2006年11月
2006年11月30日
今年もワークビザから永住権へ。
先週末から、あちこちから朗報が届く。
今年もまた、移民局の技能移民部門の申請数調整だろう、ワークビザ保持者に対して「永住権申請しませんか?」の招待状が出回り始めている。
旅行会社で4年、ワークビザで働いているが、学歴も日本の職歴もない状態で、英語もIELTS6.5が取れてない日本人。
そんな彼に対して移民局から「永住権申請してみませんか?あなたなら取れますよ」という手紙が届いたのだ。
2年前にもそんな事があった。移民法のルール変更により技能移民の申請数が大幅に減った為(5万人の枠に対して2万5千人程度の申込)、その時にワークビザで働いていた人に急遽、「永住権取りませんか?」と、ばら撒きをやったのだ。
そう言えば今年も、アジア系の移民不足だという話が、後半になって出てきている。投資家ビザのルールも緩和されるという話も出てきている。
これは推測だが、経済の活性化の為に空港や高速道路を作っているが、その資金がそろそろ不足し始めていて、その資金をアジア系移民に求めてるのかもしれない。キーウィとしても、実績としてアジア人が持ってくる金の大きさは理解している。いくら英国移民が増えても、彼らはお金を持ってこないからね。
さて、学歴も英語力も職歴もない日本人が、招待状が来たからと言って申請出来るのか?てゆ〜か、申請しても永住権が取得出来るのか?
僕の今までの経験で言えばYES
移民局から手紙が来た時点で、無犯罪証明と健康診断さえOKならば、英語能力は「長い事NZで働いているから英語が出来る」と見なされるし、職歴にしても「NZですでに数年働いているから立派な職歴」だし、学歴がなくても「実際にNZに貢献しているから」と、移民局は判断してくれる。
移民局は、彼らが作ったルールをどう運用しようと、彼らの問題だから、それが公平かどうかという問題は関係無いという理屈なのだ。
このあたり、整合性を気にする日本人からすると、理屈としてはどうかと思うかもしれなしが、これで永住権が取れる人からすれば、そんな机上の整合性よりも自分の生活の方が大事だから、もらえるものならもらいたいとなる。
米国でも、永住権を抽選でばら撒きしている訳だから、理屈よりも現実が優先する。
年末にかけて色んなサプライズが出るよと弁護士が言ってたが、いよいよクリスマスのシーズンという事だろう。
写真は、淡いピンク色の花を咲かせている木。名前は不明。
2006年11月29日
自由?
先週の就職フェアあたりからずっと、パーティや外食が続いている。
土曜日は昼から就職フェア終了後、お客様のご自宅でバーベキュー。夜はシティに戻り、山水で飲みながら仕事の打ち合わせ。とは言いながら、最後は出来上がって終わり。
日曜の夜は家族と一緒の外食。開店パーティに呼ばれた和食レストラン「Eiji」にやっと席が取れて食事。偶然友達にも会い、おいしい食事を楽しむ。これはこれで、後でトラブルの元になるのだが。
月曜は、出発前に会っておきたかった知合いを誘うが、ほかに予定ありという事で、急遽スペアのメンバーとカップビレッジに新しく出来たUMI(海)という日本食屋に行く。
味はOKだが、運営がまだまだ慣れていない。こればかりは、実際にお客が来て、スタッフがこなれてこないと難しいな。
その後も遅くまで飲み、知り合いにも会って、最後は山水でしめてきたが、さすがにかなり酔った。記憶がかなり不鮮明なのは、酒のせいか、それとも体質?もしかして僕は、お酒を飲むと酔っ払うという、特異体質か?
山水では、いつも会う飲み仲間のおやじ連中に「あんたも楽しそうに、よく自由にふらふら出回ってるね〜」とからかわれた。これでも、普段は週5日、家庭で料理を作っているんだけど、飲んでる時に大声で騒ぎすぎるから目立つのか?
何だかこの4〜5日は、全部が繋がっている感じ。途中に家に帰ってはいるのだが、何となくその記憶も薄れてて、結局先週の土曜日から今までが、一つの塊になっている。
かなり色んな人を怒鳴り上げた気もする。気のせいか?う〜ん、今まで一度も話した事がない人からも、もしかしたら恨まれてるかも。てゆ〜か、これから恨まれそう。背中に鉄板入れておいた方がいいかも。
まあ、それにしてもよく飲んだものだ。香港では刺されないためにも、少し大人しくしておこっと。
2006年11月28日
明日から日本出張
今回は11月29日にオークランドを出発、香港で1泊してから東京入りだ。
12月03日が説明会で、その後新幹線で西に下りながら個人面談。最後は福岡まで行ってから、香港経由でオークランドに戻る日程。
それにしても、参加者の年齢がどんどん若くなっているのが興味深い。
今回の参加者は10名程度だが、平均年齢計算したら、何と36歳!
去年あたりからその傾向があったけど、やはり若い世代ほど危機感を持っているのだろう。日本が何となくきな臭い方向に進み始めて、自分達が65歳になった時にもらえる年金もなく、医療費はどんどん高くなり、職場ではストレスが溜まり、子供が学校に行けば虐めや殺人事件に巻き込まれるような国では、子育てもままならない。
こんな国では子供を育てられない、そう感じる人が増えているのだろう。
この時期、着る物にちょいと躊躇する。東京が寒いとは言っても14度程度。オークランドは夏と言っても、今日など15度くらい。だから基本的に似たような格好でいけば良いのだが、その後の名古屋、京都、福岡、そして香港は26度と気温が変化するので、少しずつ薄着にしていく事になる。
移住のネックは現地の仕事があるかどうか、そしてビザが取れるかどうかの2点である。その為に必要なものは、何よりも英語力。起業家ビザにしても技能移民にしても、英語が出来ないと申請出来ない。
但し、ワークビザであれば、英語力は中級程度でOKだ。最初の2年程度は英語力を付ける為にも、ワークビザを取得すればよい。オークランドでは難しいワークビザ申請でも、クライストチャーチやクイーンズタウンで申請すれば、比較的に取り易い。
永住権を取得するのは最終目的ではなく、安全で安心な生活を送る為に滞在に必要なビザを持つという事であれば、ワークビザでも十分だ。2〜3年過ごして見て、それで生活がいけそうなら、その時に永住権申請をすればよい。
だから、行ける!と思った時に、さっさと準備して渡航すればよい。気軽に言うなって感じかもしれないが、若ければ若いほど、移住の機会は大きい。時間をかけるのは、新しい生活の踏み出しにびびっているだけだ。
無鉄砲なのはまずいが、400万円程度の資金があれば、早く渡航した方が正解だと思う、今の日本の環境だ。時間をかけても、用意出来るのは精々資金のみだ。極端な話、親から借りてでも、取れるうちに永住権を取得して、子供の将来の為に備えた方が良い。
写真はスターバックスのパンコーナー。二日酔いの時には、ここのパンと紅茶が朝ご飯になったりする。
2006年11月27日
永住権と会社設立
最近、あ、これは多くの永住権希望者の方に理解して欲しいなと思った点がある。
それは、永住権取得と会社設立や投資には直接の関連がないと言う点。補完している部分はたくさんあるけど、あくまでも対応する政府組織や法律が二つに分かれていて、その両者には直接の関連はない。
例えば家を買えば永住権が取れるかと言うとそうではない。
でも、永住権取得後、家族は先に移住して住宅も買い、子供は学校に通っている場合、主たる申請者がNZで最初の2年を過ごせなくても、主たる申請者の永住権は無期限ビザに変更できる可能性がある。
また、ワークビザでも会社の設立は出来るが、会社を作ったからと言って自動的に永住権が取得出来るわけではない。
でも、起業家ビザを申請する場合は、NZで会社を設立、又はすでに存在する会社の25%以上の株を購入する必要がある。
このように、永住権取得と会社設立や投資は、それぞれにお互いを必要とするケースがある。
だが、永住権は移民局の移民法が管轄しており、会社設立はカンパニーオフィス及びNZ商法が管轄している。だから対応する組織が違う訳で、このあたりをすべてひと括りに考えてしまうと、ビザが先か設立が先かと悩んでしまう。
だから、基本的にはこの二つは全く違う性質のものだと理解した方が良い。移住をする側は一つなのだが、受入をする側は、全く違う二つの組織であるといいう事。
移住では、どのカテゴリーでビザを申請するのか、何故そのカテゴリーなのかをしっかり理解して、ほかに選択肢がないのかを考えた上で決める必要がある。
そして会社設立や住宅購入等の投資では、その投資の目的が単なる収益の為なのか、それとも将来的に永住権取得にプラスに繋げたいのか、お金を日本に戻すか戻さないか、相続対策を行っているかなど、そのような基本的な条件を自分がしっかり把握していく事が大切だ。
これをやり始めるとパズルやアミダくじみたいにぐっちゃぐちゃに広がっていくが、それを最初にしっかり作りこんでおかないと、無駄な時間とお金ばかりかかって、なかなか自分が描いた像が実現出来なくなる。
これから夏、不動産投資の一環としてNZの住宅の購入をする人が増えるが、自分が何を目的(移住?投資?起業?)としているのか、そして全体像がしっかり把握されているかどうかを確認してから購入を決めたほうが良い。
写真はグレンフィールドショッピングセンターの、階段式ではない、ベルトコンベア式のエスカレーター。
2006年11月26日
山水
久し振りに山水で食事をする。
スタンフォードホテルの改装に伴い3ヶ月ほど閉店していた山水だが、やっと今月から開店して、下の服やさんやHISも戻って来た。
でも、入口付近のコンクリートの壁はあいも変わらずで〜んと座ってて、どう見ても開店しているように見えない。
ついでだから、コンクリートの壁にポスターや料理の写真でも貼りまくればと思ってるが、なかなか動きが遅いのがいらいらいらいら。
でもって、久し振りに夕食を食べてみると、ほうほう、料理の質が前回より向上している。いわゆる和食ではなく、飾り付けや包丁の入れ方が、ずいぶんと洋風である。
これなら十分にお客を惹きつけられる内容だ。
ランチはすでにお客が戻ってきており、満席になる日もあるくらいだ。後はフロアスタッフの教育というか、総入れ替えさえすれば、十分にお客様に納得してもらえる。
窓の外に見える工事現場の足場、どうも見かけが良いものではないが、これも、何かの売りに使えるだけ頭脳があれば、あとちょっとで客足が戻ってくるな。大事なのはセンス。汚いものを汚いと感じる心があるかどうか。給料貰って働いてますだけなら、どうぞよそで仕事をして下さいって事。
写真は、シェフお勧めコースの前菜3品と飾り寿司。こういう時は、ちゃんとしたカメラが欲しいと思う。
2006年11月25日
海外移住計画
人の正しき道が行われていない時代が、どんな歴史にもあります。国が乱れ、民が生きる希望を失っている時代である。
そんな時代に国の財政が逼迫すると必ずや、心の腐ったこざかしい悪代官や奸臣のたぐいが用いられます。こう言ったヤツらは人々を苦しめるのに躊躇がないから、巧みに民から絞り上げる。
すると乱れた時代には国の指導者はますます権力を与えて好き放題にさせる。
奸臣は増長して、卑劣な手を使う。法律を勝手に変更し、暴力で民を脅し虐げ、民の命さえ奪うのである。
*******西郷南州翁遺訓********
この文章は明治初期に西郷さんが語った言葉だが、思わず今の日本の事かと思ってしまう。
日本はバブルによって物質至上主義になり、失われた10年で国家の根幹が崩壊し、自殺者が増えている。
そしてまさに国家の財政は崩壊しており、特に今年になってから増税、課税の厳しさは、今までの流れでは考えられない程だ。まもなく海外に送る個人資産すべてに課税されそうな勢いだ。
そして役人は、障害者自立法、医療行政の切り捨てなどどんどん法律を変更している。民主党の代議士は刺し殺され、加藤紘一議員の家は火をつけられ、民間でも元ライブドアの野口さんの沖縄変死事件が起こった。
西郷さんの言葉は更に続く。
***
このような時代は、国民が政府を一切信用しなくなる。納税しても、その金は汚職や役人のお手盛り、無駄な工事など、国民の為に使われていない。
事ここに至っては、もはや民も耐え切れなくなる。理不尽な重税から逃れようとする。
政府は民から税を搾ろうと卑劣な手を使い、民は税から逃げようと、あらゆる手段を使う。
こうなると、愛国心はすっかり冷え、国そのものから離れてしまい、結局は本当に取り返しのつかぬ破綻を迎えます。
******西郷南洲翁遺訓*******
西郷さんの時代では想像もつかなかっただろうが、今は飛行機がありインターネットがある。だから、政府が卑劣な手で国民から税を搾ろうとすれば、国民は、日本人でありながら、海外の国に、それも筋の通ったお金の使われ方をしている国で納税しようという事になる。
これこそ西郷さんが言う「国そのものから離れてしまう」と言う比喩が、比喩ではなく現実の問題として出てきているのだ。
今の時代、本気になれば移住は出来る。行く先で仕事、ビザ、学校、医療さえしっかりしていれば、後は民が本気で腹をくくるだけだ。
このまま政府によって巧妙に税を搾り取られ、干からびて奴隷になるのを待つか、それとも自分の子供たちに将来を与える為に、新天地に飛び出すか。
それにしても明治維新の時代、日本には凄い人物がいたものだ。彼だけではない、勝海舟、坂本竜馬、高杉晋作、その他、綺羅星のように出現した人々が、一瞬の間だけ光って天に消えた。そして残った俗人が運営したのが、明治中期以降だと言える。
「無事は有事の如く、有事は無事の如く」
時代が変わっても、世の中の根本的な仕組は変わらない。無勉強と無気力が人を堕落させてしまい、政府の奴隷になる。学び、しっかり目を開き、リスクを取って進んだ者にのみ、道は開けている。
西郷隆盛は西南の役で戦死するが、彼の教えは今の時代でもそのまま通用する。道に迷った時に読む本だ。
2006年11月24日
Park and ride
Park and ride
最近シティへの車の流入量を減らす為、と言うか、これ以上増やさない為にシティカウンシルが始めた政策。
主にノースショアの激増する住宅地から高速道路に入る手前に大きな無料駐車場を作り、そこでシティ行きのバスに乗り換えようぜという作戦。
これは1990年代から諸外国で取られている方法で、ニューヨーク郊外にも同じような仕組があるのを、今読んでる本「王者のゲーム」で知った。
ニュージーランドは人口300万人の国って、ついこの間まで言ってたが、あっという間に400万に増えて、今年も移民がやってきて416万人に増えており、更に毎年3万人程度増加していくだろう。オークランドはその中で最も多くの人口と、同時に移民の多い街でもある。
「王者のゲーム」では、主人公の刑事がニューヨークのタクシーに乗る度に運転手に聞く。「ハイ、君は何処から来たんだい?」圧倒的に多い答は、その頃は「パキスタンやイラク」だった。
そう言えば今のオークランドも、シティで客待ちをしている運転手でも、白人は5人に1人くらいだろう。新興タクシー会社が、安さを武器にして中東からの移民に運転させている。髭を生やした浅黒い顔の運転手が、客待ちをしながら朝からわいわい、彼らの言葉で喋っている。
