2007年08月
2007年08月30日
ガイド養成講座
昨日は、当社が扱っているガイド養成講座で、ニュージーランドの歴史と経済、政治についての初級者編の講義をする。
な〜んて、偉そうな事を言ってるな。
まともに学問をしなかった僕が教えるにはおこがましいけど、他に誰も適材がいないまま、場数だけは踏んでいるという理由で、6年間、この講義を受け持っている。
実は、予めテキストがあるので、それに沿って話せば、それほど難しくなく説明は出来るのだ。
ニュージーランドは1840年に植民地としてその歴史が始まったから、植民地の歴史としては167年である。
ガイドブックには、ニュージーランドを初めて「発見」したのはアベルタスマンだと書いてる。
でも、よく歴史書を読み込むと、タスマンに「ここ行けわんわん」の指示をしたのは、当時のオランダ国王だったという記録がある。その国王も、勿論自分がニュージーランドに行ったわけではない。国王の手元にある古文書に、その存在が記されていたのだ。
それは例えばアメリカ大陸を「発見」したのがコロンブスだって言う、実にあふぉな「歴史的事実」と認識されていることが実は全然大間違いで、そりゃさ、世の中で欧州人だけが人間であれば、それも一理あるだろうけど、コロンブスがやってきた時点で、すでにアメリカ先住民は長いこと北米大陸で生活してたわけであり、要するに、白人にあらずば人にあらずという何でもかんでも欧州白人至上主義が、世界の歴史的事実を捻じ曲げてた、その一つがニュージーランドにも存在するという事だという事ともちょっと違う。
うわ〜、いっき一筆書き。
つまり、ニュージーランドの場合は紀元前に生きてた西洋人によって「すでに」発見されており、コロンブスのように、西洋人の歴史に始めて出てきたというわけでさえないのだ。
これは歴史の手抜きというべきか、過去の歴史をとってもよく忘れやすい、例えば今で言えば米国のブッシュとかレベルの人間が15世紀の欧州にはたくさんいたのだろう。
そりゃそうだ、タスマンがどれだけ優秀な探検家だとしても、南太平洋に一本のマッチ棒のようにひっそりと存在するニュージーランドを、どうやって見つけることが出来るか?
大体、人間がいかだの上に乗っかったとして、自分の視野に入るのは精々周囲5〜10kmもない。地球は丸いからだ。いくら大きな舟に乗ったとしても、司会に入るのは精々数十キロだろう。それに対して、ニュージーランドに一番近いオーストラリアでさえ2千キロ、南極は4千キロ、南米に至っては8千キロ以上離れている。
そして一番のポイントは、「あるかないか分からない状態」で、冷蔵庫もない、食料にも限界がある、精密な海図さえない、そんな環境で、誰も行ったことがない島を「探す」なんてあるだろうか?
あるわきゃない。大体、そこに島があるって分かってなきゃ、舟の漕ぎ出しようもない。日本近海でも漁船が難破した時など、あれだけたくさんヘリコプターや救助船を出してもなかなか見つからない、それなのに、南太平洋の孤島であるニュージーランド、どうやって探せるというものか。
だから、実は最初にニュージーランドを発見したのは、オランダ国王が手にした古文書に、ニュージーランドの存在を示した人となる。
そしてそれは、当時の記録ではフェニキア人だと言われている。その本の出所は、アフリカ大陸の北岸にあるアレクサンドリアであり、ギリシア人が世界最古で最大の図書館を作ったと言われている都市である。
その都市を古代ローマ人が攻め破った際に、図書館にあった本がローマに持ち去られた。そしてローマはドイツ、フランス、スペイン、そしてイギリスと版図を広げる中で、そのうちの一冊の本が1600年代になってオランダ国王の手元に渡ったと見られている。
「言われている」とか「見られている」とかばかりで、これといった確証がないので、学者からすれば「証拠もなしに、何を言ってる!」という事になるだろう。
ただ、「あった」という証拠はなくても「なかった」という証拠もないので、ガイドとしては、ある程度真実性のある話ならば、旅先の楽しみとしてお客様に喜んでもらうというのは、ありだと思う。
ガイドブックに書かれていることを棒読みするだけなら、ガイドなんて不要だ。歴史の教科書やガイドブックには書いてない話をするのがプロの仕事である。
話自体はなんとなく御伽噺(よとぎばなし)みたいで、それでも何となく、「もしかしたら本当にあったの?」と思わせるような内容なので、結構皆さん、楽しんで聞いてくれる。
他にも、ガイドブックに書いてない話を交えながら、大体4時間の講義を行う。
この講座の特徴は、座学を2週間程度やってから実際に先輩ガイドについて業務を学び、そのままオークランドのガイドとして給料を貰って働けるという点だ。
ただしガイドという仕事は固定給ではない。そしてかなりの経費が自腹でかかる。お客様を待つ間のコーヒー代も自腹だ。だから、収入は非常に低い。普通のガイドレベルで夏場の手取りが1500ドルいけばよい方だろう。冬場だと1000ドルを切る事が多い。
それでも、「ガイドになりたいんです」という人がよく来る。彼らには最初から、「収入は少ないから、生活の糧と思うのなら止めたほうがいいですよ」という。実際に、生活の糧にするなら、お土産やで働いたほうがずっと手取りがよい。
でも、どうも日本でOLなどの職種で、特にコピー取りなど夢のない仕事をしていると、団体を引き連れて颯爽と歩く添乗員や、現地でお客様に知識を提供してお客を喜ばせているガイドを見ると、「まあ、素敵!人を幸せにする仕事だわ〜」と感じるらしい。
僕自身、旅行業でもうすぐ30周年を迎える立場の人間として、一般社会の方が旅行業にあこがれてくれるのはうれしいが、それに応えるだけのお金が払えない、構造不況の業界であるのが、かなしい。
何かの知識を得たいとか現地の人の本音を聞きたいという学究熱心な方が、期間限定でやるには、楽しい仕事だと思う。それに、自分に積極性を身に付けさせたいという方にもお勧め。
ガイドの仕事をすれば、どこまでも覚えることがある。それこそ当社の講座でも、歴史や経済の話から、お客様が緊急の病気や怪我をした場合の応急措置、旅行日程が台風などでめちゃめちゃになった時の対応など、とにかくやることが幅広い。
だから、ガイドを一年すれば、大体どのような業界での仕事も勤まるようになる。場数、度胸がついて、大人数の前でもびびらず、段取りがさくさく出来るようになるからだ。
うちの会社でも、ガイド上がりや旅行会社上がりのスタッフは多いし、やはり彼らは、独特の勘所を理解している。
ただ、一つだけ言えるのは、ガイドは、人生の一部分の、若いうちに経験することは良いが、それで一生飯を食おうとは思わないことだ。
ワーホリビザでやってきて、ニュージーランドを満喫して帰るには、ガイドの仕事はとても魅力的である。毎日いろんな人と会い、いろんな経験をして、自分が成長していくのが分かる。これは、他の仕事では、なかなか得られない体験である。
だから、体験をしてもらい、楽しい思い出を持ったまま日本に帰り、その知識や体験を利用して、普通の仕事についてもらいたいと、正直思う。
もしニュージーランドに残りたいというなら、ガイド時代に出来るだけたくさんの人脈を作り、航空会社、ホテル、留学業界などに転職する方法もある。ガイド上がりで永住権を取ったという人は多い。永住権申請の際の英語テスト免除をもらえることもある(あった)。いずれにしても、ガイドのまま長期間を過ごそう、ガイドで生計を立てようとするなら、かなりの能力を要求される。
それほど、旅行で飯を食うというのは、ほんっとに、それほど大変なことなのだ。
写真はクイーンズタウンの空港。僕のNZ旅行業人生は、この場所から始まった。あの頃は空港というより飛行場という感じだったけど、今では国際線も発着するようになった、ちっちゃいけど素敵な空港です。
2007年08月29日
友あり、クイーンズタウンより来る
昨日は、クイーンズタウンから上がってきた友達と、その仲間と食事。
総勢7名で、オークランドで最近人気のWhiteに行く。ここはフレンチ系だが、和風の味(例えばカキてんぷらにわさびソースとか)や中華の味(カモ肉)とか、本格的洋食味(ロブスタースープ)とかが混合されてて、洗練された味。
オークランドは最近このような「お洒落な店」が増えている。この店のセットメニューが一人100ドル、ワイン合わせる場合は165ドルと、かなり高級な値段設定だが、平日の夜だというのに予約の電話を入れると「8時までに席を立ってくれればOK」という状態。
そこで早速、17:30にスタンフォードホテルに集合して、急ぎ足で5分の、ヒルトンホテル内にあるWhiteに向かう。
丁度夕日が沈む時間で、オレンジ色の光が海を輝かせる。そしてすぐ、心が和む感じの夜空に、ほぼまん丸の月が光る。
今回のメンバーはスキー繋がりで、直接僕の仕事とは関係ないのだが、気を使わずに飲めるし、もろ日本のビジネスマンだから、会話しながらも、日本の楽しい生情報が聞ける。
そうこうするうちに、あれれ、月が隠れ始めた・・・月蝕じゃん。テーブルで食事をしていたキーウィも、グラス片手にレストランから続いているオープンデッキに飛び出て、わいわいやっている。
僕らも、珍しいものだから眺めに行く。それほど大きな月蝕ではなかったが、こんな時間に空を眺めることもあまりないので、海風にあたりながら夜景を楽しんだ。
彼らはスキーツアーを専門に扱う企画会社に勤めているのだが、やはり全体的にお客が減ってきているという。スキー人口は減ってないが、スキーの年間滑走日数が減ってるので、結果的には、上昇市場とは言えない状況だ。
「スキー行くよりも、もっと気軽に遊べる方法が、今の日本、たくさんありますからね」
だろうな、何となく分かる。
それから久しぶりに2次会に行き、カラオケを楽しむ。てか、酔って大声大会。
クイーンズタウンの友達は、ほんっと、この夜のためだけにやってきた。
前回のクイーンズタウン出張で彼の店で会ったというだけで、じゃあオークランドで飲みましょうという話になり、彼が「じゃ、俺も行くよ」って軽いのりで話してたのだが、ほんとに、昨日の昼過ぎにクイーンズタウンからの直行便に乗ってやってきて、ホテルもその場でスタンフォードに飛び込み予約、今朝9時の飛行機でクイーンズタウンに戻っていった。
何となく良いノリ。飲んだ席で、「じゃ、今度行くよ〜」でもって、ほんとに、飲むためだけに飛行機に乗ってやってくる。そして、がば〜っと飲んで、翌朝には帰る。
ちょうどバブルの時代の遊び方。あの頃、そんな遊びがよくあった。福岡の中州で朝まで飲んで、
「ちょっと小腹がすいたね、ラーメンでも食べようか?」
「あ〜、だったら札幌ラーメンがいいな〜」
「よっしゃ、丁度10時発の飛行機で札幌行きがあるから、そいつで札幌に行って時計台ラーメン食おうぜ!」
一杯5万円のラーメンである。でも、みんなその分、しっかり稼いでいたからな〜。
いつの時代も、お金は、なければ作ればよい、そういう発想で生きてきた。
幸運なことに、何時の時代も、良い場所にいた。バブル真っ最中の日本、ハネムーン景気に湧くクイーンズタウン、96年の返還前までの香港の超上り景気、そして今は毎年人口が3万人増えて成長していくオークランド。
一つ一つの仕事を見てると失敗も多いが、合計してみると、どこの時代でも楽しんできた。
最近、遊び方を知らない若い人が増えているが、将来に希望を持てないからか、不安なのか、節約とか貯金とか、飲んでも終電で帰るとか。
どうなんかな、その生き方。世の中の景気をもっと盛り上げるためには、やっぱり景気回復、明日は今日より絶対楽しいって雰囲気、社会全体が盛り上がる世情が欲しいな。
クイーンズタウンの友は、結局レストラン、2次会の費用全部を払ってくれて、たぶん3千ドルくらい使って帰っていった。航空券+ホテル+飲食代。次はこちらからクイーンズタウンに行って、ウラを返さねば。
2007年08月28日
内閣改造
麻生さんが幹事長。町村さんが麻生さんのポストを継いで、小泉時代の外務省に返り咲き。与謝野馨さんが官房長官。このあたりは、しっかりと重いメンバーですな。
