2007年11月

2007年11月30日

キーウィフルーツ

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今日は移住ネタの、永住権取得と言う本命問題。投資をするにしても、誰もがリターンを考える。でも、そのリターンに、相続税とか市民税とか安全性とか将来性は計算されているか?

 

要するに、今住んでる土地で最大の節税を計ろうとするだけで、それを世界レベルで考えて、治安、国政、経済、教育、医療などを見て自分の住む国を決めようなんて人は、ほとんどいない。

 

でも、これから先、それでよいのか?そう思う人々が、毎年1000人以上ニュージーランドに移住を始めている。

 

現在のニュージーランドの日本人人口は12,000人である。正確な統計はないのでネタ元を求められても困るが、在留届ベースで11,000人くらいはあると思う。

 

さて、この国に住むとなると、つまりこの国の税制の恩恵を受けようとすると、永住権の取得を考えねばならない。(実はそうでもないのだが、一応分かりやすい例として)

 

ところがこの永住権、日本人には実に分かりにくいシステムになっている。

 

まず、永住権。こればっかりは申請時期、担当者、運、によって、見事なまでに変化する。

 

取れる人はいともあっさりと、殆ど努力らしい努力もせずに半年くらいで取れるし、取れない人は数年かかっても取れない。

 

その理由は何かと聞かれたら、上記のように、本当に、申請時期、担当者、運であるとしか答えようがない。

 

一応決まりがあって、学歴、職歴、年齢、英語能力などがある程度揃えば、基本的には誰でも申請できる。あ、これにもう二つ。健康診断と無犯罪証明。

 

なので、最近の普通のサラリーマンであれば、何とか申請までにはこぎつけられる。そこから先の経済生活や家族の不和が起こるかどうかは別として。

 

逆に言えば、それほどに永住権とは不明瞭な条件の下で決められるので、どちらかと言えば申請する人が「先行きが不明瞭な状態でフレキシブルな考え方が出来るかどうか」も、大きな要素の一つとなる。

 

大体、外国の基準や道徳で申請をするのに、日本では〜とか、日本ならこうなのに〜なんて基準や道徳を持ち出すような人は、まずOUT。

 

ここはキリスト教国家だし、自己責任の国。日本の理屈は通用しない。

 

でも、じゃあどうすれば良いのか分からないって時に出てくるのがビザコンサルタントだ。ただ、これも刃物と同じで、使い方を間違えばとんでもないことになる。

 

よく「ビザコンサルタントが働かない!」なんて文句を書き込む人もいるけど、僕から見えれば、コンサルタントも説明が甘いし、聞くほうも甘いままというケースが多い。

 

たとえて言えば、生まれて一度もキーウィフルーツを食べたことのない人が、自分の頭の中でその味や形を予想する。ちっちゃくて可愛くて黄金色で〜。そして果物やに行って、おもむろに「すみません、キーウィフルーツ下さい」と言う。

 

店員は何も考えずに「ういっす、何個くらい食べますか?今は旬だから美味しいですよ〜」と言う。

 

客は、サイズの検討もつかないし、自分一人で食べるので、とりあえず「一房くださいな」と注文する。

 

店員、やはり何も考えずに、一房分って事で、裏庭に行ってキーウィのぶら下がった枝一本ごと持ってくる。

 

客はびっくり!おまけにその枝にぶら下がっているのは、汚い毛が表面に生えて、ざらざらしてて、薄汚い皮を剥ぐと、なんと中身はぬるとした黄緑色!りんごのようにしゃくしゃくもしてなければ、みかんのような透明な果汁もない。

 

「何よあんた!あたしの事、キーウィフルーツ食べたことがないってバカにしてるでしょ!」と怒り出す。

 

こんな時に大事なのは、最初にやるべきは、互いの認識の一致である。店員からすれば、表面落ち着いてるけど、何となくそわそわさを感じるお客に「こいつ、キーウィフルーツって分かってんの?」と疑問を抱くべきだし、一房と言われた時点で、こいつ、ブドウと勘違いしている、こりゃやばしと気づかねばならない。

 

客のほうも、自分が要求しているものが、実は自分が思い描いてたものとは違うという事を、そこまでは自分で調べてから注文すべきである。

 

つまりこのようなお互いの認識違いが、コンサルタンティングが失敗する時の一番の原因で、永住ビザは何故取るのか、取ったらどうなるのか、取るまでの手間がどれだけかかるかも説明せずに、「取りたい?あ、そ。じゃここにサインして」から始まり、あっちこっち引きずり回して書類を用意させた挙句、また同じような書類を出させ、結局は「え〜っと、いつ取れるか分からんぜ」と言うことになる。

 

これじゃあお客が怒るのも当然だ。お客は素人であり、自分が何を要求しているか全く理解していない。そんなお客への説明責任は、当然サプライヤーであるコンサルタントの業務に付随している。これはコンサルに限らず弁護士でも同じだが、ニュージーランドでは未だサービス業がきちんと定着していないので、このような場合の対処の仕方が分かってないケースばかり目立つ。

 

対してお客も、この国の情報を自分なりに最低限でも収集して、自分が何をしようとしているのかを理解しないまま、相手に言われたとおりに動いて、最後になって「こんなはずじゃなかった」となるのだが、それなら、素人なりに出来る限り調べてから問い合わせをすべきだろう。

 

自分のこれからの一生を賭ける大事件なのに、何も考えずに他人任せという事はだめでしょ。

 

上記はコンサルタントの話だが、移民管理官とのやり取りは、また全然違う。コンサルタントとの争いが本当の夫婦喧嘩とすれば、移民局とのやり取りは、偽装結婚夫婦の喧嘩みたいなものだ。

 

これを書き始めると、またまたきりがないので、そのうちに分割して書いてみよう。

 

ただ、僕が今まで2百数十人を扱った経験からすれば、本人がフレキシビリティがあり、腹が括れて、他人をある程度信用できれば、早かれ遅かれ永住権は取れるという事だ。何故なら永住権は、何度でもトライしてよいのであり、一回目に失敗しても二度目で取れるという事があるからだ。

 

永住権があれば、人生の選択の幅は思いっきり広がる。日本が駄目ならニュージーランドに渡航して、現地で家を買ってそこに住む、そんな選択もあるのではないかと思う。

 

写真はクイーンストリートから一本横に入ったスワンソンストリート。現在は道路の石畳の張替え作業中。左に見える看板は「まさと」と言う現地向け日本食レストラン。カレーとか丼モノが有名。

 

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2007年11月29日

キャピタルゲイン課税なし

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オークランドの不動産視察ツアーを行うと、皆さんが必ず喜ぶのが、税金が安いと言う点だ。

 

特にキャピタルゲイン課税がないし、売買の際に消費税が発生しないので、要するに10万ドルで買って15万ドルで売れれば、丸儲け、そのお金は全部使ってよいのである。

 

次の家に買い換えても良いし、飲みに行ってもよいし、銀行で年利8%の貯金をしても良い。

 

何でそうなるの?

 

よくある質問だが、これはニュージーランドと言う国の税制が、国民にはしこたま勝手に儲けてもらい、最後に搾り取る政策だからだ。

 

日本だと、何かやるたびに全ての段階で金を取ろうとする。収入印紙なんて、その典型だ。

 

ところがニュージーランドはイギリスの経済政策を伝統にしており、基本的に自由放任政策なのだ。

 

だから、「売った買ったと現場でやって、しっかりお互いに儲けたら、そのカネで飲みに行ってください、家族にクリスマスプレゼンを買ってください、そしたら政府に消費税が落ちますから」となるのだ。

 

なおかつ、消費が活発になるので企業も儲かれば法人税も取れる、忙しくなれば人員確保も必要だから所得税も取れる、政府も労働者も企業も、皆さん幸せではないですか、って言う考え方だ。

 

合理的だと思うんだよね、この考え方。実際に政府の歳入の3割は一般消費税、次の約3割は所得税、法人税は20%程度かな、残りはその他収入という構造の中では、消費が盛んになる事が重点。

 

だから、どっかの島国のように、すべての取引に関与して小銭を吸い上げるような、そして彼ら金の卵の将来を不安にさせて卵を産まなくなるような、消費を冷え込ませるような政策は取らない。

 

それと、やはり家族が出来れば持ち家が欲しいと思うのは、全世界共通なようだ。その為ニュージーランドでも、20歳代で結婚したら、まずはローンを組んで家を買うという習慣がある、てか、あった。最近は高すぎてなかなか買えないからだ。

 

元々ニュージーランドの持ち家率は70%以上あったが、最近のオークランドでは、これが65%くらいに落ちてる。

 

何よりも家が大事って考えている政府は、一般のサラリーマン向けに減税をしたり、若い人が住宅を買いやすいように最大融資率を高めたりしている。そのような中でキャピタルゲイン課税などは、導入するはずもないし、ましてや売買の際の消費税と言う発想もないのだ。

 

ただ、企業が投資として売買する場合は、これは別。基本的には課税されるし、一般消費税が発生する部分もある。

 

これ、かなり専門的でケースバイケースなのでブログには書けないが、個人は課税しない、企業には「基本的に」利益分を課税すると覚えておけばよいと思う。企業向け課税を逃れる方法もあるけど、これも書くと長いので、そのうちまとめて書こう。

 

写真はオークランドのバルカンレーンに置かれたクリスマスデコレーション。最初は何か分からなかったけど、2日くらいして気づきました。爆弾なんですね。

 

テロのない国だから思いつくんでしょうか・・・。

 

 

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2007年11月28日

先週は投資家が2組来訪

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先週は投資家が二組来られた。丁度同じ日だったので、不動産視察を一緒に回ってもらう。

 

去年の後半くらいから、移住のお客様よりも投資が中心のお客様が増えている。その為、うちの会社も不動産ビジネスにシフトしており、今月からは不動産を扱う部門も立ち上げて、本格的に不動産投資を扱うようになった。

 

面白いことに、それまではあまり興味のなかった不動産だが、やってみると、お客様の反応が非常に良い。

 

元々不動産は、NZでは最も騙しの多い商売として、地元キーウィのアンケートでも、「最も嫌い?騙された職業?」に挙げられるほどだった。

 

だからうちもあまり関わりを持ちたくなかったのだが、実際に目の前でお客様がトラブルに巻き込まれているのを傍観するわけにはいかない。

 

その為に今年初頭くらいから、不動産ビジネスのネックとなっている売主重視の視点を排除(つまり購入側が高く買わされる)、円建てローンの契約サポート(年利3%で借りられる)、購入後のサポート(実はこれが一番の問題、日本にいるお客に不動産管理は出来ない)、などなどを、お客様側に立ってビジネスモデルとして構築してきて、やっと大体まとまった。

 

不動産を扱うには資格が必要なので、これはうちの奥さんに免許を取ってもらい、購入の実務はバーフット&トンプソンというオークランドベースの不動産会社で行うようにした。他にも、仲良くしてくれる不動産やさんがいるので、チームを作ってどんなお客様でもOnestopで商品を提供出来るようにした。

 

うちがやるのは、あくまでもお客様の側に立った購入、管理、売却サポートだ。

 

結局ビジネスって、自分が「こうだ!」と勝手に思い込むよりも、市場の声に耳を傾けることではないかと思う。素直に流れに乗って、市場の求めるものを提供すれば、過剰な宣伝などせずとも、お客様は付いてきてくれる。

 

今、日本では不動産が値上がりするってのは奇跡か詐欺かと思われているようだが、ニュージーランドでは、これからも値上がりが期待出来る。理由は単純で、人口が増えているからだ。

 

毎年3万人近くが増えていれば、自然とインフラ整備も必要になり、人口増加がビジネスを呼び込むことにもなる。

 

そして、最初は半信半疑でニュージーランドにやってきた投資家も、「お、これはいけるぞ」と分かってもらえる。

 

これからもビジネスの現場をしっかり見てれば、まだまだ新しいビジネスが出てくるはずだ。

 

明日からシドニー。シドニーで起こった事は、半年から1年後にはオークランドで起こると言われている。だから、シドニーを見ておけば、僕の次の戦略に大きな影響を与えてくれる。これが今年最後の出張だ。

 

シドニーの人口は400万人。しっかり市場調査をして、不動産の次に何が来るかを見極めねばならない。もちろん、美味しい中華も外せませんね。

 

写真はオークランドシティのど真ん中に毎年立ち上がるサンタクロース。このサンタ、もう何十年も同じ場所に立っているのだが、最近のアパートの増えようにはびっくりしているだろな。

 

 

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2007年11月27日

ニュージーランドで起業する

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日本から来た起業希望の方と面談する。

 

最近は不動産を通じた起業や投資を考えている方も増えた。昔と比べれば、隔世の感があるニュージーランドだ。

 

そういえば毎回同じような話をしているので、今後は、不動産、投資、起業という話を、少しまとめてみた。

 

 

今後も、新しいカテゴリーを作って、不動産、投資、起業という情報を提供していく。

  

例えばオークランドで小売店をオープンさせて、将来は永住権に繋ぎたい場合。

  

 

世界で2番目に起業しやすい国

1・外国人が外国にいながらNZで会社を設立して、取締役及び株主になれる。但し会計監査が毎年必要。

2・会社設立の際の資本金は1000ドルでよい。事業資金は貸付となるので、利益が出れば無税で回収出来る。

3・契約観念が徹底しており、契約に従ってルール通りに行動すれば、例え企業が倒産しても、経営責任は会社資産のみに限定される。

4・初期投資が他国に比較して安い。オーストラリアで小売店を開く場合の概算費用は50万ドルが目安。NZでは30万ドル程度で開業出来る。

5・永住権を持つ日本人労働者を採用出来ることで日本語による管理が可能である。

6・NZで得た利益はNZで納税するが、法人税は33%(30%に下がる予定)。

 

 

投資コスト

会社設立費用: 約1000ドル

会社資本金:   1000ドル

税理士費用:   年間で2000ドル程度

弁護士費用:   1契約に付き1500ドル程度

店舗契約及び家賃: 契約時に2か月分の前払い、家賃は売上の10%が目処

店舗改装費:  平均で1万ドル程度だが、MALL等の条件によって変わる。

店舗什器: 1万ドル程度   

初期仕入れ: レストランなら5千ドル、小売なら10万ドル程度

スタッフ人件費:マネージャー年収4万ドル、スタッフ年収3万ドル程度

光熱・諸経費:毎月1000ドル程度

広告宣伝:毎月200ドル程度

 

運営

1・法律上の問題点を弁護士を入れて調査する。

2・調査の結果が問題なければ会社を設立する。(社名、取締役、株主名が必要)

3・会社に資本金を投下して銀行口座を開設する。

4・銀行口座を開設する。

5・店舗探し。

6・店舗契約、改装準備。(改装は6ヶ月ほどかかることがある)

7・商品仕入れ

8・スタッフの採用と教育(当初は日本からマネージャーを送ることも可能)

