サービスって聞いたことあるか?金払ってスキーをして先に待ってる客を立たせておいて、お前ら助手席とその隣にふんぞり返っておしゃべりかよ?

 

雪のせいだろう、がたがたになったコンクリート道路を走りながら途中で道幅が半分になったり大型バスとぎりぎりですれ違ったりとかしながら、乗ってる人のことなど全く脳中にないスタッフの皆さんは、小型バスのたびを楽しんでいらっしゃる。

 

ほ〜、これはまた面白いものを見たぞ、僕は怒るより前にそう思った。先ほどのうどんやもそうだしこのバスもそうだが、この白馬って地域、違った空気が流れているんだ。

 

なんてか、怒るんなら来るなってのか、お前らスキーヤーを滑らせてやってんだ、嫌なら来るなってのか。

 

そのね、嫌なら来るなってビジネスモデルは良く知っているし、うちでもそういう事はあるけど、それと今目前で行われているのは根本的に違うよね。

 

人に対する優しさとか、旅人を迎える気持ちとか。カネじゃなくて普通に人間同士の気持ちとか。

 

普通ならスタッフが立つでしょう。少なくともおっちゃんが「こら!お客を立たせておいてお前ら坐ってるんじゃねえ!」となるでしょう。

 

電車やバスに老人優先席があるのが良いかどうかは別にして、少なくともこのケースで「いや〜スタッフさん、リフト係ですか、今日もお疲れ様です、あなた方の為に大変楽しく滑れました、どうぞ上座へ〜」なんていうお客がいるとでも思っているのか?

 

常識ってのは、もしかしたら長野では通用しないのか?

 

法律より秩序が優先する田舎においては、道路交通法よりも村の一級村民のやってる事の方が優先するのか?

 

いろんな問題が頭の中でぐちゃぐちゃになりながらペンションに戻った僕は、夕食の後のオーナーとの暖炉のおしゃべりで47バス送迎について話をしてみた。

 

彼は「いや〜、誠に恥ずかしい。そんなことがあったなんて・・・・」と絶句した。

 

「いやいや、これも僕にとっては良い勉強ですよ。大した実害があるわけでもないし、それよりも白馬の一面が見えて非常に勉強になりましたよ、皮肉ではなく」と言った。

 

日本の教育に欠けているのは、こういう社会常識ではないだろうか、彼はそう言った。

 

わがままを言う子供をきちんと叱れない親。てかそれを放置して、他人が叱ると「何でうちの子に怒ってるんですか!」と逆切れする親。

 

要するに子供の頃に基本的な社会教育を受けないままに学業のみが身について体だけが大きくなったのがあの若者たちなのではないか?

 

彼のいう事はよく理解出来る。うどんや事件と言いバス事件といい、確かに彼らの視界に他人は存在しない。

 

存在しない他人を意識することもない。わざと無視しているわけではなく、最初から意識の外なのだ。その方が怖いぜよ。

 

これは白馬の問題と言うよりも、個人と社会のかかわり具合の変化と言うべきだろう。

 

それにしても、この学生たちに対して経営者側がきちんと「あのね、お客様が立っていたら席を譲りましょうね」とか「あのね、女の子を口説くのはお客さんがうどんを注文した後ですよ」と言えば、おそらくこの若者たちは「は〜い、分かりました!」と言って、きちんとそれなりの行動をすると思う。

 

それはスキー場で彼らが働いている姿を見ればよく分かる。寒い山のリフト係なのに何故かコスプレでセーラー服を着たりぬいぐるみを着てリフト待ちのお客さんを笑わせたり。

 

リフトに乗るときも一人ひとりのお客に対して「いってらっしゃ〜〜い!」ときちんと声をかけて行く。

 

こうやってスキーヤーであるお客に声をかける若者と、バスでお客を立たせたまま気にせずに大声で喋る若者は、実は同じなのだ。彼らにとっては何の矛盾もなく同居出来るのだ。

 

つまり、言われた事はきちんと守るけど、何故そういう事を言われたかってのは考えようともしないし、自分で考えると言うことを放棄しているのだ。社会における自分の立ち位置を全く考えずに生きているのだ。

 

これって、本当に怖いよ。もしそうだったら、こんな若者はいつでも洗脳出来るし、明日北朝鮮に潜入して破壊工作やってこいと言えば、にこっと笑って「はい分かりました!爆弾ですか最近兵器ですか〜?」と聞くようなものである。

 

白馬47が悪いとかではない。良いスキー場だ。リフトサービスも良い。うどんも旨い。無料でホテル近くまで送ってくれる。

 

けどさ〜、違うんだよね。ずれてんだよね、どっか根本が、ずれてんだよね。

 

塩の道、まだまだ続く。

 



tom_eastwind at 15:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月26日

塩の道 2

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「あのですね、普通スキー場からホテルまでお客を送る無料送迎バスに、スキー場スタッフが堂々と椅子に腰掛けておいてスキー客を立たせたまま運転するんですか?大体座席数の決まっているバスに定員以上に客を乗せた時点で法律違反でしょ」

 

ペンションのオーナーからすれば自分も常にサービス向上に努めておりそれに共鳴して変化を続ける白馬47スキー場は彼にとってシンパである。

 

だから折角彼が僕に勧めたスキー場でそんな事があったのか?!と、半分怒りと半分失望の顔つきだった。

 

これは僕の今回の白馬47スキー場での体験だ。

 

元々そんな送迎があるなんて知らないし、白馬47スキー場に行く予定もなかったんだけど、ペンションのオーナーの勧めで行って見て、お、雪いいじゃん、サービスも悪くないぞ、そう思った日の最後の出来事だった。

 

午後3時30分頃スキーが終わり、てか、要するにこっちの体力が完全に消耗されて、もう両手両足が動かずに、板を外した瞬間に思わず座り込みたくなる、ブーツのバックルを外す力もないくらいに疲れてた状態。

 

朝10時から昼飯も食わずに一切途中休憩もないままに滑りまくり、やっと午後3時過ぎに板を外して白馬47のベースにある立ち食いのお店で月見うどんネギなしを注文した。

 

気になったのはここからだ。

 

どこにでもある立ち食い蕎麦やではカウンター越しにお客とやり取りをする。その時僕は疲れ切った目でメニューを眺めながら放心状態で「え〜っと、月見かな、うどんかな〜」くらいにぼんやりしていた。

 

そして遂に頭脳がごとりと「月見うどんネギなし」を指示して、カウンターに一人しかいない若い女の子に注文をしようとしたその瞬間だった。

 

突然横から割り込んできた二人組みが「あの、このバウチャー使えますか?」「てか、この写真ってあなたですか?」「えっと、今晩とか何してます?」。

 

カウンターの向うにいた子は、それまではこちらの顔を見て注文取る気持ちだったのが、僕の目前で話しかけてきた二人組みに気を取られて、こっちを放置したまま話を始めた。

 

「え〜、今日は忙しいねん」、「これさ〜、あたしの友達やん」「てか、うどんくわへんの?」

 

どうやらこの二人組みはスキー場のスタッフであり、スタッフ用の食券が使えないかと言う口実でこの子を口説こうとしているのだ。

 

その行為は僕がどうこういう事はないし、自分の事を考えれば、百万回譲っても何もいう事はない。それどころか、「おいこら、切れ味悪いぞ、話題の切り口、下手だし〜」とかなるのだ、普段はね。

 

けどさ、俺は客だよね、つまり対等だよね。

 

少なくとも客の前で従業員同士がだべって、おまけにそれがナンパ引っ掛け話であれば、どっちかが常識を持って君らの個人的な話題を横に置いて、まずは僕の注文を取るべきではないか?

 

2分ほどそういう話をしていた彼らにこっちも愛想を尽かして、もういいや、他の店でハンバーガーでも食おうと目線を反らした時になって初めて、二人組みのうちの割かしまともな格好をした方が「あ、すいません、ご注文ですよね」と話しかけてきた。

 

ふーん、随分丁寧じゃん。きちんと敬語使えるしまともじゃん。じゃあ今までのギャップは何なんだ!逆にびっくりした。

 

こいつら、部分的に何かが欠けている普通の人間なのか?本気でそう思った。普通なら最初から「あ、ご注文どうぞ」でしょう。

 

うどんは旨かった。僕は讃岐系の腰の強いうどんよりも、関西系の柔らかうどんが好きだし、出汁もしっかり効いてる関西系のうどんは大歓迎。スキー場の屋台で、いくら腹が空いているからと言え、こんな美味しいうどんはひさびさ〜って感じた。

 

そうしてスキー場出口に向かうと、そこではテンガロンハットをかぶった若い女性スタッフが、「ありがとうございました〜!」とか「もうすぐ16:00のエコーバレー行きのバスが出ますよ〜」とかスキー客に声をかけている。

 

「エコーバレー?」タクシーで戻る積りだった僕は、蒸気機関車の格好をした小型バスの横に立っているおじちゃんに話しかけた。

 

「すいません、エコーバレーのウェザーリポート前に止まりますか?」

「はいはい、ウェザーリポートね」そう言っておじちゃんは自分の持ってる配車表に書き込んだ。

 

その時点で15名程度乗れるバスはほぼ満席。てか立ったままの人が4名いて、離れた席で2席が空席だったので、あれ、この人たちが坐ったら満席ジャン、だったら満席になり次第次のバスが来るのか?

 

例えばクイーンズタウンでは満席になった時点ですぐに予備のバスが来て順々にお客を乗せていく。

 

このスキー場も同じシステムなのかな、だったら今乗り込んでも満席だから降ろされる、ダメじゃん、そんな事を考えながら僕はバスの乗車口のまん前に板を持って、おじちゃんから何か言われるのを待っていた。

 

15:50になってテンガロンの女の子たちがますます声を張り上げて「もうすぐバスが出ますよ〜」とやってる。こっちはあいも変わらずバスの乗車口の前に立ってる。おっちゃんも何も言わない。

 

ふ〜ん、バスの中で立ってるお客さん、まさかあのまま出発しないよね、そんな事やったら法律大好きなニッポン、大騒ぎになるよって思いながら周囲をちらちら見ていると、先ほどとは別口の学生らしい二人組みの男性がやってきた。

 

途中でテンガロンときゃいきゃい喋ってケツぶっつけあった後、そのままバスの近くに来た。

 

「お、すげえ、満席ジャン!」

「てか、おお、やった〜、助手席空いてるじゃん、乗ろうぜ乗ろうぜ」

 

ずっと礼儀正しく順番、てか指示を待っている僕の目の前で、僕の存在等まるで空気のように無視して、さっさとバスに乗り込んだ。その時点でもおじちゃん何も言わず。

 

どういうこっちゃこりゃ??そう思った僕はおじちゃんに聞いてみた。

 

「あの、すみません。このバスに乗っていいんですか?それとも次のバスが来るんですか?」

 

なぜか「長文拒否」になったので、また明日。

 



tom_eastwind at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月25日

塩の道 1

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白馬のペンションで夕食後、オーナーの方とラウンジで色々と地元の話を聞く機会があった。

 

大阪出身の彼はまだ若く、全8室のちっちゃなペンションを足元を走り回る子供の面倒を見ながら経営している。

 

元々大阪で一流ホテルや高級飲食業界で働いた経験があるので、たった一人で切り盛りと言いながら料理もフレンチ風で旨いし(これが本当に旨い!素材と火の入れ方絶妙!)バーでお酒を作らせれば大体のカクテルは作れる。

 

「いえね、村の会議に出るたびに長老連中からは『うるさい!他所から来たもんが余計な事言うな!』って怒鳴られるんですよ」

 

苦笑しながら彼が語る。地元の人には言えないことでも、他所から来た僕のような人間には話しやすいのだろう。

 

白馬の歴史は古く、先祖代々白馬で生活を営んできた人々からすれば5年くらい前に都会から移住してきた人間のいう事など、一切耳を貸さない状況だ。

 

白馬でも移住一代目は2級市民なんだなと思いながら話を聞く。

 

「白馬の人々は都会の人間に対して不信感を持ちながらも劣等感を持っています」

 

そう、この感覚が僕が先月レンタルスキーショップで受けた印象だったのだ。

 

白馬は昔から温泉とスキー場が有名である。しかし温泉で言えば確かに山の上に江戸時代からあったものの、利用客は殆どが地元民だった。

 

そしてスキー場が出来たのは80年前。それでも白馬にスキーに行こうと思えば東京から一日がかりであるから、滑るのは地元の人々や北関東の人々のみが中心であった。

 

そんな白馬に変化が訪れたのは戦後の登山とスキーブームからだった。当時は関西や関東方面から夜行列車や特急列車が運行されるようになり、戦前に比べれば随分と便利になったことで民宿商売が始まった。

 

それでもやはり、かなりの「好き者」でなければ白馬まで足を伸ばすことはなく、受け入れる白馬側も民宿の好意で泊めてあげますよ程度のサービスだった。

 

サービスを提供する側も受け取る側も白馬で「サービス」等というヨコモジは期待しておらず、むしろ受け取る側=顧客は提供する側から夏山や冬山の情報を頂く立場だったからへりくだっており、それでお互いの関係が保たれていた。

 

民宿と言っても元は農家兼猟師であり、山の入会権を持っており、彼らが共同一致して村の発展の為に80年前に作ったのがスキー用のリフトであり、1980年代に遂に村の中に引き込んだ源泉であった。

 

これ以来、農家は自宅を改造して民宿として毎年夏と冬にお客を迎えて温泉を楽しんでもらい、スキーに行く人からはリフトチケット代金を受け取ってそれを山の自分の土地割合に応じて分配して生活を支えていたのだ。

 

そんな静かだった白馬に最初の変化が訪れたのは、別荘ブームとバブルだった。

 

それはまるで津波のように、都会からネクタイをしたビジネスマンがやってきて次々と土地を地元民から取得して、そこに別荘を建て始めた。

 

農民からすれば元々あまりカネにならない田んぼでしかなかった土地が売れるのだからいいじゃないかと思い、都会のビジネスマンに言われるままに土地を売却した。

 

その価格がどれほど安値であり、都会のデベロッパーがその別荘をべらぼうな高値で売り抜けたことを知ったのは、それから随分後のことである。

 

そして迎えたバブル時代。いよいよ人々は都会から流れ込むカネに目がくらむようになった。そして白馬の人々の心の中にまでバブルがやってきたのである。

 

銀行が民宿に直接カネを貸し付けて「これからは白馬がブームになりますよ、カネを貸しますから改築しませんか、個室トイレも温泉もないような民宿では、これからやっていけなくなりますよ。ほら、隣のなになにさんとこも、今度4階建てのホテルに生まれ変わるんですよ」と民宿を各個撃破していった。

 

経営の事等何も知らない民宿の主人に銀行が適当に売り上げ予測数字を並べてカネを持ってくるのだから、主人はほいほいとそれに乗っかった。

 

そして間もなくバブル崩壊。ここから現在の白馬の状況が始まる。これを一言で言えば、世の中何も知らないほうがいつも負けるのだと言う現実である。

 

借金を抱えて立ち行かなくなった主人たちは生き残りの道を探すも、そんな事が出来るほど優秀な経営者もいるわけがなく、かと言って改築したペンションを売りに出しても値はつかず、次々と破綻していった。

 

そして次々と建てられていた別荘も、オーナーがバブル崩壊で手放してしまい、売れない物件が次々とブラックホール状態で点在するようになった。結局別荘は建っても人口は増えず売上は伸びず、村はシャッター商店街のようになったのだ。

 

地元の人々に残ったのは、都会の人間に騙された悔しさと、それにほいほい乗っかった自分への怒りだけであった。

 

そんな彼らも、次に来る長野オリンピックが何とか立ち直れる機会かと思ったが、これもまた東京の大手建設会社と組んだ一部の長野市の大手建設会社と都会のビジネスマンだけが利益を得て、結局白馬に残ったのはジャンプ台だけという事になってしまった。

 

オリンピックの一部期間のみの売り上げ増加なのに恒久的な施設を作ってしまって、そんなもんオリンピックが終われば過剰設備になるのは分かりきっていたことだ。

 

同じことは実は1975年に開催された沖縄海洋博覧会でも起こっていた。

 

博覧会の期間中にやってきた客が引き揚げた後に、次々と放置されたホテルや旅館や公園が58号線沿いに打ち捨てられて広がり、利益はすべて本土企業、結局地元は無駄な設備を抱えさせられて行き詰ってしまったのだ。

 

今の沖縄からは想像もつかないかもしれないが、30年前の沖縄を自分で見てきた僕としては、今も脳裏に刻まれている「本土による襲撃と破壊の痕」である。

 

白馬は結局お人好しで、いつも都会人に騙されてきた。けど都会人のようにうまく話も出来ないから逆らうことも出来ず、残ったのは都会人に対する不信と劣等感と言うことになったのだ。

 

それから信州の自然を気に入ってやってきた余所者が頑張ってペンションを建てて地元の組合や協会に加盟して地元の発展を促そうとするのだが、何かあれば「うるさい!」「余所者は黙っておけ!」となり、それが現在の白馬の人々の心境に繋がるのだ。

 

信州に移住して信州を発展させようとする人々からすれば「何でこうやらないのだ!」と思っても、地元で山の入会権を持っている人々に逆らうことは出来ない。そんな事したら、それこそ村八分だ。

 

「お前さとこの泊まり客は八方尾根を滑らせねえぞ」と言われれば終わり、子供は学校でも虐められる。

 

そんな状況の中でも、地元で危機感を持っている民宿の息子たち一級村民は、少しづつ自分たちで勉強会を開いて「都会の戦い方」を学び「都会との付き合い方」を学び、都会から来た二級村民の話も聞いて変化をし始めている。

 

例えば白馬47と白馬五竜スキー場は同じ山の反対側の斜面を使っており、元々は別々にリフト券を購入する必要があった。

 

それを両方の山の共通券を作ってお客が一日で両方の山を楽しめるようにした。残念ながら八方尾根はまだ共通券に参加していない。

 

英語の資料を作り、もっとたくさんの外国人に来てもらうように営業をしたり英語のウェブサイトを作ったりしている。

 

実際に僕が先月とまった樅の木ホテルはお客の半分以上が外人であるが、このホテルは元々先代が銀行に融資を受けてそれまでのペンションの横にホテルを建てたものであり、これを息子が外国人向けに一生懸命営業して発展させてきたものだ。

 

それでもやはり若い世代の努力の多くは村の長老連中、つまり別荘とバブルとオリンピックに振り回された人々によって「若いものは黙っておけ!何も知らんくせに!」となるのだ。

 

すでに野沢温泉スキー場は倒産しており、八方尾根スキー場も赤字営業である。それでも変化をしている白馬五竜と白馬47は何とか利益を確保している。

 

今、まだスキーヤーが来ているうちに何かしなければ、これでスキー客が来なくなったらどうするのか?その危機感を持っている若者はいろんな事を考えるものの、長老連中にはなかなかその気持ちが通じない。

 

実際に今スキー場に来る主流は中高年スキーヤーである。彼らが来なくなれば、今の若い世代はスキーなどしないのだから、いずれ山はすたれる。そうなった時にどうするのだ?