麻生さんと現在の幹事長の中川さんは、どちらも論客であり、実に役者だ。どっちがやっても自民党の重鎮として通る。特に麻生さんは、中川さんと違って、国民が顔を覚えている政治家である。
与謝野官房長官なら、塩崎さんのようなバカっぽい真似もしないだろう。
石原さんが政調会長か。昨日のNHKでも、何かもろいんだよな、この人。ぼんぼんが、どうしても腹括れないのかな?同じ二世でも、中川さんは親父を殺されているから、顔つきが違う。あ、中川さんは、今回はお休みだな。
びっくり人事だったのは、ますぞえさん。これはもう、毒をもって毒を制すの人事ですな。厚生労働省に当て込んで、うまく省内をまとめて改革すれば安倍さんの手柄、失敗すればますぞえさんの責任、どっちにしても、今まで言いたいこと言ってた奴に、責任取らせろよっていう、面白い発想の人事だ。
ただ、これでますぞえさんが成功すれば、彼は自民党を飛び越えた、もしかしたら飛んでもない存在になるかもしれない。まあ自民党からすれば、そうなれば彼を使えるだけ使って、不要になればスキャンダル作って国策捜査で、痴漢でもムネオハウスでも、何でも罪状作って片付けるんだろうな。
法務大臣になった鳩山さん、しょっぱなの挨拶で早速新聞記者から突っ込まれて、ハンカチで汗ふいちゃまずいっしょ。あれは、今日からバンバン新聞で使われそうな、絵になる写真ですぜ。
政治家の資質として色んなものがある。知識、広い視野、高い位置から俯瞰する能力、教養、etc。
ただ、一番感じるのは、組織の頭として、みんなを引っ張るリーダーシップがあるかどうか、これが大きいと思う。
結局組織の明日ってどうなるか、誰も分からない。戦争と同じだ。今日は勝っても明日は負けるかもしれない。もしかして、ぎりぎり土俵際まで追い込まれても、元寇の神風のように、最後に他力で勝つかもしれない。
大事なことは、組織を束ねて、例え間違っていてもしっかり方向性を示して、「おい、こっちに行くぞ!」と、皆を納得させる力だ。これはもう、理屈ではない。腹を括って、自分が死んでも良い覚悟で、組織の為に戦っている、その背中を見せることが出来るかどうかだ。
そしてもう一つ、何よりも大事なのが、運があるかどうかだ。こればかりは、鍛えてもどうしようもないもので、運がない奴は、どこまでもない。
どれだけ知識があっても能力があっても、間違った場所に間違った時間に間違った人が存在すれば、それはもう負けが確定したようなものだ。それが運。
松下電器の松下さんも「運の悪い人とは、積極的に付き合わない」と言ってた。全く同感。
運がない奴は、何故ないのかが理解出来ず、周囲も巻き込んで不幸にしてしまう。困ったことに、本人は正しいと思い込んでて、だから訂正のしようがない状態にまで組織をぼろぼろにしてしまうのだ。
安倍さんの運のなさは、ここまで来たらもうばればれだ。彼の運のなさを、麻生さんや与謝野さんが埋めるのか?理屈ではそうなるが、政治の世界では、「それなら最初から麻生にやらせろ」となる。
今回の組閣で、安倍さんが今年一杯持つかどうかは分からない。ただ、彼が近いうちに総理を辞めるのだけは見えてる。
ただ、日本は内政にばかりやっているような余裕はない。四方八方立ちふさがりの状態で、政府が一丸となって、どっちでもいいから、まず走り出すことが必要だ。
それが出来ない現状は、せっかく小泉さんが進めてきた暴力的改革が、一気に後戻りすることになり、何のために精力と時間を使って戦ったのか、全く無意味にしてしまう。
マスコミにも言いたい。せっかくの最初の大臣就任会見で、しょうもない事ばかり聞くなよ。お前らが政府の足を引っ張っているんだって事を理解しな。
国民の木鐸(ぼくたく)であるべきマスコミが、ほんとに自己保身と主義主張なしの「マスゴミ」になっている現状がよく分かるような、頭でっかちで格好ばかり付けて中身からっぽな質問が次々と飛び出た記者会見でした、ちゃんちゃん。
写真はオレンジガンダム。竜馬君の中では、一種英雄のようです。
2007年08月27日
スパムファイター
最近はどこの会社でも導入していると思うが、しょうもないサイトへの誘引をするメール群の処理に活躍しているスパムファイター。
スパムファイターは、タイトルや文章の中身を自動検索して、おかしそうなのは自動的にスパムファイターフォルダーに放り込んでくれる。
ただ、困った事に、普通の業務用メールまでスパムに落ちる事が、よくある。
例えばタイトルの部分に「申し込み請求」などとあると、これは要注意。スパムされる可能性大である。スパムからすれば、会社同士のビジネスの話なのに「何の申し込みじゃっちゅうねん!」となる。
また最近の女性の名前はますます発達して「伊藤」や「鈴木」等の苗字と良くバランスの取れた下の名前「xxき」とか「xxみ」とか、要するにとても可愛い名前に仕上がってしまってるから、スパムからすれば、「出たな源氏名!お前も削除じゃい!」となる。
そして文章。本文の中に「お金」とか「振込み」とかがあれば、益々こいつはやばし!「振り込め詐欺じゃ、スパムに放り込め!」と、道徳心高く融通の利かないスパム君は、徹底的に次々とスパムに投げ込んでいく。
更に当社の場合は個人からのお申し込みが圧倒的なので、殆どの申し込みはメールで、個人から送られる。当然ホットメール等の設定で、自分の名前をそのままアドレス名にする事があると、もうかなりの確率で「すぱむ」られる。
でも、それが実は普通のお客様の、普通の申し込みであるという事がよくある。
何故なら、当社への申し込みは、生活資金の海外送金、留学手配、移住、投資など、可愛い名前の個人がお金を動かすわけで、もろにスパムの範疇に、ど真ん中ストライクで入ってくるのだ。
だから、普通のメールをざ〜っと全部調べてみて、内容を確認して、その中に残っているスパムを弾く、次にスパムメールの中を覗いて、本業のメールが入ってないかを調べる、結局二度手間になっているのが現状だ。
それでもまあ、ある程度の仕分けはしてくれるので助かるが、問題はスパムメールを全部開いてたら、スパム機能を導入した意味がなくなるわけなので、ある程度はざ〜っと目を通すしかない。
それが一日当たり500通以上来るわけだから、中にはどうしても普通のメールを見逃してしまうケースが、最近出てきている。
僕自身も一通りタイトルには目を通すのだが、タイトルが無記名のものなどは、普通にスパムと認識してしまう。
ある会社でお客様から「あの〜、一週間前にメールしたんですけど、どうなっているんですか?」と問い合わせが来る。
スパムファイターが撃墜したメールで、二度目のチェックにも洩れたケースだ。インターネット環境に慣れた人なら、「スパムに落ちていました」という意味が分かるのだが、日頃パソコンに触れてない人は、まさか自分が送ったメールがスパムとして処理されている理由が理解出来ない。
「何で私のメールがそんな変なことになるんですか?お宅、何か変なことしているんですか?」などと言われても、ファイターの判断なので、そのファイターが持つセキュリティの設定によっては、当然そういう事も起こる。
そういう理屈を説明しても、分からない人は理解不能。挙句の果てに、自分が侮辱されたと勘違いする。「一体どういう事ですか!何で私のメールがそんな嫌らしいメールと一緒にされなくちゃいけないんですか!あたしをバカにしているんですか!」
だから、してないって。コンピューターが無慈悲に捌いているだけで、今の世の中を生きていれば、自然とそういう事も起こる時代になったって事なのだ。
だから、今の時代において「気持ち悪い」とか「いやだ、」なんて感覚だけで話をしても、何も進まないのだ。それは、本人の責任でもなくPCの責任でもなくサイト運営者の責任でもない。時代がそうなったのだ。
インターネットは性善説をベースにしている為、インターネットが攻撃者を排除しようとすれば、性悪説に基づいて反撃システムが構築される。
その結果、疑わしきは罰するというルールが導入され、彼らを排除する為に、正しいけれど知識がない人や弱い人も、悪い連中と一緒に切り捨てられてしまうのだ。
ただ、それは何も個人を侮辱しているわけではないし、嫌われているわけでもない。そこの点を、特に最近の切れやすい若者は、インターネットの仕組みもよく分からず、考えようともせずに、「ふざけてんじゃね〜よ」とか「気持ち悪いんです」みたいな、全然見当違いの反応を起こす。
インターネットを扱う人が、「そういう事も起こる、インターネットに完全はないのだ」という事を理解せねばならないのだ。インターネットに限らず、公園の遊具でも道路工事でも、勿論原発でも、完全はあり得ない。リスクのない成長などあり得ないのだ。
そのリスクが「あっりえな〜い!」で脳内処理しようとする、その思考回路自体が、いつの時代でも「あっりえな〜い」し、実は人間が社会を構築して都市国家を作った時代から「あっりえな〜い」のである。
そんな、危機意識がないまま、「ね、ね、大丈夫だよね、ほんっとにこれって、OKだよね?」と、自分で状況把握もせずに理解もしようとせずに、他人に責任を押し付けて安全を保証させて、そうならなかったら相手を怒るような自己責任を放棄する姿勢では、何時の時代でも生きていけない。
失われた10年で一番被害を受けたのは、実は若者である。特に、社会にしっかりついてこれない若者は、フリーターや低所得者となり、勉強する機会もお金もないままに、いつまで経っても自分の生活は安定せず、何となく怒りだけが溜まってきて、それがちょっとした機会に爆発するのだろう。
この逆切れ、当社で起った事件ではないが、若者をたくさん扱う会社では大変だろう。
今日もニュースで、ショッピングセンターのフードホールで昼過ぎに、4人掛けテーブルを一人で占めてだらしなく寝てた若者が、相席を求めたおじいちゃんに逆切れして、そのおじいちゃんを殴り殺した事件があった。
これなども、何が問題なのか理解する力が圧倒的に不足したまま、体の大きな、怒りの溜まった餓鬼として社会に放置された結果であろう。
もしかして食事の問題もあるかもしれんな。人間が特定の食事ばかりしていると、切れやすくなるという調査結果があったのを記憶している。彼らは子供の頃からコンビニ弁当やファストフードばかり食べてきて、親の愛情のこもった食事を摂ったことがないのではないかとも思ったりする。
世の中は景気良くなったというが、ほんと、それはまだ上の層だけであり、一部の支配階級が多くの弱者から薄く広く利益を吸い取る構造である。
大きく考えれば今の理解力不足の若者を創り出したのは政府や役人であることは間違いない。国の舵取りの結果として、沈みかけていた船から振り落とされた被害者である。
しかし、だからと言って知識がないまま、政府が悪いとか、勘違いして無駄切れをしていても、自分の為に何もならない。
このあたりで、もっと時代についていこうと努力しない限り、格差は益々広がるだろうし、自分で自分の首を絞めてしまい、それこそ人生が終わるときに、「俺の人生って、あっりえな〜い」と後悔するのだろう。
写真は、竜馬君が週末に作ったガンダム。プラカラー(今は何と言うのか?)を何とか使っているが、塗りもれが目立つな。10歳なので、この程度でも良く頑張ったなと思いたい。
2007年08月26日
白黒黄色
土曜日は竜馬君を連れて、グレンフィールドショッピングモールにある「Time zone」と言うゲームセンターに行った。
我が家では、平日の自宅でのテレビゲームはお母さんによって禁止されているが、土曜日だけは一日中ゲームをしても良いよって決まり。
最初のお母さんの提案は、「平日に毎日30分ゲームをするか、平日は一切ゲームをせずに、土曜日は朝から夜までやるか」だったが、竜馬君としては短時間をちょこちょこやるより、土曜日にまとめてやって腕を上げたほうが良いと判断したらしい。
僕もその方が良いと思う。スキーを毎年10日滑っても、大してうまくならない。それよりまとめて一冬山に篭ってスキーやれば、1シーズンで随分うまくなるものだ。
教育ママからすれば、「土曜日に一日中ゲームさせるなんて!」と怒るかもしれないが、ゲームはそれなりに適度にやれば楽しいものだ。大体、10歳の子供に、やりたくもない勉強を押し付けてどうしたいのだろう?
