2007年02月

2007年02月28日

フラットメイト効果

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昨日、日本のワーキングプアの問題を書きながら、ふと思った。

 

「何で日本にはフラットメイトの習慣がないのか?」

 

ニュージーランドではフラットメイトと呼ばれる若者同士の同居システムがあり、これが個人の家賃負担を引き下げる大きな要素になっている。

 

 

まずは収入の話。

 

ニュージーランドの2007年4月から改定される新最低時給は11.25ドルなので、円換算すれば大体1000円である。これは、東京都も含めて日本全国どこの地域別最低賃金よりも高い。

 

東京は719円、大阪は712円、福岡は652円、最低は沖縄の610円だ。(所定内賃金なので交通費、残業手当は含まれていない)

 

だから東京で最低時給で一時間働くよりも、ニュージーランドのマックで一時間働いたほうが、確実に稼ぎが良い。

 

では支出はどうか?ここでフラットメイトが出てくる。

 

都会、例えば東京一人暮らしで住む場合、一番の支出は家賃である。一人暮らしで三軒茶屋だと一ヶ月8万円。もちろん上を見ればきりがないが、8万円と言うのは独身一人暮らしの数字ではないかな。

 

オークランドのシティ内、つまり、シティのどこのマックで働いても徒歩で通える圏内にあるアパートは、2ベッドルームなら、安いものなら週300ドルで見つかる。日本のような、座る場所のないようなマンションではない。リビングルーム+ベッドルームx2だから、もうちょいゆったりしている。

 

月で計算すれば1200ドルだから、家賃が約11万円という事になる。交通費がかからないものの、一般的な東京山の手線内の家賃よりは高い。

 

でも、この家賃が半額、もしかして三分の一になるとしたら?

 

実はニュージーランドやオーストラリアなどでは最初に書いたフラットメイトというシステムがあり、要するに見知らぬ男女が一つ屋根の下で一緒に生活するという形態だ。

 

これだと、11万円の家賃が、半額の5万5千円で済む。もし彼氏と一緒に住むなら、更に半額で2万7千5百円だ。一ヶ月3万円以下で、東京で言えば銀座4丁目のマンションに住めると思えばよい。

 

こうなると、収入は多いが支出は少なくなるので、東京での一人暮らしよりも、よほど楽しい生活が出来る。

 

フラットを借りる仕組みは下記のようになっている。

 

まず最初に投資家が投資用のアパートを購入する。ちなみにこちらのアパートとは、日本で言う一般的なマンションの事だが、英語を母国語とするキーウィは、アパートの事をマンションと呼ぶなど、自分の嫁さんに小野小町かクレオパトラと言うようなもので、恥ずかしくってやってられない。日本に住むキーウィの間ではジョークになってるかもしれない。

 

話を戻して、投資家は自分で購入したアパートを、Herald新聞や当社のような情報センター、インターネット掲示板で宣伝する。それを見たフラット入居希望者=独身若者層が、オーナーと契約する。

 

例えば300ドルで2部屋のフラットを借家希望者が契約した場合、希望者をフラットオーナーと呼ぶ事があるが、彼または彼女は更にまた貸しという形で広告をして、誰でも良いから入居してって、テナント募集をかける。

 

この際、フラットオーナーは誰も入らなくても家賃全額払うリスクがあるので、テナントの家賃は高めに設定する。例えば300ドルの家賃なら、フラットオーナー負担が120ドルでテナント負担を180ドルと言った感じだ。

 

または、オーナーが一部屋づつをテナントと直接契約するケースもある。この場合は、各部屋ごとのサイズなどにより家賃が変わる。

 

この契約については日本と違い、オーナーに絶対的な権利があるので、日本で言う借家権などは殆ど存在しない。

 

だから、オーナーが気に食わないテナントがいたら、いつでも追い出せる。あのがき、タバコは室内で吸うなって言ってるのに吸いやがった、退去だ!そう決めたら、即日退去させられる。

 

もしそれでテナントが抵抗すれば、警察が来て「Trespassing=住居不法侵入罪」の罪で逮捕してくれる。なんとオーナーに優しい国だ。だがまあ、これも本題ではない。

 

本題は、知らない者同士が、性別に関係なく一つ屋根の下で共同生活をする事によって、生活費の中の大きなウェイトを占める家賃の削減に繋がるということだ。

 

勿論家賃以外にも、食費が大きな支出だが、これはニュージーランドの場合、食料自給率300%と言う中で、日本より安くてたくさんの食材が買えるので、問題ない。

 

耐久消費財などの冷蔵庫や洗濯機は、大体フラットに予め付いている。オーナーが貸し出し用に用意しているのだ。こうすれば、部屋を借りる方は、体ひとつで入居出来る。

 

だから安く生活しようと思えば、フラットメイトというシステムは、実に合理的に出来ている。

 

何でこのシステムが日本、特に東京で広まらないのか?それは日本人特有の内気なせいなのか、政府のせいなのかよく分からないが、ワーキングプアが広がる中、ひとつの解決策として提案されても良いのではないかと思った。

 

写真はフラットメイト生活から幸せを見つけた人です。おいしそうな牛肉の大根おろし和えですね。

 

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tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2007年02月27日

山水の景気

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今日も最高に青い空で、やっと夏らしい天候になった。

 

さすがに暑いので、今日のお昼は山水でざるそばと温泉卵にする。緑色の茶そばなので、香りもある。

 

山水のざるそばは、もちろん店で打っているわけではなく、日本から乾麺を輸入して、これをお湯で戻している。それにしても、きちんと戻せば、実にうまい。贅沢を言えばきりがないが、夏場のニュージーランドで涼を取るための昼食としては、十分にうまい。

 

本当は生卵が好きなのだが、何せニュージーランドは、生卵を提供する事が出来ない。特に夏は、絶対にだめだ。

 

元々生卵を食べる習慣がない白人だから、卵の鮮度管理は日本ほど厳格でない。そのため、殻の外側に病原菌がついてたりするらしい。仕方ないから温泉卵、つまり加熱して食べるということになる。でも、これが結構美味しい。

 

最初は単品で、黄身を少しすくって食べると、卵の上に乗っかってる天かすがツユを吸ってうまくほとびてからんでくれて、良い味になっている。僕は、てんぷらも、たれを吸って少しふにゅあ〜っとしたのが好きだ。

 

そりゃシドニーあたりに行けば、タスマニア産の手打ちそばも食えるが、ニュージーランドではまだそこまではいかない。まだまだ、この国の白人は、そばをすするという事を嫌がる人が多い。

 

スープをずるずると音を立てて飲む事が恥ずかしいと思ってるから、麺の汁物というのは、定着するのにもうちょっと時間がかかるのだろう。

 

最初はたこ焼きやお好み焼き、そして先々にうどんとそばの専門店でも作れば儲かるかなと思ったりするが、今日のねたはそばではない。

 

オークランドでは日本食の人気が高まり、和食レストランの数が増え、同時に高級レストランの客単価が上昇している。そしてそのウラには、この国の社会構造の変化が横たわっている。

 

山水は、オークランドの格付けでは高級和食部門に入る。ランチタイムは約30名の席がほぼ満席になる。「本日のランチ」は日本で言う幕の内弁当形式で12ドルである。ざるそば9ドル、温泉卵が4ドルなので、卵付ざるそばが13ドルってとこだ。

 

円換算すれば、定食ランチが1000円、そばが800円である。さあ、これを今の東京の普通の昼食、例えば大戸屋とか都内の喫茶店のランチと比較して、高いと思うか?

 

ちょうど昨日ランチを一緒にした東京出身のスタッフに聞くと「1000円だったら、東京でも同じかな〜、私も1000円ランチよく食べてましたよ」という反応だった。そこですかさず当時の年収を聞くと、26歳で税込み約400万円との事。悪くないじゃん。

 

家賃8万円三軒茶屋のアパートに住み、貯金は出来ないものの、たまたま実家が東京にあるため、それほど生活の不安もなく、1000円のランチを友達と食べてたというのだ。

 

そこで僕は、ワーキングプアと呼ばれる、年収300万円以下の1500万人以上いる事を説明すると「あ!そういえば100円マック食べてるおじさんいました!」とか「自宅のトイレの水を節約する為に、水を入れたペットボトルをタンクに入れる人もいるんです」という話になった。

 

そう、今の東京では景気回復と言いながら、すべてのものが安さを競うようになり、ランチさえワンコイン以下になり、日本は見事に二極化したのだ。六本木ヒルズの高級レストランで5千円のランチを食べても安いと思う人と、100円のマックでも「痛いな」と思う人と。だから、単純な値段比較が出来ないのだ。

 

それに比べると、オークランドの場合は、全体的に豊かになっているのを感じる。と言うのが、山水に来るお客様は、誰もが平均的なビジネスパーソンであり、特に金持ちと言うのでもなく、普通に霞ヶ関のOLがランチタイムに利用する和食レストランと言う感じだからだ。

 

ただしここで言う平均的とは、オークランドに住む日本人と言う意味ではない。オークランドに住む日本人の場合、まだ現地に慣れない為、またはニュージーランドで役立つ知識をまだ身に付けてない為、キーウィの平均的なサラリーよりは安い。

 

今から6年ほど前の、景気がそれほどよくなかったオークランドでは、フードコートの7ドルランチの進出に押されて、和食最大手の「有明レストラン」でさえも、それまで12ドルで出してたランチを9ドルにまで下げていた。

 

勿論、満席になっても赤字だ。赤字でも食材をまわしたり、ディナーに繋がってもらえばという経営判断だが、それでもなかなかお客は入ってこなかった。

 

地元のビジネスパーソンは「腹いっぱいになるんなら、ハンバーガーやカレーの立ち食いの方が、よほど安くて手軽だよ」そう言ってフードコートに流れ込み、元々あったフードコートは大繁盛、新規で開店したフードコートも、どんどん既存客を取り込み、それこそランチ大戦争だった。

 

そういうビジネスパーソンばかりだったオークランドは、6年経ち、景気が良くなり、同時に最低賃金の50%以上の上昇により労働者の手取り収入が増え、ランチは高級化志向になった。ディナーも、客単価が当時の30ドルから、現在は50ドルを軽く越えるようになった。

 

そして、お金に余裕が出てくると、それまでのジャンクフードから健康志向のサカナ、寿司に目が向くようになり、山水の12ドルランチが売れるようになった。最近の人気メニューはヘルシーランチ、カロリー表示をした料理は、女性の約三分の一が注文するほどの人気だ。

 

オークランドのマックは一個3ドル程度する。全然安くない。日本から来た人は、大体が口を揃えて「マックが高い!」とか「物価が高い!」と言う。というのも、彼らは必ず日本円に換算して考えるからだ。

 

何故マックが高いか?それは、オークランドでは最低時給が法律で定められており、最低時給がそのままマックの価格に転嫁されているからだ。

 

ニュージーランドでは最低時給を下回って支払いをすれば法律違反になる。もっと言えば、そんな安い給料では誰も働かないから、店が運営出来ないのだ。

 

だから商売しようと思えば高い給与でも人を雇わねばならず、人件費上昇分が、そのまま定価UPに直結する。その結果としてマックの値段は日本の3倍近くと言うことになるのだ。

 

ただ、そんなに簡単に、商品に価格転嫁が出来るのか?出来る。それがニュージーランドの良い点だろう。

 

最低賃金は、それだけもらわないと生きていけない金額である。だから従業員の給料が上がった結果として物価が上がるのは、これは仕方ないことだ。それが社会的に容認されているのが、日本と大きな違いである。

 

不況時はみんなで苦労して頑張ったが、景気浮揚策や時代の流れに乗って経済が上向きになって政府が真っ先に取った政策が「最低賃金の上昇」である。

 

つまり、苦しいときもみんなで苦しもう、でも儲かったら皆で利益を享受しようという思想があるのだ。一部のお金持ちだけが儲かろうという発想はない。だからオークランドは、昔も今も浮浪者が殆どいない。郊外には、勿論全然いない。社会的弱者を国家及び社会が支えているのが、この国の特徴だ。

 

経済を浮揚させる為に、政府はまず外国人投資家の優遇措置を取った。次にNZ国内で起業、経営をする人が働きやすい環境を作った。

 

労働法の緩和、労働組合の排除、各種規制緩和などの政策により利益を出し始めた資金は設備投資や社員の雇用に向かい、これが大型ショッピングセンター建設、失業率の引き下げに貢献した。

 

雇用された社員が生産性を高めて企業の利益を増やし源泉徴収も増え、消費税税収も伸びた。その結果として減税が行われ、社員の可処分所得が増えた。

 

更に政府は、2003年頃から労働者の最低賃金の上昇を一気に行い、2万ドル程度の低所得層の賃金上昇率が4万ドル程度の高所得の賃金上昇カーブを大きく上回るようになった。

 

余談だが、観光地のレストランでは、日曜日に食事をすると追加料金が発生するところがある。と言うのも、日曜日に従業員を雇用すると割増賃金を払わねばならない。だからレストランではお客様向けに「週末は従業員の給料が高いので、お客様が負担してくださいな」と、堂々と説明している。

 

こうして豊かになった従業員は、その金でちょっと程度の良い車を買い、今まで月に2回しかいかなかったマックに、子供をつれて週に1回行けるようになった。

 

たまたま週末に行ったマックで見かけた、あるマオリのちっちゃな子供の無邪気な笑顔と、連れてきたお父さんの誇らしげな顔が、とても印象的だった。

 

今の日本では、企業や一部の正規雇用者と労働組合が最低賃金の引き上げに難色を示している。既得権益を守る為に「これは俺のもんだ、お前らが来るんじゃねー!」と、芥川龍之介の「くもの糸」みたいな構造になっている。

 

ニュージーランドでは、機会の平等は徹底した上で結果の不平等をある程度受け入れた。その代わり、経済の伸びに合わせて最低賃金の底上げを行い、年休を増やし、世の中の人全員が平等に恩恵を蒙れるようにした。

 

町の景気が良くなった。レストランの客単価が上がった。従業員の給料が上がった。従業員がお金を使うようになった。国民全体が、経済の利益を享受している。良い国だと思う。

 

写真は、先日のBBQの時の写真。土曜の昼下がり、みんな、屈託のない笑顔で、良いですね。

 

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tom_eastwind at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月26日

私が 殺した 少女

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「ぼ、ぼくはやってません!」って、これは本の題名です。それにしてもハードボイルドdaisukiな僕が、何で今までこんな作品に巡り合わなかったのか?

 

まさに、ありえないざ〜いなばうあーって、のけぞってしまいました、この作品。というのも、これはレイモンドチャンドラーそのものなのです。

 

チャンドラーと言っても普通の方はご存じないでしょうが、彼は米国生まれの作家で、20世紀に発行されたハードボイルド作家の中で3本の指に入る、最高級作家です。他はダシールハメットなどがいますが、とにかくこの本、導入から展開、後半のストーリーの持って行き方、乾いた文章、一人称で語る私と、何から何までチャンドラーなんだけど、でもそこにきちんとしたオリジナリティがある。

 

普通は、名作のコピーって、読んでも面白くないんですね。例えばリア王を演じるのにリチャードハリスを好きな人だったら、誰が同じことをやっても一番うまいのはリチャードハリスだとなるし、彼以上の演技は出来ないと思うだろう。だったら、どれだけ新しい役者がリア王をやろうと、やっぱり彼のを見ますって事になる。

 

ところが蜷川さんが仕込んだリア王は、全く同じ題材を扱い、ポイントはしっかり伝統を押さえながら、その展開で独自の世界を作り上げて、リチャードハリスとは違った世界を創り上げた。だからリチャードハリスをdaisukiな人でも、蜷川さんを楽しめる。

 

つまりリア王でリチャードハリスが「やった事」ではなく、「やりたかった事」を違う形で表現したのが蜷川さん。だから面白いし、本場英国でも大評判になった。

 

それと同じで、「私が殺した少女」は、チャンドラーが書いた世界ではなく、チャンドラーが書きたかった世界が出来上がっているのだ。

 

「私が殺した少女」は「探偵沢崎シリーズ」の第二弾という位置づけになっているが、単品で十分に面白い。てゆ〜か、すごい。430ページの作品だが、一晩で全部読み終わって、最後の帯を見て、これが1989年の直木賞を取った作品と分かり、「そりゃそうだろ〜」と一人ベッドの中で頷いてました。

 

でもって、何でこの作品を知らなかったかも、分かりました。

 

1・僕は1988年に日本を出発して、その頃はamazonもインターネットもなく、この本の存在を知ることがなかった。

 

2・原りょうって作家、この作品を含めて5冊しか書いてなくて、1995年以降はずっとお休みに入って、一番最近の作品が2004年に一冊出した「愚か者死すべし」という作品だけと、非常に少量生産なのです。だから殆ど本屋に並んでない。

 

ちょうど僕がニュージーランドに渡った年に人気が出て、翌年直木賞を取って、それから更に5年後に2冊だけ書いて、そいでもってまた冬篭りという、全く時期の合わない人だったんですね。

 

全然移住と関係ない話で失礼しました。折角なのでちょっとamazonの事に触れておきます。

 

amazonは今、ニュージーランドに住む日本人には、とてもありがたい存在です。最新版の本から古書まで揃います。でも問題点がいくつか。

 

1・郵送費用が、大体の場合本代より高い。例えば2500円分の本を買うと、郵送料が航空便なので4000円かかると言った具合です。でも、本好きにはそんな事、どうでも良いかも。

 

2・DVDなど著作権が絡むものは、海外に送れません。だから子供が欲しいDVDは、一旦国内の友達に送り、そっから転送してもらう必要があります。これなら入手できます。

 

3・中古本を買おうと思うと、大体の場合売りに出しているのが国内の方で、国内郵送しかやった事ないので、海外には郵送出来ませんって事になります。

 

不便なのは上記3点くらいですね。引き落としはクレジットカードで一括処理なので、これは楽。一括郵送航空便を使って、大体4日程度で届きます。

 

ちなみに「私が殺した少女」は、福岡の本屋で偶然見つけました。帯に「伝説の直木賞作家」とあったので、「あ〜、またいつもの、直木賞作家が書いた、直木賞を取ってない本だろう」と思いつつ、タイトルがすごく惹かれたので、ついつい手を出した本です。

 

それにしても、本って、良いですね〜。日本人よ、もっと本を読んで知識を付けようぜ。

 

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tom_eastwind at 15:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2007年02月25日

昨日はバーベキュー!