 

白馬のライバルは野沢でも苗場でもなく、ケータイとゲームなのだ。どれだけ若者が自分の収入の中の「スキー支出費用」を増やすかが勝負なのだ。

 

その為にはサービス品質を向上せねばならない。しかし昔の民宿から全く発展していない長老たちは、そんなサービス等オレの時代には不要だったのだと、全く相手にしていない。

 

「そんなサービスやクオリチイたらヨコモジを使うから、また都会のモンに騙されるのさ!」

 

「おらたちは昔ながらのやり方が一番いいんじゃ。分からんモンがいちいち口を出すんじゃないべ!」

 

このような世代間対立は白馬の中では裏話であるが厳然と存在する。

 

若い世代はこう思う。「じっちゃん、あんたらはいずれ死ぬからええけどさ、おらの世代はこれからも食っていかなくちゃいけないんだべ」

 

若い経営者の元で地元の食材を使ったフレンチやイタリアンレストランを増やし、山で獲れたジビエを食べてもらい、温泉を露天にして八方尾根を借景として利用する。

 

そんな改革もあるし、僕からすれば白馬は日本全体が低迷する中では結構頑張っているほうだ。それでも若い人々の改革への前進はまだまだ止まらない。

 

白馬頑張れ!である。



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2009年03月24日

白馬

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日本を旅行して一番感じるのは、どこも同じような問題を抱えていると言うこと。

白馬が特別でもないし別府温泉が特別でもない。

突き詰めていけば、既得権益を持ってて変化したくない、つまり自分が今だけよけばよい、そんな人が世の中の変化についていこうともせずに子供たちのことも考えずに生活しているんだなって。

勿論そこには新しい人々も出てきているのだけど、新しいと言うことだけで既得権益者から批判をされて潰されて。

難しいですね、田舎って。

きついですね、都会って。

要するにどっちの社会で生きてても大変なのは同じ。

何もしなくても生きていける世の中なんて存在しない。

だったら思いっきり喧嘩して生きたほうがましか。

白馬、内容が濃いすぎてまだしばらく文字に出来ず、でした。



tom_eastwind at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月19日

ほや

P3180417「すみません、これ何ですか?」そう聞いた僕に不思議そうな顔で「ほやでございます」と答えた新幹線車内販売のお姉さん。

 

「ほや」の話は東京駅から長野駅に向かう新幹線の中での出来事。

 

 

本当は「氷結」が欲しかったのだけどCanchuhaiしかなかったので仕方なくそれを選び、「え〜っとおつまみは?」と思って車内販売の籠を見ると、そこに森永キャラメルサイズのちっちゃな袋があり、そこに「ほや」と書いている。

 

もちろん僕も「ほや」と言う宮城県の食い物の存在は知っていたが、それが乾燥されてするめ状態のおつまみになっているのはつゆ知らず。

 

思わずお姉さんに「これって何ですか?」と聞くと、ええ!って顔で「ほやでございます」と、彼女からすれば生まれて初めて聞かれた質問にびっくりしたように答えてくれた。

 

なるなる。

 

彼女の頭の中では「ほや」は既成事実であり「ほや」である以外の何者でもなく、それはまるで「アナタハニンゲンデスカ?」と質問されたような気持ちだったのだろう。馬鹿にしているわけではないのだけど、何故かそう思われてしまう。

 

例えば鯛のような魚を見ててその種類を聞きたい時に「これは何ですか」と聞いて「これはサカナです」と回答されるようなもの。

 

ほやを知らない人もいると言うことは、彼女の脳内にはあり得ない。あんた日本人でしょ!みたいな感じだ。

 

takasaki 2そういえばこの新幹線に乗るためにホテルからタクシーに乗ったら「どちらにお帰りですか?」と運転手さんにさらっと親しげに聞かれた。

 

「えっと、今から出張なんです」

 

 

 

ホテルから東京駅に向かっていて荷物が軽装だったから、誰でも一仕事終わっておらが村さに帰るって思うだろうね。

 

ところがこっちは普通の日本人の生活パターンから大きく外れている。やばし!

 

それから運転手さん口を噤んでしまった。

 

たぶん雰囲気としては彼は東北のどこかの出身で、こっちもそうだろうと思い込んで親しげに話しかけたとこが、思いっきり肩透かしをくらった、おまけに東京の糞生意気な奴が東京駅から出る新幹線に乗ってまたも田舎の素朴な人々を騙しにいくんだろう、そんな感じである。

 

でもって今度は新幹線で「ほや」だから、あ〜あ、またやっちまったって感じだ。

 

僕が日本人であることは間違いないのだけど、日本ってのは毎日変化しているわけであり、僕のような存在は理解しがたいのは良く分かる。けどさ、自分たちの生活以外にもいろんな生活パターンがあること、知ってくれってのがムリなのか。

 

ほやほや。

 



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2009年03月10日

時は流れて

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たまたま昨日はアリスがテーマだったので、棚の中から古いCDを引っ張り出す。

 

あの頃はLPとかカセットテープだったんだよね。隔世。

 

 

英語で一番じ〜んとする歌っていえば、やっぱりSuper star Time after time かな。

 

カーペンターズの歌うスーパースターは、英語もろくに分からなかった時代だったけど、何てか胸にそのまま突き刺さるkarenの声に“じんじん”きてしまい、その歌詞を何とか辞書を引いて意味を調べて、更に感激した記憶がある。今でもこの歌がバーでかかるとその夜はとても幸せになれる。

 

その正反対にあるのがタイムアフタータイムだ。

 

シンディローパーの古い歌だけど、karenのような柔らかな思い出、シルクスクリーンがかかったような懐かしい1960年代の音ではなく、丁度日本で言えば甲斐バンドが売れない頃に歌ってた「最後の夜汽車」とか系で、暗くて裏道に立ってる「裏切りの街角」みたいな印象。

 

なのだが、でもそこにはかすれた喉から絞り出すように歌う彼女の声が、何ともなく If you lost if you lost なんて、60年代の白人が、白人の一部層だけが幸せに生きてた時代から、time after time 、結局アメリカすべてが墜ちていった時の映画「Deer Hunter」みたいに聴こえてくる・・・・おれ、今日、やばいか?

 

初めて中島みゆきの舞台を見たのは中学か高校の頃。ってか、地方のちっちゃなデパートの入り口の脇、パイプ椅子が20個くらい並ぶ場所で、何となく「えへ!」って感じの中島みゆきが、椅子に座る客の半分は野菜の入った買い物袋を下げている特設ステージ(つまりデパートの待合場所)で、「時代」を歌ってたのは、今でも記憶に残ってる。

 

それから数年して彼女が「時は流れて」と言う名曲を放った。残念なことにそのLPに入ってた曲はどれも素晴らしくて、結局この歌だけが取り上げられることはなかったが、内容はシンディローパーと同じ。

 

“あんたにはもう 会えないと思ったから 私はすっかりやけになって いくつもの 恋を 渡り歩いた ”

 

古来、このテーマはミュージシャンには取り上げやすいネタだった。例えば風の「あの唄はもう歌わないのですか」とか、ちょいと流れは違うけど有名どころでは「イチゴ白書をもう一度」かな〜。

 

音楽をやっていると、いつか別れとは馴染みになる。だから自然、唄歌いの連中はこういうのをテーマにしていくようになる。

 

そうなるとこいつら、強い。誰よりも強い感性を持った弱い連中が振られるのだ、その時の感情の震撼は、そりゃ半端じゃないっしょ。普通の人間なら諦めるとか忘れるとか出来るけど、唄うたいには、そういう器用な真似が出来ない。

 

だからそれを言葉に出して歌にしてしまう。その丸裸さが直接こっちの心に刺さってくるんだから、聴くほうとしては本当に痛い。けど分かる。

 

時は流れて、時は流れて、そして私は変わってしまった 流れの中で今はもう話すこともない

あんたが私を思い出さないように

 



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2009年03月02日

Chicken on the Paper !

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日本滞在中の小話。

 

ホテルで横になり手元の日本円を計算していると、りょうまくんが横に来て何気なくお札を眺めて、突然けらけらと笑い出す。

 

Chicken on the paper!」

 

鶏?

 

一体何のことだと思って日本円の一万円札をもう一度良く見ると。

 

なるほど、鶏がいるではないか。

 

そう、これは一万円札に印刷された鳳凰の図柄の事を言ってるのだ。

 

けどりょうまくんは鳳凰なんて知らないし、キーウィなのでどうしても「CHICKEN」となってしまうのだろう。

 

毎日生活をする中で当たり前のようになっていることでも、キーウィの竜馬君から見れば全然違うものに見えるのだな。

 

それにしても鶏と紙かよ。ある意味紙幣の本来の価値を良く理解しているかもしれないな。

 

そう、紙幣とは紙切れであり、そこに鶏を書いて人々に「信用しろよ」って言ってるんだから国家ってのはたいしたもんだなと思う。

 

けどそれにしても紙切れに変わりはない。

 

だから国家としては信用を守る為にお札に関しては厳しくルールを適用している。偽札等を作ったりすると重い罪になるのもそれが理由だ。ちなみにこれ、3年以上って意味は執行猶予しませんよ、確実に実刑ですよって意味。

 

148条(通貨偽造及び行使等)
[1]
行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は3年以上の懲役に処する。
[2]
偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

 

だからお札は冗談でもチラシに印刷などしたりするとそれだけで違法である。冗談通じねえなとか言ったりしても、はいその通り、お札に関しては冗談では通用しないのです。

 

けどまあ、お札を見たらそれだけですごい!なんて思うんじゃなくて、本当は紙に書いた鶏なんだってことを時々思い出すほうが健全ではありますね。



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2009年02月22日

成田外し

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今回も成田から香港経由オークランドに戻ったのだが、やっぱり成田は使いにくい。

 

都内で午前中に最後の仕事を終わらせてバスに乗って約1時間30分。現在ではほぼ無意味で無駄な作業を生活の糧としている空港入り口のパスポートチェックにいらいらさせられるのは、彼らの動作が遅いからではない。

 

手早くきびきびと動く彼らも、自分のやっていることが出来る限り利用者の不便にならないようにしているのだろう。けどさ、これは地元千葉の雇用対策なんだから、どうせ税金や利用者からの金で雇用を生むのなら、もっと違うところに雇用を発生させれば良いではないか。

 

僕は成田市や千葉県のことは詳しくないけど、21世紀の日本が向かうべき方向性と同じ方向を向いている産業への資源注入など、やるべきことはたくさんあるのではないか。

 

成田空港の到着口で野菜を売るのも地元商品の宣伝なのか空港職員が仕事の帰りに買って帰るのだろうか、しかし世界のハブ空港と自慢している中で、野菜を売ってる空港がいくつあるのか?

 

野菜を売るななんて言ってない。日本の野菜の高品質は知られたところだ。ならばその野菜だけでなく、旅行中に手軽に食べられる果物を置いてみればどうだろう。それを中国からやってきた旅行団の目に付くところに置いて中国語で「安心安全!地元直産!」と書いた広告を付けておくのだ。

 

ついでに日本に語学留学に来てる中国人学生をアルバイトとして雇用して販売促進をすれば良いのではないか。中国の連銀カードが使えれば益々良い。

 

そしたら彼らは手にとって買ってみるだろう。ゴミ入れ用のビニール袋を付けておけば車内も汚れないだろう。そうやって美味しい果物を食べた中国人は、中国に戻ったら千葉産の果物を宣伝してくれるだろう。

 

要するに何かをしようとする気持ちだ。成田を活性化させて成田市や千葉県を良くしたいなら自分の一票を売り飛ばして政治や行政に頼って税金のおすそ分けで食わせてもらうのではなく、自分の力で利用者からの満足を勝ち取るのだ。

 

今は成田自体が陳腐化している。ところが変化を嫌う地元はなかなかてこ入れをしようとしない。

 

そりゃそうだ、何もせずに仕事とお金が入るのだから、地元出身議員様万々歳である。

 

けどさ、成田空港は地元農民の反対を叩き潰して利用者の不便さを犠牲にして多額の税金を突っ込んで政治の妥協で造られた空港なんだから、どうせ造ってしまったんなら使いやすくするのが成田の仕事でしょう。

 

勿論変化の兆しはある。手荷物検査でひっかかる液体を、以前はそのまま没収だったのが今では袋をくれるようになった。

 

以前はチェックインの前に預け荷物のX線検査があり、ここに多いときは100人近い行列が出来てバブル期の日曜日のスキー場のリフト待ち状態だったのが解消された。

 

そう。ターミナルを改修したとかどうかの大きな箱の話も大事だけど、利用者からすれば心地よく使えるかどうかも大事なのだ。

 

そして国の全体を考えて動くのが国会議員である。今の成田が使いづらいのだから、いずれはもっと使い安い場所に空港を移せば良い。羽田の拡張でそれは可能になった。だから羽田と成田で使い分けをしてもよい。

 

大体一般国民には成田を使わせておいて政治家が外遊するときは羽田発って、語るに落ちるですよね。

 

ところが今度は千葉県民が自分のエゴで既得権益を手放そうとしない。国家の利益と棚ボタで降ってきた既得権益とどっちが大事かは考えれば分かること。

 

千葉県の人々が本当に国家単位でモノを見るならば成田の既得権益を手放すべきだろう。その時こそ千葉県民は日本国中の人々に対して堂々とモノを言えると思う。

 

その時は雇用対策として拡張した羽田空港で新規雇用する際に「千葉枠」を作っても他の県民は文句を言わないだろう。

 

表立っては総論賛成、自分の不利益になると突如各論反対の今のような状態では、千葉県民が何を言っても誰も信用しないだろう。

 

今回も腹立たしいことがあったが、いちいち書くのは面倒なので結論からいくと、今後は特に問題なければ極力中部国際空港を使うことにした。

 

と言うのが、僕がいつも利用するキャセイ航空は、オークランドから香港が一日二便出てて、朝の855分の飛行機に乗れば同日2100分には中部国際空港に到着する。同じ朝の便で香港経由成田に向かっても到着時間は2120分。なので中部も成田も殆ど違いはない。

 

でもって成田からだとこの時間では都内に行く交通方法が限られているので結局成田空港付近に泊まることになる。そして翌日都内に出れば、大体12時前後になる。

 

中部国際空港の場合は、まず入国が早い。人が少ないだけでなく設備が円滑に作られている。成田のように飛行機が到着してから階段上がったり下がったりまた上がったりする必要がない。

 

でもって名古屋駅まで電車で30分かからない。だから10時過ぎには名古屋駅のホテルにチェックインできる。そして翌日の新幹線に乗れば、これも昼前には都内に入れる。

 

何より大きいのが空港で働く職員の態度でもある。

 

成田で何より頭に来るのは、入国管理でパスポートにスタンプを押す場所にいる係員。アルバイトなのか元役人なのかしらないが、60過ぎだろうよく日に焼けた小柄な親父がふんぞり返って外人用の入国管理場所の行列整理をするのだけど、この態度の横柄さと言ったら、同じ日本人として恥ずかしいほどだ。

 

初めて日本に来て戸惑っているような外人観光客を捕まえては下から見上げるような顔で大声で日本語で怒鳴るように「おいおい!あっちあっち!こっちはおまえじゃないんだよ!」と恥ずかしげもなく大声で命令している。

 

これに比べて中部では今回のうちの家族のように、空港係員がわざわざ僕の携帯に電話してくれて丁寧に事情説明をしてホテル名を聞いて「もうすぐ出てこられますからね」と一言添えてくれた。

 

つまり物理的には都内に入るには中部も成田も変わらない中では毎回腹が立つ成田を使う理由がないのだから、少しでも気持ちよく使える中部と言う選択になるのだ。

 

「成田外し」は僕個人の問題だけど、今日本に住む人が一人でも多くみんなのシンボルとなるような「成田」を使わなければ、例えばバカな国会議員は落選させるとか国民の税金を無駄使いするような役人を罷免すれば、それだけで少しでも住みやすくなると思うのだが。 

 

写真は成田のたこ焼き。日本の無気力さと上からの洗脳の強さはこんな現場まで広がっている。理由を書いたら長くなるのでまた次回。

 



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2009年02月19日

木曽路はすべて山の中である

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月曜日の朝も晴天。

 

白馬から長野駅に向かう大型バスのターミナルでは、名残惜しそうに山を見上げたり昨日の滑りを思い出してにんまりする人たちが集まっていた。

 

乗客のうち9割が西洋人だ・・・。これってニセコに行った時と同じジャンか。あの時も札幌空港からニセコに向かうスキーバスには日本人乗客はゼロだった。

 

時間丁度ぴったり、まるで裏口で時間まで隠れてたんじゃないのって思うくらいOntimeにやって来たバスに、西洋人の皆さんは早速バス下部のトランクルームに荷物を放り込み始めた。

 

一個が30kgしそうな荷物がごろごろしてて運転手さんとおじさん二人で格闘してたんだけど、出来るだけ場所をきちんとする為に荷物のサイズをいちいち確認しながら、堅くて四角いものを下に載せて、その上に小型のトランクを乗せて、その上にソフトバッグを乗せる。

 

そうこうするうちに皆がバスに乗り込み始めるとどんどん座席が埋まってしまいはじめた。

 

その光景を見た運転手さん、突然怒りっぽい声で西洋人集団に向かって「おい!NO!こっち!」と怒鳴り始めた。

 

これには西洋人、全く意味不明。声を荒げているのは分かるけど、その理由が分からない。彼らからすれば外国に来てるのだから現地の人と喧嘩するのは避けたいだろうしバスには乗らねばならない。だもんで皆??な顔になった。

 

運転手さんからすれば要するに座席が足りないから降りてくれと言いたいのだけど、言葉が出てこない自分にいらいらするようで、手振り身振りで相手を指差しながら、やっと出てきた言葉が「あなざーばす!」だ。

 

これで西洋人、次のバスがすぐ来るから荷物はこのバスに積んで次のバスに乗れと言うことだなとやっと理解したようで、はいはいと言いながら定員をオーバーした数人がバスから降りていった。

 

普通座席に座りきれずに補助席に体の大きな西洋人がちょこんと坐ってたのは、思わず心の中で笑った。「あの補助椅子、絶対折れるぞ」。

 

けどま、運転手が客商売かどうかは別にして、わざわざ欧州や米国から高い金を払って白馬までやって来てるんだから、もちっと「おもてなしの心」が欲しいよねと思った。

 

バスが出発すると右手に八方尾根とジャンプ台が見えてくる。そして周囲に広がる山々。

 

遠くに見える山の名前を見るたびに山岳小説を思い出してしまったが、それにしてもこんな山に、それも雪の降っている時に登る人がいるのには唖然とするしかない。

 

小泉さんが「国民給付金法案が衆議院で再度採決をするほど大事な問題か?」と発言してここ数日の話題になっているが、ぼくも正直言って「死ぬほどの思いをしてまであんな山に登りたいのか?」と本気で思った。

 

だって彼らには親兄弟も家族もいるだろうに、死ぬような思いをしてまで、そして現実に死ぬ人もいるのに、それでも登りたいのか?もうこうなると山男は普通の常識では考えられないな〜、けど、それだけ情熱をかけることが出来るのも、すんごいな〜と感心してみたり。

 

そんな複雑な心境の中、バスは約1時間ちょいで長野駅に到着。「あっちは善光寺」ってサインが出てて、善光寺の重厚で歴史のある木造建築と近代的な長野駅のアンバランスが、これまた面白い。

 

ここでオリンピックやったんだよね、でもって去年は田中麗奈のスキー映画が作られたんだよね。

 

バスが予定より20分近く早く到着したので、駅で切符を買ってから待合室で信州そばにトライ。

 

「信州信濃のそばよりも、あたしゃあんたのそばがいい」なんていなせな言葉が頭を駆け巡りながら、立ち食い蕎麦のカウンターで海老天そばを注文。勿論ネギなしでお願いする。

 

「あいよ!」そう答えたおばさんは、大体60歳前後かな、いかにも地元の人で生真面目そうな顔。

 

もう一人のおばさんとチームを組んで仕事をしているのだろう、いつものようにちゃっちゃと麺を打って丼に入れると、そのまま何の気なしにねぎをぽい・・・。

 

実はこれが僕にとって一番辛いとき。というのが、もちろんこれは相手のミスではあるけど、慣れてしまえばついつい麺の次はネギとなる。ところがネギが入ったのが出されたら僕は食えないので、そんなときは「あ、いいですよ、もう一杯作ってください、お金は払いますから」と言うことにしている。

 

いくら客の注文とは言え、こちらのわがままなので申し訳ない気持ちになるのだ。

 

ところがこのおばさんは、入れてしまった瞬間に気づいて、「あらま!」と一言。でもってお箸で少し掻き出したのだけど、すでに大量のネギはつゆの中に浸み込んでしまってる。

 

それを見ていた隣の店員さんは「あらら、大丈夫よ、それくらい」だって。

おいおい、お前のせりふじゃないだろう、そう思ったが、まだそばがこっちに来てないので口も出せない。

 

ところが最初のおばさん、何を思ったか「ちょうどお腹も空いてたからいいやさ」と、あっけらかんと二杯目を作り始めたのだ。

 

「あらあら、あんたそんなことしなくても・・」

いやさ、だから二人目の店員さん、じゃあどうするの?

