2007年01月

2007年01月31日

豊橋から大阪へ

「いっや〜、年取ったからと言って年寄りとばかり付き合ってたら、こっちまで暗くなるわね〜、やっぱ元気の良い若い人としゃべってる方が、頭も若返るだぎゃ〜」

もうすぐ80歳のおばあちゃんの言葉。実はこの人、とっても元気だ。何よりも、頭が良い。今も毎日現役で生きてる。

雲ひとつ無い青空、真冬なのに15度と言う、涼しい朝だった。名古屋から新幹線で30分で豊橋だ。

おばあちゃんが移住するわけではないが、仕事の関係でお会いした。これで2回目だが、実に元気なだけではなく、ちゃんと自分を知ってる。

「ニュージーランドもね〜、もっと行きたいんだぎゃ、でもさ、1人で行く途中にね、もし体が調子悪くなったら、人様に迷惑かけるだぎゃ、そんな事は嫌なもんでな〜」

自分の体調よりも、人様に迷惑をかけるという方が気になる、典型的な「良い日本人」である。

喫茶店で話をしている最中に、先程カバンの中に入れたちっちゃい紙を、どこに入れたのか見つからず、「全くもう、今入れたばかりなのにな〜」と、自分で自分を叱っている。

私は、体は少し弱っていても、頭はまだしっかりしてるんだ、なのに、何で紙が見つからないのか。自分で自分に鞭打っている。

だらしなく道端やコンビ二の前に座り込んで、無気力な顔を空に向けてる若者に、しっかり見てもらいたいものだ。これが日本人でしょって。

昨日の名古屋でも感じた事だが、他人を思い遣る事の出来る日本人が、この国にはまだたくさん残っている。

ただ、戦後からバブル、そして失われた10年を通じて、日本人がその良さを捨てている。他人を思い遣る事が出来なくなっている。

ふと思った。今政府で政策を決める官僚と呼ばれる連中は、子供の頃は鍵っ子で、学生時代は他人を蹴落とす競争、日本の一流大学に入る為に多くのものを捨てて来たのだろう。

そんな人間が、本当に人の痛みを知っていて、他人を思い遣る気持ちを持っている、そんな人間の気持ちが理解出来るのだろうか?

たぶん出来ないだろうね。だからこそ平気で社会福祉の切捨てを行い、貧乏人は死んでしまえみたいな行動を取れるんだろうな。

希望のない社会で、若者の間には閉塞感(へいそくかん)と諦念(ていねん)が広がっている。

今年は司馬遼太郎の「坂の上の雲」がテレビ化されるそうだ。やって欲しい。日本人がまだ元気だという事を、しっかり伝えて欲しい。

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tom_eastwind at 16:30|PermalinkComments(1)TrackBack(1) 移住相談 

2007年01月29日

名古屋

冬とは思えないほど暖かい東京を出て、コートもマフラーも要らない名古屋に到着。

今日は3件の面談。東京の面談とは、重みが違うな。東京では参加者の年齢が若かったのと、殆どが企業で働くビジネスマンだったのに対して、名古屋ではすべて自分でビジネスを長年経験している方ばかりだ。

名古屋では、下は30代前半から上は70代まで幅広いが、皆さんビジネスの経験が豊かだから、とにかく話が”滑らない”。

移住と言うのは、自分で自分の人生の主人になる事だ。会社から給料を貰うのも、御客様の仕事を無事にこなして収入を得る事も、家族を養い自由な生活を確保する為の手段だ。

ただ、自分で商売をしている人は、自分が商品であるという事をよく理解しているから、労働の価値が金額に換算されるという事をよく理解している。その意味で労働を商品として認識している西洋社会の価値観を理解しやすい。

ここが日本の給与所得者と違う点だ。日本の給与所得者は、「そんな安い給料では移住しても生活出来ません」と言う。でも、その前に、あなたの労働力の商品価値がいくらなのか、理解しているのだろうか?

日本では労働さえすれば最低のお金が貰える。それが不足していれば、文句を言う事も当然と思われている。でも、自分に価値がなければ、いったい誰が金を払う?

つまり、使い物にもならないのに、優秀で商品価値のある労働者と同じ時間を同じ職場で過ごしただけでお金が貰えるなんてのは、社会主義国家か日本だけなのだという現実を理解していない。

あ、訂正。日本は社会主義だった。

でもね、仕方ないけど現実なのは、少なくともニュージーランドは資本主義だし、商品価値の無い人はお金をもらえない。もちろんセーフティネットは日本より数段優れているけど、基本は資本主義だ。

本当に偶然だが、東京の面談と名古屋の面談を比較してしまった今日。

ワーキングプアと言う本を購入して、約1時間で読了。日本では大企業になればなるほど、その会社でしか通用しない「ジェネラリスト」を養成する。でも、その人は、他の会社では全く通用しない。ましてや、他の国では全く使い物にならない。

壮大なる社会的無駄を、企業が産み出している。終身雇用や年功序列を廃止する中で、システムだけは「ジェネラリスト」を作り出す日本の仕組み。

これじゃあ、もういっぺん大失敗するぞ。

移住を希望する人に、再度言いたい。大企業で勤務するジェネラリストであればあるほど、そして自分のプライドと今の給料を守りたければ、移住なんて考えない方が良いと。

どうしても移住したければ、大企業を退社して調理師免許を取り、寿司屋で2年ほど働いて、魚をさばけてから、調理人として海外に出ることだ。

きついけど、事実だ。夢や憧れだけで移住しても、結局失敗するだけだ。

名古屋。大いなる田舎と言われた地域が、今物凄い勢いで伸びている。現実を理解して変化出来る人(地域)が、次の時代も生き残れる。

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それにしてもパソコンがぶっ壊れて、全然メール受信が出来ない。ブログもまともに書けない。

お急ぎの方は、下記アドレスへご連絡下さい。ご迷惑をおかけします。福岡に到着したら、パソコン買いますのだ、それまで申し訳ないです。

tom1tom@hotmail.com

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tom_eastwind at 23:58|PermalinkComments(2)TrackBack(1) 移住相談 

2007年01月28日

根岸線

汽笛一斉新橋を〜という鉄道唱歌がある。

 

九州出身の僕は、どうして日本最初の電車が新橋から横浜なのか、よく分からなかった。

 

というのも、僕の頭の中では横浜=神奈川県、だから横浜ってのは伊豆や箱根のあたりにあるんだろうくらいに思ってて、黒船も随分江戸幕府から離れた港を使ったんだなと疑問だった。

 

ニュージーランドにやって来て、横浜出身の友達が出来ても、「東京に通勤している」という話を聞き、随分遠距離通勤だよねと言うと「う〜ん、そうね〜そうかもね」という返事が殆どだった。お互いに遠距離という意味が違うということに気づいたのは、それからしばらくして、横浜に行くことがあってからだ。

 

なんじゃこりゃ!新橋から横浜まで、東海道線でたった25分程度、こりゃ近い。時間だけで考えれば、新橋から新宿を山手線で回るより近いじゃんか。山手線より離れていると意味で言ってた友達の言葉と、単純に東京通勤圏より遠いと思ってたぼくの、大きな勘違い。

 

九州からすれば、関東と東京の区別がつかないし、距離感の違いをひしと感じた。

 

そんな横浜、今回はインターコンティネンタルホテルに行く事になった。相模原のお客様からすれば、横浜に出るだけでも1時間近くかかるようで、東京にいる僕と待ち合わせをどこにしようかとなった時、お互いの共通になる目印が、ここしかなかった。正確には、僕が横浜ではここしか知らなかったということ。

 

もっと突っ込んで言えば、実はインターコンチに行くのは初めてだが、たまたまそのホテルがみなとみらいという場所にあり、横浜駅からタクシーに乗ればそこにいけると言う事だけを知ってたのだ。

 

それにしても美しい景色だな、ホテルの正面にタクシーを止めてもらいロビーに入ると、一階のバフェットレストランから見える港が、燦燦(さんさん)と輝いている。

 

そんなことを思いながらお客様をホテルのロビーで待つ。仕事は約1時間で終了し、再度オークランドでお会いする約束をして面談終了。

 

帰路、横浜駅で東海道線のホームに立ち、ふと階段の方を振り返ると、そこに「根岸線」という文字が見えた。

 

1月、肌寒いオークランドの自宅ででずっと聴いていた小田和正の歌を想い出す。

 

My home town」という歌に、「出来たばかりの根岸線で」という歌詞がある。

 

根岸線が初めて命名されたのは1964年だから、小田和正の高校生の頃だったのだろう。

 

小田和正は1947年生まれなので、もう60歳だ!それでもまだ、現役で歌っている。去年はタクロー、ようすい、かぐやひめも頑張った。

 

おいおい、30代のみんな、夢はあるのか?目先のちっちゃいところで、こちょこちょと保身に走ってないか?

 

初めて新橋から横浜を走った汽車には、みんな明治の夢を背負っていたと思う。坂の上の雲を見ながら、日本人としてみんな西洋に追いつこうとがんばっていたと思う。そのとき、西洋はせせら笑っていたと思う。ふん、東洋のサルに追いつけるかよ。

 

横浜で海を眺めた。この海に黒船が浮かんでたのかと感じる。サルがどれだけ強いか、見せてやろうと思う。社会の底辺から昇っていく戦いは、僕の一番得意とするところだ。

 

何か、横浜でパワーを受け取ってきた、そんな金曜日の午後だった。やっぱり小田和正は、僕の元気の源泉のひとつだな。

 

旅先なので、ブログランキングのリンク、出来ないな〜。

 

それにしても今日の説明会と、その後の7件の個人面談、すんごい時代の変化を感じる。ついに、普通の人が移住に興味を持ち始めた。

 

写真のUPもできないな。せっかくの横浜や東京タワーなんだけど、パソコンが直ったらUPしよう。

 

東京タワーがきれいに見える静かな部屋で酒のみながら、東京最後の夜を、音楽や景色で楽しんでます。明日は名古屋だ。

 

tom 



tom_eastwind at 23:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 僕の青春 

2007年01月27日

個人面談開始

本日より個人面談開始。本日は10時30分から18時00分まで、ぎっしりと詰まっている。

明日は午前中が説明会、その後個人面談が6組。そんな大忙しのときに、何とパソコンが使えない!てゆ〜か、メールが受信出来ないのだ。かなりやばし。

サーバーの設定がだめなのかな〜。しばらくUPできないかもしれません。

それにしても、今回も天気に恵まれて、3月後半のような陽気。おまけに東京タワーが目の前に見えてる。こんな近くで見えるとは思いませんでした。

 



tom_eastwind at 21:06|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月26日

社外共同チーム

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元オールブラックスのキーウィ不動産おじさんと、オークランド大学を卒業した若くてパワーのあるエリート韓国人弁護士と、上海からやってきた4ヶ国語ぺらぺらの、30半ばの優秀な銀行マン。今回はこの3人と社外共同チームを作って作業中。

 

どいつらも主張が強くてとにかく押しが強いけど、揃って頭が良い。

 

キーウィ不動産おじさんは、やはり生まれ育った土地の利を持っているから、「大丈夫、隣のあいつは俺の小学校時代の友達だ!」とか、「何、あのオーナーが何か言ってるのか?大丈夫、俺のラグビーの後輩だ、心配すんな!」って感じで、とにかく底抜けに明るい。

 

大柄で骨太な彼は、以前ニュージーランド代表でウエイトリフティングの選手にもなったくらいだ。とにかくお客にビールを飲ませて、何時の間にか商談を纏め上げようと言うタイプだ。実に押しが強いし、根が良い奴なので、お客としても嫌な気持はしない。

 

韓国人弁護士はそれとは正反対に、細身で紺のスーツを着込み、冷静な顔を、いかにも売り出し中!という感じで、立て板に水のような理論で話してくる。相手の言ってる事を5くらい聞けば、大体10程度は理解出来るタイプだ。

 

冒険派では無い為、顧客の依頼が自分の弁護士としての立場に影響が出ないかを常に頭の後ろで考えながら、前頭葉では自分の利益を計算して、「一番利益」になる主張をしている。

 

「一番の利益」と言う点が良いところで、彼は「顧客からの信頼」が一番大事と理解しているから、目先の細かい自分の利益よりもお客様の希望を優先する。

 

結果としてお客様は満足し、また次の仕事に結びつくと言う好循環を生んでいる。彼のことは以前のブログでも紹介した、外国人の中では珍しく、顧客の信頼が長期的ビジネスを生むと理解している。

 

中国人の銀行マンは最近のブログで紹介したが、HSBCでプライベートバンキングマネージャーとして働いている、中肉中背の男性だ。これまた頭が切れる。あまりに切れすぎて、時々どもる。頭の回転に、後天的に憶えた英語が追いつかず、時々息切れする程だ。

 

初めて出会った5年前も、初対面なのに相手の懐にぐいぐい入って来るタイプで、決して押し込みはせずに、あくまでもニュージーランドにいる外国人としてのたしなみを心得ながら、でもポイントでは一気に問題解決の提案をずばっと行う。

 

とにかく仕事のポイントを見抜いて、いくつの選択肢があるかを瞬時に判断して、最高の解決策を提案する。とにかくこの3人の中では最も処理速度が早い。インテルが入ってるのかもしれない。

 

まるでライバルみたいな書き方だが、実際はこの3人が今回の仕事で僕と一緒にチームを組み、それぞれの立場からお客様に最善の提案を行っている。皆がお客様の利益と自分の利益を考えながら、最高の組み合わせを次々と提案してくる。

 

彼らはどいつもメールなどと細かい作業はしない。いきなり携帯電話でずばっとポイントを突っ込んできて、こっちが半秒以内に正しい答を出さないと、いきなり「OK,じゃあもういい、こっちで考える!」と言って電話を切るタイプだ。

 

ついていくだけでかなり疲れるが、こういう連中と仕事をしていると、実に心地よい。何せ、誰も絶対に泣き言を言わないからだ。

 

出来ない、知らない、分らない、等は、死んでも言わない。何があっても出来ないの代わりに「よっしゃ、どうにかする」と言い、知らないの代わりに「今は手元に資料がないけど、すぐ確認して回答する」分らないなんて、彼らからしたら末代までの恥だから、必ず「今は確証のある返事が出来ないが、今日中に調べて回答する」と答える。

 

そしてちゃんと決められた期限内にきちんと回答を寄越してくる。

 

優秀な人間は何処の国にいても同じだ。出来ない事を出来ないと言うのが素直で正直で良いと思っているのは,普通の日本人くらいではないかと、本当に悲しくなる。

 

大体4人とも違う国で生まれて、違う文化を持って育ってきたのだが、それがオークランドで共同作業をするとなったら、お互いに共通の価値観を見つけて、そこに向けて動く。

 

その時に「え〜、そんなの外国人の習慣でしょ〜、わかんな〜い」なんて言う奴は一人もいない。てゆ〜か、いたら速攻でチーム失格だろうけどね。

 

いつも書く事だが、キーウィは働かないとか中国人は汚くてずるいとか韓国人は要領悪いとか、いろいろ立派な文句を言う人はいる。ただ、僕はそのような人に聞きたい。

 

君は一体、どんな層の友人と付き合ってるの?どんな層の人間を見ているの?

