2008年01月
2008年01月31日
[天国と地獄] 対 [未来予知ノート]
写真は博多中洲に流れる川の写真。夕暮れ、です。
出張中の移動の飛行機の中で、大体2時間くらいで浅井隆氏の「天国と地獄」読了。
小学生の頃から本の虫だった僕は、まず単行本を手に取って適当に開き、文字のサイズと縦書きの行間を見た瞬間に、大体その本の流れが見える。
行間が広くて文字が大きいのは、初心者向けに書いたものが殆どである。まずは誰でも読めるように文字のフォントとサイズをいじる、次に行間を広げることでページ数を稼げるので、買うほうからすれば何となくお得感があるのだ。
反対の例を見れば分かる。岩波書店の戦後初期の本などは、文字さえ戦前のフォント、サイズはワードで言う9ポイントくらいだから、よほど文字好きで明るい太陽の下で読まなければ、到底読了不可能な作りだ。
それでも昔は、そういう本を本屋が読者に強制できた。資源のない時代だ。ちっちゃな紙に出来る限りたくさんの文字を詰め込もうという発想。そしてそれを受け入れる、知識に渇望していた人々。
日刊新聞社も昭和の中期までは文字が小さかった。
それが1980年代頃からかな、新聞も「読まれるために」段々と文字を大きくして行間を広げて、写真を多用して、読みやすさを図った。
ただそれが、内容は良いのだが体裁が悪くて読まれない読者層を呼び戻す手法としてではなく、本屋が売りやすい本を作るための手段と大きく変化したのは、角川以降か?
それでも角川の時代は、本と映画が融合して楽しかった。楽しくなくなったのはその後、角川が逮捕されて、出版社がどれもこれも貞操観念なくして方向性が見えなくなった頃だ。
最近では幻灯舎が好きだ。あそこ、ゲーテと言う男性向け雑誌で最近「ミシュラン批判」をしていると聞いた。他にも、「お、これは」と思う本を見ると、幻灯舎が目立つ。
プロの世界でどう評価を受けているか知らないが、本好きの僕としては、幻灯舎の棚は見逃せない。
さてその中で「天国と地獄」。264ページなら普段皆さんがカバンの中に入れる標準サイズの文庫本と同じくらいのページ数だ。
でもって、内容を細かい事をいちいち取り上げなくても、それは他の方がじゃんじゃんやっているので、僕の感想のみ。
こりゃ予言の書だ。テレビにでるおばさんとかおじさんが「あんたの死んだ家族はね〜」とやってるのとほぼ同じ。
ただ、それを説明する肉付けが実にうまい。どこかにゴーストライターがいるのかどうか、本人と話したことがないので何とも言い様がないが、今回の文章の全体の流し方は良く出来てる。
日経が書評で取り上げるだけの事はある。これなら、以前に読んだ「日本が駄目ならNZがあるさ」のぐちゃぐちゃさは、一体ナンなのだ?
「男子三日会わざらば活目してみよ」って事なのか、今回はきちんと代役が頑張りましたって事なのか、ちゃんと世界情勢をベースにして日本人がどう考えるべきかを描いてる。
ただ、このような話を学者的に説明するには、あまりにも多くの事例を取り入れており、環境問題から世界経済、日本政府の動向までを、基となるデータの挿入をせずにこんなに薄く広く書くなら、こりゃ小説だ。
そして困ったことに、彼が予測のベースとして使っている様々なデータは、まだどれも科学の裏づけがなく、もっと言えば科学自体がまだ全然世の中の現象を解明出来てないので、結局こりゃ占い本として扱ったほうが分かりやすい。
てか、最初に書いたとおり、小説というよりも未来予知ノートって感じなのだ。書いてることは一つ一つ良く分かる。ただ、「その結果としてxx年にこうなるよ」と言う時間限定の結論への飛びつきに蓋然性も必然性も見えない。
「2010年に世界は大不況になる。以前は2007年と書いたが、それはたまたま景気が良くてずれてるだけだ」
そんな話が通用するなら、学者は苦労しない。景気予測を立てるからには、一旦出した予想が外れれば、時期を2007年と区切って予想している限り、そりゃ外れくじ。
ずれてるなんて言い訳が通るなら、女を好きになって「あなたは今年私を好きになるでしょう」と女にも、更に自分の友達にも言っといて、それでも彼女が今年振り返ってくれなくて、周囲に「ぶあ〜か!」と言われて、「ふざけんな、俺の予測は間違ってね〜、たまたま今年は彼女がついててさ〜」なんて言い訳しているようなものだ。
だから、最初から「僕のは予知です。外れることもあります。外れたほうが世の中が幸せになるから、その方が良いのです」と穏やかに語ってる「未来予知ノート」の予知能力者ジュセリーノのほうが、よほどすっきりしている。
ジュセリーノの予言は、90%近くが当たっている。彼の予言の特徴は、時間を限定して、「xx年にこんな事がxxxで起こります」とか「xx年xx月にxxxさんが死にます」とかまで、かなり時間を限定しているのが特徴なのだ。有名な例では911テロを数年前から日時を指定して警告していたとか、スマトラ沖の地震を予知していた、などだ。
浅井隆氏とジュセリーノの一致している点が一つ。2010年に世界が大不況に陥ると言うことだ。その時に向かってどう資産防衛をするかと浅井氏は説き、ジュセリーノはそうならないように皆が心を清くすべきだと言う。
ただ、心を清くなんて実際問題では無理なので、こりゃ仕方ない、浅井氏の講義に耳を傾けるしかないとなる。
ただ、この2冊を読んだ感想とすれば、浅井氏のよりもジュセリーノの方が、日本にしゅっちゅう出張に行く僕としては影響が大きい。
人間がやることならどうにかなるが、自然相手では勝ち目がない。大震災の起こる時は、そこにいないようにする事、それしかない。
でもって今年最初の震災が、2月15日~28日の川崎で震度6.3だ。この時僕は日本だから、ひっかかる可能性ありだな。
実は911テロの時も、事件を成田のホテルで見て、翌日朝のキャセイ航空に運よく乗れたが、その数十分後の運行便はすべて欠航になった記憶がある。
一瞬の差でも、海外に逃げておけば難を逃れることが出来る。
次が4月または5月14日の千葉で震度6.7だ。
8月6日には東京で6.5だ。これなら何とか耐えられる。
問題はその次で、9月13日の震度8.6だ。3万人が被災して600人以上の死者。その後に行っても、暫くは商売にならんな。ただ、これは中国で起こるかもしれないと言ってる。中国なら防災体制が整ってないので、死者は100万人を超すだろうと予知している。
2009年以降も地震が続き、その中には関西方面での、95年の地震を上回る大災害、そして主と直下型の地震みたいなのも予知されている。
こうなると、移住の営業とか説明会どころではない、早いとこ災害に備えて、日本の地震の影響がNZにどう影響を与えるのか、その予測をやっておくほうが最優先である。
浅井氏の本が人災だとすれば、ジュセリーノ氏の本は天の災害を描いている。どちらに共通しているのも、現在の科学では完全に証明出来ない「何か」によって導かれたものだと言うことだ。
実際に両方の本を読み比べて見れば、読者が良く理解出来るだろう。
片方は、9歳の時に宇宙から降ってきた「何か」に触れることで未来予知が出来るようになり、もう片方は、最初は夢を持ってあっちこっちで写真を撮ってる最中に「世の中の現実」に触れて「こんなんじゃ一生カネにならん」と将来が見えるようになったのだろう。
ただ、両方とも、一読の価値はある。
浅井氏の作品は、今まで惰眠を貪っていた人からすれば、十分に驚愕の書である。
ジュセリーノ氏の作品は、長いこと地震観測をやってきた学者にとって、遂に自分の限界を感じさせた驚愕の書かもしれない。学者よさようなら、予知能力者よ、こんにちは。
2008年01月30日
医療の崩壊
大阪のお客様と会食した時のこと。随分と変わった経歴の方で、東南アジアの投資のお話や日本の医療のお話などを伺う。
これからの日本の将来を見れば、国民にとっては何も良い要素がない。医療の問題は、患者だけでなく医療現場もむちゃくちゃにしている。
患者は、ちょっとした事で救急車を呼び、けろっとした顔で救急病棟に入る。かと言えば、医療過誤という事で、すぐに医者を訴える。
診療報酬は下がり、医局体制は崩壊し、結局真面目にやる医者がすべての仕事をやらされた挙句に、疲れが元で体を壊したり、それこそ注意散漫になってミスをして訴えられる。
そんな商売やってられん、てな事で、ややこしい緊急患者は受け入れ拒否をする。その結果救急車の中で死ぬ人も出てくるだろうな。
患者は自分勝手、マスコミは厚労省と手を組んで医者叩きをする、それでもって医者が「じゃあ、もうやらん」となると、結局困るのは病気になった人々である。なのに患者はマスコミに振り回されて「医療過誤」などと全く無責任なことを言う。
もっと言えば、医者だって最初からプロなのではない。何十件もケースをこなしてベテランになるのだ。誰かが、素人医者の治療を受けなければ、その医者はプロになれないのだ。
なのに、総論は賛成各論反対で、自分が患者になると最高のサービスを最低の費用で要求する。
厚労省、医者、患者、国民が、全然方向性が一致してない。皆、自分の利益だけを追求するため、真面目にやってる奴がバカを見る。医療の世界も、一度すべてリセットするしかない。
元々医者の家系に生まれて、実際に医師免許を持った方が語る医療現場の実態は、本で読むものとは違った生々しさがある。結局彼は医者を辞めるのだが、それほどに医療現場は厳しい。
教育現場も同じようなものだ。真面目にやればバカを見る構造。ずるく狡猾に立ち回って組合活動したり、または校長にごますって手抜きをして、現場の学級崩壊は無視するような教師が、学校で幅を利かせている。
文科省、教師、生徒のバカ親、日教組が、それぞれ自分だけの利益を考えて、全体が崩壊している。かわいそうなのは、そんな環境で勉強しなくちゃいけない子供たちだ。
大体、そんな環境で勉強しても、受験勉強で若い心を殺された挙句に社会に出て、全く人間らしい感情をもてない人間になるのだ。
まさに壮大な人殺しだが、加害者に罪の意識はない。俺だけ良ければよいのだって事だろうな。これも、日本リセットが必要なり。
医療も教育も、国家と国民を支える最も大事なものだ。その二つが完全に崩壊しているのだ。一体どうなるんだろう、この国。
その晩風呂に入って、入浴剤を見つめていると、うらみ、ひえ症に効くとの事。そうか、入浴剤も遂にそこまで進化したか。人へのうらみを入浴剤で解消、夫婦間の冷え症を入浴剤で解消、よしよし。
よく見たら、「うちみ 冷え症」だった。飲みすぎて目がぼやけたか?ちょいやばし。
写真は新幹線の座席で荷物を置いたままパソコンを開いた僕の状態。きついっす。
2008年01月29日
京都、粉雪
「私、20年前に大阪から京都方面に出てきたんです。以前の大阪は良かったんですけど、今の大阪、一体どうしてしまったんでしょうね?」
名古屋を昼前に出て、京都に移動。
昨晩は結局朝の3時過ぎまで情報収集という名目で飲んでた。さすがに疲れたので、ホテルに入るとすぐ風呂。
僕にとってはお風呂+読書が一番のマッサージである。
その晩は結局食事にでは出ず、コンビニで買ったウイスキーボトル「竹鶴」と、ちくわやちりめんじゃこをつまみに、ずっと部屋で本を読んだり映画を観たりして過ごす。ああ、気持ちよい。
翌朝、粉雪の舞う京都では、今回の説明会にご参加頂いたお客様と再度個人面談だ。
資産の海外運用を検討中。この方も今の日本の行く先に大きな疑問をお持ちだ。ただ、海外となると、一体何をどう運用してよいのか、さっぱり分からない。
なので、まずは海外に自分の資産を避難させる方法、銀行口座解説をして資産を定期預金で運用する方法、その利益は日本に戻さず、カードを使った処理で実態として日本で使用出来るようにする方法、定期預金の運用と同時に、円建てローンを利用した不動産購入と賃貸収入の確保等を、順々に紙に書いて説明する。
その中で、日本とニュージーランドの税制の違い、例えば不動産取引には税金がかからない等の話をすると、その度に驚いてくれる。
ある意味、標準的な日本人の反応だろう。日本人はもう長い間自国の仕組みの中で育ってきて、それ以外の仕組みを学ぶ機会もないから、僕らのような外国に住む人間から話を聞くと、最初は理解しがたく、最後には日本の仕組みに対して怒り出す。
日本が抱える問題、先日も書いたが、医療や教育、税制の問題は、一つ一つは何となく毎日のニュースで聞き知っているのだが、それを整理して全体像を説明されると、完全にひっくりかえる状態になる。
そりゃそうだろう、今自分が乗ってる船が沈むと言われているのだ。楽しいわけがない。かと言って一つ一つの事実はすべて本当だし、否定も出来ない。こりゃもう、中村玉緒もひっくりかえるしかない。
そんな中で大阪を例に出して話をすると、最初の言葉に繋がったのだ。
何故お客様が大阪から京都に出てきたのかは知らない。しかし、1980年代と言うのが、大阪にとってのコペルニクス的転回だったのは間違いない。
考えて見れば「大阪で生まれた女」が“青春のかけらが染み付いた”大阪を後にして東京に行くんだけど、“大阪は今日も活気に溢れ、またどこかで人が来る”状態だったのだ。ちなみにこの歌、全部で35分の、歌と言うよりちょっとした短編小説だ。youtubeで視聴出来る。
それほど当時の大阪は活気があった。当時、沖縄から集団就職すると言えば、それはもう大阪を指していた。先日も書いたが、戦前は東洋のマンチェスターと呼ばれた時代もあったのだ。
ところが何故か1980年代、優秀な大阪人は皆東京に行ってしまう。そして大阪はバブルに突入、田中森一のようなヤメ検弁護士や許永中などが暗躍する街に変わってしまうのである。
(このハンバーグ屋さん、席数7つのちっちゃな大阪のお店なのだが、実にきめ細かい商売してる、羨ましい)
末野興産などは、大阪のビルの景色を一変させたと言うくらいだから、バブルの発生と崩壊は、その前と後ろで、大阪の景色も人の心も激変させてしまったのだろう。