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昨日は友達の家でバーベキューだった。軽い薄曇りの夏空の下、気温は22度くらい。冷房なしですごせる素敵な真夏だ。午後2時頃から三々五々に集まった知り合いは、全部で30人くらい。

 

殆どは元か現役の当社スタッフで、日頃は自分の仕事で忙しくてなかなか集まる機会のない連中が、BBQ(バーベキューの略)と言う「社交場」を利用しての情報交換会である。

 

この場(BBQ)を「食事会」と勘違いする日本人がたまにいて、「これは遅い昼食ですか、それとも早い夕食と考えて良いでしょうか?」とか「普段着とは、襟付きのシャツですか、それとも一応ジャケット着用?」とか「一人一品+1ドリンクとありますが、1ドリンクとは、ワイン一本でしょうか、それともビール6本でしょうか?僕はお酒は飲まないので、コーラでよいのでしょうか?」など、場違いな質問をする人もいる。

 

たぶんニュージーランドに来たらバーベキューに呼ばれることもあるので、基本的な知識を書いておくと、

正式名:バーベキューパーティ

略称:バービー

略書:BBQ

目的:BBQは、日頃忙しくて会う機会のない、共通の話題を持つ人たちが週末の午後に集まり、ビール片手にソーセージや肉、持ち込んだ手作り料理を食べながら、最近の様子を語ってお互いのデータベースの更新をする、更に友達を通じて新しい友達を作るという、極めて内輪で開かれるパーティである。

 

だから昼食でも夕食でもなく、飲み物の割り勘率の平等性を問うものでもない。最近の学校ではパイを分母とした仲間内の略奪方程式(パイの理論)は教えるが、割り勘の社会学を教えないので、意味の不明な質問も出てくるのだろう。

 

その一番の目的は人間関係の円滑化と継続である。その手段として女性の口を喜ばせる食べ物、男性の口を滑らせる飲み物がある。

 

だから、BBQに誘われたら、貴方が日頃の週末に着ている普段着で、普段食べている料理で持ち出し可能な料理一品と、自分が飲む分の飲み物を用意して、酔っ払いそうな男は、代わりに運転してくれる奥さんか彼女を連れて行くこと。これで準備万端です。

 

閑話休題

 

日本で普通の家にこれだけ揃うと大人数だが、ニュージーランドの普通の住宅では十分入れる、ごく普通の光景である。広いリビングとダイニングキッチン、そしてBBQ台を置いた庭があれば、30人程度はすっぽり入る。

 

さてバービー。午前中に買っておいた肉と野菜とソーセージが、最初に来た男性(これは特に当番などない、本当に、その時の流れで担当が決まるが、女性が焼く場面は見たことがない)によって、用意されたタレに漬けたりしながら手際よくバーベキュー台に乗せられて、太陽の光とともにこんがり焼かれて、周囲に暖かな香りを漂わせる。

 

30代の家族が中心なので、みんな自分とこの子供を連れてくる。もう、ほぼ子供の運動会だ。下はこの世に生を受けてまだ半年のおしめの取れない子供から、おっきいのはもうすぐ中学生まで、子供たちは子供部屋でぎゃんぎゃん騒いでる。勿論日本語だ。

 

旦那衆は早速、氷と冷水をたっぷり放り込んだポリバケツに転がっているビールに手を出す。スパイツ、エキスポートゴールド、ハイネッケン、様々な銘柄のビールを片手に、数ヶ月ぶりに会う友達や知り合いと、最近の業界事情や仕事の様子などを、奥さんからちょいと離れたところでくっちゃべる。

 

そのうち男どもは、近くの椅子に座り込むと、皆が顔を寄せ合い、くっくと笑いながら段々声が小さくなり、最後には大爆笑している。

 

北半球の旦那衆が奥さんのいないところで始めるねたは大体決まっているが、地球の下半分=南半球に住む旦那衆も、ここでもわいわいがやがやと酒の肴にするのは同じだ。ばらしちゃえよ〜!あっははは〜!、太陽の下でビールがすすむ。

 

奥さんたちは自分の子供をだっこしながら広々としたダイニングキッチン=奥さんの領土で、友達の子供のほっぺたをちょっと突いて、「ぽっちゃぽちゃね〜」などと、きゃっきゃと楽しんでいる。

 

今日は、3月で日本に帰る40歳前後のご家族二組も合流。2001年頃だな〜、彼らがオークランドにやってきたのは。

 

それから当社で働いてもらい、素晴らしい実績を出してもらいながら、彼らも日本では出来なかった海外生活をエンジョイする。勿論楽しいことばかりではない。だって、生活の糧を得る為に働くのだから、そして英語と言う壁もあるし、そりゃ大変だ。思ってたのと違う点も出てくる。

 

それでも、ある家族は子供を小学校に通わせて生きた英語を無料で学ばせ、日本と違った社会、道徳観念を学び、ある家庭はニュージーランドから更にカナダで一年働き、日本では絶対に経験出来ないようなカナダビジネスも学んだ。

 

偶然だがこの二家族とも、ニュージーランドを離れる事になった一番の理由は「両親の面倒を見る」である。以前も書いたが、ニュージーランドでは両親を子供が面倒見るという発想はない。子供と老人は社会が世話をする、そのお金を作るために現役世代の男が働くという社会構造だ。

 

でも今の日本では、やはり子供が親を見ないと「親不孝」になってしまう。家業を継ぐというのもあり、子供だけで移住を完結させるのは、日本独特の社会習慣を考えても、出来るものではない。

 

昨日も書いたが、誰にとっても旅の終わりはある。大事なのは、今目の前の環境を楽しむかどうかだ。その意味でふた家族とも、精一杯頑張って、人生を楽しんだと思う。

 

最近来た家族は、まだまだこちらの習慣に慣れるのに苦労しているし、こちらで結婚したカップルは、新しい会社を自分で立ち上げて頑張っている。

 

オークランドに来てすでに10年近く、地元でガレージを営む夫婦は、安定した生活を営んでいる。

 

単身でやってきてオークランドで彼女を見つけた30代前半の彼は、自分で商売をする傍ら、しっかりサラリーマンもして両方から収入を得ている。これがニュージーランドの良いところですな。

 

移住とは言っても所詮は旅だ。いつか日本に帰る時もあるだろう、そう思いながら、30代の彼らは、この国での毎日の生活を楽しんでいる。

 

この国で何が楽しいのか?盛り場もパチンコ屋も麻雀やも、カラオケの歌も少ないし、サービスの程度は低いし、一体何が楽しいのか?

 

そう思う人は、自分が大好きな盛り場に帰れば良いし、そう思わない人でも、親の都合で帰る必要がある事もある。どっちにしても、この国=ニュージーランドには何の責任もない。

 

この国は160年前からこんな国で、今もこんな国なのだ。

 

160年前、ブーツを泥沼で汚しながら灌漑して牧場を開拓し、親父とお袋は朝から晩まで働き、子供のための学校を作り、無料で通わせ、1900年代初頭には老齢年金を法制化して、医療費も無料にして、人に優しい国を作った。

 

今は大学にも実質無料で通えるし、仕事がなければ政府が面倒を見てくれる、そんな国を造っていると、おそらくカラオケやパチンコを作る時間もアイデアもなかったのだろう。

 

そんな彼らの唯一の娯楽と言えば、週末に友達と飲むビールとバーベキュー。それで一週間の疲れを吹っ飛ばして、よっしゃ、明日も頑張るぞ!という気持ちになる。(ほんとは、自分の農場の帰りに親父がちょいと訪ねる近くのパブで、仲間と一緒に飲む一杯が最高なのだが、1908年頃には禁酒法が国会で通ったこともあり、女性の手前大きい声では言えない)

 

外人が日本に来て、日本の汚職体質、地方議員の賄賂体質、自分のことばかり考えて国家のことを全く考えようとしない国民に対して「そんなのおかしくない???」って言っても、日本人の殆どは「じゃあ、嫌なら出てけよ」という事になるだろう。

 

ソフトブレイン元会長の宋文州のコラムには、毎回200近いコメントが入り、その中には必ず「嫌なら帰れ」がいくつか含まれている。

 

僕は思う。どこの国にもそれなりの個性があり、成立の過程がある。そのような「国家の個性」を尊重しながら、自分の住みたい、税金を納めたい国を決める、それが社会人なのではないかと。

 

自分で住みたい国を選べばよい。相手に選ばれるだけの器量を持ってね。そして、合わないなと思えば、元の国に戻ればよい。

 

「本当に戻れるかどうか、不安なんです」気持ちは分かるけど、それは自分を磨いて、たとえ10年離れていても欲しがられる人材になる、そういう努力をするしかないのではないか。

 

バービーでは、子供たちが元気よく大人の間を走り回る。ほんと、子供ってのは遊びの天才だ。何をやっても実に楽しそうに笑い遊ぶ。

 

週末のBBQ、太陽の光を浴びながら、集まった人々の顔を見る。少なくとも、日本にいる人たちのような不安はない。

 

その屈託ない笑顔を、そのまま切り取ってあべしんぞ〜に送りたいと思った。国家と国民、どっちが大事なのか、いずれ分かる日が来るだろう。

 

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tom_eastwind at 15:09|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2007年02月24日

旅なのだから

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僕は、NZの出入国カードの職業欄には「Travel Agent」と書いている。

 

当社は何屋さんなのか?時々お客様から不思議に思われて聞かれることがある。

 

以前は雑貨品販売の「コンボショップ」で古着、食料、ビデオレンタルなんてやってた。英語学校の「プレミアイングリッシュスクール」を運営してた事もある。JAAN(その後EastWindに改名)という無料日本語月刊誌を発行していた時期もある。

 

携帯電話レンタルは今もやっているし、英語学校紹介やテレフォンカードの販売もやっている。情報センターと呼ばれることもある。

 

医療通訳、海外旅行傷害保険、住宅管理など、上記とは全く関連のないビジネスも行っている。

 

勿論海外送金や両替、外貨預金なども扱い、そういう意味では、今現在僕が取り扱っている「移住」は、一番新しい商品とも言える。

 

ただしそれも、今までやってきた旅行ビジネスの知識が積み重なって出来上がった商品なので、過去が確実に現在につながっている。てゆ〜か、元々の僕の本業である旅行業の知識が、そのまま現在のすべての商品に反映されていると思う。

 

旅の途中に必要となるすべてのものを揃える。旅の途中で使える電話がなければ携帯電話、病気になれば現地の医療、事故を起こせば保険、現地通貨が必要なので両替、日本食、英語、ホテル手配、住宅手配、要するにキーワードを「長期旅行」とすれば、それぞればらばらの商品が、一つのグループにまとまる。

 

でも日本で、何も背景を知らない人に職業を聞かれて「旅行業」と答えると、「航空券やホテルの手配」をする会社と思われる。旅行会社が何で英語学校紹介とかビザ取得とかやってるのか、意味不明になるので、最近の日本では「移住コンサルタント」と自己紹介するようにしている。

 

僕にとって移住の仕事というのは、一種究極な「旅」の販売だと思っている。月に行くのは距離的に究極な旅だし、移住は期間的に最も究極な旅だろう。

 

この点、今の旅行会社で働く人々がどれほど理解しているか分からないが、旅行会社のすることは、お客様の要望を聞いて、その為に必要な部品(アゴ=食事などレストラン、アシ=移動手段、バスや飛行機、マクラ=宿泊手段、ホテルや旅館)を揃えて、このすべてがお客様の希望するように円滑につながることだ。この行程を管理するのが添乗員である。

 

ところが、それがすべてOKであっても、お客が怒ることがある。何故か?それはお客が旅行に求めるものは、実は旅の持つ具体的な要素だけでなく、それは非日常の世界を求めているのであり、目に見える商品そのものだけではないという点だからだ。

 

だから移住をすると言っても、お客様に言われた事を単純に、例えばビザを取得して住居を手配するだけでは、僕らの仕事が終了したとは言えない。

 

最終的にお客様が満足したかどうか、そこがすべてである。これがなければ、旅行屋とは言えない。つまり僕ら旅行屋が売っているのは、「満足」という付加価値だからだ。

 

例えばバーで酒を飲むのは自宅で飲むよりも高い。それでもバーが存在するのは、そこに付加価値=満足感があるからだ。

 

満足の種類は人によって違う。家庭では味わえない雰囲気、マスターとの他愛もないおしゃべり、今隣に座る女性、今日は誰が飲みに来るのかと待つ期待感、人によってみな違うだろう。

 

でも、その「満足」を得るために、店頭価格より高いお酒を買っても「納得」するのだ。てゆ〜か、目に見えない付加価値がそこに存在するって事だ。

 

旅行業で言えば、それは「高級ホテル」の手配かな。東京で泊まるのに東横インなら6000円で泊まれるところを、彼女との旅行なのでパークハイアットホテル1泊6万円を払う。それでも男は納得して満足してお金を払ってくれる。

 

だから僕らの仕事は、ホテルに泊まりたいと言うお客様の本当の目的を会話の中で推測する。誰でも無駄金は払いたくないから、費用を聞けば安い方がいいんですと言うが、そこで「このようなホテルもありますよ」と言うと、「おお、そうか、それなら価値があるね」と判断してもらえる。

 

最終的な判断はお客様に任せるものの、正確で細心な情報を、出来るだけそのお客様に合った形で提供することが仕事だと思っている。

 

閑話休題

 

お客様の移住工程表と費用計算をワードやエクセルを使って作成していると、昔、日本にいた頃に日程表と見積書を手書きで作ってた時代を思い出す。あの頃も今も、同じ事やってるじゃんか。

 

「あの頃」はファックスもなく、長距離電話は値段が高いので、北海道の旅館の予約をする時は往復はがきを使っていた。あの頃、1970年代には、日本人が海外に移住するとか、ましてやそれが商品になるとか、ましてx2自分がNZに移住するなんて思いもしなかった時代。

 

時が移り現代になると、インターネットで情報公開が始まり、移動手段が低廉化かつ高速化してきて、移住というものが商品になった。月に行くのも商品になっているから、不思議ではない。但し、その「旅の特性」は何も変わるものではない。

 

月旅行だって移住だって、最後は自分の故郷に戻るって事だ。何故なら移住とは言え、NZの墓場に入りたくてこの国に来る人は、殆どいないからだ。

 

つまり、いつかは故郷である日本に戻るのだから、日本を出発してNZに来て、また日本に戻る、それが普通の旅行より期間が長いだけの、やはり「旅」なのだ。

 

最近は30代の方からの問い合わせ激増だが、やはり皆さんの不安は将来である。移住に失敗したら、戻るところをどうしようと言う。だから、最初から日本にいずれ戻ることを前提に計画を作れば良いだの。

 

ニュージーランドで自分の若い日々を過ごし、子供をバイリンガルに育て上げ、60歳過ぎてそろそろかな〜と思ったら、それからは日本に住居を移しても良い。その頃には日本も良い政治家が出てきて、まともな国になっているかもしれない。

 

または、海外旅行を5年くらい楽しんで、ああ、もう十分海外生活を満喫したので、じゃあそろそろ日本に帰ろうか、それでも良い。旅を堅苦しく考える必要はない。

 

だから、移住を考える人たちに言いたい。移住は旅なのだ、失敗があるはずがない。自分で金を払って旅行に参加するのだ。いつ帰るかは、本人の自由。だってあなたには、迎えてくれる家族が日本にいるのだから。

 

旅なのだから、気軽に行こう。

 

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tom_eastwind at 00:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月23日

海を越えた投資

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投資信託協会という団体が調査して日経ビジネスで発表されたデータによると、2001年と2006年を比較した国別投資伸び率では、米国4.9倍、欧州7.3倍、香港7.1倍、カナダ30倍に対して、オーストラリア99.3倍、ニュージーランド135.7倍という結果が出ている。

 

これはあくまでも伸び率で、金額ベースで見れば、米国の11.1兆円、欧州6.6兆円、オーストラリア2.9兆円に比べて、ニュージーランドは0.5兆円なので、まだまだ投資先としては低い地位にいる。

 

しかし伸び率で見るとすごいなあ。オセアニアが注目を浴びているのがよく分かる。調査自体はインドへの投資伸び率809倍を示す為に出されたものだが、思わぬ副産物としてニュージーランドを発見したという次第だ。

 

調査をそのまま信じてもしようがないけど、体感として個人投資家がニュージーランド向けに活発な投資をしていると感じる。

 

2001年というのもポイントだ。ちょうど911テロを境に人気が出てきた。その理由としては

 

1・ニュージーランドの地政学的安全さ。南太平洋の小島で鉱物資源もないので、どこからも戦争を仕掛けられない。

2・政府の「世界の人々を宗教や人種差別なしに受け入れる」政策により、宗教間摩擦がない。

3・米国主導の戦争に参加せず、国連主導のPKO活動のみに限定している。

4・二大政党制で政治が安定しており、長期的な政策変更がない。

5・教育、医療、福祉体制が整備されている。

 

等などが挙げられるが、投資の場合は、投資が投資を呼ぶという現象もあり、1ドル40円と言うお得な為替レートと高金利が市場に好感され、それから5年で日本からの投資が大幅に膨らんだのだろう。今では為替レートのうまみが全くなくなったが、5年前に投資をした人たちは大もうけである。

 

この中には個人による投資、特に住宅投資もかなり含まれているのではないかと思う。というのも、ここ5年で日系企業は駐在員をどんどん減らして現地化しているし、どこかの大企業が大きな工場を作ったという話もないからだ。

 

その代わり個人からの資産の流入は急上昇している。個人資産家が、一人で1億~5億程度を投資しているので、0.5兆円=5000億円は、投資家の数で考えても1000人から3000人程度だろう。毎年1000人づつ移住者も増えている事でもあり、何となく納得する数字だ。

 

移住者と投資家は、動きが違う。投資家からすればビザなどは何でも良い。観光ビザで年に数回往復できれば良いだけで、大事なポイントは外国人でも一軒家を購入出来るしローンも組める、金利が高いし外国人投資家優遇制度があるということだ。

 

日本は失われた10年を経て、やっと政府が独り立ちしてき始めたが、同時に昔の「強き政府」に戻ろうとして、お金持ちからは税金を取り、お金がない人からは生活補助の廃止を始めて、セーフティネットはいつまで経っても作ろうとしない。

 

そんな環境に不安を感じる資産家が世界を見渡して投資家に有利な条件を比較してみると、そこにニュージーランドがあったというわけだ。別に最初からニュージーランドを狙っていたわけではない。消去法でやってみたら、最後に残ったのがニュージーランドだったと言うだけだ。

 

おかげで、ここ1〜2年で月刊ニュージーランドの不動産広告が、大幅に増えた。新規で不動産業に参入する人も増えている。数年前までは不動産広告など数えるほどしかなかったのに、今では1ページ以上が不動産広告で埋められている。

 

この状況を「不動産バブル」と呼ぶ人もいるが、人口自体が増加しているし、これからも増加させる予定のニュージーランドとしては、バブルでも何でもない、高度成長である。この国は現在の人口は約400万人。これを500万人に増やそうという計画を推し進めている現在、人口増加の一番のキーポイントが移民の増加である。

 

思い出して欲しい、日本の1990年までの土地神話は、人口増加と東京一極集中の中、30年以上続いたのだ。

 

自分たちが土地バブルの失敗でやけどしたからと言ってニュージーランドも同じだ、バブルだというのは、羹に懲りて膾を拭く(あつものにこりてなますをふく)ようなものだ。実体経済をしっかり自分の目で見てから判断してほしいものだ。

 

自国の強い産業を持たないニュージーランドは、たまたま北半球の敵失を利用して、その地理的特徴を生かし、国家の基礎になる国民数を増加させて、更に安定した国家を作り上げようとしているのだ。

 

その為に高速道路を今のうちに拡張して、2010年以降も人口増加に耐えられるように準備をしているのだ。

 

それいけすぐやれ、今、北半球が弱っているうちに、しっかりと南半球にお客=国民を呼び込んで、完全自給自足型の国家を作るのだ。

 

海を越えた投資がニュージーランドにやってきている。理由が何であれ、景気浮揚の機会をうまく捉えたニュージーランド。ラグビーで学んだ戦略なのだろうか、いずれにしても南半球の小島、よく頑張っている。国家全体の戦略がきっちりと一方向を向いているから、戦略にぶれがない。

 

仲間内で首相いじめをやったり、省益あって国益なしの各中央省庁が各自てんでばらばらの方向に動いて、結果的に全然前に進まない、バランスの取れない社会に変質していく日本。結局困るのは、最後にツケを払わされるのは、国民なのだ。

 

写真は、ノースショアの高速道路に増設中のバス専用道路。

 

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tom_eastwind at 10:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月22日

地震だ〜!