そうそう、本によるとニューヨークも同じだったらしいが、とにかく最近のオークランドの運転手は道を知らない。試験の際には地理のテストもあるはずなのに、住所を伝えても「そんなのは知らん」とか平気で言ってみたり、「おお知ってる」とか言いながら、ノースショアの住所なのに西行きの高速に乗ろうとしたり。
サービスも低下している。酷いのになると、近場だと乗った瞬間から運転手がぶつぶつ言って、「それくらい歩けよ」と平気で乗客に言ったりする。
そう言う意味では現在のタクシー行政には、もうちょっと制度を厳しくしてもらいたいと思う。
以前銀座で飲んだ後、タクシーに乗り恵比寿に戻ろうとした。8丁目の裏側で30台くらいが行列を作って客待ちしている個人タクシーを拾って行く先を伝えると、昭和通に出てたタクシーの運転手、いきなり「ちょっと〜、お客さん、あんたさ、そんな近場ならどっかその辺で拾えばいいでしょ、何でわざわざあそこで拾うのよ〜」と言われた。
かなりマジ速攻で切れた僕は、財布から千円札を抜き出すと、そのまま運転手に投げつけて「ざけんな、ごら〜!嫌なら最初からそう言わんか!とっととこの場で止めろ、くそぼけ!」と怒鳴り上げて、片道4車線の真中で運転席の背中を思い切り蹴飛ばして、急ブレーキ踏んで止めさせた記憶がある。
オークランドのタクシー運転手が料金をぼったくるケースも、最近急に増えた。僕も昔一度、そんな事があった。僕のうちはノースショアなので、シティから来ると橋を超える。その時に、帰りの料金を払えと言うあふぉがいた。
もちろん丁寧にお断りしてから退散してもらったが、全く、普通にタクシー乗るのも大変だなと思った。
普通の日本人だと、それだけで街全体の印象が悪くなり、「何だこの街、次は来るのやめよう」と言う事になる。そうやって運転手は、自分で自分の首を締めている事に気付かない。
いずれにせよPark&Rideは、ノースショアの高速道路に併設するバス専用レーンの来年の開設で、一気に利用量を増やす予定だろう。
西部高速道路も開発が進んでいるし、これから益々人口増加が見込める街で、まずは十分な受け皿を作り、計画的な人口増加を進めていくことになるだろう。
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2006年11月23日
バルカンレーン
最近すっかりご無沙汰しているバルカンレーン。以前この近くのメトロポリスアパートに住んでた頃は、よく飲みに行った。
そのうちの一軒にVoodooCafeがある。一階には回転寿司が入居していて、2階部分がカフェなのだが、実態は何の事はない、普通のバーである。
夜の8時くらいからごそごそと人が集まり、その当時は店で煙草を吸えてたので、随分ヤニ臭い店だった。何せ換気扇がどこにあるか分らないような、うなぎの寝床みたいな作りだから、けむいけむい。
でも週末はライブが入り、朝方まで賑やかになる。怪しい風体の連中が真夜中過ぎにちょっと顔を出して、ビールを数杯飲んでから、どこかにふらっと出て行って、暫くするともう眼が飛んでる状態で、ハイになって戻ってくる。
テーブル席は隣との仕切りが高く、あれって、立ち上がっても隣が見えないくらいだから、180cmの仕切りだったと思うが、殆ど昔の日本にあった「個室喫茶」みたいな状態。他人に干渉されずに飲むには、丁度良かったのを憶えている。
最近はオーナーが変わったようで、外壁をぶち抜いての工事中。新しい店に変わる様子だが、実はこの通り、政府による建造物指定(Heritage)を受けてて、簡単に作り変えることは出来ない。
写真下にあるのは、カフェと回転寿司屋の向かいにある、オークランド在住日本人なら、一度は行った事があるか、聞いた事のあるお店「Occidental Cafe」だ。ベルギービールを出す店だが、この両端にある店は、どちらも1800年代後半に作られたホテルをそのまま使ってバーにしている。
ニュージーランドは新しい国だが、イギリスの伝統と言うか、古くても良いものは残す習慣があって、それがバルカンレーンの雰囲気を残している。
工事中のカフェの一階の回転すし屋。昔は旅行屋がよく仕事帰りに集まって、メニューにないおいしいものを食わせてくれる日本人シェフのつまみを肴に、昼間は話せない、お互いの企業情報を交換していたものだ。
近ツーの当時の支店長が名古屋出身で、その年の日本シリーズが中日と福岡ダイエーホークスだった。
僕は冷えたビールを飲みながら何気なしに「今年は地方チーム同士の争いですね〜」等と言うと、この支店長、かなりマジな顔で「ふざけんな、名古屋は日本の真中じゃ〜!」と、本気で言ってた。
名古屋人って、本当に自分のふるさとを愛しているんだろうなと思った記憶が残っている。今、名古屋は実に活気がある。当時と比べると、隔世の感がある。
カフェの工事を見ながら、前世紀を思い出した朝だった。
2006年11月22日
今年2回目のJury その2
さて、11時45分に再度集会場に行くと、係員のマオリのおばさん、申し訳なさそうな顔で、「みんなごめんね、実はあなたたちは他の法廷になったのよ」と、実に申し訳なさそうに言う。
どうしたのかという皆の質問に「実はね、皆が解散した後に殺人事件の裁判長がやってきて、会場、じゃなかった法廷を変えてすぐにやるので、残った連中全部引き立てろって事になってさ、本当は選ばれなかった人たちが、そっちにいっちゃったのよ」だってさ。
最後に彼女、「でも大丈夫、これで皆さんの日当は一日分、62ドルになったから」って、慰めかいそりゃ。
でもって、残った僕ら50名は、そのまま第三号案件の麻薬事件に回される。この法廷では6名が同時に起訴されている為、期間が長いという事が判明。3週間の予定で審理。本来この裁判に参加する予定だった連中、じゃない陪審員は、殺人事件に回されたとの事。裁判長は、どうもすべての手続を無視出来る権利があるようだ。
さて、今回僕らが参加した法廷は、前回の中サイズ法廷と違い、小学校のクラスを3つぶち抜いたくらいに広い。丁度海側に面して、窓のカーテン越しに隣のマンションが見える。え?と言う事は、あそこからも双眼鏡使えば、こっちが見えるのでは?そんなイラン心配しながら、僕らはぞろぞろと入廷。
教室で言えば父兄参観の位置に僕らの椅子が並べられ、先生の教壇の位置には、まだ座ってないが裁判長席、生徒の位置に当たる場所は、山のような、と言っても15名程度だが、放送関係者、じゃなかった、法曹関係者、つまり弁護士連中。
今回弁護士が異常に多いのは、被告が6名で、それぞれの被告に二人づつ弁護士がついている為だ。一人は主任弁護人、マントを着た極悪人、とまではいかないが、顔に気合が入ってる。もう一人はアシスタントだろう、まだ若い顔を少し火照らせながら、ボスのいう事を一言も聞き漏らすまいと緊張しているのが分る。
クラウンと呼ばれる、日本で言う検察は三名。数では圧倒的に負けているが、さて、どんな法廷戦略を練っているのか?
クラウンとは、裁判や警察関連では必ず出てくる単語で、権威とか法廷等を表す時によく使う。同じ元植民地の香港でも「クラウン」はよく使ってた。
広東語で「皇家(うぉんがー)(天皇家と入力して天を除ければ変換可能)」と呼び、赤柱刑務所で食う臭い飯の事を皇家飯(うぉんがーふぁん)=クラウンライス=王様の飯と呼んでいる。僕はまだ食った事はないが、皇家が出す中華料理なので、さぞ美味いのだろう。
さて、僕らが全員座って5分もすると(呼んでおきながら、5分も待たせるとは、主権在民を分っているのか?等と言わない。僕はあくまでも外国人)、裁判長がやってきた。全員が起立して礼。おお、小学校とそっくりだ。級長が起立!と言って、全員が立つ、あれだ。
さて、右手奥の扉から、身なりや雰囲気の良い6人のおっさんが出てきた。彼らの後ろに警備員さえいなかったら、僕はまた、入口を間違えたと思ったくらいだ。
被告は順番に、その罪状を呼ばれる。罪を認めるか、認めないか。Guilty or not Guilty ? という質問に、被告がおもむろに答える。殆どが無実を主張する中、鼻髭を伸ばした、豊かな銀髪のお洒落な中肉中背(日曜の昼下がりにカフェで会うかヨットの上で会えば、次の日曜日に自宅のバーベキューに呼びたくなるタイプ)が、2件の罪を認める。
彼は全部で7個くらいの罪状で訴えられており、2件くらいは裁判所の手間を省いてやるかって事か?
他の連中もこざっぱりしており、堂々と「Not Guilty」と言い続けている。もしかして彼らは本当に無罪なのかと思い出した頃、裁判長が僕らに向かって話し掛ける。
「さて皆さん、本日はお集まり頂き、誠に有難う御座います」おや裁判長、わりかし紳士な言葉使いですね。
「皆さんの行動がこの国の民主主義と正義のシステムを守っているのです、皆さんの参加が何よりも大事なのです」そうそう、おっちゃん良いこと言うね。出来ればそれ、日本に来てこれから裁判員制度を導入する政府及び国民の皆さんに話してもらいたい。
「尚、この裁判は英語で行われます。参加された方で、英語が第二言語である方、証拠書類や証人の発言が理解出来ないという不安がある人は、最初に申し出てください。また、裁判で今後召喚する証人、被告名、その他関係者の名前を読み上げますので、もしこの名前に聞き覚えがある、または直接知っていると言う場合も、申し出てください」
そりゃそうだ。周囲の50名を見渡すと、半数は白人以外だし、僕も含めて英語がネイティブでない人も目立つ。国が無作為で選ぶ時には、永住権とか市民権では区別しないだろう。英国出身の永住権保持者もいるだろうからね。
「最後に、陪審員に選ばれた人は、弁護士がそれを拒否する権限があります。これは個人的に馬鹿にするものではありませんので、腹は立てないで下さい」本当はもっと丁寧な言い方をしているのだが、僕の語彙では、どうやっても「馬鹿」とか「腹を立てる」という言葉にしか変換出来な。翻訳については裁判長の責任ではない事を記しておく。
要するに、弁護士に都合の良い陪審員を選ぶ為に、都合の悪そうなのは最初に削除するという法廷戦略だ。が、そこまで裁判官が言う事も出来ないので「馬鹿にしているんじゃないからね」と、言葉を濁しているのだ。周囲でくすくす笑いが出てる。厳粛なる法廷で、裁判長が屁をひったようなものだ。
そんなこんなで陪審員選びが始まる。先ほど使った商店街のがらがらが、ここでもまた登場する。裁判長の目の前の席でがらがらやってるが、この場合「一等賞が出ました!」なんて鐘は鳴らさない。荘厳な顔つきで名前を呼ぶだけだ。
最初に呼ばれたのは中国系の若い女性。先ほど彼女が話をするのを聞いてると、この子はネイティブだから、聞き取りの問題はないな。参観席から、左手に12席ある陪審員席に向かう。彼女の姿を斜に構えて、今にも飛び掛りそうな目つきで見るはげたか、もとい弁護士軍団。
と、突然マイクが音を立て、ぷ〜、ではなく、「Challenge」と、冷たい声が上がる。弁護士による忌避、つまり拒否である。
ならば最初から拒否と書けという意見も理解出来るが、その場は「拒否」なんて,普通の世界の言葉が通用しない、まさに法廷の雰囲気なんですな。さっきの語彙不足とは話が違うと言われると、謝るしかない。
その時の気持をそのまま日本語にしていると、どうしてもこうなるのだ。彼女は悲喜こもごもな顔で自分の席に戻る。
二人目。今度は何といきなりロシア系。40代後半の、少しやせこけた彼は、黒く煤けたジャンパーに,よれたねずみ色のズボン。すそが引きずって擦れてる。埃だらけの黒い靴は、どう見てもウエアハウスで20ドルで買ったビニール製だ。おまけにこけた頬に無精ひげが目立つ。
こいつ、さっきの集合場所で係員に話し掛けてた時の英語を聞いてたが、IELTSで3くらいだったぞ。大丈夫か?てゆ〜か、裁判長の話さえ理解せずに陪審員席に向かっている可能性があるぞ。やっべ。
案の定、弁護士連中はにやにやしながら「大歓迎!」って顔をしている。起訴側の連中の「あちゃ〜!」という顔と比較すると、人生の悲喜劇がよく見えてくる。ある人にとっての悲劇は、ある人にとっての喜劇なのだ。
さて次。今度は韓国人の学生さんだ。銀縁眼鏡をかけた細身だが、こいつはやはり先ほどの集合場所で大声で英語喋っておちゃらかしてて、第二言語だけど十分に英語こなしていたので、学生歴+社会人経歴があるのだろう、すたすたと歩いていった。これも弁護側にはOK。週末は「いえ〜自由!」とか言いながら、草吸ってんじゃね〜のかって感じ。
次は目がイッテル中国人学生。背の高い、これも一皮剥けば、シティのホテルで友達を殺してスーツケースに詰め込んでワイテマタ湾に浮かべそうな、やば面。
又も弁護士連中、にやり。てゆ〜か、ここに至り、彼ら笑ってる!「おいおい、こんなにも移民が来るなんて!こいつら皆、うちの被告連中のお客さんじゃねーかよ、じゃんじゃん来いよ!」って、弁護士連中の高笑いがここまで聞こえてきそう。
その後も忌避が5件ほど続き、結果的に陪審員のうち白人は5名、マオリ系とインド系が2名づつ、露中韓が1名ずつの12名が決まった。面白かったのは、名前を呼ばれたうちの2名が不在だった事。白人の名前だが、彼らは正義の実現よりも、子供の学校の迎えの方が大事なのかもしれない。
全員揃ったところで別の部屋に移動、フォアマンと呼ばれる、「裁判長、全員の意見が揃いました」と言う、裁判の最後に発言する人を決める為の打ち合わせに入る。
僕は最初から、中肉の、知的な白人女性が選ばれるだろうと思ってた。5分後、案の定、彼女がフォアマンになったと、裁判長に報告。
これも笑い話だが、陪審員のうち白人女性の三人とインド系二名(女性)を除いた七名ならば、休憩の後に被告の六人と「総替え」して反対に座っても、誰も気付かないだろう。「あれ?一人増えたね、まあいいや」って感じで裁判が進むだろうって、そんな顔つきなんだもんね。
さあて、これでショーの始まり。被告である麻薬の売人と、その買い手?である陪審員の、3週間の法廷闘争が始まる。3週間後は日本だけど、裁判の結果を聞いてみたいな。
今回の陪審員団150名のうち、僕以外の日本人らしき人は一人のみ、まだまだマイナーな日本人でした。
2006年11月21日
今年2回目のJury その1 NZの陪審制度
月曜日の朝、夏だと言うのにひんやりした小雨の中を傘も差さずに高等裁判所に向かった。
高等裁判所の正面玄関から地下にある集合場所までギャロップで駆け下りたら、時計は丁度集合時間の9時15分を指しており、部屋から溢れ出た人々の後ろに並んで、雨に濡れたジャケットを拭きながら、係員に名前を呼び上げられるのを待っていた。
そう、今日は高等裁判所の陪審員に呼ばれたのだ。一年で二回目って事で要領も分かったので、今回はかなり余裕で周囲を見る事が出来た。
この部屋に呼ばれたのは、オークランド地域に住む無作為に選ばれた約150名の人々。でも、肥ったおばさん(刑務所の面会で行列を作る人)とか目つきの悪い学生とか昨日のラリがまだ残っているような失業者みたいな、あまり雰囲気のよろしくない人が目立つ。
僕は、もしかして間違って被告側の集団に混じって裁判のレクチャー受けてるのか?そんな事を疑い始めた時、係員が僕の名前をMr付きで呼んでくれたので、どうやら自分が正しい側に立っている事が分る。オフィス街で働く白シャツ連中は、色んな理由をつけて断っているのかな。
今日の法廷は3つ。発表がある。第一号は、麻薬の違法所持と販売で、3週間程度の審理。軽いな、これは。でも何でこんなに長いんだろう?