その後は無法状態、既存権利団体が跳梁跋扈する時代になり、更に大阪人の政治的無関心が混乱に輪をかけるようになる。
その結果、人々の心は荒れてしまい、二重駐車、タバコのポイ捨て等の道徳心の低下を招き、十三などは、ありゃあソドムかゴモラだなと本気で思ってしまうようになる。
このブログが出る頃には大阪府知事選の結果も出てるだろうが、誰になろうとも、大阪人自体が立ち上がらなければ、どうしようもない。
自分たちの街なのだ、自分たちで良くしていこうという気概を持たねばどうしようもない。それが嫌なら、大阪を捨てて出て行けばよい。一番だめなのは、文句言いながら何もしない事だ。
てか、大阪の人は、それなりに満足しているんだろうから、よその人間がどうこういう事はないかな。そうそう、俺が余計なこという必要もない、彼らは文句を言ったふりをしてても、実は生ぬるい空気の中で満足しているのだろう。
幸い名古屋は、トヨタが主導してバブルに巻き込まれず、不況を乗り越えて世界一の自動車メーカーになった。
京都も、京セラを代表として村田製作所、堀場製作所など世界でもトップクラスの優秀なメーカーがひしめいて、自分たちの街を文化的にも経済的にも守って発展させている。
横浜も神戸も、決して景気は良いわけではないが、彼らなりにきちんと矜持を持って生きていける環境がある。
東京は、勿論日本の富を集中させているから、二極化は酷いものの、経済的には必然的に潤っている。
福岡も、地方都市とは言え自分たちの文化を守り、アジアのハブとなろうとして頑張っている。財政赤字が多いのが玉に瑕だが、プサンから高速船を出したり中国向けのフライトを飛ばしたりして、今では多くの韓国人や中国人が週末に福岡の野なるシティで買い物をしている姿を見かける。僕が住んでた頃には思いも付かなかった光景であるが、こりゃいいや、国際的だなと思う。
毎回日本を回って見るが、ニュージーランドで生活拠点を置き、定期的に日本の都市を回り、各都市のお客様と毎回話をしてみたり、家族旅行で北海道にスキーに行ったりすると、日本全体の様子が良く分かる。
まあ、大阪が悪いとは言っても、去年回った地方都市のシャッター街に比べれば、経済的にはまだましかもしれない。大阪が決定的に悪いのは、引ったくり等の犯罪が日本一であること、つまり人心の問題だろう。
そう言えばテレビを見てると、面白いのがあった。京都で観たローカル番組。
とある大学の助教授が、自分とこの大学を宣伝するのに、大阪の大学は治安も悪いしやめとき〜って案内を出してしまい、それが今問題になっているというのだ。
最初の皆さんのコメントが笑える。コメンテーター全員が2秒ほど固まった後、「そんな事、はっきり言うたらいかんやんか」である。ほんと、笑った。
大阪で生まれた女、京都に行く。20年後、大阪を振り返って、大阪を哀しむ。
写真は、大阪で食べたハンバーグ。個々人は頑張ってるのにな〜。政治が駄目ってのが、本当に怖いと思った瞬間でした。
2008年01月28日
名古屋
今回は新幹線が大活躍だ。
東京に入り、そこから新神戸へ移動、翌日は大阪に移動、それから新横浜に移動、そして名古屋に移動、そして京都、最後の締めは博多である。
こんな時こそRailwayPassを買うべきなのだが、実はそれほど移動が増えるとは思ってなかった僕は、全ての駅で毎回現金で切符を飛び込みで買うことになった。
移動しながらお客様の面談予定を入れてくのだが、出発間際と日本到着後に、急激に面談が追加されたのだ。
面談が入るのはありがたい事ではある。だが、JRは殆どの場合、海外発行のクレジットカードが使えないのが困った。
1万円以下でもNOだった事もある。一体どうなってんのだ、国内発行のクレジットかーどしか受け付けないようにしているのかJR?。
次回は絶対にJRパスを買っておこう、そう心に誓いながら、減っていく現金を見てると、何だか心細くなる。
考えて見れば、日本に全く基盤のない僕は、現金がなくなった瞬間にアウト、誰も頼るものもなく、ホテルにも泊まれず、飛行機に乗ってオークランドに戻るしかないのだ。
何となく日本に来る外国人の心細さを感じた。
名古屋でお会いしたお客様は、まだ30代だがかなりの資産をお持ちだった。いろんな仕事をされているようだが、以前の日本ではあり得ないような人々である。
失われた15年で日本は大きく変わったが、こういう文明の変わり目は、太平期には現れないような金持ちが出てくる。代表的な例で言えばホリエモン、村上ファンドあたりだ。そういえば誰かの本でも、文明の崩壊と創造の瞬間が、多くの資産が移動する時って書いてた。
彼らほどの資産家ではないにしても、10億円程度ならこの時期に作った人がたくさんいるだろう。勿論本業でも稼ぐし、IT関連株でも稼ぐし、稼いだ金を人に貸して更に稼ぐし、失われた15年の間政府は弱ってたから、稼ぐ人々に文句も言えず、彼らは更に税金もうまいこと節税する。
こういう人々に共通するのは、頭の良さと自分への自信である。昔のような金鎖じゃらりんみたいな成金的な嫌らしさはなく、普通にさらりとおしょうゆ顔なのだが、話をしていると頭が良いのが分かるし、判断が早い。
以前の日本であれば、お金を持っているのは会社の社長で中年から老年、若い人でお金があるって言えば、絶対に親が金持ちってケースだった。
世の中の仕組みが一生雇用の年功序列で若年への給与を下げておいて中年になるにつれたくさんのお金が貰えるような仕組みで、尚且つ普通では若者が独立起業など出来ないような仕組み(資本金規制、政府許認可制、保証人、個人保証などなど)が社会にあった。
それがバブル崩壊と社会構造の根本的変化(特にインターネット)により、誰でも機会を与えられるようになった。
その結果不均衡が発生して、片や総数500万人とも言われるフリーター、ニート、ネットカフェ難民、青いテントで生活する路上生活者を生み出すが、その反対では僕の目の前に座ってる、一見ごく普通のサラリーマン的起業家を生み出してもいるのだ。
この日はお客様との会食がなかったので、名古屋の情報収集源の一つである、錦3丁目のバーに行く。ここは、あいも変わらずお客様がたくさん入ってる。
以前は1時間いくらの料金設定だったのが、今は90分でいくらとなってて、時間計算すると値上がりしていた。今時の商売で値上げが通用するのも、やはり名古屋の景気の良さを現すのだろう。
店の女の子に聞くと「え〜、大して入ってないっすよ〜」とか「昨日なんて超暇で〜」とか言ってるが、実際はそうでもない。バーが終わった後に、店の女の子と彼女らが良く飲みに行く店に行くと、そこでは仕事を終えたほかの店の女の子たちが景気良くガンガン飲んで歌ってる。
店のマスターに聞くと、やはりここ1年で随分と商売も伸びてきたそうだ。客が戻ってきたのではなく、新しい種類の客が増えたと言うのだ。
以前ならサラリーマンが接待とか自腹で飲んでたのが、今は起業家や普通の女の子がお金を持ってのみに来るらしい。
なるほど、名古屋では遂に景気が循環し始めたな、そう感じた。酒にお金が回り始めるってのは、それ以外のモノ、自宅や車などを全部購入した一つの証拠でもある。
ここにカネが行き始めれば、景気の浮揚である。この現象は現在東京と名古屋で見かけることが出来る。
ところがここに、もう一つの金持ちグループが出てきている。
テレビでは、京都の御茶屋でロシア人が豪遊する様子を語っていた。畳の上で足を伸ばして、SAKEY(日本酒)をお猪口ではなく、TRAY(お盆)に注いで一気飲みするらしい。
挙句、一晩いくらで遊ぶんだ?とGEISHA-mushume(芸者)を口説き、断られると怒って、畳の上に100万円の束を放り出して「いくらならいいんだ!」と怒鳴るらしい。それ以上の事は、このブログはうちのみゆきも時々見てるので、あまり書けない。
ロシアは国の経済が崩壊して、多くの金持ちが出てきた。
アラブ諸国から日本に遊びに来る人々はオイルマネーで動いている。
オーストラリア人は、日本の輸入する鉄鉱石の半分以上を採掘、輸出しているので、これまた金持ち。
中国からは、昔の日本の農協のような団体が、たすき掛けにしたかばんに最新のDVDレコーダーを持って、あちこちで映像を撮りまくっている
こうなると、世界に取り残された日本って縮図が見えてくる。
国内問題でがちゃがちゃやってる間に、外国の金持ちは日本へ買い物に来て豪遊する。
京都の御茶屋で豪遊するのが外国人で、その御茶屋で働く日本人、更にその御茶屋に色んなものを納入する取引業者、このあたりから安月給や時給で働く日本人層が現れる。
要するに明治維新直後の日本のようなものだ。外国人が押しかけて、それまでの日本文化を無視して遊びまわり、妾を作ったり迎賓館で踊ったりする。そういう彼らとうまく組んだ一部日本人(政治家連中)と、商売の才覚のある日本人(政商、三菱の岩崎さんとことか大倉組とか)だけが儲かり、一般庶民は大増税と徴兵制度で大変な目に遭ってしまう。これなら江戸時代のほうがまだましだった、少なくとも子供が戦争に行くことはなかったし、年貢も安かった。
しかし、真面目にやるしか知らない多くの日本人は、時代の激動の中で翻弄といとい(混老対対)されるだけだ。
この波が何とか収まって日本が安定するまで、更に多くの年数が必要だ。以前は失われた10年と言ってたが、それが15年になった。
小泉さんが出てきて、2007年頃には新しい日本の進む道が見えるかと僕が思ったのが2003年頃。
ところがその後、小泉さんが辞めてから安倍さんの失政、与野党逆転、福田政権と続き、政治が完全に方向性を失ってしまい、国策と言うものがなくなってしまった。
1999年に書いたコラムでは、日本はいつか活力を取り戻すだろう、でもそれまでの長いトンネルを抜けた後の景色は、それまでとは全く違ったものになってるだろうと書いた。
ところが今では、日本が活力を取り戻せるかどうかが、正直言って不安なのだ。
何故なら、時代の変化が早すぎて世界のグローバル化が進む中で政府が国家として国策を打ち出すべきところが、実際は全然対応しきれず、著作権問題のように、根っこのところを外国に押さえられてしまったり、肝心の食料資源においても鉱物資源に於いても全面的に輸入に頼るしかない状態に陥ってる。
この状態では、日本は外国の草刈場になってしまう。それが京都の御茶屋に出てきている。
ところが官僚は、自分達の省益のみを考えて全体のバランスを考えないまま支離滅裂な省策を次々と打ち出していく。
厚労省は医療費を減らしてよい顔をしたいが為に老人医療の切捨て、障害者の切捨て、医者の切捨てで、生活現場の医療システムを破壊してしまった。
文部科学省は長年の「何もしない無策」で、本来は今の時代に合わせて改革すべき教育システムを、何もせずに放置して教育現場を無茶苦茶にしてしまった。今の元気のない若者や、社会人として殆ど使い物にならない社員を作った責任の一端は、間違いなく文部科学省である。
国土交通省は今の建設不況を招いた張本人であるが、彼らは建設業界の悲鳴を無視して、絶対に責任を取ろうとせず、しっかりと給料、年金を取っていく。
金融庁は銀行に儲けさせるつもりで消費者金融を支配下に入れさせたが、その次の失政が上限金利問題で、結局消費者金融が銀行にとってのお荷物になってしまい、不況を更に加速化させた。
名古屋はトヨタで何とか復活した。東京も、もう大丈夫だろう。ところが肝心の日本丸が危ない。
2008年01月27日
janjan
「しかしまあ、新横浜での待ち合わせなのにインターコンチネンタルホテルを予約したのは、何か特別な理由があるんですか?」
バーで飲みながら新横浜駅で待ち合わせをしたお客様にそう聞かれた僕は、最初何とも答えようがなかった。
いや〜、距離感がなかったんですよ、そう答えるこちらとしては、まるで田舎モノ丸出しである。何となく、
言い訳1「いや〜、海が見えるホテルってのが魅力的でしてね〜、少々待ち合わせ場所より離れても良いかと思い〜」
言い訳2「港未来21ってのがすんごい立派な建物らしくて、まあ一度は見ておきたくてですね。それにしても実にすごいつくりですね〜」
言い訳3「インターコンチネンタルホテルは、僕の入ってるPRIORITYカードのポイントが付くんですよ」これは本当だが、一休経由で予約した為に、実際にはポイントは付かなかった。
何せ先日も書いたが、新横浜ってのはオークランドで言えばKロード、横浜駅がうちの会社あたり、インターコンチネンタルホテルはキーストリートのヒルトンホテルあたりって感覚で、全部歩いていけるくらいに、真剣に思ってた。
うちのスタッフにも思い切りバカ呼ばわりされて、何で調べないのよと罵られた(ののしられた)が、こっちはてっきり自分は理解しているものと本気で思ってたので、調べる必要もないとたかをくくってたのだ。
神戸と横浜、両方とも港町で、文明開化の街でもある。
でも、僕からすれば神戸は大坂の端っこ、横浜は東京の続き、くらいに見えていたのだ。
しかし今回偶然にも二つの都市を回って見て、隣の東京や大阪などの大都市とは全然違う歴史や文化を感じることが出来て、なおかつ彼らが「大阪と神戸、東京と横浜、場所、ちがうし〜」ってのが良く分かった。
バーで飲みながら、古い横浜の話になる。
中田市長の裏話では、彼がテレビで見るほどには革新的ではないよ〜、意外と他人任せなんだよねとか、新横浜駅が出来た当時は、駅の反対側にはラブホしかなかったけど、今では住宅街になって、家族が住む一般アパートと、家族を作る最初のきっかけになるラブホが交互に並んでいるよとかの話。
宇崎りゅうどうは、今でも横浜のシンボル。みたいな言い方ではなくて、何か一種の、あにき〜みたいな地位にいるようだ。
バーの女の子がお客様と一緒に楽しそうに、「あの頃は大黒パーキングで踊ってましたよね」と言うのが、最初意味不明。大黒パーキングと言うディスコ(踊り場)があったのかと思いきや、ではなく、本当に若者が大黒と言う駐車場にCDプレーヤーを持ち込んで踊ってたんだって。ほんとか〜?