 

などと考えてたら天ぷらそばネギなしが出てきた。

申し訳ないなとか思いながら少し口をつけると、流石に本場のそばだけあって、実にうまい。麺もうまい。

 

で、竜馬君を呼んで立ち食いカウンターでそばを食わせ始めると、なんと最初のおばさんはカウンターの中から出てきて食券を買うのだ!

 

え?ということは、例え店員でもミスは許さないってこと?てか、作り間違いなんてミスの許容範囲内でしょうと思ったのだが、真面目なのか店の方針なのか、その食券をカウンターの切符入れに丁寧に入れてから、おばさんネギの入ったおそばを食べ始めたのだ。

 

日本でもある一部の地域の人は異常に真面目だったりする。これは地域性なのか風土病なのか分からない。

 

けど、そう言えばバスの運転手さんの態度と言い、あ、そうだそうだ、バスターミナルでリフトチケットを返して1千円の保証金を返してもらってたお客さんがいたんだけど、ターミナルの係員はじろっと客を見てから「これ、違う山ですよ」とぶすっと答える。

 

でもって「まあいいです、今回は特別に許しましょう、こっちで返金しますけど、本当はダメなんですからね!」と、ずいぶん高飛車。お客の方は金が返ってきたのでもうどうでもいいやって顔。

 

そう。長野の人は生真面目なのだ。

 

皆で決まりを作れば、状況がどう変わろうが必ず守る。とにかく決まりなのだ。守るのだ。

 

これに対して他の地方からスキーシーズンで働きに来ている若者等は、これは全く態度が違ってて、いわゆる普通のサービス。

 

もちろん長野でもおちゃらけな人も変化を好む人もいるんだろうけど、木曽路に入ってから見かけた人は、みんな生真面目で勤勉って感じを受けたのは事実だ。

 

以前に何度か書いたけど、日清戦争や日露戦争で出征した兵士たちは、各地域ごとに大きな違いを見せた。

 

九州出身の兵隊は、とにかく突撃に強い。後先考えずに鉄砲撃ちまくって突っ込むのだから、これは強い。攻撃には最高である。

 

けど一旦守りに入るともうだめ。守りに退屈してしまい、また塹壕から出て突撃してしまうのだ。勝てそうにも無いときだって、守りで退屈するよりは攻めたほうがましって感じ。全く命をなんと考えているのか(笑)?

 

これに対して東北の兵隊はとにかく守りに強い。一旦守ると決めたら何時間でも何日でも一つの塹壕に篭って戦うのだ。

 

日露戦争時の黒溝台の戦いでも、雪国出身の兵隊たちは守りを固めて頑固なまでに死守した。

 

これって、長い冬を雪に囲まれて過ごす人々が自然と身に付けたDNAなのではないかと思う。

 

帰りの長野新幹線に乗り込むとアルプス山脈がくっきりと空に聳え立っていた。あの山に多くのアルピニストが挑戦して命を落としたんだな。

 

あの山で長野オリンピックが開かれたんだな。

 

あの山で。今年も良い新日本紀行の旅になった。

 



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2009年02月18日

木曽路から白馬へ

八方景色1新田次郎の本は読んだし想像も少しは出来たけど、アルプス山脈を目の前に見ると「うっそ!こんな山に人が登るのか?!」と、感激を超えてただただ呆然とするばかりである。

 

 

 

木曽福島から白馬に行くには、特急電車で松本まで出てそこから普通電車で約2時間、各駅停車をしながらゆっくりとアルプスの裾野を走っていく方法しかない。

 

松本では乗り換えが5分しかない中、ホームからホームへと重さ20kgちかくある荷物を持っての移動。3両編成の電車は地元の人たちの足として利用されているようで、夕方と言うこともありずいぶん込み合ってて、大きな荷物を6個持ち込む僕らは、少々不謹慎?

 

06cc8fb8.JPG例えて言えば山手線の朝8時30分に海外旅行用のスーツケースを2個持って乗り込むようなものだ。

 

けど地元の人は慣れたようなもので、にこにこしながら場所を開けてくれる。他にもスノーボードを持ち込んでる白人グループもあったりして、結構受け入れOKだ。

 

電車は順々とお客を降ろしながら山道を進む。途中では粉雪が降り始め、左手に見える山並みが松本を過ぎるあたりからdandanと盛り上がってきて、先の尖った黒々とした岩山が広がる。

 

電車パンそうこうするうちに電車は黒部ダムの始発である信濃大町を過ぎて白馬に向かう。車内は地元の人々の生活の足となっており、高校生が学校の近くで買ったのだろう、大きなパンをぱくついていた。

 

 

奥さんがびっくりしたように「ねえお父さん、日本の電車は食べ物食べていいの?」

 

香港では電車内での食事は一切禁止。そんなもん一旦認めたら、あっという間に車内は食べかすの山になるのが自明の理だからだ。

 

うちの奥さんも新幹線や特急列車なら食事をするのも納得出来るようだが、普通の人々の足である普通電車でも食べてるのはけっこう文化的衝撃だったようだ。

 

そう。日本人は綺麗好きなのだ。車内で食べてもきちんと後片付けをするのだ。

 

このあたりも日本人の良いところですな。

                                                                電車が白馬駅に着くと迎えのバンが待っててくれてホテルまで10分程度で送ってくれた。このホテルは宿泊客の半分近くが外人で、スタッフもほぼ全員英語が出来る。

 

 

早速りょうまくんと一緒に露天風呂に入る。りょうまくんは子供の頃から慣れているので、温泉ですっぽんぽんになるのはOK。

 

びっくりしたのはとっても綺麗な内風呂と露天風呂のお客の半分近くが白人だったこと。

 

金髪碧眼のフランス人や訛りのきついオージーや腹の突き出た米国人がにこにこしながらのんびり湯船につかり、三々五々とおしゃべりを楽しみながら片手に缶ビールを持ってEnjoyしているのには、思わず笑ってしまった。

 

「どこから来たんだい?」

露天風呂でりょうまくんと英語で話してたら、隣にいたスマートな白人のおじさんが話しかけてきた。

「ニュージーランドだよ、知ってる?この子はニュージーランド生まれのアジアンキーウィだよ」

「おお、君らはそんな遠くから来たのか。で、ニュージーランドってどこだっけ?」

話がかんでないし・・・。

 

そんな感じで、活発でおしゃべり好きなりょうまくんを媒体として白人の子供たちと会話が進む。

 

八方景色2白馬が外人を集めているって話は聞いてて、去年はニセコでオーストラリア人村を見てきたので、おう、それでは白馬も営業努力をしているのだなとか思ってた。

 

 

 

けどそれはこのホテルのようなほんの一部だけで、やっぱり全体のシステムは江戸時代から続く村システムなんだなって感じ。

 

それはまた明日書くけど、白馬で外人を受け入れてると言っても、うむむむってことかな。



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2009年02月17日

木曽路

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木曽路はすべて山の中である。

 

だからケータイもインターネットも繋がらない。

 

などと書くと極端だけど、実際に5日間のあいだ、ほとんど繋がらなかったのも事実である。

 

 

JRの駅とかちょっと大きな村に出ると、何とか僕が使っている無線モデムが動いてくれるのだけど、それでも遅い遅い。まるで長年人力車を引いてきたおじいさんの車に曙が乗り込んで横須賀の急坂を登るようなもので、モデムがふーふーと息切れしているのが分かる。

 

ふーふーふーふー、ときにはそのままぱたっと倒れてしまい、もう繋がらなくなる。

 

木曽路はすべて山の中なのだ。

 木曽御岳

ケータイに至ってはほぼすべて圏外。たまに電話がかかってきても、受信ボタンを押したらそのまま切れている。

 

ある場所では「FOMA使えます!」とのぼりが立っていたが、ぼくのはソフトバンク。てかさ、「FOMA使えます!」って、要するについ最近までFOMAもダメだったってことですよね?だから宣伝効果あるんですよな。

 

僕の仕事の殆どはインターネット環境での作業なので、木曽路を名古屋からアルプス山系を抜けて長野に出るまでの今回の旅の合間にほんの一瞬だけ電波が繋がりそうな場所を見つけては車を停めてメール受信をするのが精一杯。

 

島崎藤村の時代は「木曽路は全て山の中」だから最初からインターネット環境等想定していないしそれで良かったのだろうが、今の時代にはちょときつい。

 

しかし、それにしても雄大な景色が続くのはこれは素晴らしい。黒部ダムに行ったことはあるけど、アルプスを縦断したのは今回が初めてだ。

 

今回の出張では東京での仕事を終わらせて名古屋に向かう。

 

爽快な晴天の名古屋は春のような気温だった。前日の晩に名古屋入りして少しゆっくりする。

 

翌日朝から木曽路の旅が始まる。まずは車で木曽福島方面に向かい1時間もすると、そこはもう木曽の山の中だ。空が薄っすらと霞(かすみ)がかかったように見える。

 

「あのあたりからアルプス山脈が広がっているんですよ」

 

そう言われて遠くを眺めると、霞のかかった青空を地面から突き上げるように数千メートル級の先端の尖った山々が折り重なるように連なっていく大自然。まさに圧巻だ。

 

妻籠途中で馬篭を通り過ぎて妻籠へ。

 

車を降りて江戸時代から残る昔の街を歩く。割合広々とした歩道を歩きつつ、深深と白い雪の降る山道を江戸時代の人はどのように歩いたのだろうかなどと考えて見る。

 

 

雪道を掻き分けながら歩いてきた旅人を迎える宿は、入り口の土間で温かいお湯で足を洗い、ほっとした彼らを畳みの間に迎えたのだろう。

 

それから旅人は鉄釜のような五右衛門風呂に入って旅の汗を流し、地元の野菜と米、それに魚の干物など一汁一菜で食事を済ませて、三々五々に酒を飲んだりごろっと横になったり。

 

外には雪が降り、囲炉裏で暖を取りながらその周囲の板の間に布団を引いて雑魚寝をしていたのだろう。

 

江戸時代の風景を残す妻籠を後にして寝覚めの床に行く。写真のような大きな岩の塊が続く景色はなかなか見もの。

 

ところがその後がちょいと大変。今回のツアーリーダー、なんと素手と普通の靴で自分の背丈以上の岩石の間をいきなり昇り降りを始めたのだ。

 

寝覚めの床歩くこれには参ったが、なにせリーダーは僕よりもずっと年上。普段なら行かないな〜とか思いながら、それでも行くぞと岩山行進。

 

登って見ると頂上にはお堂があり、これも歴史を感じさせる。

 

 

これなんだよね、ぼくが自分を日本人と思うのは。

 

結局ぼくが好きだし愛してやまないのは、こういう日本の原風景や歴史や山河なのだ。それは決して現在の政権でも政党でも政治家でも役人でもないのだ。

 

僕の払う税金や、もし僕が寄付をするとすればそのお金はこの自然や歴史に対してであり、決して決して今の政権に対してではないのだ。

 

車は木曽福島に入る。駅周辺は昔の中山道の宿場町であり、交通の要所でもあった。

 

旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだアナウンサーがいる。たしかにそう読める。

 

読み方は違っても意味は同じってのが、この誤読の本当に面白いポイントだ。木曽路は|日中山道なのである。

 

これってもしかして江戸時代の人が洒落で考えたのではないかと思うくらい、ぴったりとツボにはまっている。

 

木曽路の旅は続く。



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2009年02月10日

内田さんについて思うこと

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以前も書いたことがあるけど、

 

内田樹さんという

 

フランス文学者の書いてる内容はとても興味深いし学ぶものが時にはある。

 

 

例えば子供と学校の関係で、何故学びが必要かとか、そういうテーマの場合は面白い解決策を提案してくれる。

 

子供は賢い。だから学校に行く目的が

「レベルの高い大学に入って(何を学んでも学ばなくても同じ)」、

 

「現在の売上優良な会社に入って(仕事が出来なくても良い、正社員は首を切られないんだから)」、

 

「たくさんの給料をもらって(その結果として家庭が崩壊するほど働かされることは当然)」、

 

それで物質的に幸せになることであれば。

 

だったら若いときの10年を毎日自分の気持ちを殺して真夜中まで勉強したり塾に行ったりするよりも、若いときは思いっきり遊んで社会人になって強盗をする方が合理的だ。

 

強盗をしても逮捕される確率が30%程度で、一年に一回だけ大きく強盗して1億円くらい稼げば、これはOKでしょう。

 

強盗する先は自分の心が痛まないように違法カジノの売上とか政治家の表に出せない選挙資金とかやくざの麻薬取引の金とかね。

 

もっと賢く稼ごうと思えば政治家になるのが良い。あれなら違法で稼いだとは言われない。だって法律を作ったり解釈するのが政治家なので、合法ですと言えばなんでもOKだ。

 

ライブドアの数百倍の違法行為をやった日興証券は誰も逮捕されずに済む様な世の中ですもんね。

 

何故勉強するのか、その問題を理解していない社会の教育体制が問題。

 

うん、そうだ、彼の言ってることは良く理解出来る。

 

そう、内田さんが教育論を語るときは面白いのだ。

 

けど、けど、それが次のネタで経済とか社会とかシステムとか、要するに専門外の話をする時はどうしても「隅っこで拗ねてる子供」のような感じを受けるのだ。

 

大学の問題を語るときも

 

1・100年に1度の不況だから受験生が減少した。

2・大学の先生はビジネスマン主導でやる気を無くす。

3・大学の先生は過去の栄光を振り返り、懐古し良き時代に戻るし変化を嫌う。

4・だから大学の先生をうまく使うには変化はダメである。

 

これは教育論ではなくシステム論の問題だ。大学の教授をどう有効活用するか、である。

 

ところが話の前提やポイントがすべてずれてる。

1・受験生減少は100年に1度の不況だからではなく少子化である。

2・大学の先生は人の話を聞こうとしない。教えると拗ねる。

3・変化を嫌ったものはすべて滅びたという歴史の現実を忘れている。

5・学問は変化して進歩してきた。それを否定している。

 

などなど、元々彼の本を読んだときからずっと感じていた違和感が、このあたりに凝縮されているような気がする。

 

では彼の言うように大学を運営していたらどうなるのか?