親の都合で、やりたくもない事を無理やり押し付けられて、子供がどんな気持ちになるものか?
「あなたはどうしてもっとやる気がないの?勉強は貴方のためよ!」って、そんなヒステリックに怒鳴らないでよ。
親が勝手に「これがいい、これだけが正しい」と思い込んで押し付けて、出来上がった子供が他人の痛みを理解出来ず社会に適合できず、何で生きてるかも分からないように、つまり、その子の親と同じようになる事を期待しているのか?
僕自身もインベーダーゲームの時代からゲームダイスキ人間であり、それが今の自分の中でも楽しい思い出として残っている。社会人になって何が一番うれしかったかって、自分の金でゲームが好きなだけ出来ることだった。
社会人になってからの休日には、朝から晩までゲームセンターで遊んでた事もあるし、RPGなんてなかった時代だから、ゲームが単純で微妙なスティック操作を要求される楽しさがあったな。
まあいいや、今日は竜馬君のお付き合いだ。
TimeZoneの遊び方は、受付でプリペイドカードを50ドルくらいで購入して、そのカードには個人情報と最初に入れたお金+10%TopUp(おまけ)してもらったデータが入力される。
次に自分の好きな台に行き、カードをswipeさせるとゲーム開始だ。コインやトークンは使わない仕組み。
ゲーム終了、「もっぺんやる?」と質問が来てから再度カードをswipeさせて、もっぺんやる。
地元の子供にも人気のゲーム店だが、殆どは日本製。だから電光掲示板に「新製品!」と出るのだが、分かってるキーウィはいないよな。
店の規模は日本に比べれば「ちゃちいい〜」の一言だが、それでもオークランドで生まれ育った子供には、楽しくて仕方がないらしい。中には、どう見てもあんた20歳以上でしょってのが、きゃっきゃ言いながら遊んでる。
場所柄、小学生も入ってくるのだが、何人かの子供が「Hey,Ryoma!」と声を掛けてきた。良く見ると、同じクラスの友達だ。竜馬君の名前は、こちらの子供の間では「ライ、オーマ」になる。
そのうちの一人が、竜馬君が一人で遊んでた、ウージマシンガンでゾンビーを打ち倒すゲームをやってると、暫く後ろからもじもじしながら眺めてて、そのうち我慢しきれなくなったように、竜馬に遠慮がちに、「ね、一緒にちょっと遊んでもいい?」と言ってきた。どうやら彼は、親からカードを買ってもらえてないようだった。
子供らしい仕草で、竜馬も、「うん、もちろん!」と言いたそうな顔でこちらを見るので、思わず「うん、いいよ」と返したら、そこから先は二人ではしゃぎまくり。
10歳の子供二人がウージーマシンガンを振り回しながら、「そこじゃない、こいつを撃て!」とか、「ほら、ReLoadだよ、銃口下げて!」とか騒ぎまくっている。
こうなると暫くは機械に貼り付けになるのは目に見えているので、僕は近くにあるオートバイゲームや銃座付のガンダムで遊んでいた。
10分くらいして戻ると、二人はまだバリバリとマシンガンを撃ちまくっていた。
更にもう一回ガンダムで遊んで、10分くらいして見ると、他にも数人の友達が集まって、4〜5人でゲームセンターの中を走り回ってた。
カードを持ってる子は、持ってない子とシェアしながら、皆でバスケットボールや玉入れをやってる。
結局1時間半くらいゲームセンターで遊んでた彼ら、竜馬君のカード残高も、最初の50ドルが0ドルになって、今日は打ち止め。
手元に溜まったクーポンを、写真の機械に突っ込んで更にポイントに変えて、今日は終了。友達に「ByeBye!」と手を振って、お父さんと子供は夕食の買い物に。
竜馬君の通っている小学校はグレンフィールド小学校で、グレンフィールドショッピングセンターから歩いて10分くらいのところなので、もろにスクールゾーンのど真ん中だから、このセンターにはたくさんの子供が集まってくる。
昔のニュージーランドなら、週末は家族で海や山や公園に行ったのだろうが、最近は大型モールの中に大型ショッピングセンターが出来てフードコートがあるので、雨が降る週末でも楽しく過ごせて、帰りに夕食の食材を買って帰ることが出来る便利さも受けて、益々人が増えている。おかげで広々とした駐車場が、いつも停める場所探しに苦労するが。
移民の多い地域でもあり、竜馬君の友達も、地元の金髪の少年、マオリ系ではないアフリカン系のちりちり髪の少年、アジア系の少年と、見事に三色揃っている。
グレンフィールドという地域が中流地域なので、集まる人はブラウンズベイ程の上品さはなく、子供たちも、心なしか乱暴者が多い感じもする。ゲームセンターに集まるんだから、そんなもんちゃあ、そんなもんかもしれんな。
でも、子供たちが自然に集まって、親からもらったお小遣いをカードにつぎ込んで、子供同士がお互いにカードを貸し合いながら遊ぶってのも、何となく良いものだと思った。
勿論、子供の遊びに50ドルも渡すなんて何事だ!と怒る人もいるだろう。教育の観点から、「そんな悪い友達が出来るような場所に連れて行くなんて!」とか、いろんな形で文句を言う人もいるだろう。
また、最初に人にカードを貸したら、また次も貸すようになって、そのうちカモにされて大変よと言う人もいるだろう。
みんな、それぞれの子供から社会人になる中で、自分たちの経験を踏まえた忠告を言いたくなるだろう。
でも、僕の経験で言えば、ゲームは楽しかったし、子供の頃、友達と一緒に夕方まで遊ぶのは楽しかった。
うちが貧乏でおもちゃも買えない時でも、友達の家のおもちゃ目当てに、よく遊びに行ったものだ。お金がない事が少し恥ずかしかったけど、それ以上に友達とおもちゃで遊ぶ経験は、今思い出しても胸の中があったまってくるような経験だった。
特に今、外国で生活しながら毎日新しい仕事をして、かなりぎすぎすするような時に、ゲームセンターに行ってその当時の気持ちを思い出すのは、楽しいことだ。
今の時代に、ウラの空き地でちゃんばらをやったり、放課後の学校に集まって野球やったりという事は、まずない。
そういう遊びが、今の時代はテレビゲームになっているんだと思う。ウラの空き地の代わりにショッピングセンターやゲームセンターがあるのだと思う。
よく、ゲームをすると馬鹿になると言う人がいるが、それはどうだろうか。
むしろ、遊びたい盛りの子供を押さえつけて、自分で自分のやるべき事さえ理解出来ない大人にするよりは、感情の赴くまま遊ばせて、適度なところで、80%程度で親が止めて、人生の中でブレーキを踏む時とアクセルを踏むバランスが分かってくれればと思う。
子供たちが熱くなりすぎて、他の来店者に迷惑をかけてないか、子供同士が喧嘩になりはしないか、ちょっと冷や冷やしながら見てたが、ふと気づくと、僕が竜馬君と週末を二人きりで過ごすのは、どう振り返ってみても、最近ずっとない事を思い出した。
そう言えば学校の面談にも奥さんが行くだけで、竜馬君の担当の先生が誰かも、いつも一緒に遊ぶ友達が誰かも、あまりよく知らなかった。
いつも竜馬君を学校に送るだけで親の責任は果たしたくらいに思ってたが、竜馬君は、僕が会社で過ごすのと同じ時間を学校で過ごしてて、そこで竜馬君は社会に少し接しているんだという事に気づいた。おっそ〜。
夕食の買い物をして、ついでに竜馬君のダイスキなガンダムのプラモデルを買ってあげた。
土曜の午後、たった4時間のお父さんと子供のツアー。有意義な週末だったかも。
2007年08月23日
原発
先週末の日曜日、ニュージーランドの正午丁度に始まる「NHK討論」。当日のテーマは「エネルギー政策 原発」。
日本は、実に様々な危機を抱えた国である。
エネルギー資源はないし、食料はないし、地震銀座の真上にいるし、台風の大通でもある。
そして、古代の大国であり、世界一の人口を抱えて現在発展中の中国と、今世界で最もパワーがあって、尚且つその使い方がどうしようもなくわがままなパックスアメリカーナの米国に挟まれている。あれやこれや、全く開闢以来、トラブルの絶えない国が我が日本である。
これから先も、中国が先進国化する中で、国境を越えた公害が日本を襲うことになる。
今までは幸運なことに、国難が起れば神風が吹いてくれた。
1200年代の元寇の時は本当に神風が吹き、1600年からは徳川300年で安定した国家が出来上がり、1860年代の国際社会への参加に否応無しに巻き込まれた時は維新の志士がいて日本の独立を守り、戦後の日本では敗戦を知った優秀な政治家と官僚が、軽武装政策の中で経済を急成長させ、日本を見事なまでに再建させた。
失われた10年の後、やっと今も少しずつ日本が形を取り戻し始めているが、ただ、かつてのような強烈な政治家も優秀な官僚もいない現在、この国をまとめて指導出来る層というか人物がいないのが、今の日本の国難であろう。
日本のエネルギーのうち31%が原子力発電である。石油やガスが限られた資源として産油国のコントロール化にある以上、電気がなければ生きていけない日本は、生殺与奪権を外国によって押さえられたようなものだ。
食糧問題とエネルギー問題は、実は日本が抱える構造的な問題であるが、目先にない為に、ついついイラク問題や年金に目が行くが、実は国家百年の計として考えるべきは、国家の構造でる。
今のような全方位外交であれば、中東の石油産出国とも仲良くして石油も買える。しかしもし日本が舵取りを間違って彼らを敵に回したらどうなるか?また、中国やインドが経済成長して、彼らがどんどん中東の石油を買うようになったら、どうなるか?
かなり綱渡り的な政治交渉が必要になるが、そもそも日本に資源がないのが、何よりの問題である。元々大東亜戦争の始まりも、日本が南洋の石油資源を求めていった結果とも言える。
その石油にしても、いつかは枯渇するわけで、再利用可能な代替エネルギーをどうするかというのは、昔から日本が抱える根源的な問題である。
その中の現実的な選択枝として出てきたのが原子力開発だ。
核分裂の連鎖反応を原子力発電に応用して実用化したのはエンリコ・フェルミ、第二次大戦後の事である。それから実用にこぎつけて、世界は原子力発電の時代に入った。
原発の燃料であるウラニウムなら、少量を確保するだけで大きなエネルギーが得られる。豪州とはうまくやれるし、元ロシア連邦の一員である、スタン諸国などの、ウラン資源を持つ国とも仲良し交渉をやって、うまいこと商社を噛ませて原子力エネルギーの元であるウランの確保は出来る。
そこまでは良かった。1970年代は、ウラニウムの資源確保はどうにかなるって事で、原子力発電所を作った。石油以外の代替エネルギーを確保しなければ、日本の繁栄は保障されない。そういる国策の下に、原子力が花形ビジネスになった。
そこで日本中あちこちに原発を作った。ところがスリーマイル事故、チェルノブイリ事故もあり、日本人独特の、意味のない「気持ち悪い〜」とか「怖い〜」とかの、理屈抜きの感情を大事にするしょーもない反対運動によって、潰された原発も出てきた。
言っておくが別に僕は原発推進派ではないし、蛇が出てくれば、「気持ち悪い〜」って言うし、暗闇でお化けに遭えば、「怖い〜」って思うだろう。
ただ、国家がエネルギー政策を考える中で選んだ選択を、「気持ち悪い〜」とか「世界で唯一の被爆国であるわが国は〜」という、現実的選択が必要なエネルギー政策を、全く違う感情論の次元の問題で捉える、あまりにも平和ボケした考えが嫌いなだけだ。
国民がそんなレベルだから政府も「いいえ、原発は安全ですよ〜」と、同じ次元に下りて、安全でもないのに安全なふりをするという、無意味な空論を重ねる事になり、本質的なエネルギー問題に国民が対面するという、本当の解決に繋がっていない現状が嫌なのだ。
本来国民と政府が話すべきは、既存エネルギーを自国で確保出来ない国が独立国家として他国の干渉を受けずに国家運営を健全に維持するためには、何らかの代替エネルギーを考えねばならないという事。
風力なのか太陽熱なのか、または地熱なのか。それとも原子力なのか?それぞれにコストと安全性を検討していく中で、現実的な選択をせねばならないのだ。
例えば原発一基で100万人の電力を賄えて、一基作るのに500億円かかるとする。(あくまでも例え)。
でもって、最近猛暑の日本で、例えば
勿論それなら太陽熱!という事になるだろう。しかし、今の日本のソーラー技術で一体どこまで電力が作れるのか?