9・什器の輸送と搬入

10・商品の展示決定

11・広告方法の検討

12・開店

 

問題点

1・NZの各種法律、特に労働法を理解しておくこと。トラブルが発生する一番の原因である。

2・NZの商習慣をマネージャー、社長が理解しておく。日本とは全く異なる発想である。

3・初期の段階から経理を徹底して明朗にしておく。税務署は日本のようなぼったくりのわからずやではないので、正直が一番。

 

起業家ビザ関連

1・弁護士費用が15000ドル+GST

2・税理士費用が3000ドル+GST

3・申請後約6ヶ月で、最初の9か月分のワークビザが取得出来る。それから9ヶ月以内に実際に渡航して会社を立ち上げて営業開始すること。

4・9ヶ月経過した時点で会社の書類を持って移民局に行き、27ヶ月のワークビザを取得する。

5・36ヶ月以内に2年分の決算書を持って移民局に行き、永住権を申請すると取得出来る。

 

 

 

他にも、その人の希望する商売によって色んな方法があるけど、まずは上記の内容を説明すると、何となくイメージが湧くようだ。

 

ただ、ニュージーランドで起業するのは簡単だが、1年生き残る会社は、そのうち2割と言われている。

 

ビジネスモデルx経営者の能力x時の運=経営の成功度ってな感じかな。この3つが33%づつ占めているから、ビジネスモデルが良くても能力がなければ負けるし、要するにこの3つがすべて揃って、初めて利益の出るビジネスが継続できると思ったほうが良い。

 

毎週2〜3件は日本から色んなビジネスモデルが持ち込まれるが、聞いてても、「それ、どうなん?」と思うケースが多い。

 

結局、ニュージーランドの市場の小ささを理解せず、もひとつは、とにかくどっかのビジネススクールで習った机上の空論で、何とか理論とかでビジネスを展開しようと考えている人。どっちも、大体うまくいかない。

 

製造業でも警察でも、現場100回である。どれだけ責任者が現場に出て市場を観察して接客しているか。それが出来なければ経営がうまくいくはずがない。

 

なのに、「シャチョー!」と呼ばれたいが為だけに会社を興すような連中も目立つ。余程日本では相手にされなかったのか、外国で親の金で会社を作り、社長と呼ばれたい連中だ。

 

逆に、日本で会う起業希望者の中には、実に良いアイデアや実行力を持った人がいる。ただ、そのような人に限って慎重派で、なかなか飛び出してくれない。

 

今のニュージーランドは早いもの勝ち、First come, First Gain Winner takes  all の世界だ。これは自分で毎日現場で仕事をしているから、肌で感じることだ。難しい理論ではない。

 

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Japan Rail Pass

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 最近の出張ではジャパンレイルパスを使っている。

 

これは外国に住む人が日本でJRを利用する際にのみ使える、特別割引切符だ。

 

←これが現物。デザインはかなりダサい。ダサいという言葉自体が、ダサいが、他に表現のしようなし。

 

 

基本的にはJR何でも乗り放題で、新幹線のぞみだけは利用出来ないが、有効期限1週間で大人28,300円、子供14,150円。ほら、安いでしょ。

 

東海道山陽新幹線の博多から東京にお客様がいる、そして頻繁にあちこちで乗り降りする僕としては、非常に利用しやすい。

 

例えば今回でも、福岡から入ってすぐに大阪へ、それから広島に戻り、次に名古屋へ、でもって東京となると、レイルパスのほうがかなり安い。

 

僕は日本人だがニュージーランドの永住権を持っているので、「外国に住む人」扱いになり、購入が可能なのだが、その代わり毎回パスポートの呈示が必要だ。

 

実は新幹線の切符は買いにくいし、列車自体は乗りにくい。まず僕のクレジットカードは外国発行なので、JRでは殆ど使えない。1万円以上だと、確実に使えない。手元にあるのは、香港発行、NZ発行のカードのみ。かと言って約2週間分の切符を毎回現金で買っていると、現金が底をつく。あまり現金を持ち歩いてないからだ。

 

そして新幹線は、元々が、大阪や名古屋などの地方都市から東京へ日帰りできるようにという思想で作られてる。初期の頃に利用してたのは、溝鼠色のスーツに乳白色のシャツで、風呂敷と扇子を両手に持って、東京の役所に陳情(つまり乞食だ)に行く連中だった。

 

田舎だから手荷物は風呂敷一つというのが前提の構造なので、新幹線の棚に長期旅行用のスーツケースは載せられない。

 

それからはビジネス客も増えて、更に名古屋-東京間がいつも満席という状態も出てきて、実にビジネスマンの足として大活躍だ。ただ、それでも結局、視線はドメスティック。

 

だから、レイルスターを利用して博多駅からやってきて新大阪駅で下りた、外国から来てスーツケースを持ってるお客は、重いスーツケースを持ち上げて長い階段を歩いて下りるか、やっとつい最近作られたちっちゃいエレベーター(1回4人くらいしか乗れない)を2回乗り換えて、やっと改札口階に到着するが、新幹線が止まるたびに皆がこのエレベーターに殺到するので、自分の番が来るまで30分も待たねばならないという、「これでどこがyokosoJapanじゃ!」と腹が立つ。

 

大阪が国際的な街でないというなら、偉そうに英語表示をするな。国際都市と呼ばれたいなら、外国人が荷物を持って移動することを前提とした移動システムを作れ!大体そのエレベーターのすぐ横には、大型の業務用エレベータが動いてて、それを使って従業員がすいすい出入りしている。

 

サービス向上とか言ってるけど、新幹線が着くたびに行列が出来ろのを見て、誰も何も感じないのだろうか?

 

最近でこそ、車両の一番前と後ろに少しスペースが作られるようになったが、それも、京都へ観光に行く外国人旅行客には、焼け石に水である。日本国内を移動する場合は、外国人団体の場合、お客様が乗るバスの後ろに荷物用トラックが付いてきたりする。

 

僕も、移動の際はある程度の荷物はまとめて宅配便で次のホテルに送ったりする。たぶん彼らも同じようにやってるんだろうなと思う。

 

新幹線を最初に作った頃は、大きな荷物を持って移動する外国人の来航や、クレジットカード支払い等の社会的変化は予想されてなかったのだろう。

 

とにかく鎖国な国である。これでyoukosoJapanなんて、どういう意味不明な国策だろう。どっかの役所の役人がわざわざ海外にやってきて、「日本に来てくださいよ」と言うなら、まずは国内のインフラ整備をやれっちゅうの。

 

でもまあ、インフラやれ!って言えば、その役人は「いや、これは担当が違いますから」となるだろう。じゃあ矛盾してないかって突っ込めば、「いや、正直僕は、上司に言われて来てるだけなので、そんな事言われても困ります」って事になるんだろな。

 

思考停止の典型みたいな連中が、結局日本の鎖国を進めているんだろな。

 

閑話休題。

 

いずれにしても、交通インフラとしてはドメスティックな作りのJRだが、レイルパスとお役所が大嫌いなクロネコヤマトがあれば、日本の旅もそれなりに楽しめるものだ。

 

皆さんも永住権を取得してから日本に戻るときは利用してみてください。お近くのJTBや当社でも買えますよ。

 

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tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月26日

パッチギ! Love & Peace

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「僕はオークランド生まれのキーウィだい!」

 

そういうりょうまくんの顔が可愛い。空手と水泳でがっちりと太って、かなりな健康体なかれは、精神的には完璧にキーウィである。

 

「お姉ちゃんはクイーンズタウン生まれのキーウィだし、僕はオークランド生まれなんだ!」って、実に元気良く言うのだが、これこれ少年、人間の差別は肌の色から始まるのだよ。どこで生まれたかは関係ない。

 

勿論りょうまもみゆきもNative英語だし、この国の文化を身に付けているから、学校をでて仕事をするって意味での経済的な問題はないだろう。

 

しかし問題は帰属感。君は何人なんだ?そうなったときに、どう答えるか?

 

「何でうちら朝鮮人なん!朝鮮人なんかに生まれたくなかった!」

 

心の肺腑を抉るように、キョンジャが叫ぶ。

 

誰しもが思う疑問だろう。怒りだろう。この国に生まれ、この国に育ち、この国の言葉しか知らないのに、たまたま親が生まれた場所で差別をされる。これほど理不尽なことがあるだろうか。

 

アリランという韓国の名曲を背景に、在日韓国人の色んなストーリーが折り重なっていく。

 

「僕、死ぬの?」病気になったいたいけな子供が、弱弱しく親に聞く。

 

「どんな事があっても生きるんや!」

 

在日朝鮮人問題は、今も日本に残っている。舞台となった1974年に比べればそれほど酷くはないだろうが、それでもそのような差別、存在自体が悪だという事は、すべての日本人に理解して欲しい。

 

当時は、大手企業に朝鮮人、部落民の住んでいる住所年鑑みたいなのがあり、企業の総務課は、そんなんを見ながら採用を決めてた。

 

在日朝鮮人がパチンコ屋をやるってのは、答は簡単で、普通の企業に就職出来ないからだ。カネは払わせておいて、権利は要求させない。

 

それに比べれば、ニュージーランドのほうが余程人権を認めてくれるよ。NZdaisukiでキーウィの文句を言ったりする人間には、全く、日本国内で今も続く差別問題をしっかり理解して欲しいものだ。

 

日本人が、自分たちが世界で誇れる人種だと思うなら、自分たちが国内で無意識にでもやってきた様々な差別を理解して、こんな映画を観てほしいと思う。あまり期待はしないが。

 

それでもこの井筒監督って、テレビでも面白い発言をするけど、こんな映画を作るんだ、感心した。出来るじゃんかって感じ。

 

僕らのように日本から先進国?に移住した人間からすれば、差別について色々と思うことはある。

 

この映画を韓国人が作れば、おそらくイメージが違うだろう。一方的な日本人糾弾映画になるだろう。でも、この映画を日本人自身が作れて、身長に合わせた映画になったてのが、うれしい。日本にも、良い意味での文化人がいるんだな。

 

朝鮮出身の親を持つキョンジャは、一大決心をして映画の道を歩き、成功の道にあと一歩と来た時に、当時の禁断である「自分の過去」を映画作成発表会で晒す。力道山も西城秀樹も在日である事を隠した時代に、自分が正体を晒す事がどれだけ危険か。

 

緞帳の閉まった舞台で、自分が朝鮮人である事をはっきりと言ったキョンジャが、寂しそうに立ち尽くす。

 

それにしても、キョンジャ役の中村ゆりには、惚れた。フラガールでは蒼井優に惚れて、今回は中村ゆり。これってやばいか?まあ、男に惚れないだけましだろう。

 

人種差別が悪いとか、きれいごとを言っても始まらない。今目の前に存在する悪を、「そんなもん存在しません」なんて否定する必要などない。ただ、生きていくうえで、そんなものを叩き潰してでも生き残る、そんなキモチがなければ、世界では通用しないな、そう思ったパッチギだった。

 

 

 

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tom_eastwind at 00:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年11月25日

週末

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れにしても金曜日から日曜日までずっと呑みっぱなしだ。何か日付が一つに繋がってて切れ目がなし。1日が72時間ってみたい。

 

金曜日の夜は、ロトルアからきたお客との飲み会。

 

半年振りくらいかな、久しぶりに立花(りっか)に行く。ここのオーナーとは中途半端な距離の飲み友達。こっちから誘って飲みに行くことはないけど、飲みに行った先で会って、そこで一緒に飲む事が時々ある。

 

ただし、いつも記憶にないので、翌日「昨日は立花のオーナーさんと飲んでましたね」と言われて、初めて気づくというケースが殆ど。ましてや、会話の内容等覚えてない。

 

てか、彼とまともに会話したことないな。なので、彼の経営哲学ってのは、聞いたことがない。ただ、それはしっかりしたものだと思う。何故なら、この店は良く進化しているからだ。

 

今回はメニューが変更されてたが、それだけでなく、客を喜ばせる趣向がたっぷり詰まっている。

 

まるで日本のレストランの最新版を取り入れたような接客とかも、「おお、やるじゃん、負けてられないね」と言う気持ちにさせる。結局ワイヘキの白ワインを、4人で3本飲む。この時点でかなりキテタ。

 

この夜は山水バーの最近の様子を見るために出かけたのだが、バーが始まるまで時間があったので、最近改装されたFUJIに行く。そこでどうもアルコールが逆流したようで、ちょいと記憶が飛ぶ。やばいっすね。

 

結局山水に行くことは行ったらしいが、ほぼ惰眠(だみん)と駄法螺(だぼら)とバカ話の繰り返しに終始して、当初の目的である「客の様子を見る」という事にならず、11時過ぎにはキースのタクシーで自宅へ帰ったらしい。それは翌日、山水担当者から聞いて分かったこと。

 

あ、そうだ、お酒を飲む人の為にご案内をしますと、オークランドの夜、日本人ビジネスパーソンが飲みに行くところは、それほど多くない。てか、主な店は3軒のみ。

 

FUJI (以前は晩餐館「ばんさんかん」、別名ばーさんかんとも言う。こういうあだ名がついた理由を知りたければ、店に行けばよい)

女の子がいてカラオケが歌える、所謂おやじ向けバー。ここのお勘定は定額制になってて分かりやすいはずが、いつも記憶が飛ぶので、翌日になって財布を見て後悔すること多し。

 

このお店はシティからちょいと離れてて、坂道を登ったKロードに近いので、一軒目で飲んで歩いていくと、たぶん途中で息切れして、半数は倒れてしまうだろう。かなり急坂。なのでこの店は無料送迎している。日本人客は3割くらいかな。

 

迎賓館 げいひんかん。FUJIと同じように女の子とカラオケの店。別名げひんかん。街中なので一見の観光客が「飛んで火にいる夏の虫」状態になる事でも有名。まさにあだ名のままの店で、焼き殺された連中が翌朝の飛行機の中で二日酔いに悩みながら、「おれ、こんなに使ったっけ?」と悩むことでも有名。

 

そんな事が分かってて飲みに行く僕は、虫以下ですな。日本人客は5割くらいではないか?

 

山水ミッドナイトバー:カウンター形式で、ディナーが終了後の2部制としてバーが始まる。女の子もいるけどカラオケがない。おしゃべり中心ってか、大体の場合はカラオケ嫌いで話が好きビジネスマン連中が2〜3人で来て、女の子にお酒を作ってもらいながら、自社の内輪の話をするって感じの店。ここは、癒される系のお店。だと思ってる。注*ここは当社の関連なので割り引いて読んでくださいね。

 

他にも飲むところと言えば、源太(げんた)とかDonkeyがあるが、これはどちらも遅くまでやってる居酒屋。値段も雰囲気も安心して飲めるので、若いオークランドサラリーパーソンが目立つ。女性2~3人のグループで飲みに来ることも多い。

 

結局土曜日は、「昨日のお叱り」メールを読み、「あちゃ〜、またか〜」とか思いながらりょうまくんを連れてプールに行く。ここでちょいとした事件。

 

飲みすぎの頭を抱えてお叱りメールを読んでるので、結構頭の中が熱い。これ、自閉症の特徴か?