1・既存の教育は暗記教育で大学に入るための教育で、大学に入る目的が大手会社に入社することなら、真面目に勉強する必要はない。

2・大学は社会の意見を理解もせずにどんどん時代遅れになる。

3・大学の教育にインセンティブがなければ、働いても働かなくても同じになり、全体のレベルが下がる。

 

特に問題なのは、じゃあ一体人は何故勉強をするのか?と言う基本的問題を理解しているように思えない。

 

勉強や研究の最初は人が持つ好奇心であり、それに技術として学ぶ方法を覚える。

 

ここまでは良い。

 

しかしその好奇心とは必ず社会を良くする方向に進まねばならない。この点がいつも彼の視点から欠如していると感じるのだ。まるで、「こんな世の中、なくなってしまえ!」みたいな。

 

けど、どれだけ偉い哲学者がどれだけ立派なことを言っても、その結論が「だから人間は滅びるべきだ」となれば、こんなもの学問じゃない。

 

人を幸せにしない勉強等、意味はないのだ。

 

この点において根本的に理解されてないのではないかと思う。何だか拗ねた子供が隅っこでだだこねてる感じなのだ。そこに人間の進歩と言う視点が欠落しているとしか思えないのだ。

 

だから子供の学習と言う視点では実に良いポイントを突くのだけど、それと社会の関係と言うことになると、途端に論旨不明瞭、てか論旨矛盾しているよね、となるのだ。

 

何故なら彼の言ってる一つ一つはすべて正しくても、それを合計してしまったら大きな間違い、てか社会が滅びるだろう。

 

部分の無謬(むびゅう)、合成の誤謬(ごびゅう)が発生するのだ。

 

一個一個の議論は、さすが学者で目の付け所が良いとは思うのだ。だからもうちっとツッコンで根っこのところまで降りていって、一般社会の人々の現実の生活に目を向けてもらいたいなと思った。

 

それともフランス文学とかフランス語を勉強していると、皆さん周囲が見えなくなるものなのか?もしそうなら、恐るべしフランス語とその文化、である。

 

写真は戦前から存在する邸宅の居間。



tom_eastwind at 00:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年12月21日

万引き

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ちょっと古い記事から。

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北海道白老(しらおい)町の私立北海道栄高(生徒数343人)の2年生が、修学旅行先の米ロサンゼルスで集団万引きをしたとして、男女21人が5日間の停学処分を受けていたことが26日、わかった。

 

 同校によると、修学旅行には2年生108人が参加し、11月7〜12日の日程で米西海岸を訪問。ロサンゼルス国際空港の免税店で帰国便の待ち時間に、生徒8人がブランド品の財布など計33点を万引きした。ほかの生徒は万引きした生徒から商品を受け取るなどしていた。

 

 免税店員の指摘で発覚し、大部分の商品をその場で返却して生徒は帰国したが、その後の調査で生徒の一部が商品4点を持ち出していたことがわかり、同校は免税店に謝罪した上で商品を郵送して返却したという。

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でもってこの記事に反応した書き込みが↓

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以前添乗中に似たような事件があった。
その時の教頭先生の言葉、

「簡単に万引きが出来てしまうような店を計画に入れた旅行業者にも責任がある

そりゃ、こんな教育者の教育を受ければねぇ

**

 

昔香港に住んでたときに会社の入ってるビルの1階が免税店だった。毎日大型バスがやってきて日本人観光客を送り込んでいたのだけど、もちろんその中には手癖の悪い客もいる。

 

あるとき免税店の人と話をしてて「万引きされたらどうするんですか?」と聞くと、その日本人担当営業マネージャーはさらりと「あ、そのまま商品を買ってもらって終わりですよ」と答えたものだ。

 

「どういうこと?」って聞くと、「いやね、日本人は大事な客だしうちが警察に突き出したら旅行会社が困るでしょ。それより見逃してあげれば次に来る団体の数も増えるしうちに対して恩を感じてくれますからね」だって。

 

そのお店では地元香港人も買い物は出来るが免税ではないし、もちろん彼らが万引きしようものなら即警察に突き出す。入り口にはショットガンを持ったインド系警備員が立っているんだから、誰も簡単に万引きしようなんて思わない。

 

万引き一つとっても、いつも責任取らずに逃げ回る連中と、それを機会として捉えて商売にする連中。どっちが逞しいかは一目瞭然ですな。頼むぞ日本人、強くなってくれよな。



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2008年12月14日

テレビの終わる日

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最近急にテレビを見なくなった。とは言ってもニュージーランドの話ではない。日本の話。

 

と言うのが、毎回日本に出張すればホテルに泊まるわけで、大体部屋にいる間はテレビをつけるのが僕の習慣だった。

 

昭和半ば生まれの人間の習性というか、あの頃は世間と自分を結ぶ媒体がテレビか新聞しかなく、何時何をしててもとりあえずテレビのスイッチだけは入れておいて、緊急のニュースとか面白い時代劇とかなんちゃらかんちゃらを流し見してた。

 

ところが今年になって、何故かテレビから出る音が雑音と聞こえるようになってきた。

 

雑音?なんでじゃ?と思い、流し見じゃなくてちょいと真面目に見た。すると分かった。

 

番組の質が無茶苦茶低下しているのだ。安物芸人が経済評論とか政治評論して、何か事件らしきものがあるとその本質や背景を全く理解もせずに、大手新聞が掲載したことをそのまま真に受けて金切り声でピーピーキャーキャーと騒いでるのだ。

 

これがまた程度の低い解釈で、それでいて芸人たちは自分が世間の味方、大衆の学者くらいの勘違いな顔をするからやってられない。ましてやその中でぎゃーぎゃーぴーぴーやってても、そのうち喋りながら「あれ?俺おかしくない?」と気づいてスタジオが一瞬凍りついたりすると、もう本業よりもお笑いである。

 

しかしそれにしても仕事中に女を殴ったり舞台で相手の頭を引っぱたいたり汚い言葉を吐いて下卑たことしか言えない人間が法律事務所がどうこうしたとか、まさに「あり得ん」レベルである。

 

そして一般の番組も「何チャラ旅殺人事件」とか、よくもあんな脚本と演技で視聴者を引き寄せられるものだ。

 

そしてもう一つ気づいたのが広告だ。異様なまでにパチンコ業界の宣伝が増えたのだ。

 

サンヨーと言えば家電製品と思ってたら実はパチンコ機械を作る会社だったり、海物語と言えば海賊でも深海の不思議でもなくパチンコ?ぱちすろ?台てな感じ。

 

僕自身まったくパチンコをしたこともないし興味もないしこれから一生する事もないから分からないのだが、テレビに広告載せて客が増えるのか?

 

興味のある人間はテレビ宣伝をしなくても来るだろうし、しない人間はテレビを見ても絶対に行かない。

 

あれは要するにパチンコ業界が社会的地位を高めたいがための自己陶酔用宣伝なのではと思ったりしている。

 

けど、何で最近になって急激にパチンコ業界の宣伝が増えたのか疑問に思ってちょっと調べたら、東京のキー局のパチンコ宣伝は元々「倫理的によろしくない」と言うことで受けてなかったらしい。

 

ところが最近の不景気で一般企業の広告が20%近く減少し、今まで広告を支えていた貸し金業界がほぼ全滅したので、背に腹は変えられずということでパチンコ業界広告を「解禁」したのだ。

 

2004年には年間で2066回しかなかったパチンコCMが2008年には20,000回!2万回ですぜ、約10倍。そりゃ目立つはずだ。

 

でもって、それでも売上が激減しているテレビ会社としては、ついに制作費の削減に手を付けて番組制作費を10%削減しただとか。それじゃあまともな人は出演しないだろうしまともな脚本も書ける訳がない。

 

つまり、広告の質が下がり番組の質が下がった。それがテレビ全盛時代に生まれた僕でも感じるようになったということ。

 

これ、やばいっすよ。

 

池田ブログでも取り上げられてるが、今テレビをまともに見るのは高卒で50歳以上の専業主婦だとのこと。NHKではそのあたりを視聴者ターゲットとして捉えてる。民放にいたっては更に酷いとのこと。

 

要するに見るほうがバカだから見せるほうもそれに合わせているのだ。だからまともに自分の頭で考えればあり得ないような内容でも、ある種の人々にとっては「信用のおける報道と、娯楽性のあるドラマや討論番組」ということになるのだろう。

 

お笑い芸人を安い金で雇い、すべてをスタジオの中でやってしまい、脚本、てかネタはその日の新聞から拾ってくるんだから、こりゃ費用は安いわな。

 

こういうのを日本語でなんと言うんだっけ?粗製乱造?

 

もちろん良い作品もあるんだけど、そういうのは対象としている視聴者の皆様には難しすぎて誰も見ないから視聴率が下がり打ち切りということになり、結局はボツ。

 

視聴率という実体のない悪魔に振り回されているから視聴者に合わせて社会の下部向けの情報発信装置としかならざるを得ず、その方向性はどんどん下に向けて進むという構造なのだ。

 

ところがテレビ局の社員と言えば見掛けは良いから業務内容やビジネスモデル自体が崩壊しててもとり合えず高い給料は貰えるし社会的地位も高いと思い込める。ある意味脳内満足だけで生きてるゾンビーみたいなもので、「実はお前はすでに死んでいる」状態なのだ。

 

地方のテレビ局はすべて実質赤字だというのは業界の常識。

 

その辺は電波利権に詳しく出てるけど、遂に東京のキー局でも日本テレビ、東京ローカルのテレビ東京が2008年9月決算で赤字となった。

 

5社すべてが大幅減益となり、下期も売上期待が出来ないから、恐らく日本テレビは来年決算では赤字に陥るだろう。

 

その分インターネットが発達しているのは、自分の行動を見てもそう思う。実によくパソコンを使っているからだ。

 

以前のインターネットでは能動的に情報を入手する必要があった。けど今は技術の進歩で、ある程度はテレビのように受動的に情報が入手出来るようになった。

 

予め興味のある記事や言葉を選んでおけば、その記事が出た時に自動的にパソコンにデータが送られてくるとかである。

 

もちろんテレビや新聞が全面的に消滅していくことはないだろう。いつの時代になっても一方的に情報が発信される仕組みは有効である。

 

ただそれが、今のテレビ局や新聞社の形として継続できるか、これは別問題である。そして今のビジネスモデル=無料番組を見せる代わりに広告を見てもらう=は崩壊していく。

 

と言うのが、テレビや新聞の本質は誰かに何かを伝える為の「媒体」だからだ。

 

企業が消費者へ商品を売ろうとするときの媒体は、今まではお店に商品を置くかテレビか新聞しかなかった。ところがインターネットが出来ると企業のウェブサイト自体が有力な媒体となり、テレビや新聞と言う「媒体」が不要になるのだ。

 

企業のウェブサイトへ呼び込む窓口としての媒体としてはテレビも新聞もいくらかチャンスはある。電車の吊り広告や屋外広告と同じレベルってことだ。

 

けどこんなのは音楽の世界ではすでに常識だ。昔はLPレコード、そしてCDという媒体を通じて音楽を入手していた。今はインターネットでそのままダウンロードしてパソコンで音楽を聴くのだからCDを買う必要がない。

 

つまり音楽会社とかCDと言うのは媒体にしか過ぎなかった。一番端っこにあるコンテンツ=歌手がその反対側にある購買者=聴き手が直接結びつくようになれば、途中に発生するコストはすべて無用となる。

 

最近になって一部の歌手は自分が直接サイトで歌い、気に入った聴き手はお金を払って直接パソコンにダウンロードすると言う販売方法が出てきた。こうすれば音楽会社の社員の給料やCDを作る費用を聴き手が負担する必要はなくなるから、随分安く購入できる。

 

コンテンツが重要であり、伝達手段が変化すれば媒体は滅びるか変化するしかないのは自明の理でその変化を誰よりも嫌がったのがテレビ局や新聞社であろう。だからこそ今、世の中の流れに逆流していくことで時代に押しつぶされようとしている。

 

皆さんの同期でテレビ局や新聞社に入社出来た人たちのこと「あいつ、すごいな〜」と思ってたでしょ。「あいつ、最後のコーナーで可哀相なことになったな、あの年でリストラかよ」という事になるのも近いですよ。とくに地方のテレビ局ではすでに崩壊は始まってます。

 

その代わりに出てくるのが、今ニュージーランドの自宅でよく見ている有料チャンネルだろう。例えばディスカバリーチャンネルは非常に優秀な報道内容でありまともな大人の視聴に十分応えてくれる。金を払って見る価値がある。

 

今僕は東京に出張してホテルの部屋に入っても、真っ先にスイッチを入れるのはパソコンだ。テレビはいつも音楽モードで、その時の気分でジャズを聴いたりするだけ。自分のパソコンに入れてる音楽を聴くときは、それさえもスイッチを切ってる。よほど面白そうな討論番組とか時間ごとのニュースくらいかな、スイッチを入れるときは。

 

それにしても、さようならテレビ(自己責任)、こんにちはインターネット(時代の流れ)である。

 

書き終わって気づいたんだけど、今年の1月7日にはこのあたりの本を読んだ時の感想ブログ「テレビがテレビでなくなる日」を書いてた。

 



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2008年12月10日

何でも出来そうな街

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もちろんオークランドの事ではない。

 

オークランドも決して悪くはないけど、やっぱり東京に比べるとどうしてもビジネスの機会が少ない。

 

 

てか、オークランドでは人々がリスクを取ってビジネスをしようとしないから、東京の人々のようなぎらぎらさがない。

 

オークランドでは、決まったパターンで決まったことしかせず、それ以上のリスクは取ろうとせず、新しいことは考えようとせず、何てか公務員的な民間企業。

 

1日は8時間だし残業はないし土日は休みだし年休は4週間でそれでも不足しているくらいだし、それはそれで人間らしい生活でいいんだけどね。

 

これに対して東京では、皆が常に頭を使っているし24時間動き回り、夜中に会議をやって朝一番から仕事をしているし土日も働いてる。

 

昭和の時代の誰もが追いかけられるように働く忙しさとはちょっと異質で、自分が分かって仕事をしているって感じ。

 

今回も東京滞在で多くの方とお会いしたけど、やっぱり東京のビジネス現場の動きはすごい。学ぶことが多い。

 

毎月来てるんだけど、特に今回は東京の凄さを実感した。

 

ずいぶんと新しいビジネスアイデアを注入された気分。これは面白い。頭の中で来年の流れが見えてきた。今まで気づかなかったビジネスが見えてきた。

 

同じ港町で国一番の大都市だけど、やっぱりずいぶん違うな〜と、何にもない街から来た人間が何でも出来そうな街の朝を眺めてます。

 

 



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2008年12月01日

日曜の検索

プラムアイランドの読んでそのたっぷりととした重さに、次の本に取り掛かれない日曜日。だもんで溜め込んでた調べものを一気にやる。

 

平日だとまとめて時間が取れずにゆっくりとした調べモノが出来ないという事もある。

 

0ae360f7.jpgインターネットがなかった時代ってのはついこの間で、僕が社会人になった頃はファックスも標準的ではないくらい。

 

ホテルの予約は往復はがき、ゼロックスと青焼きコピーの時代だった。

 

 

だもんで、調べるというのはかなりの時間と手間が必要だった。百科事典が普通に使われてたし売れてたな。今も百科事典は売られているのだろうか?

 

などと考えながら、メモにしてた調査対象をまとめて調査開始。

 

4時間くらいぶっ続けでやるとさすがに背中も痛くなるけど、今日は家族が買い物に出てるので集中して仕事が出来る。

 

これじゃ体に良くないからと鶏肉ガラで取ったスープでお茶漬けを作る。永谷園にはいつもお世話になってるけど、お湯よりも鶏ガラスープの方が味にコクが出てよい。

 

午後の調べごとは個人的な興味。オークランドで商売を始めてもう10年以上経つ。そうするとお客様の名刺も溜まるし、当時はウェブサイトを持ってなかったお客様でも今検索すると出てくることがよくある。

 

アラスカの地図をmap検索しながら緑地を調べてみたり。

 

当時食べてたラーメン屋(ラーメン屋を食べたのではない、ラーメンを食べていたのだ)も、5年前なら出てこなかったけど、今なら検索出来る。おお、懐かしいなあの店。

 

昔は随分広い場所だと思ってた広場が、実はとっても小さかったりするのはグーグル万歳です。

 

そしてそして、どんどん過去に遡って縄文人、ムー大陸のこととか調べてると、何とアイヌの言葉が福岡にある!

 

nakgawakeiryu631下代久事(ケタイクジ)とはアイヌ語で「 川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」。

 

背振山(セブリヤマ)とはアイヌ語で「高く、広い山」の意。 

 

 

時が止まったようなオークランドの青空の下で時を駆け抜けて過去に戻る。俺はタイムトラベラーか?

 

けど、そうこうするうちに、俺はタイムトラベラーじゃないってことに気づいた。だってインターネットはこれ、過去に飛ぶことは出来ても未来に飛ぶことは出来ないんだもんね。

 

過去に学ぶことは出来るけど、未来に何が起こるかは誰にも分からない。自分で考えるしかないんですね。

 

あはは。あたりまえのことだけど、おかしくなって笑ってしまった。



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2008年11月27日

ほりえもんブログ

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最近時々目を通すようになったのがほりえもんのブログ。

 

誰かさんのブログのような暴露ネタではなく、一時期は時の寵児として祭り上げられハシゴを外されて、今は浪人生活と判決結果を待っている状態の彼が書くのだから、軽い脱力感がある。なのでさらっと読みたいときに丁度良い。

 

佐藤優のようなぎらぎらさもないし、ああ、やっちゃった、ありゃりゃって感じの飄々さが彼の持ち味か。

 

そんな中で福岡出身の彼が、民主党出身の元議員、偽メール事件で議員辞職した永田元議員の福岡県での自殺未遂について少し触れてた。

 

その触れ方が、丁度良い距離感。修羅場をくぐって成長したんだなって思った。

 

2008-11-19 00:11:55

*本文から抜粋*

この人、会った事もないし、偽メール事件のときは、外に居なかったので実は良く分からないんだけど、相当酷いことをされたという印象があります。この人も、私のことが相当極悪人だと思ったのでしょうかね?