陪審員に選ばれたが初めての人も多いようで、今までは「他人事」だったのが、このあたりで「自分事」に感じられたようだ。
本当に自分が選ばれたら3週間会社を休めるのか!それとも失業中だからダブルインカムになってラッキー!と思ってるのか、いずれにしても少し明るい雰囲気が漂う。
ちなみに会社員が陪審員に選ばれた場合、その期間の給料は会社が全額保証して、有給休暇とは別に休みを与えなければいけない。選ばれた会社員にとっては宝くじに当たったような喜劇、社長にとっては出会い頭の交通事故のような悲劇である。
陪審員に対しては更にこの期間、一日につき62〜84ドル程度の日当と、交通費が支給される。この日当を確定申告するべきかかどうかは、外国人の立場で厚かましいと思ったので、あえて聞かなかった。
そして第二号は、おおっと出ました、殺人!それも3件の罪状で告訴されている、普段は絶対に会えない極悪人だ!人権擁護のこの国では果たして「社会による復讐」が承認されるのか?!何てはしゃいでたのは、どうも僕だけのようで、周囲の温度が真夏のオークランドから真冬の南島の峠の吹きっさらしみたいに、一気に下がるのを感じた。
見かけはかなりイッてる陪審員でも、実際の生活で殺人事件なんて遭う事はなく、想像もしない人々ばかりが集まってるんだな。「死」という冷たい空気が、霧のようにみんなの上に覆い被さる。
「この審理期間は4週間、50名を選びます」陪審員候補が他に比べて特別に数が多いのは、重要事件なので陪審員拒否等もたくさん出るだろうとの裁判所側の読みであろう。
3件目は強盗事件で、これはあまり重要でないので、審理期間は一週間。
どの法廷に当たるかは、150名の皆の目の前で、商店街のくじびきで使う六角形の「がらがら」に名札を入れて、がらがら回して順順に抜き出していくと言う方法。
150名の中で陪審員候補になるのは100名程度。他の人は、名前を呼ばれなかったらそこで帰ってよい。勿論お金は31ドル+交通費を貰える。
僕の名前は、結局殺人事件の陪審員を選ぶ際の、ちょうど25名あたりで呼ばれた。さ〜て、殺人犯の顔を拝みに行きますかと思って、50名と一緒に外に出ると、急に係員が戻ってきて「16号法廷を用意してたんだけど、都合がつかなくてさ、後1時間くらいその辺でぶらぶらして、11時45分に再集合してね」という説明。
何じゃそら。仕方ないので、正面玄関横の喫茶店で、ソーセージロールとアールグレイの朝食を取る。
この喫茶店は1800年代の暖炉やアイロン、レンガの壁などの調度を残してはいるし、働いてるおばあちゃんも、その頃から働いているのかと思ってしまうが、お客はマントを来た弁護士やPA(パーソナルアシスタント、要するに弁護士見習かお手伝い)が打ち合わせをしている。
彼らの脳みそは現代の法律でぎっしり詰まって、戦闘態勢バリバリの雰囲気が、5m離れたこちらのテーブルまで伝わってくる。
彼らの恰幅のよさは、その態度で陪審員を圧倒し、出来れば食いついてでも被告を無罪に持ち込み、最後に目の玉が飛び出るような請求書を被告の家族に送りつけようとしているのがみえちゃんですわ。そりゃまあ、彼らの場合は出来高制ですから、気合も入ります罠。
ここで負けたら,何の為に苦労して大学出たのか、意味がないのですな。
隣のテーブルでは、軟らかそうな巻き毛の金髪の20代前半の男の子が、更に軟らかそうな脳味噌でこの状況を楽しんでいる。
定職もないのだろう、これから4週間をどう過ごそうか、ねえねえ、殺した奴って、この前の新聞に出てたあいつだよねとか、隣のテーブルに一人で座るジャンパー姿にスリッパのマオリのおっちゃんを掴まえて、くっちゃくちゃとくっちゃべっている。
長くなったので、明日に続きます。写真は、高等裁判所内にある、高等裁判所の模型です。実物ではありません。
2006年11月20日
ちゃんぽん
土曜日は、久々に自宅へお客様(お一人様男性)を昼食に招く。
実は一週間くらい前から、メニューをどうしようかと考えていた。
「お一人様」だし「男性」だ。オークランドに午前9時到着、そのまま昼食なので、体も少しは疲れているだろうし、胃袋も重いかもしれんな。
大人数なら速攻でバーベキューだが、男二人で肉焼いてもしょうがない。
そこでテーマを決めた。ニュージーランドの食材を日本の調味料で!
まずは太平市場(地元中国系スーパー)でサーモンの刺身を買う。真空パックになっているが、脂の乗った奴を一袋。5人分くらいで12ドルだ。
次に隣のウールワース(スーパーです)でフィレットを300g購入。これも12ドルだ。
最後にオークランド南部の中華料理工場で作られている中華麺。これはLihuaという銘柄の油麺で、ちゃんぽんに一番適している。
2日前から十分ん煮込んでおいた豚骨スープ、たっぷりと作って、実に良い白濁色に仕上がっている。
これ、全部ニュージーランドの食材だ。
サーモンは、日本で作られたキッコーマン醤油、チューブわさびをあわせる。
フィレットは、さいころ切りにして、1時間ほどエバラ焼肉のタレに漬け込む。
ちゃんぽんは、地元の新鮮な野菜、油抜きした豚肉、そして日本の冷凍かまぼこ、中国から来た乾しきくらげを戻して、一気に作り上げる。
昼間からニュージーランド産のスタインラガーを飲み、男の手料理でサーモン刺身、牛肉、ちゃんぽんを食べながら、最近の日本を語る。
あいにくの雨模様だったが、約3時間、男二人でゆっくりと話す事が出来た。
やはり危機感を持った人が、日本の中でも出て来ている。「普通じゃないんですよ、僕。こんな事話しても、皆理解してくれませんけどね」
彼の住む街ではそうだろう。でも、日本全国で見れば、そう言う「普通じゃない人」が増えている。日本が見えて、将来が見えてくる人。彼らの選択余地は、それほど多くない。目をつぶってそのまま日本にいるか、目を閉じて海外に飛び出すか。
夜は東京の税理士さんとスタンフォードホテルの歌舞伎で会食。これまた、日本では語れないような裏話の連発。日本は、やっぱり大きいな。日本人が変われる、そう感じた一日でした。
写真は、お題目と全然関係ない、ビクトリアストリートから眺めたスカイタワー。
夏、です。
2006年11月19日
Don't jus dream it, be it
今日はハミルトンでラリーが行われている。公道レースではなく、山道を跳ね回ったり飛び回ったりしながら走る、あれ。
ニュージーランドは、ラリーの競技が盛ん。特に北島は、そのまるっこり、どこでもすぐそのままゴルフ場に出来そうななだらかなでんでん虫みたいな地形が続き、その斜面をうまく使った遊びが多い。
四輪車ならラリー、二輪車ならモトクロスと、週末になると車にバイクを載せたトレーラーを付けて山に向かう四駆を見かける。
今日は(僕は行かなかったが)竜馬くん9歳が通うダンススクールの発表会でもある。昨日は最後のリハーサルがあったので、竜馬君を連れてスクールに行く。
そのスクールは、所謂バレー等のかっこよい古典的なダンスではなく、どっちかと言うとジャズダンスやミュージカルに近いのだが、その学校の標語が今日のタイトル。
多分、「夢見るだけじゃ駄目だ、実現しろ!」って言ってるんだろう。これも「夢に日付を」て言う言葉と通じるものがある。
ラリーにダンス、国は変わっても、やる気のある連中は、何をやってもかっこいいな。
ところが、NZに来てまで、一箇所に立ち止まって何もせず、でも周囲で頑張ってる奴の足だけは、ちゃんと引っ張る連中もいる。
何か他にする事ないの、海外に出てまで悪い日本人の癖を引っ張ってくるんじゃね〜よと言いたい。
ぐたぐたと与太をこいてる連中の、あまりにも多い事、馬鹿比率と言うのは、どこの国に住んでも同じなんだろうな。
2006年11月18日
クイーンストリートに軍用装甲車!
左の写真、見てください。
当社ビルの玄関から、道路の向かいにあるナショナルバンクを写した場面ですが、原ちゃりの隣にある深緑の大型車。
そう!装甲車なんです!ニュージーランド陸軍が持つ、上部には小型の砲塔と機関銃を装備する、立派な、現役の装甲車なのです!
秘密にしてましたが、実は僕は軍備マニアな点があり、子供の頃からプラモデルで作ってたのは戦車、飛行機、装甲車、等など軍用プラモばかり。
だから以前ある方のブログで、第二次世界大戦当時の米国製軍用戦闘爆撃機を「セスナ」と書かれていて、「あ〜そうか、知ってる僕の方がおかしいのか」等と感じたりもしたのです。
でもこの装甲車!本当に感激しました。交差点で信号待ちしている人たちも、皆さん次々とカメラを取り出して写真を撮ってました。でも、写されている方の装甲車は、慣れたものと言うか、結構そっけなく砲塔の上に立ってました。
写真を拡大してもらえば分りますが、旋回砲塔の上にヘルメットを被った兵隊さんがいます。
それにしても、隣の原ちゃりのお兄ちゃんの立ち位置を見れば、この装甲車がどれだか大きいか分ると思います。
写真を撮ったのは夕方4時過ぎ。隣では「何でもショートランドストリートで爆弾を仕掛けたって電話があったみたいで、道路閉鎖されてるらしい。そこの爆弾処理に来たんだってさ」等と,キーウィのビジネスマン達が話してました。
その後すぐ、偶然ですが装甲車を追いかけるように僕も駐車場から車を出してクイーンストリートに入ると、ショートランドストリートは道路閉鎖されておらず、普通に車が走っている。
前を行く装甲車は、きちんと信号を守りながら、そのままカスタムストリートを左に走り去りました。
ちなみに、装甲車とは大型トラックみたいにタイヤが独立して付いてて、それに鉄板を張ったもの、戦車とはトラクターのような無限軌道、つまりキャタピラを巻いたものと思ってもらえば、大体合ってます。
結局なんでクイーンストリートを走っていたのか、今も良く分りませんが、まあ隣にいたジモティキーウィの生情報でも、こんなもんだな、そんな事を思いながら、ちょっと嬉しかった状態で家路につきました。
2006年11月17日
N's Cafe
11月は起業のシーズンと言うわけではないだろうが、3軒目の日本人経営の店が出来た。
クイーンストリートという最高の立地で健康志向のパン、クロワッサン、プリン等とコーヒーを出す店が、N’sCafeだ。
ここ数日、ランチはカフェの健康志向のパンを買っている。店内にパン焼き器を置いて、釜だしのパンが食せると言う、きめの細かさだ。
並んだパンは、平均価格2ドル40セント。ニュージーランドではサイズがモノを言うので、料金の割には小ぶりなクロワッサン、店に飛び込んでくるキーウィから見たら手が引けてるようだ。
そのうち、サイズと料金のバランスが見えてくれば、十分やっていけるのではないかと思う。何せ、味が良い。
てゆ〜か、ニュージーランドでは昔からパイ、それもビニールパックに入ったものをチンするのが基本で、パイ生地も、ビニール破る時点でぼろぼろと壊れるし、雰囲気があったものではなかったが、ここは綺麗に焼けてて、非常に食べやすいし、お洒落な気がする。
今のところお気に入りは、ハムとチーズのクロワッサン。昼過ぎに2〜3個買って、オフィスに持ち帰って、紅茶と一緒に楽しんでる。
うまい。健康志向という言葉に単純に反応しているのかもしれないが、机の隅っこに押し込んでるカップヌードルの、麺にべたっとひっついた油のまずさに慣れてしまってる胃袋からすれば、とても健康になった気がする。単純すぎるか?