それなら政府が、現在の技術力で出来る電力と、それにかかるコストと、作った場合のリスク、つまり原発ならメルトダウン、核爆発、数十万人があっという間に死亡するというリスクを比較して表にすれば、誰もが理解出来るだろう。そしてその表を国民に見せて、「さあ、どうしますか?」と信を問うべきなのではないだろうか?
例えば
つまり、消費生活物質文明に慣れた人々が、江戸時代とまでは言わないが、戦前の日本の生活に戻っても、核爆弾を食らうよりはましだと思うかどうかだ。
現在稼働中の原発は17箇所である。テレビでは、原発推進派ってか、政府の役人が右側に並んでいる。左側には、原発に対する反対ってか、自分の足の指の数も数えられない大衆が並んでいる。
大衆は、なんちゃら評論家とかが「あのですね〜、とにかく安全なものさえ作ってくれればいいんですよ、それが政府の役目ですから、私たちを安心させてください」って、どんなあふぉ、このおばさん?
原発は、全く安全ではないのだ。どんなに作ろうと、技術的にはまだ完全ではない、爆弾を転用したエネルギー源であり、廣島型の核爆弾の数倍以上の爆発力を持ち、当然放射能も発生させる、まさに人類はじまって以来の強力な兵器なのだ。
だから、原発に安全や安心を求めるのは、目の前に鰹節を置かれた猫に向かって「お願いだから鰹節を食べないで」とか、目の前に麻薬でらりった状態のキチガイが、片手に大型ナイフ、片手にピストルを持ってあなたの前に立っている状態で「まさか撃たないよね、刺さないよね〜」って聞いてるようなもんだ。
国民が垂れ流して使っている電力を、これからも垂れ流し状態で一晩中ライトアップで街を照らして、24時間いつでもケータイが使えて、クーラーを入れっぱなしにして寝る生活を守る為に、いつ爆発するかもしれない核爆弾と一緒に生活するのかって事は、選挙という手段によって間接的に国民に判断が委ねられている。
その、二者択一の問題を、「安全を守ってください」という理論にすり替える欺瞞が、今の日本をかえって悪い方向に追い込む、その事をどこまで理解しているのか、この人々。それとも、わざとNHKがそういう人を選んだのかと、思わず勘ぐりたくなる。
特に原発を誘致した街は、どっかの技術者のほんのちょっとしたミスか、または大型の直下型地震が起れば、確実に核爆発の正面に立たされて、他の町の国民の誰よりも早くこの世からグッバイする事を理解して受け入れているはずだ。
いつ爆発するか分からない核爆弾よりも、今日の町民の生活、綺麗な道路と公民館と安い住民税の方が好きって人は、それは選択の権利があるのだから、そりゃどうぞ、だ。その選択に納得出来ないけど多数決で負けた人は、仕方ない、原発を受け入れるか、他の、原発がない地域に引っ越すしかない。
テレビでは、推進派がしきりに、「安全で安いコストで作れるエネルギーは何か?」という視点から、生活消費なんちゃらかんちゃらという、机の反対側に座ってるおばさんに訴える。
「電気代は毎月払うものですよ、それは出来るだけ安いほうがいいでしょ?」そりゃそうだ、その部分だけを見ればそういう事。でもさ、その代わりに受け取るものが核爆弾じゃ、あんた、情報の片手落ちでしょ。
「経済的な投資という立場で見れば、技術が確立している原子力が一番効率的ですよ、今から風車作ったりソーラーパワーの研究をしても、現実問題として高い電気代を払いますか?われわれは国民に安くて〜」と、様々な美辞麗句が続く。しかし、根本的な問題、国民が全てを知った上での選択を求めるという、本来政府がやるべきことは、番組の中では絶対に出てこない。
最近は原発推進派も、昔のように念仏のように「原発は安全」とは言わなくなった。情報がこれだけ出回る時代だ、そんな見え透いた嘘は、さすがに通じないという事に、遅まきながらやっと気づいたのだろう。
ただ、その代わりに「ちょっとでも揺れたら自動的に止まるシステム」があるから、今回の中越沖地震でも炉心には全く問題がなかったとか、「あれだけの想定外の地震でも殆ど放射能も漏れておらず、通常以下の数値だった」とか、災害に強いという点を強調していた。
でも、浜岡原発で直下型地震が起り、その時に風向きが東京方面であれば、10時間で放射能が東京を襲い、東京が死の町と化すのだ。そこで何万人が死ぬか、まだ発生してないのでわからないが、東京から避難するのが遅れた人々が巻き込まれるだけでも、数万人は死ぬだろう。
原発とはこのように危険なものだが、その危険なものと隣り合わせに生きなければ、もっと大きな危険、外国による支配という問題が出てくるのだ。
どっちもいやん、私は清く生きたいわなんて、そんな戯言が通じない環境にいるのが、今の日本なのだ。
だから、日本としては、地震だけでなく、エネルギー問題、食糧問題など、さまざまなリスクを背負って日本という土地の上で生きていくのか、それとも大東亜共栄圏を広げて地理的にリスクを分散するのか、考える必要がある。
もっと言えば、日本政府にとって、守るべき人々はどこまでなのかという問題がある。
そのような問題を提起しないままに上滑りだけの安全神話議論をどれだけNHKがやる、たった一つの意味は、国民の目を現実から逸らして、何も考えさせないという事だけだ。
今後日本政府としては、原発エネルギー供給を現在の31%から40%にしたいと考えている。ならば、その原発をどこに作るのか?そして、原発が危険なものと認識した上で、どこまでの被害なら許容できるかを国民が議論すべきではないか?
自分は原発の被害に遭いたくないけど、原発の恩恵である電気やインターネットには与りたい、そんな自分勝手でわがままな理屈が通らない時代なのだ。
様々な問題を抱えた日本。一番簡単な答えは、考えないこと。事故が起れば、ちょっと反省して、また同じ事を繰り返す。そのうち技術が進歩して、問題自体が解消するさ、そう言って笑っている役人の姿が見えるようだ。でも、メルトダウンは役人の家族も巻き込んで発生する。その時になんて言うんだろうな。
2007年08月22日
ラーメン屋に行く
先週末の土曜日は、半そででも歩けるような陽気で晴れ間も広がってきたので、以前から気になってたブラウンズベイの日本人経営というラーメン屋に行く。開店してから一通り落ち着いたら、そのうち行ってみようと思ってた。
静岡県に本店があるラーメン屋が、何故かブラウンズベイという、シティから車で20分ほど離れた郊外の商店街に開業したのだから、ちょいと不思議。
土曜日の昼という事もあり、「俺らも連れてけ」という家族全員のリクエストを受けて、全員でラーメン「宝」に向かう。
シティ方面から目指していくと、ブラウンズベイ商店街に入るための「手前の道」=アンザックロードに右折して入り、ロータリーも更に真っ直ぐ抜けてすぐ、海の目の前まで行くと右手にある、アンザックロード4番地。
既存のちっちゃなテイクアウェイ店を買い取ったような外見の、いかにもニュージーランドの昔からのお店って感じだ。高すぎるカウンターに、隙間にぎりぎり押し込んだようなテーブルは位置。でも、店の前に日本風の暖簾をかけてたり、内装を日本のラーメン屋っぽくしている。
隣がインディアンテイクアウェイの店で、何故か中が繋がっている。共同オーナー?カレーラーメンか?店内に甘めのバターチキンカレーのような、ほのかな匂いがする。
12時ちょい前に入ったら、先客が二人、ちょうど食べ終わったところ。僕ら4人組のすぐ後にも三人、中国系の家族が入ってきた。
テーブルが二つとカウンター5席程度のこぶりなお店だが、オープンキッチンの厨房と、奥にある厨房が、勿体ないくらい広い。お寿司のテイクアウェイもやっているようで、カウンターに置いたショーケースに、巻き寿司を乗せ始めてた、、、、ラーメン屋だよね?以前のお店の居抜きで契約したんだろうな。
早速テーブルに腰掛けてメニューを見る。メニューブックはちょいと高級な三つ折りで、店の由来やラーメンの由来を書いている。ラーメンはいろんな食べ方があるし、街によっても随分異なるが、まあ楽しんでくれ、みたいな事。
ちょっとサービスは遅いけど、ゆっくり丁寧な口調で若い店員さんが注文を取りにきた。ラーメンの種類だけでなく、麺も選べる。麺が自家製で、縮れ麺とストレート麺の二種類がある。
僕とみゆきは豚骨ラーメンでストレート麺を注文。竜馬くんはちじれチャーシュー麺、奥さんはちじれ塩ラーメン。ついでに餃子を12個注文する。
豚骨ラーメン 9ドル50セント
塩ラーメン 8ドル50セント
チャーシュー麺 11ドル
餃子12個 11ドル
最初に運ばれたのが豚骨ラーメン。九州風の細麺かなと思ったが、普通のしょうゆラーメンに使う、太めサイズだった。スープは、熊本風でニンニクを効かせて、良い香り。ここで期待した僕がバカだったかもしれない。
ラーメンってのは、いろんな要素の複合体である。麺、スープ、具が基本だが、その日のスープの出来具合は、豚肉を相手にしているだけに、毎日味がばらつく。うどんのように安定した味にならないから、一杯ごとにスープとタレを微妙に調整する必要がある。
麺にしても同じで、打って何日目に出すかで、変化が出る。
結果的に、同じような食材を使って同じ店で作っても、ラーメンの場合は昨日と今日の味が変わるという事が起る。
で、ここからが問題なのだが、基本的にしっかりした味を作ってても、それを毎日調理する人が、美味しい豚骨ラーメンの味を知ってなければ、「まあこんなもんか〜」と出してしまう。
本物が分からないまま、似たようなものが出てくるのだ。たぶん、調理する人の出身の街の豚骨ラーメンは「こんなもの」なんだろう。
出てきた豚骨ラーメンは、水切りが出来ずにぬるまってしまったスープと、豚骨に合わない太目で、腰が煮えすぎた麺。そのバランスが悪い。
これはもう、誰を恨むなんて世界ではなく、単純にラーメンを作っている人が、おいしいラーメンを食べた事がないのに凝縮されるのだろう。白黒テレビしか見たことない人がカラーテレビの意味を分からないのと同じと言えば良いのか?
