2005年11月

2005年11月30日

赤のれん六本木店

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やった!やりました!僕が18歳の頃から食べていた味だ。東京に行く度に前から気になって、絶対に行かなくてはと思ってた店。

 

場所は六本木の外れで、誰もがそこでビジネスをやると失敗すると言われていた通称「元取り通り」の一階に15年前からラーメンを売っているその店は、一見博多箱崎の本店とは違って入口がずいぶんお洒落なのだが、まずは入って見てなるほどと思った。

 

入ってすぐキャッシャーとカウンターがあり、左側にテーブル席2〜3というこじんまりした作りだ。厨房はカウンターの中のオープンスタイルで、頑固そうな親父さんが中国人のお兄ちゃんに麺を打たせ、フロアの、これも中国のお姉ちゃんにサービスをさせてた。

 

いつも思うのだが、中国人がきちんと日本のサービスを憶えた場合、同じ年の日本人より確実に手が早い。麺の水切りも、何故必要かが分ればちゃんと仕事するし、お客の並んでいる時にキャッシャー、テーブル拭き、料理出し、どれに優先順位があるか、きちんと分っている。これは、雇う方のきちんとした姿勢が伝わっているからだろう。

 

さてメニュー。基本は博多豚骨だが、やはり色々と東京風に改造されている。煮玉子は東京名物ではあっても、豚骨ラーメンのデフォルトではない。それと紅しょうがの色が違う。博多であれば、着色料がどばば!と入った、鮮やか過ぎるほどのしょうがだが、ここのはまるで寿司屋のガリだ。どっちが美味しいかは別として、改造されているのは間違いない。

 

取り合えずカウンターに座って注文をする。当然固めのネギなし、tomのデフォルトである。これで20年間赤のれんに通ってるのだ。ここで煮卵やチャーシューを注文する気には、ならない。ラーメン一杯で720円。20年前は300円だった気がする。しかし六本木なら妥当な値段かなと思う。

 

待つこと5分、博多ラーメンは細麺なので、出来上がりが早い。出てきた丼を見た瞬間、びっくりした。「これ、赤のれんやん!」そう、ホンモンなのである。真っ白で臭みのない、まるで牛乳の香のような乳濁色のスープがそこにある!

 

麺。きちんと固めに出来上がっている。水切りもしっかりしているので、スープを薄める事がない。いつも水切りの下手な醤油ラーメンを食べていると、スープが薄まった時のまずさは理解出来ないだろう。

 

僕はきくらげのこりこりした食感と麺を一緒に食べる時の、口の中の硬さのハーモニーが好きだ。薄い焼き豚は、麺と一緒にかき込めるのが大事ですな。

 

最初は胡椒なしで、スープを楽しむ。実に芳醇な香と、がっちりした味。それでいてくどくない。浅い丼は、実は替え玉用に合う作りだ。さらっと1玉食べて、すぐに替え玉を注文出来る。但しスープがおいしくて、つい飲んでしまうと替え玉不能。追加で一杯注文する必要がある。

 

僕は替え玉はしない方なので、半分ほど麺を食べてスープも飲む。それから胡椒やゴマを入れて、すこし味を変えてみる。胡椒が口に心地よい刺激を与え、そこにゴマの香りが鼻をくすぐり、これもいける。

 

結局10分で完食。いや〜、実にうまかった。その夜インターネットでこの店を調べてみると、東京人にも、それほど評価も悪くない。東京でも広く受け入れられた味なのだろう。次は一風堂やね

 

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tom_eastwind at 14:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月29日

永福町大勝軒

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この店の売上はすごい。一日680杯のラーメンを店内用に作り、お土産用を含めると1100杯(一杯が1050円のラーメンだ!)売れているので、年商3億円という事だ。

 

醤油味で、メニューはラーメンのみ。バケツみたいな丼に、普通のラーメンの2杯分の中太麺が出てくる。レンゲがでかくて、しっかりと麺をすくいあげてくれる。

 

ガイドブックやラーメン本に必ず出てくるこの店、永福町のお客様を訪問する度に見かけていたが、今回やっと時間が取れて食べる事が出来た。

 

狭い入口の引き戸を開けると、正面から右側にかけてはL字型のカウンターになっていて左側はテーブル席が申し訳なさそうに置いてある。カウンターの内側は透明な板で仕切られており、まるで工場のような厨房が見える。

 

たまたま座ろうとした正面のカウンター席に雑誌が載せてあったのでどけようとすると、その左隣にいた作業着姿の兄ちゃんがにこっと笑って「すいません、ここいるんです」ほ〜、OK,じゃあってんで右側にいるサラリーマンおじさんの横に席を確保した僕は、普通のラーメンを注文して、テーブル周りをぐるっと見回した。

 

隣の席を見ると、バケツサイズの丼に入った醤油ラーメン。1955年の開業以来、いつも味を少しずつ変えながら、お客様に飽きられないように努力しているという姿勢や、ラーメンだけでなく、お客様がお店の外で並ぶ時には、日傘や雨傘を用意、まだ冷蔵庫が家庭に普及していなかった時代に、氷水でお客を喜ばせるなど、様々な工夫を凝らして現在に至る。当初は出前の売上もお店の半分くらいを支えていたが、味の低下の問題があってやめた。

 

そんなお店の歴史を取材した地元ラーメン新聞の記事を読んでいたら、左隣に凄い兄ちゃんが戻って来た!よく肥った巨体は、肩から耳たぶまで刺青だらけ。トイレから戻って来た彼は、「ええ、そうですね〜」等と、声だけ聞いたら普通のサラリーマンみたいな声を出していたが、巨漢の迫力は半端ではない。

 

まあいいや、記事を読みつづけると、この店ではトイレをお客に貸さないらしい。どうも親の代からの言い伝えみたいで・・・あれ〜?隣の兄ちゃん、今トイレから戻ってきたぞ?

 

そうなるとついつい悪い癖が出てくるのが、僕のひねくれ者の証拠。ラーメンが来るまでの間、いろんな筋書き意地悪く考えてみた。

 

その1:バケツサイズの丼に入った醤油ラーメン=とりあえず量でごまかしですか?

 

その2:1955年の開業=つまり、醤油に鶏がらスープをぶっかけたラーメンを出していたという事ね。

 

その3:いつも味を少しずつ変えながら、お客様に飽きられないように努力している=独自の味を出す創作ラーメンというより、何を出してよいか分らないから味を変えるという、捜索ラーメンですな。

 

その4:お客様がお店の外で並ぶ時には、日傘や雨傘を用意=う〜ん、並んで欲しかったのだね〜、よく分る。

 

その5:まだ冷蔵庫が家庭に普及していなかった時代に、氷水でお客を喜ばせるなど=そりゃ、味で勝負できなきゃ仕方ないわな。

 

その6:出前を止めた=それって、普通に考えて当然じゃない?少なくとも元祖長浜は出前なんて味の落ちるサービス、最初から夢にも思わなかっただろうね。

 

さて、待つこと10分、ラーメンが来ました!待ってる間にも近くのテーブル席の4人家族が「おいしいね〜このラーメン」とか、東京弁で話してる。隣の巨漢も、ケータイ片手に、おいしそうにチャーシュー麺をがつがつと食ってる。

 

もしかして、僕の考えって、ひねくれ妄想?もしかしたら本当はおいしいの?そう思いながら、僕の前に出てきたラーメンを、しっかりと上部から見つめた。

 

まずは麺。何故か麺の腰や固さだけは、麺の外側1ミリ程度のとこの色と、内側の色の変化を見れば、ある程度判断が出来る。出てきた中太麺は、茹で釜に入ってる時間が長すぎなのと、釜から取り上げる時の水切り不足とが重なって、外側が余分に水を吸っている。麺が多すぎるのが一番の原因だろう。

 

次はスープ。魚だしを使っているが、芸がない。ただ魚がいて候。それだけの味。深みも隠し味も感じさせない、べたーっとした軽い醤油味だ。最後まで食べさせる為にスープに油を含ませて油膜で熱が逃げるのを防いでいると言うが、その油は単に熱いだけ。

 

具は愚なり。でろりんと麺の上に広がった焼豚は普通にパサパサで味がなく、歯の間に突っかかる。メンマは、おいしいと言うが何を自慢したいのかよく分らない。これでメンマだけ別売りをするのは良い度胸。東京の人は可哀想としか言いようがない。

 

その後、何とか空腹のお腹に半分だけ麺を突っ込んで、降伏。いやいや、参りました。東京人って、みんなよく汗をかいて働いて、疲れた体に塩気を補給する為に、醤油ラーメンを食う習慣が出来たのでしょう。

 

おいしいものを食べるという習慣がなかった労働者は、まずは腹を満腹にさせて塩気を補給するという視点から、こんなラーメンを作ったんでしょうね。その意味ではすごい発想だと思う。味を捨ててでも量に拘るという姿勢は、神がかりですね。

 

いやいや、一食損をした気分。人生は時間限定されているのに、その内の一回をもろに無駄にした気分でした。

 

こんな書き方をしましたが、東京の人がこのラーメンをこれからも愛しつづけるのは否定しません。大勝軒は東京だから育ったラーメンだし、これを美味しいと思うのは大阪の神座(かむくら=3度食べたらおいしさを理解出来ると言われてる、一回では絶対に美味しいと思えないラーメンもどき)をおいしいと思う大阪人の気持ちと同じ。