それにしても、パーネルには外国人経営だが本格的な日本食レストランが2軒開店し、そして日本人経営が3軒出来たので、おお、日本食業界も、なんか勢い出てきたな。
この店も、当初の企画は一年前に始まっており、場所探しがとにかく大変だった。その間、パンの試食をオフィスビルの前でやったり、中国人や韓国人のパン屋を食べ歩いたり、経営者も随分準備に苦労をした。
商売に王道なしですが、まずは第一歩を踏み出す事が肝心。
まずは開店おめでとう御座います。
2006年11月16日
今日また新しい店が開店した。
一昨日、セントヘリアーズ(オークランドシティの東側、海に面した超高級地域)に、新たに日本食レストランが開店した。
店の名前はEiji。オーナー兼シェフであるえいじくんは31歳、北海道出身だ。一年程前から、ある飲食店で仕事を手伝いながら自分で企画を練り、お客様の話を聞き、ついに一年かけて開店に漕ぎ着けた。
その腰の低さと粘り、そして場に応じた即興対応の能力は、その若さですでに十分、経営者の器を備えている。
早速出された料理を食べて見る。特に串焼きが目を引いた。オークランドでは焼き鳥なら名店「ken」があるが、串焼きはまだ珍しい。英語だとDeepFryで終わりだが、一本一本をケバブ風?にして、串の油の切れが良い。特別な油を使っているのか、油っぽくない。
肉、魚、野菜など、長さ15cm程度の串の先っぽに、一口で食えるようにしてあるので、女性でも食いちぎる必要はない。
寿司や刺身は、これはどうしてもオークランド標準だ。まだ特別な食材を仕入れるには時間がかかるか。
店は30席足らずの小さな器だが、外見、内装ともにキーウィが安心して食べられる雰囲気で、高級感も漂っている。顧客層は最初から高級キーウィ狙い。安易に日本人を狙わないのが良い。実際今、オークランドで日本人だけを相手に和食をやって商売が成立している店などない。(と思う)
何よりもスタッフ全員が、やる気があるのが良い。初日だからと言うわけではない。実際にNZでは、初日からスタッフがだらけているところも多い。
オーナーの目の届く範囲内で開始したこのレストラン、これから夏場は稼ぎ時だ。是非とも日本標準サービスを、NZに広めてもらいたい。そしてそれを見て、今だらけている日本人オーナー連中も、再度自分のやっている事を見直して、頑張ってもらいたい。
そしてこれから移住を考えている皆さん、焼き鳥Kenが初めてNZで開店したのは前世紀末。オーナーはまだ20歳台。今回の店もオーナーは31歳。皆、ぎりぎりのお金で本気でやってます。
「いつか行こうね〜」なんて傷の舐めあいみたいなこと言ってても、絶対に棚ぼたはない。それが独立や移住の現実だ。
「夢に日付を」とはわたみ社長の言葉ですが、同感です。目標を持ち、実現に向けて日付を入れていく。その作業こそが人間を強くするし、優しくもする。
えいじくん、次の夢に向けて頑張ってください。
追記:帰宅後家族に話すと、「すぐ連れてけ」という事になり翌日夜7時にEijiに電話すると、もう満席。次に串揚げを食えるのは、いつになることか。
2006年11月15日
今年もサンタがやってきた。
久し振りに明るい話題。クリスマスの季節がやって来たな〜、そう思わせるのが、写真のクリスマスサンタ。
このオフィスに引っ越してきてからもう6年だが、最初の3年くらいはサンタを見た記憶がない。
このサンタ、随分古い作りだから、2001年とか2002年だって存在したと思うんだけど、忙しくてそんなもん見るヒマあるかい!って事だったのか、それともその頃は予算がなくて飾ってなかったのか。
今年になってIT関連の技術移民が増えた感じを受けてたが、今日のニュースで、日本の職場で一番ストレス溜まるのがIT、通信業界だと読んで、納得する。一番ストレスの多い業界から、一番たくさんの移住が発生しているのだ。
特に仕事でインターネットを使っていれば、どこか見た事のない国に「新天地を求めて行きたい」となれば、そこは検索のプロだから、自然とニュージーランドに辿り着くのだろう。
人によってニュージーランドの評価は異なる。物価が高いとか給料が安いとかサービスが悪いとか、まあ、とにかく悪い事を並べだしたらきりないほど文句を言う人もいる。
でもね〜、今ニュージーランドを目指している人たちは、少しタイプが違う。
人間らしい生活を求めてくるんだよね。前出の記事でも、ストレスの原因は給料ではなく、上司との人間関係、仕事の量、質、そして遣り甲斐がない事となっている。
だから、自分で稼ぐ自信があって意思の強い人が、現状維持をして結果的に会社や社会に擂り潰される前に、新天地へ行こうとしているのだ。実際に、IT技術があれば、初任給でも年収5万ドルは堅いだろうから、十分食っていける。
1992年のトムクルーズ主演作品に「遥かなる大地へ(原題はFar & Away)」がある。イングランドによる過酷な統治支配をされていたアイルランド人が、米国と言う新天地を目指して旅に出る。そして貧しい若者は、米国到着後、苦労しながら自分の生活と基盤を作って行くと言う話だ。
時は米国の開拓時代だが、何だか、今の日本からニュージーランドへ移住をする人たちと、だぶるものがある。
原題を直訳すれば「遠く、そして離れて」となる。
米国に住むアイルランド系移民は、今もアイルランドと言う故郷は愛している。20世紀のIRA(アイルランド共和国軍)の軍資金を支えていたのは、米国に住むアイルランド移民からの仕送りだ。
当時の英米の親密な関係からすれば皮肉な話だが、つまり、アイルランド移民が間接的に英国人を殺していたのだ。それほどにアイルランド移民は、故郷と国民を愛していたが、支配層であるイングランド人は嫌いだったのだ。
日本という郷土は愛しているけど、日本政府を愛してはいない。だから究極の選択として、生活する場所を変えるという選択をした移住者。これって、虐めから逃げるのと同じか?
究極の一歩手前の「逃げ」かもしれないけど、随分と勇気の必要な「逃げ」ですな。果たして「遠く離れた新天地」は、本当に僕を迎え入れてくれるのだろうか?不安と希望が混在する中で、少ない情報のまま移住してくる人々。でも、日本に住んで緩慢な死を迎えて、死ぬ時に後悔するような生き方は選びたくない。
サンタクロースの、今の日本では考えられない、ちゃちで古くて粗雑な作りは、初めて見る人にはお笑いでしょう。が、少々の不便の引き換えに、ストレスのない人間関係、人間が仲良く信頼し合って生活出来るなら、ハガレンじゃないけど、等価交換以上の価値ではないかな。
サンタパレードは11月26日午後2時からクイーンストリートを封鎖して行われる、オークランドの一大イベントだ。壁のサンタが歩き出すわけではなく、市民参加のパレードで、チームが順順に練り歩くものだ。
毎年、朝から子供が道路際に場所を取って、日本のお花見のような騒ぎになる。丁度クイーンストリートを真下に見る事が出来る当社センターは、毎年スタッフが家族でやってくる。
左の写真は、組み立て中のサンタの足。Whitcoullsという本屋の軒先に飾られている。
2006年11月14日
自殺大国日本
大阪で中1女子、飛び降り自殺。
埼玉で中3男子が自宅納屋で首つり。
北九州市で[たかり]児童の行為発覚の校長56歳が自殺。
岐阜県の裏金調査メンバーだった県総務部長58歳が首つり。
11月12日は4件の自殺が大発生。大人も子供も関係なく自殺してしまう国って、何だろう?
宋文洲と言う、中国からの移民であり、起業家であり、自分で作った会社を上場させ、日経ビジネスのコラムニストであり、現在は会社を後進に譲り経営コンサルタントもやっていて、日本の管理職を批判した「ここが変だよ日本の管理職」という本は大ヒットになって、そして彼自身が文化大革命の時、同朋である中国人によって「苛めぬかれた体験」を持つ人だ。
彼が11月02日に書いた「苛めが自殺に繋がる日本の空気」というコラムが、異常な程の反応を見せている。今日の自殺が起こる10日前だ。
11月02日のコラムのコメントはすでに今日の時点で243あるが、日経ビジネスの読者だから、一応世間では管理する側の人達のコメントだろう。
「いじめから逃げるなんて駄目だ、止まって戦え、そうしないと、次の試練に乗越えられない」と言う意見が三分の一くらいあった。三分の二は「逃げてしまうのは仕方ない選択だ」という意見。
宋文洲のコラムに対して「中国人が何言ってやがる」というもの等の低レベルのコメントは無視すれば良いが、一番始末に終えないのは、批評家面をして「逃げるなんて駄目だよ〜」と言ってる人。その人に子供はいるのだろうか?
圧倒的な力の前では、人間は時に逃げねばならない。例えば台風になれば船は安全な地域に避難するし、爆弾が落ちてくれば避難壕に逃げ込むだろう。そんな時に「逃げるな、突っ込め!」なんて馬鹿はいないだろ・・・おお、そう言えばいたよ、第二次世界大戦の時の下士官や将校たちだ。
そう、11月02日の批判コメントを書き込むようなエリート連中が、一見正しそうな理屈を振りかざして、兵隊を死地に送り込んだのだ。そして数百万人が死んで、やっと日本も変わったかと思ったら、何の事はない、何も変化していないのだ。
「逃げろと言うのではなく戦う方法を教えろ」とか、「苛めをどう無くすかが大事だ」等、そんな平時の机上の空論は、目の前で爆弾が落ちている戦争中に、全く意味が問題が解決するのか?
宋文洲が文化大革命で「苛められた」と言う話をしていると、「そんな事で逃げるなんて」というコメントもあったが、彼が文化大革命を「苛め」と言ってるのは、彼が中国出身であり、文化大革命が実は数百万人単位の「虐殺」であったという事実を書けないからなのだという事くらい知っておこうよ。
この時期の文化大革命で行われた「苛め」とは、村人が資本主義者の家族を小学校の校庭に引き連れ出し、子供の見ている前で親が棍棒で殴り殺され、頭蓋骨を割られて隣家の婆さんに脳みそを食われ、村人は手足を鍋に放り込んで煮込みにして喰った程の「苛め」なのだ。
そんな虐殺から逃げて来た宋文洲からすれば、日本の子供が置かれた殺人的な状態も同じようなものだ。だから勝ち目もない、頑張ってもどうしようもない時には「逃げろ!」と言ってるのだ。
日本は戦後の平和が長く続きすぎたのか、エリート連中までがボケ状態にはまってしまい、折角の隣人からの忠告を素直に受取る事さえ出来なくなっている。
宋文洲は、11月09日に追加で「逃げる事は決して負けではない」と言うコラムを書いた。11月02日のコラムではきちんと彼の気持が伝わらなかったようで、再度同じ事を、日本人に理解しやすく書いている。これには157件のコメントが入っている。
エリートの言う「逃げるな」と、宋文洲の言う「逃げろ」は、日本人と中国人の死生観の違いであるとも言える。エリートにとっては逃げる事は死ぬ事より恥だと思っているのだろう。それに対して、何よりも生き残る事を考える中国人とは、相容れない点があり、それが批判に繋がっているのかもしれない。
しかし、そんなエリートに聞きたい。自殺しかけている自分の子供に「頑張れ」と言えるか?学校に行くのが決まりだから学校に行けと言えるか?理屈を別にして、家族を愛していれば、誰が自分の家族を自殺させたいと思うか?
彼のコラムは、日本人が複眼的なモノの見方をする際に、是非とも参考にしたいものだ。それにしても、今回は実にピッタリなタイミングだった。11月02日のコラムに批判を書きこんだ人達、是非とも今回の4人連続自殺を批判してもらいたい。
写真は香港。そう言えばうちの奥さんのお母さんは、中国が共産党に支配された頃から香港に脱出した難民だ。おばあちゃんからすれば「何甘い事いってんだい、逃げられる時に逃げなきゃ」だろうな。命がけで逃げた人間だけが、命の価値を知っている。
2006年11月13日
Just Like a ZIP
zipとはファイル名ではなく、ジッパーの事。
ズボンの前に付いてて、両方の金具が見事に一つになる、あのYKKで有名な、日本が世界に誇る、どうでも良いが、要するに二つの金具が見事に一つになる、あれだ。
オークランドの高速道路では、一般道からの車の合流地点では、ジッパーを閉めるように、一台づつ交互に合流しましょうねという、オークランドシティカウンシルによる案内に使われている言葉がZipだ。「Zipのように」なんて表現、日本人では思いつかないかも。
でもってニュージーランドの高速道路が無料なのは普通な事だが、高速に乗り入れる流入路、日本だと広い道路が優先なので、脇道の車は隙間が出来るまでず〜っと待つしかないが、この国では広い道も狭い道も関係なく、ごく普通に譲り合う。実は一般道でも同じだ。皆、普通に譲り合う。
最近は運転の下手な大陸中国人が増えたので、決してそうばかりとは言えないが、少なくとも僕の住むノースショアあたりからシティに向かう際は、皆が普通に道を譲り合う。
Justlikeazipは、最近になって譲り合いの気持を持たない新移民に向けた警告かなって思ったりするが、いつも飲んで帰る時にお願いしているタクシーの運転手キースさん(71歳)と、面白い話をした。
彼はオークランドに70年住んでいるが、つい一昔前までは、例えば自分が縦列駐車をやってる時に他の車を擦ったら、その車のバンパーに自分の名刺を挟んで「ごめんなさい、擦ってしまったので、後で私に連絡を下さい」とメモを残すのが普通だったと言う。
そう言えば以前住んでた家の向かいに住んでたおばあちゃんも、呆れたように同じ事を言ってた。「最近の若い連中は駄目ね。車を擦っても知らないふり、そのまま逃げてしまうなんて、私たちの若い頃には考えられなかったわ」
「法律は、少なければ少ないほど良い」これは古代中国の王様が言った言葉らしい。道徳がしっかりしていれば、余計な法律など作る必要はない。
皆、自分が社会でやるべき事を理解しているのだから、下手に法律を作って文章化すると、今度は法律の穴を見つけて悪さをする奴が出てくる。
社会の合意がしっかり出来上がっている世の中で、道徳が守られていれば、役人がやる事をいちいち法令で決めなる必要はない。
ニュージーランドも、時代に合わせて変化していく。これから盗難、じゃなかった東南アジアの移民が増えてきて、益々街の雰囲気は変化していくだろう。でも、ニュージーランドの道徳の高さに移民が染まっていってほしいな。
勿論キーウィは怠け者とか、いつも泥棒に遭ってるという人からすれば「そんな事ないよ!」って思うかもしれない。
けど、本当に怠け者ばかりだったら、国が運営出来て財政黒字に出来ると思う?本当に治安が悪いと思うんだったら、どこに住んでるのか、日頃どう自分の家や車の管理に注意しているのか、聞いて見たい。少なくとも僕は一度も泥棒に遭った事はないし、家族も含めてそのような事は一度もない。
東洋のどこかの国は頭良いかもしれないけど、その結果の財政大赤字や自殺者の増大、将来の不安満載って、それはどこか問題だと思わない?