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オークランドにて昨晩8時から9時にかけて地震が発生した。

 

リヒタースケール4.5と3.5とか、発生した時間によって少しずつ違うようだが、いずれにしても、僕も家族も料理や食事をしていた時間帯だが、全く揺れを感じなかった。

 

というのも、震源はオークランドから東北方向に30km以上離れたハウラキ湾の海底だった為、僕の住んでいるノースショアの陸地に「揺れ」が来る頃には、もう随分ちっちゃくなっているからだ。

 

NZdaisukiでも「たった今地震ありました!」って書き込みが入ってるけど、感じてない人のほうが多いのでは?と思うくらい。

 

今朝も出社して東京出身のスタッフに聞くと「そうらしいっすね、全然分かんなかったっす」と恥ずかしそうに言ってた。

 

でもって地元の新聞では「1970年以来の大地震」とか「慌てて道路に飛び出す住民」とか、にぎやかに記事を書いてる。

 

う〜ん、主観の相違?地震の感覚が違うのか?

 

お客様がニュージーランドに下見に来る際に必ず聞くのが、「ニュージーランドは地震がありますか?」である。ほぼ100%の確率で聞かれる。

 

僕はニュージーランドの歴史を基に、「地震は一応存在します。100年ほど前にマオリ村が火山爆発で灰に埋まったり、ワイテマタ湾に浮かぶランギトト島は、鎌倉時代頃に海底火山の爆発で出来た島です」と話す。

 

そして同時に、自分の主観として「でも僕自身はオークランドに住んで10年になりますが、地震を感じたことはありません。実際にちっちゃな地震があったと一回だけ聞いたことがありますが、それも僕自身は感じてません。住宅の耐震基準も、あまり考えてないような構造です、それは地震が殆ど発生しない事を前提にしているんじゃないでしょうか」と答える。

 

この二つの回答を聞いてそれをどう解釈するかはお客様次第だ。

 

ただ、大事なのは、客観的事実と自分の推測や体験は切り離して説明すること。犬も倒れるワンパターンなのは、感情だけで話す人の、とてもとても多い事。

 

「ねえねえ聞いて、昨日地震があって大変だったのよ〜、もう、犬は走るし猫は踊るし、私もび〜っくりよ!」なんて言われても、全く具体的でない。犬は走るのが仕事だし、猫は地震がなくてもぴょんぴょん踊っているものだ。

 

ところが、これを聞いたそそっかしい人は、更にこの話を広げて

「ねえねえ、オークランドで大地震があったらしいわ、もう大変で、動物が逃げ出したらしいわよ、人間も道端に飛び出るようになったのよね〜!全く、怖い話だわ〜!」となる。

 

挙句の果てには

「オークランドで動物園から猛獣が逃げ出したのよ!もう街はパニック状態で、人々が町中を逃げ回っているらしいわ、こりゃ大変、警察がどうして出動しないのかしら〜、全く、ニュージーランドの警察は何やってるのよ〜!」みたいに、意味不明かつ無意味な感情の流れで、訳の分からんことを犬みたいにぎゃんぎゃん吠えまくるという事になる。

 

daisukiの掲示板で書かれた事を読んで、日本感覚で日本にいる人が更に輪をかけて

「何よこの国の危機管理は!こんな恐ろしい大地震があったのに、津波警報も出さないなんて、何よ〜!」と怒り出す。

 

地震に注意するのは日本人としてごく普通だ。何せ地震+雷+雨+嵐、津波に雪崩れにサリン事件と、日本は災害大国である。おうおう、それに年間3万人の自殺者を出す人災大国でもある。

 

道を歩くときは常に天候に気をつけて、仕事をする時は常に政府の動向に注意しながら、リストラに遭わないように生活しないと、いつ災害に巻き込まれるか分からない。

 

但し、あまり気をつけすぎても、今度は何も出来なくなって、怖くて家から一歩も出られなくなる。ところがそんな時に限って自分が住んでいるアパマンション。一歩も出ないで安全と思ってたら、マンション崩壊の危機に晒されている事に気づく。

 

結局どこにいてもある程度の危険は付きまとう。オークランドにいても地震はあるのだ。だから、一番大事なのは危機管理である。

 

危機は常にあるものと割り切り、その為に客観的な情報と主観的な推測や体験をきちんと切り離して管理する事だ。

 

日本人は日常生活の中でも完璧を求めるし潔癖だから、少しでも汚いとか危険があると、異常なほどに反応する。それはそれでよいのだが、大前提として、危険のない世界など存在しないと言う事に気づくべきだろう。

 

生活には常に危険が存在すると言う事実を基本にして、じゃあどう対応するかを考える。でも、あんまり考えすぎても、生きている楽しみがない。だから、適度に危険も受け入れながら、危険に耐性を持った精神力を培えば、少々床が揺れてもどうにかなるものだ。

 

それともうひとつ。日本人は、他人の言葉を平気で信用する。特に新聞に印刷されたら、ほぼ確実に信用するが、ニュージーランドの新聞は、裏づけ調査などの綿密な取材をせず、写真週刊誌並みの主観的記事を書くのが得意だ。

 

だから英語をいくら読めて新聞を読む能力があっても、肝心の英語のねた自体が間違いだという事に気づかないので、デマや誤報に振り回されることになるから要注意。

 

お時間のある方、英語の記事とNZdaisukiの書き込みを読み比べてみれば面白いですよ。

 

写真は、僕のオフィス(七階)の窓を外側から拭いてくれる、ロッククライマーのお兄ちゃん。サングラスにヘルメット姿で、ロープ一本のみを使って実に器用に窓を拭いていきます。こっちと視線が合うと、にこって手を振ってくれる。日本だと、こんな危険な窓拭きは考えられないだろうな〜。

 

でも、スポーツ大国ニュージーランド、世界で始めてエベレスト登頂に成功した国の人間としては、十分に受け入れられるリスクなのですね。

 

あ、そういえば地上では「上から水が落ちてくるかもしれないので、気をつけてね」というサインボードが出てるのみ。濡れても文句を言わないのがキーウィ流ですな。

 

 

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tom_eastwind at 11:58|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月21日

調査のからくり

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ぜひともこの調査の、調査方法を教えてもらいたい。どのような質問事項を設定して、どのように調査回収したのか、非常に興味がある。

 

***********

「日本は安全」2年前より微増内閣府・治安世論調査

 

 「日本は安全な国」と感じている国民は半数近くに上り、2年前より微増していることが、内閣府の「治安に関する世論調査」で分かった。

 

 刑法犯件数は4年連続で減少しているが、「体感治安」にも好転の兆しが出てきた形だ。

 この調査の実施は2004年以来2回目。昨年末に全国の成人男女3000人を対象に行われ、1795人(59・8%)が回答した。

 

 それによると、「日本は安全・安心な国か」との問いに対し、「そう思う」か「どちらかといえばそう思う」を選んだ人は全体の46・1%で、前回調査より3・7ポイント増加した。一方、最近10年間で「治安がよくなった」と答えた人は2・4%にとどまり、前回の1・5%よりは増えたものの、長期的に見ると治安回復を実感している人はまだ少ない現状が浮かび上がった。

 

 一方、「不安になる場所」(複数回答)を選ばせる質問には、前回19・1%だった「インターネット空間」が40・1%に倍増。「不安になる犯罪」(同)も、前回24・2%だった「インターネット」が39・9%となり、ネット犯罪への危機意識の広がりをうかがわせる結果となった。

20072172123  読売新聞)

****************

 

一般的な人々は、記事のタイトルしか見ない。そして「日本は安全」という記事を見て、それだけで次の記事に移ってしまう。頭の中には何となく「そうか、日本は安全か」という、刷り付けられた偽情報だけを持って。

 

この記事は、所謂(いわゆる)偏向報道(へんこうほうどう)である。つまり、事実はそのままに掲載していながら、それに対する解説の部分で、自分の誘導する方向に結論を導いているのだ。

 

まず、刑法犯件数が減少と書いているが、ここで言う刑法犯件数とは何を指しているのか?

 

・実態としての刑法犯の発生件数の減少か?

・警察が告訴または告発を受理した件数の減少か?

・起訴件数の減少か?受理しても告訴しない、つまり犯罪にならないケースは多い。

 

要するに、最近の減少は、警察に言っても無駄と開き直って警察に駆け込みもしない為に、告訴や告発が発生しないだけなのではないか?

 

ちなみに告訴とは、被害を被った本人が訴えること、告発とは事件に直接関係ない第三者が行うものである。例えば「電車内で触られました!」は告訴で、「僕は見ました!」ってのは告発ってことだ。

 

この調査の「ポイント」がもし告訴の件数なら、国民が一般的に誤解してしまう「実態としての犯罪件数が減少して治安が良くなった」のではなく、「訴える人が減って、告訴件数が減少した」のが正解ではないか?

 

もっと穿(うが)った場合は、起訴件数の減少だ。検察は勝ち目のない起訴はしない。負けたら出世に影響するからだ。だから、国民の為に巨悪を失敗覚悟で起訴するのではなく、自分の出世のために、社会的に力のない庶民を起訴して、何としてでも有罪に持ち込むのだ。

 

予断だが、ライブドアと日興インベストメントが同じような事件を起こしても、ほりえもんは逮捕するが、日興の元社長は起訴も逮捕されない。まさに、法の下の平等が存在せずに、役人の恣意ですべてが判断されているというのがみえちゃんだ。

 

最近は警察に持ち込んでも事件にしてくれないという話がよくある。そういうケースは、日本にいる皆さんのほうが感じているだろう。そして庶民は警察を、恐れる存在として認識しだす。誰も何も言わなくなる。警察国家、監視国家の出来上がりだ。

 

恐れながらと持ち込んだストーカー犯罪も「おいおっさん、それは民事だよ、お宅の娘が先にちょっかいだしたんだろ」と、娘が殺されるまで何もしない警察。

 

あれれ?随分話がそれた。今日のテーマは権力の癒着ではなく、調査のからくりのはずだ。

 

また、体感治安がよくなったというが、本当にそうなのかなあ?調査に回答したのが60%で、更にその半分以下が日本は安全、またはどちらかと言えばそう思うって、、・・・おいおい、という事は、3千人の調査のうち、真面目に調査に答えて治安がいくらかでもましと感じたのは、たった827人、つまり調査全体の27%じゃんか。

 

それをもって良くなってるって、答えなかった人の意見はどう反映されるのだろう?

 

こんな調査をやる時は是非「政府の調査なんて馬鹿らしくて答えらっれません、答えたら何か変わるんですか?僕の前で邪魔をしないで下さい、ワーキングプアは、アンケートに答える時間さえ惜しいのです」という項目を作って欲しい。

 

自由回答を取れば「答えて犯罪が減るなら答えますよ。でも現実にはセコムなどの警備会社の売り上げが伸びているのはどうしてですかな?」となるのでは?

 

治安が回復したと感じるのは2.4%という事は、残りの97.6%は、やはり治安が回復したと思ってないということだよね?これは伸び率なのか、本当に2.4%の人しか思ってないのか分からん。

 

この文章ではそのまんま2.7%としか読めないが、もしかして僕のそんな調査の読み方で正しいのかどうか、こっちまで不安になる。1795人のうちの1.5%が2.4%に微増って、26人が43人、つまり3000人のうち17人が増えただけ。それで全国紙が、「日本は安全、微増」って書くのか?

 

でももし僕の読み方が間違ってなければ、日本の治安が回復したって思うのはまだまだ少ないってか、要するに治安は殆ど回復してないって体感している事でしょ。

 

むしろ自殺者が3万人を超して、将来を悲観する老人が自殺して、生活に苦しむ親が、障害を抱える子供を道連れに自殺するって言う現実は、ますます酷くなっているだけではないか。

 

そして怖いのは、今は自分は何とか生きていけても、いずれ自分が負け組みに入るのではないかという漠然とした不安だ。

 

この漠然とした不安が、ますます母親を教育ママにしてしまう。とにかく安全な政府側の一員にしよう、それが駄目でも安全な大企業に入れようと、要するに苛められる方から苛める方に子供を移す為に親がお受験活動をしているのだ。

 

あれ?またすべった。今日のテーマは調査のからくり、教育ママでも負け組みでも自殺でもない。

 

閑話休題(かんわきゅうだい)

 

このあたり、昨日も書いたが、マスコミがすっかり政府の広報機関になっている気がする。大本営発表のみをじゃんじゃん流して、何も知らない国民をだましにかかる政府と、そのお先棒を担ぐマスコミって図式は、戦前の軍部と朝日新聞幹部の癒着と全く同じである。

 

そうして戦争に負けたら、手のひらを返したように「軍部が悪い、政府が悪い」とやった朝日新聞の姿勢。まさに世の中で一番反省をしないのは、マスコミではないかという気がする。政治家もびっくりかもね。

 

無署名で記事を書き、その結果として自宅裏の山林で夫婦して首をくくった養鶏場の老夫婦など、一体誰の責任だ!

 

またも話が、それた。

 

今、庶民の生活を素直に表しているのはブログなどのインターネットではないかと思う。インターネットは、多くの人々の庶民感覚に晒されながら、その本来持つ開放性を思いっきり利用して、国民に、自分たちが信じる事実を伝えている。そこには、いろんな視点からの書き込みがある。

 

インターネットにアクセス出来る人々は、このようなさまざまな意見を聞きながら、段々自分の知的思考力を高めていき、つまり自己学習して、自分なりに正しいと思った結論に達することが出来るようになった。これは日本の豊臣体制開闢以来、初めての民衆革命であるといえる。

 

だって、400年以上にわたって刀は取り上げられ、政府から虐げられ、情報から隔絶されてきた人々が、遂に自由に情報にアクセス出来るようになったのだから!

 

ところが調査の後半では、遂にインターネット狩りが出てくる。「不安になる場所はインターネット空間」とか「インターネット犯罪が怖い」と「みんなが思っているよ、だからあなたも右に倣えでそう思いなさい」と、日本人に特有の性質をついてきてる。

 

何故なら今の政府にとって最も恐怖なのは、北朝鮮でも民主党でもない。インターネットである。

 

すべての情報がインターネットによって開放されてしまったら、そして人々がそれを教科書として学び始めたら、今の日本政府などという砂上の楼閣は、あっという間に崩壊してしまうだろう。

 

公開された情報が社会に吸収されて、それが政治の方向性にいくらかでも前進的影響を与えるとすれば、それは国民が民主主義を理解している場合のみだ。

 

ところが日本政府は、民主主義どころか国家主権を国家開闢以来、一度として国民に渡さなかった。

 

だから今、インターネットが日本全国に広がり、人々が「事実」を知るようになれば、民主主義を理解しない国民は、それを自分の責任と理解しないままに、破壊勢力として既存の政治体制を崩壊させる。

 

その結果として起こるのは、国家の停滞である。これが政府には怖い。でも、そんな人間を作ったのは、政府そのものである。天唾と言えばよいのか、皮肉な話だ。

 

英国ではクロムウェルにより、そして米国は国家誕生時より培われてきた国民主権が、何故か日本では1945年まで導入されなかった。日本にも機会はあった。いつの時代も国民と共に教育の底上げを図っていこうとする理想家がいた。

 

ところが常に、それを邪魔する権力が存在した。既得権益を守りたい連中だ。日本人を馬鹿のままで放置したい連中だ。その方が統治しやすいからだ。

 

そういう連中が、一極集中で土地不足の東京のど真ん中にでっかい空き地と石垣で作った池をど〜んと広げて、生れて一度も働いたことのない連中をお祭りの御輿に乗せて、裏で操っている。神輿(みこし)乗りの家に生れた子供の、どれほど可愛そうなことか。

 

俺はよっぽど土地もお金も圧倒的かつ決定的に、話にならないし比較にもならないくらい少ないけど、あいつより幸せだと思う。

 

だって俺には、世間に向かって「この親父さ、ばかっぽいんだよね〜」と言う可愛い子供二人と、「ね〜パパ、今日はいい子じゃん、何かあったの〜、可愛い子でも見つかった〜?はは!」なんて聞く素敵?な奥さんと、あんまり稼げないけど、打ち込める仕事もあるからね。みじんこの研究が悪いとは言わないが、おじさん、ほんとにそれを好きで選んだのかい?

 

またも話がそれた。クロムウェルの話だっけ?違う。民主主義?違う。調査のからくりです。飲んでブログを書くと、大体話がそれる。

 

あ、そうか、江戸城の話ではないな。だから政府はネット犯罪への危機意識という切り口で、インターネット狩りに出てきた。明白な情報操作だ。こんな記事を書いた記者は、恥ずかしくないのだろうか?

 

別に、彼または彼女を糾弾するつもりはない。ただ、遠くを見るように、「寂しくないかい?友達や親に、恥ずかしくないかい?」と聞きたい。

 

あ、でも、もしかしたら、記者は、本当は書きたくなかったけど、ボスから押し付けられて仕方なく書く時に、僕のような素人でも分かるように、わざと書いたのかもしれないね。

 

写真はボタニーダウンで視察をする人々。今日は快晴でした。

 

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tom_eastwind at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月20日

日曜の過ごし方 ネット君臨について その1

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最初に:今日のブログは一つなのですが、文字数制限に引っかかったので、二つに分けて書きます。

 

普段なら、日曜は平日に出来なかった会社の新企画を作ったり、実現できるかどうか分からないけど、いろんな思い付きをPCに書き込んで形にしてみたりなのだが、この日曜は買い物一件のみで、午後はずっとパソコンの前に座り込んで、久しぶりにネットサーフィンをしてみた。

 

世間のブロガーがどのような事を書いているのか、日頃は忙しくてゆっくり読み込む暇がないので、あちこちに飛び回りながら、結局8時間近くパソコンの前に座っていた。

 

その中で一番面白かったというか、最近一番感じてたことが(ほぼ)証明されたサイトを発見!それは毎日新聞が新年から企画した連載「ネット君臨」である。

 

一昨年あたりから気になっていたのだが、新聞記事の内容がおかしくなっていた。社会に対する一般的な常識さえあれば記事にならないような事を、鬼の首を取ったように記事にする。その論旨も、全く練りこまれていないから、どんどんブログで突っ込まれる。

 

つまり、世の中のことを知らないガキが、自分の知らない世界を見つける度に珍しくて記事にしているという感じだ。それが子供のブログなら良いのだが、朝日、毎日、読売と言った大新聞の記者がそれをやるから、社会問題となる。

 

たぶんこれは、子供の頃から、人との関係や距離感、礼儀などの社会常識を学ばないまま、限定されたお受験の世界でのみ棲息し、生身の人間の生活を知らないまま社会に出された子供による、皮肉な意味での社会への報復みたいなものだ。

 

例えば宮崎県知事逮捕の記事を書いたブログ

http://www.ohmynews.co.jp/MediaCriticism.aspx?news_id=000000004584

 

ここでは、記事を書く時の基本姿勢が語られている。少しでも理論的な思考が出来ればわかることだ。

 

2月5日の東国原宮崎県知事と新聞社記者団との記者会見でも、それが見事に出ている。長くなるが面白い内容だ。

 

(記者 毎日新聞)

 副知事に関して、今言われた関連ですけれども、安藤知事もそうだったんですけれども、やっぱり選挙がきっかけでそういう業者との特定のつながりというのが、当選後3年してから初めて司直の手が入る形で明らかになりました。
通常、選挙というのは、なかなか外から見えないものがあるんですよね。私も知事の選挙、外部から見させてもらいましたけれども、果たして中でどういう動きがあったのかというのは、多分候補者自身もわからない部分があると思います。
そういうことがあるからこそ、選挙で戦った、終わった方をすぐ公務員、いわゆる特別公務員として採用するのはいかがなものかという判断は、やっぱりあるとは思うんですよね。
それは人物がどうこうというよりも、そういうところは考えて、(僕は持永さんに対してどうこうじゃないんですけど、)無難な判断がよりあるのではないかなという気もするんですがね。