 

好きなものは好き。それで良いと思う。但し、だからと言っておいしいとなると、これはやはり、ある程度客観的な基準をベースに考えたほうが良いのでは?勿論誉める所ありますよ。テーブルが綺麗とかドアがちゃんと開いたとか、お釣りを間違えなかったとか、それは立派だ。

 

何はともあれ、ご当地名物を食べました。香港の水上レストラン並に、おいしくねーけど(おっと失礼、おいしいと思う人には美味しい)一回はモノの試しで食わないと、話のネタにならないという食い物ですから、誰でも一度は行く事をお勧めします。

 

いや〜、名物に美味しいものなしとは、よく言ったものです。

 

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tom_eastwind at 13:47|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月28日

東京名物数あれど

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バブル時代以前から東京に存在する、所謂「東京の不味いもの」の一つに上げられるのが、当時から「支那そば、中華そば」と言われていた「ラーメン」であろう。

 

1970年代に東京に出張に行くと、とにかくラーメンを食いたくて店を回るのだが、どこもまずい。麺には腰がなくべちゃべちゃ(これは茹で釜に一気に大量の麺を入れて温度が下がる為)、スープは生醤油をお湯と化学調味料で薄めたのみ。あんまりひどいので仕方なくうどんを食べてみると、これまたどす黒い醤油の中にぐちゃぐちゃの冷凍麺が浮かんでいるような「黒うどん」な東京だった。うどんの間からそばが出てくるのは、愛嬌である。実は今でも新橋駅のガード下には、当時のままのうどん店が、当時のままの味で存在している。ある意味奇蹟か?存在価値は無いけど希少価値はあるという事だろう。

 

問:何故東京にレストランガイドブックがあるか?

答:普通の店は、どこもまずくて食えないから。

 

こんなお笑いが聞こえてくるような東京だったが、バブル後唯一の「正の遺産」が食事の変化だった。昭和50年代までひたすら日本国家の発展を背負って、まともなものも食わずに走りつづけていた東京に、昭和60年代のバブルで世界中の美味しいものが集まってきた。フレンチのツールジャルダン、中華の福臨門、関西の名門和食店等が続々と出現し、東京の食はそれまでの様相を一変させた。

 

その陰で、豚骨ラーメンも、バブル時期に東京で成長を開始した。博多の豚骨ラーメン「なんでんかんでん」が環七に劇的デビューをしたのは1987年だ。東京人には最初は豚骨の臭いが耐えられず閑古鳥が鳴いていたが、店長の努力で売上を伸ばしていくと次第に口コミで人気が出て、今でも東京の伝説的な一軒に成長した。

 

バブルが弾けると同時に高級フレンチは潮を引くように衰退していったが、東京人と言えど一度憶えた美味しい味は忘れられない。美味しいものを知った東京人は、安くておいしくてボリュームのあるイタリアンに走った。

 

同時に、不況を背景に、安くて美味しいラーメン文化も急激に発達した。「なんでんかんでん」を突破口に、遂に東京で豚骨ラーメン文化が開花したのだ。それはさらに豚骨醤油に進化して、ダブルスープという、肉と魚だしを混合したスープにたどり着いたのだ。

 

細麺、太麺、ちじれ麺、固め、ばり固、煮卵など、ラーメン一杯でも様々な選択方法が出てきた。これは、昔から単一メニュー「シナそば、中華そば」を食べていた人々からすれば、意味不明な世界であろう。まるでインベーダーゲーム世代がPSコントローラーを見てお手上げになるようなものだ。

 

ここで「なんでんかんでん」が最高のラーメン屋と評価する積りはない。食べてもいないのに評価も出来ないし、出張の合間にわざわざタクシーに乗っていかなくても、歩いていける範囲内にたくさんラーメン屋があるからだ。

 

今、東京の食べ物は随分おいしくなった。僕がよく食べるものねたを書くのは、食べる事が好きなだけではない。食べ物を通じて時代の変化や人々の変化を感じられるからだ。もっといろんなお店を取り上げてみたい。でも今回の出張食は、テーマをラーメンに絞ったので、しばらくはラーメンネタでいきます。



tom_eastwind at 13:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月27日

羽田空港と新幹線

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昔から新幹線と国内線の離発着基地として利用されている東京駅と羽田空港は、どちらも日本の首都、東京という地区への関所みたいなところだ。

 

濡れカラスのような黒いどさっとしたコートにねずみ色のしわくちゃスーツを着たおじいちゃん達。どう見ても地方の町議会議員か自治体のお役人と言った風体の彼らは、長年使い古したクラリーノのビニールカバンを小脇に、仕事が終わって新幹線が出るまでの一時を東京駅八重洲口地下のカフェやレストランで、煙突のようにタバコをくゆらせながら赤い顔でビールを飲んでます。おつまみは、やっぱり枝豆セットなんですね〜。今日の議員陳情はうまくいきましたか、おじいちゃん達?

 

羽田空港でも同じように出張前のサラリーマンが殆どが、これはちょっと垢抜けてて、コートも茶系のブランドもの、手荷物はTUMIのバッグと、これから地方出張と言ういでたちの人が目立つ。

 

新幹線がダサくて飛行機が垢抜けという訳でもなかろうが、東京駅八重洲口地下のレストラン街は、見かけから内容まで、実にレトロである。一番面白いのは、自分がレトロになっている事を気付かないレストランオーナーなのであろう。

 

羽田空港は国際線も飛ばすようになり、ターミナルも増設して、空港なのにKihachiのような本格的なレストランを誘致したりと、近代化に励んでいる。最近ではチケットレスも発達して、随分便利になったものだ。

 

両者の共通点は、いわゆる六本木や麻布のような、東京人の生活のための街、ではないという事だ。

 

1970年代、チューリップやかぐや姫、長淵つよし、矢沢永吉等、皆夜行列車に乗って東京駅に着いて、スモッグで薄汚れた空を見上げながら、絶対にビッグになってやるんだと誓った。つまり東京駅は、上京する人にとっての関所なのだ。ここをくぐって、日本の中心に飛び出て、誰よりも強くあろうとした人々の、登竜門だったのだ。

 

時代は変わり、今では九州や北海道などの遠方からは、飛行機が主流となった。しかし近郊ではスピードの速くなった新幹線を利用している。その新幹線も、全く新しい品川駅が出来てから、雰囲気が変わった。品川駅に歴史はないのだ。

 

 

日本は最初から綺麗で近代化されてて、汚い匂いもしないし、雨に濡れながら新幹線を待つ事もなく、そこで働く人々は、最初から「匂いのない、近代的な品川駅」しか知らない。

 

過去に多くの人を乗せて走った新幹線。国際歴史の舞台であった羽田空港。どちらもその様相を変化させ、時代に適合しようとしている。「古い」歴史は、「今の」人にとっては忘れられて消えさられていくものなのだろう。

 

品川駅と新羽田ターミナル。どちらもこれからの東京の発展を暗示するような気がした。



tom_eastwind at 11:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月26日

鉄板焼

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今から10年位前の香港での話。香港には日系スーパーのイオン吉之島(ジャスコ)がある。吉之島と書いて「カッチートー」と発音する。そこには当然日本のインスタントラーメンや高級野菜が並ぶのだが、地下はフードホールになっている。

 

そのホールには色んなお店が並んでおり、日本式の鉄板焼店も人気がある。鉄板焼と言っても何の事はない、お好み焼屋みたいな鉄板の上で料理した肉や野菜を、更にお客用のちっちゃな鉄板の上に乗せて、ジュージュー言わせながらお客に出すだけなのだ。

 

しかし場所はフードホール。鉄砲玉みたいなちっちゃな子供が走り回っている中を、真っ赤に焼かれた、脂が飛び散ってる鉄板を、不安定な木製のトレイに乗せて何とか空いているテーブルを探すのだから、危険極まりない。まあ今まで事故はないようだ。てゆ〜か、多分事故っても新聞に載らないだけなのかもしれない。

 

そんな、日本で考えたら信じられないような危険と隣り合わせの日常風景で、更に面白い事があった。

 

昼過ぎでやっと忙しさが終わりかけた頃の事だ。多くのテーブルには食べ残した食器が散乱しており、片付けが出来てない。そんな時に小さなバックパックを背中に担いだ若いお兄ちゃんが鉄板焼を注文した。

 

牛肉と野菜セットにご飯付きで45香港ドル(約750円)である。お値段的には高級の部類に入る。

 

すると鉄板の後ろで汗をかいてたアルバイトの鉄板焼兄ちゃんが、かなり忙しかったのであろう、ぶすっとしたままいきなり無言で、鉄板の上で温めてた野菜に牛肉の細切れを放り込んで、牛肉入りの野菜炒めを作ったのだ。

 

そうして焼きあがった野菜炒めを、たまたま皿洗いが間に合わず鉄板がなかったので、発泡スチロールのお皿にどさっと乗せて、「はい、どうぞ!」とやった。

 

バックパックの兄ちゃんは当然文句を言う。

「こらこら、俺は牛肉と野菜セットを注文したのに、これは野菜炒めではないか!」

アルバイト君も負けてない。

「食べちゃえば同じだろうが!多めにしといたんだから、喜べ!」

 