だから、お店の人も楽しそうに、ちゃんとお客の注文を聞きながら(ねぎ抜き〜とか、メンマは大丈夫ですか〜?とか)やっているのだが、いかんせん、おいしいものを食べた事がない人には、どうしようもない壁があると感じた。
奥さんが注文した塩ラーメンが運ばれてくる。う〜ん。
麺の水切りがきっちり出来てないから、麺の回りに薄い水の膜が張っている。これがスープの味を薄めているし、結果的に麺に「しまり」がなくなって、昔からよくある、関東や関西風の水っぽいしょうゆラーメンになってしまってる。
麺をびしっと水切りすると、麺が切れてしまうのではと怖がっているのだろうか、麺をころがしてなでるように水切りしているだけ。
当日作ってた人は、サービス精神もあり、若いのに愛想も良くて、でも一番大事な、一杯一杯をしっかり見極めて、スープの温度、水切り、具の揃え方っていう、トータルなバランスがまだまだという、う〜ん、ちょいと辛いコンビネーションであった。
食い物商売、特にラーメンとなると、その管理の難しさは良く分かる。この店も、市内のラーメン屋と比べても、素材の良さは良く分かる。でも、それだけではないんだよな、ラーメンって。
やっぱり日本人だから、どうしても厳しい見方をしてしまって、申し訳なくもある。これからが期待できるが、このままでは期待出来ない、そんなお店だった。
味噌を出すなら、まずは札幌でしっかり食ってほしい。とんこつを出すなら、まずは北部九州でしっかり食ってほしい。でもって、味の起源を体で学び、食べこんでみて、どういう味が美味しいのかを知ってほしい。
しょうゆや塩は、本州で食えるだろうが、札幌の塩、醤油もかなり美味い。そしたら、日本人客がそれぞれの味にどう拘っているかが分かると思う。
まあ、たぶん4種類全部食ったら、味噌と豚骨としょうゆを一緒にメニューにしようとは思わなくなるかもしれない。うどんとラーメンを一つの店で作ってしまうようなものだ。
両方を一緒に出すには、オークランドの市場はちっちゃ過ぎるし、そうなると手順などを合理化する中で、どの味も平板になってしまうい、最初のコンセプトである、美味しいラーメンからは、程遠いものになる。
解決策としては、一気に店を3軒出して、醤油+塩ラーメン店、豚骨ラーメン店、味噌ラーメン店と分けるくらいかな。それでも、ちっちゃな市場だもんな。
それとも、醤油ラーメンをメニューの1ページを全部使って宣伝して「これが最高!」ってやっといて、豚骨と味噌は、ちっちゃく載せるとか。
それにしても美味しいラーメンは、ビジネスとして成立させるのは難しい。客数は上限があるし、単価をあまり高くは出来ない。僕のような日本人客は大した金も使わないし口うるさいし。
そして美味しいものを追求し始めたら、どこまでコストがかかるか、読めない。ラーメンで食材費用が25%越したら、もうやばいし。
メインとなる客層をアジア人とすると、スタッフ数を変えずに椅子を増やすなどしないと利益が取れない。
毎日、朝からスープの仕込みをやって10時間近く店を開けておいて、片付けまで考えると、その割りに月末に出てくる利益は、手間の割りに少なく感じる。う〜ん、食い物やは大変だな。
子供たちは喜んで食べてたし、竜馬君なんかは、お父さんが食べ残した麺とスープをすっかり飲み干してたのだから、アジア人標準で見れば、十分合格だと思う。今後また、一ヶ月くらいしたら、また子供を連れて行ってみよっと。
写真はイメージです。お店のラーメンの写真ではありません。
2007年08月21日
女王の街
先日のクイーンズタウンの余韻が残っているのか、まだ体がウキウキしている。スキー以来、ベスト体重の60kgを維持して、調子が良い。酒が美味い言い訳にもなる。
スポーツ理論的には、たった4日スキーをしただけで一気に体重が落ちて筋肉がついて体調が良くなるなんてあり得ないんだろう。
だが、所詮医学なんて統計であり、個別の病状?ってか、僕の体調を完璧に医者が理解できる事なんかありゃしない、本気でそう思ってる僕からすれば、スキーは最高の体質管理であると思った。
だから9月上旬の最後の雪の時も、もう一回行こうなんて考えている。一年に何日滑れば良いとか、何日以上滑ったら体に悪いなんて決まりもない以上、滑って健康になるなら、こりゃもう、ばんばんやんなきゃ。
9月の日本出張前に、足を折らない程度にばんばん健康管理をしよう、でも、家庭崩壊を招かないように、さて、どうしよっか。
そんな事を考えている最中に、一緒にスキーを同行して頂いたお客様から写真が届いた。
僕の黄色いスキージャケットは20年近く前にクイーンズタウンで仕入れたもので、今もあったかくて重宝している。今回気づいたのだが、スノーマシンの黄色と同じ色だ。
雪の状態を見ていただければ分かると思うが、悪くない。北半球の夏にスキーが出来る事を考えれば、こりゃもう贅沢だ。リフト代が日本よりバカ高くても、バス代が高くても、いいですよ、その分しっかり働くもんね、そんな気持ちにさせてくれるクイーンズタウンだ。
この街ではお金の感覚が変わる。欧州や米国、アジアからやってくるお金持ちが、とにかく短い冬を楽しもうと、食べ物、遊びに糸目をかけない。スキーの合間のショットオーバージェットも、30分のボート乗りで100ドルかかるけど、楽しければいいじゃんか、そんな彼らの雰囲気が伝わってくる。
ディナーは、淡いキャンドルライトが雰囲気を作る中、糊の効いた真っ白なテーブルクロスで、アフタースキーの余韻を楽しみながらギブストンバレーのワインを傾ける。
ただ、オーストラリアから来たスキーヤーだけは別物だ。彼らはバックパッカーに泊まり、ハンバーガーとビールで夕食を済ませ、後は夜中までどんちゃん騒ぎ。
今年一番感じたのが、随分日本人が減ったという事だ。その代わり韓国や中国からのアジア人が増えた。
1980年代の終りには、クイーンズタウンのスキー場は日本人で持っているようなものだった。日本人客が大量にやってきて、毎日へリスキーがクイーンズタウンやハリスマウンテンの山に舞い降り、ディナークーポンがバンバン売れて、ショットオーバージェットが毎日満席で予約が取れず、そんな時代だった。
1980年代後半の日本を知っている人は、「私をスキーに連れてって」というホイチョイコンセプトを今でも思い出と共に記憶の中に残しているだろう。
しかし、時代ってか、時は残酷なもので、立ち止る者の為に少しでも待ってあげるなんて事はしない。
「かつて貴方は素敵だったわ。さよなら、また貴方が立ち上がってくるまで、私は他の男と時代をエンジョイするわ」
まさに今のクイーンズタウンが、そんな女王の雰囲気を醸し出している。
「日本人?そういえば昔は居たわよね、まあ、終わってしまった人の事なんてどうでもいいわ、私は今日も生きていかなきゃいけないの。悪いけど、もう過去の人よ」そんな言葉が聞こえてきそうな、街の夕暮れ。
今年3月に志賀高原に行った時も、平日だったせいもあるが、スキー場に随分アジア人が目立った。勿論日本人もいるのだが、殆どは50歳以上の、昔からスキーをやってますって人たちばかりだった。若い人は、香港や韓国から来た人たちが、非常に目立った。
今の日本では、スキーはどんどん廃れてきてるのだろう。遊び方も変わったのだろう。
金があるんだ、どうしてわざわざ寒くて怪我するような運動なんかするんだよ。そんなのより、キャバクラで遊んだり、フェラーリ買って走り回るほうがいいじゃんか。
気の置けない友達夫婦を招いて、フランス産のシャンパンを抜いてホームパーティを開いて、お互いの階級を確認しながら、東京都下を見下ろすマンションで楽しくやってるほうが、よほどいいじゃないか。
金がないんだよ、スキーどころか、今日のたばこ銭さえ、どうしようかって感じだよ。朝はおにぎり、昼はのりべん、夜はカレー焼きそば、ワンコインでコンビニで済ませてるんだ。
時給も950円ぽっきりで、一日働いても1万円にもならない。地方の工場勤めじゃ、所詮派遣でしか入れない大企業、いつ首を切られるか分からないしね。スキー?なんだか親父の時代には賑やかだったかもしれないけど、俺らの時代にゃ、どうでもいいことだね。
どっちにしても日本は二極化した。そして、その両極にいる人々には、健康管理と言う意味でのスキーも存在しないし、一生懸命働いた自分へのご褒美としてのスキーも存在しない。
1950年代までは、日本でもスキーや登山は一般的ではなかった。世の中が総中流になり、皆がお金持ちになり、西武の堤が仕掛けて、ゆーみんが歌って、スキーは一時期、時代の先頭バッターになった。
19世紀代後半にマウントクックでスキーを楽しんだのは、欧州から客船でやってきた上流階級だった。21世紀の現在、欧州や米国からやってくる上流階級は、やはり百年一日のようにスキーを楽しんでいる。
日本人は、そんな彼らの上っ面だけを一瞬通り過ぎた、所詮にわか成金だったのだろうか。
水の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
次に日本人が浮上する時は、もっとしっかり自我を持って、100年、いや、1000年続く基礎を作っていかねばならない。そうでなきゃ、上滑りで、見かけだけで、中身が全然追いついてない、でも一生懸命白人文化を追っかけてるなんて、惨めでしかない。
日本人が自我を持つのは難しいだろう。でも、最初から諦めていたら、何も進まない。
今日は、新しいビジネスを開発するための会議を持った。いけそうだ。これを梃子に、ニュージーランドをもっと日本人に近めたい。国境なんか跳び越して、政府がびっくりするような仕掛けを作りたい。本気でそう思った、スキー写真と会議の、今日だった。
2007年08月16日
エリオットタワー
オークランドに住んでいる人ならほぼ誰もが知っている、逆バンジーがあるとこの駐車場スペース。更地でず〜っと放置されてて、ウイルソンが駐車場として利用してた場所がある。
あそこに、正式名称が何になるのかまだ分からないが、約3年後を目処に六十数階建てのビルが建つ事になった。
デベロッパーは韓国人投資家グループで、現在は日照権とかの近隣交渉も大体終了し、青写真が出来上がった段階だ。
この建物が出来上がれば、スカイタワーの、丁度レストラン部分と同じくらいの高さになる、超のっぽ近代ビルが出来上がる。隣にあるフィリップフォックスタワーが、午後になると完全に影に隠れてしまう高さだ。
というところまでは、地元の新聞でも見ていた。ほ〜、随分でっかい計画だね〜って他人事だった。
2ヶ月ほど前から、いつも一緒に仕事している弁護士事務所から連絡があり、「おい、DaeJuの連中を紹介するから、時間を作ってくれ」と言われてたのだが、こちらも日本出張や国内出張などが重なり、やっと今日、時間が取れた。
DaeJuと言われても誰の事かよく分からず、まあいいや、当日会って何の話か聞いてみよう程度の軽い気持ちで、昨日会ってみた。
会う予定の11時30分になると、電話が一本かかってきた。DaeJuのマネージャーからだ。「今弁護士事務所なので、10分後にそっちに行くよ」との事。(正確に直訳すれば、Within 5 Minutes と言ったのだが、NZでは10分後という意味になる、大体の場合)。
丁度10分後に現れた3人組の彼らは、小柄で薄い髪の毛をオールバックにまとめて、いかにもすっきりした叩き上げの親父って感じのオーナーと、いかにも彼の右腕って感じのきりっとしたスーツ姿の韓国人青年と、おっとりお兄ちゃんって感じの、弁護士。
青年は俳優並みの色男で、全身シックなブランドで固めた20代後半か30歳前半の好青年。流暢な英語を操り、NZに場慣れしているのは感じる。ただ気持ちよいのは、白人的なオーバーアクションがないって点だ。生まれは韓国なのだろう、礼儀をきちんとわきまえている。
早速彼らと一緒に車に乗り込むが、これがレクサスLS。やっぱレクサス。これって、韓国人と中国人に人気あるんだよね。
車で5分程度のショールームに連れていってもらい、そこで最初は現在建築中の14階建てアパート(これはかなりアジア向け、学生に貸せる)の話を聞かされる。物件は新築だし、その割に値段も、同じサイズのメトロポリスアパートと比較しても、手頃だ。
特に、玄関に備え付けの下駄箱があったりするのがうれしい。靴を脱がないキーウィの習慣で作られた家は、作り付けの下駄箱がないのが多い。
キッチンには吊り下げ式の小型テレビがあり、これが玄関のドアベルとリンクしているので、ピンポンとなったら表の映像が見えるようになってる。