あにき〜、とか言いながら、横浜銀蝿、えいちゃんあたりの話になると、皆さん盛り上がる。あの頃は楽しかった世ね〜、なんて、あのさ、君はまだ31歳だよね、お姉ちゃん?
どうやら横浜では、皆さん独特な楽しい青春を送ってたようだ。
小泉さんがプレスリー見てはしゃぐのも、よく分かる。
じゃんじゃん連中からすれば、やっぱり自分らが日本で一番「いけてる」って感覚、あるんだろうな。東京のような、田舎のよそ者連中の烏合の衆団とは違うじゃん。
元地方小作農家出身の山口県あたりのトッポ出が明治維新で戦争して、高杉晋作とか坂本竜馬とか優秀なのが死んでしまい、野球で言えば二軍でしかない連中が東京の中心にやってきた。
第二次世界大戦後も政治派閥で東京の中心に居座っているものの、偉そうに霞ヶ関でがちゃがちゃ言っても、所詮は田舎モンじゃんか、うちら、文明開化の発祥地で生まれ育ってますから〜。
そういえば横浜で感じたのは、彼らの自己主張である。胸を張って上向いて生きてて、俺たち、小ぶりだけど、大東京の寄せ集まりな田舎モンとは違うぜ〜的な雰囲気が、街全体に漂っていた。
要するに突っ張り文化だ。銀バエや宇崎が人気あるのも、ツッパリの代表格、あにき〜なのだろう。
それに対して神戸は「どうも、いつもすみません〜」と腰が低く、隣にある文明の遅れた地域の事をあからさまにバカにするような事はせず、あまり自己主張をしない。だが、その底辺にあるのは、「あそことは違いまっせ」と言う、無言の上品な文化の存在である。金持ち喧嘩せずの代表格か。
要するに、バカに向かって「バカヤロー!」って大声で言うのが横浜なら、「あれま、おつむがすこ〜し弱くなってません〜」と心配そうに話しかけるのが神戸だ。
今はすっかり見る影もないが、大阪は戦前、東洋のマンチェスターと呼ばれて、東京よりも工業が発展していた時期がある。あ、見る影があった!十三だ。すんごい影だったな。
それに対して神戸は大阪の港町、そして関西で財を成した人たちが住む街、また、その以前は外人さんが居留地として住む街と位置づけられていた。偶然だが、元町と言う地名は、横浜にも神戸にもある。
今の日本の私鉄のビジネスモデル、鉄道沿線に住宅を作り、終点に歌劇団、そして電車の起点駅にデパートを作ったのは阪急の小林十三さんだ。最もダンディな日本人の一人として白州次郎が有名だが、彼も芦屋出身である。
横浜は港町として栄え、汽笛一声新橋から横浜まで、日本で初めて汽車が開通した街である。多くの外国人が住み、The Last Samurai でもTomCruiseが最初に日本の土地に触れた街でもある。
どちらの街も、初めての訪問だが楽しかった。そして、日本の文化の幅広さってか、日本は東京と大阪だけじゃないんだ、まだまだいろんな文化があるんだって肌で感じることが出来た。そんなもん、今頃知るなって言われそうですな、はは。
距離感と言えば、後日談がある。
次回も新横浜でお客様と会議、その後の会食となるのだが、その時には新横浜か横浜に泊まらねばと思った僕。ところがスタッフにそれを言うと、「ばっかじゃない?新横だったら、恵比寿まですぐ近くじゃん」だって。
やっぱりまだ距離感が理解出来てない僕でした。
2008年01月26日
横浜インターコンチネンタルホテル
昨日の続き。
みなとみらい駅から雨に降られながらてガラガラ(僕いつも使っている旅行用カバン)を引っ張って入ってきた僕を、まるで場違いな田舎モノがやってきた〜〜!みたいな、横浜特有の特権階級のホテルスタッフが出迎えてくれた。
てか、僕は透明人間になったのかと思うくらい、誰も僕の事を見ようとしなかったってのが実際だ。
「当ホテルは、お車(勿論高級車、カローラ駄目よ)でお見えのお客様専用、もしくはタクシーをご利用のお客様が1階エントランスから入ってくるのです。電車に乗って2階から冬の寒い雨の日に歩いてとろとろとやってくるって、何か場所をお間違えじゃございませんか?うちは、東横インじゃございませんのよ〜、お〜ほほほ」みたいな視線。
チェックインが出来ないのでガラガラカバンから荷物を取り出してパソコンを使おうとごそごそやってると、またも「お客様、ホテルのロビーでカバン広げるような、お〜恥ずかしい真似はやめなよ」みたいな雰囲気でスタッフの若い女性が近づいてきて、
「お荷物お預かりしましょうか?」と、にっこり笑顔。まいったな、こりゃ。
そこでソファに広げたお荷物を畳んで渡して、荷物を預ける半券をもらう。「これ持ってねーと、後で荷物渡さねーぞ」カバンには名前札つけてんだから、もうすぐチェックインするんだから、見れば分かるだろと思うが、すでに横浜の気品に負けている山猿としては、黙って受け取るしかない。
「あの〜、ここ、インターネット使えますか〜?」って聞くと、チェックインもしてねーのに、何を生意気ぬかしてやがんだ、大体さ、おめえ、チェックインするような顔か?立場か?みたいな笑顔で、「はい、当ホテルは全館無線LANが通じております」と、胸を張って堂々と宣言する。
なるほど。早速ロビーでパソコンを立ち上げて無線LANを開く。すると確かにYGIH(横浜グランドインターコンチネンタルホテル、ふい〜、長い)と表示されてる。
そいつをクリックすると、パスワード入れろと出てきた。
「すみません、パスワードを入れろって出るんですけど」おどおどと聞いた僕に対して素敵な笑顔の彼女は、「貴様な〜、到着してたった15分で、どれだけあたしの手間をかけてんだよ〜」的な笑顔で、コンシェルジェデスクに戻って、ちっちゃなメモ紙にパスワードを書いて渡してくれた。
てか、無線LAN使うってんだから、その時点でとっととパスワードよこせよ。
して、その紙に書かれたパスワード、[ Inter-Conti ***]を入力する。
「違うぜ、べいべー」と、速攻ではねられる。くそ、サーバーにまでバカにされてる。
再度、大文字小文字を確認しながら入力。
「駄目だっつってんだろ〜よ、聴こえねーのか、このタコ!」と、またも返される。
恥をしのんでまたも、まるで僕がまたバカをするんじゃないかと腹の中が期待感一杯の彼女に声をかける。
それまでコンシェルジェで肩肘ついてる女性スタッフと大声で「じゃんじゃん〜」とか世間話をしてた彼女、おしゃべりしてた女性スタッフににこっと笑ってから、こっちにやってくる。
「あの~、パスワードが入力出来ないんですけど?」
「大文字と小文字があるの、ご存知ですか〜?」だってさ。クビ〆てあげましょか。
「おっかしいですね~、皆さんこのパスワードで問題なく入力出来て、誰でも〜使えてるんですよ」“おっかしい”と“誰でも〜”を太文字で協調しながら、彼女が操作する。
やはり駄目、じゃんじゃん。
彼女、ここで初めてびっくりしたようで、ちょいとびびり出す。でも、そこは横浜じゃんじゃん、簡単に負けを認めない。
「お客様〜、このパソコン、海外仕様ですよね、何か特別な設定がされているんじゃないですか〜?」
ちゃうし。日本の東京の真ん中で買ったし。ば〜か、ばかかか!
そのうち彼女、関係ないアイコンをバリバリ開きだす。おいこら、そこは設定変更の画面だろ〜が、さわんな、ぼけ!と優しく僕は彼女に話しかけた。
「あの、たぶんパスワードが違ってるんじゃないですか〜?設定の変更の問題じゃないですよね(大体そこ、フォントの変更だし)」
彼女、段々びっくりしだして、声がびびりだして、
「う~ん、おかしいですね~」とか言いながら、急に何かに気づいたように、俺の右横から割り込んで体を乗り出してパソコンをまるで俺から庇うようにして、何かキーを入力し始めた。
[ Interconti*** ]
再確認のパスワード入力でも
[ Interconti ***]
「あら、どうやらつながりましたわ」見えない汗を拭くようににこっと笑った彼女、どうやら隠しおおせたと思ってるようだ。
パスワード、間違ってましたね。Interとcontiの間の横棒、不要なんですね。
場~~~~〜〜〜〜〜〜かやろ〜〜〜〜〜〜〜〜!
温和で喧嘩嫌いな僕は、にこっと笑って
「ありがとう」
これが昨日の一連のパソコン事件。
でも、それ以外にもサービスの内容が、ちょいちぐはぐ。要するに、泊り客に対して「お前がやれよ」的な雰囲気なのだ。
例えば。いつものようにホテル間移動の為の宅急便(送り状とガムテープ)を依頼するのに、2階(ロビー階)にあるコンシェルジェに行く。そこには、昨日、他の客の雰囲気も無視してアメリカ人と大声で英語で喋って喜んでた、バーコードのおっちゃがいただ。Novaでも通ったのか?
昨日のアメリカ人との会話ってのを一応言っておくと、チェックイン出来ずに喫茶店でお茶を飲みながらパソコン使いながらその会話を何となく耳に入れてた僕は、アメリカ人のお客が何回も彼に向かって「お前、分かってんのか、俺が言ってること〜」とか「お前さ、分かってないだろ、わかんないだろ?」と呆れたように言うのを聞いた。
その度にバーコード、「いやいや、大丈夫、分かってるさ〜」と、質問と違う答を返してる。
客が聞いてるのは、「みなとみらい21(横浜ではMM21と略すらしい、じゃんじゃん)でさっき買ったズボンの長さを補正したいんだけど、そんなの出来るかな、アメリカでやると仕立てが下手でさ。嫌なんだよね。でも明後日出発だから、間に合わないんなら、アメリカに送ってもらってもかまわないけどね」である。
これに対してMrバーは、最初は洋服店がどこにあるのかと聞いたようで、パンフレットを出して店の説明を滔々(とうとう・長々しいって意味)と始める。これに対して米人、分かってねーだらお!とやり返す。
次にMrバーは、「日本で買った服を郵便でアメリカに送ったら、免税にならないかもよ」と言い出す。
「違うから〜!そんな事、聞いてないから〜!」アメリカ人、少しいらいらした声になる。
アメリカ人、諦めた様子で、もう一度身振り手振りでいちから説明する。
やっと理解したMrバーは、早速補修屋に電話をして「インターコンチネンタルグランドホテルでございます」と、こんな長いホテル名を、舌も噛まずに発音する。
受話器に向かってにこっと笑い、「いやさ、今ここにアメリカ人が来ててさ、服修理してくれって言ってんだよ」
Novaで英語勉強したのが、そんなに嬉しいか。
コンシェルジェとは何でも屋であり、お客の要望は、観光であろうが食事であろうが、部屋の必要な物であろうが、何でもやるのが仕事。だからこのアメリカ人への対応は、コンシェルジェとしては正解、良いのだ。
問題はその翌日である。
このMrバー、僕がコンシェルジェで「宅配便〜」と言った瞬間に、「お、こりゃ俺の仕事じゃね〜な」とばかり、にこっと笑って「はい、それは1階にございますベルキャプテンでお受けしてます」だって。
おいおい、部屋の電話の横には「ベルキャプテン、コンシェルジェ、ルームサービス、すべて右側のボタンのどれかを押せばつながります」となってるよね。どこでも、Onestopでサービスできるって意味だよね。
要するに、ここまでやってきた僕に対して、お前が間違ったボタンを押したんだよ、藻一度最初からやれよ、2階から1階に降りるなが〜いエスカレーターを降りて、だだっぴろいロビーを横断して、そこのスタッフに最初から説明しろよって言ってるんだな。
おめ〜さ、昨日は白人相手に高らかに嬉しそうにでたらめな英語喋ってて、挙句の果てには「きみ〜、アメリカの、どこから来たの〜」なんて無駄花してたのに、日本の田舎から来たのは相手にしないのかよ。
てか、同じ事を電話で依頼すれば、部屋まで全部持ってきてくれるよね。そっちの手間を省く為に朝食の前に寄ったんですよ、こちらは。
それ以外にも、細かな点で「お前やっとけよ」的な対応が目立った。
実際に、泊まってる日本人のお客も、博多弁丸出しのおばあちゃんが、ソファにちょこんと正座してるし、安いパックツアーのバッチ着けた団体が、がやがやしながら歩き回って、雰囲気は決して良くない。
ホテルの朝食のなだ万では、お会計のカウンターの後ろに丸出しで「旅行会社の安いパック向けの食事内容はこれだぜ、余計なもんは食わせるなよ」とマニュアルが広げられている。社内マニュアル、客に見せる必要、ないでしょ。なんたら受験生向きの旅行会社のパックツアーまで受けているようだ。赤ペン先生って、パックツアーの名前か?