普通の日本人ならこの辺で切れるか帰るのだろうが、この兄ちゃん忍耐力があった。

「ならば牛肉と野菜は別に出るはずだ。これは手抜きだから値段を安くしろ、そうでなければ俺はお前のボスに文句を言うぞ」

 

う〜む、脅しであるが、利に叶っている。ここで普通ならアルバイトシェフもごめんなさいというところだろうが、こんな場合にお店がお金を返す事は香港ではあり得ないし、そうなると自腹という事になるから、

「うちの鉄板焼は、野菜と肉を一緒に焼くんだ、嫌なら食うな。しかし料理は作ったんだから金は返さん!」といいのけた。

 

いやいや、日頃香港人とビジネス交渉してて、そのしぶとさに辟易している僕からすれば、楽しいバトルだ。

 

結局は「持ってる者の勝ち」であるから、バッパー兄ちゃんは、金を返してもらえずに飯も食えないとなると、それこそ「噴飯もの」なので、次の交渉に入った。

 

「よし分った。では料理はこれで良いとしよう。しかし鉄板がついてないぞ。これはどういうことだ。これは鉄板焼なのに鉄板がなければ、単なる<焼>ではないか。俺は<焼>は注文していないから、これはお前の作り間違いだ。そんなものに金を払うわけにはいかん」

 

するとシェフ。有無を言わさずにカウンターの外に出た!よっしゃ喧嘩だ!そう期待した僕をよそに、シェフは何と!とんでもない行動に出た。

 

シェフはいきなり近くのテーブルまで走り、そこに置いてあった食べ残しの鉄板皿を取り上げて、キッチンに戻ってすかさず洗い始めたのだ!

 

10秒ほどで洗い終わるなり(香港式皿洗いは洗濯からリンスまでが異常に短く、脂汚れをすべて落とすという発想はない)、発砲スチロールのお皿に盛ってあった、そろそろ冷え切り始めた野菜炒めを、どかっと鉄板皿に移したのだ!

 

「ほい、鉄板焼出来上がり!もってけ!」そう言うなり、シェフは嫌なものを見たように顔をそらして、次のお客の注文を取り始めた。

 

すると不思議な事に、バッパーのお兄ちゃんは自分の要求が通ったと考えたのだろう、満足そうな顔でテーブルに座って、片手には漫画さえ持って、冷えた料理を冷えた鉄板の上でおいしそうに食べ始めたのだ。

 

結局これをどう理解するか?お互いに相手に言い負けてたまるかという点のみが重視され、本来の意味である料理をどうおいしく食べるかという当初の論点や観点が、次第にお互いの主張をどう通すかという「面子論」に変化したのであろう。

 

このあたりが日本人には理解しがたい点であるが、確かに香港人や中国人は面子を大事にする。日本人だって面子を大事にするという人もいるだろう。しかし同じ「面子が大事」という言葉を使っても、その意味するところは大きく違うという点に気付いて欲しい。

 

「面子が大事」というのは実に抽象的な言葉であり、だから同じ言葉を発していても温度差が違うのだ。だから本来なら議論の際にはこのような抽象的な言葉は出来るだけ省いて、数値化する事が(それこそ)大事である。

 

鉄板焼のケースで言えば、面子の為に自分の命を含めた、何を賭けられるかだろう。金か?命か?仕事か?生活か?

 

客は、例え料理がまずくても、自分の主張を通したから、相手に妥協させた精神的な満足感が、冷えた料理でも「うまい、勝利の肉だ」と思わせたのだろう。

 

シェフからすれば、相手の要求を完全にはねのける事が出来ず、少しは悔しい思いをしたのだろう、最後には目をそらしてしまった。バッパー君の判定勝ちといったところか。

 

どうでもいいけど、もっと本質的なところを大事にしようぜ。冷えた料理は体に悪いよ、ね、お兄ちゃんたち。

 

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tom_eastwind at 02:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月25日

か、かけない

やばし!出張がたてこんで、ブログ書く時間なし。

一応いろんな事をメモッているのですが、書き込むまでに至らず。数日中にまとめてUPしますね。

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tom_eastwind at 07:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年11月22日

宮崎アニメーションとディズニー

オークランドから香港まで10時間、更に香港で乗り換えて成田へ向かう。機内での楽しみは、やっぱり映画だ。今回は「Island」、「Stealth」、「Dark Water」の3本を観た。

ステルスは米国空軍の最新型戦闘機とAI(人工知能)のお話。DarkWaterは日本のホラー映画のリメイク版だ。

 

アイランドは昔のチャールトンヘストンが主演した「Soilent Green」を想起させる筋書きで、テーマはテーマは「不死」である。

 

人工増殖された人間細胞が、何時の間にか人の気持ちを持つという筋書き。そこに今風のテーマの人体臓器売買を付け加えている。映画はアクションあり、女性あり、何でもありの賑やかさだ。

 

結構筋書きは面白いのだが、折角このテーマなら、もっと掘り起こして「人間って、一体何だろう?」というテーマに持っていけば良いのにと思った。で

 

物質万能主義の西洋人に、肉体が滅びても存在する魂の話とか、だから肉体や物質よりも精神の方が大事なんだよというメッセージ性は思いつかないのか、書けないのだろう。

 

ここで思い出したのが、日本のアニメトップに立つ「宮崎先生」の言葉。「ディズニー作品は、観客の入口と観客の出口の高さが同じ。僕のアニメは、入口は広くて低いけど、出口は高い」と言ってた、その言葉だ。

 

映画を娯楽として観るか、誰かの意思や主張伝達の手段として観るかで、その判断は変わると思う。しかし幸運な事に、僕ら日本人は、映画を意思伝達として理解出来る素地がある。

 

これと比較して、西洋人は映画を娯楽と割り切っている。だから、低脳はひたすら笑う為に映画を観て、何も学ぶ事がなく、愚にもつかないその場しのぎの娯楽を楽しみ、観終わった後には何も残らない。

 

そして西洋社会を実質支配する上層階級は、最初からそういう映画を観ないし、その場しのぎの娯楽などを楽しまない。低脳を裏で支配する事を楽しむだけだ。だから上層階級と下層階級には交わりがない。フランスでは、階級が違えば読む新聞も違い、エリートと労働者階級が交わる事はないという。

 

しかし、日本人やアジア人は、宮崎作品を見終わった後に、みんな一様に心が暖かくなり、映画館を出て行く人の顔が、そこはかとなく優しくなっている。観る前と観た後では、その視線が違っているのだ。そこには、人間の階級区別はなく、みんな一緒に成長しようよという感じを受ける。

 

不死というテーマは、輪廻転生等の宗教観に繋がる。アニメ映画で西洋文化をどうのこうのと言うのもおかしな話だが、何となくアジア人である方が好きだ。

 

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tom_eastwind at 07:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月18日

哀しい色やね

素晴らしい夜景と小気味良いイタリアンにすっかり天にも昇るような気持ちになっていた僕は、突然近くで破裂するような馬鹿声を聞いて、地上に引き戻された。

 

「ガハハ!おもろいな〜、おいねえちゃん、酒モッテコイヤ!」

生まれた時からサルなみの脳みそで、他人を威圧したり大声を出す事だけで何とか今まで大阪のどぶ板の裏側の溝鼠なみに生き残れてきたような、バブル時代にあくどい事をして銀行や役人を脅して成り上がった、ちんぴらのような連中が群れていた。

 

5mほど離れた4人掛けボックス席に座っているけばい中年カップル+いかにも生まれた時にお母さんの腹の中に脳みそを忘れてきましたといった馬鹿面若年カップルのグループが、すぐ横の舞台でブルースを歌っているガタイの良い黒人歌手を無視して馬鹿笑いしていた。

 

見てると、テーブルのクロスの上にタバコの灰を直に落としながら、襟がオーストラリアの爬虫類並に天を向いて跳ね上がった明るい青のスーツを着ているおっちゃんがいた。

 

「まったくやで〜、ほんま困ったもんやな〜、がっはは!」この笑いは隣にいる原色ばばあである。今時愛地球博のマンモスもびっくりして逃げ出すような、化石的原人類だ。醸し出す雰囲気、顔、着てる物、すべてが見事にマッチしてて、こりゃ確かに、マンモスも食われる前に逃げるよなと思うほど、下品さ丸出しのカップルである。

 

しかし世の中は、類は友を呼ぶと言うか、向かいに座っている若いカップルはどうやら兄妹らしいが、またきちんとあふぉバランスを取っている。

 

「そやなオヤジ、わしからすりゃ、あんなとこ一発で通るんや、当たり前やないけ、がははは!」

そうかそうか、今日は合格祝いか、なるほどなるほど、で、何だ、脂ぎった団子鼻から、公害防止装置のぶっ壊れた煙突みたいにタバコの煙を吹かしながらビール飲んでるお兄ちゃんは、一体どこの大学に合格したんだ?大阪南夜間大学か?