 

少なくとも僕の周囲にいる「外国人」は、実に優秀な人間が多い。優秀でいながら共通する事は、仕事に対して貪欲で積極的でありながら、自己主張が明確で、尚且つ常に自分の家庭を大事にしているという点だ。

 

そして、誰もがお客様をビジネスパートナーとして捉えてはいるが、相手は神様ではなく、自分は奴隷ではないと言う点だ。あ、もう一点この3人に共通項があった!でもそれは彼らの名誉の為に言うまい(笑)。

 

今回の共同作業は、後一ヶ月ほどで大体終了する。結果的にどうなるか分らないが、実に勉強になる、緊張するけど、ぞくぞくする楽しみのある作業でもある。

 

あ、でも日本に行ったら、今度は僕の携帯電話に国際電話がかかってくる。英語、大丈夫かな。途切れ途切れのあいつらの早口、聞き取れるか、今から不安な僕です。

 

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tom_eastwind at 00:52|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年01月25日

メアド

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多くの日本人はすでに理解しておられるだろうが、メルマガと言うのは和製英語であり、他に何百もある和製英語同様、英語圏では通用しない。

 

おそらく漢字圏でもね。

 

 

昨日クイーンストリートで信号待ちをしていると、日本から来たばかりなのだろう、自分のメールアドレスを学校のアジア人の友達に渡す為に一生懸命英語を話そうとするのだが、さすがに「マイ、メアド!」ては通らない。

 

そこで思った。どうせ日本で出発前に英語の勉強するなら、挨拶の単語とかよりも、日本で作られた和製英語とその語源である英語を学んで見てはどうだろう?

 

そうすれば、NZに着いてホストファミリーと話す時も、笑いが取れるかもしれない。

 

僕自身、最初の頃は自分の発音の自虐ネタでよくキーウィを笑わせてた。仕事仲間の女性クレアーの名前を「クエアー」と連発していた。ニューヨークにいた奴はもっと発音がうまいので、キャント(出来ない)とカントが出来るようだ

 

でもって閑話休題(かんわきゅうだい)、メアドの話。

 

最近の学校で何を習っているのかしらないが、今時普通の社会人なら携帯電話並に持っているメールアドレスが、どうもおかしい。てゆ〜か、メールを使う人の常識がずれ始めている。

 

おかしいと言うのは、設定の仕方をしらないままYahooなどの無料アドレスを取得しているのだが、当社へメールで問合せをしてきて、そのうち「返事が無い!」とか言って来ること。

 

まずはメールの問合せ。こちらからどれだけ返信しようとしても相手が受信出来ないケースがある。

 

それは、相手側のセキュリティ設定が最高になっており、知合いのメールしか受信出来ないようにしておきながら、つまりこちらのメールが自動的に「スパムメール」になるようにしておきながら、「いつまで経ってもメールが届かない〜!」と、またお怒りのメールを送ってくるケースだ。

 

それとか特に、日頃携帯電話でしかやり取りをしない人は、メールアドレスのセキュリティ設定だけでなく、添付ファイル自動削除などの機能を理解出来てないから、こちらから送ったファイル付きメールが「メールは来たけどファイルが付いてない。送り忘れか?!」と言う事になる。

 

でもって、それだけなら利用方法をきちんと学ばなかったと言う事で「あ〜、そうなんだ、済みませんでした」で終わりなのだが、そこから何故かこちらに文句を言って来る。

 

「そんな、メールの設定なんて知ってるわけないじゃんか、教えないお前らが悪いんだよ」みたいな内容。

 

たまたま僕が担当している部門では、メールの設定もインターネット検索も普通に出来る方ばかりなので、殆どこのようなクレームは起こらないが、他の部門では時々、ある。

 

勿論、インターネットやメールアドレスなどの革新的な技術は進化の速度も速く、日頃使い慣れない方には大変だろうと思う。(しかしまあ、そう考えると僕の担当のお客様は、比較的年齢が高いにも関わらずしっかり技術を追求出来ている、すごいな)

 

だから理解出来ずに失敗する事はあるだろう。

 

問題は、その失敗が何故起こって、どこに原因があるのかをしっかり把握出来ないまま、とにかく「むかついた」から、そこにいる誰かに「当り散らす」と言う奴だ。

 

これは最近の日本の事件を見ても思うが、今、自分の目の前で起こっている状況を、冷静に把握して分析する能力や、このままではいずれ陥るであろう状況を予測する能力が、ある一部の人々の間では欠落しているのではないかと言う事。

 

例えば子供への虐待。若いカップルの出来ちゃった婚、でも生活能力ないから夫婦喧嘩、そのうち子供に当たるようになり、衰弱死とか暴力によって命を奪われたりする。そりゃそうだ、生活能力も養育能力もないままに子供を産めばどうなるか、分るだろう。TooYoungの世界とは違うのだ。予測能力の不足だろう。

 

子供を巻き込んだ自殺でも、そりゃお母さん、あんたの精神状態では生きていけないかもしれないけど、子供は生きる力があるのよ。あんたの私物でもあるまいし、何で道連れにして殺すの?

 

子供は孤児院に入れても生きていける。その後どうなるか分らんが、少なくとも今、親が子供の生殺与奪の権利を行使出来るのか?子供は社会の宝、親の私物ではないと言うのが一般的なニュージーランドの考え方。

 

だからDVがあればすぐに親から子供を引き離すし、とにかく社会全体で子供を守ると言う思想が徹底している。

 

だからさ、死にたいおばさん、状況読んでよ。あんただけが勝手にヒステリックになってるだけじゃん。

 

分析能力や蓋然性(がいぜんせい)予測能力が人間の脳のどの部分で司っているのか分らないが、ファストフードやコンビニ食で使われている一部素材や、本来摂取すべき栄養素が摂取されてないとか、子供の成長に阻害要因が出ているのかな。

 

とにかく相手を思いやるという日本の良い伝統が失われている。

 

日本では伝統的に弱い者虐めはみっともないし、やっちゃいけないという習慣もあった。出来るけどやらない。みっともないという価値観が一致していた。

 

横綱相撲とも言われるが、自分が体力的にも社会的にも高位にある場合は、それなりの「貴族の義務」が存在したものだ。

 

 

例えばお客様が神様ですと言う企業にとっては、そうなるとお客様は最初から高位にいるわけだ。その「お客様」が、相手を恫喝するような筋の通らないクレームをしてきたら、そりゃどういう事よ?となる。

 

やはりお互いに筋を通して、理を弁えて話をすることになるはずだ・・・・が、最近の日本の企業に寄せられるクレームでは、素人の方がヤクザより理不尽だと言う。素人だから何を言っても許されると思っているらしい。典型的な弱い者いじめだ。

 

浮浪者にガソリンをかけるような弱い者虐めを平気で出来る動物(敢えて人間と呼びたくない)や脳みその一部欠落人間が街を歩いてるのだから、普通の人も街を歩くのは怖くなるよ。

 

夜のコンビニに買物に行ったら、帰りは半殺しにされていたって、本当に洒落にならない。

 

食べ物が悪いのか、教育が悪いのか、いずれにしても人々の対応がどんどんおかしくなっているのを感じたメールアドレスだった。

 

写真はクリスティンスクールの児童発表会。

 

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tom_eastwind at 00:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 日本 

2007年01月24日

移住カウンセリング

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今日も朝から日本の開業歯科医ご家族の個人面談。ご家族4名で先週下見に来て、そのままオークランドに数日滞在している。

 

先週金曜日に当社オークランドオフィスに飛び込みでやってきたのだが、僕に他の用事があり、今朝に時間変更をしてもらった。

 

40代のご夫婦と、ちっちゃなお子様が二人。開業してすでに10数年、資産もあるし、日本にいる限り悠悠自適でやっていける方たちだ。

 

そりゃそうだろう、地元できっちりとお客を抱えて、きちんと仕事をしていれば周囲の尊敬も受けられるし、安定した生活は確保されている。

 

でも、そんな普通のご夫婦でも、今の日本に疑問を感じ始めている。

 

「いや、勿論このままでも問題ないんですよ。でもね、子供の教育とか将来の事を考えたら、一体どうなんだろうって思いますよ。それに政府は間違いなく富裕層に対して課税してきます。そうなったら、僕がどれだけ財産を作ったとしても政府に持っていかれますからね」

 

柔和そうなふっくらとした顔の歯科医は、そんな話をする時だけ眼鏡の奥が光っている。隣の奥さんも、ちっちゃな子供の頭をなでながら、ご主人の方を少し心配そうに上目で見つめている。

 

誰もが自分の子供には幸せになってもらいたい。でも、個人がどう頑張っても、日本にいる限り政府と戦っても勝ち目はない。

 

これからの日本は二極化と言われているし、実際に二極化している。

 

政府が富裕層から税金を取ろうとすればどうするか?

 

答は簡単だ。富裕層は常に少数だし、低所得層の数は圧倒的に多い。

 

だからマスコミをうまく利用して、低所得層の人々に対して「消費税なんて、お金が無い人からも取るのはおかしい!それよりも、皆をこき使ってお金を稼いで来た富裕層に、今こそ高い税金を掛けるべきだ!」と言うキャンペーンを打てばよい。

 

そりゃそうだ、低所得層の人々は毎日の生活に困窮している。貯金を切り崩しながら何とか生活をしている人々からすれば、ブランド物を買ったり高級住宅に住んでいる人々は、とても簡単に批判の対象としてあげつらいやすい。

 

そこへ政府が「悪いのは政府じゃない、一部のお金持ちが皆さんの給料をいつまで経っても上げないから、皆さんが苦労しているんですよ〜」とやれば、燎原の火(りょうげんのひ)のように、金持ちに対する批判活動は広まるだろう。

 

戦前の米騒動のような無法地帯にはならないだろうが、政府が「国民の大多数の意見を背景に」富裕層に対して税金を掛ける事が出来る。何せ徴税権は政府の宝刀だ。法律は政府が作る。国民の納得さえ得れば、それでいつでも課税出来る。

 

ある程度先が見える人は、そのような状況が見えているから、本当に家族や生活を考えた時に、果たして日本でこれから生活をする事が正解なのか?と言う疑問を持つ。そして飛び込みでニュージーランドにやってきて、当社を訪問する方も増えている。

 

今回の、1月28日の移住説明会でも、すでに20名のお申込を頂いている。今時、移住をテーマにしてウェブサイトだけで募集して、ましてや有料で開催しているのにお集まり頂いてる説明会は、あまりたくさんないだろう。

 

それだけ危機感が日本全体に広がっていると言う事だと思う。説明会に参加する方が大体同じ事を言う。

 

「え、こんなにたくさんの方が毎回集まっているんですか・・・私だけじゃないんですね」

 

お正月明け、第21回目の移住説明会を1月28日に東京汐留で開催する。

 

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tom_eastwind at 00:23|PermalinkComments(1)TrackBack(1) 移住相談 

2007年01月23日

オデッサファイル

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またも、日本でまとめ買いしてきたビデオを楽しむ。

 

昨晩は、僕の大好きなジョンボイト主演の1974年の作品「オデッサファイル」。

 

原作はイギリスの正統ミステリー&スパイ小説の大家、フレデリックフォーサイスだ。

 

フォーサイスの作品は、他にもフランスのドゴール暗殺未遂事件をテーマにした「ジャッカルの日」やクリストファーウォーケン主演の「戦争の犬たち」は、どちらも映画化されている。

 

ジョンボイトは「真夜中のカウボーイ」で映画界で一定の地位を獲得して、ダスティンホフマンと共に有名になった。この映画、大都会ニューヨークに出て来た、夢見る田舎者をカウボーイ姿で演じて、結局夢破れて都会の現実を知るという、当時としては実にセンセーショナルな映画だった。

 

二人の演技はその後も語り継がれ、それぞれに演技派俳優として今に至っている。

 

僕は「真夜中のカウボーイ」以来のファンで、彼の朴訥とした顔と演技がなんとも言えない。あ、そうそう、アンジェリーナジョリーのオヤジでもある。

 

でもってオデッサファイル。この映画を観てナチによるユダヤ殺害に憤る人は多いだろう。最近では「シンドラーのリスト」の上映もあり、ナチスによるユダヤ人虐殺は欧州における大きな妖怪のようにのしかかっている。

 

ただ、僕がどうしても分らないのは、あれだけ頭の良いユダヤ人が、何故自分達が死地に追いやられようとしているのに逃げなかったのかという事だ。

 

ナチス以前にも欧州ではユダヤ人に対する迫害は頻発した。露西亜、ポーランド、本場米国でも差別はあった。まともな商売につけないからユダヤ人が金融事業を始めたというのも、皮肉な話だが、中世からユダヤ人が差別されていたのは間違いない。

 

しかしユダヤ人は常にその迫害を切り抜けて生き残ってきた。何故ドイツでだけ、600万人もの死者が出てしまったのか?

