日本
2008年06月20日
「貴重品はございますか?」
日本国内での空港でのチェックイン時。
「貴重品はございますか?」
「ああ、あるよ、この二人の子供と奥さんだ。機内に持ち込んでもよいかね?」
「・・・どうぞお持込下さい」
又は
「貴重品はございますか?」
「うむ、これは困った質問だ。何故なら貴重品とは君と僕の価値観の違いによって大きく解釈が異なる。例えばこの地球は、僕にとってとても貴重だけど機内に持ち込めないよね。そうだ、ならば甲子園みたいに地面の土を掬い取って持ち込むか?
それにこれこれ、このカバンだって古いけどもう4年も使っているから貴重だよね、例えば君が初恋の彼女と初めてデートした場所って、とっても貴重だよね。さて、君と僕の貴重品に関する考え方の違いについてはどう思う?今から半日もかけて議論すれば、少しはお互いの考え方が理解出来るかもしれないよ」
「・・・どうぞ飛行機にお乗り下さい」
何か嫌な客と思われるNO−1みたいな書き方だけど、これには原因がある。
世の中にはお互いに「話さなくても分かる範囲内での常識」が常に横たわっている。
ところがそれを理解出来ない人間にとっては、どうもそのあたりの「合図」が分からないのだ。だから「分かってるでしょ!」と言われても、分からないものは分からない。
何が貴重なのか貴重じゃないのか。こういう曖昧で具体性のない部分で相手側の「常識」を押し付けられると、どうも異常に反発してしまいたくなるのが、僕の悪い癖だ。
国際線のチェックインで少し楽なのはその辺で、結局民族が違えば常識が違うと分かってくれるから、常に具体的な説明をしてもらえるし、相手を元々異邦人として扱ってくれているから、こっちの話を聞いてくれる。
ところが日本の役人には、どうもこれが通じないようである。
国際線で日本に到着する際の携帯品・別送品申告書が再開された。これはふざけんなって内容である。
ガイジンからすれば「あれ?これ何書くの〜」程度のお笑いだろうが、日本生まれの日本育ちの僕からすると、折角面倒で様々な手続きが簡素化されたってのに、またも古い仕組みが戻ってきて、最悪、日本人やってるのが恥ずかしいって感じ。
今日も機内で、前の座席に坐ってた初老の日本人(おっちゃん、クリームホワイトのジャケットにお洒落な縁なし眼鏡、縦じまのワイシャツ、軽そうなスラックスを一枚革の黒皮の靴とつや消しのベルト、丸坊主だけど60歳後半)が、「おいおい、何で今更こんなもん書かされるんだよ!」とキャビンアテンダントに向かって怒ってた。
そりゃ普通の日本人なら怒るだろう。自分の国がどんどん落ち込んでいくのを目の前で見るのを喜んでいられる奴は普通じゃない。中央官僚くらいしかいないよね。
とにかく内容が自分勝手である。お上が押さえつけて上から目線なのだ。ガイジンに対しても自分のルールを押し付けて申告書を書かすのだ。
大体一度止めたシステムを何で再度導入するのだ?時間や手間の無駄を省く為に折角書類を廃止したのに、自国の財政がやばいとなると急激に態度を変えて、自分の金でもないのに日本人が持ち出したり持ち込んだりするのを管理して、いかにして個人の資産を管理して取り上げようかって事だから、泥棒もびっくりな話である。
第一この書類、書くほうからすればいろいろ不明な点がある。現住所?それは今回泊まるホテルの事か、自分の地元の住所なのか?他にもいろんな点があるけど、要するに不親切なのだ。
でもって今回一番感じたのが「など」である。いかにも役人の言葉遣いだ。
日本への持込が禁止されているもの:「麻薬、大麻、阿片〜MIMAなど」となってるが、最後の「など」ってどんな意味?要するに規制する側が何でも裁量で処理出来るように、「など」があるのだ。
例えば持病の薬とか風邪薬とか正露丸(香港人に人気がある)とか、乗客からすれば「こんなもんは書かなくて良いでしょ」と思ってても、そしてその場ではとりあえずスルーさせておいても、「など」さえ付けておけば、これから何年後でもこの書類を証拠として「申告漏れ」または「虚偽申告」で訴えることが出来るのだから、実にさもしい心である。
大体この内容って、こっちを最初から犯罪者扱いしているのか?って疑問を持ちたくなるような内容で、まともに海外で商売やってる人間からしたら、腹立たしいことおびただしい。
大体政府とは最小規制を作るべきで、「これこれは駄目、それ以外は原則OK」とするべきなのに、「原則全部駄目、これだけならOK、でも後で規則変わるかもよ、その時はさかのぼって適用しますからね」では、まさしく自分勝手である。
だからこのおっちゃんもかなり怒ってたのだ。これは俺もわかる。実は数ヶ月前に機内と税関で大喧嘩したのだ、それも全く同じケースで。
「いつからこんなもんを再開したんだ!」
「いえいえ、書かなくても良いですが、次回はよろしくお願いしますね」
「ふざけんな!あとになってどうこう文句言うつもりだろうが!」
結局僕は適当な点はいい加減に書き込んで提出したが、実に腹立たしい。
元々政府の役目とは国民の間の利害調整であり、規制は出来るだけ少ないほうが良いのが基本である。昔の中国の王様も出来るだけ規制を作らないことで国民に自由を提供して長期政権を保つことが出来た。
でも考えて見ればこのおっちゃん、これはキャビンアテンダントに怒るのではなくて日本政府に怒るべき事柄である。何で被害者が被害者に怒るのだ?こんな規制を導入したのは政府であって、彼らCAではない。
このおっちゃんも、文句があるなら空港の税関に言えって感じですね。それにしても日本政府、本当に真綿で首を絞めるようにじわじわとルール変更をしているな。
個人資産、戴きに参りましたよ、さあさあ皆さん並んで、この箱(国家の税金箱)にお金を入れてね、てな事だろう。
でもね、そんな事やってる間に日本−オークランド便はどんどん減便させられて、その飛行機が7月から北京に飛ぶようになる。
5月にヘレンクラーク首相が福田首相を訪問した際も、やんわりとだけど「日本がちゃんとお金払わないと食料は中国に売るよ」みたいな発言をしていた。
国内の目先の自分の今日の利益だけ考えてたら、あっと言う間に置いていかれるぞ。
2008年06月14日
それから旅行業にも注目しています。
「旅行各社、海外に若者誘う・ライバルはゲーム機や携帯」
若年層の海外旅行離れを受けて、旅行各社が需要喚起に躍起になっている。JTBは通常より2割程度安い学生向けツアーの販売に力を入れ、エイチ・アイ・エス(HIS)はボランティア活動を組み込んだ商品を拡販する。
昨年の海外旅行者は4年ぶりに減少、中でも20代の落ち込みが目立つ。携帯電話やゲーム機への出費を優先する若年層は、航空運賃が高騰する海外旅行を敬遠しがちで、需要掘り起こしが大きな課題となっている。
2007年の日本の海外旅行者は前年比1.4%減の1729万人。ピークである00年に比べ3%減った。特に20代は前年比5.2%減の282万人と急減。00年に比べると32%も落ち込んだ。海外旅行者全体に占める20代の比率も00年の23%から07年は16%まで低下、海外旅行需要が伸び悩む最大の要因になっている。(18:05)
2008年5月の日経ネット記事より全文引用
そうなんだよね、旅行業が仲間同士で叩き合ってる間に、市場はすっかりケータイやゲームに盗られている。
ところが面白いことに、今旅行業に注目している投資家がいる。日経ビジネスより抜粋
***
それから旅行産業にも注目しています。中国人は過去300年間、様々な制約から自由に海外旅行できなかった。
それが今は誰でもパスポートを取得でき、カネも持ち出せるようになった。
30年ほど前、突然、ニューヨークやパリの街角で日本人観光客を大勢見かけるようになりました。
だが日本の人口が1億2700万人に対し、中国人は13億人います。その中国人が世界を旅し始めたら、どうなるか。
世界中の街に中国語の標識が出て、中国の旅行は信じられないほどダイナミックな産業になるでしょう。
* **
インタビューに答えるジム・ロジャースは1970年代にジョージソロスと組んで設立した米クオンタムファンドで世界に名を馳せた伝説の投資家。2007年9月、ニューヨークの住居と米ドルを売り払い、シンガポールへ引っ越した。
***
2007年にアジアに住まいを移すという事は、1807年に英国に渡る、1907年に米国に渡るのに等しい。1世紀にも及ぶ繁栄が見込める土地にたどり着いたという事です。
***
つまり日本出発の海外旅行は落魄れてるし、若い人たちが海外旅行に行かないんだから、若い人が中年になっても、あいも変わらず旅行には行かずにケータイやゲームにお金を使うという事になる。
ところがお隣の中国では、丁度数十年前の日本の農協のような団体が、次々と大型バスで世界中の観光地に乗り付けているのだ。
先月銀座を回った時も、歩行者天国のすぐ横に大型バスが乗りつけて、そこから団体客がどやどやと降りてきて三越に買い物に行く姿も見かけた。デパートが中国のキャッシュカードを受け付けてサービスを提供しているのだ。
ニュージーランドでは今、日系のインバウンド業者は取り扱い客の激減に晒されている。日本人観光客が来ないなら、中国からの富裕層を狙ったインバウンドツアーを手掛けて見ればどうだろうかと、結構マジで考える今日この頃だ。
2008年06月08日
居酒屋飛行機
今朝のニュースで居酒屋タクシー問題がNHKなどで取り上げられて、新聞社も早速叩きに入ってる。そこで早速池田ブログを開くと、若手官僚から民間サラリーマンまで、いろんな立場の人の書き込みが入ってる。
ある若手官僚は「ビールは倫理違反、金券は収賄」と書いている。何故なら彼らの受け取ったビールは許容範囲内、金品は違法と言う認識である。
ただ今回の問題、書き込み全体の雰囲気からするとこの意見に集約されていると思う。
「個人的には、無駄な空回りで深夜残業の皆さんには、タクシーとビールくらい良いのではないかと理解したい気分です。もっと壮大な無駄が幾らでもあるでしょう。ちなみに私は官僚とは無関係の一市民です。」
実際今回の居酒屋タクシーのように許認可事業者=タクシー運転手から国交省の役人がビールを貰うと収賄なのか。
それでは農林水産省の役人が居酒屋で、その店がお得意に出してる「突き出し一皿」を無料でもらったら収賄か?
民間企業でタクシーをいつも使う人が、長距離の車内でビールを一本貰ったら業務上横領か?
おいおい、これこそ居酒屋の議論だろ。そんな事を言い出したらきりないような話を、何でやっているんだ?
昔航空会社はどこもマイレージなんてなかった。それが1970年代頃から、顧客囲い込みの為にマイレージを導入するようになり、今ではすべてがマイレージである。
じゃあ役人が公務で飛行機に乗ったら?勿論マイレージは付くだろう。それはどうなるのか?役所がマイレージを一括管理しているのか?それとも役人は、マイレージは不要なのでその分運賃を安くしてくれと交渉しているのか?
ちょっと気になったので、池田ブログに書き込みをしてみたら、早速お二人中央官僚(と推測出来る)から返答があった。
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若手官僚
マイレージについては、省内でもいろいろ国会やマスコミから問われることになろうから、法律的につめ、航空会社ともいろいろ協議したようです。
その結果、まず、マイレージ分は職場でキープしたり、マイレージ分を減額することは航空会社は出来ない、しないということでした。そんなことすると自分の会社を続けて使って欲しいからマイレージ制度を作っている航空会社として制度の意味がないらしいです。
また、法律的にも、個人にたまったマイレージを役人がアップグレードや支払い等公務と関係ないことに使っても問題ないということだったそうです。その種の質問主意書に対する答弁もあるそうなので、検索してみてください。
私個人は、以前相当海外出張がある部署にいてものすごいマイルがたまりましたが、商品券に換えたり、自分自身や家族の私用の航空券に換えるのは、あきらかに税金で公務のため支出してもらったものに対する使用方法として倫理的に自分自身が気持ち悪いので、一切私用せず、その後期限が来てしまい、マイレージが消えてしまいました。公務の出張のエコノミーをビジネスに変えるのはいいんじゃないかとは思いますが。
確かに、タクシー問題をきっかけに、マイレージの変換やいろんなポイント制度についても波及しそうですね。
なんら参考まで。
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公務出張のときはマイレージ登録してません。そもそも一番安いフライトになるので航空会社選べないし。それでも、ビールにおつまみはいただきますから、「居酒屋飛行機」として指弾されるかも。
もっとも、最近はエコノミーではアルコール有料のフライトも多いですね。いちおう制度上はビジネスに乗れる地位ですが、旅費はあくまでも「予算の範囲内」しか出ないので、格安エコノミーばかり。液体持ち込み規制が厳しくなってからは、免税のはずなのになぜか外界より高い(でも機内より安い)成田のセキュリティチェック後の売店でビール買って持ち込むこともあります。
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役人さんの世界もなかなか一筋縄ではいかないようだ。全体が、どこかを押せばどこかが引っ込む中で、皆が自分個人の最適値を求めているから、結果的に全体が作動しなくなっているのだ。
部分の無謬(むびゅう)全体の誤謬(ごびゅう)が、ここにもある。
2008年06月03日
四川大地震と日中外交
四川大地震を利用した日中外交が地面下で盛んに行われている。
「援助をするけど自衛隊機で行っても良いですか?」
「えっとですね、私はOKなんですけどね、ちょっと上がね〜」
「あ、そうですか、それならまた次回と言うことで。ところで今回は、黙って飛ばして実績作る予定だったのに、どこから話が漏れたんですかね」
簡単に言えばこういうところだろうが、詳細はこちら。
http://tanakanews.com/080601SDF.htm
ただ、今間違いなく中国は日本に向けてメッセージを送っている。
「仲良くしようぜ」
そうは言っても中国も一枚岩ではないし日本などはばらばらに粉砕された石なので、お互いに落としどころを模索しながらの外交が続くのだろう。
今後米国の凋落が始まり、日本は自分が没落している中では、中国と組むことには大いに意義がある。
ただし気をつけないといけないのは、中国の基本的姿勢は「俺が一番であり、日本が二番手であり続ける限り仲良くするが、決して俺を追い抜くなよ」なのである。
勿論現代の社会でどこかの国がいつも一番であり続けるなんて無理なのだが、中国の皇帝は世界の誰よりも偉いし、その臣民である中国人は世界で一番偉い人種なのだから、気持ち的には一番にしておかないと怒るのだ。うちもそうだからよく分かる、はは。
この点、日本人は相手を尊敬する事は得意だし、偉くもない相手にも色が白いってだけで頭を下げてへこへこするのだが、一度つけあがると調子に乗ってどこまでも舞い上がってしまう「のぼせ」という気質がある。
これが、昭和初期の中国への無理な侵攻を招き、後にベトナム戦争並みの泥沼に巻き込まれてしまい、ついに第二次世界大戦で大敗を喫するまでに至った。
あの時日本に「兵站」という戦争における最も基本的な知識があれば、そして過去の戦争の歴史を組織としてきちんと読み込んで記憶していれば、絶対に戦うべきではなかった事は自明の理である。
バブルも同じで、世界中のどんなものでも買えるくらいの金が入ると目がくらみ、その後の15年は誰しも目を覆いたくなるほどの悲惨な結果となった。南海バブル、チューリップバブル等、経済学の本を読めば学べることだし、大学で学んだハズなのにこれも記憶から無くしてしまったか。
要するに日本人、良い意味でも悪い意味でも、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる性格」で、それがあっさりとした点でもあれば失敗する点でもある。
これが国家レベルでも同じで、結局失敗の歴史から学ぶことが出来ないし、てか、すぐに歴史を忘れてしまうという特質を持っているのだ。
これが日本人の前向き志向の一つの原因であり国が成長するばねともなっているけど、駆け引きの下手さを露呈してもいる。
だから中国との取引でも、最初は相手を尊敬して仕事は進むだろけど、そのうち調子に乗ってまたも足元すくわれて、気づいたら中国の属国になってたなんて事だけは避けたいものだ。
じゃあどうすれば良いのか?
相手に対する知識もないままにいたずらに怖がったり嫌がったりせずに、日本として毅然とした態度を取る、間違いは素直に認める、相手の面子を大事にする、常に相手よりも勉強をして主導権は手放さない、などが日本人に出来れば、中国はこちらをきちんと尊敬してくれてよき隣人になれると思う。
特に面子は大事でっせ。
2008年05月29日
長崎市長射殺事件
地裁で死刑判決が出た。それはよく分かる。人のために手を挙げて公職に就こうとしている人を殺すのでは、こりゃ誰も政治家のなり手はなくなるのだから、民主主義の根幹に関わる大問題というのも、それもよく分かる。
でも、人の命の重さに違いがあるのか?てか、あるって事を裁判所は認めるのか?その点を知りたい。
日本の裁判では、一人殺せば最高でも無期懲役、二人殺せば死刑の可能性ありって事になってる。これは別に法律に書かれているわけではない。運用の段階で決めているのだ。
公職者を、その地位にいるからと言って殺すのは、勿論どう見ても違法だし民主主義を否定するものだ。それは十分認める。死刑判決も納得出来る。
しかし、それなら他のケースはどうなのか?二人殺しても死刑にならない時に、一人殺したら死刑ってのは、法の下の平等とは言えない。それとも、市長一人の命は母子二人の命より重いってのか?
これはどう見ても、要するに体制側に手を出したら死刑ですぞって言ってるようなものだ。政治家が、自分の命を守る為に作ったような量刑でしかない。
大事なのは法の下の平等であって、今回のように「身内が殺されたら死刑、他人なら懲役」なんて話は、どう見ても不公平だ。
大体それなら民主主義の根幹を揺るがすような事件なんて、官僚がしょっちゅうやっているではないか。社会保険庁による詐欺事件、社会福祉を受けられずに死んでいった人々、水俣事件、実にたくさんの一般市民が政府や役人の作為や無作為で殺されているのだ。
そういう公権力による犯罪は全く罪を受けずに、その役人は退職後に年金を貰ってのうのうと生活をしているのは、法の下の不平等ではないか?水俣病で苦しんで亡くなった人への責任はどうなるのだ?
殺人事件の量刑については色んな議論があるだろう。僕個人としては、被害者の家族が死刑を要求した場合は死刑にすべきだと思っている。何故なら殺人はそれだけ重い罪だからだ。
被害者の感情を無視して人権など語れるものではない。人の体を殺したら死刑なら、人の心を殺すのも死刑である。
なのに、肉体にのみ重みを置いて精神に重みを置かない現在の裁判制度には非常に疑問を感じる。でもこれは俺の個人的意見。だからきちんとした場所で全員が納得出来るような決まりを作ればよいと思う。
ただ、今回の判決については、こいつを死刑にするなら、他のケースでも死刑判決を出して欲しい、この日本をもう一度法治国家に戻して欲しいという事だ。
2008年05月28日
笑えない記事
笑えない記事
朝日新聞より全文引用:
探知犬お手上げ?訓練用大麻を紛失 成田税関が規定違反
2008年05月27日00時02分
東京税関成田税関支署は26日、成田空港に到着した一般旅客のスーツケースに隠した探知訓練用の大麻樹脂を麻薬探知犬が見つけられず、紛失した、と発表した。
その後、同日午後にスーツケースの持ち主がわかり、大麻樹脂も無事に戻ってきた。訓練に一般旅客の荷物を使うことは内部規定違反で、同支署監視部の高橋靖之(のぶゆき)次長は「関係者を厳重に処分する」という。
同支署によると、25日午後3時半すぎ、空港第2旅客ターミナルの手荷物引き渡し場裏で、香港から到着したキャセイパシフィック航空520便の旅客のスーツケースに樹脂124グラムを隠し、訓練をしていた。
隠し場所は、キャスター付きの黒いソフトスーツケースのサイドポケット。樹脂は縦11センチ、横9センチ、幅3センチのスチール製の箱入りで、新聞紙で包んであったという。
訓練には、職員4人のほか、探知犬2頭が参加。内規では税関のかばんに樹脂を隠すことになっているが、同支署係長(38)が「同じかばんだと、訓練の効果が薄れる」とし、一般客のスーツケースに隠した。過去も一般客のかばんを使ったことがあったが、見つけていたという。
同支署は、旅客から出された携帯品申告書をもとに、都内のホテルに滞在していた持ち主を突き止めたという。
以上全文引用終わり
何が笑えないかって、朝日新聞の事ではない。
空港税関がキャセイ航空の預け荷物に大麻樹脂=要するに麻薬を隠したんでしょ。
これって、もしその気になれば国際線で成田に到着する乗客をいつでも麻薬取り締まりで逮捕出来る、その気になればどんな冤罪でもでっち上げが可能って事だよね。
つまり、昨日から池田ブログでも取り上げられている「植草事件」の問題と同じように、政府に都合の悪い人間はいつでも政府によって排除出来るって事で、そりゃあ政府がそんなにあくどい事出来るって分かってはいるのだが、キャセイ航空、成田到着、客の荷物に役人が無断で麻薬仕込むって、ここまでくれば犯罪でしょ。
その犯罪を取り締まるべき側がこんな事やってるんだから、一般市民はいつでも冤罪に巻き込まれる事おおありだ。
これがまともな国家のする事ですかね。
関係者の厳重処分ってのは、担当者を逮捕してくれるんですかね?
「私は悪いことしてないから大丈夫」なんて言える時代ではなくなったのです。気に食わない相手がいればいつでも冤罪は作れる、その証拠のような記事でした。全くもう、頭にくる話だ。
てな事を書いてたら、フジテレビの朝のニュースでも同じような趣旨でアナウンサーが報道してた。日本、一体どういうこっちゃ?
2008年05月27日
成田は成田たない
成田開港30周年である。そこで羽田の存在が表に出てきて、あるテレビの取材に答えた成田住民の言葉。
「成田は空港があってこそ成田。空港がなければ成り田たない」
そう、まさにその通り。元々成田に空港がなければここはずっと田舎の町であり続けて、東京へ食材を送り込む為の食料基地として存在を続けていけたわけだ。
だからおとなしく野菜を作ってれば良かったのに、矛盾の塊のような空港を「おらが村」の長老の利益だけを考えて作ったからとんでもない騒動になったのだ。
無理やり自民党議員が目先の利権だけで空港を誘致し、その挙句成田闘争まで巻き起こして、その傷は今も追加の滑走路が作れないし夜中に発着出来ない等の、国際ハブ空港として決定的な欠点を抱えているのだ。
成田は、そこに空港があること自体が大きな矛盾を抱えていたわけだ。空港が本来必要とする機能を持てない場所に空港を作った、まさに世紀のバカの極みである。
それも1990年代までの閉鎖された日本であればその矛盾が見えてこなかった。けど、アジアの他の都市が急激にハブ化する事により、その馬鹿さ加減が次々に露呈しているのだ。
今日本では成田30周年を迎えて成田空港の存在価値が問われている。羽田が拡張していけば、成田など必要がなくなるのだ。だから成田は、その延命策として「あ〜でもないこ〜でもない」と成田の宣伝をしている。
でも、それは誰のためだ。千葉県知事が「羽田に行く飛行機だって千葉の上を飛んでる」なんて意味不明な事を言ってるが、それは国全体の利益を考えた上での発言か?