 

妹も、顔中の痘痕と鳥の巣みたいな「とさか頭」を振り回しながら、きーきーと何か騒いでる。体重がかなり標準を超しているせいか、そのあたりの床が心なしか沈んでいるようだ。かなり重いのだろう。ねーちゃん、そんな若い身空で人生棒に振るなよって、思わず老婆心が出てしまうような哀れさだ。

 

  

しかし、よく見回してみると、周囲にはそう言う客が目立つ。煙突みたいにタバコを吹かしていたり、食べ残しの皿の上に直接タバコの灰を落としてたり、トイレで洗った手をぶるんぶるんと振り回しながらテーブルに戻ってくる奴ら。

 

その後マネージャーに話を聞く機会があった。そのマネージャーも、つい最近マネージャーになったばかりの20代後半。しっかりと関西弁で説明してくれた。

 

「ここは元々大阪でもかっこつけずに、本音で話をする地域なものだから、形式などを嫌う人が多い。ホテルのトップGMは外国人だが、中間層はみな南海電鉄時代の人材で、GMが目指すような高級路線は、難波では受け入れられないと反対している。だからGMはこの店のマネージャーを首にして僕を採用した。

 

外部の血を入れたいという事だろう。しかしフロントや裏方はあいも変わらず「ここは大阪だから」という理由で、何につけぶつかっている。タバコにしても、禁煙席など作ると地元から反対されるからと、今だもって導入していない。

 

だからお客様が見るように、いろんな面でちぐはぐさが出ているのだ。本当なら国際ホテルの路線で行き、それでお客を取るべきなのだろうが、毎日の売上を考えると、難波の地元客を手放してはやっていけない」これが彼の趣旨だ。

 

ビジネスモデルが大きく変化する時に、一番ついていけないのは、今までの既得権益にしがみついたサラリーマンなのかもしれない。

 

大阪が地盤沈下して自治体として倒産寸前になったのも、過去の先人の努力の上にあぐらをかき、何の努力もせずにぬくぬくと手抜きをした連中の不作為であり、自分立ちの時代だけを何とか切り抜ければ、他人のことは知らんという「自分勝手」が招いた結果だ。

 

これが約1年前のホテルの実態だった。こんな事を書くのも、実は今年もう一回このホテルに泊る事になったからだ。

 

さて、今回の宿泊では、今でもバーでうどんを出しているかどうか、聞いてみよう。

 

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tom_eastwind at 11:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月17日

イタリアンレストラン&スカイバー「タボラ36」

ダボラ続きである。

 広告:「タボラ36」ではオーセンティックなイタリア料理と外国人ミュージシャンによるライブミュージックを地上36階からの素晴らしい眺望とともにお楽しみいただけます」

 

確かにその通り。僕が腹を空かせてこの店に入った時も、まずその景色の素晴らしさにびっくりした。大阪の街が光と共に足元に広がり、まさに天に昇り地上を見る雰囲気であった。それまでに一本の予約電話で怒る事さえなかったなら。

 

ラッフルズでしょ?国際級ホテルって、自分で言ってるよね?一流レストランって言ってるよね?だったらどうして、禁煙席がないの??????

 

僕が住んでいるNZは、すでにレストラン、バー、オフィスビル、公共施設等、人の集まる、空気の閉鎖された場所は、すべて禁煙だ。カナダでもすでに導入されている。最近の諸外国は禁煙が基本である。

 

別に格好つけて西洋諸国の真似をしろと言ってるのではない。科学的に証明された自殺幇助機械を、他人に向けて使用するなという事だけだ。この事はかなり以前のコラムでも書いた。自由と無責任は違う。

 

タバコを誰もいない所で一人で吸う分には「お〜い、病気になっても国の保険は使うなよ〜」程度だが、こっちが殺される立場になったらそうはいかない。

 

だから僕は普通に、部屋からレストランに電話して予約をする時に「すみませんが、禁煙席でお願いします」と言った。日本で、ましてや大阪で全面禁煙レストランを求めるのは、さすがに国際都市の国際一流ホテルでも高望みだろう、そう思って禁煙席を聞いたのだ。するとその答えは

 

「あの〜、禁煙席はないんですよ〜」すまなさそうじゃなく答えてる。何、満席か?

「そうですか、時間をずらしたらどうでしょうか?」

一応聞いてみる。

「いえ、それでもやはりないんですよ」

益々意味不明な返事だな〜??

「そうですか、今日はずっと満席なんですね」

再度確認。この時点では、まだ事実を知らない僕

「いいえ、そうじゃなくて、禁煙席を設けてないんですよ」

はは、って感じで言われた。

 

頭の中で何かがプチって言う音が聞こえた。戦闘モードに入ったのだ。僕は体温を3度くらい下げて、ゆっくりと聞き始めた。

 

「あの、ここのお客で今まで禁煙席をお願いした人は一人もいないんですか?」

「ここ、ラッフルズ系列ですよね?」

「将来的にここのタバコの煙で肺がんになったとしたら、ホテル、責任取れるんですか?」

 

とりあえず思いつく事を一通り冷静に伝えた。相手の反論はことごとく叩き潰した。

 

結果は何とか、今日の予約でタバコを吸わないお客を固めているので、そこに席を取りますとの事。背に腹は、ではなく腹に背は変えられない。飯は食いたいし景色も楽しみたい、何より猥雑な街に出て行きたくない僕は、矛を納めて時間どおりにレストランに向かった。

 

36階からの素晴らしい眺望はさっき書いた。

 

テーブルは写真とは違う場所で、窓際に用意されていて、窓を底辺とした逆三角形を想像してもらいたい、その下2辺にカップル用のテーブルをセットしているので、お互いに相手の顔を見ながら食事が出来るし、顔に飽きたら夜景を楽しむ事が出来るという、大変良く出来た趣向だ。

 

若いウエイトレスもきびきびしている。働く事に誇りを持っている感じがした。単なる若い女好き?違うし・・・あんた、退場。

 

メニューを見せてもらうと、どれも小腹の日本人に合うように、ミニポーションで出してくれるので、フルコースと言えど女性でも十分に楽しめる内容だ。アペリティフ、スープ、パスタ、メイン、どれもすばらしく美味しい。大阪でこんな味に会えるとは思わなかった。

 

ワインやカクテルも豊富だし、オープンキッチンなので、厨房でしゃきしゃきと手早く料理を作るシェフ君たちも小気味良い。単なる若い男好き?違うし・・・ラモンじゃないし。ふぉ〜。

 

景色、雰囲気、味ともに、とてもよく出来たレストランだなと感心し始めたその頃、事件は起こった。そして遂に、結局このホテルは大阪という街に潰されたという事が解明されていくのだ

 

続く

 

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tom_eastwind at 19:06|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月16日

バーでうどん?!その2

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夜9時。ほのかなオレンジ色のライトに包まれたバー。革張りのソファと静かなジャズ、そんな雰囲気の中、僕は一人でカウンターに座ってジン&トニックを注文した。すると左に3つほど離れたカウンターから、い、いきなりその音が出た!

 

ズズズズズズーーーーー!

 

うどんですかい!

 

その日、火星が今みたいに地球に接近していたら、おそらくムーンサルトで火星の赤茶けた大地にぴったりと着地していたに違いないほど、僕は飛び上がってびっくりした。

 

うどんですかい!JALもびっくりな至れり尽くせりだが、ちょっと待って欲しい。いくら食い倒れの大阪とは言え、ここは自称一流ホテルの、それもメインバーだぞ!みんなシックな格好でお酒と雰囲気を楽しんでる中で、いきなり

 

ズズズズズズーーーーーかよ!

 

汁をべっちゃべちゃと音を立てながら食ってるのは、原色花柄ぎんぎんぎららの肥ったおばさん。一人で座ってバーテンダーと話しながら、「いや〜、うちのお父ちゃんもどこいったんやろか、全くもう鉄砲玉やさかいな〜、おお、ほら鍋焼きうどんがうまいな〜、酒飲んだ後は、ほんまうまいな〜、ズズズズズズ〜!」

 

バーテンダーも「はい、そうでございますね」って、おいおい、バーテンさん、あんたはうどんの汁をシェーカーで振って出してんのか?

 

カウンターの周囲にお客はおらず、とてもヒマなバーで、音は奥まで聞こえているはずだったが、その奥で数人で固まって飲んでいる日本人は「ずずずずー」を聞いても、意に介し無いという表情だ。普通に会話が続いている。

 

おそるべし大阪文化。そう言えば、大阪では食い物やは、お客に言われたら何でも出さないといけないらしい。「当店ではお食事はサラミなどしかご用意〜」等と言おうものなら、「何かっこつけとんじゃこらー!」と怒られるらしい。

 

このバーでも、多分そのおばさんとお店が以前に一悶着あったのかもしれない。だからこの客には仕方ない、鍋焼きうどんをカウンターで食わせておけという事なのだろう。

 

しかし。しかしである。自分の存在が何なのか考えてみた事が、一度でもあるのだろうか?一体バーが何故存在するのか、考えてみた事はあるのだろうか?

 

バーの存在がうどんの為なら、どうしてバーという名前で存在してるのだ?その事をしっかり突き詰めもせずにうどんを出すなら、最初から入口の看板を「うどんバー」にしておけばよい。メニューに「今日のお勧めはきつねうどん」とでも書いておけばよい。

 

お客のいう事は何でもしなければいけないのか?お客は選べないのか?一体いつから商道徳やビジネスモラルがなくなったのだ??誰の為の店なのだ?