 

これが数の問題であるとは思わない。要するに600万人であろうが60万人であろうが、そこで一定の数の虐殺があった事は事実である。そしてその予兆はあったににも関わらず、何故ユダヤ人は国境を越えて逃げなかったか?

 

殺されるよりも、新天地に逃げ込む方が良いではないか。元々流浪の民だ。逃げる事には抵抗がなかったろうに。

 

勿論、ビザが発給されないとか技術的な問題もあったろう。しかしヒトラーの台頭から危険を感じ取った一部のユダヤ人は、いち早く米国等に移住していた。だからヒトラーが危険であると言う情報は、ユダヤ人社会全体に広がっていたと思うのだ。

 

なのに、こんなにたくさんのユダヤ人は、最後の瞬間、逃げ切れなくなるその最後の一線を越えるまで、何故ドイツに残ったのだろう?

 

ポーランドや東欧から集められたユダヤ人もいるから、本当に逃げ切れない人もいたのだろうが、少しでも歴史の本を読む時間のある人なら、当時のヒトラーの主張とユダヤ人差別を見て、こいつはやばい、命会っての物ダネだと、逃げられたのではないだろうか?

 

そこに感じるのは、「まだ大丈夫、もうちょっといけるさ」とか「まさか俺のところまでは来ないよ」とか、危機感の無さではなかったのか?

 

誰も分らないが、ただ、逃げ切ったユダヤ人もたくさんいて、彼らがイスラエルを作り、そしてナチスを、それこそ地の果てまで追い詰めて、南米で、他国で犯罪を犯してまで元ナチスを誘拐した。このあたりが映画の骨子となる。

 

でも、これを他人事と考えずに、今の日本で当てはめて欲しい。今、生活を、真綿で首を締められるように、じわじわと締め付けられていないか?そして気付いて見れば、もう抜け出せない。ぬるま湯に浸かった蛙が、そのうち熱湯で煮え殺されてしまうようなものだ。

 

まさに今の日本に、それを感じる。てゆ〜か、勿論体制側についている人々からすればこの世の春だ。これから50年、また楽しく、昔のように生きていけるのだから言う事はない。問題は、これから先50年、政府に搾り取られて働かされる人々のほうだ。

 

あっちこっちで県知事が逮捕され、そのまんま東が宮崎県知事になっても、肝心の選挙の仕組は変わっていない。選挙の仕組を議論すべきなのに、表面だけ手直ししようとしている。選挙に金がかかるから、どうしても資金を持っている団体と組まざるを得ない。

 

そして当選すれば、彼らの為に働かざるを得ない。そう言う構造の上で選挙をやる限り、不正はなくならない。選挙資金の配分など、構造的に見直す必要があるのは自明の理なのに、何故そうしないか?

 

中央政府からすれば、その方がいつでも地方を叩けるから、仕組の改正なんてやりたくないのだろうと、穿った考えを思ったりする。

 

最初に法律違反をやらせておいて、政府の言う事を聞いている間は頭を撫でて、ちょいとでも逆らおうものなら、国賊扱いで国策逮捕だ。見事なまでに「長いものに巻かれる国造り」が出来た。凄いね、美しい国。

 

日本政府が国家よりも国民を優先して守るなんて、思わないほうが良い。日本政府は、天皇を中心とした国家を守るのだ。国民は、国家がうまく運営されている間だけ、その余禄で守ってあげるのだ。

 

政府にとって国民とは,あくまでも余剰物資がある時に施しをする対象であって、主権在民としての国の支配者に尽くすと言う発想は、全くない。主権在民にならないように、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」を、しっかりと教育や社会で教え込む。そして主権在府をこれからも守り続ける。

 

オデッサファイルを観ながら、政府に飼い殺しにされた挙句に強制収容所に放り込まれてガス室送りにないように、もっと賢くならなくちゃと思った。

 

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tom_eastwind at 09:38|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 最近観た映画 | 諸行無常のビジネス日誌

2007年01月22日

両刃の剣

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ホワイトカラーエグゼンプション

 

白に襟に免除。ここまでカタカナ英語が並ぶと、原語の意味さえ不明になりそうだ。

 

 

カタカナで誤魔化そうと言う誰かさんの魂胆か?

 

 

でも、考えてみれば、当社ではすでにエグゼンプションを導入している。年俸制である。

 

てゆ〜か、当社の場合は、業務内容はパソコンに向かって行う。

 

接客するか、企画するか、いずれにしても肉体作業ではないし、工場のような時間内作業ではない。能力があればさっさと時間内に終わらせてしまい、さっさと自宅に帰る事が出来る。

 

年間に与えられた業務内容と売上目標は決められており、その中でやる事やってくれれば、出勤や退社時間はある程度自由である。子育てであろうがアルバイトであろうが、兼業であろうが料理当番であろうが、用事があって先に帰ったりするのは別に問題ない。

 

それに、残業をする事も、あまりない。勿論緊急事態が発生すれば、誰に言われなくても自発的に残って仕事をするが、毎日だらだらと遅く迄会社にいるという事はない。さっさとやる事をやって、帰る。

 

日本じゃあ意味不明だろうな、この環境。

 

僕自身、自宅では料理担当なので、夕方4時過ぎには退社する事も多い。予め職場の中でシフトを決めて対顧客面で問題が出なければ、お互いに便宜供与(べんぎきょうよ)出来るシステムだ。

 

話はちょいそれだが、そうそう、今後は難しそうな漢字には出来るだけふりがなを付ける事にした。侃侃諤諤とか大山鳴動鼠一匹とかのナショナルブランドならまだしても、留辺蕊とか北谷とかのローカルブランドだと、国語辞典を持ってこないと読めないだろうからだ。

 

閑話休題(かんわきゅうだい) 僕らの仕事は、長く働いたらたくさん稼げると言うものではない。出来る奴は、さっとポイントを見抜いて、一撃で仕事を終わらせて、後はごろごろたらたらと、松本のすべらない話なんかをネタに、馬鹿話をしている。

 

それで良いのだ。21世紀の仕事は、男性も女性も区別なく、能力だけで勝負なのだ。だから、いつまで経っても要領を得ずに仕事を終わらせる事が出来ないってのは、みっともないだけだ。だから今回のエグゼンプション(カタカナで打つのは面倒だな)の意義は良く分る。

 

当社の業務時間の基本は9時30分から5時30分で一時間の休憩だが、早く帰ってその日の仕事が残った場合は、子供が寝た後に自宅で処理しても良い。当社の仕事はパソコンさえあればどこでも出来るからだ。

 

必要なら翌日の残業でも良い。一番良いのは、時間内に処理出来るように仕事の段取りと要領、そして作業の効率化をする事だ。

 

自宅の方が集中して仕事が出来る。オフィスだと、いつお客が来るかもしれず、集中した仕事はしずらい。僕は、土日は自宅で一日中インターネットに繋いで、長時間神経を集中する企画の仕事をしている。

 

だから今回の法改正も、21世紀を見据えた中で、労働実態に法律を合わせる訳なので、良い事ではないかと思った。

 

よく考えて欲しい。僕が元々生活の糧にしていた旅行業界では、机にしがみついている時間で給料が決まるなんて発想はなかった。必要なら夜中の2時でも営業に行く。その代わり、 何もなければ午後からバーで酒飲んでだべってる。

 

客を取るってのは個性であり、組織ではない。

 

だから、単に机に長くしがみついているだけで給料が沢山貰える、そんなの不公平。仕事の処理能力が不足しているから長時間労働をするわけで、能力不足が残業手当を貰うって事は、処理能力が高くてきちんと時間内で終了している人の方が給料安いなんて事になり、そりゃ矛盾でしょ。

 

丁度日曜討論で経済同友会の北城さんと連合の高木会長がNHKの日曜討論で議論してた。北城さんが話しているのは、僕と同じような、自由闊達な社会であれ、その為には残業なんて発想はやめろって事。

 

でも、20世紀の工場労働を前提にしている連合の高木会長からすれば、北城さんの高邁な思想は理解出来るけど、現実には残業切捨ての理論じゃないかと返す。

 

両方とも、分る。話している世界が違うのだ。最初から議論が噛み合ってないのだから、最後は北城さん、ぶすっとしてた。

 

ただ、連合の高木会長が「労働は商品ではない」なんて言ってたけど、それはとうらんぜよ。何故なら、今の世の中はすでに国境もなく、資本と資源が自由に行き来する時代なのだ。国境に守られた国内事情だけをベースに議論しても、それは無意味だ。労働は間違いなく商品であり、商品はその価値によって値段が決まる。

 

そこんとこに感情論とかを持ちこむんなら、資本主義自体を否定して原始共産制に戻るしかないよね。僕も原始共産制にはとても興味があるし、本質的にはそこに近い考え方を持っている。でも、だからと言ってここまで進んだ世界をゼロに戻すほどの価値は感じない。

 

原始共産制を訴えるなら、その代わり、今の世界のような、携帯電話もインターネットも、電気も無い生活に戻る気構えがあるのか?

 

それだけの迫力なしに、他人が作った綺麗なスーツとネクタイを身につけて、他人がこんこんと叩いて作った靴を履いて、他人が作った眼鏡を掛けて、社会における分業と都市化の恩恵を蒙っている人(高木さん)が何を話しても、迫力はないな。

 

21世紀は間違いなく、労働の質で給与が決まる時代になる。量ではない。そこんとこに早く日本人が気付いてくれるとよいが、今の日本では、やっぱ無理かな。

 

いずれにしてもこの法律、今回の国会ではテーマにならないようだが、両刃の剣(りょうばのけん)であることには間違いない。うまく使えば、新しい価値観をこの国に持ち込めるだろうし、そうでなければ、単なる人件費削減の手段で終わってしまう。

 

僕なら、導入する。恐れていては前に進めないと思うからだ。

 

因みに,留辺蕊=るべしべ、北谷=ちゃたんです。

 

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tom_eastwind at 00:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本ニュース 

2007年01月21日

新年会

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新年会

 

金曜日は久し振りに仲間内の飲み会。新年会とも言うが、要するに飲む理由付けだ。会社とは全く関係なく、お互いわいわいがやがやと言いたい事言って騒ぎまくる飲み会だ。

 

ちょうどこの日は、朝から6件ほど打ち合わせが入っており、結構ばたばたな一日だったが、きっちりと時間内で片付けて、他の人よりも早く「出勤」。

 

それにしても、仕事があるから呑める。やる事があるから楽しい。

 

このメンバーの飲み会は、大体が最近の個人的状況説明から入る。つまり、最近付き合ってる彼氏がどうしたとか、彼女がどうしたとか、誰と誰が仲良しとか、そういう、実にしょ〜もないネタを、松本じゃないけど、すべらないように話す。

 

何せ突っ込みのきついメンバーなので、半端なネタではすぐに「いじられる。」のだ。

 

そのうちに周囲の人まで巻き込みながら、わいわいがやがやとやっていく。一定の線を越えずに素人さんを「いじる」時は、結構気も使うが、それなりに反応を見ていると楽しい。お酒が入って来ると、時々「すべる」。

 

そんな時の全員からの口撃は、凄まじいものがある。まさにお互いのプライドを賭けた戦いだ。

 

行きつけのバーに皆で顔を出すが、正月明けなのか、イマイチ客足がぱっとしない。この国ではクリスマスまでは賑やかだが、年明けになると急に客足が引ける。1月はスクールホリデイと言う事もあり、道路を走る車も少ないし、レストランもヒマだ。

 

まあ、ニュージーランドに来る日本人は、基本的に家族第一だし、ストレスもたまらないので、あまり呑みに出る理由もないのだろうが、韓国人や中国人のお客がバーの客の3分の2くらいだ。

 

彼ら「アジア人」からすれば、勿論彼らの言葉で飲める店もあるのだが、やはり日本のバーに行くという事が一つのステータスになるのか、それとも彼らの同国人のお店が、あまりにストレートなサービス過ぎて、それを好まないのか、もしくはちっちゃなコミュニティなので、知合いに会いたくないということか。

 

お店の賑わいは、本当に水商売ってなもので、流れがある。オークランドでは山水も含めて4軒ほど呑める場所があるが、大体半年単位で客の流れが変化する。旬と言うのか、とにかくこの流れってのは、人=スタッフの動向に影響されてる気がする。

 

お店は所詮人であり、どれだけハコが良くても客は入らない。壁に掛けてる絵が綺麗だからと呑みに来る人はいないし、ソファがゆっくり座れるからなんてのも理由にならない。やっぱり働いているスタッフ次第だ。

 

でも、日本と比較すると、まだまだ様々な点で「進化の速度」が遅いなって感じがする。経営者の判断なのだろうが、バーで今時演歌がかかっているのは、かなりのリスクではないか?