 あと、それと1点、副知事を1人にするか2人にするかということと(新しい副知事を誰にするかということが)、時期的にリンクがあるのか。例えばそれはずれてもいいと考えていらっしゃるのか、同時の方がふさわしいと考えていらっしゃるのか、そこをお願いします。

(知事)

 僕は同時の方がいいと思ってます。無難な人事というのはどういう人事なんでしょうか。例えば中央から官僚の方たちを招聘するとか、そういうことですか。

(記者 毎日新聞)

 それもあると思うんですが、いわゆる選挙に絡んでないということですよね。選挙に。

(知事)

 ちょっと質問の趣旨がよく理解できないんですけど、もう一度お願いします。

(記者 毎日新聞)

 ですから、選挙というのは、公職選挙法に基づいて行われるんですけれども、その中で何があったかというのは、すぐには結果としてわからないわけですよね。

(知事)

 私と持永氏や川村さんと内部的に何かつながりあったということですか。

(記者 毎日新聞)

 副知事にだれを任命されてもいいんですけれども、選挙を戦った後、すぐ終わられた方を公務員として採用されるということが普通はない判断ですからね。

(知事)

 普通はですね。

(記者 毎日新聞)

 ええ、普通はですね。

(知事)

 あなたが言う普通ってどういうことですか。

*************************

これは見事に一本だ。知事の方が新聞記者よりも会話の方法を理解している。質問に対して質問で返すという技。相手に言葉の定義をさせておいて、身動き出来なくさせる。

次も面白い。

 

(記者 西日本新聞)

 それから、先ほどもう1点の、持永氏になった場合は、しがらみをなくすことを約束させるとおっしゃってましたけれども、これイコール「しがらみ」があるということを認めていらっしゃるわけですよね、持永さんは。

(知事)

 そういう可能性がありますからね。可能性があるじゃないですか。まだ確証は得てないだけですよ。いわゆる「しがらみ」があるんじゃないかということをおっしゃられてますよね、メディアの方たちも。そして、県民の皆さんもそういう疑惑があると思うのですね。当然ありますよね。
ですから私が選ばれた。「しがらみ」のない自分が選ばれた。ですから、もしあった場合は断ち切ってくださいという御要望はする。そして約束もしていただく。

(記者 西日本新聞)

 だから、「しがらみ」がないというので知事が選ばれたわけですよ、今回。で、(「しがらみ」が)ある方を今回県庁内に入れられると。全く理解が不能なんですけど、私としては。

(知事)

 僕は、その理解が不能なことが理解不能ですね。「しがらみ」はないと言って約束してこられるわけですよ。そして、彼は、例えば持永さんの場合は、彼は宮崎県にとって必要なんですよ、人材として。「しがらみ」がないとおっしゃるんです。約束されるんですよ、県民の皆さん、114万人の皆さんに、あるいは全国1億2,000万人の皆さんの前で約束するんですよ。これは最大の担保じゃないですか。そうお考えになりませんか。
約束は破られるためにあるんですか。僕は、約束は守るためにあると思うのです。

(記者 西日本新聞)

 わかりました。

宮崎県知事の記者会見のテキストは↓

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/chiji/kaiken/H190205.html

続く

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tom_eastwind at 00:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

日曜の過ごし方 ネット君臨について その2

 

このようなやり取りを見るにつれて、やっぱり今の新聞記者(の一部)は「おばか」になっているという感じを受ける。確実に、人間としての力量が落ちている。

 

本題の「ネットの君臨」だが、自分の視点がすべて正しくて、自分の周囲の閉鎖された社会のことしか知らず、それがすべてだと思って堂々と新聞に連載!などとやるものだから、「そんな事、とっくに知ってるよ」と、世間を知っている普通の社会人から袋叩きに遭っているのだ。

 

毎日新聞の「ネット君臨」企画はこのサイトからアクセスできる。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/index.html

 

ネット君臨記事で、記者がオフィスに戻ると、3m離れた場所に座っている同僚から「さっき電話がありました」とメールが来たことを、「失われていくもの」と表現しているが、記者は一体何を失ったのだろうか?

 

当社ではMSNを利用して、すべての社員が日頃のやり取りの殆どをチャットで済ませている。必要に応じてコピー&ペースト出来るし、同時に3人が話をする事も出来る。同時に二人と会話することも出来る。これは電話だと不可能だ。

 

電話でなければ済まない用件は、勿論電話する。会議も普通にやっている。でも、いちいち会わなくても、席を立たなくても済む用件なら、パソコンの前に座って他の仕事をしながらメッセージを伝えるほうが合理的ではないか?二人同時に別々の会話出来たり、遠くに離れた3人が同時に同じ話が出来たら便利ではないか?

 

これなどまさに、記者と呼ばれる人種が、どれほど世間から隔離された社会で生きているかを端的に示す事実だ。

 

要するに、何を肉声で伝えて、何を会って話して、何を手紙で送るかの違いだ。そのような、物事の本質を理解出来ずに、大本営発表だけをぺらっと記事にして、それで記者だとふんぞり返ってハイヤーを乗り回している。

 

ネット社会の進化により失いつつあるものは、記者の過去のプライドや社会的地位だけ、ではないか。そう思ってたら、同じような書き込みがあった。

 

あざらしサラダさんのブログ

http://azarashi.exblog.jp/m2007-01-01/#4928020

 

毎日新聞などのメディア記事に対して自分のサイトで反論をしている人たち

http://www.ohmynews.co.jp/MediaCriticism.aspx?news_id=000000005082

 

結果的に一番感じるのは、新聞も商売であり広告や契約を取らねばならない、だから読者が読みたくなるような記事を書かねばならない、だから馬鹿な読者に合わせて馬鹿なねたを提供しようという経営者の考え方と、それにぴったり合うような馬鹿なことを書き、その矛盾や問題点をインターネットメディアで突っ込まれても無視するだけの根性を持っている馬鹿な記者が、結果的に新聞という媒体の死期を早めているのだろうということ。

 

22世紀になれば「100年前は紙に印刷したものを毎朝自宅に配ってたんだよ」と歴史の教師が教えて、子供たちは「え〜!うっそ!そんな馬鹿なことをやってたの!」となるだろう。

 

「ネットの君臨」を誰が企画したのか分からないが、ネットの本質を理解したければ、ウェブ進化論など、秀逸な著作がたくさんある。しっかり読み込めば、自分たちがどの方向に進むべきか理解出来るはずなのにな。まあ、受験の科目にはなかったから読まないんだろうけど。

 

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tom_eastwind at 00:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月19日

勇気そうめん

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かんかん照りの真夏の日曜のお昼は、そうめんしかないでしょって事で、いつものごとくジャパンマートに行く。

 

今日発見したのは、「黄金の大地 有機そうめん」だ。

 

創業1941年と書いてるから、めんの老舗かなと思ったが、下の部分は何故か英語でOrganic Somenと書かれている。ありゃ、海外輸出用かなと思ってよく見ると、裏側の表示が全部英語。

 

更に読み進むと、何だこれは!日本の会社「はくばく」がオーストラリアの小麦粉をオーストラリアで製粉、麺にしてオーストラリアで販売しているのだ!

 

値段も手頃な、270gで3ドル前後。早速つゆと合わせて購入、自宅に持って帰る。早速試食するが、ぜんぜん問題ない。てゆ〜か、単純においしい。全く問題ないではないか。

 

その後ウェブサイトで調べてみると、はくばくという会社は1998年にビクトリア州バララットで商社の双日と共同で工場を立ち上げ、その後販売も順調に推移して、そうめんだけでなく、うどん、そばも作っており、地元スーパーにも商品を卸しているとの事。

 

日本全体が失われた10年と言われた、誰もが後ろ向きに仕事をしていた時代に、オーストラリアの小麦粉に賭けて工場を立ち上げたってのは、同じオセアニアに住む日本人としてもうれしい限りだ。

 

そう言えばオーストラリアでは、豪酒という日本酒も作られている。先週も偶然だがオーストラリアで日本食材の卸を営んでる会社の社長とも挨拶を交わしたが、あいも変わらず元気そうで何よりだった。

 

観光客の落ち込みで旅行業界は瀕死の状態だが、地元に根付いた商売をしているメーカーやレストランは、どこも景気が良さそうだ。

 

当然の話だが、何のリスクも取らず他人のふんどしで商売して、失敗したら他人の責任、成功すれば自分の手柄、毎日同じことの繰り返しで顧客の変化についていけてない、ましてや顧客に直接目を向けて仕事をする事も出来ない業界は、瀕死になっても自業自得だろう。

 

どんな時でも自分の判断に自信を持ち、勇気を持って前進する、そういう気持ちでなければ、生き残ることが出来ない時代になったな。

 

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2007年02月18日

土曜のドライブ

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今日はあんまり天気が良くて、買い物がてらドライブを一時間ほど楽しんだ。

 

いや〜、この空の青さ、なんと表現すれば良いのか。

 

天辺はどこまでも突き抜けるように青く、ところどころに軽〜く浮かぶ雲の輪郭を、見事なまでに浮き出している。その空が地平線に近づくに連れて、だんだん薄くなる。青から水色のグラデュエーションが実に見事である。

 

地平線と水平線が複雑に絡まって作り上げられる地上図は、空の青さ、街を覆い包む緑の木々、彼方に見える島々と相まって、思わず見とれてしまうほどの美しさだ。

 

こんな日が続くと、誰も仕事したくないよね、本当にそんな気持ちになる。

 

さて、今日の買い物。

 

ノースショアにあるノースコートショッピングセンターと呼ばれる、大小いろんな店が集まったショッピングモールに行った。銀鐘、太平、酒屋、ウールワースと、モール内の4軒の店を回って食材の購入。

 

1ドル=87円で計算してみると、今のNZの食料相場が分かる。

 

・サンレモスパゲッティ 500g  2ドル7セント  (袋入りの乾麺です)

・卵6個   5ドル34セント  

(レンジフリー、これは電子レンジではなく、網に入ってないという意味)

・芋700g  3ドル99セント

・搾り立て100%アラノオレンジジュース 4ドル33セント 

(一切防腐剤なしの新鮮な味!)

・もやし一袋  99セント

・キャベツ半玉  1ドル32セント

・ジョニーウォーカー黒ラベル1本 72ドル

・豚ばら肉600g  6ドル55セント      

・鶏手羽肉 500g  1ドル82セント

 

よくお客様から言われるのが、思ったより物価が高いという指摘だ。そりゃそうだろう、テレビなどでニュージーランドを紹介する時は、珍しいものや安いものだけを取り出して「あるある取材」をするからだ。

 

でも実際のニュージーランドは、もう決して物価の安い国ではない。5年前は1ドルが40円で、住宅も今の三分の二程度の価格だったから安いと言えた。

 

しかし、すでに1ドルが90円近くなり、住宅は30%以上値上がりし、最低時給も50%近く上がっているのだから、安いわけがない。

 

もっと言えば、今の為替レートで計算して、オークランドのシティで働くビジネスマンの平均賃金から平均消費額を引いたら、その可処分所得は確実に日本の丸の内で働くビジネスマンよりも多いだろう。

 

何故なら多くのキーウィは親から無税で家をもらってるので家賃が不要(相続税が実質無税=そらそうだ、すでに親が一度税金を払った後の金に再度課税するのは憲法違反)だし、教育や医療、失業、老後の為の貯金が不要(つまり社会福祉が徹底している=セーフティネットの整備)だから、入ってくるお金がそのまま使える。

 

だから消費が盛んで、住宅、車、家電製品、食事などにお金が向いている。

 

スカイタワー近景明日が幸せと分かっているからNZで消費が盛んになるのは、逆に言えば日本は、明日が不安だからお金を使えないし、将来のために貯金をするから、結局使えるお金がないということになる。

 

オークランドで消費が盛んになると、当然それに連動して景気が良くなり賃金が上がる。賃金を上げないと働いてくれないからだ。だからコーヒーの値段も原価の上昇に合わせて上がる。

 

それでもコーヒーを買う人がいる。

 

その結果、日本では不安が山積みなので物を買わないからますます安くなり、オークランドでは不安がないので物を買うからますます物価が高くなる。こうして最終的には国境を越えて商品や労働力の価値の平準化が進むのだ。

 

だから、NZの物価が安いからと言う理由で移住をするというのは、最近ではもう現実的ではなくなった。

 

それよりも、相続税がなくて、何世代にわたって一生懸命働けば、そのお金がきちんと子孫に残せる法律、ストレスなく、楽しくいつまでも働ける、仕事よりも家庭を優先出来る、きちんと年休が4週間取れて、残業もない、セーフティネットが徹底的に行き届いているから生活の不安がない、そしてどこまでも青い空という素晴らしい自然、そういった生活要素を望む人が移住すべきだろう。

 

但し、無垢な日本人感覚で移住してきても、これは現実的ではない。何故ならそこには、すでに全く違う文化や習慣を持った原住民(キーウィ、マオリ、アイランダー、中国人、韓国人)がいるからだ。

 

ノースコートショッピングセンターの銀鐘市場(食料品市場)は大陸中国人の客が多い。彼らは大陸の習慣をそのまま持ち込むので、譲り合いとか優しさなどは全く理解出来ない。とにかく人を押しのけて大声を出して、乱暴に振る舞い、人目を憚らない、実に薄汚い格好でも平気で出来る。冷凍庫の引き戸を開けたまま他に行くし、野菜は一回一回指でぎゅ〜っと押して、そのまま放置。

 

そういう彼らも、国際化の波の中で海外生活を選択した。そのような人種と、対等に向かい合って、それでも彼らの存在を気にせずに生きていける強さも、移住する日本人には必要だ。

 

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tom_eastwind at 00:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月17日

Tuariki Delamere

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昨日少し書いたが、デレメア元移民大臣が汚職により逮捕されて、現在公判中である。

 

陪審員がついて、短期間で結審する予定らしい。

 

汚職の内容は、中国人を違法にニュージーランドに移住させるために、投資家ビザを悪用したという事だ。

 

ニュージーランドでこんな大胆な汚職、というか法の網をついた手口は珍しい。これは汚職というよりも、法の穴をついたビジネスである。

 

そして、僕もその一人である移住の仕事を手がける人間としては、大臣たるものが、こんな素人っぽいテクに、本人が絡んでいたってのが、ダブルびっくり。

 

手口はいたって簡単だ。デレメアが移民大臣だった当時、投資家ビザは100万ドルの金を見せれば取得できた。そこで彼はまず中国の金持ちを仲間に引き入れて100万ドルの資金を用意させた。

 

次に、中国からNZに移住したい人に対して、この100万ドルを貸し付ける。投資家ビザを申請している間だけ貸すので、実際には一ヶ月もかからない。そしてビザが取得出来たら金を回収して、次の「候補者」に貸し付けるのだ。

 

彼らはお金を短期間貸すだけで金利を得ることが出来る。100万ドルが一年間に何回も回って金利を生むという手法だ。

 

この手法は、当時の法律上は取り締まりようのない、網の目をくぐった裏道である。しかしNZでは性善説の法律で、ざるのように穴が開いてるが、それを潜り抜けようとすると、つまり法の精神を破ろうとすると、その取締りは厳しい。

 

このあたり、日本とは全く考え方が違う。日本では、法律さえ守っていれば取り締まりは難しい。でもNZでは、法の精神を冒したという点のみで起訴出来るのだ。もちろん法律上の問題はもうちょっと複雑だが、簡単に言えばNZでは、法の精神を守らないと、法の条項を守っても罰せられる可能性があるということだ。

 

そんな事、この国に生まれ育って大臣までやったんだから、わかってるだろうにね。

 

彼がこんなことをやった為に法改正が行われ、今では投資家ビザの出資額は200万ドルに引き上げられ、更にそのお金は政府の公共事業に投資せねばならず、5年間は引き出しが出来ないという決まりになった。

 

しかし、だ。100万ドルあれば、そんな事をしなくても普通に不動産投資やビジネスで十分に儲けられる。例えば100万ドルの金がない中国人が、100万ドルを一時的に借りるために、一体いくらの金利を払うだろうか?

 

まさか10万ドルを払うわけがない。それなら、普通に他の投資家を見つけて年利5%くらいで借りる。だからこの大臣が考えたビジネスは、利益率が悪いのだ。

 

この移民大臣がなぜこんなテクを思いついたのか、どうも分からん。自分が手を染めなくても、この程度の事なら、もっと簡単に、自分の手を汚さずに出来る。

 

第一、大臣がやらなくても中国人の投資家が自分で思いついて実行出来るような、簡単な手口だ。

 

現在のところ新聞記事によると、首謀者は大臣で、中国人投資家は、共犯という事になっている。最終的にどのような判決が陪審員によって決まるのか、今の時点では分からない。

 

僕の仕事は常に法律と関連しながら動いている。法律の精神を常に見据えながら、弁護士や税理士と相談していろんなプランを作る。だから、どうもこの事件のあまりの単純さが理解出来ないのだ。

 

誰がこの大臣にこんなテク教えたんだ?僕なら、もっと法律の精神に則って合法的にビジネスとして成立させてやる自信がある。

 

いずれにしてもこの大臣、どのような結果になるか、これから見ていきたい。

 

興味のある方向けに、地元紙に掲載された記事をそのまま転載する。法律上では著作権違反になるだろうが、個人のブログに、地元紙のネタもとを記した上で書けば、宣伝にもなるだろう。法律の条項上では違法だが、法の精神ではOKだと思う。

 

写真は、またも僕のデスクから見た景色の一枚。壊れかかった、というより風格のある建物を写している。先日は、この建物に住む真っ裸のアジア人男性が洗濯物を干していた。うえ〜、カーテンつけて、下着くらい身に着けろよって。

 

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Tuariki

Former immigration minister Tuariki John Delamere set out to deceive the very department he had been in charge of, with an elaborate plan of fraud, the High Court in Auckland was told today.

Crown prosecutor Simon Moore told a jury the former New Zealand First MP used his knowledge of immigration laws, many of which he had written himself, to help Chinese migrants beat the system.

Delamere faces 20 charges, including nine counts of using forged documents, seven counts of using a document with intent to defraud and four counts of using a document dishonestly.

Through his immigration consultancy company -- Tuariki Delamere and Associates (TDA) -- Delamere used a scheme designed to make Chinese migrants look eligible to immigration officials when they were not, Mr Moore said.

The charges were brought by the Serious Fraud Office (SFO) which alleged Delamere falsely told the Immigration Service that seven clients had each invested $1 million of their own money with a New Zealand company -- qualifying them for residency under the business migration category.

The SFO alleged Delamere's Chinese business partner Yan Jiang contributed the $1 million to New Zealand Golden Harvest, a company the pair had jointly set up and the money was used seven times for seven different applications.

Mr Moore described the scheme as a "money-go-round" involving the bank account of Hong Kong company Harvest International.

Mr Jiang was a "puppet" undertaking some tasks but under the direction of Mr Delamere, Mr Moore said.

The charges range from October 2001 to March 2004.

Mr Moore said as a minister Delamere had been the architect of the same framework which he used to deceive immigration officials with.

"This is an important case because the man is a former minister of the Crown."

Mr Moore said the Crown rejected Mr Delamere's defence that he was "exploiting a loophole".

"Look at what he did and did not do," he told the jury of eight women and four men.

Delamere entered politics in the 1996 elections, when he successfully stood as a candidate for the New Zealand First party in the Te Tai Rawhiti electorate and was appointed to Cabinet as part of New Zealand First's coalition deal with the National Party.

Among the roles he held was Minister of Immigration

The trial has been set down for four weeks and the Crown is expected to call 22 witnesses.