結局今回も、他人はどうでもよい、自分だけ儲ければよいのだと言う典型例である。一体成田の延命策の為の宣伝費用は誰が払っているのだ?第一これでまた国内調整をやって、じゃあxx方面は羽田で、xx方面は成田ね〜なんてやってしまえば、世界から馬鹿にされるぞ。
世界からアジアに来る旅客は東京の使い勝手のみを問題にしており、成田の利権と羽田の利権なんてどうでも良い。そんなに国内問題でもめるんなら勝手にどうぞ、私は香港やソウルを使いますよって事になるだけだ。
でも、今の日本にそんな国内事情を優先するだけの余裕があるのか?
売ってる人に悪気はないと思う。綺麗な野菜だと思う。
けど、世界のどこの国際ハブ空港で野菜売ってるか?
2008年05月24日
宮島
安芸の宮島は日本三景の一つ。広島で仕事が17時過ぎに終わり、まだ太陽も残っているので、ちょっと足を伸ばして宮島に行く。
宮島と言えば最近読んだ「海国記」の舞台でもある。宮島は何十年ぶりだ。
打ち合わせが駅前のホテルの禁煙ラウンジだったので、電車に飛び乗り約20分で宮島口駅に到着する。
あ、ちなみにこのホテル、最近禁煙を始めたようで、禁煙ラウンジに入ってきたスーツ姿の若い男女が「え?ここ禁煙なの?」と言って出て行った。
宮島口までの電車は普通電車で、ちょうど学生やサラリーパーソンが自宅に帰る時間だったので、彼らのおしゃべりを小耳に挟みながらちっちゃな旅を楽しむ。
電車が宮島口に到着すると、ほうほう、ガイジン観光客も目立つ。バックパッカーを担いだヨーロピアンのカップルとか、アメリカから来た団体さんとか、皆さん三々五々にフェリー乗り場へ向かう。
駅とフェリー乗り場の間に国道?かな、大きな道が走ってるので、観光客が渡りやすいように地下道がある。英語の表示はあるんだけど、あんなにちっちゃくては、ガイジンさん分からないのでは?
船は15分ごとに出ていて、JRと地元の船会社が同じ路線を走っている。地元の人は車ごと乗り込んで、おうそうか、これは車も運ぶフェリーなんだと初めて気づく。
宮島、それにしてもきれい。夕焼けを背景にした大鳥居には、ガイジンさんが数十人いて、その時間はとっくに神殿は閉まっているのに、夕焼けの大鳥居の写真を撮るためだけにずっと待ってるようだ。
ここに、1000年近く前に平清盛もやってきたんだな〜とか、少し感慨に浸る。やっぱり日本は良いよな。
2008年05月23日
税金は130%?
銀座4丁目でお客様と待ち合わせ。4丁目の超高級バーで軽く飲みながら、移住に関する計画の相談を受ける。
その後、銀座6丁目の鮨やにご案内頂き、これまた美味しいお寿司を頂く。更に6丁目のクラブで、「おう、これぞ東京!」ってな感じの接客。お客様はすべてのお店で「いきつけ」なので、お勘定の時は「送っといて」で片付く。
こりゃまた、何とも贅沢な話である。それだけお金があれば、いつでも自由に移住出来るでしょうとか思うのだが、それがそうでもないらしい。
お金があれば何でも解決出来るってものではない。ある人はある人なりに悩みがあるし、自分では解決し難いこともたくさんある。そしてそんな時に彼らは、MIXIやNZdaisukiで誰にでも相談出来るってものではない。
そのお客様も、最初はうちの会社を視野にも入れてなかったのだが、実際にオークランドで生活をしながら永住権取得を考えて現地で独自に情報収集をしてみると、「まあよく分からんけど、こいつに話を聞いてみるか」という気持ちになったようだ。
丁度同じ時期にお客様も一時帰国をしており、「では東京でお会いしましょう」と言うことになったのだ。少しは信頼を頂いたという事で、ありがたし。
鮨を頂きながらお客様のこだわりのポイントを聞き、クリアーすべき点を検討する。来週オークランドで再度お会いした際に、いくつかの提案をするようにした。
その鮨やのカウンター席でお客様と並んですしを食ってたら、たまたま隣り合わせて坐ってたお客様が、今日のテーマの税金130%の話をしていた。
そのお客様はうちのお客様と長いお付き合いのようで、「おやxxさん、久しぶりですね、ニュージーランドに行ってたんですよね」と話題が盛り上がる。
「大体さ、色んな税金を足していったら、結局130%だよ、そんなのありかよ、ねえxxさん!」とお客様がしきりに話す。
ある程度の資産がある方は、様々な税金を取られる。今現在一生懸命働いて稼いでいても、一定の収入を越すと累進課税だけでなく、それ以外の税金もどんどん取られていって、結局収入以上の税金を取られることになるのだ。
え?そこまで税務署に取られるのか?と不思議に思ってお客様をよく良く見ると、なんと有名な俳優さんではないか。
あの職業って、生きてくだけで経費がかかる。変な服は着られないし、おかしな車にも乗れない。まさか上野の6畳一間のアパートに住むってわけにもいかない。
名前と人気で生きてる職業だから、そりゃあ経費もかかる。ところがそんなものは税務署は経費として認めてくれない。だからどしても、収入よりも支払いの方が増えるという事になるのだ。なるほどなるほど。
結局その俳優のお客様、巻き鮨を2個おごってくれた。おいしかった。でも、ここの食費は、彼の経費としては落ちないんだろうな。
2008年05月22日
AKASAKA サカス
今日はお客様の個人面談をこなす。それにしてもニュージーランドへの関心が高まっているのを感じる。
(今回は出張が忙しくてブログ書いた日とUPする日がずれてますので、話が前後してしまいます、お読みいただいてる方、少し分かりにくくてすみません。ちなみにこの記事を書いた時は福岡です、その翌日広島に移動してます)
夜はお客様にご案内して頂いて、赤坂の新名所、アカサカサカスへ。ちなみに、アカサカを英語で書くと、右から読んでも左から読んでもakasaka。
六本木ヒルズからミッドタウン、そしてこのサカスと再開発が続き、このあたりもすっかり観光地となる。街の賑わいが楽しい。
連れていっていただいたお店は、魚屋さんが経営している居酒屋。弘前から戻ったばかりなのにねぷた祭りの案内ポスターとか、大間のまぐろとか、ほうほう、どれもいけますな。
ウーロン割を飲みながら日本が置かれている現状の話をする。
結局、国の景気が良いとか経済がうんぬんとか言っても、比較の問題が大きい。日本が悲惨だと言っても今の中国の成都よりはよほどましである。どこと比較するか、いつと比較するかの問題だ。
今の日本は昭和後半の日本と比べて確実に悪くなっている。でもそれは一般庶民にとってのみであり、一部の特権階級にとっては「あらま、物価が下がってよろしゅうございますわね、お〜ほほほ」となる。
でも昭和前期、1940年代の日本と比較すれば、戦争やってないだけ庶民にとってはましかも・・・なんて考えてみる。
昭和初期の日本よりは良いかもしれない。でも昭和後期よりは確実に悪くなってる。
自殺者3万人、フリーター数百万人、貯蓄もなくてと言う状況、とくに電車に人が飛び込んでも、もうニュースにもならないような世の中、こりゃどうなんだ。年間3万人死んでて、5年で15万人だ。ちょいとした戦争並みである。
今の中国と比較すれば、それは日本の方が全体的には良いかもしれない。でも個人のレベルに引き戻して見ると、日本で幸せをつかめない人がたくさんいるのだ。それなら中国の田舎の共産党の幹部の息子の方が幸せだろう。
今の日本が誰にとって住みやすい国なのか、思わず考えて見る。
智恵子は東京には空がないと言った。今の東京には夢がない・・・誰にとって?。
2008年05月21日
加計塚小学校
智恵子は、東京には空がないという。
東京の小学校の校庭には、芝がないという。
ない。
確かにない。随分と立派な建物が並んでいる恵比寿だけど、ほんと、小学校の校庭には芝生がない。ありゃなんだ、コンクリート?生土?
加計塚(かけづか)小学校はホテルのラウンジからよく見えるのだけど、ただでさえ狭い校庭で、ありゃ走り回って転んだら痛いぞって感じの地面である。
せまいところを有効利用しようってのか、学校の屋上には運動が出来るような場所を作ってるけど、その隣の民間アパート(日本で言うマンショ)の屋上は芝生のようなものを植えているのだから、学校の屋上も芝生を貼ればよいのになって思うのは、ニュージーランドの小学校を見慣れているからだろう。
とにかくニュージーランドの学校で芝生がないなんてあり得ないし、それがラグビー場よりも狭いなんてのはあまり見たことがない。
それからこの小学校、横に交番があるのだが、人がいるのを見たことない。箱だけ作っても役にたたんでしょう。ないよりましって言っても、政府の一番の役割は治安管理であるから、そこの予算を削って無人にしてしまい、せっかく逃げてきた人が交番の前で犯人に刺されるなんてことになる。
お金の使いどころ、間違っているんじゃないかなと思う。
2008年05月13日
元祖長浜 豚骨ラーメン食ってみろ!
これは20年以上前の話だが、ある時東京から「山猿の郷九州」に出張してきた親子三代江戸っ子だってんでえ!と言う威勢の良い20代後半の営業マンと飲みに出た。
最初に中州のバーに連れて行くと「お〜、福岡は飲み代安くて女の子は可愛くて、“こんなとこでも”どうにかなるもんですね〜」と喜んで頂いた、ははは。
口を開くと「俺はね〜、親の七光りなんて関係ないんっす!自分の力で就職先を見つけて、自分で頑張ってんだ、他の奴らとは違うんですう!」。
そりゃまあ良いことで。こちらは一応接待なので、はいはいと聞いておく。別に話すことが嫌なわけではない。ただ二人で飲んでれば、どちらかが語り手になるし、僕が語り手になってお酒が入ってるのでは、こりゃやばいっしょってな事。
その後彼は少し気が大きくなったのか、安心出来る「ガイド」を使って地獄の底を恐る恐る探検するって気持ちになったのだろう、地元の人が食べるものを食べて見たいと言い出した。
当時の東京には豚骨ラーメンもなければ最近の洗練された焼酎もない。それを味わおうってのか?本気かい?
「いや、こう見えても僕は、同期の連中(勿論六大学)と違って、現場で頑張ってきたんですよ、親の力なんて関係ね〜!、ナンだってOKっすよ〜!」
よしよし、では夜中の3時の元祖長浜ラーメン屋に行きましょう。
当時の元祖は今のような食券がないどころか、今のように周囲に屋台のなかった時代であるから、周囲は本当に真っ暗な大通りで、元祖だけが唯一薄明るい光を灯してた。
近くに浜の町公園って薄暗い公園があってその隣が大きな浜の町病院で救急病棟もあったから、夜はかなり気持ち悪い地域だった。病院で死んだ人がそのまま隣の公園に腰掛けて、ラーメン食ってる俺たちを恨めしそうに見てたりしててね。
え?その頃は向かいのファミマはなかったのって?あんた、今の平成の時代に生きる、単純でよい人だね。
客は車で店のまん前に乗り付けるのだが、このコンクリートの床が地震にあったようにヒビだらけ。それとも近くの病院の地下から、誰か来たか?
壁も薄汚いコンクリートの箱みたいな作りで、ガラガラって脂ぎったドアを開けると、睨み付けるような目つきの兄ちゃんたちが厨房のラーメン丼の前にずらっと並んで、「きさん、くいかた、わかっとーとや〜」(お客様、当店での食事の方法はご存知でしょうか?)と威嚇するように腕組みしている。
ところが客も慣れたもんで、脂ぎった安物テーブルの下に雑然と置かれているビニール張りの丸椅子を引っ張り出して座る寸前、兄ちゃんの一人に向かってガン付けしてから、ぐっと目を据えて怒鳴るように注文する。「カタ!ビール一本!替え肉ね!」
が、客の注文が入るやいなや、あっという間に目の前に投げつけるようにラーメンを置いていく兄ちゃん、実に手早い。
誰も「いらっしゃいませ!」も「ありがと!」なんて言わん。すべて最低限の言葉だけ。
毎日味が違うし、時間によって麺の固さも違う。今時の言葉で言えば品質管理がなってないという事になるのだろうが、毎日仕込んでるし、忙しいときのお湯の温度なんて管理出来ない。
でもとにかく、味がどうのこうのサービスがどうのこうの、CP(支払い価格に対する満足度)がどうのこうの、きれいの汚いのと言って元祖でラーメンを食う客はいない。元祖は元祖、なのだ。美味しいとか不味いとかで店を選ぶのではない。東京で言えば、次郎か?
最初の頃は僕もタイミングが分からず、まずはビールでもと思ってた坐ってたらいきなり目の前にラーメンが来た。切ったばかりの新鮮なねぎがたっぷり。ネギ大嫌いの僕は、やばい状態に陥った事に気づく。
「あれ?まだ注文しとらんけど」
びっくりする僕。
「坐ったっちゃろ、ラーメン食べるんやろ、他にメニューもないけんね」
さらっと答える兄ちゃん。
「ビールが欲しかったんやけど」
「追加注文やね」
「俺、ねぎ無しやんね」
「遅かったね」
深夜の店には、両肩を揺さぶるようにして前掛けを血で汚して市場の仕事の合間に食いに来た連中、迫力満点。その横では極道刈りにそりこみ入れたトラック野郎が、魚がパックされるまでの時間を利用してがつがつとラーメンを食ってる。スープの残った丼を指差して、「たま〜!」。(すみません、ラーメンの替え玉を一つ下さい)これで通じる世界だ。
中州の仕事帰りのお姉ちゃんたちは、半分酔っ払ったように壁に背中をもたせながら、大きな声で今日店に来た親父連中をネタにしてげらげら笑ってる。
片手にタバコ、片手にビールのグラス、目の前の、割り箸が突っ込んである食い終わった丼はぎらぎらの口紅がべっとり。
タバコの煙と物凄い豚骨の臭さと、屋外にある掘っ立て小屋のような汚い便所のドアが半開きになってて、そこにふらふらしながら左手を壁について小便してる酔っ払いサラリーマン。
確かに強烈ではあるが、そこには生きている人間の生の姿がぎらぎらと炙り出されている。
六大学の兄ちゃん、タクシーを降りた瞬間に、こんな店の雰囲気に唖然として酔いが抜けたように周囲を見回し、店にはいってく客を見てぽかんとして、更に店の中に入った瞬間に体が百分の一に縮んでしまったようだ。
誰にも見られないように、お願いだから視線が合いませんようにってな顔で、緊張して体を丸めて目の前のテーブルの一点だけをじっと見つめ、割り箸だけが唯一の武器だと言うように、ひざの上で両手で握り締めてた。
兄ちゃんにガン付けされてやってきたラーメンを一生懸命見つめているのだが、しかし鼻はすでに恐るべき拒否反応を起こしてる。いつもばあやから貰っていたとらやの羊羹が懐かしいのだ。
自分が今どうすれば良いのか、まさにこれこそ親の七光りではなく自分で判断しなければいけない状態に陥ってる彼。
結局彼はあまりに臭いラーメンに手をつけることが出来ずに、でも何とかその場であまりの臭さと緊張に吐かずにいただけ立派、それは褒める。
ラーメンは僕が代わりに食べた。多分そうなるだろうと思って「最初はネギなしがいいっすよ、九州のネギは匂いが強いからですね。後でネギは追加出来ますから」って言っておいたのだ。
もちろん今ではこぎれいになり、食券機も導入されて普通にサラリーマンも来るし、親子連れなんてのもやってくる。でも夜の遅い時間は、あいも変わらずなのかな。久しぶりに行ってみたいな。
まあ、彼のような連中は、よい連中だと思う。一生懸命自分なりにがんがっている。ただ、制度として今の日本がどうあるべきかとなったら、やっぱり悪いけど「あっち側の人」なのだ。こっちの連中との痛みは共有出来ないのだ。
そりゃそうだ、社会の公平性とは、詰まるところ誰にいくら配分するかのゲームであり、あっちの取り分が多ければこっちが少ないのだから、その妥協点を探す事が政治である。ところが今のように政治が機能せずに弱者が虐待を受ける状態になれば、こりゃ革命っしょ。
結局一昨日の本「貸し込み」に戻るのだけど、このようなお人よしのお兄ちゃんたちは、自分が関わってる個別ケースでの「押し貸し」なんてのがあれば、怒りを感じて激怒して許しがたくなってる。
でもそういう下流社会の下流民から、NZや米国では無料の高速道路利用料とか高すぎる国内航空運賃とか高すぎる家賃とか給料から天引きされる社会保険とか国民健康保険とか市民税とか高すぎる電気やガス、水道料金とか、とにかく本来国民のインフラであるべきものを様々な形で吸い上げたカネが、上流社会を支える「旨い汁」となっている事実には、決して怒りも感じないし激怒なんて絶対にしないし、許すんですよね。
今ではすっかり豚骨ラーメンも焼酎も東京で当たり前になったけど、当時は労働者の食い物だった、そんな時代の話だ。
なんか、ロシア革命の頃にこんな議論があったような気がするな。「何故君は僕を労働者階級に入れてくれないんだ!?僕が貴族だからと、差別するのか!」
2008年05月12日
石川啄木 ブラックホールを吹っ飛ばせ。
昨日の「貸し込み」を書きながら函館のことで思い出した事があったので、随分と話がそれるけど書いておこう。
最初にお断りしておきますが、もしあなたが生まれつきの上流階級出身でしたら、このブログは読まないほうが良いと思います。たぶん気分が悪くなるか、腹が立ちますから。
石川啄木は、函館に行った時に土方歳三と共に是非とも見ておきたかったテーマである。僕にとっての函館は、亀井勝一郎と石川啄木。なので、久々に彼の詩集「一握の砂」も手に取った。彼ととしちゃんの土方・啄木浪漫館にも行った。
明治維新から文明開化、函館は東京以北で最も栄えた都会となる。盛岡の田舎を追われた啄木は、東京に行っても芽が出ずに、その後函館にたった半年だけど移住した。それから北海道を転々とするが、何故か彼の印象は函館と重なっている。
心が優しいだけでは生きていけないこの世界。自分の能力だけでは評価されないこの世界。押し込みの強さやコネや人の足を引っ張る技術が優先されるこの世界。
そんな世界で石川啄木は若くして病気でこの世を去る。彼の死後、その作品は高い評価を得ることになる・・・。
違うだろ!何で生きているうちに彼らに評価を与えることが出来なかったんだ!何でそれこそ公共の評価システムがなかったんだ?
他にもそんな人はたくさんいる。芸術家と呼ばれる連中は、大体生きる能力が低い。その為に中世の欧州では音楽家などは貴族が生活の面倒を見てたほどだ。
日本にはそういう仕組みがない。パトロン制度ってか、芸術家が自由に生きていける土壌を、カネを作れる資産家が支えていく、それによって文化が向上していって資産家も文化を享受出来るって言う仕組みがないのだ。
あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ
とにかくすべての資産がジョウリュウに向かって流れるように出来ている。その最高峰が江戸のブラックホールだ。
資産の一定額、例えば0.5%を誰でもよいから芸術家に寄付しなさい、その分は100%損金処理してよいよってすれば、この国も随分と文化が発達するのに、税法上そうなってない。
何故ならそのカネは蹴鞠や宮中の歌をさえずる上流階級にまわすべきお金であり、あふぉな民間が役立たずの頭で勝手に寄付等と下らんことに使ってはいけないというお偉い方の発想なのだ。
その代わりに著作権っていう、ちんちくりんでみょうちくりんで意味不明な米国発の制度が出てきて、逆に文化の伝達をなくしてしまった。だから芸術はダブルパンチでどんどん衰退していって、ビジネス優先の雑音が、電車の中でケータイを通じてシャカシャカとくだらない音を出しているのだ。
そしてそれを、メディアのベスト10に乗っかってるからと単純に喜んで聴くあふぉ連中がいるから、また始末に終えない。何故ベートーベンやビートルズが時代を超えて聴かれているのか?なぜ小室ファミリーで生き残って今でも歌われてる歌手が殆どいないのか?そんな事はどーでもいい、ジョウリュウが食えればそれでよいのだ。
ここから本題になるが、お金持ちや上流社会の人々って庶民とは発想が違うし、そういう人の子供たちが東京で生まれて東京で育ち並木通りを歩いて一流の都銀や商社に入社してエリートコースを歩くわけで、地方の世間の隅っこで泥を舐めながら生きてきた啄木のような下流層の事など、知る由もないのは当然の事。
彼の死後、その作品が有名になって初めて、その坊ちゃん連中は自分の彼女(当然ジョウリュウである)に向かって「僕こんな詩知ってるんだ、すごいだろ、お金がない悲しさを歌った、胸が痛くなる詩集だよね」となる。
★左は金田一京助
そしてぼっちゃんたちがそんな詩集を彼女の前で憂いをみせながら読んでる時に着てる服は、実は一日中働きっぱなしの現場の運転手が運んできたんだとか、中国の山の中で超安い給料で働いている少女の手で作られているんだとか、そんな中でも庶民は苦労して子供の学費を用意したり親の介護をしたりして、それでもやっていけずに一家離散したり自殺したりしてるんだという現実なんて知る必要はない。
たわむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
自分はこの詩集を読み、心を痛めて涙を頑張って少しだけ流したんだよって友達のお金持ちの娘に話して、刺繍の、じゃなかった、詩集をさえずるだけで彼女は落ちるのだ。ちょろいもんだ。
貧乏なんてあくまでテレビの中の事。それさえ、バアヤに言われてスイッチを切ってしまえば一生知ることもない。
かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒の夜具にちぢこまる時
こちら庶民といえば、朝から晩まで働いて、それでも暮らしは全然楽にならずに、ほんとにじっと自分の手を見つめて、俺は一体何やってんだろうと思ってしまう。
そんな時に貧乏人唯一の娯楽であるテレビや映画を見ると、そこでは馬鹿大将がヨットで遊んだり上流階級の人々が銀座で買い物をしたり、俳優が豪華なパーティでシャンペンを飲みながら優雅におしゃべりをしている。
一体どっちのテレビが本当なの?