 

日本の「バー」や「スナック」と言うのは、世界でも珍しい存在で、酒屋で買えば5ドルのビールが、何でお店に座って呑めば10ドルするのか、多くのキーウィは理解出来ない。例え横にお酒を注いでくれる女性がいても、それはそれ、ビールの値段に変化があることとは関連付け出来ない。

 

だからどのお店も、キーウィが飛び込みでやってくると、まず料金説明をする。そこでほぼ99%の客がそのまま出て行く。最後の1%は、「そんな料金設定はおかしい!」と怒る。おいおい、呑みもしないのに、文句だけ言うなよって感じだ。

 

そんなこんなで、楽しい金曜日の夜を過ごす。さて、来週から日本だ。一ヶ月の独身生活も、これにて終了。

 

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tom_eastwind at 11:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 僕の青春 

2007年01月18日

在日と在NZ

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1965年の日韓協定後に多くの韓国人が日本に移住してきて、現在の新宿にはコリアンタウンが出来上がり、「ニューカマー韓国人」は現在18万人に達しているとの事。

 

韓人会の趙会長によると、外国人として生活している以上、その国の法律やルールを守り、地域の住民の人に迷惑をかけないようするのが、マナーであり義務であるという。

 

そりゃそうだ。全く当たり前の事だが、日本人もNZに移住者、外国人、永住権保持者として生きている以上、地域の住民に迷惑をかけないのがマナーである事くらい当然であろう。

 

しかしNZdaisukiというウェブサイトを見ていると、そう思っていない人が増えてきた気がする。NZに来たくて来たんじゃないってのは、大体国際結婚した日本人女性のいう事だ。

 

白人だから結婚したんじゃない、たまたま好きになった人が白人だったのだと言いながら、実際にNZに来て見れば、あ〜らびっくり!彼の実家は映画館もスーパーもないような田舎。こんな筈じゃなかった、それに周囲は白人ばかりで日本語通じない。

 

だから自分の愚痴をインターネット掲示板に書き込み、NZの悪口ばかり並べる。あれがいやこれがいや、嫌なら出て行けば?と思うのだが、そうすると「余計な口だししないで!」ってなる。

 

その上他の書き込みを見ると、どうやったら政府からの補助をもらえるのか、医療や出産はどこで金もらえば良いのかと、もうそんな話ばっかり。

 

僕が移住をした1980年代は、まだまだ他人の家の軒先を貸してもらって生活をしているという意識で、この国のお荷物になろうなんて発想は全くなかった。この場所を与えてもらい、一生懸命働いて納税する。それが永住権を貰った人間の義務だと思っていた。

 

もっと細かく言えば、税金がなければ政府が成立しない。政府に守ってもらってて、金は払わん!どころか金をくれ!では、どうも筋が通らない。

 

まさか、「永住権取れちゃいました。でもキーウィの彼は他の日本人のオンナの子と浮気ばかりして(ジャパ専?)結局離婚。今はシングルマザーです。早速失業手当もらいます」ってのはないでしょう。

 

いくら親に反対された挙句に飛び出してきたので今更恥かしくて日本に帰れないって言ってもさ。

 

勿論本当に困ってお金を貰うのは分る。でも、その前にする事ないか?学校に通って資格取るなり、パートタイムで働くなりして、少しでも自助努力をすべきではないだろうか?

 

NZの文句を言いながら金だけは当然のように貰い、英語も勉強する気もなく、ひがな一日日本語のウェブサイトでしょうもない事ばかり書いてる。

 

ニュージーランド政府だって移民が欲しいからやってる政策で、有り難がる必要などないと言う人もいる。法律的に正しい、煙草でガンになる人に比べれば、他人に迷惑をかけてないよ・・・どういう理論でも、理論だけなら成り立つ。

 

(問題はそれが実証出来て、その行動が健全で持続出来る社会構築と言う視点から見て正しいかどうかなのだが、説明ややこしいので括弧書きに留める)

 

でも、そこに普通の人間としての恩や感謝の気持は・・・・ないんだろうね。だからそういう言葉が出てくるんだろう。こりゃもう、理論の基本となっている感情が根本的に食い違っているから、議論にならないね。

 

恩や感謝は理屈じゃないもん。

 

子供が、自分を育てて愛してくれた親に対して無条件に愛を感じて、親の眼を気にするから悪い事はやめようと道徳観を身につけていく。

 

そんな中で「お前が勝手に生んだんだろう」的な理論が出てきてしまっては、こりゃもういかん。同じ価値観がないのだから、じゃあそちらはご自由にという事にしかならない。

 

とにかく相手から奪えるものは奪え。まずは永住権だ、次は福利厚生だ、失業保険だ、年金だ、おう、これで働かずに食っていける、わたしゃなんて偉いんだ!

 

でもさ、法律には、その精神と言うものがある。何故その法律が、誰の為に出来たのか?

 

それはニュージーランドが短い歴史の中で、移住して来た人がお互いに助け合い、安心して生活や子育てが出来るように、そして安心して老年になれるようにと作ったセーフティネットである。頑張ったけど落ちた人向けの「綱渡りで落ちた人への、緊急避難用の網」である。

 

いずれまた復活出来る時が来れば、すぐに社会復帰する。それまでの一時的なつなぎがセーフティネットだ。復帰するつもりも無く一生ぶら下がるようなら、本来の法の精神とは違った利用の仕方でしょ。

 

忘れてならないのは、皆が働かなくなったら、皆で支えあう社会保障という制度は崩壊するという事だ。皆が一生懸命働いて納税するからこそ、その原資を元に本当に困っている人を困っている間救うのが社会福祉である事を忘れてもらっては困る。

 

こういう問題は、実際は一人一人の経済的状況によって違うから、十羽一からげ、YESかNOかの議論しか出来ない人々が、限られた情報の中で相手の背景も知らないまま議論出来るようなものではない。だから法律上は一つのルールを作るが、それを申請者個人に適用する際には、運用上の状況判断を行うべきだと言う事である。

 

*これはあくまでも僕の個人的意見です。「私はそんなの認めない、権利だけが欲しい」と思う人、どうぞ、そう思っててください。僕は政治家ではないし、他人の申請を断る事も出来ません。

 

そして僕は全ての人の福利厚生等の諸権利を否定しているのではないと言う事を知っててもらいたい。(最近はここまで書かないと誤解を招くようだ)

 

写真は、往年のオールブラックスの名将、ショーン・フィッツパトリックの手型と足型です。彼がこの日本人の議論を聞いたら、どう思うだろうな。

 

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tom_eastwind at 10:15|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 移住相談 | 日本

2007年01月17日

ニュージーランドを離れる人々

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日経ビジネスの特集で「東京大膨張」と言うのがあった。その中に出てくる、当時の東京ガイドブックとも言うべき本、『東京学』が紹介されていた。

 

刊行された明治42年は西暦1909年だから、日露戦争に勝利した国家が急成長を遂げていた時期だ。

 

 

 

「東京は毎年9万人以上の膨張をなす。しかもその大多数は、地方よりの移住者なり。(中略)東京生活に失敗する所以(ゆえん)の者は何ぞや。唯(ただ)成功の殿堂にあこがれて、これに達すべき手段方法の研究その当を得ざるによるなり」

 

作者自身は「東京生活に迂闊なるがために失敗」したと言う。

(以上、日経ビジネス2007年1月8日号より引用)

 

上記の文章を今の文体に直すと

「東京は今、毎年9万人以上の人が増えている。そして多くの人は、地方からやってきた人だ。(中略)でも東京での生活に失敗する人がいるのはどうしてだろうか?それは、他の人がどんどん成功してお金持ちになって立派な家に住んでいると言う話を聞いてあこがれるだけで、現実的に自分が成功する為の勉強とか努力とか、何故そんな人が成功したかをしっかり考えていないか、見当外れの事を考えているからだ」

 

 

東京に出るのが「移住」だった時代には、やはりその当時の「地球の暮らし方」や「地球の歩き方」に匹敵する本が必要だったのだろう。

 

そりゃそうだ。テレビがないから東京の人がどんな服を着ているか、最新情報がない、ラジオも無いから東京の人々の話し方も分らない。農業しか知らない子供には、会社で働くと言う意味さえ分らない。間借り?下宿?そら、なんずら?

 

大体物価さえ見当がつかないから、物の値段も分らない。自分のどこに何の能力があるのか、東京に適応する能力があるのか、それさえ分らない。生活費はいくらなのか?自分はいくら稼げるのか?何も分らない。

 

新幹線も、ましてや飛行機もない時代に、例えば福岡から東京に出ようと思えば、関門トンネルがないので、鉄道や船を乗り継いでの旅で、特急もないし蒸気機関車だし、乗り継ぎによっては3日ほどかかるわけだ。

 

この大移動に比べれば、そりゃもう情報と移動手段が整備された現代の日本からニュージーランドに行く旅なんて、100歳のおばあちゃんが朝ご飯で米を炊くようなものだ。朝飯前。

 

つまり、移住に絶対に欠かせないのが最新で正確な情報と、移動手段の整備なのである。ビザや仕事をどうするかは、移住を成功させる為の手段にしか過ぎない。

 

そしてその自分にとって最適な手段を得る為には、最新で正確な情報が必要という事になる。だから明治時代、「東京学」は地方出身者に売れたそうだ。そりゃまあ、そうだ、東京生活に慣れた人には不要ですからね。

 

それにしても興味深いのが、いつの時代も移住の心構えは同じだと言う事だ。

 

「ただ成功の殿堂にあこがれてこれに達すべき手段方法の研究その当を得ざるによるなり」という下りが、実に興味深い。

 

要するに、皆が東京で成功しているのにあこがれて東京に移住したけど、肝心の成功、つまり生活手段の確保と望む生活を得るべき手段や方法を、きちんと調べなかったり、調べ方を間違っていたりして「東京生活に失敗」するのだと言ってる。まあ、だからこの本を買えと言う営業の部分もあるんだろうが。

 

今から約100年前に、疲弊した地方に飽きた若者や土地をもらえない農家の次男が、日露戦争後に奇跡のように発展する東京にあこがれてやってきたのだ。当然彼らの持っている田舎の常識は東京では通用しない。(おお、今の日本と通じるものがあるな)

 

東京ルールを学び、東京の働き方を必死で学ぶべきところを、何かあれば「やっぱおらが田舎の方がええ」とか「だから東京は駄目なんずら」と、問題をいつも他の事や人にすりかえる事のみに終始し、結局自分が変化しようとしない。

 

そのような人は結局「東京移住生活」に失敗して、田舎に帰るはめになったのだ。多分彼らは心の中で「東京は土が無い。空気がない。なんてつまらない街だ。人の心は冷たくて思い遣りがない。なんてつまらない人々だ」と思ったろう。

 

でもさ、憧れだけで東京に行くなんて、そりゃあんた、渋谷で歩いてたら絶対に芸能界にスカウトされると思い込んで、田舎の両親を振り切って勘違いの「萌え系」を着た、化粧の仕方も知らないおいもさんが駅前にぼけ〜っと立つようなものだ。

 

せいぜいが田舎出身の売れない場末のホストに「ねえ彼女〜、新宿で飲まない〜」程度のキャッチしかない。挙句の果てに行く先は・・・見えてますよね。

 

東京に移住するのもニュージーランドに移住するのも同じだ。びびっていてはいつまで経っても渡航出来ない。でも、あこがれだけで渡航しても、大体失敗する。でも、じゃあどこまで準備すればよいのか、分らない。

 

このバランスが、ほんとに難しい。実はある程度までは計算可能なのだが、これまた他人の人生を無責任に振り回す連中がいるから話がややこしくなる。

 

既に移住したある人は「何の事はないよ、簡単だよ」と言う、そりゃそうだ、彼らはすでに「逃げ切り組」であり、自分の言葉に責任を持つ必要はない。

 

だから客観的事実ではなく、自己体験のみに基づいた個人的意見を、いかにもNZすべての事実のような言い回しで、自分の言いたい事と苦労話だけをする。

 

そこでNZは天国だと煽るのだが、結果責任は取らないから、失敗して帰国する人が挨拶に来ても「あ、そう、帰るの?」で終わり。

 

またある移住者は「何よ、あんたみたいな、英語もろくに出来ない女の子が、移住なんて出来るわけないじゃないよ、ね、ダーリン」と、自分もその昔英語もろくに出来ず、結局キーウィ男を何とか引っ掛けて「ぶら下がりビザ」を貰い、今もパングリッシュしか出来ず、それでも「自分はすご〜!」なんて勘違いしている連中が、随分と適当な事を言いまくっている。

 

だから移住可能性のある人の芽まで摘み取ってしまう。

 

彼らからすれば、所詮、他人事だもんね。

 

NZdaisukiに最近帰国に関する書き込みが出ている。読んで賛成の人も反対の人もいるだろう。実際に書き込みの内容には賛否両論ある。それを読むだけでも「東京学」の現代版として参考になるだろう。

 

 

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tom_eastwind at 12:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月16日

山水2007新戦略

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山水新メニュー

 

昨日は山水の新メニューの広告用写真撮影と広告用の文言作成。

 

山水は今まで殆ど日本人向けに宣伝をしておらず、客層もランチはビジネス,ディナーはキーウィカップルかチャイニーズファミリーが中心であり、ジャパレスと言いながら日本人が食事に来ると言うのは、意外と少ない。

 

その上バータイムは常連のお客様ばかりなので、これは広告の必要なしって事で、あまり積極的にやってこなかった。

 

しかし今年から少しばかり戦略を変更して、実は今オークランドで増え始めているJ−woman、働く女性を対象にしようと、女性向のメニューを導入。同時にバータイムを、静かなジャズの流れるショットバーにして、男性と女性バーテンダーを導入。

 

一昔前までは、オークランドで働く日本人女性と言えば、現地で永住権取得を取得して、すでに安定した生活を構築している人々だった。ところがここ1年くらいで、急激に色んな企業で30歳前後の日本人女性が増えている。

 

街を歩いていても、クイーンストリートを闊歩する日本人女性をよく見かけるようになった。ミクシーではオークランドで働く女性というコミュニティも立ち上がり、いやいや、やはり時代の変化は早いですなと思う今日この頃。

 

でも、そんな彼らに聞いてみると「女性同士で行ける店がない」、「女性同士で安心して飲めるバーが無い」と言う話がぽんぽん出てくる。

 

永住権組と違い、生活が安定しているわけではないし、日本でのハードワーキングな経験があるキャリアレディとしては、やはり昼間の仕事でストレスが溜まる。

 

そんな時に、女友達と「ちょいと軽く」飲める店とかがあると有り難いのだが、今まではそのような店がオークランドになかった。

 

男性向けのカラオケバーか、地元キーウィ向けの、騒音だらけで話も出来ないクラブしかない状況で、かと言ってホテルのバーに行っても何となく浮いてしまう。

 

そう言う話を聞いてみて、「お、こりゃ山水向けではないですか、バータイムですな」と思い、早速取り入れてみたのだ。

 

ディナーには、前回の日本出張時に福岡で食したコラーゲンたっぷりの豚骨料理を取り入れ、美容と健康をテーマにしたメニューを設定。

 きょうじさん

詳しくはMJで2月から広告を開始するが、要するに女性が一番喜びそうなテーマを取り入れ、バータイムでは、話題豊富な男性バーテンダーを入れる事で、女性同士でも安心して飲めるし、時にはおばかさんな話も出来ると言う状況設定。

 

オークランドで働く女性の皆さん、もし良ければ2月から開始するJwomanSpecialDinnerと、ミッドナイト山水を楽しんでみませんか?