道徳の高さは、国民に余裕がある証拠だ。「衣食足って礼節を知る」と言う中国の古の諺がある。まず国民を満足させる事。それが出来て初めて譲り合いなどの道徳が構築されて、それが相互扶助の精神につながり、治安が良い、生活しやすい、ストレスのない国造りに繋がるのだ。
色んな人々が、zipのようにお互いに譲り合いながらきちんと定められた場所に嵌っていく。法律ではなく道徳で街が運営される。そんな国造りが本当の政府の仕事ではないだろうか。
2006年11月12日
いつか来た道
日曜。日経ビジネスの「就職戦線異常あり」を読む。
大学の卒業生が就職したい会社は、規模の大きな会社だそうだ。業界よりも規模を重視して、寄らば大樹の陰を目指している。言い方を変えれば、何をしたいかではなく、どうやれば生き残れるかが、学生にとっての会社を選ぶ基準になっている。
当然だろう、大きな会社は何があっても「大きすぎて潰せない」という日本政府の方針を、市民はしっかり理解しているのだ。
90年代後半、日本が大きく変化した時代には、大きな会社、例えば山一證券や日本債権信用銀行、拓殖銀行等が一気に淘汰されたが、2000年以降、本来なら倒産してもおかしくないダイエーやりそな銀行等は政策によって生き残った。
そしてこれからは、戦前の日本と同じで、政府が日本株式会社の社長となり、民間企業は会社で言えば部門程度になる。部門を廃止するかどうかは、その民間企業の利益ではなく、本社の政治的判断で決定される。
だからその部門が儲かっているかどうかではなく、いかに本社に受けが良いかが、生き残る為の決め手になる。
本社のいう事を聞かない、生意気な起業家やベンチャーなどは、政府にちょっと逆らっただけで潰される。
何が正しいかではなく、どう生き残るかという事を考えれば、今の政府に逆らって危険な起業やITとかベンチャーとか訳の分からない仕事をするよりも、大企業に入社して会社の歯車になり、安定したお金をもらう方が正解だ。
特に、子供の就職先の選択を母親が行うという点も面白い。言い換えれば子供は、悪い意味での子供のままなのだ。自分では何も出来ず、何をしたいかも分らず、ロボットのままでいるのだ。
日本の価値観が大きく変わった2000年から2005年。その間、起業やベンチャーが人気を博したが、2006年の今、結果的には、日本はまた昔の「学歴重視、大手企業への就職」に戻ってしまった。
だから母親からしても、可愛い子供を生き残らせる為に、大企業に就職しやすいように有名な大学に入学させる必要があるし、その為には子供の頃からお受験を押し付けるしかない。その為に個性が潰されようと、人の心が理解出来ない子供になろうと、そんな事は生き残ると言う大命題の前には小さなものだ。
生き残る事、それがすべてだから、道徳なんて関係無い。今朝のNHK討論番組では格差問題をやっているが、もう語ることもないだろう。だって格差社会を政府が規定方針として決定して、それを国民が受け入れたのだから。
総論賛成各論反対。個性重視の教育、子供の教育を良くしようと言う総論には賛成でも、じゃあ自分の子供を人間らしい子供にしようという各論になると、それは駄目なのだ。自分の子供だけはきちんとした大企業に入れる為に、他人に何と言われようと「お受験」に走るのだ。
国家による管理社会の強化。これが規定の方針となった以上、自分の子供を一握りの勝ち組に入れようとする親の努力は益々激しさを増すのみだ。その結果として多くの負け組が出来ても、私には関係無いわ。そんな母親の声が聞こえるようだ。
石川啄木は明治時代の歌人である。歌手ではないよ。
働けど、働けどなお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る。
彼はそんな歌を残して、明治45年に病死する。弱い者は自分の手を見つめて、じっと死にゆくしかないのだ。あ〜あ、これで長かった変化の時代は終わり。後は、戦争への道を一直線に進むのみだ。
母親に言う。将来自分の子供が徴兵されて戦死しても、誰の責任にしてはならない。それこそ、自己責任なのだから。この世を造ったのは、そのような自己中心的な母親達なのだから。
2006年11月11日
邪馬壱国は博多にあった。
邪馬壱国は博多にあった!
「日本古代新史」古田武彦
1991年に初版発行、その後何度か増補され、2006年の現在も販売されている人気歴史書。ある古代史研究家が、中国の三国志や魏志倭人伝、その他の資料を謎解きのように分析する本だ。読んでて、まるでミステリー小説の謎解きみたいで、分りやすくて楽しい。
彼はまず邪馬台国という名前の国が存在しなかった事を謎解きする。
そして現在の天皇が万世一系の、つまり日本列島を最初から唯一の王様として君臨してきたという従来の「天皇一元史観」である「皇国史観」を根底から引っくり返す本。
先日の「銀座の怪人」では、絵画ビジネスを通して裏側の日本社会を暴露していたが、今日は天皇の出自を暴露する本。
この辺の本は、前回の日本出張でまとめて購入した数十冊の一部だが、読む順番を特に決めてないのに、何となく暴露ものの「流れ」を感じるな〜。これって、藤田さんの告発している、政府による耐震偽装隠蔽事件が招いているのかな。
さてこの本。様々な「歴史的に事実と言われてきた事」を次々と新解釈で破壊していく。そして誰が何故嘘の歴史を作ったかかという点まで種明かしする。
そこで明かされる秘密は、最後に書くが、現在の日本政府が抱えている問題と、見事に合致する。本が書かれた1990年代に彼が指摘した日本の問題が、実は今も残っているのだ。
☆まずは遣隋使の歴史的事実から、彼の主張を書いていこう。
「推古期、聖徳太子は遣隋使(けんずいし)を派遣した」という話は、普通に日本史を勉強した人なら、なんとなく頭に入ってる。でもこれは全くの嘘。小野妹子は遣唐使として唐に派遣されたのであり、遣隋使は、聖徳太子によって派遣されたものではない。
では誰が遣隋使を派遣したのか?それが博多湾を中心として、東は大分、西は佐賀、南は熊本まで傘下に置いた古代の大国からなのだ。その大国の名前は、本当は邪馬壱国(やまいちこく)であり、邪馬台国ではない。(この、佐賀とか大分ってのは、彼が作った地図を見て九州出身の僕が判断したことで、もしサイズ的に違ってたら、作者ではなく僕の責任です)
実はその当時は、九州の筑紫を中心とする倭国=邪馬壱国以外に、その分派である神武天皇が作った、本州西部を支配する日本国があったのだ。つまり今で言う日本は、当時はス少なくとも二つの別々な国だったのだ。このような歴史的事実を、一つ一つの資料を基にきちんと分析しながら大胆な結論を出している。
☆そして邪馬台国という名前は存在しなかったという理由。
邪馬壱国(やまいちこく)とはっきり魏志倭人伝に書かれていたのに、それを後日の歴史学者が邪馬台国と書き直したのは、ヤマトという発音に似せる為。ヤマトは天皇の作った国家であり、その「正史」と魏志倭人伝の発音が合うような漢字を持ってきて整合性が取れるようにしただけだ。
これも分りやすい説明だ。詳細は読んでもらえば分る。
☆神様=天皇が初めて日本を訪れた、つまり日本支配にかかった時の文章が古事記に描かれている。
古事記の神代巻では「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯に天降りましき」という文章がある。筑紫は福岡県、日向は福岡と糸島の間にある日向山とその峠、高千穂とは高い峯の一般的呼称、これが高祖山連峰を指す。クシフル峯は昭和の初めに編纂された糸島郡史に、クシフルという地名が書かれている。
そして「此の地は韓国に向かい」という文章が出てくれば、グーグルの地図検索をやらなくても、それがどこに当たるかは誰でもわかる。まさか関西の山の中から韓国が見えると言う人はいないだろう。
そして本にはこれでもかという程の学術的資料が出てくる。銅鐸、弥生鉄器、ガラス勺玉の出土分布、那珂川と御笠川に挟まれた地域、今の博多駅から福岡空港、春日、そして大宰府までに次々と発見される矛等の出土分布。
それでは何故、このような歴史的事実を無視して、無理やり現在のような歴史を作ったのか?これは、近畿に天皇がいて、彼らは最初から日本全部(ここがポイント、九州の邪馬壱国は存在していない事になっている)を統治していた、だから天皇は偉いんだいという、嘘で固められた「天皇史観」が最初にあるからだ。
だから時の政府は天皇史観に合わない事実をすべて無視、又は「誤訳」として処理する事で、歴史的な事実を歪曲する事で起こった、国家における最大規模の歴史偽造事件として取り扱うべきであろう。
作者は著書の中で何度も「別に天皇を批判しようとしてない、ただ歴史的事実を事実として、学者らしくしっかり議論しようよ」と言ってるだけだ。議論を通じてどちらが真実かを語ろうと言ってるのだ。このあたり、韓国が日本の歴史を否定するだけで,一切の議論をしようとしないのと良く似ているな。日本も、あまり偉そうな事を韓国にいえないジャンか。
更に僕は、このように政府が歴史を歪曲する事は、事実を知った国民に不審や不安を抱かせるだけであり、これによって「何だ、政府なんて適当に嘘付いてるんだから、俺も適当にやってしまえ」と、国民から真実を追究しようとする心を奪い、日本人をいつまで経っても政府の家畜や奴隷並にしか扱わない事で、結局は日本人の独立心を奪い・・・・あれれ、こんな文章、以前も書いたぞ。
ところが、藤田社長が告発した政府による偽装隠蔽事件の時も、結局マスコミは取り上げず潰しにかかっている。その時も結局は「まず政府の決めた事実ありき、それに逆らう事は一切認めない」という姿勢だ。
つまり日本では、何よりもまず「お上が決めた事実」があり、それに追従する事が国民に課せられた義務であり、それが事実かどうかを検索する事は領民には認められていないという考えが、2千年前から存在するという事だ。長いものには巻かれろ、お上が一番思想だな。
勿論国防の問題等で、国民にそのまま知らせるのが問題である情報を一定期間隠蔽する必要もあるだろう。しかし、その「事実を作った人物」の判断が実は間違っていたら、誰が責任を取るのだ?今回の藤田事件のように、役人は権力はあるが責任は取らないという事になるのか?
そしても一つ、情報を隠蔽する必要がなくなったら、本当の情報を国民に伝えるべきではなかろうか。
この本に書かれている事が歴史的真実かどうかは、僕も不明である。ただ、この本を読む限り、作者の意見を傾聴したい。少なくとも政府お抱えの歴史学者は、再度歴史検証をやるべきではなかろうか。
これも何か、どっかの偽装事件と同じ文脈だな。藤田社長によって偽装物件と指摘されているマンションが、偽装でないかどうか調査すればよいだけだ。なのに放置して「安全です」の一言では、「偽装やりました」って言うのと同じだね、
でもって、日本全体の治安を守る為にやった事と言っても、もう数百年以上も経ったのだから、そろそろ事実を国民に公表しても良いのではないか?それが出来ないのは、「先輩のやった事にけちをつけない」という、日本人独特のな〜な〜思想があるからではないか。
だって、今更天皇家が「いや〜、実はね、血統が途中で切れてるんですよ(本参照)」とか「いやね、元々九州の邪馬壱国の分派だったんですよ、天皇家は(本参照)」と発表されても、それで「じゃあお前らは皇居から出てけ!」なんて言う人はいないでしょ。
少なくとも多くの国民は、彼らの存在を認めているし否定してないし、実際に今は海外に出張して日本の国威を高揚してくれてる象徴なのだからいいじゃんか。
事実を暴露したところで、そんなもん30年前の若かりし頃の浮気を旦那が奥さんに白状するようなもんだ。離婚までされる事はないって。
それくらい国民を信用して欲しいね。政府が思うほどに、国民は馬鹿ではないと思うよ。
まあ個人的には、初めて東京に行った時、東京は土地が少ないって思ってたのに、その東京のど真ん中に物凄く広い土地を持ってるおじさんたちがいるなんて、すんげ〜な〜と思った記憶はある。
米国の国家機密情報でも、数十年すれば公表される。それが最終的に国民自立の為と分っているし、民主主義とは、民衆が事実を知ることによって初めて正しく運営されるものなのだから。
あれ?それとも日本が民主主義だと思ってたのは、僕だけか?
