2005年08月
2005年08月31日
僕らは旅のコンサルタントだ。
意外と知られてないが「旅行代理店」という言葉は、実は業界内部では誰も使わない。旅行業側の言い分は「僕らは代理店ではない。旅を創っているのだ」となるからだ。しかし、実際にはそうだろうか?
今の旅行業は、航空会社の代わりに座席を売り、ホテルの代わりに部屋を売っている、単なる代理店ではないか?お客様の立場で正しい情報とプロのアドバイスをすれば旅行業と呼んでも良いだろうが、現状は代理店としか言いようがないのでは?
言われたものを売るだけ。その商品自体の価値や、それがお客様に合うのかどうかなどそっちのけ。買ってくれれば何でも売る。断る勇気さえ忘れている。「まあお客様、お似合いですね〜」下手な服屋の店員以下だ。
今の旅行業は、とにかく売れれば何でもOKと、価値の無いモノに無理やり付加価値をつけたり、ジャンボ機をチャーターして安売り香港旅行を組んで、結局高いお土産とオプションのからくりに気付いたお客様に逃げられている。
行き着くところは野菜の叩き売りと同じになり、コンサルタントでお金がもらえない状況を、自分から作り出してしまった。今時、日程表と見積もりを作成するのにお金が取れる旅行会社が存在するだろうか?
そんな状況をあざ笑うように旅の窓口が成長してきた。正確な情報をお客様に提供して、判断はお客様に任せる。だから旅窓ではホテル自体の宣伝は受け付けない。
ところがその会社が楽天に買われ、楽天ではホテルからの手数料を従来の5%から7%程度に上げようとしている。そしてホテルの宣伝をし始めた。おそらく楽天に旅行ノウハウを持つ社員がおらず、旅行業界から引抜をしたのだろうが、それが実は大きな間違いだったと思う。
旅行業界自体が沈没しかけている時に、沈没の原因を作った業界の社員を受け入れれば、彼らはまた同じような事をするだろうとは、楽天にとっては想定の範囲外だったのか?
そんな事を考えていたら、ベストリザーブの記事があった。旅窓の創始者でありながら親会社から憎まれて追い出された人が作ったホテル予約会社だ。現在は何とあのライブドアが買収しているが、この社長、旅行業界の素人でありながら、実は一番、本来の旅行業界的な発想だ。
その発想とは「お客様に情報を与えるのが仕事。手数料は、情報提供料金である」という、簡単な事だ。それが旅のコンサルタントの姿勢であるべきだ。
2005年08月30日
月を売った男
北半球と南半球で、同じ月を見ていた。
NZの総選挙では公約合戦が続き、日本の総選挙では郵政解散で大揉めになっている、そんな最中に、偶然同じ月を見ていた。
月と言えば思い出すのが、1953年ハインライン作の古典SF「月を売った男」だ。主人公ハリマンは、広告会社に「月という郊外掲示板」を売りつけ、小国や大国を相手に駆け引きをして月の所属を自分のものにしてしまう。すべては、自分が月へ行きたいが為に。
続編がある。「鎮魂歌」だ。
ハリマンの夢は叶い、彼は月のオーナーになり、人々は月を往復するようになったが、その時彼の体はすでに月旅行に耐えられなくなっていた。それでも月に行こうとするハリマンと、止める周囲。彼は遂に、身分を偽り、おんぼろ輸送宇宙船の船内に隠れて月に向かう。
船長が言う「こいつがどこのおやじか知らないが、誰でも夢を持つ権利はあるんだ、叶えてやろうじゃないか」
まさにレクイエム、鎮魂歌だ。宇宙で死ぬなんて、恐怖さえ感じるが、行きたい、そんな気持ちを持ってみたいと思う。いつまでも、そんな気持ちを持っていたいと思う。
30年以上前に読んだ、素敵な月の話だった。
ドン・ブラッシュ 逆差別を解消か?
ナショナル党首のドン・ブラッシュは新たな公約として昨日、人種別、特にマオリに対する各種助成金の在り方を問題視し、「1つの法律を全ての国民へ」適用されるべく法律改正を行う主張をした。法の下、白人、マオリ、アイランダー、アジア人等が人種差別されるべきであってはならないという事である。
移民国家でありながら、先住民マオリだけが150年以上も前の条約によって様々な恩恵を受け、仕事もせずに4WDを乗り回している現実は、僕もやはり改正すべきだろうと思う。
逆差別
マオリの逆差別を解消した上で、もし低所得者であれば、マオリであろうと誰であろうと政府が助成金を出す事が本当の平等だと訴える彼の主張は、マオリ対策省、マオリ土地裁判所、マオリ放送ファンド等の政府機関の見直しも同じように視点に入れている。
これに対して既得権益を持つマオリは、また集団行動やデモを起こすだろう。しかし今回の公約は、今朝のラジオアンケートでも多くの支持者を集めていた。非常に分りやすい公約であり、人々が感じていながら口に出せなかった事を、やっと発言してくれたという感じだ。
NZ全体の失業率が3.8%の中、人口の20%を占めながら失業率が15%以上のマオリ民族。彼らは仕事がないのか、したくないのか?答は明快である。助成金と言う名目で甘やかされて来た生活を、自立という言葉を念頭に、根本から見直す時期が来たと言えるだろう。
法の平等
「1つの法律を全ての国民へ」政府が移民国家を運営していく上で、国民全体の最大公約数を得る為に必要な公約だ。この政策に労働党が反対した場合、国民が貼るレッテルは「抵抗派」であろう。
戦いとして評価すれば
マオリ票は20%、その他票は80%。先に攻めたナショナル党の戦略勝ちだ。レイバーの勝ちは、益々薄くなってきた。今回の選挙でナショナルの戦略は、実にうまい。学ぶものがある。
2005年08月29日
はまって、みる。
今週は、山水レストランで4回にわたって各部門スタッフとの夕食会議だ。
外国の会社だからと言って、日本と経営方法が変わるわけではない。特に当社のような、情報を販売している会社は、人財で運営されている訳だから、どれだけみんなが楽しく働けるかが大事な点だ。
出来る限りスタッフのプライベート時間を拘束しないように、当社では日本のような時間外の集まりは、会社主催では開かないようにしている。あるのは、年末のパーティくらいかな。
しかし、そこはやはり日本人の職場だ。時には飲んで話をして、皆で言いたい事を言う場所も必要だ。特に、会社に大きな変化があった時には、何が、何故、どうして発生したのか、きちんと説明する事が肝要だ。そうでなければ、スタッフも、もやもやを抱えたままになってしまう。
その為、今回は各部門ごとにしっかりと問題点を聞いていく予定。有難い点は、当社のスタッフは、本当に幸運なことに、かなり質が高いという事だ。理解力があるから話が早い。
さて、後10分だ。今から会社を出発。
2005年08月28日
「最悪」 奥田英朗 講談社文庫
1999年の作品。全く繋がりのない3人の人生を別々に描きながら、偶然に交差する劇場型小説。そこに至る一人一人の生活感と、蓋然性がしっかり描き込まれている。
毎日の仕事に退屈さを感じる、銀行で働く24歳の女性、第三次下請けの町工場で毎日自分でねじを作る48歳の中年社長、崩壊した家庭を離れ、依る術を持たない20歳のチンピラ。
彼らがバブル崩壊後の日本を背景に、必死に生きようとして、でも、なかなか自分の思うように人生が動かず、あえぎながら毎日を過ごすうちに、まるで運命の糸に引き寄せられるように、ある一点で交差する。
日曜の午後、一気に読了した。648ページの厚さだったが、しっかりとした読後感がある。でも、何か暗いものが残った。何だろうこの気持ちって考えてみて分った。結局全員が「流されている」だけなのだ。
運命が川の流れのように一方向に流れるものなら、それを逆らって上流に行こうとするのは無理だろう。時間は戻らないから。でも、流れの中の真中を選ぶのか、右端を選ぶのかと言った選択は、自分で出来る筈だ。その努力がないままに、ただいたずらに周囲に合わせて流された結果の話だから、暗い。
そう、暗いのだ。明るいタッチで書かれていても、結局暗い。みんな、弱すぎるのだ。もうちょっと、人間を明るく扱って欲しかったな。
3点。
2005年08月27日
これでもジャーナリスト????
銀行の経理など、書類ばかり見つめて仕事をしてきた人が、空港などで颯爽と働く女性添乗員やガイドを見ると、当然かっこいい!と思う。そんな仕事に就いて見たいと思う。
でも、現地の旅行会社に何の知識もないまま就職出来るはずがない。そして現地の旅行会社からすれば、使えるか使えないか分らない、全く知識のない人をゼロから教育して、やっと使えるようになった時に退職されたら、それまでの教育経費は無駄になる。
そんな両者の要望を満たすのが、ツアーガイド養成講座である。ガイドという仕事をしたい人と、即戦力となるガイドを欲しい旅行会社とを繋げる為に、旅行会社が要求する知識を事前に教え、就職を保証するものである。
ところが、そんな実態を知らないままに、誰に聞いたか知らないが、自称フリージャーナリストと言う人が、何の取材もしないままに勝手な事を書く。笑止千万である。仕事がない?無給?どこの会社の話だ?
当社の講座は就職保証である。月給も、少ない時期でも手取800ドル程度はもらえる。そして、何よりもお金だけでなく、外国で働いたという満足感が得られる。
好きな事をやりたい、それでいくらかでもお金を貰いたい、そんな人が自分の未来を広げたいと思って参加する講座であり、終了後は就職して仕事をするのだ。空港やホテルで、お客様にアテンドして仕事をするのだ。夢が叶うのだ。
勿論大変な仕事だ。若くないと務まらない。一生出来る事でもない。何故なら、その収入は、他の仕事に比べて安いからだ。でも、その経験は、将来の永住権だけでなく、他の仕事に就いた時も大きなプラスになるのが事実だ。
そのような面を全く無視して、いたずらに「資本主義の商売はまちがってま〜す」みたいな、心地よい、しかし全く無意味な意見を書く輩がいる。
では聞きたい。批判している君に、夢はあるのか?ガイドをしたいという人に、何を提供出来るのだ?旅行会社は、素人は要らないのだ。君に、仕事を紹介出来るのか?人を幸せに出来るのか?否定するのは簡単だが、では対案を頂きたいものだ。
僕はこの商品をゼロから創ってきた。会社だから利益も必要だ。でもそれ以上に、お客様の満足がなければ継続は出来ない。お客様が満足を得て、取引先が利益を得て、そして最後に、当社が利益を得て商売を継続出来る、これが僕のポリシーだ。夢を与える仕事だと思っている。本気で思っている。そしてもう5年、この講座を運営している。
それなのに、何も知らない素人が偉そうに口をだしている。それで君は何をしたいのか?君の意見を突き詰めたら、何が生まれるのか?