 

とにかく、いつも行くプールは駐車場が広いのだが、時間帯によっては満車になることが多い。なので、満車状態の場合は駐車場の入り口で皆が行儀良く順番に並んで待っている。

 

ところが最近の中国人は、そういう行列を無視して、並んでいる車を無視して駐車場に車を突っ込み、平気で横から割り込んで澄ました顔で、たった今他の車が出て行った場所に駐車する。

 

今まで行儀良く並んで待ってた僕は突然瞬間湯沸かし器と化して、りょうまくんを横に乗せた状態で、その車の止まっているところまで僕のおっきな車を押しかけてバーンと横付け。そいつが出られないようにした上で、下りてきた運転手に思いっきり怒鳴りつけた。

 

「このくそ馬鹿が〜!あの行列が見えんのか!みんな並んでるだよ、お前、自分の子供の前で恥ずかしくないのか!」

 

憮然としたその運転手に、更に「二度とするんじゃねーぞ!」と怒鳴りあげて、少しキモチがすっきりする。何か、この前もこんな事あったな。

 

りょうまくんからすれば、お父さんが怒鳴るのはしょっちゅうなのであまり気にしていない様子。後で「お父さん、今日は何で怒ってたの?」と、けろっとした顔で聞いてた。

 

りょうまくんが背泳をやってるのを片目で見ながら日経ビジネスを読んでたら、さっきの運転手がしら〜っとした顔で僕の座ってる椅子の前を通り過ぎた。

 

11時に、出張前からりょうまくんと約束してたブラウンズベイの「新しいおもちゃや」に行くが、営業は12時からだったので、一旦退却して11時30分から開店するブラウンズベイの宝ラーメンで食事をしようという事になった。

 

ところがラーメン屋も開店が11時30分なので、暫くビーチで遊ぶ。あふぉで自閉症なりょうまくんは、波に向かって突撃して、長ズボンを見事に全部濡らしてしまう。

 

仕方ないので、車に積んでた予備のジャージーを穿かせて、ラーメン屋に行く。大人用のジャージーなので、りょうまくんの格好は大阪のやくざのぼんたん状態だが、まあ仕方ない。

 

この時点で、ビール飲みたい光線がビビビと出てたが、車を運転しているのでコリャ無理だ。仕方ないのでコーラと餃子とラーメンにする。ちぇ、飲みたい気分なのにな。

 

りょうまくんは自分の注文した豚骨ラーメンを「おいしい!」って連発するし、僕の醤油ラーメンも、前回同様味はそれほど悪くはないので、一応しっかりと食う。

 

この店、悪くはないのだが、なんと言うか、気合がないのだ。静岡という土地柄か?福岡だったら、もっとラーメン作りにキモチこめるんだけどね。ここがキモチこもってないってんじゃなくて、何か違うだけ。

 

これでまずかったら、言ってください、その場で腹を切りますから、そんな根性系が福岡のラーメンだが、ここのラーメンは、「ああ、そうか、あんまりおいしくなかったんですね、じゃあ、次は頑張りますよ〜」って、脱力系なのだ。

 

決してまずいのではない。ただ、キモチが伝わってこないので、こっちまで「」ふわ〜」っとしてしまい、何か、ラーメンを食べるときの対決感が出てこないのだ。

 

何故か関西弁のおにいちゃんの接客せりふを聞きながら、まあ、次は2ヵ月後かなとか思いつつ店を出る。

 

そこから車で3分の場所にある、丁度12時に開店した「新しいおもちゃや」に行き、「お〜、ガンダムショップだな〜」と思いながら、オーナーさんと話をする。この店、こんな簡単な作りなのに、開店までに思いっきり予定外の時間がかかってしまったと言う苦労話を織り込みながら、NZの商売の厳しさの話をする。

 

それにしてもブラウンズベイ、この一年で随分と変わったね。アジア人が増えて、アジア系のお店も出てきた。以前のような雰囲気とは、ちょい違う。

 

ショップに来るのが、結構キーウィが多い。店の作りはシンプルなのだが、ヘビーガンダム系は、何か同種の匂いを感じるのかもしれない。

 

りょうまくんは3つほどおもちゃを選び、随分ご満悦。

 

それから早速自宅に帰り、大好きな半身浴+読書と、その後のウイスキー水割り。お〜、幸せ。結局土曜日は、そんな感じで過ぎていった。

 

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tom_eastwind at 18:06|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月24日

本棚 ナツコ

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本棚

 

会社の棚には、現在大体300冊程度の本がある。

 

「ニュージーランド殖民の歴史」とか「ニュージーランドの市民と政治」とか「ルソー」、「旧約聖書」から、「ゴルゴ13」、「ポーの一族」まで、色々と取り揃えている。

 

ただ、最近その中に、僕の趣味でない本も少しづつだが増えはじめている。

 

どうも、誰かが読んだ本を寄付してくれてるみたいなのだが、流れが僕と違うので、一緒に置いておくと、何か安定感がない。

 

てか、知らない人がこの本棚を見て、僕の性格を勘違いされてもな〜と思ったりするのだ。

 

例えば「影丸極道帖」とか「海岸列車」とか。作者で言えば赤川次郎とか。どう違うのか説明しずらいが、感性がどこか違う。「赤川次郎詠んでるんですか、私も好きなんですよ」と言われると、嫌なのだ。

 

要するに、ゴルゴ13を見て「うえ〜、漫画じゃん、バッカみたい〜」と言われても気にしない。ゴルゴ13は立派な文学であると思えるが、赤川次郎は僕にとっては何の役にも立たないばかりでなく、本の存在意義が不明であり、世間を欺いてあふぉ化させた作者の一人だと思っているからだ。

 

そんなあふぉな作家を「好きなんですか?」と聞かれても困るので、「その系」の本は、本棚の下の方に固めておいてある。

 

ところが、色んな人が読んだ後に、適当に空いてる場所に本を返すので、どうしてもばらけてしまう。なので、大体2~3日に1回は本棚を整理するようにしている。

 

その棚の新刊の欄(要するに棚の一番上の欄、目線の高さにある)に今回の出張で加わった一冊は、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」である。

 

昨日の葉桜も非常に面白かったが、「ナツコ」も、違った意味で面白かった。戦後沖縄の復興の影に、こんな裏の歴史があったとは。

 

本にしなければ歴史の彼方に消えてしまう。そういう人物は多い。特に反体制側の人物は、なかなか本になりにくくて、代表的なのが坂本竜馬だろう。

 

司馬遼太郎が本にするまで、歴史の中で埋もれて忘れられていた人物だ。今は日本人なら誰でも知っているが、大正時代や昭和初期には、誰も知らなかった人物だ。

 

この「ナツコ」も、当時の存在はとても大きかったが、一度過去に流されてしまうと、人々の記憶から薄れてしまい、何も残らなくなる、そんな人物だ。

 

敗戦と沖縄返還までの間の、失われた歴史。そういう視点で見ても、単なる海洋冒険小説としても、ある力強く生きた女性の記録としても、どの視点から切り取っても面白い作品だった。

 

「ナツコ」を詠みながら思った、やっぱり、やる前から不可能だよ~なんて言ってるようじゃ駄目だ。やってやってやり抜いて、最後は天の運に任せきって、ど〜んと構える。本当の成功は、その先にしかないって。

 

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tom_eastwind at 00:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2007年11月23日

「葉桜の季節に君を思うということ」

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「葉桜の季節に君を思うということ」

 

歌野晶午(うたのしょうご)

 

おお、久しぶりにやられた。

 

2004年に本格ミステリベスト10を取り、第57回に本推理作家協会賞受賞で、第4回本格ミステリ大賞受賞と、おうおう、てんこ盛りですね。

 

本の良いところは、どっかのバカ政治家が下らんことをやって、更にその上のあふぉからから貰うだいなんちゃら賞と違い、賞を取った作品は、それなりに詠んでみると面白いという事だ。その点で、本やの世界はまだまだ何とか世間の常識が通用しているようだ。

 

ミシュランのレストランガイドが東京で発行されたようだが、どれだけ売れようと、あれは僕の中ではいわゆる「本」ではない。まだ見てないし、これからもレストラン案内としては見るつもりはない。味は、自分で選ぶからだ。

 

一体どんなバイアスがかかっているか、それ以上に、味ってのはただ、ある一定のレベルを超えれば、そこから先は「好き嫌い」の問題であり、「良い悪い」で評価すべきではないと思っている。今、この二極化が定着する東京で発行されるミシュランガイドは、一冊のガイドブックとしては興味はないが、今発行されたという事に興味がある。何故なら本は時代を表しているからだ。ただ、自分好みのレストランを探すのは、一冊の優良な書を選ぶのと同じで、適切なご案内人がいないとうまくいかないのが事実だ。

 

でもって、話は戻ってこの本。まさに、「やられたね!」としか言いようがない。

 

東京滞在中に無理やっこ時間を作り、恵比寿の本屋に行く。本がなければ人生はない。

 

本を選ぶ時点で、その人の人間像が見える。どっかのえろ本でもよし、亀井勝一郎の哲学でもよし。どっちを選んだかではなく、何故その本を選ぶのかって時点で、その人の性格や考え方が、その人の背景(お金とか社会的地位とかなんちゃらとか)に関係なく、明確にあぶりだされている。

 

この本は、題名だけ見ると古臭いし、作者の名前もまるで歌人みたいで、最初は??ものだったが、平積みされてたので手に取ると、「買ってよ、お兄さん〜」という信号が出てたので、最初の5文字くらいで速攻決定。他の十数冊と共にニュージーランドに渡る運命になった。

 

それにしても、こうくるか。こりゃ負けた。いう事なし。久しぶりに、楽しませてもらった一冊だ。普通、殆ど最後の部分になって、確認の為に最初の部分を読み直すなんてしない。話の整合性は、文脈で捉えるから、詠んでておかしければ、読み返す必要もなく、すぐ気づく。

 

思えば、あちこちに仕掛けがあった。最初の部分で、実はその仕掛けに、「あれ?何でここでこんな事書くの?」と、裏の意味まで考えてみた瞬間があったけど、それからはどんどん話に巻き込まれていき、何となく忘れていたけど、最後の最後で、ど〜ん!だもんな。

 

良く作りこまれた作品だ。時間と手間を思い切りかけたのだろう。

 

ただし、これを楽しむには資格が必要。

 

1・心に余裕があって、自分がバカにされても気にしない人であること。

2・人間は、戦う限り無限の可能性があるって事を信じれる人。

 

こりゃびっくり。次に日本に行くときは、彼の2冊めを買おうと決めた。

 

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葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)

 



tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2007年11月22日

生活保護引き下げ・厚労省方針

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「厚生労働省は20日、生活保護額のうち食費など生活扶助額を引き下げる方針を固めた。現在の生活保護の水準が、保護を受けずに働いている勤労層の生活費を上回り、勤労意欲をそぐ恐れがあると判断した。

 

 

 有識者による同省の「生活扶助基準に関する検討会」は同日、食料費など必要な生活費の調査結果を、生活扶助額を見直す基準に位置付けることで合意した。(07:00) 」

 

いや〜、こうなるのではないかと思ってた。

 

働いても生活保護世帯よりも低い収入の、ワーキングプアと呼ばれる人々の存在が表立ってきたあたりから、もしかしたら厚労省が功労賞狙いで、今年の「最優秀バカ賞」欲しさにやるんではないかと、思ってましたよ。

 

案の定、低いほうにあわせやがったよ、こいつら。

 

元々ワーキングプア問題は、これじゃ多くの若者(低所得者)が自分の収入だけでは貯金も出来ず結婚も出来ず、幸せな将来を描けないから、どうやって問題を解決していくか=賃上げをどうするかって事だった。

 

「フリーターに嫁はやれません」、そう言って断る父親がいるのは、これは理解出来る。結婚しても生活を支えることが出来ないから、それが不幸に繋がるのだ。

 

だから、フルタイムで働けば生活も出来るし貯金も少しは出来るし、夫婦で一生懸命頑張れば、いずれ持ち家を買う頭金も溜まる、そういう生活を築き上げる為に、政府はどうするべきか?が問題であった。

 

その比較として出されたのが、「生活保護より少ない収入」ってせりふだ。このせりふが出始めたのは、本来の趣旨は、「だから生活保護世帯以上になるように、賃金の底上げを図れ」だったのに、その反対に「生活保護を下げろ」であるから、全くもう、厚労省には、今年一番のおばかさん賞をあげたいくらいだ。

 

もし俺が生活保護世帯の子供だったら、高校生くらいだったら、このニュースの時点でほぼ間違いなく厚労省の役人を誘拐して身代金を奪い、その後も生きてる限り役人の子供や家族を誘拐し続けてカネを要求し、ついでにそいつらのパスポートを奪って、無人島の山の中に放り出して、どこまで一人で生きていけるか、サバイバルゲームをやらせるだろう。

 

皆が協力しなければ生きていけない島で、少しの水と食料を、彼らがどのように分配していくのか、見て見たい。

 

弱肉強食?弱い奴が死ねばよいのだな?よっしゃわかった。役人の、80歳になる親を一緒に放り込もう。おいおい、親の食料を奪ってでも生き残るかよ、役人さん。

 

能力のある者が生き残るんだな、努力しない奴は駄目なんだな、だったらさ、役人の娘で病気がちの子供も一緒に放り込みましょう。生産能力ないんだから、死んでもらうしかないね。

 

働く気がないような役人の息子は、真っ先に放り込みましょう。親と競争しながら、どっちが最終的に食料を得られるのか?

 

そうする中で、人が死ぬ辛さとか苦しさとかが分かってくれば、何で人間が助け合いをするのか、役人もやっと理解していくだろうね。

 

1945年の敗戦後、日本は優秀な官僚がたくさんいた。彼らは、戦争に負けることで同じ日本人が泥沼に落とされて次々に死んでいく現実を見て、戦前の日本にあった「助け合い」がどれほど社会の為に必要かを実感してた。

 

助け合いってのは、慰めとかお恵みではなく、社会が健全に発展していく為の必須の道具であり、この決定的な点を役人は理解していない。皆が最低の生活に叩き込まれた時に皆が生き残る道は、相手を信用してお互いに出来る範囲で頑張って、結果を皆で分け合うという方法しかないのだ。

 

だから戦後日本は、格差のない社会を作り、ダレでも生きていける社会を作った。

 

その中で仕組みに甘えて暴利をむさぼったのは、実は貧乏人ではなく、政治家と高級役人だったと言うのは、実に皮肉なことである。

 

さて今回。生活保護を切り捨て、ワーキングプア問題を見えなくするようにした厚労省は、これで功労賞を取るのか、世界一のバカとして後世に名を残すのか?