 

そこまで馬鹿に成りさがって下品な客に尽くしたいなら、いっそホテルの看板を外して「欲かき爺とくそ婆が自分のアホさ加減晒す博覧会場」と名前を付け変えれば良いではないか。

 

かっこつけると言うのと、ビジネスの目的が,履き違えられている。とりあえず客の言う事を聞いておけと言うなら、客がホテルに火をつけるぞと言ったら、マッチを差し出すのか?結局僕は、お酒を置いたまま席を立ってそのバーを出た。

 

彼らには、何故僕が席を立ったか分らないだろう。もし分ってて「何やあの客、うどんの音でびっくりして飛び出たで〜」とか思ってるなら、こりゃもう終わりだな。そう思いながら、同時にこれは多分、個人的な資質の問題なのだろうと思っていた。

 

ところが!その翌日、ホテル最上階のイタリアン風ディナーレストランにも行ったが、ここでも怒りマークが思いっきり発信され、ついにこのホテルは構造的にサービス問題を抱えている事が判明したのだ。今でもそのレストランマネージャーの名刺を持っているが、これは次回。

 

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tom_eastwind at 13:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月15日

バーでうどん?!その1

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大阪の難波に「スイスホテル南海大阪」という、シンガポールラッフルズ系列のホテルがある。

 

ラッフルズと言えば全室スイートで、サマセットモームの定宿としても、シンガポールスリングスの発祥の地としても知られている、世界の名門中の名門である。

勿論GMは外国人だ。

 

「南海」という名前の通り、元々は南海電鉄がオーナーだったのが、バブル時代に周囲の環境も考えずに計画して、大阪の地盤不況で赤字経営になり、どうしようもならなくてラッフルズに身売りをしたという話だ。

 

で、ん〜、それが「うどん」と、どう関係あるわけ?と思うでしょ。もうちょっと聞いてね。

 

半年ほど前に仕事で大阪に泊る事になった僕は、お客様の住所が難波だったので、地下鉄や電車の都合の良い駅ビルという事で、このホテルを選んだ。インターネットと部屋の広さで決めたようなものだ。値段も、クラスの割には手頃な15千円。

 

地下鉄駅からそのままエレベーターでロビーフロアに上がる。チーン、到着してロビーに向かうと、すごく変な雰囲気が・・・これって、昔の新宿プリンスホテル(知ってますか?当時はやくざの待合室状態でした)みたく、豹柄ドレスに能面みたいな化粧のおばさん&坊主頭にピンクのスーツを着てるおやじとか、ロビーの絨毯にタバコの灰をぱたぱたと落としているその筋の客、そしてそれを無視するホテルマンって、あれじゃない?

 

まずはチェックイン。機械的な「いらっしゃいませ」から始まって、フロント係が、とにかく人の顔を見ない。本当はいらっしゃってほしくない、だって仕事が増えるだけだもん、そんな気持ちがみえみえちゃん。カウンターの下にあるモニターを見つめながら、パソコンをカチャカチャ操作している。まさかゲームしてるんじゃないだろな?お前はパソコンお宅か?

 

チェックインがやっと終わり、さて荷物を持とうとすると、やってきたベルボーイ?おやおやお父さん、ボーイじゃないですよね、どう見てもシニアですよね?昨日まで保線区で線路の犬釘を修理してたでしょ。爪の間が真っ黒ですよ。

 

ところでお父さん、「いらっしゃいませ〜!」と威勢よく言われても、「汽笛一声新橋を!」じゃないし、う〜ん、僕は貨車か?あ、この感覚!そうそう4年位前に京王プラザホテルに泊った時に同じような状況で、やはり保線区作業で酒と太陽に焼かれた人の良さそうなお父さん顔に「こちらでございます、ご主人様!」と言われた時の感覚だ。

 

鉄道会社からすれば、ホテルなどは所詮付属施設。そこに本体で使えなくなったロートルを、全然研修も受けさせずに送り込み、「もうやってられません」という状態にして自主退職に追い込む方法だ。

 

僕はかなりお怒りモードながら、おじさんに罪はなし、「いいですよ、自分で持っていきますから」と言うと、まるで仕事を取られたような、哀しそうな顔をするおじさん。ごめんね、やっぱり持って下さい。心の中で、おじさんをこういう場所に追い込んだ経営者に腹が立つ。

 

社員の首切り狙いだけが怒りマークの対象ではなく、そんな未教育社員を配置する事で、顧客蔑視に繋がるという事を理解出来ない経営者の思考回路も怒りマークの対象だ。

 

さて部屋に入ってみると・・・ふ、古い!設備が古いし、カーペットも手入れされていない。よく見るとその部屋だけでなく、廊下のカーペットも、長い間大きなスーツケースに引きずられたのだろう、ぼよよ〜んと波打っている。

 

哀しくなりながら、とりあえず気分転換にシャワーしてからバーへ行こうっと。バーはフロントの反対側だ。と、そこでうどん事件が起こった!

 

長くなったので、続きは明日、また書きます。

 

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tom_eastwind at 13:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月14日

日経ビジネス「社員が壊れる」2005.10.24より

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タイムリーと言うか、昨日高速道で玉突き事故が発生し、7人が死亡、多くが重軽傷を負う事件があった。トラックとバンの衝突事故に続いて、後続の車両が次々と衝突した事件だ。

 

「社員が壊れる」の意味は、高収益を出している企業の底支えをしているのは、実はビジネス社会の底辺に位置する人たちに低賃金+長時間労働を押し付けた結果であるという事。

 

僕も以前から、何故誰も問題にしないのか、不思議に思っていた事だ。例えばトヨタの看板方式=ジャストインタイムと言えば在庫を圧縮する方法と言われているが、実際に部品は今までより細かい単位で注文が入るのだから、配送回数は増えるが、配送会社の請求金額は同じ。倉庫に空きが出なければ、部品を積んだトラックは外で待つしかない。その間ガソリン代節約のために、炎天下でもクーラーは付けられない。

 

コンビニの在庫を持たない商売も、結局は誰かがいびつな形で歪みを抱える事で成長したモデルだ。フリーターと呼ばれる人々は、聞こえの良い「自由労働」という名前の下、コンビニで長時間低賃金で働き、覚える事は毎日次々と増え、しかし給料は全然増えないという「大企業の成長のメカニズム」に歯車として巻き込まれたのだ。これでは何の為にフリーターを選んだのか分らない。

 

日経ビジネスの取材によると、例えば長崎を当日16時に出た、生鮮食品を積んだ「追っかけ」と呼ばれる10トントラックは、翌日の夜23時に千葉に到着するまで、ほとんど寝ない。途中で荷物を積み下ろししながら、仮眠はトラックの中。

 

一ヶ月に5〜6回長崎東京間を往復する長距離トラック運転手は、当然体が持たないから、途中でコップ酒を飲みながら、眠気を誤魔化して走る。以前は月給50万円以上もらえていたが、親会社の値引き要求で、給料は40%削減されて、仕事はよりきつくなった。これが大手企業の「ジャストインタイム」の実態である。

 

しかし、その事を指摘する新聞記事はなく、どれも大企業の努力を褒め称えるだけだった。まるで大本営発表の戦果と同じで、良い事ばかり言っている日刊新聞。まさに道徳の欠如した新聞と人間性を失った大企業の作った被害者が、トラック運転手であり、今回の交通事故で無くなった人たちだろう。

 

今回の記事でもトラック運転手が悪者にされるのだろう。でも、よく考えてみよう。そんな仕組を作ったのは、一体誰なのか?泥棒が生まれたりするのは、100%とは言わないが、社会の責任もいくらかは存在すると僕は思っている。

 

少なくとも、自分の目の届く範囲内では、手抜きは認めないが、家庭や社会を壊すような、必要以上の値引きや強制はしたくない。周囲でも、そういう事が起こらないようにしたい。それが、精々今の僕に出来る事だろう。

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トラック野郎と呼ばれた時代が懐かしい。



tom_eastwind at 17:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本ニュース 

2005年11月13日

「やっぱり変だよ日本の営業」 宋文洲

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文化大革命で追放された両親を持ち、克己勉励して日本へ国費留学。北海道大学大学院で約10年学び、卒業寸前に天安門事件が勃発。中国に戻る時期をずらして、その間にシュミレーションソフトを作ったところ、13億円売れた。その後顧客管理ソフト(CRM)を構築し、外国人留学生出身として初めて2001年にマザーズ上場。

 

 

 

ソフト自体は、僕がプロではないので口出し出来ないが、その概念はよく理解出来る。日本企業はIT武装したとよく言うが、実態は相も変らぬ御用聞き営業で、足で稼ぐとか精神論とか、馬鹿な事をやっている。

 

日本に営業に行くと、昼間から喫茶店でタバコ吸いながら漫画読んでるサラリーマンを、よく見かける。情けない限りだ。

 

この本はそんな日本の営業を問題視して、解決方法を提案している。非常によく売れているこの本は、トヨタの前社長も絶賛!との事だ。

 

当然の事だが、営業は実は数値化出来る部分が多い。営業効率とは、突き詰めれば費用対効果だが、その中で特に社員管理=時間管理は、完全に管理が出来るものである。しかし、どれもこれも、自分で本気になってやれば当然思いつくような事ばかりである。

 

 

◎出社する前に今日やる事を整理しているか?

◎出社してまず何をしているか?

◎アポ取りで、相手の住所や連絡先、話す内容は整理しているか?