批判をしたいのは分った。では対案を出して欲しい。君の意見を突き詰めていけば、結局何も出来ない社会になってしまう事を、君は知っているのか?僕の講座に参加して欲しい。話を聞いて欲しい。実際に就職して欲しい。それからゆっくり批判をして欲しいものだ。
少なくとも、講座を終了して就職した人は、同じ時にNZにやって来た人たちとは、顔が違う。たくさんのNZ知識を持って卒業していく。たくさんの友達を得ていく。そんな彼らに拍手したい。そんな夢を否定する人に、再考を促したい。
ツアーガイド養成商法
オーストラリアやニュージーランドなどで、悪評なのが「ツアーガイドの有料講習。ツアーガイド会社が行っている場合は、高い授業料をとれるばかりか、無給の研修就労も行えてをまさに一石二鳥。終了後に仕事をもらえることも無く、他のツアーガイド会社で働きたくても、「講習参加の軽薄さと無知ぶり」が指摘されるだけ。採用されることはあまりありません。養成商法は、経営が苦しいツアーガイド会社が、高い利益を得るための「苦肉の策」として考え出したのが、そもそもの始まり。
2005年08月26日
教科書問題 自分が居住する社会への意見
移民とは全然関係ないようでちょっと関係あるのが、最近読んだブログ。日本で最近活躍している中国のタレント(10歳から日本に住んでいるそうだ)が、自分のブログで「ちなみに今日は、平和を愛する私としてはマジ許せない事が東京で起きました。日本の侵略戦争を否定して美化してる人達が作った歴史教科書を杉並区が採用したんです(>_<)」と書いている。
個人の意見表明に対しての批判はない。しかし彼女は教科書を読んだのか?読めば分るが、歴史教科書でも戦争の反省をしているし、悪い事をしたと書いているのだ。平和を追求すべきだと書いているのだ。
議論をするなら、まずは前提となる歴史的事実をしっかり把握してから語るべきであろう。
そしてもう一点は、外国人が内国問題を語るときは、同国人が同国人の事を語るよりも、時には影響が強いと言う事実を無視すべきではないという点である。
まず歴史的事実:
歴史には両面があり「当時のアジアが西洋に植民地化されていたという事実」は明快に存在しており、大東亜共栄圏思想自体はアジア各地で大きな支持を得ていたのも事実である。インドネシアやマレーシアの独立に日本人の助けがあったのも事実である。
日本の侵略を責めるなら、それまで数百年間、アジアを植民地化していた西洋の罪はどうなるのか?少なくとも同等に語られるべきだろう。ましてや、西洋がアジアの解放者だったなどと、歴史的事実をねじまげるのは、おかしな話だろう。
例えば日本の「占領」を解放した筈のオランダ軍が、その後インドネシアの独立を阻むべくインドネシア人に戦争を仕掛け、その為インドネシア人が独立戦争を迫られて、多くの愛国者が亡くなったと言う事実は、実は日本も西洋諸国も(正確には日本の権力者も西洋の既得権益者も)結局同じ穴の狢であり、弱いものいじめをしていたに過ぎないという事実を指し示しているのだ。
だから語られるべきは、弱いものいじめをする事が可能な国際社会の階級の存在であり、国家対国家という問題に矮小化すべきではないというのが、本来の歴史教科書が語るべき主張である。
そして、外国人としての礼儀:
僕は自己意思でNZを選んで住んでいる一世アジア人だ。拉致されてNZに住んでいるわけではないが、だからと言って今のNZのすべてを礼賛しているわけでもない。
しかし、よそから来て住まわせてもらっているのに、相手の国(NZ)のセンシティブな時事問題を一方的に、内容も吟味しないまま非難するのは控えたいと思うのが、日本人としての普通の感覚ではないだろうか。
NZ生まれの僕の娘が無知なままに発言しても「馬鹿ね」で済むが、僕が同じ事を言えば、言葉の重みが違うのは誰でも理解出来る事だ。ましてやそれがブログと言う公開された場所で発言されれば、必然的に言葉の重みが出てくるのはやむを得ない。
住まわせてもらっているという言い方を卑屈と感じる人がいるかもしれないが、少なくとも許可を貰って住んでいるのは事実だし、自分がよく知らない事を知ったかぶるのが「発言の自由」と思うほど僕は「自由」ではないと認識するのは、卑屈ではなく、むしろ「社会常識」だと思っている。
その程度のたしなみを持って外国生活をしたいと思う。
2005年08月25日
インターンシップ・互いの時間を大事にする為に。
当社の面接では、筆記試験等はない。簡単な面接と、体験入社1ヶ月が基本だ。働けるビザを持っていれば9.50ドルの時給ベースで働いてもらい、そうでなければ無給体験入社で、一ヵ月後に正式採用するかどうかを決める。
この期間はどちらにとってもお見合いみたいなもので、実務に就くのではなく、様々な体験をしてもらうだけだ。その間、候補者は会社の雰囲気を学び、会社は候補者の素の社会力を見る。
日本の採用面接や教育には、時間と費用をかけすぎると思う。時間と手間をかけて、それで退社されたら、採用原価はどの部門の責任となるのだ?昔みたいに、入社したらその会社で一生骨を埋めますと言う時代ではない。ならば、とりあえず来たい人は来てもらい、合わなければ辞める、又は辞めてもらう。それでよい時代だと思う。
勿論、企業によってはそう簡単にいかない所もあるだろうが、簡素化された採用が出来る筈の業種でも、昔と同じ面接方法をやっているのは、どうだろうか。
人が退職する事を前提に、業務に人を貼り付ける形式=Job descriptionを採用すれば、両者にとって無駄な時間が省けるのではなかろうか。これの延長が学生時代の夏休み等に体験する企業インターンシップであろう。インターンシップ制度が日本でもっと発達してもらいたい。
当社は即戦力のみを採用しており、社内で社会常識やお辞儀の仕方を教えるという発想はない。それは日本の学校で学んでもらう事だと考えているから。従って、会社に来て「私、何をすればよいのでしょう?誰も教えてくれないので困ってます」という困った人には、働き辛い職場である。
自分が何故採用されたのか、会社が何を期待しているのか、それが理解出来ない人は、体験入社の時点で本人から辞退してくる。
六億円の招き猫!
一昨日、招き猫を買った。
本来、動物には興味がないのだが、先日立ち寄った2ドルショップで、黄色い猫が参億円の小判と水晶を持ってにんやりしているのが、すんごく自分的に受けて、つい衝動的に買ってしまった。
それも、自宅用に一個と会社用に一個なので、何と合計六億円也!原価7ドル50セントx2個の招き猫で6億円儲けてみよう!
こんな風にお金の事を書くと、日本では嫌われるかな。
でも、ここで考えて欲しい。
「企業の利益は機械の油粕みたいなもので、溜まったら全部きれいにしろ(=寄付や社会貢献をしろ)」とは明治の渋沢翁の言葉らしいが、僕も基本的に同意見だ。自分で商売をやると分るが、事業会社の使命の一つは社会貢献であるという事に気付く。
当然だ。会社は、社会が存在しない限り発生し得ない形態であり、その意味で社会の安定した存続と発展こそが、当社が継続する為に一番大事な要素だからだ。当社でも、ちっぽけながら、ボランティア団体への寄付を毎月行っている。
しかし、渋沢翁もご指摘のように、社会貢献も寄付行為も、その前提として利益という入金がなければ出金はあり得ないし、ましてや利益がなければ会社は成立せず、会社が成立しなければ雇用も社会貢献も発生させられないのだ。
だから、企業が社会ルールを守って利潤追求をするという意味において、六億円は、狙うだけの価値があると思う。
招き猫にもらった目標だ。がんがろっと。
2005年08月24日
移住しても、問題は解決しませんよ。
海外移住は、良くも悪しくも本人の本性が出る。何でも自由に出来るし、誰にも干渉されないからだ。
そこで人は、大きく分けて二つのタイプに別れる。
一つは自分の価値観の壁に閉じこもる人、もう一つは日本人としてのアイデンティティを捨てて海外礼賛に走り、自分を見失ってしまう人だ。
前者は男性に多く「だから日本が一番だ、外国は駄目だ」となり、後者は女性に多い。「だから日本は駄目なのよ」
しかし両者に共通しているのは、仕事的にも個人生活的にも、NZに満足できていないという点だ。そして周囲にいる日本人と、やたらつるみたがる。他人の生活に干渉したがる。他人と言う鏡でしか自分を評価出来ない人たち。
他人が何か新しい事をするとすぐに文句をつける。かと言って自分で何か新しい事はしようとしない。彼らは一体何の為に移住してきたのだろう?
移住は精神的、経済的自己満足を得る為の手段の一つであり、移住自体が目的ではないはずだ。ところが、90年代の旧移民の話をよくよく聞くと、結局日本が嫌だから逃げ出した、逃げれば問題が解決すると思っていた人が多い。そんな人にとっては、生活の場所が変わっただけで、問題自体に変化はない。何故なら問題を作っているのは、環境ではなくその人自身だからだ。
旧移民はNZに新しく来た移住者の生活を覗き込み、「私は何でも知ってるのよ、聞きなさい」と勝手に自分を売り込んだ挙句、相手が話を聞かなかったり、自分で判断して何かした場合には「何よ、あたしがこれだけ面倒見てやってんのに!」となる。まさに、お節介おばさんである。実際にこのようなトラブル相談を、よく受ける。
2005年08月23日
KENの焼き鳥は、多分NZで一番うまい!