 

どっちにしても、誰かさんの殊勲の為に地獄に落とされた人の事を考えると、昔の自分を思い出し、他人事ではないので、正直この記事には最高に腹が立った。今回の判断を行った責任者、しっかりと名前を記録に残して、天下りした際も、必ず行く先を残して置くように。

 

今はもう、一人でも多くの人に、安全地帯に避難するように告げたい。

 

今あなたにお金があるから大丈夫だって?冗談じゃない、そのお金を巻き上げようとしているのが政府だし、あなたの子供が大人になった頃、そのお金がどれだけ子供に残せると思っているのか?

 

戦え!今の国民に残された手段は多くない。政治をひっくり返すという国民運動を行うか、それとも海外に一時避難をするか、だ。海外は辛いかもしれない。ただ、ニュージーランドでは、人は人として扱ってくれる。その一点を取ってみても、努力する価値はあるのではないか?

 

写真はウエスティンホテルのツリーの下にあった機関車。トーマスではないけど、

皆写真を撮って幸せそうだった。さすがに、「砂上の楼閣って知ってますか?」とは聞けなかった。それにしても、こんな普通の人々の生活を壊そうとしている今の日本って、ナンなんだ。

 

 

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tom_eastwind at 00:22|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 日本ニュース | 諸行無常のビジネス日誌

2007年11月21日

オークランドに戻って最初にする事

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オークランドに戻って最初にする事は、日本式の下駄方の差込をNZのハの字型の差込に変えることと、NZで使う携帯電話のスイッチを入れることだ。

 

僕が使っているLetsNoteの電源コードは、電圧交換装置?てのか、黒い四角な箱のとこで、NZ仕様の差込に変えることが出来るので、下駄の先にハの字を差す必要はない。これ、追加費用を払ってお店で買った気がするが、あんまりはっきり覚えてない。

 

はっきり言えば、形は何でも良いので、世界中が同じ形になって欲しいと思う、一消費者の気持ち。

 

NZの携帯電話は、三洋が作っている真っ黒なやつで、モトローラが作っているような薄型カメラ付のやつ。

 

日本で使っているプリペイドのケータイは、NZでは使えないのだ。

 

てか、僕の持っているケータイ、てか、NZで使っているケータイは、すでに数年前からカナダ、香港、アメリカ、中国、オーストラリアと、どこでも使えた。欧州がどうなのか、中近東がどうなのか、韓国がどうなのかは知らない。

 

ただ言える事は、日本では使えないという事だ。何でも根本的な仕組みが違うそうで、少々いじってもどうしようもないらしい。

 

それと言うのも、1980年代にビデオとかで日本規格が世界を一世風靡し、それがそのまま続くと思った連中が、供給者の論理で「ほら、これ良いだろ、性能凄いだろ、ほら使えよ」と押し付けたケータイ規格が、実は世界では「ふざけんな、こんな機能はイラネーヨ」とか「おいおい、こんなに高いの、カエネーヨ」とか、需要者に不人気であり、結局世界の多くはGSMに集中、日本のシステム(なんてのかよくわからん)がつまはじきになった結果だ。

 

性能の良し悪しではなく、売り込み方の下手なせいなのだろう。

 

自分がやっていることが、1970年代の日本の商社が、足で稼いで売り込んだトランジスタラジオとは根本的に違う、国のインフラに影響を与えるビジネスとは認識しないままに、「機能が良いのだから売れないわけはない」と思い込んでる、精神鎖国のお人よしたち。

 

NZではテレコムとボーダフォンがケータイを提供しており、僕はテレコムを使っているが、他の国に行くと必ずテキストメッセージで、その国での使い方を説明してくれる。

 

勿論その国の番号をもらえるわけではないので、他国の方と直接やり取りするのはちょいと不便ではあるが、自分の機種をそのまま使えるってのは便利。

 

特に大きいのは通話料金。日本では最近、海外で使える電話!って広告しているが、その通話料(受発信)は、1分で100円以上する。

 

日本が誇るJIS規格ってのは、たいしたものだと思う。どんな電気部品を使っても互換性がある。

 

ニュージーランドだと、プラグを差し込む蒲鉾板に、口が6個あったとしても、メーカーのプラグが異常に大きくて、3つしかさせないなんて普通だ。実に腹が立つ瞬間だ。

 

おいおい、日本のよいとこ、見てみなよ。電球は、100個あれば100個全部電気がつく。プラグの差込が6個あれば、6個全部使える。ほ=ら、すごいでしょ・・・・。

 

でも、世界標準でなければ、これから先は意味がなくなるんだよね。どんなに不便でも、それが世界標準になってしまえば、文句の言いようがない。マイクロソフトが良い例だ。

 

日本が世界標準になれない大きな理由のひとつとして、生産者の思い込みがあると思う。良ければ絶対に使ってもらえる、それは事実なのだ。ただこれが、梨やりんごならOKだが、社会的インフラの問題になると、必ず政治問題になる。

 

そして日本は、他国との政治問題に弱い。何故なら日本は、省庁毎に利益構造が違ってて、日本国として行動することが苦手だからだ。

 

官僚が強くなった結果、日本国内を統率すると言う意味では強固なものが出来上がった平成の今だが、これから相手にすべきは、すでに国境の壁を完全に取り払った状態での外国との戦いである。

 

今一番やるべきは、日本全体の利益を考えて、外国とどう戦うか、その為には省庁の利益を超えた、全体の無謬の利益を追うことである。

 

NZに戻ってきて真っ先に考えることがこれなんて、少し情けないね。

 

写真はヅダ。(らしい)。今週末は、りょうまくんを連れてガンダム買い物だ!

 

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tom_eastwind at 00:32|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月20日

安全神話

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安心と安全

 

日本での夕食は、一度は必ず吉野家で牛丼。並盛り380円+生卵。おいしいな〜、ぱくぱく。

 

知る人ぞ知るだけど、僕は日本に行くと、吉野家と豚骨ラーメンだけは外さないようにしている。うまいな〜。

 

次々と入ってきては、牛丼をかけ込んで出て行く人々を見ながら、壁のお品書きとかも見ながら、ゆっくりと食う。

 

吉野家は食券売機を導入してない。吉野家の安部社長は、食券には人の暖かさがないと考えているようだ。要するに、お金を払って「ごちそうさま」ってのと、お金を受け取って「有難う御座います!」という会話が大事だと考えているのだ。

 

牛肉輸入禁止の時も、豚丼、焼肉など次々と策を打ちながらも決して米国以外の牛肉を使おうとはせず、他社が次々と豪州牛肉を導入した時も牛丼は再開せず、食べ物を売る人間としての筋を見せてくれた。

 

やっと最近になって午前11時から販売など、少しづつ売り始めている。

 

ふと壁を見ると、「当社の牛肉は主にアメリカから輸入しています」との案内が控えめに書いてあった。

 

最近ますます起こる食品偽装事件。今日も吉兆大阪の日付偽装事件で新聞やテレビが賑やかに報道していた。

 

ただ、「偽装」と「食の安全と安心」の問題は、きちんと区別して考えなければならない。

 

吉兆の場合は完璧に偽装だ。これはもう言い訳のしようがない。安全と安心の問題ではない。現場のアルバイトが勝手にやったことでもない。本社が日付変更を指示していたというだ。

 

しかし牛肉輸入禁止の問題は、安全と安心の問題だ。米国産の牛肉が危険である、狂牛病であるという事で米国産の牛肉が輸入禁止となった。

 

この時に吉野家としてはかなり一生懸命に安全と安心の違いを世間に向かって訴えていた。

 

安全は基準で調整できる。ところが安心は心の問題だから、どうも企業側では調整のしようがない。

 

日本人は何かあるとすぐ「不安だわ〜」と言うが、完璧な安全などあり得ないのだから、完全なる安心は与えることは出来ない。安心は本人しか作ることが出来ないのだから。

 

「生きてる限り人には絶対なる安全などあり得ない」

 

交通事故もあるだろうし、今朝のニュースのように政府から勲章まで貰った人が死んだりする時代だ。歩いてればビルの屋上が人が飛び降りてきて、巻き添えになって大怪我もする。

 

元々、安全とは何に対してだ?殆どの場合、それは命に対しての安全に繋がる。でも、命自体がいつまで続くか?人はいずれ死ぬのだから、生まれた瞬間からすでに安全ではないのだ。

 

「安心は心構えでどうにかなる。所詮人は死ぬのだと理解すればよい」

 

死に向かって生まれたのだから、死ぬ事を過剰に恐れたり無視したりせずに、逆転の発想で、いずれ死ぬんだから、生きてる間は毎日後悔しないように、やりたい事をやって充実した生活を楽しめばよい。

 

死んだ後のあなたの肉体は、お寺か教会か市役所がどうにか処理してくれるのだから彼らにど〜んと任せておいて、こちらは生きてる間に何をするかを真剣に考えればよい。

 

だから、異常な程度の安全神話ばかり要求して、結局社会全体の発展を阻害するような結果(だって、進歩とか発明には常にリスクがあるのだ)、仕事にも個人生活にも不安ばかり感じて、結局全然幸せになれない国家造りよりも、ある程度の安全さえ守ればそれでOK,あとは国民が自分で判断するよって自己責任の仕組みを導入するほうが、結果的に国民全体の向上に繋がるのだ。

 

生きるほうとしては、安全と安心の二つのバランスの中で、原子力だって生活の為の仕事だってお昼に吉野家のアメリカ産の牛丼を食べるのか、防腐剤たんまりのコンビニ弁当にするのか、吉兆の定食なのかだって、自分が納得したものを選べばよい。

 

政府の役目は、その判断をする為の基本的な情報を提供することだ。国民を無知なままに放置すれば、それは日本全体が国際化が進む世界で取り残されてしまう事になる。

 

安全と安心のバランス、この基本がふらついていると、いつまで経っても国民は成長せず、何かあればすぐくよくよして、後ろ向きに生きていくしかないのだから。

 

帰りにコンビニによる。パン、おにぎり、お弁当、次々と売られている食べ物を見る。どれもこれも添加剤や防腐剤が、これでもかってくらいに使われている。食の安全を取るか便利さを取るか、選ぶのは自己責任だ。

 

テレビでは街行く一般人に食品偽装問題でインタビューをしている。「あらま~、不安だわ〜」

 

写真はホテルに飾ってあったクリスマスツリー。皆さん、幸せそうに写真を撮ってました。

 

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2007年11月19日

最終日

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説明会も無事終了、スタッフと共に行きつけのレストランで打ち上げ。

それにしても東京、てか、日本は良いな。

サービスとか設備とか安くて良い商品とか、これで政府がしっかりしてれば、実に良い国だ。

だったらやっぱり、生活の場をニュージーランドに置いといて、日本で商売すれば、これが一番だな。

昨日の個人面談でも、やはり日本の将来に憂いを持つ人が多く、ただ、どうすればニュージーランドで経済的に独立出来るのかっていう点で悩む人もいた。

やっぱり発想を変えて、仕事は日本で、生活はニュージーランドで、それを実現する為にどのようなビジネスモデルがあるのかを考えたほうが良い。

考えてみれば、例えばもみじ饅頭でも、昔は地元のお土産だった。それが今は全日本で購入できる。インターネットでも買える。

また、在宅勤務やフレックス勤務があるんなら、それの幅を広げて、ニュージーランドで生活しながら仕事は日本で行う、月に2回くらい日本の会社に出勤して打ち合わせをしたら、後はまたニュージーランドで行う、そんな生活が出来ても良いのでは?

出来るのか〜?って考えるんじゃなくて、どうすれば出来るのかを考えてみると、もっと幸せになれるかも。

今日の飛行機で香港経由オークランドへ。明日の午後から仕事の再開だ。返事の遅れているお客様、言い訳になりますが、すみませんが、今しばらくお待ち下さい、週末までには全部処理しますので。

写真は、大阪の十三、そういえば昔、ふじたまことが「十三の〜姉ちゃん〜」とか歌ってましたね。知ってる人のほうが少なくなったか。

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2007年11月18日

説明会

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今朝は快晴。

ホテルから見える六本木ヒルズとミッドタウンが、霞にかかったような東京の空。

あんまりきれいな空ではないな。霞?てか、東京の空にもわ〜っとかかったような雰囲気。

東京に来るときの新幹線では富士山が見えたのだが、今日はあまりぱっとしないな。

智恵子は、東京には本当の空がないと言う。そんな昔から、東京には空がなかったのか?

今日は説明会。午前中はセミナーで、午後は個人面談である。ぎっしりと詰まった予約を1時間単位で受けて、お客様の要望を、どうすれば実現出来るかをご案内していく。

さてさて、今日はどんなお客様が来るかな。

写真は歌舞伎町。これは、また次回のネタです。

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2007年11月17日

しょくあたりが良い?

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新宿に出る。たまたま2件のアポが新宿で、一つは午後2時、次が夜の7時過ぎだったので、一つ目のアポ後、新宿にある伊勢丹に行き、人気のメンズコーナーを見学。

その後、地下にある喫茶店で休んでいた時、隣に座った若い女性二人組みから発せられたのが、この言葉。

僕の入った店は有名なチョコレートショップらしく、隣接するチョコ売り場では行列が出来るほどだった。

何かチョコメニュ^ばかりで、良く分からずにとりあえず注文した。出てきたチョコの上にシールを貼ってあったので、お店の人に、「あの〜、シール貼りっぱなしですけど?」と聞くと、さらっと「それもチョコです」だって。

1cm四方の銀色の紙でお店の名前を綺麗に印刷しているので、どう見てもチョコに見えないが、食ってみると本当にチョコ!人気があるのも良く分かる。

僕がチョコを食い始めてからしばらくして、隣の席に座ったのが、どうも東京の人ではないような若い女性二人組み。

彼らがチョコを注文して、食べはじめてから最初に発した言葉が、この「食あたりが良い」である。

わざと使ったような間の置き方もなく、さらりと会話が継続している。

う〜ん。こんな方言ないよね。

口当たりが良い?

良く分からん。

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2007年11月16日

名古屋 百寿

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名古屋の夜は面談予定がなかったので、錦3丁目の手羽先を食いにいこうと思って街に出た。

 

でも、考えてみれば前回食って、随分カリカリパサパサな料理にあんまり満足しなかったので、出張仲間にそう言うと、「ふざけんじゃね〜よ、そんなまずいもん食わせる気かよ」って事で、他に面白そうな店はないかと歩きまわってみた。

 

すると、錦という賑やかな街の中で、まるでそこだけ別世界のような、石畳に植木の並ぶお洒落な構えのお店、「百寿」があった。

 

おお、高級料亭か?そう思って歩道のすぐ横に置いてあるめにゅーを見ると、なんとここは普通の蕎麦やではないか?