政治家に裏金渡したって、何の役にも立たないと思うんだが。この人のおかげで、未だに私が政治家に裏金渡したと思い込んでいる人もいるんじゃないかなあ。火のないところに煙は立たない理論で。

とはいえ、自殺をするこたあ、ありません。生きていればいいことあります。くさらないで、がんばれよ、永田さん。

抜粋終了*

 

ほりえもんの前後の文意から見ても敵意はないし、むしろ「この程度のことで、何でそんなことすんの?」って気持ちが伝わる文章。

 

このあたり、非常に地域贔屓になるかもしれないけど、九州人って喧嘩になると思いっきり燃えるけど、一旦喧嘩が終わると、わりとあっさりしている。「この前はどうも〜」って言われたら「あ、そんなことありましたね〜、ははは」で終わる。

 

長生きするだけが目的なら他の対応もあるんだろうけど、楽しみながら生きるってのなら、過去の事はとっとと忘れていくほうが人生を単純に楽しめそうな気がする。

 

写真は今年のサンタ。この位置から眺め始めてもう8年です。



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2008年11月25日

昔国鉄今JR (ジャパンリテール)

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日本出張の機会が増えて気づくことがあった。これが旅の楽しみともいえる。

 

去年の冬は札幌駅の大丸を見た。

 

蒲田グランデュオは阪急との提携だ。

 

新横浜にはJR直営のアソシアが進出している。

 

名古屋の定宿はエキナカで、高島屋と一体化している。

 

京都ではいつもグランヴィアホテルだけどこれはJR直営で、エキナカは伊勢丹だ。

 

大阪はまだ工事現場しか見てないけど、博多ではすでに阪急との提携によるエキナカ計画が進んでいる。

 

そうなんだ、鉄道がサービス業に変化しているっていう肌感覚。2008年11月10日の日経ビジネスで特集として取り上げられていた「巨大流通業JR」というタイトル。

 

昨日の写真にある蒲田駅のグランデュオ。なにせ下町蒲田のど真ん中に出来た、何てか古い言葉で言えば「掃き溜めに鶴=差別用語か?」みたいな感じの素晴らしい建物。改札口を抜けるとそこはデパートの入り口って言うんだから、こりゃすごい。

 

いつもベースにしている恵比寿のアトレは、ホームは昔のままの薄暗い路地なんだけど一旦改札に上がるとそこは一気にショッピングセンター。

 

恵比寿アトレ地元の人の買い物用に成城石井スーパーがあり、売上効率ではセブンイレブンを追い抜く勢いのJRコンビニがあり、お洒落なエスカレーターで上に行けば、そこは無印も本屋も靴屋もあるし、何と新星堂まであるんだから、これはもうデパートだ。

 

 

新宿ルミネなんて、ありゃもう完璧デパート。デパートの地下に駅が間借りしている感じ。

 

品川駅ビルアトレ品川で数年前に発見した「モンド」というバーは、本店が銀座8丁目にある老舗バーなのに、何故か港南口のお洒落なレストランビルに入居している。ニューヨークをテーマにした全く新しい街をつくろうって意気込みだ。オイスターバーまであるんだもんね。

 

新幹線で品川に下りて、自宅に帰る前にちょいと一杯ひっかける、ではなく軽いワンショットを楽しめるって仕組みだ。駅ビルって言葉はもう禁句ですね。ありゃもう、あくまでも華やかな街アトレだ。

 

とにかくエキがすごいのだ。デパートと見間違えるほどのサービスや新感覚のカフェ、レストラン、エキナカ、エキマエ、エキウエ、その集客力を生かして最大効果を上げている。

 

何せ日本中どこのデパートも売上を減少させている中、このJR系列だけは対前年で売上を伸ばしているのだからすごい。

 

昭和の時代国鉄の時代、風呂敷に書類詰め込んで地方から陳情に集まったおらが村の代表が仕事帰りに溝鼠色のスーツに扇子で風を入れながら生ビールに枝豆を食ってたという東京駅八重洲口地下の煙草臭い食堂街とは全然違うのだ。

 

集団就職また、東北に帰る親戚の為にみんなが集まって、日本酒とするめで一杯やりながら座敷で一休みしてた上野駅前の百貨店とも違うのだ。ちなみにここは今年廃止されたとのこと。

 

 

まあそれは置いておいて、要するに他にも店があるのに、エキナカに行ってしまう集客力を持っているのが今のエキナカだ。それに移動の途中と言う時間の利益を考えれば、これは爆発的な力を持っているとしか言い様がない。

 

1980年代までの駅と言えば、乗り継ぎの為に立ち寄る薄汚い通路ってイメージで、そこに竹の折に入ってる駅弁と、とろけそうなうすーいプラスチック容器に入ったお茶を買い求める上京客。握りのところは針金で、容器はお湯の熱の為にゆがんでいるような状態。

 

横柄な態度の駅員相手にとても不愉快な思いをしながら、その上彼らがしょっちょう行うストライキで国民の怒りは心頭に達していた。

 

昔国鉄と呼ばれてた時代は国鉄職員が法律を逆手に取った順法ストとかやってた。国労や動労が強かった時代である。

 

東京駅工事中国鉄民営化の大鉈を振るったのは中曽根政権下の三塚博によってだ。当時は政治家の地元利益誘導の為に国鉄が利益の出ない駅をどんどん作り、その借金は国鉄が背負わされ、じゃあ何か新しいビジネスをしようとしても当時の国有鉄道法によって手足を縛られた状態で、その上一番大きな問題は労働組合だった。

 

つまり政治家によって都合よく食い物にされ、労働組合によって組織として骨抜きにされて、そんな中で国鉄の管理職で元気の良い連中は何とか国鉄を強くしようとして、国労や動労は何とかここを基盤にして日本国家をひっくり返そうとしていた。そんな時代に国鉄民営化が発表されたのだ。

 

要するに政治家の長年溜まったツケと政府に面倒くさい労働組合を一気に潰してしまおうというのが民営化である。そして政治家の目的が何であれ、それに乗っかることによって国鉄を民営化させて今のような発展を招いたのは、当時の国鉄の若手管理職である。今で言うとJR東日本の元社長さんとかですな。

 

1980年代の労働運動、特に総評や国労の活動は、30年経った今ではちょっと想像が付かないだろう。え〜、そんなことあったの〜?あり得ない!てなことになりそうなくらい、あり得ないことが日常で発生していた。

 

例えば改札スト。駅を出る人の切符を一切チェックしないストですね。これを事前に国民に通達するので、その日は誰でもただ乗り出来るのです。

 

うちゲバ吊るし上げ。自分より立場が上の上司であれ、相手が自分と所属が同じの組合員でなければ、勤務時間中でも相手を軟禁して数人で取り囲み怒鳴り上げ机を蹴飛ばして、徹底的に相手を脅かして、次に何かあっても命令を聞かなくてもよいようにする。

 

他にもいろんな事があった。人が鉄パイプで殴り殺されることもあった。

 

あの時代を通り過ぎてきた人間なら国鉄が今のJRになり、車掌が女性になり、お客に挨拶をするようになり、駅の改札が自動化されて、それだけでびっくりものだった。

 

今の人たちからすると、当時の国鉄民営化の緊張は理解出来ないだろう。最後の最後になって鬼の動労と言われた急進的組合が突然仲間である国労を裏切り政府側について、あっと言う間に民営化の勝負はついた。

 

あの時の裏切り、あれはすごかったな。裏で仕掛けたのが警察権力を握っていた政治家G、表で踊ったのがMだと言われている。あれが戦後労働運動の一番最後の幕引きかもしれない。

 

生き残ったMは2001年まで約16年間、JR東労組会長を務める。今もJRに影響力を持つ人物であるが、2007年頃からケーサツが潰しにかかっている。

 

それにしても今のJR。

 

そのような過去のしがらみを切り払い、見事に生まれ変わり、利益を生み出す事業となった。

 

消費が冷え込む日本。ところが日本の中核都市ではデパートとの提携による、全く新しい消費文化が始まっている。国鉄もJRに変化できた。学ぶもの、ありですね。変化、必要ですね。



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2008年11月24日

蒲田 行進曲?

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今年は東京に毎月来たので、少しづつ電車の移動時間や乗り継ぎ方法が分かるようになった。何せ移動と言えば徒歩か自家用車の国に住んでいると都内の電車の乗り継ぎなどまさにサーカスの綱渡りである。

 

しかしちょっとでも乗換えとかが分かるようになると付け上がるのが、僕の悪いくせ。

 

今回の目的地は蒲田。

 

蒲田と言えば「蒲田行進曲」か「砂の器」の冒頭のシーン程度しか思い浮かばず、日本にいる頃に流行った「池上線」と言う歌でイメージを浮かべるくらい。古い電車がガタガタ走ってるんだろうな、途中、電車から手を伸ばせば沿線沿いの古いアパートに手が届くんじゃないかって思うくらい。

 

約束の時間まで余裕があったので、僕は恵比寿から山手線に乗り無事に品川へ移動。渋谷・新宿方面に乗らないだけの智恵は付いた。

 

品川で乗り換えて下さいってことだったので、まるで東京人のようにスタスタと構内を移動して、えきの反対側にある乗り場に行く。

 

蒲田行きなので一旦改札を出てからスタスタと京急線の切符売り場へ移動。え〜っと、かまたかまた、あ、これかと切符を買う。

 

すんげえ田舎なんだろうな、熊でも出るんじゃねーかとか思いながら、けど地図を見ると羽田空港の近くなので、だったら飛行機が逆噴射して突っ込んでくるんじゃね〜か、でもって近くに多摩川があるんだから、街中をラッコやあざらしが歩いてるんじゃね〜かとか、がたがた揺れる電車の中でしょーもない事を考えて見る。

 

目的地は予め電話と地図で確認した。

 

「蒲田の駅では西口から出て右に進み、最初の川を渡ってすぐのところです」

 

なるほどなるほど。ちっちゃな駅を降りると僕はまず東口と西口を確認した。スタスタスタスタ、あれ?こっち東口ジャンか?やばし。電車から降りた人がいなくなった人気のない通路を再度反対側に渡って、今度は無事に西口発見。

 

お〜、噂にたがわず田舎ではないか!駅前の古い二階建ての建物は不動産屋で、ほこりだらけで雨ざらしのパンフレット立てにはでろ〜んと曲がったチラシ。3万円で部屋?!があるのかい?

 

車が離合出来ないほど細い通りにはアーチがかかっており、「商店街!」ですぜ。でもって、間口1メートルもないちっちゃな居酒屋が軒を連ねる雰囲気は、おお、これこそ昭和ですな、蒲田ですなと予想通り。

 

予想通りだったのはここまで。

 

駅を出て右に行くと確かにちっちゃな川がある。呑川だ。目的地はこの川の向こうのビル、よっしゃ一発で着いたじゃんか、やるじゃんとか思いながら川を渡ると、そこにあったのは大きな道路。

 

はあ?道一本分間違ったか?少し左側に移動するけど、大きな道路の両側にはラーメン屋とか畳屋とか表具やとか、とにかく古い店が並んでるけど、僕が目標とする高いビルは一つも見当たらない。

 

う〜ん、おっかしいな。それから番地を確認する。5丁目。合ってる。すぐ近くのはずじゃん。そう思いながら僕は手元の地図を上にしたり下にしたりしながら、とにかく川沿いにアルク。

 

途中で大きな道路は川をまたいでさっきの駅に戻るようにぐるっとなってる。ええい!行け。

 

今度はちょっと広めの商店街がある。けど違うな。大通り沿いに結局20分くらい歩くと、またもおっきな道路にぶつかる。その頃には5丁目が4丁目になったりして、僕の心のナビが「ぼけ〜!」と言い出す。

 

目の前に環八って書かれた道路があって、その先には蒲田郵便局がある。おっかしいな、こりゃほんとにやばいから電話してみよう。

 

「あの、今蒲田5丁目xx番なんですけど、目の前に環八って道路があって、交差点は蒲田郵便局なんですけど、そちらから頂いた地図と目の前の景色、全然違うんですよ。住所が間違ってるんじゃないですか?」と、歩きつかれて不機嫌な僕は、ついつい受付の人にきつい言い方。

 

「はあ?郵便局ですか?ええっと、ちょっと違うと思うんですけど、ちょっとお待ち下さい」と受話器を置いて彼女は大きな声で「ねえ、誰かかまた郵便局って知ってる〜?」とやりだす。

 

暫くして電話が男性に代わる。受話器が男性になったのではない。日本語ムズカシイ。

「あの〜、今いらっしゃるのは、蒲田ですよね?」

「はい、そうですよ、蒲田5丁目、間違いありません!」きっぱり。

彼、申し訳なさそうに、呆れたように、

「あの、すみません、うちは西蒲田なんですよ」と告げられる。

 

そうじゃん。。。。地図見ると、たしかに西蒲田と書いてて、僕が今いるところは蒲田・・・・。

けどさ、いくら何でもかまたはかまたでしょ!思わず無意味な怒りを感じる。ぶつけどころのない怒り。日本政府の住居の表示方法に対する怒りをぶつける相手は国交省か?

 

そんなしょうもない事を思いながら、それまでの態度をいきなり改めるものしゃくだし、大体ニュージーランドだったら西も東もねえぜお、蒲田は蒲田、マヌカウはマヌカウだろうが、ノースショアイーストとかノースショアウエストとかあるんかよ!的な態度で、

 

「けどですね、駅の西側から降りて言われたとおりに右に行ったんですよ、そしたら建物なんてないじゃないですか」

「あなた、京急で来られましたね?」相手も少しづつ状況が見えてきたようだ。

「そうですよ」何が悪いか?

「あのですね、うちはJRの蒲田なんですよ」これまた申し訳なさそうに彼が言う。

「はあ?!蒲田はいくつ駅があるんですか?」思わず聞いてしまった、ちょっと状況が読めない僕。

「あのですね、蒲田はJR、京急、東急とかが乗り入れてるんですよね、その中でうちがあるのはJRのかまたなんです」

 

・・あり得ん。同じ町で同じ駅の名前で3つも違う駅があるなんて・・・・。ニュージーランドでは田舎だと駅さえないんだぞ、どういうことだ、一つの街なら駅は一つだろ、ましてや3つも違う電車が乗り入れてるなんて、おかっしいじゃないか!

 

やり場のない怒り⇒普通の人は、これを「バカ」と言う。東京の人はこれお「いなかもん」と言う。

 

蒲田と西蒲田、京成電鉄とJRと東急、どういうことだ!

 

ぶつぶつと一人で文句を言いながら、次第に汗が出てくる体を元来た道に戻り、さっきの商店街に入る。

 

こちらが東だな。でもってそのうち見えてくるJRかまた駅東口を目指すんだな。

 

がりがり。細い商店街の通路を、子供を乗せた自転車が突っ込んでくるのをよけながら靴をがりがら言わせてアルク。

 

なんか道路の反対側じゃないんかな、そう思いながら、体はまっすぐに突き進む。

 

見えた!駅前の交番だ。やっぱり道路の反対側ジャン。

 

少し引き返してから交番に向かう。交番の手前に、たしかに電話で言われたようにくて低い通路がある。ジャイアント馬場なら間違いなくリンボーダンスだなアンドレザジャイアントだったら間違いなく匍匐前進だなとか思いながら暗い通路を進んで反対側に出ると、そこもまた実に昭和な雰囲気。

 

けど、前回来たときに見た景色と、dandan繋がってくる。そう、この訪問地は半年ほど前に一度来てたのだ。そしてその時はタクシーだった。

 

あった!JR!グランデュオって立派な建物が見えて来ましたよ!

 

駅を抜けて反対側、やっと目的地訪問を終えて必要な手続きを済ませて時計を見ると12時ちょい前。細い通りを抜けて駅に向かう途中で、呑川を渡ってすぐの右手がカレーのココ壱、左手が吉野家である。

 

両方の看板を物欲しそうにじっと見比べていた僕に、ココ壱の隣にあるちょっと静かそうな創作のお店の入り口で客引きしていたお姉さんが声をかけてきた。

 

「美味しいですよ、どうですか〜?」

 

美食「風」である。ちょろい僕は早速ビルの地下にあるお店に入り、そこでハマグリの洋風焼きとチーズ揚げ、それに焼きおにぎりを二つ頂く。

 

うむ、たしかに旨い。こりゃいいではないか。なんだ〜、蒲田も悪くないじゃんか。などと、自分のばかさ加減を棚に上げてのんびりとお昼ごはんを楽しんだ。

 

帰りはもちろんJRで。切符もちゃんと恵比寿まで買えました。



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2008年11月06日

わらしべ長者

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旅日記第三弾みたいになった。

 

香港までのフライト内で一仕事してラウンジでもう一仕事して、それからオークランド行きに乗り込む。最近は帰路をマイレージを使ってビジネスクラスを取る事がある。

 

てか、まともにビジネスクラスのチケットはよほどの事がない限り買わない。高いもんね。

 

それに僕の出張はいつも一人なのでキャセイ航空としても動かしやすいのだろう、エコノミーが満席の場合はよくビジネスにアップグレードしてくれる。

 

でもって今回は翌日すぐに仕事があるのでマイレージを使ってアップグレードする。東京から香港は予定通り中距離用のエアバスだったので何のびっくりもなかったのだけど半分くらいは空席あり。この機体はファーストクラスが付いてない作りだ。

 

成田空港で鶏肉煮込みカレーを食べたのでそれほどお腹も空かず、とりあえず冷たい水だけもらってごろごろしながら本や雑誌を読んだり仕事したりする。もしかして喉が痛いか?冷たい水が美味しいぞ。

 

そして旅日記第三弾が香港からオークランドです。

 

この区間、夏場は一日二便が就航している。人口600万人しかいなくても一日二便。それに比べて1億人が住む日本線はどんどん減便して日航は運行停止、ニュージーランド航空は福岡線廃止、名古屋線廃止、関空減便、東京機体小型化と、この格差が国家力なのか。もう世界2番目の国ではなくなったと実感する。いよいよJapanNothing。

 

今までこの路線はエアバスだったのだけど、どうやらこの日のCX107便からは新型ジャンボに切り替えたようだ。予め座席指定をした際のビジネスクラスシートのフロアプランがニュージーランド航空と同じコクーン型になっている。

 

お、なかなか期待出来ますなと思いながら機内に乗り込もうとすると、搭乗ゲートで搭乗券が弾かれた。

 

これってパチンコの確変(僕はパチンコをしたことがないのでよく分からんが)みたいなもので、要するに「お前の座席を変更しますよ」と言う意味の前触れ。どきどき。

 

ここで僕が個人的に考えている「わらしべ長者」が出てくる。最初はちっちゃくてもdandanと運がついてきてどんどん大きくなっていくって話。

 

ぼくの場合は1996年に立ち上げた旅行ビジネスは資本もなかったので日本人向け観光タクシー1台で始まった。最初からちっちゃく初めてそれをこつこつやって、当時の波に乗ったワーホリ、留学、キャリアアップ講座、レンタル携帯電話、そして移住と、何度かの幸運に恵まれてその度に少しづつ成長して今までやってきた。

 

なので、日本で最近よくあるような、大手資本がどっか〜んとあって取引先も大手と提携していきなり大きなビジネスを立ち上げる人々と違い、わらしべ長者がこつこつと積み上げるスタイルが自分の運の流れなんだろなと何時頃からか思うようになった。

 

F 座席だからだろう、いつも「気の流れ」ってのを気にする。例えば今回のようにアップグレードがあると、おお、ってことは、気の流れがこっちに来るかい、こりゃ「わらしべ長者確変」ですかいと期待していると、新しい搭乗券は1A!やったね!ファーストクラスではないか。

 

(写真は座席。二人くらい座れますぜ)

 

僕の気持ちの中ではエコノミー割引航空券を購入してマイレージを使ってビジネスにすると「わらしべ1便」で、これはある意味少し努力をした結果として受け取るもの。

 

でもってエコノミー割引でキャセイ航空が勝手にアップグレードしてくれると「わらしべ2便」なのだけど、これはこちらの努力は何もないのでとてもうれしい、あえて努力と言えばいつもきちんに飛行機に乗るってくらいか?オンタイムにチェックインして待ち時間は静かに機内ではおとなしく?

 

ところがこれで空港に到着して搭乗口でファーストクラスになってると「わらしべ特別便!」てなもんで、これは年金特別便よりもよっぽどうれしくなる。日頃頑張ってるよね、たまにはどうぞって御ほうびと思い込めるのである。

 

だってエコノミーの一番安い航空券を買ってそれがビジネスになって、最後にはファーストクラスに乗れてるんだから、こりゃ上昇運があると言える。この運が大事。

 

どんな成功しそうなビジネスでも運がなければ失敗する。天の時、地の利、人の和が揃って初めてビジネスはうまくいく。ビジネスはそのモデルだけでは決して成功はしないのだ。

 

特にそれが1Aだと単純にうれしくなってしまう。昔どこの街にも大衆浴場=銭湯があった時代は、5時ごろの早い時間に行って脱衣所の番号で1番のロッカーに荷物入れて王選手、3番を取って長島だとかはしゃいでた。今の2ちゃんで言えば2ゲトである。実際にはどこに座ってもサービスは同じなのだから関係ないんだけど。

 

ただ、香港オークランド線はここ5年くらい機体にファーストクラスが付いてなかったもんで、つまり天の時はなくて「わらしべ特別便」はなかったのだけど、今年から香港オークランド線でこの機体が常時就航ということになれば、これは天の時が来たか!てな感じ。

 

F 操作そしてもっとびっくりしたことは、1Aに座って珍しくてあちこち写真撮ってると、その隣、つまり1Bに座ってきたのが、僕がオークランドで長い付き合いをしているファイナンス会社の社長ではないか!