今日は一日、移住コンサルティングでショップ視察でした。東京出身のお客様と終日お付き合い。新移民ですね、ほんと、良い意味での新移民です。日本にも、良い人たくさんいるじゃないか〜、ちゃんと礼節を知り思いやりを理解出来る、良いカップルでした。
その晩は一ヶ月ぶりに日本から来たKさんと食事。横浜出身の彼とは話が合って、飲み仲間です。
「焼き鳥KEN」で歓談。日本の税理士でもある彼は「何で日本国民が政府の大増税に文句を言わないのか!」と、焼き鳥を振り回しながら怒ってた。
10年前なら同意見。今は「だから日本人なんですよ。長いものに巻かれて、お上がどうにかしてくれると思ってるのが日本人なんですよ」と、醒めて話が出来る。
日本って、実はいつの時代も自己責任だったんですよ、Kさん。
たっぷりと焼酎「伝説」と焼き鳥を楽しんだ後、彼らと別れて僕は「写楽」でお茶漬け。裏通りを抜けてバー「山水」に向けて移動中、「まさと」で飲んでる古い友達を発見、速攻で彼らのテーブルに襲撃をかける。
がんがん飲んだ後、彼らを引き連れて山水へ。そこでもどんちゃん騒ぎ?山水の売上にしっかり協力してしまいました。Sさん、長年連れ添った奥さんなんだから、もう離婚したいなんて言うなよ!Aちゃん、人生は一度っきり。楽しんだ者の勝ちだよ!
気の合う仲間と、楽しい、楽しい晩でした。いつまでも、こうして飲めるといいな。
あれは、円盤か〜!
土曜の夜18時頃、仕事帰りに当社スタッフをヘンダーソンの自宅まで送った帰り。
東を向いた車の、真正面に、物凄く大きな、オレンジ色の円盤発見!
あんまり大きいので、最初はお皿型電波受信機かと思ったが、よく観ると、空中に浮いている。というか、地面に着いてない。
それでも5分くらいは半信半疑で、あんなでかい月、見た事ないから、あれは絶対別物だとか思ってた。
10分経っても同じ場所にあり、それから彼は段々上に登っていって、やっといつもの月の数倍程度のサイズになったところで、「あれ、月だったんだ〜」と納得した。
昔の日本人は、あんな月を見て楽しんでたのかな〜。何か、久々に日本人の、普通の体験をした気分。楽しい!
2005年08月22日
クレーム処理は万国共通
当然だが、クレームが増えると処理の手間がかかり、結局本業に影響が出て、クレーム自体の信用損失と本業の失われた時間(逸失利益)が会社の損失となる。ところがクレームをうまく処理すれば、お客様の信用につながるのも間違いない。
企業は信用がすべてであり、クレームはその信用を土台から破壊する大きな問題である事は、三菱自動車や雪印の例を見るまでもない。
そこでクレーム処理の計りとなるのが、
1・問題を問題と認識して担当者のミスが社長まですぐ伝わるかどうか?担当者が隠す事のないように、クレーム発生自体には責任を取らせない事。
2・クレームを起こした担当者のせいにするのではなく、何故それが発生したかという原因を検討して、次にクレームが起こらない仕組を作る。個人の能力頼りで運営するものは企業と言わず家業と言う。
例えば、担当者が違うのに毎回同じクレームがお客様から上がるというのは、業務知識の共有化が出来ていない証拠。個人商売の典型。
他にもいろいろあるが、とにかく仕組み作りが会社の基本であると理解して欲しい。クレーム処理も、利益を出す時も、仕組さえあれば、誰でも出来る。全員がその意識を持って、仕組作りをすれば、それが知識の共有につながる。
今まで当社は、人によって職場を作ってきたが、次の段階に差し掛かっている当社には、合わなくなってきている。今後は、市場に合わせた職場を作り、そこに人を貼り付けていく形態への変化が必要になってきた。会社が進化する時には、脱皮が必要だ。
NZではサービス程度も低いので、クレーム処理等は地元レベルに合わせて、という社長がよくいますが、そんな人の会社を見れば、何故成長しないのか、分ります。キーウィでも、良いサービスを受ければ良い顧客になり、顧客の成長と共に企業が成長するのだという事を理解する必要があります。
9月01日から組織変更です。市場に合わせた受け皿を作る為に行います。
2005年08月21日
2ドルショップ開店!
7月15日に開店したヘンダーソンの2ドルショップ、大繁盛です!うれしいですね、今年1月から起業コンサルタントとして取り組み、結局7ヶ月かかりましたが、何とか起業、ビザ申請に漕ぎ付けました!
今回はお客様がこちらの話をきちんと聞いて動いてくれたので、円滑に進みました。お客様によっては自分で聞いた話とこちらの話を「比較」して、結局違う道に走ってしまう人もいます。
何で今頃、7月の話を書くのかと言いますと、実は昨日オークランドに到着された新規のお客様が、やはり2ドルショップを希望されており、丁度その現地調査のためにお店に寄ったからです。
このお客様は日本で個人営業を長くされており、そろそろセミリタイアを検討中のご夫婦。今までの仕事がハードだった為、少しのんびり出来る仕事が良いとの事でご案内したのですが、喜んでくれた様子。
でも、まだまだ分りません。これからビジネスモデルが構築できるかどうか、移住予算、店舗立上経費、売上予測、経費予測、継続性など、調べる事が山積みです。これは月曜日に、再度会議で数字を詰める予定。
う〜ん、でも、うまくいって喜んでもらえてるお店に、次のお客様をご案内出来るのは、うれしい限りです。
月曜はヘンダーソン2ドルショップオーナーとの食事会。Kさん、騒ぎましょうぜ!
Wall Street (邦題ウオール街)
1987年の映画だから、日本がバブってた時代のNYが舞台。株を扱い、そして儲ける事が出来るのは、ギャンブラーか詐欺師しかいないって、オリバーストーンの主張がきつく出ている。
チャーリーシーンとマーティシーンが親子役で(実際にその通り!)、マーティン演じる父親が、ジャンパー姿でNYの歩道を歩いたり、空港の格納庫で仲間と飛行機を修理している場面は「これがアメリカでしょ」と、強く訴えてる。
オリバーストーンは、ノーマンジェイソンと同じくらい好きな監督だ。
ノーマンジェイソンと言えば「夜の大捜査線」でシドニーポワチエに演技させ、「ハリケーン」ではデンゼルワシントンと見事なコンビぶりを見せてくれた。
実は10年ほど前にも観たのだが、その時はマイケルダグラス扮するゲッコー役が、実はジャンク債の帝王マイケルミルトンとは知らず、今年になってその事を知ってから「もっぺん観たい!」と思ってた映画の一番。
案の定よく作りこまれた映画で、金をかけなくても良質の映画が出来るという事を、うれしい気持ちで再認識させてくれる。
土曜の夜に偶然立ち寄ったVideoEasyで見つけた秀作。5本で10ドルってセット料金だったので土曜の夜10時から、チャーリーシーンのWallStreet、ダニーグローバーのBopha、誰が主人公か分らないアラモと、朝の4時まで観てしまった。
久々に映画に浸れた週末でした。映画は、いいな〜。これで時間が止まってくれたら、最高だな〜って思った週末でした。
2005年08月20日
ほりえもん ビジネス本では学べないもの
ビジネスの教科書を読めば、会社やビジネスの商材等の作り方は教えてくれる。でも、どれだけ読んでも絶対に分らないのが「運」だ。
運は、見えない、触れない、聞こえない、でも感じる事は出来る。
フジテレビ問題でも、彼は本当に紙一重のところで大博打に成功した。しかし財界や政界を敵に回した。
財界や政界にとって「若い起業家」は必要だ。孫は反逆者だったが、結局ある程度の妥協をしながら認知してもらい、「あちらの世界」に行けた。三木谷は最初から「あちらの世界」にいた人だ。
しかしほりえもんだけは、まだ「こちら側」にいた。あまりに激しい行動と発言の為、潰される可能性が、十分どころか、後半年もすれば外資と共に潰されただろう。何故なら、彼は政府の希望する意味では「起業」していない。単なる金を転がしているだけの人物だからだ。
株以外に彼が実業で儲けたか?儲けてない。つまり政府の規制緩和にうまく乗っかったわらしべ長者なのだ。孫や三木谷のようなビジネスマンではない。
ところが振って湧いたような「郵政解散」だ。自民党としては、反対があるものの、使いたいという事になった。
人には、持って生まれた運と言うものがある。そして、頑張って自分で掴める運もある。自分自身、ゼロから来たから、運が理解出来る。
どれだけビジネス本を読んでも学べないもの。それを持っているホリエモンには、感服せざるを得ない。
しかし同時に、運は使い方を間違えば、すぐ逃げていく。細心に、かつ大胆に。そして一番大事なのは、流れを読む力。川の流れに乗れば、どこまでも泳いでいける。流れに逆らえば、溺れてしまう。
今回の選挙で勝つにせよ負けるにせよ、大した問題ではない。今流れを掴んでいる彼は、すでに勝っている。
自分のポリシーの一つとして、運のある人と極力お付き合いをするように事にしている。
運。
今後、NZ市場でも取引を広げていく中で、益々必要だ。
(敬称略)
2005年08月19日
Work to Residence
Work to Residence という名称で移民局が作ってるパンフレットがある。
人によっては、そんなビザがあるのか?と思い込むような書き方だが、これはワークビザを取得、つまり自分の仕事を現地企業によって確保出来れば、永住権をあげますよという事で、一個のビザの名前ではない。
あくまでも、ふたつのビザの総称だ。
最近の問合せで、一応永住権取得の手前まで来たのだが、就職先が見つからないという人が増えた。
そんな人がいるかと思えば、「投資家ビザ」で永住権を取得したけど、自分では実務をしたくないという人がいる。
当社では、投資家ビザで来る方も、技能移民(つまり、普通の永住権)も扱っている関係上、この二組が時期的に一致して、うまく結びつく事がある。
片方は仕事はあるが人がいない。反対側では、やる気はあるが職場がないという人がいる。この両方を当社でお見合いさせてしまえば、お互いにとって幸運である。
仕事を探している人からすれば千載一遇の機会であり、その為には一生懸命働くであろう。人を探している方からすれば、最近まで日本できっちりと仕事をしており、日本の社会常識やビジネスルールを理解してくれてるから、言葉が正確に伝わる。