 

僕の横を通り過ぎて中に入る人々も、普通のサラリーパーソンや、これから出勤のお店の女の子。

 

値段を見ると、蕎麦一杯が800円程度と手頃だ。よっしゃこれならとお店に飛び込む。

 

広い店内は天井も高く、蕎麦やというよりは高級割烹なのだが、食事に来てるのは殆ど、出勤前の同伴女性を連れたおやじ連中だった。

 

こっちは出張仲間と二人なので、半分仕事モード。ところが周囲では賑やかな笑い声が聞こえる。

 

ざる蕎麦を注文した僕は、一体こいつら何を話してるんだろうと、興味津々で聞き耳を立てる。しかしまあ、他のグループも、何故かこちらをちら見してる奴がいる。特に同伴の女の子がケータイもって外に出た時は、視線が増える。

 

考えてみれば出張仲間も種別は女性なので、こっちも同伴?と思われてるんだろうなと思う。

 

これが移住関連出張のつらいとこで、たまたま一緒に仕事をしている仲間が女性ってだけで、「ほうほう」なんて勘違いをされる。まあいいんだけどさ、タイプ、違うんだよね、等と心の中の声が独り言を言う。

 

うちの会社は女性社員が8割くらいだ。別に女性を優先的に採用したわけではなく、全く男女差別をした事もないのだが、採用の時点での能力判断や接客対応等を見ていると、自然と女性が採用される。

 

勿論男性でも採用されることはあるのだが、殆どの場合、短期で去っていく。大体、人と会話が出来ない男性が多すぎるのかもしれない。

 

子供の頃から夢を持たされず、良い会社に入ると言う目的だけの為に、親の言われるままに学校で他人と競争して、大学に行っても少年ジャンプ読んでて、就職することのみが目的で、何で自分が働くのか、何でこの仕事なのかってことを全く考えていないから、昼休みになると喫茶店に偉そうにふんぞり返って、少年ジャンプかスポーツ新聞のエロページばかり見て、大事な自分の時間を無駄に過ごしている。

 

こういう男性が「自分は偉いんだ」と言う本人の大きな勘違いで生きてるから、自分が使い物にならないと気づかないまま海外に出て、案の定使い物にならず、日本に戻ることになる。

 

その点女性は、最初から「会社に就職」が目標ではない。そして今の時代、結婚は選択の一つであり、結婚しない自由も存在することを知っているから、自分の目標を持とうとすることが出来る。

 

その結果として、自分が何をしたいかを考えることが出来て、自分の時間を大事にするようになり、社会に出ると次第に男性よりも女性の方が強くなっていくのだ。

 

特に男性は、例えば女性と付き合い始めるとか結婚とか就職とかすれば、そこで成長が止まる。何故ならそれが目標だからだ。ところが女性は、付き合いや結婚は始まりであり、就職は一つの段階であり、そこからも成長は続く。

 

その結果として、二人の仲が一年も続くと、女性は男性を追い抜いてしまい、付いて来れない、変化をしない男性に退屈を感じてしまうのだ。

 

NZにやってくる女性は、昔と違って割合やる気のある人が多い。勿論中には勘違いもいるけど、少なくとも当社で働く女性の場合は、かなり強い。並みの男性など歯牙にもかけないような連中ばかりだ。

 

だから仕事をしていても、自然と女性のほうが力を持つようになるのだが、その結果が出張仲間という事になる。

 

勿論、世の中全ての男性がバカと言ってるわけでもないし、女性が常に優秀とも言わない。ただ、現在のNZで生活する日本人男女を比較すると、優秀な女性の多さと無能な男性の多さに気づかされるのも事実だ。

 

これから海外に出ようとする人々、特に男性には是非知っておいてもらいたい。

 

「あなた、自分の会社の看板を外して、それでも他人から尊敬されてますか?」

 

「あなた、会社の業務知識以外で、何か手に職を持ってますか?」

 

「あなた、市場におけるあなたの労働価値がいくらか、知ってますか?」

 

「あなた、苦しい時に問題から目を逸らさず、自分で決断して行動出来ますか?」

 

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2007年11月15日

レバーはホルモンか?

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広島でつけ麺を食べる。これが今日の朝飯だ。

 

名物にうまいものなしと言われているが、広島駅の名店街にあるつけ麺は、悪くない。つか、普通に美味しい。

 

ピリ辛の冷たいゴマダレで、太麺をつけて食べるのだが、麺のこしが硬くてスープに合ってて、おう、これは美味し。

 

麺もミニサイズから大盛りまで選べるし、タレの辛さも、全然辛くない子供並みから、口から火が出るほど辛いのまで選べる。

 

これなら、次回も食べたいな。

 

そんなしょーもない事を思いながら、面談を終わらせて名古屋行きの新幹線へ。

 

駅の売店で、出張仲間は温かいお茶を買う。僕は冷たいお茶を一つ買う。売店のおばさんにそれぞれが手渡すと、おばさん、普通の笑顔で「はい、どうも!二つで300円になります〜」とか言いながら、二つのお茶を一つのビニール袋に入れてくれた。

 

「は〜?」って思った。そのおばさんとは生まれて初めて会ったわけだし、過去の因縁もないし、怨まれるはずもないのに、なんで冷たいお茶と温かいお茶を一つの袋に入るわけ?

 

そういえば、昨日の夜は広島名物の「牡蠣鍋」を、大手居酒屋チェーン「酔心」で食べた。土手鍋ではないので、普通の出汁に牡蠣のうまみが広がって、実に美味い。

 

今は偶然、山水で働いていた元スタッフが広島に帰っているので、彼女のものすげ〜広島弁を聞かされながら鍋を食ってたのだが、鍋だけでは勿体無いので、お店の名物料理「もつのバター焼き」を注文する。

 

15分ほどして出てきたモツのバター焼き。どこからどう見ても、たっぷりのタレに漬けたレバーである。

 

「ホルモンですよね、これ?」と聞くと、料理を持ってきたおばちゃん、澄ました顔で「はい、そうですよ、当店で名物メニューの一つで、40年前から出しておりますよ〜」

 

出張仲間、これを信じてぱくっと食いつくと、なんとやっぱりレバー!この人、レバー大嫌い人間なもので、食べたその場で吐き出してしまった。

 

「ナンじゃこりゃ〜!」という事になったのだが、僕は「いやちょっと待て。広島ではレバーの事をモツというのかもしれないぞ」とか言いながら、お店の人に聞いてみた。

 

僕「あの、これ、モツですよね?」おずおずと聞く。

店「はい、そうですよ〜、当店の名物メニューです〜」にこっと笑って答えてくれた。

僕「あの、広島ではレバーの事をモツって言うんですよね?」

店「はい、これはモツなんですよ〜」

僕「あのですね、一般的には、モツってのは豚や牛の内臓の腸の部分ではないかと思うんですけど、どうなんですか?」

店「いえいえ、この店ではこのメニューは40年前からお出ししていますけど、今までそんな事言われた事はございません。皆さん美味しく頂いてくれますよ」いかにも、ものを知らない田舎モノに教えてあげるって感じで、さらりと言われた。

 

ここまでくればどうしようもない。議論は最初から成立しないのだ。何故なら物事に対する共通の認識である一般名詞が共通してないのだから、議論が最初から始まらない。

 

これは例えば、東京と大阪のきつねうどん、たぬきそばの違いみたいなもので、福岡ではモツと言えば腸なのだが、広島では違うと言われれば、僕に残された手段は、皿をぶん投げて出て行くか、黙って食うかである。

 

しかし、皿をぶん投げるのはこちらの哲学を暴力的に相手に押し付けるだけなので、平和大好きな僕としては選択肢に入れることは出来ない。

 

そこで、僕はレバーを食えるので、僕と元スタッフの二人でぱくぱく食べ始めた。

 

すると、そこにはレバーだけでなく、砂肝も入ってた。そっか、広島のモツとは内臓のごった煮なんだ。しかしそれにしても、肝心のモツ=腸は全く存在しなかった。

 

ぱくつきながら、元スタッフにモツのバター焼きを箸で差して聞く。

「おい、広島でモツと言えば、これか?」

「たぶん、違うと思いますよ〜、この店だけじゃないですかね?」

「て〜か、バターはどこよ?バター焼きとか言ってるけど、こりゃ照り焼きじゃんか」

「たぶん、下地にバターを塗ってるんじゃないっすか?」

 

結局3人で賑やかに食事をして、お店の人の笑顔に送られながら、秋風の涼しい夜の平和大通りを歩いた。

 

広島の食い物は、つけ麺にしろ牡蠣鍋にしろ、美味い。この「レバーのタレ焼き」もうまい。20代前半の、目先のきりっとした長身の美女が発する強烈な広島弁も、その超アンバランスさも面白い。

 

でも、冷たいお茶と温かいお茶を一緒の袋に入れて、モツがレバーになって、殆ど暴力団並みの広島弁を聞いた僕は、ちょっと不思議な気分になりながら、名古屋に向かったのも事実だ。

 

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tom_eastwind at 00:08|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2007年11月14日

CO2を出しません!

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「CO2を出しません。だから原子力発電は、地球温暖化防止に有効だと言えます」

 

関西電力のテレビ宣伝だ。これも、テレビを見てて偶然見かけた広告だ。10歳くらいの可愛い女の子が出演して、可愛いイラストを使い、いかにもエコに貢献!

 

要するにもう原子力で決まり、決定してんだから、黙って原発を容認しろってことですな。理屈は何でも良い、とにかくそれらしい事ばかり並べて、テレビでこれでもかと原発容認宣伝をしようって事だ。それにしても、どこまでも国民が愚弄されているよね。

 

地球温暖化に有効だとしても、ある日突然起こる地震で原子炉が溶け始めたら、物凄い短時間の急激超温暖化で、周囲数十キロが綺麗に蒸発してしまう。

 

CO2を減らすのが地球に良いって言うメリットと、ある日突然原子爆弾が日本人を襲うってデメリットが、果たして比較の対象となるか?

 

どうせやるなら、吉野家の牛丼はアメリカ製の肉を使っているけど、それで発病する可能性(限りなく小さい、実際に起こるかどうかわからないデメリット、たぶん交通事故とかリストラとか長期サービス残業で鬱病になったり、ストレスを溜めてその結果家族が不和になって離婚する可能性の方がよほど実現可能性が高いのでは?)と、吉野家の安くて早くて美味い牛丼を食べることによるメリット(目の前に見える、確実な時間節約+美味+安価による利益)を比較してみろってんだ。

 

CO2なんかをネタにして誤魔化すのではなくて、堂々と「資源のない日本では皆さんが毎日あふぉのように垂れ流している電気を安く大量に供給する為に、原子力が必要なんです。電気の垂れ流しやめますか?原子力やめますか?」と、国民にぶっつければよい。

 

その結果で国民が原子力の危険性を了解しながら受け入れるなら、それで良しだ。何もCO2などを例に出して、ふざけた誤魔化しをする必要はない。

 

元々江戸時代から連綿と続く国策である、国民を「民は寄らしむべし、知らしむべからず」政策=国民をばかのままに放置しようという考えだから、CO2を持ち出して宣伝をする発想は、官僚としては当然なのかもしれない。

 

ただ、それも情報に非対称性があったから出来ることで、これからの時代にはもう通用しない。官僚の持つ情報に対して、国民が入手できる情報が以前に比べて格段に増えたからだ。

 

例えばすでに長岡原発の危険性は多くのウェブサイトで指摘されている。

 

地震頻発地帯の日本が原子力を使う事が、果たして長期的に利益があるのか?

 

本当に太陽、水力、風力などの代替エネルギーは存在しないのか?

 

原子力にかけるお金を代替エネルギーに回すことは無駄なのか?

 

そして地球温暖化とは本当なのか?ゴアの「不都合な真実」が実は真実ではないとする、多くの反対意見も出ている。

 

今はまだインターネットの利用率は国民全体の30%程度だろうが、これからは加速度的に増えていく。

 

そんな、情報が国民に広く伝わるような時代では、政府は情報の制御等出来るわけがない。だから政府が国民に教えるべきことは厳しい真実である。

 

そして国民の側は、真実を知った上でどうするかの判断をすればよい。国民は、判断したうえで誰に一票を入れるかを決断する立場にいるのだから。

 

写真は柏崎原発の断層の絵。

 

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tom_eastwind at 00:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 日本ニュース | 諸行無常のビジネス日誌

2007年11月13日

安藤優子と滝川クリステル

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 たまたまテレビを観てたら、ある関西系のお笑い番組で安藤優子と滝川クリステルを比べて笑いのねたにしてた。

 

勿論遊びなのだが、「ふ〜ん、大体その二人、それって誰?」とか思ってた。

 

 

丁度その晩に「プレミアA」を見る。番組表を検索してて、面白そうだからスイッチ入れたのだが、偶然観たこの番組に安藤優子と滝川クリステルとが出てた。

 

お〜、これが滝川さんですか。でもって、これが安藤さんかって認識する。テレビには評論家の桜井女史も出てた。他には野球の古田さんと作家の浅田次郎さんだ。

 

そのお笑い番組で言ってたんだけど、

 

1・安藤優子は滝川クリステルが人気出そうになったら、すぐ外で取材させる。

2・安藤優子は滝川がおいしそうな話をしたら、すぐにかぶる。

3・安藤優子は旦那がテレビ局の大物。

 

実際今日の番組を見てたら、安藤さんが古田さん相手に「人生の選択の節目は何歳?」って頑張って喋ってる時に滝川さんが話を無視してテレビ視線でにこにこ〜って笑ってたら、いきなり「クリス、25過ぎてる?」とふってる。うわ〜。きつ。

 

ねたは、フリーターが偉材塾ってとこで2ヶ月間の研修を受けて正社員になろうってする話。

 

偉材塾はフリーターを無料で募集をしてて、就職が決まったら採用側の企業からお金を貰う仕組みだ。

 

教える基本は、一般常識。礼儀とか挨拶とかお茶だしとかも教える。長い髪を切り、茶髪をやめて、就職に向かう若者達。パソコン使って受付電話を取ってと、ほんとに基本の基本を教えている。

 

「やっぱり正社員じゃないと、結婚できないっす。相手の親に聞かれた時にフリーターって、言えないっす」とは、フリーターの本音かもしれない。正社員という立場をそんなに信じても仕方ないと思うのだが、まあそれは良い。少なくとも彼らには目標があるのだから。

 

コーナーが終了すると、滝川さん、いないじゃん。あれ?っておもってたら、テレビ局の屋上で雨の中、お天気報道やってた。

 

おお、ほんとに外に出されてる。愛嬌のあるばかっぽい顔で天気予報を話し終わった彼女に、早速安藤さん、きりっと笑いながら「今日は4秒残っておりますよ」と、すぱっと突っ込む。

 

おお、日本のテレビも、どんどん進化するもんだ。見せる技術は益々発達してますね。何故見せるか?ってのをもっと追求すると、もっと面白いんだけど。

 

 

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tom_eastwind at 00:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月12日