多分、ホテル側も客質の悪さに、「こいつらの面倒をまともに見てたら、そのうち「けつから飛び出した痔を押し込んでくれ」とか「朝までおしゃべりにつき合え」とか言われるんじゃないかとびびり、あえて線を引いてるのかもしれないな。
一番印象的だったのは、いかにもこのホテルに着任しましたって感じで経営陣って感じの西洋人が、ちょうど僕がチェックインする時に、数名の取り巻き日本人スタッフからホテルに関する説明を受けてた風景だ。
見かけ格好良い西洋人が、ロビーの雰囲気をしっかり睥睨(へいげい:見下ろすように周囲を見渡す)しながら、取り巻きの日本人が英語で説明するのを聞いている風景を見ると、ああ、明治維新か昭和20年かって感慨を受けた。敗戦って、こういうのを言うんだねって、何か実感として感じた。
朝食のなだ万。生卵は出さない。外資か?朝食はまともに食えば2千円以上するのだが、小鉢はいろいろあるのに、僕の大好きな海苔がない。
海苔は別料金、100円、納豆が320円、オレンジジュースが360円。かと思いきや、この値段には消費税が入ってないから、更に5%上乗せ。
生卵ありますか?って聞くと、「こら、そんな下品なもん、食うんじゃねーよ、野蛮人」って感じで、うちには置いてありませんとくる。
仕方ないからオレンジジュースを追加で注文すると、さきほど市販のジュースの缶を開けましたって感じの、ちっちゃなコップに入った苦いのが来る。
いつもオークランドで防腐剤の入ってない新鮮なAramoジュースを飲んでる僕からすれば、苦味があって美味しくない。
何より、お客は3組しかいないのに、ジュースよりも堂々と、名刺サイズの分厚いチップみたいなプラスティックの札をテーブルの上にぽんと置いて「おい、帰りにはこれを見せて金払えよ」だって。
一体ここ、ナンだよ、大衆食堂のランチタイムか?スキー場のバフェットランチか?
ご飯はお櫃に入って出てくるし、おかずも先付け、煮物など6品くらいでるけど、どれも、朝から食いたいとは思えない。海苔と生卵と味噌汁で十分なのにな。
イメージからすれば、外資が彼らの論理でビジネスを持ち込んで、地元のじゃんじゃん連中がそれに反発して、一応外資のいう事聞いたふりして顧客に対応して、それでクレームが続出したら、外資に「ほ〜ら、お前らの論理は通らね〜んだよ、生卵は日本文化なんだよ!」って流れではないか。
まあ、どっちにしても感じたのは、顧客無視、内部喧嘩の真っ最中ってとこだ。
そういえば、一年ほど前の東京ウエスティンホテルでも、そんな感じを受けた。ボスが変わると、そこには当然批判する連中と腰ぎんちゃくになる連中がいる。両方とも、お客を見てない。その狭間で一生懸命お客に向いて仕事をしている人ってのは、辛いものだ。
このホテルのスタッフ全員が胸に「YokosoJapan(ようこそジャパン)」のバッジを付けてるのは、ここが小泉さんの地元だからだし、ダサい日本人じゃなくて、西洋人さん、もっと来てよって意味かな。
しかし、Jさんご指摘のように、一番ばかなのは、新横浜駅で約束しているのに、MM21にホテルを取った僕である。
横浜、まだ続きます。
2008年01月24日
横浜
なんじゃこの、新横浜駅からみなとみらいまでの遠さ!
朝9時に新大阪を出て、横浜に近づく頃には車窓から見る雪が激しく振り、おお、びっくり!
とか思ってたら、新横浜に到着。そこからが結構大変で、荷物を持って新幹線駅から在来線の横浜線?に乗り換え、でもってそこからエスカレーターを上がったり下がったりしてみなとみらい線へ。
でもって駅を降りたら、こりゃもう天国まで繋がってますねってくらいのすんごい長いエスカレーターに乗る。正直、手すりを握っておかないと、怖くてたまらないくらいだ。ひえ〜。
それからいくつものビルがひっついた、これまただだっぴろい広場で、今晩投宿のインターコンチネンタルホテルを探すが、どこにあるか分からん。
パンパシフィックホテルとか、あっちに行けばなんちゃらビルとか、随分たくさんの方向指示器は出ているのに、僕にとって一番必要なインターコンチが、ないのだ。
仕方ないので、あっちいったりこっち上ったりしながら、遂にホテルがちらりと見えた!
のはよかったのだが、あそこ、2階から入るようになってたのだが、普通の広場にひさしを作ってるだけなので、その日の雨にしっかりふり込まれてしまい、おまけに最後の10メーターは、ひさしがない!
結局がらがらとぬれた荷物を引っ張りながらホテルに入ったが、なんじゃこの距離感。新横浜からみなとみらいまで、約1時間かかったぞ。
このホテルを選んだ俺がバカなのか、アクセスなんて考えずに、自家用車で来る客だけを考えて作ったホテルがバカなのか?
全くもう、「横浜、たそがれ」である。時間が早かったのでチェックインが出来ず、ホテルの喫茶店で無線LAN(これも、繋げるまでにホテルのスタッフと10分くらい格闘、簡単に繋がるはずが、簡単でなかったのだ)を使って仕事をする。
ところが今度は、メールの発信が出来ない!
全くもう、今回のホテル選びはまいったな〜。頭の中では、新横浜駅と横浜駅とみなとみらいは、クイーンストリートの中に全部納まるって感じだったもんな。
夕方、新横浜でお客様と面談、冷たい雨の降る中、最近発達中の新横浜で会食。横浜の発展の様子等をお伺いする。
ふむふむ、横浜と言い神戸と言い、今回は実に地理の勉強になりました。
写真はホテルの喫茶店から見えたPIER21って桟橋。シーバスで到着した高校生が3人くらい、強風の為にひっくり返る傘を押さえながら、建物に入っていった。
2008年01月23日
食い倒れ
L
「香港に行った時にですね、エロって言われるんですよ、僕の名前」
「え〜、そんな事ないですよ〜、それって思い込みじゃあないですか〜?」
神戸の仕事を終わらせて、お客様グループとびっくり!するほど美味しい焼肉レストランを一緒にした後、大坂駅前に投宿した。その時の朝のテレビニュース(要するにお笑い番組)でトークをやってたあるタレントが、女子アナとそんな会話をしてた。
彼がLなのかIなのかそんな事も知らないし、だいいち彼の顔も今回初めてって感じなので、彼が日本でどれほど売れてるタレントなのかもよく知らない。
ただ、東南アジアでも人気のタレントと言う設定なので、一応そうなのだろう。
最近のニュース番組がお笑いになってるのは事実だし、マスコミの知識がどんどん低下して、殆ど白痴状態に陥ってるのは多くの人々の知悉するところだが、Lがエロになっているのだけは、このタレントが正しい。
香港では、L(エル)をエロと発音するのだ。
他にもZ(ジーまたはゼット)の事はイ〜ゼ!と発音する。
最初はこれにびっくりしたものだが、日本人がLとRの発音の区別がつかず、VとBが同じ音になるのと同じで、香港で普通に学校教育を受けると、どうしてエロって言ってしまうのだ。
そういう事実を知らないテレビ局の放送作家かもしくはプロデューサーが、これは面白い、エルをエロと聞き違ったこのタレントが、頭の中に妄想でエロがあったんだなと筋書きを書いたのだろう。
誰がやったにせよ、筋書きを作る際に一本香港に電話をすれば事実確認は出来るのだ。何でその手間を省くのか?
お笑いだから何をやってもいいっちゃいいんだろけど、知識のなさと仕事に対する取り組みの甘さが滲み出てくる、ある意味悲しいお話でした。
その夜は大坂でお客様と食事だったが、食事中、ちょいと選挙の話を聞いて見た。
「今回の府知事選、皆さんはどんな感じで受け取ってるんですか?世直し選挙?」
「いやいや、大坂の人は選挙なんて全然気にしてませんよ。誰に入れても同じですから」
「でも、ただでさえ倒産しそうな自治体で、バカみたいな箱物(WTC)なんか作ってる金は大坂の人が負担しているわけだし、政治が悪くなればその分府民の支出は増えるわけですよね?お店でモノを買う時は恥ずかしげもなく“なんぼや〜、もっとやすうせ〜”と言うのに、何故、一番大きな支払いである税金は気にしないんですかね?」
明確な答を得ることは出来なかったが、たぶん大阪では、道端でモノを売ってる人には値切るけど、お役人相手には何も言わんという、要するに日本の税務署と同じで「取れるところからは取る、取れないところからは取らない」って事で、政治がカネの無駄遣いをするのはOKだし、府民は黙って税金払いますよと言うことだろう。
俺も大坂で政治家するかなって、ふと思ったが、すぐやめた。そんな世界には、いくらカネがあっても染まりたくないもんな。「目くらの世界では目明きがかたわ」と言う、今の時代では差別用語連発!とか言われそうな諺だが、カネがなくても目明きの世界で生きてるほうが幸せだ。
まあ、政治については他の街も似たりよったりかもしれない。一応民主主義なので「もうすぐ選挙ですよ〜」とは言ってるが、実際には在外選挙をやりにくくしたり、選挙に行かなくても罰則はないし、行く気にさせない雰囲気を作って、既存の政治家や圧力団体に有利なように仕向けている今の日本だから。
写真は大坂名物食い倒れ。市民が下向いてたこ焼き食ってるうちに、大阪府はふんぞり返って税金食ってる。まさに役人天国。こりゃ本当に食い倒れるかもしれんな。
2008年01月22日
明石焼き
日曜日の夜に個人面談を終わらせて、新幹線で東京から神戸へ移動。何故か頭の中で「神戸〜泣いてどうなるのか?」てな歌詞がくるくる回ってる。
その日は結局ホテルに着いたのが夜の10時過ぎで、さすがにくたっとしてバーにも行かずに寝たのだが、翌日は早朝から爽快に起きて朝ごはんを食べにレストランへ。
この日はお客様の事務所があるビルと棟続きという事で神戸ベイシェラトンホテルに投宿。六甲アイランドと言う島に作られたこのホテルは、大坂駅前のカールトンホテルのような便利さはないが、翌日の面談を考えれば都合は良い。
お客様からは、新神戸からタクシーに乗るよりも大阪駅から来た方がずっと近いですよと言われてたので、その気で新大阪駅からタクシーに乗った。
「すみません、神戸のシェラトンホテルまでお願いします」
白髪の関西弁のおじいちゃん、運転席に座ったまま暫く頭を左右に振ってから、おもむろに
「それ、どこでっしゃろ?」
「いや、あの、神戸ですけど」
「そりゃわかっとります、どこの高速出口で下りたらいいんでっしゃろな〜」
「いや、僕らも初めて来るので、分かりませんよね?」
「そうでっか〜、んじゃ、なんてホテルでしたっけ〜?」
かなりその時点で呆れたが、これは最近のタクシー事情?ってか、道を知らずに運転するな!
「神戸ベイシェラトンホテルです」
「べ〜?」
「湾のことです、ベイ」
「碗?」
「もういいです、ちょとパソコン開いて住所確認しますから」
タクシーの車内からホテルに電話をして高速の降り口を確認したが、その後も一般道を走りながら、「運転手さん、ここ左!」とか「あ、ここから右折ですよ〜」
遂にホテルに入り口を見つけた時は、運転手さん、「お〜、これでっか〜」だって。
てな珍道中から始まった神戸行きだったが、ホテルのロビー自体は結構きれい。このイメージ、以前に泊まった静岡のホテルとなんか共通点がある。
ロビーなどはしっかり作りこんでいるのだが、部屋がせこい。例えば有料テレビは1000円でエレベーター横に置いてあるカード買ってねとか、スイートでもないのに何故か部屋の中に更に一枚ドアがあって、その分部屋を狭くさせてるのに気づこうよ。
服を入れるクローゼットが、薄っぺらい板と金属で作ってるから、でもっておまけに蝶番のばねが強いのか、軽く扉をしめたつもりでも、ぱっか〜ん!って大音を立ててしまう。
そしてテレビ!今時、キャビネットの奥にしまいこんでてま正面からしか見えない作りってどうよ?キャビネットの中に入れる形式なら、表に引き出し出来るようにしてもようないか?
または最初からキャビネットにいれずに台の上に置いてれば、こっちで勝手に回して好きな場所から見れるのにね。
そんなこんなを思いながら、翌朝のレストランに行く。
ホテル1階の、広々としたスペースに高い天井の、雰囲気の良いテラスレストランだ。
バフェット形式(ちなみに、日本の多くのレストランはバイキングと言うが、あれは和製英語。カークダグラスの映画観て、ある日本人レストラン関係者が思いついた名前と、どっかのネタで聞いた)のレストランに座ると、早速日本茶を注文してから米探しにいく。
そこで最初に見かけたのが、この、茶色で丸くてこんがりしてて、たこ焼きじゃんか!って写真。
そうそう、神戸なのだ、ここは。だから、たこ焼きではなく明石焼き。門外漢の僕は詳しくないが、たこ焼きとは別の料理だそうだ。
今川焼きと回転焼き、おにぎりとおむすび、そんな事を思いながら、お品書きの横に書いてある「正しい食べ方」にしたがって、少しの出汁をかけて海苔を振ってぱっくり。
朝から明石焼きですか〜?とは思いながらも、これが意外とうまい。そとは「かりっと」ではなくふわっと、中身とろりの小麦粉に、中心部にひそかに隠れているたこがゆいいつ固形の歯ごたえがある。
このたこが明石で取れたかどうか?明石で毎日捕れるたこの総量が、この地区で「明石焼き」と呼ばれて販売されているたこの総量より多いかどうかは別にして、それなりにうまいのだから文句はない。
レストランには一人でメシ食ってる西洋人が目立ったが、彼らは明石焼き、食べるのかな?そんな事を思いながら、神戸で仕事開始!
2008年01月20日
認知症
第27回説明会終了
今回から説明会の内容を少し変更した。
今までは移住、起業に関する案内を中心にしていたが、今回からは最近問い合わせが急激に増えた不動産、外貨預金の案内を新たに追加した。
集まったお客様は24名、例の如く30代前半の、これからニュージーランドに移住して就職しようとする人々と、自己資産の海外投資を考えている人々だ。
2時間の説明会終了後、すぐに場所をウエスティンホテルに移して個人面談を行う。
4件の個人面談を終了させ、17時前に品川駅に移動、新幹線で神戸に行く。
神戸のホテルに着いて一息つくと、何か疲れたな〜と思ったら、あれ?今日は説明会と個人面談したじゃんかと、ふと思い出す。
俺は認知症か?
最近益々、側頭葉が弱っているのか?