そんな両方がうまく結びついてくれる。うれしい事だ。
9月に、そういう案件がある。二人がうま結びつく事を祈る。
2005年08月18日
盗撮は刑務所送りの罪
北島のハミルトンで18歳の少年がトイレに入っていた女性の盗撮をしようとして逮捕された。ところが現行法では刑務所に放り込む事が出来ないので、他の犯罪を適用して,警察としてでは何としてもこの少年を刑務所に放り込む積りだ。
ハミルトンは人口12万人の静かな農業都市だ。治安もよく人々の道徳心も高い為、住民には唾棄すべき犯罪と映ったのだろう。
これを踏まえて近々国会で法改正を行い、覗き行為は1年の懲役、覗き目的でビデオやそれに類する器具を販売した者は3年の懲役という法律が出来るらしい。
今回の総選挙でどちらの政党が勝とうと、この方針に変更がない事が確認されている。
さすがNZ、こういう道徳系の法律には厳しく対応するってのは、住民の安心を得る為の基本ですね。パチパチ!したいです。
テロ対策を隠れ蓑に、海外送金監視強化
いや〜、テロ対策に名を借りた国民資産没収の道、ますます厳しくなりますね。政府が伸ばした魔手が、国民の背中に迫っている気がします。
**8月17日付け新聞抜粋**
小口送金でも本人確認、テロ対策で金融庁方針
金融庁は16日、テロ対策の一環として、金融機関に利用者の本人確認を義務付けている送金額の基準を、現在の200万円超から、10万〜15万円程度に引き下げる方針を明らかにした。
自分名義の口座を持たない金融機関の窓口やATM(現金自動預け払い機)から国内外に送金する場合が対象となる。ロンドンの同時爆破テロなどを受けて、テロ組織などに資金が流れることを防ぐ狙いがある。
関係省庁などと調整して2006年末をめどに、すでに施行されている「本人確認法」の政省令の見直しを行う方針だ。
政省令が見直されれば、金融機関は、10〜15万円程度の小口の資金を窓口から送金する利用者にも、200万円超の場合と同じく、免許証など公的な書類の提示を求めて本人確認することが義務づけられる。
自分の口座がなくても送金できるATMを利用する場合も、1回当たりの送金限度額を現行の100万円程度から10〜15万円程度に引き下げることを検討している。
利用者が自分名義の口座を持っている金融機関の窓口やATMから送金する場合は、口座開設時に本人確認が済んでいるので、規制の対象にはならない見込みだ。
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今年の説明会でも、参加者に「日本政府は、ますますお金の持ち出しに敏感になっています。財政再建の為には国民資産の1300兆円をどうにかして政府が没収する必要がある。その為の政府の法制化が早いか、皆さんの送金が早いかですよ」と案内していました。
やっぱりと言うか、案の定と言うかという感じですが、想定内ですね。
気に食わないのはメディアの連中です。本気で政府発表を信じて記事にしたなら、救いのないあほうですし、信じてないのに政府に言われて書かされたのなら、偉そうに「言論の自由」等と言わない事ですな。
過剰取材で弱いものいじめをして養鶏農家のおじいちゃんの首を吊らせておいて反省の色もない連中。マスコミ出身の移住希望者だけは、うちでサポートしないと決めました。彼らには韓国系コンサルタントを利用してもらいましょう。
人種差別?コップの中の嵐
子供のアイデンティティはどこに?移住する際の子供の教育問題。
娘の通う高校での話だ。ノースショアにある女子高は生徒数1200人のマンモス学校だが、そこには台湾、大陸本土、香港などから来た「中国人生徒」が多数通っている。娘のようにNZ国籍もいれば大陸からの留学生もいる中で、自然に中国人として一つのグループを作るようになる。
そんなある日、娘が学校から帰って「いつも仲良くしてる友達と喧嘩しちゃった」と言う。理由を聞くと、大陸出身の子は何があっても大陸中国が一番で、他の国は駄目で、話にならないと言うらしい。香港で教育を受けたうちの娘と台湾出身の子が、この言い方に反発した。「何よ、中国が一番じゃなくて大陸だけが一番だって思ってるわけ?」
最初は適当に聞き流していたが、どうも本気で言ってるらしい彼女に対して、子供心にも頭に来たらしい。当然だろう、中国沿岸部の発達は、台湾と香港の協力なしにはありえなかったのだから。
そこで台湾香港連合軍は、世界の中国大陸に対する評価、天安門事件、法輪功、歴史問題、共産党の一党支配による言論統制等、様々な事実を突きつけると、くだんの大陸娘は言葉を失ったらしい。
当然だろう、大陸娘は学校で天安門事件を習っていないのだから「天安門事件なんてなかった、そんな事件なんて資本主義者のでっちあげよ」とやってしまう。最終的にはインターネットを活用した台連合軍にコテンパンにされたらしいが、そこは大陸娘、今度は「私に恥をかかせた」という論点にすりかえて、そのまま撤収したらしい。覚えていろよという事か。
今、日本から移住して来る親は、まがりなりにも歴史教育を受けている(はずだ)。しかし、自分の子供が小学生くらいから現地の学校に通う時、どのような歴史教育を受けるのであろうか?少なくとも正しい日本の歴史くらいは、親が教えない限り、子供が学ぶ機会はない。自分の子供のアイデンティティをどこに置くのか?
中国人同士のコップの中の嵐を通じて、僕ら日本人も学ぶものがあると思う。
あれ?今日本でもコップの中の亀さんが嵐をやってますね〜、残念!
闘犬禁止令!
北島のロトルア付近で行われていた闘犬がSPCAによって通報、摘発された。NZは動物保護の国であるから闘犬は認められず、今回はNZの闘犬の元締めクラスの47歳の男性が逮捕された。
(う〜む、キーウィが土佐に来て、横綱の回しをつけた土佐犬を見たらびっくりするだろうな)
2003年に同様の犯罪で逮捕された人は1000ドルの罰金と200時間の公共奉仕活動に従事という判決を受けた。
(土佐闘犬センターでは毎日のように観光客の為に闘犬が行われ、その後はよさこい踊りを見ることが出来る)
闘犬に出場した犬のうち10匹が、この3年以内に死亡したという。「動物は耐え切れない程の痛みと怪我をする。こんな残酷な事を放置するわけにはいかない」とはSPCA管理官の言葉だ。
(闘犬の戦いは、泣き声を出すか、逃げると負け。熾烈な闘いが続きどちらも相手を噛み迫力ある戦いが展開する)
闘犬に使用された犬は10匹以上いるが、SPCAが引き取って保護する。動物保護条例によれば、彼らは無期限で保護する事も出来るらしい。
(新聞沙汰が終わって新しい飼い主が見つからなければ、SPCAによって他の野良犬と同様に薬殺されるのかな?)
2005年08月17日
国民党、法人税減税を公約に?
NZの総選挙は9月17日。
NZは国民党と労働党の二大政党制で、現在は労働党が政権6年目だ。最近は労働党の長期化により組合が強化されストライキが発生する等の状況もあり、国民党が比較的優位に立っている。
来週月曜日に正式に発表予定の国民党の公約に、法人税の3%減税を提案する予定だとのニュースあり。現在は33%の所得税を30%にするという公約だが、国民党は元々中小企業経営者や農業経営者を票田にしており、予想された公約とも言える。
僕個人としては労働党政権下で作成された新労働法には疑問を持っており、国民党を応援したい。
ストライキは労働者の権利であり、基本的には労働者天国というNZの基本概念は好きだ。
しかし現在のNZ航空やステージコーチの労働組合の要求とストに至った経緯を見ると、1900年代初頭の労働事情と比較して格段の向上があるにも関わらず、組合側の意識は当時と変わらず、経営者を敵対視して、利用客を無視する傾向にあるのが遺憾である。
どちらもサービスの悪さや柄の悪さには定評のある公共交通機関であり、特にNZ航空は去年倒産して政府管理になっておりながら、今年から3年、毎年5〜7%の賃上げを、会社の実績に関係なく要求して、会社側の回答が要求の80%程度しか満たしていないというので、いきなりストライキ。それはどうか?と思う。
ちなみにステージコーチは、乱暴走行中のバスが他の車(駐車中、走行中に関係なく)にぶつけても、絶対に補償しない事で有名だ。
確かにNZ経済は好調であり、労働者がその恩恵を蒙るのは当然であろう。しかし労働と経営が協力してパイを拡大するという発想が、労働側に決定的に欠けているのは遺憾である。外国人が何を言うかとキーウィに言われそうだが、この国で僕は選挙権もあるし、その権利は行使したいと考えている。
「国家の罠」 佐藤優 新潮社
国策捜査と言う言葉はこの本で初めて聞いたが、その意味するものは、文字通り国家による策略としての捜査だった。犯罪捜査ではないから、最初から法の正義や公平を期待するほうがおかしい。国家が個人に向って、「お国のことを考えてお縄につけ。それで皆が救われるのだから」という趣旨だ。
そういう視点から、外務相国際情報局分析一課に勤務し、鈴木宗男や森元首相らとロシア外交実務を取り仕切っていた佐藤優本人が書き下ろした「内幕もの」である。
いつものように、内容は国家の罠に任せるとして、感想のみ。
作者は最初から法の公平や平等などみじんも期待していないから、その視点は非常に冷静であり、利己や無意味な理想を超越して書かれているので、すがすがしい。
日本人は元々、法律を何よりも上位にある正義として捉えているが、その考え方が大きな間違いであるという事を、実にあっさりと語っている。法律は、その時期にその地域で作った住民の合意契約であり、時期や地域が変われば、いとも簡単に昨日の常識が今日の非常識になる。
ましてや、法律は国家が作っている以上、国家運営に問題があれば、国家が自分の生き残りの為に法律を無視して行動する事など、ごく当然と言わざるを得ない。そのような時期にそのような場所に居た事が、作者の不幸であろう。
しかし不幸という言葉を使うのが妥当かどうか、分らないほど、文章の内容は、すがすがしい。これでやっと肩の荷が降りたよ、今度はもっと気楽な事をしたいね、そんな気持ちが文章から感じ取れる作品だ。