はたらけど
はたらけど猶(なお)わがくらし
楽にならざり
ぢっと手を見る
まもなく秋が来る渋谷駅の夜、お金持ちがカネに糸目をつけずに買い物をする高級店からほんの数百メートル離れた場所。
薄暗い裏通りと電車の盛り土の間の数メートルの細い空間にある青いテントの中で、近くの電柱からこっそりと引いてきた電気でやっとちっちゃな電球を点灯させている。
そろそろ冷えてくる空気が青いシートの隙間から吹き込んでくる。そんな時、ほの明るい電球にそっと手を触れてその温もりをじっと楽しむ人。
秋近し! 電燈の球のぬくもりの
さはれば指の皮膚に親しき。
そうそう、ぼっちゃん達は立派なお屋敷で温かい部屋の中で最高級のカップに淹れた紅茶を飲みながらお互いに「君は素敵だ最高だ!」と褒めあって、親のコネでもらった地位を自分で勝ち取ったと素直に誤解して無邪気にそれを信じて生きていかないと、そういう社会では生きていけないのだから仕方ない。
下流層なんて、見ちゃいけないんです。
田舎から出てきて東京西部の団地に住んでるサラリーマンが何とか教育ローンを組んで通わせてる子供とは、学校で机は並べて普通に喋る。けど、その子が背中を見せた時にその隣にいる同じ階級の子と目配せをすれば、それで十分周囲に配慮した、誰にも優しいよい子なのだ。田舎?何それ?俺、東京で生まれたし。
ふるさとの訛りなつかし停車場の
人ごみのなかにそを聴きにいく
随分昔の話だが、当時日本航空にコネで入った社員に対して人事部が福岡支店への転勤を命ずると、親にお願いして辞令を取り消させたなんてのもあったな。
「九州ですか?」という彼の言葉には、まるで江戸時代の八丈島への島流しか山猿の住む山奥の山の中の僻地、現地ではまだ原住民が棍棒持って歩いているくらいのイメージの場所に送り込まれる恐怖があったのだろう。
そうそう、上流階級はそれほどでなくてはいけない。
上流階級の人々は並木通りを最新のファッションでアスコットタイをしめて歩くのだ。
決して親不孝通りなどをTシャツにジーンズで歩いてはいけないし、元祖長浜ラーメンなんて臭い食い物は決して東京の人々が口にする食い物ではないのだ。ましてや、しょ、焼酎?!あれこそ九州熊襲の野蛮人の飲み物だ!
★あ、豚骨ネタもあった。明日書こう。
啄木に限らず、多くの芸術家がその夢をかなえることが出来ないまま死んでいった。
いつの時代も同じっちゃ同じ。銀のスプーンをくわえて生まれてきた連中と、貧乏人の子供として生まれた連中が混在するのがこの世だ。
そんな彼らにも怒りはある。不公平な世の中に対して言いようのない怒りを覚えている。しかし非力な彼らには、それを実行するだけの力もない。
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
世の中の殆どの人は啄木のような、生きる力もなく戦う武器もなく、家に帰って日記に向かって文句を書くか、家族に怒鳴り散らしてうっぷんを晴らすような人々だ。
ただ、そんな人たちが安心して生活が出来る、将来の不安を感じずに生きていける世の中を作る、それが政治の役目だと思うし、その為にブラックホールが邪魔であれば、排除すべきだろう。ついでにその周りで蹴鞠やってる連中も含めてだ。
久しぶりに改めて啄木に触れて思った。日本は「あの当時」と何も変わってないって。国力を強くする事で利益を得るのは、結局上流の連中だけだ。
お国の為だと騙されるな!あれは「お国」じゃない、一部の特権階級の為なんだ!ジョウリュウに騙されて殺されるんじゃない。
何百年経っても国民のことを考えない連中。それなら白人国家の方が、まだましだ。
2008年05月09日
函館4 蝦夷共和国
今日は五稜郭観光だ。ホテルを出て、春先の冷たい空気を感じながら朝市に向かう。
ホテルは毎朝食付きのプランなのだが、ヤニ臭いレストランの中華っぽい訳の分からん味の冷え切った飯よりも、朝市の朝ごはんの方が美味しいのは、それこそ物の道理。
という事で10時過ぎを目処に、ガイドブックにもよく出てる朝市の恵比寿食堂に向かう。
うみゃーうみゃー、完璧に透き通った烏賊ソーメン、うにいくらかに丼、温かいお茶と合わせて食べると、神様ありがと!である。
勿論観光地なので、うにいくらかに丼は1800円?だったか高いが、それでもアレはいくら金払ってもNZでは絶対に食えないし、日本でも築地並みの旨さだ。
口福。
ところでこんな透明な烏賊ってのは、今の日本では函館+札幌と、呼子+博多にしかないのではないか?
あんまり美味しいので、僕と竜馬はそのまま向かいのラーメン屋「しおや」に向かう。
20人も座れば一杯のお店には、昼前の中途半端な時間なのだろう他にお客がいなかったが、大丈夫、お店側もレジに両肘ついておしゃべりしてるやる気なっしんぐな二人組みのおばさんで、何を食べようか悩んで食券機の前にいる僕らに「何たべんのさ〜?」だって。いいよねこのノリ。地元の人しか出来ないよ。
食券も買ってないのに勝手に聞くのは職権乱用では?とか思いながら食券買って「すみません。この醤油ラーメン、ねぎなしでお願いします」と言うと、年下のおばちゃんが「おにいちゃんたち、なんか割引券持ってるの?」と、のんびりと聞いてくる。
なるほど、ここも色んな客向けにクーポンとか発行してんだな、餃子一皿サービスとかだろうね。
でも僕らは何もなかったのでその旨を告げると、まるで僕らが「御食事券」を持ってないのをどっかの旅行会社から「汚職事件」と思われるのを嫌がったように、「あれ?めんずらすいね、にいちゃんたちはツアーじゃないんだ〜?」と明るく問い返される。
後で旅行会社から「こら、うちの客に50円割引せんかったろ、50円!」とか言われるのを嫌ってるんだろうが・・・・あのさ〜、いい加減に団体ドリームを忘れて、きちんと決められた値段で個人客を取って、相手もオタクもwinwinって商売、しようぜ。
要するに飽きが来ないのだ。東京だと、こねくり回しすぎて、これがラーメンかと言うこともあるが、函館のラーメンは、原点なのではないかと思う。
基本の味を昭和から守り続けてて、これは、東京では忘れられた、てか、覚えてると「父さん」する味なのかな。
腹いっぱいになった僕らは、小雨の降る中を50mほど歩き、行列を作ってたタクシーに乗せてもらう。何で朝市の横にタクシー乗り場ないの?点と線?ミステリーですな。
「すみません、五稜郭までお願いします」
僕らの格好を見た中年のがっちりしたおじちゃんは、素朴な笑顔で「観光で来られたんですな、じゃあ途中途中ご案内しながら、五稜郭まで行きましょう」と、どう見ても千円以内の距離なのに、函館の歴史を語り始めてくれた。
「今は五稜郭が街の中心地になってるけど、元々は函館山の麓が中心地だったんですよ」
「大門の由来を知らないのは、観光客だけじゃなくて地元の若者にも増えてますよ。あそこは元々遊郭で、その入り口にあった大きな門が目印だったんですね。本当の地名よりも通称が有名になったんですがね。でも結局昭和の大火事でその門も焼けてしまいました。」
この人、観光タクシー出身だな。話口でそんな感じがする。何となく30年近く前に宮崎交通のタクシーに乗った時の事を思い出す。あの頃、1日観光の相場は5万円で、それでも結構満車だった。30年経っても相場が変わらないどころか、場所によっては下がってる日本。なんだろな?
あんまり手馴れてる様子だったので、今日の見学コース、「アウグスチヌ修道院、土方、石川啄木」の話をすると、にこっと笑って、「あ、それじゃよければ、今日は適当にメーター倒さずにいますから、よければ私に案内させてください」
話しぶり、タバコを吸わない、知識の豊富さ、これなら問題ないと思い、すぐにお願いする。
五稜郭と戊辰戦争、土方歳三と石川啄木、アウグスト、アウグスチヌスの話等、運転手さんの話は続く。
「このあたりは昭和の大火災で燃え落ちた橋のあったところですよ」、海沿いの道を走りながら、地元の人ならではの話もしてくれる。
「いや〜、海峡のラーメンも旨いけど、鳳蘭の塩ラーメンもうまいっすよ。昔はしょっちゅう行ってました、運転手には100円引きとかもしてくれましたしね〜」と、懐かしそうに語る。
運転手さん、最近は夜は自宅だそうで、あまりラーメンを食いに出る機会もないようだ。
「だって、観光客の方で夜にあちこち行く人はいないし、地元の人は酒を飲んでも自家用車で帰りますからね〜」
このせりふ、町村官房長官(彼は北海道出身でつ)が聞いたらどう答えるんだろうね?
話は変わるけど、飲酒運転取り締まりは、もう旬ではないのか?あいも変わらず田舎では日曜の結婚式や宴会に役人や代議士がやってきて、偉そうなこと言って酒飲んで自家用車で帰ってる。
アレを取り締まるか、少なくともそんな場所にはタクシーを十分に用意しておけば、飲むほうも安心だし乗せるほうも商売になるではないか?タクシーの自由化をやるんなら、そういう商売ネタもセットにすればよいのに。
五稜郭は最近建て替わり、随分と立派な塔になっている。特に展望台からの景色も素晴らしい。ここでは戊辰戦争の歴史を詳しく説明してくれる資料が豊富にある。
船中八策、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸城無血開城、最後の戦いが戊辰戦争、そして明治は始まる。
新撰組は、司馬遼太郎の「竜馬が行く」以来、本来司馬遼太郎が望まない形ですっかり悪者にされてたが、先年のNHKで随分評価も変わり、最近ではすっかり人気者になっている。
良いことだ。竜馬も新撰組も、お互いに一生懸命「国」の未来を考えて戦ったのだ。自分の目先の利益等ではない。この点で日本の明治維新は世界に類を見ない革命ではなかったかと思う。
貴族の義務ってか、武士が本来あるべき姿で生きる事が出来た一番最後の時代だな。その一番最後の時代の一番最後に死んだのが土方歳三とも言えるのではないか。
戊辰戦争の面白い点は、それが北海道独立計画だったという点だ。
国内戦争の場合、例えば西南戦争では西郷隆盛が桐野利秋の為にやったようなもので、死に逝く武士道の最後の一花みたいなもので、建設的な目的はなかった。
しかし榎本や土方の考え方は、幕府方についていた人々を集めて新しい国を造ろうとした点であり、その意味で建設的だ。
明治維新の話を書き始めたらきりがないのでこの辺で打ち止めだけど、土方歳三、「人は死して名を残す」と言う格言どおり、実にかっこよい生き様だったな。
写真のジオラマは五稜郭タワーの展望台に飾ってあったものです。
函館ストーリー、これで4日連続。長くなったな〜。歴史があるから、当然っちゃ当然かも。
2008年05月08日
函館3 点と線
午後の寂れた大門めぐりを終えると、過去の栄華と郷愁を胸に感じながら、僕らは一旦ホテルに戻った。
それから夕食前に函館山登り。雨上がりの夜景と函館山にある古くからの建物群のライトアップを見学する。
夜の7時から1時間30分で、函館山から明治以降の建物を見て回るのだが、これは圧巻だ。
当時の函館の栄華を、そのままに感じることが出来る。北の街にこれだけの文化が出来上がっていたのか、すごいな開国と貿易ってのは。
ロシア正教会、キリスト教会、公会堂、中国人集会場、当時はそれこそ世界中の人々がこの街に集まり、それぞれの才覚でビジネスを展開して、それが結果的に函館の繁栄を招いたのだ。
勿論彼らの国からここまで辿り着くだけでも大変だったろう。
飛行機もなく、北の荒海に飲まれて行方を絶つ船もたくさん出ただろう。
それでもつい数十年前までは鎖国してて言葉も通じなかった国に、ガイジンは船に乗ってやってきた。彼らの原動力、それは「利」と、「夢」=好奇心だったのだろう。
ただし、行くだけでは意味がない。その街に住んで見てカネを稼ぎ、ふるさとに持って帰ってやるんだ、そんな気持ちもあったろう。
そしてこの街は北方貿易の中継地点として一大都市を北の国に創り上げた。
北方で獲れる魚介類や蝦夷の物産品の交易、北の良港として造船技術も盛んだった頃は、それこそ弘前十三湊の最盛期と肩を並べるほどであったろう。
それが戦後、200海里問題、海洋資源、オイルショックによる造船不況、青函連絡船の廃止など、続けざまに起こった構造不況により、函館は一気に歴史の表舞台から剥落していった。
その中の一つで当時から今もかろうじて生き残っているのが、僕が泊まったホテルや駅前の百貨店、それに美味しいラーメン屋と朝市だけなのかもしれない。
事実、泊まっている古いホテルのすぐ横のもっと古い金森倉庫群も、今はその外壁のみ残してお土産や、レストラン、博物館、朝市会場など、地元資本により新名所として生まれ変わって最近の観光名所となっている。
倉庫群に「ラーメンあじさい」が出店してたのには驚いた。勿論食った。うまし、あじさいの塩ラーメン。札幌空港ではよくお世話になった店だ。
函館名産の魚をお土産に買い求める日本人、ただひたすら珍しく街のあちこちをガイドブック片手に見て回る外人、それぞれに目的は違うが、観光客と言う点では一致している。
未だに函館に残るたくさんの歴史遺産をうまくビジネスに結び付けて、それが各拠点ごとに頑張っている感じはする。
でも、何だか線がない。点と線がうまく結びついてないもどかしさ。
これは、各自が一生懸命頑張っているんだけど、その方向性が少しずつ違うし、その違いを調整すべき団体が主導権を取れてないから起こる現象だと思う。この街ではその団体が政治家なのか役所なのか少年会議所なのか分からないけど。
ところが今函館で見てる状況は、一人ひとりが独立している様子なのだ。
函館にラーメン屋は約300店あるらしい。結局函館滞在中に5軒回ったが、ラーメン屋同士の競争はないんかい?もっと観光客を喜ばせるイベントは?昼過ぎの手の空いた時間に手持ち無沙汰にタバコをふかしながらスポーツ新聞の競馬欄を見てる老舗ラーメン屋のおやじさんを見ながら、ふと思った。
じいさん、あんたの知ってた函館は、もうないんだよ。そうやって百年一日の如く過ごしてても、過ぎ去った時代は戻ってこないし、客が黒門を歩くこともない。ほら、あんたの娘さんだか知らんが、名物やきそばの餡を作れずに、途中からあんたが手を出して作るってのは、やっぱり任せられないんだろ?
中華なべを持つ手が震えてても、それでも彼女が作るより俺が作るほうが旨い、そう思うなら、その煙いタバコをやめてしっかり後輩に伝授しなよ。誰かに継がせたいのか潰したいのか?
家族ともに、スープの旨さは認めた。麺は・・・おねえさん、水切りとか温度管理とか、しっかりしようね。
函館って地域が成長していく為には、自分だけ良ければと言う気持ちでは絶対無理。地域全体が、直接自分に関係のない事でも助け合って、皆で手を取り合って伸びていこうとしないと、「あれは俺に関係ないもん」なんてやってたら、くしの歯が欠けるように少しずつ潰れていって、最後は全滅、ちょっと前までの函館になる。
駅前の真正面に、客よりも従業員の多い、壊れかかった百貨店があって、それで委員会?
ラーメン屋さん巡りを函館名物にする事で、朝市も儲かる。それで駅弁も売れるし、農家も助かる。助け合いをせんで委員会?
折角生き残ってきた人たちと、これから頑張っていこうとする一部ラーメン店、そして古い倉庫を改造して更に観光客を集めようとする人々。
このような人々の点を線にするにはどうすれば良いか?答えは簡単で、それは理論ではなく利益である。お互いに助け合うことでいくら利益が出るか、逆に言えばその輪の中に入らないと利益は出ないという事を各事業者に認識させれば、自然と輪の中に入ってくるようになる。
こっちからタカピーに理論や政治を振り回して個別訪問する必要はない。折角素晴らしい芽が出てきてるし、昔からの素晴らしい遺産も残されているのだから、それがなくなる前に、誰かリーダーが出てきて欲しいと思った。
じゃあお前ならどうする?
俺ならまず、電車路線を利用する。函館駅から朝市、そして倉庫へ移動出来る、観光客向けのところてん式移動コースを作る。
倉庫から函館山と麓にある旧跡めぐりは、地元のおじいちゃんやおばあちゃんをボランティアに使って、定期的に小型バスを無料または100円くらいで走らせる。
函館山のロープウェイを起点にすれば、夜景も楽しめるし、地元のじっちゃばっちゃもおしゃべりが出来て楽しめる。
そこから倉庫に戻り、大門には電車で移動してもらう。電車はもちろんその頃の雰囲気一杯にして、黒門を再建する。これにカネはかかるだろうが、役所と地元名士が出すべし。パチンコ屋作ってる場合じゃないでしょ。
いろいろとアイデアは出るが、誰かもっと頭の良い人、実行してくれないかな。
それにしても点と線。松本清張だな全く。
明日は五稜郭。いよいよ幕末の舞台を見学である。
2008年05月07日
函館2 繁栄と過去の日々
初日はホテルに荷物を置き、早速気分転換に街に戻る。少し雨が降り出したが、今度は荷物がないし、傘をさす習慣もないので気軽にあちこちいける。
ついでに言うと、同じ頃にホテルにチェックインした白人連中も、ごつい体をTシャツ一枚、雨の中、傘もささずに興味深そうにあっちこっち見てる。
元々は大通りだった、今はどう見てもさびれた裏通りを駅に戻ると、函館駅の手前に朝市がある。水産物を朝早くから売っており、観光客はこれを目当てにやってくる。
市場の入り口の一番良い場所にお店を構えた、人の良さそうなおじさんが「おにいさん、美味しい魚あるよ〜、買っていかんね〜」と勢いよく声をかけてくれる。
奥さんはここでのお目当ては干した貝柱。早速棚にぶら下がってた1kg入り15,000円の貝柱を購入。
現金を払った後に嬉しそうに「ねえねえお父さん、このお店、現金で払ったら12,000円にしてくれたよ、20%引きだね」と言って笑ってた。
てっきり僕は、個人で割引クーポンとかも使わずに買い物したから安くしてくれたのかなと思い、何気なく「良かったね〜」とか言いながら市場の奥の他の店を見て回る。
でも、奥に入ると、次の店にぶら下がってた干した貝柱が13,000円だったのはいうまでもない。更に奥の店は12,000円だったし・・・。入り口で貝柱売ってたおっちゃん、商売って、大変ですね・・・。
奥さんは気づいてないようだったので、僕は出来るだけ下の平場に置いてある魚や干し烏賊を見せて、どれ買う?とか聞いて気を引きながらお店を回った。
子供たちは北海道弁で機関銃のように話しかけてくるおじいちゃんに飴をもらったのでとりあえず意味も分からないままにこっと笑ってブラックホールチームの子供のように手を振ってた。
それから小腹が空いたのだが、朝市の閉店は早く、午後3時過ぎにはがらんとしてて、食べるものがない。そんな時ふと目に付いた、朝市前のビル1階でやってる「海峡ラーメン」に飛び込む。
頑固そうなおじいちゃんとアルバイトらしきおねえちゃんの二人でやってるが、何か美味そうな雰囲気を漂わせている。
早速味噌ラーメン、醤油ラーメン、塩ラーメンと注文する。美味し!この程度で喜んでもらっては困りますと言うかもしれないけど、寒い体と重い荷物を抱えてチェックインして、更に雨に降られてここまで来た体には、スープの温かさがたまんない。
お店には外人さんカップルも顔を突っ込んで、中を珍しそうに眺めてた。カウンター10席程度だけの店なので、午後3時とはいえどタクシーの運転手や地元のお土産やで働いてる人が食べてたりして、結構一杯。後で調べて見ると、地元でもそれなりに「昔からの味」って事で人気店のようだ。
そこから(世間で言う意味の)大通りを歩いて、電車街を散策する。
おお、ここはあまり人がいないな〜。てくてくと10分くらい電車沿いに歩くのだが、どこまで行っても寂れた印象。ナンだろな、昭和の終わりの飲み屋街(黒門)て地区では、電車通りから横に抜けるように幅1メートルくらいの細い路地があり、そこにちっちゃな店が看板を出してるけど、どこか哀愁。
函館で昔からやってる棒二デパートにもはいるが、お客より従業員が圧倒的に多い。それも、従業員が完全にその環境に慣れきっているのが、ちょいとびっくり。
昭和の時代は←のような、東京以北で最も賑やかな都会だったとも言われている。
最初の写真は昭和30年代、次の写真は昭和10年代、時代背景を考えれば、どれほど発展していたか、よく分かる。この写真は地元函館の方がUPしてた写真集からです。拡大してみれば、あなたの街(村?)の昭和10年代と比較して、どれほど栄えていたか分かりますよね。
実は石川啄木もこの街を愛した一人ではあるが、この街を目指して東京から来たのは、故郷の東北にも戻れずに、東京の次の大都会と言えば函館だったからである。
後でタクシーに乗り運転手さんといろいろ話しながら聞いてみると、昭和63年に青函連絡船の運航が終了して、そしてあのバブルが吹っ飛び、それ以来このあたりはすっかり寂れてしまったとの事。
時代は変化する。変化についていったものだけが生き残れる。ここも何となくそんな心持を感じた。
2008年05月06日
函館
本州の最北端から海底に潜り、1954年に1430名の命を奪った宗谷丸事故bywikiの起こった津軽海峡をくぐり北海道側に入る。
海峡の長いトンネルを抜けると、そこは北海道。そりゃ長い、30分も海底に潜っているんだから、長い。
北の玄関が函館と言っても、トンネルの出口に函館駅があるのではない。北に向けて弓なりになった湾を、右手に青森の陸地を眺めながらぐるりと回ると、大体15分ほどで函館に着く。
函館到着が13時58分。家族にとっては弘前も函館も初めての街だが、実は僕にとっても函館は事実上初めてに近い。実際は函館、30年近く前に来た記憶があるのだが、勿論その頃とはすべて変わっているわけで、最初から躓く。
つい最近改築された函館駅に着くと、ここはホームが終点なのでホームをずっと歩くだけで階段使わずに移動できる。う〜ん、うまく説明出来ないけど、要するに電車の始発駅みたいな作りなので、荷物を持って階段登ったり降りたりが不要。
一応函館で老舗だし有名だし名前からしても国際ホテルなんて言ってるので、駅を降りればすぐに分かるだろうくらいに考えてたら・・・おいおい、駅前広場はだあだっぴろく、右手にも左手にも背の高いホテルが見えるのに、一番肝心な函館国際ホテルがないじゃんか?