- NZPA

 

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tom_eastwind at 00:47|PermalinkComments(0) NZニュース 

2007年02月16日

アジア移民の意識調査

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いつも参考にしている、てゆ〜か、半分は記事、半分は掲示板の書き込みを読みながら、ニュージーランドで生活している日本人の「生の声」を参考にしているウェブサイトがNZdaisukiである。

 

ご存知の方も多いウェブサイトだと思うが、そこに掲載された最近の記事である。

 

ちょっと長いけど、NZdaisukiより全文を引用する。

 

技能移民の90%がニュージーランドでの生活に満足

 

 労働局が行った調査によると90%の技能移民(skilled migrants)はニュージーランドでの生活に「満足」または「とても満足」している。しかし、アジア人は、他のエスニックにくらべてニュージーランドの生活を厳しいと考えているようだ。この調査はニュージーランドでの生活、1年目を迎えた60カ国からの技能移民を対象に行われた。

 この調査で、技能移民の全体の94%は職についているものの、アジア人に関しては84%だった。また、年間所得が5万ドル以上あると回答した人々は全体の34%だったが、技能移民数の最も多いアジア人はたった19%だった。この数字は、英国とアイルランドからの移民65%、北南米、ヨーロッパ、南アフリカからの移民の52%が、年間所得5万ドル以上と回答した数字に比べるとかなり低いものとなった。

 また、回答者の18%は雇用主がニュージーランドでの職務経験を重視して人々を採用している事を理由に、ニュージーランド生活をネガティブに感じている。また、その他のネガティブ要素として、ニュージーランドと母国の距離が遠い事46%、税金のシステムと税率44%、43%は医療費を理由に挙げている。
 また、ニュージーランドの好きなところとして、気候と自然の美しさ97%、フレンドリーな人々、ゆったりとした生活78%、安全性55%などが理由として挙げられた。

 また、ニュージーランドにどのくらいの期間滞在するかという質問に対し、5年以上と回答した移民は、ニュージーランドに入国した直後は60%だったが、移住1年後には71%と上昇している。
*
****************

 

ニュージーランドへの移民で一番多いのは、実は英国圏だ。彼らは言葉も習慣も不便がないから、到着したその日からキーウィとなじんで仕事が出来る。だからキーウィ並みの賃金を速攻で得ることが出来る。

 

では、アジア圏の給料が安いのは何故か?ここでアジアと言うとき、日本人はまず省いて欲しい。というのも、日本人の移民は5万人の中の1千人、たった2%程度なので殆ど統計に影響を与えないからだ。

 

その中で最も統計に影響を与える中国人の場合をとってみよう。

 

中国人というエスニックでくくる場合、そこには大陸中国人、台湾人、香港人が入る。

 

大陸中国人の永住権申請の場合は、最近の移民大臣の裁判もあるように、かなりの確率で嘘の申請が多い。だからNZにやってきても英語が出来ないし、キーウィ社会での業務処理能力もないから、工事現場とかレストランの皿洗いとなるので、こりゃ5万ドルはいかない。たぶん2万ドル前後だろう。

 

外国で生き残る才覚や能力のない大陸移住者は、数少ない中国人が働く職場の奪い合いになる。

 

でも彼らは大家族、つまり三世代+親戚で住むので家賃が一人頭になると非常に安く、おそらく一人当たりの家賃負担は一週間で50ドル以下だろう。だから給料が一人5万ドル以下でも十分にやっていける。

 

昔の日本もそうだったんだけどね。三世代で一緒に住めば、家賃も安いし食費も頭割りにすれば安い。核家族化が、一家庭あたりの生活原価を高くしたんだよね。まあその方が消費が増えるから、政府としては大満足だ。九州の福岡でも田舎の久留米あたりに行けば、今でも3世代揃った大家族が普通だ。

 

だから必然的に労働者は、自分の賃金を安くオファーして、英語の必要とされない仕事で低賃金で働く。それでも、彼らの本国=中国で働くより、よほどましだ。何せ自由だし、個人の権利が守られているからね。中国マーケットの銀鐘とか太平とかに行くと、英語全く出来ないおっちゃんが、豚肉をばさばさと切ってる、あれだ。

 

次に台湾人と香港人だが、彼らの場合は、NZの低賃金では、馬鹿らしくて働かない。労働の内容が単純で、それがちゃんと報酬に反映されないから、彼らは永住権取得後、妻と子供をNZに残して台湾や香港に働きに帰る。

 

または北京や上海、深川あたりに出張して、荒稼ぎして、その金をNZにいる、失業保険をもらって豪邸に住んでる家族に送金する。このへん、実態はすでにキーウィも知っているから、移住者への失業保険の制度見直しを求めている。

 

だからアジア系移民の賃金が5万ドル以下なのは、ある意味当然であろう。また、就職出来るけど、馬鹿らしくしないってのが失業率に現れてもいる。

 

それから、「ニュージーランドが思ったより生活が厳しい」とは、思ったように稼げないという意味であり、一生懸命働いてもお金にならないという意味ではない。

 

その代わり、住みやすいとか自然が良いとかはしっかり理解しているので、この国に長く住みたいということになるのだ。

 

だから、この調査結果を表面だけで受け取るのではなく、その裏を読取ることが大事だ。

 

でもって日本人の場合はどうかと言うと。日本の大企業の一般職に勤務している、何の特別な資格もない人の場合。

 

移住後、何らかの仕事さえ見つかれば、初年度の年収は、約2万ドルの年収から19.5%の税金を差し引いて、手元に残るのは16千ドル。夫婦二人で働けば32千ドル。この計算根拠は、最低賃金である10.25ドルx2千年間労働時間(18時間x5日x50週、なぜなら年休があるから)=で計算すると、大体見えてくる。

 

今年4月から新たな最低賃金が導入されて、8%以上の上昇で11ドル以上になるので、上記より更に増えることになる。

 

夫婦二人でフラットを他人とシェアして、家賃が一週間150ドルだ。これに食費、電話代など合わせて100ドルなので、週250ドル、月で1千ドルだ。これはかなり切り詰めた数字。電話は使わない、コーヒーは自宅のみ、タクシーなんてもってのほか、日本への里帰りなんて、あり得ない。

 

だから、切り詰めた生活をすれば生活費が年間12千ドルなので、2万ドル=約180万円は貯金できる。

 

もちろん、子供がいれば生活費はもっとかかる。人数にもよるが、一ヶ月の生活費が1500ドルくらいは考えておいたほうがよいだろう。それに奥さんが仕事出来なくなるので、これはかなりきつい生活になる。

 

但し実際にはそんな風に最初の数年を我慢して生活できる人は少ない。人間って、収入が減っても支出を削る事が出来ないのが普通だから。

 

だから、NZdaisukiでは、いつも「旦那の給料が安い!」とか「生活費が高い!」とかの不満が出てる。

 

年収5万ドルにたどり着こうと思ったら、どれくらい働けば良いのか?これも本人の技術次第だが、IT関連の技術者なら、きちんとしたキーウィ系の会社に仕事が取れれば、初任給がアシスタントクラスでも4万ドルはいくだろう。それから1年くらい働けば、5万ドルも見えてくる。

 

旅行会社系はきついな。元々不況産業だし、他社と比較して特別な商品を持っていない会社が殆どなので、勤務暦10年のマネージャークラスで、スタッフ5名くらい抱えてる人でも4万ドル+会社支給の駐車場程度。

 

お土産やは伝統的に給料が良い。営業マネージャーで5万ドルくらいはもらっている。でも、旅行客が減ると、すぐに首を切られるから、長期で考えるのはつらい。

 

レストランでヘッドシェフをやれば、4万ドル以上はいける。キーウィ系の高級レストランなら、6万ドルくらいはいける。でも、ヘッドの数は決まっているので、セカンドをしながら席が空くのを待つしかない。セカンドの場合だと3〜4万ドルだ。

 

将来的にサラリーマンで安定して働こうと思ったら、今ならオーストラリアの永住権を取ることだろう。NZの永住権を取得して5年経てば、市民権が取得出来る。そうすればオーストラリアに渡って働くことが出来るので、大体の産業で5万ドル以上は取れる。

 

でも、その前提は、5年先もオーストラリアが景気良いって事。

 

じゃあNZで、5万ドル以上の年収を得て、安定した生活を送る為にはどうするかってなると、今の平均的な日本人の場合、やはり預金を持ってくるのと住宅投資だろう。

 

移住を考えるくらいだから、ある程度の資金はあるはずだ。ならば、その資金を銀行預金にする。1,000万円持ってくれば約12万ドル、金利は8400ドルだ。金がなければ、親に投資してもらい、それを銀行預金にして、親に2%利回りを渡し、自分が5%取れば良い。

 

これで6千ドルの年間収入になる。親の名義で預金すれば、非居住者枠が使えるから税金は2%で済む。両方の親から1000万円づつ投資してもらえば、両方の金利で年収が12千ドルになる。かなり生活の足しになる。

 

親がお金を持ってない!と言うこともあるだろう。その場合は親戚か?現在60歳台の夫婦の平均貯蓄額は1500万円近くあるから、かわいい子供のために投資してもらう。

 

いずれにしても日本で銀行に置いておくより余程利回りは良いのだ。

 

もっとお金があるなら、いっその事住宅を購入してもらう。円建てローンと言う商品があり、日本で一定の収入があれば誰でも投資用の住宅をNZで購入できる。

 

まずは親の名義で住宅を購入する。例えば50万ドルの家なら25万ドル程度の現金を用意する。そして残り半額を円建てローンにする。

 

円建てローンの場合、現在の金利は3%である。親の負担は1年で7500ドル。この金利を毎月親に支払えば、親は海外資産を持つことが出来るし、子供は安い金利で自宅に住める。フラットメイトを入れれば、費用は更に安くなる。

 

このように、独立をしなくても、安月給のサラリーマンでも、日本にある資産を利用すれば、生活のベースを構築することは出来る。

 

日本人は、韓国人や中国人のような独立心の強い人たちとは違う。安定した運用と言う視点から見れば、銀行預金や住宅投資の方が、日本人には向いていると思う。

 

写真は、オフィスから見える市内の高級マンション、メトロポリスホテルである。景色は素晴らしいけど、ワンルームマンションでも30万ドルくらいする、高級物件だ。

 

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tom_eastwind at 12:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZニュース 

2007年02月15日

オフィスの風景

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20002月にこのオフィスに引っ越してきた。それまではスタンフォードプラザホテルの一角に、HISと同居してサポートセンターを運営していた。

 

当時のHISの経営権は、何故か澤田さん(HIS元会長?)ではなくハキム家と言うオーストラリア人によって運営されていた。聞けば、最初に新宿のHISを立ち上げた時に、ハキム家の一人が参画していて、その時以来の付き合いらしい。

 

でもって、彼らがHISニュージーランドを設立する際に、主な目標である日本人の若者を取り入れたいと考えた。

 

ちょうどその頃、若者向けに無料情報センターを運営しようとする当社の企画と彼らのアイデアが一致して、共同してスタンフォードホテルのテナントとして入居したのだ。

 

その後この企画は当たり、お互いに床が抜けるのではないかと思うくらい人が来た。ただ、人が増えすぎて、一年もする頃には、ついに当時のスペースでは入りきれなくなり、当社が現在のクイーンストリートに引越しをする事になった。

 

当時のオフィススペースからすれば、一気に4倍の拡大である。これで本当にお客さん、来るのかな〜と正直不安もあった。140sm=43坪程度の広さに、当初は僕の机を角っこに置き、入り口に当社で一番長く働いているスタッフがちょこんと、ちょいと不安そうに座ってたものだ。

 

それから幸運なことにお客様は増え、一時期はビル内のテナントから「エレベーターが七階(当社オフィス階)に止まりすぎる!」とクレームがついたほどだ。

 

確かに一番込み合う午後3時頃から4時過ぎまでは、この広さ一杯にお客が押しかけてきて、それはそれで大変だった。

 

その後僕の働くスペースは、七階から同じビルの四階、そして近くのビルの十四階と変遷して、去年から七階の、でも違うスペースに移動した。

 

そして今週から、ついに7年前の場所と全く同じ場所に戻った。

 

いや〜、長旅でした。戻って見ると、街の景色が随分と見違えるようになったのに気づかされる。道路幅などは変わっていないのだが、建物が増えて街が明るくなり、道路を走る車が綺麗になり、人々の顔が明るくなり、それが町全体を明るく見せている。

 

7年は、人の顔も街の顔も変えるのに十分な時間だ。

 

最初の写真は、クイーンストリート側の写真。右側に写っているのは、whitcoullという本屋の上にある、ヘリテージアパート。要するに古すぎて取り壊しの出来ないアパートだ。2000年当時は何もない、がらんどうの建物だったが、誰か知らんが開発して、現在はお洒落なアパートになっている。

 

街のど真ん中にあることも幸いして家賃は高い。一部屋330ドル程度ってのは、こりゃかなり高級な部類にあたるが、それでも満室のようだ。この場所は、感覚的に言えば東京駅前の丸ビルの上にあるペントハウスとか、新宿伊勢丹の屋上にあるマンションくらいだろう。

 

但し造りは本当に古いので、これを喜ぶかどうかの評価は、個人によって分かれる。ヨーロピアンには、一般的に好まれる造りだろう。

 オフィスからビクトリアストリート

もう一枚の写真は、ビクトリアストリート沿いに、正面左手に見えるのがスカイタワー。僕のオフィスはクイーンストリートとビクトリアストリートの交差点の角部屋にあるので、両方の景色が楽しめる。

 

これからこの場所で、7年ぶりに仕事を始める。「流れる水は絶えず、しかも元の水にあらず」。流されずに、この場所でちょいとがんがってみよっと。

 

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tom_eastwind at 00:02|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月14日

お客様は全国

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僕らの仕事は、日本全体に薄く広く営業をかけるので、お客様が全国から集まる。

それこそ北は北海道から南は沖縄までとなるが、実際には東北のお客はおらず、沖縄のお客もいない。ついで言うと、四国中国地方もいない。

お客様の中心は、やはり情報が一番たくさん集まり、危機感の高い東京および関東圏である。関東圏と言っても西側、神奈川から静岡だ。

何故か「北」は、あまり「引き」がないな。

名古屋、京都、大阪、福岡とお客様が広がっているので、東海道新幹線と山陽新幹線の乗り継ぎでちょうど都合が良い。

業種として、最近目立つのはお医者様からの問い合わせと、IT関連の問い合わせ。この二つの業種は、ストレスが多いのか、情報がたくさん入るのか、いずれにしても、よく連絡を頂く。

彼らの場合は、手に職があるのでやりやすい。世界中どこでも同じ技術を使えるのだ。医者の場合、まさかキーウィは胃袋が2個あるわけではないし、手が3本あるわけではない。流れている血液も同じだから、日本で学んだことがそのまま使える。

ITも、英語よりコンピュータ言語がいくつ使えるかの方が大事だし、大体彼らはキーボードを通じて他人と交信するので、英語の必要性が低いと言える。

一番始末に終えないのは金融関連からの問い合わせ。優秀な彼らは、世界中どこにいても自分の実力が通用すると信じ込んで、とても高いプライドで話しかけてくる。

実際には、日本の特定の銀行のみで通用するルールを一生懸命覚えて、先輩には訳も分からず頭を下げて、後輩の頭を無意味にぶったたくという、戦前の日本のような事をやっているから、海外に出ても殆ど使い物にならないのだ。

彼らの殆どは投資理論も理屈もないし、たまに理屈が分かった人間がいても、所詮は意味のない机上の空論を語るのみだ。現実の金融を知らない。

大体ママチャリで金持ちの家を集金に回るようなことをしていて、世界の投資銀行の発想についてこれるわけがない。

田舎で成功している起業家は、これは筋が良い。素直に話を聞くのだ。だって彼らは、自分がとんでもない事を地元でやってるから、世の中にはいろんな可能性がある事を知っている。だから素直だ。

性質が悪いのは、金持ちの二代目。自分で何かをするという経験がないし、打たれ弱い。見掛け格好良いのだが、いざ何かあると、腰が砕けてします。

業種によっても違うけど、地域によってもお客様の反応は違う。

東京はよく言えば理知的、悪く言えばリスクを取らない。だから、一足す一は二にしかならない。でもそんな事言ってたら移住なんて出来ないよ。

名古屋は、あんまりよく分からなくても、とりあえず勢いで来るって感じ。だから良い面を説明すると「よっしゃ!」とばかりに財布を開く。ところが悪い面を説明すると「なんじゃそりゃ、やってられるか!」と席を立つ。だから説明の方法が難しい。

大阪は、こちらの言う事を聞いているようで、最後には何故か違う方向に進む。う〜む、彼らの言葉を素直に信じるのは、止めた方が良いのかと思ったりする。

福岡は、最初は景気の良い話をするが、突っ込んで聞いてみると、旦那が大体腰砕けになって、最後には「いや、そんなつもりはなかった・・・」なんてなる。福岡では奥さんがその気にならないと移住は成功しないようだ。

今日は一日、弁護士と銀行とをぐるぐる回っていた。全部で5億円の取引なので、やはり慎重の上にも慎重を重ねる必要がある。頭の中で英語が飛び交って、吐き気がするくらいだ。

日本に住んでいる人って、生活の90%以上は、同じ地域の人との会話や取引だろうから、会話も腹の読みあいも苦労はないと思う。それこそ「言わなくても分かる」世界だ。

でも僕らの場合、同じ日本人と言えども気心が違うから、どこまで話してよいのか突っ込んでよいのか、なかなか読めない。最初の面談では、実に気を使う。

結果的にいえるのは、地域格差よりも個人格差が大きいということ。そして、自分の目で判断出来る、そして一旦相手を信用したら全部任せるという気持ちを持つ人間が、移住に成功するんだろうなと言うこと。

日本って広いなと思った今日この頃なのだ。

写真は、当社の1階にあるスターバックスのパンです。おいしいけど、でかい。僕はN's Cafeの可愛いちっちゃなパンの方が好きだな。

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tom_eastwind at 00:30|PermalinkComments(53) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年02月13日

オレンジラフィー

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オレンジラフィー

 

日曜の午後、買い物に出た。ちょいと仕事があり一件お客様の自宅を訪問した後に、ジャパンマートでクリームシチューの素とバーゲンのカップ麺(会社の昼食用)を購入。ちなみにどんべえそばで一個3ドル。普段は5ドル50セントなので、安い。

 

次に近くのキーストリート沿いのフードタウンで鳥腿肉と牛乳を買う。鳥の骨がなかったので、ニューワールドに寄って、骨と牛乳を買う。ついでにアスパラガス。

 

はい、これだけ揃えば今晩の料理の内容は、そのまんまクリームシチューですな。

 

去年から自分でスーパーを回るようになって、段々食料品の値段が分かるようになった。今頃になってそんなことを言うか、お前は柳沢以下!と言われそうだが、世の中の殆どの日本人男性は、食料品の値段などあまり知らないのではないだろうか。

 

さてその食料品。我が家ではアジア系という事もあり、当然お魚もdaisukiです。特にオレンジラフィーという白身魚は、淡白であっさりとしていながら、歯切れがよくしっとりとしていて、おいしい。

 

唯一の欠点、と言うか我が家にとって痛いのは、この魚は最高級の牛肉より単価が高いと言うことだ。

 

鶏肉1kgが19.95セント。安い牛肉ランプステーキなら16ドルで買える。ところがオレンジラフィーは、1kgが36.95セント!