 

 

(座席横の操作盤、お花もついてます)

 

「おお!久しぶり!カナダからの戻りかい?」とか話しながら、彼と打ち合わせをしたいと思いながら保留になってた件の話をする。

 

会いたいんだよねと丁度思ってた人間にばったりと会えるんだから、こりゃもう人の和ですな。香港と言う地の利が味方してくれて同じ日のフライトと天の時が味方してくれて、今回の出張は後半になればなるほど東京での面談も含めて実り多いものになりました。

 

こういう運は流れがあるので、近づいてきたときにさっさと掴まないと、あっという間に逃げてしまう。そうなってから文句を言っても始まらない。

 

ちなみに飛行機は一つの例だけど、交差点の信号でも運を考えたりすることがある。クイーンストリートの交差点を渡ろうとして信号が赤になれば、これは「今やろうとしていることはちょっと待て、よく考えろ」って意味に捉えてる。青ならGOGOだ。

 

占い

そんな日常で出てくる様々なサインは誰の場合にもあるのではないかと思う。

 

そんなときには流れを読んでムリをせず流れに乗る、つまり赤信号なら次まで待つ、その時間(約30秒)を利用して保留になってた件を立ち止まって考えて見るとかした方が良い。

 

ビルの停電でパソコンが止まったときなども、「え!なんでこんな一番大事なときに!」と怒り出す人がいる。けど、そういう人はいついかなるときでもそうやって怒るのだ。そしてその結果、自分の運命を甘受出来ずに折角次の機会に来る運を失ってしまう。

 

古代の戦争でも運が重要視された。だから戦争やるときも占い師を連れて行ったくらいだ。

 

占い地図今のような科学万能の時代では運なんて「眉唾」となるけど、僕自身は運の存在を知りたくて20代前半はかなりフリー麻雀やってた。あの時四方と四人の気の流れとか運勢の存在を感じて、とても勉強になったのを覚えている。

 

目に見えないから存在しないってなら空気は存在しないのかって話になる。そのくせ何千年も前の、自分の目で見たこともない恐竜とか人類の発達とかはまるで絶対の事実のように話をするのだから、そりゃどうなんかと思ったりする。

 

西洋科学ってのはキリスト教と同じで、私だけを信じなさいと強制する面がある。それに比べれば他人の宗教や考えも受け入れて「それもありかもね」と言って目に見えない運命を大事にする東洋文明のほうが余程奥深いと思う。

 

万能である筈の科学が「透視、瞬間移動、使者との交流、魂の存在」など世の中の事象の多くを説明できずにいるんだから、そろそろ万能という看板を下げて、人々も西洋科学だからと無批判に信用するのも考えたほうが良いのでは?

 

いずれにしても、今自分に来ている流れを大事にしておくことだ。

 

特に悪い気が来れば「まあそんなものでしょ、他のことをやっておきましょ」と流すこと。そうしないとそこで一気にドツボにはまる。これは麻雀の経験で覚えた。

 

今回は出張でもいろんな人に会えてうまくいったし、戻ってくる飛行機でも偶然が続いた。波が来てるんだろうな、これが出来るだけ持続するように、流れに逆らわないようにしなきゃ。

 

さ、これからも運を大事にしていこう。



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2008年11月04日

うれしい誤算?

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やっと空港の人間も少しはお客の顔を見て声を聞くようになったのか、自分の脳みそでモノを考えるようになったのか、それとも判断権限のある上司が就任したのか。

 

成田空港で荷物を預けて保安検査場を通るときの事。大きな荷物や洗面用具は機内預けにして、手荷物はPCケースと機内での着替えをいれた布バッグ。

 

普通にパソコンを取り出して上着を脱いで検査場をくぐったのだが、荷物が引っかかった。というのも、布バッグの着替えのジャージのポケットに旅行用のリストリンが入ってたのだ。これが見事にチェックに引っ掛かり御用となったのだ。

 

でもって、こりゃ仕方ないな、没収でいいやと思い検査官に「あ、すみません。これ没収でお願いします」と言おうとする前に検査官から「あの〜、すみませんが何かビニール袋をお持ちじゃないですか?」だって。

 

ただ殆どのものは機内預けにしてたので当然袋状のものは何もない。だもんでこれまた「いや、袋状のものがないんですよ」と言って「では棄てます」という前に!またまた検査官、「は〜い、じゃすみませんが、ちょっと待っててください」と可愛い声で言われた。

 

何か呼び出しか?たかがリストリンだもん、そんな大した事ではないよねと思いつつ検査官が戻るのを待っていた。

 

するとこの人、なんと空港で無料で配布しているビニール袋を探してきて、わざわざそれに入れてくれて「はい、じゃあこれでOKです!」だって。

 

成田の場傘加減にはかなりいらいら感を持ってたのだが、今回のこのちょっとした「気遣い」には、おお!とびっくり。

 

もちろん彼女にもお礼を言ったのだが、その動きを見るとどうも組織的にやってるのではないかという気がする。つまり彼女が個人的に気遣いをしたというよりも「検査で液体を持ってる場合は、それがちっちゃなものであれば袋に入れてあげなさい」という指示が出てるのではないかって感じ。

 

いちいち聞くのも変だなと思ったのであえて質問はしなかったのだけど、成田もちゃんとお客の顔を見るようになったんだなと思った。

 

写真は遠くに見えるレインボーブリッジです。

  



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2008年11月03日

夕暮れ東京

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今回の説明会では不動産の質問が目立った。やはりニュージーランドの不動産価格が下落しており尚且つ円高なので、皆さんそろそろ「買い時」と考えているのだろう。

 

午後は個人面談を済ませて品川に出る。ホテルのカフェでお客様と打ち合わせだ。ここでも話は不動産になる。

 

う〜ん、うち、移住が主な仕事なんだけど、具体的な商品ってなるとやっぱり不動産が一番分かり易いようで、この説明に時間を使う。

 

確かに移住屋ってのは何を売ってるんだ?と聞かれて困るのも事実。要するにライフコンサルティングなんだけど、これっくらい分かりにくい「商品」もないもんだ。大体お前みたいな壊れた奴が人様に行き方を説明出来るんかい、てな感じである。

 

最近流行の言葉で言えばメンターか?めんたいこか仮面ライダーみたいだな。

 

それとも新興宗教?そおすると僕は神主か?そういえば「かんぬし」と言う漢字も迫力あるな。神(かみ)の主(ぬし)なんだから神の子のイエスキリストよりも偉いんじゃないか?主と子、やっぱり勝ち目は主にあるよね。

 

いずれにしても言えるのは、日本の産業分類には出てこない業種だってこと。もちっと分かり易い業種だったら説明も簡単なんですけどね〜。

 

いっそのこと煙草でも売ってみるか、そしたら普通に「煙草やです」って説明出来る。けど煙草だけじゃ面白くないからと、僕の性格だとコンビニを開いてしまうだろうな、そうなると今の時代なら「うち、コンビニです」で通用するけど、40年前だとコンビニなんて業態がなかったから、やっぱり「それってなによ?」となるんだろうな。

 

なんて意味不明なことを考えながらお客様に当社の商品を説明していく。移住でしょ、起業でしょ、投資でしょ、あれ?もいっこなんだっけ?やっぱり最近の俺って壊れてるぞい。

 

てなことを頭の片方で考えながら、もう片方の頭を使って商品説明を続けていく。

 

そうこうしているうちに日も沈み、日本の真ん中東京ではdandanと寒さも増してくる。ほお、もうすぐ冬なんですな、そんな事を思いながら、あいも変わらず結婚式で賑わうホテルに戻る。

 

さ、これで今回の東京は終了、あとは明日の飛行機に乗ってオークランドに戻るだけです。皆さん、明日のことなど考えずに今日の結婚、お幸せに。

 

 



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2008年09月26日

名古屋の定宿のバーにて

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名古屋の定宿のバーで、遅い時間に少し飲む。

 

ここは外人が多くて、それは良いのだが、遅い時間になると酔っ払いが増える。こうなると僕に直接的被害が発生する。

 

くそ、エレベータに無理やり乗り込んでうるせー事言った白人のデブ中年のお前、次に会ったら体育館の裏でゆっくりお話するぞ(最近はxxxxx!と書いたら殺人予備罪とかでやばいので、丁寧に書く)と、結構本気で思う。

 

日本最後の夜なのに、かなりへこむ。

 

でも、気分を治してバーに行く。すると、ここでも客のレベル低すぎ〜。カウンターに坐って酒を飲みながらゆっくりしていると、若い黒Tシャツ姿の白人二人組みが隣に坐ってきた。

 

とにかくFワードの連続で、一人はカリフォルニア、もう一人はロンドンから来たようだが、共通事項はFワードdaisuki、もう一つの共通事項は黒いTシャツなのか。

 

話している言語量の20%くらいは車のコンピュータ関連用語みたいで、その接続詞としてFワードを80%くらい使ってる。

 

TOYOTAと取引が出来れば、それは技術的に認められる。それでもやっぱり利益を出すのは大変だろう。そんなストレスがバーで発散されるのか、それとも最初から酔っ払いなのか、なんて思ってた。

 

いずれにしても一番やばいのが煙草。

 

「おお、ここでは煙草吸えるんだな!」なんて大声で嬉しそうに騒いでるんだけど、xx丸出し。

 

「どっから来たんだい?」白人の兄ちゃんが楽しそうに話しかけてくる。おいおい、英語が出来ることが前提かよ?

 

名古屋弁が使えないので「名古屋だよ」とは言えず、ついついめんどくさくなって「オークランドだよ、でも、お前の住んでるアメリカのほうじゃない」って、ぽつぽつと話す。

 

それからは酔っ払いの常で、いつの間にかこっちも話に巻き込まれて、煙草の煙もそのうち忘れてしまい、よくよく聴くと彼らは「あぶりる」という歌手のバックバンドだってのが分かる。

 

なるほど、音響効果とかの話をしてたんだな、薄れゆく記憶の中で何となく理解する。

 

名古屋のこのホテルは、以前も書いたと思うけど、世界中から「トヨタ詣で」にやってきた「寂しい外国人」が集まる場所なのだ。

 

今回はたまたまバンドだったけど、それにしても名古屋、国際化しましたね。外人がカタカナ覚える前に、ビルチ“ングをどうにかしたいと思うのは、僕だけか?

 

あれに何か意味があるのなら、知ってる人教えてくださいな。

 

でも、ところで、あぶりるって誰だ?



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2008年09月20日

はだしのゲン

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りょうまと一緒に「はだしのゲン」アニメを見る。

 

てか、出張が終わりオークランド空港に到着して会社でちょっと仕事をして自宅に戻って風呂に入り、やっと一息ついたとこでソファに坐ると、りょうまが何故かアニメを見ている。

 

 

そのアニメが日本語でやってたので何気なしにちらちら見てると、こりゃどうも広島弁のようだ。そのうちりょうまに「君は何見てるんだ?」と聞くと「日本のアニメ!」と答える。

 

もう話しても無駄なのでパッケージを見ると、何と「はだしのゲン」ではないか。英語版で普通にニュージーランドで販売されているのだ。

 

この漫画は僕の子供の頃に出版されて、リアルタイムで読んでた。そう思い出してwikiで調べると、最初は1973年、少年ジャンプで連載が開始されたとの記録。

 

一番感性が豊かな時期にあの時の少年ジャンプと巡り合えたのは運が良いとしかいいようがない。

 

当時の少年ジャンプは後発漫画週刊誌だったけど、そのレベルの高さは今思い出してもぞっとするくらいだ。

 

何せ毎週毎週発売される漫画雑誌なのに、どの掲載作品も質が高い。てか、あの当時に質の低い漫画なんて到底生き残れなかった。

 

もちろんマガジンもサンデーもレベル高かったな〜。今の漫画やアニメや実写映画などを見ても、原型はすべてあの時代にあるって感じがする。

 

書き出したらきりがないから「子供と終戦」だけをテーマにすると、あの時代の最高峰は(漫画が原作ではなかったが)「火垂るの墓」と「はだしのゲン」だろう。

 

戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さ、そんな体験を子供の目から見た作品であり、一生懸命に生きようとする子供たちの姿は、漫画やアニメ、小説、その媒体や言語を超えて世界中に広がった。

 

「火垂るの墓」は、今でも絶対に見たくない。涙が止まらなくなるからだ。みっともない。

 

ところが「はだしのゲン」は原作以来ずっと見てなかったので、ついついりょうま君と肩を並べて見てしまった。

 

やっば〜、これもダメじゃん・・・涙が止まらなくなる。呼吸をしようとすると胸につっかえがきてしまい、声を出そうとすると涙腺がゆるむ。

 

政治のレベルで考えれば人が戦争で死ぬのは理解出来る。しかし、目の前でこのような絵を見せられると、出来る限り戦いはせずに話し合いで片付けたいと思う。

 

同時に、話し合いだけで世の中がすまないこともよく分かっている。だから、相手が喧嘩したくなくなるような強い人間にならないといかんと思う。そういう気持ちを少しでも人に持たせることが出来る、素晴らしい作品だ。

 

この映画は反戦とか平和とか、そんな物語ではない。生き残る為の戦いを描いている。仲間を守る為に戦い、生き残る為に戦う。

 

そんな姿の前ではどんな偽善ヒューマニズムも通用しない。死ぬような苦労をして生きてきた人間にとって何より腹が立って嫌いなのは、上っ面だけの偽善と上っ面でヒューマニズムと言いながら自分だけは守ろうとする連中である。

 

立派なことを言うんなら、自分の資産と土地を全部差し出してみろといいたい。自分を捨てる事が出来もしない人間が偉そうにヒューマニズムなど、言うな。

 

りょうまが「はだしのゲン」を見ながら、時々目をうるませている。

 

「お父さん、何でアメリカは原爆を落としたの?」、「お父さん、彼らはガンになったの?」、「何でアメリカは日本と戦争したの?」悲しそうな顔で分からない事を聞いて来る。

 

勿論英語だ。英語で戦争の話をしてあげる。結局言葉の問題じゃない。心の問題なのだ。日本人だから分かるとか米国人だから分からないとか、そんなことじゃない。英語でも伝わる。良いことだ。今のうちに豊かな心を持ってもらいたい。

 

日本には、こんな素晴らしいアニメ文化がある。政府も下らないことに金を使わず、こういう本当に世界に通用する文化の背中を後押ししてもらいたいものだ。

 

聞けば麻生さん、外務大臣の頃に「はだしのゲン」の英語版アニメを核拡散条約の会議の際に各国に配布したそうだ。

 

 



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2008年09月18日

志ら玉

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志ら玉

 

昨晩は、これまた自分で行けることは一生ないような老舗料亭へご招待いただく。

 

名古屋に行くたびにいつもご馳走になっているので本当に申し訳ないくらいなのだが、お客様から「たまには純和風懐石はいかがですか?」とお勧めしていただき、料亭も懐石もテレビの中でしか見たことがない僕としては、えいや!って感じでお受けした。

 

それにしても今回は食事出張かと思うくらい食べる機会がある。普通なら出張の後半は体がべっとりと疲れたようになって飯が喉を通らなくなるのだが、美味しいものを頂いているせいか、今回は最終日にも関わらずあまり疲れもなく、食事も美味しくいただく。

 

それにしても日本の文化は楽しい。奥が深い。建国170年の歴史しかないニュージーランドと比較するのは不公平だとは思うけど、この料亭の作り、行儀作法、味、途中のてなぐさみ、どれ一つをとっても絶対にニュージーランドでは存在しない内容だ。

 

てゆ〜か、こういうのは、やっぱりその文化が生まれ育った地域から外に出してしまうと、それだけで変化していくのだろう。

 

お店では「お値打ち」と言うことばを頻繁に聞く。出された料理を食べつくすことが出来ない僕は、まるで値打ちの分からない人間だ〜みたいな視線で見られる。

 

三味線1美味しい料理を手軽な値段で提供し、更に仲居さんの素敵な笑顔と毛氈に坐って三味線を弾いてくれるお遊び。

 

聞けばすべての座敷を回って楽しませているComplimentary serviceなのだから素晴らしい。

 

 

かなり御年なおかみさんが、にこにこしながら「名古屋のPRソング、是非とも聴いてくださいな、あたしゃ昔は美人三姉妹、今は恐怖のばば三人ですが、怖がらずに楽しんでいってくださいね〜」と明るい声で話しかけてくれる。

 

甚句とは今の時代の言葉でPRにあたるそうだ。昔美人のおばあさんの時代には、PRって言葉なかったでしょう。それを今の時代に合うように変化させて、伝統の技を守りながら客を楽しませる術を知っているこの人たち、ほんとに素晴らしいなと思った。

 

「そんな素晴らしい日本をダメにしている今の時代ってのは、全部ひっくり返してがらがらポンってやんなきゃダメだよ」お客様がおっしゃる。

 

お客様は単なる知識人というだけでなく、様々な日本文化にも通じており、そして政治にも経済にも明るく、何よりも独立不羈、そして自分の頭で考えることを当然とする素晴らしい方で、いつも学ばされることが多い。

 

なのでこの晩は、食事を楽しみ日本文化に頷きお客様とのお話に学ぶものがあり、実に楽しい夜となった。

 

それにしても何よりも思うのは、ここ数年で完全に「潮目が変わった」ということだ。今まではこのようなお客様は日本における少数であり、実際にニュージーランドでビジネスをするなんて人は超少数だった。

 

ところが今、30代後半から40代前半の人々がニュージーランドに目を向けてビジネスを始めている。

 

「日本の常識は世界の非常識」って紙に書くと、それをそのまま自分の知識のようにひけらかす上場企業の社員。

 

ところが彼らに「だから世界の常識で考えましょうよ」と言うと、「え〜!そんなの非常識ですよ!」となる。

 

「だ〜から君の常識は世界では通用しないし、世界に打って出なければ少子高齢化が進む日本に市場はないのだから、ジリ貧になるではないか!」と説明しても、やっぱり理解出来ない。

 

つまり、本に書いている言葉を口にはするが、その意味することを自分の頭で理解していないのだ。自分で考えることが出来ないのだ。まさにxxである。

 

でも、いつの時代も生き残れるのは、自分の頭で考えて行動する人々だ。

 

この料亭も今では老舗だが、創業当初は様々な苦労もあっただろう。それでも打って出た。そして今も、大事なものを守りながら変化し続けている。

 