等と思ってたら、ちょうどテレビで認知症の問題を、舛添大臣を入れて特集していた。いやま、今の日本は大変だ。
核家族化により切り離された大家族は、今になって年老いた両親の面倒を見ることになり、認知症本人も大変だが、介護をする方が「一日も休む暇がない。もうぎりぎりだ」と悩むことになる。
それに対して「予算の問題」とか「制度の問題」とか言いながら、結局決定的な解決策を提示することが出来ない。
実は解決策はあるのだが、政府としては、自分の痛みではないので放置、である。
簡単だ。今のニュージーランドのような老人介護システムを導入すればよいのだ。
リタイアメントビレッジを導入、民間企業による運営、更に元気な老人が介護の必要な老人を見るボランティアの仕組みを作ればよいのだ。
ただ、それをすると、様々な既得利権が大きく動くことになる。また、新たなシステムを導入すれば、役人はゼロから仕組みを創り上げなければいけない。
そんな事をやってしまうと、ただでさえ年金の誤魔化しの後処理で大変なのに、もっと仕事が増えてしまうのだから、やるわけがない。
もっと言えば、役人にとって自分たちの利権に繋がる現在の制度のおいしい部分がなくなるし、行き慣れた天下り先もなくなるのだから、こりゃ大変だ。
困っているのは老人を抱える民間個人であり、俺たちには関係ない、じゃあ現場で困らせておけ。知ったことかい。
でも、そんな本音は言うわけにはいかないから、「え〜、日本古来の習慣では、親の面倒は子供が見るのが当然なので〜」等という考えをマスコミを通じて世間に流し、親の面倒を見ない子供を、親不孝みたいな立場に追い込む。
ニュージーランドでは、元々教会が主体となってリタイアメントビレッジを運営してきた。老人ホームではないので、入居に大きな負担はない。
それが1990年代後半から、政府の主導によって民間企業として運営するように政策変更された。教会がボランティアで運営するよりも、民間企業が利益を追求する中で自由競争を発生させて、リタイアメントビレッジの運営効率を高めよう、サービスの質を向上しようという考えだ。
認知症に限らず、現在の日本は官製不況と呼ばれている。建築不況等はその際たる例であるが、とにかく今の日本を駄目にしているのは、戦前のシステムにしがみついている官僚と、何もしない政治家である。
しかし、そのような政治家を選んでいるのは国民であることも事実だ。
自分の国を自分の責任で良くしようとする国民は、その恩恵を受けられる。そうでなければ、それなりの結果しか得られない。
誰もが人間らしく生きていける国、そんな国は、自分で作るしかない。
2008年01月17日
天国と地獄
今日から日本。
オークランドから東京まで直行便があるのだが、仕事の都合もあるので、時間はかかるし乗換えで香港に一泊することもあるが、いつもキャセイ航空で往復している。
香港では、主にお客様の口座開設を手伝ったり、香港に置いてる会社の手続き等をしたりする。
そういえば、去年の10月に日本の当局からHSBC等に「日本人の口座開設ツアーは受けないで欲しい」と言う通達があり、日本に支店を出している銀行はそれに従わざるを得なくなったそうだ。
まあそれは、ジャの道は蛇だし、上に政策あれば下に対策あり、どうにでもなるのが香港だ。
こういう僕の発想は、日本人からすればぶっ飛んでいると時々言われるが、僕からすれば、ぶっ飛んでると思ってる時点で日本人は国際競争から遅れて負けているんだなと、悲しい思いで再認識するばかりである。
僕にとっては飛行機に乗っている時間は、とても楽しい。好きな映画を観て、本を読んで、好きな酒を飲んで、面倒な電話もかかってこないし、誰も話しかけてこない。
今日は機内で浅井隆氏の最新作「天国と地獄」を読む予定。
この人の書いた「日本が駄目ならニュージーがあるさ」を、4年くらい前にニューヨークの本屋で10分くらいで通読した。あまりに本屋さんに申し訳なかったので、他の文庫本を余分に一冊買った。
実にくだらない、内容の薄っぺらい本であったのを記憶している。これが本になって、それを読んだ人がニュージーランドに来るのかと思うと、誠に呆れた記憶がある。
ほかの事は知らないが、ニュージーランドについては、間違いなく僕のブログのほうが読者にとっては知識になる。
偉そうに何をと思われるかもしれないが、僕自身ずっと文章を書いてきた人間なので、肩書きを抜きにすれば負ける気はしない。
今回はたまたま、ある仕事の打ち合わせで浅井氏の名前が出て、偶然僕は日経ビジネスの書評で彼の最新の本を知り、彼がどれほど変化したのか興味があって一週間ほど前にamzonで取り寄せてたので、丁度良い機会、普通ならカバンに入れない新書を放り込む。
さてさて、どのようなことを書いているか、興味津々。新聞記者の息子が見る浅井隆ってタイトルで、次のブログがあがります。
写真は、クイーンストリートに最近目立つタバコの吸殻。ごみは目立つのかな〜。
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2008年01月16日
スタバではグランデを買え
最近は「素人向けの経済解説本」と言うことでこの手の内容が出回っている。「さおだけ~」もヒット作品となったし、経済の素人に経済を少しでも分かってもらおうってのは良いことだと思う。
ただし困るのは、こういう本を読んでそのまま本当にグランデを買う人々だ。
ショートよりグランデの方が飲み物の量的費用として安いのは分かりきったことだ。
ペットボトルも同じ理屈で、500mlよりも2Lを買った方が、100ml単位で計算すれば安いのは分かっている。
ただ、そこには単純な合理性だけではなく、他の判断要素が常に含まれている事を知る必要がある。
「そんなにたくさん、もったいないわ、私、ちっちゃい方でいいです」
「コーヒー、そんなにたくさん飲んだら気持ち悪くなるよ」
勿体無いという視点は、ミクロの経済合理性とは全く違った、例えば資源と言う基準で図るので、たくさん売れば儲かると言うメーカーやお店の経済理論は通用しないのだ。
気持ち悪くなるってのも同じで、良いものでも飲みすぎると健康に良くないってのは分かりきったこと。
米国人の肥満を見れば良く分かる。コーラの1Lビンをがぶ飲みしていけば、そりゃ病気にも肥満にもなる。
このように、グランデのビジネスモデルを語るのもそれなりに合理性はあるのだが、人間はメーカー側が持つ経済合理性よりも、自分の基準で物を買うと言うケースがある事を同時に教えないと、どっかの国の官僚みたいになる。
どっかのよいとこ大学でどっかのマクロ理論とかミクロ理論とかの経済をいくら勉強しても、勿体無いとか健康志向とか、そういう現場の知識は見えてこない。
こういうのは、一つ一つの理屈は正しいが、合計すると問題が発生すると言う、合成の誤謬と言う。
そして、子供の頃から世間に触れることなく受験勉強で大学卒業、そのまま官僚になったような連中は、実際に世間に触れることなく生活をしている。だから、学校で習ったミクロ理論がそのまま社会に通用すると本気で信じている。
これを、世間の言葉では「机上の空論」と言う。振り回されて迷惑なのは国民である。
素人でも経済が分かる本は、初心者への啓蒙本としては良いと思うので「スタバではグランデを買え!」も、売れてもらいたいとは思う。ただ、ミクロを机上で学べば、次には、経済の合理性に人間は従わないと言うマクロな現実を、現場社会で学んで見ればよいと思うのだが。
写真はタカプナにある豪邸。ビーチまで歩いて1分。最高のりっちだ。
2008年01月14日
働くキーウィ
キーウィはなまけもの、そんな話が日本人の間では定説のように言われるが、僕が移住してきた20年前から今まで、僕の知ってるキーウィはよく働く人が多かった。
家庭を顧みないって意味の働きではなく、家庭は大事にするけど、神様との労働契約だもんね、そんな感じで仕事をする人々だ。
そんな記事が今日のNZdaisukiで掲載されてた。
元々移民としてやってきた白人は、敬虔なクリスチャンであり、労働を義務と考えて、誰に押し付けられなくても、一生懸命働いた。
ただ、そのような働き蜂は、キーウィ社会の中で良く働き、仕事が終わればすぐに自宅に帰って家族と過ごすので、一般的に日本人と知り合う機会はそうない。
昼から麻薬吸って、夜は市内のバーでアジア人女性を引っ掛けようとしている連中ばかり見てれば、そりゃキーウィは働かないなと思うだろう。
だが、シティでもきちんとネクタイして働いてる人たちと付き合うようになれば、考え方も随分変わるだろう。
ただ、働き者とワーカホリックを一緒にしては、話がごっちゃになる。
例えば日本の商社マンなんかのワーカホリックがキーウィビジネスマンを見て、彼らがワーカホリックじゃないから「働かない」ってのと、上記の”らりった”キーウィを見て「働かない」と言うのは、同じ言葉を使っていても示すものが違うって点を理解しないと、この国の労働状況は分からないと思う。
一生懸命働くけど、でも家庭が大事ってのが本来のバランスの取れた生き方ではないかと思う。そして多くのキーウィはそういう生き方を実現していると思う。
だから、人々の顔が豊かだし、他人に対する思いやりも持てる余裕がある。そう、お金はないけど心が豊か、マインドリッチな国ってのは、それだけで住むに値する国だと思う。
と、先週からワーカホリックのように働いている僕が言いました、まる。
あ、そうだ、NZdaisukiの記事の最後にアンケートがあり、「3個以上当てはまる人はワーカホリックですよ」ってのがあったので、お時間のある方、やってみればどうですか?
2008年01月13日
タカプナビーチ
先週はずっと投資家グループのお客様がオークランドに来ており、毎日そのアテンド。
最終日は遅くまで飲み、お客様に迷惑をかけた。ごめんなさい。
あんまり家族と過ごす時間がなかったので、週末の日曜日はりょうま君を連れてタカプナビーチに行く。
自宅から15分で行けるビーチだし、ピーカンに晴れた日曜の午後だってのに、ビーチ沿いの無料駐車場を一発で見つけて、車の中にケータイ、財布、着替えを放り込んで、男二人で水着姿でビーチに行く。
沖縄のような綺麗な海ではないけど、のびのびと過ごせて楽しい。
考えて見れば、NZのビーチでは「海の家」もないし「レストラン」もない。とにかく道路沿いにビーチが広がってるだけで、公園の芝生は市役所によって管理されているが、それ以外は全く何もない。
勿論ビーチから歩いて5分でタカプナの街に出るので、そこにはカフェ、レストラン、何でもありだから、例えて言えば銀座から歩いて5分の汐留に、誰でも車を無料で泊められて誰でも自由に入れて、日曜の午後をビーチタオルを広げて芝生の上でのんびり出来る、なのに、そのビーチ自体は物売りが居ない状態。
そうだ、汐留の浜離宮を開放して、目の前の海からすべてのタンカーを追い出して緑の綺麗な海にしたような状態だ。
1時間ほど海で遊んで、二人でビーチサイドの芝生の横にある簡易シャワーを、お互いに水を引っ掛けあいながら遊んだ。
写真があれば良いのだが、ケータイカメラを車の中に置いてきたので、残念。
その次はシティのシビックシアターにあるタイムゾーンに遊びに行く。
駐車場は会社の月ぎめ契約の分があるので、そこに泊めてから2ブロックほどのんびりと歩く。
ここはかなり新しい機種の揃ったゲームセンターで、グレンフィールドに比べて4倍以上の広さがあるので、ますます楽しい。
ここでも1時間ほど、新しい機種を二人でバンバン撃ち合って遊ぶ。ゲームセンターの機種は、初めての人でもすぐに馴染めるように、PSなどのような複雑な操作がないものが多い。
任天堂がゲームの世界でwii等で快進撃であるが、そこの社長が言ってた。
「あってもなくても良いような僕らの会社では、いかに楽しいかが勝負です。技術者が自分の技術に拘って作るゲームは、複雑にばかりなっていって、結局素人に飽きられます」
wiiが売れているのも、ゲームとは何かを徹底的に顧客視線で追求した結果だろう。単純だけど飽きない。
今日のビーチは、単純だけど、いつでも行けるし、飽きない。大体、車も無料、ビーチでもお金を使う場所はない、有料道路もない、結局1時間、1ドルも使わなかった。
ゲームセンターでは、ゲーム費用はかかるけど、橋を渡るのも無料だし、駐車場は日曜なら結構あちこち無料で泊められる。
なんてか、お金のかからない日曜日だった。東京でこれだけやったら、随分カネがかかるだろうな。
先進国の一員でありながら主要な通貨にも入っておらず、給料は西洋諸国の中では一番低い。遊ぶ道具も少ない。
それでも、タカプナビーチにいた人々の顔はのんびりとしている。
NZはもっと税金を使ってインフラ整備をした方がいいなんて書いてた人もいたが、どうかな。税金が安くて道路が無料で、インフラ整備って誰の為にやるんだ?国土が鉄筋コンクリートに囲まれるのが良いことだと、本気で思っているのだろうか?
インフラを整備して綺麗な国になって、それで給料は上がるかもしれないけど、ストレスが溜まって残業が増えて、日曜も仕事をするようになり、シドニーのように誰も笑顔を見せなくなるのが発展と言うなら、ないほうがましな気がした日曜日だった。
2008年01月10日
ごとん
全くの偶然だが、3日前に書いた「テレビがテレビでなくなる日」の先鋒が、遂に実現化しそうだ。
昭和の時代のテレビとは、誰にとってもテレビ局の番組とそれを家庭で放映する受像機が「つがい」で存在していた。
1980年代にビデオが出回るようになり、これが受像機の立場であったテレビを、放映器械と生まれ変わらせた。見たくない広告は見なくてよいのだ。
グーグルと松下が提携、ビエラからYouTubeにアクセス
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20364334,00.htm
だから、ビデオが出回った時に、テレビ映画業界では大変な論争になり裁判沙汰にまでなった。しかし結局国民の利益と一部企業の利益を比較すれば、国民の利益が優先するのが当然であり、ビデオは正式に導入された。
その後も著作権と言う権利を、著作権者である作家や製作者から契約で合法的に奪い取っておいて、レコード会社やテレビ会社が著作権を訴えるようになったが、これも本来はおかしな話。作った人の利益を守るはずが、作った本人から安く権利を書い叩いたレコード会社が利益を得るのだから。
その後、著作権問題は一時下火になるが、最近のyoutubeで再度著作権や財産権の議論が再燃していた。
そんな中、松下電器は来年から米国で売り出すVieraに、youtubeを見ることが出来る機能を取り付けると発表。
おお、すげーな、こりゃ。今までは二人三脚でテレビ局とメーカーが活動していたが、もうこれからは付き合っていけねえよ、松下はメーカーとして、独自にやってきますって宣言だ。
Youtubeをテレビで見れるってのは、つまりテレビ側に操作機能が付与されて、限りなくパソコンに近づくって事。そうなると、パソコンに引いてた人でも、安心してyoutubeを見るようになる。
Youtubeにuploadされたデータを、テレビの画面で見る。そうなればもう、これからは「お、月9だ、見なきゃ!」なんて必要はなくなる。ちょっとした番組ならyoutubeで、長い番組なら広告を飛ばせるビデオかハードディスクに録音しといて、後で自分の見たい時間に見ればよい。
そうなったら、一体誰が広告を見る?