勝手評価では3だが、法律や理屈を無意味に信じている人に読んで欲しい優秀作品だ。それに、日記風なので読みやすい。鈴木宗男に対する評価も変わるかもしれない。世の中って矛盾しているけど、僕らはそんな社会で生きていくしかないのだって。
ちなみに、私は鈴木宗男に対しても、森元総理に対する評価も変りませんでした。
「震災列島」 石黒耀 講談社
最近の地震、立て続けですね。東京で震度5の地震にも遭遇した僕は、かなりの興味を持って買ってしまいました。
静岡にある浜岡原発が、東海地震によって崩壊?!確実に起こると言われている関東大震災をテーマに、近未来の日本を描いてます。
ちょうど先週読んだ「はいどうなん」と似たような切り口ですが、こちらは最初から学術本を小説風に書いており、すべては地質学や環境学によって実証された事実のみを組み立て筋書きを作ってます。
地震や津波、台風など天災には事欠かない日本で、地震地帯の真上に首都を作り、首都移転法という法律を作りながら移転・分散をしない危機感の薄い政治家に対する厳しい批評。
そして実は静岡の浜岡原発の真下にも地震の発生地帯があり、国策で作られた無用な原発が日本の地震被害を更に拡大させるという事実に目をつぶる、自然災害に対する国策の無さ。
地震を背景に、名古屋の一市民の視点から地震の発生とその後を描いた本ですが、構想や筋書きはしっかりているものの、一市民であるオールドナゴヤンと暴力団の対決と言った、ちょっとこの筋書きにそれが適しているのですか?と疑問を持つ部分もある。
ちょっとミステリー風に書いている途中の文章は、読んでて疑問を持たされた。最後に何かあるのかなと思って読み終わったけど、やっぱり何も無い。頑張って蓋を開けて見たら空っぽだったという感じ。そしてもう一つは、暴力映画には必ず性的描写がないと気が済まない作者なのかと疑う部分もあり。
勝手評価は3、ですね。
2005年08月16日
「半島を出よ」 村上龍 幻燈舎
「半島を出よ」
6点評価の3 「読めるものなら読んで見ろ、分るか?」という態度を感じるが、文章力があり、発想も着眼点も面白い。でも、今の時代だから売れる本。
本格SFに比較すると、カエルやゴキブリに蓋然性(何故お前がそこにいるの?なんでお前じゃなくちゃいけないの)がなく、軍事小説とすると戦闘及び戦略に必然性がない。つまり国同士の戦争は、そこまで簡単じゃなく、他にも選択の余地が多すぎる中で、無理やり作者の好みで戦争に持っていってる。本来戦争は、それ以外の選択余地がない時に取る最終手段である事は軍事的常識だ。
文章力だけで4にも届くかと思ったが、これだけ長いと、きつい。短編にしてもらえばそれなりに面白かったかと思う。半村良の「戦国自衛隊」は短編だったもんな。
財政破綻して国際的孤立を深める近未来の日本の起こった奇蹟。という帯がついてた。
彼の作品を読むのは高校を卒業したての1978年「限りなく透明に近いブルー」以来だ。
それまで本という媒体は、その内容に関係なく、何かの主張があると思っていた僕に「そんなもん、ないよ。透明なんすよ、俺たち」って、軽くいなされた感じを受けた。
生理的に合わないものを感じた。同じ九州出身で年もあまり離れていないのに、そこには生活の実感がないからだ。彼らが麻薬をやろうとセックスに明け暮れようと、彼らが生きていくには空気や食物が必要なわけで、自然は空気を作り、人が食物を作る。その、人生の根幹の部分なしに何を語っても無意味である。そう思った。
彼の文章には、本当の人生や実業で生きる人が重要な地位を占めないままに、文字だけが散文詩のように羅列されていた。綺麗だし素敵だし、でも受け入られない世界だったのを覚えている。彼を評価するだけの心の余裕は、当時の僕にはなかった。
当たって砕けろ!あなたはまだ若い!
Aさんの会社の社長が先週当社に訪れた。投資対象、リスクとリターン、会社設立要件、NZ経済見通し、カフェビジネスの今後の展望などを説明する。リスクとリターンだけで考えれば、今のNZは定期預金が一番だ。働かなくても、金が金を産んでくれるのだから。
Aさんは去年、NZ展開の命令を受けて今年からワーホリビザでオークランド滞在、カフェで実際に働きながら現地知識を身に付けている最中だ。
今日、最終的に社長からOKが出たようで、「カフェ計画やります。合計予算は1000万円」という具体案が出てきました。
これから会社設立の法律面での準備、設立、口座開設、店舗調査、契約、仕入ルート構築、内装手配、什器手配など、いろんな事が立て続けに発生します。
一通り説明して、特に強調したのが「壁に予定表を作成して下さいな」という事。慣れぬ海外で交渉していると、ついつい毎日の仕事に流されて、全体が見えなくなっていく。
ビルを建てるのと同じで(私は建てた事はないので推測です・・)、どこの手順一つも忘れるわけにはいきません(よね?)。
まだまだ30歳前のAさん、会社が全面的支援してくれるんだから、当たって砕けろ!でいきましょう。
日本語電報配達します!
携帯電話事業がある程度動き始めた1998年、オーストラリアから突然電話があり、電報の配達をしてくれる人を探しているとの事。詳細を聞くと、日本のKDDI(当時)が行っている、日本から海外へ電報を送るサービスであった。
KDDIでは海外から国内へ、国内から海外への日本語電報サービスを行っており、主に日系企業や政府が、弔電や祝電を送るのに利用していたのだ。クライストチャーチで行われる日本人カップルの結婚式には、一回で10通程度まとめて配達した記憶もあるくらい、日本では伝統的なサービスの一つ(当時)であった。
オセアニアで電報の配達網をKDDIから一括で引き受けていた方が、NZで配達網を展開するのに必要な条件は、現地で日本語印刷が出来る事、週末も配達可能な事だった。
幸いな事に当社は365日営業であり、配達も携帯電話でノウハウがあるから、現在のインフラをそのまま転用してサービスを開始する事が出来た。最初は私も配達要員で、郵便を持って土曜の午後にオークランドから車で1時間ほど離れた郊外の牧場に配達に行った事もある。
このサービス、eメイルが普及すれば終了するだろうと思ってたら、何と今も息長く続いている。日本人のメンタリティなのか、お上が命令するまでは止めないのだろう。このビジネスがその後、全く違う展開をしていくのは、偶然というか運命を感じざるを得ない。
2005年08月15日
シリウスの道 藤原伊織 文芸春秋社
シリウスの道 藤原伊織 文芸春秋社
7月の日本出張時に、偶然紀伊国屋で見かけた本だ。普段は荷物になるので、かさばる単行本は買わない事にしているが、今回は手が伸びた。
「テロリストのパラソル」、「白髭の冒険」と、一見全くジャンルの違う作品を、何の衒いもなくさらりと書きわける。それでいてどちらにも、底辺にあるのはイオリズムだ。なかなかやってくれる作者である。だから単行本の重さだけで購買拒否というのでは、筋違いと言うものだろう。
買った。そのまま、出来るだけ重さを感じないようにタクシーを拾って目黒まで戻った。
「シリウスの道」。作品は、これからゆっくり堪能しよう。
週末に2日で読了。結局、買ってよかった。いろんな評価があるだろうが、1800円の単行本を東京で買ってオークランドまで持って帰り、それでも「よかった」と思わせる作者は、僕には少ない。
本の内容はトラックバックに任せるとして、彼には独特の速度がある。どんなシーンでも、セピア色の古いビデオを回しているような、そんなゆっくりさがある。その分、登場人物の人格の書き込みが時には弱いと思ったりするが、そこまで書かなくても読み取れという、作者からの意図であろうか。
そう考えると、これはハードボイルドではないかと思った。案の定、本の帯に「ハードボイルド」という評価が付いている。
普通ハードボイルドと言えば、霧の夜に目深に帽子をかぶって銃を撃ちまくるイメージがあるが、この本には銃は全く出てこないし、血も(殆ど)流れない。よだれが流れるだけだ(読んだら分る)。
藤原伊織に好感を抱いている僕がいる。大好き、ではない。好感だ。作中に出てくるホットドッグの話。どこかで読んだ記憶がある。翌朝、他の本を引っ張り出して見つけた。思わず「ほー、やられた」と感心した。この技法を最初に導入したのは北方謙三だと思うが、久々に手の込んだ、職人の本を読ませてもらった。
ところで新宿ゴールデン街を思い出させる書き方だが、藤原は昔、ゴールデン街で飲んでいたのだろうか?
勝手な評価で6点満点の4です。作品として完成度が高く、今の時代どこでも通用するレベル。但し10年後に読んだ場合、同様の作品との違い=独創性が通じるか?
日本から面接希望者が来ました。
面接
今日の面接希望者は、日本の大手会社サラリーマン40歳前半の方だ。まもなく日本の会社を退職予定で、現地での就職先さえ見つかれば永住権が取得出来る人だ。
不思議なのは、高収入が保証されている優秀なサラリーマンが、その社会的地位を捨ててまでやってくるにしては、現地での生活のギャップに対する心構えが出来てないという事だ。
移民なのだから、日本で持っていた社会的地位はゼロになるし、給料も劇的に下がる。最初の仕事は皿洗いかもしれない。自分の子供みたいな客に「何やってんだよ、料理早くもってこいよ!」といわれるかもしれない。それを我慢して、2~3年は貯金を食いつぶしながら耐乏生活をする覚悟はないのだろうか。
そんな生活でも、最低賃金はもらえるし、子供の教育費や医療費用を考えれば、何とか食っていける。働きながら学校で資格を取り、それからNZ社会デビューをして、高い給料と能力に合った社会的地位を確保すれば良いではないか。それだけの覚悟がなくて移住を決心しているのだろうか?例え2〜3年かかっても、人生はまだ30年以上残っている。
拾うものがあれば,必ず捨てるものがある。両方とも捨てたくないという人向けには「二兎を追うもの一兎も得ず」という諺を思い出してもらいたい。移住に関する限り、これは真実だ。
Fさん、自分を信じて下さい。会社の看板なんて、小さなものですよ。そんなものより、自分の家族を大事にしましょうよ。職業に貴賎なし、レストランで働いても、子供はちゃんとお父さんの背中を見てますよ。
聞かれて不思議に思う事。
起業家としてよく聞かれる質問がある。
どうやって成功したのですか?