 

写真は新メニューです。あ、そうそう、同時に長期で働ける人も男女合わせて募集中です。

 

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tom_eastwind at 16:54|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年01月15日

お医者さん

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本日より日本のお医者さんが当社にて勤務開始です。

 

彼は40歳半ばまで、離島での診療や大病院の部長まで務めた人で、日本の将来を考え自分の子供を本当に日本だけで育てたいのか、色々考えた結果として、移住と言う道を選んだ。

 

勿論まだこちらの医師免許がないし現地事情も分からないが、いずれ数年かけて医師免許を取得して、これからニュージーランドで増えるであろう日本人を顧客として医療を手掛けていく予定だ。

 

わざわざ日本での経歴を捨ててゼロからやり直すのか?とか思われるだろうし、日本でも勤め先に報告した時は、同じような事を言われたに違いない。

 

でも、10年前に同じ事を言った場合と、今言った場合は、かなりその重さが変化していると思う。今なら「そうか、俺も出来ればな」と言う意見も、10人に一人くらいはいるのではないだろうか。

 

移住と言っても、何もニュージーランドに骨を埋めるわけではない。年を取って体が弱れば、いずれ日本に帰って死を迎えるだろう人々が殆どだ。

 

だからその意味では長期旅行なのだ。ただ、旅行中に病気になったり怪我をしたりすれば、やはり日本人のお医者さんから様態を聞きたいだろう。

 

ニュージーランドがいくら「薬をくれない」治療だとして、日本が「薬漬け」だとしても、やはり少しは薬が欲しい。それだけで安心する。

 

当面は医療通訳として活躍して頂き、いずれは当社と共同でクリニックを開業する計画だ。2年先になるか3年先になるか分らないが、僕の目標である5万人移住計画に、また一歩近づいた。

 

1月28日に東京で移住説明会を開催します。移住にご興味のある方、ぜひご参加どうぞ。

 

写真はバルカンレーンの風景です。

 

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tom_eastwind at 12:38|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月14日

一貫性

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昨日と今日は自宅に引き篭もり。一週間に一回の部屋掃除、庭の草むしり、ガレージの掃除、金魚の水替え、料理、洗濯、全く普通に家庭の作業。

 

家族が一時帰国しているので、のんびり出来るかと思ったらそうでもない、これが結構寂しいのだ。一人で家に帰って料理して、映画を観ながら食事をするのも楽しいのだが、正月にずっと家族一緒に日本をあちこち見て周り、そのままお父さんだけ出勤なので、これは結構寂しいものだと感じた。

 

あれ?おかしいな。

 

元々結婚なんてあり得ないし、ましてや万が一あったとしても日本人しか僕のメンタリティは理解出来ないし〜なんて思ってた僕が、何と国際結婚して、これが17年続き、子供が二人いる状態で、生まれ変わってもやっぱり奥さんともいちど結婚したいと思うなんて、挙句の果てに一人でいる事が大好きなはずの人間が、何時の間にか家族の存在をとても大事に感じている。

 

いやいや、人間って、変わるものですな。若いときの発言には十分気をつけようっと。

 

そうは言っても、若い時にはそれが正解と思って話しているわけで、その気持でいる時に「他の考え方もあるよ」なんて言っても、こりゃ無理ですわな。

 

てゆ〜ことは、やっぱり人はその年代に応じて言ってる事が変化しても、それを認めるべきだろうって事。

 

例えば坂本竜馬。彼は最初に剣を持ち、次に銃を持ち、最後に万国公法を持った。時代の変化に合わせて、自分の立ち位置を変化させた。

 

それが人によっては「あいつは言う事がころころ変わる」と言う事になるのだろうが、自分が生きてる人生、てゆうか、環境がどんどん変化しているのに、10年前も今も同じ事言ってちゃ、そりゃ進歩しないどころか、退化して、最後は恐竜みたいに滅びるしかない。

 

移住に関しても同じだ。移住環境、つまり日本やNZの経済事情、両国の法律、そして国民感情は、日々変動している。今日はOKな事でも、明日はNOだ。

 

だから、日本を出る時に思ってた仕事や家庭環境がそのまま実現出来るケースは少ない。殆どの場合は「あれ?思ってたのと違う」と言う事になる。大事なのは、その時に勇気と叡智を持って方向変換出来るかどうかだ。

 

方向変換ってのは、自分の持つプライドとの戦いだ。ゴミ拾いをしてでも家族を守る。金がなければ、もっと働く。頭を使って、何か新しい仕事を見つける。

 

いいじゃないか、弁当を作って日本人のオフィスに売りまくっても。夜や週末に、ゴミ収集車に乗って働けば良い。建築現場で働けば、良い給料も取れる。

 

恥かしいとか、そんなもん家族が生き残る為には決して感じてはいけない気持なのに、父親としては妙なプライドがあるから、最初に作って発表した計画を変更したくない。

 

例えば日本でIT関連の技術があるから、ニュージーランドでIT業界に入り、そこで成功してやると思っていても、その通りになる人は、約半数である。

 

後の半分は、日本での技術不足、会話能力や意思伝達能力の不足で、結局自分が望む仕事には就けない。結局は永住権が取れたものの、日本食レストランでキッチンハンドやってますと言う事になる。

 

勿論キッチンハンドが悪いと言うのではない。むしろ、NZの仕事の現場を知る意味ではとても良い事だし、僕も移住当初はやっていた。ある意味、誰でも一度は通る道だろう。

 

ところが、そこで得られる収入は、ITに比べればかなり低い。自分が期待していた自分像とは随分違ったものになる。そりゃそうだ、日本の大手であればあるほど、憶える技術は所詮、その会社の中でしか通用しない技術であり、一般社会で通用する技術ではない。

 

つまり日本の大手企業で働くと言うのは、世界的に観た場合、実に壮大な無駄を築き上げていると言える。だって、終身雇用時代のシステムだから、他の会社で互換性のあるような技術を教えてない。ところが時代は既に終身雇用ではない。

 

そうなると、自分は能力があって仕事が出来てと思って移住して見ても、実際には働く場所もなく、2年もすれば自分の生活能力の無さに気付き、だからと言ってゼロから何かの技術を学ぼうと言う気も無く、結局日本に帰国、と言う事になるのだ。

 

単純に帰国するだけなら良いのだが、そう言う人に限って必ず愚痴をこぼす。やれ、あれが駄目だ、これが駄目だ、この国は駄目だ、そう言うことになる。

 

本当に不思議なのは、じゃあ何故事前に自分の能力や現地事情を調べなかったのかと言う事だ。NZを極楽かなんかと勘違いして、何も調べずにやってきて、極楽でない事に気付いて文句を言われてもな〜って感じ。

 

僕がオークランドにやってきた時は、最初から会社を興すつもりだった。だって、そうしないと、家族を食わせる事が出来ないと分っていたからだ。

 

1996年当時は、給料も安く生活費は高く、普通にサラリーマンをやっていては食えないのは分っていた。だから、出来るだけ費用のかからない起業と言う事で、観光タクシーの運転手から入ったのだ。

 

最近ビザを取得してやってくる30代の夫婦の場合、僕から見れば,事前の勉強不足ではないかという気がする。冷静に客観的に判断するってのが、どうも出来てないような気がする。日本が良くないからNZに来るんですってのは分るが、じゃあ本当に両方の国の善し悪しを把握しているのだろうか。

 

言う事はころころ変わっても良い。そんなもん、どうでも良い。一貫性なんて、全くどうでも良い。大事なのは、生き残れるかどうか、ただそれだけだ。一貫性が食えるか?一貫性が飯を食わせてくれるか?一貫性が君の家族を幸せにするのか?しない、絶対に、しない。

 

生き残るって言う一番大事な問題を目の前にした時に、君は自分のプライドを取るのか、それとも家族の生活を取るのか?

 

移住は、結局定住出来た者だけが楽しめる人生だ。夢見る夢子ちゃんじゃなくて、しっかりと地に足を付けて、自分の能力と現地で必要とされる能力や生活を理解してから来て欲しい。

 

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tom_eastwind at 17:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月13日

ボージェスト

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1939年ハリウッド製作で、ゲーリークーパー若き日の作品。

 

いや〜、よかった。

 

何が良いって、本当に映像や演技の素晴らしさ、手作りの良さが伝わってくる。

 

 

これも著作権が50年で解禁の恩恵。著作権とか知的財産ってのは、やっぱり限定的でないとね。

 

ベートーベンの曲を一回聴く度に金取られてたんじゃ、聴く方だって面倒だし、第一芸術自体、広がりを見せる事が出来ない。著作権自体は、その意味で常に限定的であるべきだ。

 

その意味で最近次々と発売されている廉価クラシック映画は、良い。何せ、それまで名画に触れる機会がなかった人にまで、ワンコインで買えるのだから、ちょっと買ってみようかという気にさせる。

 

でもってこのボージェスト。外人部隊映画として知られる名作だが、大体、外人部隊が何かを知らない人も多いだろう。

 

元々はフランス政府がお金を払って外国人を雇い、当時支配していたアフリカや東南アジアの諸国に送り込んで警備や戦争をさせた部隊の事だ。

 

特にアルジェリアやインドシナ(ベトナム)での戦争で勇敢に戦った連中だが、その出身や本名を明示しなくて良いので、犯罪を犯した連中が駆け込む軍隊としても知られていた。

 

外人部隊という名前は付いてるけど、正式なフランス軍の一部隊であり、現在も活動している。徴兵制度で集めた兵隊よりよほど良く働くので、自国民を戦争に送らずに済むと言う現実的利点もある。また、5年働ければフランス国籍を取得出来るという点も、兵士からすれば大きなメリット。

 

それにしても昔の映画はコンピュータもないし、豪勢、じゃなかった、合成画像も存在しないから、一発撮りの迫力が伝わってくる。いや〜、良い映画でした。

 

さて今晩も、ゲーリークーパー主演の外人部隊映画「モロッコ」を観よう。これは1930年の製作。いや〜、映画って、良いですね。

 

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tom_eastwind at 15:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年01月12日

高級車

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今日は渡航予定のお客様の依頼で、高級車を下見に行く。

 

日本人だから当然新車を希望されるのだが、ニュージーランドでは新車の販売比率は10%程度。

 

殆どが中古車の取引であるから、最新型の新車など、なかなか入ってこない。

 

今日訪問したお店でも、月に1台程度しか新車が入ってこない。まあ値段を考えればそうだろう。アパート一軒買うより高いのだから、月に何台も売れるものではない。

 

じゃあ注文したらどれくらい待つの?と聞くと「最低4〜5ヶ月」だそうだ。平均的な価格の普通車なら1万ドル程度で入手出来るが、日本である程度の生活を送って、程度の良い車に乗っている方ならば、やっぱり日本から持って来た方が正解ですね。

 

僕は車に関しては全然詳しくないが、こちらでは改造車は良く見かける。レースは盛んなので、そのようなマニアック系の修理工場はたくさんある。

 

ちょっとした社会的地位のある、例えば弁護士、お医者さん、税理士等の人々が普通の車に乗るとなった場合、BMWかベンツまでである。

 

BMWなら一番よく見かけるのが、お金持ちの奥様が買物に利用している320だ。ベンツならSクラスは良く見かける。やはりSは目立つ。特に新型のSなど、「なんぼするんじゃ〜!」と、走り去る車に向かって聞きたくなる。

 

所得の低い国などと揶揄されるが、オークランドを走っている車を見ると、時にはフェラーリやマセラッティもある。

 

ちなみに僕の知ってる方もマセラッティに乗っている。他にも、平日に友達数人でレース場を借り切って、ポルシェを時速300kmで駈って楽しんでいる中年の方も多い。

 

だから、平均的所得で買えるのがトヨタカムリ、高所得層で、自宅を持っている方なら可処分所得も多いので、ベンツやBMW、会社社長で成功している人々はポルシェ、マセラッティってなるんだろうな。こうなると、家一軒が走っているようなものだ。

 

ちなみに20万ドルの新車でも、一年で9千km走った後に下取りに出すと、何と11万ドル。一年でガソリン代+9万ドルの、超贅沢でい!