時代が、あふぉを取り残して、ごとんと音を立てて動き始めたような、爽快なニュースだった。
2008年01月09日
バービー!
そういえば去年の仕事納め、12月21日の事である。
午後になり、ビルを出入りする人々の顔も段々緩くなり、当センターも今日は最終日なので、ちょっと早めに終わって、軽くビールでも飲もうかと言ってた午後3時過ぎ、突然火災報知機がなった。
その20分くらい前から、何かおかしいな、ビルの中でバーベキューの匂いがするな〜とか皆で言ってた。
隣のオフィスを見ても誰もいないし、その隣のオフィスを見たら、逆に「オタク、バービー(バーベキューの略)やってんですか?」と聞かれる始末。
何かいや〜な予感がしたので、とりあえず身の回りを片付けて、いつでも退社出来る状態にしてパソコンをカタカタやってたら、案の定、「ジャジャジャジャー!」と、凄い勢いで火災報知機がけたたましく鳴り始めた。
そらやった、周囲では「うわ、サイテー、こんな時になるかよ!」とか「やべ、この仕事、やりかけじゃんか!」とか言いながら、バタバタと避難準備。
オークランドシティは、とにかくよく警報機が鳴る。ほぼ毎日、どころか、おそらく1日に1.5回程度は消防車をどこかで見かける。
ビルが古いってのと、警報機の感度が高いってのが大きな理由だろうが、最近出来た背の高いビルでも容赦なく鳴ってくれるし、銀行の入ってるビルでもガンガン避難させてる。ましてや昼食時のフードコートで鳴ることもあるから、火の取り扱いが大変だ。
ただ、このあたり、やってくる消防車に文句を言う人もいないし、こそこそと隠れて仕事をする人もいない。公共のルールだ、きっちりと守ろうって考え方だろう。
焼け死ぬまで仕事しても意味ないしね。
この日も結局30分くらいでビルに戻れた。最初は6階のテナントがバーベキューやったんだろ、あ、そういえばあの階は中国とか韓国のテナントが入ってたから、こちらの警報機の怖さを知らずにやったんじゃないの〜?とか、みんなでおしゃべりしてた。
どうもあのバービーの匂いはビル全体を覆ってたみたいで、皆異口同音にバービーの話をしてた。
そのうち、あきれたような顔の消防隊員が「はい、戻っていいよ」を指示を出して皆がオフィスに戻れたのだが、後で聞いたら10階に入ってるキーウィの会社がやった事だと判明。
罰金高いぞ、それにしてもキーウィ野郎のくせに、この街の火災報知機のこと知らんなんて、最近オークランドに出てきた田舎モノかい?
そんな事を皆でわいわいネタにしながら、うちのオフィスでビールとジュース、それに簡単なスナックで一年の締めをしました。
それにしても、こういう事が起こっても、誰も怒らないのが楽しいオークランドです。
2008年01月08日
Japan Passing
半分起きてる街
今朝は16日ぶりの会社出勤。ずっとジャケットも着ずに、海行ったりゲームセンター、ショッピングセンター、テーマパークばっかりだったので、頭がさび付いてないかと思ったが、何とか初日から活動好調。
それにしても、いつもと同じ8時45分過ぎに自宅を出たのだが、普段ならノースショアのオークランドシティ行き高速道路が大量の車で鈴なりにびっしりと渋滞しているはずのノースコートポイントあたりも、まるで平日の夜9時か、休日の朝のようなすいすい状態である。
僕らの感覚からすれば16日も職場を離れてたんだから早く職場復帰しなきゃと思うが、キーウィからすれば、まだまだ休み足りないのだろう。
丁度この時期はスクールホリデイにもあたり、1月末までどこの学校も休みなので、少なくとも来週まではこのがらがら状態が続きそうだ。
半分起きてる街ってのは、反対に言えば半分の人がまだ寝てる状態だから、街の動きもまだゆっくりしたものだ。その街を歩き始めてるのは、英語学校の授業が始まった学生が一番で、その次が、観光客、かな。それにしてもまだ、ゆったりとした空気が流れている。
年明けにちょっと気分転換と情報収集って名目で、夜の8時頃に街に飲みに出た。
行きも帰りも、いつもお願いしているタクシードライバーのKeith(彼は夜6時からしか働かない)に迎えに来てもらい、シティに向かう車内で年末年始の様子を聞く。
「売上、20〜30%ダウンだね、良くないよ、今年の正月は」
彼がぼやいてた。
「折角新しいフォード車を買ったのに、この時期こんなに落ちるんなら、今年になってから買えばよかったんかな〜」
などとぼやいてたから、逆に、
「それって良いことでしょ」
って言うと、へ?って顔をしたので説明する。
「つまり、日頃はタクシーのお世話になってた、オークランド居残り組みでさえも、今年は旅行に出掛けて不在って事は、皆の景気が良い証拠だよ、だから彼らが帰ってくれば、今まで以上に飲みに出るだろうし、お金を使ってくれる。つまり、2月からはビジネスが伸びるって事」
そういう分析をしたことがないのだろう、びっくりしたような声で、
「おお、そんな見方もあるな〜」
と、急に元気になった彼。
もう70歳過ぎてるのに、
「政府に余計な世話にはならん」
と、今でも最低のペンションだけ貰い、一人暮らしをしながら毎晩タクシーを転がして、自己責任で生きている。
景気の良いオークランドと、元気の良いオークランダー。
まだほとんどお客も戻ってきてない日本人経営の店に着くと、マスターと少し話しながら飲む。
「いやいや、今後どういう価格政策にするのか、どうやれば儲かるのか、よく分からんですわ」
「マーケットをアジア市場にして販売価格を上げて、その代わり女の子の給料を良くして、質の向上を図る。これでいくべきっしょ」
「そうは言っても給料上げても、ほんとに良い子が来るかどうか?」
「それを言い出したらきりがない。誰かが最初にリスクを取っていくしかないんだから。その代わりリスクを取れば利益も最大に取れるでしょ」
そんな会話をしながら、やはりしょぼくれている在NZ日本人市場にしがみつくことの怖さを感じる。
以前は飲みに来てた駐在員は、経費削減でどんどん日本に帰国。要するに、駐在員は、ただそこにいるだけで何も生産的なことをしてないから、あ、これなら現地人でもいいやって本社が判断した結果だ。
地元在住の永住者は、元々飲みに行くようなストレスもないし家族優先だ。それでも以前は、仕事関連の接待で使ってただろうが、最近では焼き鳥や⇒カジノ、くらいのものらしい。
それに比して、その晩のバーでも中国人や韓国人の姿が目立った。てか、あの晩は俺くらいかな、日本人。
年末のオーストラリア、そして年始のニュージーランドを見ながら、2007年は、5年くらい後に振り返った時に、オセアニアで日本人Passingが始まった年として位置づけられるのではないか、そう思った。
シドニーで商売をしている日本人ビジネスマンと、年末に偶然シドニーからオークランドに戻る飛行機で会ったのだが、その時に彼も同じような感想を漏らしていた。
もう個人の日本人じゃ、到底商売に手が出せないくらい市場が大きくなった。かと言ってバブルに懲りた日本企業は、その後の不況もあり、次々と撤退または縮小。おまけに資源を買う側だから、どうしても売り手に対して平身低頭ビジネスになる。良いことないよね。
こういう状況を変化させて日本人が復活をする為に一番必要なのは、国策である。もう一度明治維新のような、開国政策を取るべきだ。リスクを取って外に出るべきだが、今は政治は内向き、官僚は独裁、国民は生きることのみに一生懸命で、海外など見てる暇がない。
海外勢は次々と高成長の波を復活させる中、日本だけが小さくなっている。このままだと、本格的なM&Aが始まれば、次々と日本企業が外資に食われる。そうなって制度を整えても遅い。
昨日の情報激変の問題もしかりだが、これはすべて、国家が国民を愚民として放置したところに原因がある。
江戸時代からの「民は寄らしむべし、知るべからず」政策が、国際化という波の中ではもう通用しない、民はインターネットによって知る時代になったのだ。
丁度そんな事を考えていたら、日経ビジネスメールが届いた。今週のタイトルは「高成長に戻る世界と、取り残される日本」と言うタイトルだった。ふ〜。
まあ、俺ができることはたかが知れてる。自分の身の回りだけでも何とか守りながら、自分の子供をしっかり危機感を持った国際人に育てることだけだ。そっから先は、知らん。手がだせん。
2008年01月07日
テレビがテレビでなくなる日
今回のオーストラリア旅行で、21世紀の電波およびテレビ、テレビ広告に関する将来を描いた3冊の本をまとめて読んだ。
「電波利権」 これはいつもブログを拝読している池田信夫の作品だ。電波は本来どうあるべきで、現在はどう利用されているのか、その中に既得権益を守る新聞とテレビの問題が描かれている。
結局戦後の日本では、新聞社がテレビを傘下にして、その新聞業界のトップが政治家のトップと手を組み、その頃日本で問題とされていた左翼及び共産主義を防ぐ(防共)と言う名目のもと、支配階級からの一方的な情報提供機関として存在したのだ。
この構造により、日本国民は政府によって制御された情報しか入手出来ないから、その範囲の中でしか考えられなくなり、思想統制が出来た。
この体制を根こそぎぶっ壊そうとしているのがインターネットだ。放送は一方通行だが、インターネットは通信であり、対話が可能だ。そしてインターネットを使った情報の広がりは、既存のすべての放送や神媒体を破壊する。
だからこそ、日本政府はいかにしてインターネットに規制をかけて、世間に本当の事が知られないようにするか、毎日苦労しているのだ。
もっと面白い小話が、インターネットが発達すればテレビ局の仕事は質の高い番組を作ることになるが、これをインターネットに載せてしまえば、地方の局は全く不要になるのであると言うこと。番組を見たければ、キー局のインターネットにアクセスすればよいのだから。
今の地方局はキー局から番組と助成金を貰い、殆どの局では制作能力を持ってない。地方の会社から広告を貰って生き残っているだけだ。地域ごとに広告会社が直接地方の会社から広告を受けて、キー局がインターネットに乗せて地域ごとの広告を打てば良いのだから、これですべての地方局は命取りになる。
元々NHKでプロデューサーをやっていたのだから、内情は実に知悉している。また、新聞社がテレビ局を支配する現在の構造を、日本独特のものであり健全ではないと一刀両断している。
確かにそうだろう、今のテレビニュースのヤラセと言い、新聞の偏向性といい、全く本来のマスメディアの立場である権力の監視と言う点を完全に無視して、普通の企業で働くサラリーマンと同レベル、もっと言えば偉そうにメディアと名乗っているだけ酷い。
次は「新聞社 破綻したビジネスモデル」これは元毎日新聞の常務取締役が書いた、新聞とはどうあるべきか、またそのビジネスモデルはどうあるべきか、そして現在の新聞拡販の方法の醜さ、それに目をつぶっている編集局のずるさ、表では格好いい事を言いながら、肝心の部分では保身にしか走らない新聞記者連中への、強烈な批判である。
食品偽装などで随分正義の味方のように振舞っているが、彼ら新聞社が行っている部数拡張の為の販売促進の非道さ、新聞配達をする下請けへの強引な押し付け、どれを取っても大変な不公平ビジネスであるが、そのような事は一切報道されない不公平さ。
このような事をやっていては、日本のメディアは死んでしまう、そう訴える作者は、元営業、総合メディア担当の常務取締役なだけに、自分の生活していた職場への哀切を感じる。
そして最後は「テレビCM崩壊」である。米国の有名なニューマーケティングコンサルタントが描く、米国、ひいては日本の広告ビジネスモデルの将来像。
年末にゴールドコーストでまとめ読みしたこの3冊は、どれも今までのビジネスモデルが根本から変化していく事を、それぞれの専門の立場から警告、そしてあるべき姿を提案している。
そのすべてのキーワードに来るのが、インターネットである。この技術が既存の世の中をどれだけぶっ壊してきたかは、現場に居る人間だけが良く分かっていて、それもこれは始まりであり、21世紀に更に出てくる技術革新によって、産業革命並みの世の中の変化をもたらすだろうと予言している。
予言することでもないが、その現実の破壊力は、まだ誰にも予測は出来ない。
ただ、既存の広告⇒無料でテレビを観る⇒新聞を安く読む⇒新聞広告を観るというビジネスモデルは、金を払う立場である広告主=一般の企業が、もうこれからはテレビや新聞を使いませんよ、いや、使うけど、色んな情報伝達のうちの一つにしか過ぎませんよとなるので、今までのような独占的な立場での営業が不可能になり、遂にはビジネス自体が成立しなくなると予測出来る。
テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0
テレビCMが崩壊しても、企業は広告が必要である。そこで出てくるのが、AOD(ad on demand)と言う考え方である。
今のテレビ広告は15秒とか30秒で構成されているが、それは番組をぶった切らない為の配慮である。
しかし番組内に広告が出るのを人々が嫌うようになれば、どうやって広告を見てもらうか?