事前に電話した時も、「駅から大通りを歩いて5分ですよ、すぐ分かりますから」とホテルの人に言われてたのだが、駅を背中にした広場から周囲を見回しても、そんなもん、ない。
11階建ての建物だし、周囲のビルの合間からでも見えるかと思ったけど、全然だめ。駅を降りて正面を進むと、そこはもう駅前商店街と電車が走ってる。おっかしいな、ホテルは駅前じゃないのかよ?駅前って言ったよね?
冷たい春風の中、5分も立ってると家族からの非難の目つき。仕方ないので駅前ターミナルの案内所に行き、場所を訪ねると、20歳前半の彼女も、あっさりと「あ、そこの駅前の大通りを真っ直ぐ行ったところですよ」と指差す。
その指差した先には、海とフェリーターミナルと埠頭と貨物船が並んでるだけ。
おいおい、こっちが駅前大通り?????????
あ、そうか!函館では港が元々は街の中心で、その左側に駅が併設されて、右に国際ホテルがある。だから駅前の大通りと言うのは今の本州の感覚で言う駅の横の裏道なのだ。
その昔青函連絡船がやってきてた頃は、駅前通から函館駅に行き、北海道のあちこちに皆さんが散らばっていたんですね〜。
だから僕らが立っている普通の感覚で言う駅前は、駅前ではなく街であり、昔は大門と呼ばれた遊郭があり、宿屋があり、飲み屋が連ねていた繁華街なのである。
もらった地図を見ながら、重い荷物を抱えて人気のない歩道を反対向きにぼちぼちと歩き始める。
さぶ!風は冷たいし、ホテルの場所は分かったけど、そんな建物見えないし、大体そんな駅前通りなら、何でこんなに空き地とだだっぴろい道路ばかりなのよ?!何で誰も歩いてないんだ!平日の午後だぞ、14時過ぎだろ!
7〜8分ほどふーふー言いながら歩くと、やっとホテルの天辺が見え始める。少しほっとするが、それでもまだロビーまでは遠く、更に5分ほど歩く。
結局ありゃあ、荷物があったら歩いて15分だべさ。かと言ってタクシーだとワンメーター、5百数十円。駅前で長い行列を作って待ってる運転手さんには、申し訳なくて乗れない。
やっとの思いでホテルに入ると、あ、そうか、そういう事ですかって、中途半端な距離の疑問が氷解。
このホテル、建築された当時は函館でも一流のホテルだから、立地も実は一流だったのだ。
当時のこのホテルの利用客からすれば、フェリーターミナルから歩いてすぐだし、地元のロータリーとかえらいさん達の集まりでは、おっちゃん、元々自分で歩かない。すべて社用車で来るわけなので、函館駅からの距離なんて関係ない。
大体函館と言うのは、元々函館山のある地区が明治時代から栄えており、金森倉庫とかもホテルのすぐ横にあり、当時で考えれば最高の立地だったのだ、当時ならね。
ところが時代が変わり青函連絡船が廃止され、町の中心部が五稜郭のほうに移っていき、港を賑わしていた北方漁業が衰退していくにつれ、倉庫もフェリーターミナルも不要になっただべさ。そして周囲の建物は次々と壊されて更地になっていく。その結果ホテルの周囲は空き地だらけとなる。
そうなると、海外や内地から電車でやってくる旅行客にとっては、このホテルの中途半端な立地が、中途半端でなく厭らしいものになる。
でも、今でも「当ホテルは函館で最高のホテルでございまして、地元名士がご利用頂き、結婚式も会社のパーティも当ホテルで行うのが、地元の人々にとってのステータスになっております」ものですから、自家用車もなく内地からデカイ荷物を担いで歩いてくるような「名士でないお客様」は、歩けという事なのだろうね。
実際、僕ら以外にも同じ電車から降りた外人さんグループが、いくつかガラガラと荷物を引っ張りながらホテルに向かってた。
少なくともホテルから函館駅までの送迎バスくらい出しても、ばちは当たらんと思うけどね。
そうそう、地方にいけば、必ずこんなホテルがある。今は名古屋を地方とは言えないけど、名古屋城の目の前にあるキャッスルホテルは名古屋の名門。ところが駅前ではないのでビジネス客には不便。
これでウエスティングループですかい?となるが、ここもやはり地元の人からすれば「まあ、キャッスルホテルでご結婚なんですね」となるし、お客様を呼んでの会社のパーティともなると、黒塗りトヨタリムジンがずら〜っと並ぶってなもんだ。
とにかく地方には、その地方の名門ホテルとデパートが欠かせない。
福岡で言えば西鉄グランドホテルと岩田屋。函館で言えば、それが国際ホテルと棒ニ百貨店であろう。函館のホテルとデパートの共通点は、どちらも終わってるってところかな。
もうそのビジネスモデル、通用しないんですよね。あなた方がその昔から接客し続けてた人々はすでにこの世を去り、新しい世代の人はホテルやデパートの利用方法が全く変化しているんです。
そう言っても今もホテルで働く彼らは聴く耳を持たない。丁度、古ぼけて朽ち棄てられた大邸宅で出てくるお化けの執事のようなもので、彼にとっては僕らの言葉は耳に入らず、死んだ後も同じ事をずっと繰り返して、古きよき時代を守っていくのだ。当然だ、利益等考えなくて良い人が殆どなのだから。
ホテルのロビーは最近禁煙を開始したのだろうが、昔から壁に染み付いたタバコ臭さと何となく薄黄色が全然抜けてない。入り口横の「今日のご宴会」の上部には、少し埃をかぶったままの半永久的に張り付いてるプレートが、堂々巡りさん(ロータリー)とか寅さん(ライオンズ)とか少年会議所とか書いてる。
どれも楽しそうな集まりだ、時間があれば一杯引っ掛けてから顔でも出して見るか。
ロビーでは、このようなホテルにお定まりの人々が、お定まりの格好でたむろしている。いやさ、別に溝鼠色のサイズの合わない皴のよってるスーツは構わないし、ごま塩頭に赤い顔してビール臭い息で同じような仲間とロビーにいるのは良いけど、ロビーのど真ん中に立たないでくれる?
こっちは函館駅から歩いてきてふーふー言ってるのに、さてチェックインしようとすると、まるでサッカーかラグビーの守りみたいに、横一直線ディフェンスだもんね。ありゃまいったわ。
ホテルの人からしても、僕らのようなカジュアルウエアの個人客は透明人間なのだろう、ロビー入り口のベルキャプテンさん御一行もロビーのお客に眼が行ってるようで、歩いてやってくるなんて客がいるわけないと思い込んでるのだべさ。
函館良いところだろうしラーメン美味いだろうし、何よりJRの切符は3日後を買ってるし、ここ以上にサービスの良さそうなところに移るにしても、そりゃあ熱いフライパンから飛び出たら、煮えたぎった鍋に落ち込むようなもんだ。
しばらく考えたが、とりあえず疲れてたので、その辺のディフェンスのおっちゃん二人ばかりにガラガラの足をぶつけながらフロントに辿り着く。
あのがらがらってよく出来てて、相手が通り過ぎたと思って横切ろうとしたりすると、足元を移動中のがらがらの足に、もろに踏まれる仕組みだ。合法的に他人の靴の上を大きなローラーで横切れる、数少ない手段である。オークランドに戻ったら本格的にラグビーの練習でもするかな。
ロビーで昔ながらの鍵を受け取り、「あの、家族4人なのでスペアキーありますか?」と聞くと、普通ににっこりと「ありません」。ケータイのない時代は、4人家族が常に一緒に行動してた時代だもんな、かぎなんて二つも要らないよな。
部屋は海向きの8階なので、景色はとても良い。真正面に海が広がり、左手には函館山が見える。
ロビーがたばこ臭いなんて贅沢言っちゃいけない、僕らのお部屋のある階は、何と禁煙階なのだ!ぱちぱちぱち!部屋の広さを表すのに、さすがに四畳半とは言わなかったホテルマン、立派です。
そうこうしながら、函館の旅は始まったさ。
2008年03月19日
川の流れのように
照明を暗くしてムードを出したコンパスローズは、東京の定宿の22階にあるバーだ。
六本木ヒルズ、東京タワー、そしてミッドタウンを眺めながら飲む酒は、またこれが格別に旨い。
バーの片隅では、太った黒人が生ピアノを弾きながら、その良く通る太い声で素晴らしいジャズを歌っている。
「ア〜ア〜、カワノナガレノヨ〜ニ〜」
_????????___
あわわわ、おい、ちょち待て!今、「川の流れのように〜」って歌ってたか?おいおい、君、今、美空ひばりを歌ってたのか?
「今、黒人が日本の演歌を歌うのって、結構人気があるんですよ〜」一緒に飲んでた元スタッフに教えてもらう。
なんじゃそりゃ!アリエナイザーイナバウアーを、久々にかました僕は、思わず聞き返した。
ニセコには結局3泊した。スキー視察(笑!)は一日だけだったが、やっぱり日本は、東京だけ見てても分からないし、かと言って地方の視点だけでは何も解決しない問題がたくさんあると思った。
北海道は、日本から独立して、観光立国となり、中国かロシアに外交を任せるという方法もあるのではないか。そんな事無責任!なんていう人もいるかもしれない。でも、無責任でも、誰かが何かを始めなければ、北海道は新しいページを開けないのではないか?
北海道にいた先住民であるアイヌを、まるでオーストラリアで白人がアボリジニを殺しまくったように駆逐してまで奪い取った領土なのに、それを全然生かせず、逆に日本の皇居のお荷物になってしまった現状。
夕張は今、閉鎖されようとしている。
人口約15000人の市だが、市役所の機能を完璧に破壊することで住民サービスが提供出来ないようになり、いずれ学校は閉鎖、病院も閉鎖、市民が払う税金はすべて借金返済に回り、市民は何のサービスも受けられなくなる。
そんな街ではもう住めないと、市民がどんどん脱出していく。最後に残るのは老人と病人だけだろう。その時点で町としての機能は完全に破壊される。
これから、他の地方でもそういう街が次々と出てくるだろう。自分で稼げない奴は潰れてしまえ、相手にしねえ。大きな町に出ていきな、それが政府の方針だ。
東京の高級ホテルのバーでブランディを飲みながら、皇居daisuki人間がそんな話をして政治を進めていくんだろうな。
人を信じることが出来る日本人てのは、とても良い性質だと思う。ただ、それも時と場合による。
今の日本で政治を信じるって事は、麻薬でラリッて、片手にナイフ、片手に拳銃を持ってるキチガイと手を繋いでオクラホマミクサーを踊るようなものだ。タンタタンタン、はいそこで回って背中を見せて〜、ぐさ。
北海道には、2年前も家族を連れてスキーに行ったのだが、やはり観光や里帰りで行く日本と、仕事で行く日本は全く違う。こっちの視点が違うから、素敵なヴェールのかかった思い出のふるさとではなく、包丁を砥いでる醜い老婆の本当の正体が見えるのだ。
そうやって見える日本は、今現実に日本に住んでいる人からすれば、それこそ「アリエナイザー!」とのけぞるかもしれない。
誰もそうだよね、自分の友達が人殺しをしたって聞いたら、「え〜、あの人がそんな事をするなんて!」となる。今の日本が、まさにそれだ。
医療費負担を増やし、老人医療を切り捨て、障害者を社会の底辺に追い込み、中年失業者には電車に飛び込ませ、若年労働者は低賃金でこき使い、家庭を崩壊させて、切れやすい子供を作っては犯罪に走り、本来は国民が受け取るべき年金を、役所が全部使い込んで、法律を変えて「カネがねえから払わんよ」と開き直る。
たぶん、たまたま僕が今の位置にいるからそんな日本が見えるのだろう。日本に住んでいる人からすれば、やっぱりユデガエルだから、鋭い痛みを感じない。
ニセコを朝出て、バスで3時間近く揺られて札幌空港に着く。ここで福岡に戻る相棒と別れて、僕は羽田行きの飛行機の乗客となった。
飛行機の中では色んなおっさんがいる。土建屋らしきおっさんと、どっかの田舎の町議員が、どぶねずみ色のしわのよったスーツに、生卵の殻のような色の白いワイシャツに、長さの合ってないレジメンタルのネクタイを結んで、まるで双子の精神貧弱児のような顔を寄せながら、次回の入札の話をこそこそとしている。
これから東京の「偉い議員さん」に「陳情」に行くんだろうな。おい親父、自分の目先の利益だけ追っかけた結果が、お前の足元に広がる貧弱な北の大地だぞ、わかってんのか。
もう少しアルコールが入ってれば、確実に絡んだだろうな。
ただ、言っとくが僕は土建業界の存在を否定しているのではない。日本が誇る建設技術は、間違いなく彼らが作ったのだ。その技術促進の為に談合も役立つ時期があった。そこを否定しているのではない。
ぼくが彼らに対して頭に来るのは、小泉政権で切られそうになったら、とっとと気づいて他の仕事に鞍替えするなり、もっと逃げようがあったのではないかという、トップの危機感のなさへの怒りである。戦国の武将を見習えっつの。
昔は建設業界25万人と言われたが、今は集票さえ出来ない組織である。悪代官と組む越後屋は、「お代官、あなたも悪ですの〜」とか言いながら、切るべきときは理解してた。ほんとに自分の会社を守りたいなら、もっと早い時期に行動すべきだったのだ。
それなしに、今になって開き直ってぎゃあぎゃあと騒ぎ始めるのは、国益と言う観点から見たとき、どうなのだ?その部分に頭が来るのである。
羽田に着き、dandan薄暗くなっていく東京の空を見ながら、今回の最終日程となる恵比寿のホテルに戻った。
黒人の歌うジャズに身を預けながら、いろんな事を考えた。今の日本の領土の国境、これは本当に適正なのか?
北海道も沖縄も、結局は大和民族じゃないし東京のビッグホール(つまり皇居ですな、夜、東京を空から眺めれば、ぎらぎらと輝く高層ビルの中、ど真ん中が真っ暗なのが分かる⇒池田ブログ引用:だが、これは以前からそう思ってた)にとっては蝦夷とか琉球だから、どうでも良いのだろう。
左の写真は霞ヶ関ビル
ビッグホールにとって都合が良ければ、そこに米軍基地を置き、ロシアの盾として、とにかく扱いが二流国民であるが、何をおっしゃる田舎者、私たち皇居に住むものに少しでも近づけるんだから、黙って苦労してなさいよ。
だって、東北の端っこの六ヶ所?七箇所?よく分からない場所では原発でも引き受けてるんだよ。黙って我慢してなさい。
え?なに?そんなに原発が必要なら東京に作れって?ほほほ、何をおっしゃるの、あれは、彼らが欲しいというから、あの町に作ったのよ。
川の流れのように時代はうつろう。
結局、自分の身を守るのは自分しかいない。かと言って動物的に生きていては、生きる意味がない。
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格はない。レイモンドチャンドラーの言葉が染みるような夜。
黒人が歌う、妙にかっこいい美空ひばりを聴きながら、ウイスキーのボトルの残量をゼロに近づけないように地球の引力と競争をした夜。勿論、結果は僕の負けだ、ゼロどころか、底を割ってしまい、もう一本引力競争をする事になった。
結局、ナンなのかな〜、この世の中って。日本のど真ん中で仕事をして、日本の北の端でスキーをして、最後には頭がごちゃごちゃになってしまった。
それでも、何とか頭を使って戦っていく人間にだけ、生き残る機会があるんだろな。
2008年03月18日
あいつらさー ニセコ
「あいつらさ、ビールに白飯だぜ、合わないだろーよ。おまけにチンゲン菜をちょいとつまんでるだけなんだよ。おりゃ、あれ見た時に、思わず声がでかかったよ、そうじゃなくてさ、日本食ってのはこう食べるんだよって言いたかったのさ。でもさ、俺、英語、できねえもんな」
朝のリフトに乗り合わせた、東京からやってきたスキーヤーのおじさん。昨晩はニセコアンヌプリホテルのバイキングで飯を食ってた外人に、どうしてもひとこと言いたかったらしい。でも英語出来ないから黙ってたんだって。
今日は朝からピーカンの青空。ニセコアンヌプリスキー場のてっぺんあたりのリフトからの眺めは、実に爽快である。
羊蹄山がずいぶんでかい。
この感覚、写真では表せないが、とにかく山が目の前にど〜んと座ってる感じだ。
冷え切った空気はぴーんと張り詰めて澄んでおり、空はすかーんとどこまでも青く、そんな中で一本目を滑ろうとリフトに乗った時に話しかけられたのだ。
リフトは二人乗りだしお客も少ないので、無理して一緒に乗ることもなかったのだが、見たところおじさん、一人で旅行に来て滑ってたようで、おまけに東京生まれだからなのだろう、誰かを捕まえては昨晩の話をしたかったって感じ。
おじさんいわく、昨日のホテルのレストランのバイキングは中華スタイルだったので、なんで白飯ばかり食ってるのか分からん、酢豚でもエビチリでもあるのにさ、全くもー、だってさ。
この人、根っからの東京生まれの東京育ち、お人よしでおせっかいで、何でもすぐ口に出てしまうタイプなんだろうな〜と思った。
そのガイジンは、たぶん菜食主義だったのかもしれない。でも、菜食主義なんて滅多に見かけないおじさんからすれば、「日本食の食い方もまともに知らねーガイジンさん」に、何とか教えたかったのだろう、ビールに白飯はいけねえやって。
適当にあいずちをうちながら、心の中では「だったら、そのテーブルに行って、身振り手振りでも良いから自分の言いたい事を伝えればよかったではないか?」と思ったりする。
ただ、おじさんはやっぱり、良い意味でも悪い意味でも普通の日本人だ。片言でも良いから教えることよりも、英語が出来ずに自分が恥をかくという気持ちを優先したんだから。
「もし言い方間違ったらどうしよう?」 じつはこれが今日のテーマ。
うちの竜馬君が前回一緒に日本でスキーに行った時、彼は日本人と日本語だらけの中で、どんどん英語で話しかけていった。気負いもてらいもなく、要するに「失敗することは恥ずかしい」なんて後天的な教育を受けてないから、素直に他人に話しかけられるのだ。
NZでもオーストラリアでも、子供の頃から「Try and Error」、「 GO for Break!」 と教え込まれる。何故なら実は、ちょっと理論が飛ぶけど、これが民主主義の根幹にある大事な思想だからだ。
世の中の事は、その気になれば何でも変えることは出来る。でも、失敗を恐れていては何も出来ない。望めば叶わない夢なんて、絶対にない。だから失敗なんて恐れるな。そういう気持ちが西洋社会を成長させてきたのは事実だ。
こうやって一人一人が自分の頭で最高の解を考えること、これが民主主義で一番大事な部分である。皆が自分の考えを持ち寄って話し合いをして、その中で一番皆が納得出来る解を見つけるのが民主主義だ。これはアテネの時代から何も変わっていない。
だから、自分の意見を表明することを恥ずかしいと思うのではなく、逆に表明出来なければ民主主義は進歩しないじゃないかという事だ。
そして西洋社会、特に英国では早い時期から民主主義が導入され、人々は自分の権利と義務を理解した。だからその代わりに、人が失敗することを許す文化が根付いたのだ。
何で白人はミスが多いのだ、NZでは銀行もバスの運転手も平気でミスをするし、それを問題視する事もない。何故ならそれが民主主義を実行する代償の一つだからだ。
だからこのおじさん、西洋式に言えば、英語が出来ないからって理由で話しかけないなんて、身振り手振りでもどうにかなるでしょう。実際に昨日は、日本語で通して立派にガイジンと会話している道産子がいたではないか。
このおじさんの一言、そして裸一貫で外国に乗り出して、失敗をものともせずに違う文化の中でニセコで成功したオージー、僕にとってはこれがそのまま、今の日本とオーストラリアをあらわしているような気がした。
悪いおっちゃんじゃないんだよ、だから始末に終えないのだ。悪くないから文句を言うのも気の毒。だから結局いろんな事が先送りになって、今の日本になってるんだろうな。
アンヌプリ頂上は30度近い斜面だ。山のてっぺんは全然木がないので、3つのスキー場のどこに向かっていっても楽しめる。
そんな中で、人が作ったコースを真面目に細かいターンしながら滑ってる日本人。オージーは、コースなんかに関係なく、楽しそうな斜面を見つけては、大きく肩を振って上体を使って大きく回り、どんどん突っ込んでいく。そこに新しいシュプールが出来る。
「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」
どうよ、高村光太郎の精神は、今はオージーに引き継がれているようだ。
あ、そうだ。前回も今回も、何で僕は初めての新雪、それも膝上まで来るような上級斜面を一度もこけずに滑れたのか、遂に分かりました!
それはファットスキー。今回も偶然ですが、サロモンを履きました。新雪にはファットスキーですぜ、相棒。
2008年03月17日
ニセコ 大空と大地の中で
10時前にロビーに出てみると、粉雪が軽く舞っていた。でも、ホテルのロビーの前は、多分道路暖房(ロードヒーティング)をしてるのだろう、雪が全然なくて綺麗に乾燥した道路になってる。
「ほんとに来るのかな〜、昨日は後半、結構おふざけで騒いだもんな、びびってないかな〜」そんな事を相棒と話してたら、10時ちょい過ぎた。
おお、こりゃどうなん?って思い、相棒が電話を入れる。すると、「あ〜、はい、今そっち向かってますよ、もう家出てるんで、あと5分くらいです〜」って、明るい声。君、昨日は遅くまで仕事してたのに、元気だよね。二人で、20代の体力に思わず顔を見合わせる。
まもなく車が到着。可愛らしい軽だ。最近の軽って音楽も聴けて、後部座席にはスキー板が置けて、トランクルームもあるのだから、こりゃもう、便利だべ。これは心地よい。
「じゃ、どこから行きますか?!」元気に切り出す彼女に、O30(Over30)の僕ら二人は結構感心しながら、じゃあ、倶知安駅に行って、それからニセコヒラフを回ろうという事になる。
日本の真ん中東京です、地域の真ん中は、やっぱり国鉄の駅です。駅前商店街ってのは日本ならどこでもあるので、まずはJRの駅前見学です。
薄暗い空で、今にも雪が降るか、それともど〜んと大風が吹くかって感じの中、車は山の中の道を走る。
車内では、昨晩も話した僕らの旅のテーマを再度繰り返しながら、「英語、勉強すれば?」と、軽く聞いた。
「やっぱ、いいっすよ(不要)〜。会話できれば楽しいだろうけどね」
彼女の答えは簡単なものだ。そりゃそうだ。今食えてるし、スキー客が来ても彼らはこっちの言葉を分かってくれる。何で無理して英語の勉強の必要ある?