今もまだ民主主義じゃないのかもしれんな。そうだそうだ、だから真実を語る藤田さんが天下のマスコミに無視され、それに対して国民が問題にしないんだもんね。
それは、マスコミや国民自身が、日本を民主主義と認めてない証拠だ。て〜ことは、これから先も天皇の正体の再調査は行われないし、出自の暴露はないわけだ。
いずれにしても、邪馬台国ものの一冊として、先入観念なく読んで見ると面白い本だ。
写真は魏志倭人伝の一部。力強くて綺麗な字ですね。古の人の知性を感じますわ。
12月03日は東京汐留で第20回ニュージーランド移住説明会を開催します。中国から移住してきた神武天皇や土着の邪馬台国に興味がない人でも、NZ移住に興味がある方、ぜひご参加ください。
2006年11月10日
新卒は海外に求める。
10月16日の日系ビジネスに掲載されたシリーズ「就職戦線異常あり」中のタイトルだ。
技術変化の早い業種では、十年一日のような指示待ち人間は使い物にならない。自分が今どこにいて何をせねばならないか、それを瞬時に判断して自分で動ける人材が必要である。
しかし日本では益々お受験に拍車がかかり、実社会では間違っている答を受験用にはYESと回答しなければお受験に合格出来ず、人と違う事をしていては評価が下がる環境で育った学生は、言われた事しか出来ないし、自分で考える事が出来なくなっている。てゆ〜か、そういうロボット人間しか優秀と言われない日本の教育システムなのだ。
そのように育ったロボット君でも、昭和の時代の自動車や電気工場の歯車なら役立つ。てゆ〜か、昭和の時代はそう言うロボット人間を作る事が国策だった。
世界の中でどれだけの国が、3月に卒業、4月に新卒入社、会社の研修を受けて現場に配置と言う仕組を取っているか、是非ともお役所に聞きたいところだ。少なくとも日本人の一番馴染みがある米国でも、大学の卒業と企業の就職が同じ時期なんてのはあり得ない。
勿論ニュージ−ランドでも、学生は単位さえ取れば自分の好きな時期に大学を卒業し、その時に自分が希望する企業の門を叩くか、一年くらい旅行に出て世界を観て回ったりする。
では何故日本だけが3月卒業4月集団入社なのか?それは昭和の時代の大企業の工場の生産体制に合わせた教育システムだったからだ。企業の生産性を高める為に、同じ時期に入社すれば研修も同時に出来るし、皆が均一化された歯車だから教えやすい。
そう言うお国の事情が背景にあったから「新卒」と言う、世界でも珍しい就職形態が定着したのだ。
しかし21世紀を迎えて、殆ど多くの現場作業が機械に置き替えられた今、求められるのは自分で考えて行動出来る人材である。他の作業は機械がやるのだ。だからいい国造ろう鎌倉幕府なんて暗記して点数を取るような、昭和の教育システムで卒業した新人は使い物にならないのだ。
鎌倉幕府がいつ出来たかって?グーグルに聞けばよいじゃないか。それよりも、何故1192年に鎌倉幕府が出来たのか、それを考えるべきではないか。
通勤電車で少年雑誌を読み、昼食はきっちりと一時間取ってコーヒーを飲んでしょうもないスポーツ新聞を読み、夜は遅く迄残業する。自分を磨こうともせずに、毎日企業に向かって歩く新人ロボット集団。
そんな時「自ら行動しなければ誰も助けてくれない生活を送っている分、経験も豊か。自立して主体的に行動出来る人材が多い」という特徴を持つ留学生を評価する企業が増えているという記事には目を惹かれた。
実際にこの特集がどこの地域の留学生を対象にしているかは不明だが、やる気があって将来を考える若者ならば、日本の大学を出るよりも海外の大学を卒業して、自分の就職機会を増やそうとするだろう。
ここからちょっと話はそれるが、ニュージーランドの教育事情を移住者に当てはめて見よう。
実際に今ニュージーランドに移住して来る家族の子供は、殆どが小学生から中学生低学年だ。彼ら子供にとって英語の障害は殆どない。小学生なら半年、中学生でも一年過ごせば、問題なく大学に行ける。
そしてポイントはここだ。ニュージーランドでは、行きたい人は誰でも大学に行ける。15歳で大検を受けて一定の点数さえ取れれば大学に行けるので、実質的に日本のような一発勝負の入学テストが存在しないのだ。だから受験に向けた苦労がないのだ。(勿論少しはあるが、日本のような張り詰めたものではないし、一発勝負でもない)
オークランド大学やオークランド工科大学(AUT)を卒業した学生でも、優秀な連中はそのまま英国、オーストラリア等の企業に就職する。ご存知だろうか、人口400万人のシドニーのうち、キーウィは30万人以上住んでいる事を。
勿論米国やカナダに渡る学生もいれば、アジアの、香港やシンガポールの一流企業でも引く手あまただ。勿論日本人だから、日本の企業にも就職出来るだろう。
つまり、同じ日本人として生まれても学費が安くて受験勉強の少ないニュージーランドで教育を受けて大学を卒業すれば、就職先は世界中に広がっているという事なのだ。
ところが、お受験の弊害で感情をすり減らして人間性を無くしてしまい、成長の意味も理解出来ない子供がやっと辿り付くのは、就職氷河期の日本企業のみ。それも就職してみたら、上司と呼ばれる役立たずが、大手になればなるほどごろごろしている。バブル時代に入社した無能な連中である。
ニュージーランドの大学を出て就職するのと、日本の受験戦争に巻き込まれるのと、どっちが楽しい生活か?どっちが本当に人間らしい生活か?
日本企業の採用担当者が指摘するように、外国で生活するには自己主張を学んだり、何故こう言う理論になるかという点をしっかり説明する訓練を受ける。暗記などは一切ない。暗記や計算はコンピューターにやらせれば良い。
人間の仕事は考え抜く事だ。そう教育を受けるから、自然と日本で教育を受けた子供よりも主体性や向上心、勉強する気持に違いが出てくる。
そこに目をつけた採用担当者が、日経ビジネスのシリーズ記事に取り上げられるようになったのは、留学生にとっても移住者の子供にとっても朗報だと言える。
但し、だからと言って留学さえすれば誰でもそんな道を歩けるわけではないし、実際に留学先で「自由」と「無責任」の区別がつかないままマリファナを始めるばかちんも多い。
だから自分の子供に自信があれば留学、そうでなければ大人しく日本でロボット君になってもらう方が、幸せだろうな。
写真はチャップリンのモダンタイムズ。時代を超えて考えさせられる名作だ。特に日本人に観て欲しい。何故ならチャップリンの恐れていた現実が、今の日本に起こっているのだから。
2006年11月09日
銀座の怪人
本を読むのは、酒を飲むとか映画を観るとか上質の歌を聴くとかと同等の価値があるし、特に「良質の本」に巡りあった時の喜びは大きく、その喜びは明日の仕事があるっちゅうのに、真夜中の3時まで覚醒させてくれるほどだ。
今回の作品「銀座の怪人」は、32歳新進気鋭の作家七尾和晃の良質なノンフィクションルポである。
昭和40年代の銀座を、リヤカーに積んだ絵を持ったイラン系ユダヤ人画商が、飛び込みで銀座の画廊を訪問して、何とか自分の絵を売りつけようとしていた。
彼はそれから20数年に亘って銀座で名画を売りまくり、それを購入した大手銀座の画廊は,更に10倍の高値を付けて大手企業や美術館に売りつけ、美術館はそれを「目玉」として客を集め、大手企業はそれを賄賂代わりに政治家に送り、政治家はさらにそれを自分の賄賂として使い、最後は大企業や銀行の応接室を飾るようになった。これが絵画バブルである。
バブルの頃は絵画が飛ぶように売れたが、それは絵画の価値というものが相対的なものであり、画商の値踏みでいくらでも価値が上がり、いくらでも価値が下がると言う、現金や国債や株と違って正確な市場価格の付けられない商品であり、そこが税務署からしても把握し辛い価値を持ち、また大手画廊は税務署の大物OBを顧問税理士につけているので、ますます現役税務署が手を出しようにない状況を作り出した。
ところが、一枚が数億円で取引されたシャガールやルノワールなど有名な印象派の作品が、実は殆ど全てが偽造だとしたら???
今までの日本の会計法では、購入した資産は簿価で帳簿に計上出来たので、例えバブル崩壊で土地価格が下がっても「会社の資産はこれだけありますよ」と購入時の価格で決算時に報告出来た。ところがこれからは減損会計という時価方式が導入される。
そうなると、購入時の価格ではなく現時点での価値が問題になるので、例えばバブル時に10億円で購入した土地が現在は5億円の価値しかなければ、5億円の損失を計上する必要がある。
では絵画は?本物であれば問題はない。しかしそれが贋作であれば、その価値はゼロである。いくらで購入したかは関係なく評価はゼロ、紙くずになるのだ。
そしてこの贋作は、実はユダヤ人画商自身が何人ものお抱え画家に描かせており、同じシャガールの名作を同時に何枚もコピーして、同時に様々な人に売りつけていたのだ。
そんな時に限って、自分のものこそ本物と思い込んでいるが、まるでプロのホステスに二股をかけられた素人兄ちゃんみたいなもので、自分の彼女が他の男の腕にぶら下がってデートしている場面に、ばったりと鉢合わせするのだ。
それが2000年5月にニューヨークで、オークション最大手2社で起こった事件だ。ある日、ニューヨークのクリスティーズとサザビーズで同時にゴーギャンの「花びんの花」がオークションにかけられたのだ。さあ、どっちが本物だ?!
FBIは911テロに関してこのユダヤ人画商の取引を調べていたが、ニューヨークの高級住宅街であるロングアイランドに豪邸を構えるくだんのユダヤ画商は、テロとは無関係である事は判明したが、同時に彼日本で売っていた絵画の殆どが贋作である事も判明、彼の口から次々と日本の大物政商、日動画廊を含む大手画廊、その他多くの政治家、銀行、企業名が出てくる事になり、銀座を取り巻く絵画ビジネスの実態が、その醜い正体を現したのだ。
銀座とバブルと言う、もうそれだけで食い付くねた満載のテーマであるが、全体を押さえ気味に、しかし劇場効果をしっかり狙った文脈構成が見事であり、最後までぐいぐいと引っ張ってくれる作品だった。
tom文庫のハードカバー本の一冊に納めてるが、バブル経験者は是非ともご一読を。少し重くて堅苦しい文体かもしれないが、読了して、腹の中にどしっとしたものが落とし込まれる感じのする作品である。
12月03日に東京汐留で第20回ニュージーランド移住説明会を開催します。絵画に興味がない方でも、ニュージーランドの自然の景色は感激します。自然に興味のある方、是非ともご参加ください。
2006年11月08日
ニュージーランド現地事情 賃金と就職について
ニュージーランドの賃金は、初級者向けには時給契約(最低時給10.25ドル)、ベテラン向けには年収契約という形が一般的だ。大体3〜4万ドル以上を目安として、それより下の場合は時給が、3万〜ドル以上の場合は年収契約になる。
勿論企業によって随分給与体系が違うし、一概にこの枠に当てはまらないケースもある。例えば自動車修理工場の労働者や大工はどれだけ高給でも時給計算する。
だからまあ、ここに書くのは一般的なサービス業の場合の給与体系のイメージとして捉えてもらえばよい。
時給の場合は残業手当がきちんと付加され、日本のようなサービス残業と言う発想は一切存在しない。
ところが一部日系レストランや労働法をしっかり理解していない社長さん達(特に日本人)は、平気で従業員に残業させて残業手当てを払わなかったり、ホリデイペイの存在さえ知らず、後で従業員に請求されて逆ぎれするケースがある。
「ふざけんな、賄い食わせてるだろうが!あれでチャラ(相殺と言う意味)だ!」と吠える人がいる。
あのね社長さん、賄いはNZの労働法では、給与の支払方法とは認識されてないんですよ。
だから、少なくともニュージーランドのレストランやカフェで時給計算で採用された場合は残業手当が付くし、退職時にホリデイペイが、総給与の6%分支給されるという事は知っておいてもらいたい。
年収の場合は、労働時間に特別な縛りがない代わりに、Job Description と呼ばれる労働内容を指定した書類で契約をして、その業務をきちんとこなしているかどうかが評価の基準になる。だから、能力が優秀であれば年収はどんどん上がるし、能力がなければ、来年はさようならという事になる。
例えば旅行会社のマネージャークラスになると年収契約(4〜5万ドル+社用車、オフィス近くの駐車場等)が殆どで、昼間から街をぶらぶらする事もあれば、日曜の夜に自宅を飛び出して、到着予定が遅れた団体客の世話をしたりするので、時間では全く計算されない。一年でどれだけの客を日本から引っ張ってこれたかが基準だ。
労働基準監督署や労働調停委員会など、僕も何度もお会いして話をする機会があるが、彼らの認識としても、最低の労働条件は遵守させるけど、基本的に経済活動に口出ししないという雰囲気がある。
彼らが対応するトラブルは、大体の場合、給与の不支給、退職金の不支給、採用の際の差別、雇用期間の問題等であり、殆どが時給で働く人々を守る為の組織である。
最近多いのが、ワーホリでやってくる若者と現地で採用する日本人社長の間のトラブル。お互いに都合のよいところだけ主張して、肝心の義務の部分を放棄しているから、地元日本語掲示板でもよく両者が喧嘩している。
採用されても真面目に働かず、働けと言うと、働き方が分らないから教えろと言う。ところが教えて暫くすると「旅に出ます、給料下さい」これじゃあ、社長も怒るわな。
反対に、レストラン等で採用されて喜んで一生懸命働いて、自分の意思で残業してお皿も洗い頑張っているのに、最初に貰った時給が約束と違う。本来なら10.25ドルなのに、何故か8ドル。どうしてですかと聞くと「お前は見習だろうが、10.25ドルはちゃんと働ける人になってからだ」おいおい社長君、労働法では見習いだから法定賃金以下という発想はないし、本当に見習にするならそれなりの「試雇期間」を設定して書面で残さない限り、違法なのです。
上記の例はワーホリなど短期間で働く人たちの話だが、採用する方も採用される方も問題があり、結局本気で就職、永住を狙って仕事を得ようとする人達は、このとばっちりに巻き込まれることになる。
本題はやはり、これから移住して仕事を見つけようとする人たちだ。
これからニュージーランドの企業できちんと就職して高収入を得ようと思っている人に理解してもらいたい点は、この国では椅子に座るだけでは給料をもらえないし、黙っていても昇給はされないという事だ。
そして日本のように、学生を採用して名刺の渡し方やお辞儀の仕方を教えるような真似はせず、即戦力として採用当日から実績を出さないと、即刻クビになるという事実だ。(まあ実際は即日解雇は労働法にも抵触するので出来ないが、能力がないと判断されれば、数ヶ月で追い出されると思った方が良い)
だから、職場を見つけました、さあこれで終わりと思うのではなく、その職場で会社に対してどれだけ貢献出来るかという、これからが始まりだという点を知ってもらう事。これは日本の大学とNZの大学の違いにも繋がるが、日本では大学に入れば終わり、NZでは大学に入ってからが勝負である。