京都の歴史あるお菓子屋に言わせれば、常に変化し続けることこそが生き残る道だという。

 

つまり、常に変化し続けながら守るべきものを守ったから今があるのだ。

 

変化し続けるには、常に現状に疑問を持たねばならない。その為には現状がどうなのか客観的に判断せねばならない。そこには知識と健全な危機感が必要である。

 

しかし、だからと言って生き残る為だけに「守るべきもの」を棄ててしまっては、生き残る意味がない。

 

知識もなく危機感も持たず自分の頭で考えない人間の未来はない。常に変化し続ける日本の伝統文化に囲まれてお客様と話しながら、本気でそう思った。



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2008年07月30日

食 北関東 5

新幹線田んぼ今回北関東を回って一番感じたのは、新幹線と田んぼと民家が並列しているって事だ。

 

勿論これは3月の北海道市場調査でも同じなんだけど、あの頃は雪ばっかりで、農家の娘さんの話を聞くだけだった。

 

 

だから、今回のように、池袋から電車に乗って暫くすると、本当に田んぼやネギ畑?が並んでいる景色には、おお!って感じだった。

 

お前どこで生まれたんだよ?って言われそうだが、そうなんです、実は僕は子供の頃からコンクリートジャングル系だったので、川で遊ぶとか田んぼを見るとか、そういう機会がとても少ないし、第一子供の頃は自閉症だったので、そんなもんが目に入っても見てなかったんだと思う。

 

美味しんぼ 102巻

 

うちの会社には「美味しんぼ」をほぼ全巻置いてある。ところどころ抜けているのもあるが、基本は新しい巻がでたら逐次購入である。

 

漫画が「ガキの精神教育に良くない読み物」と、食わず嫌いのPTAに嫌われて実質発禁処分になってた時代から漫画を読んでいた僕は、PTAの連中のあまりの理解力ほぼゼロの無知さと知ったかぶりの厚顔さに呆れるよりも、その当時は小学生だったので、思いっきり腹を立てた記憶がある。

 

その中でもビッグコミック系列は電車の中で読むとまだエロ本と思われてた時代に「美味しんぼ」が出てきた。それまでは「浮浪雲(はぐれぐも)」などの傑作(その後大学受験の題材に取り入れられる)が代表作として取り上げられたが、「それでも所詮は男のエロ本の延長でしょ」だったのが、「美味しんぼ」が出てからは社会的地位に変化も出てきたような気がする。

 

思いっきり話はそれるが、「はぐれ雲」の作者である秋山ジョージ氏は、その昔人間の業を描いた「アシュラ」で神奈川県教育委員会から「未成年が読んじゃいけないよ」指定を受けたし、「灰になる少年」では公害問題を追及したし、「銭ゲバ」では拝金主義に陥る社会に痛烈な批判をぶつけた人物である。

 

その結果、殆どのマスコミから無視された時代がある人だ。正しい事を言う人が無視される、こんなの、ありかいと本気で思った時代だ。

 

そ〜いう作者が書いた内容がその後大学試験の質問に出てきたってのは、どれほど昔のPTA連中があふぉだったかってのをよく表してるし、漫画を馬鹿の読むものと決め付けた連中の馬鹿さ加減を表している。

 

またもネタがそれた。

 

さて、その「美味しんぼ」の102巻を購入すると、今回のテーマは「食のあり方」である。これは以前から僕も興味があったので、かなり読み込む。

 

ところがその後、成田からオークランドに戻る時に、機内に乗り込む前に買った雑誌が、「週刊ダイヤモンド7月26日号」である。

 

何と、食に関する大特集をやっており、以前から食の問題については私淑(ししゅく)している吉野家の安部社長の持論、「安全と安心の違い」を読む。

 

上越新幹線安全は絶対に必要。でも安心は感覚だから人によって違う。そういう人を最大公約数で満足させようとすると、その原価がとてつもなくかかる。結果的にそれは消費者が負担することになる。企業が赤字になれば倒産して商品が提供出来なくなるから、消費者負担にせざるを得ないのだ。だから消費者はもっと賢くあらねば、結局は自分が被害を蒙ることになるのだ。

 

ここまでが彼の今回の持論。

 

ここから先は、日本の経営者がなかなか口に出せない本音。

 

ところがその過程において企業も自らの経営努力で出来る限り原価を下げる。これが問題で、原価を下げる場合に最も手っ取り早いのが、取引先企業に値引きを要求したり、自社の社員の給料を下げること、または社員を出来る限り減らしてパートや派遣にすることだ。

 

その結果として全体的に労働者の給料は低く抑えられ、昼食は500円のコンビニ弁当となる。だからモノが売れなくなり、結果的にいつまで経っても日本経済で消費が活性化しなくなる。結局いつまでたっても不況から抜け出せない現状になっているのだ。

 

民家の畑だから、消費者が賢くなり、意味のない「安全神話」をまるで金科玉条のようにして騒ぐのではなく、自己責任で勉強して、無駄なモノを省くことがまず第一だ。

 

その上で、良いものは高いという事を認めて、良いものにはきちんとお金を払うという習慣を身に付ける事だ。

 

そうすれば企業の経営者も賃上げの余裕が出てきて、結果的に労働者も収入が増えるし、それが消費経済の活性化につながり、そうすれば消費税も取れるから税務署も暴力団並みの取立てをしなくてよくなるし、国家予算も安定すれば福利厚生の切り捨ても不要になる。

 

経営者が何故本音を言わないか?それを言うとマスコミに叩かれて不買運動が起こり株価が下がり経営者が首になるからだ。

 

要するに、消費者は同時に労働者であり、状況を分かっている経営者は本音を口に出来ず、今は無知な消費者が自分で自分の首を絞めている状態だってことだ。

 

勿論無知な消費者を創り上げたのは政府である。いつも書くことだが、「民は寄らしむべし知らせるべからず」と言う江戸時代からの統治方法が今の日本の不況の大本である。

 

民衆は政府を頼りにして、何も考えずについていく、そういう統治方法は、もう限界なのだ。どうしてもやりたければ、再度鎖国するしかないが、それは現実的に不可能。だったら門戸を開いて、「民は自立させるべし知らせるべし」とするしかないのだ。

 

つまり、個人の自己責任原則の導入と政府による情報開示である。

 

これが出来ない現在を作っているのは、選挙の事が気になって仕方がない政治家と、自分の天下り先が心配で仕方ない役人である。

 

つまり、分かっている人々は、経営者も政治家も役人も皆自分の身が可愛いから保身の為に何も言わず、分かってない一般国民は不景気にどっぷり浸かっている原因を考えようともせずに、目先の感情のみで動いている。その結果、昔の日本と同じで、敗戦に向けて皆で一直線、どっぽ〜んとなるのだ。

 

食に関する問題は消費者の問題から始まって国際社会での貿易まで広がるので、小手先だけちょこちょこやってもどうしようもない。やっぱり国全体をゼロから作り直す必要があるのだ。

 

それにしてもこういう偶然、よくある。何かのテーマを調べていると、それに関連する情報がぞろぞろと出てくるのだ。

 

美味しんぼとダイアモンドと、そして今回巡った北関東の畑。

 

温室今までもいろんな街を回ってきたが、これほど農地と自宅がぴったりと同居している景色は、あまり見たことがない。

 

新潟が日本で一番米が取れるとか、埼玉はネギの生産地とか、とにかく日常生活に農業が直結しているのが肌で感じられた。

 

僕は生まれた時からアパート生活だし、大人になってからは都会しか知らず、それからクイーンズタウン、香港、オークランドと、日本的な景色をまともに見ることがなかった。

 

中学校の頃に川の魚の名前を先生に聞かれて、僕一人がクラスの中で唯一知らなかった記憶がある。

 

 

食の問題。火中の栗を拾う政治家がいるのだろうか?

 

少なくとも僕は、政治家になる道よりも外国で生活をする道を選んだ。だから政治家にならない人を非難する立場にいない。

 

でも、今の日本を立て直すんだったら、政治からしかない。特に国家レベルで言えば自民党も民主党も理解している一番の問題が官僚であり、それを改善する為の法律が「国家公務員制度改革基本法案」である。

 

時間はかかるけど、15年間失敗してきたんだ、同じ時間をかけて直していくしかない。

  



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2008年07月29日

移住の必要なし! 北関東 4

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しまむらのような大型衣服量販店、銭湯のような温泉施設、イオンに代表される郊外型ショッピングモール、どれにも共通するのが、まるでアメリカの50年代のように、人々が車で移動することを前提としていることだ。

 

違う点は、こっちの場合道が細いので車種が軽であるってくらい。

 

 

 

そんなの“当たり前田のクラッカー”なんて言われても、僕としては、商店街とは駅前であり、人々の移動は電車又はバスが基本で、その中心地となるターミナル駅が最も繁華街となってた時代しかしらない。

 

九州の田舎を回ったりして、駅前型商店街が完璧に崩壊しているのはまざまざと見てきたが、その反対の極にある、発展する郊外型ビジネスモデルを見る機会が、今までなかった。

 

理由は簡単で、地方に出張しても新幹線で移動出来る範囲内しか見れないし、ましてわざわざレンタカーを借りてまで見に行く時間も取れなかったからだ。

 

だから日経ビジネスなどでイオンのビジネスモデルとかしまむらのビジネスモデルとか、要するに郊外型がどんどん成長しているのを見て、一度は自分の目で見てみたいな〜と思ってた。

 

それが今回の出張では、池袋から川越、最初から「普通の人々の生活」を見る予定を組めたので、ショッピングセンターを回り、スーパーで肉や野菜の価格を調べて、寂れた駅前、軽自動車での移動、食材の販売サイズの極小化、朝から温泉に入る老人や中年、そんな地元の人の話を聴くことが出来た。

 

これが九州だと、おそらく僕の地元と言うこともあって、どうしても僕自身がある種の「思い込み」を持ってしまい、客観的な判断が出来なかっただろう。

 

人々の顔を見て、話を聞いて、街を見て、そして直感的に思った。

 

結論から言えば、多くの日本人にとって今必要なのは、移住ではないと言うことだ。

 

今必要なのは、閉塞感というヘリウムが詰まった、パンパンに膨れた風船を一突きして吹っ飛ばす「力」だ。

 

それは政治だ。それも、国政レベルではなく、市政レベルである。

 

子供たちが通う学校の安全性の確保、老人の生活を守るセーフティネット、雇用を確保する為の既存の産業の再開発、そして何よりも、北関東においては農業の再興だろう。

 

 

これは、国政レベルでやろうとすると、どうしても国会レベルで利害が出るので法制化が難しい。

 

県議会でも、一つの県の利益の方向性が一つに向いてないのが現実だ。同じ県名で違う市が新幹線誘致の喧嘩をしているのだから。また、町政レベルでは予算問題等で、独自に動くには小さすぎる。

 

でも市政レベルならそれなりの収入はあるし、市民の利益の方向性はある程度一致している。それに他の市の干渉を受ける必要はない。県庁に根回しして、霞ヶ関に目立たないように進めることが出来る。

 

 

「ふざけんな、市政の難しさを分かってるのか!」と言われそうだが、それはそのままお返ししたい。「ふざけんな、難しいからこそお前がやっているんだろうが!能力ないなら、引っ込め!」

 

僕は市政の何を知っているわけではない。ただ、色んな国で仕事をして、個人的にも政治や文化が好きで勉強して、日本では国政を見ている立場からすると、「あるべき市政」が見えてくる。

 

市の条例の細かい条文がどうなのか、そんな事は知らないが、自分が20年海外で生きてきた経験から言えるのは、直感的に言えるのは今の日本の切り口は市政だって事だ。市政だったら、力技で反対派を押さえ込める。そしてもう一つのポイントが、素人が政治家になることだ。

 

国政では、政治のプロでないと潰される。でも喧嘩の仕方さえ知ってれば、市政ならそれはないような気がする。つまり素人でも参加出来るのだ。素人が仲間の代表として政治家になればよい。金儲けの為の政治屋ではなく、あくまでも期間限定の政治家だ。

 

今の仕事を一時期辞めて、10年程度政治を司って、市民の意見を実現していく。一定の年齢になったり実績が十分に出来れば、その時に政治家を辞めて、また昔の仕事に戻っても良い。他の仕事をしても良い。

 

要するに「みんなの為に働く」のだ。

 

ニュージーランドではすでにこの仕組みが定着しており、だからこそ(途中をはしょるが)政治に汚職が少ない。日本ではこの仕組みをいきなり国政に導入なんて出来る仕組みになってない。

 

でも市会議員なら、手弁当で選挙に出られる。周囲のサポートがあれば、自分の街を再開発出来る。

 

どうだ、それだけでも楽しくないか?わくわくしないか?自分が生まれた街を、自分の手で良くしていくのだ。

 

そんな機会に恵まれる人は少ない。多くの人は、機会があっても本人にその器がないからやれない。これこそ、「人は死して名を残す」、ではないか。子供のための最高の置き土産ではないか。今の時代しか出来ない。世の中が完全に混沌としている今の、それも地方だから出来ることだ。

 

何故僕がそう思ったか?そこには色んな原因がある。思いつくままに列記してみると、

 

地方では初任給が安いと言いながら、スーパーで売られている食品は一人暮らし分に細かくパックされてて、尚且つ安い。つまり、食が確保されているのだ。

 

ちなみにニュージーランドの現在の為替でざっと比較してみると、卵は半額、肉は同額、飲料は半額、そしてトイレットペーパー、洗剤、シャンプー、石鹸などに至っては、思いっきり高性能でありながら半額以下だ。

 

おまけに品物の豊富さと品質の高さは、ニュージーランド産など恥ずかしくて横に並べることも出来ないほどだ。

 

モール朝から焼きたてのパンの香りがするスーパーを見て回り、レジのサービスの良さ、第一、レジの外で買い物をまとめてふと見ると、何と水を無料で飲めるようにしている!

 

それが、最初はちっちゃなカップに飲めるやつを見て、「おお、こりゃ気が利いてる」と思ったのだ。

 

ところがが、なんとそれから出口に近づくと、そこには更にペットボトルに無料で水が入れられるようになっているのだ!

 

こりゃもう、アリエナイザーイナバウアーである。

 

そこにユニクロ、しまむらが続く。低価格高品質の衣料である。

 

そして、家賃が安い。地方の場合は自宅通勤が多く家賃負担が家庭全体で振り分けられるのだ。

 

つまり、生活の基本である衣食住は、実は今でもきちんと守られているのだ。普通に生活をする分には、一生懸命働きさえすれば、地方ではやっていけるのだ。

 

そして朝からお風呂に行くおじいちゃん、開店の10時を待ってクーラーの効いた車の中で新聞を読んでいる。実は新聞にはとんでもないことが毎日起こっているのだが、おじいちゃん、「いやいや、今の日本は大変だね〜」と言いながら新聞を閉じて、開店したお風呂にそそくさと入って、いやさ、今日も幸せ。

 

要するに、人々は幸せなのだ。ナンだかんだ言っても、幸せに生きてるのだ。大事なのは、その生活を守ることであって、難しい話をすることではない。

 

要するにその町の住民の意思を汲み取って政治に反映させることが出来ればよいのだ。目先の金ではなく地域の自立を真剣に考えて、必要なら地元選出の国会議員をあごで使う。そいつを自分の代弁者として国政に送り込む。

 

そうやって、地域を活性化させれば、移住なんて必要ない。日本で十分に楽しく生きていけるのだ。意味不明の英語、違う文化習慣、そんな事に苦労しなくても、生まれた街で生活を構築出来るのだ。

 

「移住をビジネスとしているお前がそんな事言って、そりゃ自爆じゃねえか?」なんて思う人もいるだろうが、僕は昔から自分のビジネススタイルがある。

 

それは、お客様にとって何が最高の選択かを考えた上でその提案をするのが僕の仕事だと思っているから、それが結果的に僕の利益の期待値にいかなくても、それで良いということだ。

 

どれだけ自分の懐が苦しかろうが、相手にとって最善の選択をさせずに自分だけ利益を得るなんて、商売じゃないと思ってる。皆が儲かってなんぼだ、それがビジネスである。そんなビジネスモデルが作れないなら、やらないほうがまし。

 

ただ、今回の北関東を見て思ったのは、ここはまだ力が残っているって事だ。まだやっていける、十分に活性化出来る、そう感じた。

 

でも、どんな状態も、必ず旬がある。時期を逃せば、後になって「ああ、あの時やっておけば」と言うことになる。

 

今出来るときに、今出来る最善の事をする。夕張のように、国が「お前、死ねや」と宣言されてしまえばおしまいである。

 

今、体力のあるうちに市政レベルで戦えば、ほんっと、移住なんて必要ないって。

 

僕は市議会がどこまで議決権を持っているかは知らない。でも本能的に分かる。今ならやれる。条文解釈とか、そんなもんはやる気さえあればどうにでもなる。ジャの道は蛇だ。

 

今回、北関東を回って、何となく自分の中で、まだいけるじゃん、「ニッポンちゃちゃちゃ!」って気になった。

 

ただ、そうは言っても移住したい人向けに、第33回ニュージーランド外貨預金・移住・投資説明会を9月14日(日)13:00から15:00を予定しています。

 

詳細はこちら。

 

はは、商売している。



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2008年07月28日

歩道がない! 北関東 3

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日本の道路ってこうだったのかな〜。てか、こうなんだよね。今までも色んな街を回って細い道路とか見てたのに、あまり気が付かなかった。

 

そう言えば東京でも、とにかく道路が細くて離合出来ないところがたくさんあったことを思い出す。

 

今回はたまたま視点を変えて見て回ったので、昨日の歩道橋に引き続きこの道路の細さ、てか、歩道が殆どないってのに気づいた。

 

ところが実際にこのような細い歩道を、トラックの横をすり抜けるように自転車が走りぬけたり、子供たちが学校の帰りに歩いているのだ。

 

日本ではこんな景色見慣れててごく普通の事だから住民はあまり気にならないのだろうけど、これってどうなんかと思った。

 

ニュージーランドでは地域ごとにシティカウンシル(市役所)があり、彼らが建築基準や道路基準などを厳格に管理している。

 

だからオークランドの住宅地では、道路自体が十分な幅を取っており、日本なら二車線取れるような道路でも写真のように大きく一本になっている。

 

NZ Roadそして道路を作ったら、必ず道路の端に段差を付けて歩道を作ってる。

 

写真をよく見れば分かるけど、道路、端っこ、ちょっとした芝生、歩道、そして芝生となっている。芝生の向うに境界線となる塀があるけど、そこから先は個人の土地になる。

 

(この写真、実は自宅に帰ってからこのブログを書く為に撮ったので、週末の暴風雨の日でした)

 