しかしこの質問は、どうも違和感を感じる。というのは、実はまだ僕はまだ成功していないからだ。何故ならゲームは終了していないからだ。
例えば、野球の3回裏で相手チームに5点差で勝っているからと、その時点で勝利と言えるだろうか?確かに前進はしている。でも結果は、終わった時点がすべてなのだ。価値もしていないのに勝利インタビューを受けるようなものだ。
徒手空拳で会社を立ち上げて、努力と幸運で何とかここまで成長させたが、まだゲームは終わっていない。始まったばかりだ。最後の最後に、失敗するかもしれない。失敗した後にはみんなから言われるだろう。「彼も一時期はよかったけどね」
だから起業家として現状を説明する事は出来るが、成功していかという質問に対してはNOと答えるしかない。ゲームは、終了した時に答が出る。まだゲームは終了していない。
最後に立っている男にならねばと、毎日緊張の連続である。僕の場合、この緊張感が、健全な危機感と努力を生み出す源になっている。
1997年 レンタル携帯電話開始!
ツアーガイドの仕事が順調に始まり、次のビジネスがないかと探した。
町を歩くと、当時ワーホリや留学生の間では、通信連絡と言えば公衆電話かホームステイの電話しかなく、異動の多い彼らは連絡を取るのに不自由している事に気付いた。
時代をもっと遡れば、日本の携帯電話も1980年代はNTTからのレンタルとなっていたのが、買取式になって爆発的に増え、写メールとフォーマの開発で国民のほぼ全員が持つようになった。
NZも同時期に買い取り式が発達したものの、ワーホリや留学生など、1年以内の滞在で仕事がない人は、後払い式の携帯を買う事が出来ない。また、買っても、帰国する歳には売らないといけないという事情の中で、携帯電話レンタルのビジネスを思いついた。
しかし、調べて見ると、既にクライストチャーチで日本人がこのビジネスを提供している。その人の場合は旅行会社ツアーへの有料レンタルが中心で、学生向けにも貸し出しをしていた。
そこで、彼が器材を準備して、オークランドでの貸し出しや回収は当社が行い、当社は配達、回収などの固定費で利益を出し、彼らは通話料金から利益を出すというビジネスモデルを構築した。
このモデルの良い点は「みんなが利益を得る」という事だ。テレコムからすれば利用客が増えるし、顧客からすれば個人で持てない最新携帯電話が使えるし通話料金も個人で契約するのと同じ金額、日本の親からすればいつでも子供に直接連絡出来る、そして当社も利益が出るという事だ。
このビジネスは、当初有料レンタルだった為、お金に余裕のあるツアー会社からが中心で、学生市場にはなかなか広がらなかった。
しかし、ビジネス開始から約2年後、クライストチャーチの会社がレンタルビジネスを停止する事になり、当社に無償で譲るという話が出てきた。そこでレンタル器材の仕入れから貸し出し、クライストチャーチオフィスを設立して、南島でもレンタルビジネスに対応出来る仕組を作った。
同時にその時点から、レンタル無料というビジネスモデルを構築した。それまで貸し出し費用が利益の中心であったものが、台数を大幅に増やす事でテレコムから通話料金の大幅割引をもらい、お客様が支払う通話料は個人が使用する金額と同じでありながら、無料で短期間からレンタルが出来るという事で、爆発的に利用が広がった。
同じ通話料金で、短期間から無料で最新機種レンタルが出来る!このキャッチで、当社独占だった市場を、更に拡大する事に成功した。
しかしどんなビジネスにも寿命はあり、最近は携帯電話も、滞在期間の短期化による日本からの電話持込や、現地でプリペイドを購入する状況に変化しており、またNZドル高によりワーホリ数も減少傾向で、今後はレンタルビジネスも大きく利益を生み出すとは考えにくい状況だ。
またまた次のビジネス商材を探さねば。経営者は、今の仕事よりも2年先の仕事を見つけるほうが重要だという事を認識させられる時だ。
巨星墜つ。 NZ改革の立役者 ロンギが病没 1
ロンギ元首相が昨日、入院先の病院で腎不全で病死した。63歳。私の大好きな政治家の一人だ。以前当社新聞に掲載された、彼に関する記事を紹介する。 ロンギ政権の大英断NZの経済・行政改革 | ||||
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そして当時の国際機関の調査では、持ち家、離婚率、自殺率、賃金、物価など様々な要素を基礎にした「世界の国家幸福度調査」で常にベスト10に入るほどの安定した農業国家で、この幸福は1950年代後半まで続きました。 ところが1960年代になると、時代が大きく変わります。NZも「国際化」の波にさらされるようになりました。民間飛行機が世界を小さくし、大型タンカーが出現するにつれて、南米諸国が台頭し、まず羊毛価格の下落を招きました。NZにとって北半球ははるか彼方であり、南半球の地理的有利性を生かしたビジネスが、それまでのNZ経済に大きく貢献していましたが、同じような地理特性を持ち、物価や賃金が非常に安い国が台頭してくると、それまでの高賃金や公社制度が逆にNZの首を締める事になったのです。 1970年代になると、状況はますます厳しくなりました。国家統制による公社経営は、それが独占市場であるうちは有効ですが、いったん外国市場との競争にさらされると、国家公務員は民間企業の敵ではありませんでした。南米、オーストラリアと競合相手が参入してくるなかで、追い討ちをかけるようにイギリスが英国がEEC(ヨーロッパ経済共同体、現在のEU)に加盟します。これによって、NZは最大の貿易相手国を失ってしまうことになったのです。その後のオイルショックによる輸入価格の向上などが、この南半球の小島を飲み込もうとしていました。 このような中で、マルドーン首相は、経済構造を大きく変化させるために「Think Big Project」をスタートさせました。それは、従来の第1次産業に依存した経済を、第2次産業に変化させようとしたのです。 しかし、結果からいうと、このプロジェクトはほぼ完璧に失敗しました。そのうえ、大きな借金を抱えてしまうことになりました。資源の少ないNZで第2次産業を発展させるためには、戦後の日本と同じような加工貿易を目指すしかありませんでしたが、高い人件費、個性を伸ばす自由な教育、環境問題に敏感な国民性などが障壁となり、1980年代初頭には、ほぼ国家が破綻したといえる経済状況に陥ります。そして遂には物価凍結令を発動するまでに至りました。 このような状況のもとで、1984年に政権を取ったデイビッド・ロンギは、国家に大鉈(なた)を振るい始めました。これがNZの経済改革です。当時、アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が取った政策と同様に、市場原理と自己責任の導入、小さな政府による国家財政の再建を目指したのです。 しかし、NZの改革がアメリカやイギリスのやり方と違ったのは、その徹底したやり方でした。もともと、アマチュアリズムの政治形態を取るNZでは、政治家が特定団体と利権をめぐって組むことがありません。日本のように議員が子どもに地盤を引き継ぐこともありません。そのために、正しいと思ったことをそのまま国会に上程し、一気に法制化するということが可能だったのです。 ロンギ政権下で始まった経済改革は、BNZ(Bank of New Zealand)の民営化、郵便局の分割、消費税の導入、通信事業の自由化、金融の自由化、放送規制緩和、石油業規制緩和など、国営企業の民営化を進めました。当時、約7万人いた国家公務員を、一気に3万人に削減したのですから、国民の驚きようは激しいものがありました。 国営企業の民営化と言えど、その当時NZではそのような企業を買い取る力が民間企業になく、国家資産を次々に外国に売却することになりました。日本でいえば、三井住友銀行やNTTを外国資本に売り渡すようなものです。国家公務員を民間企業に移籍させたことで国家財政は身軽になりましたが、国民の間には不満が高まりました。ロンギ政権の政策は国家建て直しのためにとられたものでしたが、改革が国民の激しい痛みを伴うことだったこともあって、国民は短期的視点で「売国奴」、「首切り人」などと反発していたのです。 しかし、改革の効果はてきめんにあらわれました。詳しくは次回お話しします。 |
経済改革の立役者 デビッド ロンギ 2
経済改革のその後 経済復興への道 前回は経済危機に瀕したNZが取り組んだ経済改革についてお話ししましたが、最終回の今回は経済改革の成果と日本への教訓についてお話しします。 | ||||||
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彼は、選挙戦中は労働党の方針を批判しましたが、首相に就任するころにはロンギ政権下の経済改革の効果が出て、国家財政が急激に上向き始めました。そうなると機を見るに敏な政治家は、ロンギの方針をそのまま継続し、引き続き経済改革を進めることにしました。特に、労働者を支持基盤とする労働党政権が手をつけられなかった労働組合問題に着手します。彼の率いる国民党は新雇用契約法の導入で組合を一気に弱体化させることに成功しました。 それまでのニュージーランドは歴史的に労働組合が強力で、例えば土曜日に働いた場合は給料が2倍、日曜日は3倍という条件が強制的に適用されていました。同じ業種の労働者が組合を構成する職能別組合のもとでは経営者には自由裁量の部分が非常に少なく、これが実は企業の競争力を奪っていたのです。 新法に基づく新たな雇用関係を結んだ経営者と労働者は、自由な雇用契約に基づいた経営形態を始めます。週末営業です。今ではオークランドの目抜き通りクイーンストリートの多くの店が週末も開店していますが、ほんの10年ほど前には、週末になるとスケートボードでKロードからカスタムストリートまで一気に駆け下りることの出来るゴーストタウンとなっていたのです。 デイビッド・ロンギは石もて追われた形になりましたが、その政策の正しさは、ジム・ボルジャーが長期政権をまっとうしたことで証明されました。彼が首相を務めた1997年まで、NZ経済は成長を続けました。その後、世界初の女性首相ジェニー・シップリー、そしてヘレン・クラークと続く政権でも、この基本は引き継がれています。 国家予算は1993年以降黒字を続けています。関税撤廃、農業自由化による競争力強化など、新たな政策も功を奏し、現在のオークランドを見る限りでも景気の向上が分かります。 ひとつの例を挙げましょう。スターバックスのコーヒーは平均3ドルです。しかし、つい5年前まで、オークランドのコーヒーと言えば1ドルで飲み放題のカフェが常識でした。アメリカズ・カップ・ビレッジで食事をすると1人70ドルかかることもざらですが、そのようなレストランが週末になると予約なしでは入れない状況なのです。 経済発展は同時に、昔からの住民に対する大きなプレッシャーを生むこともあります。新たな住民であるアジアからの移民問題や貧富の差による犯罪の発生のおかげで生活しづらくなったと感じる人も多いでしょう。しかし、それは同時に多くの人々が新たなビジネスチャンスを運んでくるということでもあるのです。 人間に子供から大人に生まれ変わる時期があるとすれば、NZはまさに新たな時代に入ったといえるでしょう。子供はいつか大人にならなくてはいけないし、いったん大人になれば子供には戻れません。どれだけ昔を懐かしんだところで、それは思い出にしか過ぎないし、思い出だけで人は生きていけません。小さなゴムボートで、時代と言う大きな川の流れに乗っていくしかないのです。流れる川をどう乗り切るか、そこにこそ個人の力量が発揮されるということです。そしてそれが自己責任と呼ばれる現代なのでしょう。 経済改革を叫びながら思い切った手を打てず、いつ果てるかも知れない「痛み」を国民に強いている日本の姿を見る時、いま日本がNZに学ぶことは多いように思います。この連載は今回で終わりますが、NZの歴史に興味を持つきっかけになったとすれば幸いです。 ご愛読ありがとうございました。(おわり) | ||||||