十三

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週末は大阪。前回たまたま大阪で話を聞いた「十三(じゅうそう)」と言う街に飲みに出る。

 

JR大阪駅から西にタクシーで15分のところにある街だ。淀川のほとり?と言えばよいのか、いずれにしても大阪と神戸の2大都市に挟まれた街だが、タクシーから降りた瞬間、「うわ〜!昭和だね、ここ」

 

ねぎ焼きとか、ねぎ嫌いの僕には信じられないメニューが人気のお店があるのも、この街だ。まあそれは良いのだが、とにかく言葉で表せないような、かなり風俗の乱れたお店が立ち並び、「xx〜!」なんて言葉を大声で、道行く客にかけている客引きのお兄ちゃんたち。

 

普通の住宅マンションの隣に、超短時間滞在用の、無人チェックインが出来るプチホテルが立ち並んでいるのも、それも半端な数ではなく並んでいるのを、これで子供の通学路なんだから、風紀の問題はどうなるの?と、マジで引いた。

 

それも、駅前でっせ、駅前!そんなお店が、十三の駅前を出たら、アーケード状態でびっしりと並んでいるんだから、初めてこの街を訪れた人は、欣喜雀躍して飛び跳ねるか、そのまま電車に乗って大阪に引き返すだろうって感じ。

 

アーケード街の中でも比較的まともなビルの1階の奥にあるバーを訪れる。以前場所を紹介してもらったお店で、行くのは初めてだが、古臭いけど常連ばかりのお店と聞かされていた。

 

カラオケがなかった時代に作られたそのバーは、古い杉板を使ったシックなムードだ。天井からぶら下がるランプも、味のある落ち着いたオレンジブラウンだ。

 

そのシックな壁に、後の時代になって出来たカラオケを無理やり押し込んだようなアンバランスさが、また面白い。

 

ママさんとスタッフ2名でやってるちっちゃなお店は、カウンターが15席あるのみで、ボックスはない。

 

僕が入ったのは比較的早い時間らしく(夜7時30分)、楽しそうに酔っ払って演歌を歌ってる賑やかな中年のお客が二人いただけだった。

 

一人は小柄で、ぴったりとした紺色のスーツにネクタイ、胡麻塩頭という典型的なサラリーマン。もう一人は真っ黒なセーターとジャンパーで統一した、ちょいと自営業っぽいおじちゃん。

 

しかし、場所柄かな、この人たち、濃い!

 

あべひろしもびっくりの、べた=ってしてて、こてこてしてて、うわ!昭和ですか、ここは!?この人たちが平成にスリップしてきたのか、僕が昭和にスリップしたのか、とにかく体から出てるオーラが、昭和なのだ。

 

彼らの中では、昭和の時代から何も変わっていないのだなと思った。高度成長が続いた後にバブルが起こり、それが破裂して、失った15年を過ぎてしまった今でも、彼らの脳内は昭和なのだ。

 

確かにバブルが弾けたからと言っても、金融に直接関わってなければあまり実感はないだろう。

 

十三の場末のバーで飲んでるおっちゃんからすれば、いつもと同じ一日が始まって、一生懸命仕事をして、終わったらこの店に来て、いつもの仲間と飲んで騒いで、後は帰って寝るだけなのだろう。

 

時代と言う大きな波は、彼らの頭上遥か高いところを流れていくが、海底に藤壺のように張り付いて生きる彼らは、何も感じないし変わらないのだ。

 

どう説明していいのか、大阪以外の地域で生まれた人には説明しづらく、まあ見てくださいとしか言いようがなく、大阪の人になら「ああ、はいはい、分かりまっせ」となるのだろう。

 

夜の9時を過ぎる頃には、15席のカウンターはすでに満席で、あとから来る客を次々と断るほどの繁盛だ。ただ、来る人来る人皆常連で、適当にほろ酔い状態で、にこにこしながら入ってくる。いかにも自分の家に帰ってきたよ〜、ママ、俺の席どこ〜?って感じ。

 

そこでカウンター全てが満席なのを見ると、これまたにこってして、「じゃあ後で来るからね〜」と言って、すぐに立ち去ろうとする。このあたり、大阪人の人懐っこさが顔に出てる。おっちゃん達、基本的には良い人ばっかりなんだろうね。

 

ママはカウンターの飲み具合を見ながら、立ち去ろうとするお客に声をかけて、人質=カバンとかジャケットを預かっておこうとする。ほう、やるじゃん。

 

それにしても次から次へとお客さんが来るのだが、どれもほぼ同じ昭和タイプなのには、正直驚いた。

 

気づくと時計の針はもう日曜日、12時を回ってた。今日、てか昨日は土曜日だよね、普通のサラリーマンなら会社もお休みだし、東京の六本木だったらどこの店も営業してないよ。それなのにこの街では、まるで金曜日の夜のように人々が猥雑な街頭を歩き回っている。

 

そういえば昭和の時代は、週休二日制ではなかった時代がずっと続いてた。

 

日本に本格的な週休二日制が導入されたのは昭和45年頃、つまり1970年頃からである。

 

業種によって大きな差があるけど、あの頃は日本の労働組合が春闘という方式で、各産業別組合が、それぞれの産業の体力に応じながら、「せ〜の、どん!」で会社に対して賃上げと週休二日制を要求したのだった。

 

昭和63年に労働基準法が改正されて、組合のある会社はどんどん週休二日制を導入するようになった。

 

週休二日制ってのは、基本的に労働時間の短縮である。だから略して「時短」と言う。

 

週の労働時間を40時間として、土日を休みとする。40時間以上働けば残業手当がつき、基本給の25%増しとなる。

 

これと同時に賃上げを行ったのだから、経営者側からすれば実質的にかなりの賃上げであった。それでも日本の企業は利益を出し続けて海外進出を続けた。

 

週休二日制の導入以降、花の金曜日、略して「花金」と呼ばれる金曜日の夜が飲み屋が一番繁盛するようになる。

 

ところがそのような世間の繁栄を裏に、大阪ではあいりん(釜ケ埼)地区、つまり日雇い労働者、路上生活者などが生活をする地区がある。日本最大のスラムとしても有名だった。

 

このような街では、土曜も日曜もない。毎朝やってくる手配師の乗りつけたトラックに乗り込まなければ、今日の仕事はないのだ。仕事がなければ焼酎も飲めない。だから働けるときに働く。仕事が終わったら、近くの一杯飲み屋で焼酎を引っ掛けて、近くの木賃宿に転がり込むだけだ。

 

この地区ではいわゆる西成暴動と呼ばれる事件が23回も起こっている。一番最近の暴動は1992年である。平成2年、1990年の暴動の際は、10月2日からおよそ5日間続き、南霞町駅が炎上した。

 

そのような未組織労働者がたくさん存在する地域では、当然全体的な労働条件が下がる。木材、衣服、なめし皮、繊維、運輸、窯業、家具、食料品などの業種では、1992年頃も週休二日制を導入しているのは20%程度だった。

 

時代が変わろうとも、彼らの生活パターンはそれほど変化しない。土曜日も働いて、夜はお酒を飲むのだ。

 

、6千5百円のボトル「竹鶴」を入れてもらい、こんな日本もあるんだな〜と思いながら、バーの端っこからおっちゃんたちを眺める夜。この日はアウェイなので、酔わずにホテルに戻りました。

 

お店の良い写真が撮れたのだが、何故かケータイが使えなくなって、PCにデータを飛ばせない。仕方ないので他の写真を使う。

 

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tom_eastwind at 00:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月11日

香港

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昔の大航海時代なら「潮待ち」って事になる「乗り換え滞在」で、香港で一晩過ごす。

 

オークランドを14:20分に出て香港に着いたのが夜9時。体内時間は午前2時である。それでも現地時間を優先して、気分は夜の10時でコーズウェイベイに飲みに出る。

 

最近の香港は景気が良い。世界一の大工場であり世界一の大消費地でもある中国を背後に抱えて、多くの物量や人間、会社が香港経由で中国に入っては出て行く。

 

ところがここでも、日本人市場はそれほど恩恵を受けてないようだ。街の話を聞くと、仕事はどんどん厳しくなっていくが、なかなか利益が取れない状態らしい。

 

今月、長年日本人向けにやってたバーが廃業するそうだ。同じビル内の香港人向けのバーは、夜中でも押すな押すなの大行列だと言うのにね。

 

値段だけなら台湾や中国企業に勝てず、品質と言っても世界で商品を調達する今の時代では、日本企業が持っている技術力も「外注」により外に流れているから、日本企業だけが付加価値を持てることも減った。

 

そして、日本市場で商品を売ると、すぐに値段の叩きあいになるから、貧乏ヒマなし利益なし、おまけに商品をどんどん進化させねばならないから、そのまま労働強化に繋がる。

 

結局、「忙中閑在り」でしっかり休みを取る香港人や、資本の論理で金に働かせる西洋人、土地の利を持つ中国人などがしっかり休んで稼いでいるのに対して、日本人だけが日本人独特の「村でしか通用しない論理」を海外に持ち出して、サービス残業、高品質管理、低賃金、単身赴任などなどで苦労している様が良く見える。

 

そんな中であいも変わらずふんぞり返っているのが、大手銀行から現地に送り込まれた金融の連中だ。

 

本来は国民に払うべき銀行金利を、政府の低金利政策によって銀行に配分して、それで利益を出して生き残った銀行が、今度は政府によって独立系大手サラ金がどんどん締め付けられて、次々と大手銀行の傘下に入れて、1%以下の安い金利で国民から調達した金を、同じ国民に19%で貸し付けるのだから、そりゃ儲かるわな。

 

しかし、そんな国内の不条理な商売がいつまでも続くわけはない。いつまでも政府のやりたい放題でいけるわけがない。いつかこんなのは終わるだろうが、問題は終わらせ方だ。やっぱり外圧によってやらねばならないのか。それとも自分で変化出来るのか?

 

何か、世界のどこでもJapan Passingが進行しているようです。あと10年もすれば、「昔は日本も強い国だったそうよ」なんて会話が、世界中のあちこちでされるのかもしれんな。

 

パラダイス鎖国という言葉がよく池田ブログで使われているが、今はまさに世界に出て行かねばならない大事な時。

 

江戸時代の終わりに、生き残りを賭けて海外に進出した開国派は、今の日本にはもういないのか。もう一度小泉に戻ってきて欲しいなと思う。

 

国内でしか通用しない理屈を並べて、身内だけで鎖国して喜んでると、そのしっぺ返しは長期にわたる外国による経済支配、その結果、国民がフィリピン並みに、収奪されるのみの構造になってしまうぞ。

 

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2007年11月09日

分裂にっぽん

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去年当社に取材に来た朝日新聞社が、新聞で連載した記事を単行本にして発行した。

                      

「分裂にっぽん」中流層はどこへ

 

 

データをしっかり取っており、社会の底辺や上辺で起こっている現実的な問題を一つづつ取り上げている。

 

 

分裂にっぽん 中流層はどこへ

 

勿論朝日だから小泉否定、左翼的意見にはなるだろうが、ただ、一次資料は非常に面白く、よく取材できてるなと思った。

 

データをどう読むかという部分においては記者の立場によって違いも出るが、一次資料を素直に出してくれれば、読者が自己判断できる。読者が判断出来る余地がある書き方なので、これはある意味公平かなと思う。

 

読み進むうちに、「あれ?これって、うちのお客さんのデータだな」と思う箇所が二つある。そう言えばこのお二方、記者に紹介したもんな。

 

日本という国は、1980年代までは一億層中流、誰でも皆平等な国造りに成功した、世界でもまれに見る国家である。

 

当時、朝日新聞は、その政権に対して、金権政治、癒着などと紙面を割いて攻撃してたが、今は当時の日本が良かった、あの時代に戻れと言ってるので、随分趣旨が一貫してないなと思うが、まあそれはメディアの得意技。

 

現在ある政権への批判がメディアの仕事であると言われれば、何もいう事はないが、そのメディアを批判する機関って、どこなんだろ。

 

ただ、日本が、そして世界が二極化しているのは間違いない。その為のデータとしては非常に興味深い取り上げ方をしている。

 

日本から中流層が消えた。事実だ。

 

日本が二分化した。これも、事実だ。

 

じゃあその状態を是認するのか否認するのか?

 

ここらあたりから朝日らしく、否認の方向、つまり、皆平等って事にもっていこうとしているのだが、その平等が、機会の平等なのか結果の平等なのかを突き詰めてないのが面白い。

 

本気でそこを突き詰めれば、朝日自身が「分裂」するだろう。機会の平等を認めながら結果の平等を認めてしまえば、では自社(朝日新聞)の給与体系は他社と比較してどうなのか?

 

ハイヤーで取材しながら年収1千万円以上を取る記者が、北九州の貧しい公団住宅で、失業保険も貰えずに「おにぎり食べたい」と言いながら餓死した弱者に向かって結果の平等を訴えることの合理性はあるのか?

 

もし結果の平等を認めなければ、つまり格差を是認するのなら、一体どこまで是認するのか?そこに社会資本主義があるのだ。つまり、ある程度の格差は認めるけど、程ほどにねって言う観念。

 

この、「程ほど」ってのが、実に曖昧だけど、日本人大衆が肌感覚で理解出来るものであり、理屈ではない。

 

むしろ読売の方が割り切っているから答は簡単だ。

 

分裂したにっぽんは、今後は機会と結果の平等の、どちらを選ぶのか?それとも両方を受け入れるのか?

 

政治の仕事が主権者である国民の所得の公平な、納得できる再配分であるという事さえしっかり理解出来れば、答はそれほど難しくはないのだが。

 

てか、答は二つで、それを理解するのは簡単だが、どっちを選択するかってなった瞬間に、すべての国民が主権者になるんだよね。その重みに、主権者は耐えられるのか?

 

選択した瞬間に自己責任が発生して、もう12歳の子供ではいられなくなる。ぬるま湯から出る勇気はあるのか?