◎今日のテーマを相手が理解しているか?

◎移動の時間を利用して書類整理をしているか?

◎報告作成に無駄な時間を取っていないか?

◎一日の成果や進捗状況をデータに入れてるか?

◎営業データを共有出来ているか?

 

僕が時間管理の勉強をしたのは、もう20年くらい前だ。ラーキンという学者の「時間管理の法則」という本があって、そこでも同じように時間の有効な使い方を教えてくれた。

 

パソコンのない時代だから、棒グラフなんぞを使って鉛筆で資料作りをしていたが、結局紙と鉛筆がキーボードと画面に変わっただけだ。教えている内容は、何の違いもない。

 

腕の良い中国人ビジネスマンに、分りきった事を商売にされた、ちぇ、うまくやりやがったなこいつ!って感じ。やられた日本人、情けなし。

 

この本、本日よりtom文庫に並びます。

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tom_eastwind at 14:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2005年11月12日

ポートフィノ

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僕の大好きなレストランの一つに、Portfino(ポートフィノ) がある。オークランドの中心部、カップビレッジというヨットハーバーの中にあるレストラン街のうちの一軒だ。

 

元々パーネルにちっちゃな店を構え、ピザとパスタで勝負をしてきた店だが、4年ほど前から身内でチェーン店展開を始めて、現在は4〜5店舗ある。特徴は、どこの店でもシェフやマネージャーはイタリア人又は東欧である事。キーパーソンにはきちんと味のわかる人を置いているのだろう、いつ来てもおいしいものを食わせてくれる。

 

一番のお気に入りは、夏場の週末ブランチだ。降り注ぐような太陽の光を受けながら、ワイングラスの中でシャドニーが光る。きらきらと、光っている。ワインも、日光浴が好きなのだろうな。

 

今日はガンエステートだ。光輝な香が素晴らしい、飲み口の軽い、それでいてしっかりと味のボトルを一本頼んで、ブランチはキーウィブレックファースト。御馴染み、ベーコンエッグにソーセージと焼トマト。2時間くらいかけてゆっくり楽しむこの時間は、とても気持ち良い。

 

週末は、こうあるべきだな〜と思う。



tom_eastwind at 08:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2005年11月11日

カウンセリングについて

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今回の会議で感じたが、カウンセリングを何故、誰の為にやっているのかという点が不明な人が多い。

 

当社は民間会社で、商品を売って利益を出す。つまりカウンセリングとは,相手を幸せにして商品を買ってもらうための手段である。顧客の中には、買う気がない人も、売ってはいけない人もいる。その中でうちが付き合って売るだけの価値があるかどうかを短時間で見抜くのがカウンセラーの腕である。

 

これは、相手のメール文章や電話での話し方を聞いていれば、自然と分る。話の前後の脈絡が合ってない、こちらの話を理解していない、自分の意見しか頭の中にない、等だ。

 

そういう顧客は、どれだけ見込みがありそうでも、商品を売ってはいけない。それこそクレームになる。当社の商品は冷蔵庫や洗濯機ではない物が多いから、人によって全く満足度が変わる。なのに、買いたいからと言って`はいはい`と売るようでは、素人である。

 

どこで切って良いか分らないという人は、自分が商売をしている気持ちになってください。訳の分からない人を相手に時間ばかりかけて対応して、それで月末になってみると自分の儲けがない!そしたらどうします?次の月から「冷やかしお断り」と看板をだすでしょうね。

 

それも極端な話であんまり頂けないのだが、実際に顧客の見極めが出来ない人がカウンセラーをやっても実績は出ない。速やかに去るべきだろう。何故なら、見極めが出来ないとは会話が出来ない、人とコミュニケーションが取れないからだ。

 

逆に相手のメールを読みながら、問合せてきた商品以外に何が売れるか、そこまで考えるのが腕の良いカウンセラーである。つまりカウンセラーとは営業なのだ。そして前回も書きましたが、営業とは情報の収集と発信なのだ。

 

誰が何を欲しがっているか常に頭に入れておき、そのアンテナを張り巡らして人と接する。そこに商品が生まれる。逆に言えば、そのような理解力を持てないのであれば、カウンセリング=営業等はすべきではないのだ。

 

質問された事項を、質問集の中の回答例を出して回答するだけなら、人間は不要だ。機械で対応出来る。何故人間を雇うのか?そこには、機械では取り出せない「販売機会の増加」があるからだ。

 

標準化の出来ないこの仕事では、カウンセラーの実力がそのまま数字に出てくる。要領よく短時間でこなして、それでいて利益を出せる人。要領が悪く時間ばかりかけて、結局お客様のクレームを作ってしまう人。この格差は、そのまま人間力の格差かもしれない。

 

写真はひらまさ。お魚もトビウオになりました。人間、やれば出来るって事でしょ。

 



tom_eastwind at 12:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月10日

営業会議

今日は久し振りに営業会議。しかしまあ、営業と言っても、一体何が営業なのかを理解しているか?

 

僕らの営業は、商品を売る事と思ってはいけない。お客様を満足させる事だ。自分で使ってもいない商品を「これ、いいですよ」というのは間違いだ。

 

営業とは、まず自分が商品を理解して、お客様の話を理解して、自分の手持ちの商品になければ、外から集めてきて商品化してでも、提供する事だ。

 

今ある商品をお客様に届けるだけでは、宅配業者と同じである。ましてや自分が届けている商品の内容を理解もせずに、間違ったものを届けてしまったら???

 

僕は、営業を突き詰めれば情報の収集と発信だと思う。プロとしてお客様の需要を理解し、街に出て情報を収集し、お客様に合う物を見つけ出して、お客様に発信するのだ。

 

僕らの商品は、主に情報と会話である。だから情報収集能力がなければ商品を作れないし、会話が出来なければ顧客サポートは出来ない。

 

情報収集は、今の時代インターネットでいくらでも出来る。インターネットを使いこなし、外に出て人に会い、話を聞く。この繰り返しで情報は確実に蓄積出来る。蓄積した情報を効率良く整理して商品化する。そしてこれを発信する。これが営業だ。毎日苦痛な顔をして会社に来て一生懸命仕事をした気持ちになるのは、営業ではなく自己満足にしか過ぎない。

 

次の問題は、集めてきた情報を理解して商品化出来るかどうかだ。危機感がないまま、センスの無い人間は、目の前の有益な情報が理解出来ずに、流れている情報を座視しているだけだ。そして会社に戻って「今月も売上が不足しました」となる。

 

おいおい、今君の目の前にビジネスの商材があったじゃないか。それも生かせずに売上不足??「そんな教育受けてません」というのなら、もう一度学校に行って欲しい。会社は教育機関ではないのだ。

 

そんな事を考えながら、新しい企画をみんなで考える。今回の企画の基本は「NZでの就職と永住権取得」、「日本での再就職」だ。この二つを商材にして、各地で商品化をするのだ。

 

これが出来上がれば、次の商材を商品化する。ビジネスにはすべて寿命がある。売れもしないものにしがみついてダンピング競争に走るのではなく、今の時代に合った商品を作り、適正な利益を生み出す事だ。



tom_eastwind at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月09日

ロングステイ

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地球の暮らし方が「ロングステイ」という海外生活応援ガイドを発行した。当社も広告を掲載している。現地無料情報センターとして、NZとカナダで貴方の生活を応援しますという訳だ。

 

参加する人からすれば実に楽しい企画ではあるが、実際に組み立てる旅行会社からすれば大変だ。何故なら、情報を現金化出来ない、つまり、売れないからだ。

 

旅行会社とは、本来カウンセリング会社である。お客様の要望を聞いて、自分のプロとしての知識を集約させて、相手が口に出して言う商品ではなく、相手が心で望む商品を見つけ出す事だ。

 

その為に、お客様としっかり話し込んで内容を聞かねばならない。

 

ところが旅行会社は、どうしても数を追いかける性向が強く、何かと言うとジャンボをチャーターしてどうのこうのという話になる。

 

ところがロングステイは、一人一人要望が違う。だから元々団体に出来ない。そうなると、一件一件を相談に乗り、その結果お客様が購入したのは航空券だけ?となる。それでは利益が出ない。

 

本来なら、話を聞いてコースを作ってあげて、そのコンサルティング費用を貰うべきなのだが、旅行会社同士の厳しい競争の結果、コンサルティングは無料という流れになり、結局は費用を請求出来ない。

 

それで旅行会社は、ロングステイ等扱っていては商売にならないので、結局「ロングステイ扱ってます」とは言っても、いずれ撤退するしかない。

 

カウンセリングで費用を取れないのは何故か?それは、業界の悪しき慣習でもあるが、同時に旅行会社の社員が知識不足だからだ。お金をもらえるだけのアドバイスを出来る自信も、知識もない。

 

そりゃあお金を取れないよね、そう思ってたら、今月のリタイアメントジャーナルで、同じような内容のコラムがあった。旅行会社が作る商品は、TV情報に乗っかっているだけで、ロングステイバブルのブームが一旦過ぎ去ると、もう商品を売ることが出来なくなる。もっと工夫が必要だ。と言う内容だ。

 

そのとおりだと思う。ちょうど今朝、旅行会社の人と話す機会があったが、若い社員に危機感がないと言ってた。そうだろうと思う。本来あるべき道を踏み外したツケだ。今の旅行業界の危機は、自分たちで作り出したのだから。



tom_eastwind at 22:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月08日

夏だビールだ!