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NZの政治 ロンギの死去に関する追加記事
第2次世界大戦後の2大政党制を支えた3人の首相 キース・ホリオーク、ノーマン・カーク、ロバート・マルドーン 今回は第2次大世界大戦後にできた2大政党制のもとで政権を担った3人の首相、キース・ホリオーク、ノーマン・カーク、ロバート・マルドーンについてのお話です。 | ||||||
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彼は1904年にパーマストン・ノース近くのパヒアツアという小さな村で生まれました。学校ではスポーツマンとして知られていて、特にラグビーが得意でした。12歳で学校を終えて農場で働き始め、一日に16時間働き、20歳になるころには、100人以上の季節労働者を監督する職長となっていました。しばらくして南島のモエカツに移り、父親と農場経営を始めた彼は、りんご、梨、煙草などの栽培を皮切りによく働き、父親の出資分を自分で買い取って、独立した経営者となりました。そのうち村の名士となり、農業団体員、ラクビー、テニス団体の役員なども務め、1931年、28歳で最年少の国会議員として当選しました。その後、1949年の総選挙で彼の属する国民党が政権を勝ち取り、ホーランドが首相、ホリオークは農業相兼副首相になりました。 彼はジョン・リーが始めた国営住宅を払い下げ、輸入制限を撤廃しました。同時に、上院の廃止も行いました。1852年に設立された上院は長く第2院として存在し、議員は首相の任命で選出されていました。しかし、ホーランドは1950年8月17日、廃止に追い込みました。 この時代はNZに共産主義が上陸した時期でもありました。1950年に港湾労働者のストライキが決行されました。これは1890年の海軍労働者、1912年の鉱山労働者のストライキと並んで、NZ労働争議史上の三大ストライキといわれています。ホーランドは治安維持法に基づき、緊急事態宣言を発令。政府が介入したことでいったん解決したかにみえましたが、1951年2月に再燃しました。この時、政府は組合本部を差し押さえ、ストライキ中の労働者に代わって軍隊が荷積みをしました。これが功を奏し、ストライキは中止され、労働者も職を失うこととなり、その後大きな労働争議はなくなりました。 ホーランドとホリオークのコンビは、1957年にホーランドが健康を害して、9月に首相を辞任するまで続きました。この8年間にNZは国際的な経済復興の先頭を進むようになり、素晴らしい功績を残しました。しかし、その70日後の総選挙で、ナッシュ率いる労働党にわずか2議席差で敗れ、ホリオーク3年間政権から遠ざかることになりました。1960年の選挙で彼は返り咲き、それ以後1972年まで4回の選挙を勝ち、長期政権を率います。 初めて首相に就任した1960年、彼はこの時56歳でした。1960年代前半のNZは、1人当りの国民所得は世界第3位になり、住宅環境、医療施設、教育、社会環境、交通施設、犯罪からの安全、自殺率、離婚率などから見た幸福度に至るまで、およそ人間の幸福に関係があると思われる社会福祉度の総合点で世界最高といわれました。彼の政治の特徴はコンセンサス重視であり、会議の結論が出るまで決断しない「待ちの政治」でした。この時代にNZは幸福を享受しすぎたのか、1970年代に入ると経済停滞が始まりました。 ホリオーク政権当時のNZの外交課題は、ベトナム戦争とイギリスのヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟です。彼はベトナムに500名の兵を送ることを決定しました。かつての宗主国イギリスがヨーロッパ諸国との結びつきを強めるにしたがって、NZは太平洋諸国との連携を深めます。NZの通貨がそれまでのポンドからドルに変わったのもこの時期でした。 彼は1972年2月、健康を害して首相と党首の座を降り、ジョン・マーシャルが首相となりました。彼はホリオーク政権下で長く副首相を務めた人物でした。さらに、大蔵大臣に就任したロバート・マルドーンが副首相を兼務することになりました。しかし同年の総選挙ではノーマン・カーク率いる労働党に55対32の大差で敗れる結果となり、10か月の短命政権に終わりました。 労働党勝利の原動力は、ひとえにノーマン・カークの個人的魅力でした。彼は12歳で学校を離れ、ペンキ職人、機関車の運転手などをしながら労働党に加盟して、30歳でカイアポイという田舎町の市長に選ばれました。その4年後には国会議員に、1965年には労働党党首となり、1972年12月に首相の座を射止めた後、1974年8月、心臓発作で亡くなるまで務めました。 結局在職20か月で病に倒れはしたものの、彼はNZ外交に大きな進展をもたらしました。まずベトナムからの撤退。次いで中国の承認、南アフリカのラグビーチーム「Springbok」のNZ訪問許可取り消し、フランスの水爆実験に対する抗議などです。特に水爆実験に関しては1973年6月末、コールマン移住相を海軍軍艦オタゴに乗せ、ムルロワ環礁の実験水域に派遣して抗議しました。この抗議をうけ、フランスは核実験を地上での実験から地下実験に切り替えました。 カーク首相の死去後、政権はウォレス・ローリングが引き継ぎましたが、彼は1975年の総選挙で55対32で大敗し、かわってロバート・マルドーンが首相に就任します。彼は1984年まで9年間首相を務めましたが、彼の時代はそれまでの繁栄の陰でたまったうみが一気に噴出したような時代であり、経済改革が必要とされた時代でした。1960年代にはインフレは年率2%でしたが、1970年代中期からは2桁台になり、失業率も10%近くになり、財政赤字が国家予算の2割以上に達し、対外累計債務も140億ドルといったどん底の時代でした。 彼はこの状況を脱却するために、「Think Big」計画を打ち出しました。エネルギー開発計画を中心とする大規模工業計画を推進し、国民に「大きな事を考えよう」と訴えるスローガンです。北島西部のタラナキに合成ガソリン工場とメタノール工場を、マースデン・ポイントには石油精製工場を、南島チワイ・ポイントにはアルミ精錬工場などを建設しました。 1983年には、オーストラリアとの間に経済貿易緊密化協定(The Australia New Zealand Closer Economic Relations Trade Agreement、CER)を締結しました。これは両国間の自由貿易協定です。結果として両国のどちらかが強い産業が生き残り、お互いの得意分野を伸ばすことになりましたが、ほとんどの場合、市場規模の違いによりNZに輸入に回ることとなりました。 | ||||||
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2005年08月14日
靖国問題 テレビの力と政治
靖国問題。テレビの力と政治の考え方 私案
テレビの力は凄いものがあると感じた。
ある自民党有力議員がテレビ番組で司会の質問に対して「靖国参拝をするべき。(他国は)内政干渉をするな」との返答をしていた。賛成派の一般的な回答である。
しかし、その語調に直感的に嘘を感じた。本人が真実を知っていながら嘘を言う時は、かならず一瞬の百分の一の「躊躇い」があるものだ。この議員は、靖国問題の本当の背景を理解していた。だから躊躇いが画面を通じて出てきたのだ。テレビにはそんな力がある。
靖国問題自体は既に様々な視点から議論されているが、一つだけはっきりしないのは、小泉首相の本音であった。建前の議論は十分承知しているが、本音が見えなかった。それが、やっとテレビの力を通じて見えた気がした。
ではその嘘とは一体何か?実は靖国問題は、「外国による日本への内政干渉」ではなく、米国と中国の外交問題に対する「日本による中国への内政干渉」であるという事である。
政治では、表面的な問題と実際の問題点が別であるというのは、よくある事だ。今回も
その本音は、実は日米関係にあると思う。元々米国の一部として活動してきた日本は、最近の米国の、米中直接頭越し外交に対して危機感を募らせている。今、米中が協力関係を構築してしまうと、日本の存在価値が希薄化する。これは国力の弱体化につながる。
そして中国としては、アジア連盟の盟主になりたいという意識を常に持っており、アジアにおけるナンバー2?としての日本の実力は十分承知しているから、米中を基軸にしておいて、そこに日本をアジア側として自分の陣営に取り込もうとしている。つまり米国側から切り離して、自分の子分にしたのだ。
そこで飴(日本の企業受け入れ、技術移転、経済協力)と鞭(戦争責任、南京虐殺、)を使い分けながら、僕と仲良くすれば鞭は使わないし、もっと飴もあげるよと言ってる。
だから日本としては、米中がつながってしまい、それのおこぼれ的な立場に日本を追い込まないために、中国が日本と組みたくても組めないような作戦に出た。それが靖国である。