日本は本当に広い。北は北海道から南は沖縄まで、それぞれの町で生まれ育った人は、それぞれの町のローカルルールが、全日本で適用されてると、本気で思い込んでる。
例えば、大坂発祥の恵方巻きなどは、つい最近までは他の地域では全く知られてなかった。
昨晩のおしゃべりを通じて(後半は例の如く記憶がないけど・・)、あやちゃんも、ローカルルールをしっかり身に付けているってのは、ほんとに良く分かった。
北海道では、冬になれば雪掻きをするものだし、お父さんの言う事は絶対に聞くものだし、学校の先生は偉くて、農協のいう事はきちんと聞かないと仲間はずれにされて、農産物の収穫期は大変なことになる。
でも、そのローカルルールの中には、英語を学ぶってのは入ってないのだ。それよりも、米の出来具合を予測する、天候の読み方とか、飲んでもちゃんと家に帰れる車の運転のほうが大事なのだ。
そうなんだよね〜、本当なら、そうやって人々が安心して生活出来る環境を作るのが国家の役目であり、その為に政府が勉強をして国民生活を良くしていかなくちゃいけないんだよね。
でも、実際はそうじゃない。一部官僚と支配階級が手を組んで、自分たちだけ儲けて一般国民に損を押し付けているのが実情だ。だからこれから地方が生き残る為には、ローカルルールを遵守するだけでは、もう通用しなくなるのだ。
以前はそれでも良かった。何かあれば、彼ら支配層は、[ Noble oblige ] と言う、貴族の義務を理解していた。でも最近の支配階級は哲学がないから、調子の良いときは自分の手柄、悪くなれば国民に責任を押し付ける、まるで映画で見るようなろくでなしの二代目ぼっちゃんばかりである。
でも、そんな事をあやちゃんに話しても、可愛い顔で「は〜?なんすか〜?」って聞き返されるのがオチなので、あえて車内ではおとなしくする。
あまり活気のない昼前の倶知安駅には客待ちタクシーが3台いた。昼間は、営業するタクシーが10台くらいはあるようだ。
←の写真は、イメージ検索してます。
薄暗い空に沈みこむような印象の駅と、平行するように左右に走る道と、駅からまっすぐ突き出している道と、ちょうど三叉路の真ん中が駅だ。
でも、所謂繁華街、アーケードがきんきらと輝くような駅前商店街ってのは、ない。食堂と、電気やと、それからシャッターを降ろしたお店が並んでいるだけの、日本の田舎ならどこにでもある普通の光景。
北の国の駅舎らしく、ガラスとサッシの簡単な二重ドアの向うに待合室がある。中は二つに仕切られていて、右側がお土産とか饂飩やだ。ただ、この時間はお客がいないのだろう、饂飩やは暖簾を下げてた。時刻表を見ると、次に来る電車は40分後くらいだから、電車に合わせて営業しているのかもな。
思わず鈴木ムネオと松山千春の顔が思い浮かんだ。そして中川親子。彼らは北の大地に、何をもたらそうとしているのか?
いつの時代も、甘やかされたガキは、ろくでもない人生を送った挙句に親を恨む。むしろ、親から何も与えられずに自分の力で生きてきた連中のほうがたくましい。
政治家は、この大地に、何をしようとしているのか?自己努力をせずに、他人(他の街)にカネを出させて自己責任から逃げようとする選挙民に、カネ(国家予算)を与えて票をもらうのが今の選挙制度なら、選挙民の程度も国会の程度も変わらないという事か。
自己努力を捨てて政府の補助金にのみすがり、政治家にそれを求めた結果として今の北海道があるのではないか?補助金で生きてきた人間は結局いつまで経っても独り立ちできない。
そんな事言っても、今どうすりゃいいんだ?!それが多くの現実的な意見だろう。それは分かる。僕も現実の中で生きてきた。誰の助けも借りずに今まで生きてきた。だからこそ良く分かるが、現実的な意見だけでは、いずれ人間は行き詰るのだ。
生きていくうえで本当に大事なのは、理想や思想だ。それなしに生きていくのは、動物と同じだ。メシが食えれば、それだけで良いのか?メシを与えるだけではなく、メシを作って自分で生活出来るようにすべきではないか?
せっかく目の前に宝が埋まってるのに、誰もそれを掘り出そうとせず、お上からの補助金だけで生活をしようとしてる。その補助金は誰の財布から出た金なのか、考えたことはあるのか?
ヒラフ。
すし屋で普通に座ってスシとサシミを食べてるオージー。メニューはすべて英語併記だ。
コンビニで置いてる食料品は、どう見ても完全に地元日本人向け。お茶漬けとか売ってる。それでもガイジンが友達と一緒に買い物に来て、ここでも自動翻訳機が稼働しているのだろう、立派に会話が成立している。
りんごやバナナを買ったり、ビールやワインを、あ〜だこうだと言いながら比べて見たり、こいつらガイジンは、ここでもすっかり「いついて」るなと思う。
スキー場では、香港や台湾から来たアジア人も目立つ。リフト乗り場では、広東語で話す若者グループが、スキーで暑くなったのだろう、ジャケットを脱いでからだの熱を逃がしながら、友達と肩を組んで写真を撮ってる。
香港に帰ったら、友達との食事会に持っていって、「ね、ニッポンってすごいけど、スキー場もすんごいよ!次は絶対一緒に行こうよ、こんな楽しい遊びってないよ!」、そうやってYokosoNipponの代わりに、ほんとの営業をしてくれるのだろう。
もう一枚写真撮って、友達に見せてね、そう、本気で思った。それこそが、今の北海道を成長させる基盤ではないだろうか。
2008年03月16日
ニセコアンヌプリ 朝食会場にて
翌朝は軽い二日酔い。
あやちゃん来る前にメシ食わなくちゃとか、最近飲み過ぎかも〜とか思いながら、朝食会場に向かう。
「朝食のレストラン」ではなく、「朝食会場」ってのが良いよね。
何だか、15年くらい前にヤオハンツアーで北京の人民大会堂で数百人が集まって大宴会をやった時のような、言葉と現実の場違いさに、その町の人々の感覚と僕の感覚のずれを感じて、そのずれが物差しになるので、距離感がつかめる。
そういえば、「かにかま」の事を思い出した。北京の人民大会堂で最初に出た前菜に、何と「かにかま」が出てたのだ。「お^−、こういう風に味付けして食うのか、おもしろいな〜」と感じた。
中国の人々にとっては、「かにかま」は「かに」ではないとわかった上で、魚のすり身料理の一つとして重宝しているのだ。ところがそれから数週間して、日本のある新聞がこの問題を取り上げた。
「本場の中華料理といいながら、かにかまのような誤魔化しな食い物を出すとは何事か!」と言う趣旨である。
それはそれで言いたいことは分かるのだが、その視点、違うんだよね。それ、日本人だけが持つ、「凝ったこだわり」であり、そんな事、世界ではあんまり考えてないんだよよね。日本人の持つ、作る側の視点が、実は経済の観点から見ると、とても多くの無駄を産んでいるってことだ。
ここは会場の窓からリフト乗り場とスキー場の一部も見えるので、窓際の席に座って料理を食いながら、スキーしているお客を見ながら、ついでに周囲を見渡す。
バフェット形式(バイキングの事)なので、大人も子供も楽しそうに、白黒黄色と混ざって、三々五々に行列を作って「え?なに、これ?」とか言いながら、順々に食事をお皿に載せてる。楽しい場所に、人種も肌の色も国籍も関係ないよね。
焼いたばかりのパン、シリアル、新鮮な牛乳、スクランブルエッグもあるし、目玉焼きはその場で焼いてくれる。炊き立てのご飯、おかゆ、お味噌汁は3種類から択べる(但し固形になったものを汁椀に入れてて、お湯を入れてを溶かすインスタント・なんでこれだけインスタントなのか?)。
僕はいつものように、日本食。ご飯、海苔、生卵の代わりの温泉卵、それに漬物を少々、である。味噌汁は、インスタントでねぎが入ってるので、今回は敬遠。日本茶にした。
洋食も充実しているので、幸い僕の周りのガイジンたちは、楽しく洋食の朝ごはんを食べてた。さすがに、白ご飯に牛乳をかけている人はいなかった。
ただ、お箸で食事をするアジア系の家族旅行もあちこちで目立ち、これはまたちょいと違った言葉の壁だ。肌の色も行動律も同じなので、見かけからは日本人と区別がつかない。なので、レストランのスタッフも話しかけてみて初めてガイジンと分かる。
だが、たまたまこのときだけの偶然だろうが、面白いことに、この日のアジア系の人々は、家族の中の一人が普通に日本語を喋ってて、日本語で会話が成立している。
年の頃30代半ばでやってきた、ちっちゃな子連れの香港人ファミリーは、お父さん、君はアニメで日本語覚えたでしょって感じ。お父さんは「あ〜、そう、うんうん、わかった」とか、ちっちゃな子供は多分お父さんに教えられたんだろう、スタッフを見ると「おはよ、ごじゃいま〜す!」とか言ってた。
台湾からやってきた3世代ファミリーでは、おじいちゃんが今の日本の世代の誰よりもしっかりとした日本語を話している。お孫さんは日本語を流暢に使っているおじいちゃんに、何の違和感もないようだ。
シンガポールから来た、やはりこれも3世代ファミリーでも、おじいちゃんがしっかりした日本語を話してた。上記2組が家族内ではそれぞれ広東語、マンダリンを話してたのに対して、この家族は基本が英語の会話である。さすがリークワンユー。
このシンガポーリアンの、じいちゃんと4歳くらいの孫とは、昨晩大浴場で偶然一緒になったのだが、お二人、最初から最後まで英語で話してた。ただ、孫が自分のおばあちゃんを呼ぶ時に「ぽぽ」と言ってたので、ああ、広東語圏出身ですねというのがかろうじてわかったくらい。
香港から直行便が札幌に飛ぶようになり、雪を見たことがないアジア人にとって、札幌は素晴らしい冬の観光地と一変した。
生まれた土地では絶対に雪が降らず、普通に生活してたのでは子供にも孫にも見せることが出来ない雪。
彼らにとっては、戦前も戦後も、日本は一種の憧れの土地だ。ちょうど戦後の日本人が米国の生活に憧れてたように(いつかは夢も醒めるのだろうが)。そんな彼らからすれば、日本でスキーが出来るなんて、こんな楽しいことはない。
多くのアジア人は、やはりアジアの文化の発信地は日本という感覚を未だ持っており、実際にディズニーランド、新宿、原宿、銀座、アニメ、カラオケ、ソニーと、とにかく見て回りたいところがてんこ盛りだ。そこに更に「安くて楽しくて、絶対に自分の国では出来ない経験!」と言うので注目されているのが、北海道のスキーだ。
日本人は今日本が不況だからと、何でも値段を下げようとする。しかし、それは1億2千万人の日本人相手にものを売ろうと考えてる時だけであって、世界に目を向ければその市場は全く変わる。
勿論世界で60億人いるといっても、その全員が市場になりうるわけではない。ただ逆に言えば、全員を相手にする必要はないのだ。年間にニセコに来るスキーヤーは何万人だ?アジアやオセアニアに住んでる富裕層は何万人だ?単純に考えれば分かること。
日本人の悪い癖は、市場を考えるときに、その全員に何かを売ろうとする。車や食料品などのビジネスならそれは良いのだが、サービス産業においてはそれは違う。
サービスを提供する市場を、だれかれなしに広げてしまっては、サービスビジネスは成立しない。何故なら、今日のご飯にも困っているアフリカの人々と、明日は飛行機に乗って札幌ラーメンでも食いにいこうかと考えてるアジアのお金持ちは、要求するものが違うのだ。
だから、自分のサービスが誰にいくらで売れるのか、まずはそこから考えねばならない。
北海道にやってくる観光客は、何も北海道庁が世界中にまともな営業をかけて呼び込みをしたわけではない。YokosoJapanなど、実際はどこの国でもまともに相手にされてない。ニセコは、アジアオセアニアの富裕層である彼らが、自ら発見してやってきたのだ。丁度、1800年代後半に日本が鎖国していた時にやってきたペリーのように。
片方では観光立国と言いながら、長距離電車に荷物置き場はない、ビザ発給は厳しい、何かと言えば「ルールですから」と、言ってることとやってる事がちぐはぐな日本の観光政策をまともに相手にする外国人はいない。
では何故オージーやアジア人は「高いおカネ」を払ってニセコにやってくるのか?それは、逆説になるが、彼らにとっては、高くないからだ。
自分の国にいたのでは、絶対に見ることが出来ない雪、自分の国では期待出来ないパウダースノー。彼らからすれば、今のニセコは、安いのだ。
ガイジンは、能動的に北海道にやってきて、自分の頭で考えて、これは売れると判断し、キャセイ航空は直行便を飛ばし、オージーは不動産開発をやった。
彼らと日本人の発想の違いはどこか?答は明快であり、今までの日本が繰り返し失敗してきた、てか見過ごしてきた視点だ。
それが顧客視点である。お客から見れば、北海道の雪にはいくらの価値があるのか?
日本人はメーカー主導の考え方でいつも両極端に走る。「良い技術なら誰でも買う」とか「この商品は絶対に売れる」等と、供給者側の視点でものを考える。ところが、受け取る側は決してそうではない。ソニーのPS3と任天堂Wiiの売上を見れば分かる。
その反面、全然売れなければ、原価も考えずにすぐ安売りに走る。どちらにも共通しているのは、マーケティングがないままの製造である。良いものを作ってから、それから考える。
日本人は製作者主導で、すぐに凝ったものに走る。マニアックになる。スキーをやるとなれば、スキーの道具がどうとか滑り方とかがこうとか。
でもその雪山で昼飯を食おうとすれば、重くて歩きにくいスキーブーツを履いたまま、テーブルに座ってカレーを食べてる人の後ろに立って、いつ食い終わるのかといらいらしながら待ってなきゃいけない。
ホテルの部屋はすし詰めで、何の遊びもない。単なる箱、でしかない。
でも、今こうやってニセコにスキーに来る人々は、スキーの技術がどうこうとか考えてない。ゆっくりと、好きな時間に美味しいお昼ご飯が食べられて、ゆったりとした部屋でCNNなどの世界中のテレビを英語で見ながら、温泉につかり、その合間に天気が良ければ滑るのだ。
今ニセコに来る旅行客にとっては、ニセコは安いのだ。ニセコの原価がいくらか、彼らは知る必要もないし、知りたくもない。大事なのは、彼らが母国で稼ぐ可処分所得から比べれば、また母国で同じカネを払って得られる満足感に比べれば、ニセコは十分に安いという点なのだ。
払っただけ以上の対価を受け取っていると感じるからこそリピーターが激増しているのだ。そんな時に、日本国内で一生懸命値段を下げて競争して自分で自分の首を絞めるのではなく、彼らがいくら払って何を望んでいるのかを理解するというのが、顧客視点=マーケティングだ。
考えても欲しい。世界を相手に商売しているハングリーなビジネスパーソン連中が、日本に来たときだけ高い金を払って悪いサービスで満足すると思うか?彼らは、価値を見いだしているからこそおカネを払うのだ。
昔の北海道の日本人にとって、雪はごみでありおカネを払って排除すべきものだった。そこにスキー文化が導入されて、雪が売れることに気づいた。だから、雪の原価は無料、雪かきの費用よりリフトの係員で少しだけ余分に稼げればよい、そんな値段設定だった。
ところがバブル崩壊後、スキー人気は減退、こうなると生き残る為に安売りをするしかなくなり、ニセコの一日リフト券は、NZのコロネットピークのリフト券の半額になった。
コロネットピークで10ドル出しても、食えるものはRubbishである。誰もがご存知の通りだ。ところがニセコでは、900円出せば美味しい札幌ラーメンが食える。
そんな美味しい話が、どこにありますか?!
だから日本人も、今日本人が何も買わなくなったからと言って価格を下げるのではなく、もっと外に目を向けて、世界にいるスキーリゾートdaisukiな人々に対して、素晴らしい商材(パウダースノー)に素晴らしい付加価値(食事、笑顔、サービス)を付けて、本来あるべき価格で販売すればよいのだ。
ところが日本では、サービスを提供する供給者が、マーケットリサーチの経験もない人々が、開発コストを考えて、じゃあまあ、これくらいでいいやって値段を付ける。
このミスマッチこそが日本が今陥ってる大きな価格問題だ。
逆の悪い例で、最近の新聞で見かけるのは、メーカーがまず最初に日本の消費者の値ごろ感で売価を決定して、それに合わせて原価を計算していくから、下請けになればなるほど叩かれる図式になっている。
ならば何故、売る相手を変更して、まず最初に適正な原価を積み上げて売値を決めてから、それを喜んでくれるようなお客を作るというマーケティングをしないのか?
やってる作業は同じなのだ。ただ、値段を下げる為にするのか、適正価格を守る為にするのか、だけの違いである。
安売りに流れてちゃ駄目だ。ものには値段がある。そして、人は夢を観て生きてる。夢を叶える為の会社、事業、そういうものを作るのが、社長の仕事でしょ。それが国家で言えば、政権政党のするべき事だ。人が夢を持って働ける、そんな環境作り。今の北海道なら、可能だ。
朝からついつい色んな事を考えて見た。でも、北海道は素晴らしい資源を持ってる。世界を視野にして、誰にどう売るか、それさえ間違えなければ、絶対にクイーンズタウンより大きなビジネスになるぞ。
お、やばし、あんまり熱くなってる時間はない。もうすぐ”あやちゃん”が来る。早いとこメシ食わなきゃ。
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2008年03月15日
あやちゃん
実は今回のニセコ出張で一番協力してくれたのが、あやちゃんだ。
その前にごめんなさい、先日のブログの訂正が一つ。「道の駅」とは、農協ではないとの情報あり。
「道の駅は、国や県が基本的な施設である駐車場やトイレを整備し、市町村、またはそれに代わり得る公的な団体(ほとんどは第三セクター)が地域側施設を設置する形が取られる。」
たまたまそこに地元農協が共同で、地元で取れた野菜や地元の食材を使った料理を出しているので、てっきり農協主催と思い込んでたが、正解は上記でした。謹んで訂正です。
さて、話は戻って、あやちゃん。
いかにも北海道の子供って感じな、小柄で子顔で色白で明るくて目がキラキラしてる、ほんとカントリーガールのあやちゃんは、今年二十歳。
僕は未知の旅先で地元情報を仕入れる時には(まあ、そうでない時も)、大体地元の人間が通うバーに行く。彼らはどこかの業界に特別肩入れしてるわけでもないから情報に色が付かないし、色んな業界の人が飲みに来るから、実は情報通である。
今回も、ホテルで夕食を済ませると、早速、てか人口4千人の街ニセコの夜にはタクシーが3台しか走ってないの、早速予約しておいたそのタクシーで、山中のホテルからニセコの町に向かった。
ここまで自然な環境で真っ暗な道を走ってると、キタキツネが横切ることも普通にあるようだ。道路標識にも、キタキツネや熊のサインが出てた。道端で熊が手を挙げて振ってたら、その時は運転手さん、止まるのか?
所要時間10分程度だが、思ったよりタクシー代は高く、2500円である。う〜ん、でも日頃タクシー使う人なんていないから、それくらい取らないと合わないだろうね。
昼間のチェックインの際に、レセプションの女性スタッフから、「はい、これは隣の温泉の割引クーポン、これは朝食クーポン、それからスキーのレンタルはあっちで、ホテル内のお風呂はこっちで、夕食は予約制になってるので気をつけてetcetc」と、約10分にわたって講釈を拝聴した後に、僕は普通に聞いた。
「この辺、飲みにいくとこあります〜?」
するとこのスタッフ、豆鉄砲みたいな顔で
「はあ?」一体あなた、何を聞いてたの?って顔つき。
「いや、だからお酒を飲める場所とか教えてもらえませんか?」
こっちは普通に、きちんとしたホテルのレセプションでごく常識的な事を聞いてる積りなのだが?
「はい、レストランでも御座いますし、売店でお酒も売っておりますが〜」彼女のお酒を飲む場所のイメージは←。
「いやいや、そうじゃなくて、街で地元の人を相手にやってる、カラオケバーとかスナックとかラウンジとかバーとか、名前は何でもいいんですけど、女の子がカウンターとかボックスに一緒に座って話をしてくれるようなお店なんですけど〜」
ここまで言わないと理解しないんだろうな〜。ここ、元は日航ホテルだったし、それなりに一流って聞いたのだが、一流では聞いちゃいけない質問をしているのか、僕は?
スタッフ、やっと意味が通じたようだが、この女性、生まれて初めてこのような質問を宿泊者から受けたようだ、しばらく「う〜ん」とか言ってて、後ろにいた男性スタッフに、いかにもすけべ親父から話しかけられて嫌そうな顔で「ね〜、この町で女性がいてお酒が飲める店なんてあったっけ?」だって。君ら、一応プロだよね?
その男性スタッフも、自分では行った事がないようで、「そういえば、そんな店もあるとは思うんですが〜・・・・少々お待ち下さい」てなことで調べてもらった。
その時点でニセコ調査隊としては、「あ〜あ、こりゃ外れかな」とも思ったのだが、結局街のガイドブックを良く見ると、レストランや居酒屋、ホテルの賑やかそうな案内の隅っこの一番下のところに、照れくさそうにお店の名前と電話番号だけが出てた。
全部で5軒あるのだが、そのうち「一番ましなのは、この青い鳥らしいですね」とホテルのスタッフが教えてくれた。
そうかそうか、まし、なのか・・。ますます調査隊の気持ちは落ち込むが、まあそれでも、ホテルのバーで雪見しながら酒飲むのが目的ではない。あくまでも街に出ての情報収集。
てな事で、やってきました青い鳥。
夜だからなのか昼間もそうなのか、車は全然人気のない薄暗い街の大通りから裏道に入り、両端に雪が積もってる壁に挟まれて電球がかろうじて道路を照らしているような一方通行の細い道に入って、その更に行き止まりの、いかにも昔の昭和初期の映画に出てきそうな裏玄関みたいなところに停まった。
「お客さん、着きましたよ」
入り口はどう見ても内地(本州)のラーメン屋の裏口ですねって感じの、愛想も色気もないガラスのサッシドア。これが二重になってて、おっかなびっくりドアを開けたら、何と中は!