ところがこの個人の土地であっても、塀から自宅の前部分の壁までは6メートル以上空けなさいという決まりがある(これは地域や建築時期で少しづつ違うけど、基本は同じ)。

 

更に住宅規制として、隣の家との幅は、最低2メートル以上空けなさいとある。つまり、両方合わせると4メートルの幅を取る事になる。勿論自宅でありながら裏庭のサイズも規制がある。

 

また、自宅の木を勝手に切ることは出来ない。枝が伸びたからと言って勝手に枝切りをすることも出来ない。すべて市役所に許可を貰う必要がある。

 

それほどまでに街を作るときの基準が厳格化されているので、写真のように道路全体がゆったりと作られているのだ。

 

これも勿論、個人の生活を優先する、てか、優先できる環境にあるニュージーランドだから出来ることだとは言える。日本では国家の利益が優先するから、こうはならないだろう。ちなみにシドニーでは建設基準が緩いから、結構きつきつで家が建っている。

 

昨日の歩道橋、今日の歩道、このあたり、日本の越し方をよく表しているなと思った。

 

どっちが良いか?それは色んな見方があるだろう。

 

国民が一致団結して国民が自分の身体を危険に晒してまでも国家の利益を優先した結果、日本は一時期世界で2番目の国になった(もっとも最近は落ち込んで、GDPで10位以下だ)。その結果として日本人と言うだけで世界で一目置かれる立場になった。

 

ニュージーランドは個人が自分の生活を優先して、金銭的には豊かではなかったが、心の豊かさを得ることが出来た。子供が安心して学校に通える環境が出来た。

 

僕がこのような状況を説明会で話す時、日本人はMoney Richになったが、キーウィは Mind Rich になる道を選んだ、その結果として両国の現在があると説明している。

 

だから、どっちを選ぶかは最終的にその人の判断だ。

 

ただ、自分で能動的に自分の人生を選択せずに、ただ流れのままに生きて、その結果として今の日本の文句を言うのは、それは筋違いではないかと思う。

 

今の日本のやり方が問題だというなら、政治家になって自分の街から作り変えていけばよい。それが大変だと思うなら、自分の住む町を変えればよい。どっちもせずに文句を言うのは自己責任放棄である。

 

今までは東海道新幹線が縄張りで、その中で色々と見てきたが、基本は仕事の視点だった。今回の北関東は、生活の視点から見ることが出来て、非常に面白い体験だ。

 

まだまだいきます、北関東。

 

第33回ニュージーランド外貨預金・移住・投資説明会は9月14日(日)13:00から15:00を予定しています。詳細はこちらからどうぞ



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2008年07月27日

歩道橋 北関東 2

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埼玉のお客様が終了して移動の最中、隣に車輸送トラックが止まった。

 

チラッと目を向けると、おお!歩道橋ではないか!トラックの天井がすれすれにひっかかりそうな高さにある、車の排気ガスを長年浴びて薄埃に覆われたクリーム色の歩道橋は、かなりの年季が入ってるな。

 

 

歩道橋が初めて作られたのは戦後の事、特に交通戦争と呼ばれていた昭和30年代(1955年代)には、一年に一万人の死者が出て、二年合算すると日清戦争の死者よりも多かったくらいだ。

 

外国との戦争よりも国内で交通事故で死ぬ数の方が多いのだからこりゃ戦争、そうなると特に子供の事故が多かった為に、彼らが「無事に大人になるまで生き残れるように」、特に学校近くに歩道橋を作った。

 

ただこれ、実に見た目に悪い。

 

最近出来た新横浜駅前の歩道橋とかはエレベーター付きで、駅前空間を意識したお洒落なデザインと老人や子供が使いやすい作りになっているが、1960年代はそんな余裕も発想もない。

 

何せ戦いなのだ。道路がなければ加工貿易国家として物流システムが成立しないから、国民には我慢してもらい、階段を上がり下がりしてもらう。当時の技術では車を止める信号システムを作る事が難しく、物流の速度低下を招くことは、何よりも避けねばならないことだった。

 

当時の国民は若いから、階段の上がり下がりなんて大きな問題ではない。だから全国各地に歩道橋を作り、人々の景色の中で、歩道橋の存在が当然のようになってきた。

 

そこでふと思った・・・。

 

あれれ?オークランドに戻って車の運転をしながら再度周囲を見回した。

 

オークランド空港を出てから幹線道路に出るまで。高速道路を走り市街地へ。市街地からシティに入り、再度高速道路に乗る。橋を渡りすぐのジャンクションで一般道に入る。自宅へ到着。

 

やっぱりない。歩道橋がないのだ。空港から自分の家まで、一つも歩道橋がないのだ。

 

シティもすべての交差点は信号であり、後でよく調べたらオークランド周辺で唯一歩道橋と呼ばれるものは、高速道路の上をまたぐ、どうしても信号の作りようのない場所に数箇所あるのみで、(実際に僕の記憶ではノースコートのバスセンターに行く為の、ガラス張りの完全に仕切られた、エレベーター付きの歩道橋が一つだけ)、この街には歩道橋と言う概念は基本的に存在しないのだ。

 

記憶を辿りながらシドニーを思い出す。あそこもそういえば、立体交差の道路はあるけど、日本のような歩道橋はない。

 

オークランドでさえないのだから、クイーンズタウンは勿論、クライストチャーチでさえ存在しない。

 

勿論これには人口密度の圧倒的な違いや、予定を完璧に実行する国民性の違い(つまりキーウィはかなり大雑把と言うこと)があるのだけど、う〜ん、キーウィは、街が発展しても歩道橋は作らないのではないかな。

 

そんなもん作っても使いません、自己責任で左右を見て道路を渡りますって事になるのだろう。

 

香港にも歩道橋はあるが、多くの人々は道路のガードレールを乗り越えて車の間をすり抜けるように横断している。

 

結局日本人の強さってのは、国民が社会全体の成長のためには我慢できる人種であり、皆が統一したルールを守って、一人ひとりが弱くても団結して強さを出せる国民性があるって事の、一つの証明なのだろう。

 

ただ、最近の少子化や老人の増加と電気制御技術の向上で、歩道橋は姿を消しつつある。その社会的使命を終わらせて、老朽化した歩道橋や閉鎖した学校の前の歩道橋は、耐用年数が過ぎたら解体する方向にある。

 

ちなみに解体に要する費用は、大体300万円との事。

 

 

ご案内:

9月14日(日)に東京で第33回NZ移住説明会を行います。

 

 

 

 

 

 



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2008年07月26日

埼玉 北関東 1 

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埼玉県

 

この県に来るのは何回めか?えっと、3年位前に来たことがあったな。それ以来か?

 

ニュージーランドで会社設立をしたお客様の会社を初めて訪問する。

 

 

エコをテーマにしたその会社はとても若い会社だが、創業以来業績を伸ばしている。ビジネスプラン自体が実に明確だし分かりやすく、王道を走っている「Clean&Clear」ビジネスだ。

 

やってる作業自体は真夏でもクーラーの効かない場所なので実にきついのだが、クーラーの効いた東京のオフィスで社長ごっこをやってる連中に比べると、内容が全然違って堅実だ。これは是非とも頑張ってほしい、本気でそう思った会社の一つであった。

 

ところで日本に居る頃、僕の頭の中の日本地図では、東京の次に来る街は北海道、てな時代がずっと続いていた。

 

移住してニュージーランドに来てから初めて北関東を訪問するようになったのは「それで日本人としていいのか?」ってくらいだが、周囲の人に聞いてみると、案外皆そんなもので、自分の住んでいる街から出ることは殆どなく、東北の人に九州地図で全県名を記入出来ない人もいる。九州も同じで東北の県名を全問正解出来ない人もいる。だからまあ、いいかな。

 

今回の埼玉は川越と言う街を訪問したのだが、大きな荷物を持ってタクシー、電車、乗り換え、おいおい、何でこの池袋って駅の東武東上線ホームにはエスカレーターもエレベータもないのか?

 

てか、池袋駅の入り口も地下に降りるのだが、こちらは仕事で背広着てるしPCバッグと小型のスーツケース(2週間程度の荷物収容サイズ)だぜ、これ抱えて歩いて降りろってかよ。

 

結局入り口では、隣のデパートのエレベーターに移動して何とかいけたが、ホームは完璧OUT!そそり立つようなのぼり階段を見つめ上げながら、傍にいた駅員さんにスーツケースを見せて「あの〜、ここ、エレベーターはないんですか?」と聞くと、人の話をまともに聞いてないのか、「南口ならあるんですけどね〜」だってさ。まさに「はあ?」ですぜ。

 

そうでしょうそうでしょう、上野だって池袋だって、元々は「おらが村」の利益の事しか考えてない田舎の役人や陣笠議員が、風呂敷一個持って霞ヶ関に陳情に行って、その帰りに上野駅や池袋駅近くの食堂で「まんず今日はうまぐいったさ〜、これで村もダムの誘致で大もうけだっぺ、な〜にもせんでも国が金っこくれるからよ〜、働かなくても食えるなんで、おれら、な〜んて賢いんだべ〜、がはは!」と、ビールで乾杯してたのだ、そんな連中はエレベーターなんか不要である。

 

この構図は九州から東京に上京した連中も同じで、要するに日本中の田舎から風呂敷持って出張にやってきて、本郷や水道橋あたりの旅館に歩いて移動して泊まってた時代の名残だもんな。

 

そんなところにスーツケース持ってパスポート持ってパソコン抱えてくる、俺のほうが間違いだ。「ぜいたくいっちゃいけねーべ、がんばっでずーずーけーず、持ってあがるべさ」と、こっちまで東北弁で納得してしまう。

 

僕も昭和の昔なら風呂敷移動してたんだろうと思う。彼らはその当時それが当然のスタイルだったからだ。でも時代が変わって世界から人がやってくるようになったのに、インフラがそこに追いついてないってのは、一体どうなのか?

 

今回北関東を回って見て一番感じたのは、結局各地方にある「おらが村」の、「おらが村」による、「おらが村」の利益のみを追求した為、日本とか大きく括って地方を見たときに、その「つなぎの悪さ」に唖然とするという事である。

 

本来産業基盤(鉄道、道路、空港、港etc)を整えるときは、一番大きな視点、つまり国家の視点からこのインフレがどうあるべきかを俯瞰していく必要がある。ところがそれが実行段階になって地域の利権者によって換骨奪胎されて、本来あるべきところにない、と言う状態が発生しているのだ。

 

以前ある元国際線パイロットが書いた本の中にも「戦前の飛行場や空港は、実に近くの地形や風の流れをよく考えて作っているから操縦しやすい。しかし戦後に作られた空港は、実に自然環境が悪いので操縦しにくい」とあった。

 

成田空港の生い立ちを考えれば、それは一目瞭然である。結局国民利用者視点や国家の視点から見ていないという構造のおっきいのが、空港の建設利権や東北で言えば新幹線駅である。上越新幹線の高崎、山陽新幹線の新山口、何でその駅で停まるのよ?ってのがある。

 

それのちっちゃなのが、駅にエレベーターやエスカレーターがないという事だろう。だから、自分の領域内で片付く利権問題ならどうやってもいいけど、インフラでそれやっちゃいかんでしょって話だ。

 

まあいいや、問題がそれた。北関東、埼玉のことを書くつもりが、池袋駅で躓いててはいけない。

 

でもってこの川越、立派な街である。普通の地方の町かと思ったら、駅前が立派に発達しているし、お客様の車でそこから移動の車中で・・・あれ?、シャッター街があるではないか。

 

シャッター街という名称が出るようになって久しいが、この街でも昔からの商店街は寂れている。たまたま訪れたのが水曜日と言うこともあったのだろうが、やっぱり人通りも少ないし、その後に通った古い蔵のある街に比べると、活気が違う。

 

う〜ん、このシャッター街って、一体ナンなんだ。最初はてっきり、人口減少とか交通手段の変化とか、大型ショッピングセンターの出現とかが原因って思ってたんだけど、ナンか違うな。

 

これ、もうちょっと考える必要あり。

 

お客様の会社を訪問して、これも思い切り考える必要あり。このビジネス、そのままニュージーランドでやれるじゃんか!

 

僕は昔からサービス業で生業を立てていたので、工場とか倉庫とか在庫の存在に慣れていない。それでも、この仕組みを見ると、まさに「おお!」と頷ける合理性である。

 

利益の出し方、全員が儲かるって仕組みをこの業種で作り出しているそのビジネスモデル、これはすごい。

 

今の日本、他人を虐めて自分だけ儲かるってのが当然のような風潮だが、こりゃいいな〜。昔の日本じゃんか。

 

何となく、体の中で爽やかな風が流れた。ニッポンちゃちゃちゃ!

 

その夜はお客様にうなぎを食させてもらったが、これがまた、美味!日頃は夕食で米を口にしない僕だが、その夜だけはご飯をほうばってしまった。

 

よっしゃ、俺も頑張ろう。

 

 

 



tom_eastwind at 10:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月22日

大阪 ストロー効果 どこまで広がる?

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東海道山陽新幹線が出来上がったのは1964年。大阪で万博が開催され、東京でオリンピックが開催され、日本は東京と大阪が二大都市の地位を確立した。

 

てか、歴史を紐解けば戦前の日本の商業の中心地は大阪だったし、東京が突っ張ってきたのは戦後の話。

 

ただ結局大阪は、その繁栄を東京に奪われ、次に名古屋に追い抜かれて、今は斜陽の街となった。

 

見かけの賑やかさがあるために、地元の人はなかなか気づかないし、気づきたくもないのだろうが、僕のように毎月日本で東海道山陽新幹線を利用している異国人からすると、新大阪駅での乗り降りよりも名古屋、品川、東京駅の方がずっと盛んである事に自然と気づく。

 

もっと言えば、昭和の後半は新幹線の切符って、大体大阪から西か東かって感覚で手配をしていた。あ、そうそう、僕は昔国鉄と呼ばれた今のJRを、旅行業従事者として一応プロとして手配してました。

 

ところがここ数年は、トヨタ王国を築き上げた名古屋が、東西の分岐点となっている。

 

東は、東京で仕事をして名古屋に戻るか、またはその逆か。とにかくこの区間の切符はよく売れてて、新幹線普通席の三人掛けの真ん中が埋まってしまうことがよくある。

 

osaka westin night view繊維や鉄鋼などのビジネスが中心であった大阪神戸だが、時代はすでにそのようなビジネスが成立しなくなっており、かと言って新しい産業を産み出さないままに無為に時間を過ごした為、結果的に時代に取り残されることになったのだ。もっと言えば、昔は日本の神戸、横浜が世界でも二大貿易港であったが、今は香港やシンガポールに抜かれてしまった。

 

大阪の財政も破綻状態であり、夕張と殆どかわるところがない。なのに「まさか、役所が倒産するなんて」と思っているのだろう。

 

夕張は日本政府が判断して、町を解散させる為にあえて強硬手段で行政サービスを削減している。いずれ誰もこの町に住まなくなれば、自然と街は消滅するんだからって事だ。

 

新幹線0系大阪で生まれた女が、新幹線に乗って東京に行くようになった。優秀な人間が次々に東京に出て行き、インターネットが発達してしまい、大阪や神戸に支店を作る必要がなくなった。

 

大阪も神戸も東京から日帰りだ。何で固定費のかかるオフィスを作る必要があるか?

 

日本全体のストロー効果で、東京の一極集中になったのである。ストローで吸い上げるのが東京、飲むものがなくなったのが大阪というわけであろう。

 

でも、名古屋を過ぎるとがらりと空いたり、今までがら空きだったのが名古屋で一気に満席になったりと、人の流れがビジネスの流れをそのままに反映している。

 

今回は福岡入りしてから東に上る旅である。

 

香港でガンガン飲んでたら、やっぱり普通に翌日は眠い。けど幸運なことに福岡行きのフライトは午後なので、ゆっくり出来るから有難い。

 

夜10時頃に福岡に入り、そのまま観光客向けの屋台街に行き、カウンターで遅い夕食を済ませる。その後は更に中州に出て、街の景気を見ていく。

 

福岡は、確実に復活している。中州を歩く人々の顔が明るい。とは言っても、根っから前向き、つか、陽気、っつか、何も考えてない福岡人なので、皆顔が明るいのかもしれない。

 

それでも景気なんて、人々が「良い」と思えばよくなるし、「悪い」と思えば悪くなって財布の紐が固くなり経済が収縮する。

 

その点福岡は、中洲でのお客の金遣いを見ていると、まだまだいけるぞって感じがする。

 

ただ、お店で働いてるスタッフの話を聞くと九州全体でストロー効果が発生しており、すべての優秀な人材とお金は福岡に集中してしまってる。

 

天神の三越は地元デパートを押さえて高額消費客をがっちり獲得、彼らは高速道路が発達することで九州各地から日帰りで天神三越に買い物にも来れるし、ついでに一晩、ちょっと素敵なホテルに泊まって美味しいものでも食べて、と言う流れが出来ている。

 

だもんでその流れに乗りたい若者は九州各地から福岡に向かっていき、そこで昔から福岡で住んでるような顔をして生活をして給料を得ている。

 

こんなストロー効果の福岡で、バブル前からやっているこじんまりしたスナックに顔を出す。最近のお客の様子を聞いたり、地元の面白い情報を教えてもらったりして、翌日が早いので12時前にホテルに戻る。真面目じゃん、ここ二日。

 

翌日は福岡で五膳中に2件の面談を済ませて新幹線で広島へ。個人面談がちょいと長引いて一本乗り遅れてしまい、10分遅刻。

 

広島を終わらせたらそのまま名古屋に移動する。この日も、新大阪での人の動きが少ない事を感じる。

 

しっかしまあ、名古屋は大景気だ。好景気を飛び越してしまってる。駅前のホテルにはガイジンが山ほど集まってトヨタ詣でをやってる。

 

錦三丁目に出ると、ここもまたたくさんの人が繰り出して、賑やかにやっている。以前もちょいと書いたが、お店が最近価格を上げはじめている。それでもOKなのだから問題はない。

 

日本という大きな枠で見れば、東京と名古屋にストローが突っ込まれて、距離的に離れすぎている九州は、福岡がストローになっている。

 

それ以外の街は、この強烈なまでの吸引力を持っているストローに逆らうことも出来ず、流れに乗って大都市に出るか、それとも今のまま少しずつ凋落を見守っていくのか。

 

ただ、ここまでは日本国内の話であるが、日本自体は人口が減少し始めている。インターネットが更に発達して飛行機が高速化してみな、同じストロー現象が世界中で始まるぞ。

 

そうなると、税金が高くて役人が威張り腐ってる日本を捨てて、上海や香港、もっと言えばニュージーランドあたりに移住していくことになる。

 

世界サイズのストロー現象が発生。その時あなたは、どこで生きていくか?



tom_eastwind at 00:07|PermalinkComments(1)TrackBack(0)