アパート入り口のセキュリティにもかなり拘っており、「何だか随分アジアっぽい作りですね」と聞いたら、何とこの人たち、アパートを建築する為にかなり市場調査を行っており、メトロポリスやヘリテージなど高級アパートに住むアジア人学生に、徹底的に住み心地に関するアンケートを行ったそうだ。
そこで彼らが見つけたのが、靴箱がないとか入り口のセキュリティの問題。
それにキッチンシンクが深くて広い。冷蔵庫がすぐ横にあるので、動線が短く、ドアを開けて食材を出して、すぐに包丁を入れて調理にかかれる作りだ。
狭い場所ながらうまく作ってて、使いやすいキッチンに仕上がっている。キッチンセットは、韓国のものをそのまま持ってきたそうだ。韓国料理の準備に合わせたサイズなので、キーウィ向けよりも広い。
当家のキッチンは、そう考えると使いにくい。冷蔵庫がシンクの反対側にあるし、俎板を置く場所も狭く、鍋に作った材料をちょいの間置く場所もない。
ショールームのベッドルームは狭いが、ガラス張りのウォークインクローゼットにして姿見不要にしたり、張り出しデッキの床は滑らないようにすり石を使っている。
近くの比較物件であるメトロポリスやヘリテージと価格差も殆どなく、そうなると、部屋設備のレベルで、間違いなくこの物件の方が上だなと感じる。
おいおい、これは買いだなと思ってたところに、「実は」と言って、新しい高層ビル、「エリオットタワー」の話が出た。
「この物件は今設計図段階で、シティカウンシルとの交渉をやっている最中なんだけど、大体GOサインが出たので、そろそろ本格的に販売にかかりたいんだ。そこで、日本人市場への売込みを、おたくでやってみませんか?」という提案が来た。
物件は3つのカテゴリーに分かれ、下層階にショップ、中層階がオフィス、上層階をアパートメントにする予定だ。
確かに、スカイタワー並みの360度の展望が確保出来れば、最高のアパートメントになるだろうな。上層階の物件となると、200〜300万ドルくらいはするだろう。たぶんここ10年で一番大きなプロジェクトになるのではないか。
実際に今、オークランドシティ内での物件はかなり開発が進み、まとめて使える大きな土地は、殆ど残っていない。だから、彼ら投資家が言うように、これが最後の大投資かもしれない。
通常はこのような大型物件は、NZの大手不動産業者であるベイリーズやB&Tあたりが仕切るのだが、韓国人のオーナーの孫さんは、「こんな物件は世界を相手に売らないといけない。地元の不動産業者じゃ無理だよ」とばっさり。
だから彼としては、国別にエージェントを決めて販売をしていこうという考えのようだ。
韓国市場は彼らが自分で出来る。中国市場はStephenが香港中国人なので、そのルートからいける。ただ、日本人投資家、てか、日本人市場は彼らとしてもどう対応してよいか、分からない。
やはり、その国出身の人間に任せておかないと、契約にあまり理解力がない日本人が、契約した後で「そんなもんしらん、どうなっとるんじゃ〜!」と喧嘩になる。
そういう思慮もあったのだろう、彼らが弁護士事務所に紹介をお願いしたところ、当社に白羽の矢の一本が立ったという感じだ。
彼らのイメージとしては、日本がどれだけ実態として地に落ちようと、やはりアジアの星としてみているのが、その話しぶりからよく感じる。日本人に売れる、それだけでかなりのイメージ上昇に繋がるようだ。
それにしても、彼らは現在すでに1軒を建設、全て分譲済みで、現在建設中の物件も、ほぼ売り切れている。その勢いで、大きなビルをエリオットストリートに作るというだが、構想偉大なり。
昨日は他にもフランチャイズ契約の話が持ち込まれたが、これは古くから知っているオークランド在住の在日韓国人の方だ。その時彼に「最近、韓国の投資家や若い人たちがパワフルですよ〜」と話をした。
すると彼はしみじみと、「僕たちの時代はね、例え東大を卒業しても、在日というだけで、どこにも就職できなかったんですよ、だから、若いうちから独立して商売を興すしかなかったんですね。でも、最近はそんな差別もすっかり減ってしまい、日本に住む韓国の若者は、ずいぶん日本化が進んでますよ。でも、ニュージーランドに来た韓国人ががんばっているのは、うれしいですね〜」と、目を輝かせながら話してくれたのが印象的だ。
戦後の日本で、問題意識のないまま成長してきた日本人を横目に見ながら、同じ時代を同じ場所で、でも少し違った視点で眺めてきた人たち。
歴史的に、迫害を受けた民族は強くなる。ユダヤ人、中国人、それぞれに数千年前から民族として苦労をしている。
翻って、世間の苦労を何も知らずに乳母に日傘で育った日本人の若者は、食うものには困らない状態で生きる目的を失い、奇妙奇天烈な服装を個性と思い込み、少ない脳みそをゆとり教育と思い、自分探しと言いながら毎日を漠然と、何の努力もせずに過ごす。結局飽食の時代なのか、神様が手抜き人間に与えた罰なのか。
本気で自分探しなら良いが、結局手抜きの言い訳に終わっていないか。
叩き上げのオールバックのおやっさん、海外で一旗上げようって韓国人の若者たち。メシが食えない苦労を知っている在日のひとびと。
昨日は韓国パワーを感じた日だった。
振り返って今日街を歩いてみると、目的もなしにタバコを咥えて、薄汚い格好をして、それでビルの道端に座り込んでいる日本人の若者を見て、この格差、どうやって解消出来るのだろうと、思わず考え込んでしまった。
無気力を着飾ってビルの道端に座り込んでる奴らの目の前に、5秒で爆発する手榴弾でも置いてやろうかと思った、15の夜。
2007年08月13日
江田五月参院議長
日曜も喉が痛くごほごほ状態、参加したかったパーティにも行けず、仕方なくNHK討論を見る。家族は「ダイハード4」を「家族全員で」見に行くとの事。
ほうほう、そうかい、俺は家族ではないのだな、人種差別かいな、全くも〜。そうは言いながらも、ごほごほしている状態で映画館に行くのも周囲の迷惑だから、自発性菌種差別だな。
民主党から選出された江田五月参院議長が番組前半に呼ばれてて、さらりとてらいなく、自分の意見を述べていた。この人、人前で喋り慣れてるなってのが第一印象。場数踏んでるって感じ。
「大きな問題を解決する知恵よりも、大きな問題になる前のちっちゃな知恵があるのではないか?」 全く同意だ。
何が問題かを理解していれば、ちっちゃな問題のうちに片付けることが出来る。危機感もなしに先送りをするから問題が大きくなる。バブル処理も第二次大戦の前の外交交渉も、すべては担当者の危機意識、「こうなったらどうなる」という先を読む目がなかった為に起った悲劇である。
番組を見ながらウィキペディアで経歴に目を通す。
江田五月は、戦前戦後と、親子二代続いた、叩き上げの社会主義者である。
社会主義者というと悪い奴!みたいに思う人も、いるかもしれない。しかし昨日も取り上げた「武器なき斗い」のように、当時の社会主義者とは、社会の底辺に生きる人々に光を当てて、すべての人々に機会の平等と平和を提供することにあったのだ。
彼の父親である江田三郎は、穏健で現実的な社会主義を目指した男だ。支配階級と労働者階級の無駄な戦いを行うよりも、現実的に外国に目を向けて、本当に国民の幸せを追求するために、1960年代から下記の「構造改革」をテーマに取り上げて政治活動を行って、国民から圧倒的な支持を得てきた。
1・アメリカの平均した生活水準の高さ
2・ソ連の徹底した生活保障
今の時代から見れば、40年も前に提起されたこの「構造改革」の組み合わせの意味は理解不能かもしれない。でも、
1・当時のアメリカの生活水準の高さは理解できる。40年前に、日本の一般家庭では風呂もなかった時代に、アメリカでは自宅にプールがあり、一家に二台の車があった。
2・ソ連という言葉が死語になってはいるが、生活保障=現在のセーフティネットである。働きたくても働けない、そんな人を救うシステムこそ、年間3万人の自殺者を出す今の日本にこそ必要ではないか。
3・イギリスの議会制民主主義こそ、戦前の治安維持法で苦しめられた一般市民が最も必要とした政治的地位の確立である。
戦後も日本には本当の意味での民主主義が導入されず、従って国民が自分の人生や運命を決める「決定権者」となることは出来なかった。
大多数の国民が納得出来る社会を作る、その為に最も必要なものが英国式議会制民主主義なのだ。
4・日本が誇る平和憲法の成立経緯を知っていながら、その良い面に目を向けたのか、それとも中国での生活が影響を与えたのか、それとも両方なのか、いずれにしても当時の北東アジア情勢で下手に武器を持つよりは、持たないほうがましという選択もあったのだろう。
大体において、日本人は右か左かしか考えない。二者択一の判断しか出来ない。でも、そこには常に「中庸」とか、「コペルニクス的転回」とか、そして江田三郎のように「右も左も一つにまとめて」やってしまう、止揚的な思考が一つの頭の中で出来る発想がある。
江田父のような発想は、学問を積み、現場の現実を知り、そして再度学問に戻り、右も左も、その両方を理解した上で第三の道を国民に具体的に提案できるという強みを持つ。1960年以降、田中角栄が最も恐れた政治家とも言われている。
1945年以前の日本に、本当の意味での民主主義は存在しなかった。そんな事を言っても多くの人は理解出来ないだろうが、民衆の立場から見たら、昭和前期でさえも江戸時代の延長でしかなかった。そんな時代に、民主主義を導入しようと戦った父。
その息子、この番組に出てくる江田五月も、東大在学時代に自治会委員長として学生を率いて大学自治闘争のリーダーとして全学ストを打ち、責任を取って退学処分となる。その一年後に東大に復学、丸山真男の下で勉強を重ねて、在学中に司法試験に一発合格。
元北海道知事の横路、自民党の高村、公明党の神崎などが同期で司法研修を受ける。江田はその後オックスフォードに留学するも、父親の急逝で政治家の道に入る。
テロ対策特別法について語る。日米関係をどう捉えるか?という質問に対して、「安倍とブッシュ二人の関係だけが日米関係なのか?日米の長い歴史を見れば、何らかの答え、第三の道があるのではないか?」と、落ち着いて、丁寧に答える。
他にも、「参議院で最初に法案を持ち込んで議論を開始しても良いではないか」とか、一票の重さの格差について、持論を展開していく。
現在の民主党は、元々社会党が母体となっている。その社会党は、戦前から続く労農党と労働組合が中心となって構成され、戦前は非合法であった共産党のフロントみたいなところがある。
だから、今の日本の社会構造=村社会の中で、人々の生活と社会的地位の向上を目指すのが社会党右派で、共産党が一番正しい、それ以外は全部駄目!って、すぐに「行動」に走るのが社会党左派。
更に社会党の急進左派が分裂して出来たのが民社党、つまり今のみずほ党首がいる社民党である。
江田三郎は元々左派だったのが、国民と一緒に行動しながら、次第に穏健な、誰も傷つかずに生きていける社会党右派に鞍替えし、江田五月も基本的には右派だ。理念だけではなく、現実を踏まえた上で、出来る事を、出来るだけ血を流さずにやっていく方針だろう。
ここまでざっくりと割ると、詳しい人からは「いやそれはちょいと」とか「理論的にはこの時代にこのような背景で〜」となるかもしれないが、あくまでもざっくりと割っただけなので、そこんとこ、よろしく。
ただ、僕自身、80年代には総評、共産党ともいくらか付き合いがあったし、三井三池炭鉱で腹に新聞紙を巻いてやくざと喧嘩をしたような組合員とも、直接ひざ突き合わせて、政治や思想の話をした事もある。付けウィキペディア焼刃でこの部分を書いているのではない事は知っていてもらいたい。
いずれにしても、江田三郎が40年前に訴えていた構造改革、どれもまだ実現できてない。
多くの人々はあいも変わらず狭い家に住み、セーフティネットは存在せず、民主主義は、肝心の民衆が自分が主役である事を理解せず、平和憲法は、小池防衛大臣になってどちらに流れるか、全く読めない状況だが、11月のイラク派兵延長をどうするかは、全く見えない。
国民大衆に訴えて、政党横断的な政治運営で国民を味方につけて戦った父親は、自党左派の理論闘争に負けて党を去った。晩年は菅直人と組んで政治運動を行っていた。
その父親に一番近い政治スタイルを取っていたのが、小泉前首相である。党を飛び越して、一つ一つの政策を国民に直接訴えることで横断的な国民支持を得た。
息子である江田五月がどこまでいけるか。民主党内側の議論に巻き込まれて潰されるのか、それとも民主党を割るのか?