 

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tom_eastwind at 14:14|PermalinkComments(7) 移住相談 

2007年01月11日

雨降りクイーンストリート

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70年代に人気を博した「ふきのとう」が歌う「雨降り道玄坂」

 

雨降りの道玄坂 

バスを待つあなたの

淋しさに声かけたのは

気まぐれじゃなかったわ

 

 

当時福岡に住んでいた僕は、この歌を聴きながら、東京に行ったら是非ともこの歌の舞台になった道玄坂ってところに入ってみたいと思ったものだ。

 

その後ニュージーランドに来て暫く思い出す事もなかったが、数年前、久し振りに僕が高校時代にコピーして使っていたギター用の「歌本」を引っ張り出して、道玄坂の事を友達に感慨深げに話すと、東京で10年以上住んでいた友達は一言。

 

「あ〜、ラブホ街のことね。ほら、東京電力で働いて夜買春してた女の人が殺された処よ」だってさ。

 

その上「その歌詞ってさ、要するに売春婦が男に声かけた場面でしょ」だってさ、がく。

 

ガラス窓から後姿が

雨に煙りかすんで消える

ただあなたに嫌われないように

長い髪も切ったのに

 

かくして、あっという間に僕の甘くて素敵な夢想は壊されてしまったのを覚えている。

 

去年偶然、道玄坂を歩く機会があったが、この渋谷って、名前の通り、谷じゃんか。道玄坂を下り切った所にある渋谷駅は、周囲から見れば丁度谷底みたいなのだ。

 

で、写真の場面はクイーンストリート。これが実は、あまり云われてないが、谷底なのだ。

 

女王の道なんて立派な名前は付いているけど、実はKロードから真っ直ぐ急坂を下りる直線は、海に向かって左側は、10メートル程小高くなったアルバートストリート、右側は、やはり10メートル程高くなったアルバート公園とハイストリート。

 

つまり、Kロード、アルバートストリート、ハイストリートと三方を囲まれた谷底を海に向かって走っているのがクイーンストリートだ。

 

だから、写真にあるように、大雨が降ると、僕の会社の前のクイーン&ビクトリア交差点は、あっと言う間に水溜りが出来る。

 

傘をささないキーウィだが、さすがにこれだけ土砂降りになると、傘もちらほら見られる。それに交差点は、ほぼ全面が水没したようになってるから、どうよけようとも、靴など一発でぐしょぬれになる。

 

クイーンストリートは歩道部分がビルの張り出しの下になっているので、基本的に傘は必要なく移動出来るのだが、交差点だけはそうはいかない。

 

多分観光客に知られたくないんだろうけど、元々クイーンストリートはその地形から、メインストリートとは言い難かった。戦前はKロード沿いにたくさんの軽工場が建ち並んでおり、クイーンストリートがメインになるのは戦後である。

 

オークランドで最初のデパートは、今のヘリテージホテルの海側にある駐車場に作られたファーマーズだった。今は往時の建物は取り壊されたが、昔はネルソンストリートの方が利用されていた。

 雨降り道玄坂

 

 

電話ボックスで夜が明けるまで

一人で寒さしのいだ冬の日

ただあなたの笑顔が見たくて一人

ばかげた事もしてきた

 

あの日雨降りの道玄坂 

目を閉じて貴方の

寂しさに抱かれたのは 

気まぐれじゃなかったわ

 

雨降りのクイーンストリートを見ながら、ふっと渋谷の道玄坂を思い出した。

 

電話ボックスがクリーム色で、分厚いドアを開けて中にすっぽり入ると、結構暖かいものでした。電話ボックスと言う言葉が死語になるまで、後どれくらいかな。

 

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tom_eastwind at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 僕の青春 

2007年01月10日

香港上海銀行

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円建てローンと言う、大変面白い商品がある。

 

ニュージーランドで住宅を購入する時に、購入費用を円で借りると言う方法だ。

 

今ニュージーランドで家をローンで買うと、支払金利が大体8%だ。ところが円で借りると円建てなので、2.5%程度で済む。

 

投資目的で住宅を購入すると、家賃の利回りが約7%だから、2.5%の金利を払っても利益が出ると言う事になる。勿論住宅の管理費とか修理にお金はかかるものの、それでも投資としては、銀行から金を借りて行うので、元手が少なくてよい。

 

実際にはいくつかの条件がある。日本で定期収入がある事、投資用物件である事、借り入れ上限は、一軒屋は住宅の政府評価額の70%程度、アパートは50%程度等。

 

去年あたりから日本人投資家がこの商品に目を付けて、不動産会社経由で申し込みをしており、取扱実績もうなぎのぼりとの事。

 

この商品は円建てで組まれたローンなので、借入れをした時点よりもNZドルが強くなればなるほど、支払総額は減るという仕組だ。勿論円が強くなれば支払総額は増えるが、長期的に見て円が強くなる理由もあまり見当たらないという見込みを立てた投資家は、このローンを利用している。

 

でもって今日は、その香港上海銀行オークランド支店に勤める古くからの知合いが挨拶に来た。彼は上海出身の中国人で、9年前からバンクオブニュージーランド(BNZ)に勤務しており、2年ほど前に香港上海銀行に転職、現在はパーソナルバンキングマネージャーとしてシティのオフィスで毎日投資家や資産家の資産運用を手掛けている。

 

彼は事業意欲もあり、3年ほど前には彼と一緒に上海に行き、ビジネス投資の件を話し合った仲だ。結局その当時は上海市政府の規制があり、先行きの見通しが不明という事で手を引いたのだが、それ以来個人的にも付き合っている。

 

「俺はどこまでいっても所詮外国人だ。ニュージーランドの銀行でどれだけ頑張ってもある程度までしかいけない。だからここ(銀行)でしっかり勉強して知識を付けて、近いうちに独立して資産運用コンサルタントになるんだ、ここは第一歩だよ」

 

まだ34歳の彼は、既に銀行経験が9年あり、かなりの知識を身に付けているので、独立まで後数年だろう。さすが中国人、図体のでかい牛の尻尾よりも、鶏でも良いから頭になりたいという野心旺盛だ。

 

だから仕事に対する姿勢も、非常に積極的だ。彼は銀行の為に働く事が自分の知識に直結している事を知悉しているから、手を抜くと言う事がない。

 

それに比べると、牛の尻尾で我慢して、仕事をマニュアル通りにしかやらず、覚える気力もなく努力もしない日本人サラリーマンの多い事。全く閉口ものだ。

 

大企業に入ればそれで上がりのすごろくゲームで、他人から社名を誉められて単純に喜んでる連中は、会社に言われた事しかせず、昼食はだらだらと飯食って喫茶店でスポーツ新聞の三面記事を読むともなくじっと見つめてるだけ。

 

社内の打ち合わせと称しては「じゃあちょっと外で」等と内部の人間同士でコーヒーを飲んで、意味のない無駄話、夜は意味のない残業をだらだらやってる。結局全く自分を磨こうともせずに、取引先を虐めて少しでも自分だけ儲かろうとする。

 

新しい知識に興味を持たず、勉強もせず、ただひたすら会社と自宅の往復。それでストレスが溜まればそこらの飲み屋に繰り出して、女の子を虐めて喜んでるような連中に、中国人の彼のような働き振りを見せてあげたい。

 

「おいおい、お前らが毎日だらだらと生きてる間に、彼らは貪欲なまでに成長しているんだぞ。5年後の人生に格差が出ても、それこそ自己責任だぞ」

 

日本の銀行では、窓口で働く社員には、活気も能力も夢さえもなく、毎日それこそ集金機械としてロボットのような動きをしているだけだ。元々バブル前の護送船団時代から、日本の銀行とは集金装置でしかなかった。

 

バブル崩壊後の銀行の合併後も、トップクラスは変化しているのだろうが、現場のやる気のなさや商品開発能力のなさには、呆れるしかない。

 

「分りません、知りません、前例がありません、規則ですから」まさにだめだししか出来ない日本の銀行員は、財務省や金融庁の支配下で、あいも変わらず役人みたいな事を言ってる。

 

しかし財務省や金融庁の連中も忙しい。ほんの一握りのエリートは、現場の商品つくりなどに関わっているヒマはない。

 

それに対して、自分の職務を理解して夢を見ている人々は、スタッフ一人一人の能力が日本のエリート官僚ほど高くなくても、層が分厚いから、その相乗効果は大変大きなものとなる。

 

日本のような大国で、決定権限をほんの一握りに集中させる事も一つの統治方法だろうが、僕からすれば、平均的な国民が皆で智恵を出し合って強い組織になるという民主国家の方が、結果的には成長するのではないだろうか。

 

何よりも、自由で民主的で、国家が国民の為に働いている国で、4週間の年休を毎年きっちり消化して、土日は休んで、平日も残業せず、子供の学費や医療費を気にせず、老後の心配もない状態で、自分の仕事に打ち込める人と言うのは、これは幸せでしょ。

 

日本が官僚国家としてほんの一部のエリートにしかモノを考えさせない状態が続けば、おそらくはいつまで経っても国民がこの国の幸せ民度に追いつく事はないだろう。

 

写真は、長崎にあった香港上海銀行。この銀行は、明治29年(1896年)に長崎に支店を開設し、在留外国人、なかでも貿易商を主な取引先として外国為替や、ロンドン、上海、香港における外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行であった

 

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tom_eastwind at 12:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月09日

お客様への手紙

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あるお客様への手紙

 

これは御自分で事業を営まれている方で永住権を取得したいと言うお客様へ、僕から出した返事です。日常のメールは殆ど手作りで、テンプレートは使いません、てゆ〜か、本当に十人十色なので、作りようがないのが実際ですね。

 

***

まずお客様が永住権申請をする際の点数計算ですが、これは当社が無料診断で計算する事が出来ます。個人データを頂く事になりますが、もしよろしければまずは点数計算から入ってみればいかがでしょうか?

 

次に、投資家ビザは最低200万ドルですが、300万ドルになるかどうかは、正確な点数計算をしてみませんと分りません。

 

しかしながら最近の動向では、投資家ビザは費用が多額であり、その費用は政府指定の公共事業への投資に充当されてしまう為、元本は保証されていますが、利率は保証ではありません。

 

その為、起業家ビザを申請するケースが増えております。

 

起業家ビザは、例えばニュージーランドで既存企業の経営に参加するという形で株を25%以上購入して永住権を申請する方法です。

 

このビザで2年間オークランドに滞在しますと、その時点で起業家ビザから永住権に切り替えます。これで永住権取得です。その後は、お持ちの株を、他の移住希望者又は投資家に売却して、又は買戻しをしてもらい、終了です。

 

この方法は中国韓国からの富裕移民の間では一般的に行われております。日本のように「一所懸命」とか「家業」と言う発想がない国ですから、ビジネスの売買は日常的に行われております。

 

起業家ビザを申請するには英語力がIELTSで5.0必要ですが、技能移民では6.5ですので、御自分で経営をされていらっしゃれば、起業家部門の方が簡単ですね。

 

ビザの申請には実に様々な方法があります。これは本当に十人十色で、その人に合ったプランを作成しなければ、無駄な経費が発生したり、余分に時間がかかったり、挙句の果てにはビザが取れないという事も出てきています。

 

移住は引越しと違い、一生に何回も同じ国に対して行うものではありません。ですので、法律文化習慣すべてが違う中で、自分の常識で手続をして大変な目に遭った人はたくさんいます。ところが手続さえきちんと踏んで、移住の全体像をしっかり把握しておけば、遅かれ早かれ永住権は取れます。

 

数年前までは、移住と言うと弁護士と言う印象がありましたが、実はそれだけではありません。弁護士はビザは取ってくれますが、その後の生活の構築は関知しません。学校は、英語を教えてくれますが、その英語を使ってどうやってビザを取るかは教えてくれません。移民局は自分のルールしか言わないので、どれだけ振り回されても誰にも文句が言えません。

 

外部で発生する費用は、本当に千差万別です。

 

         起業家ビザの株取得費用は、一般的に15万ドル〜25万ドル程度。
・弁護士費用は、起業家ビザで約1万〜1万5千ドル(腕によって違います)、技能移民で6千ドル程度。
・不動産は、オークランドの平均価格で約50万ドル。
・学校は永住権があれば、基本的に無料。
・医療は永住権があれば基本的に無料ですが、個人で医療保険を買われる方が多いです。年間一人500ドル程度。
・引越し費用は、平均50万円程度。
・車は現地で購入した場合、平均80万円程度。

移住は人それぞれによって目的が異なりますから、日本からの一時的避難か、将来の子供の教育の為か、目的を明確にした上で計画を作る必要があります。

          

         一旦当社のサポートをお断りされた方や、ビザコンサルタントに依頼された方が、やっぱり自分ではやれないからと駆け込んでくるケースも多いです。この場合、大体においてお客様とコンサルタントの意思疎通が出来てないですね。移住と言う仕事は2年掛かりで行いますから、お客様と当社の信頼関係がとても重要なのです。

**********

 

とまあ、こんな風に書いてお客様にお送りするのですが、大体こういうのを一日に3件程度は作成してます。

 

こういうデータが、移住したいけど出来るわけないな〜って思ってる方の発想の転換に繋がればと思い、今年から仕事の事も書いていこうと思います。

 

1月後半から、また日本出張。東京から福岡まで約10日間滞在予定です。個人面談も受け付けてますので、興味のある方、どうぞ。

 

 写真は僕の大好きな街、中洲の夕焼けです。

 

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tom_eastwind at 12:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談 

2007年01月08日

晴れ着に自転車

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晴れ着に自転車

 

今日から会社も再開、溜まった郵便物やメールを片付けながら、新規の問合せや既存顧客のフォローメールを送る。さすがに初日だけあり、元旦売り出しの福岡天神並の忙しさだ。

 

一日中ほぼ、何かに向かって話し掛けてた。固定電話、携帯電話、チャット、面前、会議、そろそろ喉がからからなので、アルコール消毒しなくっちゃね。

 

僕にとって楽しかった正月も終わり、という事で最後の一枚の写真は、「晴れ着に自転車」。

 

福岡の箱崎宮で見かけた場面だ。神社の裏に止めた自転車に、素敵な晴れ着姿の、まだ20歳前後の女の子が、裾をひっかけないように彼の自転車に乗り込む。

 

彼は、馴れた手付きでハンドルを捌き、細い歩道の間、僕の隣をすりぬけている。自動車よりも自転車に慣れてる世代、って事は、完璧に20歳未満かもね。

 