「あ~らいらっしゃい!」赤を基調とした照明が、高い天井と広いホールをぼんやりと包んでいる中で、正面に伸びた6人くらい掛けられるカウンターと、手前から右奥へ広がる、広大な赤い椅子のボックス群。
こえをかけてきたのはお店のママさんだろう、でも、その声が途中で中途半端に途切れて、「あらら、、、いら、、しゃい。ええっと、、、初めてですよね〜?_?>」
真冬の北海道の山の中、夜に雪を掻き分けてタクシーでやってくる観光客がいるなんて、おそらく熊に出くわすより確率は低いのだろう、その驚きは理解出来る。
まあ、間違いなくキタキツネに出くわすよりも、大幅に確率は低いだろう。
何故なら僕は今回泊まったホテルで毎朝雪山から降りてくるキタキツネを見てたからだ。
だからまあ、ママさんからすれば、熊に出会った感覚で「ご挨拶」をしてくれたのだが、こっちは相手がヤクザでもボッタクリでもないと分かれば、いきなり愛想よく雰囲気に溶け込むことが出来るという特殊技がある。
さらりとボックスにすわり、お絞りで手を拭きながら、これまたさらりと「すみませんね~びっくりさせて。泊まってるホテルの人に教えてもらってきたんですよ」これで言外に、ちゃんとしたホテルに泊まってるよと表明する。
「いやいや、旅先で地元の人が飲む店に飛び込むのが趣味でしてね、いろいろと地元の話でも聞ければと思ってきたんですよ〜」と、語尾はちょいとキーを上げて、ちょいと馬鹿っぽくふりまく。
「で、システムはどんな風になってます〜?」と聞けば、まあ食い逃げはしませんよとの意思表示。実際にはタクシーも3台しかなく、街に人が歩いてないんだから、食い逃げしても10分後には道端で凍り付いて、20分後にはその死体も雪を被った小山になるだろうね。
だんだん安心した彼女、そのうち明るくなって、「あ、そうですか〜、じゃあ地元で育った子がいるので、ちょっと待っててくださいね」と、その日の出勤はママを含めて3人しかいなくて、おまけに1人は他のカウンター客に付いている状態で、最後の一人の子を差し出してきた。
前振りが長くなったけど、これがあやちゃん。
最初は彼女もちょいと緊張してたようで「あれま、内地の人が来たっぺ。どうすりゃいいんだ?」みたいな感じだったらしい。(これは翌日聞いた話。その時点では結構きちんきちんと接客やってた)
そこで再度、相手がびびらないように調査隊が自己紹介して、さあ、情報収集開始だ。
あやちゃんの生まれはニセコ。お父さんはお米とお芋を作ってる農家で、冬は雪掻きの仕事している。
お母さんは専業主婦で、兄弟も一緒に自宅に住んでる。高校を出てからしばらくしてこのバイトをやってるん。
だけど、お店のお客は常連ばかりで、人口4千人のニセコじゃあ、親戚や高校の先輩とかもお客になっちゃたりするよね〜と、明るく語る。
ここまで街が狭いと、飲みに来る連中もあんまりハメは外せないよねと聞くと、「いや、それがですね〜お客さん、聞いてくださいね。男ってのはどこに行っても同じで、やっぱり酔ったら変身しちゃいますよ〜」だって。う〜ん・・・。
彼女の気分をほぐすべく、差しさわりのない質問をしながら、dandanとお隣のヒラフの話を聞いていく。こういうのって、いきなり本題になると、こっちの期待に応えようとついつい話を膨らませる人もいるので、何気なくさらりと聞く。
「え〜そうなんっすよ、最近はガイジンさんが増えてですね。でも彼らはヒラフの中でガイジンさん向けの、バーってんですか、あのシートチャージもかかんないし突き出しも出ないお店で飲んで、一杯いくらでお金払ってんですよね〜」
うんうん、世界の中で日本だけが、普通のお店に座って飲むだけで「チャーム」とか「シートチャージ」とかあるの、知ってるかなお嬢さん?
話を続けてもらうと、やはりここ数年でガイジンが移り住むようになり、町のガイジン人口は増えたとのこと。でも彼女からすれば、内地から来る人も移住者だし、それがもちっと遠いところから来たとこでも、所詮は同じ移住者。
自分たちも元々は移住者だって感覚があるのだろう、あまり余所者に対する抵抗がないようだ。
あやちゃんは、お父さんお母さんにきちんと育てられたのだろう、何を話すときでもきちんと礼儀正しく喋る。勿論今風の話し方になるのは仕方ないけど、それでも、お店だからってんじゃなくて、自然に出てくる人の良さがある。
仕事のプロではない、社会に生きる人間としてプロってのか、きちんと社会の一員として共同体の中で生きてるって感じ。
これに比べれば、東京の薄汚い道端やコンビニで、カラスみたいなうつろな目でぼやーっと周りを見るともなくうんこ座りしてる若者が、どれだけ社会に適合していなかってのがよく分かる。
そんな彼女の当面の夢は、10万円貯金して東京に行くことらしい。
「だってですよ、生まれがニセコでしょ、札幌に出ることもあんまりないし、東京なんて、きゃ〜!って感じですよ。10万円貯金出来たら、すぐにでも行きたいです〜!」と、今の東京がどんな街なのかも知らずに、夢が膨らんでいるようだ。
東京も、綺麗なところもたくさんあるけど、変な街でもあるよ。興味があるのは良いけど、夜の街とかはニセコとは全然違うんだから、夜9時過ぎたら外を歩いちゃ駄目だよ、そんな忠告をしたくなるような、あやちゃんの住むニセコ。
それからも、オーストラリアの話を交えながら、遅くまで地元の話を聞く。田舎の子は、本当に素直である。疑うとかしない。
「ねえあやちゃんさ、仕事だからお客さんとお酒飲むこともあるよね、そんな時は誰か送ってくれるの?」さらりと聞く。
「普段はあまり飲まないから、自分の軽で帰ってるんですよ、でも、よほど飲みすぎた時は車を置いて、マスターに送ってもらってます」
てか、それ飲酒運転をほぼ毎晩やってるって事だよね。なので、柔らかく最近の内地の交通事情を説明した。
「ねえテレビとか見てると、飲酒運転の取締りとかしている場面があるよね、あれってさ、お酒飲んで運転しちゃいけないって事だよね。あやちゃんは、お酒飲んで運転しても大丈夫なの?」
すると彼女、明るく笑って、「大丈夫ですよ、酔って運転してるわけじゃないから〜」「それに、自分で運転しないと帰れないじゃないですか〜、そしたら毎日マスターに送って迷惑かけるわけにもいかないし、お店に来るときも困りますよ、お母さんに送ってもらうとかですか?それも迷惑ですよね〜」と、「考えれば分かるだろ、あふぉ」と、まるで馬鹿に言い聞かせるかのように話す。
そうなのだ、彼女の理屈で言えば、家族に店まで送ってもらい、マスターに自宅まで送ってもらうなんて、そんなのは他人に迷惑をかけること。でも、だからと言ってお客さんに勧められれば、これは大事な人間関係だから飲まないといけないでしょ、そうなれば自然と、私が車で通勤するってのが、皆にとって良いことでしょ、そんな事も分からない、あなたはお馬鹿さんですね〜となるのだ。
そう、この街では日本国が制定した法律よりも、街のローカルルールが優先するのだ。実はこんなのはよくあることで、一応ルールはあるけど、適用はしないって言う方法で、日本はうまく回ってるのだ。
これが面白いのは「いちいち法律にけちをつけたり、決まりとか言ってたら、生活なんて出来ないでしょ」と理屈っぽく開き直って言うわけではなく、とにかくこの街ではこうなんです、これまでもこうで、これからもこうなんです、それ以上、何を考える必要があるんですかって事。
そういえばうちの会社にもいるな、約1名。絶対に人の話を聞かない人。
なるほどな。これも偉大なる生活の智恵、かもね。政府のやることにいちいち文句をつける自分が、何だかやっと異質な存在に思えてきた。
結局この日は、20歳の女の子にいろんな事を教えてもらった。
あ、そうだ!今日は情報仕入れて、翌日はタクシーでヒラフの街を回ろうと思って僕らだが、よくよく聞けば、最高の運転手が目の前にいるではないか!
「あやちゃん、明日の昼、ヒマ?東京行きの旅費稼ぎに、アルバイトしたいよね?」
初日の長い夜、終了。
2008年03月14日
道の駅 ニセコのたび 1
長距離バスを降りる時の、米国人中年夫婦と運転手の会話。
手元の飲み物の空き瓶を振りながら
「Can I put the rubbish here ?」
すると運転手、すかさず、
「ああ、いいよ、あとで投げとくからさ」
「Oh, thanks !」
「大丈夫さ〜」
「See you !」
「じゃあな、さんくすべりまっち!」
良く日に焼けた中年の、ちょっと北海道なまりの運転手と、旅行に来た中年米国人夫婦の会話。
おいおい、こいつら宇宙人か?片方は日本語で、片方は英語で話しているのに、お互いにしっかり通じているのだ。
札幌・新千歳空港からニセコに向かう長距離バスは、乗客合計10名で、僕と相棒以外は皆外人。てか、僕らもNZ在なので、そう考えれば全員がガイジンである。
ニセコに行くバスは、色んなバス会社が色んな旅行会社と提携して走らせている。僕らは、札幌空港に着いてとりあえず一番手近の案内所に行き、空港でお昼を食べてから出発する頃の乗り合いバスを予約した。
約3時間のバスの旅は、ちょうどオークランドからロトルアに行くような距離感だ。お一人様運賃が2350円。NZドルで30ドルって事は、おお、安いじゃんか。
バスの時間が来るまでに早速札幌ラーメンを食べようと、バス会社の受付の、いかにも北海道?的な、色白、小顔、小柄、そして何よりも素朴できらきらした瞳の女の子に教えてもらった。
空港の1階にあるこのラーメン屋、程ほどにお客も入ってるし、地元の人も旅行客も利用していたし、一応美味しい店に入ってるのだが、それほど飛びぬけて旨いラーメンではなかったのだが、勿論まずいわけではない。
ごくごく標準、ただ、
でもふっと思った。このラーメン、値段を見れば840円。これがやっぱり一番の衝撃。この値段で、ここまで手間のかかったラーメンが食えるんですか!しっかりと出汁の効いたこくのあるスープ、本格太め縮れ麺、手間のかかった焼き豚、新鮮なコーンがどっさり!
オークランドのランチでは、10ドルじゃ絶対にこんなものは食えない。
日本人は、ほんとに凝り性と言うか、何か方向性さえ決まれば、そこから徹底して突き進むのは、大得意。その特性は、逆に言うと自分でものを考えないという悪い面もあるんだけど、ちゃんとお上が正しい方向に導いてやれば、後は現場の努力で何でもやってしまう。
たかがラーメン一杯で何を言うかという感じだが、凝り性の日本と、万事にわたって大雑把なNZを往復していると、その違いをひしひしと感じるのだから、これはもう仕方ない。
ただ何よりも、バス代と言いラーメンの値段といい、こりゃやっぱり、景気の良いオージーからすれば、「安いよ!」って事になるのだろう。これが最初の洗礼。
バスの出発時刻の10分前になると、順々にお客が集まってくる。ウィスラーのTシャツを着て時々フランス語を混ぜて喋っているのは、どうやらカナダから来たスキー客のようだ。てか、君、寒くないかい?
がっちりした体格でよく笑って、大声で喋ってるグループは、ありゃあ間違いなくオージー。やっぱりあいつら、地球の反対側に来ても陽気だわ。
おとなしそうな中年スキーヤーは、その巻き舌アクセントから米国系と思う。
そして僕ら、外国に住む日本人チーム。
こうしてチームグローバルは出発と言うことになるはずが・・・案の定、カナダチームの一人がどこかに買い物に行って戻ってこない。
集合役の女の子は、いつもの事と思いながらも、あっちこっちくるくると見回ってる。それを見たカナダチームの一人は英語で「いや、ごめんごめん、あいつ、コーラを買いにいっただけなんで、すぐ戻ってくるよ〜」と話しかけてる。
すると彼女、普通に日本語で、「あ、そうなんですか、コーラですね、はい、じゃ待ってますね」とにっこり。するとカナディアンも、ほっとした顔でにっこりと「すぐ戻るからね」。
もしかして北海道では、その全土をカバーするような無線LANの自動翻訳機が備え付けられてるのか?
買い物に行ってたカナディアン、結局コーラのちっちゃな缶を買ってきてて、友達に「ほら、こんなちびコーラがあるぜよ」って、珍しそうに皆に見せてた。
バスに乗り込む際、普通にNZでは、お客が手伝いながら運転手が荷物を入れるのだが、ここでは道産子の女の子が、自分の背丈より高いボードバッグを、うんにゃらこっちゃと持ち上げてバスのトランクに詰め込んでた。
心配そうに見るオージー、てか、普通にオーストラリアでもNZでも、こんな場面はないよね。女性がこんな大きな荷物を載せこもうとするんだから、思わず手伝おうとするオージー。ところが女の子は、「これは私の仕事です、大丈夫です!」って感じで、きりっとした態度で荷物を載せこんでる。
いいよね、道産子女性。そういえば日本で一番離婚率の高いのが北海道と言う話を聞いた。子供の頃から自立してれば、社会人になって馬鹿な男と間違って結婚しても、即別れる勇気と環境が整っているのでしょう。
同じ日本でも、先月回った東北とは全然違いますな。
まあまあそれは置いておいて、最後に女の子が車内アナウンスで、今度はいきなり英語で話し始める。
「このバスは約3時間でニセコに到着します。途中でトイレ休憩を10分程度取りますが、どこで休憩するかは運転手次第なので、途中休憩の際は、必ず運転手さんに確認して下さいね」
おいおい、いくら毎日話しなれた英語とはいえ、流暢ジャンか。だったら最初に日本語で話してたのは、ナンなのよ?
まあ、バスは無事出発進行、途中粉雪の舞う中をニセコに向けてGO!
約3時間の長旅は、丁度2時間程度走ったところでトイレ休憩。そう、このバスはトイレが付いてないのだ。
バスが停車したところは、「道の駅」。大きなドライブインには、全国どこでもあるような、お土産、レストラン、飲み物、トイレ、などなどだが、この運営者は、相棒の話によると、農協らしい。
(この項目、3月15日訂正です。正しくは農協ではなく、
「道の駅は、国や県が基本的な施設である駐車場やトイレを整備し、市町村、またはそれに代わり得る公的な団体(ほとんどは第三セクター)が地域側施設を設置する形が取られる。」でした、謹んで訂正です)
僕は子供の頃から農協ってのサイズが分からない。
大人になってやっと、農協ってのは随分大きな集合体であり、悪い奴らが頭の弱い奴を騙して金儲けする為に作った仕組みだってのが分かってからは、相手にもしていない。
自民党の票田及び農薬の販売、そして何よりも、自分たちが働かなくても食っていける仕組みを作ろうとした「おらがむら」の末裔がこいつらだ。
自分の利益だけを目的に政治を巻き込んで騙してるから、日本でこれだけ多くの展開が出来るってのが頭にくる。それ、国民を騙して作った金だよね。
すでに自民党には見捨てられ、国民には跡継ぎも出来ないほど無視され、今になって減反がどうのこうの、食料政策がどうのこうの。少なくとも戦後50年間にわたってやってきた農業政策のツケを払うのは、旧態依然とした農家である。
まあそれはいいや。
ふ〜んとか思いながらバスは所定の位置で停車。ここで運転手後ろを振り返り、にこっと笑った人懐こそうな笑顔で、右手を大きく開いて、指をピースマークにして、大きく日本語で「20分だよ〜!」。
乗車時の説明では10分だったので、大丈夫かい?と、思わず後ろを振り向くと、何故か皆さん、三々五々にうなずいてる。
おそるべし北海道。
道の駅は、入り口の右側がレストラン、正面がお土産コーナーで、そこを通り抜けると団体でも利用出来る小奇麗なトイレがある。でも、トイレフロアに何故か自動ピアノが置いてあって、あれは意味不明。ピアノのリズムに合わせて用を足せという事か?こぼしたらどうする?
手洗いを済ませてから入り口の左側にある軽食コーナーのガラスケースに並んだスナックを見る。フレンチフライ、チキンナゲット、芋のコロッケ、等など。
僕はジンギスカンのから揚げを300円で購入。隣にいたオージーは、ガラスケースの中をじろじろ見ながら、結局はチキンナゲット。彼の友達はチーズ芋だ。この二人も自動翻訳機を持っているようだ。
「Can I have this chicken nugget ?」
「はい、こちら200円になりますね、ありがとうございます」
[Could I have this cheese potato ?]
「はい、こちら250円でございま〜す、ありがとうございます、ケチャップはここにありますからね〜」
「Oh, Thanks !」
「お次の方、どうぞ〜」
慣れもあるのだろうが、ガイジンが来て英語で買い物をする事に全く抵抗も不思議さもなく素直に受け入れて、かと言って英語を覚えてもっと何か売ってやろうとする気負いもないまま、道産子とオージーの国際貿易と観光は僕の目の前で発展していく。
ニセコの旅は続く
2008年03月13日
2007年10月20日
鎖国ビジネス
レッツノート!
今僕が使っているのは、今年の半ばに購入したレッツノートCF-W5というタイプである事は以前も書いた。
何せ1200gと軽い。
12.1型画面(B5サイズ)なのにDVDが内臓されていて、飛行機の機内でも面倒なく好きな映画を見られるし、バッテリーが9時間持つというご案内。実際にはECOモードを外しても4時間くらいかと思うが、それでも映画2本観るには十分。
無線LANが当然の如くあるので、新幹線の時間待ちの時にすいすいとネットにアクセス出来る等等、今の僕には本当に有難い商品である。
ところが、この商品で問題が起きた。てか、商品自体の問題ではなく、販売方法である。
「何よ!売る気あんの!」突然怒りのチャットが入ってきた。びっくりしたが、良く見ると僕宛ではないのでほっとしながら良く読むと、レッツノート宛の怒りだった。
このPC、表面価格も決して安くない。ヤマダやでポイント貰って買っても23万円くらいする、かなりの高級商品だ。その高級商品を買おうと、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入しようとしたスタッフからの怒りの声である。
僕らの場合はPCの使用頻度がむちゃくちゃ高い。朝起きてから夜寝るまで、ほぼPCと一緒だ。さすがに風呂には一緒に入らないが、朝起きて真っ先にする事がPCのスイッチを入れること、寝る時にベッドに入る前に最後にする事がPCのスイッチを切ることくらいの頻度。
オフィスで使い、夜は自宅に持って帰って使い、出張先の機内で使い、旅先の、毎日転々とするホテルでそれぞれ違うシステムのLANに繋いで使いと、PCは仕事の中で最も身近な道具だし、処理する量も半端じゃないので、ビジネス使用に耐えられる頑丈さが要求される。
最近楽しそうに使う僕の顔を見て、数ヶ月前にレッツ仲間が一人増えたのだが、彼もハッピーで使っている。そんなこんなで他のスタッフもレッツに興味を持ち、「よっしゃ、今のPCはもう3年近く使ってるし、買い換えようかな」と思ったようだ。
PCの場合、大体3年くらいが寿命だ。それ以上使うと、ある日突然死する。データを抱えたまま、あの世に行かれてしまっては、残された人はどうすればよいのか?死なれる前に乗り換える、これしかないっしょ。
早速レッツノートのサイトにアクセスしたところ、性能はそこですぐ分かる。形に拘らなければ、電機やで買えるという事が分かった。
ただ、基本機能ではメモリー、HDDの容量が小さくて、自分の要求するスペックはオーダーメイドになるとの事。
ついでによく見ると、天板の色も替える事ができるので、かなり「MyLetsNote」になってくれる。
そこまで喜ばせておいて、さてじゃあ注文しようとすると、これがなんと次回の入荷が11月!何?今すぐ入手出来ないの?ってあたりから様子がおかしくなった。
まずはなんと、注文の場合はウィンドウズビスタが標準であり、XPはなかなか見つからない。
メーカー側としてはビスタを表面に立ててる、てかマイクロソフトの戦略なんだろうけど、出たばかりのビスタを頭から信用して使って不具合でデータが飛んで泣くのはこっちだ。MSが責任を取ってくれるわけではない。
だから発売後の不具合がほぼ解消されているXPの方が安心して使えるのだが、まずそこで躓いた。
次になんと代金決済のところで、てか、注文はすべてインターネットで出来るのだが、こちらが呈示したクレジットカードが使えない!何じゃこりゃ!
結局海外のカードは危険性が多いからと思い込み、何の勉強もしないまま何かあっても責任取らなくてよいように、販売機会を無くしても給料は変わらないし、海外からのカードなんて断ってしまえ。
そういえばJRで切符買うときも、1万円以上の場合、僕の持ってるカードは、ほぼ決済出来ない。香港発行のビザカード、NZ発行のビザカード、どっちも駄目なことが多い。
日本でも、外人が泊まるようなホテルだと海外からのお客を相手にしているので、海外カードで決済額が数十万円になっても問題ないのだが、交通機関とかデパートとか今回のパナソニックとか国内の客を相手にしている場合は、かなり保守的なのだろう。
そういえば、一体、海外から来る客はどうやって新幹線の切符買ってるんだろうと思ってたら、前回発見したのがジャパンレイルパスだ。これならオークランドでクレジットカードで購入出来るので、いちいち日本で現金をかき集める必要もない事に気づいた。ちなみに航空券の場合は国内線でもクレジットカードが普通に使える。
でもって話はレッツノートだが、結局カードが駄目って事で、次に個人口座から払うって方法を思いついたのだが、このPCの購入方法はイーバンクってシステムを使わなければいけない。ところが海外に住んでいる僕らは、このシステムは日本国内の住所もないから使えないのだ。
ここまで来ると、海外に住む日本人差別かい!っておもうくらいだ。そう言えば最近はないが、つい5年位前までは、ノート型PCでさえ「海外で使うと壊れるかもしれないですよ」とか「壊れても保証がないです」とかで、ずいぶん日本国内のお店からは脅かされたものだ。
その時はモデムの問題で、電圧が不安定な海外では、モデムが耐えられずに吹っ飛ぶという事があったのだが、実際には販売店の店員さんは、行った事もない海外でトラブルを起こされて、それがクレームに繋がるのが嫌だったのだろう。
変なクレーム付くくらいなら、国内居住者向けに売ったほうがらくだモンね。
たぶんこの、海外のクレジットカードが使えないってのも、要するに日本国内に市場があるから、あえて海外からの注文を受ける必要ないじゃん、手間もかかるし面倒があるかもしれないしね、そういう事だろう。
たださ、日本が戦争で負けてから、昭和30年代は日本はメーカーとして加工貿易で次々と商品を作ったけど、売る相手は国内ではなくて海外向けだった。
まだ日本人に対して差別の残る米国の田舎町を、メーカーの代理で回る商社マンが、自分のスーツケースに試作品を入れて、たどたどしい英語で旅をして、いく先の街で文化背景の違うお客に一生懸命売り込む。
城山三郎の作品にもあるが、当時の日本人は、そうやって苦労をしてリスクを取って販路を開拓してきた。怖いと思っても、懐に飛び込めば彼らもまた人間、きちんと商売が出来て、今では日本の製品は世界中で高級品として扱われている。
ならば、日本国内で販売していても、海外からの購入に円滑に対応出来るような仕組みを作り、販路を広げるべきではないか?