靖国問題がある限り、反日教育を植え付けられた中国人民は日本に対して怒りを持ち、そんな国と中国政府が手を組む事は決して認めない。1970年代であれば、政府に逆らう奴は殺せば良かったが、国際社会でトップの座を狙う中国としては、今そんな人権問題は起こせない。必然的に中国が日本と組む事は出来ない。
つまり米中+日本という構想は、靖国という越えられない川がある限り、作れないのだ。
同時に日本も、戦前からアジアの盟主になりたいという夢を持っている。その為の五国協栄、大東亜連盟と謳っていたのだ。しかし、今の日本は失われた10年と国家再構築をやっている最中で、こちらから中国に仕掛けていく体力もない。
なので、まずは中国と経済的に密接な関係になり、技術の日本、労働力の中国という、住み分けを明確にした上で、少なくとも対等、出来れば優位に立った状態で交渉に臨みたいのであろう。
いずれは組みたい中国だが、今相手の要求を受け入れる形で組み始めると、なし崩し的に中国の望む形での大東亜連盟になってしまい、日本が主権を取れない。
もうちょっと体力がつくまで、靖国という防衛手段を使っていこう。少なくとも互角に立てるという自信と体力がつけまでは、靖国で突っぱねよう。何せ靖国カードは、自国に経済的、政治的な痛みを与えない、片刃の剣なのだから。
逆に言えば、日本が靖国カードを使って中国に対して反対要求を突きつける時は、日本が戦う準備が出来た時だろう。「分りました。靖国を分祇します。でも中国も大東亜連盟の為に、相応の妥協をお願いしますよ」と。
教科書問題、戦争責任、靖国問題、反日デモ、と、今年になって仕掛けてきた中国の作戦は次々と失敗に終わった。
扶桑社の教科書を読みもしないで、恫喝だけでねじ込もうとした中国に対して、日本外交は是々非々を明確にして対応して、杉並区に扶桑社教科書の採用を決定させた。靖国は「内政干渉」として切り返した。反日デモに至っては、日本が本格的に中国を叩く前に、諸外国の笑い者になったしまった。
今年は中国の拙速な外交が失敗した年である。外務相の対中国交渉の流れを見ると、これが国連問題と同じ相かと思うほどである。よほど担当者のレベルが違うのであろう。日本の企業でも、担当者によって仕事の出来が違うのと同じだ。
日本は、今回は守りぬけた。しかし、いつまでも守りでは、いつか負ける時が来る。今回の総選挙で小泉が勝ち抜き、国家の長期戦略を明確にして日本外交が積極的に中国へ攻勢に出る事を期待する。
2005年08月13日
ホテルルワンダ 是非とも観てください。そして、訴えてください。
かなり感情的になった。日本に行く機内で偶然観た映画だ。日本では未公開らしい。それも、利益が出ないからという理由で。これだけの映画で利益を出せないのは、配給側の能力不足ではないかと言いたい。
1994年に起こったルワンダの内戦で100万人以上の無辜の人々が虐殺された。それもただ、ツチ族だというだけで。
1994年春、フツ族と言うグループとツチ族の内戦は一旦国連によって調停されようとしていた矢先に、フツ族出身の大統領が暗殺され、それを契機ととしてフツ族が掌握している地域では、ツチ族の虐殺が始まった。ある日突然、今までの隣人が道路に引きずり出されて、その場で殴り殺されるのだ。
機内で「ホテルルワンダ」という映画を観ました。1994年にアフリカのルワンダで起こった100万人の虐殺をテーマにして、国家間の冷酷さ、人種差別の深さ、そして理不尽なまでの現実の中で、自分に出来る限りの形で、愛する人や家族を守り通すと言う映画でした。
観てて、涙が出た。暗くした飛行機の中で目をこすりながら、それでも、観た。
世の中を良くしようとしても、所詮現実世界の中では限界がある。理想があっても、今、目の前で生き延びる為には、個人の力量しかない。一番哀しかった事は、その映画が世の中で一番理不尽な事をやってるアメリカで作られたという事です。
アメリカ人は、まず殺す。そして自分の安全を守った後に、殺された人々を映画に残して、贖罪する。そして言う、自分達は悪かった、もうしないと。でも、彼らはまた同じ事をする。イラクで人を殺しておいて「あ、大量破壊兵器はなかったんだね」と言う。
鯨問題も同じで、自分達が必要なら、まず殺す。そして電気が発明されて不要になった鯨は、今度は可愛いから殺すなという。すべて自分のわがままな理屈だけで生きている西洋人とは、一体何物だろう?
結局世の中を変える事は出来ないし、今目の前で起こっている現実に対応するには、個人の力しかない。自分の力をつける、危ない場所には行かない、もし今いるところが危なくなれば逃げるだけの余裕を持つ、逃げられない時は、徹底的に戦う、そして戦う為の体力と能力は、常に磨いておく。
人間らしく生き残る為には、非人間的な暴力や戦いも時には必要だというのは、辛いですが事実ですね。今の日本の平和ボケの人々には、世界の現実を知ってもらいたいですね。
ATTACK! 邦題:攻撃
「ATTACK!(邦題:攻撃)」
1958年アメリカ・モノクロ
主演:ジャック・パランス、リー・マービン
第二次世界大戦末期のドイツに侵攻したアメリカ軍中隊の戦いと、上官と部下の争いを描く、クラシック洋画。
アメリカが世界の現実に対して無知でいられた、自分が正しいと信じ込めた、最後の古き良き時代に作られている。
ジャックパランス演じるジョー中尉は、勇敢で部下思いだが、統率力も決断力もない、見栄っ張りの上司である大尉と事ある度に衝突し、遂にはそれが戦いの場にまで持ち込まれ、中隊は全滅の危機に晒される。
その時に主人公が取った行動とは?
ロバートアルドリッチ監督の傑作である。
ドイツの戦車が調達出来ずに、バルジ大作戦のような妙なドイツ戦車が出てきたりするが、M1ガーランドライフルやトミーガンは、あの時代の象徴であるし、実際に戦争を経験したメンバーで映画を作っているので時代考証もしっかりしている。
金儲けとCG活用しか考えない現在のハリウッドでは、もう作れない映画だろう。とにかくジャック・パランスの鬼気迫る容貌は、それだけでも一見の価値がある。但し女性や、戦争に興味がない人が観ても面白くはないだろう。
tom文庫にあります。
日本沈没をしのぐ傑作? ハイドウナン 藤崎慎吾 早川書房
2005年8月10日読了。
SFと言えば早川書房。そして小松左京の日本沈没をしのぐ傑作という事で、新宿の紀伊国屋で速攻買った。
結果、期待度が高すぎた分だけ、読み疲れた。
SF少年の僕としては、まるで科学小説を読んでいるようで、面白くない。SFとは、サイエンスフィクション又はスペキュレーションファンタジーであると考えている僕には、フィクションやファンタジーが科学に優先していないと、苦手。
小松左京を引き合いに出す案を誰が思いついたか知らないが、日本沈没の方がSF作品としてはずっと優秀だ。日本アパッチ族なんて、難しい理論なしで人間が鉄を食ってるし、食わせるだけの文章力がある。
竹に木を継ぐような、それくらいのSF根性が欲しかった。難点としては、アクションシーンの書き込みが描写力少ない。久米島を沈めるのなら、もっと書く事があるでしょうに。
そして全体のストーリーに蓋然性が見えない。木星がどう関連するかという点の、読者をして「う〜ん、なるほど、そう来たか!」というびっくりがない。
だからと言って作品自体が失格ではなく、十分読み応えはあるから、決して文句ではない事は、最後に言っておきたい。
あまり書くとネタばれになるので、後はtom文庫で、どうぞ。
勝手な評価は、6点満点の3。3点は標準です。B級で文章力が弱いけど、読書には耐えられる。
2005年08月12日
信用を失う大量仕入?
昨日、レストラン部門のマネージャーがかなり怒りながら報告してきた。
「魚の仕入先を先月一箇所に集中させたら、そのお店から<金を早く払え、でないと明日から取引中止するぞ>って言われてさ、これって何?うちが嫌われてんの!?大体さ、今までも仕入れた分は全額期日までに払ってるし、滞納だって一度もないし、もう2年以上の取引があるとこだよ!私かなり怒ってるんだけど!てゆ〜か、こっちが仕入を増やしたんだから、有難う御座いますって、菓子折りの一つでも持ってくるのが普通じゃない?どーいう事?!」
僕がこの話を聞いて最初に思った事は「お、これはNZルールの問題にぶつかったな」って事。
仕入を増やしてお礼を言われるだろうという発想は「仕入れたお金をちゃんと払う」という事が大前提だ。あまりに大前提過ぎて、普通の日本人は認識していないけど、実は日本という社会は、「買った物のお金はちゃんと払う」という事が、社会全体の暗黙的合意として存在しているのだ。
でもNZでは、急に仕入が増えるという事は、取り込み詐欺ではないかと、まず疑う。会社を潰す前に、信用力(Credit枠)を目一杯使って大量仕入して、代金を払わずに会社を倒産させてしまうという考え方がある。
この考え方は、1990年代後半にアジア人、特に韓国や中国からのビジネスを扱うようになって顕著になった。
韓国の通貨危機前に増加した韓国からの団体ツアーでは、送客しておいて金を払わずに会社を倒産させる手法が目立ち、多くのキーウィが損失を蒙った。2000年代になると、中国の会社も同じ手法で、最初にきっちりと現金を払い、信用力をつけて後払いになると急激に取引を増やし、ある日突然事務所ごと逃げるのである。
NZの株式会社は有限責任であり、個人が債務保証をする必要がない。そして会社を計画倒産させた人間が翌日、別の株式会社を設立する事が出来るので、会社を利用した悪事が働けるのだ。
そんな事を知らない日本人は、仕入れたものはきっちりと払い、例え会社が赤字でも「自分個人の責任だから」と、自腹を切ってもしっかり払う。
よく言えば、それが日本人としてNZ社会で評価されている理由の一つだが、ビジネスの場ではそれがそのまま通用するわけではない。
魚屋も今までアジア人と取引をして痛い目に遭ったのであろう。
仕入れた金をすぐ払えという姿勢には、相手側の経理担当者が取引先をきちんと把握していないという点もあるし、もっと言えば魚屋のビジネスを拡大させるよりも、自分が責任を取らなくて良いように、自分の担当である売掛回収をしっかりしようという点もあると思う。
担当者としては正解だろう。部分の無謬だが、ビジネス全体としては誤謬である。しかしまあ、これは相手側の商売の話であり、当方の話ではない。
当方としては、こんなちっちゃい、利害に大きな影響の出ない問題を通じて、レストランマネージャーがNZ式の商売姿勢をしっかり体験、学んでもらったという点が大きな利点だ。
良い勉強になった。