移住の場合で多いのが、自分の職場を確保したつもりで渡航すると「しらね〜よ、お前誰よ?」という筋書き。これは、日本のコンサルタントが現地で就職保証の手紙を取り付けて永住権取得は出来るのだが、肝心の会社は、その時点ではもう他の人を採用してて、「その手紙?ああ、そんなもん書いたかな〜、でもま、もう仕事はないよ、お前、来るの遅いよ」という事だ。
日本人の求職者と現地企業の一番のミスマッチは、時間の感覚。現地企業は、今日働くか、それとも働かないか、である。日本だと、一次試験、二次試験、本試験、そして永久就職みたいな感覚だが、NZでは、即戦力が常に要求されるし、大体2〜3年働いたら転職するのも普通なので、採用決定から雇用開始までの間が空くのは、クビにして下さいというようなものなのだ。
現地で仕事を得ようと思うなら、今の仕事を辞めて飛行機に乗って飛んできて、現地で観光ビザで半年くらい滞在する気持でやってくる方が、仕事は得やすい。現地に来て見ればどうにかなるという事は多い。
日本の仕事を守りながら、現地の仕事が決定したら、それから半年で渡航しようなんてのは、NZの雇用形態とは合致しないという事を、しっかり理解してもらいたい。
11月25日は現地就職セミナーがある。時間がある方は、このようなセミナーに参加される事をお勧めする。現地の雇用事情がよく分かる。
12月03日に東京汐留で第20回移住説明会を開催します。よろしければご参加下さい。
写真は、オークランドからクライストチャーチに向かう機内から写した、マウントクックを含むサザンアルプスの風景。マウントクックより赤城山が綺麗という人もいるようだが。
2006年11月07日
6年前の話
日本では学歴詐称事件が起こっている。
必要な授業の単位を取ってない、つまり大学受験資格のない高校生がいる事が続々発覚。
あんまり数が多いものだから、政府としても「もういいよ、とりあえず少しだけ学んでくれれば」という事になった。その「少し」が50時間か70時間かで揉めている。
やっぱり面白い国だね、日本って。政府が作った法律を政府が破ってしまえば、それは違法ではないという事だ。
勿論現実問題として生徒は無実の被害者だろう。先生、これで良いのですかと聞いたって、先生が「これで良いのだ」と教えているのだから、抵抗のしようもない。ここでもし先生に逆らって「ちゃんと単位の授業をして下さい」なんて言ったら、その生徒は協調心のない奴として苛めに遭うのだろう。
赤信号,皆で渡れば怖くない。でも、緑でも皆が渡らなければ、自分も渡ってはいけない国なんだ
法の下の平等や公平が存在しない国。政府に従って違法行為をやれば免罪になり、政府に逆らえば合法でも無理やり違法にさせられる。それをマスコミに訴えようとしても、マスコミが政府の広報機関になっているから、当然そんな弱者の意見は潰される。
真面目に個性を持って生きる事を一切認めない国。そんな国で、外国では全然使い物にならない大卒と言う肩書きを付ける為だけにお受験に血眼になる親。そして試験に苦しむ子供は、親を焼き殺して家庭は崩壊する。
この問題では、きっこや勝谷誠彦のブログが詳しいが、とにかくはっきりしたのは、日本では法律よりも政府=お上が偉くて、お上がやる事は何でも正しくなるって事。だから日本で法律を守らねばならないのは、お上が守れというからであり、社会的な合意事項だから守るのではないし、民主主義でもない。
自分が法律を守る事で相手にも法律を守ってもらうという社会的公平の原則も、お金や社会的地位に関係なく法律は誰にも平等に適用されるって言う原則も、そこには存在しない。
いやいや、今年はライブドア事件から村上事件、藤田耐震偽装事件と、よくもまあ今後の日本の行き方が明確になることをやってくれたものだ。これで日本は、昭和初期に逆戻りだ。官僚にとっては古きよき統制国家の出来上がりだ。
今から6年前に僕が書いた文章が残っている。
***2000年5月 マニュアル人間***
今日本で起こっている現象は、血の流れない革命である事を認識しているだろうか?維持しながら刷新していく作業では、人の血が流される事はないが、今まであった多くのものが抹殺されて「過去の遺物」となって博物館に飾られていく。
「昔はサラリーマン企業戦士という階級があって、日本人の80%はそう言う人だったのよ。見て、この疲れた顔でよれたネクタイして、居酒屋では上司の悪口言いながら昼間は部下いじめをしてた人たち。」そう入館客に指差される日も遠くないであろう。
明治維新では45年の間に多くの既存階級(武士・公家)が時のかなたに流されていった。平成維新では昭和にすがり付いて終身雇用と年功序列を信じていた企業戦士階級(サラリーマン)が流されていくのである。
* ***
当時は「血の流れない革命」と書いたが、実際には自殺という形で多くの血が山手線を流れている。血まみれ電車は、それでもサラリーマンをすし詰めにして運ぶ。あなたが触っているその電車の扉側の手すりには、どこかのサラリーマンの血が飛び散っているかもしれない。
そしてもう、サラリーマンと言う安定した層は破壊され、社会が二極化されて、お上と領民しかいなくなる時代が来た。理屈を無視してお上につく為に受験勉強をして人間性を失うか、それとも自分の生き易い世界を選ぶか、それは自分の選択に任されている。本当の意味で自己責任の時代が来た。
写真はオークランドのゴミ箱。捨てられないように気をつけようっと。
2006年11月06日
ニュージーランドのエスカレーター
東京と大坂ではエスカレーターの立つ場所が違うのは誰でも知っている事だが、ではニュージーランド、特にオークランドではどうだろう?
てゆ〜か、オークランド以外だとエスカレーターない街の方が圧倒的に多いけどね。
昨日、ノースショアにあるグレンフィールドショッピングセンターに行き、4階にあるフードコートでKFCの持ち帰りを買う為にエスカレーターに乗った時、ふと思った。
子供を連れて周囲を見てみると、大体半数の人が左側に立っている。残り半数は、右側をてくてく歩いたり、右側のレールに寄りかかってる。
要するに、これと言った決まりがないようだ。まあ、誰にも迷惑かけなければ良いんだもんね。規則が優先して、人が後回しになってしまう日本とは、随分違う。
そう言えばエスカレーターなんてものをキーウィが初めて見たのはいつですかって話だし、1970年代まで牛乳を宅配するのに馬車を使ってた国だもんね。車があるだけ大進歩、エスカレーターなんて夢の又夢くらいの話ではなかろうか。
ニュージーランドのレストランでは、入口の道路と店に段差がある場合は、身体障害者用にエレベーターをつけなければならない。だからエレベーターは早い時期から導入されていて、ビルにも普通に設置されている。
でもエスカレーターは、あまり必要がなかったからだろうか、殆ど見かけることがなかった。それが1990年代になり労働法が改訂されて、日曜営業が自由に出切るようになり、大型のショッピングセンターがセントルークス等に作られるようになってから、世間の目にお目見えするようになった。
グレンフィールドショッピングセンターのエスカレーターは、ぺったり平坦になっている。、大型のショッピングカートは車輪の部分に留め具がついてて、エスカレーターの縦溝にずぼっと嵌って固定出来る。
でも、そのせいかもしれないが、普通にスーパーの中を回ると、車輪の部分がごきごきしたりして動きが悪いのが多い。何だか、一つ良い事があると、一つ突っかかる事があるようなニュージーランド生活。
馬車で牛乳を運んでた時代からすれば進歩はしているが、世界標準で比較すると、決してたくさんの物質的進歩を享受しているとは言えないわな。
でも、街全体が停電して信号が停止しても、車が交通事故起こさないどころか、お互いに譲り合って走る姿や、全く知らない他人同士が同じエレベーターに乗り合わせただけでおはようの挨拶をするってのは、気持が良いものだ。
便利だが、不便でストレス溜まる生活を強いられる日本と、不便だが、ストレスフリーな生活が出来るニュージーランド、どちらを取るかは、本人の自由だ。
日曜の昼下がり、KFCの回りで楽しそうに走り回る無邪気な子供たちの顔を見ながら、肌の色は白、黒、黄色とあるし、頭にターバン巻いた人、アフロヘアな人、額に赤い星を付けてる人もいるけど、テロの心配もなくみんな仲良く生活して、過ごしやすい社会だなと思った。
写真はブラウンズベイのカフェ。最近は土曜の朝食、いつもここ。ベーコンエッグとトースト+アールグレイで、11ドルなり。
2006年11月05日
「アパッチ砦」と「壮烈第七騎兵隊」
まだ藤田社長の事件は大手マスメディアに掲載されていないな。
朝日新聞で少し取り扱っているようだが、本丸には踏み込んでない。耐震偽装問題の時にマスメディアは発狂したように取り上げていたが、旬を過ぎれば無視なのか、それとも政府の押さえつけか。
金曜の夜は1948年製作のジョンウェイン主演「アパッチ砦」、土曜の夜は1941年製作のエロールフリン主演「壮烈第七騎兵隊」を観る。どっちも白黒だが白眉の作品。
ジョンウェインと言えば、今の時代の若者でも知っているのではないか。彼の知名度は、米国内においてはJFケネディ並で、英国ではビートルズ並で、フランスやイタリアでもジョンウェインと言えば「おい、こいつの西部劇の吹き替えで、Helloというのはボンジュールにするのか?」と、揉めにもめたほどの有名人。日本なら高倉健さん並の、渋くて、いかにも米国の良心の象徴みたいに言われた役者。
その後、「ソルジャーブルー」って映画が70年代に作られ、騎兵隊は先住民族を皆殺しにした悪人という事で白人の悪行が白人によって暴かれたが、でもそれは高倉健が「野生の証明」で自衛隊の元隊員という役をやっても、高倉健個人に罪がないように、ジョンウェインにも罪はないって言う印象があり。
ちなみに彼は他にも、米国兵隊の士気を鼓舞する為に、ベトナム戦争をテーマにした映画にも出ている(グリーンベレー)が、これでジョンウェイン自身が「戦争賛美で“駄目だし”」を喰らったことはない。
ただ存在感はあるのだがセリフの出し方が下手な感じの役者なので、西部劇以外にはあまり佳作はない。特にグリーンベレーの時は、ぱっとしなかったな。何で伯父さん、ここにいるの?って感じ。
この点、現在もハリウッドに隠然たる力を持つチャールトンヘストンには敵わないです。
個人的にチャールトンヘストンの方が好きなので、ここは少し肩入れしておく。彼が元全米ライフル協会の会長だったのは嫌だけど、映画は個人のやってる事とは別に、その演技力で勝負するべきだし、その意味で彼は凄いと思う。
猿の惑星、地球最後の男、ソイレントグリーンなどSF系でも大活躍したが、元々は十戒、ベンハーなど超大作で主演を張るほどの超役者です。良ければ是非一度、観て下さい。彼が神様に向かって見せる喜びの顔は、役者です。
さてエロールフリン。リトルビッグホーンで全滅した第七騎兵隊のカスター大佐を演じる「エロールフリン」と言う役者名は、最近の日本人からすれば変てこな名前かも知れないが、戦前から戦後の米国映画界では、今のトムクルーズやトムハンクスを合わせて10倍くらいしたよりも人気のある役者だった。
愛嬌があって、何をやっても憎まれないけど、いつもいたずら小僧って感じの、背の高い色男。ハリウッドが全盛を極めて、米国が戦争に勝ち、テレビがなかった時代、勿論インターネットも携帯電話もファックスもない、そんな「何もない」時代の最高の娯楽が映画で、その映画界でトップスタートして君臨したエロールフリンは、まさしく時代の寵児だった。実際にかなりのやんちゃで、個人的には何度も警察のお世話になったってのをウィキペディアでも書かれています。
さて、壮烈第七騎兵隊では、「ガリオーエン」というアイルランドの戦争の歌が挿入されている。髭面で汗臭い騎兵隊連中がオルガンの回りで「恐れずに進もう皆で」と歌っている。
米国に移住した英国人には多くのアイルランド人が含まれている。てゆ〜か、アイルランド人からすれば、「俺、英国人じゃねーよ」と明言しているので、アイルランド系アメリカ人というべきだろう。
ガリオーエンはアイルランドの土地の名前。丁度先週、仲の良い友達がアイルランドのダブリンに赴任する事になった。頑張れ。そう言えばネルソンデミルの「ニューヨーク大聖堂」もアイルランドのIRA問題がテーマ。
英国圏から逃げるように米国に移住して来たアイルランド人たちからすれば、アイルランドは自分達の故郷であり、1980年代のアイルランド闘争では、IRA(アイルランド共和国軍)の闘争資金は、米国のアイリッシュバーで集められていたというのは有名な話だ。もしかしたら、ニュージーランドのアイリッシュバーでも募金活動あったかもね。
今の米英関係では理解しずらいかもしれないが、英国の王室の親戚が乗っていた船を、王室の親戚共々吹っ飛ばしたIRAの闘争資金が米国から出ていた時代もあったのだ。
IRAは置いといて、問題は「壮烈第七騎兵隊」という映画が出来たのが1941年と言うのが、天気の良いオークランドの週末なのに、今の僕の気持を哀しくさせるって事だ。
だってさ、日本では太平洋戦争に突入して、女性はもんぺを穿き、男性は国民服、国民が戦争のど真ん中で物資に困窮し、映画と言えば国策ものしかなかった時に、ハリウッドでは当時の政府を批判するような娯楽映画が作られていたのだ。(筋書きは映画を観て下さいな、ビックカメラで一本500円で売ってます)
そんな国と日本が戦ったんだな。うちのオヤジがニューギニアの山の中で逃げ回っている時に、こんな映画が米国で作られて、米国民の娯楽に供されていたんだな。そりゃ〜、この物資の違い、戦争しても負けるわな。
ジョンウェインの映画も、戦後たった3年で作られた映画だ。国力の違いだな。
うちのオヤジは戦後新聞記者になり、洋画の無料招待券を配給元から貰ってた。そのおかげかどうか知らないが、子供の頃から映画と読書が趣味の、変な子供になってしまったが、ジョンウェインを初めて観たのは、おそらく小学校1年頃だと思う。
アランラッドの「シェーン」もその当時の映画だ。おやじは、「青い〜たそがれ〜」って、シェーンのテーマ曲の日本語版を、カラオケのない時代に、あばら家(自宅)でよく歌ってた。
どれも歴史的名画だが、今は著作権が切れたので、ビックカメラで一本500円で買う事が出来る。そう言えば著作権も、米国がディズニーを守る為に、更に20年延ばして70年にして、それを各国に押し付けているそうだ。
しかし日本の著作権は50年で失効するし、それは外国映画でも同じという事で、50年経った名画が、去年から今年にかけて次々と販売されている。
僕は著作権は、出来る限り限定的に扱い、誰でも文明の生み出したものを自由に使えるほうが良いと思う人間なので、50年失効に賛成。創った人個人の権利は認めるべきだけど、それが子孫代代までってのは、どうなんだろう、それってまるで逆差別や既得権益に乗っかってる団体を思い浮かばせる。文明全体を考えて見ればって思う。
少なくとも僕は、50年前のジョンンウェインを500円で観れて幸せだし、それを他人に紹介する事で、個人の利益ではなく文明全体の利益に繋がると思うんだけどな。
何だかテーマが分散してしまった、どれも突っ込み所は満載だが、週末なので今から料理にかかります。今晩は豚汁鶏もも肉の照り焼きと、昨日の残りのオックステールシチューです。
2006年11月04日
永住権が取れました!