昭和の時代に日本人は腹を括って海外に進出して大成功した。ところがその結果経済大国になり人口も1億2千万人に増えたら、もう海外に向けて売らなくても、国内で十分やっていけると思うようになったのか。
でもこれから人口減少に向かう日本で、それってどうなんかな。日本の場合、海外に売るとなったら、きちんとそういう部門を作って、そこの部門は海外向けに果敢かどうかは別として取り組んでいくんだろう。海外の人が買いやすい状況を作るのだろう。
ところが、日本国内で販売を考える部門は、手間を省くとか、海外に住んでるのは客じゃねえくらいの感覚ではないか。
ここが日本人の変なところで、国内とか海外とか分けてしまう。例えばノキアは世界で一番の携帯電話メーカーだが、自分の国の人口は数百万人しかいない。最初から海外に目が行ってるのだ。
日本では楽天の商品も海外発送が出来ないケースが多い。まあ中小企業の集まりだからノウハウがないのだろうが、楽天も市場運営者として、このあたりを考えてみればどうだろう。
レッツノートだけが抱える問題ではないだろう。日本という安定して停滞して衰退に向かう国が、自分の抱える問題を理解しないままに外国リスクを取らなくなっているというのが、問題の本質にあるのではないだろうか。
実はリスクを取らないというのが、一番大きなリスクなのだが。
2007年09月11日
ムーンライトブルース
1979年に「一人咲き」を引っさげて九州から飛び出して嬬恋(つまごい)で入賞、その年に「一人咲き」でシングルデビューしたチャゲ&飛鳥は、僕が今でも大好きな歌手の一人だ。
デビュー曲の「一人咲き」や「男と女」、「万里の河」、チャゲが作った「エピローグ」など、時代を越えた名曲だと思う。
特に「エピローグ」を聴くと、丁度ビートルズの歌の殆どがジョンレノンの作品なのだが「Yesterday」は珍しくポールが作曲してて、ポールはそれ以降仲間内で「昨日だけの男」って呼ばれた話を思い出す。
そしてチャゲ&アスカの名曲「ムーンライトブルース」が発表されたのは、1984年2月22日だ。バブルの前兆を感じさせる時代、その歌は日本中を駆け巡った(と、思う)。
“
お願いだから 今夜はそばにいて とてもひとりじゃ夜を越せないから
あなたは あなた わたしは わたし とても そんな気になれない
このながい髪 とてもきれいでしょ 薄めに引いた紅が綺麗でしょ
今更なんて思わないでよ みんな あなたに あげたもの〜
“
そして、”MoonLight 揺れてLastnight blues 〜“ と続く、失恋の夜を綴った名曲。
この歌、当時遊んでいた中洲でよく歌ったものだ。
ほぼ毎晩太陽が昇るまで遊び、ちょっと仮眠してそのまま仕事をしていたのを思い出す。
てか、その当時は、飲みながら仕事を取っていたのだから、24時間ほぼびっちりと仕事をしながら遊んでたことになる。
なにせ旅行屋は遊びを売るのだ。非日常をアレンジして楽しんでもらうのが仕事だ。そんな立場の人間が、朝9時から夜5時までで、後はきちんと自宅に帰ってご飯作って食って風呂入って寝ますってんじゃ、商売にならない。
中には、夜の12時過ぎから営業開始というお客もあった。その時はあまり酔わないように飲んで、お客の仕事(夜の9時頃から仕事が始まるのだ)が終わって事務所に戻ってくる真夜中の2時頃に、一升瓶を提げてタクシーに乗って営業に行ったものだ。
その頃は中島みゆき、谷村信司、谷山浩子など、今では大御所と呼ばれる人々が毎晩ラジオでおしゃべりしてた。実に楽しかったな〜。て〜か、谷山浩子は一時期7枚くらいLPを持ってた記憶がある。今は皆いい年になったが、声も脳みそも全然衰えてない。
てゆ〜か、小田和正もそうだが、あいも変わらずメッセージを発信し続けている。ポリシーがあるからだし、大きな意味でのプライドがあるからだと思う。
今の時代、何が乏しいかって言うと、教養とか、おっきな意味でのプライドかなって思う。
教養ってのは金にも体力にもならないものだが、それがあると生活がとても豊かになる、そういう、文化の豊かな時代からしか生まれないし、得る事も難しい知識である。
皆、実にナンセンスな事を面白おかしく語っていた。ムーンライトブルースなどの名曲に、あえて替え歌を作ったりする。
“”
お願いだから、今夜はそばにして とてもうどんじゃ夜を越せないから
あなたは たぬき わたしは きつね とても そんな気になれない
このながいそば とてもうまいでしょ 薄めにつけた味がとても素敵でしょ
更科なんて無茶言わないでよ 全部 あなたが 食べたから〜
“”
ムーンライトブルースを大好きな人からすれば「馬鹿にすんな!」と言われそうだが、あはは!って笑えるのは教養と心の余裕がある証拠だと思ってる。
そういえば更に昔、一世を風靡したセピア、じゃなくて、ピンキーとキラーズとかの時代にこんな替え歌があった。
本歌
“”
森と泉に囲まれて 静かに 眠る ブルーブルー ブルーシャトー
替え歌
もりとんかつ いずみにんにく かこまれてんぷら
“”
これだけの短いセリフだったが、これが週刊誌や当時出てきたテレビの歌番組で取り上げられた。誰が作ったのかわからないままだったが、当時本歌を歌ってたグループがどう反応してかって言うと、「いや、こりゃ面白い!この替え歌作った人に100万円あげますよ!是非とも名乗り出てください!」とやったのだ。
これが肝っ玉のちっちゃな連中だと、「人を馬鹿にしやがって」とか「ふざけやがって」という事にはなる。ところが彼らはあくまでも、替え歌のうまさを褒めて、お金まで払おうとする、そこが心の余裕じゃないかなと、子供心に思った。
最近ワーホリメーカーでニュージーランドにやってくる人を見ると、どうも心の余裕がないように感じる。
ちょっとした事で切れるのに、でも自分でどうしていいか分からない。薄っぺらくて、ペーパーナイフでちょっと引っ張れば、簡単に破けてしまうようなプライドだ。プライドでさえないのかもしれない。単なる見栄なのかもしれないな。
文学や歴史の知識がない連中は、他国の人とどう接するか、怒ってよいのか笑ってしまえばよいのかが分からない。
そして一番大事な教養がないから、ニュージーランドの初めての海外生活で自分が持つべきプライドと寛容という事がわからないままに戸惑っている。
相手に反論するにしても、結局感情論で、「気分悪いっす」とか「おれ〜、よくわからないけど、それってまじおかしいっす」とか、まるで子供のおねだりかぐずぐずである。そして日本人同士でつるんでしまい、お互いに傷のなめあいをする。
それが2歳や3歳の子供ならまだしも、20歳過ぎた大人のやることかと思う。
自分がしっかり教養を身に付けて知識や識見を持てば、たいていの事は誇り高く笑って過ごせる。
それがないまま動物のように、オークランドにやってきて薄汚いカッコウをして街を歩き、それが自由だと思い込み、自分で何も出来ないままに周囲にぎゃんぎゃん吼えている。実にかっこわるい。
ただ、今の20歳から30歳の年代ってのは、たしかに日本全体が大不況で、何をどうすれば良いか分からず、大人は自分の生活のためだけに右往左往して、子供の事など気にかけることも出来なかった時代の子供たちだ。
当時の学校の先生は、元々デモシカ教師で自分の立場ばかり考えて(勿論そうじゃない人もいただろうけど、一般論を語る時に私の先生は〜なんて個別論を持ち出さないでね)、組合がど〜のこ〜のとかやってたから、結局失われた世代になってしまったんだろうな。
1980年代に生まれた子供は、小学校の頃はバブルを知るほどの大人ではなく、社会に興味を持つようになった1990年代からは未曾有の大不況が起り、一生安泰と思ってた親の会社が倒産して、就職氷河期に突入し、フリーターってのが格好良いものだと思い込み、結局は世の中の大人に労働人口のクッションとして使われた事にも気づかすに、さあ今になってどうしようかという事になる。
勿論そんな時代だから、ゆっくりと中国の古書や日本の歴史を学ぶ時間もなければ、哲学を学ぶ暇もない。結果できあがったのが、他人を思いやれず、生きる意味を見失い、すぐ切れる現在の20歳代ではないだろうか。
これは本当に恐るべきことだと思う。大人が、自分たちが生き残るためだけに子供から教育や教養を学ぶ機会を奪い、収入を得る機会を奪い、大人の生贄となったようなものだ。
今の時代の格差ってのも、この時代から始まっているのだから、当時の政府が若者をどう思ってたのか、つまり「使い捨て」と考えていたのがよく分かる。
まあその意味で言えば、政府ってのは元々国民を、自分の知恵さえ持たない奴隷としか思っていないのだから、十分推量出来る。
久しぶりにムーンライトブルースを聴きながら、そんな事をふと考えた。
2007年02月06日
自分で考えると言う事
不二家の賞味期限問題、あるある大辞典の偽装問題、次々と新聞ネタが出ている。
不二家のケースの参考になるのはこのブログだ。日本人はいよいよマスコミの洗脳に振り回されて自分で物事を判断出来なくなっていないか??
http://diary.jp.aol.com/applet/uvsmfn2xc/20070111/archive
このブログは本来経済ねたなのだが、あまりに不二家問題が馬鹿げているので、専門外ながらちょいと書きましたって感じ。Pasr3まであるので、全部呼んで見ると、よくわかる。
あるあるの納豆偽装などは、視聴者を全く馬鹿にした話だが、馬鹿にされたまま何年もこんな番組を本気で見ていた視聴者にも問題があると言う指摘が、あちこちのブログで出ている。
あるある大辞典は会社のビデオコーナーにあるので見ることが出来るが、見た事はない。たまに日本出張でホテルに泊る時も、全然興味が湧かない。大体、楽して痩せるなんてのが間違いで、普通に運動したり食事療法をすれば、殆どの場合問題なく対応出来る。
要するに自分が手抜きをしようとして娯楽番組を観て、テレビに映ってるから無条件に信じてしまったと言う、あまりにも無邪気と言うか手抜きと言うか思考停止な発想が片方にあり、もう片方(番組制作者)は、その思考停止な人種を相手に騙しをかけたという事なのだろう。
あるあるの場合は、あくまでも推測にしか過ぎない。観てないからだ。でも、この事件があったからと言ってビデオを観てみようという気にさえならない。時間の無駄だ。
但し、このような事件から共通して見えるのは、日本人の思考停止問題だ。自分の頭で考えようとせず、偉そうな他人の馬鹿な意見に飛びつくか、相手のいう事を頭から信用せず悪人扱いして合理的な理由もなしに批判を繰り返すか、どちらかである。
そして責められている人が謝罪をしなければ、謝罪をしないと言うそれだけの事で、別次元で怒り出す。
どの次元に於いても、自分で考えると言う事をしない国民性。
そんな国民性だからマスコミや政治家に馬鹿にされて、いいように操られるのだ。自分の頭で考えてみれば、大体の正しい事は分るだろう。分らなければ、自分の胸に手を当てて直感を信じよう。
日本人は「悪法でも、法は法なり」と言って、いかにも自分が判官になったような悟った顔で他人に説教する。でも、これこそが思考停止の最たるものだと思っている。要するに、自分が判断する能力を持たないから、他人が作った規則を何も考えずに適用する事で問題解決をしている。
なので、法律的に答が出ていない、白か黒か分からない時は、本当に思考停止に陥ってしまい、何も話せなくなる。
法が間違っていれば、それは法を訂正するか、または法の適用を停止すべきだと僕は思っている。人間の直感ってのは、時には法律の専門家を上回っていると思う。
そりゃさ、素人が法の運用や適用を判断するってのはおかしいと言う意見もあるだろう。でも、法律ってのは国民生活の基本を支えるものであり、すべての国民は当事者だ。当事者でありながら他人事のような話し方をするのは、どうなのか?
悪法を認めるなら、そりゃいいよ、その代わり貴方が次に地雷を踏んだ時に文句を言わないように。制限時速70kmのところを75kmで走行して速度違反で逮捕されても、決して文句を言わず、しっかり罰金払って、警察官に向かって「お疲れ様です、もう二度としません」というように。
僕は馬鹿な法律と心中するつもりはないので、とっとと悪法の適用されない国に行く。それが合法的に自分を守る方法だからだ。
2007年02月01日
介護殺人事件
みのもんたの番組で、妻と息子達が、同居している父親=夫の介護をせずに死なせたという事で、殺人罪で逮捕された。未必の故意を適用されたらしい。
それにしても、これから介護の問題は更に本格化していくだろう。ただ、その議論の基本と言うか前提に、誰も異を唱えないのはどうしてだろうか?
例えばあなたが大工で、自宅の屋根が台風で壊れたら、そりゃあ自分で修理出来るだろう。
でもあなたが医者でも看護師でもないのに、ましてや給料を得る為の仕事もあるのに、能力も時間も無い人が毎日介護なんて出来るのか?
親の介護をしようとすれば仕事を辞めざるを得ない。そうすると社会労働力が不足するし、本人も生活が出来なくなり、生活保護を申請することになる。
ましてや医者や看護師の能力も経験もないのに、いきなり社会生活から切り離されて介護をせねばならないとしたら、これは苦痛以上のものではないだろうか。
そんな事を言えば「じゃあ誰が親を見る!自分を育ててくれた親を見るのが、子供の当然の義務ではないか!」と言う反論が出てくるだろう。
でも、子供が親を見るという形態は、人口増の中で子供の数が常に親を上回り、3世代共同生活と言う前提があって初めて成立するのではないか?
つまり、前提となる社会構造が変化しているのに、儒教感覚の「子供が親を見る」と言う結果のみが変化していないのではないか?
ニュージーランドでは、老夫婦の面倒を見るのは社会全体である。ある程度体が弱ってきたら、老夫婦はリタイアメントビレッジに入居する。ここは日本のようなバカ高い入居費用を必要としない老人村である。
バリアフリーの村には、病院や教会、郵便局、コンビ二、銀行など、生活に必用な施設が揃っており、そこで賃貸住宅生活をする。
平日はボランティアや看護師、医師が彼らの面倒を見て、様々な催しを行って、誰もが楽しく過ごせるようにしている。
週末になれば子供や孫が迎えに来て、家族で過ごす。
ボランティアは基本的に教会から派遣されるが、彼らも老人である。元気の良い、時間のある老人が、ビレッジの老人を支えているのだ。
こうすれば子供は平日は社会に参加して仕事を行い、社会の一員として働く。そして週末はおじいちゃんと一緒に楽しむ。
子供が親を見るのではなく、社会全体で老人を守っていくという思想が徹底しているニュージーランドでは、老齢年金、医療保険と合わせて、これが老人を支えている。
誰しもいつかは歳を取る。歳を取る事に不安を感じるような社会では、落ち着いて歳も取れないのではないか?
介護殺人は、これが初めてではない。未必の故意を殺人事件に切り替えることで社会の喚起を促そうとする政府の方針は分かるが、前提がすでに変化しているのに、国民に罪を被せようとする対応は、どうなのだ?
今回の介護殺人は一切かばうものではない。何故なら、彼らがそこまで追い詰められていたとは言えないからだ。
ただ、以前起こったような、介護疲れで親子が自殺するようなケースでは、ある意味、政府が彼らをそこまで追い込んでおいて殺人させるようなものだ。
少子高齢化社会で、あなたは今の会社で働きながら、いずれ起こるであろう介護が出来るか?出来るとしても、自分の生活のかなりの部分を犠牲にしなければいけないだろう。
それが、楽しい社会生活だろうか?
いきなりニュージーランド型の仕組みに切り替えることが出来ないにしても、放置しておけばこのような殺人事件は増加するだろう。
そして、世間には殺人と気付かれずに、父親を亡き者にする子供も出てくるだろう。でも、その子は一生忘れない心の傷が付く。
今回のケースは、何度も書くが、決して認められない。制度がおかしいからと言って目の前の人を殺す事が許される訳はないからだ。
しかし、これを機会に構造的な問題を議論する時になったと思う。
それにしても、一体政府のどこの機関が、誰が、このような仕組みを作ったのだろうか?仕組みを作った者は責任を取らず、社会構造の変化に合わせて仕組み変更すべき時に、不作為で変更せずに、ルールのみを押し付けられた人のみが責任を取らされるようになるのは、どう見ても不公平ではないか。
2007年01月25日
メアド
多くの日本人はすでに理解しておられるだろうが、メルマガと言うのは和製英語であり、他に何百もある和製英語同様、英語圏では通用しない。
おそらく漢字圏でもね。
昨日クイーンストリートで信号待ちをしていると、日本から来たばかりなのだろう、自分のメールアドレスを学校のアジア人の友達に渡す為に一生懸命英語を話そうとするのだが、さすがに「マイ、メアド!」ては通らない。
そこで思った。どうせ日本で出発前に英語の勉強するなら、挨拶の単語とかよりも、日本で作られた和製英語とその語源である英語を学んで見てはどうだろう?
そうすれば、NZに着いてホストファミリーと話す時も、笑いが取れるかもしれない。
僕自身、最初の頃は自分の発音の自虐ネタでよくキーウィを笑わせてた。仕事仲間の女性クレアーの名前を「クエアー」と連発していた。ニューヨークにいた奴はもっと発音がうまいので、キャント(出来ない)とカントが出来るようだ。
でもって閑話休題(かんわきゅうだい)、メアドの話。
最近の学校で何を習っているのかしらないが、今時普通の社会人なら携帯電話並に持っているメールアドレスが、どうもおかしい。てゆ〜か、メールを使う人の常識がずれ始めている。
おかしいと言うのは、設定の仕方をしらないままYahooなどの無料アドレスを取得しているのだが、当社へメールで問合せをしてきて、そのうち「返事が無い!」とか言って来ること。
まずはメールの問合せ。こちらからどれだけ返信しようとしても相手が受信出来ないケースがある。
それは、相手側のセキュリティ設定が最高になっており、知合いのメールしか受信出来ないようにしておきながら、つまりこちらのメールが自動的に「スパムメール」になるようにしておきながら、「いつまで経ってもメールが届かない〜!」と、またお怒りのメールを送ってくるケースだ。
それとか特に、日頃携帯電話でしかやり取りをしない人は、メールアドレスのセキュリティ設定だけでなく、添付ファイル自動削除などの機能を理解出来てないから、こちらから送ったファイル付きメールが「メールは来たけどファイルが付いてない。送り忘れか?!」と言う事になる。
でもって、それだけなら利用方法をきちんと学ばなかったと言う事で「あ〜、そうなんだ、済みませんでした」で終わりなのだが、そこから何故かこちらに文句を言って来る。
「そんな、メールの設定なんて知ってるわけないじゃんか、教えないお前らが悪いんだよ」みたいな内容。
たまたま僕が担当している部門では、メールの設定もインターネット検索も普通に出来る方ばかりなので、殆どこのようなクレームは起こらないが、他の部門では時々、ある。
勿論、インターネットやメールアドレスなどの革新的な技術は進化の速度も速く、日頃使い慣れない方には大変だろうと思う。(しかしまあ、そう考えると僕の担当のお客様は、比較的年齢が高いにも関わらずしっかり技術を追求出来ている、すごいな)
だから理解出来ずに失敗する事はあるだろう。
問題は、その失敗が何故起こって、どこに原因があるのかをしっかり把握出来ないまま、とにかく「むかついた」から、そこにいる誰かに「当り散らす」と言う奴だ。
これは最近の日本の事件を見ても思うが、今、自分の目の前で起こっている状況を、冷静に把握して分析する能力や、このままではいずれ陥るであろう状況を予測する能力が、ある一部の人々の間では欠落しているのではないかと言う事。
例えば子供への虐待。若いカップルの出来ちゃった婚、でも生活能力ないから夫婦喧嘩、そのうち子供に当たるようになり、衰弱死とか暴力によって命を奪われたりする。そりゃそうだ、生活能力も養育能力もないままに子供を産めばどうなるか、分るだろう。TooYoungの世界とは違うのだ。予測能力の不足だろう。
子供を巻き込んだ自殺でも、そりゃお母さん、あんたの精神状態では生きていけないかもしれないけど、子供は生きる力があるのよ。あんたの私物でもあるまいし、何で道連れにして殺すの?