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「山水」で、久し振りにビールを飲む。

 

山水で酒を飲むのが久し振りと言うのではない。いつも麦焼酎のウーロン割を飲んでるから、ビールが久し振りという事。

 

どうでもいい話で始まったが、何故かこのビールに夏を感じた。

 

暖かくなってきた。外に出ても、夏の日差しが強い。異常気象とか世界中で言われてるが、やはり今年も夏が来た。

 

皆さん、おいしいビールを飲んでますか?酒は百薬の長、飲み過ぎないように気をつけましょうね!(俺の事か・・・)



tom_eastwind at 21:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月07日

リフォーム会社「光輝」への強制捜査

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最初この記事を読んだ時に、リフォーム事件そのものよりも会社名が何か引っかかった。あれ?聞いた事あるぞ、この会社名。でも俺、日本に家ないしな、リフォームには関係ないし・・・

 

 

 

あ、そうだ!珠海だ!2003年9月、大阪の土建会社が珠海でどんちゃん騒ぎをやった挙句、公安(中国警察)に捕まった事件だ。

 

実は今日のテーマは、リフォーム問題ではない。リフォームが違法だったかどうか、それを知る立場に無い僕としてはコメント出来ない。でももう一つの問題では、同業で海外で裏情報が入手出来る立場として描きたい。

 

事の起こりはJTBの一営業マンから始まった。客から集めたお金で大儲けしたこの会社は、慰安旅行として目的地を探していた。本来ならもっと人気のある韓国や台湾などで遊んでいればよかったのだが、旅行担当者が「何か新しい場所はないのんか?」と聞いた相手がJTBの営業マン。

 

「ええとこありまっせ〜、安くて美人でっせ〜」等と馬鹿担当者が吹聴した挙句に、担当者と営業マンが悪乗りして作ったのがこの買春ツアーだ。

 

今時ださいというか、団体で女を買いに行くと言う事が「あり得ない」時代に、ましてや共産党独裁国家の管理する旅行会社とホテルを通じて、町じゅうの売春婦を集めた訳だから、そりゃあ目立つだろう。非常識だろう。

 

個人的に夜を鬻ぐ程度ならば政府も目をつぶるだろうが、「小鬼日本人」が「集団」で「誇り高き中国人女性」を「買い集める」のだから、これはもう従軍慰安婦並みの問題になるという事に、手配担当者も気付かなかったのか?

 

最初にこの事件を聞いた時は「嘘だろう」と思った。その理由は

1・今時そんな集団買春ツアーをやって、社会的倫理的に認知される筈がないのは旅行屋の常識。

2・珠海のような小さな街でそれだけの「頭数」を揃えるとなれば、市場全体の需給関係が壊れる。だから技術的にそんな手配が出来るわけがない。光輝だけが客ではないのだ。

3・中国は人治主義であり共産党独裁だ。買春は表向き禁止されており、そんな冒険を打つわけがない。

4・今時土建屋に、置屋の女全部を会社の金で買い占めるような、そんな金がある訳がない。(この見方はリフォーム事件で訂正された)

 

だから、事件が大要において事実だと知った時は、本当にびっくりした。そこまで旅行屋の常識が落ちてしまったのか?一体どうして土建屋にそんな金があるのか?

 

事件の結果、買春の中国側とりまとめをやった人間は死刑。買春を指揮した光輝社員はお尋ね者になり手配中、JTB担当者はお咎めなしという、嫌な事件だった。

 

****

事件の舞台となった珠海は、僕が香港時代にしょっちゅう営業に行った場所だ。1991年頃は、剥き出しの赤土の上にキャノンが工場を建て、富士ゼロックスも大型工場を作ろうとしていた時期だった。

 

赤土が舞う道路沿いに建てられた、周囲の農家や田んぼに不釣合いな国際級ホテルが日本人駐在員の宿舎だった。国際級と言っても1泊2000円程度だ。ホテルの近くの洪北という街には遊ぶところがあるが、言葉の通じない不慣れな外国では、駐在員は怖くて外出出来ない。

 

何時の間にかそのような外国人を相手に、ホテルマネージャーに賄賂を渡してロビーに待ち構える女性が増えてきたのは、時代の流れだったろう。

 

****

それから10年以上たち、ついには日本人サラリーマン相手の「カラオケバー」が出来て、そこでは自然と日本人男性が集まり、中にはC工場の総務部長のように、自分の彼女にカラオケバーを出店させ、自分の会社の社員の溜まり場にしたケースもある。

 

いつの時代も、最初の日本人は大人しく、誠実に行動する。しかし次第に慣れて、主体性の無い者が群れるに連れて、日本人はその悪い面を出し始める。そしてある時、滅びの笛に吹かれたように、一斉に破滅に向かって走り出す。

 

喉元過ぎれば、熱さ忘れるという日本人の特性なのだろうか?歴史、勉強しようぜ。

 



tom_eastwind at 17:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月06日

国際化

先日も書いたが、出張が確定した。11月19日からだ。主に東京、そして福岡で個人面談を開催する。

 

先週末に今までお問合せを頂いたお客様にメールを送り、個別に移住相談を受けるのだが、すでにほぼ予定が詰まり始めている。ありがたい事だ。

 

今、最後の仕込みとして、永住権取得の為の英語テスト診断を作成中。ある程度カウンセリングが進んでも、その時点で英語能力が分らないと、次の段階に移れない。ところが英語テストは3ヵ月後となると、その期間すべての動きが止まってしまい、折角その気になっていたのが腰折れとなる。

 

鉄は熱いうちに打てというが、移住も同じで、その気になった時に一気呵成にある程度進めておかないと、そんな非常識な事を!と必ず止めにかかる人が出てくる。もしかしたら親戚の体調が思わしくなくなるかもしれない。

 

その為の英語テスト診断である。一回の診断がNZ50ドル程度になる予定だが、地元の英語学校と組んでお客様に円滑なサービスを提供してく予定。

 

 



tom_eastwind at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月05日

ガイフォークスデイ

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うざし、この夜。

遊びは文化だから、遊びの程度が低ければ文化が低いと言える=YES?NO?

 

答は良く分らないが、少なくともNZの花火に関しては、しょぼい。これは厳然たる事実だ。あまりしゃばくて写真に撮るのもうざいが、写真がなくては更にしょぼいので、一応日本の花火の写真を挿入。

 

毎年11月05日に行われる花火の日だが、期限は1605年の英国らしい。よく知らんし、どうでも良いが、そのガイフォークスという男にあの世で会ったら、一言だけ言いたい。

「うざいんだよ!夜中に花火鳴らしやがって!」

 

 



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2005年11月04日

特許で思う事

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誰か、こんな事を考えた事があるかな?日本語が特許で、日本語を話す時には特許を持っている人にお金を払わなくてはいけないとか?

 

日本語だと作者不明なので、じゃあ分りやすいところで言えばハングル文字はどうだろう?あれは今から500年ほど昔の王様、世宗(セジョン)大王が学者に命じて作らせたそうだけど、もしその時点でこの王様が特許申請していれば、面白いことになっただろうね。

 

1980年代まで、特許に関してはあまりうるさくなかったのを覚えている。特許とか著作権、知的著作権というものが表層化してきたのは、米国が震源地である。

 

その理由は明確で、70年代にベトナム戦争などで威信が地に落ちた米国が、その復活を目指して取り組んだのが知的著作権だからだ。

 

つまり自分がまず先に国家の金で新技術を作り、他国がその真似をしようとすると金を要求する。要するに他国が頑張って技術革新をしようと思えば、米国に金を払わなければいけないルールにしてしまったのだ。

 

この結果、米国は座っていても世界中から特許利用権としてお金が入るようになった。

 

確かに60年代の米国は気前良く日本等の後進国に技術提供をしてきた。良い例が電話のベル研究所やテレビ技術だが、その結果日本製の安いコピー商品が米国に入り、遂には米国の電気メーカーが次々に倒産する事になったのだ。コピーだらけになって自分とこの会社が倒産するようになって初めて、米国は特許の大事さを知ったという事だ。

 

そこで米国発の権利を守る為に知的著作権という概念を持ち込んだのだが、これで一番儲かったのはマイクロソフトである。特許とは本来、製作者のやる気を出させる為のボーナスみたいな仕組であるから、製作者に一定の特典を与える事に疑問はない。つまりビルゲイツが儲けるのは当然であろう。

 

しかし今の米国が推し進めている特許の概念は「座っていて金が入る仕組」を作るだけであり、肝心の「世の中に貢献する」という視点が抜けている。つまり誰かが人に役立つ革新的な商品を作ろうと思っても、そこに特許がひっかかると、それだけで高いお金を払って特許技術を買わなければいけない。それがそのまま商品コストに影響してしまい、結局商品が適正な価格で市場を流通しなくなるというわけだ。

 

リナックスは無償ソフトで、ある意味人類の進歩に貢献していると言っても過言ではないだろう。

 

中国はコピー大国と言うが、その中国は著作権というものに対して、元々ゆるい考えしか持っていない。歴史を振り返って見れば、中国産の技術はたくさんある。

 

例えば船の甲板を作ったのは中国だ。火炎放射器、運河、一輪車など、2000年以上前の技術は世界でもダントツのトップだった。その頃は米国など存在さえせず、英国では野山に穴を掘って住んでるような連中ばかりだった。

 

まあ昔の話を掘り返しても仕方ないが、今も中国と言う国は、特許というものに対して限定的な特典を与える程度にしか考えていないと感じる。良いアイデアが出れば皆で競って真似をし合い、それを更に良いものにしていくという仕組だ。だから最初に仕組を作った者も、うかうかしていられない。

 

しかし特許と言っても所詮は人間同士の決め事だ。米国では、ディズニーのキャラクターの著作権期限が来る度に、著作権法を変更して著作権者の期間を伸ばしているといわれている。

 

つまり、その程度の、道徳性も公共性も理論的強制力も存在しないようなガキ大将のルールを、一体いつまで真面目に守らねばならないのか?