 

鶏肉の1.5倍、安い牛肉の2倍以上!最高級牛肉のアイフィレットでも30ドルくらいなので、このお魚さん、とてつもなく高いと言うことがお分かりかと思う。

 

元々深海魚で、最近の漁業の進化により入手出来るようになったが、米国への輸出もしているそうで、高値の魚だ。

 

高いと言えばジャパンマートの即席めんも、結構高い。出前一丁やうまかっちゃん一袋が2ドル50セント、中華三昧に至っては5ドルくらいする。エースコックのカップめん「博多で見つけた背脂とんこつラーメン」などは、なんと7ドル80セント!もう立派なお昼ご飯だ。

 

確かに美味しいので、ずっと食べてなかったので、ついつい買ってしまったが、それにしても日本の金額に直すと700円だよ!お店のラーメンより高いし〜。

 

日本からの輸送費がかかっているし、何よりも賞味期限の問題が大きいのだろう。この前など、ラーメンの賞味期限が製造してから3ヶ月になってるのは、唖然とした。

 

だってラーメンなんて保存食だし、1年置いておける食い物だ。実際に香港で作っている出前一丁は賞味期限が1年だ。ところがそのスープは日本のものをそのまま持って来ている。おいおい、食料の期限は、国が違ったら腐り方が変わるのか?日本の食い物ってのは、それほど簡単に腐るんか?食べ物を大事にしない国だなと思ったものだ。

 

まあそれは置いておくとしても、小売店からしても、日本から船便で送ってきて店頭に並べるまですでに一ヶ月はかかる。製造されてばかりのものを買っても、店頭に並ぶまで一ヶ月以上かかったら、販売可能期間は二ヶ月を切ってしまう。仕入れ値がいくらか分からないが、どう見ても生物なみの利益率にしないと、やっていけないだろう。

 

ところが同じような味でいながら、韓国や中国で作られたカップ麺は、賞味期限が一年であり、出前一丁は99セントで売られている。そりゃ勝負にならんな。何だか日本の場合、即席めんの本家でありながら、海外では自己規制で縛られて、自ら市場を縮小させているような気がする。

 

要するに現場の努力があっても、元のところ、政府の規制とか無意味な手続きとかが結果的に日本製を世界の負け商品に追い込んでいるのではないかと思う。でもって日本のメーカーにいる連中は世界を馬鹿にしているから、「ふん、味の分からんやつが何言うか」みたいにふんぞり返っているのではないかと感じる。

 

まあいいや、今日の目的は日本の食料品が異常に高いし、結果的に自縄自縛(じじょうじばく)であるなんて事を語るのではない。オレンジラフィーの値段だ。

 

てゆ〜か、それでも売れてるオレンジラフィー。すごいな。最近のニュージーランドは、昨日も書いたが、景気が良い。だから人々が健康に関心を持ち始めて、そこにお金を使う余裕が出てきている。その為、お金持ちの白人女性を中心に白身魚への興味が出て来ているのだ。

 

最近の日本のTVでも、マグロの漁獲量問題が取り上げられていた。中国、欧州などで魚を食う習慣が出てきて、今までは日本に回っていたお魚さんも、これからはそうはいかないぞって感じになってきた。

 

あ、そうだ、日本では今もグラム表示だろうから、NZの肉や魚の値段をみる時は、キログラム表示になっているので注意して欲しい。

 

とにかく世の中に無駄なもの、てゆ〜か、高級品や、なくても良いものが出回るようになったら、それは景気が良くなったという事だ。

 

オレンジラフィーも、牛肉より高級なのに、市場には3日のうち2日くらいしか出回らない。「今朝は獲れなかったのよね〜」とか言ってるけど、米国向けの市場に出したら、地元に回ってこなくなただけじゃないのかなと、思わず勘ぐりたくなる。

 

最近のFairGoでは、あ、FairGoってのは地元製作の人気テレビ番組で、悪徳商法をやってる商人の店に、テレビ局のレポーターが飛び込んで暴露するって筋書きだけど、この番組で取り上げてるのが、エステ詐欺みたいなねただった。

 

番組では、綺麗になりますよって宣伝しておきながら綺麗にならないエステを取り上げて、どないなっとるんじゃ〜!みたいな事をやってたけど、僕からすれば、「あのキーウィ」が、道を裸足で歩き、風呂には入らず、出っ張った腹にまくりあがったTシャツを乱雑に着て、そこにピアスを打って恥ずかしくもなく道を歩くような、あのキーウィが、え、えすて〜!って感じで、そっちの方がよほどびっくりである。

 

そういえばスーパーの商品も、最近はどんどん綺麗になっている。昔のように「持ってけ〜」みたいな、床からの積み上げじゃなくて、きちんとレイアウトを考えて飾っている。

 

ニューワールドでは、レジ待ちのお客用に、壁の上に大型テレビを置いている。食料品を購入する層も、何となく小奇麗な服を着ている。キーウィの国だけに、一人でカートを押している(要するに僕だ)中年男性もたくさんいる。

 

男性はまず興味深げなものを手に取り眺める。女性はまず値札を眺める。男性は面白そうだったら、カートに放り込む。女性は、値札を眺めてちょいと上のほうを見る。目が泳いでる。さっき行ったスーパーではいくらだったかを思い出そうとしているのだろう。

 

いずれにしても、夏の青空の広がる日曜の午後。のんびりとスーパーを3軒回ってみて、街の景気を肌で感じた。

 

最後に付け加えておくと、NZdaisukiという掲示板では、移住したてなのか結婚したてなのか分からないが、主婦の書き込みが多い。曰く、貯金が出来ないとか生活費が高いとか、子供の自転車も買えないとか。皆さん、今のキーウィだって、生れた時から金持ちではなかったのですよ。

 

イギリスや東欧から移住した彼らの先祖は、昼間は雨水を溜めて、夜は山で拾った木で火を熾して、自分で山から木を切り出してログハウスを建てて、長い時間をかけて現在の生活を構築しているのです。つい20年前までは、中華料理の味さえ知らず、ましてや魚を食べるなんて想像もつかなかった彼らなのです。

 

来たばかりでいきなり周囲のキーウィと生活を比べても、そりゃどうでしょうか。大変とは思いますが、それが移住です。最初の2年は、とにかく頑張って節約して下さい。

 

大丈夫、この国では飢え死にとかストレスとか失業による自殺とか、そんな事だけはありませんから。夢さえあれば、今のどんな生活でもやっていけます。

 

写真は、山水で使っているオレンジラフィーのワイン蒸しです。

 

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tom_eastwind at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年02月12日

家族信託会社

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今朝のSundayHerald新聞で、「ますます金持ちになるお金持ち」と言う記事がトップニュースで掲載されていた。

 

高級車や郊外の大きな家なんてのは当たり前、今は本人が大型クルーザーを乗り回して遊びまわって、「金に働かせて」いるお金持ち特集だ。

 

この国はもともとは実質社会主義国で、植民地開始以来、ジョージグレイ第三代総督の元で労働者の天国を作り上げた。

 

お金持ちも貧乏人もいないこの国では、機会と結果の平等を実現する事ですべての人々が全く同じレベルでの生活を維持することが出来た。その為、犯罪もなく争いもなく、誰もが幸せでいられた。

 

しかし国際化の波にニュージーランドも巻き込まれる。

 

南太平洋の孤島でイギリスの牧場として安定した生活と経済を続けていたこの国も、1960年代に入ると、南米の台頭による国際羊毛価格の急落、イギリスのヨーロッパ経済共同体への加盟による輸出の激減、そして起死回生の策として打ち出した国策「Think Big Project」が大失敗し、1980年には物価凍結令など、敗戦後の日本のような経済の崩壊に見舞われた。

 

1984年に労働党を率いるデビッドロンギが首相として就任して以来、機会の平等は堅持するものの、それまでの結果平等を改めて、たくさん働いた人にはたくさんの報酬が得られる「結果の不平等」を導入したことで、この国は目覚しい回復をした。

 

1993年にはついに国家予算で単年度黒字を計上し、以降現在まで14年にわたって見事なまでに国家予算の黒字を継続、昨年は所得税減税が実施され、来年は法人税減税が現行の33%から30%への引き下げが行われる予定だ。

 

もちろんいつの時代でも、波に乗り遅れる人はいる。その結果としてマイナス要素である犯罪は増加したものの、最低賃金の立て続けの上昇と失業対策の取り組みで、社会全体はとても豊かになった。

 

以前は乗り遅れた人も真っ先を走る人も結果的に同じ収入だったが、現在の市場主義に変わってからは、リスクを取って真っ先を走る人は、それなりの報酬を受けるようになった。

 

これが社会の活性化を招き、一気にニュージーランドで「お金持ち」が続出するようになった。キーウィのお金持ちの特徴は、国自体が持つ資源、つまり自然と安全と癒しを売り物にして外国から投資を受け入れ、旅行関連、住宅関連、投資関連と言う、かなり他動的な要素の強い部分を切り開いてきた点だ。

 

オーストラリアであれば鉱石資源などがあり、携帯電話を作るにも工業製品を作るにも必要な資源なので、誰からも価値ある資産として認められる。だが、自然や安全が売れるのは、あくまでも相対的なものである。相手の国に「自然や安全」が存在しないときにのみ、初めて商品価値が出てくる。

 

つまり、北半球が戦争に巻き込まれ、治安が悪化して、明日の不安を抱える人がいるからこそ、ニュージーランドに移住しよう、土地を買おう、キーウィドルで資産を運用しようと言う気持ちになるのだ。

 

幸運なことに、偶然ニュージーランドは、良い時(2001年)に良い場所(地政学的田舎)に良い物(自然と政治的安定と安いドル)を持って立っていたということだ。

 

そしてその機会を逃さなかった目先の利く連中が、この国に多くの移民を呼び込み、土地を売り、ビジネスを興して成功させたのだ。

 

彼らは先祖代々の「役立たずな」牧場や荒地を灌漑して宅地にして、それを更に分譲して外国人に売ることで大きな利益を得た。外国人にとっては格安に見える値段も、地元キーウィから見れば大金だ。

 

大金を得た彼らは、高金利の銀行に暫くお金を預けて、更に次の投資機会を狙う。

 

新しい高速道路の計画が出来ると、早速仲間内で情報交換して、政府による買収予定地をあらかじめ安く仕入れておく。

 

高速道路を作るお金は、移民からの投資である。投資家ビザ枠で拠出する一件二百万ドルのお金が5年間投資される先は、このような政府系投資先である。

 

これを出来レースと呼ぼうがどうしようが、現実は変わらない。こうやって、地元キーウィの手元に、次々と資金が集まり、洗浄されて、合法な資金としてキーウィの資産に変化するのだ。

 

こうやって出来たお金だが、そのまま置いてては、最終的に税金が発生する。高級住宅を購入しても、そのまま子供に引き継いだ場合は25%程度の相続税が発生する。

 

そこで政府によって作られた持ち家推進策が「家族信託会社」である。これは、西洋型の考え方だが、家族の資産は一個の塊であり、父親がいくらとか子供がいくらとか、分割することは出来ないということである。

 

だから父親が一生懸命働いて作ったお金は子供が全額無税で受け取るべきだという趣旨の元で、家族信託と言う仕組みが出来上がった。

 

この仕組みは、まずSettlerと呼ばれる設立人が、自分の資産を信託会社設立にあたって貸付するところから始まる。

 

そしてTrusteeと呼ばれる管財人が、この資産を安全な運用先、つまり国債、銀行預金、住宅などに投資する。管財人は、通常は弁護士や会計士が代行する。

 

最終的に年度末決算で利益が発生すれば、管財人によって最終的な受益者であるBeneficiallyに配当される。

 

管財人に支払う手数料は、設立費用の5千ドル程度、年間管理費が2千ドル程度である。もちろん相手の「格」によって随分手数料の違いはある。

 

ただ、この仕組みを作った場合、万が一将来的に親父が投資に失敗して個人負債を抱えたとしても、家族信託の資産には一切誰も手を出せない。だから子供は、確実に親のお金を受け取ることが出来る。

 

つまり信託に預けたお金は、取り返しの出来ないお金であり、そのお金を受け取る権利があるのは、受益者のみであるということだ。

 

また、最初のお金は貸付であるが、最終的に設立人が死亡した時点で、予め作成しておいた委任状により、貸し付けたお金はForgivenと言う名目で、全額権利放棄をすることになる。

 

これで資産移譲の終了である。実に簡単。子供は何もしなくても、弁護士が全部やってくれる。

 

元々父親のお金は、最初の収入を得た時点で納税しているから、相続税をかけるというのは二重課税である。このような憲法違反なことをやってでも税金を取り立てたいのが日本だし、黙って払ってるのも日本人である。

 

キーウィの場合、住宅一軒程度の資産があれば、まずは家族信託を設立するのが常識である。

 

ではこれが日本人の場合も出来るのか?つまりニュージーランドに家族信託を設立してそこに資産を移動させれば、課税対象とはならないのか?

 

NZ側では問題ない。課税対象にならないように出来る。日本側では、やり方によっては非課税に出来る。つまり、手続きの問題だけだ。最初の全体図をきちんと作りさえすれば、手続きはかなり複雑になるが、出来る。

 

但しこれは、相続税が発生する場合にのみ有効な節税手段であり、資産が1億円以下であれば日本では無税なので、特に家族信託を作る必要はない。

 

海外に資産を移すのは、早めにやった方が良い。今年後半あたり、選挙で自民党が勝てば、海外投資送金税と言う、今ニュージーランドでも議論されているような税法が導入される可能性が高い。

 

簡単に考えれば分かる。政府の借金は1400兆円。返済のあて(資金)はない。個人資産に課税するか、国債を個人に買ってもらって、最後にはインフレを起こして、それで赤字を消すしかない。ところがその個人のお金が海外に流れてしまえば???

 

返済の資金がなくなるから、政府は本気で思いっきり賃金カット、職員減少、民営化など、政府全体を合理化するしかない。そんな、身内を苦しめるような事はお役人の発想にはないから、だったら、海外に送る時点で送金目的を調査して課税するのが、一番簡単だとなる。

 

すでに自民党の税制調査部会でも俎板に乗っているねただから、個人資産の海外移転は、本当に早いもの勝ちだ。

 

家族信託や海外資産移転、もし興味のある方はお問い合わせ下さい。

 

写真はクイーンストリートを起点に、日曜の朝からオートバイでツーリングを楽しむバイカーです。なんと交差点で交通整理をしていたのは、皮ジャンサングラスに皮ブーツのライダーです。警察ではありません。

 

ノースショア行きの高速をほぼ直進道路にして(つまり脇道から入れなくして)一直線にアルバニーに向かって、青空を駆け抜けていくライダーたち。彼らの乗ってるハーレーやBMWを見ると、かなりの資産家なんだなと思いました。

 

俺たちはバイク走らせて自由を満喫するよ、お金よ、お前は一日も休まずにしっかり金利を稼いでくれ、そんな雰囲気を漂わせた日曜の朝でした。

 

 

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tom_eastwind at 00:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZニュース 

2007年02月11日

動かせる明日

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日本とニュージーランドを往復する生活を送るようになってから感じるものが、「動かせる明日」と言う言葉だ。

 

ある種の人間にとっては、空気や水よりも大事なものがある。それが自由だ。

 

もちろん、それを不要な人間もいる。金があるんだ、どうして自由なんて欲しいものか!そう言い切る人間もいるだろう。

 

 

それはそれでよいと思う。人は誰も、自分が望む幸せを追求する権利がある。

 

しかし、たぶん僕のような人種にとっては、何よりも大事なのが自由なのだろう。それは、おそらく家族よりも、そしてもちろんお金よりも、大事なものなのだ。

 

僕は自分のやりたい事を、日常生活の中のちょっとした事でも誰かにさえぎられたら、それだけで息苦しくなる。

 

家族は、結果として選ぶものであり、選ぶ権利も時間もないまま最初からそこにあって、その義務も生まれついた時から存在するというのは、どうも納得がいかない。

 

だからうちの奥さんには僕の考え方が、まるで家庭放棄みたいで嫌われているのだが、みゆき16歳は、なんとなくお父さんのそんな考え方が理解出来ているようだ。

 

閑話休題(かんわきゅうだい)

 

目に見えないけど、確実にそこに存在する様々な「縛り」が、日本と言う社会の中にはびこっている。

 

あるものは悪意として法律や習慣と言う形で存在し、あるものは好意として存在するから更にたちが悪いのだが、義理とか人情とかを、個人の感情に優先させる。

 

「あの人がここまで言うのに、なんであなたは話を聞かないの?」

 

「お父さんがこんなに苦労しているのに、なぜあなたは分からないの?」

 

日本と言う社会は、良きにつけ悪しきにつけ、自分のためでない、人のためと言う言葉に弱い。

 

そこをついて、善意の塊のような親切押し付け押し売り連中が、「お前のためだ、大人の話を聞け」とばかりに義理や人情を押し付けてくる。

 

そういや、戦争末期は、御国の為というお為ごかしで、多くの若者がその命を失った。

 

重いんだよ、そんなのが。うざいんだよ、人に決められた、期待された人生を歩くのは。何でそんなことが分かってくれないのかと思った時期がある。

 

ニュージーランドはちっちゃな国だし、労働もきついし、給料も安いし、物価は高いし、将来性もないし、いろいろと文句を言う人がいる。それが事実かどうかは別として。

 

ちなみにある国際機関の調査では、この国が世界で最も住みやすい国の4番目に選ばれたそうだ。これもどんな調査方法を取ったのか、よく分からない。アンケートなんてのは、作り手の考え方でどうでも回答を変化させることが出来る。

 

そう言う事を知りたい方は、是非専門書を買ってもらいたい。いかにアンケート調査が恣意的なものか、30分でよく分かる。

 

でも、体感景気や体感治安はそうではない。街に住んでいる人が、肌で感じるものだ。そしてそれは、そんなに大きなずれはない。その意味で、今のニュージーランドは住みやすいし、同時に好景気だと思う。つまり、幸せも、金もあるという事だ。

 

むしろ、日本政府などの「大本営発表」の方が、よほど嘘っぽい。景気は回復したとか、子供の出生率が上昇したとか、治安が良いとか、どう見ても政府に都合の良い答えを出すための調査としか思えない。

 

今のニュージーランドでは、景気のよさを肌で感じる。毎日取引をしているキーウィの誰と話してても、内容が景気良い。

 

そんなことを言うと「でも将来は分からないよ」とか反論される。そのとおり、将来は分からない。でもそれは日本も同じだ。誰も将来は分からない。だから今住みやすい場所を選ぶんだ。

 

将来性を考えて今我慢して日本に住むのではなく、今住みやすい国であるニュージーランドに住んで、将来イラクとアメリカが同盟国になって、北朝鮮の人民が日本を自由に行き来出来るようになってから日本に戻ればよいのだ。

 

今は間違いなくニュージーランドの方が日本より住みやすい、僕にとっては。いずれ住み辛くなれば、その時は香港でも日本でも、行くところはある。オーストラリアでも良い。要するに、今自分に合った場所に住むということが大事だ。

 

ニュージーランドが良い国だというと、ほぼ100%の確率で「そうですね」と言う答えが返ってくる。しかし自分の子供や親戚の家族が移住するとなると50%の確率で「何を馬鹿な事を!今の安定した生活を捨てるのか!」となる。

 

そしてそのような人が使う技術が「お前を育てた親」とか「失敗したらどうする」とか「統計によると〜」と言い出す。でも、日本の生活がそれほど大事なら、それを自分が守ればよい。他人に押し付けるものではないだろう。

 

僕が今ニュージーランドに住んでいるのは、お金だけでなく、やっぱりこの国は、動かせる明日があるという事だ。それは、自由だ。何をするにしても、他人に危害を加えない限り自由だ。

 

冬にTシャツ一枚で裸足で街を歩いても、変な目で見られないし、他人の生活に干渉しない。でも、子供の虐待や家庭内暴力に関してはとても厳しい。要するに、個人と社会の関係が、とても明確なのだ。