子供は孤児院に入れても生きていける。その後どうなるか分らんが、少なくとも今、親が子供の生殺与奪の権利を行使出来るのか?子供は社会の宝、親の私物ではないと言うのが一般的なニュージーランドの考え方。
だからDVがあればすぐに親から子供を引き離すし、とにかく社会全体で子供を守ると言う思想が徹底している。
だからさ、死にたいおばさん、状況読んでよ。あんただけが勝手にヒステリックになってるだけじゃん。
分析能力や蓋然性(がいぜんせい)予測能力が人間の脳のどの部分で司っているのか分らないが、ファストフードやコンビニ食で使われている一部素材や、本来摂取すべき栄養素が摂取されてないとか、子供の成長に阻害要因が出ているのかな。
とにかく相手を思いやるという日本の良い伝統が失われている。
日本では伝統的に弱い者虐めはみっともないし、やっちゃいけないという習慣もあった。出来るけどやらない。みっともないという価値観が一致していた。
横綱相撲とも言われるが、自分が体力的にも社会的にも高位にある場合は、それなりの「貴族の義務」が存在したものだ。
例えばお客様が神様ですと言う企業にとっては、そうなるとお客様は最初から高位にいるわけだ。その「お客様」が、相手を恫喝するような筋の通らないクレームをしてきたら、そりゃどういう事よ?となる。
やはりお互いに筋を通して、理を弁えて話をすることになるはずだ・・・・が、最近の日本の企業に寄せられるクレームでは、素人の方がヤクザより理不尽だと言う。素人だから何を言っても許されると思っているらしい。典型的な弱い者いじめだ。
浮浪者にガソリンをかけるような弱い者虐めを平気で出来る動物(敢えて人間と呼びたくない)や脳みその一部欠落人間が街を歩いてるのだから、普通の人も街を歩くのは怖くなるよ。
夜のコンビニに買物に行ったら、帰りは半殺しにされていたって、本当に洒落にならない。
食べ物が悪いのか、教育が悪いのか、いずれにしても人々の対応がどんどんおかしくなっているのを感じたメールアドレスだった。
写真はクリスティンスクールの児童発表会。
2007年01月18日
在日と在NZ
1965年の日韓協定後に多くの韓国人が日本に移住してきて、現在の新宿にはコリアンタウンが出来上がり、「ニューカマー韓国人」は現在18万人に達しているとの事。
韓人会の趙会長によると、外国人として生活している以上、その国の法律やルールを守り、地域の住民の人に迷惑をかけないようするのが、マナーであり義務であるという。
そりゃそうだ。全く当たり前の事だが、日本人もNZに移住者、外国人、永住権保持者として生きている以上、地域の住民に迷惑をかけないのがマナーである事くらい当然であろう。
しかしNZdaisukiというウェブサイトを見ていると、そう思っていない人が増えてきた気がする。NZに来たくて来たんじゃないってのは、大体国際結婚した日本人女性のいう事だ。
白人だから結婚したんじゃない、たまたま好きになった人が白人だったのだと言いながら、実際にNZに来て見れば、あ〜らびっくり!彼の実家は映画館もスーパーもないような田舎。こんな筈じゃなかった、それに周囲は白人ばかりで日本語通じない。
だから自分の愚痴をインターネット掲示板に書き込み、NZの悪口ばかり並べる。あれがいやこれがいや、嫌なら出て行けば?と思うのだが、そうすると「余計な口だししないで!」ってなる。
その上他の書き込みを見ると、どうやったら政府からの補助をもらえるのか、医療や出産はどこで金もらえば良いのかと、もうそんな話ばっかり。
僕が移住をした1980年代は、まだまだ他人の家の軒先を貸してもらって生活をしているという意識で、この国のお荷物になろうなんて発想は全くなかった。この場所を与えてもらい、一生懸命働いて納税する。それが永住権を貰った人間の義務だと思っていた。
もっと細かく言えば、税金がなければ政府が成立しない。政府に守ってもらってて、金は払わん!どころか金をくれ!では、どうも筋が通らない。
まさか、「永住権取れちゃいました。でもキーウィの彼は他の日本人のオンナの子と浮気ばかりして(ジャパ専?)結局離婚。今はシングルマザーです。早速失業手当もらいます」ってのはないでしょう。
いくら親に反対された挙句に飛び出してきたので今更恥かしくて日本に帰れないって言ってもさ。
勿論本当に困ってお金を貰うのは分る。でも、その前にする事ないか?学校に通って資格取るなり、パートタイムで働くなりして、少しでも自助努力をすべきではないだろうか?
NZの文句を言いながら金だけは当然のように貰い、英語も勉強する気もなく、ひがな一日日本語のウェブサイトでしょうもない事ばかり書いてる。
ニュージーランド政府だって移民が欲しいからやってる政策で、有り難がる必要などないと言う人もいる。法律的に正しい、煙草でガンになる人に比べれば、他人に迷惑をかけてないよ・・・どういう理論でも、理論だけなら成り立つ。
(問題はそれが実証出来て、その行動が健全で持続出来る社会構築と言う視点から見て正しいかどうかなのだが、説明ややこしいので括弧書きに留める)
でも、そこに普通の人間としての恩や感謝の気持は・・・・ないんだろうね。だからそういう言葉が出てくるんだろう。こりゃもう、理論の基本となっている感情が根本的に食い違っているから、議論にならないね。
恩や感謝は理屈じゃないもん。
子供が、自分を育てて愛してくれた親に対して無条件に愛を感じて、親の眼を気にするから悪い事はやめようと道徳観を身につけていく。
そんな中で「お前が勝手に生んだんだろう」的な理論が出てきてしまっては、こりゃもういかん。同じ価値観がないのだから、じゃあそちらはご自由にという事にしかならない。
とにかく相手から奪えるものは奪え。まずは永住権だ、次は福利厚生だ、失業保険だ、年金だ、おう、これで働かずに食っていける、わたしゃなんて偉いんだ!
でもさ、法律には、その精神と言うものがある。何故その法律が、誰の為に出来たのか?
それはニュージーランドが短い歴史の中で、移住して来た人がお互いに助け合い、安心して生活や子育てが出来るように、そして安心して老年になれるようにと作ったセーフティネットである。頑張ったけど落ちた人向けの「綱渡りで落ちた人への、緊急避難用の網」である。
いずれまた復活出来る時が来れば、すぐに社会復帰する。それまでの一時的なつなぎがセーフティネットだ。復帰するつもりも無く一生ぶら下がるようなら、本来の法の精神とは違った利用の仕方でしょ。
忘れてならないのは、皆が働かなくなったら、皆で支えあう社会保障という制度は崩壊するという事だ。皆が一生懸命働いて納税するからこそ、その原資を元に本当に困っている人を困っている間救うのが社会福祉である事を忘れてもらっては困る。
こういう問題は、実際は一人一人の経済的状況によって違うから、十羽一からげ、YESかNOかの議論しか出来ない人々が、限られた情報の中で相手の背景も知らないまま議論出来るようなものではない。だから法律上は一つのルールを作るが、それを申請者個人に適用する際には、運用上の状況判断を行うべきだと言う事である。
*これはあくまでも僕の個人的意見です。「私はそんなの認めない、権利だけが欲しい」と思う人、どうぞ、そう思っててください。僕は政治家ではないし、他人の申請を断る事も出来ません。
そして僕は全ての人の福利厚生等の諸権利を否定しているのではないと言う事を知っててもらいたい。(最近はここまで書かないと誤解を招くようだ)
写真は、往年のオールブラックスの名将、ショーン・フィッツパトリックの手型と足型です。彼がこの日本人の議論を聞いたら、どう思うだろうな。
2007年01月07日
行列
1月2日は福岡の天神に出た。九州一の繁華街だ。最近では高速道路も発達して、長崎や大分、宮崎あたりからも出てくる人がある。一極集中。おかげで天神の三越は大繁盛だが、地方、例えば大分あたりの老舗デパートはすっかり地元の高級客を取られている。
インフラの整備は、それまで地域内の戦いだったものが、他の地域との戦いを生む。「地元で一番」では、もうやっていけない。他社が提供出来ない独自のサービスを追及しなければ、生き残っていけない時代だ。
国、国境と言うものもそれと同じで、御国一番と言えども、米国や中国から最新技術が来れば、競争相手は国内ではなく世界になる。
さて今日は、友人と昼食を兼ねたミーティング。来週から業務再開なので、日本でやる作業の打ち合わせだ。家族は天神で買物、僕は岩田屋デパート隣の高層ビルの高層階のオープンバーで、寒くない冬を実感しながら、昼から何も食わずにジントニックを飲み、今年の予定と今月の予定、そして来週の予定と、一つ一つ確認、詰めていく。
実は最初は昼食を先にと思っていたが、1月2日の元旦大売出し、福袋が飛ぶように売れている天神のど真ん中ソラリアでは、何と「因幡うどん」にまで数十人の行列。それこそ、「アリエナイザ〜、イナバウア〜!」と、“きっこ”ではないが連発したくなる。いや、因幡うどんは美味しいし、僕も良く食べてた。むちゃくちゃ太くて腰の強い牧野うどんとはまた違った、もっと軟らかな味わいの、二日酔いの時とかに一番食いたいうどんだ。
でも、いくらお昼の12時30分だからと言って、立ち食いうどんにまで行列が出来る、てゆ〜か、この行列、よく我慢出来るな。
因幡うどんって〜のは、のれんくぐって確信犯的に決めている自分の好きな具(例えば僕なら肉と卵)をさっと頼み、ざっと食って水をごくって飲んで出て行くもんだ。
今の日本では当たり前のような光景なんだろうが、一体、一杯のうどんを食べる為に何十分待つつもりなのだろう。
自分のどういう性格の部分か良く分らないが、どうも行列が苦手だ。余程の事がない限り、行列して何かを食うと言う発想はない。行列して30分待ちですと言われても、その30分があれば他のことが色々出来る。
他にやれる事が山ほどあるのに、それらをすべて止めて、ただ無為に椅子に座って馬鹿みたいにずっと待ってる等は、どうも餌を貰う小雀のような感覚になってしまう。
本でも読んでおけと言われるかもしれないが、本を読みながら待つほどの店かって事だ。USJだって時間をずらしたり、立ち食いで済ませたりしている程だ。腹を満たす程度なら道端のたこ焼きやホットドッグで十分、美味しい物を味わうなら、最初から予約だ。
元々オークランドなら、どこもそんなに混んでないので、店さえ選ばなければ飯は食える。テイクアウェイも出来る、何せお隣はバーガーキングだし、コンビニもある。
考えて見れば、行列にはいろんな意味がある。予約をせずに飛び込みで食べる習慣は、まだまだ食べると言う行為に対して、九州ではまだ「そんな、予約してまで」という照れくさいような気持があるのかもしれない。
黙って座ってても耐えられる精神力も必要だ。これなどは、「邪馬壱国」発祥の土地で農業を黙々と続けてきた農耕民族だから出来る事か?一年に一回の刈り取りまでは、とにかく毎日我慢して稲を育てる、そう言う気質なのかなと思ったりする。
日本ではおいしいものは行列してでも食べる事が当然なのかもしれない。しかし、行列している最中に煙草をスパスパ吸っていては、折角の味も分からないのではないか?天神地下は禁煙なのでまだましだが、地上店で屋外に行列が出来るお店などではよく見かける。
あ、それとも、もしかして行列に並ぶ事で社会に参加しているような気になるとか?孤独さに耐えられずに人の後ろについて、それでほっとしているとか?まあ、とにかく他人と同化する事が目的であれば、それはそれで良いのだが。
まあ、1月2日の売り出し日の12時30分に九州で一番混んでいる地域で昼飯を飛び込みで食えると思った僕の甘さが、やはり一番ばかげていると言うか、田舎ボケなのだろう。
行列を久々に観た僕の驚きだが、結局それから3時間ほどバーで飲みながら打ち合わせ。3時過ぎに大体打ち合わせも終わり、さあもういいだろうとレストラン街に戻ると、何ともう一発、アリエナイザ〜、イナバウア〜、午後3時30分だっちゅうのに、まだぎょうれつ〜!
仕方ないので、そこから歩いて10分ほど離れた中洲の街に行く。昼間だしお正月だから、飲み屋街など当然がらがら。ほぼ誰もいない街を、中州歴10年の勘で歩く。すると、4丁目に新しく出来たビルの6階に、ぽつ〜んと見捨てられたように開いてるお店がある。
でも、その一角だけはお客が多いので、恐る恐る近づいて見ると、これがお洒落なバフェットレストラン。中洲という位置付けではちょっと考えられない、ゆったりとした豪華バフェットなのだ。昼食お一人1800円だが、スタッフもきちんとトレーニングされており、良い感じ。
まだ出来たばかりなのだろう、椅子もテーブルも傷がない。結局ココで1時間ほど過ごして、和食、洋食、中華と適当に摘みながら、又もジントニックを飲む。もしかして最近、酒強くなった?そう思うほど、ぐいぐい入る。
この日は18時に天神の木曽路で予約を入れており、家族と一緒に鍋を食べるので、午後3時30分過ぎに食べると、確実に次が入らん。バフェット代金をお酒に替えてくれればな〜、そう思いながら、また一杯飲む。
夕方、友達と分れて家族と合流、天神の凄まじいまでの人並みを押しのけながら歩く。新天町の界隈は車道が狭く歩道も狭く、そこに自転車が割り込んで止まってるのだから、二人並んで歩くのも大変だが、香港育ちの家族は、まるで何もないようにすいすいと歩いてる。やばし、俺より都会人かも。
木曽路では予め予約していた為、座敷に座ってゆっくり食事が出来た。まだ若い仲居さんは、今日の天神はあまりの車の多さに、店に遅刻しそうになって、途中からバスを降りて走ってきましたと言ってた。福岡に住む彼女でさえびっくるするくらいの人ごみだったのだろう。
それにしても大阪のたこ焼き、東京のラーメン、そして天神地下と、日本人の行列の慣れには、さすがにびっくりした今日でした。
2006年12月23日
智恵こそが
アングロサクソンでも日本人でも、きちんとおばあちゃんや親に家庭内教育を受けてない人には、その智恵というか、後先を考えて、全体を俯瞰して判断する能力の薄さをいつも感じる。
例えば身近な話で言えば、中華レストランの回転するテーブルを見ると、20歳台のキーウィは、まず間違いなく、見かけた瞬間にテーブルの端に手をかけて、そのまま勢い良く回す。うれしそうな顔をして回す。するとテーブルの上に乗ってる醤油や爪楊枝が、見事に吹き飛ぶ。そして自分のやった事に気付いて、Sorryなんて済まなそうな顔をする。
基督の時代から欧州では戦争ばかりやっているが、その原因を突き詰めれば、部分の無謬全体の誤謬が理解出来てないからだと思う。簡単に言えば、目先の現象しか見えずに、細かい「知識」はあるけど全体を把握する智恵がないのだ。
今の米国等は、まさにその典型である。政府のやっていることが、5歳の子供が中華のテーブルを振り回して、後になって「あ〜あ、やっちゃった」となってるようなものだ。アフガニスタン、イラク、何度も同じような事をやってる。戦争だ!って景気つけて兵隊送り込んで、兵隊が地元民に殺されて初めて「撤退しよ〜よ」なんて、戦争したら人が死ぬのなんて判ってることでしょ。
囲碁を学べば、どこかを押せばどこかが引っ込む、碁盤が地球という限定された広さの土地であれば、どこか一箇所でごり押しすれば、他の部分が引っ込んでしまうという事が理解出来る。
しかし囲碁の文化を持たない欧州人は、目先の問題でしか理解出来ないようである。世の中をオセロみたいに、ゼロか100かの論理で考えているようだ。
人は叩いて従わせるよりも納得させて一緒に仕事をする方が利益が大きいという事を気付こうとしない。
「戦争は下の下、やらずにすんだらこれほど良いことはない」そう言ったのは豊臣秀吉だったかな、たぶん他の大将たちも、ちょっと賢ければそれは理解していただろう。
戦争には金もかかるし人も死ぬ。結果的に得られる物は少ないし、特に相手の領土での戦争は、いずれ土地を取り返そうとするジモティとの戦いを引き起こしてしまう時限爆弾を抱えるようなものだ。
18世紀の英国は、その植民地を広げていったが、結果的に今英国の土地は、元々のちっちゃな島に収縮されている。
戦争して相手の土地を取るなら、その土地に住んでいるすべての人々を殲滅させねばならない。すべての人々を殲滅した後に、自国の人々を送り込むしかない。
しかし現代の世界では、侵略して殲滅等と言う方法を取れば、国際社会から追放されるし、国家の存在そのものが危うくなる。
そのような時に要求されるのは、実は智恵である。東洋人全体、特に日本人と中国人に言える事だが、智恵は、唯一知識を有効活用出来る支配主である。
生きる智恵があれば、他人と自分が共生している事がわかるから、「人殺しは知識としては知ってるし、実行出来るけど、実際にはやらないよ」と言う自己抑制も出来る。「人は、金儲けの為に何をやっても良いわけではない」という発想は、実はこの自己抑制から来る。自分がやってしまえば、いつか自分の子供の時代に仕返しが来る。だから、出来るけどやらないのだ。
だって、例えば錠前屋が他人の家をどんどん開錠していったら大変だし、銀行員が入社した瞬間に強盗になってしまえば、こりゃあんた、世の中相互信頼が崩壊で、世界も崩壊、ほうかい、じゃ原始時代に帰りましょ、でしょ。
要するに、バスで隣に乗り合わせた人がナイフで襲ってこないという信頼を元に、僕らの世界は回っている。その信頼とは、暗黙の決め事。それをぶち壊すような事をすれば「治安や秩序の破壊者」という事になる。
大体こんな暗黙の了解は法律に書いていないし、書き始めたら法律に人間が縛られてしまうから、良識のある大人はそんな法律を作らない。
だから、小学校の頃から他人との付き合いを持たず、お受験一本で人を蹴落とす事ばかり考えて、大学で一生懸命勉強して「知識」を身に付けた「ばかもの」は、社会に出てから「大人の為の善意の穴」を見つけ出して、「法律に書いてないからやっても良いでしょ?」となる。
おいおい、やっちゃいかんのよ。法律で書いてないからって、法律の前段には道徳があるし、その更に前段には良識というものがあるんだ。法律は最後の砦であり、本来なら法律なしで世の中が運営されるのが正しいのだ。
そんな事も気付かないのは、学校の偏差値や詰め込み教育の結果で知識偏重になり、智恵を理解出来ないからだ。
これは別にホリエモンや村上ファンドの事を言ってるのではない。彼らの場合は政府によるいじめ、叩きだ。同じ事を政府がやっても何も言われないのに、個人が政府に逆らってやれば叩かれる。ここで取り上げているのは、あくまでも、社会を支える筈の、普通の社会人のことだ。
人は一人では生きていけないし、今の分業社会も、他人の存在なしに維持は不可能である。だから、他人が納得しない形で自分だけが利益を得ようとすれば、周囲に嫌われて村八分になってしまい、結果的に全員が利益を失ってしまう。
じゃあ社会の常識、暗黙の了解を理解する為にはどうすれば良いか?それは、他人に対する優しさや思い遣りをもち、人にされたら嫌な事は、人にしないという、簡単な常識を身に付けることだ。
でもって、痛みを感じるとか優しさってのは、これ結局感情や感覚の問題。だから感情の薄い人や感覚が鈍い人には理解出来ない。それって誰?それって、子供の頃から親の愛を受けてない人。他人と社会生活の上でつながりを持たない人。
つまり鍵っ子で子供時代を過ごし、父親は週一回くらいしか顔を見なくて、母親はいつも「勉強勉強」と口煩い事を言うばかりの家庭で育った子供だ。
そう言えば最近の日本人のサラリーマン、スーツを着てバッグパックを背負ってる連中をよく見かけるけど、あれって何かね。完璧に人間としてのセンスが欠けているのか、笑いを取りたいのか?特に学校の先生や役人に、そういうのが目立つ。
日本にしても西洋にしても、基本的な智恵不足が急増しているのではないかと思う今日この頃。
写真はシンガポールのリー・シェンロン、建国の父であるリー・クワンユーの後を継いだ、大変優秀な2代目独裁者。でも、良い意味の独裁者ね。
2006年12月19日
ワインをじょうろで
実に無駄な人生を生きている人たちがいる。
毎日何の努力もせず、学ぼうともせず、そのくせ自分のそんな生き方を、シニカルで格好良いと他人に自慢している。それが服装や髪型にまで表れている。とにかくだらしない。
ところがそんな奴に限って、いざ自分の実力を発揮する場になったら、何も出来ない。そりゃそうだ、日頃何もやってないのに偉そうな事を言ってるだけで、実際には発揮出来る実力さえないのだから、何が出来るわけでもない。
でも、そう言うのに限って「会社が教えてくれない」とか「自分で選んだ仕事じゃない」等と言い訳をする。こうなるともう末期症状で、そこから先は何があっても「私は悪くない」「聞いてない」「知らない」と逃げるのみ。
人生、そんなに甘くはないのだが、甘い場所で育ってしまうと、そういう事さえ分らない。要するに、自分が言ってる事の責任が取れない。
ワインをグラスに注ぐのも、どれだけ入れたらよいか分りませんとなる。グラスに目分量で入れれば良いものを、または水で練習すればよいものを、そう言うことはせずに、お客様の目の前でワインをプラスチック製のじょうろみたいのに入れて、秤の目盛りを見ながら継ぎ足していく。計り終ったら、そのじょうろの口をグラスの中に突っ込んで、流し込む。
おいおい、君はレストランで働く事に同意したんだろ?奴隷として店に運ばれてきたのではないだろう。「今までワイン注いだ事ありません」って、それでも客の目の前でそんな事したら、客がどう思うか考えないのか?
結局自分が今まで世の中をしっかりと関心を持って生きてないから、客の気持という常識さえ分らない。そこで余分に注ぎすぎて上司に怒られるのを避ける言い訳として「私、ワイン注いだ事ありません」となる。
でも、こういうのに限って自分が客になったら「むかつく」とか「気分悪い」なんて文句言うんだろうな。最近は素人のクレームの方が性質が悪いってメーカーのクレーム処理担当者も言ってた。
でもってじょうろ。何も出来ない部下に対して上司は面倒臭いから「じゃあじょうろにでも入れて量れ」となる。その行為をお客の前でする事の恥かしさという事は、上司も部下も全く視野に入ってない。
それでいて「私は頑張って外国で働いてます」って、田舎の地元の友達には自慢するんだろうな。お店やお客の不愉快はそっちのけで。
日本人が働く店では、最近本当にこういう場面によくぶつかる。グラスに酒を注ぐ等と言う簡単な動作が出来ない連中。食事代のつり銭がない時に「次はちゃんと小銭持ってきて下さい」とふて腐れたようにお客に言う連中。食事しているお客を見て、スタッフ同士でくすくす笑う連中。社会常識が見事に欠落している連中。
こういう連中は、昼間になるとすぐに日本人同士で群れて、クイーンストリート沿いのオフィスビルの前でうんこ坐りして、仲間と一緒に汚い巻き煙草を吹かしながら、上目遣いでビルに入る人々をどろんとした虚ろな目で見ている。
てゆ〜か、楽しくないなら日本にいればいいじゃんか。日本にいても楽しくないなら、死ねばよい。面倒臭いんでしょ、生きてる事が。生きる為の自分を磨く事って、したくないんでしょ。だったら、生きなくても良いじゃんか。
ほかの事は何もしたくなくて、死ぬ事さえ面倒臭いってのかな。それだったら、目の前に猛犬を放してやろうか。それでも面倒臭くて逃げないなら立派なものだ。そのまま、それこそ犬に食われて死んじまえだ。
勿論ちゃんと社会常識を教えてこなかった親が悪いし社会が悪いのは事実だが、それを今更言ってどうになる。人の責任を責める事で自分が幸せになれるのか?なれるわけがないよ、そんな後ろ向きの人生じゃ。
勿論、ワーホリで来て起業して頑張っている若者もいるが、その両者の格差が、それこそ格差社会を作っている。社会全体だけでなく、若者の間でも明確な格差が出始めている。
勿論レストランにも格差が出始めている。やはりレストランのビジネスモデル自体が、そろそろ変化すべき時だろう。スシ〜、テンプ〜ラ〜で通った時代では、もうない。
ファッショナブル、ヘルシー、プロフェッショナルサービス、エンターテイメント、そういうものが造れないお店は、自然淘汰されるのみだ。
そうそう、じょうろワインの現場写真もあるが、顔が鮮明に映っているので、さすがにup出来ないな。