いずれにしても次の国会で一番の問題は、イラク特措法の延長をするかしないか、争点の分かりやすい議案である。
今まで日本がイスラム圏からテロを受けなかったのは、日本の伝統的外交方針である「全方位外交」のおかげだと思う。
表面的に米国側の味方についたふりをして法案を通し、裏ではイスラム側に「本当は君らの事を理解しているのだが、僕らの立場も分かってくれ、ほら、このお土産持ってきたから、食べてよ」という、良く言えば全方位外交、悪く言えば弱者の外交であった。
米国に正面切って逆らえない日本としては、どうせ派兵するなら、防衛省にもなった事だし、海外派兵の道は開けたのだから、中途半端な事はせずに、これをチャンスとして、
1・どうせ組むなら、中国と共同でイラク派兵を行い、平和を維持するPKO活動として国連指揮下に入る。こうすれば日中関係の将来の布石になる。
2・11月に衆議院解散、総選挙を行い、その際のテーマを自国の本当の政治的独立である「イラク派兵」に持っていく。その結果、自民党が負ければ米国に対しても言い訳が立つし、もし自民党が勝てば、堂々と派兵すればよい。それが国民の審判なのだから。
他にもいくつかの道はあるだろう。しかし、やっとの政局で二大政党制の雰囲気が出てきたのだから、先送りやお茶を濁すことだけは、もうやめよう。
追伸:昨日は山本宣治の件で書き忘れた事があった。明治時代、「私はエタである」と、日本を見限って米国に移住したという島村藤村の有名な小説がある。
あまりにも大きなものを相手に、他人の為に自分の人生を擂り潰すのも選択だろうし、彼の場合は他に選択要素がなかったのだろう。浮き舟の二代目という彼の家族内での地位、大学教授から代議士という社会的地位、そして何よりも彼が訴えた回った民衆の期待などが、彼を追い込んでいったのだろう。というか、彼は納得して戦って死んだのだから、それは追い込まれたというより、自分で選んだ道であり、それなりに立派だと思う。
当時の人々の生産手段は農業であり、土地を持って海外にいくことは出来ない。しかし、今のような時代になれば、すべての商品は流動性があり、国境を越えて移動することが出来る。単純に言えば、日本の田んぼを売ってNZで牧場を買えば良いのだ。現金がなければ、NZの土地を担保に金を借りる、日本の投資家に牧場プランを提案してファンドを組んでもらう、方法はいくらでもある。
日本の政治に納得しなければ、一つの村が集団で移住するという手段も、これからはあっても良いのではないか。ヤマセンの時代には出来なかっただろう、農民の集団移住。新しい土地に若者が集団で移住し、そこで新しい村を作る、そんな運動があっても面白いのではないかと思う。
2007年08月12日
武器なき斗い
喉風邪を引いたようだ。声がうまく出ない。
金曜日の夜、自宅で軽く飲みながら午前3時までネットで様々なテーマの議論を読んだりして夜更かし。その後一緒に寝てた竜馬君に布団を取られ、朝方に寒い思いをしたのがコタエタらしい。
土曜日は一歩も外に出ず、酒も飲まずに、溜まっていた映画を観たり本を読んだりした。
1951年製作、ゲーリークーパー主演の「遠い太鼓」。フロリダのセミノールインディアンと騎兵隊の戦いを描く、まだ白人至上主義で「僕が騎兵隊だ、君はインディアン役だ」と、子供たちが木切れを持って遊んでた時代の映画だ。
西部劇で初めて白人が反省を示した「ソルジャーブルー」が1970年に出来るまでの、白人の常識だった筋書き。セミノールインディアンの「反乱蜂起」は、インディアン先住民族から見れば「土地を守る戦い」だったのだ。
1953年製作、リチャードバートン主演の「聖衣」。ローマ時代のエルサレムでキリストの処刑と、それに続くキリスト教のローマへの浸透。正義と、清らかさと、誠実さと、清らかさと、えっと、それから何だっけ、とにかく世の中の良いこと全部をひっくるめた、今で言えばキリスト教原理主義者が見れば「そうなのよ!」と言いたくなるようなテーマ。
唯一の救いは、この映画に最初からヴィクター・マチュアが出てたこと、くらいか。いずれにしても1950年代の米国ってのは、戦争に勝ち経済に勝ち、まだ共産党の侵略を恐れずにいれた頃の、本当に幸せな時代だったんだなと感じさせる。
そして本日最後の一本がこれ、「武器なき斗い(たたかい)」
「斗」という漢字が変換出来ずに、少し迷った。たたかい、略字だから出ないか、、、いっと、一斗樽でも出ない、、、ちがうな、、、次にじょうごで出したら、やっと漏斗が出てきた。
1960年、独立プロの山本薩夫監督による名作。
1919年、天皇支配下の日本帝国政府の治安維持法改定(改悪?)にただ一人抵抗し、右翼の凶刃に倒れた労農党代議士、山本宣治(ヤマセン)の生涯を描く、かなり左翼主義的な映画。
1960年と言えば安保闘争真っ盛りであり、社会党委員長浅沼稲次郎が党首立会演説中に右翼の山口二矢に刺殺された年でもある。その年に、労働者から寄付金を集めて作った映画だけに、当時の左翼のプロパガンダが随所に出ている。
ただ、今の視点で見ると、山本薩夫の描くこの映画は、左翼というよりも、圧政下での民主化運動という切り口で描かれており、単なる左翼翼賛映画になってないから、良い。
京都宇治の料亭「花やしき浮き舟」の二代目として恵まれた地位にいながら、カナダに留学して早くから民主主義や平等を学び、生物学者として京都帝国大学、同志社大学で教授を務めた経歴を持つ、当時としては資産家階級に所属して、尚且つ日本でトップクラスの頭脳を持つ学者である。
何しろ、末は博士か大臣かって言われてた時代の、帝国大学のセンセーである。両親からしても自慢の種だったのだろう。
ただ、今も彼の生家である「花やしき浮き舟」のウェブサイトに山本宣治が出ているのは、そんな権力や知識よりも、一般大衆のために自分の知識と知恵を惜しみなく与え、最後には自分の矜持を守る為に命を投げ出したという事にあるのだろう。
ヤマセンを演じる下元勉の演技が、実に光っている。
金持ちの二代目としてのおっとりした面と、学者として論理的に物事を説明する態度と、農民に向かって力強く戦いを訴える態度と、その使い分けが見事だ。
60年代の俳優は、白黒映画という事もあったのだろう、その演技力は今の俳優?ってか高校生の演芸程度のテレビドラマをやってるタレントに、「もし金儲けではなく俳優として成長したいなら、見てみれば?」と言いたくなるほどだ。
技術が発展して便利になればなるほど、人間力も演技力も低下するものだと痛感した。
彼は、農民の小作制度に反対した。土地を農民に渡せと訴えた。
小作制度の下では、土地は永遠に地主の所有物であり、土地から離れられない奴隷は何代続いても奴隷でしかない。本来人は生まれながらに平等であり、そうでなければ不平等はいつか社会自身を崩壊させてしまう。
政府は産めよ増やせよと訴えるが、誰が子供を産むのだ?当時日本の労働人口の殆どを占める農民が産むのだ。でも、誰がその為の費用を負担するのだ?
出産、子育て、教育、医療、そんな生産コストを全て農民に負担させて、大きくなったら徴兵で戦地に送り込む。赤紙一枚一銭五厘の世界である。
負担は個人にさせて、果実は政府が持っていく?兵士の死体というコストの上に奪った外国の土地は、またも一部資本家が独占する。そんな不平等はあり得ない。
そこで彼は、一人ひとりの子供を幸せに充実して成長させるために、まずは産児制限を導入すべきだと学生に、そして広く国民訴えた。多すぎる子供は育てる事が出来ず、間引き、身売り、病気になっても医者にかかれない等、農民の生活を直撃する。
それよりも子供を1〜2名にして、その子にしっかりした教育を与えるべきだ、その為には正しい性教育を学ばねばならないと、大学の生物学の授業で性教育を教えたヤマセンは、その言動があまりに「反社会主義的」であったために、大学を追われる。
大学を追われた彼は、生物学者として農民を啓発する各地で勉強会などの活動を起こす。この時に映像は、当時の京都、大阪の光景がよく分かる、貴重なドキュメンタリー資料でもある。
しかしその過程で、彼は多くの壁に突き当たる。当時導入された治安維持法を適用した、政府による規制、弾圧である。
人を幸せにするための生物学を進めるためには、まずは産児制限、その為には地主農業問題の解決、その為には農政の改革、その為には政治に進むしかないと理解した彼は、農民と一緒に地元宇治で選挙に立ち、対立候補を破り、帝国議会の中で数少ない労農党代議士して国政に参加する。
「本当は生物学者が好きなんだけどな」とか「最初は労農党で選挙になんか出るつもりはなかったんだ」、親しい仲間にそう話す彼は、それでもやはり誰かがやるしかないと思った。大学の教室の中では、労働者を本当に救うことは出来ない。
宇野重吉、キャストに名前は出てはいないが田中邦衛など、脇を固める俳優もすごいが、下元勉の演技を観るだけでも十分に楽しい。
この映画は90年前の日本を描いている。当時は、国民としての権利を主張するだけで警察に引っ張られて殺されていた。
今はなんと言う素晴らしい時代だろう、自分の権利を主張しても、誰にも逮捕されないし、時には、自分の責任を全く放置して権利ばかり要求しても、選挙民という肩書きで、何でも言える。
自分の村に道路を作れ、病院を建てろ、グリーンピアを作れ、新幹線を引っ張って来い、そうやってばら撒き政治の結果、21世紀を迎えた日本がどうなったか?