永住権が取れました!と連絡が入った。
誰とは言えませんが、おめでとです!
2年前に観光ビザで渡航して、当初かなり苦労したケースだったが、やっと先日永住権が取得出来たとの事。
ニュージーランドに行くのは良いけど、仕事ないから行けないって言う人がよくいる。賢い判断だろう。
でも、この家族は、行って見てやってみよう、そういう気持で渡航した。その時すでに31歳過ぎなのでワーキングホリデイビザも取れない。子供を連れての渡航なので、かなりの冒険と言える。
最初はいくつかの会社で「とにかく使ってください」と、トレーニングとして働いたが、なかなか相手先の社長には認めてもらえず、正式採用には繋がらず。
しかし、その真面目な人柄が買われ、あるレストランでたまたま欠員が出た為、つなぎとしてのウエイターとして仕事をもらえる。勿論観光ビザなので給料はもらえない。
ところがそこで暫く働くうちに、その真面目な人柄が、食事に来る常連の日本人社長の目にとまり、
「君はアルバイトかい?」
「はい、今こちらで御世話になってます」
「ほう、そうか、実は今、真面目に働いてくれる人を探しているんだ」
という事で、とんとん拍子に話がまとまり、あっと言う間にその会社でワークビザを出してくれた。そのレストランも、たまたま日本人社長のよく集まる場所だったと言うのも幸いした。
新しい会社では、最初は車の運転手みたいな仕事で、きついし大変だったが、その真面目な人柄が幸いして、どこにも敵を作らず、人一倍一生懸命に働いたので、半年もしないうちに昇進、現場を任されるようになった。
それからも仕事を怠らずきちんと働き、お客様に頭を下げてスタッフと仲良く働き、入社して一年で永住権申請、その半年後には遂に念願の永住権を手に入れたのだ。
まるでわらしべ長者のようだが、このような例は、実はニュージーランドではいとまがないくらいよく起こる。この国は地縁血縁社会であり、表に出ない求人募集はたくさんある。ただこの国の労働法の問題で、それが表に出せないだけなのだ。
良いスタッフは常に欲しい。でも表立って求人も出来ないしな。そう思っている社長は、実はたくさんいるのだ。
だから今回のケースのように、まじめにやっていればニュージーランドでは非常に高い確率でワークビザに繋がるし、それが永住権まで持って行ける.
彼はこれから自由だ。勿論もう暫くは今の会社で働くが、少なくとも彼は、「選択の自由」を得たのだ。
彼が日本を脱出した時はすでに31歳過ぎ、子供もいた。冒険だったろう。でも、みんな、子供の頃は冒険しなかったかい?冒険しても、何を失うものがある?冒険せずに失うものは大きい。
彼は子供の為に頑張った。子供はこれで、オークランド大学を卒業して、世界の英語圏どこでも働く機会を手に入れた。お父さん有難う。子供たちは、その時になって本当にお父さんの判断に感謝するだろう。お父さんがどれだけ苦労して、勇気を出して一歩前に踏み出したか、それは子供たちにはわからないだろうが。
でも、勇気を持って踏み出した者が結局勝利の美酒を飲めるのだ。年を取った人なら、なんでそんな冒険をするというだろう。でも、今の日本に残って何もせずただ年を取り、子供に苦労を押し付けるのが親の仕事か?日本に残る事こそ、実は子供に対する最大の無責任ではないか。
年寄りは、若者よりもたくさんのモノが見える。それは確かだ。しかし、たくさんのものが見えた結果として、それがもし若者の冒険を妨げるものであれば、それは老いと呼ぶべきではないだろうか。
写真はクライストチャーチで行きつけの昼飯や「一寸法師」の醤油ラーメン。他にも牛丼やカツカレーなど、日本っぽいメニューで味も良いので、最近は大坂や(ここも美味しい昼飯や)から足が遠のいている。
2006年11月03日
寿司トレイン回転?開店?
本日、オーストラリアの回転寿司最大手の「スシトレイン」が回転、じゃなかった、開店したので、早速顔を出す。
初日だから仕入業者さんとか身内ばかりかなと思ったら、それが何と!どう見ても飛び込みで入ってきたキーウィだらけ。カウンターとテーブル合わせて60席程度の店が、ほぼ満席。
食い物商売にはいろんなマニュアルがあるけど、それほど良い立地でもないのに(ビアダクトカップビレッジの裏側)、12:00に開店してすぐ満席、12:30の時点で行列が10名くらい出来てた。
スシトレインのオーナーがオーストラリアから出張で店手伝ってたけど、非常にスタッフの動きが良い。声がはきはきしているし、店は明るいし、正面が全部ガラス貼りなので、外を通る人なら、「お、気軽そうじゃん、ちょいと寄って見るか」と思わせる作りだ。
初日なのでみんな緊張しているようだが、積極的な対応が心地よいので、少々のミスがあっても気にならず。
こういう市場が、ニュージーランドにはまだまだたくさんある。これで10名以上の雇用がニュージーランドに生まれ、新たな所得税や消費税が政府の利益となり、誰にとっても良い事ばっかりではないか。
ニュージーランドはどうのこうのと文句を言う輩は多いが、結局自分じゃ何も出来ない、言うだけ星人。やってみろっつ〜の。
私、頑張ってるんです!なんて言っても、実績でなきゃ駄目。そんな普通の事が分らない連中を相手にしていながらこういう店に来ると「おお、社長、よくやってますね〜!」と、思わず嬉しくなる。
何よりも、人生に限界はない。限界を造るのは自分だ。自分の勝手な思い込みや頑張ってるふりをしているだけじゃ、新しい仕事は出来ない。
良い意味で勉強になった昼食だった。
2006年11月02日
青空のクライストチャーチ
最近クライストチャーチが新移住者に人気だ。澄み切った空気と優しい青空が人気の原因かな。
ニュージーランドを選ぶ人は、基本的に都会の人が多い。お金は稼いだものの、ストレスに疲れ家庭を大事に出来ず、知能は高いから自分が社内で作業した実績が、非生産的な仕組の中で意味もなく浪費されている事に気付いている人。
特に海外駐在などを経験した人からすれば、今の日本に矛盾と不安を感じて、早いうちに海外に出ようとする。そして世界全体を消去法で見てみると,必然的にニュージーランドが浮かび上がってくる。そこで再度ニュージーランドを調べて見ると、これがどうも一番良さそうだ。
そこで実際に下見をしてみると、クライストチャーチという街が住みやすいことに気付く。東京で生活をした人からすれば、オークランドは中途半端な都会であり、人が多くてごみごみしているという感じを受ける。
クライストチャーチは人口30万人の街だが、基本的な生活用品は揃っており、静かに暮らせて家族を大事に出来て、人々が笑顔で生活出来るという点に気付く。
クライストチャーチでは、僕は殆ど汗をかかない。隠喩で言ってるわけではなく、本当に空気が乾燥しているし、走り回る事がないからだ。勿論ラグビー場に行って走り回れば汗はかくが、普通に生活していると、肌がすべすべというか、シャツを着た時や脱ぐ時の感触が違う。するする感っていうのか、オークランドでのような、べた〜っとひっつく感じがない。
でもって、僕は昼食を食べると汗をかくという変わった汗腺を持っている。お昼にうどん等を食べてると、ほっぺたと頭の天辺から汗が出るのだ。特に、飲みすぎた翌日などにラーメンを食うと、汗が滝のように出る。
ラーメンを一口すすってスープを飲むと、大体その30秒後に両方のほっぺたから汗が玉のように噴出し始める。そして頭の天辺がじわ〜っと濡れ出して、禿山の鉄砲水のように、さえぎる木(毛)のない僕の頭蓋骨で、あちこちから汗が飛び出してきて、うなじのあたりで一塊になり、そのままほっぺたの汗と合流して、一気に顎の先まで駆け抜けて、じいさんの山羊髭のように顎の先からテーブルに向かって見事な滝を作るのだ。
ところがクライストチャーチでラーメンを食っても、殆どそのような現象が起きない。汗が出ないのだ。勿論かる〜く汗は出るが、それはハンカチで拭き取れる程度のもので、生活に支障をきたしたり、周囲の人から本気で「ご病気ですか?」と心配されてしまうほどのものではない。それほどに空気が乾燥している。
まあ、汗の出具合で生活する街を決める人もいないだろうが、地形、治安、物価、仕事、天気、教育、医療、などなど総合的な点数が高いクライストチャーチには、僕のクライストチャーチ出張回数が増えた事からも、確実に移住者が増えていると言える。
しかし同時に、この街には大きな問題がある。それは、1990年代にやって来た、まともな社会経験もなく親の金だけで生きていて、他人の心の痛みなど理解出来ず、自分がどれだけ偉いかを自慢したくて、他人の諫言など一切聞かず、とにかく自分だけが凄くて偉いと思い込んでる、かなり神経に問題のある人が多いと言う事だ。
海外に出ると日本人は日本人を頼りがちだし、僕が移住コンサルティングをしながらこんな事を言うのも矛盾しているが、相手が日本人だからという理由だけで先住日本人と付き合う必要は全くないばかりか、それは多くの場合、自分の生活を乱されるという弊害を生む。
なので、クライストチャーチを移住先として選ぶ人には、予め知っておいてもらいたい。先住日本人とは、出来る限り付き合うなと。この話、本気で書き始めると一冊の本が出来上がるほどなので、そのうちゆっくり書く事にする。
何だか昨日と同じような、先住日本人批判になってしまったな。でも、それほど腹が立つのが先住日本人だという事実は変わらない。あくまでも統計上の問題ではあるし、良い人もたまにはいるが、少ない。どこの街でも10人のうち2〜3人くらいだろう、まともな人は。
2006年11月01日
地球の暮し方最新版届く
本日、東京より国際郵便で「地球の暮らし方8」が届く。2007〜8年度版なので、これから2年間はこの本に書いている情報が駆け巡るのだろう。
でも内容は、特にデータ系はかなりしっかりと現状を把握している。別に当社が広告を掲載しているから言う訳ではないが、公平に見て、ポイントは掴んでいると思う。
勿論データは一般論の話であり、それをどう活用するか、どう個人に直接当てはめるかという根本的欠点はあるものの、それはどのような本でも不可能なことなので仕方ないとして、移住に関してある程度の推測は出来る。
他の本ではここまできちんとしたデータがないので、移住を少しでも考える方は書店で購入してみるのも良いと思う。
問題点としては、個人のインタビューである。
以前も書いたが、この個人インタビューというのはなかなか評価が難しく、インタビューを受けた本人の言ってる事とやってる事が違うという事がよくある。
インタビューを受けた人は大体自分の言いたい事や知ってもらいたい事しか言わない。でも読者は、なぜその人がニュージーランドを選んだか、本音を聞きたいのだ。
そしてその本音が成功して移住したのか、それとも何となく移住できて、それだけじゃあみっともないから今になって理屈を後付けしたのか、その点を知りたいのだ。
なのにお綺麗なお話だけではね〜。読むだけですぐ裏がばれるインタビューケースが散見される。
特に、ヒマでやる事もないしキーウィの友達もおらず旦那にも相手にされないような人がそのうち移住希望者に向かって『ナニよ、英語も出来ずに移住なんておこがましいわよ、あたしなんてね〜!』という自慢話を、たらたらとキーウィタイムで喋り捲るんだろうなと、ドリカムもビックリな未来予想図が見えてくるから、痛いのである。
今もオークランドを徘徊している離婚組が、来たばかりのワーホリを掴まえてあ〜だこ〜だと、訳の分らん自慢話をしているもんな。痛いを通り越して、醜い。
まあ、本を作るほうとしてはそのような「インタビュー」も大事と分る。そのほうが売れるもんね。
僕から出来るアドバイスとしては、出来ればインタビューに出なかった人、つまり既に移住に成功しており、あまり雑誌に出たくないような人に個人的に会って、本音のアドバイスを貰った方が、学ぶ事は多いと思う。
そう言う人は、日本の税務署とお友達になりたくないから、あまり表に出てこないし、雑誌に出るような個人情報の開示と言う危険な真似はしない。でも、そういう人こそきちんと手続を踏んで、家族を連れて苦労してやってきた人なのだ。
まあ、インタビューに参加した人のうち、2年後に何人残っているか、何人が本で語った夢に向かって進んでいるか、統計を取ってみれば面白いだろうね。
月刊NZ、MJなどでも多くの方がインタビューに参加しているが、これは既に統計が出ているので、その気になれば誰でも調べられる。
でも、何でここまで現地に住む日本人の事を悪く書くのか、一部の人にとっては不思議だろうと思う。いいじゃないか、やる気があって頑張っているのに、そう思うだろう。
でも僕は、そういう「やる気のある連中」や社長と呼ばれる連中が、何も知らない移住希望者に取り入って、実態と違う情報を与え、結果的に本人に金銭的損害を与え、最後には「私、知りません、何言ってるんですか、あなたが悪いんですよ」とやってしまい、折角の移住の夢やNZでの生活を断念させられ、嫌気が差して出ていった人を知っているからだ。
でもま、何を信用するかは、最後は本人の判断力だ。
但し、最初も言ったが、データなどはしっかりしている。弁護士やコンサルタントからきちんと取材をしているし、周辺情報もしっかりしているので、一冊購入して参考資料にするのはお勧めである。
「地球の暮らし方8ニュージーランド」
ダイヤモンド社発行 定価2200円+税金