 

騙されたままでいるほうが、楽って事もある。自民党は国民を騙したままで50年近くに本を運営してきた。ほぼ二世代だ。功罪はあるにしても、自民党が全国総中流を作って、人々を幸せにしたのは間違いない。

 

この本は会社に置いておこう。

 

あ、そうそう、肝心のNZの事を書かなかった。この本で起きて日本の現象は、NZでは1984年に経験した。

 

その時デイビッド・ロンギ首相とロジャー・ダグラス財務省が率いる労働党が自由市場化政策を導入して、この国は官僚主義から自由市場経済に切り替わり、同時に個人責任を導入することで乗り切って、現在までの13年連続国家財政黒字を作った。

 

NZで幸運だった事は、この国の官僚は変なしがらみがなく、政治家は、国家よりも国民の側に立って政策を実行できたって事だ。

 

何か、毎回まとまりのない文章ですみません。

 

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tom_eastwind at 00:34|PermalinkComments(2)TrackBack(2) 最近読んだ本  

2007年11月08日

小野LISAを聴きながら

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昨日に引き続き音楽ネタ。NZとは全く関係ない。

 

今日は自宅に帰ると、さっそく「ちゃちくて機能の少ない」AIWAを、僕の机の上に移動させた。

 

元々は僕の右側にある本棚の上に置いてたので、音楽を聴く時は椅子を右側に45度回さないと音がきちんと両方の耳に入らなかったのだが、今回ふと、「コペルニクス的転回」で、そうだ!ガンダムを机の上からどけて、そこにAIWAを置けばよいではないかと気づいた。

 

そう、これが自閉症の典型的症状らしいが、自閉症と言う奴は、どうも型に拘るようで、最初にあった場所に戻さないと気がすまないらしい。だから僕も、机を今の位置に動かして以来、AIWAは右側と決めてたので、いつもPC使ってるときに右側から入る音楽に不快感を感じながら、それでも場所を動かす等、思いもよらないまま数ヶ月過ぎてた。

 

でもあるとき、ふと思った。あれ?AIWAを動かせばいいじゃん?

 

思ったら即実行でやってみると、おお!よいよい、耳の真ん中に音が集まって、実に気持ちよく仕事が進む。

 

目の前で日本のamazonで買ってきた小野LISAが歌ってる感じで、何だ、世間の人ってこうやって問題解決してるんだなとか思いながら、一人で感激。

 

最近、体質が変化しているのを感じる僕。例えば、夜はあいも変わらず酔うけど、二日酔いがない(どうでもよいか)。

 

てか本筋は、今までは思いもよらなかった発想が出てくるって事。自分が、次世代に移動した気がする。

 

例えば今日のように、プレイヤーの場所を動かすって発想。こんなの、普通の人からすれば「そんなの普通、あんた、あふぉちゃう?」と言われるかもしれないが、自閉症としてはそうでもないのだ。すべての場所はあるべき場所が決まってて、動かしてはいけないのが自閉症だ。

 

もしかして自閉症が治り始めてるか?

 

何だ、自分にされて嫌な事を友達にしなきゃいいんだ、自分がして欲しい事を友達にすれば良いのだとか。

 

でも同時に、間違った(と僕が思ってる)友達への忠告は一回で良い、それ以上は押し付けになるし、相手も聞く耳持たないから、そこから後は距離を置いとけ、とか。

 

そんな簡単なことが、理論では理解できてたのが、少しずつ実感として自分の体の中に、まるで、ぬるい紅茶の中に落とした角砂糖が、かき混ぜてみてやっと少しずつ甘みが出てくるように、見えてきた。まだ本ちゃんではないだろうが。

 

あ、そういえば、今日は「コペルニクス的転回」と会社で言ったら、意味不明なスタッフがいた。たぶん、10人のうち9人は知らないのか?

 

てか、「博多っ子純情」を読もうよ。ああ、でも、あの本も、もう古典漫画かな。今度日本に行った時に買ってこようかな。

 

福岡で人形作りを営む普通の家庭で、お母さんが民放を見ながら、「東京のタクシーは大きかね~」とか言う。それを聞いた高校生の息子が「かあちゃん、東京のタクシーは全部中型で大きかとよ」と返す。

 

お母さんは速攻で「あんた、何でそんな事ば知っとーと!」と突っ込む。

 

日本が昭和で、皆に夢があって、チューリップが博多駅から寝台特急で東京に出て「心の旅」をヒットさせ、ミッシェルポルナレフみたいな顔の井上陽水が「夢の中へ」を歌って、かぐや姫が「神田川」を大当てした時代。

 

コペルニクス的転回。

 

今の時代は、そんな話をしても誰も知らないし、知っても意味のない時代。「無駄」が大事にされなくなった時代かな。

 

 

 

小野LISA今僕のスピーカーから流れる音は、歌ってるのが日本人(小野LISAは何人?)、プレイヤーはAIWA、聴いてるのも日本人、たまたまその場所がオークランドで、たまたま歌ってる言語は英語。

 

 

 

 

 

 

 

 

全く、こんな文章ほど無駄なものはない。何も産まない。鉄の1グラムも火薬の1グラムも生まない。

 

「無駄なものは食えないし、稼げないし、身を守るときに役に立たないし、一緒に寝ることも出来ない」

 

これはジョン・ル・カレのスマイリーシリーズに出てくる比喩のもじり。タイトルは「スクールボーイ閣下」だっけな。

 

AIWAの場所を入れ替え、無駄な音楽を無駄なお金を払って過ごす今晩。

 

明日から日本出張だ、早く寝なくては。

 

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tom_eastwind at 00:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月07日

久々に古い音楽の話をする

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久々に、古い音楽の話をする機会があった。

 

レッドチェッペリンとか深紫とかGFRの話は、なかなか知ってる人がいない。知ってる人は、もう飲まなくなったのか?

 

 

 

天国への階段は名曲中の名曲。

 

子供バンドの「高速の★」は、和製ロック。

 

クラプトンのクリーム時代、こんな感じだった。

 クラプトン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビートルズが表を走ってた時代に、裏側ってかアングラ(死語)、マイナーで流行ってた、「あべひろし」みたいに濃い音を出してた連中。

 

自宅に帰り、部屋を真っ暗にして、ちゃちでちっぽけなアイワ製の小型CDプレイヤーで、カナダの名バンド、TheBandを聴く。

 

あの頃、Weightとか聴きながら、意味も分からずに感激してたな。英語も分からないのに、何を感激してたんだろうと昔の自分を思う今の自分。

 

でも、暗闇で音楽を聴くと、やっぱり思い出す、あの頃を。

 

元気だったな〜。高校生の頃はギターを持って毎日フォークソングを練習してた。当時はニューミュージックと言ったりしてたが、現在はJポップとでも呼ぶのだろうか。

 

社会人になってロックに目覚め、バンドの練習が終わってライブハウスに繰り出して、朝の5時まで飲んで、目が覚めたら交差点近くの道端で、ベースギター持って寝てたこともある。目線の先にタクシーのタイヤが見えたのは、楽しい思い出だ。

 

JohnnyBGoodsをコピーしてみたりしたが、結局音楽は全然うまくならず、いつの間にかロックを聴く時間よりもジャズを聴く時間のほうが増えた。

 

だが、誰にも思い出の歌があるだろう。「その歌」を聴くと、一気に過去の懐かしかった時代に戻れる歌が。

 

20代に戻るならFats.Dominoだったり、TheBandだったり、10代に戻るなら伊勢正三の「あの歌はもう歌わないのですか」とか山木康世の「春雷」とかになるだろう。他にも古井戸のポスターカラーとか、たくさん「戻るボタン」を押せる歌がある。

 

一つだけ言えることは、当時はいろいろあったけど、今となってはどれも楽しい想い出だし、想いでをたくさん作れただけ、当時はフォークなんてするんは不良だ!とか、ロックなんか麻薬馬鹿のする事だとか、下らんことやりやがってと言われたが、今は幸せだって事だ。

 

やっぱ、人生は立派な大人の立派で無責任な忠告よりも、他人任せじゃなくて、自分で決めて生きるから、例え結果がどうなっても、楽しいんだなと思う。

 

週末、VideoEasyに行くと、なんとジミヘン+チェッペリン+WoodStockライブの3枚組みDVDが19.99ドルで売られていたので、思わず買った。興味のある方、いつでもどうぞ。

 

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tom_eastwind at 10:09|PermalinkComments(3)TrackBack(1) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月06日

Guy(Guido) Fawkes day がやってきた

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住宅オーナーだけでなく普通に生活してる人までもが、いつ自宅が焼けるかとどきどきする週だ。

 

NZでは普段は花火は禁止されているが、ガイフォークスデイの間の一週間だけは花火が認められて、日頃花火を使ったことがない、そして何でも大雑把でルーズな、酔っ払ったキーウィの若者の手に花火が渡れば、水平撃ちなど当たり前、夜になるとあちこちでパンパンやり始める。

 

すでに先週末からけが人が続出しており、家から車で5分ほど離れた一般民家が、日曜の朝、半分焦げてた。

 

キチガイに刃物ってか、小沢に連立ってか、いずれにしても危ない奴に危ない飛び道具を持たせて、毎年火事やけが人を出して、それでも毎年認可を出す政府も、かなり楽天的と言うべきか。

 

まあ、花火の事はどうせいろんな人が書くだろうからそちらに任せるとして、同じ日曜の記事で、アフガニスタンで負傷したキーウィ兵士、一時的にNZに戻るという内容があった。

 

こっちのほうが同じ火遊びでもずっと実戦的なので取り上げる。

 

事件自体は大した事はない。米軍のハムヴィーに同乗していた二人のキーウィ兵士が、謝って発射された弾丸で怪我をしただけの事だ。それでも大事をとって、医者の薦めもあり、一旦NZに戻ってくるとの事。

 

え?キーウィ兵士がアフガニスタンにいるの?と思う方もいるだろう。

 

実はいるのだ。

 

他にも東ティモールとかアフリカとか、国際紛争が行われている地域には、国連の依頼を受けて兵士を派遣している。

 

陸海空三軍を合わせても1万人足らずのニュージーランド軍だ。羊しかいない南太平洋の小島に攻めて来るような物好きもいないだろうと、攻撃用の空軍は持っておらず、海軍が持つフリゲート艦は主に遠洋航海と表敬訪問を目的としており、実際に戦地に行くのは陸軍である。

 

日本の感覚では戦争=悪いというイメージがあるから、平和なNZが戦争すんのか?と不思議に思うだろうが、実はこの国、1899年に始まったボーア戦争以来、大きな戦争には必ず顔を出している。そしてそれは、この国の誇りなのである。

 

1899年  ボーア戦争 死者228名 負傷者166名

1914年  第一次世界大戦 死者16,697名 負傷者41,317名

1939年  第二次世界大戦 死者6,839名 負傷者16,543名

1950年  朝鮮戦争 死者45名 負傷者79名

1956年  マラヤ戦争 死者15名 負傷者9名

1965年  ベトナム戦争 死者37名 負傷者187名

1991年  第一次イラク戦争(湾岸戦争) 死者1名

        ユーゴスラビア紛争  死者1名

        東ティモール紛争 死者5名 負傷者0名

 

キーウィソルジャー2

 

特に第一次世界大戦では、当時の人口100万人に対して10万人の若者を送り込み、1万6千697人が戦死、4万1千317人が負傷した。多くの戦争未亡人と、結婚出来ない女性が増加した時代である。

 

最も被害の大きかった戦闘が、ガリポリの戦いである。この戦いだけでNZ軍は2,701名の死者と4,852名の負傷者を出し、豪州軍は戦死が8,709人、負傷者は19,441人という大きな損害を出した。その為に制定された戦争記念日が、ガリポリの日である。

 

負け戦が戦争記念日ってのも皮肉が利いてて面白いが、ガリポリの戦いでカナダ、フランスなどの兵隊がひるむ中、オーストラリアニュージーランド連合軍(ANZAC軍)が突進して、この戦場だけで数千人の死者を出したのだから、その勇気は大したものだと思う。

 

第二次世界大戦では、キーウィ兵士は欧州で戦った為に日本軍と直接の組織戦闘が発生せず、豪州のような反日感情が生まれなかったのは、日本にとって幸運であったと言えよう。

 

ベトナム戦争では、戦いの大義に疑問を持ったNZ軍は途中から大幅に兵を引き揚げ、1972年に南ベトナムから全員が撤退した。

 

同時に、非核三原則を貫いている国なので、1985年の米海軍の核搭載艦の入国禁止を実行して、それ以降10年ほど米国との国交に大きな壁を作った事でも知られている。

2003年には母国イギリスやオーストラリア、アメリカに対しても、国連の承認がないことを理由に、イラク侵攻への援軍を拒否した。

要するに、義のある戦いなら死すとも問わず、しかし筋の通らない話なら相手が大国であろうと断固拒否するってことだ。

NZはちっちゃいけど、筋は通すし、意地を張るだけの度胸もあるってのが、歴史的に評価したキーウィ兵士だと言える。逃げ回って生き残るような真似はしてない。

まあ、先を読む力がないと言えばそれまでで、こんな事を褒めても仕方ないが、少なくとも沖縄に核を持ち込ませて非核三原則という国とは、随分対応が違う。

 

あ、そういえば日本でも江戸時代末期の会津藩では、「義を持って死ぬとも、不義を持って生きず」と言う家訓があった。

 

結局その家訓の為に若き松平容保は京都守護職につき、長州、次いで薩摩と戦い、それが為に後日は官軍によって徹底的に攻撃され、会津戦争では白虎隊の悲劇等を生んだ。

 

キーウィが会津藩より強いかどうかは知らないが、今までの実績ベースで言えば、よく戦っていると思う。

 

今回のアフガニスタンでも、戦争が終了した後に行う国連による国際貢献の一貫として参加しているのがNZの立場である。

 

田舎くさい、平和な国ではあるが、殆どの日本人の見えない場面で、キーウィが誇りを持って戦いに出かけているという事は、頭の片隅に置いててもらえばと思う。

 

花火やってるあふぉキーウィも、いざとなれば国家の為に銃を持って立つ勇気があるのだ・・・ろう。

 

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tom_eastwind at 00:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月05日

とうもろこし 南の島より

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とうもろこし

 

正確にはスイートコーン。

 

 

昨日は久しぶりにTakapunaに出て、Vanguardと言うおもちゃやに行く。竜馬くんの揃えているなんちゃらというおもちゃシリーズの追加購入だ。下の写真、見て分かる人いますか? 

 

 

 

天井の高い、明るいお店に入ると、周囲の壁におもちゃが並んでいるのだが、中央に置かれた卓球台くらいのサイズの白いテーブルに、十数人のキーウィが手に手にカードを持って、真剣な顔でカードの出し入れをしている。

 

トランプ?近づいて良く見ると、遊戯王だった。英語で書かれた遊戯王を、20歳前後のガキから30歳過ぎのおやじまでが白熱して遊んでる。

 

ゲームって、凄いな。何の障害もなく国境を越えてしまってる。

りょうま軍団

 

帰りにBarry’s Point RoadにあるFood townで買い物をする。

 

カートを押しながら見て回ると、Glenfield shopping centreとはずいぶん食材の違いが目立つ。

 

まずは野菜。なんと普通に白菜が売ってる。これって、いつも行くシティのNewWorldにも置いてないぞ。

 

有難いね〜、この地域には韓国人や中国人がたくさん住んでるので、彼らのお気に入りの野菜を置いてるんかな〜とか思いながら、一つ取る。

 

あ、ちなみにNZのスーパーでは、普通に陳列棚のコーラを取って、その場で飲みながら買い物をする人を見かける。

 

日本人はそれを見て「あれ!万引きだ!」とか思う人もいるようだが、あれは万引きではない。後でレジで空のボトルを見せてお金を払うのだ。人間性善説の国だから、誰も不思議に思わない。

 

野菜売り場を回っていると、真空パックに包まれたとうもろこしを見つけた。青いパッケージでスイートコーンと書いている。

 

ほうほう、今日はみゆきの友達が来て屋内BBQなので丁度良い、一つ買っておこう。

 

それにしても、写真にあるように日本語で「非遺伝子組み換えスイートコーンを、すばやく真空パックでおいしさそのまま」と書いている。

 

?ここ、NZだよね? ナンじゃこりゃ?