ここで出てくるのがAOD、つまり好きな時に視聴者が広告を見られる仕組みである。予め自分が欲しいものを視聴者が自宅のパソコンから入力して、番組は見ずに広告のみを取り出すのだ。
例えばインスタントラーメンが食べたければパソコンにインスタントラーメンと入力して「AOD」ボタンを押す。
すると、日清や明星、東洋食品の広告が、30秒どころか3分くらいの長い広告として、しっかり宣伝する。
すでに米国ではこの仕組みが導入されており、youtubeで簡単に見つけることが出来る。
アメリカンエキスプレスがセインフィールドとスーパーマンを使って広告番組をやっている。他にもNaikiの Just do it 等を例に挙げているので興味がある方はyuotubeで検索して見ればよいのでは。
視聴者がそれまで一方的に餌を与えられるだけだった20世紀は終り、21世紀は視聴者が主役となり、政府は隠し事が出来なくなる。消費者に君臨していた企業が、今後は消費者に主導権を捉えるようになる。
ならばどうすべきか?
主導権を手放してしまえ、そして消費者に主導して、彼らが欲しいものを見つけ出して商品化しろ。怖くて怖くてたまらないだろうが、それがこれから生き残る為の手段である、3冊の本は、すべてその方向に動いていくだろうと指摘している。
いずれにしても技術の進歩により、今家にあるテレビが、一方通行の放送から双方向の通信に変化する、その過程でテレビはモニターとしての存在でしか語られなくなる。パソコンのスクリーンが大きくなるようなものだ。
パソコンを使えない層は残るだろうが、それはおばあちゃんがテレビのリモコンを使えないのと同じで、家族に手伝ってもらうしかないが、それも音声認識機能が進化すれば、話しかけるだけでスイッチが入って検索してくれるようになるだろう。
写真は、最近家族がお気に入りのアルバニーショッピングセンター内にあるニューワールド。家からだとグレンフィールドショッピングセンターまで5分、アルバニーだと15分くらいかかるのだが、こっちの方が広いし綺麗だし歩いてる人も品が良いので、ずっと気持ちよい。これからもりょうまくんのおもちゃ、家族の飲茶、買い物に利用させてもらおう。
2008年01月06日
反転
元特捜検事・弁護士 田中森一
ここ数年、政治や経済の深部を突っつくような作品が増えた。佐藤優の作品等もその典型だ。
幻灯舎という新しい出版社が出している作品だが、それにしてもこの幻灯舎も、今までの出版社とは違った切り口で、実社会の実相を切り込んだ作品を発表している。
昔と違い、そういう内部情報を伏せておくとかの考え方は、もうどんどん闇の世界でも消え始めているのだろう。
そういう傾向は、鈴木ムネオあたりから感じる。今までなら絶対に表沙汰にならなかったような政治家の個人名や裏社会の仕組みが、堂々と本屋に出て平積みされるってのは、日本人の意識、特にエリート階級と呼ばれた人々の変化であり、それを受け入れる一般庶民の変化でもあろう。
昔ならこんな暴露本は、品が無いとかで片付くか、または社会的に問題となっていただろう。
現役の政治家、首相を含めた個人名がじゃんじゃん出てきて、バブルから崩壊以後の日本の裏話が続々と出てくるので、こりゃ楽しい。
確かにこの本の色んな評価の仕方はあるだろうけど、それでもここまで暴露した内容ってのは、なかなかない。
長崎県平戸の貧しい漁村に生まれて極貧の生活を続け、夜間高校を出て苦学して司法試験を一発合格。
それから検事の道を歩き特捜エース検事と呼ばれるが、ある日突然検事を辞めて弁護士へ。そこから闇社会の守護神と呼ばれて、山口組から裏経済界の弁護や政治家と裏社会を繋げる仕事をしたりして、遂にある事件で有罪判決を受ける。
ただ不思議なのは、ここまで裏社会や警察の国策捜査を理解していながら、何故刑務所に入ることを怖がったのだろう?入ったからと言って命を取られることはないんだし、刑期を務めれば堂々とシャバに戻れる。仕事なんていくらでもある。
第一、国策捜査なんだから違法か合法かなんてのは関係ない。検察が違法と言えば違法になる、それが国策捜査で、著者自身も言うように、最初に検察の決定ありきなんだから、罪の内容なんて何だってよい、それを判ってお上に逆らって弁護士やったんだから、最初からムショ入りくらいは腹括っておけばよいのになって思う。
最後のほうに中村天風の著書が出てくるが、なかなか印象的。
2008年01月05日
オークランドでお買い物
オークランドに戻ってから、殆ど英語を使ってないな。買い物は中国の商店、毎日映画と本を楽しんでるから、英語を話すことがない。
おまけに、年明けの1月2日から7日まで奥さんがダニーデンの親戚の結婚式って事で不在なので、子供二人の面倒も見ているので、殆ど自宅だ。
数えたら、年末から年明けまでに、10冊くらいの本と20本以上の映画を観てる。今日だけで4本観たので、仕事が始まる1月7日までには更に本数を重ねることになるだろな。
今日はアルバニーのショッピングセンターに行って、「JB HI−FI」って電気やで、CDやDVDを買い込む。
これが面白いことに、日本映画も最近すっかり増えてて、偶然だがシドニーの中華街で買った「肉弾」も今回買った「野獣の青春」、「暗黒外の対決」も岡本喜八監督だ。こういうのって、大本の作品提供会社が流れを作っているんだろうか?
それにしてもお店のDVDコーナーに、アニメの棚が3つもあり、日本映画が1つあったのは、こりゃ大したもんだ。てか、今の日本の若い人たちは、岡本喜八を知っているのか?レストランのオーナーではないぞ。
また、その作品の殆どが14.95ドルで買える。日本だと、ほぼどんな作品でも、邦画なら3千円以上する。著作権の関係だが、正式なルートで販売されている日本の作品が、日本で買うより海外で買うほうが安いという現実は、すでに著作権が実態と見合ってないと言うことだろう。
それにしても、クリスマス前の賑やかさに比べれば少しは客が引いてるものの、このショッピングセンターは賑やかだな。
通路は広々としているし清潔だし、オーストラリアと比べて人々の顔が裕福だ。金銭的な豊かさではなく、精神的なゆとりだろう。
5人ぐらい行列をしている電気屋のレジに並んでいたら、そこの作りが変てこなもんで、横から行列を見てないキーウィのおじさんが割り込むように入ってきた。
レジの人もちゃんと順番を見てないから、「Hi,There」とやってしまった。ところが後ろで並んでる人は誰もが、ちょっと苦笑しながら「まあいいや」って感じで許してしまう。本人に悪気はないんだもんね。
込み合ってる駐車場でも、スペースの取り合いなんて事はあまりない。皆が譲り合ってる感じで、それが市民の合意事項なのだろう、とても気持ちよい。
オーストラリアでは、誰も笑わずに仕事をして、私は絶対に間違ってない、てな顔だったが、こっちでは僕が購入したDVD「Insideman」をレジで打ち込んでた若い女の子が、「きゃ、素敵、これ面白かったんだ、うちにも一つあるわ」と、楽しく話しかけてきた。後ろには行列があるにも関わらず、である。
ただ、だからと言って普通の日本でやるように控えめに生きてては、この街では通用しない。かと言ってオーストラリアのような厳しさは必要ない。
丁度良いってのかな、この距離感。
そうそう、ウエストパックが週7日間の営業を開始した。今まではASBだけがやってたサービスだけど、考えてみればみんなのお休みは土日で、その時に銀行の用事を片付けたいと思うのも当然であろう。
去年の銀行別サービスではASBが一番だった。全体的にサービスが向上しているオークランドだ。
仕事開始まで、後二日。そろそろ仕事の組み立てにかかり始めている。今年は初日からお客様が立て込んでいるし、予約のお客様を終わらせたらすぐに日本出張だ。準備万端にしておかねば。
2008年01月04日
ジョーダン
英語の発音が随分綺麗で、思わず聞いた。
「あんた、オージーかい?」
「僕かい?僕はウェールズから来たんだよ」
「なるほど、イングランドからだね」
「いやいや、ウェールズから来たんだよ」
シドニーのシャングリラホテルのバーでの話だ。初日に奥さんと一緒に飲みに行った時にカウンターでサーブしてくれたお兄ちゃんが、二日目も仕事をしていて、今日はこちらも一人だし、その晩はたまたま忙しくなかったので、カウンター越しにちょっと言葉を交わしたのだ。
ウェールズ出身の若くてハンサムなブロンドのジョーダン君は、5年前に英国の大学を卒業してシドニーに来た。バーテンダー暦は6年だ。
ウェールズ出身の彼からすれば、イングランドは別の国だ。東京から来たと言ったら、ああ、中国からだねと言われたようなものか?
元の宗主国とは言え、豪州は別の国である。なんらかのビザを取得して生活をしているのだろうが、これって移住だよね。
そう思いながら、豪州の話を聞く。最近の景気、政府与党が変わったこと、シドニー人の気質、外国である豪州で英国人(English Man) はどのように過ごしているのか等など。
彼からすれば「どうでもいいことを聞く奴だな」と思っただろうが、英国で大学に行くってのは、それなりに頭が良い証拠なのだろう、問題点を簡単に整理しながら丁寧に一つ一つ答えてくれた。
「この国の景気はハワード政権でうまくいったね。資源大国であるってのは今の時代の流れに乗ってる」。
「アボリジニの居住区でウランが取れたりするんだけど、1800年代からつい最近までアボリジニを人間として認めずに居住区に押し込み、ウランが取れるとなれば、更にそこからも追い出す政策は、なかなかタフな心がないと出来ないよね」。
「もしアボリジニが文字を書いて政治に興味を持って白人を訴えれば、随分と面白いことになるぜ」と、ウインクしながら答えてくれた。
勿論これはきつい皮肉だ。ジェームスクックがこの国を「発見」して、それに次いで英国人がアボリジニを虐殺して自活手段を奪い、更に居留地に押し込み、彼らの子供を奪い準白人として育てる等、米国に渡った白人もびっくりの手段でオーストラリア大陸を強引に先住民から奪い取ったのだから、これがもし1900年代に行われていれば、オーストラリアという白豪主義国家は成立しなかっただろう。
まあ、簡単に言えば1700年代から1800年代にかけて世界中で行われた植民地分捕り合戦時に、ちょいと誰にも見えない南半球で、火事場泥棒みたいに作った国家みたいなものだ。
同じように新天地に渡ったキーウィ白人は、少しの争いはあったもののマオリと白人の共同国家を創り上げ、後にはマオリ関連法を作って彼らの先住民としての権利返還を進めたわけで、このあたり、同じ英国からやってきた同族とは思えない。
てか、実際は同族人種ではあるけど階級が違ったから、道徳観念に大きな格差があったのが一番の違いだろう。
本国で刑務所に入れられてた犯罪人を、一生の島流しにする為に送り込まれた場所が豪州である。そして犯罪人とそれを監視する軍隊が元となって国家が成立しているのだから、暴行、虐殺、強奪、何でもありだろう。
それに対してニュージーランドに渡ってきた移民は組織移住であり、移住できるほどの資金を持つ中産階級なのだから、しっかりとした道徳観を持った敬虔なキリスト教徒でもある。
まあニュージーランドと豪州の成り立ちを比較するのが本題ではない。
「たまたま田舎モノが自分の痩せた畑をしょぼしょぼと耕してたら、そこから鉄鉱石やウランが出てきたって話だね。日本にもそんな連中はいるだろ。自分の持ってた土地に高速道路ができて大もうけした奴、あの手の国家版だよ」
ジョーダン君は、こちらが日本人旅行客だと分かっているので、わりかし気軽に話してくれる。
「英国から来たってのは、まずアクセントでばれるね。だから最初から英国から来たって説明するほうが気軽だよ。ただ、この前のラグビーワールドカップの時は、さすがにスポーツバーでは飲めなかったな」
前回のワールドカップでは、豪州、NZともに敗退したが、勝ち残ったのがイギリスと南アだったので、イギリスと南アからの移住者は、本国のようには派手に騒げなかったという。
その後、しばらく窓から見える景色を一人で楽しんでいると、カウンターの内側から、ジョーダン君と若い女性スタッフが、カクテルの材料の呼び方について笑いながら議論してた。
「これはハイブよ(笑)!」彼は「違うし。これはハーブだよ〜」
オーストラリア訛りで話す彼女と、クイーンズイングリッシュで話す二人は、違う国家の人間でありながら、随分楽しそうだ。
結局シドニーに滞在した3晩とも、このバーに寄った。それも、彼の接客や話し方に、移住という視点から見て、とても興味を持ったからだ。
彼がアジアからの移住組より有利だった点。それは、肌の色が同じで、言語が完璧に理解出来て、文化を理解出来ることだろう。
そう言えば、僕が香港に移住した時も、黙っていれば肌の色が同じだから香港人と思われた。後半では言葉も自由に使えたので、ゲームセンターで遊んでた時に一斉取締りに来た警察に、普通に香港人と同じように捕まった。その時は身分証(ID)を見せて事なきを得たが。
そして同じ漢字文化であり、なおかつ中国の歴史や文学に興味があって、ある程度読み込みもしてたので、会話の中でもそれほど無理なくついていけた。
今考えてみると、これは強いわ。同じように香港にやってきた白人は、どれだけ言葉が出来ても、やはり第二階層の市民である。一線を越えることは出来ない。僕には、それが割合軽く越えられた。肌の色と漢字文化、だろう。
だから、アジア人が西洋文化圏に入り込むってのは、肌の色が違うってだけでまず大きく不利で、次に英語がネイティブ並みに喋れないから更に不利で、ましてやキリスト教をベースにした文化の違いも受け入れがたければ、こりゃもう、どうしようもない。その社会においては、第三階層くらいの扱いしか受ける事は出来ないのも、当然であろう。
だから、移住しようと思うなら、自分の世代ではほぼ間違いなく乗り越えられない英語のネイティブとキリスト教文化の理解が大きな問題となっているのだから、はい入国しました、今日からこの国の居住者です、100年前に移住してきた白人と同じ扱いをしてくださいと言っても、それは心情的に無理と言うべきだろう。ましてや、肌の色となるとマイケルジャクソンしても意味はない。
むしろ、門戸を開けてくれただけ有難いと思うべきだろう。人口減少で悩んでるくせに、他国の労働者を低賃金でこき使い、使い終わったら永住権など与えずに本国に送り返すだけのどっかのアジア国家よりも、まだ表面的な平等は守られていると思う。
移民政策は色んな先進国が悩みながら取り入れてきた政策だ。考えてみれば、自分とこの国民だけで政治をやれれば苦労はないのだ。
ところが、世界が自由化される中で、人々の移動が急激に増えてきて、その結果として自国民が減少する国では、移民が必要となる時代となった。
そう、良い意味で言えば、人々が自分の住みたい国を選ぶようになったのだ。
ニュージーランドのように、教育の質は高くて学費も安くて、でもって給料も安い国だと、結局人材輸出大国となってしまう、皮肉な結果でもある。
いずれにせよ、移住をするからには、肌の色はどうしようもないけど、英語力と相手の国の文化を学ぶ、それもかなり真剣に学んで、その国に溶け込む努力が必要だろう。それなしにガチャポンみたいな、ハイ、来ました、平等にしてね、なんてのは、望むべくも無い。
中国に今から移住する人は少ないだろう。しかし中国が自由化されて、かの国から多くの人々が世界中に向かって移住していくだろう。
彼らは自分たちがどう扱われようとかまわない。二級国民で問題なし。要するに、食えればよいのだ。駄目になれば本国に戻ればよい。ありもしない自由とか平等をどっかの掲示板でだらだらと仕事もせずに書き込む前に、働いてカネを作ろう。
2008年01月03日
タウランガ
12月30日、Q1をチェックアウトする日の朝、ホテルのレセプションに素朴な笑顔の白人の女の子が立っていた。
その時はまだ青空で、ゴールドコーストがこれから大雨に突入するってのは、波と風の強さから予想できる程度だった。
「オークランドに行くの?」
「違うよ、オークランドに戻るんだ。僕はオークランドに住んでるんだ」
ちょっとびっくりしたような顔で、彼女がこちらの顔をじっと見る。
「私は、タウランガなんだ〜」ちょっと間延びしたような、遠くを見るような目で話しかけてきた。
「いいとこじゃんか、タウランガ。何でゴールドコーストなの?」
そう何気なしに聞くと、彼女は、
「タウランガにはホテルがないからね〜」と、少し苦笑いをしながら答えた。
聞くと、オークランドでホテル専門学校を卒業した後にタウランガに戻ろうとしたが、まともな仕事がなくて仕方なくゴールドコーストまでやってきたとの事。
ゴールドコーストであれば、同じ白人だし、黙っていればキーウィとも分からないしね。給料も悪くないから、ここでしっかり稼いでいくわ。
次?次はまだ考えてないけど、シドニーかな。ここも、それほど長くいるとこじゃないわよね。自分のキャリアを考えれば、もっと上のポジションに行く為に、良いホテルを渡り歩かないとね。
オーストラリアが2千万人の人口を抱える日本のような大きな国家だとすれば、シドニーは東京、ゴールドコーストは沖縄みたいなものだ。ケアンズは、戦前の台湾と言ったところか。
その位置関係で言えば、ニュージーランドは北海道だ。オークランドは北の玄関札幌で、タウランガは網走か。
普段東京に住んで生活をしている人からすれば、札幌の事なんて考えもしない。ましてや網走なんて、それどこ?感覚だろう。
クリスマスホリデーが近づいてきて、それで初めて北海道旅行、札幌、網走番外地となるのだろう。
2003年5月に書いたコラム「尾瀬」と同じで、シドニーに住む人からすれば、ニュージーランドは時々行くからよいのだ。クライストチャーチ転勤などなってしまうと、それこそ島流しであろう。てか、多分その時点で会社を辞めるよね。
民間企業で家族を犠牲にして転勤を受けるのは、世界広しと言えども日本くらいのものではないか?