彼は一時期クリスチャンだったそうだ。山本宣治がもし今の時代に天国から舞い降りてきて、この日本の現状を見たら、一体何と嘆くだろう。
2007年08月11日
移住先
移住先
「百姓そのものをやりたいというのであれば、ここで暮らしていける。衣食住には困らない。ただ、消費生活をしようと思うと辛いな」
5月28日付けの日経ビジネスで掲載された、島根県津和野市奥ケ野集落で、その代表者である糸賀さんの話だ。
山奥の農村は過疎化が進み、空き家となるケースが多い。そこに、都会から移住してくる若者家族が住み着くのだ。
ただ、移住を希望して40人ほどの家族が来たが、3日で出て行く人もいれば、半年で出て行く人もいる。ここ数年で定住できたのは3組だけだという。
そうだろう、皆、自分の旅の先には桃源郷が待っていると思う。でも、ただ座ってればおいしいご飯が食える(Free lunch)、そんな桃源郷はないのだ。
島根の田舎でも、やっぱり一生懸命働いて、周囲のおじいやおばあとのバランスを考えながら生きていかねばならないのだ。農業に憧れるだけではやっていけるわけがない。
ましてや、都会でコンビニや地下鉄の便利さを知ってしまった若者が、一体どれだけ田舎の「何もなさ」に耐えられるだろうか?そうして、憧れだけで移住して、憧れだけでは生きていけない自分を知り、また都会に戻る。
これって、ニュージーランドと良く似てるな。
この国を桃源郷と思ってくる人がいる。確かに日本に比べればそうだろう。でも、どう転んでも、神様は「何もしない人間」に桃源郷を与えはしない。あくまでも、戦って生き残る力を持った人間にだけ、その権利を与えるのだ。
20戸くらいの農家が集まって、それぞれに将来を考えながら毎日の生活をしている。でも、その生活は、例えばテレビを見るためのアンテナを共同で作ろうとしても、いくつかの家庭では「いや、うちはもう買ったからアンテナは不要です」と、どうしても自分の都合が優先される。
同じ村で長年住んでいながら、利害関係が出るとすぐに自分の事しか考えなくなる人々。
そして、ニュージーランドに来ても24時間開いてるコンビニがあって、お弁当やカップ麺が売ってると思っている人たち。田舎の良さと都会の良さが同居していると思っている人たち。とにかく移住すれば幸せになると思ってる人たち。
そんな人がニュージーランドに来ても、絶対に長続きしない。津和野市でも同じだ。勘違いしてやってきて、そして失敗して、結局は時間だけ無駄にして、失敗した自分に腹が立ち、また結局他人のせいにする人々。
移住先を選ぶ時は、本当に慎重になって欲しい。自分が求める生活がそこにあるのか?そこにあるものだけでなく、「ないもの」もきちんとしらべてほしい。
日本のような便利さがないという痛みが、どれほどか、しっかり理解して、それから来て欲しい。
写真はリマーカブルスキー場から降りる車中より。ガードレールもなく砂利道で、20年前から全く変化してないが、かなり危険な道中。スキー場にレンタカーで行く人、十分ご注意下さい。
2007年08月08日
友あり 遠方より来る
最終日はリマーカブルで滑り、夜は友達がやっている中華料理レストランでお客様と一緒においしい料理に舌鼓を打つ。
山の雪はそれほど多くないが、コロネットピークよりも標高が高い(約2千m)ので雪がしっかり固まっており、かといってアイスバーンではない。スキー場でも、以前と違って客を楽しませるための趣向が多い。ジャンプ台をたくさん作ってて、ボーダーもスキーヤーも楽しんでた。
スキーヤーの皆さんは、お昼はオープンデッキでワインを飲みながらギターのライブを聴き、山麓の景色や斜面を滑降する人を見ながらのんびりとして、実に良い雰囲気だ。
何よりも今回は天気に恵まれた。実にぴーかんで、吸い込まれそうな深くて青い空。山の純白さは絹のようにさらりとしていて、ゲレンデごしに見える遠くの麓の村の緑が柔らかい。
お客様も景色と雪に満足してもらい、実に楽しそうだった。
中華料理レストランのオーナーは、僕の20年来の友達だ。20年前にお互い新参移民者としてクイーンズタウンに住みつき、階層社会の最底辺から生活を始めた。二人で中華レストランのバーカウンターでシェーカーを振ってた友達だ。
その頃、彼には随分助けてもらった。ビールのタップの引き方のタイミングも分からず困ってた時に教えてくれたのも彼だ。
思えば、彼のほうがよほど腹が据わっていたのだろう。俺たちゃ、もう後がないんだ。戦って生き抜くしかないんだ。逃げる場所なんてない。
彼はその後日本人の奥さんをもらい日本に移住、数年過ごして日本語をほぼ完璧に使いこなしてクイーンズタウンに戻ってきて今のレストランを開店した。
出てくる料理は、特に素材にこだわっているのがよく分かる。やっぱり意地だろう、後から来た新参者としては、「まずい料理」なんて言われたくない。
季節も終りで殆ど入手出来ないブラフオイスター、クリブドンオイスター、2kg級のクレイフィッシュ、健康に良い鹿肉、特に赤ワインのリストがすごい。素人には入手不可能なワインをどんどん出してくれる。
彼の場合、商売以前に、自分のプライドとして「まずいもの」を出すような事が出来ない性格なのだ。無茶苦茶にプライドが高い。人にバカにされる事が何よりも嫌いな奴だ。
彼のおかげで3日のうち、初日と最終日、お客様の希望で中華だったのだから、よほどお客様も気に入ってくれたのだろう。彼の店を褒められると、こちらまでうれしくなる。二日目に行ったフレンチレストランも良かったのだが、お客様が「もういいよ、フレンチとかイタリアンはさ。またあそこの中華に行こうよ」とわざわざのご指名。
中国の広東省に生まれて、20年前に親戚のツテでニュージーランドにやってきて永住権を取り、そこから先は誰の手助けもないままに、階層社会の一番下から叩き上げて、メインストリートに高級中華レストランを出して、地元の中国人だけでなく、日本人の若者も取り纏めて面倒を見ている。
戦友の付き合いの彼と、クイーンズタウン滞在中、ほぼ毎晩一緒に飲んだ。初日など、二人でレストランのカウンターに座り、ウイスキーボトル一本を空けて、それから近くのバーに繰り出して、遅くまでどんちゃん騒ぎだ。
友あり 遠方より来る また楽しからずや
2007年08月06日
クイーンズタウン
今年の南島の雪は、あまりよくない。
大体毎年クイーンズタウンの雪を見ているが、今年は風向きの問題だろう、リマーカブル、カドローナがあまり良くない。CHCのマウントハットまでも、あまり良くない。
一番雪が付いているのがコロネットピークだが、ここでもぺんぺん草が飛び出たりしている。
それでも全体的に雪がしっかり付いているので、楽しむには困らず、レースの練習に来ている北半球のチームも、早々にハットを引き上げて、コロネットピークでポールを立ててレース練習をしている。
それにしても日本人スキーヤーが減った。20年前は山の三分の一は日本人じゃないかと思うくらい多くて、10年前は山の5分の一は日本人って感じだったが、今では日本人を見かけることも、殆どない。
日本ではスキー自体がすでに過去のスポーツとなったのだろうか、お客様がいつも行ってたスキー場が閉鎖になったとか、スキー用品店の経営が良くないとか。
ついこの間まで、スキー場でボードとスキーヤーをどう区別するのか議論をしてたのに、今では議論どころか、山に誰も来ないのだから、身内の喧嘩をしている間にお客がいなくなったって感じだろう。
ボードが当時の若者に受けたが、彼らがどのような人々だったか?多くはフリーターのようなものであり、それでも当時はお金があって、海外まで旅行に出かけられた。
しかし、賃金低下により、生活するのも精一杯になった彼らは、海外どころか、国内でボードを楽しむだけの金もない。今、山にいるのは、昔スキーを楽しんだリタイアメントたちと、一部の若者のみだ。
今の日本のスキー場のリフトやバス、食事価格は、今のNZの半額ぐらいだ。
例えばコロネットピークの一日リフトは89ドル。バス往復で25ドル。これに昼食が、コーヒー一杯が4ドル、600mlの水が4ドル、食事は10ドル前後。
一日遊んだら1万円が飛んでいく。そして僕は今日、サングラスを飛ばしてしまったので、スキーショップで普通の新しいのを購入したら、219ドルだ。
ちょっとしたレストランで夕食を楽しめば、一人100ドルは当たり前。それ以外にもヘリスキーで500ドル〜、ショットオーバージェットも1時間で100ドル、もう色んなオプショナルツアーが高い。
ところが、そんな価格を気にせず、月曜日の今日も、オーストラリアから来たスキーヤーが山を埋めていた。夜には飲みに繰り出し、天気の悪い日はオプショナルツアーに参加している。
クイーンズタウンは冬場になるとオーストラリア各地から直行便が飛んできて、それ以外にも欧州各国からのお金持ちもやってくる。
彼らからすれば、リフト価格や食事、オプショナルツアーなど、少々高くても気にしない。金はあるのだ、貯金なんてしなくても、人に預けておけば増やしてくれる。金に働かせてます、そういう人がたくさん来ている。
それともいっこ気づいたのは、韓国人の増加だ。以前の日本人のようではないが、それでも確実に伸びている。韓国でも最近はスキーに人気が出ている。
ここでも日本飛ばし=Japan Passing が始まっていると感じた。もう、日本人は観光客としては相手にしないよ、これからは欧州やオージーだ、ついでに韓国と中国から来てもらえばいいや。
日本が身内の政治争いでFTA協定も結べず国家戦略も作れないまま、各国は次々と国家戦略として自由貿易、企業や優秀な人の呼び込みを始めている。
何度も書いていることだが、国家が国民や企業を縛り付けて選択する時代は終わった。
インターネットと西側諸国の移動の自由化、航空会社や物流の進化により、今では人民や企業が国を選ぶ時代になったのだ。
日本国内の内向きの議論、つまりスキー場における、ボードかスキーかなんて議論をやっているうちに、雪山遊び自体が無視されるようになる。
これが国家単位で起こっているのだ。自民党だ民主党だ、誰が首相でどこの大臣の首を切った、そんな事をやってれば、あっという間に日本は世界の草刈場になるだろう。
前回、敗戦後の日本が草刈場にならなかったのは、優秀な政治家と官僚がいたからだ。前々回の明治維新では、一部の開国派武士がいたからだ。
今、誰がいるだろう。小泉元首相が戻るのが、一番順当ではないか?
明日がスキーの最終日。一部のお客様にはメールの返信が遅くなり申し訳ありません。
さっきお風呂に入って気づいたのだが、左足の親指の爪が真っ黒になってた。痛風じゃないよ、内出血。いたた。明日一日持てば、それでよし。
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2007年08月01日
月曜日の朝から
月曜日の朝から飛び込みのお客様あり。50歳半ばの男性で、不動産投資で資産を形成されて、今回は家族を連れてオークランドにやってきて、不動産と管理をしてくれる会社を探しているとの事。
「いくら儲けても、日本じゃ意味ないですよ。殆ど全部が税金でしょ、その税金が何に使われるかが分からなくて、もうバカらしいやら何やらでね、今後は稼いだ金をニュージーランドに持ってきて、こっちで納税した方がましですよ」
おとなしそうな顔つきなのだが、日本政府に対する怒りは、かなりのようだ。
今の日本の問題を突き詰めれば、結局政治不信に繋がるのではないか。インターネットが発達する以前では個人の情報収集には限度があり、大手マスコミは政府に寄生、じゃなかった、規制されているから、自由にモノが書けない。てゆ〜か、一緒につるんで美味しい思いをしているほうが良い。だから日本の政府がどんな事やってるか、民間の一般人は知る由もなかった。
何時の時代も、日本では国民が苦しめられてきた。苦しめられるプロである日本人は、少々の事では怒らない。
「またいつもの事だ、銀行がバブルで吹き飛んで、政府が貸し付けた金が結局わけの分からないところに流れてるみたいね〜、全くもう」で終わり。
それでも真面目に納税する国民って、世界中の政治家の垂涎の的ではないかな。
「もうね〜、こっちが頭使って金を稼いでもね、それを坊主○取りじゃないけど、税金って名前で勝手にもってっちゃう。それも、ちゃんと俺たちに分るように医療や教育に使われてればいいよ。それがさ、年金を使ってグリーンピアとか作ってみてさ、国民は増税され医療は削られ、結局儲けるのはお上だけって事でしょ、こりゃおかしいよ」
税金を払うのは義務だが、それは国民としての権利を保障してもらう事が前提だ。それに、どこで納税をするかは国民が自分で決める事だ。
本当に、今年になってこのような駆け込みのお客様が増えた。