 

日本の北海道からNZに輸送して売ってるのか?それにしちゃ日本語の表示はおかしいよな。

 

でもって裏をひっくり返してみると、これはどうも日本市場向けに作られたとうもろこしらしい。

 

生産者:GisborneにあるSunrisecoast株式会社

名 称:軸付きスイートコーン

原材料:スイートコーン(遺伝子組み換えでない)、食塩

原産国:ニュージーランド

輸入車:日本流通産業株式会社

 

仕入れる予定だった輸入元の会社は、世界中から食材などを買い集めて、日本の小売店に卸している会社だそうだ。真空包装なので2008年5月30日までの消費?賞味?期限となっている。

 

ふ〜ん。て事は、本来日本に行くべきだったとうもろこしが、例えば輸入者が取引を取り消ししたとか、生産者が数量を間違って多く作ってしまったとか、もしくは日本の検疫で引っ掛かって送り返されたとか、もっともっと考えてみると、遺伝子組み換えでないと書いてたにも関わらず、実は遺伝子組み換えだったので、最近の偽装事件があって、急に原材料とかに厳しくなった日本側が輸入を拒否したとか、いろいろ考えられる。

 

まあそれにしても、これだけ日本語で書かれているのが堂々と置いてあるのだから、ちょっと笑った。一応成分表は英語で書かれているが、カバーはすべて日本語で書いてて、キーウィに読めもしない案内で、誰が買うんだろう?

 

隣の棚には香港製の出前一丁が99セントで売っており、速攻で5個買う。香港製が99セントは、こりゃ安いわ。ジャパンマートで袋麺買うと、明星チャルメラで1個3ドルくらいするからな。

 

他にラムネ味のラムボトルってのを買う。りょうま君がラムネを好きなのだ。

 

本当は日本に行く予定だったスイートコーン。今晩の自宅のBBQの食材となりました。ちなみに、味は甘くて普通。ただ、昔の、甘くないとうもろこしの方が個人的には好き。

 

写真は今回のネタ、スイートコーンです。

 

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tom_eastwind at 00:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月04日

ニュージーランドの魅力

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ここ最近のNZdaisukiは、「日本に帰りたい」派+「NZの魅力が分からない」派:対:「NZは良いところ」+「NZは魅力があるよ」派で賑やかになってる

 

昨日の書き込みは早速削除されてたから、今立ってるトピもいずれ消されるかもしれないので早く読んだほうが良い。

 

特に、これから移住を考えている人には参考になると思う。今のNZに住む日本人の、どっちにしても実態の一面が良く出てるから、良い意見も否定的な意見も、まとめて理解するのに役立つ。

 

ただ、否定的な書き込みをする人に対する素朴な疑問がある。皆さん、渡航する前に何でもっと自分の将来像とかNZで出来る仕事とか、考えなかったの?

 

余計なお世話かもしれないが、最初から自分の能力と現地の状況を把握しておけば、後悔することなどなかったと思うのだが。

 

何千年も前のおじちゃんも「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言ってる。敵はNZだし、己は自分の能力。どちらも勘違いしたまま来てしまえば、そりゃ、やばいっしょ。

 

では僕自身はこの国をどう思っているのか?

 

それはこのブログのタイトルにも書いているように「この国は天国ではないけど地獄でもない。今のNZは今の日本よりちょいとだけ国民に優しい」と言う見方だ。

 

だから当然、NZで生活しててそのルーズさに腹が立つこともあるし、犯罪者に甘すぎる社会の姿勢を嫌になることもある。ただ、そのようなすべてのマイナス面を合わせても、「人に優しい」というたった一つのプラスには敵わないと思ってる。

 

この点が、僕が日本ではなくNZを好きな理由だ。

 

昔の日本も今の日本も、とにかく役所と一部の政治家という、東京の皇居を中心に生活する、人口のほんの1%にも満たない連中が住みやすい国を造り、国民はその為に洗脳された奴隷とされているのだ。

 

だがこの国では、国民が主役である。国民が堂々とTaxPayerとして、政府や警察に文句を言う。「長いものに巻かれろ」という発想がない。

 

日本の洗脳システムを一度でも理解してしまえば、その後の人生の選択の余地としては、「長いものに巻かれる」か、国を離れるしかないという事が分かる。

 

それから、この国が退屈だという人がいる。

 

僕は、退屈になることはない。家族がいるのだ。何を退屈するのだろう?朝から晩まで働いてるので、昼間が暇になることはない=退屈なんて、昼間はあり得ない。

 

夜、家に帰って家族の為に料理して、お皿洗って片付ければ、時計の針はもう9時だ。それからまたパソコンに向かって仕事をしたり、アマゾンで注文して買い置きしている本を読んだりDVD映画観たり、音楽を聴いてれば、もう真夜中過ぎだ。退屈どころか、時間が不足して困るほどだ。

 

朝は6時におきて朝食とお弁当を作って、子供を学校に送って出社だから、ここでも退屈な時間はない。てか、朝はほんとに5分単位で予定をこなしている。

 

週末の夜は、気の合う友達家族と食事したり、でもって大体そんな夜は気を使う必要がないので、がんがん呑んで酔っ払ってしまうので、朝起きたら、ベッドの横に昨日脱ぎ散らかしたジーンズが放り投げられている状態だから、退屈ではない。

 

週末の昼間は、りょうま君を連れてゲームセンターに行ったりおもちゃやに行ったりして、食料の買出しもするから、ほぼ一日かかる。

 

と言う風に、退屈になるような時間は、まずないのだ。退屈を感じる人って、どんな生活をしているんだろうな?

 

ほら、これだけやることが多いと、パチンコやもマージャンも競馬も必要ないし、タバコなんて吸わなくていいし、コンビニも映画館もツタヤも紀伊国屋も不要だし、それでも退屈はしない。

 

医療に不安って人がいるけど、あまり意味のない不安だ。高度の医療体制があっても、妊婦がたらいまわしされて死んでしまうんじゃ意味ないし。つまり医療のレベルが高いかどうかではなく、自分が必要な時に必要な治療を受けられるかどうかがポイントで、それなら民間の保険に加入しておけば解決する。

 

むしろ僕の場合、医療よりも、酒で命を落とすのではないかと思ってるので、医療体制がどうこう言える立場にいない。同じように、医療の心配をする人は、日常生活で病気にならないようにしているんだろうか?てか、心配して不安に感じることが一番病気の原因になるのでは?

 

うちの会社には医療の仕事もあるので、この国の医療水準も大体分かるし、これだけあれば、とりあえず問題はないと思ってる。この前GAUTやった時も、救急病院の実態もよく分かったし。

 

生活に不安?っていう人の多くが、為替と住宅ローンの話をしている。

 

為替もうちの会社で扱っているからよく分かるが、為替なんて、一般の人が真剣に考えても意味はないよ。自分が生活する国で一生懸命働いて稼ぐ、これが基本だ。日本に帰ったら資産目減りとか言うけど、それなら稼いだ金を半分日本に送金して、金利が殆ど付かない銀行に貯金しておけばよい。

 

「自宅を買ったからローンの支払いが目一杯で、日本に送る金がないのだ」と言う人は、その人が不動産を購入した時点で為替の不安よりも目先の住宅の不安を解消するという選択をしたのだから、今更どうしようもない。住宅ローンが高いと思うなら、自宅を買わなければ良いだけの事。

 

まあ、他にも色々と書き込みがあるが、良い点と悪い点は表裏一体である。だから物事をネガネガで見れば、すべてのものが嫌になる。ポジティブに見れば、すべてのものが良いように見える。

 

でも、ネガを持ってどうにかなるのか?それが金を作ってくれるのか?生活を安定させてくれるのか?心を癒してくれるのか?

 

何も産まない。

 

どころか、不安と言う、鬱病になる原因を創り出すのみだ。実に馬鹿らしい。現実に生きて生活をして毎日戦っている自分としては、そんな人こそ、よほど暇な時間とお金に余裕があるんだなと思ってしまう。

 

「わたしはNZ大好きだよ」さんの書き込みが分かりやすくてよい。

 

「この国はなにか人生の目標を探すのには物足りない国かもしれないけれど、何か目標があってそれに挑戦するのにはいい場所ですよ。」

 

写真は、日曜のタカプナフリーマーケットで、青いテントの下でチジミを焼いて売ってる韓国人のおばさん二人。

 

ほら、不安になったりする前に、これくらいの商魂と、積極的に生きようって気迫を見せて欲しいものだ。

 

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tom_eastwind at 12:15|PermalinkComments(3)TrackBack(3) 移住相談 | 諸行無常のビジネス日誌

2007年11月02日

努力することの意味

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今日もまたNZdaisukiが賑やかだ。ニュージーランドに住んでいながら英語が上達しない移住10年目頃の移住者に対して、ワークビザ3年目の女性が堂々と戦いを挑んだ

 

一日で30くらい反応があって、その殆どは「お前に何の関係があるの?」的な回答。

 

でも、ポイントを捉えてて面白いのもある。

 

「言葉が出来たらって、あんた言葉が出来たらそれですべて解決すると思ってるの?大事なのはその土地と人に馴染んで生きていく能力でしょ」

 

「移住して5年目くらいまでは、スタートラインが低いから成長したって実感があるけど、そこから先はよほど勉強しないと英語は上達しない」

 

どちらも納得できる意見だ。

 

特に英語の上達って、一体どのレベルの英語の話をしているのか?日本に生まれていても国会議員が何人いるか、選挙システムがどうなっているかを知らない人がニュージーランドに行って、NZの政治の形態や現状や国会で話される内容が理解出来るとでも思っているのか?

 

要するに、中級までの英語は生活をする為の英語だから誰でも成長する=自分が知っている範囲内だからだが、日本語でさえ知らないような事象は、英語で説明も質問も理解も出来ないのだ。

 

だから、学ばないから英語が上達しないのではなく、どれほど学ぼうとしても、最初に日本語で知識を持っていないから英語にして話しようがないし、政治や社会や歴史は、そのような知識がないから学びようがないという点を理解すべきであろう。

 

 

「おいおい、そんな努力や競争をするのが合わないからNZに来たんだよ」という開き直りもいる。これも立派な、一つの価値観だ。

 

生活に必要な英語さえ出来れば、完璧に近づける努力が果たして本当に必要なのか?その為に苦しい勉強生活を送るのか?どこまでやれば完璧なのか?第一、それじゃあ最初に自分が望んだ生活が出来ないじゃんか。

 

まあ、海外生活を始めたばかりの人は、時に自分が作った「英語を学ぶ」と言う目標が神聖で素晴らしいものに見えるから、どうして他の人はやらないの!と思う。

 

これ、海外生活とか英語に関係なく、宗教でも同じだ。

 

「キリスト教は世界で一番素晴らしいのよ!キリスト以外に信仰する対象はないの!他の宗教はすべて間違っているし、キリスト教を信じない人は間違っている!」そうやって十字軍の時代から世界を戦争に巻き込んだキリスト教。

 

まあ、トピ主も悪気はないと思うが、海外生活で一番必要なのは、世の中にはたくさんの価値観があるな〜って学ぶ事だ。

 

逆に、多様な価値観、これが理解出来れば、海外生活は楽しくなるし、他人と比較をしてどうのこうのってのが馬鹿らしくなる。

 

価値観が多様化すれば、サリンを傘で突っついて人を殺すことがおかしいという事に気づく。そのほうが、英語が完璧に出来るよりも、よほど人生にとって大事なことだろ。

 

 

 

価値観の押し付けって視点から、面白い小話を見つけたので貼っておく。

 

 

     *********

      

フィリピン人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。

 

それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。

 

すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」 と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

 

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、 「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、 女房と昼寝して。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたってああ、これでもう一日終わりだね」

 

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。

 

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメトロマニラに引っ越し、 ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

 

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

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tom_eastwind at 12:13|PermalinkComments(5)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年11月01日

Stupid, stupid

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人生で一度くらい馬鹿な事をやらなかった人はいない。もし一度も馬鹿な事をやらなかった人がいるとすれば、それがその人の人生で一番馬鹿な事だ。

 

これは僕が、最近のNZdaisukiの書き込みを見て思ったこと。

 

ここはますます愚痴の書き込み広場になっているが、実にいろんな「馬鹿なこと」が書き込まれている。

 

「英語もろくに出来ないまま、白人願望で白人と結婚して、気づいてみれば相手はろくでなし。親の反対を振り切って飛び出してきて子供も出来たのに、今になって私に飽きて、他の日本人の女の子と付き合うなんて!」

 

「金もなく仕事もなくやる気もなく、マリファナは体に良いとか言いながら遊びまわっている旦那。結局私は、NZの福祉にぶら下がるしか、ないのかな〜」

 

これに対して「福祉を食い物にするな!お前らの遊びの責任を取る為に俺たちが税金払ってんじゃねえ!」って怒りの声が多い。

 

ETCETC

 

高速を自動的に通り抜ける機械の事ではない、エトセトラを大文字で強調したら、こうなっただけ。あまりに馬鹿らしすぎて、すべて列挙したらきりがないので、エトセトラにしたのみ。

 

こういう馬鹿げた事は、何年経っても変わらない。

 

多くの人間が失敗しているのに、私だけは大丈夫とか思って結局失敗しているんだから、知ってる人から見れば、実に馬鹿げている。人間は学ばない動物なのかと思ってしまうほど。

 

ただ、馬鹿げた事をする人を、その行為のみでその人を全面否定してはいけないと思う。だって、人間の人生なんてどこで結果が出るかなんて、誰にも分からないんだから。

 

ニュージーランドにやってくる若い女性の多くは、白人志向でついつい馬鹿な道に走りがちだが、その馬鹿げた行為を認めろと言うのではない。

 

ただ、誰でも失敗することがあるし、本人はいずれその失敗に気づいて、重い十字架を一生背負って生きていくのだから、やってしまった失敗を、それ以上周囲が責めてもあまり意味がないという事。

 

十字架の重さは、本人が一番理解している。たまに理解してない馬鹿もいるが、これは教えるしかない、もし教えるような人間関係ならば。そうでなければ無視して通り過ぎるべきだろうが、少なくともやってしまったことに対する無駄な非難は、すべきではないだろう。

 

人間は失敗しながら成長していくし、失敗しない人は成長しない。

 

 写真はクイーンズタウンのリマーカブルから眺めたフランクトン。クイーンズタウン時代が、一番派手に馬鹿なことやってたかも。

 

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tom_eastwind at 11:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