自転車に乗った彼らはそのまま博多駅方面に向かって走り去った。暫く箱崎宮から歩いた僕ら家族は、そこでタクシーを広い天神に出ようとした。

 

すると丁度千代町、焼肉の老舗「玄風館」の前の大通りで信号待ちをしてる晴れ着カップルを見かける。何だ、天神に向けて走ってたんだ。それにしても短時間で、よく二人乗りでここまで来たなって感じ。

 

いよ、兄ちゃん、頑張ってるな。その子大事にしなよ。女は、途中で逃げる男なんて一生軽蔑するからね。逃げるくらいなら、彼女の為に負けてもいいから戦うと言う気迫を見せてみな。

 

オークランドに戻ると、早速しょうもないネタがあっちこっちで頻発。それが男の「ダサさ」から来ているから、笑っていいやら泣いていいやら。

 

やる気も根性もないくせに、女に良い格好した挙句、せこい真似して振られてしまった男。

 

女性の変化についていけず、男が勝手に怒り出した挙句、女が全く相手にしない喧嘩になって、一人でジダンダ踏んでる奴。

 

そこの君、将来の約束するのはいいけど、ちゃんと守れよ。春は長いのだ。

 

いつまで経っても、狭いオークランドの古い日本人社会の中で、目くそと鼻くそがお互いをけなしあって、全く生産性のない状態だ。

 

それに比べれば、去年やってきた移住者家族は立派なものだ。何となく流れて来たのではなく、きちんと目標を持って家族を支えて連れて来たのだから。外見や甘い言葉じゃなく、本当に家族の事を考えている。

 

だから、一切余計な愚痴を言わないし、そんなご主人を奥さんが一生懸命支えている。何よりも家庭内教育がしっかりしているから、言葉使いも違う。

 

自己責任を理解して、自分の意志でやってきた新移住者と、いつの間にか何となく計画もなく漂着した連中の違いは大きい。ニュージーランドでも、これから勝ち組と負け組がでてくるな、確実に。

 

でもまあ、この二つの組が触れ合う機会は少ないだろう。何故なら新移住者が求めている何も、旧移住者は持っていないからだ。

 

ここで言う新旧とは、あくまでも心の持ち処の問題であり、実際の渡航時期ではない。変なままの日本をそのまま引っ張ってきた人と、そうではない人の違いだ。

 

今年はますます移住者が増える。本当はもっと毎日の仕事の内容を書きたいのだが、整理できないままだな〜。

 

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tom_eastwind at 15:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年01月07日

行列

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1月2日は福岡の天神に出た。九州一の繁華街だ。最近では高速道路も発達して、長崎や大分、宮崎あたりからも出てくる人がある。一極集中。おかげで天神の三越は大繁盛だが、地方、例えば大分あたりの老舗デパートはすっかり地元の高級客を取られている。

 

インフラの整備は、それまで地域内の戦いだったものが、他の地域との戦いを生む。「地元で一番」では、もうやっていけない。他社が提供出来ない独自のサービスを追及しなければ、生き残っていけない時代だ。

 

国、国境と言うものもそれと同じで、御国一番と言えども、米国や中国から最新技術が来れば、競争相手は国内ではなく世界になる。

 

さて今日は、友人と昼食を兼ねたミーティング。来週から業務再開なので、日本でやる作業の打ち合わせだ。家族は天神で買物、僕は岩田屋デパート隣の高層ビルの高層階のオープンバーで、寒くない冬を実感しながら、昼から何も食わずにジントニックを飲み、今年の予定と今月の予定、そして来週の予定と、一つ一つ確認、詰めていく。

 

実は最初は昼食を先にと思っていたが、1月2日の元旦大売出し、福袋が飛ぶように売れている天神のど真ん中ソラリアでは、何と「因幡うどん」にまで数十人の行列。それこそ、「アリエナイザ〜、イナバウア〜!」と、“きっこ”ではないが連発したくなる。いや、因幡うどんは美味しいし、僕も良く食べてた。むちゃくちゃ太くて腰の強い牧野うどんとはまた違った、もっと軟らかな味わいの、二日酔いの時とかに一番食いたいうどんだ。

 

でも、いくらお昼の12時30分だからと言って、立ち食いうどんにまで行列が出来る、てゆ〜か、この行列、よく我慢出来るな。

 

因幡うどんって〜のは、のれんくぐって確信犯的に決めている自分の好きな具(例えば僕なら肉と卵)をさっと頼み、ざっと食って水をごくって飲んで出て行くもんだ。

 

今の日本では当たり前のような光景なんだろうが、一体、一杯のうどんを食べる為に何十分待つつもりなのだろう。

 

自分のどういう性格の部分か良く分らないが、どうも行列が苦手だ。余程の事がない限り、行列して何かを食うと言う発想はない。行列して30分待ちですと言われても、その30分があれば他のことが色々出来る。

 

他にやれる事が山ほどあるのに、それらをすべて止めて、ただ無為に椅子に座って馬鹿みたいにずっと待ってる等は、どうも餌を貰う小雀のような感覚になってしまう。

 

本でも読んでおけと言われるかもしれないが、本を読みながら待つほどの店かって事だ。USJだって時間をずらしたり、立ち食いで済ませたりしている程だ。腹を満たす程度なら道端のたこ焼きやホットドッグで十分、美味しい物を味わうなら、最初から予約だ。

 

元々オークランドなら、どこもそんなに混んでないので、店さえ選ばなければ飯は食える。テイクアウェイも出来る、何せお隣はバーガーキングだし、コンビニもある。

 

考えて見れば、行列にはいろんな意味がある。予約をせずに飛び込みで食べる習慣は、まだまだ食べると言う行為に対して、九州ではまだ「そんな、予約してまで」という照れくさいような気持があるのかもしれない。

 

黙って座ってても耐えられる精神力も必要だ。これなどは、「邪馬壱国」発祥の土地で農業を黙々と続けてきた農耕民族だから出来る事か?一年に一回の刈り取りまでは、とにかく毎日我慢して稲を育てる、そう言う気質なのかなと思ったりする。

 

日本ではおいしいものは行列してでも食べる事が当然なのかもしれない。しかし、行列している最中に煙草をスパスパ吸っていては、折角の味も分からないのではないか?天神地下は禁煙なのでまだましだが、地上店で屋外に行列が出来るお店などではよく見かける。

 

あ、それとも、もしかして行列に並ぶ事で社会に参加しているような気になるとか?孤独さに耐えられずに人の後ろについて、それでほっとしているとか?まあ、とにかく他人と同化する事が目的であれば、それはそれで良いのだが。

 

まあ、1月2日の売り出し日の12時30分に九州で一番混んでいる地域で昼飯を飛び込みで食えると思った僕の甘さが、やはり一番ばかげていると言うか、田舎ボケなのだろう。

 

行列を久々に観た僕の驚きだが、結局それから3時間ほどバーで飲みながら打ち合わせ。3時過ぎに大体打ち合わせも終わり、さあもういいだろうとレストラン街に戻ると、何ともう一発、アリエナイザ〜、イナバウア〜、午後3時30分だっちゅうのに、まだぎょうれつ〜!

 

仕方ないので、そこから歩いて10分ほど離れた中洲の街に行く。昼間だしお正月だから、飲み屋街など当然がらがら。ほぼ誰もいない街を、中州歴10年の勘で歩く。すると、4丁目に新しく出来たビルの6階に、ぽつ〜んと見捨てられたように開いてるお店がある。

 

でも、その一角だけはお客が多いので、恐る恐る近づいて見ると、これがお洒落なバフェットレストラン。中洲という位置付けではちょっと考えられない、ゆったりとした豪華バフェットなのだ。昼食お一人1800円だが、スタッフもきちんとトレーニングされており、良い感じ。

 

まだ出来たばかりなのだろう、椅子もテーブルも傷がない。結局ココで1時間ほど過ごして、和食、洋食、中華と適当に摘みながら、又もジントニックを飲む。もしかして最近、酒強くなった?そう思うほど、ぐいぐい入る。

 

この日は18時に天神の木曽路で予約を入れており、家族と一緒に鍋を食べるので、午後330分過ぎに食べると、確実に次が入らん。バフェット代金をお酒に替えてくれればな〜、そう思いながら、また一杯飲む。

 

夕方、友達と分れて家族と合流、天神の凄まじいまでの人並みを押しのけながら歩く。新天町の界隈は車道が狭く歩道も狭く、そこに自転車が割り込んで止まってるのだから、二人並んで歩くのも大変だが、香港育ちの家族は、まるで何もないようにすいすいと歩いてる。やばし、俺より都会人かも。

 

木曽路では予め予約していた為、座敷に座ってゆっくり食事が出来た。まだ若い仲居さんは、今日の天神はあまりの車の多さに、店に遅刻しそうになって、途中からバスを降りて走ってきましたと言ってた。福岡に住む彼女でさえびっくるするくらいの人ごみだったのだろう。

 

それにしても大阪のたこ焼き、東京のラーメン、そして天神地下と、日本人の行列の慣れには、さすがにびっくりした今日でした。

 

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tom_eastwind at 19:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本 

2007年01月06日

世情

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CDが見つかったら買おうと思っていた、中島みゆきの「世情」。偶然入った福岡天神のじゅんく堂の地下にある、レンタルビデオやPS3、wii等を売ってる店の片隅に「ニューミュージックコーナー」というしけた棚があり、そこに置かれていたのだ。

 

1978年に発表された「愛していると云ってくれ」というLPに入ってたこの「世情」は、当時の時代背景をよく現してるが、何よりも、今の時代にそのまま通じている。

 

中島みゆきは、高校生の頃に大分のデパートでライブをやっていた時に初めて見た。「時代」で売り出して地方巡業、当時はデパートでパイプ椅子に座って無料のライブだった。今では考えられない事だ。

 

白い割烹着を着た近くのおばさんが子供を連れてパイプ椅子に座って、訳の分からない当時で言う「ニューミュージック」を、不思議そうな顔で聴いていた。

 

何せギターを弾いてますと言うだけで不良と思われていた時代なので、おばさんからすれば不良の全国大会で優勝した生意気な女、という印象しかなかったのだろう。(1975年の全国ポプコンで優勝)

 

丁度社会に出たその年に発売されたこのLP。ベトナム戦争が米国の敗戦に終わり、日本が国際的発言力をつけ始め、日本社会全体が大手企業を中心に盛り上がっていた頃だ。

 

企業戦士と言う言葉に励まされたサラリーマンが、自分の結婚式の当日の朝まで徹夜で仕事してたとか、子供が生まれても病院に行かないのが当然、ましてや奥さんが職場に電話でもしてこようものなら「何と言う女々しい奴だ!」と、周囲からお叱りの声を受ける時代だから、蝶よ花よなんて唄ったり、ましてや「君が好きだよ〜」等唄おうものなら、「軟弱者!」と云われた。

 

世の中はいつも 変わっているから

頑固者だけが 悲しい思いをする

 

変わらないものを 何かにたとえて

その度崩れちゃ そいつのせいにする

 

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく

変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を

見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから 

他愛のない嘘を いつもついている

 

包帯のような嘘を 無破る事で

学者は世間を 見たような気になる

 

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく

変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を

見たがる者たちと 戦うため

 

「シュプレヒコール」なんて、今はすっかり死語だろうが、当時は70年安保体制や浅間山荘事件、総括と言う名目で学生同士が殺しあってた運動の名残があって、国会前で学生がデモをやったりしてた頃によく使われていたドイツ語だ。

 

Sprechchor デモや集会で、参加者がメッセージスローガンを一斉に唱えること」

 

この歌は「3年B組金八先生」の「腐ったみかん理論」の回でも使われていたそうだ。僕自身はこのテレビを観てないが、あの頃の金八先生は、一大流行になった事だけは憶えている。

 

「包帯のような嘘を見破る」とか、中島みゆきならではの歌詞使いは、背筋がぞくぞくしてくる感じだ。他にもこのCDは、最初の一曲、と言うか、「元気ですか」と言う、朗読?詩?が入ってるが、これがまた信じられないほどの詞。

 

たった3分程度で、一つの世界を切り取って、僕らの目の前にぽんと放り投げる彼女の語学の才能は、まさに当時の最高峰だった、と勝手に思っている。

 

そう言えば同じ売り場にルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」があったので、他のクラシック映画と合わせて数本購入したが、著作権が50年で切れたので、たった500円で購入する事が出来て、何だかとてもお得な買物をした気分だ。

 巴里の屋根の下

昨日は早速、一人で真夜中に鑑賞。

 

CG技術が発達した今では、到底出来ないような俳優の演技や、忘れられた技術があちこちで見られて、それだけで十分楽しい。

 

映画を「絵や画」にして余計な言葉や効果音を省き、そこに素敵な音楽を乗せると、これで芸術が出来上がると言う事をルネ・クレールが教えてくれた1930年の撮影だが、これなど「良い作品は時代を超えて生き返る」んだな〜と思った。

 

LPがCDに替わり、遂にはインターネット配信という時代になったが、その時一番大事なのは、どう配信するかではなく、何を配信するか、だろう。そうなると、コンテンツが勝負になる。

 

今の技術革新が、古くても良いものを再発掘して、それをどんどん世間に再配信する事で、本物の良さが次の世代に伝わってくれるといいな。

 

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tom_eastwind at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年01月04日

博多 箱崎宮

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「はこざきぐう」は、今から1100年くらい前に出来た神社で、元寇の侵略で焼失したが、その後再建されて現在の姿になったと伝えられている。

 

 

このお宮の入口に、戦後すぐの頃から開いている焼き鳥屋台がある。その名は花山。

 

博多以外の人にはあんまり分りにくいだろうが、屋台と言っても、炭の焼き場を中心に丸椅子が10数脚並んで、更に季節によってはテント風に軒を広げて、例えばこの花山などは、正月は100人近くが一度に座れる屋台になる。

 