 

これも結局昨日のテーマと同じように、適当につきあってけという結論に至る。いずれ国家間の力関係が変化した際に、新しい司法裁判判例が出てくるまでの辛抱だろう。



tom_eastwind at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月03日

2人は死刑だよ

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2人は死刑だよ。

 

人の命にも、一応重さを計る基準があるようだ。

 

日本の法律では、殺人罪を適用された場合、最高刑として死刑がある。

199条 (殺人)
 人を殺した者は、死刑又は無期もしくは三年以上の懲役に処する。

しかし実際は、普通に一人を殺しただけでは、余程酷い事をしない限り、死刑は適用されない。興味のある方は、殺人事件の記録を調べてみると分りますよ。二人を殺した時点で、初めて死刑を適用される事があるのです。

 

神戸の大学院生殺人事件では、何の罪もない院生が暴力団によって拉致されて死亡したが、死刑は適用されていない。

 

和歌山カレー殺人事件の場合は4人が殺されたので、死刑が適用された。もしこれが一人だけで、他にも保険金殺人とかがばれなかったら、おそらく、おそらくだけど死刑は適用されなかっただろう。

 

つまり、やくざ同士の喧嘩で相手を殺しても、一人殺しただけでは死刑になる事はまずないという事だ。

 

しかし面白い事に、人を一人も殺してなくても、殺す積りがなくても死刑になる犯罪が、日本国刑法の中にある。

81条 (外患誘致)
 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

 

つまり、外国の力を借りて武力で日本を攻めた場合は、文句なしに死刑ですよということだ。これって、どんな状況が想定されるかな?例えば日本の場合、北朝鮮が攻めてきた時に裏で朝鮮総連が手引きをしていれば、総連指導者が死刑という事になる。

 

面白い法律がこれだ。

241条 (強盗強姦及び同致死)
 強盗が女子を強姦したときは、無期又は七年以上の懲役に処する。よって女子を死亡させたときは、死刑又は無期懲役に処する。

つまり強姦は女性に対してのみ適用される訳だから、男を鶏姦(男性を強姦)しても強姦という犯罪は成立しないわけだ。

 

しかし殺人罪にも歴史がある。

 

戦前に作られた法律に尊属殺人というのがあって、親を殺したら即死刑というものがあった。その頃は家庭や親の権限が強く、それに逆らって親を殺すなど、あってはならぬ事だったのだろう。しかしこの法律、刑法二〇〇条は、「自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する」と言う内容が時代に合わなくなってきて、昭和48年には違憲判決が出て、ついに消滅した。

 

反対に、戦後よしのぶちゃん誘拐殺人事件の後に、身代金誘拐罪が新たに作られた。誘拐という卑劣な行為は、普通の殺人じゃないよという訳だ。なのでこの時、被告の小平という男は死刑になった。

 

どちらも面白い事に、法律を決める基準が理論的な演繹結論ではなく、結局はその時の国民感情で納得出来るかどうかが基準になっているという点だ。実は渡辺という法律の大先生が戦後すぐに書いた本があって、その中で尊属殺人について「これは間違った法律、適用してはいけない」と書いてあったのを覚えている。

 

国が違えば法律も変わるが、時代が変われば法律も変わる。人を殺すような法律でさえ時代=国民意識の変化に準拠するのだから、法律を永遠普遍のものであり変化しない真実だと真剣にお題目みたいに唱えるのも、どうかなという気がする。

 

だから何かあるとすぐに法律を持ち出して、真剣な顔で自分が正義の騎士みたいな顔で議論する輩を見ると、可哀想にな〜、おまえも洗脳されたか〜って、ほんと、かわいそうになる。

 

法律とは、適当に付き合っていくべきだろう。

 

 



tom_eastwind at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月02日

留久生さん

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誰なのか、まだ思い出さない。なんと呼ぶのかこの名前?つくおさん?顔は思い出している。中年で、夏みかんみたいな「でこぼこ」のあるごつい顔で、髪は南洋の椰子の葉みたいにたっぷりと生い茂っている。てっぺんからそのまま生えてきたという感じだ。

 

体格はがっちり系で、目は西郷さんみたいな「ぐるり」とした感じ。

 

しかし問題は、彼が誰なのか、僕の人生のどこで関わってきた人か、どうしても思い出せないという事だ。

 

日本語の「思い出せない」ではなく、英語の「Can not Remember…..」そんな感じなのだ。

 

何故こんな事を書いているのかと言えば、実は最近読んではまってる本で「気」の存在をいろいろと書いてたからだ。

 

別にお化けの話をする訳ではないが、僕は「気」を感じる方らしい。アパートに住んでた時も、わりかしよく「気」を感じた。他のブログで、以前のオフィスのお化けの話も書いた。

 

この「気」を科学的に分析した日本人学者がいて、その研究結果をまとめた本だが、彼曰く「気」は基本的に電気みたいなものだと言ってる。体内の電圧やプラズマ等の流れが、「気」の動きに合わせて変動するのだ。

 

そして、「気」を制御するのに一番良いのが、朝起きる寸前、つまり夢を見る時間帯だ。半起きのこの時に、すかさず神経をほぐしながら深呼吸して心を解放すると、1〜2分でぼや〜っとした状態になり、その時にいろんなものが見える。

 

これが催眠術等によく利用されて、催眠術師は本人の忘れていた過去を思い出させたり、イタコになるとあの世の扉を開けたりするのだが、僕の場合はこの時、子供の頃の記憶に飛んだようだ。

 

多分父親の知り合いの県警の私服刑事で、特殊警棒を見せてくれた人かなとも思ってるが、定かでない。

 

自分が忘れていた過去を思い出すのに、結構役立つ「気」だが、僕の場合は脳内にある記憶を呼び出す装置として使ったり、世の中や周囲の流れを読む時に使っている。僕はスプーンを曲げる事も、透視をする事も出来ない。

 

それだけの事だが、たまたま読んだ本が面白かったので書いてみた。tom文庫にあるので、興味のある方はどうぞ。風水の本もありますよ。



tom_eastwind at 17:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2005年11月01日

強い個人を募集してます。

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最近思う事の一つが、何時の間にかスタッフに力強さがなくなっている事。

 

どうも、お客様が見えてなく、お客様の視点でものを考える事が出来なくなっているのではないかという事だ。一度職場を整理して、不要な部署は削除して、全員を再配置してみるか。お客様の方向を見る事が出来ないスタッフは解雇だ。

 

自分が与えられた仕事は一体何なのか?それはどう攻略していけば良いのか?その途中で発生する様々な問題をどう処理すれば良いのか?

 

普通に社会人をやっていればこういう能力は身に付くものと思っていたが、どうやらそうではないようだ。

 

特に男性に多い。何故今この仕事をしているかという疑問を持たないまま、そのまま進めばトラブルになるとも気付かずに、転倒するまで走る。そして案の定転倒する。でも何故自分が転倒したかわからない。

 

結果からすれば、こういうことなのだろう。「だって今まで、そんな状態に置かれたことないもん」つまり社会的に成熟していない、子供なのだ。

 

昨日も書いたが、結局、人間が都市の分業化の中で歯車としての存在にされている間は、その事に気付かないまま、歯車としてのみ有効な知識を身に付けてはいるが、一旦外の世界に出ると、その知識は使い物にならないという事である。

 

つまり、歯車としての存在では社会的に有効でも、一個の自己判断が出来る人間としての価値はゼロであるという事だ。実際に日本の社会ではそうやって多くの歯車を作り出した。その社会的な「ツケ」が当社にも回ってきたという事だろう。

 

じゃ自分が歯車かどうか、どうすれば分かるのか?自分の思考に曇りを感じたら、それは自覚症状があるという事だ。その時は他の全ての作業を止めて、その曇りを徹底的に追求するのだ。その追求過程で、自分の歯車度合いが分る。

 

じゃ解決策はあるのか?ある。それは、自分の心との対話だ。一体自分は何故生まれたのか?何故生きているのか?人は何故死ぬのか?そういった、基本的なことをとことんまで突き詰めて考える事だ。そうしたら人は必ず本や哲学にたどり着く。その時自分の個性が見えてきて、やっと自分の進むべき道も見えるだろう。これ、ほんと。いっぺんやってみてください。

 

チャップリン映画の傑作の一つに「モダンタイムス」がある。あの映画を観て、多くの歯車君、実はそれって君のことだよとチャップリンから指摘されているのに気付かないのか?



tom_eastwind at 16:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