そして、タウランガで生まれた女の子からすれば、毎日同じような海と山を見て、ろくな仕事もない田舎町に住んでいながら、テレビから入ってくる情報は大都会の豪華なレストランや一流ホテルのパーティ、そしてリゾートの高級ホテルで過ごす家族の姿なのだ。
まして、野心も根性もあれば、自分を試してみたいだろう。幸い、英語も出来るし肌の色も同じだ。ビザも不要である。
よし、行ってみよ、海を渡って新天地へ。
渡った先では、都会独特の冷たさや嫌らしさを感じもするけど、それでもタウランガで働くよりはずっと楽しいし給料は増える。嫌なことがあれば、ふるさとのお母さんに電話すればいいんだもんね。
去年も随分たくさんのキーウィ医師がオーストラリアに渡ったそうだ。ニュージーランドで貰う給料の2倍近い収入なんだから、それも当然だろう。
どんな愛国心に訴えても、道徳に訴えても、若者はやはり何か新しい場所、新しい人生を見てみたくなるものだ。それを止める事は出来ない。
これからもニュージーランドから中間管理層や知識層がオーストラリアに移動するだろう。その穴を埋めるのは、海外からの優秀な移民しかない。
今回ひしひしと感じたのは、ニュージーランドはオーストラリアの7番目?の州であるって事だ。経済圏が一つなのであり、オーストラリアの鉱物資源景気は、そのままニュージーランドの景気に直結している。
良いか悪いかではない。経済実態としては、一つの国家なのだ。だから、北海道の田舎で生まれた子供は、より良い生活を目指して東京へ向かう。
昭和の時代に田舎から集団就職で都会に向かった若者のようなものだ。
「じゃね、楽しい旅を」、そう明るく声をかけてくれたタウランガの子に、思わず
「君もね」と返して、空港行きのタクシーに乗りこんだ。
2008年01月02日
2008
資源を持っている国は強い。技術を持っている国も、少しは強い。しかし、一番強いのは、圧倒的な軍事力を持っている国だ(21世紀には変化するだろうが)。
一番弱いのは、資源も技術もない、戦うことさえ出来ない国だ。誰にも相手にされないし、新聞記事にも出ない。
一番安全な国は、しっかりとした政治があり、他国と政治的にも軍事的にも戦う必要のない国だ。
自分で食べるものを賄えて、政治が国民を向いてて、出来る限り民間の活動に口を出さず、国民の自由と平等を守ることに専念している国。
外国とも全方位外交で仲良くやれて、それでも和せど同ぜずの信念を国民が持ち、核の持込は一切認めず、他国へ暴力的に侵攻する戦いには参加せず、地政学的に言っても平和に生きていける国。
間違いなく言えることは、世の中の流れに乗れば、それほど苦労しなくても何とか食っていけるし、幸せに生きていけるって事だ。
それは、その時に景気の良い国家に住むことだ。時代が変われば景気の良かった国も悪くなるだろう。そうなれば、サヨナラばいばい、次の国に行けばよいのだ。どの国も優秀な移民であれば欲しがっている。
そりゃそうだ。国家とは突き詰めれば、一箇所の土地に縛り付けられた企業のようなもので、人々は自由に移動出来るのだ。一番労働条件の良い国で働くのだ。お前んとこの会社みたいなチンケな条件で働けるかよ!
Q:将来が保障出来るのか?出来ません。年金はガタガタです。
Q:今の給料は良いのか?悪くはないけど、実際の労働時間を時給で計算したら、900円くらいです。外資のほうが稼げます・・・・。
Q:じゃあ、君の国住むのに、何の利益があるのか?。
国家とは、一つの場所に縛り付けられた企業であり、生産性がなければ誰も寄り付かないし、相手にもしない。だからアフリカの中小国家で行われた虐殺で数百万人が殺されても、誰も記事にもしなかった。同じことが百分の一でも米国で行われたら大事件だ。
ところがその田舎企業は、自分の国民が絶対に自国を捨てないと言う前提で、国民からカネをむしりとってる。これこそまさしく、やくざ社会だ。
去年は色んな収穫があったが、その一つがオーストラリア。かの地に2回行き、資源の強さを肌で感じた。NZも資源があるとは言え、食料と水だけでは、オーストラリアのようなふてぶてしい強さは持てない。
オーストラリアの強引なまでの強さは、やはり移民の影響があるのではないだろうか?社会の底を支えている南欧や東欧からの移民は、元々の精神的強さに付け加えて、白豪主義が残る豪州で、差別を受けながらも生き残って這い上がろうとする根性がある。
そういう連中を底辺に置く社会では、上の連中ものんびりとはしてられない。皆、先進諸国の仲間入りをしようと言うより、バスに乗り遅れるな、今、稼げるときに一気に稼ごう、そういう焦りさえ感じる一生懸命さを見てきた。
物質主義の限界はあるものの、それはそういう時代を通り越して来た後に言えることで、まずは物質主義の頂点まで上り詰めることが先であろう。
香港も楽しい。毎回香港に寄るたびに、自分の心に香港の精神的強さが浸み込んできて、何もしなくても力が強くなるのを感じる。
香港が強いのは、英国の100年間の独裁占領下で、英国人の当地方式である自由放任主義がより徹底された事だ。餌は自分で探して来い、食い扶持が見つからなくても俺は知らん。何をして稼いでもよい、その代わり、最後に少しだけ上前はよこせ。
そんな英国人の考え方が中国人とぴったり合ったのだろう。
香港人は何でもやれる自由と同時に、何でも自分でやらないといけない自己責任を背負って戦ってきた。自分の住む国には資源も技術もない。そんな彼らが取った手段は、貪欲なまでの知識欲によって貿易を行う事だった。
右のものを左に売る、その間で差を抜く利鞘商売である。中国のものを安く買い付けてよその国に高く売りつける商売は、手に何もない人間に残された戦い方である。平和ボケした連中には到底務まらないビジネスである。
香港では軽工業も発達した。香港フラワーで一代で財を成した李嘉誠は、香港人の間では超人、スーパーマンと呼ばれている。
今では香港人が、札幌行きの直行便に乗って雪山を見て楽しんでる。オーストラリア人も北海道でスキーを楽しんでる。
安くてサービスが良くて楽しめる、そんな日本は、いつから外人向けの観光地になったのか!?
勿論観光客が来てくれるのは嬉しい。ただ、そうじゃないだろ、日本人としての存在価値はどこにあるんだ?そう思う。
日本は開闢以来、頑張ってきた。戦ってきた。ところが今の日本は一体何だ?危機感もないままに毎日をだらけて過ごし、バカどもがお互いに慰めあったり、サプライズパーティとか訳の分からん中途半端英語でその場をやり過ごし、誰もが国の将来を見ようとしてない。
官僚に至っては、まさに日本国家がどうあるべきかよりも、自分の所属する省の利益のみを追求して、最後には自分が老後の蓄えをそこに頼ろうとする仕組み。
彼らの金は国民から出ているのだ。その認識はあるのか?また、払っている国民は、自分が誰の為に税金を払っているのかを理解しているのか?
今回の休暇で随分たくさんの本と映画を観た。これが一番嬉しいことだ。
「サウダージ」は僕の好きな垣根涼介の作品で、アキシリーズとでも言うべきか。そこからのせりふを抜書きする。
「日本では、その殆どがのんべんだらりと飲み喰らい、日々糞便を垂れ流し、周囲の評価だけを気にするだけの下等生物だ」
「電車に乗る下品な若者。シートに浅く腰掛け、両足を通路に大きく突き出し、五人で七人掛けのシートを占領している。「ひゃはは、マジかよ」しか言えない語彙の薄さ。汚物野郎だ。自信のなさの裏返しと、それを自己認識出来ない頭の悪さ」
「そろいも揃って怯えた表情をしている。間抜け面を晒している。この太平国家に生まれて、何一つ不自由なく育ってきた子羊―選挙権もある。金を無心する親も居る。イキがるのだけは一丁前だ」
「住宅ローンで破綻し、家を売り払ってもなお、形のないものに借金を払い続けていた両親。そんな親を見れば、世の中や体制に対する怒りや不満がむき出してくるのも当然だろう」
「何一つ悪いことをせずに働きづめだった両親が、時代の潮流の狭間に飲み込まれ、生活苦にあえいでいる。大企業や銀行の借金ならいくらでも肩代わりする政府は、そんなアキの両親には、見向きもしない」
今の時代を抉るような言葉だ。今の日本に一番大事なのは、外を見ることだ。ところが小泉政権が引退してから、日本はすっかり内を見る官僚支配国家に戻ってしまった。
世界が激動している今、官僚がやっているのは仲間内の駆け引きだけで、外国には全然目がいってない。
今の世界の変動の激しさは、その中に身を置けば分かる。資源も交渉能力もない日本に残されたものは技術だけだが、それさえも後継するものがない状態で、これからの国家をどう運営していくのか?
また、どれだけ技術が進化しても、それに伴う著作権、所有権などの法的体系を理解出来ないままでは、作った先から他の国に権利を取られてしまう。
現在の日本人を知ってもらい好きになってもらうには、文化を輸出すべきだ。戦後の米国が日本で米国の普通の生活や文化を知ってもらい好きになってもらうために、「奥様は魔女」とかディズニー映画を送り込み、見事に米国型生活を憧れるようになった日本。
これと同じ事を、今度は日本が国策としてやればよいのだ。
結局答は昔から同じで、政府は民間の活動に余計な口を挟むな、だ。
世の中の智恵もなければ、出来もせん事を現場も知らずに机上の空論でこの国を引っ掻き回し、ぐちゃぐちゃにした挙句に増税や犯罪と言うことで民間に責任を取らせる。
そんなお役所連中は、自分たちの保身の為にやっているという事をすっかり忘れて、自分の為じゃない、組織、ひいては日本の為だと本気で思い込んでる奴もいる。または、組織にぶら下がって何もせずに一生をだらけて生きようとする地方の役人もいる。
そいつらの飯を食わせてるのは国民だ。国民に主権があるべき国家が、その国家官僚によりすっかり騙されて、自分たちが奴隷の地位に落とされているのに気づかない。
おそらく移住と言う仕事も、あと2年だろう。そこから先は、日本が優秀な人物を外国に出さないような政策を取るだろう,good luck! 。2年後からは、NZに移住した人を対象にした経営コンサルティングだ。
日本をdaisukiで、日本人であることをとても誇りに思う日本人で、これからも日本人として世界で生きていこうと思う日本人よりの年頭所感だ。