花山は戦後すぐに花田さんというオヤジさんが始めた屋台で、今はその息子さんが継いでいるが、彼とも30年近い付き合いだ。僕は10年ほど箱崎に住んでいて、20代の頃は、酔っ払って店に行くと「にいちゃんさ〜、酔ったら味も分からんかろ、はよう家に帰り〜」と言われて、水を飲まされたものだ。

 

この店はタクシーの運転手にも人気で、夜中になると必ずタクシーが数台表に停まって、運転手がラーメンを食べている。何せ美味い。ラーメンだけではない、「シロ」と呼ばれる豚の腸は一本100円だが、これなど絶品。他にも分厚くきった牛タンなど、とにかく何を食っても外れがないのがこの店だ。

 

焼き台は勿論開店当初から炭を使い、塩は津屋崎という近くの海の塩を天日で干している。今の時代だとこういうのを「本格的!」とか「もう最高!」とか「美味しすぎる!」なんて、語彙不足の幼稚言語を並べるのだろうが、この店の8割は地元の常連であり、そんなしょうもない言葉で店を誉めるなどしない。

 

ただひたすら、食べに来る。親が子供を連れて食べる。子供が彼女を連れてくる。結婚して、奥さんと子供を連れてくる。そのうちおじいちゃんが孫の手を引いて食べに来る、そういう店だ。

 

誰も、この店の焼き鳥を美味しいなどと言わない。そんなださい事は、誰もしない。ひたすらもくもくと食う。

 

しめにラーメンを食べるが、これがまた美味い。美味いなんて言わないと書いてる僕が、この場で美味い美味いというのも変な話だが、実際に美味い。

 

元旦のお昼に花山に顔を出した。うちの家族からすれば、「屋台」の意味も不明で、博多弁なんてちんぷんかんぷんだが、まずはお父さんが20代の頃、何を食っていたのかを知ってもらう為に連れて行ったのだ。

 

最初に「シロ」を食わせて、サガリ、タン、ズリ、その他あれこれを食わせると、とにかくみゆき16歳が、お皿から顔を上げない。食べっぱなしなのだ。

 

竜馬9歳も、焼きあがったネタを柚子醤油につけて、がつがつとかぶりついている。この二人が美味しい時の食べ方は、実に凄まじい。親の皿にあるものも、遠慮なく平気で持っていく。

 

ちょっとでも不味ければ「お腹一杯」と言って、どれだけ空腹でも絶対に食べないガキどもが、とにかくよく食う。

 

「シロ」など、最初に注文して、半ばで再度注文して、最後に注文して、合計40本以上食った。豚さんの冥福を祈る。しめはラーメン。竜馬9歳は、丼の端っこまで舐めるほどだ。

 

店の大将と暫く話をしている間に、焼きネタはどんどん消えていく。今日は元旦だ。次々とお客が入ってきては、テーブルを賑わせている。話をしている間も大将は、参道を通る参拝客に「ほ〜い、ラーメンと焼き鳥はどうですか!うまいですよ〜!」と声を掛けている。

 

もう十分に商売になってるし、一言も喋らなくてもやっていけるのに、オヤジの代から受け継いだ商売の気質がそうさせるのだろう、50過ぎになる今も、現場の先頭に立ってラーメンを作ったり焼き鳥を焼いたりしてる。

 

屋台には日本人スタッフ8名程度に混じって二人の中国人留学生がいる。「お前ら、しっかり日本語覚えなやぞ〜、折角おやっさんがお前らを出してくれたんやから、だらだらするっちゃないとぜ〜!」と、焼き台の前で檄を飛ばしている。

 

この近くの馬出という場所で日本人家族が中国人留学生に皆殺しにされたという事実も、前向きな大将とっては関係無い。「あれは悪い奴やけど、うちで働いとんのは、俺がしっかり鍛えてやるったい」大将からすれば、オヤジから引き継いだ屋台を、自分の腕一つでここまで大きくしたという自信がある。

 

政治家でもなく役人でもなく、誰に頼る事も出来ない中で、とにかく前向きに積極的に生きてきた大将は、見かけは今でも30代後半で通るような色男だ。何よりも、顔が生き生きしている。

 

「にいちゃんとこの子供は、もう16歳か、俺の方が真面目にしとっちゃったけど、何でかいなうちの子供はまだ12歳やもんね〜、にいちゃんの方が手が早かね〜」等と、大将としょうもない馬鹿話をしながら、焼酎のロックを片手に箱崎宮を背中に午後を過ごす。

 

その後一度ホテルに戻るが、夕食をどうするかとなった時に子供たちが「焼き鳥!」となり、再度花山に向かう。すでに小雨はやんだ夕方、参拝客も少なくなった神社の入口にタクシーを停めてもらい、「大将、また来ました〜!」

 

「おりゃ、また来たと〜」

「子供たちが、焼き鳥もいっぺん食いたいんですよ〜」

 

竜馬9歳は、最初から「ラーメン頂戴!」と飛ばしている。おいおい、焼き鳥を食う前からラーメンかよ。みゆき16歳は、お昼に食った「シロ」の味が忘れられないようで、早速8本注文。

 

その後も次々とお昼のメニューを続けて頼み、約2時間、延々と焼き鳥を食べつづける子供たち。僕は焼酎を飲みながら、そんな家族と屋台を、交互に見回す。

 

いくらアスファルトの道路と言え、一年365日営業して、皿洗いの水等を使いまわしているから、道路がぼこぼこしている。坐り心地の悪い丸椅子と合わせて、床がぐらぐらするような感じだが、そんな店に何十年も通える事の幸せを感じた。

 

元旦から楽しい家族旅行でした。

 

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tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2007年01月03日

亀山社中

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日本で初めての株式会社と言われている、坂本竜馬が作った亀山社中を訪ねる。

今は内部に入る事は出来ないが、この場所から竜馬が長崎、そしてその先の日本海、更には中国から西洋を眺めていたのだろう。

 

坂本竜馬は日本を越えて世界を眺め、明治維新を終わらせた後は海外に羽ばたこうとしていた。彼にとっては国境など、何の意味もない、所詮は過去の人間が作っただけの線にしか過ぎない。

今から100年以上前の若者が、すでに過去の人間が作った線を無視して、自分の生きたいように生きた。

竜馬をして、若くして殺された不幸な人と思う人は、誰もいないだろう。彼はこの世に立派に名を残した。

虎は死して皮を残す。人は死して名を残す。いずれ滅びる肉体を、だらだらと長く生かす為のしょうもないあがきよりも、いつまでも滅びない精神と言うか魂を磨いた方が楽しいのではないか。

勿論名を残したから偉いと言うわけではない。大事なのは、自分が思うように生きたかどうかだ。

誰かに知られる必要はない。自分が生きたいように生きる。ただそこだけが大事なのではないかと思う、竜馬の跡を訪ねた今回の旅であった。

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tom_eastwind at 06:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 僕の青春 

2007年01月02日

こん車、何ばしよっとや!

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「こん車、何ばしよっとや!」いきなり僕らの乗るタクシーの運転手が唸った。それもそうだろう、目の前の交差点のど真ん中に対抗車線から右折して車列に突っ込んだ車のおかげで、こちらが青信号になっても、その車が邪魔をして進めないのだ。

 

よく見ると、左手の10メートルほど奥にJRの踏み切りがあり、そこの信号で車列が出来ている。

 

距離と信号を見れば、突っ込んでよいかどうかの判断など、すぐ出来るだろうに、地元ナンバーの小型車に乗ったおっちゃんは、何食わぬ顔でこっちを振り向きもせずに、ゆうゆうと交差点のど真ん中で車を止めている。

 

おっちゃんの横には20代後半の女の子も座っているが、その子もこっちをちらちら見ながらも、悪びれる様子もない。前の車との車間距離は十分に取っているので、ほんのちょっと、1メートルでも後ろに下がればこちらの車は進めるのだが、それさえしようとしない。十分に後ろに下がる余裕があるのに、だ。

 

それまで楽しそうに喋っていた運転手が急に乱暴な地元長崎の方言を使ったのは、やはりせっかく海外からの観光客を迎えて「私の住む街」がどれだけ歴史があって良いところか説明をしている最中に、こんな状況に追い込まれた怒りからだろう。

 

長崎の街には歴史がある。古くは江戸時代から中国、韓国、その他遠くからのお客様を迎えた街だ。今もその気風が残っており、よそから来る人に対して優しい。国宝級のお寺もあるし竜馬の亀山社中もある。稲左山から見る景色は絶景だ。

 

誰しも自分が住んでいる街の事を誉められると、いくら直接関係がなくても嬉しいものだ。もちろん、悪し様に言われると気分が悪いのも間違いないが、その場合は一応反論も出来る。

 

しかしこの運転手のように、観光客の目の前でマナーを守らない地元の運転手が出現した場合、何とも言い訳のしようがなくて、自分には直接関係がなくても恥をかいた気分になる。

 

このような感情は、一種の故郷愛と呼べば良いのだろうか、あまり理論的ではないが、でも感情としては十分理解出来るものだ。

 

こんな書き方をすると「お前は自分の生まれ育った街に対して、恩義もふるさとを大事にする気持もないのか!」と怒られそうだ。

 

だが、長い間海外で生活をして、クイーンズタウン、香港、オークランドと家族で渡り歩いて見ると、一箇所の土地に対しての無条件で感情的な愛よりも、一緒に旅をする自分の家族に対する愛のほうが強くなる。

 

ましてや、奥さんの旅券は中国特別行政区香港、僕は日本、子供はニュージーランドと日本と香港の旅券を持っている「寄せ集めチーム」なのだから、どこか一箇所だけ抜き出して気分的に「故郷」と言うのは難しい。

 

どこか特定の土地に対する愛情が突出して、時には家族よりも土地や国家に固執するあまり、家族をないがしろにするというような事は、僕ら家族の場合は、まずあり得ない。常に家族単位で国境を越えて移動しながら、その時に最も生活条件の良い国を選んで生活するのだ。ビザなどはその為の手段だ。

 

日本の小説でも、家族の家柄の違いで結婚できないとか、本家を守るとか言う言葉が出てくる。島崎藤村の「破戒」では、主人公が部落出身だった為に、遂に日本を出て新天地を求めて旅立つという場面で終わる。

 

しかし、世界の歴史を見てみれば、紀元前1000年頃にイスラエル国家を創ったユダヤ人は、紀元前586年頃にバビロン王国によって滅ぼされた後流浪の民となり、エジプト人の奴隷として忍従を強いられ、モーゼに導かれてエジプトを出た後も、主に欧州に離散しながら、差別を受け続けてきた。

 

しかし彼らは、世界中に散らばって迫害を受けながらも、家族と言う単位で行動する事で、実質的に世界にまたがる、国境のない国家を作り上げていたのだ。どこの国に住もうと関係無い,家族は助け合うのである。

 

そしてイギリスのロスチャイルドとフランスのロスチャイルドが組んで第一次世界大戦を誘導し、米国においては有名な証券会社や銀行として活動しながら、彼らは米国や欧州の利益よりも自分達の家族の利益を優先して行動した。

 

第一次世界大戦当時に、連合軍に協力する代わりに、戦争後にはイスラエルの土地を自らの国家にするようにと決めた有名なバルフォア宣言など、その最たるものだ。結局2500年かけてやっと自分の国をエルサレムの土地に再興したのだから、その行動力たるもの、凄まじいものがある。

 

これなど、帰属するのは国家ではなくて自分の血統の流れる家族であるという事を明快に示している。

 

今世界のユダヤ人は約1300万人、そのうち600万人は米国に住んでいる。ちなみに日本に住むユダヤ人は1000人、NZに住むユダヤ人は15万人である。

 

日本沈没第二部では、日本が沈没した後に世界に散らばった日本人の運命を描いている。

 

土地を基本にして生きてきた日本人。そのために、時には家族同士の争いにまで繋がった土地。しかし、その土地神話=一所懸命は、そろそろ変化しても良いのではないだろうか。

 

土地=一所懸命となれば、その土地をどうとでも法律的に変更出来る政府の方が強い。つまり、土地と言う人質を政府に取られているようなものだ。

 

土地と言う呪縛から逃れて、国境を越えて本当に家族同士が助け合う、そういう時代が来ているのではなかろうか。

 

土地を大事にする気持はわかる。僕も日本はdaisukiだ。しかしその日本に住んでいる限り迫害されるとしたら?結局は財産が全部奪われるとしたら?

 

ユダヤ人も自分の土地を好きだからこそ、2500年かけて取り返した。しかし、その土地にいる事で迫害を受けるとしたら?その選択の余地は、あまりないと思う。家族よりも土地を取るか?目の前にいる、あなたを愛する家族よりも、売る事も出来ない土地を取るか?

 

日本政府としては、土地神話は、国際化が確実に進む中で、絶対に国民に気付いてもらいたくない問題だ。だからこそ、テレビで馬鹿番組をやって話をそらし、歴史を着色して土地への愛情を国家への愛情にすり替えようとして、時には政府を批判するような番組で不満組にガス抜きを行い、問題点をそらす。

 

2006年が日本政府の明治化とすれば、2007年が日本人としての本当の意味で、自分の為に生きると言う事を、個人のわがままとしてでなく、家族の一員として理解して、正しい道を進む元年だと思いたい。

 

写真は亀山社中の近くにある竜馬のブーツに足を突っ込んだ竜馬が、舵を動かしているところ。江戸鎖国時代の竜馬にとっては国境など意味はなく、ましてや藩の土地など全く眼中になかったのだろうな。

 

この竜馬も、その意味では同じだろう。旅券を3冊合法的に所持して、国境を何の苦もなく越えている彼。この竜馬が大人になってこのブログを読んだら「おやじの時代は、何を下らん事で悩んでたんだろうね〜」って、笑われるかもしれない。

 

 

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tom_eastwind at 23:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 移住相談