 

誰を好きになって昼間から何をしようが、それは個人の問題、でも奥さん叩くとか子供をいじめるとかの暴力とかは社会の治安の問題だから、警察がどんどん入り込んで強制的に取り締まるって姿勢。民事も刑事も関係ない、治安と秩序だ。

 

その境が明確だから、とても気持ちよい。

 

そして、国が小さいせいもあるだろうが、自分で自分の人生を選ぶことが出来る。動かせる明日、そんな言葉がぴったりなのが、この国だ。頑張ったら、ちゃんとその結果が、すぐに目に見える形で出てくる。日本のように、あ〜だこ〜だと、変なしがらみがない。自由だ。

 

この国でうまくやっていけるひとも、うまくやっていけない人もいるだろう。ただ、この国では自分の人生を自分で選ぶことが、誰に対しても認められている。とても公平だ。

 

たぶんそれが、僕がこの国に住む一番の理由だろう。

 

週末の土曜日。昨晩飲んだ楽しい酒の記憶の余韻を楽しみながら、午後からシャワーを浴びて一杯めのお酒を飲み始めている。

 

読んでる本は、「午前三時のルースター」。垣根涼介の出世作で、実はこの本の中で使われた言葉が「動かせる明日」です。

 

このせりふを読んで、さっと今日のブログを書きました。垣根さん、ありがとです。それと、この本も月曜日にはtom文庫に並ぶので、自由が欲しい方、どうぞ読んでください。

 

写真は、生まれついた時から自由を満喫している竜馬9歳。親父の横で屈託なく、フォークの先にソースとマヨネーズをたっぷりかけた「たこやき」を刺して、楽しそうYumiAmiパフィー英語のアニメを見てます。

 

まさにeast meet west。竜馬、お前はいいよな〜、お父さん、ここまでたどり着くのに大変だったのに、お前はここが出発地点だもんな。

 

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tom_eastwind at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年02月10日

今朝の天気

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今朝の天気

 

毎朝93.4FMを聴きながら会社に通勤している。早朝、深夜に来たメールの処理など一仕事して、子供たちが起きる頃に合わせて朝食を作り、学校に送ってから会社に向かうので、ちょうど9時のラジオニュースが聞ける。会社は9時30分からだ。

 

この番組では、ダブルロビーと呼ばれる男性アナウンサー二人が、朝から馬鹿を掛け合いながら、言ってるのだが、9時のニュースはもちろん、普通にシリアスである。元移民大臣が移民法違反で裁判中だとかパーネルで移住者同士の喧嘩があって、一人が死亡したとか、朝の割りには重たいな〜と思ったりする。

 

ただ面白いのは天気予報。大体こんな感じだ。

 

「今日の午前中は少し雲が出るけど涼しくて過ごしやすいでしょう。午後になると場所によってかなり雨が降りますが、乾燥続きの牧場には恵みの雨ですね〜。今日もまた素敵な一日になりそうです」

とか

「週末は土日とも雨ですが、大丈夫、来週は天気が良くなりますよ!土日の雨は地域によっては強い風を伴いますが、ヨットやウインドサーフィンをする方、しっかり楽しんでくださいね!」

って感じだ。

 

これを今の日本風に言えば

「今日の午前中は雲が出て冷え込むでしょう。軽く羽織るものがあるとよいですね。午後になると強い雨が降りますので、かさをお忘れないようにしてください。今日はあまり良い天気ではありませんので、外出の際には十分注意されてください」

とか

「週末はあいにくの雨ですね。特に地域によっては強い風を伴いますので、飛んでくる看板に気をつけてください。海は時化ますので、特に理由がない限り海岸には近づかないで下さい」

って感じだ。

 

さてこの二つ、どう違うかって言うと、全く同じ状況なのに、それに対する物事の捉え方が正反対だという点。

 

雲が出れば涼しいではないか!

雨が降れば大地の恵みではないか!

今日もまた、素敵な一日だ!

週末が雨って事は、次は晴れじゃないか、何て素晴らしい!

風が吹けばヨットやウィンドサーフィンを楽しめる、なんて素敵なことだ!

 

これって、思いっきり前向きだよね。いつもそうだが、ニュージーランド人の場合、大体のことをプラスに捉える思考がある。それが天気予報に現れている。

 

その代わり、同じ時間のニュースでは北島北部で発生した洪水で道路が閉鎖されているので、絶対に旅行に行くなとか、旅行中の方はすぐに近くの高台に避難してくださいとか言ってる。

 

要するに、危機管理と前向きな自己管理生活を楽しむというものを、適度なところで切り離しているのだ。

 

雨が降れば傘を持ってけとか、ヨットが出来る程度の風でも海岸に近づくななど、とにかく日本のニュースは、こっちをがき扱いしているのか(たぶんしているのだろう)、とにかく余計なことばかりしゃべっている。

 

そう言えば日本で電車に乗ると、入る電車に近づくなとか、順々に乗れとか、とにかくうるさい。俺はまだ死にたくないから電車から離れるのは当然だし、死にたかったら、何をアナウンスしても死ぬ。

 

しかし、自己責任で生きている国では、人々は天気予報を聞いて何をするかは自分で考える。天気予報では、今自分が知っている情報を人々に伝えるだけだ。そこから先、どうするかは、本人の考えること。

 

だから、どうせ同じニュースを流すなら、明るい面を強調しようよ!みんな、今日も一日、頑張れというエールになる。そこで出てくるのが上記のような天気予報だ。

 

だって実際、嫌だ嫌だとか、だめだだめだなんて言ってたら、そのうち社会全体がうつ病になるぞ。見てみろこの国。みんな顔が明るい。自己責任で生きてるからという面もあるからだ。

 

大体言葉は言霊だ。悪いことばかり言ってると、本当に運命は悪くなる。どんなにヤバそうな状況でも、常に前向きに生きるって事が大事で、その為には、どんな時でもネガを吐いてはいけない。

 

You can do it ! 

Go for Break ! 

Hey you chicken!

 

こんな言葉は、日本人が言うとなると、こうなるのだろう。

 

やめとけよ、ど〜せできね〜よ

当たったら砕けちゃうから、責任取らされるぞ、やめとけよ

無理すんなよ、失敗したらどうするんだ

 

日本人は言うだろう。や、そんな、もしそれでヨットに乗って事故に遭ったらどうするか?ニュースの責任だぞ!でもね、ニュージーランドではその程度は自己責任なのです。

 

自己責任がないところに自由はない。そして自由こそ、民主主義の基本である。そういう事を理解しているから、みな、自分の考えで生き生きと遊ぶ。

 

ニュージーランドヨット界で最高の栄誉を持つピーターブレイク卿の乗った船がアマゾン河の奥地でギャングに襲われて卿が死亡した時も、彼の早すぎる死を悼む人はいても、なぜそんな所に行ったかという人は一人もいなかった。

 

だって彼は自由だし、行きたい所に行くのが彼の希望=やりたいことなのだ。やりたいことやった結果で死んだとしても、彼は幸せだったろうと、NZでは(一般的な人は)考える。坂本竜馬だって同じことを言ってる。洋の東西を問わず、幸せに生きるってことは、やりたいことをやるって事なんだ。

 

だから海に出て事故に遭っても、それでニュースを訴える人はいない。また田舎に行けば落石注意の看板が出ているが、そこで落石に遭った場合も自己責任だ。だって政府は、ちゃんと「危ないよ」って看板を置いてるのだから、そこを走るかどうかは本人の自由。

 

それに対して日本では、何かと言えば責任責任、石が落ちれば行政責任、TVでやらせをやれば管理責任、学校で子供が死ねば校長も殉死する。

 

そういえばこんな日本のせりふがあったな。

 

「隣のミケが孕んだのも、電信柱が高いのも、みんな私が悪いのよ」

 

自分に関係ないことまで無理やりこじつけて責任を取らされる。今の日本は、まさにこんな状態ではなかろうか。

 

発言したもの、行動したものに、その原因や理由に関係なく責任を取らせる事によって、結局誰もが新しい事に挑戦できない不自由が発生しているということに気づかないのだろうか。

 

自由とは自己責任だ。賞味期限の切れた食品を食べて腹痛を起こせば、そりゃ本人責任だ。

 

自己責任を認めずに製造者責任ばかり問い始めたら、誰も何もしなくなって、他人の顔ばかり見て、責任から逃れようとして、結果的に社会全体の挑戦する気持ちってのがなくなるでしょ。

 

おっと、そりゃ今の日本か。若者が何も挑戦せず、ぼけ〜っと空を見てタバコを吸って、け、つまんね〜とか言いながら、緩めたネクタイを締めなおして、無意味に過ごした1時間の昼食のあと、職場に戻る。

 

ニュージーランドでは、子供の頃から、足し算や引き算でなく、社会で他人と共存する方法を教える。やってよいこと悪いこと、守るべき秩序と、個人の自由の線引きを教える。ここまではあなたが政府に従うこと、ここから先は個人の自由よ。

 

「雨が降って傘をさすかどうかは本人の自由。冬にTシャツ一枚で歩くのも本人の自由」

 

NHKのお天気お姉さんの半井気象士が聞いたらびっくりするかも。

「え、そんな事言ってもいいんですか、責任問題じゃないですか?」

 

写真は、スキー場で振り返るりょうまくん。この後すぐ、リフト待ちの列に文字通り弾丸のように突っ込んで、キーウィの大人を吹っ飛ばして、自己責任で、スキー場のリフティから退場を食らいました。

 

 

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tom_eastwind at 00:38|PermalinkComments(3)

2007年02月09日

返事がない!

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「いくら問い合わせても返事がないんですよ、どうなっているんですかね?」

 

ニュージーランドに住み始める日本人の殆ど全部が、一番最初に発する言葉。旅行感覚から生活感覚になった瞬間に、真っ先に訪れるキーウィからの洗礼が「無視」である。

 

別に彼らが日本人を嫌いで無視しているわけではない。地元キーウィろ含むすべての人々に対して、平等に無視しているのだ。無視と言っては語弊(ごへい)がある、単純に忘れていたりするだけだ。

 

だからキーウィも、サービスを受ける側になったらいつも文句を言ってる。何だこのサービスは!何だこの商品は!すぐ壊れるじゃないか!特に日本帰りのキーウィは、日本のサービスを知っているので、オークランドのレストランでサービスを受けた瞬間に「ありえないざ〜、いなばうあ〜!」と、のけぞる。

 

ところがそんな彼らも、一旦自分がサービスを提供する側になった瞬間に、お客の心配をよそに「まあ心配するな、大丈夫だ」と言い出す。そして失敗するのだ。

 

君らさ〜、お願いだから矛盾とか反省という言葉を知ろうよ、思わず日本人からはそういう言葉が口から出るが、実はこれも地域文化や法律制度の違いから発生した後天的なものであり、キーウィだから反省を知らないということではないのだ。

 

彼らは常に自分が立っている側で思考する。両方を同時に思考するということはしない。

 

だから消費者としては怒鳴っている時でも、一旦自分がサービス提供者となった瞬間に、提供者として最も利益の出る、つまり顧客を無視して上司と一緒にワインを飲む方に目が向くのだ。

 

そりゃそうだ、スタッフにとっての真の顧客はボスであり、目の前にいる、わけの分からん消費者ではない。消費者は自分の手を煩わせる者であり、お金をくれる人ではない。

 

もともとキーウィは、何でも自分でする。大草原の小さな家、それがキーウィの基本的な生活だ。だから不自由な生活に慣れている。日本人が今でもさんまを焼いたり裁縫をしたり、、、あ、もう日本は変わったかな、他人にやってもらう分業が進んでいるから。

 

とにかく、プロのサービスを見たことも聞いたこともないキーウィが、1980年代から急激に世界に巻き込まれているのだ。人の失敗を「大丈夫さ」と許す、そういう文化で生まれ育った人がプロとして仕事をしている。

 

だからプロの失敗でも、許す、というか、許してもらえると思ってる。

 

その事実をしっかり理解しておかないと、勘違いのまま不満ばかり残って、毎日の生活が楽しめない。特に最初の半年は、この「文化的ずれ」に毎日ぶつかるので、いらいらいらいらいらいらいらいら=!ついにどっかん!という事になる。

 

彼らの思考が正しいかどうかなんて考えると、話が混雑する。いいか、問題は、この国は今、このような思考ですべてが動いているということだ。

 

あなたがこの国の産業や社会構造を変化させようとしてやってきた外国出身の首相なら、何を言っても良いと思う。自分で正しいと思うことを言っても面白いと思う。

 

でも、それは面白いだけで、この国の国民性をなんら変えるものにならず、最後にはあなたに疲れだけを残す。

 

思い出そう、日本でも昔から言い尽くされてきた言葉を。

 

「郷にいらずんば郷に従え」

 

日本人はお客様が神様という前提のもとに、質問された事に一生懸命答えようとする。でも、答えること自体が正解かどうかという事は、まず考えない。

 

例えば人に道を聞かれたら、日本人はとりあえず一生懸命答えようとする。

 

でも中国人の場合は、なぜ聞くのだろうと考える。そこから合理的に納得すれば答えもするが、まずはいろんなオプションを考える。泥棒じゃないのか?あふぉじゃないのか?変態じゃないのか?本当に道が分からないのか?それから自分なりの正しい答えを出す。つまり、無視して立ち去るのだ。

 

また、仕事の問い合わせでも、日本人が質問されたら、それが金になるかならないかを考えずに、まず答える。

 

ところがこの国では、仕事というものは、人生の中では優先順位が低い。何故ならたとえ失業しても生活は一生守られているし、仕事の為に家族の時間を犠牲にするなど、考えられないからだ。

 

だから、質問されても適当に答えるし、問い合わせが来ても平気で忘れる!自分の利益になりそうなら、すぐ返事が来る。現金を見せた時の不動産やが良い例だ。あれこそ、人間の皮をかぶった狼だろう。

 

「社会主義か!」と突っ込みが入りそうだが、そう思った人、はい、そのとおり。この国はもともと世界で最初の、実質的な社会主義国として国造りが始まっているのです。

 

法律や制度の中で人間が大事にされているから、そんなに一生懸命働かなくても食っていける、食わせてもらえる仕組みがある。

 

なのに、なんでお客様は神様と言いながら同じ人間に対して土下座するの?という発想になる。(土下座という発想は、どうも、中国と韓国と日本に特有のものかな)

 

そして銀行口座、小切手作成、入学手続き、電気、水道、とにかく日常のインフラに対する感覚が違う。

 

実は今朝も、家の湯沸かし器が作動せず、朝からお湯がない状態になった。昼前に奥さんが電気屋さんに電話すると「OK,じゃあ明日行くよ」だって。今日のお風呂は出来ませんってことだ。

 

もともと毎日風呂に入るという習慣を持たないキーウィからすれば、一日くらいお湯がなくても、何が問題だって感じ。大体1960年代までは、普通に雨水で生活してた人たちだしね。

 

入学手続きだって、一週間遅れたからって、何が問題だ?その一週間にそんな大事なことをやっているのかって感覚。

 

お金なんか小切手が一日遅れてもたいしたことないじゃんか。後でちゃんと払うから良いじゃないか。これなんか、農家が一年に一回の収穫でお金をもらってた時代に、すべてつけで買っていた次代の名残だ。

 

日本人にとって当然のようなインフラでも、今でも地方に行けば雨水や自家発電で生活している人からすれば、電気や水がなくなるのは異常ではない。なにせ靴を履かずに道を歩く人たちですよ。インフラの感覚のずれを理解しないとまずい。

 

最近は僕もキーウィ感覚になってしまったので、日本人のご両親が心配そうな顔で「まだ入学できナインです」と言うと、正直「だから何が問題ですか?」と聞き返してしまいそうな僕がいる。こわいな。

 

とにかくこのへん、インフラ感覚が違うのは事実だ。

 

先ほども書いたが、キーウィが仕事よりも個人を優先するのは、それでも食っていけるからだ。国家が個人を守ってくれるからだ。

 

それが100年近く続いて、国民性の中に浸透しているから、明日の心配をせずに今日お客と喧嘩出来て、それで首になっても怖くないのだ。

 

そういった表面的な便利さという面で見れば、たしかにニュージーランドという国は住み辛い。

 

でも、その反面、良いところもたくさんあるんだよね。人の心の優しさ、見返りを求めない奉仕、子供や老人を大事にする思想。まあ、今日はそれを書く場面ではない。

 

とにかく「返事がない!」と怒っている人たちへの、緊急メッセージという事だ。

 

これから移住する方へ。絶対に忘れないでね、この日の書き込み。返事がないことを、それだけの理由で怒るな。

 

お互いに不快になるだけだ。

 

返事がないことの背景には、社会構造の違いがある。そしてあなたは、社会構造が全く違う国に来たのだ。

 

ようこそニュージーランド。そして、郷に入らずんば郷に従え。

 

何か長くなったし、まとまりがないな〜。写真は昨日の続き。同じ蒸気自動車を後ろから写しました。

 

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tom_eastwind at 00:43|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 移住相談 

2007年02月08日

航空券の買い方

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「ええ?そんな買い方が出来るんですか?!」

 

あるお客様がびっくりして聞き返してきた。航空券の事である。

 

普通の日本人なら日本に住んでおり、航空券の出発地は日本からになる。つまり、日本>オークランド>日本となるわけだが、この場合は日本で設定された運賃が適用される。

 

ここまでは当然の話だが、では僕のように在ニュージーランド日本人がオークランド発の航空券を購入する事は出来るか?

 

もちろん出来る。

 

では日本から来た観光客が、オークランド発の航空券を買えるだろうか?

 

買える。何の問題もなく、買える。喜んで売ってくれる。ビザの期間も何も関係ない。

 

ではこれで何がメリットなのか?それは、海外発の運賃、つまりニュージーランドで設定された運賃が適用されるので、大体の場合、日本発で買うより安いということだ。1ドル40円の時代は、それこそ日本価格の半額で購入できた。

 

最近でこそドル高なので2割程度しか割安感がないが、それでも日本発よりは確実に安い。

 

なぜ同じ区間なのに運賃が違うのか?大体、航空運賃はどうやって決まるか?これは簡単に言えば、国際的談合で決定されているのだ。

 

世界中の航空会社が一同に集まり、それぞれの国から出発する飛行機の運賃をいくらにするか話し合い、運賃の計算基礎をUSドルに設定してから「普通航空運賃」というものを、それぞれの国の通貨で決定する。そこから割引運賃の計算も行う。

 

こうする事で、各航空会社は「適正な利益」を何の努力もなく得ることが出来る。そらそうだ、かかる費用を全部上乗せして、そこに自社の利益を載せる訳だから、赤字になるはずがない。赤字になりそうだったら、またも談合をやって運賃を上げればよいだけだ。田舎のバス会社と同じ料金設定だ。

 

建設大手の談合で名古屋がもめているが、あれの国際版である。唯一の違いは、この談合はつい最近まで各国政府が「談合OK」としていたことだ。

 

最近の日本の新聞の論調は、談合によって価格が下がらないから談合が悪いと言う。政府も、そういう。ところが実際には、政府が認めた談合は価格が下がらなくてもOKなのだ。

 

競馬や競艇と同じで、同じばくちでも、政府が胴元ならOKだが、個人が胴元をすると賭博法違反で捕まるという、実に政府にとって都合の良い法律だ。皆さん、法律はこのように、実に矛盾に満ちているのです。まあそれは良い。

 

じゃあ何で政府が談合を認めていたかというと、それは当時の国際線航空会社の場合は、その殆どが実質的に国家によって運営されていた(過去形なのだ)からだ。つまり、公共性の高い、保護すべき産業という認識だ。

 

国際航空運送協会、略してIATAと呼ばれる談合組織が毎年集まって国際線運賃を決めて、それを下回る運賃で販売することを禁止していたのだ。

 

こうすれば日本航空が何もせずとも利益が出るし、それは運輸省への献金や法人税、更には国策によって飛ばす地方赤字路線の補填に回される。例えばどこやらの田舎出身の議員が当時の東亜国内航空に行って

 

「おい、うちの街から東京に直行便を飛ばせ」

「ええ!先生、そんなところ飛ばしてもお客はいませんよ」

「よいんじゃ、わしの選挙区だからな。その代わり赤字分は、また適当に日本航空に付回しておけ。そしたら日本航空が、次のIATA会議で値上げしておくからな」

 

皆さん記憶にあると思うが、最近まで航空会社がお客に対して直接割引航空券を販売することは、なく、すべて旅行会社経由で販売されていた。

 

あれは、一応建前上は航空会社が割引をしないという国際談合ルールがあり、表面上はそのルールを破れないけど、それでも座席を空で飛ばすよりは、安くても良いから売りたいという航空会社の思惑があり、自社で販売せずにHISなどの安売り会社に流れたというわけだ。

 

考えて欲しい。HISはチケット屋だ。自分で勝手に航空券を印刷して販売することは出来ない。最初に航空会社から、規定以上の安いチケットを仕入れるから販売出来るのだ。つまり表面上は安売りを認めていない航空会社でも、水面下では自らがチケットを卸しているのだから、完全なヤラセである。

 

1980年代には、その当時世界でもっとも運賃の高い国が日本だった。これは、日本人がお金を払う余裕があり、尚且つ実勢ドル換算レートが150円程度の時代でさえ、1ドルを360円で計算するという、誠に現実からかけ離れた計算方法をしていたからだ。

 

つまり日本人は金持ちだからとぼったくられ、更に為替レートで騙されて、世界一高い航空券を掴まされていたのだ。それも日本政府の思惑によってである。ぜいたくな飛行機に乗るんなら、高い運賃を払ってもらう。それは回りまわって政府の収入につながるからだ。

 

例えば東京からハワイに往復する普通運賃が15万円としよう。ところが、香港発東京経由ハワイ行きの往復航空券を買うと、半額以下で買えた。

 

当時は航空券の使用方法に制限がなかった為、最初のクーポン、つまり香港から東京の区間を権利放棄して、東京から先を使い、最後の東京から香港も権利放棄する事で、日本の半額以下の旅費で旅行が出来るということになったのだ。

 

これに目をつけた名古屋の旅行会社が、海外輸入航空券で格安ハワイツアーを販売すると、売れる売れる、そりゃばか売れ!何せ他社の半額で航空券が買えるし、旅行費用全体に占める航空券代は8割くらいだから、ずいぶんと安いパックツアーが出来たのだ。

 

ところがこれに恐怖した日本航空が、早速日本の裁判所に訴えた。代官様、こりゃ違法ですぜ!

 

しかし、さて、どこが違法だろう?実はその当時、航空券を上から順番に使わなければならないという決まりはIATAにはなく、ましてやIATAは民間団体であり、何の法的根拠もない。だから裁判に訴えても、何の違反も発見出来ないということになったのだ。

 

しかし、耐震偽装問題じゃないが、こうなると役所は強い。とにかく適当に理由を付けて、庶民の味方であるこの旅行会社を営業停止に追い込み、更に裁判でも敗訴させたのだ。

 

これに恐れをなした旅行会社は、それからは輸入航空券を止めて、航空券を上から順番に使います、日本在住の人は日本発の運賃を適用しますってことになった。

 

時は経ち21世紀になると、世界の国の流れが、国際線自由化に向かった。要するにそれまでは政府の打ち出の小槌だった航空会社も、いい加減成長したので自由に営業させよう、政府はもう十分儲けたし、航空会社も規制しなくてもやっていけるとなった。自由化によって国際競争を図り、国民全体の利益になるようにしようという事だ。

 

そこで最初にEUが、IATAによる運賃規制は談合であると判断して、運賃の自由化をするように指示した。こうして現れたのが、小型機を近距離に飛ばす航空会社群である。アイルランド、ドイツ、イギリス、さまざまな航空会社がこの業界に参入して運賃競争を始めて、欧州では運賃が大幅に下がった。

 

ところで航空会社、例えば日本航空は世界中に支店があり、支店は航空券の発券枚数や売り上げを競っている。つまり、同じ日本航空でも、東京支店で販売されたら東京の売り上げだし、香港支店で売れれば香港の売り上げとして計上される。

 

だから支店間で競争して、本来なら認められていない「呼び寄せ航空券」という、本来航空会社が禁止している販売方法が、航空会社自身によって行われている。

 

これって、おかしくないか?本来日本に在住している人は、居住地から出発する場合は、オークランドで発行された航空券を利用することは、IATAのルールによって認められていない。

 

ところが売り上げというノルマを抱えた日本航空は、背に腹は替えられないということで、苦肉の策としてこのような事を始めたのだ。

 

航空会社でさえ自前で割引運賃を売る時代、つまり実質的に談合が終わった航空業界は、遂に自前で「JALごくう」とかの商品を販売するようになった。

 

元々日本在住の日本人が1年有効の日本発往復航空券を買うことはまったく問題がない。当該国のビザがあるかどうかは、購入の際の条件にはない。

 

もし航空会社がたがた言うようなら、日本発片道航空券と、オークランド発片道航空券を、それぞれ購入すればよい。これでも往復航空券を購入するのと大きな違いはない。

 

だから一年オープンの往復航空券を購入しておいて、オークランドに到着したら、今度はオークランド発日本行きの往復航空券を購入することで、現地価格で飛行機に乗れるのだ。

 

次回オークランドに入る時は、手元にある帰路のオープン航空券を見せればよい。これを一年繰り返して、365日目に、最初に買った帰路のオープン航空券を使うことで、すべて合法的に処理できる。

 

もちろんこれは、一年に何度も日本とオークランドを往復する人にしか適用出来ないし、最初に2枚の航空券を買うことになるが、それさえ出来れば、安く旅行する方法だ。

 

それにしてもびっくりしたのは、日本の旅行会社はまだ昔の「規制バリバリ」時代のルールをお客様に伝えて、とにかく日本発の高い航空券を買わせようとしていることだ。そんなもん、hadhadの大過去で終了したものと思っていた。

 

世界では自由化が進む航空行政だが、日本では逆の方向に進んでいる。規制行政である。地方発の航空会社を締め付け、スカイマーク潰しを行う日本の行政には、まったく呆れるものだ。

 

ほんとはもっと裏ねたがあるのだが、長くなったので、今日はここまで。

 

写真は、クイーンストリートを走る蒸気自動車。ちょうど同じ時間、上空には飛行機が飛んでいた。何のパレードか知らないけど、飛行機が飛んでる時代に蒸気自動車を見ると、日本と世界の格差を感じる。

 

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tom_eastwind at 04:31|PermalinkComments(2) 移住相談 

2007年02月06日

自分で考えると言う事

不二家の賞味期限問題、あるある大辞典の偽装問題、次々と新聞ネタが出ている。

 

不二家のケースの参考になるのはこのブログだ。日本人はいよいよマスコミの洗脳に振り回されて自分で物事を判断出来なくなっていないか??

 

http://diary.jp.aol.com/applet/uvsmfn2xc/20070111/archive

 

このブログは本来経済ねたなのだが、あまりに不二家問題が馬鹿げているので、専門外ながらちょいと書きましたって感じ。Pasr3まであるので、全部呼んで見ると、よくわかる。

 

大体香港で作っている日本の調味料と料理方法を完全に同一化させた出前一丁の賞味期限が1年で、日本で作ったら3ヶ月になるのか?

 

 

あるあるの納豆偽装などは、視聴者を全く馬鹿にした話だが、馬鹿にされたまま何年もこんな番組を本気で見ていた視聴者にも問題があると言う指摘が、あちこちのブログで出ている。

 

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a8678fcb3e8460d0d398f5b037be8bcb

 

 

あるある大辞典は会社のビデオコーナーにあるので見ることが出来るが、見た事はない。たまに日本出張でホテルに泊る時も、全然興味が湧かない。大体、楽して痩せるなんてのが間違いで、普通に運動したり食事療法をすれば、殆どの場合問題なく対応出来る。

 

要するに自分が手抜きをしようとして娯楽番組を観て、テレビに映ってるから無条件に信じてしまったと言う、あまりにも無邪気と言うか手抜きと言うか思考停止な発想が片方にあり、もう片方(番組制作者)は、その思考停止な人種を相手に騙しをかけたという事なのだろう。

 

あるあるの場合は、あくまでも推測にしか過ぎない。観てないからだ。でも、この事件があったからと言ってビデオを観てみようという気にさえならない。時間の無駄だ。

 

但し、このような事件から共通して見えるのは、日本人の思考停止問題だ。自分の頭で考えようとせず、偉そうな他人の馬鹿な意見に飛びつくか、相手のいう事を頭から信用せず悪人扱いして合理的な理由もなしに批判を繰り返すか、どちらかである。

 

そして責められている人が謝罪をしなければ、謝罪をしないと言うそれだけの事で、別次元で怒り出す。

 

どの次元に於いても、自分で考えると言う事をしない国民性。

 

そんな国民性だからマスコミや政治家に馬鹿にされて、いいように操られるのだ。自分の頭で考えてみれば、大体の正しい事は分るだろう。分らなければ、自分の胸に手を当てて直感を信じよう。

 

日本人は「悪法でも、法は法なり」と言って、いかにも自分が判官になったような悟った顔で他人に説教する。でも、これこそが思考停止の最たるものだと思っている。要するに、自分が判断する能力を持たないから、他人が作った規則を何も考えずに適用する事で問題解決をしている。

 

なので、法律的に答が出ていない、白か黒か分からない時は、本当に思考停止に陥ってしまい、何も話せなくなる。

 

法が間違っていれば、それは法を訂正するか、または法の適用を停止すべきだと僕は思っている。人間の直感ってのは、時には法律の専門家を上回っていると思う。

 

そりゃさ、素人が法の運用や適用を判断するってのはおかしいと言う意見もあるだろう。でも、法律ってのは国民生活の基本を支えるものであり、すべての国民は当事者だ。当事者でありながら他人事のような話し方をするのは、どうなのか?

 

悪法を認めるなら、そりゃいいよ、その代わり貴方が次に地雷を踏んだ時に文句を言わないように。制限時速70kmのところを75kmで走行して速度違反で逮捕されても、決して文句を言わず、しっかり罰金払って、警察官に向かって「お疲れ様です、もう二度としません」というように。

 

僕は馬鹿な法律と心中するつもりはないので、とっとと悪法の適用されない国に行く。それが合法的に自分を守る方法だからだ。

 

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tom_eastwind at 15:51|PermalinkComments(18)TrackBack(0) 日本ニュース | 日本

2007年02月04日

パナソニックのレッツノート

遂に5年間御世話になったNECのVersaProが壊れた。

金属疲労かな?はは、素人が何を言うかって感じ。

でもま、立ち上がった後に、メールソフトが邪魔をして、余計な事を調べているのだろう、とにかく反応が遅くなり、いっこのキーを叩くと、10分くらいしてから、のろ〜っと動き出す。

たぶん、ソフトが、他に女がいるんじゃないか?遊んでいるんじゃないか?給料をどこに使っているのかって調べてるんだ?

でもまあ、こっちはすでに「切れてる」ので、他のキーを激しく叩いて、「やってね〜よ!」、「ばかやろ、給料は振り込みだろ〜が!」などと喧嘩する。それが症状を悪貨させたようだ。悪貨は良貨を駆逐する。

つまり、グレシャムの法則は、人間世界でも通用するようで、キーを叩いても反応しない奴なんて、とっとと強制終了してしまえと言うこと。

自分がやっておきながらこんな事書くのもなんだが、もちっとパソコンを大事にしてあげれば、長生きしたのかなと思ったりする。

でも、福岡で念願のパナソニックレッツノート(約26万円)に出会ったのは、これは離婚と再婚みたいなものか?

NECはレッツノートの2倍程度の重さがあり、機能も不足している。でも、どこを触ればどう反応するかは、暗闇で立ち上げてもメールできるくらい遣い馴れているので、う〜む、新しいレッツノート君はどうかなと思う。

でも、たぶんあいつ等は「やっべ〜このオヤジ、大してパソコンも使えないのに、一人前に乗り換えてさ、何様のつもりよ」とか思ってるのだろう。

でもまあ、仕方ない。時代と共に前進するしかないのだ。悪いな、NEC。

てゆ〜か、NECが悪いわけではない。今回は機内での仕事と言うポイントから、バッテリーの工藤静香、じゃなくて駆動時間が最低4時間欲しくて、合わせて処理速度がポイントでLetsNoteになったのだ。

だから今日も、実はNECで自宅で機動させるとガンダム、じゃなくて、起動させると、円滑に動く。それでもLetsNoteを選んだ理由は>?

それはマウスだ。実は昔当社で働いていた男性がいて、彼が使っていた機種が、丸いボールが真中に入ってる奴だったのだ。くるくるとよく回るボールを使って、随分と働いてもらった。

今ならもっと彼の働きに報いる事が出来ただろうに。

そんな事もあってのLetsNoteだ。今はもう、くるくるノ機種はないようだが。

この3日、ほぼインターネット環境は全滅していた。福岡、香港、オークランドと一日単位で移動しており、PCは2台抱えているものの、もうこうなったらいいやって開き直っていた。

(皆さん、不在中の書き込みへのコメントできず、失礼しました)

だって、つい10年前まではインターネットなんて使ってなかったのに、今になって使えないから発狂!と言うのも変な話だ。

むしろ割り切って、今日はインターネットの無い日と言う事で、本や映画や酒に浸り、ついでに、携帯電話のスイッチも切ってやれ、と言う事で、週末を満喫した。

お蔭様で迷惑蒙ったのが、中州でお仕事している店のママさんと、ママさんに紹介されていったゲイバーのお兄ちゃんだろう。

酔っ払ってどんちゃん騒ぎする僕を相手に、中洲の夜を付き合ってくれた。

ごめんね、サラダちゃん!今度は君を一人前の男?として扱いますよ。

殆ど朝まで飲んで、そのままタクシーに乗り込んで到着した香港では、親戚と食事に出掛けて、益々の香港の発展振りを楽しむ。

一晩を香港で過ごした後は、オークランドに向かう機内で、ぐ〜ぐ〜寝てる家族をよそに、クリントイーストウッドの「父親達の星条旗」、ケビンコスナーの「ガーディアン」、それに奇術物のスリラーを、合計7時間かけて観る。

満喫〜。

てな感じで、パソコンに縁のない生活を3日送った。人間は、電気を通じて文化生活をしているって感じた。もしかして21世紀は、電気などの情報伝達の基礎となる産業が隆盛を極めるのか?

あ、でもさ、やっぱり、情報伝達の技術が発達しても、乗せるものがなければ駄目だもんね。

明日から仕事だ。馬鹿ばっかりは言ってられない。実は今回の説明会でも、全部で10数件の面談をしたが、急ぎのケースが数件ある。

2月はオークランドで走り回ってやる。

それにしても皆さん、書き込み有難う御座います出来るだけ時宣を得た書き込みしますね。

月曜日は早速山水で夕食の仕事。とりあえず、死ぬまで突っ走ってみようっと。

 

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tom_eastwind at 12:22|PermalinkComments(1)TrackBack(1) 僕の青春 

2007年02月01日

介護殺人事件

みのもんたの番組で、妻と息子達が、同居している父親=夫の介護をせずに死なせたという事で、殺人罪で逮捕された。未必の故意を適用されたらしい。

それにしても、これから介護の問題は更に本格化していくだろう。ただ、その議論の基本と言うか前提に、誰も異を唱えないのはどうしてだろうか?

例えばあなたが大工で、自宅の屋根が台風で壊れたら、そりゃあ自分で修理出来るだろう。

でもあなたが医者でも看護師でもないのに、ましてや給料を得る為の仕事もあるのに、能力も時間も無い人が毎日介護なんて出来るのか?

親の介護をしようとすれば仕事を辞めざるを得ない。そうすると社会労働力が不足するし、本人も生活が出来なくなり、生活保護を申請することになる。

ましてや医者や看護師の能力も経験もないのに、いきなり社会生活から切り離されて介護をせねばならないとしたら、これは苦痛以上のものではないだろうか。

そんな事を言えば「じゃあ誰が親を見る!自分を育ててくれた親を見るのが、子供の当然の義務ではないか!」と言う反論が出てくるだろう。

でも、子供が親を見るという形態は、人口増の中で子供の数が常に親を上回り、3世代共同生活と言う前提があって初めて成立するのではないか?

つまり、前提となる社会構造が変化しているのに、儒教感覚の「子供が親を見る」と言う結果のみが変化していないのではないか?

ニュージーランドでは、老夫婦の面倒を見るのは社会全体である。ある程度体が弱ってきたら、老夫婦はリタイアメントビレッジに入居する。ここは日本のようなバカ高い入居費用を必要としない老人村である。

バリアフリーの村には、病院や教会、郵便局、コンビ二、銀行など、生活に必用な施設が揃っており、そこで賃貸住宅生活をする。

平日はボランティアや看護師、医師が彼らの面倒を見て、様々な催しを行って、誰もが楽しく過ごせるようにしている。

週末になれば子供や孫が迎えに来て、家族で過ごす。

ボランティアは基本的に教会から派遣されるが、彼らも老人である。元気の良い、時間のある老人が、ビレッジの老人を支えているのだ。

こうすれば子供は平日は社会に参加して仕事を行い、社会の一員として働く。そして週末はおじいちゃんと一緒に楽しむ。

子供が親を見るのではなく、社会全体で老人を守っていくという思想が徹底しているニュージーランドでは、老齢年金、医療保険と合わせて、これが老人を支えている。

誰しもいつかは歳を取る。歳を取る事に不安を感じるような社会では、落ち着いて歳も取れないのではないか?

介護殺人は、これが初めてではない。未必の故意を殺人事件に切り替えることで社会の喚起を促そうとする政府の方針は分かるが、前提がすでに変化しているのに、国民に罪を被せようとする対応は、どうなのだ?

今回の介護殺人は一切かばうものではない。何故なら、彼らがそこまで追い詰められていたとは言えないからだ。

ただ、以前起こったような、介護疲れで親子が自殺するようなケースでは、ある意味、政府が彼らをそこまで追い込んでおいて殺人させるようなものだ。

少子高齢化社会で、あなたは今の会社で働きながら、いずれ起こるであろう介護が出来るか?出来るとしても、自分の生活のかなりの部分を犠牲にしなければいけないだろう。

それが、楽しい社会生活だろうか?

いきなりニュージーランド型の仕組みに切り替えることが出来ないにしても、放置しておけばこのような殺人事件は増加するだろう。

そして、世間には殺人と気付かれずに、父親を亡き者にする子供も出てくるだろう。でも、その子は一生忘れない心の傷が付く。

今回のケースは、何度も書くが、決して認められない。制度がおかしいからと言って目の前の人を殺す事が許される訳はないからだ。

しかし、これを機会に構造的な問題を議論する時になったと思う。

それにしても、一体政府のどこの機関が、誰が、このような仕組みを作ったのだろうか?仕組みを作った者は責任を取らず、社会構造の変化に合わせて仕組み変更すべき時に、不作為で変更せずに、ルールのみを押し付けられた人のみが責任を取らされるようになるのは、どう見ても不公平ではないか。

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tom_eastwind at 00:52|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 日本ニュース | 日本